研究 NO.1503
津波被災により人口流失した三陸集落の住環境の再編手法
―人・モノ・技術のネットワークとしての住環境領域―
主査 貝島 桃代*1 委員 塚本 由晴*2,佐藤 布武*3 本研究は,津波被害を受け人口流失した三陸集落の住環境の再編手法を導くことを目的とする.研究方法は,まず津波と 住環境の変化を扱った先行研究を参照し,文献調査・現地調査を行うことで三陸集落の住環境の全体像を把握した.次に特 定の対象地に対して,文献調査・現地調査・聞き取り調査から,住環境に関して明治・昭和・チリ・東日本大震災津波に渡 る年表とネットワーク図を作成し,その変化を分析した.さらに,東日本大震災の復興計画を含む将来の住環境を考察し,最 後にそれをもとに,津波被害を受け人口流失した三陸集落の住環境の再編手法を提示した. キーワード:1)津波,2)人口流失,3)三陸漁村,4)再編手法,5)ネットワーク, 6)住環境,7)東日本大震災,8)明治三陸津波,9)昭和三陸津波,10)チリ津波A REORGANIZATION METHOD FOR THE LIVING ENVRONMENT IN SANRIKU VILLAGE
DECREASING POPULATION BY TSUNAMI DISASTER
-Living Environment Area as Network of People, Objects and Skills-Ch. Momoyo Kaijima
Mem. Yoshiharu Tsukamoto, Nobutake Sato
The Aim of this research is for the indication of a reorganization method for the living environment in Sanriku village decreasing population by Tsunami disasters. At first it gained perspective on the living environment with documents, field and interview investigation. In second it focused the Momonoura, Ishinomaki-City and made the chronological table and actor network diagram with documents, field and interview investigation to analyze the changing of them. In third it studied the future of the living environment including recovery plan from the Great East Earthquake. Finally it clarified a reorganization method for the living environment.
1. はじめに 1.1 背景・目的 三陸沿岸部は海と山からなる豊かな自然に囲まれ,こ れと向き合った漁業,林業,農業による集落が存在してい た.しかし,東日本大震災における地震,津波,さらには福 島第一原子力発電所事故による放射線汚染により,その 多くは甚大な被害を受けた.発災から6年目を迎える現 在までにさまざまな復興事業がすすめられてきているも のの,津波被害を受けた漁村の低平地や放射線汚染をう けた地域は今も居住制限がかけられ,これに代わる高台 移転地の建設や,避難地域の除染作業に多くの時間を要 している.こうした復興の遅れも一因となり,集落の多く は約1/4から1/6まで人口減少が進んだと言われている. 一方で,こうした集落では被災前からも,利便性や雇用の 場を求めた都市部への人口流失と集落の高齢化,第一次 産業の担い手不足などの課題は存在していた.このよう な過疎化や高齢化といった課題は近年注目されつつあっ たが,団塊の世代が後期高齢者となる時期まで議論の猶 予は残されているとされてきた.しかしながら,今回の震 災は,三陸沿岸部の広範囲において,この問題を実質的に 突きつけるものとなったといえる. こうした状況の中で,被災した集落の中には,集落の現 状を把握し将来図を描くことにより, 被災前の漁村集落 へ戻すのではなく,被災地集落モデル,ひいては人口減少 時代の集落モデルを目指す動きもある.かつてより三陸 沿岸部は度重なる津波被害を乗り越え,この地の自然と の対話により多技能な人々による豊かな生活が再建され てきた地域である. 東日本大震災からの再建にむけて, こうした生活状況を記録・整理し,様々な人々が関わる新 たな開放型のネットワークの構築が求められている. こうした背景を踏まえ,本研究は,津波被害を受け人口 流失した三陸集落の住環境の再編手法を導くことを目的 とする.研究方法は,2章にて,津波と住環境の変化を扱 った先行研究を参照し,文献調査・現地調査を行うことで 三陸集落の住環境の全体像を把握した.3章にて,特定の 対象地に対して,文献調査・現地調査・聞き取り調査から,
住環境に関して明治・昭和・チリ・東日本大震災津波に 渡る年表とネットワーク図を作成し,その変化を分析し た.4章にて東日本大震災の復興計画を含む将来の住環 境を考察し,それをもとに津波被害を受け人口流失した 三陸集落の住環境再編手法を提示し,5章で結論とした. 1.2 研究の位置づけ 本研究では,津波と住環境について考察した既往研究 として, 昭和8年の津波から10年後に出版された民俗学 者山口弥一郎による『津波と村』1)を参照した.山口は, 柳田国男が明治29年の大津波の25年後に三陸沿岸を歩き 『二十五箇年後』にまとめた研究を下敷きに,牡鹿半島か ら尻屋崎まで悉に歩いている.その上で, 地震と津波と の正確な時間関係を問いつつ,津波が三陸沿岸の社会へ 与えた影響や,移った村が現地に復帰する経済的理由と 民族的理由などを明らかにしている.ほかにも宮野・林2) は明治と昭和の津波による住宅被害と集落移転について, 熊谷ら3)は昭和津波後の住宅地の建設状況について,宗 ら4)は高台移転地の住宅地不足による低平地での再建, 村尾ら5)は沿岸部に住宅が再建される理由を明らかにし た.本研究はこれら先行研究の時間的尺度を参照しつつ も,住環境の領域図と人・モノ・技術のネットワーク図に よって集落の変化を整理するところに独自性がある. 著者らは先行研究6)で,漁村集落における明治,昭和, チリ津波,東日本大震災という時間的尺度から,集落の空 間的特徴を山,家廻り,海から捉え,生業,住まい方の変化 と重ね合わせ検討している.空間的な特徴を中心に捉え た先行研究に対し本研究では,人・モノ・技術のネットワ ーク図という新たな分析手法を加えることによって,将 来へ向けた集落再編手法の提示を主眼に置いている. 1.3 研究対象 本研究では,まず2章において津波による三陸集落の 住環境をみるために,宮城県から岩手県までの(1)只越 (2)綾里(3)本郷(4)両石(5)吉里吉里(6)船越(7)田老の7 集落を対象とした.これらは明治,昭和の津波において大 きな被害があった場所であり,復興計画により再建が試 みられ,先行研究に調査記録が残されているものである. また,3章以降では,明治・昭和・チリ津波において低 平地の被害と小規模な高台移転が行われてきた歴史を持 ち,東日本大震災で大きな津波被害を受けた宮城県石巻 市の漁村集落・桃浦を対象とした. 東日本大震災前には 62世帯147人が住む牡鹿半島の入口にある集落であり, 牡蠣養殖が盛んな比較的大きな漁村である.東日本大震 災では16mの津波に見舞われ,4世帯以外が津波被害を受 けた. 2. 津波被害を受けた三陸集落の住環境 2.1 各集落の津波と住環境 本章では,まず,明治三陸津波(1896 年),昭和三陸津波 (1933 年),チリ津波(1960 年),東日本大震災(2011 年) の住環境について,被害状況(津波高さ,住戸被害,人的被 害)と復興計画を文献6)-17)により調査した.更に,2016 年 8 月 17 日から 20 日にかけて実施した現地調査の結果を 加えることで,過去から現在に至る津波と住環境の関係 を示す表 2-1 を作成し,考察した. (1) 只越 東に太平洋,西に山を背負い,東西に伸びる谷戸に位置 する.沿岸部をつなぐ県道と内陸からのびる県道が交差 し,湾口に防潮堤がある.チリ津波の津波高は低いが,明 治,昭和,東日本大震災では8m 近い津波高を記録した. 世帯数には大きな変化はないが,低地に居住していた住 民が被災し,明治では嵩上げによる「原地復興」,昭和で は山裾の高台に分散移転,東日本大震災では隣接集落と の間の山を削った国道沿いの「集団移転」を行った.低地 と山の住環境の不連続を避難路によりつなげている. (2) 綾里 南に太平洋,北に山を背負う谷戸で,綾里川に沿って西 岸の岩崎,湊,石浜,東岸の田浜による4集落から構成さ れる.防潮堤があり,沿岸部と川沿いに道路,内陸に鉄道 駅がある.チリ津波の津波高は低いが,明治,昭和,東日本 大震災では 10m 前後の津波高を記録した.明治では低地 に居住していた住民が被災し,多くが「原地復興」し,一 部個人的な移転があるのみだった.昭和では山裾の高台 を削り,低地を嵩上げした集団移転を果たした.その効果 もあり東日本大震災では,浸水被害はあるものの流失を 免れた世帯も多い.また,低地部の流出家屋のための,谷 戸の奥の山林,田畑を敷地とした,既存谷戸の奥にある農 村集落との連続を配慮した「分散移転」が計画されてい る. (3) 本郷 東に唐丹湾,西に山を背負う谷戸に位置する.集落内は 川に沿う集落道と並行して県道と防潮堤がある. チリ津 波の津波高は低いが,明治,昭和は 10m 近い津波高を,東 日本大震災で 17m の津波高を記録した.明治では山腹斜 面に復興計画が立ち上がったが,数戸のみ移転となり,こ れも山火事により焼失,最終的には低地に戻り,「原地復 興」した.昭和では明治の教訓を受け,明治の山腹高台に 「集団移転」した.しかし東日本大震災までに人口増加に より低地居住がみられるようになる.これら被災世帯の ために,谷戸の奥に嵩上げの「集団移転」が行われた. (4)両石 東南を両石湾に開く,狭長な谷戸に広がる集落で,谷戸 の低地に国道が,西部山腹に鉄道が通る.明治,昭和,チリ と5m 前後の津波高を記録している.谷戸の形状が狭隘 なことから,明治では集落がほぼ流失し,「原地復興」が
表 2-1 津波(明治,昭和,チリ,東日本大震災)と住環境 被害データ 1986 1933 1960 2011 只 越 綾 里 本 郷 両 石 吉 里 吉 里 田 老 船 越 / 田 の 浜 明治三陸津波 昭和三陸津波 チリ津波 東日本大震災 津波高さ (m) 流失・全壊 数(戸) 住戸数(戸) 人口(人) 死者行方 不明者(人) 防潮堤高さ (m) 低地嵩上 げ高さ(m) 建設戸数 (戸) 8.3 51 約60 ー 237 ー 1.5-3.0 ー 復興状況 原地復興 6.6 36 78 ー � �23 ー ����� �5.8 ー 分散移転 3.7 �� �0� � ���� �ー ー ��� �0 ー �������� ー ー ー 7.0 38 �����ー ー ��� �5� 11.3 ー 集団移転 ー 津波高さ (m) 流失・全壊 数(戸) 住戸数(戸) 人口(人) 死者行方 不明者(人) 防潮堤高さ (m) 低地嵩上 げ高さ(m) 建設戸数 (戸) 11-12.57 186 170余 ー 1347 ー ー 復興状況 原地復興 7.7-9 200 ー ー � �71 ー ����� �5.8 154 集団移転 3.5 �� �0� � ���� �ー ー ��� �0 ー �������� ー ー ー 13.0 376 �����ー ー ��� �26� TP+14.0 65 集団移転 ー ー 津波高さ (m) 流失・全壊 数(戸) 住戸数(戸) 人口(人) 死者行方 不明者(人) 防潮堤高さ (m) 低地嵩上 げ高さ(m) 建設戸数 (戸) 14.5 約300 1500-1600 ー ー 復興状況 原地復興集団移転 9.3 101 102 ー � �326 防潮林 84 �集団移転 2.2 �� �0� � ���� �ー ー ��� �0 ー �11.8���� ー なし 17.1 33 ���� �165 ー TP+14.5 �20 原地復興 約300 1500-1600 1.4-4.4 ー 切り土 切り土 津波高さ (m) 流失・全壊 数(戸) 住戸数(戸) 人口(人) 死者行方 不明者(人) 防潮堤高さ (m) 低地嵩上 げ高さ(m) 建設戸数 (戸) 6.7 142 144 824 710 なし 1.5-3.0 ー 復興状況 原地復興 5.5 86 92 ー � �3 ー ����� �6.7 93 分散移転 3.7 � �88�� ���� �91 ー ��� �2 ー �������� 7 ー 集団移転 22.6 203 ���� �228 ー ��� �ー � TP+12 59 原地復興 TP+12 津波高さ (m) 流失・全壊 数(戸) 住戸数(戸) 人口(人) 死者行方 不明者(人) 防潮堤高さ (m) 低地嵩上 げ高さ(m) 建設戸数 (戸) 8.5 約100 約160 ー ��� �ー ー ��������� �ー 約50 復興状況 集団移転 4.2 107 272 ー � �10 TP+6.0 ����� �11.8 98 集団移転 � �ー �� �0� � ���� �ー ー ��� �0 ー �������� ー ー ー 16.1 395 ���� �954 2475 ��� �97 TP+12.8 ー 分散移転 ー 津波高さ (m) 流失・全壊 数(戸) 住戸数(戸) 人口(人) 死者行方 不明者(人) 防潮堤高さ (m) 低地嵩上 げ高さ(m) 建設戸数 (戸) 6.6/9.1 約400 ー 約1000 なし 120 復興状況 集団移転 3.5/6.1 24/185 ー � �2/2 ー ����� �なし 240 集団移転 �� �ー �� ���� �ー ー ー ー �������� ー ー ー 15.9/14.8 125/274 ���� �241/461 2178/1275 56/117 146/146 集団移転 ー ���� �ー ���� �ー ���� �ー なし TP+11.6/ 12.8 原地復興 津波高さ (m) 流失・全壊 数(戸) 住戸数(戸) 人口(人) 死者行方 不明者(人) 防潮堤高さ (m) 低地嵩上 げ高さ(m) 建設戸数 (戸) 15.0 285 339 1845 1808 ー 0.5 ー 復興状況 原地復興 7.7 493 503 2950 889 10.0 ー 原地復興 3.5 �� �0� � ���� �ー ー ��� �0 10.0 ����� �ー ー ー 16.3 1609 ���� �ー 2452 ��� �191 14.7/10.0 ー 集団移転 2.0 ����� �ー 津波新水域と住宅移転地 現地調査写真 1:20,000 1:30,000 1:30,000 1/50,000 1/50,000 1/40,000 1/50,000 明治������ 昭和������ チリ������� 東日本
なされた.昭和でも同様の被害があったが,一部の山腹 に「集団移転」が行われた.チリでも大きな被害があり, 北面の山腹に高台移転地を開き,一部復帰者,分家,他村 からの移住者などにより住家が再建された.東日本大震 災では 22.6m というこれまでに比べ遥かに高い水位に達 し,既存の高台移転地の高所をのぞき,多くが流出した. 現地の漁業エリアとは分節されている. (5)吉里吉里 北東を船越湾に開き,海岸に向かって緩い傾斜の続く 地形で,国道が山から西岸沿いをつなぐ.古い集落は山麓 にあったが,集落の発展に併せて海岸が宅地化された歴 史を持つ.明治 8.5m,昭和 4.2m,東日本大震災 16.1m の津 波被害が記録されている.明治では山裾に「集団移転」が なされたが,次第に低地に復帰した.昭和では嵩上げと高 台による「集団移転」がなされ,防潮堤が建設された.東 日本大震災では,昭和移転地および山腹の畑に「分散移 転」を行い,防潮堤の嵩上げを計画している. (6)船越 南を船越湾,北を山田湾に開き,西岸の船越,東岸の田 の浜に分かれ,国道が西岸を通る.明治では低地住宅は大 きな被害を受け,船越は中央西部山腹と南西部山腹に「集 団移転」し,田の浜は「原地復興」した.また,昭和では移 転後の移入者や分家等の低地住宅が被災し,田の浜の山 ノ内に「集団移転」した.東日本大震災では,船越は明治 高台移転地の北部山腹に,田の浜は東部山腹に県道を分 岐させ,昭和の高台地とつなぎ,既存谷戸集落と隣接して 斜面を削り「集団移転」を行った. (7)田老 東を田老湾に開き,広い低平地が広がっている.明治で は 1800 名を超える死者を出し,山麓を土盛りする計画を したが,半ばにして予算の目途が立たず,防備なく「原地 復興」した.昭和では明治を超える被害があったが,10m の防潮堤を整備し,「原地復興」した,東日本大震災では 第二線堤を整備,北東山腹に「集団移転」を行った. 2.2 津波被災を受けた三陸漁村の住環境のまとめ ここでは前項で扱った集落を横断的に考察するため, 明治,昭和,チリ,東日本大震災の住環境の違いを個別性 と全体性の観点から捉える(表 2-2).まず個別性では,各 時代において住環境のスケールが異なることに着目する. 明治はより過密であるのに対し,東日本大震災では低密 である.その理由として明治の住宅地は,機械化以前の技 術を用い,徒歩を前提とした道路幅,勾配の計画であり, 敷地面積および住宅規模も小さい.しかし昭和になると 住宅地の中央には商店街などの機能を付随し,幅広の道 路が設けられる一方で,枝葉の住宅に面する道路は幅が 狭く,一定の密度が保たれる.東日本大震災では高台移転 地や防潮堤建設のための土木技術の機械化が進み,自動 車でのアクセスのため道路幅や勾配の仕様が定義され, 住宅の区画も大きく設定されている.このことから各時 代の住環境には密度差があり,津波被災を複数受けた集 落では,これらが接ぎ木され,集落全体として一様ではな い. また全体性に着目し高台移転地の位置についてみてみ ると,明治,昭和では港湾部からの近傍性から集落の田畑 や山林を活用し,港を囲むような配置が多い.一方で,東 日本大震災では自動車によるアクセスから,既存集落と の離隔距離が明治,昭和に比べ大きくなっている.このた め防潮堤による原地復興をとらない場合,住環境の山腹 への拡大がみられた.つまり明治,昭和における移転地計 画は,集落のもつ地形条件を活かした既存集落と移転地 の関係に配慮した計画がみられたが,東日本大震災にお ける移転地計画は地理的条件から自由になる一方で制度 的条件を成立させることに配慮した計画となっている. さらに 7 つの事例の住環境の再編手法を,復興計画に 重ね合わせる(表 2-2)と,大きく「原地復興」パタンと 「集団移転」パタンに分類できた.「原地復興」は,昭和 表 2-2 津波(明治,昭和,チリ,東日本大震災)と住環境パタン 明治津波時復興計画 昭和津波時復興計画 原 地 復 興 集 団 移 転 東日本大震災津波時復興計画 田 老 綾 里 / 田 浜 本 郷 吉 里 吉 里 船 越 集団移転 分散移転 集団移転 集団移転 集団移転 只 越 集団移転 両 石 原地復興 集団移転 原地復興 分散移転 原地復興 明治������ 昭和������ チリ������� 東日本
津波後においても多くが「原地復興」であるものの,東日 本大震災後の復興計画では,復興用地不足から高台に集 団移転が多く見られている.「集団移転」パタンでは昭和 津波後においても「集団移転」であるものの,東日本大震 災後の復興計画では,大部分がさらに山の高台へと「集団 移転」し,一部盛り土による「原地復興」も見られた. 3. 津波と桃浦の住環境 ここでは宮城県石巻市桃浦行政区を対象に,集落の住 環境を津波との関係からみていく. 3.1 石巻市人口変動と漁業経営体の変化 まず桃浦での住環境を形成する要因として人口変動を みる.資料が入手できた昭和 8 年以降の石巻市域の人口 変動注 1を図 3-1(左)に示す.石巻市域の人口は,昭和前期 から徐々に増え続け,昭和の終わりには 8 万人に達する. また,石巻市は周辺市町村と合併して市の規模を拡大し てきた.図 3-1(中)に,昭和 30 年に石巻市と合併した旧荻 浜村の人口を示す.石巻市域と異なり,荻浜村は記録の残 る昭和 30 年以降,常に人口が減少してきた.その中でも 人口減少が著しい昭和 48 年までの各年の人口変動を図 3-1(右)に抜き出した.昭和 35 年まではほぼ横ばいだが, 昭和 35 年から昭和 41 年にかけて徐々に減少が進み,昭和 41 年から減少率が上昇する.人口変動の契機の一因とし て,昭和 35 年に三陸沿岸に甚大な被害を与えたチリ地震 津波の影響が想定される.石巻市の人口が減少傾向にな いのに対して,沿岸部の荻浜村では緩やかな人口減少が 生じていることから,津波を契機とした市街地への移転 などが生じたものと推察できる.また,昭和 30 年代から 40 年代にかけては漁業技術が向上した時期であり,漁法 の変化の影響で人口変動が生じた可能性が指摘できる. また人口と生業の関係をみるために,漁業経営体の変 化を漁業センサス 7)〜 18)より,整理した.表 3-1 に昭和 28 年と昭和 48 年の荻浜村における漁業の変化を示す.漁業 経営体数に大きな変化はないものの,漁業専業の経営体 が増え,一経営体あたりの漁獲金額が向上している.昭和 28 年時点の兼業内容は,農業や林業,狩猟業などの1次 産業の兼業が大部分を占めており,自給自足的兼業であ った一方で,昭和 48 年の 兼業内容で最も多かった の が ,雇 わ れ 漁 業 で あ っ た.また,所得向上の要因 として,20 年間で動力線 や 船 外 機 が 普 及 し ,漁 船 の動力化が進んだことが 考 え ら れ る .営 ん で い た 漁 業 種 類 を み る と ,養 殖 業 が 増 加 し ,大 型 漁 船 漁 業が減少している.また, 小型漁船漁業も発達して い る こ と か ら ,養 殖 を 主 と し つ つ ,作 業 の 合 間 を 縫って四季の漁業を営む 現在に続く地域の漁業の 骨格がこの時期に形成さ れ た も の と 考 え ら れ る . 続いて,昭和 48 年以降の S.8 10,000 20,000 30,000 40,000 50,000 60,000 70,000 80,000 90,000 S.13 年代 年 人口 人 S.18 S.23 S.28 S.33 S.38 S.43 S.48 S.53 S.58 S.63 H.5 年代 年 500 1,000 1,500 2,000 2,500 3,000 3,500 4,000 人口 人 S.33 S.38 S.43 S.48 S.53 S.58 S.63 H.5 S.30 S.31 S.32 S.33 S.34 S.35 S.36 S.37 S.38 S.39 S.40 S.41 S.42 S.43 S.44 S.45 S.46 S.47 S.48 図 3-1 石巻市(左)と旧荻浜村(中央・右)の人口変動 表 3-2 桃浦の漁業経営体の変化 年代 個人 経営 体数 漁 業 専 業 兼 業 漁 業 が 主 兼 業 漁 業 が 従 一経営 体平均 漁獲金 額 (万円) 総隻 数 無 動 力 船 隻 数 船 外 機 隻 数 動 力 船 隻 数 海 苔 養 殖 かき 養殖 わ か め 養 殖 ほ た て 養 殖 そ の 他 の 養 殖 大 型 定 置 網 地 び き 網 母 船 式 漁 業 遠 洋 沖 合 底 曳 き 小 型 定 置 網 小 型 底 曳 き そ の 他 の 底 曳 き ま き 網 敷 き 網 そ の 他 刺 し 網 固 定 式 刺 し 網 釣 り ・ は え 縄 総 数 家 族 雇 用 者 S.48 68 36 31 1 263 110 17 23 70 0 66 0 0 0 0 0 0 0 13 1 0 0 0 0 7 0 100 97 3 S.53 73 50 21 2 835 122 4 47 71 0 69 0 0 0 0 0 0 0 10 1 0 1 0 0 15 1 177 143 34 S.58 78 34 30 7 710 133 3 63 67 0 65 0 0 0 0 0 0 0 15 1 0 0 1 0 5 1 181 160 21 S.63 67 40 22 5 1476 136 0 65 71 0 62 0 0 0 0 0 0 18 1 0 0 1 0 5 0 167 144 23 H.5 66 32 26 8 972 123 0 61 62 0 54 0 0 0 0 0 0 9 10 0 0 0 0 17 0 129 120 9 H.10 59 34 17 8 1004 115 0 55 60 0 53 0 0 0 0 0 0 8 1 0 0 0 0 6 2 147 118 29 H.15 51 29 18 4 1057 99 3 44 52 0 45 0 0 0 0 0 0 6 1 0 0 1 0 26 0 116 89 27 H.20 42 25 15 2 81 0 40 41 0 36 0 0 0 0 5 0 84 55 29 H.25 12 7 4 1 29 0 12 17 0 10 0 0 0 0 0 1 1 0 0 0 4 1 36 13 23 最盛期の 海上作業従事 者数 抜け 抜け 経営体 隻数 漁業種類 養殖業 大型漁船漁業 小型漁業 表 3-1 荻浜村の漁業経営体の変化 年代 個 人 経 営 体 数 漁 業 専 業 兼 業 漁 業 が 主 兼 業 漁 業 が 従 一経営 体平均 漁獲金 額 (万円) 総 隻 数 無 動 力 船 隻 数 船 外 機 隻 数 動 力 船 隻 数 海 苔 養 殖 か き 養 殖 わ か め 養 殖 ほ た て 養 殖 そ の 他 の 養 殖 大 型 定 置 網 地 び き 網 母 船 式 漁 業 遠 洋 沖 合 底 曳 き ま き 網 小 型 定 置 網 小 型 底 曳 き そ の 他 の 底 曳 き ま き 網 敷 き 網 そ の 他 刺 し 網 固 定 式 刺 し 網 釣 り ・ は え 縄 S.28 325 5 104.4 475 402 73 0 141 0 0 0 3 1 0 6 5 47 12 8 5 6 2 12 46 S.48 345 147 136 62 225 603 59 200 344 23 252 37 0 4 1 0 0 0 0 41 7 15 0 9 0 93 40 経営体 320 養殖業 大型漁船漁業 小型漁業 漁業種類 隻数
桃浦における漁業経営体 の変化を表 3-2 に示す. 昭和 48 年から昭和 53 年 に か け て ,一 経 営 体 平 均 漁獲金額が飛躍的に上昇 し て い る .両 者 を 比 較 す ると,昭和 53 年にかけて, 動力船数と最盛期の海上 作業従事者数が増加して い る .動 力 船 に よ る 作 業 環 境 の 向 上 と ,経 営 規 模 の拡大により作業効率化 が図られたと推察できる. その後,昭和 63 年に一経 営体平均漁獲金額が最高 を 記 録 す る も の の ,人 口 の減少に比例するように 経営体数も減少を続ける. ま た ,家 族 の 海 上 作 業 従 事者数が減少するのに比 べ て ,雇 用 者 数 は 維 持 さ れ て お り ,明 確 な 減 少 傾 向は確認されなかった. 3.2 桃浦の土地利用 明治期から現在に至る までの集落土地利用の変 遷 を ,地 籍 図 と 旧 土 地 台 帳,公図により把握した. 図 3-3 に宅地周辺での 集落土地利用の変化を示 す.海沿いに住居,その後 ろ に 畑 地 ,さ ら に 後 背 地 に山林を設けるという等 高線に沿った土地利用が 確 認 で き る .明 治 の 終 わ りから大正 11 年にかけ て は ,世 帯 ご と の 山 林 開 墾 に よ る 畑 地 化 と ,海 と 山の間の畑地を活用した 宅 地 化 が 確 認 さ れ た .昭 和 9 年から 11 年にかけて の集落外住民の居住履歴 は空き家の避難住宅とし ての利用,昭和 12 年の宅 地化は被害を受けた世帯 の移転の可能性が考えら れる.昭和 35 年のチリ津 S7.14名共有林? M41開墾 T6畑地化 S.31 S.5 S.5 S.12 S.21 T.11 S.6 S.5 S.33 S.16 S.22 S.8 寺 T.11 T.1 S.36 S.36 S.36 S.35 明治19年時点の土地利用 明治から昭和27年までの土地利用の変化 昭和27年から昭和51年までの土地利用の変化 宅地 畑 田 山林 凡例 宅地化 畑地化 S.9-11 に宅地 凡例 宅地 畑 田 山林 宅地化 畑地化 凡例 山林化 宅地 畑 田 山林 図 3-3 桃浦の土地利用の変化
波の影響による宅地の変更と,開墾した畑地の再山林化 も確認された. 3.3 桃浦の年表における津波と産業の関係 文献資料調査と住民へのヒアリング調査から,全国,石 巻市,桃浦における生業について年表(表 3-3)を作成し, 明治,昭和,チリ,東日本代大震災の津波との関係をみた. 津波と全国レベルでの漁業政策には関係があると考えら れ,実際に,明治津波以降の漁業法の整備や,チリ津波後 の災害法などは,津波後 10 年以内に整備されている.ま た,桃浦での漁業の変化においても,津波被害からの復興 として,新たな漁業が導入されるなど,関係性がみられた. 山の産業については,高度成長期の政策の影響による積 極的な植林で林業の産業化が進んだ.しかしながら, 漁 業就業者が多い桃浦では漁業がより強い産業として振興 されたことが見てとれる. 3.4 生業からみた桃浦の集落構成 住民ヒアリング調査より,生業からみた桃浦の集落構 成を図 3-4 にまとめた.桃浦は昭和 27 年ごろから牡蠣養 殖が盛んになった漁業を主生業とする集落である.牡蠣 養殖のほか,船乗り,林業,大工・木工,商店経営,旅館業, 運送業,その他,不明という9つの職業に分類した.牡蠣 養殖が全体の半数以上をしめ,L 字となっている集落の 隅の沢に沿って,大工や旅館業など他業種がみられるこ とから,海と浜をつなぐ沢道が,異なる生業を成立させる 軸となっていることがわかる.また沢での山津波などに よる高台移転も見られた.全体としては,寺跡や茅場が山 側にあるなど,集落の配置構成の中心が以前はより山側 にあったが,漁業の発展ともに海側に下がってきたこと が明らかとなった. また,漁業の産業が大きく変化したと思われる動力化 とその前後における人,技術,道具に着目し,これらを桃 浦の地形を示した鳥瞰図にかさねあわせたアクターネッ トワーク図を作成した(図 3-5).これらから,動力船以前 は網元や地主などの生業の仕組が地域の住環境を構成し ていたのに対し,動力船により遠洋漁業や地域外の産業 が入り込み,桃浦のネットワーク図が複雑・広範囲化した ことがわかる. 3.5 津波被災を受けた桃浦の住環境のまとめ 本章では人口変動と就業人口の変化により,桃浦の産 業による人口構成をみた.その結果,戦前,戦後に人口増 加し,チリ津波以前まではさまざまな産業による人口構 成がみられたが,その後漁業人口に集中がみられること が明らかとなった.また桃浦の土地利用の変化から,津波 による高台移転において田畑の宅地化,また開墾した田 畑の再山林化がみられた.そして,津波と生業の関係を示 海_漁業 山_陸路 ー28 全国的な漁業政策なし 紀州から鰹釣漁法が伝来 /石森善左衛門が筒伏 網、西洋簀立、水晶型器 械網を開発 1700年代前半、鰯漁を中 心に大網をはる 29 明治三陸地震 30 宮木周市渡波へ、水産加 工技術を持込む 33 桃浦漁港護岸延長工事 34 漁業法 牡蠣養殖で、す立棒刺棚 を発明 37 日露戦争 39 山口・下関より東洋捕鯨船 が鮎川に進出鰹漁(一本 釣り)、鮪漁(大謀網)が盛 んに 41 渡波に宮城県水産学校設 立宮城県で初動力漁船 43 明治漁業法 動力機器、和洋折衷船開 発 1 新田周助が発動機船導入 石巻-子牛田間の私設軽 便鉄道開通 2 北上川河口工事 金華山道路建設開始 3 宮城新昌が牡蠣養殖場設 立(万石浦) 4 渡波〜桃浦間完成 5 牡鹿半島で動力船 10 公有水面埋立法 70t級鉄鋼船、遠洋漁業 へ カタクチイワシ漁(定置網) 11 石巻港が普通港湾に 12 宮城新昌が垂下式養殖 法、荻浜地区各浜で水産 加工業 鰹節、鮪節生産 13 関東大震災 垂下式採苗法 14 養殖事業改善の政府助成 (万石浦)杭打式垂下養殖 法 船の動力化 7 宮城新昌がコールタール 染ワラ縄の開発、牡蠣養 殖事業はじまる(荻浜) はえ縄漁(近遠洋)鰹漁の 開始(夏=鰹漁、冬=底び き漁) 8 昭和三陸地震��内務省に よる復興計画 宮城県令�海嘯罹災地建 築取締規則 10世帯程度の住宅の浸 水、洞仙寺が山から浜へ 移転 12 石巻港が漁港に 15 鰹をえさイワシとして活用 /鰹船を軍艦として使用 19 半数の大型漁船を損失 県道2号線整備 21 マッカーサーライン、遠洋 操業を禁止 牡蠣漁を開始イカダ式、は え縄漁(マグロ) 23 国有財産法 水産業協同組合法 荻浜近辺で大火事が発生 し、壊滅状態になる 24 漁業法 25 漁港法 農林水産業施設災害復旧 事業費国庫補助の暫定措 置に関する法律 金華山で米国人らによる 鹿狩りがあり、半島へ鹿が 逃げた 木舟からプラスチック船 へ、巻き網漁(マグロ) 26 公共土木施設災害復旧事 業費国庫負担法 国際捕鯨取締条約加入 水産資源保護法 合成繊維の漁網、魚群探 知機、無線の普及、漁船の 大型化 27 日米加三国漁業条約 遠洋操業解禁 延縄式垂下養殖法 牡蠣養殖が本格化 31 日ソ漁業条約 海岸法 ナラ・クヌギ・クリなどの広 葉樹が中心 32 ホヤ養殖法の考案 杉の苗木を植える 35 チリ地震��チリ地震津波に よる災害を受けた地域にお ける津波対策事業に関す る特別措置法 低平地の多くの住宅で、1 階の部分が床上浸水 36 災害対策基本法 後進地域の開発に関する 公共事業に係る国の負担 役割の特例に関する法律 37 漁業法改正 激甚災害に対処するため の特別の財政援助等に関 する法律 沖合養殖保全施設を県内 5ヶ所に設置 38 沿岸漁業等新興法 家族労働力主体への移行 43 種ガキの移動採苗法考案 洞仙寺が墓分譲、一部山 の墓を下ろす、海苔漁(1 年で終了) 45 プラスチック漁船の製造販 売開始 牡蠣漁をタル式に変更 50 共同牡蠣むき処理場が完 成 52 漁業水域に関する暫定措 置法(200海里) 遠洋漁業の拠点が海外に 移る 53 大規模地震対策特別措置 法 55 車道の舗装、海の埋め立 て完了 57 桃浦小学校の統合により、 荻浜小学校開校 62 商業捕鯨完全中止 5 6 海洋法に関する国際連合 条約 7 地震防災対策特別措置法 8 排他的経済水域及び大陸 棚に関する法律 14 漁港漁場整備法 東南海・南海地震に係る地 震防災対策の推進に関す る特別措置法 16 日本海溝・千島海海溝周 辺海溝型地震に係る地震 防災対策の推進に関する 特別措置法 19 農山漁村の活性化のため の定住等及び地域間交流 の促進に関する法律 23 東日本大震災����農林水産 省 補正予算による水産関 係の復旧対策 甚大な津波被害を受ける 24 過疎地域自立促進特別措 置法 桃浦かき生産者合同会社 設立 25 桃浦浜づくり実行委員会 設立 27 高台移転地完成、集会所 第一次 世界大戦 第二次世界大戦 津波に対するかき脱落を 防止する養殖施設の改良 (桃浦地区漁業協同組合 青年研究会) 全国・制度 石巻 桃浦 昭 和 平 成 明 治 大 正 表3-3 桃浦年表
した年表を作成し,津波により全国レベルにおける政策, 石巻や地域における産業の変化があったことをみた.さ らに生業から桃浦の集落構成をみると,牡蠣養殖が集落 の半数以上みられ,これらの漁家が沿岸部に配されてい た一方,集落中央の沢道周辺に,林業や大工・木工など, 山資源を漁業や日常の道具へ活用したことを示す多様な 産業の人家が配されており,沢沿いに海と山をつなぐ産 業構造が展開していたことを示した.最後に,漁業の変化 において空間的に大きな変革を与えたと推察される動力 船の導入に着目し,この前後におけるアクターネットワ ーク図を描き,こされていた住環境が,動力により大型か, 個人化し,人,技術,道具が複雑化し,外部への拡張したこ とを示した. 4. 東日本大震災での津波被害をうけた桃浦の住環境の 将来 本章では,東日本大震災の津波被害からの復興に向け た住環境の将来像について検討するために,2 章で用い た,津波と住環境パタンを用い,桃浦の住環境に関する復 興計画パタン(図 4-1)を作成した. 4.1 桃浦における津波被災からの復興計画パタン 明治津波以前は海の護岸工事はなされておらず,砂浜 と干潟で構成されていた.漁家の並ぶ家回りは,海から山 まで連続的な地形の一部に配されていたため,一体的な 住環境が形成されていた.浜と浜を結ぶ交通は船が一般 的であり,徒歩の場合は山道や砂浜を通っていた. 明治津波以降-昭和津波前後には,埋め立てによるコン クリートの護岸工事や県道整備などの土木工事が進み, 旅館業や大工などの漁業以外の生業が盛んになる.また, 山裾では人口増加で田畑が開拓され,山にあった寺も集 落におりてくる.浜では船が動力により大型化し,漁業が 港に集約しだす.明治津波の被害は一部の床上下浸水の みで,大きな流失や被害はなかった. 昭和津波以降-チリ津波前は山側の田畑に植林がなさ れた.昭和津波の被害も明治津波の被害は一部の床上下 浸水のみであった.カツオ船の中継点となり,船員のため の旅館業が発達した. チリ津波以降-東日本大震災前後では,チリ津波により 一部の住宅が流失し,分散的高台移転がなされた.植林さ れた杉林は次第に手入れがなされなくなり,荒廃した.そ の一方で二百海里以降,遠洋漁業が下火になり,多くの船 乗りが牡蠣養殖を開始し,牡蠣養殖漁港として栄えた. 東日本大震災では低平地の水産業,住宅が大きな被害 を受けた.かつての田畑,杉林の位置に集団移転が計画さ れるが,長引く復興事業の影響もあり, 当初計画の 1/5 ほどに帰還人口が減少した.漁港は牡蠣養殖の合同会社 ができ,牡蠣養殖漁港としての復旧はなされたものの,背 後地は災害危険区域となり,その活用は未定である.その 結果,現在の復興計画において住環境は離散的分散的で あり,一体的な漁村風景としての復興は厳しい.前章パタ ンにおいては,原地復興>分散移転>集団移転となり〈只 越〉の事例に近いものの,原地復興であった場所は災害危 図 3-4 桃浦における生業からみた集落構成 浦組 脇組 浜中組 向浜組 原組 野菜畑・桑畑 墓地・茅場 砂浜 桟橋 桟橋 漁協 駐在所 寺 1 5 6 7 8910 11 12 13 1415 17 18 19 20 21 22 23 24 2526 27 28 29 30 32 33 34 35 36 37 3839 40 41 42 434445 46 4748 49 50 51 52 53 54 55 56 59 60 61 62 63 64 65 66 57 58 31 16 4 2 3 牡蠣養殖業 船乗り 不明・不詳 商店経営 運送業 その他 大工・木工 旅館業 林業 凡例
寺 広葉樹林 畑 針葉樹林 家 小学校 金華山道 港 倉庫 動力船 海 神社 沢 墓 山 外部大工 漁師 山主 山主 動力船導入以降 漁具 木造船 漁具 船主 外部造船所、漁具問屋 針葉樹林 地域外材木 県道 寺 広葉樹林 畑 田 針葉樹林 製材所 家 小学校 金華山道 港 倉庫 木造船 海 神社 沢 墓 き こ り 山 大工 船 大 工 漁師 山主 山主 動力船導入以前 漁具 図 3-5 動力船導入前後のアクターネットワーク図 木造船 麻網 住宅 砂浜 墓 炭焼き小屋 金華山道 カツオ船 住宅 墓 旅館 県道 2 号線 バス 寺 田 畑 カキ剥き 共同倉庫 コンクリート護岸 木造船 灯台 カキ樽棚 住宅 墓 旅館 県道 2 号線 バス 寺 防潮堤 FRP 船 牡蠣樽棚 牡蠣剥き 共同倉庫 漁協支所 墓 県道 2 号線 バス 寺 防潮堤 FRP 船 牡蠣樽棚 牡蠣剥き 共同倉庫 カキ合同会社 高台移転地住宅 1933-1960 1960--1933 2011-寺 住宅
険区域となり,集落中心部の空洞化が生じた. 4.2 桃浦の住環境の将来 明治津波以前においては,海から山まで,漁業から加工 業,農業,林業などさまざまな営みにより住環境は連続的 な空間として実践されていた.しかし,度重なる津波被害 と産業の制度化,営みの産業化,動力化,巨大化,専用化な どにより,住環境はそれぞれの産業に特化した空間とな り,そこに関わる人々も限定的となり,空間と人の関係性 は流動的でなくなっている.そのため住環境全体として のバランスを調整することは難しくなり,産業による空 間の断片化,分散化が進んだ状況のなか,東日本大震災の 被災を受けた.また東日本大震災における復興計画は,津 波による再被災防止を鉄則に,制度の枠組のもと,災害危 険区域が設定された.その結果,高台集団移転地以外の住 環境を形成する選択肢は,流失の免れた既存不適格の住 居や自力による住宅造成地の建設などに限られている. 災害危険区域にかからない,山裾のかつての田畑になど に着目し住環境を再構成する可能性があると考えてい る. 5. まとめ 以上,本研究では,まず山口弥一郎の津波と住環境の変 化を扱った先行研究を参照し,文献調査・現地調査を行う ことで三陸集落の住環境の全体像を把握した.次に,特定 の対象地に対して,文献調査・現地調査・聞き取り調査か ら,住環境に関して明治・昭和・チリ・東日本大震災津波 に渡る年表とネットワーク図を作成し,その変化を分析 した.さらに東日本大震災の復興計画を含む将来の住環 境を考察し,それをもとに向けた津波被害を受け人口流 失した三陸集落の住環境の再編手法を提示し,結論とし た. 謝辞:本研究では,宮城県石巻市桃浦地区の行政区長を始 めとする住民のみなさまに多大なご協力をいただきまし た.心より御礼を申し上げるとともに,一日も早い復興を 心より祈願します. <注> 注1)本稿では,昭和 8 年時点の石巻市であった領域を石巻市 域とし,後の合併後の拡大範囲は合併前名称を使う. <参考文献> 1) 山口弥一郎著,石井正己,川島秀一編:津波と村,三弥井 書店,2011 2) 宮野道雄,林誠一:三陸沿岸地域の津波被害と集落移動− 災害による住宅・集落の形態変遷に関する研究-第1報−, 日 本 建 築 学 会 近 畿 支 部 研 究 報 告 集 , 計 画 系 vol.29,pp589-592,1989 3) 熊谷一栄,宗正敏,宮崎隆昌:漁村集落における住宅立 地特性 岩手県三陸沿岸における事例,日本建築学会研 究報告集,計画系 No.52,pp.505-508, 1981 4) 宗正敏,宮崎隆昌,管雅幸,熊谷一栄,吉沢誠十:沿岸 地域における特性に関する研究−岩手県三陸沿岸におけ る事例的研究−,日本建築学会大会学術講演梗概集,計画 系 vol.58, pp.1927-1928,1983 5) 村尾修,磯山星:岩手県沿岸部津波常襲地域における住 宅立地の変遷 −明治および昭和の三陸大津波被災地を 対象として−,日本建築学会計画系論文集,第 77 巻,第 671 号,pp57-65,2012 6) 佐藤布武,貝島桃代,橋本剛:漁村集落における土地利用 の変化と津波への対策が集落空間構成へ与えた影響,日 本 建 築 学 会 計 画 系 論 文 集 , 第 79 巻 , 第 699 号 , pp.1119-1127,2014 7) 宮城県調査課:第 2 次漁業センサス結果表-昭和 28 年-, 1955.3 8) 宮城県調査課:第 3 次漁業センサス結果報告書(平成 38 年 11 月 1 日調査), 1965.3 9) 宮城県企画部:第 4 次漁業センサス結果報告書(平成 43 年 11 月 1 日調査), 1970.3 10) 宮城県企画部:第 5 次漁業センサス結果統計書(平成 48 年 11 月 1 日調査), 1975.3 11) 宮城県企画部:第 6 次漁業センサス結果報告書(平成 53 年 11 月 1 日調査), 1980.3 12) 宮城県企画部:第 7 次漁業センサス結果報告書(平成 58 年 11 月 1 日調査), 1985.3 13) 宮城県企画部:第 8 次漁業センサス結果報告書(昭和 63 年 11 月 1 日調査), 1990.3 14) 宮城県企画部:第 9 次漁業センサス結果報告書(平成 5 年 11 月 1 日調査), 1995.3 15) 宮城県企画部:第 10 次漁業センサス結果報告書(平成 10 年 11 月 1 日調査), 2000.3 16) 宮城県企画部:2003 年(第 11 次)漁業センサス結果報告 書(平成 15 年 11 月 1 日調査), 2005.3 17) 宮城県企画部:2008 年(第 12 次)漁業センサス漁業経営 体調査結果報告書(平成 20 年 11 月 1 日調査), 2010.3 18) 宮城県震災復興・企画部:2013 年(第 13 次)漁業センサ ス漁業経営体調査結果報告書(平成 25 年 11 月 1 日調査), 2015.3