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「誅少正卯」私論

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「諌 少 正 卯L 私 論

∴ ( -0 春 秋 末 の 魯 の 国 . 定 公 の 九 % ( N 芯 五 〇 1 ) に 孔 子 は 大 司 超 に 就 任 ( 五 十一才)'ついで宰相代行とを-(五十六才)'三月'魯国は大いに治ま った.めぐまれをかった孔子の生涯のうちで'最も意を得た時期にあた る。 喜色満面の孔子に向って門人がたずねた。君子というものは禍が至っ ても慣れず'福が至っても書こぼずと聞いてお-ましたが、先生はちと はしゃぎすぎではないでしょうかと。これに対する孔子の返答がまたふ るっている.うん'そういうことを言ったことがあるかも知れないね. だが'「其の貴を以て人に下るを楽しむ」ともいわをかったかね. 執 政 に さ き だ ち 、 孔 子 は 魯 の 大 夫 ・ 乱 政 者 ・ 少 正 卯 を 殊   ( 殺 )   し た t ● と 司 馬 遷 ( 讐 四 五 -八 十 六 ) の ﹃ 史 記 ・ 孔 子 世 家 ﹄ は 伝 え る . 定公十四年'孔子年五十六へ 由大司遥行掻相事'有音色。門人日' 聞 君 子 禍 至 不 健 ' 福 至 不 審 。 孔 子 日 ' 有 是 言 也 。 不 日 ' 楽 其 以 貴 下 人平。於是殊魯大夫乱政老少正卯。輿聞国政三月'粥黒豚者弗飾貫' 男女行者別於塗'塗不拾遺'四方之客至乎邑者不求有司'皆予之以 帰。 松  尾  善  弘 ︹研究紀要 第二九巻︺

二九七七年十月十四日受理) 孔子が少正卯を課した史実の真偽をめぐって'古来'多-の説が展開 された。それらは' 1'是認説。すなわちその事実を肯定し伝える記録。 2'否定説。す夜わちかかる記録の偽造を唱える説。 3'折衷説。すをわち「諌」を「貴」の義に解釈しようとする説。 に大別できる。 南宋の大儒宋煮(二三〇-〓100)をはじめ葉適'王君虚らが2説 の支持者であるが'当時の事情の否定的考察を通して'諌少正卯を伝え るテキストをも孔子を誹誘中傷するための偽造であるとみ覆す.聖人 孔子が人を諌殺するはずが覆いという心情が基底に動いているようであ る。 3説の唱道者は孫星宿二七五三-一八1八) である.課少正卯の殊を 「諌殺」のそれではを-'「殊貴」の意に解する説で、同じように聖人孔 子が悪人少正卯を殊貴したのだという'いわゆる尊孔的動機がうかがわ れ る 。 ところで'いまこれら2・3説を聞究することはしばら-措いて'当 面1説を中心に遍-文献を求め検討を加えてみよう。1説を支持しその 真実性を究明することが'同時に2・3説に対する反論ともを-得ると 一 三 五

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桧  尾  善  弘 (研究紀要 第二九巻︺ 考える。ただし1説を伝える文献もその多-は尊孔的観点からの'つま -孔子の正義が少正卯の悪を成敗したという記述であることをはじめに 断ってお-必要があるであろう。 ( 3 ) 韓 嬰 ・ ( * 漠 ' 文 ・ 景 ・ 武 帝 時 の 人 . 生 卒 年 不 評 )   の ﹃ 韓 詩 内 伝 ﹄   の 「投彼有北」を解釈した条項に次の文章がみえる。 孔 子 為 魯 司 逼 時 ' 課 少 正 卯 。 謂 使 道 巳 行 ' 乱 国 政 也 。 使 道 末 行 ' 章 明 達 之 而 巳 。 孔 子 が 魯 の 司 遠 に 怒 っ た 時 ' 少 正 卯 を 課 し た 。 そ れ は   ( 少 正 卯 の )   使 道がすでに行われ国政を乱したからである.もし侯道がまだ行われてい なかった怒らば章明 (すをわち孔子) は之を遠ざけるのみであっただろ ト つ ○ 班固(三二-九二)は右の文を引いて、その著﹃白虎通徳論・殊伐﹄に 次のように記している. 倭 人 嘗 諌 何 。 為 其 乱 善 行 ' 傾 覆 国 政 。 韓 詩 内 伝 ' 孔 子 為 魯 司 完 、 先課少正卯。謂使道己行'乱国政也。使道末行'章明達之而巳。袷 語 日 ' 故 郷 声 ' 遠 倭 人 。 倭人がをぜ課せらるべきかといえば'それは'善行を乱し国政を傾荏 ( 4 ) するからである.論語にもいう'鄭声を放ち倭人を遠ざけよと. そして'少正卯は倭人であ-'倭人を孝明が課伐するのは当然だとい う論の展開である。その 「倭人」像についてはこれから少しずつ明らか にするが'ここでは何よ-もことがらが極めて政治的色合いの濃いもの であることに注目しておかねば怒らをい.個人的犯罪問題のようでいて 実は国家の転覆に関わる重大を内容を蔵しているのである。 ●

劉安(讐七六-三二)は﹃准南子・氾論訓﹄篇で殊少正卯の事実

を次のように伝える。 一 三 六 故聖人国民之所書面勧善'国民之所悪以禁姦。故賞一人而天下誉 之、罰一人而天下畏之。故至賞不費'至刑不濫。孔子諌少正卯而魯 国之邪塞'子産諌部析而鄭国之姦禁。 聖人の賞罰は至善至高で夜ければ怒ら覆い一例として'孔子課少正卯 が引用されている.至賞は (ムダ夜費用を)費さず'至刑は (原則)杏 濫さず。孔子が少正卯を課したことによって魯国の邪が塞がり'子産が 部折を課して鄭国の姦が禁ぜられたt と。 ここで少正卯問題を追求する前に'右文で併行して引き合いに出され ている'邸の子産が部折を課した事件を探ってみよう。許憤(三〇11′ 二四)は右の﹃准南子﹄の文に次のようを注をつけている. 少 正 官 ' 卯 其 名 也 。 魯 之 請 人 。 孔 子 相 魯 七 日 ' 諌 之 於 来 観 之 下 0 刑 不 濫 也 。 部 析 ' 論 弁 姦 人 之 雄 也 。 子 産 課 之 ' 故 姦 止 也 。 伝 日 ' 鄭 卿 遥 殺 節 析'而用其竹刑。部析制刑書之竹。鄭国用不以人廃言也。 てん 少正卯は'少正が官職名'卯がその名である。魯の請人である。孔千 は魯に相たること七円めに卯を東観の下で課した。刑のお手本を示した ものである。 子産課部折の事件を一瞥すると'﹃左伝﹄では鄭の駒歓が部折を殺した ( 5 ) ことに覆っている.駆歓が何らかの罪で大夫部折を殺したが鄭国は部折 が制定した竹刑は用いたという. 孔穎達の疏によれば'その経緯はこうである。.由六年に子産は刑書を 鼎に鋳したが'部折は新たに竹刑 (刑法を竹筒に書したのでこう呼ぶ) を造-邸の旧制を改めようとした。ところがそれは君命を受けたもので ( 6 ) はを-私造したものであった。郡折が殺されたのはt Lかしそのことが 直接原因ではな-'もっと具体的に子産との間に刑法施行上の確執があ

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ったことによるらしいことが﹃呂氏春秋・離謂﹄篇にみえる. 鄭国多相解以書者。子産令無願書'部析致之。子産令無致書'節 析倍之。令無窮別邸析鷹之亦無窮夷。是可不可無排也。可不可無排' 而 以 賞 罰 ' 其 罰 愈 疾 ' 其 乱 愈 疾 、 此 為 国 之 禁 也 。 故 排 而 不 雷 理 則 偽 ' 知 而 不 嘗 理 則 詐 ' 詐 偽 之 民 ' 先 王 之 所 課 也 。 理 也 者 ' 是 非 之 宗 也 0 ( 中   略 ) 子 慶 治 鄭 ' 郡 析 務 難 之 。 与 民 之 有 獄 者 約 ' 大 獄 一 衣 ' 小 獄 禰 袴 。 民 之 献 衣 禰 袴 而 学 訟 者 ' 不 可 勝 数 。 以 非 為 是 ' 以 是 為 非 ' 是 非 無 度 ' 而 可 与 不 可 日 変 ' 所 欲 勝 因 勝 ' 所 欲 罪 因 罪 。 鄭 国 大 乱 ' 民 口 語 簿 ' 子 産 患 之 。 干 是 執 部 析 而 戟 之 ' 民 心 乃 服 ' 是 非 乃 定 ' 法 律 乃 行 。 今 世之人多欲治其国而英之沫部析之類'此所以欲治而愈乱也。 是非善悪の判断を別にすれば'ここに措かれている情況は明らかに旧 法を守る子産と新法を唱える郡折の対立抗争である。子産の治政に対し ことごとに難-せをつける部折。新法をふ-かざして勝手に是非を願倒 し人心を混乱させる郡折。業を煮やした子産は実権をふるって郡折を捕 え処刑する。そして民心も安定したと称Lt 部折には「論弁姦人」 の形 容が冠せられる。おきま-のコースである。だが果して実態はその通-だったのだろうか.もし事態が逆転していたらどういう結果を迎え'ど のように記録されていただろうか。すべて想像の域を出ないが'部折は 殺したがその刑書は用いたという-だ-は多-の疑念を湧出させて十分 で あ る 。 少正卯謀殺事件と部析諌殺事件は'その事情が酷似していたとみなけ ればなら覆い.その意味で部析事件も徹底して究明する必要があるが' いま核心に迫った時点で本題にもどらねば怒らをい。少正卯事件を伝え ● る劉向(M七七-六)の﹃説苑・指武﹄に移ろう. 孔子為魯司窺、七日而諌少正卯於東観之下。門人聞之へ 趨而進' 松  尾  幸  弘 ︹研究紀要 第二九巻︺ 至者不言其意'皆一也。子貢後至'趨而進日'夫少正卯者'魯国之 聞 人 夫 。 夫 子 始 為 政 ' 何 以 先 諌 之 。 孔 子 日 ' 賜 也 ' 非 爾 所 及 也 。 夫 王 者 之 諌 有 五 ㌧   而 盗 霧 不 与 膏 。 一 日 ' 心 妨 而 険 。 二 日 ' 言 偽 而 弁 。 三日'行群而堅。四日、志愚而博。五日'順非而揮。此五老骨有排 知 聡 達 之 名 ' 而 非 其 真 也 。 萄 行 以 偽 ' 則 其 知 足 以 移 衆 ' 強 足 以 独 立 。 此姦人之雄也。不可不課。夫有五者之二 則不免於殊。今少正卯兼 之 ' 是 以 先 殊 之 也 。 昔 者 湯 諌 燭 休 ' 太 公 課 藩 虻 、 管 仲 訣 史 附 里 ' 子 産諌部析'此五子末有不諌也。所謂殊之者'非為其童則攻盗'幕刺 穿 寮 也 。 皆 傾 覆 之 徒 也 。 此 固 君 子 之 所 疑 ' 患 者 之 所 感 也 。 詩 云 ' 憂 心 情 情 へ   怪 干 群 小 。 此 之 謂 也 。 孔子は魯の司蓮と覆って七日目に少正卯を来観の下で課した.門人た ちはそのことを聞きかけつけてきたが誰も口をきかをかった。しかしそ の思いは一つである.子責があとからやって来て部屋にはいると尋ねた。 あの少正卯は魯国の有名人です。先生は政治を始められて何故まっ先に 少正卯を沫せられたのですか。孔子は答えて言う。賜(子貢)よお前の 知ったことでは覆い.そもそも王者の諌 (の理由) には五種あって盗窃 は与から覆い.一つは心排にして険.二は言偽にして弁.三は行辞にし て堅.四は志愚にして博。瓦は非に順いて揮。この五着には妨知聡達の 名はついているが真実そうなのではをい.苛-も行動が偽であればその 知は衆を移すにた-'その強さは独立するに十分である。これは姦人の 雄である.課し覆いわけにいかないのだO そもそも五者のうち一つでも 持っているものは課を免れをい.ところが少正卯はこれを兼ねてもって いた.だから先ずこれを課したのだ.昔'湯玉は燭休を課し'太公は播 牡を課し'管仲は史附里を課し'子産は部折を課した。これら五子は蘇 せられないわけにはいかをい。いわゆるこれを課したのは'昼には攻盗' 碁には穿寮であったためではない.みな傾覆の徒だったからである.こ 一 三 七

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松  尾  幸  弘 ︹研究紀要 第二九巻︺ れこそ君子の疑うところ'愚者の惑うところである.詩にも云っている' 憂心情情として群小に怪るt と.これのことを謂っているのだ. (次節で逐1の箇条について論ずるので'ここでは意訳して概要を述 べるにとどめる。) 班 固 撰 ﹃ 漢 書 ・ 趨 声 韓 張 両 王 伝 ﹄ の 中 に ' 王 尊   ( 前 漢 末 の 人 ' 生 卒 年 不詳) が少正卯事件を引用して話している部分がある. 昔 孔 子 治 魯 ' 七 日 殊 少 正 卯 ' -0 同 じ -﹃ 漢 書 ・ 楚 元 王 伝 ﹄ の 次 の 文 に ' 鷹 助   ( 後 漢 末 の 人 ' 生 卒 年 不 罪 )   は 注 し て い う . 百舌明聖'未有無課而治者也。故舜有四放之罰'而孔子有両観之 殊 ' 然 後 聖 化 可 得 而 行 也 。 13 鷹助日'少正卯姦人之雄'故孔子摂司窺七日'殊之於両観之下0 更に﹃後漢書・党鍋列伝﹄にも'李膚(二〇-一六九)がその歴史的 事実を肯定した記述がある。 ( 李 ) 贋 封 日 ' 昔 晋 文 公 執 衛 成 公 帰 干 京 師 へ   春 秋 是 蔦 。 礼 云 ' 公 族有罪、離日宥之'有司執憲不従。昔仲尼為魯司遥'七日而殊少正 PO nク これらと時期的に若干前後するが'王充 (二七-九一)の ﹃論衡・講 瑞﹄篇および﹃定賢﹄篇に覆るとその描写はもっと-アルである。 少正卯在魯与孔子井。孔子之門'三盈三虚、唯顔淵不去'顔淵独 知孔子聖也。夫門人去孔子'帰少正卯'不徒不能知孔子之聖'又不 能 知 少 正 卯   ( 之 侯 ) 。 門 人 皆 惑 ' 子 貫 目 ' 夫 少 正 卯 ' 魯 之 閑 人 也 。 子 為 政 、 何 以 先 之 。 孔 子 日 ' 賜 退 ' 非 爾 所 及 ' 夫 才 能 知 倭 君 子 寅 ∼ 尚 不 能 知 聖 。 世 儒 見 聖 ' 白 謂 能 知 之 ' 妄 也 。 ( 講 瑞 ) 言 不 務 多 ' 務 審 所 謂 。 行 不 務 遠 ' 務 審 所 由 。 言 得 道 理 之 心 ' 口 離 一 三 八 駒不蹄、蹄在胸臆之内夷。故人欲心蹄、不欲口耕。心蹄則言醜而不 達'口碑別辞好而無成。孔子称少正卯之悪日'言非而博'順非而揮。 内非而外以才能飾之'衆不能見'則以為賢。夫内非外飾是'世以為 賢 ' 則 夫 内 是 外 無 以 自 表 者 ' 衆 亦 以 為 不 肖 。 ( 定 賢 ) 当時'魯の教育界にあって少正卯は孔子と並び称せられていた.ため に孔子の門は「三盈三虚」する有様で'高弟第1の顔淵のみが師のもと を去ら夜かった。孔子の聖を知っていたからである.門人たちが孔子を 捨てて少正卯に帰したことは'彼らが孔子の聖を知らをかったばかりで を-'少正卯の倭をも知らをかったことを示している.子貢のようを高 弟さえ'侯は分かっても聖は分ら夜かったのだ。Ⅰと王充は聖を知る ことの難かしさを説-中で'少正卯を倭人ときめつけている.しかしそ の主張とは裏腹に'少正卯が「魯の閑人」であ-'孔子のよきライバル 的存在であったらしいことが「三盈三虚」の表現をどから窺われるので あ る 。 魂の王粛二九五-二五六) の﹃孔子家語・始課﹄篇では殊少正卯事件 を次のように伝える。 孔 子 為 魯 司 完 ' 掻 行 相 事 ' 有 喜 色 。 仲 由 関 目 ' 福 至 不 審 。 今 夫 子 得 位 而 書 ' 何 也 。 孔 子 日 ' 然 ' 以貴下人平。於是朝政七日而殊乱政大夫少正卯t P 於 朝 三 日 。 子 貢 進 日 ' 夫 少 正 卯 ' 魯 之 聞 入 也 。 聞 君 子 禍 至 不 健 ' 有 是 言 也 。 不 日 楽 戟 之 千 両 観 之 下 ' 今夫子為政而始諌 之 。 或 者 為 失 平 。 孔 子 日 ' 居 ' 吾 語 汝 以 其 故 。 天 下 有 大 悪 者 五 ' 而 病盗不与葛。一日'心逆而険。二日'行僻而堅。三日'言偽而弁。 四日'記醜而博。五日'順非而揮。此五者有一於人'則不免君子之 諌'而少正卯皆兼有之.其居鹿足以撮徒成覚.其談説足以飾褒芙衆. 其強禁足以反是独立.此乃人之姦雄者也.不可以不除.夫股湯課声 潜'文王殊播正'周公課管察'太公課華士へ管仲課付乙'子産課史

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何。是此七子骨異世而同課者'以七子異世而同窓故、不可赦也。詩

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● 魂・晋人の偽託であろうといわれるが'声文(讐一五〇-二八五)の ﹃声文子・大道下﹄篇の記録は左の通-である. 孔丘撮魯相'七日而課少正卯。門人進間日'夫少正卯'魯之聞入 也 。 夫 子 為 政 而 先 諌 ' 得 無 失 平 。 孔 子 日 ' 居 ' 吾 語 汝 其 故 。 人 有 悪 者 五 ㌧   而 窺 盗 姦 私 不 与 蔦 。 一 日 ' 心 逮 而 険 。 二 日 ' 行 僻 而 堅 。 三 日 ' 言偽而弁。四日'彊記而博。五日'順非而揮。此五着有一於人'刺 不免君子之課。而少正卯兼有之。故居鹿足以衆徒成群'言語足以飾 邪焚衆'彊記足以反是独立。此小人雄柴也。不可不凍也。是以湯諌 ダ 譜 ' 文 王 課 清 正 ' 太 公 課 撃 士 ' 管 仲 課 付 里 乙 ' 子 産 深 部 析 史 付 . 此 六 子 者 ' 異 世 而 同 心 ' 不 可 不 殊 也 。 詩 日 ' 憂 心 情 惰 ' 悦 子 群 小 0 斯 足 長 也 。 北斉の劉昼(五一二1五六九) の﹃劉子・心隠﹄篇もほぼ王充のそれと 同内容の史実を伝える。 少正卯在魯与孔子同時。孔子門人三盈三虚。唯顔淵不去'独知壁 人之徳也。夫門人去仲尼而阪少正卯'非不知仲尼之聖'亦不知少正 卯 之 侯 。 子 責 日 ' 少 正 卯 ' 魯 之 閑 人 也 。 夫 子 為 政 何 以 先   ( 蘇 )   之 。 子 日 ' 賜 也 非 爾 所 及 也 。 夫 少 正 卯 ' 心 逆 而 険 ' 行 騨 而 堅 ' 言 偽 而 蹄 ' 詞郡而博'服非而揮。有此五而為乱。聖人以子責之明而不能見'知 人 之 難 也 。 以 是 観 之 ' 侯 与 賢 相 類 ' 詐 与 信 相 似 ' 蹄 与 知 相 乱 ' 愚 与 直 相 像 . 若 葬 ! 尼 之 乱 入 ' 参 蛇 床 之 似 顔 蕪 也 . 王充と劉昼はともに孔子-聖徳に対し'少正卯=便意をしき-に説い ている.そしてその両者が極めて見わけに-いことも同時に述べている. 王充は'孔子の多-の門弟はおろか子責でさえもその判別が出来をかっ たといい'(漢)時の学者が聖を見て分かったなどというのはでたらめ 松  尾  幸  弘 ︹研究紀要 第二九巻) だと毒づいている.劉昼も両者のみわけ難いこと'恰かも葬薦(にがを) が人を惑乱させ'参蛇床が摩蕪(香草) に酷似しているようをものだと いう.ところが残念をがら王劉両人とも'孔子が聖人である所以はさて おいても'少正卯が倭人であったという具体的を事実を一切記述してい をい.そこにあるのは理屈抜きの、両者の正邪を頭から決めてかかった 判断のみである.従って劉昼がはからずも'侯i)賢とは相類Lt詐と信 とは相似た-'蹄と知と相乱し'愚と直と相像たりt と述べているよう に'両者の是非曲直の差は紙一重の'まか-間違えばどちらにどう範ん でいたかわからぬほどの判断の微妙をものだったのである.少を-とも' 結果論としても'その判定は極めて主観的判断によるものであったと言 えそうである。 殊少正卯事件を伝える叙上の記録の原典と日されるのが萄子(讐南 ○ -二 四 五 )   の   ﹃ 苛 子 ・ 宥 坐 ﹄   篇 で あ る . 以 下 に そ の -だ -を 掲 げ 、 個々の問題について論ずることにする. 孔子為魯掻相'朝七日而謙少正卯。門人進問日'夫少正卯、魯之 閑 人 也 。 夫 子 為 政 而 始 諌 之 ' 得 無 失 平 。 孔 子 日 ' 居 ' 吾 語 女 其 故 0 人有患者五'而盗病不与葛。一日'心達而険。二日'行辞而堅。三 日'言偽而耕。四日'記醜而博。五日'順非而揮。此五着、有一千 人'則不得免干君子之課'而少正卯兼有之。故居鹿足以衆徒成群' 言談足以飾邪膏衆'強足以反是独立'此小人之柴雄也。不可不課也。 是以湯殊野譜'文王殊播止'周公課管叔'太公課華仕'管仲課付盟 乙 ' 子 産 深 部 析 史 付 ' 此 七 子 者 ' 皆 異 世 同 心 ' 不 可 不 殊 也 。 詩 日 ' 憂 心 情 怜 ' 怪 干 群 小 。 小 人 成 群 ' 斯 足 憂 夷 。 一 三 九

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松  尾  幸  弘 ︹研究紀要 第二九巻︺ 「孔子魯の掻相とを-'朝すること七日にして少正卯を課す。」問題の 一文であるが'まず前節の諸記録と見較べると若干の異同が目につ-0 一つは孔子が魯の司遠であったときかかる仕業があったとするもの (韓 嬰'劉向をど).また「朝すること七日」の文が夜いもの (司馬遷'劉安 をど).「東観の下」という場所を明記したもの(劉向・許憤怒ど)。と-まとめていえば'「孔子は魯の司窺とを-、宰相代行を兼任するように 覆ったとき'執政すること七日目に'少正卯を東観の下で課した」.と 覆る。これを冒頭とする以下の文章が'後世'孔子を無みするものの偽 造であるとする説は'以下の文章が一面あまりにも-アルすぎて肯け覆 い.これほど整合性のある文章を虚構するには超人的を頭脳が要請され るであろう。しかもほとんどの記録が示す通-へ その内容は決してアン チ孔子ではを- 'むしろ孔子の行為の正当性を擁護し賛美してお手本に しょうという姿勢のものが多いのである.そしてかえす刀で少正卯を極 悪人に仕立てあげている。少正卯に「大夫・乱政者」という修飾語が付 加されているのも意味深長である. さて'この間'孔子は得意の絶頂期にあ-'平生のめぐまれをかった 反動も加わってか'日頃の抱負を実現すべ-ひたすら治政に励み'且つ か怒りの治績をあげたらしいこともうかがえる.はしゃぎすぎを詰問さ れて'其の貴を以て人に下るを楽しむと答えたあた-'孔子の老槍を一 面を覗かせているが'多分にその権力の座を利用しての課少正卯事件は' 歴史的にみて'子貢の懸念通-まさし-「失L態だったのではあるまい & M ォ C め ヽt .刀 門人進みて問うて日-'夫の少正卯は魯の聞入を-。夫子政を為して 始めに之を課す'失無きを得んかt と。かけつけた門人たちの中で子貢 が代表して右の質問をした。(孔門の高弟の中でこの子貢や仲由あるい は再有らはその師弟関係・交友・仕事関係を改めて洗い直してみをけれ 1 四 〇 ば覆らぬ時期に来ていると思うがまたの機会をまちたい.) ともか-そ の子貢がいうには'少正卯は魯の有名人である'それをみせしめのよう にまっさきに槍玉にあげたのはやりすぎではありませんかt と?先に' ﹃論衡﹄ ﹃劉子﹄で見た通-'少正卯は時に孔子と並ぶ魯の有名人であり、 多-の門弟がその下に集ま-ために孔子の門がガラガラにをることがし ばしばであった。そのことによって孔子が敵憶心を燃やしたとは断じが たいが'少を-ともお互い対抗意識は持っていたであケつ.そしてそれ がぬきさし覆らぬ対立激化の一側面を荷ったであろうことは想像に難-覆い.もう一つ見落しては覆らないことがある.それは孔子の'覆いし 後世の評価はどうあれ'当時において少正卯は社会的に多-の人々によ って認められ支持された人物だったことである。情況をそのようにみる ことは'一方的を見解つま-少正卯=邪悪と決めつける見解を一定程度 緩和する効果をもたらすであろう。 当惑顔の子貢を前に'しかし孔子は平然として答える。まあそこへ坐 れ'ひとつお前にそのわけを聞かせてやろう。「過れ'お前なぞの知っ たことでは覆い.Lと威丈高に答えた記録もある (劉昼・王充).およそ 王者に諌せられる対象として五感がある.- 而して盗窃は与からずー その五恵には盗みこそ泥の類は関係をいt とは少正卯を課した理由をあ げるにさきだちただし書きしている部分である.まずこの間題について 考 察 す る 。 ﹃論語・子路﹄篇に有名を直窮の話がある。 葉 公 語 孔 子 日 ' 吾 窯 有 直 窮 者 。 其 父 援 軍 ' 而 子 詮 之 。 孔 子 日 ' 杏 寛 之 直 者 ' 異 於 是 。 父 為 子 隠 ' 子 為 父 隠 。 直 在 其 中 央 。 むら 葉公が孔子に語った.わしの郷薫には正直者の窮というのかおっての。 父親が他家から迷い込んできた羊をねこばばしたのを窮は役所に訴えで よった.孔子は答えていう.わしのむらの正直者というのはそ㌣いうも

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のでは覆い.父は子の為に隠し'子は父の為に隠す.正直とはその中に こそあるのだ。 ぬす このエピソードには二つの考え方が典型的に示されている。羊を撰む という行為を社会的基盤の上に立って犯罪として認め'肉親感情を振り 切って訴え出ようとする立場と'肉親の情愛に引摺られてかばい合うの をむしろ是認する立場であるOr後者の'〟人間感情″ に発想のポイント を置き'〟仁徳″ を重視する立場こそ'孔子を頂点とする儒家思想の特 徴であった。まさにこの観点に立つが故に'孔子には少正卯処刑の理由 をあげるにさきだち'その罪状には盗窃は関係をい、「而盗窃不与蔦L t と断らねば覆らぬ必然性があったのである。孔子にとってはその人間が 君主に忠誠を尽すかどうか'社会体制に忠実かどうかこそが判断に関わ る重大事であって'穿寮攻盗の類はものの数にはいらをかったのである。 以上のように考えてい-と次に掲げられた少正卯の罪状も'あれこれ ( 8 ) 牽強付会する必要もを-率直に解釈できそうである。 二   心 達 而 険   ( 心 逆 而 険 ' 心 妨 而 険 な ど と も ) 二 ' 行 騨 而 堅 三 、 言 偽 而 塀 四 ' 記 醜 而 博   ( 忘 恩 而 博 ' 詞 郡 而 博 を ど と も ) 五 ' 順 非 而 揮 いま唐の楊掠注に従って各項目を解釈する. 心通達於事而凶険也t と注釈する.すなわち心 一項について楊保は'謂 ( 思 想 )   が 古 今 の も の ご とに広-通達していてしかし凶険である。二の群は僻'つま-片寄って いること.行動が偏向していてしかも堅固をこと.三㌧ 言葉に偽-があ ってしかし弁が立つこと。四'醜謂怪異之事'すをわち怪異の事を知っ ていてしかも博識をこと。五'非に順って揮'揮読為樺'謂順其非而渇 之解稗'つま-非道に従ってお-夜がらこれをいろいろに解釈してみせ 松  尾  善  弘 ︹研究紀要 第二九巻︺ る力量に秀れているという意味らしい. してみるとこれらはすべて通常の犯罪者の罪科ではを-'明らかに反 体制者'思想犯を裁-罪状そのものである。少正卯は決して巷の強盗殺 人犯の類ではを-'いわば反体制(革新派) グループの指導者的存在だ ったと推定される。少正卯が法家の先駆者であったかどうかはにわかに ( 9 ) 判 じ が た い け れ ど も ' 思 想 的 ・ 政 治 路 線 上 で 儒 家 に 対 抗 す る ・ 1 . 派 で あ っ たことは間違い覆い.そういう人物を処罰する基準が極めて窓意的夜も のに怒らざるを得ないのは考えてみると理の当然でもある.五項目のう ちどの一つで裁決しても'トータルで裁決しても罪を被せられる人間徳 いずれ罪を被せられる.そして最終的を判決は要するに権力を握ってい るものの匙かげん如何にかかっていたのである. ﹃礼記・王制﹄ 第に大司完が王の認可を得て刑の判決を下す規準につ いて述べた文がある. ヽ ヽ ヽ

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ヽ   ヽ   ヽ               ヽ   ヽ   , ,       ヽ   ヽ   ヽ   ,       ヽ   ヽ   ヽ   ヽ       ヽ   ヽ   ヽ   ヽ               ( S ) 以 疑 衆 、 殺 。 行 偽 而 堅 ' 言 偽 而 蹄 ' 学 非 而 博 ' 順 非 而 揮 ' 以 疑 衆 ' 殺 。 恨 於 鬼 神 ' 時 日 -笠 ' 以 疑 衆 ' 殺 。 ( 傍 点 筆 者 ) 三つの箇条がほぼそのまま少正卯の場合にも適用されているわけだが、 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 各条とも最後が'以乱政'殺.以疑衆'殺。と結ばれているところに注 意する必要がある。それぞれの罪科が実効を持つのは'結局'その者ど もが最終的に政局を乱した-大衆を惑わしたときである。少正卯にはそ の規準がぴった-当てはまったのである.大司遠のをすべきことは唯7 つ で あ る 。 殺 。 三 少正卯を処刑した理由として孔子があげた五項目の罪状は'実際の運 1 四 1

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松  尾  幸  弘 ︹研究紀要 第二九巻︺ 用はどのようにも解釈できる窓意性の強い代物で'一種のタテマエにチ ぎをいことがわかった.推察するところ少正卯が処刑された真因は'彼 が卓抜した能力を駆使して現実に大衆暴動の扇動者の役を買って出たせ いではあるまいか.少を-とも孔子の目には'体制側の自己の思想信条 に敵対する反体制思想の危険人物として映っていたに相違をい.前節の ﹃萄子・宥坐﹄篇の後半の文章からその真相を探ろう。 「そもそも王者の殊をうけて然るべき人間の罪状に五箇条がある。そ のうちの一箇条でも有すれば君子の課を免れ覆いのである.然るに少正 卯はこれらを兼ねて有していた.」 裏返していえば'いや額面通-うけ とっても'少正卯はかを-優秀を人物だったということになる。「故に まど 居虞は以て徒を衆めて群を成すに足-'言語は以て邪を飾-衆を営わす ( 3 ) , ヽ に足-'強は是に反して独立するに足る。此れ小人の柴雄なり。課せざ ヽヽ るべからざる覆り.」 小人という形容語に孔子の精一杯の否定的判断が 盛-込まれている感じがする.おもしろいことに一節であげた各文献か ヽヽ らこの部分を拾い出してみると'まず﹃声文子﹄で「此小人堆朱也」と ヽヽ 覆 っ て い る ほ か ' ﹃ 説 苑 ﹄   で は   「 此 姦 人 之 雄 也 」   と あ -' ﹃ 家 語 ﹄ で は ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 「此乃人之姦雄者也」 と覆り'許慎'司馬遷'王充になると「魯之番人」 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 「乱政者」「倭人」ときめつけられ'悪人としての印象づけも次第にエス カレートして-る傾向がみられる。 少正卯が大衆暴動の首謀者であったという確かを記録は覆いが'孔チ のいうところを文字通-に解釈すれば'群衆を集めてアジ演説-らいは 行っていたのだろう.孔子は多分'それを芽のうちに摘みとった.小人 之 柴 雄   ( 指 導 者 )   は 不 可 不 諌   ( 消 さ ね ば 覆 ら ぬ ) . 小人の柴雄だから直ちに処罰というのは甚しい論理の飛躍であるが' 現実においてはもっときびしい事態だった筈である.孔子は上にみてき たようを説明では子責らの納得を得られをいと思ったのか'更に二つの 一 四 二 弁解を試みている.1つは先聖たちに同様の行為があったことをあげて 自己の行為を正当づけようとしたものであ-'二つめは詩経のお墨付を かかげて弁明しようとしたものである。 前者からみていこう0 「股の湯王は声譜を課し'周の文王は播止を課 し'周公は管叔を課し'太公(望・呂尚)は聾仕を課し'管仲は付里乙を 課し'子産は部析・史付を課した。この諌せられた七人のものは'み夜 世を異にするが心が同じで課せざるべからざるものであった。」さて以 上の例のうちで声譜・播止・付里乙・史付の事績は詳らかで覆い.子産 が郡折を課した事件については1節で触れた.残りの'大公が華仕を課 した事件については幸いに確実を記録が伝わっているので播いてみよう. その伝記は﹃韓非子・外儲説﹄にある。 太公望束封於斉'斉束海上有居士日狂蕎・華士'昆弟二人者立読 日 ' 吾 不 臣 天 子 ' 不 友 諸 侯 ' 耕 作 而 食 之 ' 掘 井 而 飲 之 ' 書 無 求 於 人 也 。 無 上 之 名 ' 無 君 之 線 ' 不 事 仕 而 事 カ 。 太 公 望 至 於 営 丘 ' 使 吏 執 殺之以為首課。周公旦従魯聞之'発急侍而間之日'夫二子'賢者也。 今日饗国而殺賢者'何也。太公望日'是昆弟二人立議日'吾不臣天 子 ' 不 友 諸 侯 ' 耕 作 而 食 之 ' 掘 井 而 飲 之 ' 吾 無 求 於 人 也 ' 無 上 之 名 ' 無君之緑'不事仕而事カ。彼不臣天子者'是望不得而臣也。不友請 侯 者 ' 是 望 不 得 而 使 也 。 耕 作 而 食 之 ' 掘 井 而 飲 之 、 無 求 於 人 者 ' 是 望 不 得 以 賞 罰 勘 禁 也 。 且 無 上 名 ' 錐 知 ' 不 為 望 用 。 不 仰 君 緑 ' 雑 費 ' 不為望功。不仕則不治'不任則不忠。且先王之所以使其臣民者'罪 爵線則刑罰也。今四着不足以使之'則望嘗誰為君平。不服兵事而顕' 不親耕籍而名'又所以教於国也。今有馬於此'如勝之状者'天下之 至 良 也 。 然 而 駆 之 不 前 ' 和 之 不 止 ' 左 之 不 左 ' 右 之 不 着 ' 則 蔵 獲 難 儀'不託其足。蔵獲之所願託其足於駿者'以牒之可以追利群書也0 今不為人用'蔵獲離膿'不託其足寄。巳白謂以為世之資士'而不為

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主用'行極賢而不用於君'此非明主之所臣也。亦膜之不可左右央' 是 以 殊 之 。 太公望が斉に封ぜられたとき斉の海上に隠士の狂商・華士兄弟がいた。 二人が議を申し立てて言うには'「我らは天子に臣と覆らず'諸侯を友 としをい.耕作して食らい井を掘って飲み人に求めることは覆い.(育 姓の) 上の名もを-'君の緑もを-'仕えて力を労することも覆い.」 と.太公望は史をやって捕えて殺させた.周公且はそのことを聞いて驚 いてたずねた。「二人は賢者である.どうして殺したのか」.太公望は答 えていう.「あの二人は天子に臣せず諸侯を友とせず云々と申し立てた。 天子の臣に怒ら覆いということは私が得て臣とすることができ覆いとい うことだ.諸侯を友とせずとは私が得て使うことができ覆いということ だ.耕作して食らい井を掘って飲み人に求めることが覆いとは'私が賞 罰勧禁を加えることができないということだ.且つ上の名が夜ければ智 を-と難も私の用を為さをいことであ-'君の緑を仰がをければ賢を-と雅も私のために功をたて覆いということに覆る.仕えなければ治めら れず'任ぜられ夜ければ忠誠を尽-せ覆い.そもそも先王の其の臣民を 使う所以は'爵緑で夜ければ刑罰である.いまこの四つのものでも動か すことができぬとすれば'私は1体誰を殿様と思えばよいのでしょう. ( 中 略 )   だ か ら 彼 ら を 殺 し た の で す 」 0 華士にとっては酸鼻のきわみであるが'事件の内容はいたって単純で ある。アウトサイダーに徹しようとした聾士兄弟を'太公望は自己の刺 肘下にはいら覆い危険人物として抹殺した.ただそれだけのことである. しかし単純をだけにかえって現実の焼烈さを思わせるものがある。人間 を馬になぞらえて'言うことをきかぬから殊殺するなどとは尋常の沙汰 では覆いが'このことは当時の支配者の横暴を示す1万'彼らがいかに 自己のコントロール下からはみ出す人間の輩出を恐れていたかを示す皮 松  尾  幸  弘 ︹研究紀要 第二九巻︺ 証とも覆っている.「又非所以教於国也」 とは'そういうてあいに岱う やからが蔓延する所以であるtといって、その根を断ち切ろうとする意 図を匂わせる語と覆っている. こ う し て ' 以 上 三 つ の 事 件 ' 子 産   -  部 析 ' 太 公 望   -  華 士 ' 孔 子 - 少正卯を並べてみると'い-つかの共通項がか怒り鮮明にとり出せ るのである。先ず第一に'それらは当時の絶対権力者対非権力 (在野) の「賢人」という間の抗争事件であること.第二に'それぞれの思想内 容にはまだ正確に把握できをい部分があるが'いずれも体制(一概に保 ( S ) 守対革新とはいいきれ覆い) の思想括抗の様相を呈していること。第三 に'両者の緊張関係はすでに殺伐たる状態に怒っていたらしいことをど である.要するにことは極めて激烈を思想対立に起因する事件であった. 少正卯が極悪非道を強盗犯凌どであった方が孔子にとってはむしろ幸い したかも知れ覆いのだが. 孔子が少正卯を課したことの弁護として最後にだめおしした'「詩に 日-'憂心情情として群小に怪る'小人群を成せば斯ち憂うるに足るL を解明しておこう。 1 句 は ﹃ 詩 経 ・ 邦 風 ・ 柏 舟 ﹄ に 見 え る . H 汎 彼 柏 舟 ' 秋 秋 不 凍 ' 微 我 無 酒 ' 3 3 我 心 匪 塵 ' 亦 有 兄 弟 ' 薄 言 往 姫 、 田 我 心 匪 石 ' 亦 汎 其 流 ' 如 有 隠 憂 ' 以 敷 以 遊 。 不 可 以 茄 ' 不 可 以 接 ' 逢 彼 之 怒 。 不可韓也へ

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松  尾  善  弘 ︹研究紀要 第二九巻︺ 我 心 匪 席 ' 威 儀 様 様 ' ヽ       ヽ       ヽ       ヽ 佃 憂 心 情 惰 ' 親 閲 既 多 ' 静 言 思 之 、 掛目居月諸へ 心 之 憂 夫 ' 静 言 恩 之 ' 不 可 巻 也 ' 不 可 選 也 。 ヽ       ヽ       ヽ       ヽ 悦 子 群 小 ' 受 侮 不 少 ' 宿 騨 有 標 。 胡 迭 而 微 ' 如 匪 幹 衣 ' 不 能 奮 飛 。 H汎たる彼の柏舟'亦た汎として其れ流る' い 秋秋として森ねられず'隠憂あるが如し' ご う あ ら 我が酒の激し以て遊する無さに微ず。 か ゞ み あ ら い 臼我が心聾に匪ず、以て茄るべからず' 亦た兄弟あれども'以て擦るべからず' し ば こ こ つ 薄ら-言に往き源ぐれば'彼の怒-に逢う. 臼我が心石に匪ず'転がすべからざるを-' むしろ 我が心席に匪ず、巻-べからざるを-' てい 威儀様様として、選ぶべからざる覆り。 , つ ら 脚憂心情情として'群小に怪まる' う れ え あ あ な ど り 閲に戟うこと既に多-'侮を受-ること少をからず' さ む ね う 静かに言に之を思うて、薄めて辞つこと標たるあ-0 を ん か わ 約日や月や'胡ぞ迭って微をるや' あら 心の憂え'幹わざる衣の如し' ふる ( 3 ; 静かに言に之を思うて'奮い飛ぶこと能わず. この詩は毛序では「仁にして不遇をるを言う。衛の頃公の時'仁人不 遇へ 小人 (君) 側に在-」とあ-'その不遇を仁者の詩であるという. 一方'劉向の﹃列女伝﹄では'この詩の第三章を'衛の君主の夫人とを 一 四 四 るべぐ輿入れした斉の姫君が'到着直前に夫たるべき人が急死して代っ た弟に求婚され'それを断った歌として引いている.こうして作者を男 性と見るか女性と見るかの二説があるが'いまその詮索はひとまずおい て'肝心を「憂心情惰'悦子群小Lの解釈にとりかかろう. 鄭聾の解説に依れば、「促は窓を-。惰情は憂える貌。群小は衆小人 _HU の君側にあるもの」とある。ところでこの一句'調べてみると' う ら ( S ) 十'憂心情情として群小に悌まる ( 1 5 ) ロ'憂いある心の惰情として群小を性む という二通-の解釈のしかたがある.助字「干しを受身とみるか(イ)' 対象を示す語とみるか(ロ)t の違いであるが'これは明らかにロで夜け れば怒らをい.訳も'「憂密を心はしをしをとして'つまら覆い連中の ( 1 6 ) ことを恨めし-思うOL-らいに押えてお-べきだろう.﹃列女伝﹄でも かぞ 「威儀は様様として'選うべからざるをりLを引いたあと'「その左右に 賢臣を-皆その君の意に順うを言う覆り」と君側のもののだらしをさを 言っているので'この句の解釈はほぼロの線だと考えてよい. この詩の作者について無理に男性か女性かを決める必要は覆いが'折 角孔子が引き合いに出したのだからその意図に添うべ-辻複を合せてみ ょう。いうまでもを-'それを男性とみたててである。 孔子は日頃めぐまれをい自己の境遇をかこちつつ'君側に群がる無能 を家来どもにむかっ腹をたてていた.憂心情惰'悦子群小.ところがそ ういう彼にもようや-チャンスがめぐってきて'大司遠から首相代理に のしあがることに覆った.だが実権派の領袖と覆った時点でもまだ群小 とのいざこざに頭を悩ませられている.憂心情惰'懐手群小.ましてや そのものどもが徒党を組み己れの政策に対抗する気配さえみせめはじめ た 。 小 人 成 群 ' 斯 足 憂   ( 畏 )   夷 。 頭 痛 の 種 子 を 取 -除 -最 も て っ と り 早 い方法'それは群小どもの東目す夜わち小人之架雄を血祭りにあげるこ

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とであった。- 孔子課少正卯。 註 l 「魯国の警視総監になった」とは'魯迅「在現代中国的孔夫子」魯迅全集・ 且介亭雑文二集の言.第六巻・二五1ページ 2 梁玉縄目'摂相者'乃侶相会盟之事.つまり'会盟の補佐役という説もあ る。 3 玉南山房輯侠書目 文海出版社 五一〇ページ 4   論 語 。 衛 霊 公 第 。 5   左 伝 ' 定 九 年 伝 。 鄭 駆 散 殺 部 析 ' 而 用 其 竹 刑 。 6   杜 預 注 。 郡 析 ' 鄭 大 夫 ' 欲 改 鄭 所 鋳 旧 制 ' 不 受 君 命 ' 而 私 道 刑 法 ' 書 之 於 竹筒'故云竹刑。孔穎達疏。昭六年子産鋳刑書干鼎'今鄭析別造竹刑'明是 改鄭所鋳旧制。 7   師 青 白 ' 両 観 ' 謂 閲 也 。 8 閑干孔子諌少正卯問題 趨紀彬著'(一九七三年'人民出版社)臼〟五悪″ 疏証は若干こじつけの感を免れない. 9 楊栄国'章詩同氏をど'郡折にならんで法家の先駆者であったとする。 1 0   孔 疏 。 行 偽 而 堅 者 ' 行 此 詐 偽 ' 而 守 之 堅 固 ' 不 骨 変 改 。 言 偽 而 蹄 者 ' 謂 言 談 偽 事 ' 辞 理 明 耕 ' 不 可 屈 之 。 学 非 而 博 者 ' 謂 習 学 非 違 之 書 ' 而 又 広 博 。 順 非 而 揮 者 ' 謂 服 従 非 違 之 事 ' 而 能 光 輝 文 飾 ' 以 疑 於 衆 。 如 此 者 殺 。 1 1   楊 注 。 督 読 為 焚 。 焚 衆 ' 惑 衆 也 。 強 ' 剛 腹 也 。 反 是 ' 以 非 為 是 也 。 独 立 ' 人 不 能 傾 之 也 。 12 批林批孔キャンペーンの中ではほぼ儒家(保守)対法家(革新)と断定し 16 15 14 13 ている.太公対華士はその様式で律しきれるか問題があろう. 中国古典詩集 筑摩書房'三八ページ橋本循訳。 詩経・楚辞 中国古典文学大系 平凡社 日加田誠訳 二三ページと同着。 詩経国風上 岩波中国詩人選集 富川幸次郎訳。一〇四ページ。 同     右 。 松  尾  善  弘 ︹研究紀要 第二九巻︺

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