理想的風景画
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(2) . 北海道教育大学紀要 (第1部 A) 第44巻. 平成 6年3月. 第2号. &iucat i ionI A) VO 1 44 2 ty of] t lof Hokkaido Universi on(Sec jouma ‐ ‐ ,No. March ,1994. 理 想 的 風 景 画 TheldeaI Landscape. 古. 川. 俊. 英. Toshihide FURUKAWA. I. 定義・用語. 「理想的風景画」 という用語は, 暗示的で暖昧な了解を根底に, 通例自然が人間の活動の舞台と して構想され, そこで展開される ドラ マがユー トピア的な理想や人間の切望する完全なる生活への ) 2年, ヨー ゼフ・ グラムはその著 『理想的風景画論』1 91 夢を喚起する風景画に適用されている. 1 において詳細にこの問題を論じている‐ 彼の論述はやや観念的で, 具体性や明確な歴史的裏付けを 欠いているが, 「理想的風景画」 の原型というべき定義を提起した‐ つ まりこの種の風景画は 「文 学的あるいは倫理的表象を基礎として, 自然の手本を自由に活用 して, 美的観点から具象的に構成 )であり 予め完成された理念がま ず存在 し その理念を表現するために 偶発的要 されたもの」2 , , , 素を意識的に放棄し, ち ょう ど詩的言語が 日常の言葉から選びだされ, 磨きあげられるように, 自 然の事物が高尚で洗練された形態に晶化される‐ こう して, 人間の高貴な行為の舞台としての風景 が構成される‐ 本質的でないもの, 混沌たるものが除去され, 主題の情調に適合した表現形態が自 然から選びだされ, 相互関係が解き放されたのち, 再び, 新たな総合体として融合され, 理想的世. 界が創造される. 描かれた風景は人間の気分や感情, 偉大な行為や高い道徳性を表出するように意 識的に構成されているかぎり 「理想的」 である. こう した特質は特定の時代に限られるものではな く, グラムは初期エジプト芸術から16世紀までの美術に 「理想的風景画」 の存在を認めている. だ が, この種の風景画の最盛期と考え られてきた17世紀に言及しておらず, 具体的作品の裏付けの点 でも充分とは言い難い. またその概念がきわめて一般的であるが故に, 「理想的風景画」 という名 称はさまざまの方向に拡大され, 19世紀の芸術家のロマンティ ックな自然の見方まで包含するよう 7世紀の古典的理想的風景画は対立するものの統合をあ にな っ た. さ らにゲルステ ンベルクは, 「1 らわ し, ラテ ン精神性と ドイツ精神性の相互作用から生まれたものであり, その最も典型的なもの においては現実のローマの風景の真髄があらわにされ, ローマ世界の諸様相 が理想化された姿で指 )と特定の場所および時代との関わりを重視している 示される」3 . 風景画史を論述するにあたっ て, ケネス・クラークは風景画を 「象徴としての風景」 , 「事実の風 景」 , 「幻想の風景」 , 「あるがままの自然」 に分類し, それぞれの表現様式の違いを , 「理想的風景」 ) 4 具体的作例をもとに明確化した. 彼は 「理想的風景」 をルネサンス期のイタリア美術の特異な状 況と結びつ けている. ここでは人間の表現が第一義とされ, 自然の描写は人物表現の飾りに過 ぎな かっ た‐ 風景画が独立のジャ ンルとして認められるようになるには, 内容的にも形式的にも宗教, 歴史, 詩などを題材とする絵画, つまり当時の芸術理念 で高い価値をもっ と認められた主題を表現 した作品と同等の価値をもっ と認知されなければならなかっ た. そのためにはただ宗教, 歴史, 神. 話などの登場人物たちを小さく風景のなかに描き込むだけでは充分ではなく, 題材と合致した場面 全体の雰囲気や性格を表現しなければならなかっ た‐ 「理想的風景画」 の発生はこのイタリアの環 163.
(3) . 古 川 俊 英. 境と深く関わっ ていた‐ クラークによれば, 風景描写のあり方や特質は背後にある文化や文学に影 響される.そして,彼は 「理想的風景」 を理想世界, ア ルカディ アの思想に結びつけ, その源をヴェ ネ ツ ィ ア 派 (ベルリ ー ニ, ジ ョ ル ジ ョ ー ネ, テ ィ ツ ィ ア ー ノ) の 作 品 に 求 め, ロ ー マ の カルラ ッ チ. ) 派, クロー ド・ ロラ ン, プサ ンの風景画に連なる系譜を想定している‐5 美術史的見地からすれば, 「理想的風景画」 とはア ンニ バ ー レ・カルラ ッ チ, ニコラ・ プサ ン, クロー ド・ロラ ンの風景画を指す特別なカテ ゴリーと考えるのが妥当であろう‐彼らは同じ時代に, 同じ場所 (ローマ) で活躍 し, その作品は共通の表現特質を示している. 勿論, このような特性は これら3人のみに限られたものではなく,他の画家たちの作品とも共有しうるものである.しかし, この語のあらゆる用法に共通する唯一の基盤はアンニバー レ, プサン, クロー ドの風景画となんら かの関連をもつこ とにある. それ故に, 「理想的風景画」 の問題はこれらの画家たちの個人研究に 密接に結びつくことになる‐ 彼らの具体的作品が当然問題となる. ウ ォルター・フリー ドレンダーは彼の 最初の 『プサン論』 において, プサ ンを英雄的理想的風景 )とし 1966年にロン 画様式, 並びに英雄的劇的崇高様式の先駆者である と同時に, 完成者である6 , ドンで出版された新版では 「プサンのすべての風景画は著しく 〈英雄的な〉 性格をもっ た作品を含 め て 〈理想的〉 風景画という一般的範際に属する. それらは自然を基礎とし, しかも 〈自然を凌駕 )と述べている フリー ドレンダーの している〉(ベ ローリ) という点で 〈理想的〉 なの で ある.」7 . 見解では, 「理想的風景画」 は人間気質の表出意志から生まれた風景であり, 根底をなす文学的あ るいは倫理的モメ ントに応じて, ドラマ ティ ックな悲壮性,叙事的な牧歌調, 拝情調へと情緒のニュ アンスを変えて行く. 英雄の働きや感情にふさわ しいような表現が与えられるとき, つまり英雄に ふさわ しい舞台としてすべての形態が具象化されるときには 「英雄的風景画」 となり, 歴史上の人 物の気質や気分が背景の自然に反映する形をとるときには 「歴史的風景画」 となる. このように主 要人物の情調,精神性と風景の表現形態との間に緊密な相関関係の存在することが「理想的風景画」 の必須の要素であり, その中に 「英雄的」 と 「歴史的」 という雰囲気の異なっ た風景画を含むとし ている. これに対して, アンソニー・ プラ ントは プサンの風景画を 「英雄的風景画」 と 「理想的風 )1 650年頃の 「英雄的」 作品は, 明断な造型的形態で表現された悲劇的で道徳 景画」 に区分する.8 的な人間のテーマに集中している. それらの作品はヴォリ ュームと光の明暗の明確な表現を特徴と する‐ こう した絵画 では, 絵画空間が平行に積み重ねられた層からなる大きなほとん ど閉じられた ) 「理想的風景画」 はもっ と後の時期に描かれた 人間は風景を支配 箱のように構成されている.9 ‐ することはなく,自然と揮然一体化する‐このように, プラ ントは表現された情調の相違ではなく, 表現様式の違いに重点を置いている. 普通, クロー ドの最高の風景画は 「古典的風景画」 と呼ばれている. プサ ンとクロー ドの風景画 は精神においても表現内容においても非常に異なっ ているけれども, この 「古典的風景画」 が 「理 )明快に釣り合いを 想的風景画」 と同義であることを指摘 したのは, レトリス ペルガーである. lo 640年 保ち, 調和のとれた構図とローマ のカ ンパーニャを思い出させるような広大な眺望をもつ, 1 代以降からの聖書や神話に取材したクロー ドの作品に, 彼はこの用語を使っ ている. そして1 650年 代から1 660年代の初期に描かれた大きな風景画に 「英雄的」 という言葉を適用 している. レトリス ペ ルガーによれば, その伝統は, ローマで働いていた南 ドイ ツの芸術家パウル・ ブリルを経て, ア ンニバーレや彼の弟子 ドメニキーノ に, さ らにクロー ドに伝わ った. そ して, クロー ドが理想的世 界, ヴェ ルギリウスやオ ヴィ ディ ウスの記述した古代世界を再創造しようとした結果, 「古典的風 景画」 が生まれた. これらの作品は当時のローマの風景をもとに正確に描き上げられ, 合理的に組 織化されたものであるが, 現実の自然とはま ったく別の感情的, 拝情的雰囲気を保持 しており, 詩 164.
(4) . 理想的風景画 的に構成された風景である とその性質を分析 した‐ このように, 「理想的風景画」 は一般に 「古典的風景画」 の同義語とみなされている. 然るに, 形容詞 「英雄的」 は偉大さ, 荘厳さ, 道徳的な トーン, 高揚された気分, 壮大 で構築 的構図を示す 絵画に付与された‐ 「牧歌的風景画」 あるいは 「肖像的風景画」 のよう に低い価値を与え られてい たジャ ンルに対 して, もっ と高い価値をもつ ものとして, 「英雄的風景画」 , 「歴史的風景画」 があ げられた. その意図は, アカ デミー流の主題の種類による作品のラ ンク づ けにおいて静物画ととも に最低の地位に置かれた風景画を, より高いラ ンクに近 づ けるための手段でもあ っ た‐ 「英雄的」 あるいは 「歴史的」 という言葉は, 絵画の主題で一番高い価値をもっ と評価された崇高な人 間の行 為の集積である歴史を連想させる. また 「理想的」 という形容詞は理想的な世界観と風景を結びつ ける‐ 自然を描いた作品が形而上的な, あるいは主観的な精神的性質をもつ ことを強調し, 現実が 一段高い世界に高められていることを示唆しようという意志のあらわれである‐ 以上のように, 「理想的風景画」 な る概念は微妙なニ ュア ンスの違いを含みなが らも, 17世紀に ローマで制作されたアンニバ ーレ, プサ ン, クロー ドの 風景画を中核として成立 したと考えるのが 妥当であろう. そう した絵画はいく つ かの共通する性質をもっ ている. まず表現された世界は構成 された風景である.そして,典型的な作例では深さの印象をつくり だすのに浮彫り層構造を用いる‐ 絵画空間は前景, 中景, 後景の3層に区別され, それぞれが画面と平行に走る層 を形成する. それ らの層は緩かなじぐざぐ形の斜行 線によっ て 一緒につ ながれる. 両側 (片側のみの場合もある) に 側景が置かれ, 枠付けを形成する‐ 全体は左右相称形あるいは同一の対比で釣り合いをとり, 人間 の行為に集中するために中心部を残す‐ 人間や人工物を添景とする風景画は16世紀のネーデルラン ドで盛んに描かれたが, ネーデルラ ン ドの画 家たちが鳥歌図法を用いたある種のパノラマで自然を 表現するケー スが多かっ たのに対して, 「理想的風景画」 では北方の風景画より低い視点が採用さ れている‐ 同じような広大な眺望を描いても, 北方の自然主義的な様式に対して, 例え ばク ロー ド のカ ンパ ーニヤの風景は様式化され, 組織化されている‐ 「構成された」 風景であることが何より も重要な性格といえる. だが, 一般的に多くの風景画家はある意昧では理想的な風景を描いている のであり, 1 6世紀の北方の芸術家たち, 17世紀のルーベ ンスやロイスダール, そして1 9世紀の浪漫 主義の風景画家たちもそうした仲間なのである. ラーゲルレーブが述べているように, この種の絵 を創造するための意志とそうした作 品の需要を生みだした要求はローマの文化的環境 と 関係 し, こ の絵画カテ ゴリーが特別な, 歴史的なものと結びついている =)ことを忘れてはな らない‐ この点 を無視 して, 参照枠な しに 「理想的風景画」 なる 言葉を一般化することはかえっ てその意味を暖昧 に す る こ と に な る‐. 亘. 成立と背景. 人間はいつ から自然を描くよう になっ たのか, この問いに答えることは永遠に不可能であろう. クラークは,ヨーロッパ における風景描写の最初の作例にヘレニズム時代のフ レスコ画, 《オデュッ )しかしながら 独立した絵画 セウス連作》(ヴァ ティ カ ン, キリス ト教美術館) をあ げている.12 , 形態としての風景画となると事情は異なる‐国際 ゴシック時代の細密画,ランプール兄弟の 《ペリー 公のいとも豪華なる時祷書》(1 41 3一16年, コ ンデ美術館, シャ ンテイ イ) のような月 暦の絵に先 行例を認めることができるが, やはり 「真に独立 した芸術としてのヨーロッパの風景画の歴史は, )と考 自然の重要性の増大 と自然 に対する 感情の微妙な変化 とと もにルネ サ ンスに始ま る…」13 165.
(5) . 古 川 俊 英. えるのが常道であろう. 単に戸外の情景を描写しているというのではなく, 芸術上確立され, はっ きりと認知された ジャ ンルを意味する 「風景画」 という言葉は, 1520年代 から30年代のイタリアの 文書資料においてはじめてあらわれてくる.伝統的な祭壇画や人物画の背景に過 ぎなかっ た自然が, 本質的ではない細部に焦点を当てたかのように主題への従属関係から切り離され, 独立した. それ によっ て背景自体が重要性を獲得するようになっ た. これが従来の風景画誕生の定説である‐ これ に対して, マ ックス・フリー ドレンダーは 「個々のパ トロンからの注文によっ て制作するのではな く, 自分の作品が公衆に好まれることを願っ て, 名の知れぬ消費者のた めに市場で売買される商品 をつく った芸術家たちが, 自由競争の中で専門化 して行く. 後期中世の工房内で, 人物, 背景, 静 物というように分割された領域を受け持っ ていた画家たちが与え られていた専門によっ て生活する ために, 精進に努め, さまざまのジャ ンルが独立 して行っ た. こうして風景画というジャ ンルも創 )と述べている しか し ゴン ブリ ッ チは このように実践を通 じて風景画という ジャ 造された」14 , . , ンルがまず形成され, それから理論的な諸問題が論じられるようになっ たという考え方を否定して はいないが,1 650年ころの著作『ミニア トゥーラ』 で風景画 という新しいジャ ンルが 「発明された」 )に着目し はっ きり したカテ ゴリーの形成な しには イタリ と述べているノーゲー トの考え方15 , , ア やネーデルラ ン ドにおいてそれに対応する 「風景画」 というジャ ンルは決して発展 しなかっ たで ) あ ろ う と 述 べ て い る‐16. 21年のデュ ーラの日記にみられる 「最良の風景画家パ ティ 風景画についての最も早い記述は, 15 }で あ る と さ れ て き た が ゴ ン ブリ ッ チ は マ ル カ ン トニ オ ・ ミ ケ ー レ が つ く っ た グリ マ ー ニ ー ル」17 ,. ニ枢機卿のコ レクショ ン目録をあげ, 風景画という言葉がはじめて用いられたのがアントワー プで )風景画はまずアル プスの北側で人気を得た はなく,ヴェネツィ ァであっ たことに注目している.18 . そう した作品はヤコ ブ・ グリムあるい はヘ ン ドリ ッ ケ・メ ッ ト・デ・ プレスのよう な 弱小画家た ち, 特殊なスタイ ルをもち風景を専門に描く画家たちのものであり, 作品の大きさも控え目のもの であったが, 後に ピーテル・ ブリ ューゲルのような優れた芸術家も風景画を扱うようになる. こう した作品が当時最大の芸術市場であっ たローマに送られ, ネーデルラ ン ドや ドイ ツの画家たちは広 大な眺望に小さい人物が添景された小品を描くのに優 れた手腕をもっという評判を生むことになっ た‐. 西洋世界において人類としてはじめて喜びだけを目的と して山に登り, 山頂からの眺望を楽しん だ人物といわれるペ トラルカは, 中世の人間としては珍しく, 自然を眼前に した人間の情感を書き )ヴァ ントー山に登り 眼下に広がる広大な 眺望を驚異をもっ て眺めたさま を彼 は 残 している.19 , 語っ ている. イタリアの大地, ローヌ川の流れ, はるかな る山並み, そして遠くに広がる地中海に 感嘆する. そ してアウ グスティ ヌスの 『告白』 を読む. 「人びとは外に出て, 山の高い頂, 海の巨 大な波浪, 河川の広大な流れ, 広漠たる海原, 星辰の運行などに感嘆し, 自己自身のことはなおざ 『告白』 第1 0巻第8章) 樗然とし, 書物をとじる‐ 魂のほかにはなんら感嘆 りにしている」 ( . 彼は」 すべきものはなく, 魂の偉大さにく らべれば何ものも偉大ではないということを忘れて, 地上のも のに感嘆している自分に腹を立 てる. そして沈黙の内省に耽る. この手紙は広大な眺望を眼前にし た中世後期の人の心のさまを明瞭に伝えてくれる. 自然はなお広大で畏怖すべき存在である. しか し, 誠に魅了すべき要素をもつものであっ た. 中世のキリス ト教徒にとっ てこの魅力に身を捧げる ことは神を放棄することであり, 豊かさや快楽を渇望することを意味した. 自然は知恵の源 として 人間を焦らして苦 しめることができ, 神を裏切らせようと誘惑する‐ 聖書では山からの眺望を明ら かに誘惑と結びつけている‐ 悪魔はイエスを 「非常に高い山に連れて行き, この世のすべての国々 とその栄華をみせた」 (マタイ による福音書 第4章の8) . 166.
(6) . 理想的風景画. 風景画が正当に認知されるには, こう した自然に対する中世的な態度の消滅が前提となる. 自然 を喜びの対象として素直に受け入れる心v情がなくてはならない. ルネサ ンス期は発明と改革・革命 の時代であった. 人間の知識や価値観におい て急進的な変化が生じ, 自然観も大きく変わ った‐ 大 航海時代の幕開けとともに, 手を加えられていない自然は人間に喜びと自由の魅力を感じさせると 同時に, 広大で予測することの でき ない自然の様相が人間の力の限界を確認させた‐ こう して自然 の魅力に人びとが惹かれて行くことになる‐ 美意識の変革に加えて, 社会の変革は芸術の需要層も 変化させた‐ 王候貴族や高位聖職者といっ た旧来からの芸術の享受階級ばかり でなく, 新しく生ま れた富裕階級 である豊かな市民, 外交官, 科学者, 銀行家が自分たち独自の芸術作品を入手するこ とに関心をもつ ようになっ た. 新規に参入した芸術愛好家たちの好みも風景画の成立に大いに関係 したと考え られる. 自然はその中で暮らす人にとっ ては必ずしも楽しみの世界ではなく, 苦役の世界でもあっ た. し かし, 都会に住む富裕階級や知識人は自然を傍観す ることで, 幸福感や充足の感情を得ることがで きた‐ 直接的に自然に働きかけることをやめることによっ て, かえっ て自然 を制御しているという 幻覚を喚起するのである. 芸術の主題としての自然の発見は都市の生活様式の進展とも関連する. 都市生活者である富裕階級は町から適当に離れ, 開けた眺望をもち, 新鮮な水辺の近く にある高所 に田舎の別荘を建てた‐ 別荘から低地の光景を眺めるとき, 彼らは休息を感じることが できた‐ 都 会も田舎も本来は人間の活動の舞台 である‐ 壁 にとり囲まれた町が政治, 法律, 商売の舞台である とすれば, 壁の外側は農業, 旅行の場であっ た‐ 富裕なものたちは距離をおいて眺めるという行為 によ っ て, 田園を苦労のない余暇の領域に変えたのである. 『建築十書』 の建物と装飾の章におけ るアルベ ルティ の記述, 「われわれの精神は喜ばしい風景, 田園, 港, 魚釣り, 狩, 水泳, 羊飼い )は富裕階級の自然 の遊び, 花咲く野原, こんもり茂った小森を描いた絵に特別の喜びを感ずる」20 観そのものを表明しているよう である‐ 「……彼は誰もが望んだように、 別荘の柱廊玄関に, 公園, 小森, 低い林, 丘, 養魚池, 海峡 , 海岸を描いた. 彼はそこに, 散歩を したり, 船に乗っ たり, 麹馬の背や 四輪馬車に乗 って村に向か う人びと,あるいは漁師,野鳥猟者, 狩猟者, ぶどう収穫者な どあらゆる種類の人 間を描いた」2D. これは皇帝アウグス トゥ スの下で活躍したローマの画家, タディ ウス (またはストゥ ディ ウ ス, あ るいはルディ ウス) についてのプリニウスの記述であるが, アルベ ルティ の主張と酷似 しており, そのままルネサンス期の風景画の説明であるといっ ても通る だろう. ルネサン ス期の教養あるイタ リア人たちは自分の時代の芸術を論 じ, 記述するための語梁や基準を古代の作家たち, 特にプリニ ウスと古代芸術についての彼の論述を手本としていた. ルネサンスの教養人たちが風景画を心から 昧う際に, プリ ニウスの見解がなんの影響も与えなかったということは想像 できない. ゴンブリ ッ )ネーデルラン ドや チはこの裏付けとしてパ ウロ・ ジャ ヴィ オの ドッ ソの作品批評をあげている.22 ドイ ツの画家たちは小画面の油絵や版画の形で自然の姿を描いたが, イタリアの芸術家は快楽, 喜 びのために, 田舎の別荘の壁面や町の宮殿の庭のファサー ドの装飾 に盛んに風景の再現を用いた . アンニバー レ・カルラ ッ チがローマに移る以前, 1 580年代に描いた, 一対の風景画 《狩》 と 《魚 釣り》(ともに, ルー ヴル 美術館, パ リ) はかなりの大作であり, 横長の普通とは異な っ た絵の形 ) から, 多分扉の上の壁面装飾のために計画された作品と考え られている. 23 ,戸外の活動を主題と したこう した作 品は, 愉悦に満ちた雰囲気を客に楽しんでもらう目的で注文されたものであろう . 1637年, ク ロ ー ド・ ロ ラ ン は 教 皇 ウ ル バ ヌ ス 8 世 の た め に 《村のダンス》 を描いた 彼は踊っ てい . る人物のいる風景という主題を7~8点の絵画 (そのうち3点はエッチングでも制作されている) )同じ主題の異作がこのように数多く制作されたということは 田園 と数点の素描 で描いている‐24 , 167.
(7) . 古 川 俊. 英. で踊る 人々と牧羊詩とが結びつ き, 当時の教養人に非常に好まれたことの証拠であろう. そこには 林間の空地で踊っ ている人びとを眺めている貴族の姿がある‐ この種の絵の所有者は絵を見ること で遠く から農民たちの踊りを 楽しみ, 農民たちの生活習慣を分かち合っ ているふりをすることさえ もできたのである. プリニウスやアルベルティ の風景観の余韻 がここにも示されている. また, ゴ ンブリ ッチはヴィ トゥ ルヴィ ウスの細長いギャラリーの壁の装飾に現実的な眺望を用いるという考 えを ベルツ ツイの ヴィルラ ・ ファ ルネージの幻覚主義的な景色, ヴェ ロネー ゼの ヴィルフ ・ バ ルバ ロ の 風 景 フ レ ス コ, パ ウ ル ・ ブ リ ル の ラ テ ラ ー ノ 洗 礼 堂 や ア ン ニ バ ー レ ・ カルラ ッ チ の ギ ャ レリ ア. 5 ) ・ ドーリ アの半円画の源 とみなしている‐2 北方の画家たちの影響とプリニウ スやヴィ トルヴィ ウスの古典的理論に発する芸術理論を根拠と して, イタリアの風景画は田舎の別荘や個人の邸宅の壁面装飾としてまず定着した. さ らに都市生 活が発展し, 芸術市場が成長するにつ れて, 以前のような注文による制作 ばかり でなく持ち運びの 簡単な小画面のキャ ビネ ッ ト・ ピクチャ ーの制作が盛んになり, 市場で容易に手に入れられる既製 品による室内の装飾が行われるようになった‐ こう して風景画は一般に普及 し, 独自の価値をもつ ジャ ンルとして認知され, 発展 していっ た. この時代の風景画は人間あるいは建物など, 文明の痕跡を必ず含んでいた. 純粋の自然は素描や スケ ッチにしかみられず, 写生された自然は工房で完成される絵画の材料 として使われた. 何らか の人間の印を包含していない風景は興味の対象にはならなかっ た. しかし, 風景画においては, 人 間中心の従来のイタリア絵画とはま ったく違っ た世界が提示された‐ 画面を支配してきた人間はそ の姿を縮小され, 広大な自然のパノラ マのうちに埋没する. 重要なのは人間の行為ではなく, 眺望 の広がりや多様性である‐ 「風景画もまた人間と彼が生きている世界との間の新しい関係の覚醒を表現 していると考えられ る. それは現実空間または知識の範囲の拡大より以上のものである. それは自我における疎外の感 覚と人間がとるに足らない存在あるということの承認でもある‐ これはルネサンス文化の別の顔で ある‐ われわれはここに自我の主張, 卓越する人間, すべてのものの尺度 として人間を考える積極 的で精力的な人間観の対極をみる……. そ してわ れわれはこう した人間の姿の確認に中世的精神構 造とルネサンスの精神構造との断絶をみる. しかし, 人間の文化を創造するためのこれらのルネサ ンス戦略はまた, 未知のものや従来観察されなかったものに直面することにもなる環境の観察と探 6 )このように ラーゲルレー ブは1 6世紀末と17世紀初頭に出 究の尊重を鼓舞することにな っ た.」2 , 現した新 ジャ ンル, 風景画にルネサンス期に生まれた人間と自然の新 しい関係の反映をみようとし ている‐ 確立された特権を守っていた古い陣営の防御に対 して, 新しい世界観を明示する文化体系 を創始し, 自分たちの趣味と自分たち自身の表現 を探しつつあった グループがあ った. こうしたグ ループに属する個人的な パ トロンや 知識階級が風景画を好み, 注文した‐ 確かに, 幾つかの重要 な 風景画が17世紀の間にローマにおける教会のエリー トの会員のために描かれているけれ ども, その ような注文は常にというより例外にとどま っ ていた‐ 風景画の主要な注文主は非常に教養があり, 670年に枢機卿にな った, 教皇の外交官カミ 学識のあっ た, 考古学 と芸術の愛好家たちであっ た‐ 1 リオ・マ ッ シーミや詩と詩劇で知られた後の教皇ク レメ ンス9世ジュリオ・ロス ピリオッ シがその. 代表であり, 個人の洗練された趣味や古典的な神話の詩的表現への鋭い個人的関心がその背後に存 ) 在 し て い た‐27. 先にも述べたように, イタリアの風景画はなんらかの行為をしている人物を必ず含んでいた. こ う した人物たちは画面全体からみれば小さめであり, 風景と一体感を保っ てはいるものの, 取るに 足りないもの,弱い存在といった感じは捨てきれない.画面全体は喜びの情調に満ちている. 休 息, 168.
(8) . 理想 、的風景画. 気分の転換, 夢, 興奮, 楽 しさが伝わる. 当時の美術鑑識家たちは最良の作品においてはその技術 の巧みさに魅了され, 従来の絵画にはみられなかっ た新奇さに, 未だ確立されていない方法への興 味と期待, またそ こに示される豊かな創意に惹かれた. この領域はときには神秘的で, ときには個 人的な, 伝統や既成の芸術家によっ て体系化されていない新しい主題を容易に導入 できた. その主 題も注文主の要請 によっ たと思われるもの, 特殊な文化サークルに属する知識人だけにしか知られ ていない特別な意味をもつ ものな ど複雑多様である‐ 17世紀のはじめ, ローマの絵画芸術は急激に変化しつつ あっ た. カラ ヴァッ ジオが この時期に衝 撃的な新芸術を創始 したように, 突飛な組合せのもとにさまざまなスタイ ルの絵画が出現した. カ 650年 ごろ, クロー ドとプサ ンは野心 ルラ ッ チ派の風 景画もこう した現れのひとつ と考えてよい. 1 的な理想的風景画をつくり だしたが, ローマや パリの芸術アカデミーや宮廷の パ トロンたちはこれ らの作品をあまり好まなかっ た. 17世紀後半の古典主義芸術理論も風景画にはほとんど注意を払っ ていない‐ 後に, アカデミーの主流となって行く教条的で独善的な芸術観が横行していた. 理論家 たちの主張と購買者の要求するもの, 現実に制作されている絵画との間の割れ 目は広がる一方で あった‐ 画家たちはアカデミーや教会や君主の組織化された力から解放されたいと感ずる 限りにお いて,風景画を選択した.しかし, そのような組織 に組み入れられることは社会的地位を保障され, 作品に高い美的価値を与えられることでもあった. 画家はこう した状況に否応な しに影響された. 例えば, 自分の歴史画が世に受け入れられないのに反 して, 荒涼たる風景画 が人気になっ たことに 失望したサルヴァ トール・ローザをして,自ら二流の画家の刻印を押させたの である‐だが, クロー ドの場合は少し事情が違っていた‐ 外国人であった彼はローマで教会の有力者や貴族たちと密接な 交際を望むことはできなかっ た. こう した束縛のない地位とア ルプスの北の画家は風景画に長じて いるという評判を利用 して,風景画を中心とした独自の画境をつくり だしたの である.ラーゲルレー )ひとつ は政治的 イ デオ ロギー的側面であり 権力構造 ブは風景画にふたつの要素をみている.28 , , の低い層から派生する運動, ある種の民主的傾向と結びつく. この側面は17世紀オラ ンダの風景画 の発展で確認されるものである.もうひとつ は王侯貴族に代表される富 裕階級の受け入れ方である. 彼らにとっ て, 風景画は16世紀の別荘建築の装飾, あるいは庭園の延長であった‐ 広大な パノラ マ 的効果と併存する細部が一体となり, 人文主義的教養を基礎とする文学的風景と合体する‐ 貴族た ちの個人的な趣向が視覚的形態を与えられ, 風景画は知的, 黙想的領域として享受された‐. m. 展. 開. 人文主義の芸術理論 では, 絵画のジャ ンル別価値序列が確立されていた. 最も高い評価を受けて いたものは人間の偉大な 行為を表現 したもの であり, 歴史, 宗教, 詩, 悲劇に取材した絵画がそれ にあたっ た‐ 一方, 風景画 は前述の ごとく静物画とともに最も低い地位を与えられていた その表 . 面的理由は人間が従属的役割しか果たしていないこと, 細部が過剰であること, デッ サンよりも色 彩を重視していること, 道徳的な啓発より休 息, 快楽を誘発することな どであった ‐ 新しいジャ ンルであるが故に, 風景画の表現法は伝統に束縛されることはなく, 予測できない自 由をもっ ていた. それはまた, 旧来の芸術およびその理論的価値構造に対する脅威を意 味した 観 ‐ 者が喜ばしい, 目的のない観照に耽るばかり でなく, 画家もまた気晴らしとして 自分自身の楽し , みのために制作に熱中することができた‐ ここには強制的な規制のない比較的自由な世界が存在し た. さらに, 特別なテーマ を与えられていない風景画の場合は, 観者がその内容を自由に解 釈し得 169.
(9) . 古 川 俊 英. た. この時代の芸術理論は権力に隷属し, 支配階級の意識を代弁するという側面ももっ ていた. 彼 らが確信のもてない風景画という ジャ ンルを軽視し, 低い評価を与えることによっ て, 安堵すると いう面もなかっ たわけではない‐ 個人の快楽を容認しないことを成文化するという考えのうちに, 支配階級の脅威のちょっ としたおののきの反映をみることもできる だろう‐ 頭に頭脳をもつイタリア人が神話や歴史を描いたのに対し, 手に頭脳をもつ北方人は風景を描い たという偏見は, この時期の代表的な 風景画の評価で もあ った. その根底には, ア ルプスの北の芸 術家たちが風景画の制作に優れていたことに, イタリア人が困惑したという事実もあっただろう. 1 548年に, パオロ ・ ピーノはその理由を 「北方人たちは風景画に特殊な才能を示している‐ なぜな ら, その荒涼としたさまが最も適合 したモティ ーフを提供する彼らの母国の風景を模倣したからで ある. ……それに反して, われわれ, イタリア人は世界の庭園で暮らしている‐ そこは描くよりみ )と説明している る方が一層喜ばしい……」28 . イタリアの風景画家たちはこの情況を打開し, 高貴な主題をあらわ した作品と風景画の道徳的, 美的価値を同列にまで高めることを望んだ.この手がかり をヴィ トルヴィ ウスの悲劇,喜劇, サテュ ロス劇の明確な属性を説明している有名な文章にみい だしたようである‐ アルベルティ はサテュ ロ ス劇 を主題の序列の最も低い段階に位置 づ けているが, ヴィ トルヴィ ウスは細分化された風景の 585年, ロマッ ツォ は最 テーマの価値序列を決定するための出発点にこの三種の劇 を使っ ている‐ 1 初の風景画の体系的説明を書いているが,彼は明らかに ヴィ トルヴィ ウスの見解を取り入れている‐ 「この絵画領域において優秀さ を示 した画家たちは, 個人的な場と公共の場所の両方にふさわしい 書割を発見した. 例えば, 宗教的な, 死に関わる, 悪臭を放つ, 暗い地下の情景, そこに彼らは墓 場, 墓石, 寂れた家, 人里離れた不吉な遺跡, 洞窟, 隠れ家, 池, 泉水を配 した. (第二に) 荘厳 な情景には炉, 水車, 屠殺場, 絞首刑用木枠, 木の幹とともに, 神殿, 教会, 裁判所, 体育館, 学 校, 火や血の場所を示す. 平静な大気のもとでの明るい場所には, 彼らは宮殿, 王族の住居, 説教 壇,劇場,玉座, そ してす べての壮麗な, 豪著な事物を表現する. また別の場面では再び泉, 野原, 庭園, 海, 河川, 水浴場, 踊りのための場所をもつ 喜びの情景を示す‐ しかも工房, 学校, 市場, 恐ろしい砂漠, 森林, 岩, 石, 山, 樹木, 水路, 水, 河川, 船, 大衆浴場あるいはテルメを表現し )ロマッ ツオ は理論的な一貫性 をもっ て こう した道具立てを ているもう一種類の風景 がある.」30 , の しかし ない ツ 乱暴な言い方をすれば ロマ 列挙しているとはいえ ッ ォ 「荘厳な場所」 はプサ , , . ンの英雄的風景画に, 「喜びの情景」 はクロー ドの パス トラルに, 「不吉な隠れ家」 はサル ヴァ トー ル・ ロー ザやマニャ スコの主題に結 びつけることさえできる‐ 絵画の独立したジャ ンルとして, 風景画がルネサ ンス期 を通じて確立されつつ あっ たことは明白 な事実である. 風景画が北方人の得意とする分野であるという ピーノにみたよう な当時の一般的な 見解は, 自然の再現 としての風景画という考えを根底においている‐ そしてそれが風景画の価値評 価の低さの原因であったと推定される. そのためにはた だ宗教や歴史や神話などから選ばれた人物 を風景に描き入れることだけでは充分ではなかった. ロマッツ ォ はその方向を明示 した‐ 場面全体 の雰囲気や性格を描きあらわすこ とによって,そこにふさわ しい事物が描き込まれることによっ て, 風景は独自の雰囲気 を醸しだすことができるという考えである. 風景画家が一番はじめに確立 しなければならなかっ たことは, 自然の景観を絵画に移す方法をみ つ けることであっ た. 当時, 絵は工房で構成され, 仕上げられるのが普通であっ た. しかし, そう した絵を制作するためには, 植物, 樹木, 崖, 山, 空, 光の作用の研究などが必要であっ た. 数学 的な遠近法はもはや万能ではなく, 人体比例の規範も適切とはいえなくなっ ていた. 素描による形 態の把握あるいは線的な効果よりも, 色彩の微妙な変化, 大気の効果, ぼかしなどが重視された‐ 170.
(10) . 理想的風景画 画家は現実の物理的情況の把握だけでなく, 自己の感覚を通して自然を体験しなければならなかっ た.内的な ヴィ ジョ ンだけから,絵を制作するなどということ は当時では未だ思いつきさえしなかっ ) i6 た. ザ ン ドラル トが語るところによれば31 , 20年代から30年代にかけて, ローマにおい ては戸 外で研究すること,自然の事物を前にして直接スケ ッチすることが画家の常習的行為となっていた‐ こう した習慣の定着の経緯は不明であるが,風景描写と密接な関係をもっ て成立したものであろう‐ ケ ネ ス ・ ク ラ ー ク は ジ ョ ヴ ァ ン ニ ・ ベルリ ー ニ の 《正義と慈悲の寓意》( 1490年ころ, ウフィ ッ ツィ 美術館, フィ レンツェ) を 「理想的風景」 のはじまりに位置づけている. 「……暖かい夏の夕 べの空気を呼吸している人びとをとり囲む, 触れることのできるような庭 である. 聖者が前景を占 め, キ ュ ー ピッ ド (しか しキリ ス ト教化されている) が生命の樹のまわり で戯れている‐ そ して. 1 400年代の最も美しいものの ひとつである風景において, ケンタウロスが十字架の近くに身を ひそ めている. ……これはヴェネツィ ァ人が 〈詩的幻想 (ポ エ ジエ)〉 と呼んだ種類の 絵画の最初の作 )この絵は風景画とはほど遠い作品ではあるが クラークの指摘するように 「理想的風 例である‐32 , 景画」 の表現 した世界に近似す る雰囲気 に満ちていることは否定 できない. ベルリーニ, ジョ ル ソョ ーネ, ティ ツィ アーノと続く ヴェネツィ ア派の風景描写がカルラ ッチ派の風景画の源であ っ た ) こ と はタ ー ナ も 認 め て い る.33. ルネサ ンス期の美術家たちにとっ て, ふたりの古代の詩人, オヴィ ディ ウスとヴェルギリウスは 霊感の源であった. オ ヴィ ディ ウスは神話・伝説の世界を詳細, 明確に記述しているが故に, 人物 画家に喜ばれ, ヴェ ルギリウスは風景画のテーマを提供 した. 物理的現実を詩的世界に移し替える ために, 美的に, 道徳的に自然を高めることを 目指した風景画に古代の神々や英雄たちが登場する ようにな った. 古代の物語から選びだされたオルペウス, ア ポローン, ヘルメス, バッカスが, 理 想的風景画 では,休息 し,家畜の群れを見守り, 生活を楽しん でいる羊飼いとま ったく同じように, 田園の光景に融け込ん でいる‐ 人間は大地の実り に恵まれ, 太古の質朴な姿そのまま に平和につつ ま しく暮らしていたという黄金時代の神話, アルカディ アの理念が風景画という形式で表現された の で あ る.. 理想郷アルカディ アはイタリアにおいては主として文学と演劇 において発達したが, 絵画表現と してはヴェネツィ アにおいて,16世紀のはじめのジョルジョーネの作 品にみられる.彼のバス トラー レと呼ばれる作品には常にアルカディ アや田園のイメ ージが満ち満ちている そう した類の作例 . , 《嵐》( 1505年頃, アカ デミ ア, ヴェネツィ ア) は謎めいた作品として知られているが, 1 530年の )こ の 時 代 目録に, マ ルカ ントニオ は 《ジ プシー女と兵士のいる嵐の小さな風景》 と 記 し て い る.34 に風景画と明記された数少ないイタ リアの作例である. 画面の左右に配された男女の姿, 建物の残 骸, 中央で画面を分断する橋, 遠景の街, 空に走る雷光, 一体何の物語を主題とし, どんな寓意を 内包しているのか異論は多い. 主題がなん であれ, 重要なのは物語ではなく, 全体にみな ぎる詩的 あるいは音楽的気分である‐ この絵は 「理想的風景画」 の構成の基本を示している 両側は舞台の . 両翼のように樹と岩の暗いかたま りからなり, 中央部は自由に 開かれている 画面は平行に走る三 ‐ 層に分割される‐ 前景に人物たち, 中景に建物, それに光のふり注いでいる背景の山や空や海に退 行してゆく後景を配する‐ 人物は風景と完全 に一体化 し, 時には片側に寄せられ, 空と奥行きが画 面の主要な空間を占める. この構図こそ 「理想的風景画」 の基本であり, 出発点でもあっ た . ジョルジョーネによ っ てはじめられ,ティ ツィ アーノが完成したといわれる《田園の奏楽》( 1 51 0 一11年, ルー ヴル美術 館, パリ) は, 明らかに人物の表現に重点をおいた作品である 人物たちの ‐ 関係もいくぶん暖昧であり, 表現されたテーマもはっ きり しない‐ 従っ て, この絵もさま ざまな解 釈が与えられている‐ 詩的, 音楽的な創造が比 疏的に表現されていると考え るのが妥当であろう . 171.
(11) . 古 川. 俊 英. 4年 ごろ, ボルゲーゼ美術 151 ティ ツィ アーノの風景描写の中で, 注目されるのは 《聖愛と俗愛》( 館, ローマ) である. この絵 がわれわれの情感に訴えるのは夕べの美しい光に包まれた情緒的雰囲 気 で あ る. ジ ョ ル ジ ョ ー ネ, テ ィ ツ ィ ア ーノ, ドメ ニ コ ・ カ ン パ ニ ョ ー ラ に よ る 羊 飼 い や 愛 の 場 面. を飾っ た自然背景は,バス トラーレ風景の伝統を形成するが,純粋の風景画 とはいえない. ティ ツィ アーノが人物画の背景に描き込ん だ樹木や山岳が, クロー ドやプサンの表現形式の手本となっ てお り, 「理想的風景画」 の歴史において重要 な先駆者であっ たことは疑い得ない. 16世紀末の ヴェネツィ アでは, 芸術の市場, 生産, 消費の形も他の都市とはま ったく異なっ てい た. 昔から手工業の盛んな土地柄でもあり, パ トロンの要 請や地方的伝統の遵守が独創性や個人的 な勇気の顕示よりも重ん じられていた. それにも拘らず, 絵画が公的な事業よりも個人的な消費の ために描かれることが多かったので,非慣習的な,神秘的な主題を取り入れることも可能であっ た. また湿気の多い風土のためにフレスコ画は急速に劣化 した. そのため, ヴェネツィ アの美術家たち は油彩で制作することを好んだ. この事実は色彩を重視する ヴェネツィ ア派絵画のありよう と深く 関わ っ ている‐ 版画もまた絵画の制作工房の重要な産品であっ た‐ 扱い易い寸法の版画や油絵, 個 人的研究や楽しみのために描かれた小さめの絵画は, 公的な展示や宣伝の役には立たなかった. 強 力で明快な表現を必要とする大きな公的な注文による作品とは違っ た様相が求められた. 主題はわ かり易いものよりもむしろ純粋に視覚的な喜びに重点が置かれ, 完全なものの表現よりも感覚的喜 びやエ ロティックな誘惑が好まれた. イタリア人の北方の風景画に対する関心は比較的早くから存在 していた. こう した関心はまず北 イタリアに現れた. しかし16世紀に, イタリア人芸術家によっ て描かれた風景画として分類 しうる 絵は例外的なものであっ た. 風景画の系列で何らかの作品をつくりだしたとしても, ほとん どが部 屋の装飾の一部としてであった‐ ヴェネツィ ア, モ デナ, フ ェラーラ, プレーチ ア, ボローニヤ出 身の芸術家はすべて, 人物画の舞台や背景として拝情的な調子の自然の光景を描いている. ヴェネ ツィ アの貴族は政治 生活には消極的であっ た. 貿易が衰えるにつ れて, 富裕階級は金を土地に投資 し, 祝祭や文化的な活動の平和な享受に財産を費やすようになった. さらにはボッカチオやペトラ ルカらの文学上の遺産も人文主義的な研究や宮廷の生活様式に生き続けていた. エロティ ックな, 夢のような風景画は慎重に秘匿された意味を比疏的な主題のもとに表現した. ちらちら光る美しい 風景の下で踊り,音楽を奏で,抱擁する人物を示す北イタリアの絵画,バ ッカス祭,恋のア レゴリー, ダイ アナ, ダフネ, ヴィ ーナスを描く絵画は夢, 喜び, 難解な謎を求める廷臣や貴族, 教養人を満 足させた. こう した事情がヴェネツィ ア をして, 「理想的風景画」 の先駆的役割を果たさせたので あろう‐ ローマの場合, 芸術制作はヴェネツィ ア以上に規制さ れることが少なかっ た. その上, 美術作品 は教会や市の宮殿, スタ ディ オ, 美術商の店などで公開展示さ れた. ヴェネツィ アの ギル ド組織は 600年 ごろのローマの美術市場 は売手 自分たちの土地で外国の芸術家が自立することを妨げたが, 1 も買い手も変化に富み, 広範にわたっ ていた. このために遠くまた広く, 芸術家たちがローマに群 がってきた. ルネサンスの芸術の傑作と教皇の宮廷の富や古典古代の 遺産を享受することを, 皆が 熱心に望んでいた. ローマは世界の首都であり, 外国の伝統が出会う接合点, 活気に満ちた芸術理 念の貯蔵庫であった‐ネーデルラ ン ド, ドイ ツ, フラ ンスなど北ヨーロッパ からきた芸術家たちは, 国 ごとのグループで集まり, 生活した. 彼らはロー マの光景や古典的な神話に主題を求めたが, 必 ずしも自分たちのスタイ ルに固執したわけではなかっ た. そ して, 彼らは風景描写において評判を 得た‐ こうして, ローマの光景, 廃壇を舞台とする普通人の生活の情景, 壮麗な, 巧みに構成され た自然の もとでくりひろ げられる神話あるいは聖書の物語 な ど, すべての種類の風景画がローマ 2 17.
(12) . 理想的風景画 において制作されるようになっ た. 慣習に縛られない学識のある収集家たちが小画面の風景画に関 心をもちはじめた. 例え ば, アダム・エルスハイ マ ーの浪漫的な風景画は, こう した収集家の 間で 珍品としてもてはやされた‐ 有力な家系に属する人びとも風景モティ ーフの表現領域の広さ, 多様 性に魅了され, 装飾フリーズを注文するよう になった‐ 教会においても, 少なくともあまり目立た ない場 所が自然を主題にした絵で装飾されるよう になった‐ ラーゲルレーブはこう した装飾の 現存 }ギル ドに支配され 文化や娯楽を熱望し 絵につ いての個人的な趣向 に関 例を1 5点あげている.36 , , 心をもつ王侯,貴族の注文に依存したヴェネツィ アに比べると,ローマでは芸術市場が栄えていた . . そこでは 「旨くやっ て行く」 ことができたし, 教皇, 枢機卿, 学者など多様なパ トロンを探すこと ができた‐種々雑多な旅行者の趣味を満足させる必要もあっ た.明確な相違があったけれど. も, ヴェ ネツィ アとローマの両方の環境には, 個人的な創造願望を満足させる自然主題への関心が存在して いた. ヴェネツィ ア芸術において, 自然は愛のテーマ と結びつ けられた‐ ローマでは, 自然の題材 は休息と腹想の雰囲気に包まれたものが好まれた‐ 風景画は教会や宮殿の装飾にも採用されたけれ ども, 小さ な画面の作品は個人の需要のためにつく られ, 一般に静かな研究や 腹想のための場所に 置かれた‐ ヴェネツィ アの風景描写の伝統は世紀の変わり 目の時期, ローマの自然再現 を豊かに し 「理想 , 的風景画」 の発展に影響を与えた‐ イタリアにおいては, 批評家たちは外国の芸術家たちが新しい 傾向の作品を創始したという ことをす ぐには認めなかった‐それ故,ジョ ルジョーネ, ティ ツイアー ノ, ムジアーノ, カ ンパ ニョーラらの作品が自然再 現の先駆者, 手本と認められた. ティ ツイアー ノの作品《殉教者聖ペテ ロの死》( 867年, 火事 で消失) は世界で最 も数多く模 写された作品であ っ 1 たが, 交差する樹の幹を構図の中心とす るやり方がそっくり真似 られ, 17世紀の風景画で頻用され た. 彼の風景描写は壮麗であり, とりわけ, 樹葉の茂み, 丸味をもっ た幹の表現はプサ ンの自然表 現に大きな影響を与えている. 17世紀はじめころに, アンニバー レ・カルラ ッチは風景画を高尚な主題と結びつけ, 強固に構築 された様式を創始した. 風景画に付き纏っ ていた芸術理論上の問題を解決したように思える 芸術 ‐ の最も高貴な分野に属する性質,悲劇と歴史的絵画の性質を具現 している自然の描 写,すなわち 「理 想的風景画」 が生まれた. 彼はヴェネツィ アの牧歌的背景に霊感を求めてはいない キリスト教の . 主題が多く扱われ ている. その代表的作例が 《聖家族のエジプト逃避》( 1 604年ころ, ドリ ア絵画 館, ローマ) である. このテーマは本来, 「市壁の外部」 の危険な旅をあ らわすもの であっ て 平 , 和で静穏な保護された光景を示すものではない‐ しかし, この時代には, 不幸や恐慌や苦痛ではな く, 富裕階級の投影として風景の美しさと楽しげな放浪や休息が結びつ けられていた‐ カルラ ッチの風 景画の様式化された諸部分のつくり だす調和あ る全体像を讃めながらも, 歴史家 の興味を惹くにとどまる作品と断定したクラークは, さらに 「……事実の知覚に喜びを感じないし , 自然の威力や神秘を感じとる想 像力もないし, なによりも, 光という統一を形づく る要素に対する 感情を欠い ている. これらの画面に生気を与える特質な しには, どれほど理想化しても芸術形態と )折衷主義者とみるか創造的芸 術と考えるか しての風景画を正当化することはで きないだろう.」37 によ っ て, アンニバ ーレの評価は天と地のように異なる‐ 17世紀前半には彼の絵画は絶大な人気を もっ ており, クラークのような現代の 作品評価はそれとして, 理想的風景画の創始を彼 に帰すこと には無理はないと考え る‐ 1547年または15 48年にボローニヤに移住 し, 宮殿や大学の装飾に従事した ニッ コロ・ デル・アッ パーテの作品を, アンニバ ーレは知 っ ていた 彼は アッパーテのボローニヤ大学図書館の装飾に ‐ , みられるような, マニエリス ト風に様式化された人物が添景されているもやに包まれた柔らかい光 173.
(13) . 古 川 俊 英. 彩の風景に影響された.また,ムジアーノや ヴェネツィ ア派の作品の自然の表現を研究していたし, 1 580年代か ら90年代の彼の風景画では, ヴェ ロネー ゼや ティ ントレッ トの自然への客観的なア プ ローチに鼓舞された. ローマにはラフ ァ エル□と彼の弟子の作品といっ た他の手本もあり, パ ウル ・ ブリルをはじめとする. 風景画における北ヨーロッパ 出身の競争相手もいた. ラフ ァ エル□と古. 代の芸術家の手法を中心軸として, 彼自身の北イタリアの様式伝統にこうした雑多な要素を取り入 れて, アンニバ ーレは理想的風景画の基本形式を生みだした. 彼の作品には折衷派につ きまとう欠 点が認められることは否めないが, さまざまの要素のいり混じったこの時代の風景画の将来の指針 を示しえたのは, 逆に折衷派なるがゆえに可能であっ たのかもしれない‐ アン;バ ーレと彼の助手は多くの風景素描や風景画を描いた. これらはときどき版画として配布 )これらの素描とヴェネツィ ア派の風景素描 特にカ ンパニョーラの工房の素描の比較は, された.38 , 両者の風景のあり方の違いを明示する‐ ヴェネツィ アの素描はほとんど大きな作品の背景から切り とられた眺望のような広漠たる大地の広がりから成り 立っ ている. アンニバ ーレの素描では深奥性 が凝縮化され,緊密 となっている‐その緊密性は大きめな人物を配置するために前景を拡張したり, 前景に広範囲にわたる広がりをもたせるといっ た方法で緩められることはなかっ た. 彼の創造する 自然空間は舞台のように観者の目の前にある‐ 人物と樹木は造型的な強固さをもち, 明快にとらえ られている. 眺望というより具体的なある場面といっ た性格をもつ. ルネサンス期の文献において, 最も賞讃された自然の再現は ヴェネツィ ア派の絵画, とくにティ ツィ アーノの作品であっ た. アンニバー レは懸命に彼の作品を研究し, 学習した. こうした 態度は そのまま プサ ンに引き継 がれたといっ てよい‐ 「理想的風景画」 の完成者 といわれるプサ ンではあ 1 640年代) のことであり, 当初は人物描写を中心 るが, 彼が風景画に手を染めるのは比較的後年 ( とする絵に専念 していた. 他方, クロー ドは根っ からの風景画家であっ た. 彼は, 才能はあるが, 630年代後半 から風景 ほとんど名の知 られていなかった風景を専門とする画家の作品を研究した‐ 1 に配された小さ な廃嬢に代えて壮麗で保存状態の良い建物を使うことで, 彼の風景画の表現的価値 を高めた. こう して風景画家としての名声を得, 彼の顧客には教皇やス ペイ ン王まで含まれるよう になっ た‐ クロー ドが王宮, 神殿, 彫像などを風景の重要な造作として用いたように, プサ ンも明 快に輪郭 づ けられた建築を前景にくりひろげられる人間の行為の背景として採用する. クロー ドとプサンは同国人であり, 同 じ時期に40年間もローマで暮らしていたけれども, ふたり )ダル の交遊関係を立証する資料は少ない. この問題について, キ トソンは次のように指摘する‐39 2 ) で, 彼らが 「親密な友人たち」 であ っ たと断言 し ジャ ンヴィ エーユが 『クロー ドの生涯』 ( 176 ている が, これは誇張した表現であり, プサ ンの主要な伝記作者 ベルローリ とフ ェリ ビアンの 『プ )またザン ドラルトとバルディ ヌ ッチも 『クロー ドの サ ン論』 にはクロー ドに対する言及はない.40 7世紀の文書においてふたりの名前が一緒にあらわれる 生涯』 において プサンに言及していない‐ 1 と き, 「ザ ン ドラ ル ト, ク ロ ー ド, プ サ ン, デ ュ ケ ノ ワ, ピ エ ト ロ ・ ダ ・ コ ル トー ナ な ど が ル ド ビ )というようにほと 41 シ ・ コ レク シ ョ ン の テ ィ ツ ィ ア ー ノ の 《バ ッ カス祭》 を研究しに出掛けた.」. んど常に一団の芸術家のひとりとして記述さ れている. 同じように, 多様な芸術家の作品を蒐集し ている17世紀のコ レクショ ンの目録にはクロー ドとプサンが一緒にあらわれる が, 枢機卿マ ッ シー ミとパ ッ サールを例外として, 特定の作家を対象とするケースでは どちらかひとりに偏っ ている‐ 例 え ば, プ サ ンの 大 パ トロ ン た ち, カ シ ア ー ノ ・ ダ ル ・ ポ ッ ツ ポ. ポ ワ ンテ ル, シ ャ ンテ ル ー は ク. ロ ー ドにはなんの関心も持たなかっ た し, 枢機卿 ジオリ, ドン・カミリオ・ パ ンフイ ーリ, ペ ロ シェール・カル デルロな どのクロー ドの主要な パ トロンたちは プサ ンを無視 した.こう した指摘は, ・ 当時の蒐集家が両者をいかに異質の作家ととらえていたかを示している. 174.
(14) . 理想的風景画 確かに, 「理想的風景画」 の完成者といわれながら, クロー ドとプサンは本質的に 異な っ たタイ プの芸術家である. プサ ンは風景画の専門家ではなかっ た. ふたりのスタイルは異なっ た伝統に由 来している. クロー ドのはローマで確 立されたネーデルラ ン ド (エルスハイ マ ー, ブリル, ブリル の弟子タ ッ シー) の伝統をもとにしており, プサンはヴェネツィ ア派 とカルラ ッ チ派に根ざしてい る. 彼らの自然に対する態度も風景画の概念も異なっ ている‐ それぞれが明確に異質の芸術的個性 の持ち主であっ た. 広大な眺望に小さな人物像を配置しているク ロー ドの初期の風景画では, 遠くのものがク ロー ズ ・アッ プされた形で描かれている‐ 一貫性をもっ た唯一の空間に, 望遠鏡を通してみたような精妙 な情景や物体と大きさ だけを縮小されただけのものが合体されている‐ 前景に葉の茂 った大木や大 きな建物を置き, それに樹木や小さな人物を並置する. これらが基準となり, 奥行に退行してゆく 空間が把握し易くなる‐ こう した彼の風景は常に, 画面を包む類稀な光の効果のために, 一日の特 定の時間を感じさせる‐ それ故に, 時間のない存在または永遠の状態をあらわすという意味では, 彼の絵は普遍的ではない. そういう意味では, アンニバーレもプサンも時を放棄 してはいないとい える. 1 650年代以降の プサ ンの 「理想的風景画」 にしても, 自然を人間の活動にふさわしい舞台に 変え, そこに普遍的で, 包括的世界や環境を表現したといっ ても, 劇で上演される行為が時の経過 を示すもの であるのと少しも変わらない. 彼の場合, それぞれの平行する層において異なる性格を もっ ているので,観者はゆっくり した動きから,瞬間的なものまでの加速を知覚することができる‐ プサ ンは少し離れた距離を基本に, あらゆる規模で人間のあらゆる姿を風景画で表現しており, そ こには文明の進展の諸段階やさま ざまの形の行為が一枚の絵のうちに集められている. クロー ドに おいて, 日常のリ ズムが人 間の地平を越えた自然の偉大な機構にまで高められている‐ アンニバー レとプサンはともに左からの演劇的光を採用 した. それはハイライ トとして使われ, 形態を肉づ け し, 決して浸透することはない‐ クロー ドは自然の光に主要な役割を演じさせる‐ 彼の光は水面の 反射のようにきらきら輝き, きらめく小さな人物のまわりを流れ, あるいはまた, 陰においては人 物を包む暗がりとなる‐ 樹葉の表現はプサンと同じように明瞭に描かれているが, 光によっ てぼや け, 和らげられる. かすみが画面を覆っ ているかのように光が拡散され, 樹葉の端では光が透過す る‐ プサ ンは形態と人間の行為に重点を置き, ほとん ど大気の感覚を与えない‐ 光と形態は一体化 し, 同一の物質の異なったあり方, 光の増減によっ て示される変化状 態でもあるかのように大気と 〕 形態は連続的なものとなる‐42 ペトラルカが経験 したような山からの眺望における自然の壮 大さと人間の緩小さを, クロー ドも 感じていた‐ しかし, この緩小さも宮殿, 神殿, 港, 船のような人工物の壮麗さによっ て消し去ら れる. 自然は舷しいほどの輝きを示す‐ アンニバ ーレとプサンにとっ て, 自然は 「イ デア」 の影響 を受けた概念に先行された, 前もっ て考え られ, 決定された自然世界 であり, 現実のあらゆる具体 性をもっ て描写され, 白日の光のもとで顕にされた明確な形態によっ て構成された理想的自然であ る. プラ ントは16 37年のステルラ宛ての手紙を根拠に, プサ ンが絵画を描かれている身振りや行為 )しかし シャ ンプレーへの から 「読みとられる」 べきもの であると考えていたと主張している.44 , )と絵画を定義している 手紙では 「太陽のもとでみることのできるすべ てのものの模倣である」45 ‐ プサ ンの 「理想的風景画」 はア レゴリカルな表現を秘めているとはいえ, きわめて視覚的である‐ その光景では, 膜想や平穏な気分が全体に染みわたり, 人間の姿は積極的に行動するというより, 受動的に静止 している.風景の極端なまでの明 断性は,恰もその絵が物質世界を示す ばかり でなく, 超感覚的なヴィ ジョ ン, プラ トニズムの本質である理想世界の精神的理解の具体的啓示であるかの ようである.他方,クロー ドの作品におい ては, 自然は生を高める パラ ドックスにつくり変えられ, 175.
(15) . 古 川 俊 英. 自然の壮大さに直面する人間の恐ればかりでなく, 自然を自分の王国とし, 支配者として君臨する 人間の姿を明らかにした. こうした現実の自然と高められた様式の結合は, 人間の文化からではな く, 自然の物質的存在から発する感情を観者に感知せ しめる. 「理想的風景」 は 「象徴の風景画」 と深く関係 している‐ 両者がともに地上の楽園の夢に鼓吹され, 人間と自然の協和をつくりだすこ )クロー ドとプサ ンの後 サルヴァ トール とを追求したからである.」 とクラークは述べている‐46 , ・ロザをはじめとする多くの風景画家がこう した世界の表現に惹かれていっ た. 「ルネサンス以後 多くの人 びとが黄金時代または田園生活の完壁性を真面目に信じていたとは思わない. しかし, こ ▼1850年にマ ル れらは想像の圏内で, 美術や詩を生みだすに充分な具体性を保持し続けたのである. クスとダーウィ ンがこれらを単なる戯言にしてしま っ た. そして理想的な過去の絶滅とともに理想 )この結果 神が自然につ ねな らぬ完全性を与えているという感情 的風景画の概念も消滅した.」47 , ははるかな過去のものと化 し, 芸術創造の原動力とは無縁のものになうてしま っ たのである.. 註 i burgim Bre i 1) Joseph Gram m, Dieideale Landschaft ehung und Entwi cklung, Fre sgau, st ‐ lhre Ent 1912 ‐ 2) Gramm,i bid ‐ ., p ‐15 l 3) Kurt Gerstenberg, Die ideale Landschaftsmalerei:lhre Begrundung und Vol endung in Rome , Ha l l 1 9 2 3 e . ,. 4) Kenneth C1ark, Landscapeinto Art . , London,1949 5) C1ark , pp . ,ibid ,1956 ‐, Penguin Books ‐67-82 i in:se in Werk undse in Kuns t ter Fr 6) Wal edlaender colas Pouss ch,1914 ,p . , Muni , Ni ‐95 Y i d l d N i l P i A N A h N k 1 9 6 4 7 8 ter Fr 7) Wal e aen er ew pproac , ew or , ,p. . , coas oussn ,. ‘ in’Journalofthe llandscapesinthe workof Ni 8) Anthony B1unt colas Pouss candtheldea , The Heroi warburgand Cour i l tauldlns t tut es ‐ ,pp , vo .7,1944 ‐154‐68. las Pouss in, Text 9) Anthony B1unt co . , London ,1967 , Ni ,p.295 ings i 0 ) MarceIRるthl 1 sberger ‐ ,pp , C1aude Lorrain:ThePaint , New York ,1979 .18‐20 ◆ bal i in and C1aude ) Margaretha Rossholm Lager16f 1 1 e Carracc colas Pouss , ldealLandscape: Anni , Ni Lorra in ‐ , New Havenand London,1990 ,p.21 i 1 7 12) C1ark t , op . c ‐,p . . ing in Bazatov 3 ) Konstant 1 . , London,1981 ,p.20 , Landscape P紙nt ldgat tungen, The Hague 1 4 ) Max J‐Friedlander, BSsaysuber die Landschafsmalereiund andere Bi , ,1947 pp ‐ .58-59. ing’ i i 1opment oflandscape paint t ) Ernst 日. Gombrich, ‘Renaissance art 1 5 c theory and the deve s , Gaze t tedesbeaux‐ar t s ‐ ,1953 ,pp ‐335【37 i 16) Gombri t ch, op . -,pp .338一40 .c ’ l i l l i f t ) Diary, May 5,1521,Cf 17 cher Nachlass e , 1893 ‐ , Ha ,p.160 , Darersschr ‐ Lange-Fuse i i 18 ) Gombr t ch, op ‐ .c ‐p ‐339. 98 9 0一7 5 ) ペトラルカ著, 近藤恒一編訳, ルネサンス書簡集, 岩波文庫, 1 19 , pp ‐ ‐7 F l J i i R A h i i 1 8 5 D t 4 t t ta A1ber t t 20 ) Leon Bat - r n s ame s Leoni e e c e c r a r e n z e a s r u , , The BooksofArchi , , , . t ture ec ‐ , London,1965 ,p‐192 i inius ia Natural i 21 ) P1 c副 Li - stor s ranl ‐ H- Rackham (The Loed C1ass , Hi , XXXV, pp .116一17 ,ed andt idge brary), Londonand Cambr s . ,1ovol ,1938 ,p.347 22) Gombr i h 3 4 6 一4 7 i t c , op ‐ ‐ . c . pp form ofl l ian Paint ing around1590 ld posner ba l i 23) Dona ta e Carracc nthe Re ,London , , Anni . A Studyi. 176.
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