プルーストとベケット : プルーストの"Posterite"
としてのベケット
著者
井上 奈緒美
雑誌名
年報・フランス研究
号
33
ページ
15-27
発行年
1999-12-25
URL
http://hdl.handle.net/10236/9405
プルース トとベケット
プルース トの “POSt6五t6"としてのベケ ッ ト゛ 井上奈緒美 は じめ│こ サ ミユエル・ベケ ッ ト(1906-1989)の 批評『プルース ト゛』(1931)の存在がな ければ、両者の関係は今ほ ど問題に されることはなかったであろ う.ジ
エイム ズ 。ノールソンの伝記を読めば、この 批評書の構想が一夏で成ったものではな く、周到 な準 備の もとに書かれよ うと していたこ とがわか る。ベケ ッ トは 、 「プルース トJ執
筆にかか る前 々年の 19器年に、英語の講師 と してパ リ高等 師 範学校に派遣 されてお り、ギユスター ヴ・ランソンの後を継いだ高等師範学 校 のプグレ教授に、学位論文 としてプル ース トとジ ヨイスの作品を主題に したい と述べているのである。 しか し、フランスでは物故 して評価が落 ち着いた作家 を主題 に選ぶ ことが普通であ り、プグレ教授は 、生きているジ ヨイス (1882-1941)は言 うに及ばず 、せいぜい亡 くなって昨 しか経 っていないプルース ト (1871-1922)を学位論文の主題に選ぶ ことを思い とどまらせたようである°。こ の時すでにベ ケ ッ トは、ジ ヨイスの依頼によ り、「進行中の作品 」と称され て いた『フィネガンズ・ウエイタ』について「ダンテ.…プルーノ.ヴィーコ。.ジヨ イス」 (1929)を執筆 していた。そ してジ ヨイス論の翌年の 1930年夏にベケ ッ トは『プルース ト』(1931)を脱稿するのである。また、1934年には初のプル ー ス トの生成研究の書評働を引き受けてもいる。この経緯からも明 らかなように、 ベケッ トは、検討すべ き文学 としてジ ヨイスとともにブルース トを考えていた のであ り、ベケ ッ トにおける文学的遺産は、ジ ヨイスと共にブルース ト作品がプルース トとベ ケ ッ ト 重要な場を占めることになる。
1
ベケ ッ トの同一性批判 ベケ ッ トは 「失われた時 』が彼自身愛読 していたロマン派の哲学者シ ョーペ ンハウアーの 絶大な影響下 に書かれた と読んでいる。アンヌ・ア ンリはこれ に シェリングを加えてい る°。シェリン グとシ ョーペンハウアーは、主 ゛客両方 の同一性をなす第三の絶対者を最初の出発点 としている点、世界のあらゆる事 物をその絶対者の客体 と見 、すべてに類似性を見出 し、同一性を論 じてい く点 において酷似 している。 しか しシェリングは、フィヒテの自我哲学を批判的に 受け継 ぎ、自我内部の 自己意識の確立の過程に、先験的な過去であ り、無意 識 的な能産的自然による関与 を組み込んでいる点で、自我 と自然 とのパラレル な 関係が強調 される。主・客の同一性は 、意識的な自我 と無意識的な自然の合 一 によって成就 されるのであ る。シェリングは、絶対者が自我 と非我 (自然)に
分岐し、再び同一性を回復するロマン派的精神のオデュッセーに芸術創造の プ ロセスを見る典型的な思想家であろう。だが、シェリングは自我 と非我 との合 一を 説 いた だ け で はな く、 ヘ ー グ ル など とは異 な りそ の 哲学の 根底に “linqui6tude"「 不安」を持つ ゛。フロイ トやユングを含む力道的精神医学を 育んだ文化的背景 として、シェリングを初めロマン派の大きな影響が語 られ る のも°、無意識や夢、自我 と非我 (自然)、 あるいは自己 と他者の関係 が本質 的な問題 として考察 されたか らに他な らない。シェリングの哲学 に、さんざ し やユデ ィメニルの樹木など自然の事物 が深 く関係 している『失われた時Jの
無 意志的記憶の雛形を見ることは容易であるが、重要なことはむ しろ、なぜプルー ス トが自我 と非我 との合一を説 く哲学を必要 としたか とい う問いであろう。 このプルー ス トの無意志 的記憶に対するベケッ トの反応は両義的である。無 意志的記憶が主題 となる「失われた時 』の「心情の問歌」では、過去に とった 同じ身体的動作を契機に、亡 くなった祖母の顔がまざまざと浮かび、主人公に 初めて祖母の死を実感させる。ベケ ットはこの場面はよく書けていると述べている。 しかし、『失われた時』の大団円における啓示の場面につ いてはあま り にも予定調和的な同一化を批判する。この共感 と批判が相半ば している傾向は、 『プルース ト』執筆の 2年後に書かれた初の長編小説『並には勝る女たちの夢』 傾後 出版1992)にもっともよく現れている。プルース トに とっての植物的イメー ジの重要性は『プルース ト
Jで
も強調 されているが、今日プルース トの換称 (祖tonomase.固有名詞の代わりに普通名詞を用いること。またその逆も言う)と
も いえるさん ざし゛を、ベケ ッ トはこの小 説の第一ペ ージ、自転 車に乗った主人 公がスピー ドをあげて走る道沿いの垣根に登場 させている。プル ース トの主 人 公はさん ざしの垣根沿いを徒歩で通る。ブルース トとは違 う時代の小説を書 こ うとするベケ ッ トの息づかいが感 じられる冒頭である。また、この小説は精神 的愛と肉体の愛が自己の うちで うまく融合 しない主人公の物語で もあるが、 こ の自我 と自然の不一致は、主人公 と、緑の目を持ち草木に喩えられる恋人、ス メラルディーナ=リ ーマとの交接の不快 として描かれる。無意志 的記憶の想起 の場面でも、プルース トの「至福Jに
対して、ベケ ットは「不快」を表明する。 「モロイJの
次の場面においてはプル ース トの無意志的記憶に対 する共感 と批 判が共存 している。 白いさんざしがおれのほ うへ垂れかかつていたが、残念なが らお れはさんざしの匂いが嫌いだ。溝の中には草がびっしりと深 く茂っ ていたので、帽子をぬいで、葉の茂った長い茎を顔のまわ りに引 き寄せた。すると大地の匂いが した.大
地の匂いが草の中にあっ たんだ。その草を両手で顔の上に編み重ねたのでも何も見えなく なった。少 しは草も食べてみた。ふ と記憶によみがえったのは、 さっきの自分の名前と同 じくらいわけのわか らない思い出 し方だ がぅいま暮れようとしているその 日の朝、おれはおふ くろに会い に出かけたのだ ということだ〔0。プルース トとベケッ ト この場面で「 さんざし」をプルース トの無意志的記憶の換称 と解することは唐 突ではないだ ろう。これは プルース ト(さん ざし
)と
は異なる方法、つまり、 固有の名前を持たない草によって記憶を問題にすると述べているように見える。 ブルース トの 主人公が死んだ祖母の思 い出に涙に くれるの とは異 な り、モロイ の母親 も死んでいる らしいのだが、上述の さんざしが問題 になる場面では,自 分は生きてい るのだ と思つている母の所へ行 くのだ と淡 々とした調子で語 られ るだけで、自己を記憶に全面的にゆだねることはない。ベケ ッ トはプルース ト カ描 いた肉親 との関係の問題の根を意識的に露呈させる方向へ と向かい、他者 の存在をどの ように受けとめるか とい う問題 として一層深化 させ ていく。そ し て、この他者 との関係が、植物 ―自然を媒介に していることは、プルース トを 継承、批判 しているというに とどまらない問題を準んでいる。 ベケットの初期作品には「青い花」という言葉が時折現れ(‖)、 後には直観批 判も行われるようになる。『メルシエ とカミエJ(1946年
執筆、1970年刊行)の主 人公たちの名 (Mercier,Camたoは
アナグラムになってお り、ロマン派の主題の 一つであ る分身 (0をテーマに してい る。第7章 では二″人の話 した事柄 が要約 さ れてお り、その6番 目に「直観は多 くの気違い沙汰 を行わ せる(D。 」 とあ る。 言うまで もな く、「青 い花」は、ロマン派の 詩人ノヴァー リス (1772-1801)の 「ハイン リヒ・フォン・オフターデイング ンJ(1802)の
換称であ り、直 観u→ とは、自我 と非我を統合するロマン派哲学の重要概念であろう。まさしくベケッ トは、ロマン派の枠組みを継承 しなが ら、同時にその ロマン派批判を行つてい るのである。マーガレッ ト・マインはプルース トにおけるノヴァー リスの影響 の 主 要 な もの と して 、 真 の 現 実 は 自己 の う ち に 見 出 され る と い う “Vednnerlichung"「 内面化Jの
要素 を提示 し、プルー ス トにおいては 、芸術 の媒介によって他者へ と開かれる精神の風景がこの内面化を示す ものだ として いる 。動。190昨のフランスでの「ハインリッヒ 。フォン・オフターディングン』 の刊行当時は 、まだノヴァーリスの哲学研究の詳細なノー トは刊行 されてお ら ず、その受容は、今日よりも一層、亡 くなった婚約者ソフィー・フォン・キユーンの死に よって啓示を受けた哲学詩人の側面が強調されている。つまり、 各部分が幾重 にも照応 し合 い、懐か しく不思議な雰囲気を醸 し出す作中の「精 神の風景」の中心には愛によって融合すべ き他者 としての死者がいるのである。 話│こ聞いた青い花に促され旅をする主人公は、美 しい少女 と出会い愛 し合 うが、 少女の死によ り再び旅の途 につ く。この主`人公を導 く青い花に、 ミユーズ と し てのソフイーの面影が濃厚に立ちこめている。植物 ― 自然に化 した死者は、 「失われた時
Jの
中でも、マ ドレーヌ体験の前に置かれたケル ト人の信仰を語 る件やユディメニルの樹木に顕著に見 られる(l° 。ブルース トは、ベケ ッ トがそ の批評で指摘 したように、ロマン派的傾向を多分に持つていた。 ベケッ トが『メルシエ とカミエ』で本格的に直観批判を行 うの が、戦争直後 の1946年 とい う年であ ることは注意 を引 く。プルース トの ノヴ ァー リス受容の 頃と同様、ベ ケ ッ トのそれ も、大戦間近のナシ ョナ リズムが高揚 した時期に あ たる(1つ 。ナシ ョナ リズムとロマン主義の機運が期を一にすることは周知の事実 であろう。ベケ ッ トの直観 ―同一性批判は、プルース ト作品の継承 ―批判 と同 様、耽溺 したか らこその批判であるが、ナシ ョナリズム と結びつ いたロマン主 義批判の側面 を抜 きに しては語れない。ブルース トが『失われた時』で、 ドレ フュス事件を話題に しなが ら、一見作者の態度を留保 しているかのように描 い ているの とは別の形で、ベ ケ ッ トは「事件」を話題にすることな く、それに関 わる事象を換称などで示 し、また批判する対象その ものを枠組みに用いるといつ たレ トリッタを大いに行使 しながら批判することによ り「事件Jの
核心を問題 にするである。2
新 しい空間の誕生 ……声 ―同一性の硬直を破るもの そもそもベ ケ ッ トは同一性その もの を最初から問題に していた。「危険なのは、あれ これの同一性を整然 と腑分けすることだ。
The danger is in the
neatness of idendications。 」「ダンテ・・・プルーノ 0ヴ ィーコ・・ジ ョイ ス」(1929)の冒頭である(1粉
プルー ス トとベ ケ ッ ト 文化的発展段階に言語的発展をびった り対応 させることは硬直 した相互排除 性 を招 くと批判するが、プルーノの反対命題の一致には肯定的であ る。それは最 大と最小を一 なるもの と見 ることであ り、そこには最大の崩壊 と最小の発生の ■致に見 られ るような生成消滅、運動 が肇まれる。ベケ ッ トの登 場入1勿や事物 も同一性を与 えられるや、それが否定 されることで同一性がず らされ、新たな 相を生む。この反対命題の 一致が徹底 され、驚嘆すべ き展開を見せるのは『モ ロイ』以降、作品が生み出 される度に、肉体の崩壊の克進過程 と平行 して精神 内部が拡大 してゆき、声の数多性が生 まれる過程である。「名づ けえぬ もの 』 (1953)では、複数の声の乱反射が 「私」とい う強固な一人称を崩壊 させる。 ベケッ トは この反対命題の一致を基盤に、プルース トを凌 ぐ文学を築こうと したかに見える。「夢』の中の「僕は本を書 くぞ」て始まる一節にそのマニフエ ス トが記されている。 僕の読者の経験は、語句 と語句の間に、つ ま り叙述の項ではな く叙述の問隙によって伝達 される沈黙のなかに生 じることにな るだろう。それは共存できない花 々の間、単語の対立的な (略) 季節の間に生 じる。 (略
)も
っとましな人間がめ まいの ときの 蝶をびかびか さらめかせたのよりももっと完璧に沈黙を叙述す るぞ(:9。 「めまいの ときの蝶」の 場面 とは、『失われた時』で作家ベル ゴッ トがフエ ルメールの絵 を前に して死ぬ有名な場面であろう。「デルフ トのUL望 」の黄色 し可ヽさな壁面 が永遠の芸術作品の象徴 として作家の前に現れる。昏倒直前、彼 は子供が黄色 い蝶をつかまえようとす る時の ように黄色い壁面を凝視 し、「 こ んな風に書 くべ きだつた四」と言 う。ベケ ッ トが提えているのは無意志 的記憶 と対になってブルース ト芸術の根幹を成 している方法論、隠喩である。異な る 二つの ものの間に思いがけない類似を見出す隠喩を用い、ここでは子供が蝶をつかまえようとする姿に芸術家が永遠の作品を追い求める姿を重ねているの で ある。ベルゴ ッ トの姿には死に直面 していたプルース ト自身の姿 も重ね られ て いたことであ ろう
.ベ
ケ ッ トは『夢』の別の箇所で、プルース トを暗示するマ ルセル ・P(P・
マルセル と解すことも可能 である)と
思 われる人物の文体 を 「言葉の宙返 りloopings verbaux°l}」 と批判するが、この 《loopings》 とい う語 自体 、プルー ス トが生 きていた当時は新語であ り、プルース トはこれ を ジョッ トーの絵の中の「天使たち」と、ギャロスの生徒たち (バイロッ ト)す
なわち飛行機の宙返 りを比喩で結ぶ語 として用いている(2)。 異なる二つの もの を重ね合わせ、同一化する ことに文体の力を見たプルース トに、ベケ ッ トは絶 対的自己同一性を与えず言葉を対立 させ、炸裂する言語空間の沈黙によつて挑 むのだ。指示 されはするが完全な沈黙 を守るこの空間を、ベケッ トは後に声の 数多性の領野で展開 し精緻化 してゆ く。 1943年、ルイ・マル タン=シ
ョフ ィエは『失われた時』の語 り手、主人公 、 作者、生 身の プル ース トの四人を区別 し、特に語 り手に焦点をあて、複数の 「私」の構造分析を試みる1231。 べヶ ットにおける声の数多性が極まるのも、す でに見たように40年代後半に書かれた小説三部作においてである。1959年には 鈴木道彦が「無名の一人称 」を発表 し、現在まで世界的に広 く認め られるこ と になる語 り手 「私」の無名性を確立す る。決定稿で三度現れるマルセルとい う 語り手の名が、プルース トが死なずに修正の手を加えればいずれ は消える運命 にあったことを草稿を綿密に調査 した上で導 き出 し、プルース トの読書論と作 品原理を考察 しなが ら、無名の「私」の創造は、多 くの「私」につながるもの であ り、多 くの他者 ―読者が、作品 と出会い、そこに自己 を読み取るためには 必要不可欠なものであ ったと論 じている国。複数の 「私」を読み とる見方は、 この後1965年 のマルセル ・ミュレール 、そ して、72年のジエラール・ジュネ ッ トも同様である0。 『失われた時』は熟慮の末、語 り手=主
人 公の一人称が選 択され、この 一元化によ り諸審級を横断 し、他者の「声」をも吸 収する多 くの 「声」が獲得されたのである.プルース トとベケッ ト 『失われた時』はこの複数の声をもつ「私」が闇の中で眠れず に軽転する と ころから始まる。似たような設定をもつベ ケ ッ トの「伴侶』(1980)は「ある声 力潤 の中にいるだれかに届 く。想像せよ{“)。 」とい う一節で始まる。許 される 人称は二人称 と三人称で、 「おまえ」の使用によ り「私
Jの
存在 を予感 させ は するが、「私」 とい う一人称は与えられない°η。冒頭部分で「彼」に も「おま え」にも一人称の役割はで きない とい う命題が立て られ、「彼」や「おまえ」 と呼ばれている者、さらには語 り手をも含めた複数の存在が循環 し名指 されは するが、それ はまるで「私 」の頭1甚の 中ででもあるかのように名づけられる こ とのない「私 」を指示 しよ うとする。 しか し、いかなる声 も「私Jに
同一化す ることはな く「私」は忌避 されるのである。 ベケットは 入称において も安易な同一化を拒否 し、命名され得ぬ「私」を描 くことによつて他者 と「私Jの
関係を照射 しているといえよう。 『名づけえぬ ものJで
行わ れた「私」とい う一 人称の崩壊、そ して「伴侶Jで
描かれる指示 されるだけの 「私」の存在 は、自我の存在基盤の もろさを示すだけではな く、 他者か ら要請 される自己同一性への拒否を示す もの ともなっている。3
換称 一―「ダンテ.¨ブルーノ◆ヴイーコ.。ジ ヨイス」における政治 多層の同一fヒを行 うプルース トと、 まさにその点を空無に置いたベケッ ト。 この態度の違いの根底に、フランス とい う生国で反ユ ダヤ主義が吹 き荒れた時 代に半ユダヤ 人の生を送つたプルース トと、フランスか ら逃れて きたユグノー の家系をもち問 、祖国アイルラン ドを脱 し再び流浪の道を選んだアングロ 0ア イ リッシユとしてのベケ ッ トの生の違いを見ることはけつして無駄なことでは ないだろう。 プルース トが行 う同一化の試みは、相互排除的な思 想か らはもっ とも遠いところにある。そ もそもユ ダヤ人に とつて相互排除的な雰囲気はその 土地での生活 を困難にさせ るだけであ ろう。プルース トは一貫 して ドレフェス 主義者であつたが、ユダヤ 人についての描写は草稿から決定稿に進むほ ど曖味 なもの となってい く。それは、フランスのユダヤ人の同化の状況、また明白な無実の証拠があ りなが ら ドレフュス事 件が、シヤルル・ベギーが書いたように 「l■昧な敗北 」を喫 して しまう状況 とけっして無関係ではあ り得 ない。戦時 下 の抵抗文学が レ トリックを必要 とした ように、 ドレフェス事件を扱 う文学に も それが必要であった。『失われた時
Jで
は、ユダヤ人スワンが、 ドレフュス派 であることを明 らかに したことによつて貴族街フォブール・サンージエルマンを 追われる。それがプルース トに とっての、そ しておそ らくプルー ス トが生 きた 時代に とっての 「現実」だったのである。 ベケ ッ トがプルース トか ら学んだ最良の ものの一つはこのプルース トの陰影 に富んだレ トリッタであったかもしれ ない。アイル ラン ドではアイリッシュ と 蘭配層を形成す るアングロ・アイ リッシユとの民族的対立を下致 きに、カ トリッ タとプロテス タン トの激 しい抗争が繰 り返 されてきた。対立が うむ硬直 した検 閲制度によって、ベケ ッ トの小説 も『蹴 り損の刺 もうけJが
1934年に、『ワ ッ トJが
54年に、そ して『モロイ』が56年 にアイルラン ドで発禁 になっている。 ベケッ トは、すでに「ダンテ.¨ブルーノ.ヴ
イーコ..ジヨイス」の最後に置いた ジョイス とダ ンテを比較す る箇所で、両者が教会から受けた「非難の嵐Jに
つ いて述べてい る。ベケ ッ トは、ダンテが受けた焚書を語 りながら、当時のア イ ルラン ドの検闘制度を批判しているのである。それは次の一文に明瞭であろう。 「彼 [ダンテ]の
『俗語論Jを
読む と、完全に彼が市民的不寛容 か らまぬがれ ていることにわれわ れは心を打たれる。彼は世界におけ るポー トダウン (北ア イルラン ドの地方都市)人
を攻撃するのだ(291.」 初期作品にはすべてがあ る、批評の 座右の銘 ともい うべ きこの 言葉を証明 す るように、多 くの研究者が「ダンテ...プルー ノヴィーコ.。ジ ヨイス」に触れて、 「形式は内容であ り、内容は形式である颯り」とい うベケ ッ トの言葉を引用 して いる。では、 このジ ョイスについての 論考の形式 と内容 とはいつたい何であ ろ うか。ベケ ッ トはヴイーコの詩学 を論 じる箇所で“the Type―names"について かな りのページを割いている。ベケ ッ トによれば、``the Type―names"とは、 た とえばギリシアの英雄アキレスにちなんで一般的な英雄を命名するごとく、プルース トとベケッ ト 典型の名によって大勢の個人の呼称を決定す る言語の形式である。これはす で に、さんざしや青い花に関 して論 して きた換称 と同一の文彩であ る。ベケ ッ ト は、「フィネガンズ・ウエイク
Jに
登場するプルーノにちなむ典型名まで教え てくれてい る。では、 タイ トルの「ダンテ.¨Iカレーノ.ヴィーコ..ジョイス」の この4人
の名 は何を意味 しているのだ ろうか。各人名間の点の数 は、各人物 を 隔てるおよその世紀数だ とい う。4人
の うち、ヴイーコを除いて 、ダンテ、プ ルーノ、ジ ョイスの3人にすると、共通点は故郷を追われた追放者である。ベ ケッ トは、ヴ ィーコが密かにブルー ノを応用 し、そ してジ ョイスがヴィーコ を 援用して『フ ィネガンズ・ウエイクJを
書いていることを示 した上で、最後 に ダンテ とジ ヨイスの状況の共通点を探るとい う構成を組んだ。ヴィーコはプルー ノとジ ョイス をつな ぐ媒介項であ り、 ダンテ とジ ヨイスの比較は 、そこで問題 になっているのが「悪循環 」であるだけに国外追放者の円環的進化を描 き出 し ているとも言 える。典型名 を初め、数字の 4と 3の重要性、円環 的進化、そ し て権力当局に よる迫害はいずれ も、ベ ケ ッ トがこの論考の中で論 じているもの なのである。この論考の最後は、“And the pa■ially purgato五al agent?The
pattially pllrged°:)"「そ して、半端に煉獄的な作動者は
?
半端に (不公平 に)粛
正 される (浄化 される)者
」という問い と答えで終わっている。これは、 煤獄“purgatory"に対するダンテ とジ ヨイスの比較を述べ た最後に くる言葉で あり、ベケ ッ トが自問 した問い と答えでもあったであろう。なぜ な ら、ベケ ッ トはこの後、実際にアイル ラン ドを離れ、煉獄状態、あるいはそれ と等価の 中 間性(2)を作品創造の基本的原理 としてい くか らであ る。ベケ ッ トの同一性 批判 の根には、 どちらかの陣営 に与することを強いられるアイルラン ドの政治状 況 への批判があ ったことは疑 えない。しかし、それは語 られずに問題にされるの である。 ブルース トは「読書につ いて」と題 した批評の中で「作者の叡智が終わる と ころか ら私たちの叡智 が始まる(・)」 と書いた。ブルース トの「後裔」ペケッ ト の文学的実践はこの ことをもっともよく証立てているといえよう。注
(1)本
稿は高橋 康也監修『ペケ ッ ト大全J、 自水社 (19")所収 「ブル ー ス トJの
項 執筆のために同書編集委員会に提出 した三種 類の原稿をもとに書 き改めた ものである。 本稿の論旨は1997年10月に編集委員の方 々に読んでいただいた もの と変わ っていないが、 ノヴァー リス、典型名、検間の問題な どに関 しては今回新たに書 き加えた。目を通 して 下 さつた編集委員の諸先生方にお礼申 し上げる。 (2)lCJ"年ll月 20日のアン トワース・コンパニ ヨンの講演では、セ リー ス、サル トル、 ベ ケ ッ トがアンチ 0ブ ルース トの “postё‖t`"として位置づけ られていた。な お、 この講 演は、パ リの新国立図書館で、プ レヤー ド版 の編者ジャン=イ ヴ ・タデ イエ監修の 下に 開催 された“Marcel Proust,1で c五ture ctles〔Hs"と題 された展覧会の一環であ った。(3) SalmucI Bcckett,Pra鳳9′,London,Chatto and Windus,coH.《The Dolphin Books》 , 1931:tlado ct 6d.Edith Founlicr,PaHs,Lcs ttditions deい Иinuit"1990.
(4) James Knowison,3ご (1たθ′
r,劇
.0」 stelle Bonis,Actes Sud,1999,p.149。(5)Albert Feuillerat,CθttPPI`几′ル「αrr`I Prθ “∫
′a rorIPθ∫び∫θ″rθrPr認,New Ha、Fen,
Yale l」niversity Press, 1934;Genё ve,SIatkine, 1972 ; SttucI Bcckett,《 PTollst in PieCeS》 ,SPθε′αた,r,june 1934.
(6) Anne Henり ,MarCl`JP■9zκ′「′λごθrfθ∫ρθ
“ r“燿 `gs′ んどだ9“′,Klincksick,1981. (7)Philippe GrtDsos,卸 s′ 0,P〕 `θF S“り`(1′ liV力ど「Jセ4」iι “ ご″′αf“ `srf(現 rrJJ wsだ′‖θ. Flic乃′ `,〃`g`ム Sf・λ `Jrling,bs,VHn,1噺.
(8)今
泉文 子、「無意識 の発見J、 『 鏡の 中の ロマ ン主義』、勁 草書房 、 1989年. 「無意識の発見Jの章は 、ロマン主義 と力道的精神医学の関わ りについて割かれている。 (9)JaCques BK)SSe,Lθs α′うrι∫ `1をFrattει,P10n,1987:Chl‐isuan de Baltillat,1990,
P。23.
(10)サ ミュエ ル 。ベ ケ ット、 『モ ロイ』 、安藤元雄 訳 。 『筑摩 世界文学体 系82』 、
1982,P.18;MOIJθ ッ,Paris,Les ttditions dc Minuit,1951,p.41-42.
26 プルース トとベ ケ ッ ト
た諸先生方にお礼申 し上げる。なお、翻訳文献の後に原典 を示 した。
(11) Samuel Beckett,“ Assumplon",7■ピCo″り7JθFg sF2θr′ρ資)sc)ノ929-ノ989,ёd.S.E.
Gonttski,New York,1995,p.6:Dr`α ″cF力fr rθ「P3f″rFttg wθPP2′n,ed.bin 01B●en
and Edith Foumier,Dublin,The Black Cat Press,19近,p.214他。
(12)同掲書、高橋康也監修『ベケ ット大全J、 「ロマン主義」「他者/分身Jを参照.
(13)Samuel Bcckett,″θrciθr`′Gα″:fθr,Pans,Les ttditiOns de Minuit,lSワ0,p.117.
(14)たとえば、シェリングの 『先験的観念諮の体系J(18∞)では、自然哲学の完成は、
直観 と思性の法則 を用い、あ らゆる自然法則 を完全に精神化す る ことにあると述べ られ ている。 F.W.Jo ScheHing,二
`systtrPI`浅州Tadarぉ「PI″rt7rLsc`″ dh′trar,trad.et ёdo Christian
Dubois,buvain,自ilons Pceにs,p.8,さ らに第三章を参照の こと.
(15) Margaret Mein,“Novalis a precusor ol‐ Proust'',C(〕,鴫ραrarfッピLlirピ″:′
“ ″,n°lB,
1971,p.219‐221.
(16)樹木 と死者 との関係は、拙論、Autour du m()t≪tlunsvcttbratk)n》
dans A″
″ε力`κAcD″ ″″I「Jsノ“歳:entre la mystiquc et le ralollnel de la langue,関 西学院大学
修士論文、
199Cで
も主要テーマ として取 り上げている.フェー ドルを演 じるラ・ベル マがサンゴと化す場面な どで も樹木 と死者 との関係が読み取れ るであろう。 (17)ベケ ッ トの ノヴ ァー リスとの関わ りは、『 トランジシ ョンJ誌
を抜 きに しては考 えられない。この雑誌は、彼が作品を寄せ、 また、その批評を書 くことになるジ ョイス の 「フィネガンズ・ウエイ クJも連載 されて お り、 しば しばロマ ン派および ノヴ ァー リ スに関する論考を掲載 していた。Samuel B∝Ltt,《Assumption》,7P・αパfrJθれ,n° 16-17,june 1929;Novalis,約Pl14∫わrrl′NligたJr,7ra′:∫Jrlip“,n° 18,no、′ember l"9,
(18) 「ダンテ_プルー ノ.ヴィーコ..ジヨイス」、川口喬一訳、『詩 評論 小品 』、 自水社、
1972,p.93;《
Dmte。“Bruno.Vico..Joyce》,θ〃″ι “`g′ ガ燿αrJθ″″ι `κ ごんお メhC・夏 「 ごα′fθ“ノ brf′κα″ =f′ larlia″ `√ⅣOrたf′2 Prθgrgss,bndon,Faber and Faber,1961, p.3.
(19)F並
には勝 る女たちの夢J、 田尻芳樹訳、自水社.1995,p.16_3.:D″″ ιげヵlir“
1992,P。 137-138.
(20)MaК
el PЮust,A rrl″ εんικヵθル r′′ψ∫′`〃′っ6d.Jean‐Yves Tdi6,hds, Gallilnard,con.《 Bibliothё que de la P16iade》 ,4 vole t.III,p. 692.
(21)同掲書、p.20;p.29.
(22)(2′.ε′′.,t.IV,p.227.
(23)Louis Martin―Chaulller,《 Proust etに douЫe“Je"de quatre personnes.beloman de la cに ation dlun monde et ithistoil℃ v脳狙e dlune aventule sPiHtueHC》,C(〕′1ノrJ`θ″(1″s,
1≦ン43. (24)鈴木道彦、「無名の一人称J Fブルニス ト論考J、 筑摩書房、1%5:3ι′〃 `′ J′lル rα∫θcfご rごグ `s αl13fSご g nQrcPθJ Prθ “∫r`′ご`s″ llf∫ `J`Co711b比7y,n°9,1959.
(25)M枷
∝l Muller,こ′sソθ漱4αr燿′′ν′s漁
“∫ね Rθc力 `だんθ`ル′θ′llps′`rご“,Genavc,Droz,1965:G6rard Genette,Flig“ ″s rrr,3ditions du Scuil,coll.《
P“
tiquc》,1972.(26)Cθ,Pリフαg“lig,3ditions de Minuit,1985,p.7.
(27)人 称については次の論考を参照 した。01gaBcmJ,肋んg%θ`rffrfθ"″パ ル“腕
"
ごθ Bθεた`″,Gallimad,coH.《 Le Chemin》,1969;重
mile Benveniste,《De la suttectiVi“ dans ia languc》 ,Prabr2,燿夕ごθ′j4gιffsrli9″
`gご臓ごπ7ル,1,PaHs,Gallimard,coll.《Tel》, lS`】Э. (28)Krlowison,libd,p.35、 およびP.32を 参照の こと。 ベケ ッ ト自身は、父 と母の 宗教であ り支配層を形成す るプロテスタン トで もな く、またアイ ル ラン ドで多数派を占 め るカ トリックでもな く、母方の クエーカー教徒の末裔をもって任 じていた と言 う。
(29)同
掲書、P。92;p.18. (30) 《Dante。..Bruno.Vico..Joyce》 ,9ρ.cj′。,p.14. (31) rbゴ′.,p.22. (32)同掲書、高橋康也監修『ペケ ッ ト大全』、 「反復。中間性」を参照の こと。(33)PЮust,《Sur ia lecture》,John Ruskin,Sごs(こ Jπθごrル∫らS prёcёdё de Syr″ ルε′″。θ,
tmd。,notes et pだ1■3e par Marcel Roust,こd.Antdne Compagnon,Bnlxelles,自itions