ウンデ鼻 十七世紀の和薗陀に於ける傑出せる謡家、更に奇跡の 謹家としてのレムブラントを知ったのは、私が中學時代 納識部に於て彼に就ての大艘の概念を與へられた事に始 る。 其の後私が宗教に多くの關心を持つやうになってから も邇偶彼に就ての二三の書物を讃んで、彼が草なる小市 民的謡家でなかったことに喜びを感じた。彼は資に紳的 識家であったのである。と同時にその専門的な技術上の 偉大さを超へて、それの外貌をすら必要としない程にた ごの﹁人間﹂であったのである。此のことは脚本作家或 は認語作家としてのゲエテに就ても、﹁ソナタ﹂作家と してのベエトーヴエンに於ても言へる事である。 彼の晩年の作には殆ど一人の女の像が描かれて居る、 と言ふよりも鍵魂が描かれて居ると言ふことが出來る。 即ち彼女が此の謡家によって捉へられた瞬間に生活して レムプラントの創作に就ての瞑想
レムブラントの創作に就ての瞑想
居たであらう。総ぺての生活雰園氣I涙や傘笑ひや、 苦悩や、撒喜が雛魂に落す陰影と言ふやうなものが他の 一切のものより多く描かれて居る、と言ふ事は如何なる 人が見ても感ずることである。 此の意味で彼は、たざ一枚のポートレートでさへも充 分悲劇的な効果を與へて居ると思へるのである。 斯かるものは他の単に審美的な動機から描く如何なる 大家のそ奴にも似てゐない。此虚に於て彼が基将を描き、 それの受難の諸相を描くとき、如何なる効果を輿へるで あらうか、疑ひもなく充分なる宗教的効果を與へるので あるO × 彼と同時代の謡家であり、そして和蘭陀の美術界を代 表する、メッッも、ステインも、テルプルグも、クレス ペッヶも、其他二三の人だも、所謂美學上のテイヌの法 夕”原
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一 一則に従って居ると言ってい鴬、彼等は皆等しくその靜溌 な、r平明な、そして市民的、逸樂的な営時の國土の情趣 を帯びて居ると見られる。彼等に於ては其の作品は聖典 或は歴史より流れ出ずるところの偉大なる想念にまで高 められたことはなかった。それはまた彼等自身の生活の 外廓を通じて、その核心にまで穿ち入るところの悲哀や 絶望をも感じなかったし、叉至人類的感情をその心臓の 奥底に潜むる術をも知らず、況や其の魂の叫びを表現す ることは及びもつかないことであったに逹ひない。 此等藝術家の間に在って、レムブラントは正に奇跡の 如く顯れた。十三世紀に於けるグンテの蕊術、十六世紀 に於けるセクスピア及びミケル・アンゼロの藝術に匹敵 するものを彼の時代に對して打ち樹てたのである。・ 彼はあらゆる種族命あらゆる時代、あらゆる國土を超 えた高さに於て立って居たと私は思ふ。此の意味に於て 若し彼が五塁大和民族の租先として生れることが許され たならば彼は吾だが信奉する宗教に取材した幾多の創作 を通して、彼猫特の雛魂の世界を見出すと共に、人盈に 人間的な宗教観を與へたに逹ひない。.何故ならば歴史は その事が賦洲に行はれた事を博へ、叉行はれつ麓あるこ とを教へるからである。 レムプラントの創作に就ての瞑想 しかし乍ら十七世紀の和蘭陀は彼には隔離した存在で しかなかった。そして彼を理解もせず、援けもせが、況 や獄ぴもしなかった。 宗腿が鎌倉幕府に容れられずして、幾多の困難に遭は れたのも営時の祗會状勢からして、その教義が餘りに奇 異で且つ偉大であったからである。いや恐ろしかったの かも知れない、その結果としての四箇の大難である事は 疑ふ餘地がない。 レムブラントは十七世紀の和藺陀にとっては餘りに祁 秘的で,また偉大であったのである。彼は資にその何れ の地に生るシも良かったし、叉何れの時に生るシも其藝 術は鍵るところがなかったであらう。彼が夫の﹁夜番﹂ を描いたのも、さう言った本質的不鍵性を有して居たか ら爲し得た業なのである。 借て十七世紀以降に於ける和蘭陀美術の代表者と言へ ば前記の小市民的藝術家達就中、ミイレベルトやヴン・ デル・ヘルスト等であるが、それは狭い意味に於ける代 表であって、後に此れ等の藝術家達がその榮響ある域上 から引き下ろされて、低級な位置を以て滿足しなければ ならなくなったのは、全欧洲が先んじて、レムプラント の偉大さを認識しゞ之を宣傳し始めたからに他ならない 一 一 一 一 一 一 一 一
のであるO × ﹁古代藝術に於ける祁的美は、彼の創作の手に依って 熱情的な現世的眞實味に鍵つた﹂とベルハアレンは言つ $ て居るが、事賞私のやうな総譜に經験の浅い素人が見て も︵勿論複篇版ではあるが︶彼の基将、聖母、ベヌス、 ダナエ等公は、そのあらゆる崎形以外に、病根及び醜悪 をさへもってゐて、これによって人閲感が刺戟される。 即ちそれは我逵に近く、否我燕自身であるが如くにさへ 性格化せられてゐるのである。換言すれば嘗て藝術の中 にあらわれた人糞に決して見なかった程度にまで性絡化 せられても居るのである。 彼の創作を代表するものに有名な三種の錨嘉がある。 即ち﹁解剖﹂︵一六三二︶、﹁夜番﹂︵一六四二︶、﹁サンデイ クス・一︵一六六この三である。か塗る種別は或は彼の全 作品の密林を探究する上に、ある方法を與へる便宜が有 るかも知れないが、然しそれは唯皮層的で、危嶮性を有 するとしか恩へない、なぜならばレムブラントの創作に 對する描篇法は一つの他の方法を始むるために、現在に ある一つの描嘉法・ど用ひるといふやうなことをしなかっ たからである。彼はラストマンの影響を除く外は、如何 レムプラントの創作に就ての膜想 なる影響にも及ぼされなかった。彼はたざ一つの描馬法 即ち彼自身の描篇法によって描いたと言ふか、或はまた その描篇法に無限性を持ってゐたと言ふことが出來るの. みである。それは彼の驚くべき自己の革新が、十年毎に また年共にさへなされたことを知る時肯かれるところで ある。 かくて彼が、その様式を益袋擴くし、その描嘉を自由 にし、豊富な傲箸な色彩適用によってその眼産養ひ、濃 く深き色の雄に慣れ、己虹を蕊げてさうした生活の中に 赴かんとしたことは、資に彼のその次に於てせる努力で あった。彼は今や思ひ切って、たざ被自身のうちにのみ 聴き、彼自身だけで了解することを始めた。そうして最 も速かに彼自身を征服しつくしたのである。その結果レ ムブラントは容易に了解されることが州來た。何故なら ば彼は何よりも議家として止ってゐたからである。だが やがて彼は﹁幻影を見る人﹂となりかけたのである。 私も始めにさう言ったが、人もレムプラントを定むる に﹁奇跡の叢家﹂とすることが州來る。彼が創造して以 て凡ての時代の蕊術に蛎物したところの、彼のあらゆる 藝術、色、幻術者的な光線、それらは皆彼をこの妓高の 使命に適せしめた。彼は決して軍なる宗教的藝術家でな 二二 三 四
かつたと敢て言ひ度ひ、またた曾の空想的な悲劇的作者 でもなく、と言ってまた描かれたる夢の喚起者でも、象 徴の創造家でもなかった。然らば彼は一韻何であらう。 彼は只常に、超自然を自然たらしむるところの人であっ た以外の何人でもなかったのである。彼の筆の下には、 奇跡は眞に起ったとしか思へない。それ程彼はそれを深 い、稗変人に迫るところの人間味を以て成就したのであ x︾○ × 叉レムプラントは宗教と藝術との交渉を如何に爲した ● であらうか、宗教と藝術とは、そのいづれかざ他の一方 に馬する必然性を有する。何故ならば此の事がなくして 宗教と藝術との一致性は認めることが不可能だからであ る。観念論の立場に於て、その根本原理、根本過程たる 眞、善、美、聖の融然一致境たる、ユートピアこそ宗教 と塾術とで見州される美しい観念の世界がその大部分を 爲すことは、或る一面に於て肯けることである。此虚に 於てか、宗教は藝術に属すべきか、藝術は宗教に属すべ きかの問題が必要である。 ステイルネルは其の﹁藝術と宗教﹂の中に﹁軍に詩人 ホオマアやヘシオドのみがご希臘の跡を作った亀ばかり レムプラントの創作に就ての瞑想 でなく、その他のものも亦藝術家として宗教を作ったの である。よし彼等が藝術家と言ふ名前を附せられて、取 るに足らぬものとして輕蔑されやうとも。藝術は初めで あり、宗教のアルファーである。宗教は経りであり、藝 術のオメガーである。否それ以上に宗教は藝術の従者で ある﹂と言ひ。叉へ︸一ゲルは宗教以前に藝術を論じて居 る。言ふ迄もなく此等はその段階の論を出でない。宗教 と蕊術との偵値的問題では決してない。只宗教の立脚地 は藝術に存するに過ぎないと言ふことなのである。此の 意味に於て私は宗教が藝術に風することを肯定する。即 ち藝術は宗教を作るの言を敢て否定しないのである。 その過程に於て、宗教は藝術とは對立的・な道をたどる ものである。即ち宗教は蕊術家が作った目的を、それが 脇して居る内部へ取り戻して,再びそれを主鰐と篤さん とするのである。此の事は世界のあらゆる宗教に、具艘 的に妥常であるかどうかは知らないが→今レムプラント に於ては彼が藝術家であると言ふことが有利な材料には なるが、事資爲された事に對して垂曼は否定することが 出來ないのである。叉彼が単なる紳的識家から次第に ﹁幻影を見る人﹂になりかけた事實を知るとき、猶更の 感が深いのである。 一 五
彼は正しく藝術によって宗教の世界を覗つた、即ち自 己の作品に宗教を見鵬したのである。何故と言ふに、彼 は殆んど謀るべからざる感覺によって、榊秘と生命とを 一つに掴み、それを創作的に同じ焔の中で一致せしめた ことがそれである。 × 東西古今を間は歩、その時代と環境から駈離れた幾多 の傑出せる人物は存在もし、叉現在も存在しつ夢あるで あらう。併し此れに種、その時代と環境から除けられた 者と、自ら自由に離れて居るものとの腫別を生ずる。 今レムブラントは後者に厨するのであるが、その結果 として容れられなかったのは寧ろ當然である。彼の如き 先見的才能を以て爲すその作品がやがては廣く了解さ艇 る運命にあったことは必然性を有する。此の事を衝論す るものとして、彼の藝術が十九世紀に到って始めて認め られたことを塞げなければならない。實に十九世紀程藝 術が一般生活に穿ち入ったことは未だない事である。 嘗ては賛澤の花であり、王候や上層の人だの持嚥し物 であった藝術が一般生活に穿入したと言ふことは、一つ に革命のおかげである。そして繍護に於てもレムプラン トのそ奴の如き迫力に瀧ちた、所謂自然を超へた現資的 レムプラン・卜の創作に就ての瞑想 な作品に多くの關心を有するやうになったのである。 ルウベンスやテイチァンはその作品から焔と難とを剥 いだ、そしてその傑作と無するものは、たざ生命の美し い外形の讃美に過ぎなかったやうである。彼等は瞥見は 持った。しかしながら眞賞の幻影は持たなかったのであ ス︾O 併しレムプラントは、ダンテやセクスピアの如く、一 人の﹁見る﹂人であった。未だ嘗って叢家に彼の如き人 は一人もなかった。そしてそれ故に彼はあらゆる豊家の 上に舞えて居る。嚴然とその地位は不動である。そうし て永久にそうであることを信ずる。 何事にも魂に呼びかけた、ものであることが望まし い。そ奴は決して無意味に経ることがないからである。 ︻了︼ − ∼ーーシ−−0 釣川