東アジア・東南アジア諸国にみる経済発展と都市化
による伝統文化の変容-大都市・地方都市・農村の
比較-雑誌名
アジア文化研究所研究年報
巻
44
ページ
285(487)-302(504)
発行年
2009
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00009300/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja幸
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邑 ロ ﹀ 平 成 一 二 年 度 ﹁ 学 術 フ ロ ン テ ィ ア ﹂ プ ロ ジ ェ ク ト ( 平 成 ニO
年 一 一 一 月 j 平 成 二 一 年 一O
月の活動報告) 研究課題 ﹁東アジア・東南アジア諸国にみる経済発展と都市化による伝統文化の 変容l
大都市・地方都市・農村の比較﹂ 平成一一一年度は、学術フロンティアの継続採択期間(三年間) の最終年 度にあたるため、研究課題の下に伝統文化の変容の総合的理解をめざし、WEB
による情報の構築と、本研究活動の総括として蓄積してきた研究成 呆の公開と社会還元を大きな課題として活動した。特にこれまでの活動の 総括として、主要海外協力拠点であるインドネシアのデイボネゴロ大学で 二回の国際シンポジウム、 一回のワークショップを開催し、これまでの研 究成果を問うとともに、今後の研究深化のための討論の場とした。国内で は、本アジア地域研究センターが所属しているアジア文化研究所創立五O
周年シンポジウム ( 一O
月一七日)に参加するとともに、公開講演会(O
月一九日)を開催した。 また継続研究期間の最終年度にあたるため、文部科学省私立大学研究高 度化推進委員会より﹁私立大学学術研究高度化推進事業﹂に関わる研究成 果報告書の提出を求められた。平成一一一年九月末日に︿平成一九年度 j 平 成二一年度﹁私立大学学術研究高度化推進事業(学術フロンティア推進事 業)研究成果報告書概要﹀を文部科学省に提出した。︿成果報告書﹀は平 成二二年五月末日までに提出することになっており、現在作成準備を進め て い る 。 平成二0
・二一年度は次の研究成果を刊行した。(平成二一年一O
月現 在 ) ① 学術フロンティア報告書 二OO
八年度 平成一二年三月発行 ② ﹁トゥアテイエン・フエ省における伝統文化の変容人類学・歴史 学および内・外の視点からの接近﹄ 末成道男/グエン ヒユウトン編、新江利彦監訳 平 成 一 一 一 年 一 月 発 行 ( 本 文 日本語、ベトナム語)同 ∞
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③ ﹁現代カンボジア教育の諸相﹄西野節男編著 平成一二年三月発行 問 中 ∞z h
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東洋大学アジア文化研究所アジア地域研究センター監修 平成一二年三月発行同 ∞ 切
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司 円 。 口 止 。 同 ニューズレター 第一六号(平成一三年一二月一八日発行) 司 門 。 ロ 江 ゆ H・ ニューズレター 第一七号(平成二一年一O
月一五日発 行 、-〆 二 八 五︿ 報 告 ﹀ 平 成 一 一 一 年 度 ﹁ 学 術 フ ロ ン テ ィ ア ﹂ プ ロ ジ ェ ク ト また、本プロジェクトでは、研究計画の進捗状況及び予算使用の適切性 等について、毎年外部の有識者による評価を受けてきた。二一年度につい ても次の各氏に第三者評価委員を依頼し、評価と助言を仰ぐこととした。 評価委員 岡部隆志 共立女子短期大学文科長、教授 立馬歳郎 (財)英語教育協議会理事、ジャパンタイムス顧問 盛岡一夫 東洋大学法学部教授 安藤清志 東洋大学社会学部教授 次に、平成一二年四月に
ANSWER
のライブラリーおよびカンボジア の地名デl
タ充実のため、新たに羽谷沙織氏をプロジェクト研究支援者と してセンターに迎えた。羽谷氏はカンボジア留学の経験を持ち、 クメl
ル 語にも習熟している。ANSWER
のカンボジアに関する地名デl
タの入 力補助として活躍している。 以下今年度の主たる活動について述べる。 国際シンポジウム、ワークショップの開催 日本・インドネシア国際シンポジウム ビジネス、財産、公益 ーアジア諸国における法的視点から 回C
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インドネシア国立デイポネゴロ大学(以下U
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アジア研究センター 開催趣旨 アジア諸国は急速な経済発展の中で、さまざまのレベルでビジネスチャ ンスを求める動きが活発になっている。大企業に限らず、個人・家族経営 の事業もより大きな短期的利益をもとめて様々の分野に進出する傾向を一 層強めている。企業として収益が優先される一方で、企業、とりわけ家族 経営の企業が獲得し所有する財産について、その運用面の公益性の観点か ら見直しが求められでもいる。本セミナーではこうした観点から、ビジネ ス・財産・公益について、 アジア諸国に焦点をあてその法的観点を中心に 比較考察を行う。 プログラム 挨f
夢 ア ジ ア 地 域 研 究 セ ン タ ー 長 上 七 典 嘉 佑U
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第四副学長 モハマッド・ヌル ( ロ 吋 ・ ζ。
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基調講演 インドネシア実業界における家族企業の現状
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法学部教授 日 ン ョ コ ( 口 同 ・ 司 ・ 凶 ﹂ 0 宵 0 ・ω
・ 出 ・ ・ 冨 ・ 出 口 自 ) 通 訳 岡 本 幸 江 ( O 同﹀富。吋 O 印 m 凶n E
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吾自己﹁スラパヤ国立大学) ①台湾における家族の紐帯 同族ビジネスの展開l
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アジア地域研究センター台湾地域リーダー-研究員 後 秀 ( のO
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質疑応答 閉 会 挨 拶 研究員 後 ス テ ジ ョ ・K
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法 学 部 副 学 部 長 藤 秀( 号 。
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・ 冨 ・ 臼 ・ ) 二 八 七 ジョコ、後藤、岡本、井上の シンポジウムI 左よりエティ・スシロワティ、 各氏︿報告﹀平成二一年度﹁学術フロンティア﹂プロジェクト 中部ジャワ州を中心に活動している新聞社スアラ・ムルデイカ紙の代表 取締役ブデイ・サントソ氏の基調講演に続き、本センターから、後藤武秀、 井上貴也の二名、
UNDIP
のエティ・スシロワテイ氏の発表が行なわれ た。発表は日・イ二カ国語で行なわれた。日本側は日本語で、インドネシ ア側はインドネシア語での発表とした。あらかじめ発表内容はそれぞれの 言語に翻訳してレジュメとして配布、日本側の発表は同時通訳付き、イン ドネシア側の発表は配布資料を参考にする形式で行なわれた。発表終了後 会場からの質問を受ける形で質疑応答がなされた。シンポジウムのテl
マ が﹁家族企業﹂﹁会社法﹂﹁同族ビジネス﹂などであったためか大学関係者、 マドゥラなどの遠方から出席した地方行政官、新聞社、日本企業の支庖長 などの参加があり、およそ一コ一O
名の参加者があった。この模様は翌日八 月六日のスアラ・ムルデイカ紙に大きく報道された。 日本・インドネシア国際シンポジウム E 文化変容のなかの習俗と伝統芸能l
アジア諸国の研究l
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プレプラン・キャンパスホl
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アジア地域研究センターUNDIP
アジア研究センター J¥ J¥ 開催趣旨 アジア諸国では近年、開発・近代化が急速に進む中で、伝統的な習俗・ 芸能・スポーツへの人々の関心が高まっている。急激な文化変容の中で、 アイデンティティの源泉を伝統芸能・スポーツなどに求める動きは民衆に 限られるものではなく、政府の側でも積極的に伝統芸能の振興に取り組ん できている。祭りの場など日常生活とは切り離された時間・空間で上演さ れ、そのときに演じ手と観衆は瞬間的に伝統の共有感覚を持つことがで き、それはアイデンティティの形成・保持に大きな役割を果たしている。 他方、こうした習俗・芸能・スポーツを保持していくために、 スポーツ・ 伝統芸能の担い手・演じ手はどのような訓練・稽古を受けるのだろうか。 かかる側面から伝統芸能・スポーツの上演・訓練に焦点をあててアジア諸 国の比較を行う。 第I
セッション 司 ム、 Z三E 前-U
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学長、中部ジャワ芸術文化協会長 エコ・ブデイハルジヨ ( 中 広 ・ 同 町 ・ ロ- s
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・ ) 通 訳 岡 本 幸 江 ①韓国の村と祭りの変化 H μ 何 H . ロσ
田 町 出 口 旬 。 ︻ 目 。 閉 山 田 恒 ロ 門 日 出 口 町 , O 阻 止 ︿ m凶 日 A出 問 。 H m p ω 巳 同 片 山 一 口 アジア地域研究センター韓国地域リーダー 研究員 松 誠 本( H M
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巳 - n V F )②ミャンマーの伝統スポーツ﹁チンロン﹂の文化変容 HJW 門 口
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問 アジア地域研究センターミャンマー地域リーダー 研究員 石 井 隆 ( H M 円 。 門 口 円 ・ 同 ∞ 出 口 吋 同 } 州 問 ロ O 片 山 ) ③タイの水かけ祭り(ソンクラi
ン)と日本の﹁雑巾がけ﹂文化の変容 人間精神にとっての﹁水﹂ の 意 義 を ア ジ ア 的 視 座 で 考 え る │4
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・ アジア地域研究センターマレーシア・シンガポール地域リーダー 客員研究員 旧 泊 ( H Z C 口 開ω
巾 む -) 井 上 星 質疑応答 ジャワ伝統舞踊披露 ソロ・インドネシア芸術大学学生 ︿報告﹀平成一一一年度﹁学術フロンティア﹂プロジェクト 憲 ジャワ伝統舞踊披露 シンポジウムH
第I
セッション 左より石井、井上、エコ・ブデイハルジョ、松 本、岡本の各氏 人 九︿報告﹀平成一一一年度﹁学術フロンティア﹂プロジェクト 第
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セッション 司 A Z三Z UNDIP 文学部教授 アグス・マラデイ・イリアント ( ロ 吋 ・ ﹀ ぬ 口 出 富 山 宮 門 口 町 一ω E
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・ 富 ・ ﹀ ・ ) ①高尚な伝統的ワヤンから派手で視覚的なワヤンへ ー文化変容の中のスラカルタ様式影絵芝居 同 ) 由 同 ・ -H v m w w め 口 門 担 ロ ﹀ ︻ 回 一- z
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( 円 ) 日 戸 田 口 出 口 m M N m w 出 } ) 包 い 肝 司 口 間 口 HH) ②ジャワ伝統舞踊における﹁グラデン ( 稽 古 ) ﹂ 訟 の } 白 色 町 。 ロ ョ ロ 色 白B ω
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旦 口 町 田 口 寸 国 立 叶 片 山 門 出 色 。 口 同 こ 、 担 当 山 同 ソロ・インドネシア芸術大学教授 スリ・ロハナ・ウィデイアストテイニングルム( p c
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質疑応答 閉会挨拶 研究員 嘉 佑 比 九。
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セッション 左 よ り ア グ ス ・ マ ラ デ イ ・ イ リ ア ン ト 、 ロ ハ ナ ・ ウ イ デ イ ア ストテイニングルム、ダナン・ルスパティ・プグーの各氏 ウィ・ユリアテイ氏の趣旨説明のあと、 六日のシンポジウムも前日と同様開会にあたり全員で国家斉唱、 ア エコ・ブデイハルジョ前UNDI
P 学長の司会で第I
セッションが開始された。第I
セッションは東洋大学 典 からの三名(松本誠一、石井隆憲、井上星児)が発表した。発表は三O
分 の持ち時間を映像や実演を交えて行われた。五日のシンポジウムと同様岡 本幸江氏による同時通訳付きの日本語による発表であったが、発表意図は 十分理解されたようである。第I
セッション終了後、昼食を挟み第E
セ ツシヨンが行なわれたが、発表に先立ち発表者の一人ソロ芸術大学教授ロハ ナ氏の教え子達によるジャワ古典舞踊が披露された。 第 E セッションは、
UNDIP
のアグス・マラディ・イリアント氏の司 会によりインドネシア側のご名(ダナン・ルスパティ・プグ1
、 ロ ハ ナ ・ ウイデイアストテイニングルム) の発表が行なわれた。 第一日のシンポジウムのテl
マとは変り﹁伝統的な習俗・芸能・スポl
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マとしたため、聴衆も質問の傾向も違う興味深い討論となった。 お よ そ 一 一 一O
名程度の出席者があった。最後に、東洋大学を代表して比嘉 佑典センター長が木槌を打ち、終了を宣言した。 発表内容の詳細については、﹁学術フロンティ報告書 二OO
九 年 度 ﹄ にゆずるが、この企画には、インド、ネシア国外のマレーシア国際イスラl
ム 大 学 、UNDIP
の研究者のほか中部ジャワ州内の四大学からの研究者 も参加し、これまでの研究活動の一応の総括としての場にふさわしいもの となった。 ワークショップ マ レI
世界におけるイスラi
ム教育の発展 一 的 一 知 ヨ 一 のm
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日 時 平成一二年八月六日(木) 一 七 時 1 一 九 時 A A 場UNDIP
プレプランキャンパス人文学部会議室 、 玉ACRI
アジア地域研究センター 催UNDIP
アジア研究センター ︿報告﹀平成一一一年度﹁学術フロンティア﹂プロジェクト 司 A Z三主UNDIP
人 文 学 部 歴 史 学 科 教 授 シンギ・トゥリ・スリステイヨノ ( H V H C 同 -U ︼ 1 ・ω E
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叶 氏 ∞ 丘 町 民 吋 O 口 。 ) 開催趣旨 イ ン ド ネ シ ア ・ マ レ ー シ ア は 東 南 ア ジ ア 島 艇 部 に あ っ て 、 穏 健 な マ レl
・イスラl
ムの伝統を共有してきた。これらの地域には植民地支配に ともなって近代学校制度が持ち込まれ、独立後は国民教育制度の形成・強 化がはかられてきた。この歴史的過程の中で興味深いのは、近代学校制度 が伝統的な学習に取って代わるのではなく、両者の聞に相補的・協調的な 関係が築かれてきたことである。本ワークショップでは、東南アジア・マ レ i 世界においてイスラl
ム教育の改革と発展に貢献した何名かの人物に 焦点をあて、その思想的背景、教育の制度化への取り組みを個別に考察す る。そして、この地域でいかにして伝統的な学習を保持しながら、近代的 な学校制度の拡充がはかられてきたのか、さらに今後のイスラl
ム教育改 革の方向性について考察する。 ディスカッション 話題提供 ①インドネシアにおけるイスラム教育改革 河 内 以2 5
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ジヨグジャカルタ国立イスラ l ム大学教育学学部長 ストリスノ ( 匂 H・ 0 同 ・ 巴 立 山 己 同 門 広 口 。 ) 九︿報告﹀平成二一年度﹁学術フロンティア﹂プロジェクト ②マレ
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におけるイスラ l ム教育の変革 ーシェ・シャイフ・アフマド・アルハデイ ( 一 八 六 七i
一九三四)を 通 し て │F
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ム大学教授 ロスナニ・ハシム ( 司 円 。 同 一 口 円 ・ 問 。 田 口m g
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③女子イスラ l ム学校への保健・体育学の導入 ーデイニア・プトリ創設者ラフマ・エル・ユヌシアI
の足跡から lロ
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冨 宮 邸 ) 部 ④インドネシアのイスラ l ム教育制度化に対するプサントレンの貢献 ージャワにおけるこ人のムスリム知識人に焦点をあてて│ 問 。 ロ 丹 江σ
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西 本ワークショップでは、四人の報告者が自由な問題設定を行い、イス ラ l ム改革の辿ってきた道、また今後の改革の可能性について検討を行つ た。本ワークショップの討議をもとに、 マレーシア国際イスラ l ム大学の 二 九 二 ロスナニ氏、ジヨクジャカルタ国立イスラ l ム大学のストリスノ氏と共同 で、東南アジア・マレ l 世界のイスラ l ム教育に関する一冊の本を出版す る予定である。日本語とインドネシア語・マレ l 語の二言語もしくは三言 語での出版を考え、独立国家としては別個のインドネシア・マレーシアを 育改革に関する知見を共有することが期待される。 共通のコンテクストで捉えるとともに、両国の研究者の間でイスラ l ム教 ワークショップ会場公開講演会の開催 タミル社会におけるキリスト教とカ
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スト!パヴァヌI
ル村の事例 南山大学人文学部人類文化学科講師 アントニサl
ミ・サガヤラl
ジ 日 時 平成一二年一O
月一九日 ム 一 品 場 白山スカイホ1
ル 中 央 キリスト教は教義として、すべての人々の平等を掲げている。しかしイ ンドではそのキリスト教の中にもカl
スト制度の問題で差別が存在する。 ヒンドゥi
教の村に限らず、キリスト教の村でも下層カl
ストや不可触 民は公共の施設から水を汲むこと、村の中心部を通ることなどが禁じられ ており、また遺体を運ぶために使われる教会の手押し車や、教会から提供 されている墓地の使用も拒まれている。このような差別は他にも教育や雇 用の面で現れている。 こうした差別に対する抗議行動はインド各地で起こっている。 タミル ナl
ドゥ州にもこのような運動が頻発し、その影響により上記で挙げた差 別が緩和されつつある。しかし、本発表で取り上げるパヴァヌI
ル村は例 外である。 つまり、パヴァヌl
ル村は抗議行動が原因ではなく、八0
年代の後半か ら、下層カl
ストの生活に以下のような変化が見られる。 パヴアヌl
ルはキリスト教の村であり、サルジオ会によって教育や医療 ︿報告﹀平成一一一年度﹁学術フロンティア﹂プロジェクト の体制が整えられてきた。村には、州政府認可の学校、サルジオ会のシス ターによる小さな病院や女子のための寮がある。このような体制の下、下 層カl
ストの教育のレベルが向上し就職率も高まってきた。就職の状況 も、今までの下層カl
ストの仕事に従事するのではなく、公務員や会社員 的な余裕のある人々が出てきた。 になる人が増え、家を建て直したり、電化製品などを購入したりする経済 一方、上層カI
ストは、元々経済的な余裕があり、識字率や教育レベル が高いため、若者が大量に都市部へ移動した結果、高齢化が進んでいる。 事などで、下層カl
ストの若者の力を借りざるを得なくなった。 したがって、村の経済的、社会的、人目的なバランスが崩れ、村の年間行 パヴァヌl
ル村の構造にこのような変化をもたらした要因を、民主主義 の政治体制、留保制度という﹀出口E
己 ヨ ﹀ 旦S
、経済発展の三つの観点 から、キリスト教の影響を通して考察した。 九 アントニサーミ・サガヤラージ氏︿報告﹀平成一一一年度﹁学術フロンティア﹂プロジェクト
ニ
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九年秋期東洋大学公開講座への参加 参加している。今年度はエクステンション講座B
研究成果公開の一環として、本公開講座へは、平成一六年より継続して 肌川臼として行なった。内容は次の通りである。 (白山キャンパス)講座 共通課題 東南アジア諸国の都市化と伝統文化│激動・震搭・流転│ 第一回(一一月一一一日) 台湾一中国を覆って行く台湾文化 研究員 第二回(一一月二八日) 、 ヤ ン マ1
一新しい首都ネピドl
研究員 第三回(一二月五日) 後 藤 武 石 井 隆 客員研究員 ベトナム中部における仏教の変化一仏教信仰運動八0
年間の軌跡 成 第 四 国 土 三 月 二 一 日 ) ネ パl
ル一暮らしの欧米化と伝統文化 研究員 第五回(一二月一九日) 東南アジアで再生するコリアンコミュニティ 研究員 四 アジアネットワーキングシステム(
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の構築 末 道 林 正 松 本 誠 今年度は本プロジェクトの最終年度となるため、丈部科学省の学術フロ ンティアの目的の一つである拠点形成を何らかの形で維持していくことを 九 四 考 慮 し 、ANSWER
のプログラム再整備、不要デ1
タ の 削 除 、 データ ベースの点検などの作業を現在(九月、一
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で行なっている。この作 業により、来年度以降もできるだけ長くネット上でのANSWER
の公開 をできるようにしたいと考えている。あわせて、平成一一一年度末にはこれ まで蓄積したデl
タを検索機能も搭載して、一一枚のDVD
にまとめDVD
ブックとして公刊する予定である。現在(一O
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本作成準備のた め、すでに登録している地域の見直しおよび編集方針の再検討をしてい る 。 秀ANSWER
へのデ1
タ入力を本年も進めているが、地名デl
タ蓄積を 超える地名に関する諸情報の追加はあまりできない状況にある。 憲 地名情報登録は、バングラデシュ、ラオス、シンガポール、ブl
タ ン 、 インドネシア、カンボジアについて登録作業をするとともに、インドにつ いて資料の分析をし、登録にむけて準備作業を行なっている。ただし、ィ 男 ンドについては、国土が広大であり、地方による差異がまだ把握できてい ない。現段階では、本プロジェクト終了までにマンダル名レベルまで登録 夫 したいと考えている。現在マンダル名の調査作業を行なっている。インド は、インド中央政府の下に州(二人)及び連邦直轄地域(七)があり、そ れぞれの下に県(マl
ヴアツタムまたはマンダラン)がある。その下にい わゆる郡(タルクあるいはマンダル)そしてさらにその下にムラがある。 それぞれの県に所属するマンダルのリストが全て公開されていないようで あり、現在そうした調査を行なっている。以下今年度作業を行なった地域 の情況を記しておく。バングラデシュ バングラデシュは六つの地方(管区
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行 政 区 域 名 ( 大 ) ︼ ) に分かれている。その六つの管区は六四の県(ジラ 間 宮 ︻ANSWER
行政区域名(中)︼)、その下位の三九六の郡(タナ、↓ H H 告白)またはウ ポ ジ ラ ( 口 ℃ 出 N 出 回 ) ︻ANSWER
行政区域名(小1
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、三六七七の行政 村 ( ユ ニ オ ン 、 口 包 。 ロ ︻ANSWER
行政区域名(小2
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︼ ) に 分 か れ て 、 必 } 、 , n v hV ︼ EG 円 、 。 n色 。 。 ︿ 号 ロ H U σ E u - ︿ 抗 日 0 ロ冨 山 口 町 丹 H M 可 O 同 F D H N U h r n 0 ・ 0 H V O 円 即 位 。 ロ の -N C C U 印 仲 間 凶 昨 日 由 民 円 包 4 0町民・ σ o o w o h 切 白 ロ m -白 色 何 回F
回 目 凶 ロ 向 日 出 品 。 回 目 H 切 己 ︼ 1 0 m w c 。 同 ω 同 白 、 仲 町 民 円 m r 口 同 阿 倍 ] 州 出 ﹄ 伊 ロ ・ N c o u -H 印 切 Z E C ∞ h m E 印 。 ∞ E J 可 ∞ N E 印 -m g 昨 日 田 片 付 包 吋 O 州 肖 ぴ 。 。 W O同 切 山 口 包 白 色 g F N c o u -回 山 口 包 白 色 。 印 何 回 切 E ・0 印 ロ 。 同 ωg 江 田 氏2
・ ロ H H M 凶 片 山 y H 己 可 N C O ∞ 、 田 ω z a C ∞ 令 印 。 ∞ ・ ∞ g a C および - H K O の 即 日 の O︿ O B B O E ロ 芝 町 一 。 ロ 冨 宮 町 可 可 。 同 円 、 白 河 口 h w n 。 , 。 U O 門 知 片 山 内 } ロ の ホ ー ム ベl
ジ ( 二OO
八年一一月一一一日参照)等の資料に基づき行政村レベ ル ま で の 地 名 を 登 録 し た 。 カタカナ表記はベンガル語の音に従うことを原則とした。しかしアル フアベット表記が全く同一であってもベンガル文字を確認しないと、もと もとの単語を特定することができないなど、様々な問題があるが、 で き る だけ意味が通るように翻字作業をしたが限界がある。 ラ オ ス ラオスの行政区分は、州(クエl
ン ( 同g z
g m
¥
早 。 ︿ 山 口 の め ) 、 特 別 市 ( 同 ω B U F g z島 町
。 ロ
¥ZSEU 包 若 ) 、 郡(宮E
ロ 恨 ¥ 豆 田 丹 江 巳 ) 、 ム ラ ( ∞ 民 同 ¥ ︿ 報 告 ﹀ 平 成 一 一 一 年 度 ﹁ 学 術 フ ロ ン テ ィ ア ﹂ プ ロ ジ ェ ク ト ︿ 皆 同 同 州 市 ) に組織されている。特別市は州と同格の地位を有している。州 および特別市は管区にある郡を、郡は管内にあるムラを監督下に置いてい る - 戸 田 O H U U H N ω g 巳 印a n
同 日 J 円g H ・σ 。 。 W N O O m y n o B E 5 0 0 沙 門 目 白 ロ ロ Smm 百 円 四 同 ロ ︿ ゆ 師 同 B O ロ F 切 由 同 巳 σ ω } 同 ω 同 国 民 印 民 門 田 -n 巾 口 同 O H J ︿ 目 。 ロ 昨 日 包 括 門 担 H V E -し ﹁ ロ ロ O N O C U 1 に基づき、郡のレベルまでの地名デl
タ を 登 録 し た 。 { 行 政 区 域 ( 大 ) ︼ 一六州およびヴイエンチャン特別市 二OO
六年一月に解体したソムブl
ン特別区も地域コl
ド一八として掲 載 し て い る 。 ︻行政区域(中)}ヴイエンチャン特別市の中の区(タセl
ン)と州の中 の 郡 ( ム1
ア ン ) ︻ 行 政 区 域 ( 小 ) ︼ 平 成 二 一 年 一O
月 現 在 、 ムーアン以下のパl
ン に つ い て 資 料 を 調 査 中 で あ る 。 シンガポール ﹁一都市一国家﹂のいわゆるシティ・ステート(
Q
q
目 的 g g ) で あ る シ ン ガ ポ1
ルでは、我国の﹁市町村﹂にあたる地方自治体の単位が存在しない。 同国では軍事・外交以外の国家行政と都市・自治体行政とがほとんど重 なっており、自治体住民への行政サービスは、国の関係省庁や機関が、主 として三つの系統で、直接行なっている。すなわち、道路・上下水道及び 住宅団地の建設・エネルギーは国家開発省が、消防・保健および住民票管 理は内政省が、また地域住民の政治参加、民間交流、福祉・文化支援およ び雇用開発は、地域開発スポーツ省(一部に人的資源省が協力)が行なっ 九 五︿報告﹀平成一一一年度﹁学術フロンティア﹂プロジェクト て い る 。 とはいえ、同国特有の多民族・多宗教混交の住民状態がもたらす地域や 地区の諸課題を現実的・個別的に解決するための機関の必要性は、
マ レ
1
シアからの独立以前から、政府レベルでも民間レベルでも認識されてお り、制度的には﹁人民協会﹂( F
8
-号 ﹀E2
庶 民 自 ・ 略 称P
A
)
と称される 公的機関が一九六0
年代から存続している。しかし、その長(協会長) 首相が務めるという、かなり疎密ある垂直構造のもので、かつ末端の実効 活動は地域・住民特性によりかなり不斉一であるといわれており、公的な 報告書等も出されていない。 シンガポールの地方行政の区画や権能が、これまで外部者にはもとより 地域住民たちにさえ非常に見えにくいと言われてきた背景には、そのよう な事情もあったが、 一 九 九0
年代に入り、そうした状況をより整備し透明 化しようとする動きが出始めた。人民協会は今日なお存続しているが、 九九七年には、新たな地域的諸課題解決のための公益法人機関として、全 国 を 、 ほほ住民人口一五万人を一単位として五ブロックに分かつ﹁(地域) 社会開発協議会(
C
D
C
)
﹂h
o
B
E
C
包守口君広告B
S
円 円 。 ロ ロ 門 戸 な る も の が 設置され、人民協会の多くの地域出先機関が漸次その権限を縮減して、段 階的に、この社会開発協議会に委譲しつつある。CDC
の当面の財源は、 従来通り中央政府からの補助金におおむね依存しているが、地域の民間企 業・団体・個人からの寄付の比率も近年非常に高くなりつつあると言われ る 。ANSWER
では以下の資料をもとに地名デ 1 タを登録している。-h
o
B
B
Z
E
寄 り ゅ ︿ 巳C
℃5
0
E
h
o
z
口 氏 一 ﹀ ロ ロ ロ m比 一 月 ゆ 日 ) 。H A
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寸 二OO
九 年六月一六日 二 九 六P
B
E
C
巳守口君。-8
B
O 巳
P
E
品目ホl
ム ペl
ジZG
一 ¥ ¥ 若 者4
2
己 門 ・2 m
-括¥ 二OO
九年六月一六日 ﹁シンガポールの行政機構﹂財団法人自治体国際化協会 日 民 苦 一 ¥ ¥ 割 当 巧 ・ 円 一 色 吋 ・2
・ 甘 ¥ 向 。2
5
¥
二OO
九年六月一八日 ﹁シンガポールの自治行政の動向﹂自治体国際化フォーラム クレア海 lま 外 通 信 ( シ ル事務所)宮苦に¥当者割- n
E S
お ・ 認 ¥ い ¥ ン ガ ポl
日 当 ∞-2
5
司¥ N
C C
U 1
0 ω
! }
内 包 阿 国 { ・ 日 ) 丘 五つのCDC
は以下のとおりである。 ① 中 央 シ ン ガ ポ ー ル 地 域C
D
C
h
g
H
円 包ω
E
m
出 方 。 吋 ゅ の 。 日E
C
H
弘 司 ロ2 1
巾-c
u
B
m
H
Z
h
o
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戸 門 戸 ②北東地域CDC
Z c 円 rt ロ ー 開 己3 ul rt 「 コ。
日B
ロ ロー
-Mト 吋ロ
ゆ 〈 ゆ ]。
て コ 自 巾 ロ rt 「 コo c ロ 「 コ_
.
ー
③北西地域CDC
Z
0
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戸 口5 1
ロ ぬ ︿ 巾Z
U
B
S
叶( U O
ロ ロ 門 口 ④南東地域CDC
∞ 。E
F
H
W
恒 三 円 。B
S
Z
巳守口2 !
の - 。 ℃B
o
z
n
c
c
ロ 門 出 ⑤南西地域CDC
g
コ ロ rt = デ君
。
由 rtn
。
日 自 己8
.
rt 可 り ゅ 〈 の。
℃5
0 ロ rtn
0 ロ ロ 門 二O
O
一年四月の改正で、 五つの社会開発協議会(
C
D
C
)
の 各 々 は 、 人民協会の長が任命する﹁協議会議長﹂(冨者号)と、選挙で選ばれる﹁協 議会議員﹂によって運営されるという形に整備されるようになった。C
D
C
を構成する地区単位は、協議会議員を一人だけ選出する地区(﹁一人選 挙 区 ﹂SMC
一ω
宮 包 めZ
S
M
σ
q
n
o
口 出 号c o
ロ ミ ) であるか、複数人を選出 する地区(﹁グループ代表選出選挙区﹂G
R
C
一( U
E
ロ 古 河 m M U 目 的 ゆ ロg
c
c
ロ ( U 。 ロ 由 民 門 戸 お ロ 円 可 ) であるかによって区別されている。以上を整理すると、シンガポールの地方行政機構は、﹁大﹂行政区域と して五つの
CDC
(社会開発協議会)が置かれ、﹁中﹂行政区域として、CDC
議員の選出数別に分類したGRC
またはSMC
が合計二三個設定さ れているという形になる。また、地域によっては、さらにそれらのGRC
またはSMC
を細分する、住民の諸特性(重点殖産地域や民族的出自ある いは宗教人口の偏在などから自然発生的あるいは政策的に形成されてき た)にもとづく均質的な集落などを単位とした﹁小﹂さな(準)行政区域 が、実質的に機能しているところもある 計 約八O
カ 所 ) 。ANSWER
では、上記のCDC
、GRC
、
SMC
のカテゴリーに依拠 して、地名を以下のように登録している。 { 行 政 区 域 名 ( 大 ) } 五 ①中央シンガポール地域CDC
の め H H片 片 山]
ω
E
m
ω
U
C
H
m
w
h
ロ ( リ ②北東地域CDC
日 時 。 丘 町 何 釦 印 件( u
u n
③北西地域CDC
④南東地域CDC
2
2
F
当2
同門口内ω
。ロ任問自仲わりの ⑤南西地域CDC
智 正 日 阿 君 。 鬼 門 口 ( い {行政区域名(中)]二三 ①中央シンガポール地域CDC
n o D H門出-ω
宮 ぬ 国 ℃ 。 円 。 ( U H ) ( リ 五 ﹀ロぬ冨 C 同 芯 ( の 阿 川 ( リ ) アンモキオ(
G
R
C
)
∞ S F 白 口 同 J C 何 M H i 回 一 可 C F ( の 日 刊 の ) ト ア パ ヨ(
G
R
C
)
ビシャン 斗 山 口 ] 。 ロ m M ν 出 向 山 門 ( の 河 口 ) パ ガl
ル
(
G
R
C
)
タンジョン ︿報告﹀平成一一一年度﹁学術フロンティア﹂プロジェクト ﹄ 白 ] 山 口 回 。 由 回 同 ・ ( の 河 口 ) ブサl
ル(
G
R
C
)
ジャラン 出 。 h F Z 円 山 口 ぬ(
ω
冨 ( リ )(
S
M
C
)
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iJ ン イ オ ②北東地域CDC
H
4
2
F
何 回 印 叶 門 り わ 四 ﹀ ] ﹂ 口 一 巳 巾 門 同 ( の H N h ) アルジユニl
ド(
G
R
C
)
同 ) 山 田 町 阿 川 町 吋 ロ ロ m m o } ( ( U 河 口 ) プンゴル(
G
R
C
)
パ シl
ル リス
4 m H H H H H比 ロ 何 回 ( の 河 口 )(
G
R
C
)
タンピネス 出 。 己 ぬ 一g
m
(
ω
冨 ( U ) ホーガン(
S
M
C
)
③北西地域CDC
z
。 丘 町 当 巾 印 丹 わ り の 五 国 ♀ 宮 口 仏 国 口 町 一 昨 叶 一 目 白 日 戸 ( の 同 州 ( U ) ホランド ブキット ティマ(
G
R
C
)
ω σ
B σ
山 者m
g
m
(
白 河 ( リ )(
G
R
C
)
スンパワン2
2
ω
。 。 ロ ( リ 巾 ロ 可 同 一(
ω
冨 ( リ ) ス1
ン中央(
G
R
C
)
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2
ω
。 。 ロ 何 回2
2
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h
)
- 一
11 スl
ン 東(
G
R
C
)
切 口 日 向 日 件 一 句 山 口 ﹂ 山 口 問(
ω
冨 ( リ )(
S
M
C
)
ブキット パ ン リ ン ャ ン ④南東地域CDC
ω C
口 昨 日 同 開 知 的 件 一 円 ロ ( U 五 開恕与の C 山 田 仲 ( の 河 口 ) イースト コースト(
G
R
C
)
足R
Z
O
M
)
再 出 乱 。 ( の 河 口 ) パレード(
G
R
C
)
マ リ ン ﹄ 。 。 ( リE
巳 ( ∞ 冨 ( リ ) ジ ョl
チアット(
S
M
C
)
冨R
3
0
5
8
2
E
h
)
(
S
M
C
)
マック フ ァl
ソ ン H V 。 件 。 ロ m M V 山 田 町 ( ∞ 冨 ( リ ) パシル(
S
M
C
)
ポトン 九 七︿報告﹀平成二一年度﹁学術フロンティア﹂プロジェクト ⑤南西地域
CDC
F
E
F
4
司 何 回 丹 わ り の 四 出 。 口 間 関 田 町 ( の H N h ) カ(
G
R
C
)
ホ ン ]己︼ 1 0口 問 ( の 河 口 ) 一 ン ュ ロ ン(
G
R
C
)
者g
叶 h S 2 ( の H N h ) ウエスト コースト(
G
R
C
)
n v
z
白 何 回 同 ロ 岡 山 凶 口 問(
ω
ぞ 同 ( リ ) カ ン(
S
M
C
)
チユア チ ユ {行政区域名(小)}上記以下の地域 七 七ブ
i
タン ブ1
タンの行政区域は二O
の県(ゾンカツク一口 N O ロm
E
S
伊豆由主立)に 分かれている。それぞれの県は二O
四のゲオク(の 2 1 0 m ) に分かれている。 規模の大きいゾンカツクの中には、 いくつかのゲオクをあわあせて、郡 ( ド ウ ン カ ク 一 口 戸 口 m w 町 田 やω
己 } 門 出 2 1 2 ) を形成しているところもある。ま た各ゲオクはいくつかのムラ(チェオクあるいはチオク、h
z
d
g
m
あるい は わ 庄 司 。 ぬ 、 5 -z m o ) に分けられている。 ブ1
タ ン の ﹁ ∞ ロB
E
D
ぬ り N C ロ m w F m w m ﹀ 己B
宮 町 叶 円 山 氏 。 ロ ﹂ の ホl
ム ベl
ジ ・ 宮 吾 一 ¥ ¥ 若 者 宅 ・ 巳 N O ロ m - 岳 山 m -m o ︿ ・ 宮 ¥ を 基 に 、ANSWER
では以下のよ、つに 登録している。しかし、各ゲオクに所属するムラ名称を記載していない地 域もあり、その場合は、当該ゲオクの特記事項に所属するムラの数のみ記 載している。このホl
ム ベl
ジによれば、郡(ドウンカク)が一四あると されているが、現段階ではそのリストを入手していない。ANSWER
では以下のように登録している。 サブエリア ゾンデイ 四地域 ( 円 ) N O ロ ぬ 与 の 一 司 ) 九 人 東部地域 何 回 目 山 件 。 門 口 ゾ ン デ イ ( ロ N O ロ ぬ 己3 1
)
南部地域∞C
E
F
巾 吋 門 戸 巳 ゾ ン デ イ ( ロ N O ロぬ 件 。 可 ) 中央地域 わ ゆ 口 同 片 山 -ゾ ン デ イ(
ロ
N O 口 問 仏m q )
西部地域 当2
5
5
ゾンデイ(
ロ
N O ロ m 町 内H 3
1 )
行政区域(大)ゾンカツク ( ロ N C ロ m w F 回 目 明 ロ 3 4 耳 目 立 ) 県。
行 政 区 域 名 ( 中 ) ゲ オ ク お よ び ( の2
2
m
)
郡 ( ド ウ ン カ ク ロ ロ ロ m w F 出 目 別ω
己σ E
︻ 日 目 印 一 行 H 1円 。 門 ) ゲオクの名称については登録しているが、ドウンカクについては、現段 階で一四あるとされているが、名称についてはリストが入手できていな ぃ。ゲオクについては二O
四のデI
タを登録している。 行政区域名(小) ムラ(チェオクあるいは チ オ ク 、h
F
2
5
ぬあるいは ( リE
君 。 ぬ 三 日 お ゆ ) 最 小 単 位 。 ブ1
タ ン の ﹁ 切 口BE
ロ m U N O ロ m w v 出 向 ﹀ 巳B
E
2
常 国 C 。 ロ ﹂ の ホl
ム ベl
ジに 記載のある地域名のみを登録した。 カタカナ表記について ブ1
タンの国語はゾンカ語である。言語学的には、現代の中央チベット 語(ラサ方言)に近いといわれている。ブl
タ ン で は 、 一 一 一 、 四O
年前まで は、文書はチベット文字を用い古典チベット語で書かれていた。しかし、 古典チベット語と現在のゾンカ語とは発音に大きな隔たりがある。また、地方に拠って発音も異なっているようである。またブ
l
タンの西部、東部、 南部それぞれ民族、宗教も異なるため言語も一定ではない。ANSWER
では﹁∞E
の ホl
ム ベl
ジに記された アルファベット表記をもとに、チベット語、ゾンカ語を解する者がカタカ ナ表記を行なった。同じ語であっても、アルファベット表記が異なるもの、 またアルファベット表記が数種あると推察されるものなどがあり、特定に は苦庫した。 カタカナ表記は参考程度にしていただければと考えている。 またブl
タンでは、地名の一部にそのまま英語が使用されているものもあ る。その場合は、英語の発音をそのままカタカナ表記として加えている。 一応の基準を設け、 カタカナ表記をしている。資料が入手できたチェオク (ムラレベル)までの登録を終了した。 カタカナ表記の例∞
55
出 国 -ドムサイ 斗 由} H C σ
門 出 口 同 州 ツォダン 問 。 } 内 門 町 凶 U 1 コ テl
γ 向 巾M H
下(シモ )F04 司2
H ,c m w
上(カミ)巴 U U 2 のきロあるいはのきロはムラ(村) の意であるが、地名にこの﹁ガウン あるいはガオン﹂が含まれている場合、そのまま﹁何々村﹂ムラの表現を し て い る 。 概 ね 、 カタカナ表記は標準的なローマ字読みにしたがっている。 ︿ 報 告 ﹀ 平 成 一 一 一 年 度 ﹁ 学 術 フ ロ ン テ ィ ア ﹂ プ ロ ジ ェ ク ト カンボジア カンボジアは二O
州と四特別市に分かれている。州と特別市では、その 下 に 続 く 行 政 レ ベ ル (単位)を表わす名称が異なる。州(カエット、 市 円 。 ︿ ロ 円 。 ) の下には、郡(スロック、口町号一円同)があり、さらにクム (コ
、 ュ
l
ン 、h
o
B
B
ロ ロ 巾 ) と な る 。 一方、特別市(クロン、冨E
E
E
}
石
)
の下には、 区 ( カ ン 、 同 町 山 口 ) があり、 そ の 下 に 地 区 ( ソ ン カ ッ ト 、∞
ω
口県民)がある。州および特別市の最小の行政単位はクムとソンカット であるが、さらに実際には、これらの下にはムラ(プ1
ム 、E
E
B
)
が あ る 。 しかし、現在のカンボジアの地方行政システムにおいて、 ムラは自然に形 成された集落もしくは自然村とみなされており、実質的な行政組織として の位置付けにはなっていない。二OO
五年度現在、 ムラの数は三二、六九 四であるとされている。Z
国 昨 日 。 ロ 乱 古 田 是 正 。 。 同 盟 主U
t
g
h
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。 ︻ 日 目 白 罵 宮 町 民- M H
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-ロ ぬ の ﹀ 目 白 Z 回 目 め ( 二O
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九 年 五 月 二 七 日 ダ ウ ン ロl
ド 宮 晋 ¥ ¥ 印g
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8
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2
1
5
5
己 凶 作
B
)
に基づきANSWER
への登録作業を行なっ て い る 。 一O
月現在でプノンベン特別市、ポンテイアイ・ミアン・チェイ 州、パット・ドムボl
ン州のプl
ムまでの地名を登録している。-ANSWER
で は 、 Z 丸 山 C 口 出-E
由 民ER
。 同 盟 国 民 印 片 山 向 リ 由 ・ 同 ) } 回 口 。B
︼ μ g F W( U m
w H H
H U
。 ︻H
E
のホ1
ム ベ1
ジ 日 王 将 ¥ ¥ 印g
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巳 ∞ ・2
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同 日 告 包 括 ¥ 号2
1
5
5
ゅ ・ 宮ヨ(二O
O
九年五月二七日ダウンロl
ド)、および -田 口 ぬ ︻H
C
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同 門ω
5
日 ) 。 門 日 目 白ω
g
江 田 氏 門 出 ] ー 吋B
円σ
。 。W
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出 昨 日 。 口 同-H
ロ 印 昨 日E
Z
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H
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E
E
5
・5
昆 鬼 門 可 。 同E
E
巳 口 問 ( 豆 島 ) ・88
を基に以下のように登録 し て い る 。 九 九︿ 報 告 ﹀ 平 成 一 一 一 年 度 ﹁ 学 術 フ ロ ン テ ィ ア ﹂ プ ロ ジ ェ ク ト { サ ブ エ リ ア } カンボジアの場合設定していない。 { 行 政 区 域 名 ( 大 ) } カエット(州)およびクロン ( 特 別 市 ) の全二四(
00
九年九月 ) 0 {行政区域名(中)]州および特別市の次のレベル。 ( 郡 ) 、 カ ン スロック ( 区 ) 一 八 五 ( 二OO
五 年 ) 0 { 行 政 区 域 名 ( 小1
)
}
(
コ
ミ
ュ
1
ン ) 、 ソンカット(地区) の レ ベ ル ク ム は 一 六 ( 二OO
五 年 ) 。 { 行 政 区 域 名 ( 小2
)
}
( ム ラ ) ソンカットの下位にあるプl
ム ク ム 、レ
Jミ ルは一三六九四(二OO
五 年 ) 0 カタカナ表記について ク メl
ル語のカタカナ表記については、 カンボジア研究者の聞において 統一されていない。音節および単語の区切りに中黒を打っか打たないかも 各研究者の判断によっている。発音(原音)に近い表記にすべきか、正書 法にもとづく表記にすべきかについても、大きく判断が分かれている。発 音を重視する場合、たとえば、ある州を﹁バッタンパン州﹂とするか﹁パツ ド ン ボl
ン州﹂とするかは、聞き取り手の判断によって異なり、表記に個 人 差 が で る 。ANSWER
では、発音に近い表記も掲載する一方で、 メール語の正書法にもできるだけ忠実に、音節および単語の区切りを考慮 した表記も掲載した。そのため、上記の州は、ANSWER
の な か で ﹁ パ ツ ト ・ ド ム 、 ボl
ン州﹂とも記されている。 このように、正書法に配慮する理由は以下の通りである。第一に、音節 や単語の区切りを明確に示すことで、 カタカナからクメl
ル語の文字をた。
。
どることができる点である。たとえば、 カンボジアの北中央に位置する州 は、これまで一般的にゴブレアビヒア州﹂と書記されてきた。しかし、こ れでは一音節の単語なのか、そうでないかは判断がつきにくい。そこで、ANSWER
では新たに﹁プレアハ・ヴイヒア州﹂とも示した。こうする こ と で 、 ﹁ 。 フ レ ア ハ ﹂ と ﹁ ヴ ィ ヒ ア ﹂ の 二 つ の 単 語 を 想 起 し 、 ﹁ 。 フ レ ア ハ ( 神 、 仏、王)﹂と﹁ヴィヒア (祈りの場、寺の本堂、教会この言葉をたどるこ とができ、意味も理解することが可能となる。カンボジアに関する正しい 理解を広める意味においても、正書法にもとづく書記は重要であると考え た か ら で あ る 。 また同じ語が異なるカタカナ表記になってしまうのは、日本語の五母音 だけではクメl
ル語の基本的な九つの母音を表すことが不可能だからであ る。ある音を﹁ア﹂に近いと判断するか﹁エ﹂に近いと判断するかは、個 人差がある (例一シアムリアプ/シェムリアップ ) 0ANSWER
で は 、 天川直子編﹃カンボジア新時代﹄(アジア経済研究所、二O
O
四)に掲載 されているフランス語クメ1
ル語翻字システムに従い、妥当と考えるカ タ カ ナ を 表 記 し た 。 第二に、長母音、短母音、有気音、無気音をカタカナでどのように表記 ク するかという判断についても、大きく異なるからである。したがって、コ
ムポン・チャム/コムポン・チャーム、 コ コ ン / コ ホ コ ン 、 クラチェ/ク ロチェへなど複数が併記されるのは否めない。また、﹁B
﹂ ﹁ 口 問 ﹂ ﹁ 吾 ﹂ ﹁ ロ ﹂ については、日本語では﹁ン﹂と発音することが一般的だが、ANSWE
R では、前掲書天川(二O
O
四 ) の翻字システムに従った。たとえば、プ ノ ﹁ ン ﹂ ベ ﹁ ン ﹂ ( 虫 居 。B
円 以 内 山 口 町 ) ヵ﹁ン﹂ポツ は プ ノ ﹁ ム ﹂ ・ ペ ﹁ ニ ヨ ﹂ 、ト ( 同 即 日 H V C H ) は
コ
﹁ ム ﹂ ポ1
ト な ど 。 以上の理由から、複数のカタカナ表記が表示されているため、利用者に は若干の混乱を生じさせるかもしれない。地名を検索し、目指す地名に行 き着かない場合は、 思いつく近い表記を検索して欲しい。 イ ノ ド インドは連邦共和国制国家である。現在二八の州( ω
g g
)
と七つの連 邦直轄地域(巴包S
斗号昇。ミ)が設置されている。州には自治権が認め られているが、連邦直轄地域吉区S
叶2
E
H
2
1
は中央政府の直接の支 配 下 に あ る 。 インドはイギリスの植民地時代に政治的に統一され、行政区画、官僚制 度、議会制民主主義などの近代的制度が導入された。現在の制度の多くは、 イギリス統治時代にそのル1
ツがある。インドの行政組織は、中央レベル、 州レベル、地方自治体レベルの一一一層構造である。中央と州の管轄事項は憲 法で定められている。インドの各レベルの地域の名称を語る時、その地域 の政治機構とは別に考えるべきである。 インドの地方自治の階層構造は、中央政府、州政府、地方自治体の三つ の行政階層を定めている。この地方自治体は都市部自治体と農村部自治体 に分かれ、 そ れ ぞ れ 異 な る 制 度 が 導 入 さ れ て い る 。 都 市 部 自 治 体 ( 冒E
片 山 口 出 ] 耳 ) は、自治都市(云S
E
E
-n
2
u
o
g
g
ロ ) H 州都クラスの 大都市、小都市地域における都市評議会(云E
E
℃ 包 円 。E n
-- )
、農村から 都市への発展段階にある地域におけるナガル・パンチャl
ヤト(
Z
品
問
H V 何 回 口 円 何 回 同 一 可 伊 丹 ) がおかれ、農村部自治体は、県パンチャl
ヤト(口百乱立 ︿ 報 告 ﹀ 平 成 二 一 年 度 ﹁ 学 術 フ ロ ン テ ィ ア ﹂ プ ロ ジ ェ ク ト 日 以 田 口n
g
百 件 ) 、 郡 パ ン チ ャl
ヤト(
H
E
2
5
E
g
g
E
i
出 円 宮 山 ﹁ 同 一 昨 ) 、 ムラ・パン チ ャi
ヤト( 5
- E
ぬ め p g n F m q M H H ) の三構造となっている。各レベルのパ ン チ ャl
ヤト聞の関係、役割などは、各州が法律で規定しており、州に よって大きな差があるようである。 州レベルより下位の地方自治体の組織化および分権については、従来各 州政府にまかされていたが、 一九九二年の第七三次、第七四次憲法改正に よって、地方自治制度が明文で規定された。しかし、現段階ではやはり州 によりかなり異なっているようである。 都市部自治体と農村部自治体の区別は人口によるもののようである。ま 一般市、準一般市についても人口によるようであるが、まだ確:
じ
TU1
、
ナ ム 品 市 口 D , 百 川 認は出来ていない。厳密な分類は出来ないものの、州及び連邦直轄地域は、 一つまたは複数の県( U
E
ユ 円 円 ) から構成され、県は都市部自治体および 農村部自治体から構成されている。全国平均では一つの県は約九つの都市 部 自 治 体 、 一つの県パンチャl
ヤ ト 、 約 一O
の郡パンチャl
ヤト、約三九 五のムラパンチャl
ヤトで構成されている。 主な州・地域の状況については地域ごとにさまざまな歴史、文化をもっ 多様な国家であるインドは、全州を統一した形式を一不すのは難しい。詳細 なデl
タについてはANSWER
編集方針﹁参考資料﹂にあげた文献等を 参照して欲しい。ANSWER
で は 、 -﹁インドの地方自治﹂財団法人 自治体国際化協会 二OO
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