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展
D・R・ホッヂマン ソビエト工業生産指数についてD・R・ホッヂマン
ソビエト工業生産指数について
ーソビェト工業生産の成長率をめぐって︵一︶1吉
田
靖
彦
ソビエト工業生産の成長率が、その公表指数によると、人類の史 上に類例をみない急速なテンポであることはすでによく言はれてい ることである。 ソビエト体制に絶大の好意をよせるものは、これこそ資本主義経 済体制に優位する社会主義経済体制のかがやかしい勝手の象徴であ るとし、この公表数字を疑ふべからざる事実と考へ、これにいささ かの疑念もさしはさます、ソビエト経済のなしとげた成果に万雷の 拍手を送るであろう。 他方、資本主義経済体制を確信するものはソビエト体制を人類空 前の強制労働にうちたてられた﹁専制的軍事経済﹂とみなし、その 公表数字も人民大衆の厚生福祉を犠牲にして達成された数字か、あ るひは、徒らに、ソビエトの経済力を誇示する宣伝的数字にすぎず 信頼に罐ひしない数字として真向からこれを否定するであらう。 ﹁ソビエト経済の成長﹂に関する議論が、それぞれの経済体制固有 五四 のイデオロギーと結びつきやすく、そのため.に不当に感情的になり、 学問的には極めて非生産的な論争をひきおこして来た事実を否定す ることは出来ない。しかしこの問題が純学術的研究の対象乱してよ りも怒意的な論議の介入を許したのは次のような他の原因がある。 それは、従来、ことに一九三七、八年以后ソビエト経済に関する 統計資料及諸情報の発表がひかへられ、したがって、その利用がき はめて制限せられていたことである。しかし、この統計資料の凍結 状態も、 一九五六年二月の第二十回共産党大会におけるミコヤン演 ① 説を前ぶれとして、徐々に禁断を解きつつある趨勢にある。今まで 数少い資料から、暗中模索の中に、ソビエト経済のパラメータを推 定せねばならなかったソビエト経済研究者にとって︿ソビエト統計 ② のルネッサンス﹀としてこの事実を祝福せざるをえないのである。 ソビエト経済に関する統計資料が豊富に爆圧されるようになれば ソビエト経済に関する純学術的研究もさかんになって悠意的な議論 の介入する余地も段々少くなるであらう。 それは勿論願はしいことではあるが、この工業生産の成長率の問 題について、公表数字を如何に評価し、これを如何に修正するかは 純学術的な見地からも、西側のソビエト経済藁葺家の間にも評価の 相違があり、いまだ、定説にいたっていないようである。 筆者は、たまたま昨夏、阪大経済学部に客員教授として招聰され たオックスホード大学のソビエト経済研究家シートン博士からソビ エト経済の事実及その研究方法について啓発されるところが少くな かった。以下の記録は、ソビエト経済研究に点火され、その研究に着手してから、僅々一年であるがその間に、読みえた若干のソビエ ト経済関係の文献の中、工業生産の成長率に関する論争を今后の研 究の覚書としてまとめたものにすぎない。 ソビエト経済の成長率をめぐる論争をジャーナリスチックに取材 ③ した読み物の類は必ずしも少くはないが、それらの多くは事実をき はめて断片的にか、あるいは皮相にしか伝えいてない。私の知るかぎ りでは、学術的な研究対象として、ソビエト工業生産の成長率をめぐ る論争を系統的に追跡し、整理したものはほとんどないようである。 以下の記緑は、ソビエト経済専問家には、既得の知識であるかも しれないが、筆者の男滝のソビエト経済研究の覚書として、また、 ソビエト経済の動向に深い関心をもちながら、直接、文献、資料に あたる余裕をもちえない人のために、まとめるため筆をとったもの である。 ①口℃9。ロ昌涌鉾⇔Φ切℃p。誹=c。LOc・ひ・いま、これに関係のあるミコ ヤン演説を引用すると﹁我々はいま、如何なる時よりも、他のい かなる国より づけることなしには、分析し普遍化することなしには、およそ 経済科学上の活動は不可能である。残念ながら、同志スタロス キー︵ソ同盟中央統計局長官︶は、これらの統計資料を中央統計 .局の中にしまひごんでしまっていた。経済学者はそれらを分析 する機会をうばはれ、旧式の公式、古い資料を暗調し、くりか へすことを余儀された。これこそ、我が国の経済学者から創造 的な仕事をみることの出来ない一つの理由であるL ② 閏碧峻ωoげ妻p震闇=↓プΦ国Φ口p一ωq。餌昌80︷ωo丘簿ω3け一ω→ 一〇9↓げ①図Φ≦①≦o︷国8昌。巳8。。卑p像ω二二ω江。伊冨麸幽一8c。・ ③例へば﹁ソ連経済の成長をめぐる米ソの論争﹂エコノミスト 昭和三四・一・淵一日号﹁ソ連はいつ米国に追いつくか﹂東洋 経済新報、昭和三四・五・二日号。 二 まつ、ソビエト工業生産の公表指数をつぎにかかげた。公表指数 も統計資料を 豊富にもって いるものであ るが、これら のあらゆる統 計資料を綿密 に精査するこ となしには、 それらを体系 eg 1表 ソビエト工業生産公表指数 工業全体
大規模
工 箇
年 00 Q0 S6 V6 O2セ54120146987846 ﹁
1111222344456
593 495 603 761 912 1, 119 1, 304 1, 454 1, 626 1, 841 2,065 00 Q5 U4 O2 R2 T1O1708237999171
1112223345567
714 584 715 903 1, 090 1,355 1,586 1, 780 2, 003 2, 277 2,566 28 Q9 R0R132333435363738394041424344454647484950馴52535455
19旧旧P旧旧櫓19博19櫓団団B栂博旧拍徳19櫓伯旧旧狛博伯櫓
(1928=100) “HapoaHoe Xo3fificTBo CCCP”, IViocKBa, lgs6. D・R・ホッヂマン ソ.ビエト工業生産指数について 五五D・R・ホソヂマン ソビエト工業生産指数について 間 第2表 世界各国の工業生産の成長との比較 ソ同盟 比較国
間無量職鞍 国 期
期 ︶︶︶︶︶ 只﹂82只︶1208QU1
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本 (1893−1931) 国(1863−1922) 凵@(1870−1934) ダ (1870−1940) 界 (1865−1955) 20650/o 4. 1928−55 によって示された成長率は、その数字がそのまま容認されるとすれ ば、人類が達成しえた空前の成長率といふ他はないであらう。いま これを工業生産に比較的たかい成長率をとげた各国と比較してみよ ρ ︸つ ソビエト工業生産の公表指数︵一九二八年U一〇〇︶は一九二八年 (備考)①比較国は製造工業のみ。 ②資料源泉:League of Nations,“Industrialization and Foreign Trade,” 1945, pp・ 130, et, seq・, U・ S. Bureau of the Census, ‘‘Historical Statistics of the United States”, and Supplement, O. E. E. C, ‘‘lndustrlal Statistics 1900−1955,” Paris, 1955, pi 6, U N・ O. Statistical Ye’ar−Book, lgs5. 五六 第2表によってこれをみると、 ・日本十五年︵一八九三−一九〇八︶ 一八八二︶・スエーデンニ十二年︵一八七三−一八九五︶世界全体と ② しては三八年︵一八七三i一九一一︶である。 さて、ソビエト工業生産のこのおどろくべき成長率の数字に対し 1一九五五年の僅々二七年間に二十一倍もの 発展を示している。ところで、世界全体として は工業生産が二十一倍の発展をとげるのに九 十年︵一八六五−一九五五︶を要している。つ ぎに、比較的大きい工業生産の成長率を示し た国と比較してみると、同率の.成長をとげる のに娑する期闇は日本が三十八年︵一八九三 ・一九三一︶・米国五十九伍︵一八六三−一九 二二︶・スエーデン六十四年︵一入七〇一一九 三四︶カナダ︵一八七〇i一九四〇︶である。 また、 ︻九二八年にはじまる第一次五ケ年 計画后の八ケ年間の四〇一%の成長率は、ソ ビエト工業生産の同期間を通じて、もっとも 急速なテンポの期間であり、年、平均五〇% という想豫に絶した成長率である。 ところで、このソビエト経済がわずか八ケ 年でなしとげた工業生産の成長率を世界各国 はどれだけの期間かかったであらうか、いま 南アフリカ十四年︵一九二一二五︶ ・米国五十九年︵一八六三ーて、米国及西欧のソビエト経済妻問.家の多くがこの数字に懐疑的で あった。その懐疑は単に人類のかって経験したこともない数字であ るといふ理由だけから.でなく、次の根拠にもとつく。すなわち、工 業生産に決定的に重要な工業製品の産出量の成長を示す数字が、ソ ビエトの場合、工業全体の産出量の成長を示す公表数字よりもはる かに低いということである。例えば、M・ドツプによれば、ソビエ トの石炭・石油・鋼鉄・電力の一九二八年産出量を一〇〇としたと き、 一九三七年には、それぞれ、三六四、二六〇、四一一、七二六 でその単純算術平均は四三八である。ところが、同じ期間の大規模 工業の数字は五五〇であり、前者が二〇%も小である。もっとも基 礎工業、動力工業の成長のおくれは工業生産の上部構造に位置する 技術工業︵窪σq言①肖冒αq冒含。。けq︶、化学工業の急速な発展によっ てカバァーされるといふ反論が出るかもしれない。しかし.、これは 世界各国の工業発展の経験にてらしてみて、支持しうる議論ではな いのである。 たとへば、米国は﹁八九九i一九三七年間に鉱工業全体は三・七 倍になったが、鋼鉄は五倍石油二十二倍、電力二十五倍でいつれも 基礎工業の成長率の方が工業全体の成長率よりも大である。次に、 日本は一九二〇1一九三六年間に製造工業は二・七倍の成長を示す が、基礎工業において電力五・五倍・鋼鉄八・五倍・石炭・石油工 業の成長はひくいが、四つの基礎工業の平均では四・五倍の成長を 示し、これも基礎工業の成長の方が大である。さらに、南アフリカ の例をあげると一九二九−一九五〇年で工業生産全体は五倍、他方 D・R・ホソヂマン ソビエト工業生産指数について ③ 石油をのぞく、三つの基礎工業の成長の平均は九倍となっている。 以上の例で解るように、急速な工業生産の発展をみた各国がいつれ も基礎工業の成長が工業全体のそれよりも大きい成長を示している ことである。このような計数上の事実を前にして、ソビエト工業生 産の公表数字の信頼性に懐疑的になるのは当然のことと言はねばな らない。 そのため、幾人かのソビエト経済研究家が、ソビエト工業生産指 数を検討し、それに代る修正指数をそれぞれ発表した。この中、も っとも包括的な工業生産の修正指数を発表したのはカルホルニや大 ⑤ 学のD・ホッヂマン教授であった。そこで、以下、系統的にソビエ ト工業生産の成長率に関する論争にたち入る糸口として、この先駆 的なホッヂマンの修正指数がいかにして構成されたかを観察したい とおもう。 ① 問ω08妻壁冨↓①880略ωo証簿H昌皆ω貫言一的図窟富一〇P 一〇α“・℃や悼i轟. ② 閃・ω①8口︾昌国。・艶ヨ簿①o州ωo鼠簿騨匙富貫一定国囲窟暴㎞oP ωoく一士ω梓β象Φω噸○け。ぴΦ村一〇㎝ρ ③ζ.∪。ぴダOQ鑓ヨ①巨§ω。く︷簿国88巳。Gり欝垂雪。孕 ω○<一露ωε象①9匂ロ昌ρ一潔O唱 ④問ωΦ8p諺旨局ωニヨ舞Φ。臨ω。<三二巳塁時風巴閃巷睾験δp ⑤ご。昌巴山戸国&αq旨碧”ωo≦Φ什H二塁梓ユ巴即。魯。茸。昌=o 障。。一一8ゴロ帥署四aq引くΦ目既な悶器ωω︸一8戯■このD・ホジマ ンの著書のω信ヨ白簿蔓が跨び忘恩ゆ窪σqω8噂①9ωo≦2国? o昌。ヨ80目。≦昏”お器・の第七章にD・ホソヂマンによって 五七
D・R・ホソヂマン ソビエト工業生産指数について H口島¢。。け昌巴℃﹃o含。江。ロという題目の下に書かれている。 は前著書は未見なので以下の記述は后の論文によった。 筆者 三 ① ホソヂマンによれば、ソビエト工業生産の公表指数の技術的欠陥 ② 殊にその上方偏向︵巷需忍び㌶。。︶は、次の諸点に帰せられる。これ を列挙すれば、 。 ③ ω 公表指数の最大の技術的欠陥は新生産物を﹁評価して算入﹂ ︵℃ほ。言σq冒︶する方法にある。多くのソビエト経済尋問家が公表 指数の上方偏向の原因の一つとして、公表指数が﹁九二六−二七年 を加重ベース︵≦魚σq窪−げ霧①︶一すなわち指数の基礎となる不変 価格構造が一九二六−二七年会計年度をとることをあげるに対し、 ホッヂ、マンは、新生産物の﹁評価して、算入﹂よる方法に欠陥の最 大なるものがあることを強調する。いま、ホッヂマンの言葉を借り て、正確を期すれば、 ﹁ソビエト工業産出量の主な公刊された価値 総計値は、 一九二六−二七年の会計年度のルーブル価値で表わされ ている。しかしながら、一九二八年に始まる相つぐ五ケ年計画によ ってもたらされた産業革命は余りに甚大であったから、計画期間中 のソビエト工業の生産物の大多数が、 一九二六−二七年には生産さ れなかった。これら生産物の大部分に対して実際の一九二六1ご七 年価格は存在しなかった。かくて、それらは一九二六一二七年の不 変価格においてでなく、生産した最初の年の現在価格で、その盾の 噛諸年次の価値総計値の中に﹃評価して算入﹄されるにいたった。こ 五八 の方法は新生産物の重要性、かくてソビエト工業生産における年々 ⑤ の増加を過大に示したL。 このように、ホソヂマンは公表指数の欠陥を一九二六−二七年不 変価格で評価すること自体にあるのでなく、新生産物を﹁評価して 算入する﹂方法にあるとする。 一九二六一二七年不変価格で評価す るところに公表指数の上方偏向の原因があるという表現は、 一九二 六一二七年にまだ生産されなかった工業生産物もあるわけだから、 まちがひではないとしても、不正確な表現である。この点やはり、 ホソヂマンの指摘するように正確に述べられるべきであらう。 ② 第二の公表指数の欠陥は小規模工業︵ω日鋤=。・。巴①H巳ロ。。什曼︶ を大規模工業︵戸主σq。ω。巴ΦHp含ω叶蔓︶の生産統計にふくめたこと である。ホッヂマンはこの論文ではこの技術的欠陥の理由をのべて いないが、おそらく、小規模工業が経済発展の過程において、大規 模工業に編入、吸牧されるが、そういった構造的変化による生産数 量のみかけの増大、すなわち、小規模工業ではその産出量が、統計 からもれていたものが、大規模工業に下立、合併されることにより 生産によらない統計数量の増大を指していると思はれる。たしか、 計画経済の初期における企業の編成過程にはそれによる工業産出量 の上方偏向も考えられるところである。 ⑧ 次に、公表指数の技術的欠陥が附加価値︵巴α巴く巴口①︶よ りも粗価値︵σq目。。。ω<巴自Φ︶で評価されている点である。これにつ いても、ホソヂマンはその理由を説明していないが、次のように説 明せられるであらう。過去の歴史的経験にてらして、社会経済体制
の如何にかかはらす、工業部門聞の構造は、発展の初期から后の段 階にしたがって、要園費用にくらべて、原材、燃料費、減価償却費 が総生産費に占める割合が大なる工業へと移行しつつ、発展するも ⑦ のと考えられる。ことに、ソビエトのように急速に工業化された経 済では、そのような工業発展構造の急激な変動によって、産出量を 附加価値で評価するよりも、粗価値で評価することによって、上方 ③ 偏向が生ずるのはあきらかなようである。 以上の諸点から、ホッゲマンは公表指数の技術的欠陥の矯正を企 図して、積極的に、公表指数に代る工業生産の修正指数︵以下修正 指数と略称︶を再構成する。 ⑨ いま、ホッヂマンの修正指数の特性を要約してみると、 ω、ソビエトの価値関係と物的生産資料をもちいて計算されてい ること。 ②、測定の基準年度は﹁九三四年であること。 ㈲、指数を構成する物量系列は大規模経営及協同組合工業に関す るものであること。 ④、指数に入る各種財貨の相対的重要性は基準年度の生産物単位 当り純附加価値、統計的には、基準年度にソビエト工業各部門で支 払はれた俸給、賃銀︵所得税をふくむ︶によって概算されているこ と。 ㈲、一九二七−三七年間の修正指数では、ソビエト工業生産物の 一三七の系列がふくれまていること。 ︵その中、七六は機械品目で あり、六⋮は機械以外の品目.で.ある︶。 D・R・ホノヂマン ソビエト工業生産指数について ㈲、 一九三七−五一年間では、軍事的考慮にもとつく資料の制限 のために、指数項目として生産物時系列の数が二十二の数に減らさ れたこと。 さて、以上の諸特性をもつ修正指数が具体的にどのような数値系 列をとるかは次に詳しく観察しよう。 ①以下、公表指数と略称する。 ②﹀■ゆ2σqω8しげ昼隠﹁Bα一博鷺. ③ アブラム・バーグソン編、安平哲治訳﹁ソビエト経済力の成 長﹂ 三三六胃貝。 ④男ω窪8p6冨日Φヨロoo︷ωo丘Φけ穿臼。。時二巴国巷きω− 一〇Pサド ⑤ ﹁ソビエト経済力の成長﹂三三六頁。 ⑥︾.ゆ巽﹃qω。P酌甑負OやB刈一Bc。噸ソビエトの規定による大 規模工業とは、工業省のすべての基礎工業ならびに工業的な性 質の仕事に従事し、機械動力をもつ場合は十六人、機械動力な き場合には三十人以上の労働者を雇傭する工業者.以外の者、工 業協同組合及集団農場の事業所をふくむ。 ︾・切賃σqωoPま一鮮 や8一︷oo→⇒9ρ ⑦F・シートンは、総生産費の中に生産要因費用が大なる割合 を占める工業を︿要因集約工業﹀ ︵討。8目冒冨三巴く①冒鎚ロω− 霞団︶、原料・燃料・減価償却費が大なる割合をしめる工業を ︿原料集約工業﹀︵日簿Φ注巴ぎ冨昌。。ぞΦぎ﹄ロω導団︶とよんで いる。概念的には両者の区別をたてることは有用であらうが、 実際には、どこで両者の線をひくかはむつかしい問題である。 ⑧︾■ゆ①お。。§L鉱斜℃■臥⊇鷲. 五九
D・R・ホソヂマン ソビエト工業生産指数について ⑨ホソヂマンは、附加価値基準による場合、市場価格よりもむ しろ要素費用が適当であるとする。その理由は、ソビエト経済 体制における価格体系は、市場価格の要素である取引税及利潤 の負担が行政的要凶によって恣意的に決定されるからである。 ︾■しd霞σQωop巴◆一び乙曽やゆ悼QQ. ⑩、一九二七/二八∼一九三七年間の修正指数中の生産物は一九 三四年基準年度の大規模工業における純附加価値の約五五%、 公表指数の七一%を占めるものとされている。脱落は資料の欠 除にる価値加重計算の出来ないためである。︾.しd①同αQ。・oP①α亀 一び置■喝.BO◎ 四 さて、以上にのべた特性をもって構成せられたホッヂマンの修正 指数とソビエト公表指数を次の第3表にかかげた。いま、この表に より両者を比較しつつ観察しよう。両者ともに基準を﹁九三四年と した。さきに、公表指数の欠陥として数えられた②の原因でのべた ように、公表指数から私的工業、及びすべての小規模工業の産出量 は除かれている。ところで、ホッヂマンは資料の制約のために、一 九三七年以前と以后に期間とわけて考察をすすめている。そこで、 まつ一九二八−三七年間の工業生産について観察しよう。 工、 一九二八−一九三七年 第3表でみるように、公表指数の成長率がホッヂマン指数のそれ より大ではあるが、両者の運動の方向が、大体、同じであることが 観察されよう。ところで、ホッヂマンは両者のもっとも重要な乖離 六〇 第3表 修正指数と公表指数 公表指数 修正指数 次 年 32. 8 41.3 53. 7 67. 0 76. 6 82. 9 100. 0 123. 6 162. 0 180. 6 43. 7 52. 4 60.6 71.5 75. 2 83. 8 100. e 128. 7 150.1 162.2 1927/28 1928/29 1929/30 1931 1932 1933 1934 1935 1936 1937 公表指数の資料 A・只・HoΦΦe, CCCP u Iくa− ilHTanHcTligecKHe cTpaHbl (MocKBa) 1939. ︵蝕ω自。℃碧。図︶の原因を、附加価値と粗価値の相違、また両指数 のカバレッヂの広狭にも.とつくものでなく、 一九三四年附加価値と ① ︷九二六−二七年不変価格の相違によるものであるとした。しかし、 后に詳しくこの点に言及するが、彼の主張は、必ずしも十分根拠の ② あるものでないという反論が提起せられたのであっ七。 .第3表の両指数の数値を観察すると、この期間を通じて、公表指 数は一九二七−二八年一〇〇から一九三七年五五〇へ増加を示すが ホソヂマン指数は一〇〇から三七一へ上昇を示すにすぎない。さら に、両指数の運動を期間的に区分して詳細に観察すると、両者の離 反が第一次五ケ年計画︵一九二八一三二年︶に顕著であることであ る。ところが、次の一九三二i三五年間に両指数はほぼ平行的に動 いている。公表指数は一九三二年一〇〇から一六一・四に上昇する に対して、ホソヂマンの指数は一七一・一に増加する。
この一九二六一二七年不変価格より一九三四年の附加価値加重へ の指数ベースの変更は、さきにあげた公表指.数の技術的最大の欠陥 が﹁評価して算入する方法﹂にありとする見方にもとづいてなされ た修正であることは言うまでもない。ホッヂマンは一九三四年の附 加価値加重方法によって修正指数が公表指数にくらべて新生産物は 相対的にその重要性を引下げられるものと推定する。この点、重要 とおもはれるのでホッヂマンの言葉を引用すると、 ﹁一九三四年の 附加価値加重を公表指数の所謂﹃[九二六−二七年不変価格﹄に代 用することは、公表指数にくらべて修正指数において新生産物の相 対的な重要性を引下げたものと推定されるであらう。これは二つの 理由にもとづいている。第一に、新生産物についても既存の生産物 についても一九三四年の附加価値に移行することによって、公表指 数に於いては新生産物のみに限られたいた生産費の中のインフレ的 趨勢の影響は、修正指数に於てはすべての生産物に対する加重の中 に反映される。第二に、その后の諸年度における生産の能率におけ る増加は、既存の生産物よりも、新生産物についてより大であった と思われる。それ故単位あたり生産費は、それ以前のいかなる年度 におけるよりも一九三四年において、既存の生産物にくらべて新生 産物の方がより低くなるはずである。これらの要素の、いつれも修正 ③ 指数における新生産物の相対的な重要性を減少する傾向がある﹂。 また、彼は次のように要約してのべている。 三九三四年の附加価 値指数にくらべて公表指数は、新生産物が評価される方法から生ず るインフレ的偏向を蒙っているといいうるであらう。公表指難中の D・R・ホッヂマン ソビエト工業生産指数について インフレの程度は、かくて全生産物の粗価値に対する新生産物の価 ④ 値の割合の増加と共に増加する﹂。 以上のように、ホッヂマンは、公表指数の新生産物評価の方法が 一九二六−二七年不変価格をとった故に、それは上方偏向を決定的 にしたと断定するのである。そして、ことに、第一次五ケ年計画中 の各年度は新生産物の急速な増加によって特徴づけられたが、これ、 こそ、この期間の両指数間の離反を説明する基本的な源泉であると 考えた。 すなわち、﹁一九二八一三二年間の公表指数と修正指数の相違は、 主として、機械“化学品、食料品、繊維の四つの各工業の部門指数 ︵Gっ償び一貯蝕。①。。︶における相違、すなわち、これらの部門に新生産物 ⑤ の価値の割合が比較的大きかったことによる。 機械工業及び化学工業は、第一次計画経済期間.中に急速に成長し た若い工業であった。次に、機械製品や化学製品よりも重要性はは るかにおとったが、食料品工業に若干の新しい生産物が導入された ︵かん詰・マーガリン︶。 以上四つの工業の中、公表指数と修正指 数の間の相違の大きさ、その成長率の大きさ、かつ新生産物の影響 の範囲の大きさという点から、その順序は機械、化学、繊維、食料 ⑥ 品工業の順であった。 ところで、ホソヂマンは新生産物導入の傾向は、工業化による産 業の基礎構造の変動が完成された第一次五ケ年計画申.の諸年度にも っとも大であり、三十年代に年々低下したと想定した。後進国が工 業化の初期の段階では、先進国の科学的知識、工業技術の輸入によっ 六﹂
D・R・ホッヂマン ソビエト工業生産指数について て、新生産物を生産し、急速な工業生産の成長を示すが、先進国の 科学、技術を徐々に吸牧しつくすとともに新生産物生産の割合も減 じ、成長率もこれに応じて鈍化することは、先進資本主義国家の歴 史的経験として一般に認められる現象である。ホッヂマンは一九三 ニー三五年の公表指数、修正両指数の類似性の原因.はこの事情によ ⑦ るものと考えたのである。 つぎに、 ︷九三六年の公表指数は、 一九三ニー三五年の修正指数 との平行運動から、急に大きな増加を示している。この原因は二つ 考えられる。第一には、 ﹁九三六年置従来の︻九二六i二七年不変 価格が中央続計局によって修正せられ、おそらく、以前よりもより 高い一九二六−二七年不変価格が採用せられたため一九三五年にく 第4表 1937−51年の公表指数と修正指数 (1937==100) 六二 らべ︷九三六年の数字が急激に増加したものとホッヂマンは推定し ③ た。 第二には、一九三六年に補助金の引下げが行はれ、それに応じて 重工業生産物価格も引上げられた。したがって、 一九三六年の公表 指数は、指数に入る新生産物及慣習的に現在価格.で評.価された工業 生産の部分が、いままでよりたかい価格で評価された。その結果、一 九三六年には新しい上方偏向が導入されたが、一九三七年もこの改 訂指数によって評価されたため、 一九三六−三七年の両指数の運動 ⑨ には、ふたたび類似性があらはれるにいたったのである。 豆 一九三七一一九五一年 第4表に一九三七−五一年間の公表指数と修正指数をかかげた。 公表÷修正 C4) 正 圖 修 表 ② 公 次 ω 年
㎜脇M糊㍑照鳳脇四㎜捌層湿間脳
100 n.a. n.a. 102. 6 115 n・a. n.a. n.a 63 73 89 111 134 154 177 100 11LO 129. 5 144. 7 (計画)169.5 108. 0 126. 8 141.5 133.4 109. 6 133.7 169. 8 203. 8 250. 7 290. 8 37 R8 R9 S0 S1 S2 S3 S4 S5 S6 S7 S8 S9 T0 T1憾博園圃旧氾四徊槍四四四四四檜
n.a.==not available 公表指数の資料: 1937−40年はA.Gerschenkron,“The Soviet lndices of lndustrlal ?rodu− ction,” The Review of Economic Statistics, November, 1947. 1941年 (Han) は rocyノ兀apcTBeHHH且 nnaH pa3BHTH” Hapo,aHoro xo3flz− cTBa CCCP Ha 1941 rol(. 1942−45年はH..Bo3HeceHcKuti, Boe− HHafl gKoHoMHKa CCCP B nepvaon OTegecTBeHHofa BotiHbl (MoCKBa 1948). 1946−50年1は 班.Ky3MHHoB‘tHenpe− pb16Hblti noAbeM Hapo,qHoro xo− 3fiticTBa CCCP−3aKoH corlHa”H3Ma,” B BonPocbl gKoHoMHKH・ 1951,1951年は npaB双a,只HBapb,29 1950.さきに、ホッヂマン修正指数の特性㈲でのべたように、軍事的考慮 にもとつく資料の制限のために、指数を構成する工業生産物時系列 ⑲ の数は二十二に減らさざるをえなかった。この二十二の時系列から 成る純附加価値総額は、一九二七一三七年間の修正指数を溝成する 二二七の工業生産物の附加価値総額の四五%から四九%の間をしめ ⑪ るといはれている。 いま、第4表によって二つの指数の運動と観察しょう。いま、両 指数を比較すると、全期間を通して公表指数は修正指数に対して六 四%上まわっていることがわかる。しかし、両指数の乖離の程度は 一九四五年を除いて、 一九四一年から一九四九年の間かなり安定し ていることがわかる。 しかし、詳細に観察すると一九三七−四一年間に公表指数は修正 指数よりも四七%大きい︵第四表,ゆ︶。 これは短期間におけるおど ろくべき公表指数の増加と言はねばならない。けだし、第二次計画 期間一九三二一三七年間に公表指数は修正指数より九%しか上まわ っていない事実からこの間.の上昇が如何に大きかったかを理解する ⑫ ことが出来よう。しかも、一九三ニー三七年間の上昇の中には一九 三六年におけるソビエト中央統計局の指数の上方をもたらしたと思 はれる改訂と重工業に対する補助金打切りによる価格引上げを考慮 すると、九%という上昇は低く見積られねばならねから一九三七− 四一年の四七%という公表指数が修正指数を上まわる率はおどろく べき数字と言はねばならぬのである。ホッヂマンはこの間の事情を ⑭ 説明するためにいくつ.かの理由をあげている。これを要約すると、 D・R・ホノヂマン ソビエト工業生産指数について ω 附加価値と粗価値の差によって両指数の乖離を説明する要因 となすべきではない。けだし、既にのべた一九 三丁三七年の両指 数の相似性よりあきらかである。 ②、次に、 一九三七一五一年の修正指数はわすか二十二の工業生 産物時系列から構成されているので、先に示した一九二七一三七年 のより包括的修正指数より信頼性が少いという見解があるかもしれ ない。しかし、これは両指数の乖離の大きな原因となるものでない。 その理由は、↑り一九三七−五一年の修正指数を構成する二十二品目 の時系列から﹁九二九/三〇∼﹁九三七年に遡及.延長した指数は、 =二七の時系列からなる包括指数とくらべ七%ひくいだけにすぎな い。回また、一九四一年について指数構成項目を二十二から増加し てより包括的指数をつくり二十二の選択系列からなる指数と比較し たところ、前者は一八○、後者は一七五でその差は翁面である。以 上、㈲回の理由から公表指数と修正指数の乖離は、この包括的修正 指数及二十二の選択系列よりなる修正指数から除去された生産物に よってのみ説明しうるということになる。したがって、 ⑧、一九四〇年歯その後数年の公表指数、修正指数.の乖離は公表 指数のインフレ・バイアスの増加から生じたものである。.インフレ ・バイアスの程度は一九三ニー三七年にはかなり一定していたが、 三七年以降は増大した。これは㈲、一九二八一三七年の期間に入っ た新生産物が一九三七年以后その相対的重要性を増加させたこと、 回一九三七年以降の新生産物の発展と導入の理由によるものと考え られる。 六三
D・R・ホッヂマン ソビエト工業生産指数について ω、以上から、公表指数と修正指数の乖離を説明するものが、公 表指数にふくまれ、修正指数から省略されたような生産物、特に、 一九三ニー三七年間の両指数の類似性にかんがみ、一九三七年以后 ⑲ に生産された新生産物であると推論出来る。 さてへ以上の考察から、如何なる新生産物が修正指数から除かれ たかを追求しなくてはならない。ホッヂマンによれば、この乖離に よる新生産物とは軍事的用途にあてられた最終生産物であると考え る。したがって、次の段階はこの種の新生産物の省略による過小評 価の程度を測定し、これによって修正指数を調整せねばならない。 ソビエトの軍需生産はソビエト統計では機械、金属加工生産にふく 第5表 ソビエト金属加工及軍事生産 (1926/27年ノレーーブノレ10億) 2)f(3) × 100 (20.0)推定 34. 5 41.5 n.a. 52. 0
電事
(3) (5.5)推定IL6
16. 9 n.a. 31.9 金属加工 (2) 27. 5 33.6 40. 6 48. 4 61.4年次
(1) 1937 1938 1939 1940 1941 六四. まれる。第5表では一九二六−二七年価格で測った総機械、金属加 工産出物に占める軍需生産の割合を示す。ホソヂマンは第5表を参 考にして非軍事的生産に関する第6表を作成した。この第六表によ ると、 一九三七−四一年に公表指数は三一%増し、修正指数は四% 下落している。この公表指数の修正指数に対する上方偏向は、修正 指数によって示された非軍需機械生産の低下が与えられたとすれば 三一%の非軍需機械生産の物的産出量の増加によるよりも、インフ レ・バイアスの増加を反映するものであると考えられる。そして、 このバイアスの程度は公表機械指数の修正機械指数に対する率、す なわち、お一\Φの日一冒ωN、三七%のインフレ・バイアスがみられるの n. a.==:not available 資1奉斗: 金属カロエ: 1937年}よ 1’ocnnaH, TPeTHta nfiTHneTHblfi HnaH Pa3BHTHfi HaponHoro xo3flthcTBa coro3a CCP, 193g−1942, (MocKBa, 1939), 1938年はTSUNKHU, CoUHanHcTHqe_ cKoe cTpoHTenbcTBo Co}03a CCP, 1933−1938, (MocKBa, 1939), 1939年はH.Bo3HeceHcKH黄, The Gr− owing Prosperity of the Soviet Union, New York・ 1940年はH.Bo3HeceHcKHti, op. cit., 1941年はH.Bo3HeceHcKH且, op・cit・ 軍需生産:N.Jasny, The Soviet price System, Palo Alto (Stanford Univ. Press 1951)・ 第6表 軍需生産を除くソビエb機械及金属加工生産 修正指数 公表指数 連 年㎜96
100 131 1937 1941 資料:公表:第5表から算出 修正:D.Hodgman, Soviet In− dustrial Production 1927−28 to 1951・ である。いま、こ の三七%のインフ レ・バイアスが軍 事生産の公表総額 を特徴づけると仮 定すれば、軍需晶 をふくむ総金属加 工の産出量は、︻ 九四︷年計画数字 は一九二六一二七 価格で四四五億ル ーブルとなる︵一 九二六−二七価格⑯ の金属加工の総生産ひお億〇一﹄刈n宝α愈︶。 ∼方、金属加工生産をのぞく総工業産出高の公表総額は一九三七 年の六八○億ルーブルから︻九四一計画年には一、○=億ルーブ ルに増加しており、五〇%の増加であるが、修正指数では︷八%だ ⑰ けの増加にすぎない。したがって公表指数の増加を五〇%から一八 %に切下げ調整すれば、一九四一年計画の修正総額は八一〇億ルー ブルとなる。この金属加工を除く総工業産出総額と先の金属加工総 額四四五億ルーブルの利は一、二五五億ルーブルとなるが、これが ⑯ 一九四一年計画の総工業産出量の調整価値総額である。 かくして、 一九四一年の軍需生産をふくむ総工業生産の調整価値 額一、二五五億ルーブルは一九三七年の総工業生産九五五億ルーブ ルを三〇%上まわる。他方、軍需生産を除いた包括的修正指数は一 九三七一四一年で=%の増加を示す。したがって、包括的修正指 数から軍需生産を除く ビエト工業生産の増加を過小評価することになる。以上で、一九三 七−四一年間の軍需生産を省略したことによって生ずる過小評価の 程度を知りえた訳であるから、包括指数の場合は十七%、二十二の 選択系列よりなる指数の場合は十三%上方に修正することにより修 正指数の調整は完了する。 つぎに、一九四〇1四九年では、一九四五年の例外を除いて、両 指数の乖離はかなり一定している。修正指数の過小評価は一九五〇 ⑲ ︻九五 年にふたたびこれが生する。 ところで、以上の、修正指数が軍需生産を省略することによって 生じた過小評価の程度の測定は、軍需生産が新生産物の大部分を占 めるといふ前提に立っていた。この前提は一応認せられるにしても 軍需生産の省略が公表指数と修正指数の乖離のすべてを説明するも のでなく、民需の新生産物の省略による乖離も存在することを考え 公表指数資料: Hop6AHoe xo3fithcTBo CCCP, 1956, pp・45−46. 修正指数資料: D. R. Hodgman, Soviet ln− dustrial prduction 1928−51”, Harvard, 1954・ τ ことによって、一九三 七一四一年に一七%の 過小評価をもたらした ことになる︵一ωOこご11 ご鳥︶。 つぎに、二十 二の選択時系列からな る修正指数では一九 三七−四一年間十三% ︵おOこδ11一・お︶のソ 第7i菱 公表指数と修正指数 (1928=100) 公表指数1修正指数 年次 100 120 139 164 172 192 229 295 344 371 430 304 375 464 560 646 742 807 891
㎜鵬脳㎜唱酬縦割鯉細細矧瀟瀟葡
903 1, 090 1, 355 1, 586 1, 780 2, 003 2, 777 2, 566脚肥細思肥肥脳肥服闇闇肥欄概翻細細二二鯉肥一働
D・R・ホソヂマン ソビエト工業生産指数について 六五D・R・ホッヂマン ソビエト工業生産指数について なくてはならない。しかし、一九三七年にくらべ一九四一年は軍需 品の価格インフレは民需品のインフレ傾向よりも大であったと考え れるから、民需の新生産物の省略による乖離を強調しすぎてはなら ⑳ ない。 最后に、二十二の選択系列からなる指数を十三%上方に調整した 修正指数を一九三七年以前の修正指数に連結した指数を公表指数.と 共に第7表にかかげた。このホッヂマンの修正指数をめぐってどの ような論争がひきおこされたかは次に立入る問題である。 ①︾しuΦ茜。・opa.δo<冨け閣8口。日80δ≦昏、.O冨嘗曾 NP因.鵠。山σqヨ雪昌昌象。・け=巴勺吋。含。凱op、、”O・8一・ ②円ω①8p.5昌閏ω臨ヨp80hωo託①仲H巳ロ。・け翫巴国麟饗口話 δP、、ωo<δけωε費。。。”臼巳矯一8㎝・ ③︾.ゆΦ脱σqωoPo阜8置”℃・鱒ωド安平訳﹁ソビエト経済力の 成長﹂三四六頁。 ④︸じd臼αqω。p巴﹂三像.㍗口ω苗・ ⑤︾・しd臼σq8p巴﹂三匹.や悼ωし。.
⑥︸切①おの8・巴﹂げ峯や博ω⊂。・ ,
⑦﹀●切霞σqωop巴山ぴ達.や悼望● ⑧︾’bdΦお。・op巴●ま凱.℃.悼⊆ρ轟■ ⑨﹀陰bdΦおωop&﹂げ影や8G。. ⑩この修正指数に入る生産物時系列は石炭、原油、電力産出量 銑鉄、鋼鉄、圧延鋼、センメト紙、ガラス、綿布、毛織物、絹 織物、石鹸、砂糖、植物性治、魚罐詰、糖菓、ビール、煙草、 トラクター、自動車で一九五一年はトラクター、自動車、ガラ 六六 ス、石鹸がこの表からなくなる。﹀.しd①目σq。。o炉一葉9や悼ωひ・ ⑪︾.bd興αq。。op8算や鵠ひ● ⑫第3表より一九三二年の︵︾澱遜蝉十重臣厳蝉“ま.ひ十誤b UごO一。。︶、 一九三七年の︵頻鰍猷蝉十磯臣厳薄目一印O●ひ十一ひNロ 一−rごO︶一し蕊十ごO一。。11一﹄Oより略≧9%の上昇となる。 ⑬諺.しdΦ目σq。・8し三伍.や悼Oひ. ⑭︾・しd2αQω8﹂三叫●や巴。。■ ⑮︾膠bd2αq。・opぴ葬や潔O. ⑯以下いつれも一九二六−二七年価格。⑰︸切①お8pま葬b●匿O●
⑱﹀.ゆ臼σq切oPま闇餌■や躍O■ ⑲ここで朝鮮動乱による軍需晶の増大が考えられる。 ⑳︾.じd臼αq。・8﹂三匙・やP邑・ ⑳男ω①8ロ層.三田日①目やoo︷OQo<陣Φけぽ曾。・峠ユ巴国醤℃窪。。− δ昌博導一やω9 五 以上、きわめて圧縮された形式で表現されているホソヂマンの修 正指数の性格をときほぐしつつかなり詳細に観察して来た。たしか 彼の指数は、いままで西欧、米国のソビエト経済学者がこころみた ソビエト工業生産指数の中もつとも包括的な指数であり、制約せら れた資料の中からこの指数作成に投入せられた努.力のなみなみなら ぬことを思いその労苦に頭を下げざるをえない。制約せられた資料 を克服して達成.せられたソビエト経済研究の一つの大きな里程標で あることは疑えないであらう。 ’「 響 然しながら、筆者は、D。ボルツマンが批評する程、その指数が ① ︿確定的なVものとは考えない。 けだし、ホッヂマンの指数は指数算式としてはラスパイレス形式