1.研究主題によせて (1)はじめに “好き嫌いの価値判断だけでよいのか,趣味的で 果たしてよいのか”美術科教育を進める中で突き当 たった大きな疑問であり,これが本研究の出発点と なった。 中学校において,美術科の授業は魅力的だと声を 大にして言えない現状がある。一概には言えないが, アンケートにおいておよそ半分が嫌いと答えてい る。もしこれがサービス業ならばおよそ成立しない。 ただ,学校教育は巷にあるサービス業ではないし, 資本主義的に物事は片付けられない。資本主義的な 考え方には本来なじまないものである。しかし,教 育が国家の理念に基づいて行われているものであ ると考えれば,当然その理念に基づいて教育も行わ れる。資本主義国のイギリスでは過去に国家戦略と してデザイン教育を重視していた時代があった。今 ももちろん重視されている。美術が好きな子どもを 育てることが将来的に美術全体を盛んにさせ,社会 全体のデザインのレベルを上げることになる。結果 的に豊かな社会を実現させることができる。デザイ ンが国作りの基礎になっていると言える。このよう に考えていくと好き嫌いという価値判断は重要で あり,授業でいう導入をうまくすれば,その後の展 開がうまくいくのと同じように,入門の部分さえし っかりすれば豊かな美術の世界が社会全体に広が っていくということも十分に期待できる。それらが 豊かな社会を実現させることになるだろう。 実際,生涯学習という視点で見ても,美術を愛好 する人は多く,美術館や博物館に足を運ぶ人,カル チャーセンターで美術を習う人や趣味で絵をたし なむ人,アニメ・漫画好きなど美術に関わる趣味の 持ち主はかなりの数にのぼるだろう。また,プロダ クトデザインである衣服や家電など,もののよさに 大半の人はこだわる。こういったことをみてみると よいものや美に憧れるのは人間の本質なのだと考 えられるだろう。“美術が嫌い”というのはすなわ ち,美術の授業が嫌いということであって,自分の 能力に自信を失った結果,嫌いになってしまうとい うこと,もしくは,学習に意味を見出せない,学習 する価値を見出せないということではないだろう か。そう仮定してみると,潜在的には大半の人は美 術が好きであるということ,表現することに自信が
6 美術
基礎的能力を伸ばし,情操を養う美術教育プログラムの開発
― 指導ポイントの明確化,指導内容・計画の整理と統合 ― 馬淵 哲 本論の要旨 本研究は,生徒が美術の表現・鑑賞活動を通して,基礎的能力を伸ばし,情操を養うために は,どのような活動が必要なのか,また,どのように指導計画を立てていけばよいのか,実際 の授業や指導計画の分析を通して検証するものである。特に「base,link,aesthetic sentiments」 をキーワードにし,生徒の基礎的能力を伸ばし,情操を養うために,どういう造形表現・鑑賞 活動が必要なのか,どういう指導が必要なのか,どのように指導計画を立てていけばよいのか という点について言及する。 審美的体験,基礎的能力を観点にして,指導内容を整理し,系統性を意識しながら指導計画 を立てることにより,指導のねらいが明確になり,基礎的能力が伸びることが確認できた。情 操面については,検証方法が十分に確立されておらず,その検証方法自体が研究の対象であり, 今後の課題となってくるであろう。 キーワード base(基礎・基本),link(結合・関連),aesthetic sentiments(情操;真・善・美・聖)ないということ,学んだことが将来に役立つかどう かわからないということ,これら美術において期待 される部分と潜在的にもっている力を引き出し,美 術が将来役立つものであるということにしっかり 応えていけば,美術が好きな生徒も増えるだろう。 それが豊かな美術文化を育むはずである。そして, 豊かな美術文化を持った日本が文化立国となり,名 誉と他国からの尊敬を得られるはずである。ひいて は社会全体が豊かになっていくであろう。 そうやって三段論法式に理詰めで考えて一つの 結論に達しても,本当に好き嫌いの価値判断だけで よいのかという最初の疑問にどうしても戻ってし まう。あくまでそれは政治経済を価値基準にした社 会,俗世の話であり,本来,人間は社会経済だけで 語れる存在ではないはずである。道徳や宗教など高 次の感情も持ち合わせている。それらは好き嫌いや 趣味といった価値判断とはまた違うものである。 日本社会全体でみると,快不快,好き嫌いといっ た感情が大きな比重を占め,道徳・宗教などの高次 の感情の比重が小さくなっているということが今 日みられるような偽装を数多く生み出す土壌にな っていると考えられないだろうか。倫理観を育て, 情操を養う道徳・教科教育がますます重要になって くると考える。 さて,そういった情操を養うことを目標とする美 術科の特殊性,他教科との違いがより鮮明に表れる のが,教科書である。他教科は学習する内容がより 具体的で,身につけさせたい基礎・基本の力が教科 書からも読み取れる。だが,美術は必ず身につけさ せたいという基礎・基本の力が教科書からは読み取 りにくい。作品サンプルが豊富で,感性的な作り方 になっており,鑑賞資料としては十分であるが,基 礎的能力をどのように身につけさせるのかという “how to”はそこにはほとんど存在しない。基礎・ 基本の力を身につけさせるには副読本に頼らざる を得ないのが現状である。 それでは美術科教育における基礎的能力とは一 体何か,どういうものなのか。 美術科における基礎的能力とは,造形技術のみを 指すのではなく,視覚言語を読解し,視覚言語で表 現していく基礎的な力全般を指している。それらが 伸びることで感覚や情操という高次の感情が養わ れ,豊かな文化的生活を創造することになる。これ らの能力が個人や社会生活に生きて働いてこそ,美 術科教育が光彩を放ち,教育の中で存在意義を高め ることになるであろう。 ともすると教育は知的面の育成ばかりがクロー ズアップされ,情意面を見失いがちである。人が生 きて働くとは,知情意が一体となって善きものをめ ざすということである。知に偏ることなく情意とと もに育てていくことが大切である。競争原理が社会 だけでなく教育現場の中にも導入されていく中,思 いやりの喪失,心の荒廃はますます広がっていくと 予想される。豊かな社会とは一体何か,改めて問い 直す必要がある。それが心の豊かさと関係している とするならば,心を育てるための教育がこれからは 必要になってくるだろう。今こそ学校教育は情操を 養い,豊かな心を育てるための教育について真剣に 考えていかなければならない。学歴信仰の隆盛や実 学重視の社会傾向により,学校教育から排除されつ つある芸術科が,心を育てる教育の一翼をきっと担 うはずである。 (2)「生きる力」との関連 「生きる力」とは… 変化の激しいこれからの社会を生きる子どもた ちに身に付けさせたい[確かな学力],[豊かな人間 性],「健康と体力」の3つの要素からなる力 [確かな学力] 知識や技能はもちろんのこと,これに加えて,学 ぶ意欲や自分で課題を見付け,自ら学び,主体的に 判断し,行動し,よりよく問題解決する資質や能力 など(基礎・基本:表現力,判断力,問題解決能力, 学ぶ意欲,知識・技能,学び方,課題発見能力,思 考力) [豊かな人間性] 自らを律しつつ,他人とともに協調し,他人を思 いやる心や感動する心など [健康と体力] たくましく生きるための健康や体力 美術科では,この中でもとくに,確かな学力,豊 かな人間性に注目し,基礎的能力が一時的,表面的 なものでなく,自分のものになっていること,他人 とともに協調し,他人を思いやる心や感動する心を 育てること,豊かな情操を養うことをねらいとし, 「基礎的能力を伸ばし,情操を養う美術教育プログ ラムの開発」を研究テーマとした。 (3)研究のねらい 本研究では,本校美術科でキーワードにしている 3点を指導の柱にして,生徒の基礎的能力を伸ばし, 情操を養うことを目標とする。3点は以下の通りで ある。
①base(基礎・基本) ②link(結合・関連) ③aesthetic sentiments(情操;真・善・美・聖) 中学校 3 年間で身につけ,伸ばす基礎的能力とは 一体どういうものか,それを伸ばすためにはどのよ うな指導計画を立てればよいのか,どういう教材を 提示すればよいのか,どのように工夫して授業を組 み立てればよいのか,また他人とともに協調し,他 人を思いやる心や感動する心を育て,情操を養うた めにはどういう教材や活動が必要なのか実践・検証 することを研究のねらいとする。ここでは「基礎的 能力は系統性や関連性を持たせて反復的に応用発 展させていくことで定着し,他者や社会との関わり の中で生きる力となる」「他者や社会,自然との関 わりの中で,多様な価値観や英知,崇高な美に触れ る中で,他人とともに協調し,他人を思いやる心や 感動する心が育つ」という立場に立脚し,特に次の 3点を明らかにしたい。 ①基礎的能力を伸ばす指導計画・指導法 ②他者や社会,自然との関わりの中で展開する授業 の方法 ③情操を養う教材,また指導法 以上3点について,実践・検証を行っていきたい と考える。 (4)研究仮説 学習活動の中に,実生活や社会に生かされている もの,または生かされるものであるという有用性, 明快な到達目標,英知や美の発見,楽しさがある場 合,生徒の創造的活動は促進されるであろう。基礎 的能力が身につき,自然との触れ合い,他者や社会 との豊かなコミュニケーションが展開される中で 豊かな情操が養われるだろう。 (5)研究方法 以下の研究資料を分析し,考察する。 ① 生徒の実態 ② 教材化に向けての資料,授業用資料 ③ 指導計画,指導案 ④ 授業の実践記録,生徒の観察 ⑤ 生徒の作品および自己評価 ⑥ 課外活動の記録 2.題材,スキルの系統性・発展性 (1)造形ポートフォリオ 生徒が今までにどんな学習をしてきて,どんな生 活を送ってきたか,生徒の実態をつかむことが学習 計画を立てる上で大切になってくる。美術科教育に おいても,生徒が今までどういった造形体験美術体 験をしてきたのかをつかんで系統的発展的に指導 を行うことが必要である。それには,小・中学校の 連携が必要である。指導計画や撮りためた作品写真, ポートフォリオがあれば,これまでの造形体験や生 徒の実態をつかむことができる。仮にナイフで鉛筆 削りをしてからデッサンに入るという指導を行う とする。もし,小学校の時に,鉛筆削りを十分過ぎ る程行ったということなら,時間をとってそれを行 わなくてもよいかもしれない。あえて指導は行わず, 鉛筆削りを各自にまかせて,いきなりデッサンに入 ってもよいだろう。しかし,鉛筆削りを行っていて も十分に身についていない場合もある。それならば, 再度,指導を行い,練習させた方がよいだろう。小 学校で行っていて,中学校でも繰り返して行ってい ることは意外に多い。これは中学校3年間の中でも 起こりうる話である。繰り返しが必要な場合もある だろうし,不必要な場合もある。定着させるために は必要だろうが,それほど重要でないものなら,省 略してもよいだろう。何を経験してきたか知るには, 生徒自身が自作のポートフォリオを作って,中学校 に持って上がるというのが理想的である。それには 学・家の連携も必要かもしれない。家庭で作品写 真・ポートフォリオ(アナログまたはデジタルデー タ)を保管してもらい,中学校で預かる。それが生 徒の実態をつかむ上ではベストであると考える。 (2)ベーシック指導計画表の作成 生徒の実態をつかむことができれば,それに合わ せて 3 年間の指導計画を立てることができる。何を ねらいにし,重点化して指導していくかは,指導内 容を項目ごとに重み付けをしてポイント換算し,学 習計画表にしてまとめることが有効である。これに よって指導のねらいがより明確になり,3年間を見 通した系統的な指導計画が立てられる。
(3)3つのダイヤル,リンク状況から読解 〜例えばランプシェード〜 「同じようで違う?」生徒の造形体験の度合い,ま た3つの要素(ねらい,造形,材料)の違いから, 同じ題材を扱っても造形表現が違うものになる。そ して表現や鑑賞も方法を変えれば一味違うものに なる。系統性,発展性を考えて,指導計画を立て, 指導のねらいをはっきりさせることが大切である。 例えば,「ランプシェード」という同じ題材でも 指導のねらいや指導計画の系統性によって学習内 容や表現・鑑賞の質が変わってくる。上に掲載して いる指導概略図は,2006 年度と 2007 年度の指導計 画・内容を各要素で比較したものである。指導者や 授業時間の違いもあり,ねらいや指導状況が違って いる。また,前単元等指導計画も変わっているため, プレ造形体験も違っている。2007 年度は前単元にシ ンメトリーの切り絵を行っているため,全体にシン メトリーの切り絵模様を利用して光の表現を行っ ていた。また,2006 年度は授業時間の関係上,形を 円筒状に制約し,絵作りに力点をおいた。2007 年度 は,形の制限を行わず,試作しながらアイデアを考 えたため,いろんな形の作品が生まれた。プレ造形 体験など生徒の実態をつかむことと指導計画の系 統性が大切であることを確認することができた。
(4)feed back & feed forward
友達同士の鑑賞会,デジタル写真撮影&ポートフ ォリオ,作品展示,こういった振り返りと相互・自 己評価を通して,表現のよさを認め合うこと,自作 や人の作品を大切にし,愛すること,これが鑑賞の 基本である。feed back は美術科においてとても 大切である。 そして,それと同じぐらいfeed forward もた いせつである。「作品をどんな場所に置きたいか?」
LINK
L
I
N
K
LINK
要素1
ね
ね
らい
ら
いの
の要
要素
素
シンメトリー切り絵07
06
色彩理解学習 レイヤーを生かした色光表現 色光の美しさの感得 染料・和紙 ケント・紙 ランプ はり絵要素3
材
材料
料の
の要
要素
素
要素2
造
造形
形の
の要
要
素
素
板締め絞り・はり絵 切り絵・ペーパークラフト ・はり絵 オブジェの おもしろさ ランプ「どんな空間にしたい か?」「製品として売り 出したら…」作品の構想 段階で,マイブランド製 品として売り出すと仮 定して構想したら,おそ らく作品自体が変わる かもしれない。どんな場 所に置くとよいか,どん な空間を演出したいかということを考えないとデ ザインはできない。もし,その作品のポスター等広 告を作るとしたら,その作品をよりよく見せるため に,どんな場所でどんな写真撮影の仕方をすればよ いのか考える。そして,その魅力が見る人に伝わる よう効果的なキャッチコピーを考える。出来上がり とその後の段階まで最初に構想しておくと,また違 った表現になっていくのではないだろうか。 例えば,ランプシェード作品を製品PR ポスター としてまとめるとする。そうすると,自作のセール スポイントやねらいを考え,コピーや見せ方を工夫 するなど,自作の良さを他人の目で客観的にとらえ ることになる。普段の作品鑑賞とはまた違い,別の 視点で作品をとらえ直し,新たな視点での鑑賞がで きるようになるのではないだろうか。 3.授業実践例1 (1)題材名,対象学年,授業時数,内容 「デッサン〜光と影,質感の表現〜」,第 1 学年, 4 時間,鉛筆による光と影・質感の素描 (2)題材によせて この題材は,光と影の美しさをとらえ,それを自 分の手で,二次元の世界に再現することをねらいと している。人間なら誰しも光るものに興味をそそら れ,それを手に入れたいという欲求を持っている。 光が作り出す世界に特別な感情を持っている。生徒 も光るもの,透明なもの,なめらかなつるつるのも のに美しさを感じ,興味・関心を示す。また,それ らが紙の上で再現できた時に,大きな喜びを感じる。 グラデーションの美しさ,光と影のコントラストな ど,普遍的な造形美を生み出した時の満足感は格別 である。こういった光と影の美しさに注目させ,そ れらを再現させて,出来たときの喜びをこの授業で 体験させたい。ねらいをより焦点化するため,要素 をできるだけ排除し,単純に表現するように指導・ 支援を行う。光るものとざらざらしたものという質 感の表現にも挑戦させる。描画材料やモチーフを絞 り,光は白鉛筆で,影は黒鉛筆で表現させる。光と 影の美しさに注目させるために支持体は白や黒で はなく中間調である灰色の画用紙を使用する。また, 作品をより美しく見せるために,自分が美しいと感 じるプロポーションに画用紙を切り取らせて,より よい構図の作品に仕上げさせる。 (3)学習目標 ・光や影が織りなす美しい世界に興味・関心を持ち, 意欲的に学習に取り組むことができる。 【関心・意欲・態度】 ・モチーフの組み合わせ方や構図を豊かに発想し, 構想を練ることができる。 【発想や構想の能力】 ・鉛筆を使って光と影,質感を表現することができ る。 【創造的な技能】 ・友達,自分の作品のよさや美しさ,創造力の豊か さなどを味わうことができる。 【鑑賞の能力】 2007 年度「文字絵」 2006 年度「文字絵」 (4)題材,スキルの系統性・発展性 〜モデリング,トリミング〜 鉛筆デッサン自体は基礎的能力を身につけるた めの題材で,特別目新しく画期的な題材ではない。 モデリング(絵画における肉付け)のスキルを高め るための練習のようなものである。ねらいを焦点化 するために手法や描画材料を少し変えているが,ご く普通の題材である。しかし,次単元とリンクし,
応用されることで基礎的スキルが定着し,次単元が 発展することになる。 次単元は,文字絵の完成である。実は,1 学年の 最初の方で文字絵のアイデアと下絵は完成してい る。平塗りや色彩学習,デッサンを間にはさみ,そ の後に本制作に入った。この文字絵も中学校1 学年 では普通によく取り上げられる題材であるが,あえ て平塗りで行わず,3 つのトーン,グラデーション を使うこと,3D(立体)化することを条件にして 文字絵を完成させた。そこには文字絵の中に前単元 で身につけたデッサン力を生かし,以降の美術表現 の中に定着させていこうというねらいがある。 作品のトリミングをあえてこの文字絵でも行う。 バランス感覚は中学1 年生の最初からうまく働く とは言えない。最初は行き当たりばったりで描いて いき,最後にトリミングして作品を仕上げる。構図 の感覚が磨かれていけば,最終的に,最初に枠のプ ロポーションを決定し,その枠内で構図を考えさせ る。構図枠を作成し,構図を意識して絵画を描くこ とも将来的には出来るようになるだろう。 2 学年 プロポーション・トリミング枠(構図枠) 上から順に基準にした比1:√1,√2, √3,√4, 1.618(黄金比 5:8=M 型キャンバス),1.236(F 型キャンバス),1.5(ハガキ型),トンド(円形) 4.個人や社会に生きて働く美術教育の視点 そもそもなぜ中学校美術教育のデザインに平塗 りが多いのかというと視認性を高め,見栄えをよく するためである。平塗りという技法の使用頻度は, 中学校教育の中で,かなり高い。しかし,果たして 中学校外でその技法は使われているのだろうか。プ ロのデザイナーも大半が平塗りは行っていないし, 画家でもそう使うことはない。美術の専門家でさえ そんな具合である。学校内でみた場合,ポスターを 描いたり,劇の大道具を作ったりする時には大いに 役立つが,学生の時だけである。ペンキなどで平ら に塗装する場合には,大いに役立つが,そんな機会 はきわめて少ない。生活全般でみた場合,平塗りで デザインすることはそうない。むしろ,鉛筆やペン, マジック,パソコンでデザインすることの方が多い だろう。それならば,将来使われることが少ない平 塗りよりは他の技法を身につけた方が有効ではな いだろうか。もし,平塗りに学習の意義があるとし たら,集中力を高め,粘り強さを身につけさせると いった精神の鍛錬にあるのだろう。また,達成感や 完成度の高い作品を作り出した満足感を得ること が出来るといった教育的効能であろう。もし,そう だとしたら,美術科の授業時数のことを考えれば, その鍛錬ばかりをやっていたらよいと悠長には言 っていられない。時間はあまりかけずに明快なねら いのもとに基礎的能力を伸ばす題材とある程度時 間をかけて応用表現することで達成感や満足感,自 己肯定感を得られる題材とをメリハリをつけてバ ランスよく配列する必要があるだろう。あえて完成 度を犠牲にし,単元をリンク,統合して複合的な美 術教育プログラムを開発していくことも場合によ っては大切なことかもしれない。また,生涯学習の 視点からみて,美術を愛好し,その中で身につけた スキルがどのように将来生かされていくかを想定 しながら,プログラムが作られていかなければなら ない。これについては,中学校美術教育プログラム の中で,基礎的能力が磨かれ,生徒の情操がどのよ うに豊かになっていったか,学校を離れたときに, 社会や個人の中でどのように生きて働くのかを調 査研究し,検証していかなければならない。現段階 では,本研究はまだそこまで進んでいないため,そ れは今後の研究課題となる。 右の作品は, 教科外の活動 として制作さ れたものであ る。美術科で培 ったスキルが 生きて働いて いる例である。 「第2 学年修 学旅行報告集 表紙デザイン」 造形スキル: シンメトリー, モデリング, にじみ 「第2 学年修 学旅行報告集」
造形スキル:二点透視図法,クロスハッチング, コントラスト,リピテーション,アシンメトリー 造形スキル:擬似フレームワーク, グラデーション,イラストレーション デザインにこったりすると,見た目ばかりが良く て中身がないなどとよく批判されるが,注意や関心 を引くためには,やはり見た目の良さも重要である。 良い中身をたくさんの人にみてもらうためには人 目をひく良いデザインは有効である。あとは中身が 伴ってくれば,そんな批判を浴びせる人も文句がな いはずである。広報活動を行う上で,AIDMA の法則 から照らして考えてみると,デザイン力を高めるこ とは必須である。 5.授業実践2 (1)題材名,対象学年,授業時数,内容 「スタイリッシュな作家たちから学ぼう」, 第 3 学年,11 時間,各種美術様式研究・テーマ研 究・模写およびテーマスタイル自作 (2)題材によせて〜能動的な鑑賞プログラム〜 分析と直感による鑑賞指導の一つの良い方法と して,作品模写がある。ところが,作品模写という 題材は,美術教師の間ではそれ程評価が高くない。 創作活動の中に独創性や個性を発揮する場面がな いからである。しかし,あらかじめ模写の次に自分 の選んだ作家(美術様式)のスタイルを借りながら オリジナル絵画を描きなさいという課題を設定し, 作品・技法の特徴,造形要素や作者の創造の秘密な どポイントをおさえて,それを読み取りながら模写 を行うことで,単に写すだけではなく,直感と分析 を繰りかえしながら能動的に鑑賞するようになる。 それはすなわち能動的で創造的な鑑賞であると言 えよう。今年度は,一つのアイデアのヒントとして, 既成のものをコラボレーションさせて描くという テーマを提示している。(例:モナリザを写楽風に 描いてみようなど) (3)学習目標 ・課題について興味・関心を持ち,意欲的に学習に取 り組むことができる。 【関心・意欲・態度】 ・作品や作者,美術文化や歴史などに興味をもち,自 ら調べたり,いろいろなものを意欲的に鑑賞すること ができる。 【関心・意欲・態度】 ・美術作品から造形的なよさや美しさ,創造力の豊か さなどを味わい,それを生かして豊かに発想し構想を 練ることができる。 【発想や構想の能力】 ・日本及び諸外国の作品の独特な表現形式や構成,技 法などに関心をもち,自分の表現意図に合う新たな表 現方法を研究するなどして創造的に表現することがで きる。 【創造的な技能】
・伝えたい内容をイラストレ−ションや図,レタリング などで分かりやすく美しく表現し,発表したり交流し たりすることができる。 【創造的な技能】 ・作者の心情や意図と創造的な表現の工夫などを理解 し見方を深め,作品に対する自分の価値意識をもって 批評し合い,よさや美しさを幅広く味わうことができ る。 【鑑賞の能力】 ・日本及び諸外国の美術の文化遺産を鑑賞し,表現の 相違と共通性に気付き,それぞれのよさや美しさ,創 造力の豊かさなどを味わうことができる。 【鑑賞の能力】 (4)情操(真・善・美・聖)を養うプログラム 作家の生き方というのは一つのロマンである。一 生をかけて追求したものが作品の中に宿っている。 その創造の秘密に触れることは,神からの啓示を受 けることに似ている。単に好き嫌いを超えた聖なる ものがそこには存在する。真に善いもの美しいもの に触れたとき,自分も善いもの美しいものを生み出 そうという意欲につながる。真に善いものに触れる ことが最善の教育法であると言ったのは音楽家,ま た教育者でもあった J.S.Bach であった。 以下はバッハの生涯と芸術 (岩波文庫)から抜粋。 「私の弟子たちは,私の音楽上の監督のもとにある 間は,私以外の作品の他には,古典的な芸術作品以 外の何物をも学んだり,習ったりすることは許され なかった。真に良いものが見分けられるための理解 力は,感覚よりも晩(おそ)く開発される。その理 解力さえ,にせの芸術にたびたび関わり合うことに よって,惑わされ,甘やかされることがありうるの は,言うまでもない。それゆえ,良いものに慣れさ せることは,若い人たちにとって最善の教え方であ る。それ(良いもの)の観念は,時とともに後から 後からとつづいて来る。そしてそれから,その観念 は,真の芸術作品のみへの愛着をますます固めるこ とになる。」 美術教育においてもまさしくその通りだと首肯 する以外ない。題材の提示の仕方,また指導法によ っては模写も情操を養う一つのプログラムとして 組み込むことができるのではないだろうか。 (4)生徒感想 ・今回このように,画家の特徴をとらえながら絵を 描くというのは,単に絵を描くのとは違い,おもし ろく,絵自体も描きやすかった。特徴を見つけよう とすると同時に,色の重なり,なども見つけること ができました。(テーマ:ムンク) ・自作では主に模写をした「丹頂」の絵を参考に描 いたので,中心に生き物を配置し,そのまわりを開 けるという構図も利用した。(テーマ:上村松篁) ・「叫び」をゴッホ風に描いていて,ゴッホとムン クの描き方は似ていると思った。うねりや色の使い 方など似ているんじゃないかと思った。(テーマ: ゴッホ) ・今回は,クレーという抽象的な絵画を残した画家 について模写等をした。描き様がとてもシンプルだ ったため,結構楽に描けるのではないかと思ったが, 実際に描き始めると全く難しく,大量の時間を要し てしまった。このことから,私は,画家がどれほど
の技巧を持ち,どれだけの時間で傑作と呼ばれる絵 画を描いてきたのかがわかった気がした。人間の複 雑な精神を絵画におこすという作業は彼らだから できるのだとしみじみ思ってしまう。自分は今まで 絵を描くということはほとんどなかったが,この授 業で精神的な成長を促進させられる一つは絵を描 くことだとわかり,いくらか持てたので良い時間に なったと思う。(テーマ:クレー) ・モネ風に油絵っぽく描くのは大変でしたが,長時 間がんばったかいがあり,とても満足のいく作品に なりました。(テーマ:モネ) 7.授業実践3 (1)題材名,対象学年,授業時数,内容 卒業記念制作「現代版掛軸」,第 3 学年,12 時間, 卒業式場に飾る卒業記念作品を絵画の上下に表装 を取り付けた縦長の掛軸の形状で制作する 2007 年 卒業式展示作品 (2)題材によせて 〜アートの中に神が宿る〜 毎年,年が明けると,書き初めが教室・廊下に掲 示される。その風景は壮観で,作品から大きなパワ ーを頂戴できる。上手下手はあるだろうが,そんな ことにはそれほど頓着しない。純粋に楽しめ,自然 に笑みが出てくる。これはアートのもつ偉大な力だ ろう。アートの中に神が宿っているようだ。美術作 品もできれば,全員の分を掲示したいものだ。個性 的で多様な表現が,みんなの心に力を与えるだろう。 この際,上手下手は脇に置いておいて自由気ままで 思いのこもった作品を並べて,ぜひみんなに見ても らいたい。卒業式という晴れの舞台で,思いのこも った作品を披露したい。そんな思いをもって,この 題材に取り組ませたい。 表現の仕方としては,掛軸の縦長のプロポーショ ンを生かし,動きや変化があり,かつバランスのよ い構図を考えさせる。表装の部分では,3cm 角の消 しゴムスタンプでスタンピングし,リピテーション による連続模様をパターンデザインや構成の仕方 に工夫させて,金(銀)色模様を作らせる。 (3)学習目標 ・課題について興味・関心を持ち,意欲的に学習に 取り組むことができたか。 【関心・意欲・態度】 ・想像力を働かせ,豊かに発想し,計画的に制作す ることができたか。 【発想や構想の能力】 ・伝えたい内容を色や形,構成の仕方に工夫をこら して表現することができたか。 【創造的な技能】 ・友達や自分の作品のよさや想像力の豊かさを味わ うことができたか。 【鑑賞の能力】 8.授業実践4 (1)題材名,対象学年,授業時数,内容 プロダクトデザイン・プロジェクト“三方善し” 第2学年,10 時間,自然・人・社会に善いプロダク トデザインをグループで企画・制作・発表する (2)題材によせて 昨今,生徒の社会性の低下がよく言われているが, それは核家族の増加,共同体の弱体化,地域の教育 力低下が原因と考えられる。生徒の社会性を育てる には,共同作業が有効であり,教科の授業の中でも 求められるものであるが,必修美術の中ではあまり 行われていない。行事や記念制作などでは共同制作 もよく行われているが,必修美術の授業で共同制作 を行うのはなかなか難しい。客観的で妥当な評価法, 参考にする共同制作の手だてと実践例が少ないか らである。 このデザイン学習は,共同(協同)でデザイン について考える体験ができ,デザインを通して社 会に参画する意識が生まれること,他人を思いや り,社会や人に役立つといった社会に生きる提言 が行えることなど,デザイン学習を通して豊かな 社会性や,人間性を育むといったよい面があり, 生徒の協調性を育てる一つのよい実践になる。
授業では,最初に,課題テーマについてグルー プ討議を行い,プロダクトデザインの評価・鑑賞を 通して,よりよいデザインを考える。そしてグルー プ討議や協同作業を通して,人や環境によいプロ ダクトデザインを追究し,提案していく。最終的に は,ポスター,模型等,プレゼンテーションに必要 なものを制作し,広報活動を展開する。 この題材を通して,発想力・構想力を伸ばし,積 極的に社会に関わり,社会に生きる提言を行ってい く姿勢,また協調性を育てていきたい。 (3)学習目標 ・課題に興味・関心を持ち,友達と協力して,積極 的に学習に取り組むことができる。 【関心・意欲・態度】 ・プロダクトデザインの課題を発見し,改善点やデ ザインについて,豊かに発想し構想を練ることがで きる。 【発想や構想の能力】 ・発表や表現の仕方に創意工夫をこらすことができ る。 【創造的な技能】 ・友達,自分の発表や表現のよさ,創造力の豊かさ などを味わうことができる。 【鑑賞の能力】 (4)生徒感想 ・ハミガキ粉と歯ブラシの合体というアイデアから 始まった3班の「三方善し」でしたが,主に女子が PR ポスター,男子はパワーポイントと上手く分担し てコミュニケーションも図りながら毎授業を進め ていくことができました。発表も私なりに上手くで きたと思います。これからの生活にも「三方善し」 を見つけていきたいです。 ・3班の「ハミガキ粉 in ハブラシ」はグループで 話し合って,機能性以外にもデザイン性なども工夫 し,とても良いものができたと思います。どのグル ープも発表方法が工夫されていて,とても良かった と思います。どの製品ももっと工夫すればどんどん 良くなっていくと思います。人にも社会にも環境に も優しい製品が増えればいいと思いました。 ・発表に一部参加できなかったのが残念だった。プ レゼンや(実物)を作るのに時間はあまりかからな かったが,時間がどうしても足りなくなったのはア イデアが出なかったせいだった。新しい物を生み出 すには,多くの経験と,少しのひらめきが必要だと だれかが,言っていたとおり,創造することは簡単 なものではなかった。それでもひとりひとりがアイ デアを出し合って,実物を完成させることができた 時は,充実感が得られた。 ・私は発表する役ではなかったけれど,ポスターを カラフルにして見やすくしたので,そういう工夫が できてよかった。夏休み,ユニバーサルデザインを したが,その時は自分のアイデアだけだったけど, 今回は6人で更に男女混ざっていたのでたくさん のアイデアを聞けて勉強になりました。ほかの班の 発表も私たちを違う観点で「三方善し」を考えてい て「なるほど」と思いました。こういうのを実用化 すればいいと思います。 ・この授業が始まったときは本当に自分たちの力で 改良することができるのだろうかと思っていまし た。今,世の中にある物の多くは使いやすくできて いるので考えるのがとても難しかったです。でも班 のみんなでいろいろ考えてユニークな製品ができ て本当によかったと思います。他の班の発表も,工 夫がこらされていて実現するといいなと思う製品 があり,聞いていて楽しかったです。これからもデ ザインという視点から誰にも使いやすいものを考 えていけたらいいと思いました。 ・今,環境問題が問題になっているので,環境のこ とを思って,デザインをしないといけないと思いま す。社会にどういう影響を与えるのかを考える。日 常で不便だなあと感じるものは。けっこうたくさん ありますが,自分たちで考えて作ると思うとなかな かいいアイデアが浮かばなくて苦労しました。最終 的にシャンプーは改良することになって上手くで きたかなあと思いました。私たちは普通に使えるも のでも一部の人にとっては,すごく不便や私たちに
も不便な物がたくさんあるので,この授業を通して, もう一度そういうものを見直したいです。 9.研究成果と課題 ①基礎的能力を伸ばす指導計画・指導法 系統性を意識し,身につけさせたいスキル,授業 のねらいを表にまとめたりするなどして明確化し, 単元の中で,前単元・次単元のつながりを意識した。 また,単一的な教材を複合的な教材プログラムに組 み換えた。その結果,基礎的能力が定着し,応用的 表現において,培った基礎的スキルを生かす生徒が みられるようになった。 ②他者や社会,自然との関わりの中で展開する授業 の方法 協同思考による問題解決型デザイン学習は,デ ザインを通して社会に参画する意識が生まれるこ と,社会や人に役立つといった社会に生きる提言 が行えることなど,デザイン学習を通して豊かな 社会性や人間性を育むことができる。 社会や他者との関わりの中で,学習したことが 役立ったと思えることが,一つの動機付けになり, また次の学習につながっていく。それが職業や生 活の中に生かされ,場合によっては生涯学習につ ながっていくであろう。 自然体験は,必修教科の中で行うことは難しいが, 行事・特別活動,宿題などの課外活動に期待し,今 後は,それらと関連を図り,間接的にではあっても 自然を意識した表現活動ができるように教育プロ グラムを作っていく必要がある。 ③情操を養う教材,また指導法 自然の本質や美しさを直感すること,芸術に一生 を捧げた芸術家の生き方や作品の一端を垣間見る ことは貴重な体験となる。普段の生活からは窺い知 ることのできない世界を体験することは,自分の世 界を広げ,また深めることになる。美術科の授業に おいては,技術指導に偏ることなく,美的直感力, 読解力を育てるための教育プログラムが重要であ る。最初にインプット(鑑賞)があって,その感動 体験がアウトプット(表現)を生む。鑑賞指導の重 要性を改めて感じた。また,美術作品が日常的に鑑 賞できるように展示の工夫を行うこと,美術作品を 大切にし,できれば自作を家で飾ってもらえるよう に自分が納得のいく作品に仕上げ,大切に保管する ことが,生徒の情操を養う大事な基盤になっていく のではないだろうか。 情操を養う美術環境,鑑賞教育プログラムをどの ように作り上げていくかが今後の課題である。 【参考・引用文献】 ■宮脇理監修,「ベーシック造形技法—図画工作・美 術の基礎的表現と鑑賞—」,建帛社,2006 年 ■J.N. フォルケル著,柴田 治三郎翻訳「バッハの 生涯と芸術」岩波文庫,1988 年