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奄美経済の現状と課題 ~トンネル建設と地域再生の検証~

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奄美経済の現状と課題

~トンネル建設と地域再生の検証~

Current­Situation­and­Issues­of­Amami­Island’s­economy

―­Construction­of­Tunnel­and­Verification­of­Regional­Revitalization­―

前 泊 博 盛1 Maedomari­Hiromori

【目次】

はじめに

1.奄美経済の現状と課題

2.奄美群島振興開発の意義と成果

3.奄美大島におけるトンネル(隧道)建設と地域再生 4.まとめ

はじめに

奄美群島は 2019 年 12 月で「本土復帰」67 年を迎える。終戦後 1946 年 1 月 29 日、

奄美諸島は連合軍最高司令部の覚書により日本本土と行政分離され、同年2月2日に臨時 北部南西諸島の名称が付されて以来、1953 年 12 月 25 日に「奄美群島に関する日本国と アメリカ合衆国との間の協定」(条約第 33 号)で施政権が日本に移管(本土復帰)され るまでの 8 年間を米軍統治下に置かれた。

米軍統治下にあった奄美は、同じく米軍統治下で基地建設などを行われていた沖縄と同 様に、戦後復興や産業振興などが大幅に遅れた。1953 年の本土復帰後、奄美群島では「奄 美振興開発特別措置法」等の下で政府によるキャッチアップ政策が展開された。振興開発 事業(復興事業、進行事業、振興開発事業等)の総額は 1954 年度~ 2016 年度までに総 額 2 兆 4,743 億円に上る。道路、港湾、空港など社会インフラの整備は進んだ。

その一方で、1955 年には 20 万人を超えていた奄美群島の人口は直近の 2015 年には 11 万人まで半減。その後も減少が続いている。農林水産業や伝統工芸品など第二次産業 は衰退の一途をたどり、地域再生のための具体的な方策はかすんで見えない。

本論では、島嶼経済の象徴的な課題を抱える奄美群島の中でも、奄美大島における社会 資本整備と地域再生の課題を検証した。その結果、公共事業の展開によるモノづくり産業 の衰退と同時に奄美振興予算の多くを投入した「トンネル(隧道)事業」が、必ずしも地

1 沖縄国際大学経済学部地域環境政策学科

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域振興とは直結せず、人口減少地域の歯止め効果も少ないなどの実態が明らかになった。

地域再生につながる公共事業の在り方を含め、人口減や雇用政策、人材育成、観光振興、

農業振興など島嶼地域の特性を生かす新たな地域振興政策の展開が、いま奄美振興策に求 められている。

1.奄美経済の現状と課題

(1)奄美群島の概況

奄美群島は、鹿児島県の南東海上の琉球弧に連なる北方・北緯 28 度 32 分 44 秒~北 緯 27 度 01 分 07 秒、東方・東経 130 度 02 分 07 秒~西方・東経 128 度 23 分 43 秒の 海域に飛石状に連なる島々からなっている。有人島には奄美大島、加計呂麻島、請島、与 路島、喜界島、徳之島、沖永良部島及び与論島の8島があり、国内の離島群の中でも、本 土から遠隔地に位置し、鹿児島市から航路距離にして群島東北端の喜界島まで 377㎞、最 南端の与論島まで 594㎞に及んでいる(図表1)。

奄美群島の総面積は 1,231.11㎢で、最も大きい奄美大島は 712.35㎢で、離島関係特別 法が適用される国内離島のうち佐渡島に次ぐ第2位の広さとなっている。

市町村数は、本土復帰時(1953 年)には1市5町 14 村だったが、その後の市町村合 併等で現在は1市9町2村となっている。

地形上、奄美群島は二分され「奄美大島、加計呂麻島、請島、与路島、徳之島北東部は 主として古成層と火成岩からなる急峻な山陵性の地形で、海岸線は変化に富み、河川はい ずれも短小急流」となっている。一方、「喜界島、沖永良部島、与論島は琉球石灰岩、い わゆるサンゴ礁が広く発達し、低平な段丘状の地形」で砂浜、鍾乳洞等観光的資源には恵 まれている。反面、河川は少なく、雨水は大部分地下に浸透している。徳之島南西部も前 3島と同じく琉球石灰岩で形成されている。

気候は、沖縄県などと同様に「亜熱帯・海洋性」に属し、年間平均気温は 21℃前後で、

降水量は約 3,000㎜と四季を通じて温暖多雨となっている。また、沖縄県と同様に台風の 常襲地帯としても知られている。

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図表1

(2)奄美経済の現状

奄美群島は、先の大戦での日本敗戦とそれに引き続く8年間の行政分離によって耐乏生 活を余儀無くされた。しかし、本土復帰後の特別措置法に基づく復興、振興及び振興開発 事業の実施で、交通基盤や産業基盤、生活環境などの社会資本の整備が進み、生活水準も 着実に向上するなどの大きな成果を上げてきた。

しかしながら、本土との遠隔性・環海性など島嶼地域としての不利な地理的条件に加え、

台風常襲地帯であるなどの厳しい自然条件下にあり、「自立的発展の基礎条件」は必ずし も確立されたとは言い難い状況にある、とされている。

奄美群島は総人口 11 万 147 人(平成 27 年= 2015 年国政調査)で、1955 年国勢調査(20 万 5,363 人)に比べ 9 万 5,216 人減(▲ 46.4%)と、大幅な人口減少となっている。人 口減は鹿児島県(同▲ 19.4%)に比べても、その幅が大きくなっている。沖縄県が 79%増、

日本全国が 42.4%増と比べて、奄美群島地域の人口減少は顕著となっている。

図2=奄美群島の主要指標(鹿児島県、沖縄県、全国比較)

出典:鹿児島県企画部離島振興課『奄美群島の現状・課題及びこれまでの奄振事業の成果について』

(平成29年=2017年、6月)

出所:鹿児島県企画部離島振興課資料

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 人口に占める 65 歳以上人口の構成比も 31.3%(2015 年)と鹿児島県(29.1%)、沖 縄県(19.4%)、全国(26.3%)を大きく超える高齢化が進んでいる。

 一人当たりの県民所得は、209 万円(平成 26 年= 2014 年)で鹿児島県平均の 239 万円、

全国最低の沖縄県(210 万円)、全国平均(287 万円)を下回っている。

 生活保護率も 62.8‰(平成 28 年= 2016 年)と鹿児島県平均(19.3‰)の三倍の水準 となっており、沖縄県(25.6‰)、全国平均(16.9‰)に比べても高率の保護率となっている。

 奄美振興開発計画の成果ともいえる「国県道改良率(幅員 5.5 m以上)」は 81.5%(2014 年)

と沖縄県(93%)には及ばないものの鹿児島県(78.4%)、全国(76.5%)を大きく上回っ ている。一方で市町村道改良率は 16.9%(同)と鹿児島(21.2%)、沖縄県(27%)、全国

(18.2%)を下回っている。生活道路となる市町村道の整備率の低さが顕著となっている。

 市町村財政力指数は 0.16 と鹿児島(0.32)、沖縄県(0.32)、全国平均(0.49)を大き く下回り、自主財源の確保を含め財政力の強化が大きな課題となっている(図表 2)。2 島嶼地域の大きな課題となる物価水準は、1ℓ当たりのガソリン価格が 152 円(2017 年)

と鹿児島(139 円)、沖縄県(136 円)、全国(131 円)を大きく上回っている。平成 29 年= 2017 年 7 月の「物価の比較」(鹿児島県消費行政推進室)では、さらに本土平均価 格との格差が広がっている(図表3)。ガソリンは本土が 136 円に対し 154 円と格差は 1.13 倍。トイレットペーパーなども本土価格の 1・09 倍、うるち米が 1.14 倍、生鮮食料品もキャ ベツが 1.20 倍、きゅうりが 1.47 倍などとなっており、地産地消できる牛乳は 0.66 倍と 安くなっている。島嶼地域が共通する課題として、「交通コスト」「輸送コスト」「生産コスト」

「加工コスト」の格差をいかに補填・吸収・是正できるかが焦点となっている。

図表2 奄美群島の主要指標(鹿児島県、沖縄県、全国比較)

図2=奄美群島の主要指標(鹿児島県、沖縄県、全国比較)

出典:鹿児島県企画部離島振興課『奄美群島の現状・課題及びこれまでの奄振事業の成果について』

(平成29年=2017年、6月)

出典:鹿児島県企画部離島振興課『奄美群島の現状・課題及びこれまでの奄振事業の成果について』

(平成 29 年= 2017 年、6 月)

2 鹿児島県企画部離島振興課『奄美群島の現状・課題及びこれまでの奄振事業の成果について』(平 成29年=2017年、6月)

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図表3 奄美群島と本土の物価比較(2017 年 7 月)

(3)奄美経済の課題

 2 兆円を超す振興開発事業費を投入しながら、急激な人口減に対する歯止めがかからな い奄美群島経済の課題について概観する。

 奄美群島が抱える共通の課題として、課題克服のために制定された「奄美群島振興開発 特別措置法(以下、奄振法)」は次のように記述している。

「­ 第一条­ この法律は、奄美群島の特殊事情に鑑み、(略)その基礎条件の改善並びに地 理的及び自然的特性に即した奄美群島の振興開発を図り、もつて奄美群島の自立的発展並 びにその住民の生活の安定及び福祉の向上並びに奄美群島における定住の促進を図ること を目的とする」

政府が奄振法を制定する理由となる「奄美群島の特殊事情」については①地理的特殊事 情、②自然的特殊事情、③歴史的特殊事情の3つを挙げている。奄美群島に 20 年遅れて 米軍統治下から日本へ施政権を移管された沖縄県も、同様の特殊事情から「沖縄振興開発 特別措置法(沖振法)」を制定している。島嶼地域の特殊事情をもとに振興開発計画のた めの特措法制定を行う点で「奄振法」は「沖振法」の先行モデルとなっている。

奄振法で掲げられた特殊事情については次のように記述されている。

①「地理的特殊事情」

鹿児島市等の集積地からの外洋遠隔性、遠洋分散性等に起因する移動コスト、物流コス トの増大等­地理的特殊事情による不利性。

資料:鹿児島県消費者行政推進室

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【例】鹿児島市から直線距離で372㎞~547㎞の距離、鹿児島空港から空路で65分

~80分の所要時間、鹿児島港からフェリーで11時間~19時40分の所要時間。

②「自然的特殊事情」

亜熱帯気候による台風の常襲地帯である等の自然的特殊事情による不利性。

【例】台風の常襲地帯:昭和56年(1982年)から平成27年(2015年)の35年間 に発生した台風の約21%が奄美大島の500㎞以内に接近。

豪雨災害:平成22年(2010年)10月、平成23年(2011年)9月、平成23年(同)

11月豪雨災害の発生。

ハブ存在:山林・畑地等での生産活動への支障。

特殊病害虫:ミカンコミバエ、アリモドキゾウムシ等の病害虫による農作物への被害。 カンキツ類などの果実類やサツマイモ属植物等の島外への移動の禁止。

③歴史的特殊事情

戦後米軍の支配下にあったことによる開発の遅れ等の歴史的特殊事情による不利性

【例】戦後の奄美群島は、昭和28年(1953年)12月まで米国軍政下において統治 されていた間、社会基盤整備・生活基盤整備が進まず戦後復興が遅れ、また製造業 等の立ち後れによる産業構造上の非効率性による経済面での格差の発生。

 以上の 3 点は、沖振法と共通しているが、沖縄県の場合には4つ目の特殊事情として「社 会的事情」を加えている。社会的事情とは「国土面積の 0.6%の沖縄県に在日米軍専用施設・

区域の多くが集中」という米軍基地問題を指している。

このよう沖縄県より先に「本土復帰」を果たした奄美では「沖縄振興開発特別措置法」

の源流ともいえる「奄美振興開発特別措置法」の下で政府のキャッチアップ政策が展開さ れてきた。しかし、沖縄同様、本土との所得格差や高失業、高い公共事業依存の第三次産 業に特化したいびつな産業構造と悩みや課題も重なる。異なるのは、奄美には広大な米軍 基地がないこと。そして、人口が減少し続けている点である。

奄美群島は 1953 年 12 月に日本復帰を果たしたが、戦後の米軍統治下で経済復興にか なりの遅れが生じ、その遅れを取り戻すために、54 年に「奄美群島復興特別措置法」が 制定され、「経済格差是正」を掲げて5年ごとに法律の一部改正を行いつつ、「奄美振興開 発特別措置法」(2004 年 3 月 31 日期限満了)などを展開してきた。奄振法の狙いと具体 的な政策については後述するが、沖永良部島出身で奄振法を研究してきた皆村武一は『戦

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後奄美経済社会論~開発と自立のジレンマ』3で、政府主導の奄振法の成果について次のよ うに指摘している。

「50 年間にわたって、交通基盤、産業基盤、社会資本、産業振興、教育環境等の整備を行い、

離島が抱えていた不利な条件のかなりの部分が解消された。しかしながら、過疎、高齢化、

伝統的な機関産業の衰退等で奄美の経済は深刻な状況に陥っており、近年は「本土との格 差」は、むしろ拡大の方向にある。地域の活力を減退したために、地域の伝統文化やアイ デンティティーが失われつつある」4と総括。「奄美でも近代化の行き過ぎ、開発優先主義 に警鐘が発せられつつある」と警告していた。

皆村は、アマルティア・センの「開発とは、人々が享受するさまざまな本質的自由を増 大させるプロセス」との言葉を引用し、「開発の目的は、不自由の主要な原因を取り除く ことである」というセンの指摘を踏まえつつも「貧困と圧制、経済的機会の乏しさと制度 に由来する社会的窮乏、公的な施設の欠如、抑圧的国家の不寛容あるいは過剰行為」の問 題点などを挙げている。その上で、「開発は、多くの資金を必要とし、資金獲得と資金配 分をめぐって政治的・経済的・人的な利権、癒着、汚職、支配・被支配の構造が形成しや すい。行政は政治家を通じて資金獲得に奔走する。資金の配分や工事の受注は政治家との つながりがものをいう」と、開発をめぐる地域の政治支配の構図の危険性に警鐘を鳴らし てきた。

また、開発の名のもとで投じられる莫大な公共事業についても「公共事業は短期集中的 に行われるのが一般的であり、農林水産業や大島紬などの製造業等に比べて高賃金が支払 われるために、土木建設業に労働力が流れ、第1次産業や製造業の発展を妨げることになっ た」と分析している。5

農業から建設業へ。復帰 50 年を迎えた 2003 年の奄美経済は、過疎化と稲作の減反政 策などから、農業就業者数が復帰時の1割にまで減少し、代わって公共事業などによる需 要増大で、建設業従事者が復帰時の2倍増と急増した。2000 年の国政調査では奄美の産 業別就業者数は 5 万 6,983 人で、1995 年に比べ 1,839 人減っている。一方で第2次産業は、

製造業の大島紬産業が 1965 年ごろに急成長し、公共事業の追い風も受けた建設業の急増 などから、復帰時の2倍強の数値となっている。しかし大島紬産業は 1975 年をピークに 減少し、第2次産業比率は 2000 年には全国平均よりも減少し、経済のサービス化が進み、

沖縄県と同様、今後も観光関連産業の進展などから第3次産業へのシフトが進んできた。

皆村は、奄美群島ではモノの生産は伸びず、工事費や労賃が支払われるために消費は増え、

飲食業やサービス業などの第3次産業が増え、島の経済や住民は政府や島外企業への依存

3 皆村武一『戦後奄美経済社会論~開発と自立のジレンマ』(日本経済評論社)2003

4 同上、2頁。

5 前掲、皆村、3頁。

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度を高め、「自立自興の精神が強かった」はずの奄美の人々は、公的資金(政府や県の補 助金等)に依存した開発によって、市町村や住民の自治が侵食され、奄美経済の自立(自 律)性を低下させることになったと、奄振法の「弊害」を指摘している。

瀬戸内町の建設会社社長は「奄振(奄美群島振興開発事業)がもたらす土木建設工事の 魅力に、当時のシマの農業が太刀打ちできるはずがなかった。何より現金収入が魅力だっ た。昔は環境への認識も薄かったしね」と語る。同社長は 1960 年代初めに農業に見切り をつけ、裸一貫で建設業を興して 40 年になる。「昭和 30 年代後半、卵1個8円のとき土 木作業員の日当は 800 円だった」と同社長。多くの人が現金収入を求め、土木作業の仕 事を得ようとした。作業員数は、集落ごとに平等に割り当てねばならないほど希望者は多 かったという。

 1955 年当時、奄美の就業者の 73%は農業に従事し、建設業は2%にすぎなかった。奄 美振興事業が始まった 10 年後には、農業従事者は 44%に減り、建設業は 7%に増えている。

2000 年の国勢調査では、農業従事者 16%に対し、建設業 14%。住用村は 26%、大和村 は 23%と、4人に1人が建設業に従事するようになっている。皆村の指摘通り、奄振法・

奄振計で増えた公共事業は、奄美群島を「公共事業依存」群島に変え、「土建依存」群島 へと産業構造を転換させてきたことになる。

同様の傾向は奄振法をモデルに実施されてきた「沖縄振興開発計画」においても浮き彫 りになっている。沖振法は、1972 年から 10 年ごとに更新・延長され、第 4 次振計に当 たる計画からは「開発」の文字を消し、民間主導の自立型経済の構築」が強調されるよう になった。「ハードからソフトへ」「コンクリートから人へ」という言葉も飛び交ったが、「開 発」の言葉が消えた途端に、政府の沖縄予算は減額をはじめ、1997 年の 4,700 億円をピー クに、2002 年以降の「沖縄振興計画」では 2,200 億円まで半減する結果を招いた。この ため建設業を中心に、破綻・倒産が相次いだ。一度、開発主導型を経験し、公共事業中心 の経済構造を構築されてしまうと、その経済構造、産業構造の変革にはとてつもない犠牲 と痛みを伴うことになった。

2.奄美群島振興開発の意義と成果

(1)奄美諸島振興計画(奄振計)の概況

本項では鹿児島県大島支庁『奄美群島の概況』(平成 29 = 2017 年度)を基に奄美群島 振興開発計画の中身を検討する。

奄美群島の振興開発については、1953 年の本土復帰以降、復興事業、振興事業とそれ に引き続く振興開発事業がそれぞれ復興・振興・振興開発計画に基づき、総合的に展開さ れてきた。その結果、交通・産業基盤や生活環境などの社会資本の整備は着実に進められ てきた。しかし、本土から遠隔性、外海離島という「地理的条件」や台風常襲地帯などの 厳しい「自然的条件」などもあり、本土との所得格差や物価格差など様々な格差が継続し

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存在している。

また、人口減少や高齢化の進展など島嶼地域に限らず日本全体が抱える課題もより鮮明 になり、深刻度は加速度を増している。

一方で「奄美・琉球」は世界自然遺産登録の国内候補地となるなど、豊かな自然環境の 中で固有種や希少種など貴重な動植物の宝庫となっている。亜熱帯性・海洋性の豊かな自 然とともに、多様で個性的な伝統文化、安心して子どもを生み育てることができる生活環 境、長寿や癒やしに関連の深い多様な地域資源など他の地域にはない豊かな魅力と特性を 備えている。

加えて、奄美群島は沖縄県などとともに成長著しい東アジアに隣接しており、これらの 地域を含め国内外から多くの観光客が訪れることが期待されている。これらの点を踏まえ て、政府や鹿児島県、奄美群島各自治体は共同して群島の優位性を生かしながら「本土と の格差是正や人口減少等の課題解決と自立的で持続可能な発展に向けて、地域が自らの責 任のもと主体的に施策を実施する」ために、群島が一体となった施策の展開を行い、群島 の成長を自発的に推進するための「奄美群島成長戦略ビジョン」を策定している。

計画は「奄美群島振興開発特別措置法」に基づき「国、県、奄美群島の市町村、地元住 民、関係機関・団体等が一体となって,地元の発意・創意­ 工夫を生かしつつ自立的発展 を目指す上で必要な,今後の奄美群島の振興開発の基本的方針と各島における振興方策を 示すもの」となっている。

計画の期間は平成 26 年度= 2014 年から平成 30 年度 2018 年までの5年間で、計画の 目標として「奄美群島の基礎条件の改善や地理的及び自然的特性に応じた同群島の振興開 発を図り、同群島の自立的発展、地域住民の生活の安定及び福祉向上、定住促進を図るこ とを目標としている。

(2)奄美群島の振興開発の基本的方針

奄美群島は日本の領域の保全や海洋資源の利用、多様な文化の継承、自然環境の保全、

自然とのふれあいの場とその機会を提供し、食料の安定的な供給などを担っているとされ ている。その一方で、人口減少や高齢化が進み、地域の活力低下が懸念されている。計画 の目標達成のためには奄美群島の地理的、自然的特性を生かし、その魅力を増進すること を基本理念として地域主体の取組を推進し、定住促進、交流拡大、条件不利性の改善、生 活基盤の確保・充実の施策の展開を図ることが基本方針として位置づけられている。

(3)地域主体の取組

「奄美群島成長戦略ビジョン」は「群島民が幸せに生活するため,重点3分野(農業,

観光/交流,情報)を基軸­ として、雇用の創出に重点を置いた産業振興を目指す」とい う基本理念を掲げ、群島主体の取組として地元 12 市町村が同ビジョンを具体化する基本

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計画・実施計画を策定している。実施にあたっては「奄美群島広域事務組合」が設置され、

群島全体の取組や市町村の主体的な取組を促進している。

また、新たに創設された「奄美群島振興交付金」の活用で奄美群島の厳しい地理的・自 然­ 的・歴史的条件不利性の克服等のためにソフト面を中心に自らの責任で地域の裁量に 基づく施策を展開する、としている。

さらに「市町村産業振興促進計画認定制度」の活用で、産業振興のための新たに創設さ れた「市町村産業振興促進計画認定制度」で通訳案内士法の特例や旅行業法の特例、既存 施設の有効活用のための手続きの緩和措置などの法律上又は税制上の支援措置の活用を促 進­する、としている。

群島全体の課題となっている「定住促進」に向けては、農業を基幹産業に位置づけ、亜 熱帯性の温暖な気候を生かしたサトウキビと野菜、花き、果樹の園芸作物や肉用牛などを 組み合わせた「複合経営」を柱に据えている。また、農業に観光、情報通信産業を加えた

「重点3分野」を産業振興の中核に据え、特色ある農業による新たな担い手の確保・育成、

農地の効率的な利活用、基盤整備事業の促進、災害に強いハウスなど栽培施設の整備など に力を入れていくことなどを掲げている。他地域との差別化、ブランド化定住促進を掲げ ていが、6次産業化などによる奄美群島の農産物の高付加価値化が課題となっている。

観光関係では、自然や文化等を観光資源として活用し、保護と利用の調和に配慮した観 光政策の展開を模索している。

情報通信技術の急速な発展と開発で外海離島の遠隔性、隔絶性など課題克服が進んでい る。その中で、空間的距離や時間的距離の不利性を克服する情報通信関連産業の誘致・立 地が目標となっている。沖縄県などでも急成長しているコールセンタービジネスやソフト 開発など ICT 関連産業の誘致は、今後の奄美群島の定住化、人口減対策、働き方改革な どにつながる施策として注目されている。

これらの産業は、島嶼地域ならではの奄美群島が持つ豊かな自然環境と安価な地価、安 価なオフィス賃料などが誘致戦略の魅力として打ち出されている。

漁業についても、温暖な静穏海域を生かした養殖業や栽培漁業の振興、浮魚礁(パヤオ)

の設置等による漁場の造成など水産業の振興も脚光を浴びつつある。

林業も森林の有する多面的な機能の持続的発揮や広葉樹等の森林資源や特用林産物等の 活用が打ち出されている。

さらに、大島紬や黒糖焼酎等の地域産業や起業支援など地域の特性を生かしたモノづく り産業の振興などを通して伝統文化の振興、既存企業の活性化などによるUターンやI ターン、Oターンの支援など定住促進も計画に盛り込まれている。

奄美群島は 100 歳以上の長寿者の比率が高い「長寿の島」として知られている。加え て合計特殊出生率が高く、少子高齢化の日本の中で多子高齢化の「子宝の島」として注目 されている。

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一方で、他の地域に比べ医療従事者不足や高い早世率などが課題となっている。このた め健康づくり、医療提供体制の整備、高齢者・児童福祉等の推進など「保健医療福祉施策 の展開」、教育や人材育成、生活環境の整備、資源・エネルギーの確保等の施策の展開も 個別重要な課題となっている。

人材の確保・育成に関しては観光物産振興の核となる島コーディネーター、物産コーディ ネーター、通訳案内士、エコツアーガイド、歴史文化ガイド、物産に関する商品企画プラ ンナー・デザイナー、プロジェクトマネージャー等の「プロフェッショナルな人材」を、

いかに中長期的に確保・育成、教育していけるかがカギとなっている。

また「人材育成シリコンバレー」など人材集積の場の整備、集積によるイノベーション の推進、起業支援など移住者や若年層の就職支援、職と住を含めた移住者受入体制の整備、

インターンシップの充実など「定住強化」に向けた取組が盛り込まれている。

(4)奄振計の成果

①「奄美復興事業」(昭和 29 = 1954 ~ 38 = 1963 年)­

復興事業では「奄美群島住民の生活水準をおおむね戦前(昭和9= 1934 年~ 11 年=

1936 年)の本土並に引き上げるため」に必要な産業、文化の復興と公共施設の整備・充 実を図ることを目標として実施された。

復興事業の実施で公共土木施設が整備され、群島の経済活動が活発化。県道湯湾思勝名 瀬線や喜界島・徳之島・沖永良部島循環線等の未開通路線の新設や拡幅整備、市町村道の 改良等が実施され、交通不能区間も大幅に解消された。港湾も大島本島、徳之島、喜界島 など8港が整備され、1,000 トン級の船舶が接岸可能となった。空港も喜界空港が旧軍飛 行場跡に整備、大島本島に奄美空港が完成。県立大島病院をはじめ保健所や診療所(6箇 所)の設置など無医地区の多くが解消された。

水道も上水道(奄美市名瀬、瀬戸内町)や簡易水道(46 地区)が設置され、水道普及 率は復帰当時の 2.5%から 57%と大きく改善された。

一方で産業振興は農林漁業など各種協同組合や農業試験場など試験研究施設、土地改良 事業の推進、製糖工場の整備、大島紬の撚糸工場や染色工場等の共同施設の整備等が図ら れたが、主要産業はようやく方向づけがなされた段階にとどまった。

②「奄美振興事業」(昭和 39 = 1964 ~ 48 = 1973 年度)­

奄美振興事業では、公共施設の整備に重点を置いた復興事業の補完事業が展開された。

主要産業の育成振興を重点に、群島の経済的自立を促進し「住民の生活水準をおおむね 本県本土の水準に近づける」ことを目標として実施された。

振興事業の実施で農業振興のための土地改良事業が進み、さとうきびなどの主要農作物 の生産量が飛躍的に伸びた。またミカンコミバエの防除が開始された。漁業振興の拠点施

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設として古仁屋、早町、知名漁港等の主要漁港が整備され、漁業振興に大きく貢献した。

大島紬も大島紬センター、紬織工養成所、染色共同作業場が建設され、近代化が図られ ている。また増大しつつあった群島への観光客対応として海浜公園センター建設やグラス ボートの建造等が行われている。

産業基盤の整備では、交通不能区間の解消を目的として道路の新設や改良、舗装が推進 された、従来、船でしか往来できなかった大和村、宇検村等の地区も陸上交通が可能となっ た。

海上交通の輸送量増大に対応し、船舶の大型化に合わせて名瀬港(10,000 トン)、亀徳 港、和泊港(各 3,000 トン)などが整備されている。空港は沖永良部空港が開設、徳之 島空港が県営化され滑走路が延長整備されている。水道普及率は 90.7%に向上した。

③「奄美振興開発事業」(昭和 49 = 1974 年度~現在)­

奄美振興開発事業では、本土との格差是正、格差解消に向け、「国土の均衡ある発展と 地域の特性に応じた開発を推進するためにも,奄美群島の特性と発展可能性を生かし,積 極的な社会開発と産業振興を進める」を目標に諸施策が推進されている。

「振興開発事業」の結果、道路、港湾、空港等の交通基盤、農林水産業等の産業基盤、

上下水道、保健医療・福祉施設、学校施設等の生活・教育基盤の整備が進んだ。特に国・

県道改良率や水道普及率、ほ場整備率等が全国・県平均を上回るなど社会資本の整備は一 気に成果を上げている。

しかしながら、所得・物価格差など本土との経済格差に加え、人口減少や高齢化の進行 などが引き続き課題として積み残されている。

格差是正など課題解決に向け、2014 年 3 月に「奄美群島振興開発特別措置法」の延長 が決定されている。新奄振法では大島南部地域の道路改良や治山・治水などの防災対策、

畑地かんがい施設等の整備、既存の社会資本施設の老朽化対策などが盛り込まれると同時 に、新たに創設された「奄美群島振興交付金制度」や「産業振興促進計画認定制度」等を 活用した奄美群島の持つ「条件不利性の改善」や産業振興、定住の促進等に引き続き取り 組むこととなった。

(5)本土との格差是正(沖縄振興開発計画との比較)

奄美群島と同様に米軍統治下に置かれた沖縄が昭和 47 = 1972 年5月 15 日に「本土 復帰=施政権の日本移管」を実現したことにより、奄美と同様に国の支援による振興開発 が進められることとなった。

奄美諸島と沖縄県とは外海離島という地理的特殊事情、台風常襲地帯という自然的特殊 事情、米軍統治下にあったという歴史的特殊事情など共通点も多く、政府による振興開発 計画というキャッチアップ政策が共に実施された点でも共通点が多くなっている。

(13)

沖縄県よりも 20 年早く「本土復帰」した奄美群島の振興開発計画は、そのまま沖縄振 興開発計画という形で先行事例として活用され、公共事業費の補助率の嵩上げ、振興予算 の優先的かつ一括計上方式、沖縄振興開発金融公庫などによる低利融資制度などが「奄美 の経験」から沖縄県にも注入されている。

同時に、公共事業依存による製造業など伝統産業や農業の衰退、大型公共事業などへの 域外大手ゼネコンの参入による投下資本(振興予算)の域外(本土)還流・流出という「ザ ル経済化」、環境破壊など「振興政策の負の財産」についても奄美群島と沖縄県は「共有」

することになった。

3.奄美大島におけるトンネル(隧道)建設と地域再生

(1)奄美群島の道路事業

本項では、本土復帰後の奄美大島で展開された公共事業の中で、最も象徴的な事業とな るトンネル(隧道)建設事業と地域再生の問題について検証を試みた。

奄美群島の道路整備は、生活圏の拡大や産業活動の振興及び文化の発展を図るため、一 般国道 58 号を中心に県道や市町村道など地方道の幹線道路の整備が進められてきた。

奄美群島の道路総延長は平成 28 = 2016 年4月1日現在で 3,466.6 キロメートル。そ のうち一般国道延長が 77.9 キロメートル。その他の主要要地方道延長は 239.3 キロメー トル、一般県道延長 251.7 キロメートル、市町村道延長 2,897.7 キロメートルなっている。

一般国道 58 号は、奄美市笠利町赤木名を起点として龍郷町、奄美市名瀬、奄美市住用 町を経由し瀬戸内町古仁屋に至る奄美大島の南北を縦貫する幹線となっている。

県道は、主要地方道が名瀬瀬戸内線外6路線、一般県道が佐仁万屋赤木名線外 20 路線 で、各島の循環線を骨格に横断状の道路網を形成している。整備状況は、改良済 92.7%、

舗装済 100%となっている。このうち奄美大島の国道県道総延長 363.8㎞のうち改良済 92.0%、舗装済 100%。喜界島の県道総延長 39.4㎞のうち改良済 91.2%、舗装済 100%。

徳之島の県道総延長 98.7㎞のうち改良済 96.8%、舗装済 100%。沖永良部島の県道総延 長 53.8㎞のうち改良済 100%、舗装済 100%。与論島の県道総延長 13.2㎞のうち改良済 100%、舗装済 100%となっている。沖縄県などと同様に鹿児島県平均や全国平均に比べ、

奄美群島の国道の舗装率の高さが顕著となっている(図表4)。

奄美群島を取り巻く道路交通環境は、幹線道路を中心に道路交通網の整備が進められ ている。交通事故は減少傾向にあるが、交通死亡事故が発生していることや信号機や横 断歩道等の交通安全施設の整備が遅れている。歩道の設置率は、国道・県道の道路延長 44.9%で、鹿児島県全体の 47.2%に比べ、若干下回っている。信号機や横断歩道の整備は,

道路 100㎞当たり信号機4基、横断歩道 30 本と鹿児島県全域の信号機 11 基、横断歩道 55 本を大きく下回っている。

基幹道路の整備とともに事故対策や生活支援につながるソフト関連インフラの整備の遅

(14)

れが顕著となっており、今後の道路整備事業の課題といえる。

図表4「奄美諸島の道路整備状況(鹿児島=本県、沖縄県、全国平均比較)

図5「奄美諸島の道路整備状況(鹿児島=本県、沖縄県、全国平均比較)

(2)奄美大島のトンネル道路事業

奄美大島は、奄美群島最大の島。島の総面積は 712 平方㎞で、全群島面積の 57.9%を 占める奄美群島の「母島」的位置づけとなっている。人口は 61,242 人で群島総人口の 54.3%を占めている。市町村合併もあり現在は旧名瀬市などを中核とする奄美市のほか、

大和村、宇検村、瀬戸内町、龍郷町の1市2町2村で構成されている。

群島の首都的性格を有するのが奄美市名瀬である。名実共に群島の政治、経済、交通の 中心地にあり、鹿児島県大島支庁をはじめ国や県の各出先機関が集中し、生活物資や産業 物資など貨物の集散地として商業、運輸業、製造業、建設業の中心地ともなっている。6

奄美大島は山が多く、トンネル(隧道)が多い。特に奄美大島南部には、総延長の長い

6 https://www.pref.kagoshima.jp/ac07/documents/63688_20180327144259-1.pdf 資料:鹿児島県道路維持課

(15)

長距離トンネルが集中している。トンネルは主に国道(58 号)を中心に建設されており、

渋滞解消や地域振興、地域再生のための「地域交通ネットワークの構築を主たる目的」と して建設されている。

2017 年現在、奄美群島には 38 カ所のトンネルが建設されている。そのほとんどが奄 美大島の国道・県道となっている。最長の網野子トンネル(国道 58 号)は 2015 年 3 月 に開通、共用開始されている。7

また、県道(79 号、85 号など)などでもトンネル建設は進められており、地域間交流 の促進や過疎地域の地域再生、企業・産業立地などがトンネル建設の目的となっている。

奄美大島の「おがみ山バイパス」は、トンネル (1225m) と延長道路を作り、国道 58 号 線の渋滞を解消するため事業化された。工事途中で、自民党政権から民主党政権に、政権 交代があり工事が凍結されたこともある。「網野子バイパス」は、勝浦トンネル(1122 m)

が開通済みとなっている。

2014 年 10 月には、奄美市から大和村へと続く県道・主要地方道名瀬瀬戸内線で大和 村国直―奄美市名瀬根瀬部間のトンネル整備事業が開始され、19 年度以降完成予定となっ ている。同トンネルの開通で標高 160 mの峠越えが解消され、国直―根瀬部の移動距離 は約半分となる。2.3­ ㎞のトンネルが完成すると、奄美大島内では 2014 年度供用開始の 国道 58 号「網野子トンネル」(延長 4,243 m)、2001 年供用開始の国道 58 号新和瀬ト ンネル(同 2,435 m)に次ぐ長さで、県道では島内最長となる(図表5)。

7 鹿児島県大島支庁『奄美群島の概況』(平成292017年度)210

(16)

図表5 奄美大島内・国道・県道のトンネル一覧(延長順)2017 年 4 月現在 トンネル(隧道) 種別 距離(m) 共用開始年 月 所在地

1網野子トンネル 国道58号 4,243 2015 3 瀬⼾内町網野⼦

2新和瀬トンネル 国道58号 2,435 2001 8 奄美市名瀬朝⼾〜住⽤町和瀬 3三太郎トンネル 国道58号 2,027 1989 9 奄美市住⽤町三太郎

4和光トンネル 国道58号 1,820 2005 12 奄美市名瀬有屋〜名瀬伊津部町 5朝⼾トンネル 国道58号 1,725 1993 11 奄美市名瀬朝⼾

6⻑瀬トンネル 県道79号 1,432 2006 8 大和村名音 7毛陣トンネル 県道85号 1,212 1998 11 大和村大和浜 8役勝トンネル 県道85号 1,133 2007 7 奄美市住⽤町役勝 9勝浦トンネル 国道58号 1,122 2010 3 瀬⼾内町網野⼦〜勝浦 10地蔵トンネル 国道58号 1,065 1995 11 瀬⼾内町地蔵峠

11本茶トンネル 国道58号 1,055 1985 11 奄美市名瀬浦上〜⻯郷町中勝 12知名瀬トンネル 奄美市道 970 ー

13生勝トンネル 県道79号 687 2006 9 宇検村生勝

14呑之浦トンネル 安脚場実久線 635 2009 3 瀬⼾内町押角〜呑之浦 15芦花部トンネル 県道81号 596 1995 3 奄美市名瀬芦花部〜⻯郷町秋名 16安木屋場トンネル 県道81号 555 1998 11 ⻯郷町安⽊屋場

17小和瀬トンネル 国道58号 515 1999 4 奄美市住⽤町和瀬 18屋入トンネル 国道58号 506 1993 5 ⻯郷町屋⼊

19志⼾勘トンネル 県道79号 486 2006 8 大和町志⼾勘 20山羊島トンネル 名瀬⻯郷線 421 1981 12 奄美市名瀬鳩浜 21秋名トンネル 県道81号 412 1989 11 ⻯郷町秋名 22油井トンネル 県道79号 390 2006 11 瀬⼾内町油井〜阿鉄 23名音隧道 名瀬瀬⼾内線 386 1968 11 大和町名音 24深山トンネル 篠川下福線 370 2017 4 瀬⼾内町深⼭

25朝仁隧道 名瀬瀬⼾内線 332 1974 7 奄美市名瀬朝仁

26久根津トンネル 名瀬瀬⼾内線 318 2015 6 瀬⼾内町久根津 27伊仁トンネル 名瀬瀬⼾内線 272 2003 3 宇検村生勝 28小宿トンネル 名瀬瀬⼾内線 260 1984 10 奄美市名瀬浜里 29国直トンネル 名瀬瀬⼾内線 260 1986 3 大和村国直 30城トンネル 国道58号 246 1999 4 奄美市住⽤町城 31新小勝トンネル 湯湾新村線 238 2000 11 宇検村石良 32根瀬部トンネル 名瀬瀬⼾内線 226 1989 11 奄美市名瀬根瀬部 33石釜トンネル 国道58号 210 2005 1 奄美市住⽤町下役勝 34尾神山トンネル 名瀬瀬⼾内線 210 1992 6 大和村恩勝 35芦検トンネル 名瀬瀬⼾内線 180 1998 3 宇検村芦検

36今里隧道 名瀬瀬⼾内線 172 1965 3 大和村今里

37俵トンネル 安脚場実久線 150 2007 3 瀬⼾内町瀬相〜武名 38津代トンネル 曽津高崎線 138 2016 4 宇検村名柄 39かがんばなトンネル 名瀬⻯郷線 29 1998 4 ⻯郷町円

図6=奄美群島内・国道・県道のトンネル一覧(延長順)

 2017年4月現在

※瀬⼾内町道を整備し2015年4⽉に「網野⼦バイパス開通後に国道58号に昇格」

資料:⿅児島県⼤島⽀庁建設課、⼤島⽀庁瀬⼾内事務所「統計資料」を基に筆者作成

(17)

(3)トンネル効果

トンネル建設によって地域連携が促進され、人口減少に歯止めがかかると期待されたが、

実際にはどのような結果をもたらしているのか。奄美市との交通ネットワークが強化され、

移動時間が短縮された宇検村、大和村、瀬戸内町において、トンネル建設後、どのような 効果がみられるか。人口動向を中心に分析した。

結論を先取りすると、奄美大島内の市町村の過疎化対策と地域振興を目的に推進された トンネル建設事業は、市町村の人口減少に歯止めをかけるには至らず、過疎化対策にほと んど効果を発揮できていない。むしろ、過疎化に拍車をかけた可能性がある。ほか、トン ネル整備は交流人口の増加につながった可能性はあるものの、産業振興も含めて大きな効 果は発揮されていない。

このことは、沖縄県における離島架橋事業と同様で、母島たる「本島」との連結によっ て「ストロー効果」と呼ばれる人口の流出に拍車がかかるという逆効果を生んでいる。商 業地や繁華街と橋やトンネルでつながることで、商業地や繁華街、大型商業施設のある母 島・本島や中心市街地との移動がスムースになり、利便性が格段に向上する。しかし、そ のことは当該市町村や離島地域の「不便性」がより顕著に浮き彫りになり、「便利さ」を知っ てしまった地域住民や離島住民は、当該地域を捨て、より利便性の高い本島や中心市街地 を抱える地域へと移転・移住していくという流れを生むことになる。

日本全体でも東京など首都圏への人口の一極集中、北海道における札幌一局集中、九州 における福岡一極集中などの現象と同様で「集積のメリット」を享受するために、人の移 動が加速度的に首都圏・都市部集中が進む現象が島嶼地域でも進んでいる。

奄美地域は、人口減少が加速度的に進み、過疎化が深刻化する中で、世帯数は 1980 年 代まで増加傾向にあり、核家族化の進展が伺われる。1980 年代以降は少子高齢化が加速 化し、人口減少の中で、独居化などの進展による世帯数の増加をうかがわせる内容となっ ている(図表6)。

奄美群島の場合、復帰後 60 年の間にも減少が加速度を増し、1955 年の 20 万 5 千人 から 2015 年には 11 万人とほぼ半減している。群島中心地の奄美市(旧・名瀬市)も 市町村合併で一時的な人口増はあるものの、本質的な人口減への歯止めにはつながらず、

1955 年の 5 万 3 千人から 2015 年には 4 万 3 千人まで減少を続けている(図表7)。

(18)

図表6 奄美地域の人口と世帯数の推移 ★西暦変更 図7=奄美地域の人口と世帯数の推移 ★西暦変更

205,363

155,879 156,074 153,062

142,834 135,791 132,315 126,483 118,773

110,147 103,907

85,171 85,600 84,799 79,302 75,832 73,896

70,462 65,770 61,256 56,866 58,257 60,052 60,455 56,026 53,410 51,898 49,617 46,121 43,156

10,683 3,851 3,109 2,570 2,376 2,189 2,069 1,845 1,663 1,428 0

50,000 100,000 150,000 200,000 250,000

1950 1960 1970 1980 1990 2000 2010 2020

図8=奄美群島の人口推移(人)

奄美群島 奄美大島 奄美市 加計呂麻・請・与路島 図表7 奄美群島の人口推移(人)

図7=奄美地域の人口と世帯数の推移 ★西暦変更

205,363

155,879 156,074 153,062

142,834 135,791 132,315 126,483 118,773

110,147 103,907

85,171 85,600 84,799 79,302 75,832 73,896 70,462 65,770 61,256 56,866 58,257 60,052 60,455 56,026 53,410 51,898 49,617 46,121 43,156

10,683 3,851 3,109 2,570 2,376 2,189 2,069 1,845 1,663 1,428 0

50,000 100,000 150,000 200,000 250,000

1950 1960 1970 1980 1990 2000 2010 2020

図8=奄美群島の人口推移(人)

奄美群島 奄美大島 奄美市 加計呂麻・請・与路島

 トンネル工事によって奄美市(旧・名瀬市)とのアクセスが大きく改善され、地域間連 携がよりスムースになったはずの住用村、笠利町、大和村、宇検村、瀬戸内町、竜郷町な ど6町村の人口は、トンネル建設事業に関係なく、復帰後一貫して人口は減り続けている。

(19)

トンネル事業は、過疎化対策には、ほとんど効果がないことが人口動態からは明らかになっ ている(図表8)。

図表8 奄美群島市町村別人口推移(人)

0 10,000 20,000 30,000 40,000 50,000 60,000

奄美市 名瀬市 住用村 笠利町 大和村 宇検村 瀬戸内町 竜郷町

図9=奄美群島市町村別人口推移

(人)

1955 1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 2005 2010 2015

4.まとめ

奄美復興・奄美振興事業は、本土に対する奄美群島の格差解消を目標に展開され、社会 基盤や産業基盤の整備には一定の成果を上げたものの、本格的な格差解消や過疎化・人口 減対策にはほとんど効果を上げることはできなかった。

むしろ、港湾、空港、架橋、道路、トンネル事業など大型公共事業の連続的な投入によ り「第一次産業中心の島嶼経済が、建設業を中心とする第二次産業へと産業構造の転換を 強いられ、その結果、公共事業依存度が高まり、公共事業なしでは生きていけない島に作 り替えられてしまった」と指摘されるようになっている。

このことは、奄美振興事業が開始された 1953 年 12 月から 17 年たった 1971 年には「日 本経済の成長、高度工業化社会への進展は予想をはるかに上回るスピードであって、群島 内で成果を上げた事業さえ、今日の尺度にはもはや安和なくなり、産業振興の成果として の所得格差の解消は達成され難い実情にあるだけでなく、激しい人口流出を生み、奄美群 島の住民生活の本土に対する格差はますます拡大しているといってよい」(九州経済調査 協会『奄美群島の開発に関する総合調査』)と指摘されていた。

17 年間に及ぶ奄美振興事業への反省として「格差という問題以前に、群島住民の生活 水準の絶対的水準の低さが、あらためて反省される。それはとくに港湾、道路に集中的に あらわれる。所得格差の視点から生活格差視点への転換が要請される」(同)との注目す べき警鐘がなされていたにもかかわらず、生活格差視点での工業化時代に対応できる産業 振興政策への効果的な展開がなされないままに現在に至っている。

出所:鹿児島県資料を基に筆者作成

(20)

同報告書は、基盤産業となるサトウキビ・製糖産業の振興、市場・輸送など販売戦略も 含めた飼養技術などの研究開発による畜産振興などを島嶼型産業振興の研究課題として提 起していた。

また「産業基盤の整備が不要という意味ではなく、社会基盤の整備、具体的には交通条 件(たとえば一島一港全天候接岸港の重点整備)の近代化がまずとりあげられるべきであ る」として、将来の観光人口の増大に対応できる域外との交通基盤整備の重要性を強調し ていた。

その後も奄美振興計画によって奄美各地で土木工事は進み、自然の防風林だったアダン は伐採され、過疎高齢化が進む自治体や地域ほど建設業に頼り、ほかに雇用の受け皿はな いままに「土木の島」が構築されてきた。

その象徴的な事業が、長大なトンネル事業でもあったといえる。社会基盤や産業基盤の 整備に奄美振興事業が大きく貢献した点を評価する声も多いが、一方で「造ったものは有 効活用されて初めて成果が上がるのに、造りっぱなしのモノもある」との地元自治体から の厳しい指摘もある。「生きるための糧を稼ぎ出す企業、産業立地をどう進めていくか。

公共事業と産業振興の両輪を整える。遅れている観光振興も、その一翼を担う」と奄美市 の担当は語るが、「やはりカギは人材。人口流出に歯止めをかけなければ、人材確保どこ ろか人材流出を生み、さらに厳しい環境になりかねない」という。

「コンクリートから人へ」という古くて新しいキャッチフレーズを、奄美振興のキーワー ドとして検証を重ねたい。

参考文献

[1]­ 藤田洋子・渡久地健・かりまたしげひさ編『島嶼地域の新たな展望~自然・文化・社 会の融合体としての島々』2014 年 4 月 30 日、九州大学出版会

[2]­ 惠原義盛『復刻・奄美生活史』2009 年 12 月 10 日、南方新社

[3]­ 皆村武一『戦後奄美経済社会論~開発と自立のジレンマ』2003 年 7 月 25 日、日本 経済評論社

[4]­ 前畑明美『沖縄島嶼の架橋化と社会変容~島嶼コミュニティの現代的変質』2013 年 12 月 25 日、御茶ノ水書房

[5]­ 嘉数 啓『島嶼学』2019 年 2 月 10 日、古今書房

[6]­ 九州経済調査協会『研究報告 NO154 奄美群島の開発に関する総合調査』1971 年 7 月

[7]­ 鹿児島県企画部離島振興課『奄美群島の現状・課題及びこれまでの奄振事業の成果に ついて』(平成 29 年= 2017 年、6 月)

(21)

参考

―――――――――――――――――

1 奄美群島の戦後史年表

□1945年

­ 3.­ ­ 奄美各党空襲

­ 4.­20­ 名瀬大空襲、市街地90%が消失

□1946年

­ 2.­ 2­ GHQが2・2宣言。北緯30度以南が行政分離

­ 3.­13­ 大島支庁内に軍政府設置

­ 6.­ 5­ 奄美連合青年団結成

­ 7.­ 1­ 南西諸島管理、海軍から陸軍に移管

­ 7.­15­ 大島群内通貨をB円に統一

­ 10.­ 3­ 大島支庁を臨時北部南西諸島政庁に改称、支庁長は知事に

□1947年

­ 4.­10­ 奄美共産党結成(非公然、久留義三、中村安太郎)

­ 9.­ 7­ 名瀬市市民大会、復帰論が出る

­ 9.­10­ 郡内二十一市町村長会も復帰嘆願を決議

­ 11.­ 1­ 言論、出版、宗教、平和的団体、労組、政党組織の自由・権利を付与する軍政府命 令を公布

□1948年

­ 1.­20­ 軍政府布告、政党結成を許可

□1949年

­ 5.­ 3­ 軍政府、放出食糧価格の3倍値上げを指令

­ 5.­ 8­ 食糧値上げ問題で沖縄に陳情団

□1950年

­ 8.­17­ 豊蔵朝秀、泉芳朗、社会民主党を結成

­ 10.­22­ 群島知事選、翌日開票で中江実孝当選

­ 11.­ 3­ 米軍、沖永良部知名町に駐留を開始、大山基地を設置

­ 11.­25­ 奄美群島政府発足

□1951年

­ 2.­13­ 奄美大島日本復帰協議会(復協)発足、議長に泉芳朗

­ 2.­18­ 奄美大島青年団長会、復帰決議採択。復協、復帰署名活動開始(4月までに14歳 以上の13万人余が署名)

­ 7.­13­ 市民総決起大会、日本復帰達成と信託統治反対を決議

­ 8.­ 1­ 泉議長、名瀬市の高千穂神社で復帰祈願の断食

­ 8.­ 7­ 復帰陳情団、密航で渡日

­ 9.­ 8­ 対日講和条約・日米安全保障条約調印

□1952年

­ 4.­ 1­ 琉球政府設立、行政主席に比嘉秀平

­ 4.­28­ 対日講和条約、日米安保条約発効

­ 9.­ 7­ 泉芳朗、名瀬市長に当選

(22)

­ 9.­22­ 奄美地方庁設置

­ 9.­27­ 沖永良部・与論2島分離返還報道

­ 10.­ 4­ 知名町で2島分離返還反対決起大会

□1953年

­ 1.­15­ 復協全郡代議員会、政党色排除を決定

­ 2.­ 3­ 那覇から出港した新生丸が沖永良部沖で沈没

­ 8.­ 8­ ダレス声明、奄美群島返還を発表

­ 9.­21­ 奄美―本土の無線電話開通

­ 12.­25­ 奄美群島が日本復帰

□1954年

­ 6.­21­ 奄美群島復興特別措置法制定

­ 7.­20­ 奄美群島復興協議会発足、会長に村山家國

□1955年

­ 2.­ 1­ 名瀬市、三方村を吸収合併

­ 12.­ 4­ 名瀬市で大火。市内の4分の1の1246戸焼失

□1956年

­ 9.­ 1­ 西方村、実久村、鎮西村、古仁屋町が合併し瀬戸内町誕生

­ 9.­10­ 喜界町、早町村を吸収合併

□1957年

­ 12.­ 6­ 奄美日米文化会館開館(のちの県立図書館奄美分館)、館長に作家の島尾敏雄

□1958年

­ 4.­ 1­ 第2次奄美復興計画決定

­ 4.­ 1­ 亀津町と東天城村が合併し徳之島町に

­ 11.­22­ ロシア文学者で復帰運動に尽力した昇曙夢が死去

□1959年

­ 3.­29­ 名瀬市に県立大島病院開設

­ 4.­ 9­ 泉芳朗、東京で死去

□1960年

­ 7.­20­ 沖永良部知名町の米軍大山基地所属の米兵の暴力事件に対し町民700人が抗議行 動

□1961年

­ 10.­ 1­ 鹿児島―奄美間に電電公社のマイクロウエーブ開通

□1963年

­ 3.­ 3­ 徳之島空港完成

­ 6.­10­ NHK名瀬放送局テレビ放送開始

­ 4.­27­ 沖縄復帰願い与論と辺戸でかがり火。28日に海上集会

­ 7.­ 4­ アマミノクロウサギが天然記念物に指定

­ ­ ­ ※この年「島育ち」(田端義夫)ヒットで観光客増

□1964年

­ 3.­31­ 奄美群島復興特別措置法が奄美群島振興特別措置法に

­ 6.­ 1­ 奄美空港開港

(23)

□1965年

­ 5.­ 8­ 名瀬市おがみ山の復帰記念碑除幕

□1968年

­ 4.­ 7­ 皇太子夫妻(現・天皇皇后)が奄美大島訪問

□1969年

­ 3.­28­ 奄美振興計画が10年延長

­ 5.­ 1­ 沖永良部空港が開港

□1970年

­ 1.­ 1­ 名瀬市で震度5の地震

□1972年

­ 5.­15­ 沖縄が日本復帰

­ 10.­25­ 天皇・皇后が奄美を訪問

­ 11.­30­ 鹿児島―奄美―沖縄の島伝い航路スタート

□1973年

­ 1.­ 1­ 沖永良部知名町の米軍大山基地、航空自衛隊に移管

­ 1.­11­ 大阪直行便が就航

□1974年

­ 2.­15­ 奄美群島を国定公園に指定

­ 3.­29­ 奄美群島振興特別措置法を奄美群島振興開発特別措置法に改称、5年延長

□1976年

­ 5.­ 1­ 与論空港開港

­ 11.­16­ 泉重千代が111歳で長寿日本一に

­ 12.­24­ 民法が放送開始

□1977年

­ 8.­11­ 画家の田中一村が死去

□1978年

­ 8.­22­ 南西航空の与論―那覇が開設(1987年廃止)

­ 11.­ 3­ 名瀬市で復帰25周年記念式典

□1979年

­ 3.­31­ 奄美群島振興開発特別措置法が5年延長

□1983年

­ 3.­25­ 名瀬市が非核平和都市宣言

­ 7.­ 1­ 第3セクターの航空会社・日本エアーコミューター設立

□1984年

­ 3.­31­ 奄美群島振興開発特別措置法が5年延長

­ 10.­14­ エジンバラ公が奄美大島訪問

­ 12.­14­ 龍郷町のショッチョガマと平瀬マンカイが国の重要無形文化財に指定

□1985年

­ 11.­ 9­ 日本近距離航空(現エアーニッポン)が鹿児島―奄美、奄美―沖縄を開設

□1986年

­ 2.­21­ 長寿世界一の泉重千代が120歳で死去

(24)

­ 11.­12­ 作家の島尾敏雄が死去

□1988年

­ 7.­10­ 新奄美空港開設

 ※この年、宇検村の「無我利道場」を巡るトラブルが頻発

□1989年

­ 3.­31­ 奄美群島振興開発特別措置法5年延長

­ 5.­ ­ 米ニューズウイーク、60年代に喜界沖で米空母から水爆が転落と報道

□1991年

­ 7.­ 1­ 奄美群島広域事務組合が発足

□1992年

­ 5.­10­ 沖縄復帰20周年を記念し、与論と辺戸でかがり火集会

­ 12.­24­ 東京―奄美直行便開設

□1993年

­ 11.­ 5­ 名瀬市で復帰40周年記念式典

­ 12.­13­ 与論町の「十五夜踊り」が国の重要無形文化財に指定

□1994年

­ 3.­31­ 奄美群島振興開発特別措置法が5年延長

□1995年

­ 8.­30­ 復帰運動のリーダーの1人、中村安太郎死去

□1996年

­ 1.­ 4­ 絶滅の危機にあるリュウキュウアユが沖縄から里帰り

­ 6.­ 7­ 名瀬市、12月25日と「復帰記念の日」制定

□1999年

­ 2.­ 2­ 奄美―那覇、エアーニッポンから琉球エアーコミューターに引き継ぎ

­ 3.­31­ 奄美群島振興開発特別措置法が5年延長

□2001年

­ 9.­30­ 笠利町に奄美パークがオープン

□2002年

­ 4.­28­ 沖縄の復帰30周年を記念し与論と辺戸でかがり火集会

□2003年

­ 6.­ 2­ 大島地区市町村合併協議で龍郷、瀬戸内、宇検が法定協不参加を表明

­ 11.­16­ 奄美群島復帰50周年記念式典

参照

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