デュヴェールを読むために
木下, 樹親
九州大学 : 非常勤講師
https://doi.org/10.15017/1794492
出版情報:Stella. 35, pp.279-286, 2016-12-19. Société de Langue et Littérature Françaises de l’Université du Kyushu
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デュヴェールを読むために
木 下 樹 親
フランス 4 大文学賞のひとつを受賞するほど高い評価を得たにもかかわら ず,そうした栄光とは端から無縁であったかのように文壇から消え去った現代 作家。あるいは決して許されざる悪徳に身を委ね,一般的な家庭と社会を否定 する言辞を撒き散らした度し難い子供のような存在。トニー・デュヴェールを 形容するにはそう言わざるをえまい。彼は最後の作品となった箴言集『悪意の ABCD 練習帳』(1989 年)刊行後,沈黙することを選び,他者との関わりを極 力避けた生活を続けた。その結果,死後約 1 カ月を経過した腐乱死体として発 見されるという悲惨な形で人生に終止符を打ったのである。筆者は 30 年来デュ ヴェールに関心を寄せてきたのだが,不覚にも遅ればせながらインターネット 検索をしていた際中に彼の最期を知り,驚愕したことをよく覚えている。併せ て,作家兼画家ジル・スバンによる初の伝記的エッセイに目を通し,改めてこ の特異な作家を紐解くようになった 1)。こうした経緯で本稿ではデュヴェール の足跡を辿り,作品の特徴を概観してみたい。とりわけ,デビュー小説『累犯』
(1967 年初版,76 年新版)の読解が主たる目的である 2)。
*
まずデュヴェールの経歴を略述しよう。長い間,トニーという名はペンネー ムだと見なされてきた 3)。が,スバンがエッセイで提示した出生証明書のとお り,紛れもない本名である 4)。1945 年 7 月 2 日,パリ近郊南東ヴァル・ド・マ ルヌ県のヴィルヌーブ・ル・ロワで生まれたトニーは大変聡明な少年期を過ご した。学業優秀でピアノ演奏に秀でていたという。しかし一方で幼少期に,作 家としての,と言う以前に,人間としてのスタンスを決定づける出来事に直面 している。同性愛体験による性への目覚めである。デュヴェール自身の言葉を 信じるならば,彼の同性との初体験は,いわゆる攻めと受けがそれぞれ 8 歳と
療を受けさせられ,その辛さから自殺を図っている。本稿で扱う『累犯』はこ の時期のエピソードを題材とした作品である。やがて学業でパリに出たトニー は執筆活動に専念。処女小説の原稿をミニュイ出版に送付するや,社主ジェ ローム・ランドンに認められ,弱冠 22 歳でデビューした。その後,矢継ぎ早に 小説を刊行するも,ポルノグラフィックな語彙と表現が散見する作品の売れ 行きは芳しくなかった。そうしたなか,第 5 長編『幻想の風景』が 73 年のメ ディシス賞を受賞。しかしこの慶事によって脚光を浴びても,彼は気詰まりと 不快感を覚えるばかりであった。賞金を得たことで,翌年,モロッコのマラケ シュに移住。これはパリの喧騒を避けるためであると同時に,己の性癖と性欲 を満たすためでもあった。異国の少年たちと繰り広げた交合の数々,ここから 第 6 長編『薔薇日記』(76 年,原題は『ある無実者の日記』)が創作された。75 年末の帰国後はパリ,ついでトゥールに住み,前衛文芸誌「ミニュイ」や著名 なホモ雑誌「ゲ・ピエ」に寄稿,また 78 年には詩的散文『地区』や掌編集『小 鳥の園芸師』(原題は『さまざまな生業』)を発表。さらに自伝的作品の構想を 練っていたという。だが 94 年夏,家賃の支払いも滞るほどの財政難に陥ってア パルトマンを引き払うと,中部フランス,ロワール・エ・シェール県のトレ・
ラ・ロシェットにある母の家に身を寄せた。その 2 年後に母が他界。ますます 引き篭もった生活を続けたトニーは,2008 年 8 月 20 日,変わり果てた姿で消 防士たちによって発見された。享年 63。上記以外の著作をまとめると,以下の とおり──
小 説 『滞在禁止』(69 年初版,71 年新版),『ナイフ男の肖像』(69 年初版,78 年新 版),『旅する男』(70 年),『ジョナサンが死んだとき』(78 年),『大西洋の島』
(79 年),『銀の耳飾り』(82 年)
評 論 『図解男性』(74 年),『男の子』(80 年) 6)
デュヴェールの経歴のなかで特筆に値するのは,幼少期からの同性愛体験に もとづくペデラスティである。作家デビュー後も彼は年端もいかない少年との 性交渉を続け,ひいてはマニフェスト的著作『男の子』で子供が性交する権利 を声高に訴え,その阻止装置たる母親や家庭のあり方を痛烈に批判した 7)。小 児性愛を文学の題材に留めておくだけだったならばまだしも,現実に実践し推
奨さえしたこと。トニーが反社会的存在であった最大の理由がここにある。成 人間の同性愛が徐々にではあれ世界で認知されていった半面,ペデラスティを 公式に許容する社会は少なくとも先進国には存在しないからだ。彼の言動は倒 錯的な成人男性の独善主義の謗りを免れまい。晩年の他者との没交渉ぶりの原 因も己の嗜好への後ろめたさに求められよう。
ランドンはそれでもデュヴェールを高く評価し擁護し続けた。これは後者の 文学的才能を認めたがゆえの事実である。1950~60 年代のフランス文学界を席 巻したヌーヴォー・ロマンの牙城の社主がトニーの原稿を一読したとき,この 潮流の新たな旗手の到来を確信したのは想像に難くない。ことほどさように デュヴェールは『累犯』で多彩な言語実験を試みていたのである。またこの小 説には後の評論で開陳される思想的表明の萌芽も看取できる。デビュー作には 作家のあらゆる要素が潜んでいるとよく言われるが,『累犯』も例外ではない。
以下,この小説の特徴をまとめてみたい。
さほど長くない本作は 4 つの章から成るのだが,時系列に沿って描写されて おらず,またひとつの出来事が隔たった箇所で繰り返し語られている。くわえ て,初版にあった「発表」「森で」「鉄道で」「街で」という各章名が新版では無 機的なローマ数字 I ~ IV に換えられ,さらに「発表」では本文の各部分の前に 付された時・場所・状況等を示す見出しが,それ以降の章では各冒頭に置かれ た〈概要〉が全て除去されているのだ 8)。そのため,物語の確かな筋道を辿る ことがきわめて困難である。作中の主要事をまとめると,① 主人公と思しき少 年のおそらく家出による彷徨,そして自殺未遂,② その途上で遭遇する森番や 船乗りとの性行為,その他の人々との性的接触,③ 少年同士の無邪気な,時に は凶暴でさえあるレイプ遊び,と言えようか。
書き出しを見てみよう──
彼は 15 歳だった。彼は徒歩で進んでいた,大きな森を通る国道に沿って,あるいは 田舎に植えられている木立に至る村道を。どちらかといえば国道だ。周囲には木々が あり,10 月の寒くすっきりした気候,ときどき車が通る。
彼は空腹で喉も渇いていた,吐き気を催してきたので口を開くこともままならな かったろう。
僕は何でも,誰でも,どんなのでも我慢しよう。僕は人通りのないこの場所を受け 入れる,おしっこもここにいたら飲んでしまう。僕を無視する車も,暮れゆく灰色の
数時間前,僕は郊外電車のなかにいた。それに乗って田舎の終着駅に着いた。僕は 出発を長い間待たなければならなかった。鉄道員たちがストをしていたのだ。[11]
これは第 I 章の最初の頁の全文である。このなかの「彼」と「僕」は同一の主 人公だと思われる。つまり原文では冒頭からわずか 9 行で突然語りの視点が替 わるのだ。もっともここだけを読むと,第 3・第 4 段落は語り手を匿名の人物 から主人公に変更することで,カメラのズームアップのように臨場感を高める 効果を狙っているとも見做せる。あるいは「彼」による自由直接話法的な独白 とも解釈できよう。いずれにせよ,この移行は読者に違和感をさほど生じさせ ない。しかし次頁になると再び 3 人称での客観描写に戻り,随所で 1 人称が復 帰しつつ,物語は進行する。さらにその「僕」が明らかに別人になったり,実 際に「彼」と「僕」の両者が登場したり──「彼は待合室から出る。僕は彼の 後をつけることにする」[20]──,時と場所の素早い変化とも相俟って,物語 の構成要素は多層的な複雑さを増していく。「何ももはや本当であるには値しな い」[27]──これは第 I 章を締めくくる一文であるが,デュヴェールはまさに この箴言を念頭に置いて筆を進めたのではあるまいか。
実験性が過剰になるのは,第 II 章においてである。始まりは単純過去も交え た古典的叙述なのだが,第 I 章同様,主人公を表す人称が頻繁に交替する。そ して彼が彷徨の途中に身を寄せた小屋に森番が現れ,会話が提示される度に,
1 人称単数の主語人称代名詞が表す人物は両者の間を行き交う。この 2 人の性 行為を嚆矢として,老人による痴漢的な接触と自慰,村の少年たちの男色など,
主人公は赤裸々な同性愛の場に遭遇し,心身の疲労を強めていく。これに呼応 するかのように,章の後半から文章が逸脱するのである。すなわち句点の消失 と,日本語にすると表現しづらい文頭の大文字の不使用だ。段落分けと読点が 維持されているため,読みにくくはないが,終止感の伴わない文が延々と続く 形をとっている 9)。特徴的な例を 2 つ──
あのハンサムな褐色は 17 歳だ,アレがぶっとくて,そそり立って,べとべとになる にちがいない,そんなのをぶち込まれたら僕の腸は破れちゃうにちがいないし腹が下 になるから血が腹のなかに出ちまうそれにチンポはもっと太く,もっと長く,もっと 硬くなるから,彼には僕をゆっくり掘ってもらわなきゃ,うん,それからたっぷりツ バをつけて[53]
ねえ僕とじゃ嫌だったんだろ納屋から出たときさ,駅から,いや,雪のなかの納屋だ 君は何をしに行ったの話してよ覚えてないのかいあれと[55]
最初の引用は構文上というより内容の異様さのほうが際立つ。あからさまな語 彙による性的・自虐的妄想なのだが,デュヴェールはこの例に見られる血液と 体液や男性器と肛門によるおぞましいヴィジョンをそれこそが伝えるべき重 要事であるかのようにしばしば提示する。そこには目を背ける読者への悪意も 仄見えるのではないか。その顕著な例──「それで気晴らしに彼は剃刀の刃で 静脈をこっそりと切り開き流れる血が見えないようにポケットのなかに手 を隠すだろう」[51]。2 つ目の独立引用の原文は
« avec »
で始まり,« avec le »
で終わっている。息せき切った口調の語りそのままの不完全な文である。この タイプの文章も頻出するため,読者は即興的な独白の現場に立ち会っていると 感じるはずだ。つまるところ,句点が消えた箇所は基本的に主人公の意識の流 れを文字化したものだと思われる。我々の思考は線状的・論理的では決してな く,断片的・反復的・飛躍的である。ときには混濁する記憶のなかで言述が病 的な曖昧さを帯びたり──「彼らのケツをしゃぶったのはむしろ森番だ,僕は 2 人のうちのひとりだった,そうでありえた,そうだと思った,僕が自分のジー プに乗ったら夜になっていた,僕はそのガキを置き去りにした,あれどうして 僕はジープをもってたんだだって僕は電車か徒歩で来たのに」[65]──,とき には他者との会話がフラッシュバックしたり──「君一緒に来たまえ,僕です か,そう君だよ,ええとどこになんでですか,心配しなくていいよ君の可愛い 穴は傷つけないからでも苦しみで大人になるものだけどね,そうですかおじさ んでも僕時間がないんです算数の宿題があるし」[58]──少年の思考に浮上し た言葉をありのままに口述した効果をもつ文章。『累犯』を最も特徴づける実験 性をこう呼ぶことができるだろう。なお,第 III 章は全てノーマルな文章に戻 り,最終章の半ばでまた句点が消失するのだが,そこでは 3 人称単数の主語人 称代名詞も省略され,それに対応する活用形の動詞で文が始まることを付記し ておく。デュヴェールがこのような言語表現を試みた理由を考えてみたい。むろん当 時のフランス文壇の時流に便乗したことは言うまでもあるまい。そうでなけれ ば,彼がミニュイ出版に原稿を送付することはなかったであろう。だがそれ以
ではないか。HIV 感染症が社会問題化する以前,男性同性愛者のなかには不特 定多数の相手と関係をもつ者が少なからずいた。また彼らの性愛において能動 受動が容易に交替しえたこともよく知られている。一般の異性愛に批判的な眼 差しを向けるデュヴェールにしてみれば,複数の方向に置換可能な同性愛,し かも少年たちとのそれこそが重要だったのだ。既存の価値観を相対化し,彼ら 少数派の思考を小説に反映させること。若き日のデュヴェールはこう意図した のではなかったか。
実際,『累犯』には男児性愛作家の決意表明とも呼びうる文章が散りばめられ ている。例えば,デュヴェールは自分が好む少年の特徴を列挙しながら,同じ 嗜好の徒に向けてメッセージを放つ──「だが僕には分かる,僕を読むペデラ ストたちよ,諸君が彼らのうちのひとりを愛したということを。だから諸君の 思い出,写真,小説の登場人物のなかから,諸君を勃たせ,あるいは泣かせた 美しい男の子を探してみたまえ」[75]。デュヴェールはこうして少数派の読者 に自覚を促すのだが,一方で「いやいやもう考えるんじゃない。なぜならこう いうくだらないことが公共秩序を乱すからだ,こんなしょうもないことは罪な のだ,こんな甘ったれたことを言ってると裁判所行きだ」[75]とも述べて釘を 刺している。しかし彼の本音は許されざる性癖にどっぷりと浸ること以外にな い。まさに題名どおり,彼はこの犯罪行為を反復実践するだろう──「10 年後,
僕は仕事をもち,お金もあるだろうから,籠が開くのだ,僕は彼や僕のような 子供たちを買って,一緒に寝ることができる,僕はいっぱしの大人だ」[26]。
この予言をトニーがモロッコで実践したことは先述のとおりである。
20 世紀フランスのエロティック文学の系譜を詳細に考察したイギリス人研究 家ジョン・フィリップスは,思春期の同性愛欲望を公然と,臆することなく,
直截に表明している点において,『累犯』をフランス内外双方における「ゲイ・
フィクションの重要なマイルストーン」と呼んだ 10)。倫理的問題は別にして,
この評価は注目に値する。歪んだ性癖を文学表現において昇華した稀有な例で あるからだ。トニー・デュヴェールにしてみれば,己の願望を吐露しただけな のかもしれないが──
僕は僕だけのために子供たちや,少年たちや,若者たちのハーレムを創ることがで
きるだろう,僕はそこで老いるだろう,赤ら顔のでぶになって,僕は沢山の唇にキス し,沢山の尻を掘り,沢山の精液を受けていることだろう,それで僕は脂でできた巨 大なブッダになるのだ[120]
*
トニーは 3 人兄弟の末っ子である。2016 年現在,唯一存命の長兄アランは,
ジル・スバンが最初のエッセイの準備中にコンタクトした際,弟は借金を残し ただけだと語り,証言を拒んだのだが,第 2 エッセイの際には態度をかなり軟 化させ,重い口を開いた。トニーの同性愛のルーツを問うスバンに対して,ア ランはそれを不思議でもなんでもないと述べ,幼少時の兄弟が自宅裏にあった 庭の奥で幼い従弟とともに「とても進んだ遊び」をしていたと語った 11)。アラ ンは詳細に言及しなかったものの,これが同性愛的戯れであることは間違いな い。スバンが考えたように,長兄にはささやかな遊びに過ぎなかった行為が末 弟には人生を決定づけるほどの一大事と映ったのであろう。そしてペデラスト である以上,「失われ,未来がなく避難所もない世界」[17]に生きざるをえな いトニーにとって,この戯れは日常的で,なおかつ幸せな原風景だったのでは あるまいか。『累犯』の主人公が村で出会った子供たちについて語った次のなに げない描写のように──
でも本当なんだ。彼らはミサの後でオカマを掘り合った,彼らが納屋に行ったから,
僕はことが終わるまで彼らを窺ったのだ,僕はあえて入らなかった。[47]
註
1 ) Gilles SEBHAN, Tony Duvert, l’enfant silencieux, Paris : Denoël, 2010. この著作刊 行後に寄せられた新情報や未発表写真等をもとに,スバンはデュヴェールにかんす る 2 冊目のエッセイも出版した── Gilles SEBHAN, Retour à Duvert, Paris : Le Dilettante, 2015.
2 ) Tony DUVERT, Récidive, nouvelle version, Paris : Éd. de Minuit, 1976. 本書から の引用は全て拙訳で,頁数のみを[ ]に入れて示す(訳出においては,時として変 則的な原文の句読法を尊重した)。なお本書の初版は 67 年に同出版から 712 部記番 で刊行され,内 600 部がかなり限定された方法で実際に販売された。これは偏に作 品の猥褻かつ暴力的な内容ゆえの措置である。両版にはかなりの異同が見られるの
これを底本とする。
3 ) 『小鳥の園芸師』の邦訳者は「トニーというアングロサクソン風の名からみて,ペン ネームらしいことは察しがつくが,作者の経歴については詳しいことはわからない」
と記していた(山田稔,『小鳥の園芸師』邦訳あとがき,白水社,1982 年,107 頁)。
4 ) SEBHAN, Tony Duvert, l’enfant silencieux, op. cit., p. 139. またスバンは命名の理由 として,① 第 2 次大戦直後の傾向でフランスをナチスドイツから解放したアメリカ に敬意を表したのではないか,② 本来アントワーヌと名づけるところをその愛称が 採用されたのではないか,という 2 つの推測を示していたのだが(ibid., pp. 12-13),
第 2 エッセイのなかでトニー自身の未発表書簡を紹介し,父方の祖父アントワーヌ がトニーと呼ばれていたことに由来する命名だったと記している(voir SEBHAN, Retour à Duvert, op. cit., p. 20)。
5 ) Tony DUVERT, L’Enfant au masculin, Paris : Éd. de Minuit, 1980, pp. 18 et 25.
6 ) 初版と新版がある 2 作品の事情は『累犯』の場合と同様(註 2 参照)。デュヴェール の作品で邦訳があるのは,『薔薇日記』(志村清訳,新潮社,1978 年),『幻想の風景』
(斎藤昌三訳,白水社,1979 年),『小鳥の園芸師』(山田稔訳,白水社,1982 年)の 3 点。また『小鳥の園芸師』中の 7 篇が「さまざまな生業(抄)」として『フランス 短篇傑作選』(山田稔編訳,岩波文庫,1991 年)に再録された。
7 ) Voir DUVERT, L’Enfant au masculin, op. cit., pp. 18-19. また『ジョナサンが死ん だ日』は,73 年にトニーが知己を得て世話をした母子家庭の少年と実際に結んだ性 的関係をモチーフとした作品である。
8 ) 他に新版で除去された点として,「ミシェル」という固有名と船乗りの国籍「アラブ 人(の)」が挙げられる。人物を特定する指標が一切ないことも新版の傾向である。
その他,『累犯』の書き換えについては次の論文を参照されたい── Brian Gordon KENNELLY, « Rewriting, Rereading Récidive », Dalhousie French Studies, vol. 67 Canada : Dalhousie University, 2004, pp. 135-142.
9 ) この手法が作品全体にわたって用いられたのが『滞在禁止』と『旅する男』である。
さらに『幻想の風景』では読点も省かれるのだが,やはり段落分けは残されている ため,例えばそれら全てが排除されたフィリップ・ソレルスの『H』のような小説 とは異なり,読書の困難を生じさせているわけではない。
10) John PHILLIPS, Forbidden Fictions: pornography and censorship in Twentieth- Century French literature, London : Pluto Press, 1999, p. 170.
11) SEBHAN, Retour à Duvert, op. cit., p. 26.