本書は南アジアにおける障害者の実情について、障害者法や障害政 策の検討と障害者当事者運動の活動を軸として検証したものである。 南アジアの4カ国、インド、パキスタン、バングラデッシュ、ネパール が研究の対象地となっている。編集者の森はこれまで森[
2008
]1や森 [2010
]2を含め、「障害と開発」の課題に関して重要な業績を発表して きた。本書においても、森は、障害を開発や社会的排除の観点から捉 えるという姿勢こそが「障害と開発」への正しいアプローチであること を明確にしている。開発に障害当事者を包括する「障害のメインスト リーム化」と、現地の開発課題や障害者のニーズに関しては、障害当 事者の視点をふまえるという点を強調している。森自身が当事者であ るゆえか、本書においては一環して、障害を社会との関連性から取り 扱う、いわゆる「障害の社会モデル」が分析の基礎となっている。読 者も、本書を読むにつれ、障害当事者や当事者団体を検証の基礎にお くということは、上記のアプローチからも自然なことであるという点を 理解することが出来るようになるだろう。 欧米には「障害学」という学問が存在する。実際、障害を理解する には、人権や社会福祉的な視点だけではなく、「障害と開発」にも目を 向ける必要がある。障害はジェンダーと同様、重要な開発課題である。 しかし、南アジアの障害者に対する施策や障害当事者団体の活動に関 して、日本の開発協力畑の専門家がどれだけの知識を持っているのであ ろうか。障害の専門家以外で南アジアの障害者の状況に対する知識を 持っている人はまれである。また、南アジアの障害者を対象とした研 究もほとんど皆無である。 日本国内においてすら、「国際障害者の権利条約」3が批准された後、 国内の障害者の状況に関して、一般市民が少しは興味を示すように なったばかりである。しかし、あまり知られていないが、南アジア諸森壮也(編)『南アジアの障害当事者と障害
者政策─障害と開発の視点から─』
千葉:日本貿易振興機構アジア経済研究所、2011年、197頁、2600円+税、ISBN 978-5829027-7長田こずえ
書 評国は障害者法や障害者の政策に関しては、比較的早い段階から先進的 な考慮をしてきた地域でもある。一番の大国インドにおいても、1995 年に障害者法が制定され、法律面で障害者の権利を保障しようとする 動きが始まった。上記の国際障害者の権利条約の第32条項には、批准 国の国際協力や国際開発協力の義務が明記されている。日本は、批准 国として、開発協力機構(
Jica
)などが中心となって、32条の義務を 果たす必要がある。また、2015年から開始される、新しい国連の開発 指標、Sustainable Development Goals (SDG)
においても、格差縮減や 弱者の社会保障が新しい開発課題として組み込まれた。「障害と開発」 は今、ホットな課題でもある。本書を通読すれば、南アジアの障害者 の状況をある程度、把握することが出来るようになると思う。 本書を、従来の南アジア障害者の現状調査レポートと一線を画した ものとしているのは、現地に暮らす障害者達の意識や見解を、「障害の 社会モデル」という画期的なレンズを使って明らかにしようと試みた点 である。障害者を開発の対象者として受動的に取り扱うのではなく、彼 らが暮らす社会をよりインクルーシブに持続的にするための社会変革 のエージェントとして注目したことである。それは、いわばスティグマ タイズされた障害者達の「障害の経験」を前面に押し出すことにより、 社会の環境と障害当事者の相互関係に焦点を当てたことに資する。ま た、開発協力分野における本書の意義は、その最高のタイミングであ る。2015年9月に採択された国連SDG
の新しい開発目標は格差の排除 とインクルーシブ社会の形成を重大課題の一つとしている。2014年か ら障害者の権利条約の締約国となった日本は、今後、その32条項のODA
への組み込みを推進する必要がある。本書は、ODA
路線を探るための パイロット的な現地調査としての役割を十分果たすことが出来ると思 う。開発協力関係者にとっては、本書は応用のきく、アクション性の ある有効な書物である点にも意義がある。 上記の概観を念頭に、その内容の沿って追いながら、森編集の本書 の魅力を紹介してみたい。以下、各章について概観を説明する。 まず、本書の構成は以下の通りである。 第 1 章 南アジアにおける「障害と開発」 森 壮也 第 2 章 インドの障害当事者運動―ふたつのろう者の運動の対比から― 森 壮也 第 3 章 インドの障害児教育の可能性 ―「インクルーシブ教育」に向けた現状と課題― 辻田祐子 第 4 章 新しい時代を迎えたネパールの障害者・障害者団体と障 害者政策 井上恭子 第 5 章 ネパールの障害当事者運動と権利擁護 ―公益訴訟をとおした発展― 小林昌之 第 6 章 バングラデシュの障害当事者と障害者政策
―
Community App
路aches to Handicap in development
(CAHD)の意義と課題― 山形辰史 第 7 章 パキスタンにおける障害者の自立生活運動 ―受け手から担い手へ― 奥平真砂子 第1章[森]は全体の概念や構成などを説明したものである。まず、 本書が全体として、障害者の側に変化を要求する「障害の医療モデル」 ではなく、バリアフリーや差別禁止法など、社会の側に変化を求める、 「障害の社会モデル」を基礎として分析されいることを述べている。障 害関係の法律や政策は、国の歴史や社会的な状況によって影響される ことを述べ、南アジアにおいても、障害の概念を、障害当事者からの 要望に即した形で見直し、新しい障害概念を構築する必要があると述 べている。また、南アジアの例を参考に、障害者の権利運動の先進的 な例を紹介し、対象地における「障害と開発」のアジェンダーを提示 している。本書での分析が、障害当事者運動の発展と障害者政策、障 害者法をベースにしていることも説明している。 第2章[森]においては、インドの障害者に関する事項を説明してい る。まずは、障害者の活動を、いわゆる「社会権」的なものと、「市 民権」的なものに分けて対比させている。両方とも規模的には全国規 模の活動であるが、前者は、政府からも補助金をうけつつ、職業訓練 や起業など、社会・経済的な面での障害者のエンパワーメントの活動 を実施している機関である。後者は、権利のアドボカシーと擁護に重 点を置いている比較的新しい団体が含まれる。差別禁止法的な観点か らは、ろう者の運転免許書申請に関する告訴のケースや手話の課題を
例に、障害の開発へのメインストリームを成功させるには、障害の種 別を乗り越えたクロス障害型の当事者運動の必要性と、障害の権利ア プローチを導入することが大切であることを強調している。 第3章[辻田]は開発のなかでも重要な要素、教育についてふれてい る。具体的には、インドにおける障害児の教育に関する検討である。 1992年のサラマンカ国際会議以降、ユネスコが提唱し続けてきた、障 害者の「インクルーシブ教育」4という観点から、初等教育から高等教 育までの現状を検討している。障害児の教育の実態を、障害の種別、性 別、地域別に検討し、かなりの差異が見られることをふまえた上で、全 体としては障害者の就学率が大変低いことを指摘している。このよう な状況を克服するには、インクルーシブ教育の再検討の必要性を指摘 している。最近制定された、インドの「すべての児童の無償就学権利 法」について触れ、障害者の教育の権利についても分析している。ま た、実績として、最近、一部の障害者が、国立デリー大学において高 等教育を受けれるようになったグッドプラクティスを、就学している障 害者の学生のインタビューを通して紹介している。障害者を普通学校 に組み込むためには、インクルーシブ教育を支援、促進する対策が必 要であることをも論じている。 第4章[井上]は王政廃止後のネパールにおける障害者運動について の分析である。井上は、王政から民主的な共和制の政治移行は、障害 者団体を含めた市民運動にとってプラスであると指摘している。王政 下では、監督、規制といった側面が重視され、障害者運動にも元気が なかったが、政治的な移行期においては、障害当事者団体活動が活性 化し、法制度の見直しなどの面で改善が見られると同時に、行政の資 金や力不足をも指摘し、今後、障害者当事者が政策の過程に参加し、自 己決定できる可能性を提示している。また、行政のキャパシティー構 築の必要性も指摘している。 第5章[小林]は同じネパールにおいて、もし障害者の権利が侵害さ れてしまった場合の救済措置についての事例をいくつか紹介している。 実際に障害者の最高裁判への訴訟のケースについての見解を述べてい るが、まず、インドなどと比較すると、全体的な訴訟の数が少ない点 を指摘しており、無償教育の義務の訴訟に関しては、判決そのものの 内容よりも、履行に関して問題点があることを指摘している。プロセ
ス的には、まだまだ障害者当事者の役割よりも、支援団体や
NGO
など、 外部の支援に頼っているという問題点を挙げている。ネパールにおける このような研究はまれであるので、このケーススタディーは有益である と思われる。この章は興味を持ちながら読むことが出来た。 第6章[山形]はバングラデッシュのNGO
活動についての調査である。 ここでは、 障害分野で有名な、WHO
の推進するCommunity-based
Rehabilitation (CBR)
に非常に似通った活動を紹介している。障害の開 発へのメインストリームツールである、Community Approach to
Handicap in Development (CAHD)
5に触れており、評者(長田)の見解では、これらは障害と開発の分野では非常に的を得ている。地域開発
的な手法を、バングラデッシュという
NGO
大国において、CBR, CAHD
のケースを参考に検証しているのは面白い。両者とも
NGO
の活動が盛んな対象国では適当であると思われる。 フランスの有名な
INGO,
Handicap International
のプロジェクトを参考に、CAHD
の障害の一般 開発へのメインストリームツールとしての有効性と市場拡大を好意的 に認めたうえで、現状における障害者当事者団体の参加の限界や自己 決定の問題などを指摘している。社会の障害者受け入れを促進するた めに、地域コミュニティーを巻き込んだサクセスストーリーが紹介され ている。全体に、バランスの取れた見解であると思う。 第7章[奥平]はパキスタンにおける障害者の自立生活活動について の調査であり、2011年から2014年まで、ユネスコのパキスタン所長を 経験した評者自身にとっては、大変興味深い検証でもある。奥平は、パ キスタンにおける障害者の現状や歴史的な見解を述べて後、自立生活 運動(Independent Living: IL)
のパキスタンにおける有効性について述 べている。特に、日本で自立生活運動に関する研修を受けた障害者リー ダーが帰国してから、IL
活動を始め、政府や行政の援助を気長に待つ よりも、自ら自分達でピアーカウンセラーなどのサービス活動を作りあ げ提供し、能動的に動くようになり、パキスタンの障害者運動そのも のの質を変化させた点を好意的に記述している。奥平は、当事者の立 場から、「開発途上国においても、IL
活動を通じて、障害当事者自らが 問題解決をする大切さ」を強く指摘している。評者(長田)は、自立 生活の重要性に関しては全面的に賛成するが、「はたして文化の異なっ たパキスタンにおいても、欧米生まれのIL
が必ずしも最適かどうか」6に関しては、全面的には賛成しかねる。自立には、いろいろな形があっ ても良いのではとも思う。今後、パキスタン全域で調査のスケールや サンプルの数、対象の村などを拡大し、再検討をする必要があるので はと考える。上記の
CBR, CAHD
などのツールの有効性や現実性も見過 ごせないのではないかとも考える。とはいっても、IL
運動を率いる障害 者のリーダーたちの現地のインタビューなどは当事者の生の声の反映 でもあり、このような調査の絶対数の少ないパキスタンにおいては希少 な研究である。 評者も4年近くもイスラマバードに暮らし、国際機関を統率していた 間、障害者の権利条約の履行、障害者の教育、CBR
について、現地の 行政担当官や障害当事者とオープンに討論する数々の機会を与えられ た。障害と開発に関しては、それぞれの人の立場や個人的経験によっ て、さまざまな見解があるだろうが、本書は南アジア地域ではめった にない希少な調査研究結果報告書である。研究手法もしっかりとして いる。本書に示された見解や障害者の実態分析を基にして、今後、さ らに論議や研究を重ねていく必要があると思う。 本書を取り上げ書評を書いている間に、少し気になった問題点と不 満点があったことにも触れておきたい。まずは、代表性の問題である。 インタビューに参加し、障害の個人的経験を共有してくれた人々達の 障害者リーダー的な地位の特殊性は、もう少し丁寧に扱う必要があっ たのではないかと思う。研究に参加した障害当事者達は、ある程度教 育のある、障害者運動の活動家などが多いことは明白である。障害の 種別に関しても、知的障害者や重複障害者達の声が反映されていると はいいがたい。これは、障害の社会モデルそのものへの建設的な批判 でもあるが、南アジアの社会に生きる様々な障害者達を「障害者と非 障害者」という二項対立方方式で捉えることは、かなり難しいのでは ないだろうか。「障害の差異モデル」などの可能性も考え、代表制の問 題を考える必要もあるのではと思う。 もう一つの問題点は、この研究においては、障害者の家族が軽視さ れていると思う。公共の社会福祉や社会事業の乏しい現地において、さ らに、南アジアの文化伝統を考慮した場合、「障害者の家族も異なる質 を持った障害者」として扱う必要があったのではと思う。既存の「障 害の家族モデル」などを念頭に、フォローアップ調査においては、障害者の家族の意向を積極的に組み込んで欲しい。以上、気になった点 をリストしてみたが、これらはあくまでも建設的批判であり、本書の 大きな魅力を損なうものではない。 最後に、この書評のささやかな締めくくりとして、本書から学んだ 最重要点を共有したい。全体を通読して学んだ知見としては、「開発に 障害当事者自身が参加することが必須である」ということである。障 害者、障害当事者の参加と自己決定の重要性は、開発途上の南アジア においても、ある程度証明されてきた。もともと、開発や人権を考察 する際には、普遍性と文化的な配慮のバランスは難しい課題である。普 遍的な要素として、障害者当事者団体の参加が実証されたことは意義 があると思う。
ODA
・開発関係者には特に注目して欲しい点である。今 後、他地域との比較検討や再検討を行う際、本書は大変希少で有効な 基礎研究となると思う。興味のある人にはお勧めの1冊である。 註 1 森壮也、2008「障害と開発―途上国の障害当事者と社会―」、アジア経済研究所を参考に。、 2 森壮也、2010「途上国障害者の貧困削減―かれらはどう生計を営んでいるのか―」、岩波新、 書を参考に。 3 国際障害者の権利条約は2006年に国連にて有効になった。2014年8月現在157カ国がこの条 約を批准しており、日本は2014年1月に批准した。締約国は障害者の権利を促進する義務を 持つ。 4 前記の国際障害者権利条約やユネスコは、障害者にとって、最も有効な教育はInclusive Education であり、特殊教育に障害者を閉じ込めるのではなく、出来る限り通常の教育制度 に彼らを組み込むべきであることを奨励している。 5 国連WHO、ユネスコ、国際労働機構はCBRを奨励している。同様のアプローチで、地域 開発の中に障害を組み込む手法として、フランスの国際NGO ハンディーキャップインター ナショナ ル は アジ ア でCAHDを 実 施し て い るhttp://www.hiproweb.org/fileadmin/ cdroms/Handicap_Developpement/www/en_page71.html6 Independent Living (IL) movementは米国を中心に海外に広まった。障害者の自立生活を 目指す活動であるが、その理論的枠組みは、家族と障害者個人の間に距離を置いて自立を論 じる核家族制、あるいは、欧米型の個人的な自立スタイルである評者は考える。