著者 黒田 真美子
出版者 法政大学文学部
雑誌名 法政大学文学部紀要
巻 65
ページ 17‑37
発行年 2012‑10
URL http://doi.org/10.15002/00008237
は じめ に 唐
代を 代表 する 自然 詩人 の一 人︑ 韋應 物( 七三 五?
〜七 九〇
?) は︑ 妻元 蘋( 七四
〇〜 七七 六) の死 を悼 み︑ 墓誌 銘を 記す1() とと もに
︑数 多く の 悼亡 詩を 詠 じた
︒論 者 は︑ 先に
「
韋應 物 悼亡 詩論
序説
十 九首 構 成へ の 懐 疑
」(
以 下「 序 説」 と 称 す) と題 し て
︑ 現 行の 十 九 首連 作は
︑後 人( 恐ら くは
︑北 宋・ 王欽 臣) 2() が校 訂再 編纂 した もの であ り︑ その 他に 十一 首が 悼 亡詩 と 看做 せる こと を 明ら か にし た3()
︒詳 細は
「
序説」 に譲 るが
︑こ れは
︑西 晋・ 潘岳
(
二 四七
〜三
〇〇)
を 嚆矢 とす る従 前六 首の 悼亡 詩の 流れ(4) の中 で︑ 質量 とも に突 出し てい る︒ 詩形 は︑ 五絶
・七 絶・ 五律 とい う近 体詩 を含 み︑ 妻の 逝去 後︑ 何年 にも 亘っ て綿 々と 詠い 継が れて いる
︒従 来の 悼亡 詩の 定型
(
一
︑三 首連 作︑ 二︑ 五言 古詩) 5()
や 没後 一年 の製 作と い う慣 行 を︑ 大き く塗 り替 える こ とに な った ので ある
︒ こ れま で の定 型 や 慣行 を
︑ 悼亡 詩 の 小 概 念( 狭 義) と す れば
︑ 韋應
物は 大 概念 ( 広 義) を提 示し たと いえ よう
︒ 拙 論は
︑韋 應物 の悼 亡詩 が︑ 潘岳 詩以 来の 流れ の中 で︑ どの よう に位 置づ けら れる かを 考察 する 上で
︑ま ず潘 岳の 哀傷 作品 との 関わ りを 追求 する
︒そ れに よっ て韋 應物 の悼 亡詩 にい かな る独 自性 が認 めら れる か︑ そし てな ぜか くも 膨大 な悼 亡詩 の出 現が 可能 にな った かを 明ら かに した い︒ それ は︑ 韋應 物詩 の本 質と 深く 関わ るこ とに なろ う︒ 第
一章
韋應 物 悼亡 詩 の ノス タ ル ジア ま
ず 韋 應物 悼 亡詩
(
以 下︑「 韋 詩」 と 略 す) の 多 様 性を 確 認す る た め に も︑ 煩を 厭わ ず︑ 詩題 と詩 形を 挙げ るこ とに する
︒ 一「
傷逝」
五 古十 二韻
︑二
「
往 富平 傷懐」
五 古十 韻︑ 三「 出還」
五 古六 韻︑ 四「 冬夜」
五 古八 韻︑ 五「 送終」
五 古十 二韻
︑六
「
除 日」 五律
︑七
「
對 芳樹」
五 古四 韻︑ 八「 月夜」
五 古三 韻︑ 九「 嘆楊 花」 一 七
黒 田
真 美 子
潘 岳 の 哀 傷 作 品 と の 関 わ り
韋 應 物 悼 亡 詩 論
(
承 前 )
五律
︑十
「
過 昭國 里故 第」 五古 十二 韻︑ 十一
「
夏 日」 五古 四韻
︑十 二「 端居 感懐」
五 古九 韻︑ 十三
「
悲 扇」 五 古三 韻︑ 十四
「
斎 對 雨」 五古 四韻
︑十 五「 林園 晩霽」
五 古五 韻︑ 十六
・十 七「 秋夜」
二 首五 律︑ 十八
「
感 夢」 五古 四韻
︑十 九「 同徳 精舎 舊居 傷懐」
五 古四 韻( 以上 巻 六「 感 嘆」 所収 連 作)
︑ 二 十「 過 扶 風 精舎 舊 居簡 朝 宗 巨 川 兄弟」
五古 七韻
︑二 一「 四禪 精舎 登覧 悲舊 寄朝 宗巨 川兄 弟」 五古 九韻
︑二 二「 寺居 獨夜 寄崔 主簿」
五 古四 韻( 以上 巻二
「
寄 贈」)
︑二 三「 雨夜 感懐」
五 古四 韻︑ 二四
「
發 蒲塘 驛沿 路見 泉谷 村墅 忽想 京師 舊居 追懐 昔年」
五 古八 韻( 以上 巻六
「
懷 思」)
︑二 五「 經武 功舊 宅」 五古 七韻
(
巻 六「 行 旅」)
︑二 六「 郡齋 臥疾 絶 句」 五絶
︑二 七「 秋夜」 五古 四韻
︑二 八「 對雜 花」 五古 四韻
︑二 九「 夜聞 獨鳥 啼」 五絶
︑三 十「 子規 啼」 七絶
(
以 上巻 八「 雜興」)
︒ 以
上︑ 三十 を 拙論 の対 象作 とす る︒ その うち 十九 首連 作は
︑一
「
傷 逝」 が︑ 妻の 永遠 の不 帰と いう 巨視 的時 間を 詠う が︑ 二か らは
︑季 節を 軸 にし て 構成 さ れ︑ 妻 の 亡く な っ た冬
(
二〜 五) から 春( 六〜 十)
︑夏
(
十一
・十 二)
︑秋
(
十 三〜 十八)
へ と推 移し なが ら︑ 妻亡 き悲 哀を 詠じ てい る︒ 最後 の十 九 は︑ 旧居 を再 訪 して の日 暮で の 感懐 で
︑季 節は ない
︒ 追加 した 十一 首は
︑季 節感 は稀 薄で
︑そ れよ りも
︑「 寄贈」「
行旅」
な ど部 建て に則 した 要素 を含 む哀 歌に なっ てい る︒ 従 前六 首に ない 特異 性は
︑ま ずこ の多 角的 観点 によ る多 様性 であ り︑ 内容 の新 しさ をま とめ れば
︑つ ぎの 三点 が挙 げら れよ う︒ 一︑ 妻像 の描 出︑ 二︑ 子ど もを 詠う
︑三
︑過 去と 現在 の対 比表 現で ある
︒た だ一
︑妻
像に つい ては
︑す でに
「
序 説」 で︑ 墓誌 銘を 援用 し︑ 妻の 兄弟 親族 も含 めて 明ら かに した
︒二
︑子 ども を詠 うに つい ては
︑山 田和 大「 子ど もを 詠 む韋 応物 詩
悼 亡詩 を中 心 に6()
」
が詩 史 を踏 まえ た考 察 を行 って いる
︒し たが って
︑こ の二 点に つい ては 簡略 に止 め︑ 本章 では
︑三
︑過 去と 現在 の対 比表 現を 中心 に論 及す る︒ 第一 節 妻像 の描 出 ま ず一
︑妻 像に 関し ては
︑総 序と もい うべ き一
「
傷 逝」 では 以下 のよ うに 詠わ れる
︒( 句 頭の 算用 数字 は第 何聯 かを 表わ す︒ 以下 同じ) 染白
一爲 黒
白 を染 むれ ば一 に黒 と為 り 焚木 盡成 灰
木 を焚 けば 尽く 灰と 成る 念我 室中 人
我 が室 中の 人を 念ふ も 逝去 亦不 廻
逝 去し て亦 た廻 らず 結髪 二十 歳
結 髪よ り二 十歳 賓敬 如始 來
賓 敬 始め て来 るが 如し 提攜 屬時 屯
提 携 時屯 に属 し 契闊 憂患 災
契 闊 患災 を憂 ふ 柔素 亮爲 表
柔 素 亮に 表と 為り 禮章 夙所 該
礼 章 夙に 該す る所 仕公 不及 私
公 に仕 へて 私に 及ば ず 百事 委令 才
百 事 令才 に委 ぬ 一旦 入閨 門
一 旦 閨門 に入 れば
文 学 部 紀 要 第 六 十 五 号
一 八 1
2 3
4 5
6 7
四屋 滿塵 埃
四 屋 塵埃 に満 つ 斯人 既已 矣
斯 の人 既に 已ん ぬる かな 觸物 但傷 摧
物 に触 れて
但 だ傷 摧す 單居 移時 節
単 居 時節
移 り 泣涕 撫嬰 孩
泣 涕し て嬰えい
孩がい
を 撫す 知妄 謂當 遣
妄 を知 りて 当に 遣る べし と謂 ふも 臨感 要難 裁
感 に臨 んで 要す るに 裁ち 難し 夢想 忽如 夢 想 忽ち る が如 く 驚起 復徘 徊
驚 起し て 復た 徘徊 す 此心 良無 已
此 の心
良 に已 む無 し 繞屋 生藁 莱
屋 を繞 りて
藁 莱生 ず
「
白」 か ら「 黒」 へ の変 化 が︑ 明 か ら暗
︑ す なわ ち 生か ら 死へ の 物化 のメ タフ ァと して 印象 的に 詠い 始め られ るが
︑第 三聯 から 二十 年に わた る結 婚生 活を 顧み て︑ 最後 まで 変わ らな かっ たし とや かで 上品 な妻 像を 描出 する
︒ 第 四 聯の
「
時 屯」「
患 災」 とは
︑ 安 史の 乱 を指 す
︒ 元蘋 の 墓誌 銘 に拠 れば
︑二 人の 結婚 は︑ 天宝 十五 載( 七五 六) 八月 二十 二日
︑安 禄山 の長 安陥 落直 後︑ 乱を 避け た長 安郊 外の 昭応 県( 西安 市臨 潼区)
で 挙行 され た︒ この 事実 は︑ 韋應 物が
︑玄 宗の 蜀へ の逃 避行 に扈 従で きな かっ たこ と を意 味 する
︒ 彼 は少 年 時 代を 回 顧し て
︑「 少く し て武 皇 帝( 玄 宗 を指 す) に 事へ
無頼 に して 恩 私を 恃 む」(「 楊 開府」
巻五) と 詠う よ うに
︑ 十 代後 半
︑「 右千 牛」 とい う 玄宗 の 近 衛兵 と して 特 権 階級 を 享受 し てい
た︒ それ が彼 の誇 りで あり
︑精 神的 支柱 でも あっ たろ う︒ だが 安史 の乱 によ って 職も 財産 もす べて 失う
︒さ らに 扈従 に選 ばれ なか った こと は︑
「
序 説」 で も 記し た よう に
︑ 彼に と っ て︑ い わ ば生 の 基盤 の 瓦解 に も 等 し い打 撃で あっ た︒ その 事実 は詩 集の 何処 にも 記さ れず
︑三 十年 後の 回 想(「
楊 開府」)
でも 触れ 得な い︑ 深刻 な挫 折だ った ので ある
︒か よう に 人生 最 悪の 状 況下 で の 結婚 だ った が
︑ 若い 二 人は
「
提 携」(
第 七 句) して
︑乱 後の 荒廃 と苦 難を 乗り 越え てき たの であ る︒ 第 五・ 六 聯で は
︑妻 が︑ 人 の模 範 とな るよ うな お だや か な婦 礼を 弁え
︑
「
百 事」 を 任 せら れ る有 能 さ を持 っ てい た と詠 う
︒ それ は
︑ 墓誌 銘 で も 同 様に 記さ れて おり7()
︑ 礼や 孝と いう 儒教 的婦 徳を 備え
︑ 詩 経 書 経 を暗 唱す る教 養が あり
︑書 道に もす ぐれ てい たと いう
︒ 深 沢一 幸「 韋應 物の 悼亡 詩」 がす でに 指摘 する よう に︑ 従前 の悼 亡詩 には 認め られ ない 具 体的 妻 像の 描出8() であ る が︑ 単な る妻 像だ けで は なく
︑ 注 目す べき は︑ それ によ って 二人 の対 等と もい うべ き関 係性 をも 表現 す る に至 った こと であ る︒ それ は︑ 十「 過 昭國 里故 第」 でも つぎ のよ うに 詠じ てい る︒ 池荒
野 合
池 荒れ
野 合 し 庭緑 幽草 積
庭 緑に して 幽草 積る 風散 花意 謝
風 散じ
花 意謝しぼ
み 鳥還 山光 夕
鳥 還り
山 光 夕く る 宿昔 方同 賞
宿 昔 方に 同に 賞す るも 知 今念 昔 ぞ 知 らん
今 昔を 念ふ を 韋 應 物 悼 亡 詩 論( 承 前)
一 九
8 9
10 11
12
3 4
5
( 以 下略)
「
昭 國 里」 と は
︑ 長安 の 朱 雀門 大 街か ら 東第 三 街 にあ る 坊里 で
︑ そこ に妻 と最 後に 暮ら した 京兆 府功 曹参 軍時 の官 舎が あっ た︒ 妻の 遺品 を収 めに 行っ たと きの 作で ある
︒雑 草が 鬱蒼 と茂 って 荒れ 果て た庭 に立 ちつ く す詩 人 に夕 闇 が迫 る
︒ 同じ こ の庭 を
︑「 宿昔」
は 二人 で「 同に」
美し さ を「 賞」 し た の に 今
︑ ま さ か 一 人 で そ の昔 を 偲 ぶ こ と に な ろ うと は
(
第 五聯)
と
︑悲 嘆 に 暮れ る
︒後 述 す るよ う に︑ 韋 詩 の特 質 であ る 今昔 の対 比を 用い たこ の「 同賞」
は
︑周 知の 如く
︑南 朝宋 の自 然詩 人謝 霊運 の「 賞心」(
自然 の 美 を探 賞 する 心 思) に 因 む語 で ある が
︑ それ を 用い て︑ 二人 の趣 味嗜 好の 共通 性を 詠ん でい る9()
︒ 二人 の家 系が
︑同 じく 北朝 の 名門() と いう 典 型 的「 門 当 戸対」
の 結婚 で ある 以 上に
︑「 武 皇 昇 仙し て 去り
/ 憔悴 し て 人に 欺 かる」(「
楊 開 府」) と い う 玄宗 薨 去後 の 苛 酷 な 状況 を
︑ 共に 苦 労 して 乗 り越 え てき た と いう 強 い共 感 が︑「 永 へ に手 を携 ふる の歓 を絶 たれ
/空 しく 存す
旧 行の 迹」(
十第 十聯)
の「 携 手」
(
二 十⑪
︑ 二 一⑬
︑ 漢 数字 は 冒頭 に 挙 げた 悼 亡詩 作 品の 通 し 番号
︑
○ 囲 み 算用 数字 は第 何句 かを 表わ す︒ 以下 同じ)
や「 提携」(
一
⑦)
︑そ して
「
同賞」
や「 同 往」(
二
⑲)「
同居」(
五⑤)「
同 去」(
十 九⑥)
な ど「 同」 の繰 り返 しに よっ て表 白さ れる ので ある
︒ 第二 節 子ど もを 詠う 次 いで 子ど もを 詠う 詩句 は︑ 先に 挙げ た一 第九 聯の 涙を 流し なが ら赤 子 をあ や す自 身 の姿 を 詠 む以 外 にも
︑ つ ぎの 詩 句( 二「 往 富平 傷 懐」)
が見 える
︒ 昨者
仕公 府
昨 者は 公府 に仕 へ 屬城 常載 馳
属 城 常に 載馳 す 出門 無所 憂
門 を出 づる も憂 ふる 所無 く 返室 亦熙 熙
室 に返 るも 亦た 熙熙 たり 今者 掩 扉
今 は 扉 を掩 ひ 但聞 童稚 悲
但 だ童 稚の 悲し むを 聞く のみ 丈夫 須出 入
丈 夫 須く 出入 すべ きに 顧爾 内無 依
爾 を顧 ふに 内に 依る 無し
(
以 下略) 妻
の生 時は 何の 心配 もな く公 務に 走り 回っ たが
︑今 や陋 屋の 門扉 を閉 じて
︑子 ども 達の 母恋 しと 泣く 声に
︑胸 つぶ れる 思い をし てい る︒ 外出 する 必要 に迫 られ るが
︑家 内に 子ど もを 慈し む人 がい ない と︑ 困惑 する 姿を 浮か び上 がら せる
︒こ こに も今 昔の 対比 が見 られ るこ とを 留意 して おく
︒ 三「 出 還」(
第四 聯) では
︑「 幼女
復 た何 をか 知ら ん/
時 に来 たり て 庭下 に戲 る」 と︑ 母の 死を 理解 でき ない 子供 の無 邪気 さに
︑悲 傷感 を募 らせ る︒ この 発想 は︑ 潘岳
「
寡 婦賦」(「
微身 の孤 弱な るを 省み
︑稚 子 の未 だ 識ら ざ る を顧 み る」) を 踏 まえ る が
︑第 二 章 第三 節 にそ の 関わ りを 詳述 する
︒ 十 二「 端居 感懐」(
第 四聯)
で は︑「 稚 子 恩の 絶ゆ るを 傷み
/盛 時は
文 学 部 紀 要 第 六 十 五 号
二
〇 3
4 5
6
流水 の若 し」 と詠 み︑ 母の 慈愛 が流 水 に呑 み 込ま れる よう に 消え て いく
︒ 時の 流れ を「 流水」
に 喩え るこ とは
︑韋 詩の 時間 論の 上で
︑見 落と せな いが
︑こ れら の表 現に よっ て︑ 妻の 不在 と韋 應物 の喪 失感 を際 だた せ︑ 従前 六首 には 無い リ アリ テ ィが 付与 され て いる
︒清
・沈 徳 潜が 三「 出還」 につ いて
「
因 幼女 之戲 而己 之哀 倍深
︒比 安仁 較眞
(
幼 女の 戲る るに 因り て己 の哀 倍々 深し
︒安 仁( 潘岳 の字)
に 比し て較 々眞 なり」(
唐詩 別裁 集 巻三)
と 潘岳 より も真 実味 に富 んで いる と評 する 通り であ る︒ この 二︑ 子ど もを 詠む 表現 につ いて はこ れに 止め る︒ 第三 節 今昔 の対 比 つ ぎに 三︑ 今と 昔の 対句 であ るが
︑人 口に 膾炙 して いる 杜甫
「
岳 陽楼 に登 る」 を持 ち出 すま でも なく
︑古 来︑ 枚挙 に遑 無い
︒た だ悼 亡詩 にお いて は新 しい とさ れる
︒韋 詩中 の用 例を
︑す でに 以下 の三 例提 示し た︒ 一「 傷逝」
の 生前 の妻 の姿
(
第 三〜 六聯)
と 今の
「
塵 挨に 満ち た」 妻亡 き空 閨の 有り よう
(
第 七・ 八聯)
︑十 の「 宿昔 方同 賞/ 知 今念 昔」(
第 五 聯)
︑ 二 の 子ど も たち の 泣 き声 を 響か せ る第 三
〜 六聯 で ある
︒ こ のよ うに 今昔 の対 比は
︑韋 應物 悼亡 詩に 少な から ず見 い出 せる 表現 であ り︑ それ ゆえ 先行 研究 は︑ いず れも 韋詩 の特 色の 一つ とし て指 摘す る()
︒ だが 各論 は単 に今 昔の 対比 の強 調に よる 悲哀 の深 さを 記す に止 まる
︒や や分 析的 論及 とし ては
︑中 原健 二「 詩人 と妻
中唐 士大 夫意 識の 一断 面」 が
︑ 今 の 悲 哀に ひ たす ら 拘泥 す る 悼亡 詩 の中 で
︑ 韋應 物 が初 め て 過 去 の時 間を 詠ん だと 評し てい る()
︒す なわ ち過 去へ と 及す る時 間の 指摘 であ る︒ 換言 すれ ば︑ ノス タル ジッ クな 時間 とい えよ う︒
「
ノ ス タ ル ジ ア」 の 語 源 は
︑ ギ リ シ ャ 語 のnostos(
家 に 帰 る) と
algia(
苦し ん で いる 状 態
= 苦痛)
に 由 来 する
「
郷 愁」 病 とい う 軍 隊内 の医 学用 語と いう()
︒現 代で は︑ 脱医 学化 され た幅 広い
「
郷 愁」 の意 に用 い られ て いる が
︑「 故郷」
に 帰り た い( 派 生 的 には 本 来の 場 所に 戻 り た い) 情動 とい う意 味 では
︑原 義か ら大 きく 乖離 して いな い︒ F・ デー ヴィ スは
︑ノ スタ ルジ ア発 生の 必要 条件 とし て︑ 過去 と現 在の あざ やか な対 照︑ 具体 的に は「 良い 過去 と悪 い現 在」 との 内な る対 話が かわ され てい るこ とを 挙 げる
︒そ の意 味 で︑ 韋應 物悼 亡 詩に 顕 著な 今( 悲) と昔
(
喜) の対 比は
︑ま さに ノス タル ジ ア発 生 の必 要条 件を 満 たし て いる ので ある
︒ 拙 論は
︑こ の見 解を 踏ま えて
︑韋 應物 悼亡 詩の 時空 を分 析し
︑そ の特 質 が 何を 意味 する かを 考覈 する
︒ まず
︑右 に挙 げた 詩 の他 に︑ 今昔 の対 比が 簡潔 に詠 われ てい る詩 句 を 挙げ よう
︒ 昔
出喜 還家
昔は 出づ れば 家に 還る を喜 び 今 還獨 傷意
今は 還れ ば独 り意 を傷 まし む
(
三「 出還」) 先
行研 究は
︑こ の今 昔の 対比 は従 前の 悼亡 詩に は無 いと する が︑ 実際 には
︑斉 梁・ 江淹 の悼 亡詩
「
悼 室人」(
江文 通文 集 巻四) ()
に すで に認 めら れる
︒ 今悲
輒流 涕
今 の悲 しみ に 輒ち 流涕 し 韋 應 物 悼 亡 詩 論( 承 前)
二 一
1 4
昔歡 常飄 忽
昔 の歓 びは
常 に飄 忽た り
(
第 二首) 江
淹 詩 と の 関 わ り は 次 に 予 定 し てい る が
︑ 今 昔の 対 比 の 構 図( 昔︱
「
同」(
妻 の存 在) 喜︑ 今︱「 獨」(
妻の 不在)
︱悲)
は 江淹 から 始ま るの であ る︒ ただ しそ れは あく まで
「
悼 亡詩」
と いう 系譜 にお いて であ り︑ 哀傷 作品 に広 げれ ば︑ 潘岳 が妻 楊氏 の死 を哀 悼し た「 哀永 逝文」
に 及 でき る︒ 第二 章第 二節 で触 れた い︒ い ず れ にし て も従 前 作 には な い点 と し て︑「 出 還」 とい う 空間 移 動 を 伴 って いる こと は︑ 注目 に値 する
︒こ のほ か韋 詩は
「
今昔」
と いう 語を 用い ず︑ つぎ のよ うに 過去 と現 在の 内容 的対 比を 描い てい る︒ 思懷
耿如 昨
思 懐 耿と して 昨の 如き も 季月 已云 暮
季 月 已に 云ここ
に 暮る 忽驚 年復 新
忽 ち驚 く年 の復 た新 たな るを 獨恨 人成 故
独 り恨 む 人の 故と 成る
( を
六「 除日」) 舊賞
逐流 年
旧 賞 流年 を逐 ひ 新愁 忽盈 素
新 愁 忽ち
素 に盈 つ
(
九「 楊 花」) 六
では
︑時 の流 れ の早 さ に驚 かさ れつ つ
︑時 がた って も 変わ らぬ
「
恨」
情 を「 新」「
故」 の 対比 で 詠 じて い る︒ 九 も「 今」 の時 間 を「 舊」 と対 比さ せて
「
新」 で 表し
︑妻 との 思い 出に 耽っ て新 たに わき あが る「 愁」 に 身を 任 せて い る
︒こ こ で 留意 す べき は
︑「 今と 昔」 の簡 潔 な対 比 で は 隠 され てい る︑ その 間に 流れ る時 間が 明確 に詠 われ てい るこ とで ある
︒ そ れは
︑先 に前 半を 引い た二
「
往富 平傷 懷」 の後 半に も見 える
︒ 銜恨
已酸 骨
恨 みを 銜ふく
み て已 に酸 骨た り 何況 苦寒 時
何 ぞ況 や苦 寒の 時に おい てを や 單車 路蕭 條
単 車 路 蕭條 たり 回首 長逶 遲
首 を回 らせ ば 長く 逶遅 たり 飄風 忽截 野
飄 風 忽ち 野を 截り 唳 雁起 飛 りょう 唳れい
雁 起ち て飛 ぶ 昔時 同往 路
昔 時は 同に 路を 往く も 獨往 今 知
独 往 今 ぞ知 らん
「
富 平」 とは
︑ 京 兆府 高 陵県 の 東北 七 十 里の 地 名︒ 当 時
︑韋 應 物 は︑ 功曹 参軍 と高 陵県 令を 兼任 して いた
︒何 らか の官 務の ため
︑彼 は「 恨」 情を 抱い たま ま︑ 人気 無い 道に 車を 走ら せて いる
︒時 折つ むじ 風が 身を 切る よう に巻 き上 がる 荒野 の中
︑後 ろ髪 を引 かれ る思 いで 振り 返る と︑ 道が 長く 遠く どこ まで も伸 びて いる
︒心 象風 景も しく は人 生の 比喩 とも い える こ の道 を「 昔時」
は 二人 で 歩ん だ が︑「 今」 思 いも よ らず 一 人で 行く こと にな ろう とは
︑と 反語 で強 く訴 える
︒こ れも 今昔 の対 比で ある が︑ 末句 の「 獨往 今 知」 の「 今」 は︑ 説明 を要 する であ ろう
︒無 論︑
文 学 部 紀 要 第 六 十 五 号
二 二 1
2 2
7 8
9 10
現時 点の
「
今」 で ある とと もに
︑そ れは
「
知 る」 由も なか った
「
昔」 の 時点 から みた
「
今」 な ので ある
︒い わば
︑過 去が 流れ 込ん だ現 在と いえ よう
︒同 じ表 現で
︑そ れを より 明確 に詠 うの は︑ 先に 挙げ た十
「
宿 昔方 同賞 知 今 念昔」
で ある
︒二 人で 庭の 美し さを 愛で た昔
︑そ の時 を一 人 思い 出 す今 が 訪 れよ う とは
︑ 昔 はつ ゆ も 思わ な かっ た
︒「 知」
の時 点は
︑い ずれ も「 昔」 なの であ る︒ すな わち 韋詩 の「 今昔」
は 断絶 した 今と 昔で はな く︑ 通底 連続 して いる
︒「 今」 の 時間 から
「
昔」 に もど り︑
「
昔」 から
︑「 今」 に流 れて いる
︒ま さに
「
旧」(
昔) か ら「 流年 を逐 ひ」
「
新」(
今) に 至る ので ある
︒そ れを 可能 にし てい るの が︑ 荒野 には てし なく 伸び てい る「 蕭條」
た る道 では ある まい か︒ 昔と 同じ 道を 歩み なが ら︑ 彼は 昔の 世界 に入 って いく
︒繰 り返 し「 路を 往く」
の は︑ 今昔 の往 還を 意味 して いよ う︒ 韋詩 のノ スタ ルジ ック な時 間は
︑空 間と 緊密 に関 わっ てい るの であ る︒ つぎ の詩 で も︑ それ を看 取出 来る
︒ 十九
「
同 徳精 舎舊 居傷 懐」 洛京 十載 別
洛 京 十載 の別 れ 東林 訪舊 扉
東 林 旧扉 を訪 ふ 山河 不可 望
山 河 望む 可か らず 存歿 意多 違
存 歿 意 違ふ こと 多し 時遷 迹尚 在
時 遷る も 迹尚 ほ在 り 同去 獨來 歸
同 に去 りて 独り 来り 帰る 還見 窗中 鴿
還 た見 る 窗中 の鴿はと
日暮 繞庭 飛
日 暮れ て庭 を繞 りて 飛ぶ
妻 没 後 六年 の 建中 三 年( 七 八 二)
︑ 州( 安 省) 刺史 と して 赴 任 途 中
︑十 年ぶ りに 洛陽 の旧 居を 訪れ た時 の作
︒変 わら ぬ山 河は 辛く て望 み 見 られ ない と訴 えた 後︑ 第三 聯出 句で は︑ 時が 流れ ても 旧跡 はま だ存 在 して いる と︑ 今昔 の連 続性 を 確認 す る︒ 落句 では 昔二 人で 去 った 場 所に
︑ 今一 人「 帰っ て来 た」 と︑ 今昔 の対 比を 詠い なが ら︑ 空間 的回 帰を 果た して いる
︒当 該詩 のみ なら ず︑ 彼は
「
旧 居」(
二十
︑二 四)「
故 第」(
十)
「
旧宅」(
二五)「
故 地」(
二
︑二 一) を再 訪し ての 傷懷 を詠 う︒ 従前 六首 に は 見ら れ な い この 空 間 移 動は
︑ ま さ にnostos(
家 に帰 る) の 擬 似行 為で はな いか
︒す なわ ち彼 のノ スタ ルジ アの 強烈 な能 動性 を表 して いよ う︒ 最 後に も う一 点
︑従 前悼 亡詩 にな い要 素 を指 摘 する と︑ 以下 のよ うに
︑ 韋 應物 の「 老」 の 意識 が詠 われ てい るこ とで ある
︒ 咨嗟
日復 老
咨 嗟す
日 々復 た老 ゆる を 錯莫 身如 寄
錯 莫と して 身寄 する が如 し
(
三「 出還」) 晩歳 淪夙 志
晩 歳 夙志
淪 み 驚鴻 感深 哀
驚 鴻 深哀 を感 ず
(
四「 冬夜」) 坐念 綺窗 空
坐 ろに 念ふ
綺 窗空 しき を 翻傷 清景 好
翻 って 傷む
清 景の 好き を 清景 終若 斯
清 景 終に 斯く の若 し 傷多 人自 老
傷 多く
人 自 ら老 ゆ 韋 應 物 悼 亡 詩 論( 承 前)
二 三
5 3
2 3
( 八「 月夜」) 蝉
聯体 とし て反 復さ れる
「
清 景」 が「 好」 けれ ばよ いほ ど︑ かつ ては それ を「 同賞」
し た妻 の喪 失を 思い 知ら され る︒ 残さ れた 詩人 は︑ 自意 識と して 早や 晩年 に属 すと する
︒四 十歳 初め とい う年 齢は
︑当 時と して は︑ 老年 と看 做さ れて いた のか もし れな い︒ だが それ より も︑ 老い 衰え たと 詠む こと で︑ 痛手 の大 きさ を表 現し てい よう
︒ま た「 老」 を詠 むこ と は︑「 若」 か らの 時 間の 推 移︑ す な わち 昔 か ら今 へ の流 れ を意 識 し て い る︒ その 流れ の中 での
「
今」 を「 傷多」
し とす る認 識は
︑先 述の ノス タル ジア 発生 条件 の「 悪い 現在」
そ のも ので ある
︒ノ スタ ルジ アは
︑人 生の 移行 期︑ 不確 実で
︑将 来の 不安 が濃 厚な 時期 に発 生し やす いと され る︒ 老年 期は
︑幾 重に も喪 失が 重な り︑ 死と いう 根源 的 不安 が身 近に 迫っ てく るた め︑ その 情動 に︑ より 親し みや すい とい う()
︒ 詩人 は「 老」 意識 を詠 むこ とで
︑自 らを ノス タル ジア の世 界へ と誘 った ので はな いか
︒そ れは
︑も はや 過去 の現 実で はあ り得 ない
︑彼 が作 り上 げた 非現 実の 不可 視の 世界
︑一 種の 仮構 とい えよ う︒ ノス タル ジア は︑ 悲哀 に満 ちた 今の 時空 を超 えさ せ︑ 詩人 を虚 実 のあ わ いに たゆ たわ せ るこ と を可 能に する()
︒ その 一つ が︑ 十八
「
感 夢」 とい う悼 亡詩 で初 めて の「 夢」 であ る︒ 髣髴
覯微 夢
髣 髴と して 微夢 に覯あ ひ 感嘆 起中 宵
感 嘆し て中 宵に 起つ 綿思 靄流 月
綿 思 流月
靄 たり 驚魂 颯廻 飆
驚 魂 廻飆
颯さつ
たり
「
微 夢」 とい う 彼 の好 尚 を表 す「 微」 () を 冠 した は かな い 夢 であ る が︑ こ こで は︑ 夢の 内容 は語 られ ない
︒そ れが 描か れる のは
︑韋 詩を 継承 し た 元 の「 夢井」「
江 陵三 夢」 を待 た なけ れ ばな ら ない
︒ だ が綿 々 たる 思い は︑ 靄に けぶ るあ えか な月 光に たゆ たい なが ら果 てし なく 続く
(
つ むじ 風に 断ち 切ら れる ま で)
︒上 の二 語と 下の 三語
(「
綿 思」 と「 靄 流月」) と の 距 離 の 微 妙 さが 独 特 の 余 韻 を も た ら し て
︑ 韋 詩 の 特 質 と 評 され る
「
幽」 なる 世界() がた ちあ らわ れる
︒そ れは 次の 詩に
︑よ り明 らか であ る︒ 二二
「
寺 居獨 夜寄 崔主 簿」 幽人 寂不 寢
幽 人 寂と して 寝ね ず 木葉 紛紛 落
木 葉 紛紛 とし て落 つ 寒雨 暗深 更
寒 雨 深更 に暗 く 流螢 度高 閣
流 蛍 高閣 を度 る 坐使 青燈 曉
坐 ろに 青灯 をし て暁あき
らか なら しむ れば 還傷 夏衣 薄
還 た夏 衣の 薄き を傷 む 寧知 歳方 晏
寧 ぞ歳 の方まさ
に晏く るる を知 らん や 離居 更蕭 索
離 居 さら に蕭 索た り 自
らを
「
幽 人」 とよ ぶ詩 人は
︑寂 寞た る思 いを 抱え たま ま︑ 眠り につ けな い︒ 初秋 の夜 は更 けゆ くほ どに 冷え 込み
︑寒 々し い雨 が一 層︑ 夜の 闇を 暗く する
︒ふ と気 がつ けば
︑蛍 が光 の尾 を引 きな がら 過ぎ り飛 ぶ︒ 音も なく 緩や かに 流れ る光 は︑ 部屋 の闇 をか えっ て深 め︑ 現実 感を 稀薄 にす る︒ 詩人 は︑ すが るよ うに 明か りを とも す︒ ゆら ゆら 揺れ る青 い炎
文 学 部 紀 要 第 六 十 五 号
二 四 2
3
の中 に浮 か び上 がる 妻の 姿
︒詩 人は もは や「 歳の 暮 れ」 にも 気づ か ない
︒ 南 宋・ 劉須 溪が
「
幽情 より 発し て︑ 遂に 凄境 に入 る」 と評 す() よ うに
︑彼 は︑ ま さに 現 実の 時 空を 超 えた
「
幽」 なる
「
凄境」 に たゆ た うの で ある
︒ 韋應 物の
「
幽」 な る空 間は
︑右 の如 く彼 のノ スタ ルジ アが 必然 とし たの では ない だろ うか
︒ 以 上の よう に︑ 韋詩 の今 と昔 は︑ 単な る対 比で はな く通 底連 続し てお り
︑ 往還 す る空 間 移動 を 伴っ て い た︒ そ れは
︑ 帰 郷( 本 来 の場 所)
︑換 言す れば 根源 的ト ポス への 回帰 をめ ざす ノス タル ジッ クな 時空 であ り︑ 韋詩 の特 質で ある
「
幽」 な る世 界と も関 わる こと が明 らか にな った ので ある
︒そ れが 韋應 物詩 全体 でい かな る意 味を 有す るか は︑ 続編 で考 察す るこ とに して
︑拙 論で は︑ つぎ に悼 亡詩 の嚆 矢︑ 潘岳 詩賦 との 関連 を審 究す る︒ 第
二章 潘 岳詩 賦 と の関 わ り 胡
旭 悼亡 詩 史( 第 二 章 第二 節) は
︑ 韋 應物 悼 亡 詩の 創 作上 の 独 自 性 につ いて
︑詩 語の 平易 さ︑ 景情 の融 合︑ 白描 法・ 対比 法を 用い てい る こ とと 論じ てお り︑ いず れも 首肯 しう る指 摘で ある
︒そ して
「
後人 を驚 か せ羨 望 させ る ほ どの 成 果を 成 し 遂げ た」 と 評 価 した 上 で︑「 微 瑕」 と して 前人 の作 を踏 襲し すぎ ると 批判 する()
︒拙 論第 一章 では 韋詩 の斬 新さ を論 述し たが
︑そ の一 方︑ 事ほ ど左 様 に彼 は 少な から ず先 行 作を 踏 まえ
︑ 典故 とし て用 いて いる
︒し たが って
︑胡 氏の 批判 の当 否は ひと まず 置い て︑ 韋詩 が従 前の 悼亡 詩と いか なる 関わ りが ある かを
︑考 究す べき であ
ろう
︒拙 論で は潘 岳の 哀傷 作品
(「
悼 亡詩」「
悼亡 賦」「
哀永 逝文」「
寡婦 賦」) を対 象に 論じ たい
︒ 第一 節 潘岳 の悼 亡詩 との 関わ り ま ず 潘 岳悼 亡 詩( 以 下
︑「 潘 詩」 と略 す) との 関 わり で ある が
︑ 深沢 論文 が「 詩語
︑構 想の 点で 潘詩 を模 倣」 して いる と説 くの を初 め︑ 先行 研究 のい ずれ もが すで に論 及し てい る︒ 拙論 では
︑付 加し た十 一首 をも 対象 にし て︑ その 不足 を補 い︑ 新た な知 見を 加え たい
︒ 潘 詩の 三首 は︑ 第一 首の 春か ら夏 を除 いて 秋( 第二 首) 冬( 第三 首) へと 流れ る構 成で ある
︒韋 詩の 十九 首構 成が 季節 を基 軸に する のは
︑潘 詩の 影響 と考 え得 るが
︑「 序 説」 で明 らか にし たよ うに
︑そ れは 後人 が︑ 潘詩 に倣 って 構成 した ので あり
︑韋 應物 自身 の構 想で はな い︒ ただ その 構成 が可 能に なる のは
︑韋 詩自 体が 季節 の移 ろい を意 識し て背 景に 詠ん で いる か らで あ り
︑「 潘 詩」 と無 関 係 では あ るま い
︒ その 点 だけ を 押 さ え て︑ 両詩 の関 わり をさ らに 分析 する
︒
「
潘 詩」 は三 首 と も長 編 な ので
︑ 韋 詩と の 同一 詩 語 が最 多() の第 三 首の み掲 げる こと にす る( 文選
巻 二三)
︒
①曜 霊運 天機
②四 節代 遷逝
③凄 凄朝 露凝
④烈 烈夕 風
⑤奈 何悼 淑儷
⑥儀 容永 潜翳
⑦念 此如 昨日
⑧誰 知已 卒歳
⑨改 服從 朝政
⑩哀 心寄 私制 韋 應 物 悼 亡 詩 論( 承 前)
二 五
⑪茵 張 故房
⑫朔 望臨 爾祭
⑬爾 祭 幾時
⑭朔 望忽 復盡
⑮衾 裳一 毀撤
⑯千 載不 復引
⑰ 朞 月周
⑱戚 戚彌 相愍
⑲悲 懐感 物來
⑳泣 涕應 情隕 駕 言陟 東阜
望 墳思 紆軫 徘 徊墟 墓間
欲 去復 不忍 徘 徊不 忍去
徙 倚歩 踟 落 葉委 側
枯 帯 墳隅 孤 魂獨 煢煢
安 知靈 與無 投 心遵 朝命
揮 涕強 就車 誰 謂帝 宮遠
路 極悲 有餘
「
潘 詩」 第三 首 は︑ 冬 の 詩で あ る︒ 巨 視 的時 間 の推 移(
①
②) か ら始 め︑ 冬の 厳寒
(
③
④) を背 景に
︑永 遠に 帰ら ぬ妻 の死 を嘆 く(
⑤〜
⑧)
︒ やむ なく 身は 宮仕 えに 従っ てい るが
︑妻 の死 を悼 む心 は変 わり なく 部屋 の 祭壇 に 託し て い る(
⑨
〜
⑫)
︒ 時 が 過ぎ て も哀 し みは 深 い まま
(
⑬〜
⑳)
︒ その 思 いに ひ きず ら れ るよ う に墓 に 出か け れ ば︑ い つ まで も 墓の 周 りを 立 ちも と お る姿 が 詠ま れ てい る( 〜 )
︒ 最後 は
︑ その 哀 しみ を断 ち切 って
︑官 務に 励ま ねば と自 らを 叱咤 する
︒ 齋 藤 希 史「 潘 岳 悼 亡 詩論」 ()
は
︑「 潘 詩」 各首 の 内容 を モチ ー フで 整理 して
︑三 首間 の有 機的 連関 を明 示す る︒ 右の 第三 首に つい ては 季 節 妻 の 死 の 永 遠 亡 妻の 祭 り 空 室 の 悲 哀 墓 へ の 登 高徘 徊
悲 哀と そ の切 断 の六 モ チー フ から 成 る とす る
︒さ ら に 季 節 を︑ 巨視 的俯 瞰 的季 節と 微視 的 即時 的季 節に 分 類し
︑前 者が 妻 の死 の 永遠 と対 照さ れる のに 対 して
︑後 者は 空 室の 悲 哀 と 関わ り︑ 妻 の 不在
・ 喪失 を 伴う とし て︑ モチ ーフ 間の 連関 を指 摘す る︒ 右 のモ チー フを
「
韋 詩」 にお いて 調べ れば
︑以 下の よう に「 潘詩」
を 踏襲 しな がら も韋 應物 の独 自性 を看 取し 得る
︒ 巨 視的 俯 瞰 的 季 節 は
︑「 單 居 時 節 移 り
/ 泣 涕 し て嬰 孩 を 撫 す」
(
一「 傷逝」
⑰)
︑「 奄忽 とし て時 節を 逾え
/日 月其 の良 きを 獲た り」(
五
「
送終」
①) な ど多 くは 時の 推移 の早 さを 嘆く 詩句 とし て詠 われ てい る︒
「
潘 詩」 第 一 首冒 頭「 荏じん 苒ぜん
と して 冬 春謝さ り
/寒 暑 忽 ち流 易 す」 と
︑ ニュ アン スを 同じ くす る︒ だが いず れも 妻 の死 の永 遠 と対 照さ れて いな い︒ 韋詩 で詠 まれ るの は︑ 妻と 共に 過ご した 時間 であ る︒ 荏苒
斑鬢 及
荏 苒と して 斑鬢 及び 夢寝 婚宦 初
夢 寝す
婚 宦の 初め 不覺 平生 事
覚 えず
平 生の 事 咄嗟 二紀 餘
咄 嗟に して 二紀 の余 なる を
(
二四
「
發 蒲塘 驛⁝ 追懐 昔年」)
「
斑 鬢( 白 髪交 じ り の 鬢 の 毛)」
も 潘 岳 の「 秋 興 賦」 に 見 える 語() で
︑
「
荏 苒」 と と もに
︑ 潘 岳の 影 響を 認 め 得る が
︑ 韋應 物 が夢 の 中で 思 う の は
︑ 新婚 時 代か ら あっ と い う間 に 過ぎ た「 二紀」(
二十 四 年) を 超 える 歳月 であ る︒ この 語は
︑第 二節 で対 象と する
「
悼 亡賦」
第 一聯 に見 える
文 学 部 紀 要 第 六 十 五 号
二 六 5
6
こと を留 意し てお く︒ こ こに 詠わ れる 時間 表現 は︑ 昔を 起点 とし て次 第に 今の
「
斑 鬢」 に至 り︑ 今の 時点 から
「
婚 宦の 初め」
に たち 戻っ てい く長 くて 短い 妻と 共に 過ご した 時間 の回 顧で ある
︒第 一章 第三 節で 論じ た今 昔の 往還 によ るノ スタ ルジ アを 見出 せよ う︒ すな わち 韋應 物は 潘岳 詩賦 の俯 瞰的 時間 に触 発さ れて
︑自 らの 時間 を獲 得し たの であ る︒ 微 視 的 即事 的 季節 は
「
自然 詩 人」 と 冠 され る 韋應 物 ゆ え︑ 枚 挙 に 遑 ない
︒ 従 って
「
潘 詩」 第 三 首に 即 して 冬 の詩 に 限る
︒「 晨 に起 き て厳 霜 を凌 ぎ
/慟 哭 して 素 帷( 服 喪 の 白い と ばり)
に 臨む」(
二「 往 富 平傷 懷」 第一 聯)
︑「 室 に入 れば 掩は れて 光無 く/ 哀を 銜み て虚 位を 写す
/悽 悽 とし て 幽幔 動 き/ 寂 寂 とし て 寒吹 に 驚く」(
三「 出還」
第 二・ 三 聯) など
︑い ずれ も 空 室 の悲 哀 と室 内の 祭壇
(
亡 妻の 祭り ) を想 起さ せ︑ 潘詩 同様 の季 語を 含ん でリ アリ ティ を醸 しだ して いる
︒ こ のほ か胡 旭氏 の指 摘す る「 景情 融合」
と いう 詩人 の心 象風 景と 解し 得る 詩 も認 めら れる
︒先 に引 いた
「
飄 風忽 ち野 を截 り/ 唳
雁 起ち て 飛ぶ」(
二 第九 聯) は︑ ま さ に詩 人 の胸 中 を 吹き 荒 れる 哀 号で は あ る ま いか
︒そ の哀 しさ ゆえ
︑美 しい 春の 自然 を目 にし ても
︑詩 人の 心は 晴 れ ない 迢 ︒
迢芳 園樹
迢迢 たり 芳園 の樹 列 映清 池曲
列ね て 清池 の曲 に映 す 對 此傷 人心
此に 対し て人 心を 傷ま しめ 還 如故 時緑
還た 故時 の緑 の如 し
風 條灑 餘靄
風條
余 靄を 灑ち らし 露葉 承新 旭
露 葉 新旭 を承 く
(
七「 對 芳樹」) 清
らか な池 畔に 立ち 並ぶ
「
芳 樹」 の枝 が風 に揺 れて
︑消 えか かる 春霞 を散 らし
︑露 を帯 びた 木の 葉が
︑み ずみ ずし い朝 の光 を受 けて 輝い てい る︒ しか し詩 人は
「
此 に對 して 人心 を傷 まし む」 と詠 う︒ なぜ なら それ は「 還た 故 時の 緑 の如 し」
︑ すな わ ち妻 と 共に 愛 で た「 故 時 の緑」
だか ら︒ こ の よ うに
︑「 韋詩」
の 微 視 的 即事 的 季節 は
︑ 必ず し も 空 室 の 悲 哀 に限 定さ れず
︑外 へと 広が り︑ 外的 情景 を悲 哀感 情と 結び つけ て 詠 む︒「 潘 詩」 の 即 事的 季 節 表 現 と連 関 する 空 室の 悲 哀 が 媒介 して
︑そ のモ チー フが 内在 する 妻 の不 在・ 喪失 の 思い が詩 人を 突き 動か すよ うに
︑外 へと 導き 出し たの であ る︒ 季 節 とい う「 潘詩」
の モチ ーフ が︑ 巨視 的︑ 微視 的に かか わら ず︑ 韋應 物を 触発 し︑ 世界 を広 げて
︑独 自の 詩境 を築 かせ た︒ 韋應 物の 側か らい えば
︑「 潘 詩」 を擬 する こと で︑ 自ら の世 界を 構築 し得 たの であ る︒ 妻 の 死 の永 遠 はす で に挙 げ た韋 詩 一「 傷 逝」 第一
・ 二 聯に
「
我が 室中 の人 を念 へど も/ 逝去 して 亦た 回ら ず」 と見 える が︑ それ に続 くの は「 結 髪よ り 二十 載/ 賓敬 始 めて 来 るが 如し」
とい う妻 の思 い出 で ある
︒ 或い は︑「 存没
闊 とし て已 に永 く/ 悲し み多 く歓 び自 ら疏 し」(
二 四第 七 聯)「
山 河 望む 可 から ず
/存 没 意 違 ふ こと 多 し」(
十 九 第二 聯)「
生 平 此 の 居を 同 に する も
/一 旦 存 亡を 異 にす」(
五 第三 聯) と詠 ん で詩 韋 應 物 悼 亡 詩 論( 承 前)
二 七
1 2
3
人( 存) と妻
(
没) が 対比 され てい る︒ この 表現 は︑ 第一 章第 一節 で述 べた よう に︑ 二人 で苦 難を 乗り 越え てき た夫 婦と して の共 感が もた らし たの では ある まい か
︒そ れゆ えの 喪 失感 の深 さが 響 いて く る︒ その 一方
︑
「
一 旦閨 門 に 入れ ば
/四 屋 塵 埃に 満 つ/ 斯 の 人既 に 已ん ぬ る かな
/ 物に 触れ て但 だ傷 摧す」(
一 第七
・八 聯) と「 潘詩 モチ ーフ」
で は︑ 微 視的 季 節 と 結 びつ く 空 室 の 悲哀 と 連 関 す る︒ 韋 應物 は
︑「 潘詩」
のモ チー フ間 の緊 密な 縛り に拘 泥せ ず︑ 自由 に模 擬性 を追 求す る︒ 墓 へ の 登高 徘 徊 は 右 の五
「
送 終」 の 詩 句に 続 いて
「
斯 須す る も亦 た 何の 益 か あら ん
/終 に 復た 山 岡 に委 ぬ」(
第 四 聯) と 詠 う︒ 出 棺 から 埋葬 を終 えて も︑ 詩人 は「 独り 留ま りて 還る を得 ず/ 去ら んと 欲し て中 腸結 ぼる」(
第十 聯) と立 ち去 りが たい 思 いで 徘 徊し
︑潘 岳の 姿 と重 な っ て 行く
︒ 右の 如く
︑「 潘詩」
の 五モ チー フは すべ て認 めら れる が︑「 韋 詩」 は唯 一︑「 悲哀 の切 断」 を欠 く︒「 潘 詩」 の「 悲哀 の切 断」 の具 体的 内容 は︑ 第三 首
〜 で詠 まれ るよ うに
︑い つま でも 嘆き 悲し まず
︑早 く官 務に 復帰 しな くて はい けな いと 自ら を叱 咤激 励す るも ので ある
︒無 論︑ それ がで きな いこ とを 暗に 含ん で逆 説的 に悲 哀を 表現 して いる が︒ この 現実 回 復へ の 方向 を「 韋詩」
が 欠く こ とは
︑「 韋 詩」 の ノ スタ ル ジア を 想起 す れ ば
︑ 当 然 の 帰 結 とい え よ う
︒ 彼 は 妻 と の 永 遠 の 別 れを 詠 じ た 後
︑
「
高秩 は美 と為 すに 非ず
/闌 干と して 涙裾 に盈 つ」(
二 四第 八聯)
と 出世 を 判然 と 否定 す る
︒「 潘 詩」 の現 実 的 要素 を 捨象 否 定す る こ とで
︑ 自 ら の 悲哀 表現 の有 りよ うを 明確 にし たの であ る︒ 以上 のよ うに
︑「 韋詩」
は
︑「 潘詩」
の 詩語 やモ チー フを 模擬 し︑ その
触媒 によ って 自ら の詩 境を 広め
︑独 自の 展開 を繰 り広 げた
︒そ の一 方︑ 自ら の特 質と は相 容れ ない モチ ーフ は︑ 明確 に拒 否し てい る︒ しか しそ れも
「
潘 詩」 を基 にし てこ そ︑ 方向 性が より 分明 にな った ので はあ るま いか
︒そ の意 味で
︑「 韋 詩」 の「 潘詩」
と の関 わり の深 さが 看取 され る︒ さら にそ の本 質を 考究 すべ きで あろ う︒ 第二 節 潘岳
「
悼 亡賦」「
哀 永逝 文」 との 関わ り 潘 岳 は 妻楊 氏 の死 を 悼 む作 品 とし て
︑ ほか に「 悼亡 賦」「
哀 永 逝 文」 を綴 って いる
︒「 悼 亡賦」(
以下
「
潘 賦」 と称 す) の現 存作() は︑ 二十 韻四 十句 から 成り
︑主 に二 聯〜 三聯 毎に 換韻 して
︑内 容や 場面 を展 開し てい く︒ 第一
・二 聯は
︑ 伊良 嬪之 初降
伊こ れ 良嬪 の初 めて 降り しよ り 幾二 紀以 茲
二紀 に幾ちか
くし て以 て茲 におよ ぶ 遭 門之 不造
両門 の不 造() に 遭ひ 備荼 毒而 嘗之
備つぶ
さ に荼 毒を ば之 を嘗 む と始 め︑ 先に 引い たよ うに
「
二 紀」 に亘 る結 婚生 活の 苦労 を回 顧す る︒ その 後︑ 第三 聯か らの 概要 は以 下の とお りで ある
︒① 妻の 死の 永遠
(
第 三〜 五聯)
︑② 冬の 夜︑ 殯室 での 葬送 の準 備( 第六
〜十 聯)
︑③ 聡明 で分 身 とい う べき 妻 の 存在 と 喪失 の 悲 哀( 第 十 一〜 十 四聯)
︑
④ 殯室 か らの 移 葬( 第 十 五聯)
︑
⑤ 空室 の 悲哀 と 虞祭
(
埋 葬後 の たま や すめ の 祭 り︑ 第十 六〜 十八 聯)
︑
⑥春 の訪 れ( 第十 九︑ 二十 聯)
︒ 第 十四 聯ま では
︑「 襲 時服 於遺 質( 時服 を遺 質に 襲かさ
ね)
/ 表鉛 華於 餘顔
(
鉛華 を余 顔に 表す)」
死装 束や 化粧 など 葬送 前夜 の慌 ただ しい 準備 が具
文 学 部 紀 要 第 六 十 五 号
二 八
体的 に記 され
︑そ の間 に妻 の 思い 出 とそ れに 伴う 悲 哀が
︑つ ぎの よ うに
︑ 吐露 され る︒ 且伉
儷之 片合
且 つ伉 儷の 片合 する や 垂明 哲乎 嘉禮
明 哲を 嘉礼 に垂 る 苟此 義之 不
苟 くも 此の 義の ら ざる 乃全 身之 半體
乃 ち全 身の 半体 なり 吾聞 喪禮 之在 妻
吾 は聞 く喪 礼の 妻に 在る や 謂制 重而 哀軽
制 は重 くし て哀 は軽 しと 謂ふ を 既履 冰而 知寒
既 に冰 を履 みて 寒き を知 り 吾今 信其 縁情
吾 は今 其の 縁情 に信まか
す
「
伉 儷( 妻)」
と して の妻 の聡 明さ は︑ 結婚 当初 より 変わ らず
︑ま さに わが 身の 分身 だっ たと 評価 し︑ いく ら喪 礼を 厚く して も悲 哀の 重さ は変 わら ず︑ 身も 心も 寒い 今の 哀情 に身 をま かす ほか ない と歌 う︒ こ の「 兮」 を 用 いな い「 三言
+ 虚 辞( 之
・ 以・ 而
・於 な ど)
+ 二 言」 と い う 騒 体 は︑ 両 漢 には 見 え ず
︑ 魏 晋 に 数 多 く 現 れ た 新形 式 で
︑ 本 来
「
兮」 が 置 か れる
「
句腰」
に
︑ 虚辞 を 置い て
︑新 味 を 出し て いる()
︒ また 内容 的に は︑ この 第十 四聯 まで が︑ 殯室 内で の情 景と 悲哀 で︑ 次か らは 棺を 外に 移葬 する 動き にな り︑ 形式 も以 下の よう に変 える
︒ 第 十 五 聯「 夕 既 昏兮 朝 既 清( 夕 べ は既 に 昏 くし て 朝は 既 に 清く)
/延 爾 族兮 臨 後庭
(
爾 が族 を 延き て 後 庭に 臨 む)」
は
︑ 親族 を 引 き連 れ て︑ 棺を 殯室 から 後庭 にあ る祖 に 移す 情景() であ る︒ この 形式 は︑ 右の 如く
「
兮」 を 用 い た 楚 辞 九 歌 に基 づ く「 二 ま た は三 言
+兮
+ 二ま た は三 言」 とい う騒 体() で
︑同 型が 最後 まで 続く
︒と ころ が内 容的 には
︑次 の第 十六 聯は
︑こ れま での 時系 列の 流れ を断 ち切 り︑ 送葬
・埋 葬場 面を 省い て
︑ 唐突 に 埋葬 後 帰宅 し ての
「
空 室」 の 悲 哀を 詠 む( 概 要
⑤)
︒ 二 場面 が脱 落し た蓋 然性 も否 定で きな いが
︑ま さに その 場面 を補 うか のよ うに 詠わ れて いる のが
︑「 哀 永逝 文」 なの であ る︒
「
哀 永 逝文」(
以下
︑「 哀 文」 と 称す)
は
︑ 文 選( 巻 五 七) の「 哀」
(
上) とい う部 建て の中 に︑ 唯一 収録 され
︑ま た明
・徐 師曾
文 體明 辯
「
哀 辭」 に も 代表 作 とし て 収 めら れ てい る
︒ 徐は
「
哀 辞と は 死を 哀 し む の 文な り︒ 故に 或い は文 と称 す」(
小 序) と説 き︑「 其 の文 は皆 韻語 を用 ゐて 四言
︑騒 体」 と記 した うえ で︑ 当該 作を この ジャ ンル の古 辞の 嚆矢 とし て置 く︒ つま り「 潘賦」
と はジ ャン ルを 異に して 分類 する
︒し かし なが ら︑ その 内容
︑形 式と もに 次の とお り︑ きわ めて 近似 する
︒ 歌 い始 めは
︑棺 が門 のそ ばに 置か れて 送葬 への 出発 を待 つば かり の光 景で ある
︒ 啓夕
兮宵 興
啓夕
宵 に興お くる も 悲絶 緒兮 莫承
緒を 絶ち て承 くる 莫き を悲 しむ 俄龍 轜兮 門側
俄か に 龍りょう 轜じ
(
棺) 門側 にあ り 嗟俟 時兮 将升
嗟ああ
時を 俟ま ち て将 に升 らん とす 嫂姪 兮 惶
嫂姪 は しょう
惶こう
し 慈姑 兮垂 矜
慈姑 は垂 矜す 聞鳴 鷄兮 戒朝
鳴鶏 を聞 きて 朝を 戒む れば
(
告 げる) 韋 應 物 悼 亡 詩 論( 承 前)
二 九
11 12
13 14
咸驚 號兮 撫膺
咸みな
驚 号し て膺むね
を撫 づ
「
啓 夕」 は︑ 送 葬 前夜
︑ 殯 を「 啓」 いて 祖 に 移 す時 を 表 す︒ す な わ ち「 潘賦」
第 十五 聯に 重な る︒ 兄嫁
︑姪
︑母 堂の 慟哭 が響 いて くる よう な臨 場感 れ る描 写で ある が︑ この 時を 起点 とし て︑ 墓地 まで の野 辺送 り の 光 景
︑ 次 い で 棺 を 墓中 に 下 ろ す 埋 葬 が 展 開 し
︑ 帰 宅 後 の 殯 室で の
「
反 哭」 で 終 わる
︒ 最後 は「 潘賦」
第 十六 聯 に重 な り︑ 第 十 五聯 と 第 十 六 聯の 間に 欠落 して いる 啓殯 から 反哭 まで の流 れが
︑ま さに 符牒 を合 わ す かの よう に詠 われ てい る︒ この
「
哀文」
を 補う こと によ って
︑送 葬の 流れ が途 切れ るこ とな く展 開す るの であ る︒ そし て「 反哭」
ま での 流れ の間 に︑ 今奈 何兮 一擧
今奈 何ぞ 一挙 し 終 天兮 不反
と して 終天 反ら ざる とい う「 妻の 死の 永遠」
や
︑「 潘 賦」 と同 様の 悲愴 が︑ 切々 と謡 われ る︒ 悽切
兮増 欷
悽 切に して 欷なげ
き を増 し 俯仰 兮揮 涙
俯 仰し て涙 を揮 ふ 想孤 魂兮 眷舊 宇
孤 魂を 想ひ て旧 宇を 眷
か え りみ
れば 視 忽兮 若髣 髴
視 るこ と 忽と して 髣髴 たる が若 し こ
の 形 式は
︑ 右 の詩 句 で明 ら か なよ う に︑「 潘 賦」 第十 五 聯以 降 に用 い られ て いる の と 同じ 九 歌型 の 騒 体で あ る︒ そ う なる と
︑「 潘 賦」 が第 十 五 聯 以 降︑ な ぜ「 九 歌」 型 に 変 更し た か が
︑ 以 下 の よ う に 推 論で き
よう
︒ 二 の成 立 時 期に つ いて は
︑ 胡旭 氏 の 説く よ うに
︑「 哀 文」 が 先 に成 り︑ その 後︑「 潘賦」
が 作ら れた と考 えら れる()
︒端 的に いえ ば︑「 哀 文」 は 送葬 前 夜か ら「 反哭」
ま での 一 日を 背 景と す る のに 対 して
︑「 潘 賦」 は「 冬夜」
か ら「 春風」
ま での 比較 的長 い時 間が 詠ま れて いる から であ る
︒ した が って
︑「 潘賦」
は 前半 第 十四 聯 ま で脱
「
兮」 の 新 型を 用 いる が︑ 送葬
・埋 葬場 面は
︑先 に成 った
「
哀 文」 があ るの で省 略す る︒ その 代わ りに 第十 五聯 以降
︑「 九 歌」 型形 式に 変え るこ とに よっ て︑「 哀 文」 を想 起さ せ︑ 流れ を中 断し なく てす むこ とを 意図 した ので はな いだ ろう か︒ 以 上の よう に︑「 悼亡 賦」「
哀 永逝 文」 の二 は
︑ジ ャン ルを 異に する とは いえ
︑内 容・ 形式 とも に︑ 分か ちが たく 結び つき
︑相 補関 係に ある とい えよ う︒ さ てこ の二 と 韋應 物の 悼亡 詩と の関 わり であ るが
︑ま ず「 悼亡 賦」 との 関連 に言 及す る︒「 韋詩」
の 特質 とし て︑ 第一 章で 指摘 した よう に︑ 結 婚生 活 の回 顧 が挙 げ ら れる が
︑ 先述 の 如く
︑「 潘賦」
冒 頭の
「
二 紀」 が 韋詩 に「 覚え ず 平 生 の 事/ 咄 嗟に し て二 紀 の 余な る を」(
二 四「 發 蒲塘 驛⁝ 追懐 昔年」
第 五・ 六聯)
と 用い られ てい る︒ それ はた また ま同 じ二 十年 あま りの 結婚 生活 だっ たか らか もし れな いが
︑潘 岳「 悼亡 詩」 には 見え ない この 語を 用い たの は︑ やは りあ る種 の共 感の 為せ るわ ざで あ ろう
︒ そ れゆ え
︑ この 発 想は
︑「 韋詩」
第 一首
︑ 狭 義の 悼 亡詩 と いえ る「 傷逝」
の「 結 髪 より 二 十載
/ 賓 敬始 め て来 る が如 し」(
第三 聯) に も認 めら れる
︒次 いで
︑「 韋 詩」 は「 潘賦」
の「 不 造」「
荼 毒」 とい う結
文 学 部 紀 要 第 六 十 五 号
三
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