情報化時代における使用言語としての国語(日本語)と英語
国語教育 勝俣隆
近代日本において、近代化はイコール西欧化であった。明治政府は、鹿鳴館に代表されるような西 欧の模倣を進め、従来のアジア的文化、日本的な文化を否定して、西欧の価値基準に取って替えよう
とした。その結果、滅び去ったアジア的・日本的文化も多数あるが、その一方で、西欧文化の日本化、
あるいは、和洋折衷的な文化が生まれ、日本的な文化も生き延びてきた。これは、上代からの、日本 の外国文化に対する接し方をよく継承しており、外国文化を日本風に置き換えることにより、外国の 良さは良さとして採り入れ、それを日本人により使いやすい形態に変えて、上手に利用してきたので ある。しかし、現在、日本人のこうした外国文化の摂取法を脅かす事態が生じてきている。それは、
電子工学・情報工学等の急速な発展により、通信が瞬時に世界的規模で行われるようになり、日本風 に消化する余裕がないままに、生の外国の情報が、大量に、短時間で流入するようになった点が一つ。
また、利潤追求を第一目標とする企業論理が、工業製品を中心として規格の統一を図り、世界中が単 一的尺度で統一される時代になりつつある点が三つ目である。
第二の点から先に述べれば、これは、基本的には工業製品において先鋭化しているが、経済のみな らず、政治・社会・文化等あらゆる分野で、顕在化してきている問題である。次節で、それについて 述べたい。
1.統一か多様化か
ECからEUへの動きは、多様な国家の枠を越えて、政治的・経済的に単一的な新たな枠組みを作 る動きであり、国家の独自性、国家主権と厳しく対峠するものであることは言うまでもない。そこに は、普遍か固有か、統一か多様かと言った、国家・人類・民族のあり方に関する根本的な問題が含ま れている。それ故に、各国において、EU加盟・通貨統合等を巡って賛否両論が渦巻いているのであ
る。
工業製品について言えば、規格の統一という問題がこれに該当しよう。各社が競って自己の規格を 世界基準にしようと争うのは、まさに生き残りを掛けた重大事であるからに他ならない。しかし、世 界の基準となるものが、必ずしも製品として優れているからではなく、同じ基準を使う仲間の会社の 数が多いか少ないかという論理のみで、決まっていることが多い点に大きな問題が残る。
例えば、ビデオテープのベータとVHSの争いでは、画質はベータの方が勝っていたにも係わらず、
VHS陣営の方が数が多かったために、VHSが世界基準となった。ベータが世界基準になっていれ ば、コンパクトで収納空間が少なくて済み、より高画質のビデオを楽しめたのに残念なことである。
ベータで負けたソニーがビデオカメラでは、VHSに対抗して、8ミリに力を入れ、8ミリカメラが 結局、世界基準になった。テープはVHS、カメラは8ミリという二重基準が出来てしまい、結局、
消費者が不便になっただけだった。次世代の情報手段DVDでは、両陣営の妥協が図られたが、その
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場合も必ずしも、製品としてどちらが優れているかで決められているのではない点に問題が残るD
今、フィルム業界が次期の製品として売り出そうとしているのが24ミリフィルムであるD 出し入れ が簡単だという宣伝をしているが、 35ミリと比べ、大画面に引き延ばした時の画質は、明らかに落ち ると言われているD 画質が現行のフィルムよりはるかに向上するのなら意味があるが、現行のカメラ も使えなくなり、画質も落ちるようなフィルムが、ただ装填が簡便なだけで売れるであろうかD 現在 のカメラは品質が向上して、フィルムの装填もすこぶる容易になっている。フィルムの値段も35ミリ フィルムと変わらないそうだから、 24ミリフィルムを使うメリットはほとんどないと言って良い。フィ ルム会社は、こうした消費者にとって迷惑な基準改正を行うべきではない。まして、今、カメラの世 界は、従来のフィルムを使ったカメラからフィルムの要らないデジタルカメラに移行しつつある口デ ジタルカメラは、まだ画質の点でフィルムに比べ這におちるので、今すぐにフィルムのカメラがなく なってしまうことはなかろうが、今後、デジタルカメラの画質が向上していけば、やがてフィルムの カメラに取って代わるようになるのは時代の趨勢であろうD フジやコダック等のフィルム会社は、 24 ミリフィルムのような意味のない製品の販売に力を入れるのでなく、デジタルカメラ時代での生き残 りを考えた方が賢明だろうD
このような、統一的基準の問題は、工業製品ばかりでなく、社会の様々な面で、人々の生活に大き な影響を与えている口例えば、官公庁における書類の書式のA4版統一の問題がある。これは、アメ リカと外務省が交渉する際に、アメリカの書類がA4版なのに、日本の書類の書式がA版・ B版様々 で、アメリカ側からクレームが付いたことに端を発するらしい。日本の外交は、アメリカ一辺倒だか ら、外務省の高官にとって、アメリカの機嫌を損ねることが恐ろしかったのであろうD そこで、外務 省を皮切りに、官公庁の書類のA4版化が、国際化の名のもとに強制された口 A4版化によって、字 が大きく見やすくなって良かったという人もいるD 超整理法で脚光を浴びている野口悠紀雄氏もA4 版化を支持されている(注1)0 しかし、 A4版化には、マイナス面が少なくない。今まで、 B5版 で印刷されていたものが拡大され、書類が大きなスペースを取るようになった。ちょうど、ベータよ
りも大きなVHSが広いスペースを必要としているのに類似しているD 今までの棚が使えなくなり、
A4版の冊子類の収納場所に困っている人も少なくないはずだ口その上、税収が国も地方公共団体も 大幅に減少しているのにも係わらず、 B5版のA4版化によって、印刷経費は2割5分から3割上がっ たと言われる(注2)。印刷業者が、 A4版化すればB5版と同じ内容の印刷物の値段が3割も上がる ことを訴えても、官公庁は取り合わないという口事務書類のA4版化によって、税金の無駄使いが行 われているのであるO その上、小さな印刷業者は、官公庁の要求に答えるには、従来のB4までの印 刷で済んだ印刷機では間に合わず、 A3版まで印刷できる印刷機を新たに備えねばならず、一千万円 以上の無駄な投資を強いられているという(注2)口また、紙の消費量も明らかに増えているO 日本全 体が不況から脱し切れない中で、製紙業界が空前の活況を呈しているのも、 A4版化で、紙の消費量 が増えたのと無縁ではあるまい。熱帯林の乱伐による森林破壊・環境破壊が問題とされている中で、
官公庁が率先して、森林の破壊に繋がるA4版化を進めているのは、如何なものであろう。 B4版は 奉書紙の大きさに起源を持つ、日本独自の紙の大きさで、プリントに印刷するとよくわかるが、実に 使い勝手の良い大きさである。そもそも、必要に応じてA版でも、 B版でも好きな大きさが選べる自
由が望ましいのであって、何でも、アメリカの基準に合わせなくてはならないという思考法は、やは り問題があるのではないか。国際化とアメリカ化が同義語であるのは、逆に言えば、他の大多数の国 の存在を無視した不遜な態度といえよう。
数字の位取り記号にも、同様なことが言えるD 日本語の数字は、中国から来た数字観念に習い、万・
億・兆・京と 4桁ずつ位が上がる口しかし、英語を初めとする欧米の位取りは、 3桁ずつ位が上がる 別の体系を持つ口ところが、官公庁を初め、銀行等の金融機関で使用している位取り記号は日本語の 数字体系に基づく 4桁の位取りではなく、すべて 3桁単位の位取りなのであるD だから、 Oが多数並 んでいる時、位取り記号があっても、日本語の数字の位取りと一致していないから、その記号は全く 役に立たないのであるD 筆者は、 Oが並んだ数字の時は、自分で 4桁の位取りの記号を付け直して、
読むことにしている。一体、誰のために、何のために、全く役立たない3桁の位取りをするのであろ うD これも、国際化という美名のために。日本語には本来的に使えない基準を導入しているための矛 盾である。
また、メートル法を導入して、日本古来の尺貫法を禁止し、鯨尺等を違法のものとして取り締まり ながら、その一方で、ゴルフのヤード、テレビ・パソコンのインチ等、メートル法の趣旨にそぐわな いアメリカの尺度はマスコミ・企業等が使うことを放任しているD 超大国への遠慮に基づく二重基準
という矛盾が見られるのである。
単位の統一に便利な面があることは否定しない口しかし、一つの基準しか認めないことは、様々な 点で弊害ももたらすのであるO 政治的には、それは、全体主義に繋がるD また、一つの宗教、一つの 文化、一つの民族、一つの言語しか認めない態度が、排他的宗教、選民思想、民族浄化、人種差別、
世界の警察官、英語帝国主義など偏頗な思想を生み出すのである口筆者は、世界中が一つの思想で統 一されるよりも、多数の価値観が、相互にその存在を認め合い、平和的に共存することを良しとする ものであるD さて、この、あらゆる価値基準におけるアメリカ追随の姿勢は、現在、本稿のテーマで ある、言語に関して大きな問題となっているD 次節で、それについて述べたいD
2.言語における英語優位から来る諸問題
従来、外国からの情報は、文字情報にしろ、音声情報にしろ、基本的には、翻訳という手段で、流 入してきたD つまり、外国からの情報は、日本語に置き換えて理解しようという基本的な姿勢が存在 したo ところが、コンビュータの発達に伴い、アメリカからコンビュータ用語が大量に入ってきたが、
それらは漢語に翻訳されることはあまりなく、英語を単に、片仮名に置き換えた形で、使われるよう になってしまった。片仮名語には、漢字と違って、それ自体には意味はないから、単なる音声の伝達 だけになり、その結果、意味不明の片仮名語が氾濫することになったD 現在、日本人の多くが、パソ コンを十分に使いこなしていない大きな理由の一つが、この片仮名語の氾濫にあることは、ほとんど 間違いない。言葉の意味が分からなくて、正しい操作が出来るはずはないのである。いつから、日本 は、翻訳を忘れた国になってしまったのか。同じように、漢字を使っている中国が、ほとんどすべて の外来語を中国語に翻訳しているのとは、対照的である。勿論、中国でも、例えばホームページなど は、そのまま英語読みをするという例外もあるが、コンビュータが電脳であるように、基本的に翻訳
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がなされ、漢字の意味で、その内容を知ることが出来るO それに対し、片仮名では、その意味を知り えず、逐一、辞典等を使い、どう言う意味か確かめなければならず、理解するための負担が非常に大 きいのであるO 家電各社は、パソコンの一層の普及を図りたければ、英語の用語を徹底的にこなれて 易しい日本語に翻訳し、わかりやすく説明した、操作し易い機器と、親切な説明書を作るべきであるD
そして、もう一つの重大な変化はインターネットの急速な普及が、情報時代における国語(日本語) のあり方、使用言語はどうあるべきかという点について、新たな問題を生み出している点であるo従 来、日本国内において、国語(日本語)を使用できれば、生活に不自由することはまず、なかった。勿 論、現在においても、基本的には、普段の生活において、日本語が使用できれば、ほとんど不便を感 じることはない。しかし、インターネットという新しい情報手段は、 「閉ざされた言語」である日本 語が、 「聞かれた言語」である英語と直に向き合う状況を作りだしているのである。インターネット がアメリカの生み出した情報手段であるために、必然的に使われる言語は英語であるO しかし、日本 人の大多数は、英語を母国語と同様に流暢に使いこなすことはできないD これは、考えてみれば、大 変な事態であるD 英語をもっと真剣に勉強して、使いこなせれば良いという議論もある。しかし、ご く一部の言語能力に優れた日本人にとってそれが可能であっても、やはり、いくら努力したところで、
大多数の日本人には、それは不可能なことである。つまり、このままでは、インターネットは、外国 との交信に使われる限り、日本人のほんのー握りの人のみの特権的な通信手段でしかないことになるO
これは、どう考えても、不公平なことであるD 不公平と言えば、このインターネットというシステム 自体が極めて不公平な情報手段であるD 英語を母国語、あるいは公用語としてきる人々のみが、その 利用において便宜を受け、英語以外の言語を使用する人々にとっては、外国語である英語を習得して からでないと十分な利用ができないという決定的なハンデイキャップがあるからだ。そこで、以下、
これからの情報化時代に、国語と英語に対して、如何に対処すべきか考えてみたい。
3.英語は何故、世界共通語(国際語)とされるのか。
英語が昨今、世界共通語とか世界語、国際語とか呼ばれるのは、英語が言語として、共通語となる のに相応しいからではない。端的に言えば、植民地主義・帝国主義による植民地獲得で、大英帝国が 広範な地域に英語圏を広めたことと、超大国アメリカが政治的・経済的・軍事的・文化的優位によっ て、さらに英語を世界に普及させたことが、二大原因であるo
つまり、英語を母国語とする国家、戦前まではイギリス、戦後はアメリカが、政治的・経済的に圧 倒的に大きな力を持って来たからに過ぎない。少し前までは、外交フランス語、医学はドイツ語、音 楽はイタリア語などというように、それぞれの分野でよく使われる言語があり、英語と括抗していた のに、最近は、分野を問わず、あらゆる分野で英語が標準的に使われるようになっているD その上、
情報産業が、十九世紀はイギリス、二十世紀はアメリカを中心に発展したために、英語が他の言語を 圧倒して、世界を支配するようになったのであるO そして、現在、世界の情報の八割をアメリカが支 配していると言われるほどにまでなっているD さらに、インターネットという新しい情報手段の普及 で、英語が益々その勢力を伸ばしつつあるのが、現在の状況と言えよう。
それを、もう少し詳しく、箇条書きで示せば次のようになろう。
1.大英帝国の植民地獲得時代……イギリスが、産業革命をいち早く成しえた結果、強大な経済力・
軍事力・政治力を持ち、スペイン・ポルトガル・オランダ・フランス等との植民地争奪戦に勝利し、
アフリカ、北アメリカ、アジア、オセアニア、中東地域に膨大な植民地を建設し、現地語を廃止し たり、禁止したりして、英語と英国の文化を強制していった時代。所謂、大英帝国の帝国主義と相 まって、英語が地球上に蔓延していった時代。
2 .大英帝国統治時代……イギリスがその巧みな植民地政策によって、英語の普及を図った時代。公 用語を英語とし、英語の読み書きできる者を優遇し、植民地の人々が自発的に英語を覚えるように 仕向けた時代。英語を話す人々から次の時代の指導者が生まれた。アパス(仏)・ヴオルフ(独) ロイター(英)の三大通信社に拠る情報の支配。
3.英連邦と超大国アメリカの時代……イギリスの植民地が第二次対戦後、次々と独立したが、英国 がその巧みな政治力で、旧宗主国としての地位を保ち、英語を、旧植民地44か国の共通語として普 及させていった時代。また、二回の世界大戦で疲弊した欧州に代わり、アメリカがその政治的・経 済的・軍事的・文化的な圧倒的優位によって、世界中に英語を広めて行った時代でもある口あらゆ る分野で、英語が標準的な言語になった。世界各国で、英語学習熱が盛んになった。戦後、日本に入っ た外来語のほとんどが英語であるのは、その影響の一環であるO ロイター(英) ・
AP
(米) .u
P I (米) ・AF P (仏) ・タス(ソ連)の五大通信社が世界の情報を支配するようになった。基 本的には英語の情報が世界の主流となったが、冷戦構造を反映して、社会主義国ではロシア語が普 及した時代でもあるD
4.超大国アメリカの一国支配の時代……コンピュータを発明したアメリカが、世界の情報産業を事 実上一国で支配する事態が生まれたD また、ソ連の崩壊で、実質的に世界の唯一の超大国となった アメリカが、政治・経済・軍事・文化のあらゆる分野で世界を支配し、アメリカの基準を世界の標 準とした時代。コンビュータの
os
をアメリカが握り、当然の事ながら、コンビュータを英語で操 作するよう設計し、また、インターネットの普及で、英語が、その共通言語として、世界を席巻し つつある時代。あまりの英語の勢いに対して、英語帝国主義という表現も生まれた。そもそも英語が国際語(世界語)であるといったことは、何ら公的な条約等で決まったことではな い。国連の公用語というものが存在するが、これは、第二次大戦の戦勝国である米英仏ソ中が、自国 語を公用語にしたに過ぎない。英語が世界語的に振る舞っているのは、上述の如く、産業革命で成功 を収めたイギリスが、その経済力と軍事力によって、アフリカ・アジア・北アメリカ・オセアニア等 に広大な植民地を建設し、現地語の代わりに英語を強制した結果に他ならない。植民地主義・帝国主 義によって、軍事的な圧力で押しつけたものであって、決して平和的に広まったものではない。まし て、英誌が言語として優れているから広まったわけではさらにない。あくまで、政治的な意味で、広 まった言語であるに過ぎない。
しかし、その英語の強制が、植民地の大きな反発を得ず、浸透していったことが、他の言語と異な るD 例えば、同じように、植民地に日本語の使用を強制した旧日本帝国が、韓国などから猛反発を食 らったことと対比させれば、その差が明らかであるD フランスの場合もそうであるが、植民地に対し、
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旧宗主国という形で、現在においてさえ、大きな影響力を持っているのであるD 結局、これは、イギ リスやフランスが、いかに植民地経営に巧みで、、現地人の反発を最小限に抑える術を心得ていたかを 物語るものである。いずれにせよ、英語が世界語として広まった陰に、白人に追い立てられたインデイ アンに代表されるように、植民地の人々の多数の血が流されていることは否定できない事実であるo
4.英語は効率的な言語か
三菱商事社長の模原稔氏は、雑誌とのインタビューの中で、次のような応答をされている。(注3)。
「情報化時代の共通言語はやはり英語だ、という意見が多いこともあって、模原さんも社内の 公用語を英語に、と主張していますね口社内のコンセンサスはありますか口
J
Iいや、みんなに 結構抵抗されていましてね(笑)0 私があまりしつこく言うと、社長室の方から、 「みんなが白 けるから止めてくれ」とクレームが来ます。ただ、十年ぐらい先を脱みますとね、やはり英語で すよD 最近、あるオランダ人のビジネスマンと会ったら、 「やはり英語だよ」と賛同してくれました。なぜなら、 「オランダ語で何か論文を書いて、それを英語に書き替えると、センテンスの 長さが、七、八割で済む
J
とD つまりそれだけ英語は効率的な言語なわけです。中国語のような漢文も、案外効率的かも知れませんが、やはり私は英語だと思いますね。」
模原氏は、社内の公用語を英語にするという主張の中で、 「英語は効率的な言語Jだから、情報化 時代の共通語として優れていると考えているようであるD いかにも、商社の社長が考えそうな発想で あるが、果して、これは正しい論であろうか。単に、 「センテンスの長さ
J
が短くて済むのであれば、日本語の方が逢に英語よりも短いセンテンスで済むから、効率的な言語であることになるD さらに、
中国語なら、日本語よりさらに短いセンテンスで済むから、さらに効率的な言語であることになるD
「中国語のような漢文も、案外効率的かも知れません」というのは、中国語が短いセンテンスで済む ということを指摘されているのかも知れないと思うo I中国語のような漢文」という表現の適否はひ とまずおいても、何でもセンテンスが短ければ効率的だという発想は、何か変ではなかろうか口効率 的とは、筆記・読解に要する時間のことを言っているのかも知れないが、これは、センテンスの長さ ではなく、その言語に対する習熟度に拠る面が大きいD 確かに、英語は動詞や名詞・形容詞等の格変 化がほとんど残っていないから、その分、若干、オランダ語やドイツ語・フランス諾などよりも、セ ンテンスの長さが短くて済むのかも知れない。例えば、 ドイツ語の Ichhabe ein Buch.は英語の
1 ha ve a book.に相当するからアルフアベット14文字と10文字の差は確かにあるD しかし、 ドイツ 人がドイツ語で読み書きするのと、英語で読み書きするのを比べたら、やはりドイツ語の方が遁に速 くて効率的なはずであるO 結局、長年慣れ親しんだ言語が、その人にとって最も効率的な言語であり、
単にセンテンスの長短で決まる問題ではないのであるO 母国語(国語)とは、そういうものである。
また、効率的というのは、単に使用する時点における効率ばかりでなく、その言語を習得するのに 要する時間と労力も計算に入れなくては意味がないであろうD 英語が母国語の人ならば英語を習得す るのには、ほとんど苦労は要らないが、英語以外の人にとっては、英語の習得には多大な労力を有す るからである。尤も、アングロ・サクソン系の言語を使っている人ならば、英語と系統的に近い言語 であるから、英語の習得に日本人ほどの労力は掛からないD また、英語と言語の系統は全く関係のな
い中国語は、統語法が極めて近いので、中国人にとって、英語は語順の点で理解し易い言語である口 また、統語法が英語と異なり、日本語と極めて近い韓国語(朝鮮語)は、音韻の数が日本語より多く、
英語の発音を日本人よりはし易い。日本人にとって、英語は、世界の言語の中でも、発音・文法の相 違の大きさから、極めて習得しにくい言語の一つであるO 言葉を換えれば、日本語と英語は、あらゆ る面で、対照的な言語なのである。その習得の困難さから言えば、日本人にとって、英語は、最も効 率の悪い言語のーっということになるO
つまり、センテンスの長さが短いか長いかということは、言語が優れているとか、効率的であると かいうこととすぐには結び付かないのである口そもそも言語の優劣を論じることさえあまり意味はな い口発音と開き取りについて言えば、英語は、音節が三千もあり、暖昧な音韻が多く、発音するにも、
聴取するにも、明附な言語とはいえない。また、大母音推移を経て、英語は表記と発音が大きく異なっ てしまっているD 所謂言文一致の言語ではないのであるO 例えば、 knifeに於いて、 fkJは発音さ れないし、本来、原文一致であれば(iJの発音のはずである fiJは、 (iJではなく (aiJに変形さ せられている口日本人にとって、発音のし易さでは、原文一致の度合いが這に高い、スペイン語・ポ ルトガル語・イタリア語などのラテン系の言葉や、ドイツ語などの方が余程発音し易い。アクセント の位置も単語によって大きく変わり煩雑である。大学入試の段階でも、依然として、どう発音するか、
どこにアクセントがあるか等と言った問題が出題される言語が分かりやすい訳がない。ヨーロッパの 他の言語ならほとんど問題にならないような事柄が問題になるところに、英語の大きな問題がある。
英語が世界語的に振る舞っているのは、日本人ばかりでなく、世界中の人々にとって、実は不幸なこ となのであるO もっと明断で分かりやすい言語は、たくさんあるのに、よりによって、発音面で大き な問題を抱えた言語が大きな力を持ってしまったからであるD
また、冠詞や名詞・動詞の単複の区別も、考えてみれば無駄な区別である。そうしたものはなくて も、文の意味は通るからである。
以上のように、英語が他の言語と比べて効率的な言語だという議論はほとんど意味がないのであるD
それ故、単に効率的だという思い込みで、社内の公用語を英語にしようという発想はいかがなもので あろうか。効率一辺倒では何か大事なものを見落としてしまうのではないだろうか口
5.インターネット時代の使用言語について
英語がいくら世界共通語だからと言って、日本人同士の会話にも、英語を強制する動きに問題があ ることは上述した通りであるO しかしながら、この種の議論が後を絶たないのである。
例えば、青山学院大学の石倉洋子氏は、 「また、実際には日本人にしか通じないコミュニケーショ ン手段である日本語がまだ多く用いられている。これだけ英語に時間やカネを投資しているのに、ソ ニーなど一部の企業を除いては、外国人がメンバーに含まれでも、会議の言語をすぐに英語に変える ことができない」と述べられている(注4)0 日本人の誰もが、バイリンガルであり、英詩を自由に 操れるのならともかく、日本人が習得するのが極めて困難な英語の使用を強制するこれらの論には、
疑問を感ぜざるをえない。外国人が含まれているからと言って、英誌を使わなければならない理由は 何もない。その外国人が日本語で会話が出来るくらいの日本語を学ぶ方が先決ではないのか。日本人
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は、外国人、特に、アメリカ人に対しては、遠慮が過ぎるO 会議の人数が日本人の方が多いのなら、
当然、日本語で会議を行うべきだ。アメリカでの会議で、日本人が何人かいるからと言って日本語で 会議をしてくれることなど、絶対にあり得ないからだ。これでは、言語的にあまりに不平等ではない か。法律の上では、人権の保護や平等ということが、世界中の共通の理解として普遍化しているのに、
何故、言語の問題となると、一方的に譲歩し、不平等に甘んじるのか。これは、何も日本語だけの問 題ではない。英語以外の世界中の言語の問題であるD 何でも英語でなくては通じないというのは、英 語圏の人々が圧倒的に有利で、英語以外の言語を母国語とする人々にとって全く不平等な事態である。
すべての地球の構成員が言語的に平等であるためには、それぞれの母国語で互いに会話や通信が出来 る仕組みが是非とも必要であるo 日本人は幾ら努力しても、英米人と同様な意味で英語を使いこなす ようにはなれない。やはり、母国語で会話し、母国語で思考するのが、最も効率的で、心が通った議 論ができるのである口
しかしながら、インターネット時代に於いて、その共通言語が英語であるという事態は認めざるを 得ない。それ故、 「英語とパソコンができないと本当に取り残されるかもしれない。その不安は、日 本の企業社会にも広がる気配をみせているo
J
(注5)という指摘は事実であろうし、現に全社員に 英語検定TOEICを受けさせようという富士通のような企業が出てきていることも確かである(注 5) 0 しかし、インターネットを利用したいのなら英語を学びなさいというのでは、英語を常用して いる人以外の負担ばかり多くて、非英語圏の人々にとっては、不平等なシステムであることに変わり はない。それでは、どうすれば良いか。根本的な解決法は、どんな言語でも、母国語と相手の言語と 即時に翻訳できるシステムの構築が不可欠であろうD これは、情報工学や電気通信工学の課題かも知 れないが、それぞれの国語の研究者の参加が不可欠ではなかろうか口日本語であれば、日本語と他の 言語の両方の研究者が、その翻訳システムの構築に携わり、工学の研究者と共同で、そのシステムを 生み出す必要があろう口従来、こうした場合に、国語学関係の研究者の参加がほとんど無かったので はなかろうかロコンピュータやワープロの文法を見ると、 「サ変名詞」などという訳の分からぬ用語 が出て来る。この用語を考えた人は、名詞にも活用があると思っていたらしい。驚くべきことである。もし、国語学者が参加していれば、こんな馬鹿げた名称を付けることは決して無かったであろう。コ ンピュータは理科系だけのものではない。文科系や理科系と言った区分自体が最早あまり意味を持た ない時代が来ている。
リアルタイムでAの言語からBの言語へと翻訳できるシステム、それが、英語のみが突出するのを 防ぎ、世界のすべての言語が平等な立場で会話・通信できるシステムである。勿論、その実現は、い ますぐは困難かも知れない。しかし、既に、インターネットのホームページの英語版を日本語に翻訳 する rDr.SURFJと言ったソフトも出来ているD 今後、こうしたソフトが改良されて行けば、母国 語で、世界中の人々と自由に交信が出来る夢のようなシステムが出来るかもしれない。いや、作らな ければならない。携帯可能な即時翻訳機器が出来れば、地球上どこに出掛けて行っても、言葉に不自 由しなくなるO そうすれば、言語的平等が達成されるばかりか、英語を習得するための膨大なエネル ギーをもっと生産的な方面に使うことが出来るのであるD 英語習得に使う時間をもっと有効に利用で きれば、進に豊かな人生を送ることが出来ょうD つまり、思考・表現・創造・想像・創作・発明・発
見等あらゆる知的作業は、日本人であれば、英語で行うよりも 母国語である日本語で行う方が、逢 に大きな成果を得られると考えられるからであるD
勿論、言語はそれぞれの文化の体系の一部であるから、翻訳できない部分、正確に翻訳することが 難しい場合も多数あろう。しかし、現に同時通訳が存在し、大過なく翻訳が行われていることは、ど んな状況においても、誤解がない位の翻訳は決して不可能ではないということである。だからと言っ て、外国語を学ぶことを止めてしまっても良いと言っているわけではない。語学力があり、翻訳機器 に頼らずとも、外国語を話せる人は、外国語を学べば良いD しかし、英語を習得するために、会社の 中で英語しか話してはならないなどということを主張するのは、かえって社員の労働意欲を減退させ、
その会社にとってマイナスになるのではないかという危倶を抱かざるを得ないD
英語が出来ることは、別に、その人物の能力の高さを証明するものではない口まして、森有礼や尾 崎号堂のように、母国語を日本語から英語に変えれば済む問題では、なおさらないD その人物の能力 は、英語力ではなく、母国語が日本語であれば、日本語の表現能力、仕事の処理能力、判断力等でな されるべきであるD 母国語が個々人の存在にとって如何に重容な意味を持つかということについて、
もっと真剣に考えるべき時が来ているD
注
1.野口悠紀雄氏
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超」整理法 情報検索と発想の新システムJ
中公新書、 1993年11月 2 .官公庁に印刷物を納入している、ある印刷業者の話に拠る。3.
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社内公用語は英語』模原稔三菱商事社長の国際化宣言Jr
月間経営塾j1996年3月号 4.r
ボーダーレス新時代の激動Jr
週間ダイヤモンドj臨時増刊、 1996年1月15日号 5.r
インターネット時代の英語『超j勉強法J r週間ダイヤモンドJ
、1996年2月24日号
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