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中国の「素質教育」についての検討

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中国の「素質教育」についての検討

経済の高度成長期における中日の教育政策の比較

 戦後の数十年の発展の結果からわかるように,教育,国全体の人口の質と経 済の発展とは緊密に結合している。経済の競争は,正に科学と技術の競争であ

り,科学技術の競争は人材の競争であり,人材の競争は教育の競争である。

 「国家の経済的繁栄は,その国の人材の豊かさと密接な関係があり,人材の 豊かさはその国の教育システムの質に左右される一こうした考え方は,今や全 世界共通だ。だからこそ,国の経済力に関係なく,各国の教育政策はいつのま

にか経済政策の一環となってきた」。1

 中国がこれまでの政治・経済体制を改革開放しはじめてから20年の歳月が経 過した。特に,1992年以後,改革・開放と経済発展が加速し,ニケタの高度成 長期に入ってきた。現在の中国経済は高い成長を続けている。経済の改革に伴 なって,社会の各分野でもさまざまな改革ブームを起こした。そのうち,特に 教育改革は破竹の勢いで迅速に展開してきた。1992年10月に公表された「中国 共産党第十四期全国代表大会報告書」の中に,教育改革にっいて,次のように

述べている。

科学技術の進歩や経済の繁栄及び社会の発展は,根本から言うと労働力の 素質の向上や大勢の人材の育成で決定される。われわれは教育を,優先して発 展させる戦略的地位に置かなければならない。全民族の思想・道徳と科学文化 の水準を高めるように努めることは,我が国の現代化を実現する根本的な大計

である

 経済改革の一環として位置づけられている教育改革にかかわる中央政府の教 育界への要望は,「中国共産党中央委員会の教育体制改革に関する決議」(1985

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102

年5月27日),「中華人民共和国義務教育法」(1985年4月12日),「中国教育改 革と発展綱要」(1993年2月13日)などの各法案や文献の中で反映され,その 中に,社会的進歩と経済的繁栄が,我が国の教育水準や国民の素質にかかって いると強調されている。「中国教育改革と発展綱要」の中には, 教育事業を発 展させ,全民族の素質を高める のは, 我国が社会主義の近代化を実現する 唯一の道だ と指摘されている。また,素質の内容は 思想・道徳や文化・科 学,労働技能および身体・心理の素質 などを含めることも示されている。

17000字弱の「綱要」の中で, 素質 ということばが19回も使われ,これによっ て,中央政府が国民素質の向上への期待していることは,十分に理解できる。

 20世紀と21世紀の節目において,中国はいま,歴史の転換点に立っている。

経済を引き続いて好調に発展させるため,21世紀へ向かう労働力人材の育成は,

中国教育界の当面の急務となった。これまでの教育改革は,いくっかの段階を 経て,現在,「全体」と「全面」をめざす「素質教育」という教育理念に定着

した。「全体」というのは,学生全体を意味し,「全面」は,全面的発展を意味

している。

一,「素質」とは

 「素質」という言葉は,この十数年によく使われているが,「素質教育」とい う概念は,80年代の半ばに正式に提出されたものである。「素質」とはどうい う意味であるか。「素質教育」にっいて,検討するためには,「素質」という単 語の起こりから調べ,中国人が素質についてどのように考えていたか歴史的な 過程を振り返る必要がある。

 1.原始の意味

 古漢語では,「素」はもともと「白い生絹」を意味していた。例えば『礼記・

玉藻』に, 大夫素帯,辟垂 2と記載している。また,「素」には,「最初」や

「もと」の意味もある。

 例えば『尚書大伝・虞夏伝』に, 定以六律,五声,八音,七始,著其素,

族以為八,此八伯之事也 3と記載しており,「著其素」は, それらの基準を

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中国の「素質教育」についての検討Io3

確定し標識する という意味である。

 「素質」は,素と質の両方の意味を結合して,「素」の意味から発展して来 たのである。その「素質」は を示している。

 例えば「逸周書・克股』に, 及期,百夫荷素質之旗干王前 4と記載してい る。また,「素質」が 物事の起源の本質 をも示し,人間の基本的な素養と いう派生語が生じて来たのである。

 「素質」という単語の意味は,最初,『論語・八芭』の中に見ることができ る。原文には「子夏問日: 巧笑情分,美目吟分,素以為絢分 何謂也? 日: 絵事後素。 日: 礼後乎? 子日: 起予者商也,始可与言詩己 。 」5 となっており,その中の「素」が,もともと絵の中の白い底を意味しているが,

ここから人間の基本的な素養という派生語が生じた。

 例えば,朱烹南・宋代の思想家は「礼後」と「絵事後素」にっいて注釈した 際, 礼必以忠信為質,ii£絵事必以粉素為先 と説明し,絵画に喩えを引き,

忠信が礼の基礎を固めるものであることを確認した。

 「素」と「質」という二っの字を一っの単語にして使うようになったのは,

晋代のことである。張茂先氏の『励志詩』に, 如彼梓材,弗勤丹漆,墨労朴 研,終負素質 6との言葉があり,その意味は,人材を育てる時,よく修養と

向上に勤めさせなければ,結局もともとの良い素質を壊わしてしまうと言って

いる。

 2.教育学の借用

 現代の辞書には, は物事を構成した基本的成分を意味し,例えば,元 素,要素,素養などがある。  質 は物事の根本的性質であり,例えば,性質 本質,資質,品質,質量などのことばがある。中国の権威ある辞書一『辞海』

には, 素質 を次のように定義している。

 素質とは, 人の先天的解剖生理的な特徴であり,主に感覚器官と神経系に おける特徴である。素質は人の心理発達上の生理条件で,人の心理内容と発達 水準を決定するものではない。人の心理は社会実践から生まれ,素質も社会実 践の中で順次に高まって発達してくるものである。一部の素質の欠点は,実践

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Io4

と学習によってある程度の補償を得られる 。

 現代の素質概念は,生理学,心理学,教育学及び人口学などの科学的研究の 対象となっている。その意味は,古い時代の趣と多少互いに受け継ぐところが

あるが,各分野の特徴や要求の違いによって,「素質」への定義付けにはそれ ぞれの特色と偏重がある。生理学における「素質」は,主に有機体が生まれっ きの解剖生理の特性ということを意味し,その中に,遺伝と胎児期に形成した 特性をも含んでいる。心理学における「素質」は,有機体のある生理解剖の特 性を示しており,主に脳や神経系及び感覚運動器官においての先天的な特性を 意味している。7教育学における「素質」の概念は,生理学と心理学の意味か

ら発展してきたので,一般的に人間の先天的な稟性を基礎にして,環境と教育 の影響によって発展してきた比較的に安定した心身の特性,質と能力の総合だ

と意味している。

 従って,教育学の立場からみると,人間の 素質 は,教育の基礎としての 前提条件であるし,更に,教育によって,発達をうながしていけるものであり,

各能力と同じように教え導かれるのである。

二,「素質教育」の理念  1.背 景

 (1)人口素質の低さ

 中国科学院国情分析研究センターグループの研究によると,中国の「適度人 口」は資源供給能力と社会経済負荷能力からいえば8億人,土地資源の負荷能 力からいえば9.5億人だという。だが現在の人口がすでに12.5億に達した。と

ころが,この人口の超負荷の大国に対応するのが低い人口の質なのである。中 華人民共和国建国(1949年)の当時,全国の非識字者と半識字者率は90%に達

し,1964年,1982年と1990年,非識字者と半識字者人口が,総人口に占める比 率は,それぞれ45.61%,28.26%と18.12%へと低下し続けたが,非識字者率は,

まだ世界123ケ国と地域のうちの第50位に位置している。

 また,人口の分布が極端に不均衡のため,教育においての地域の格差問題も 一層表面化した。人口密度が高く,教育投資も多い経済が繁栄した東南沿海地

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中国の「素質教育」についての検討Io5

域に比べ,内陸西北地域は,貧困一教育の遅れ一経済的投資の僅少一更に貧困一 という悪循環がますます厳しくなる。

 人口素質の向上は経済の発展を前提としているのである。逆に,経済の発展 も人口素質の高度化にかかっている。それに,科学技術の進歩に従って,労働 人口への量の要求が減っていく反面,質の要求がますます高まっていく。しか

し,平均の低い人口素質が経済の改革と発展の要求になかなか即応できないの を意識した中央政府は,経済の改革が実施された直後,教育界に 全民族の素 質を高め ようと呼びかけ始めた。

 (2) 「受験教育」の氾濫

 改革・開放の広がり,計画経済から市場経済への転換は,中国に最も激しい 変化をもたらしたと同時に,教育現場に急激な競争をももたらしてきた。注目 されたのは,それまでの 教育は政治のために奉仕する ことから, 教育は 経済のたあに奉仕する ことへ, 労働を教育より重んじる から, 科学的に 人材を育てる への転換である。1977年統一の 大学入試 が復活され,1978 年,中国の主要な大都市でエリート小・中,高等学校も続々と設立されてきた。

 これまで十数年わたって,教育改革の呼び声がますます盛んになってきた一 方,教育現場に存在している「進学競争」の問題もますます深刻化してきた。

1985年に,北京市第四十九中学校の12才の女子学生が,親からのよい成績を取 る強制に堪えず,自殺した事件は,社会を驚かせた。普遍的に存在している一 方的に進学率を追い求める傾向は,中国の基礎教育の発展の中で顕在化してき

た問題となった。

 雑誌『中国青年』8に次の文章を掲載している。

小僧っ子,ここでウシを放し飼いにしているのは何のためですか?

ウシを育てて大きくさせるためです。

じゃ,このウシは大きくなったら?

売って金に換えて,家を建てるわ!

完成したら?

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Io6

嫁をめとり,子どもを生む。

子どもをもうけたら?

ウシを放し飼わせるよ。

 これは,一人のテレビ局の記者が辺鄙で貧しい村のウシ飼い牧童への現 場取材である。この簡単な問答は,一人の14才の少年の死を触発した。

 自殺の前,この少年は日記にこう書いた。

  今日,大部分の科目の期末試験はもう終了したので,気持ちが大分軽 くなったが,しかし,三日間後にまた補習しなければいけないことを思っ て,私はがくんときた。また,成績の公表や保護者会等等があり,もっと 不安になった。私たちは,どうしてこんな激しい競争をしなければならな いの? この競争は,火薬の煙のない戦争のようで,人間の各能力に対す る試練であり,この試練に耐えうると,生きて行ける。そうでないと,失 格する者になり,情実にこだわらないのである。

 更に,この少年は両親への遺言には,自分の自殺の道を選んだ理由をこ

う書いた。

この前,私は一つのテレビ番組を見た。記者が現場で辺鄙な村のウシ 飼いの子どもを取材したことによって,私は自分のことを連想した。私は 何のために学校にいくのか?何のために大学に進学するのか? 大学に進 学したら,立派な仕事を見っけられ,立派な仕事があれば,よい嫁を嬰れ る。その後は? 子どもを生んで,教育を受けさせ,大学を進学させ,立 派な仕事を見っけ,よい婚姻を結び……。これは,ただのいのちの巡回だ。

 80年代から,「受験教育」がもたらした血と涙の事件が相次いで起こった。

1997年,漸江省紹興市のある優秀な女子学生が,良い成績を取るために,すべ てを顧みずに自分に勉強の圧力を加重して,不幸にも教室の中で急死した9。

最近,広州現代教育科学研究センターは,広州地域の小・中学生に対して,1

%oの比率によってサンプル調査を実施した結果から,52.3%の学生は勉強に苦 慮し,心理的圧力が大きく,ストレスがたまって,睡眠不足と感じていること がわかった。そのうち,66.7%の学生は,学校での競争と成績ラインに反感の

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中国の「素質教育」についての検討Io7

意を,明確に表明した。点数と進学の圧力は目に見えない網のように,学生た ちをしっかりと束縛している。

 「受験教育」の暴走には,いくっかの原因がある。

① 儒教思想の影響

 中国社会に深く根をはっている儒教思想の影響は,「受験教育」の氾濫の最 も大きな原因である。「学びて優なれば則ち仕う」や,「すべて下品,高尚なの は読書だけ」などは,儒家文化における典型的な思想であり,現在もなお,社 会の進歩や人々の行動を左右している。儒教思想と一脈相通じる「科挙制度」

は,典型的な「受験教育」であり,経書と八股を重視し,実践と実際を軽視す るのである。一回の試験で終身を決めることは,教育の対象者を受け身の立場 に立たせてきた。現在の入学試験制度は,まさに「科挙」の焼き直しである。

一回だけの入試制度は,学生たちに大きな圧力をかけて,一方的に進学率を追 い求める傾向を誘発し,深刻化させた。

 伝統的な中国社会の表層構造は,一つの相対的凝固の階層構造で,君,臣,

吏,紳,士,民に,ランクがきびしく分かれているのである。このような社会 の階層構造の中に,役人になることと役人の職位の高さは,人間の成就を評定 する主な標準となる。戦国時代末期に,すでに「布衣之士可貴為卿相」の言葉 がある。っまり,粗い綿布の着物を着る「游士」たち(世を渡り歩く人)は,

「客卿」(他国の官吏となっている外国人)として官庁に入りはじめたとの意味 であるが,「読書→役人になる」という思想が登場したのである。孔子は, 耕 也,飯在其中 ;学也,禄在其中 。 1°と述べたことがあり,これは,まさに

「読書→役人になる」という思想の最初の表現であろう。その後,階代から清 代まで,「科挙制度」は,各レベルの試験によって役人としての人材を選び,

千年以上長々と続いた。それは,まさに「学びて優なれば則ち仕う」であり,

役人になりたければ,読書しかないというわけで,読書は官界に通じる方途と なった。これらは,中国の伝統的社会において長期的に有効な方法となり,歴 代の読書人は,八股文や試帖詩を習うことに没頭し,科挙の称号や官職の等級 にこだわり,試験に合格して役人になることを,一生努力の目標と自分の社会 価値をはかる唯一の基準とした。

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Io8

 一千年に経って形成された「勉強→受験→役人になる」というモデルは,各 歴史段階でそれぞれの内容や形式は違うが,全体から見ると,根本的な変化は

ないと言える。それは,中国の受験文化が長い歴史の元で,申し分のない域に 達し,社会全体の理解と支持を受け,不変の真理となったからである。現在の 社会において,選抜あるところ,試験があり,試験あるところ,受験があると

いうことは,一っの基本的規則になった。

 改革・開放以来,中国では,年一度の大学入試(高等院校統一考試)によっ て,人材を選ぶ方式を採用した。大学入試システムにっいて多くの調整をした けれども,単一の大学入試の選び方と一方的に知能の試験を中心にするテスト は,「受験教育」の運行システムを拡大し,深刻化させた。大学に合格さえす れば,未来がある。多くの受験生はみんな丸木橋を通りたい。そのため,大学 入試の出題はますます広さ・難しさ・狡さ・奇抜さが加わり,学校側は,それ に対応するために,苦しまぎれに宿題をたくさん出す作戦を取らなければなら ない。教師は,完全に「教学大綱」に従い,教材のとおりに授業をしないと,

学生たちは大学に合格できない。それゆえ,一方的誘導性のある大学入試は,

「勉強→受験→役人になる」という受験教育のモデルを,さらに深刻化させた。

② 格差の存在

 中国は国土が広く,人口が多い国であり,農村部の人口が全人口の80%占め ており,各地の経済的発展が非常にバランスを欠いている。教育機会不均等の 問題も顕在化している。入学率は,明らかに都市一地方一農村という順に低下 する状況を呈している。入学率の都市農村問の差異も教育等級の向上によって 拡大し,中学校と高等学校の入学率の都市農村間の差は更に大きくなり,農村 部の進学率は全国の平均よりずっと低い。進学率のみを追い求める傾向は,農 村地域に最も厳しい教育問題となった。何故ならば,厳しい進学テストを通り さえすれば,農村の青年たちが最も有効的な身分を変えることが出来るからで

ある。

 中国の社会には,長期にわたって「都市部と農村部」,「工業と農業」,「頭脳 労働と肉体労働」の差別が存在している。そのため,個人の収入や生活の環境,

社会の地位における格差もだんだん顕在化してきた。人口の増加,失業率の上

(9)

中国の「素質教育」にっいての検討109

昇及び官吏本位の根強さの影響によって,親と学生たちは,大学に進学するこ とを唯一の目標とするようになった。なぜならば,大学に進学すればよい前途 を手に入れたも同然ということを意味しているからである。「中国都市一人っ 子の人格発達にっいての調査」11によると,90%の親は自分の子どもが大学に 進学することを希望している。子どもの最高学歴への期待にっいて親の答えに は,中学校卒業は0.9%;高校卒業は6.2%;専門学校や短大卒業は9.3%;大学 卒業は53.9%;修士卒業は10.3%;博士卒業は19.3%である。進学をあきらめ

た場合に限って,労働者(肉体労働)や農民,自営業者になることを決定する。

この調査の結果から,子どもに大学教育を受けさせたい親の比率が最も高いと いうことがわかる。現在,多くの親は,子どもの未来を考える時,相変わらず,

まず「読書→受験→役人になる」ということに思い至る。

 中国の人事賃金制度で,労働者や役人の募集雇用は学歴と結び付いており,

学歴の高さは収入の多さと直接に結び付いている。そのたあ,人々は,進学が 今後生計の道を図る重要な手段だけではなく,社会的地位や手厚い収入を獲得 する唯一の方法だと思い込んで,都市でも農村でも,親たちは,子どもがもの をわかるようになってから,「読書→受験→役人・教授・エンジニア・医者……

になる」という人生の努力目標を作りはじめた。

③ 教育行政部門の責任

 教育行政部門は,科学的な学校運営を評価する標準を立てないので,よく進 学率やテストの成績によって学校運営の成績を評価する。さらに,ある教育部 門は,さまざまな方法で学校側に進学の目標額を下ろし,それを賞罰の依拠と する。教育行政部門は大学入試のランキングを公表しないと認めたが,新聞メ ディアによって公開され,形を変えて社会に知らせ,学校や教師,学生たちに 圧力を与え,教育現場の人々を一歩一歩「受験教育」の道へと押しやっている。

一部の企業は,よく教育行政部門と手をくんで名称の多様な科目競技を行うこ とや,大学入試の最優秀者を奨励することをした。更に大学側は,優れた受験 者を奪うため,早々に新聞に広告を出して,受験者に大学入試の成績が奨学金

と結び付いていることを知らせる。例えば,1998年5月13日の《広州日報》に,

「両大学の新入生の奨学金の方法」 という受験生を引きっけるための広告を掲

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載している。これらのやり方は,学生の負担を加重し,競争を激しくさせた。

また,教育行政部門は,進学率を教師の待遇や業績昇進,住宅配給などに結 びつけ,間接的に「受験教育」の土壌を肥沃化した。

④ 「重点学校」の設立

 1977年8月に,中央政府は大学入試制度を改革する決定をした。それまでの

「文化大革命」期間の推薦制度を廃止し,テスト試験の方法で,直接高校卒業 生から新入生を募集するというシステムに変えたのである。1978年1月に,中 国の教育部12は,「多くの重点小中学校をりっぱに運営する試行方案」という文 書を正式に通達した。1981年の統計によると,当時全国に,設立された重点中 学校は,4016ケ所あった。

 重点学校の設立の主旨は,限りある人力・物力を集中して優秀な人材を育成 し,他の学校のための手本となる。「重点校」によって「一般校」を導き,各 先進的近代的な授業の方法の研究と実践のために実験の基地を提供することで ある。っまり,「高質」,「示範」と「実験」を目的として設立されたのであっ

た。

 1990年代になると,各都市には「市重点学校」が設けられ,すべての区(市 より一等級下の行政区域)に,「区重点学校」ができた。上は大学,下は幼稚 園までそれぞれの重点がぞくぞくと設立された。重点学校ははほとんど90%以 Lの高い進学率を守っているので,親と受験生は,重点中学校一重点高等学校一 重点大学へと進学することを最大のねらいとした。したがって,重点学校の合 格ラインも高くなってきた。

 表113が示す通り,上海市の91年から93年の優良の普通学校の合格ラインは,

表1 上海市高等学校入学試験の合格ライン(1991年一93年)

(単位:点)

1991年合格ライン 1992年合格ライン 1993年合格ライン 学校類型 優良学校 その他の校 優良学校 その他の校 優良学校 その他の校

市重点 477 474 483.5 483 465.5

465

区重点 470

460

476 476 468.5 463

普通学校 458 420 466

445 442

426

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中国の「素質教育」にっいての検討III

市重点学校より19〜23点低く,区重点学校より12点〜26点ほど低い;その他の 普通学校の場合は,市重点学校より38点〜54点低く,区重点学校より31点〜40 点低い。さらに,重点高等学校の大学進学率の90%に比べ,普通高等学校の場 合は,わずか28%(表2)14しかない。現行の教育体制の中に,親・社会・教 育行政部門は,学校の善し悪しをはかるのに,みな同じ評価一進学率一を唯一

の基準にしている。このため普通学校を,「重点学級」と「普通学級」に分け て,進学率を高めるため,学校に最もよい教師を「重点学級」に投入した。し たがって,「普通学級」の学生たちは冷たく扱われ,言わば陪席者となった。

重点学校と普通学校との教育レベルには大きな差があるので,必ずや学校を選 択する競争を導くに違いない。

 重点学校の設立は,「読書→受験→役人になる」という中国の伝統的教育観 に沿ったものというべきで,重点校は,さらにこの観念を強化し,教育現場の 競争をより一層刺激し,「受験教育」の氾濫を加速してきた。

        表2上海市のある普通高等学校の卒業生と

       大学に進学する者の人数    (単位:人)

年度 普通学校の卒業人数 大学に合格する人数

1991年 809 227

1992年

975

277

 「重点学校」や「重点学級」の設立は,経済の発展のために,速くよい人材 を育てる任務を担うという意味では効果的であったが,義務教育と基礎教育の

目的には合致しなかった。義務教育の段階では,学生たちは入学機会の均等,

学習条件の均等及び学習機会の均等があるべきである。また,国家・学校・教 師は学生の均等な教育を受ける権利を守る義務がある。1990年代半ば頃から,

教育行政部門は,少数の市重点学校が保留している他に,市・区重点学校を徐々 に廃止し,近くの学校に入学する政策を導入した。

 2.「素質教育」の登場

 80年代から,教育界は,学生の学習負担を軽減し,速く多くの良い人材を育 成し,21世紀の中国経済の発展に応じるため,さまざまな教育実践を行った。

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II2

そのうち,「知能教育」や「個性教育」,「愉快教育」などの教育現場から行わ れた小型の教育改革が最も注目された。これらが,ほかでもなく「素質教育」

という広範囲の総合的な教育理念の具体的な実践だと認められている。即ち,

「素質教育」の呼び方は教育の理念であり,主導的な役割を果たしたものであ り,ほかの「○○教育」は,みな「素質教育」の理念に主導されて展開された 具体的な実践だといえる。「素質教育」は,一っの教育実践というよりも,む

しろ21世紀に向う中国教育界が追求しつっあるあるべき教育理念であると思う。

 素質教育は,「徳育,知育,体育のすべての面で健全な成長をとげ,社会主 義的自覚をもち,教養をそなえた勤労者を育成する」という数十年変わらず一 貫した中国政府の教育方針を基礎にし,大規模な経済改革及び21世紀に欠かせ ぬ人材を質的にも量的にも保証する中央政府からの要求と,「受験教育」がも たらした子どもたちの重い学習負担に直面して,出された教育理念である。し たがって,「素質教育」は, 全面 的な労働者の育成という教育方針に従うべ きであるし,労働力 全体 の質の向上という目下の経済発展の要求に対応す べきであるし,さらに,「受験教育」の中で必死にもちこたえている子どもた ちを,受動的学習から, 主動 的学習へ変えるという社会の要望に基づくべ きものである。すなわち,「素質教育」の理念は,「全面的」,「全体的」,「主動 的」というキーワードでまとめることができる。時代の変化によって,「金面」

の意味も拡大され,1950年代〜1970年代の 徳育,知育と体育 という「三育」

から,1980年代の 徳育,知育,体育,美育と労育 という「五育」,更に1990 年代の 徳育,知育,体育,美育,労育と心育」という「六育」まで徐々に増

加してきた。

三, 中日両国の経済高度成長期とその教育政策  1.近代化のモデルとしての日本

 中国の改革・開放という近代化変革は,先進国をモデルとし,それに追いっ くことを目指して推進された。そのモデルとして,考えられるのは,外でもな い近隣の日本である。

 1975年1月13日の第四期全国人民代表大会第一回会議での周恩来国務院総理

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中国の「素質教育」にっいての検討II3

による政府活動報告は,20世紀末までの経済的展望が提示した。それは,「今 世紀中に農業,工業,国防,科学技術の近代化を全面的に実現して,我が国の 国民経済を世界の前列に立たせていこう」というものであった。

 1978年12月22日の中国共産党第十一期中央委員会第三回総会は,1957年以来 の「階級闘争」論と文化大革命期の「プロレタリア独裁下の継続革命」論を放 棄することで,全党の活動の重点が経済建設にシフトした。「四つの現代化」

(農業,工業,国防,科学技術の現代化をいう)へ向けての新しい政策方針が 採択された。一般に,この会議は,今日にいたる中国の改革・開放政策の出発 点であると位置付けられている。

 改革・開放政策実行初期のモデルは,明治維新の日本だといえる。明治維新 は日本の近代化の出発点であり,西洋モデルを日本に移植し,「鎖国体制」下 の日本を近代化社会へ転換させることに成功した社会変革である。1978年5月,

郡小平氏は,日本の明治維新を次のように言った。「日本人は明治維新から科 学技術を重視し,教育を重視し,大きな力を入れはじめた」15。そして,努力 して近代化に成功した。我々も努力すれば成功できるはずだと。郡氏の談話か らわかるように,明治維新を中国の近代化初期のモデルとし,それに追いっく 意図がはっきり示されている。

 いうまでもなく,中日両国の国家体制,人口,国土および人的物的発展のレ ベルなどの明白な違いによって,日本の事例をそのまま単純に中国に適用する

ことができない。そのため,中国の国情に合せて選択的に学ぶことにしたので

ある。

 中国の改革・開放の引き続く広まりと深化に伴ない,そのモデルも日本の明 治維新から高度成長期(1955年〜1970年)へと移された。

 2.日本の「国民所得倍増計画」と中国の「四倍化構想」

 1982年9月に開かれた中国共産党第十二回全国大会は,今世紀末も年間工業・

農業の総生産額を1980年の四倍にするという長期の発展戦略構想を採択し,同 年11月に開催された全国人民代表大会第五期第五回会議も可決した。これは,

有名な「四倍化構想」であるが,明らかに,これは,1960年11月に池田勇人内

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閣の打ち上げた「国民所得倍増計画」をモデルとしたものである。池田内閣が 策定した「国民所得倍増計画」は,国民総生産を10年間に倍増して完全雇用の 達成を図り,国民の生活水準の大幅な引き上げを実現することを目指す長期経 済計画であった。この計画が到達目標とする10年後の1970年度の国民総生産は,

基準年度1960年度の二倍となり,国民総生産成長率は11.6%に達した。

 中国側は,日本のこの成功の経験をモデルにして,「四倍化構想」を打ち出 した。その内容は,2000年に実質国民総生産額を四倍にする(1980年価格);

目標年度(2000年)の人口を12億に抑える;目標年度(2000年)の一人当たり 国民総生産額を800米ドルとする;「四倍化」の目標を実現するために,年平 均7.2%の実質成長率を必要とするが,発展の段取りを二段階に分ける。1980 年代末まで二倍に増やして,1990年代末まで更に二倍に増やす,とのことであ

る。

 高度成長期の日本と同じように,実績は計画を大幅に上回り,1980年代の10 年間で実現予定の成長をわずか7年間で完成したが,1995年末時点で,2000年 の国民総生産額を1980年の四倍にする「四倍化構想」が,5年間繰り上げて実 現した。しかし,人口を2000年までに12億に抑える目標が大きく外れ,1999年 現在,全中国の人口がすでに12.5億を突破した。

 1979年〜1994年中国の経済は平均9.5%という猛烈な伸び率を実現している。

図1

20

15 10

5

日本の高度成長期と中国の改革・開放期の経済成長率比較(単位:%)

   『ll;籍ll gl器踊l ll ll ll l;999111瓢

      ・−1含一系列1+系列2

       系列1:日本 系列2:中国

(出所) 総務庁統計局 「経済指標のかんどころ』1999増補改訂20版,中国統計出版社 『中国統計    年鑑』より作成

(15)

中国の「素質教育」にっいての検討II5

「天安門事件」後の3年間を除いて,1983年からずっと毎年ニケタの成長が続 いていた。図1に示すように,このスピードは日本の高度成長期(1955年〜

1970年)の年平均9.8%と,ほとんど変わらないものであった。

 中国の研究者は,日本の経済発展の背後にあった主な要因を分析し,日本の 教育制度が人材を育成し,知能を開発したことが,経済発展の一っの先決条件 であったと結論した。

 3.「能力主義」と「素質教育」

 経済の高度成長にしたがって,社会は人的資源への要求も高めてきて,教育 界への要望も一層強ある。人的資源の開発は将来の経済成長を促す要因だと,

一般に認あている。

 (1)経済界の要望に応じる教育政策一「能力主義」

 日本では,1960年10月25日,経済審議会は「所得倍増計画にともなう長期教 育計画」を発表し,11月1日,審議会として「国民所得倍増を目標とする長期 経済計画」を答申した。「現代社会経済の大きな特徴は,高い経済成長の持続

と急速な科学技術の発展に支えられた技術革新時代ということである。この科 学技術を十分に理解し利用し,社会と産業の要請に即応し,進んで将来の社会 経済の高度発展を維持しつづけていくには,経済政策の一環として,人的能力 の向上を図る必要がある」と述べている。その中に,特に「人的能力の向上」

を,教育界に強く要求した。

 日本の文部省が1962年11月に発表した教育白書『日本の成長と教育一教育の 展開と経済の発展』には,「人間能力をひろく開発することが,将来の経済成 長を促す重要な要因であり,その開発は教育の普及と高度化に依存している」

と述べている。実は,日本の経済界からの「人的能力」の育成の要望は1950年 代後半から始られたのであった(表3)。

 1963年1月の経済審議会の答申には,「諸条件の歴史的変化は,新しい基準 による人の評価・活用のシステムを要請している。端的にいえば,教育におい ても,社会においても,能力主義を徹底するということである」と述べている。

要するには,経済の高度発展のために人的能力の育成と社会的な有効配置の必

(16)

II6

表3 日本高度成長期における経済関係審議会・各団体答申など

1957年10月

1958年6月 1959年9月

1960年7月    10月    11月

   11月    12月

1961年8月

1963年1月

中央産業教育審議会「高等学校における産業教育のありかたについて」

建議

日経連「科学技術の積極化について』要望

中央産業教育審議会「高等学校における産業教育の改善について」建

経済同友会「産単協同にっいて」発表

科学技術会議「10年後を目標とする科学技術振興方策」答申 経済審議会「国民所得倍増計画による長期教育拡充計画」答申 関西経済連合金「大学制度改善にっいて」意見書提出

日経連「専科大学制度創設に関する要望」発表

日経連・経団連「技術教育の画期的振興策の確立推進に関する要望」

提出

経済審議会「経済発展における人的能力開発の課題と対策」答申

(出所)伊ケ崎暁生・松島栄一一編 「日本教育史年表」(三省堂1990年) より作成

表4 日本高度成長期における教育関係の答申と文部省の施策など

1958年3月

1959年3月    6月

1960年1月

1961年3月    4月

   4月 1962年8月 1963年1月    1月

1965年12月

教育課程審議会「小・中学校の教育課程の改善について」答申

(「基礎学力の充実」,「科学技術教育の向上」を基本方針とする)

中教審「育英奨学および援護に関する事業の振興方策について」答申 理科教育審議会「小学校,中学校および高等学校における理科教育振 興の具体的方策について」答申

教育課程審議会「高等学校教育課程の改善について」答申

(生徒の能力・適性・進路などに応じた適切な教育など)

科学技術庁,科学技術者の育成について文部省に勧告

文部省,1961年度から科学技術系学生1万6000人増員計画に着手(1970 年まで)

文部省,1961年度全国中学生一斉学力調査要綱通達

池田首相,第41国会で「国づくりの根幹として人づくり」を強調 財団法人「能力開発研究所」設立(1969年3月廃止)

中教審「大学教育の改善について」答申

(大学の目的・性格・設置・組織編成・管理運営・入学試験など)

文部省「「期待される人間像』(中間草案)に対する意見」

(出所)伊ヶ崎暁生・松島栄一編『日本教育史年表」(三省堂1990年)より作成

(17)

中国の「素質教育」についての検討II7

要性を力説しているのである。

 表3と表4に示すように,政府側は日本経済の高度発展と科学技術の急速な 進歩に全力をあげて協力するために,教育立国の基本方針のもとに,さまざま

な教育政策を作り出した。これらの政策は,他でもなく,いずれも「人的能力 の政策」であった。っまり,能力主義による教育の改善,専門知識や技術力を 身にっけて,経済の高度発展に役に立てる人材の育成の必要性を強調したもの

であった。

 ② 「能力主義」と「素質教育」との相違点

 中国の経済的な改革は,日本の多くの経験を手本にして,回り道を少なくす る方法で,発展加速した。同時に,「能力主義」と「素質教育」の登場は,主 に両国の経済的な高度成長を背景していたが,同じ経済の高度成長期にあって も中国の教育改革は,日本の経済高度成長期の教育政策とは,多くの違いがあ

る。

 ① 「能力・適応」と「全体・全面」

 1963年1月,日本では,経済審議会の「能力主義による教育の改善」を主 張する「経済発展における人的能力開発の課題と対策」の答申の中に,次のよ

うな内容がある。「教育および社会における能力主義の徹底に対応して,国民 自身の教育観と職業意識も自らの能力や適性に応じた教育を受け,そこで得ら れた職業能力によって評価,活用されるという方向に徹すべきであろう」。こ の意味している所は,学生たちが自分の適性を把握し,分野に応じる教育を受 けることを考えるべきで,能力や適性の高い人は,高いレベルの教育を受け,

そうでない人は,高いレベルの教育を受けるのを断念するということに外なら ない。この結果,「人的能力」の育成の必要や能力観察・進路指導の強化,入 試制度の改革および「人的能力」を伸ばすための学習指導要領の改正の必要性 が強調された。こうして,教育現場の競争が一層激しくなってきた。

 一方,中国では,「素質教育は,「すべての学生」と「すべての面」に向ける ことを強調している。

 1993年2月に公表した「中国教育改革と発展綱領」第七条には, 小,中学

(18)

II8

校は,  受験教育 から全面的に国民の素質を高める軌道に転向し,全学生に 向けて,全面的に学生の思想・道徳や文化・科学,労働技能及び身体・心理の 素質を高あ,学生たちを生き生きと活発に成長させ,各自の特色ある学校を経 営すべきである」と明記した。

 現在,「素質教育」の明白の定義はないのに,教育関係者と研究者たちは,

中央政府の経済改革の一環としての教育政策を徹底的に実行し,教育現場から 吹き出した「受験教育」の各問題点を解決するために,十数年にわたり,よく 研究し実践してきた。そのうち,代表的な「素質教育」の定義付けは,次のよ

うである。

 素質教育は,人間の発達と社会の発展との実際の要望をもとに,全学生の基 本素質の向上を全面的根本的な目的とし,学生の主体性と自発性を尊重し,人 間の潜在的な知能を発見して開発することを重んじ,人間の健全な個性の育成 を根本的な目的とする教育である。16

 素質教育は,学生の思想・道徳,科学・文化,身体,審美,労働と心理など の素質を高めることを目的にし,学生の知識・感情・希望・行為及び知的要素・

非知的要素の全面的な調和と発達を重んじ,徳・知・体・美・労をすべての学 生にまで具体的に徹底させる教育である。17

 言い換えれば,すべての学生の各方面の能力を充分に発達させるべきだとい うことであろう。素質教育は,「全民族の素質の向上」を目指して,基礎教育 を中心として展開した教育改革で,基礎教育は対象としては国民全体に向けら れなければならないので,素質教育のねらいが「全体・全面」という点に定着

したのは当然なことである。

 従って,同じく経済の高度成長を促進し,支えるために,日本政府が提唱し た「能力主義」が,それぞれの能力・適応によってそれぞれの教育を受けるべ きだと強調したのに対して,中国政府が提唱した「素質教育」は,全学生の全 方位の能力を高めるべきだと強調した点に相異が見られる。

 ②「後遺症」と「動因」

 日本の経済高度成長期の教育政策一「能力主義」は,登場以来,ずっと教育 界に影響を及ぼしている。偏差値偏重の教育は,教育現場の競争を激しくさせ,

(19)

中国の「素質教育」にっいての検討II9

「受験勉強」がますます盛んになるという結果を招来した。今や,「能力主義」

という言い方が教育の世界ではあからさまにはあまり強調されなくなったのに,

後遺症ともいうべき症状が,まだまだ現在の教育を支配している。

 一方,中国では,改革・開放以来,経済の発展が招いた激しい競争が教育界 に衝撃を与え,「受験教育」は,さらに深刻化した。そこで,学生たちの「重 過ぎる学習負担」,「勉強嫌い」などの教育問題をすみやかに解決するために,

「素質教育」が登場した。っまり,危険な「受験教育」が,「素質教育」という 改革を生み出すといえる。

 ③ 「一元的目標」と「多元的目標」

 日本の「能力主義」の登場は,1960年代の初期であった。この時期は,ちょ うど日本経済の高度成長期の前半期であり,大規模な工業化や生産効率の向上,

製品の市場競争力の高度化を必要とした。この経済的目的を達成するために,

大量の大規模生産に適応する労働力を育てなければならない。従って,経済高 度成長期の教育政策は,単に経済界が期待されている人間の育成を確保するた めのものであった。っまり,「能力主義」の狙いは,「一元的目標」だと言える。

 現在,日本は先進国になり,経済構造では,工業生産の比重がだんだん縮小 している一方,第三次産業や21世紀に向ける情報社会を背景にする新型の産業 の比重がだんだん拡大している。従って,このような新型の経済成長を支える 労働力には,高い知識水準を備えるだけではなく,さらに,創造力や個性など

が強く要求されている。21世紀の経済発展は,ただ大規模な工業化生産に依存 するだけではなく,要求が多様になった消費者のニーズに合せて,目新しく独 特な製品を作り出して,市場を占有しなければならないので,教育の重点も個 性や創造力などの育成に変わり,「人的能力」にも,さらに新しい内容を加え

た。

 一方,中国では,経済の成長率からみると,日本の経済高度成長期が終わっ た十年後の1980年代から,日本の経済高度成長期に相当する時期に入りはじめ た。中央政府は, 社会主義市場経済の確立と現代化の実現は,結局のところ,

国民の素質の向上や人材の育成にかかっている 18ことを明確に提起し, 全民 族の教育水準と人口素質を高め,有効的に人力資源を開発し,大量の専門の人

(20)

120

材を育成することは,科学教育によって国力が盛んになる戦略を実施し,経済 建設と社会発展の歩みを速あるキーポイントである 19と,教育の重要性をう たい,大規模な工業化生産を完成するために大量の優秀な労働力を速く送り出 すと,教育界に強く期待している。それは,「素質教育」が引き受けた一っの 任務である。

 ところが,「素質教育」のねらいは,単に経済の発展のためだけではなく,

ほかに,社会や教育現場から出してきた「受験教育から子ども達を解放する」

という要求にも対応している。「素質教育」という改革は, 長期にわたって形 成した 受験教育 モデルを克服し,進学率だけを追求する傾向を直し,全面 的に教育方針を貫かなければならない。全学生の思想・道徳や文化・科学,労 働技能及び身体・心理の素質を全面的に高め,児童・青少年たちを健全に成長

させる。 現代化,世界及び未来に向けた教育 を指針にして,教育思想と学 校の経営方向を正し,愛国主義の熱情ある新世代,社会生活に適応する新世代,

開拓心や進取の気性をもった新世代,そして積極的に新しいものをっくり出す 新世代を育成しなければならない。 2°

 更に,中国は,21世紀に先進国に追いっくために,先進国の経済と科学技術 の水準を目標し,21世紀に牽引力となる新型の経済的モデルとしての情報産業 やハイテク産業に着目している。そのため,独創力や個性,情報処理能力の育 成という21世紀に向けての学校教育の課題を,「素質教育」改革の目標に取り 入れなければならない。このような多様な社会背景の下に,多元的教育改革の

目標を立てる必要がある。

 したがって,単に経済界に期待されている人間の育成を目指す「能力主義」

に対して,「素質教育」という改革は,経済発展の促進,受験教育の克服及び 21世紀に向ける教育課題の導入などをねらいとする多元的目標をもっていると

いうことが理解できる。

1 「世界が探す理想の教育」「Newsweek日本版』第14巻34号p15

2 「大夫(昔の官名)は,パイピングされた白いベルトを使う」の意味である。

(21)

中国の「素質教育」にっいての検討121

3 「六律(六っの音律),五声(五っの声調),八音(八っの楽音)と七始(古代の楽

理には,十二律の中での「黄鍾」,「林鐘」,「太籏」が天地の開始と意味し,「姑射」,

「葬箕」,「南呂」と「応鐘」が,それぞれ春,夏,秋と冬の開始を意味し,合せて

「七始」と呼ぶ。)によって確定し,それらの始まりを決め,八っにまとまる。これら は,八伯(昔,京畿以外の八州地域の最高の行政長官)がすべきなことである」の意 味である。

4 「その時,王の前に100人の白い生地で作った旗を担う人がいる」との意味である。

5 「子夏は, えくぼのある笑顔が本当にきれい,見回し感情が動く目が本当に美しい。

 その笑顔と目は,まるで白地の上の鮮やかな綾のようだ。 という詩の意味はなんで  しょうか? と聞いた。孔子は それは,白地がなければ,きれいな花模様があり得  ないという意味だ と答えた。子夏はまた それじゃ,礼儀は仁義が備えてから生じ  るのですか? と聞いた。孔子は ト商(子夏のことである),君は本当に私の考え  の方向性をアドバイスする人です,これから,君と『詩経」について討論できるよう

 になったね。 と言った」との意味である。

6 「上質の木材と同じく,重ねて顔料やペンキで塗りあげて飾らなければ,いくら丹  念に彫刻しても,どうもそのもとの素地をむだにするということになるでしょう」と

 の意味である。

7 「心理学大辞典」 朱智賢主編1989年版 8 1997年第9期 「中国青年』p19

9 1997年12月17日 『羊城晩報」

10「耕せば,食べられ;学べば,役人になれる」との意味である。

111997年7月20日 『北京晩報』

12 日本の文部省に相当する中国の教育行政機関 131994年3月 『民族論壇』p45)

14前掲書p45

15『郡小平文選」第一巻p37

16 人民日報出版社 『基礎教育改革的回顧と前膳」 p191

17前掲書p191

18 1994年6月14日江沢民 「全国教育事業会議での講話」

19 1996年4月10日「全国教育事業 九五 計画と2010年の発展計画」

20 1994年11月10日「全面的に教育方針を貫き,小・中学生の重過ぎる学業負担を減ら  すことに関する国家教育委員会の意見書」

参照

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■2019 年3月 10

2021 年 7 月 24

日時:令和元年 9月10日 18:30~20:00 場所:飛鳥中学校 会議室.. 北区教育委員会 教育振興部学校改築施設管理課

私は昨年まで、中学校の体育教諭でバレーボール部の顧問を務めていま

 米田陽可里 日本の英語教育改善─よりよい早期英 語教育のために─.  平岡亮人

その1つは,本来中等教育で終わるべき教養教育が終わらないで,大学の中