• 検索結果がありません。

近藤恒弘さんを追悼する 大里 浩秋

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "近藤恒弘さんを追悼する 大里 浩秋"

Copied!
1
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

46

 天津日本租界を中心に天津、さらに中国北方に関する 資料を多数非文字資料研究センターに寄贈してくださり、

さらにご自身の天津経験を積極的に証言してくださった 近藤恒弘さんが、2019 年 9 月 26 日にお亡くなりにな った。享年 90 歳、奥様のお話では夏までお元気で外出 されることもあったが、秋口に少し入院された後お宅で 90 を迎えて数日にして大往生を遂げられたとのことで ある。

 私が近藤さんにお目にかかった最初は 2010 年だっ たろうか、租界班で子供時代を天津で過ごした 4、5 人 の方にその頃の体験を語っていただく集まりを開いた時 だった。その後、天津関連の資料をたくさんお持ちと伺 って、お宅にお邪魔して資料を拝見しながらお話をお聞 きする機会があるうちに、整理がついた資料から順に私 たちに寄贈したいとおっしゃってくださった。天津の資 料を集めることになり、その資料を私たちに寄贈してく ださった経過は、ご本人のお話では次のようであった。

 ―1929 年に天津で生まれ天津日本中学校 4 年の時 に終戦となり、1946 年日本に引き上げた後中学の同級 会を毎年開いてきて、2002 年には天津で開こうという 話になった。その際私が幹事役になって天津行のガイド ブックを作ることを思いついて天津にかかわる資料を集 めたのがきっかけで、その後 12 年間集めてきたものが 相当数になった。そこで租界のことに関心を持っている あなた方に寄贈することを思いついた(2014 年 2 月 15 日「東アジアの租界・居留地とメディア」研究会で の発言、のち『非文字資料研究センターニューズレタ ー』第 32 号に掲載)。天津に生まれ育ち帰国後も天津 に愛着を感じてきたことが熱心な資料収集に結びついた のであり、その資料群が 2013 年から数回に分けて私 たちに届けられることになった。

 近藤さんが収集した資料中の圧巻は、天津に日本租界 が置かれて数年後の 1900 年代初めから日中戦争時期 に至る 1000 枚を超える天津とその周辺地域に関わる 絵はがきと写真である。それらを十分に生かした研究や 紹介はいまだできていないけれども、数回展示して公開 してきたし、「戦前中国の風俗絵はがきの世界」のタイ トルで『ニューズレター』第 38 号から第 41 号に連載

した。

 ま た、2014 年 6 月 に は 東 京 女 子 大 教 授

(現在名誉教授)

で非文字資料研 究センター研究 協力者の栗原純 さんと一緒に近 藤さんの天津経 験を長時間語っ ていただく機会 を持ち、それを まとめて「近藤 恒弘氏に天津日 本租界での体験 を聞く」と題し て『非文字資料 研 究』第 13 号 に掲載すること ができた。それ をまとめるにあ たって事実確認 のためにお宅に うかがっていろ いろお話できた のはいい思い出 である。お手持 ちの写真をたく さん利用させて いただいた近藤

さんの回想をぜひ読んでいただければと思う。

 まだ差し上げたい資料が残っていますよ、と奥様がお っしゃっていた。近藤さん、どうか安らかにお休みくだ さい。

近藤恒弘さんを追悼する

大里 浩秋

(非文字資料研究センター 客員研究員)

近藤恒弘さん。2014 年 2 月 15 日「東アジア の租界・居留地とメディア」研究会

近藤さんが寄贈してくださった天津の絵はがき。

『ニューズレター』第 38 号に掲載。

参照

関連したドキュメント

全国大学人権教育交流会が主催する研究会が、関 西学院大学の梅田キャンパスである時には、私はアプ ローズタワービル 1

大学の教育・研究・そして組織の運営に尽力されてきたのであります。

査対象世帯の性格や階層別消費者物価指数等 の論点を

その根底には幼いころから刻まれてきた悲しい体験があります。先生の

う一つ, 分からなかった。 近藤さんの思い出を綴るには,

関西学院大学 人権研究 , 第 21 号 2017.3 52

工藤さんは私より 2

それから数か月を経た夏の盛り,御仏前に参らせていただこうとお宅を