財政過程におけるレソト
●
シーキング行動
山之内光躬
一
︵1︶ 現代の公共選択論が解明しようとする領域の一つに︑レソト・シーキング行動の問題がある︒公共選択論は︑集合
行動に関する集団的利害対立という︑現代の社会経済生活における基本問題に深くかかわってぎている︒集合的決定
をめぐる諸問題への︑利益集団のアプロ⁝チは︑ この理論の重要な部分を構成しているわけである︒そして︑ レソ
ト・シーキング︵菊①葺ωΦ①匹昌σq︶の問題も︑根底的には︑このような集団行動の特質として考察することが必要で
あろう︒もともと︑レソトの概念は︑古くから経済学が地代論において展開してぎたものであり︑古典学派の差額地
代説や新古典学派による移転地代の概念などがよく知られている︒しかし︑レソト・シーキングという用語が︑特別
の意昧をもって︑経済学の研究分野にとり入れられたのは︑一九七〇年代に入ってからであるという︒つまり︑この
用語を︑はじめて経済学に導入したのは︑﹀コづ①O●二三①αqo﹁ρO謡︶であったといわれる︒かれは︑国際貿易の領域
早稲田社会科学研究 第31号(S.60.10)
123
において︑数量規制に関連した︑競争的レソト・シーキング行動のモデルを展開しているが︑その用語法とは別に︑
現代のレソト・シーキングに関する最初の文献は︑O日巳δ︒貯の論文︵H㊤①刈︶であるとされている︒
現代経済社会における特徴的行動を説明する︑特殊な用語法としてのレソト・シーキングについて︑いζじd琴冨−
口帥口︵おQQ99︶は︑この用語を︑価値を極大化しようとする個人の努力が︑社会的余剰ではなく︑かえって社会的浪
費を生み出すような︑制度上のセッティングにおける行動を説明しようとするものと定義し︑さらに︑個々の意思決
定者のレベルでは︑その行動それ自体は︑市場活動での利潤追求行動と異なるものではないことを強調している︒こ
のとき︑個人の利益を追求する行動が︑社会的損失をもたらすという結果は︑当事者には意図されていないのであ
り︑それは︑﹁個人が異なった倫理的人間になり︑それに応じて自分の行動を修正するからではなく︑制度的構造が変
わる﹂ところがら生じるのである︒そして︑﹁制度が秩序ある市場から離れて︑直接的な政治的配分というカオスに近 ︵2︶い状態に移っていくとき︑レソト・シーキングが︑重要な社会的現象として出現した﹂のである︒
理想的な競争的市場経済においては︑個々の経済主体の利潤追求行動が︑資源を競争的用途間に効率的に配分する
という命題は︑経済学が論証しようとした中心的テーマであった︒ここでは︑個人のプロフィット・シーキング行動
が︑社会のすべてのメンバーに︑配分上の望ましい結果を保証することが想定されている︒つまり︑個別の合理性と
全体の合理性が整合しているところに︑競争市場経済行動の基本的特徴があったわけである︒だが︑個人の︑市場に
おける同一の利益追求行動が︑競争市場とは異なった制度的環境のもとでは︑この合理性の整合は保証されないこと
になる︒そして︑この競争市場とは異なった制度的環境とは︑経済における政府介入の制度にかかわっており︑その
意味において︑﹁レソト・シーキング行動は︑経済における政府活動の範囲︑つまり︑公共部門の相対的規模に︑直接
124
財政過程におけるレソト・シーキング行動
へ3︶関連している﹂のである︒
市場に対する政府の介入は︑特定の経済主体に︑いわゆる独占的地位を保証することによって︑社会的には︑差別
的な厚生分布をもたらすことになる︒したがって︑個人や集団の合理的な行動基準からすれば︑それぞれが︑レソト
・シーカーとして行動する十分な動機をもっているわけである︒もちろん︑レソト・シーキングには︑さまざまな形
態のものがあり︑ これをいくつかのレベルで分類することができる︒だが︑本稿では︑ レソト.シーキングの範囲
を︑厳密に局限しないで︑究極的には財政過程に帰着してくる︑利益集団の自利追求行動をも含めて考察を進めるこ
とにする︒つまり︑個人ならびに集団が︑自己に有利な課税方式や支出計画を確保しようと努力する行動︑あるいは
逆に︑自己に不利な負担方式を回避する行動が︑政治的決定過程をめぐって繰り広げられる領域にまで︑その範囲を
拡大することにしよう︒
註︵1︶ レソト・シーキングについては︑レソトそのものの定義をも含めて︑今のところ︑明確な塗方が確立されているわけでは
ない︒︵シンポジウム﹁レソト・シーキングをめぐって﹂︑公共選択の研究︑第三号︑一九八三年︑参照︶︒だが︑本稿では︑
その範域を︑本来の意味での﹁規制﹂よりも︑かなり広く解釈することとした︒
︵2︶ 一.竃幽切口9雪§矯..菊︒ヨ留︒匹昌σq雪山勾oh博ωoo江旨σQ11噛§§ミ騎↓ミミ棲駄二四さミあミミ醤隣⑦︒鼠恥§§・ミ・
O・駆・
︵3︶ 息9肺二戸㊤・
125
126
二
.レソト・シーキングという用語法そのものは︑特に︑一九七〇年代以降の経済社会における︑政府活動の拡大のプ ユ ロセスで︑人間の利益追求行動の一側面を説明するために導入されたものである︒だが︑この用語が説明しようとす
る行動領域の対象そのものは︑現代社会の集合行動に局限されうるものではけっしてない︒レソト.シーキング行動
は︑集合過程を通じて︑特定の制度的変更を獲得することによって︑レソトを追求する行為であるという定義にした
がうかぎり︑これは︑政府が形成され︑集合的なルールの設定と制度の運用が進行していったとぎ︑すでに胎生して
いたはずである︒そして︑社会経済生活が︑圧倒的に市場メカニズムによって解決された段階から︑政治過程を経由
して︑集合的行動を通じて解決される部分が︑相対的に拡大成長していくという状況のなかで︑レソト.シーカーへ
の機会は︑ますます多様に増幅していったのである︒公共部門の成長と︑集合的行動が︑制度の組合わせによって秩
序化されるという特質から︑レソト・シーキング行動への誘因はいよいよ強化され︑この傾向は︑現代的特徴とし
て︑今後ますます活発になっていくことが予想されるだろう︒
アナーキーの状態が克服されたとぎ︑個人の社会的行動は︑社会の基本的ルールに基づいた︑一組の制度のもとで
進行する︒もちろん︑このことはいわゆる政治過程を経由する集合的行動領域のみに限定されるのではない︒個別経
済主体の市場行動としての消費行動や生産行動は︑本来は︑それ自体︑何によっても規制されることはない︒だが︑
このとぎ︑この市場経済秩序そのものを強力に支えている基本ルールが︑有効に機能しているはずである︒しかし︑
財政過程におけるレソト・シーキング行動
ここでは︑競争的経済行動を保証するための︑普遍的制度が形成されているのであって︑これは︑すべての経済主体
に︑ひとしく︑無差別の効果を及ぼしているのである︒このレベルにおけるルールの設定は︑いわぽ︑一次的契約と
してのルールにほかならない︒その効果は︑概念上の純粋公共財とひとしく︑同時性︑均等性を基本的特徴としてい
る︒ だが︑集団行動を考察の対象にするとき︑多様な領域にわたる二次的ルールの決定︑すなわち︑制度変更の獲得を
めぐる︑力学的諸要因がクローズ・アップされてくる︒たとえば︑概念上の純粋公共財とは異なり︑現実に政府予算
を通じて供給されている公共財︵混合財︶が︑特定の個人および集団に︑差別的︑限定的な便益をもたらすという側
面を考慮するとき︑二次的ルールの決定がもたらナ諸制度の設定ならびに改変は︑必然的に︑個別経済主体︑集団間
に︑差別的な便益分布を創出するという事実をも認めなければならない︒そして︑この点にこそ︑合理性基準にもと
づいた集合行動領域において︑レソト・シーキング行動が生起する背景が存在するのである︒
公共財理論の教えるところによれば︑集合的な財・サービスの供給は︑社会的に共通のコストによって実現され
る︒そこでは︑コストの負担と便益との個別的な対応づけをすることが︑供給の必要条件ではけっしてない︒そし
て︑ここに︑他の個人あるいは集団のコスト負担を通じて︑自己の便益の拡大を追求する道が開かれているわけであ
る︒公共財のフリー・ライダー論が展開されている地平にほかならない︒だから︑フリー・ライディソグの道を遮断
するために︑公共財には︑政治過程を通じて︑権力的な租税制度によって︑コスト負担配分が決定されなければなら
ないのであった︒伝統的財政学には︑公共財の理論が欠落しており︑このような公共財に関するフリー.ライディソ
グについて︑明示的な定式化はなされていない︒それにもかかわらず︑財政論は古くから︑租税負担の回避の問題
127
に︑大ぎな関心を払ってきた︒この租税回避は︑﹁税法の優先的条項を利用することによって︑課税を合法的に削減 ︵2︶すること﹂と定義することができる︒そして︑この税法の優先条項もまた︑特定の経済主体にレソトをもたらす﹁規
制﹂の一つにほかならない︒
このような︑税法上の規制をも含めて︑規制一般は︑特定の経済主体にレソトを保証するが︑この規制の導入に
は︑しぼしぽ︑優先的政策目標を公益と不可欠の結合関係に置いた主張が支配したり︑また︑しばしば︑特定領域に
おける経済活動の秩序を保全するという目的で設定される規制も少なくない︒だが︑規制の実態は︑たとえば︑既得
権としての特定集団の経済活動を保護し︑新規参入を排除するという形態や︑特定の集団のブリi・ライディソグを ︵3︶助長するという形態で進行している︒だから︑このとぎ︑現行の規制を撤廃して︑市場メカニズムによる競争原理
を復元しようという計画に対しては︑既得権益を防護しようとする︑︿目時9口昌︽oh9①ω冨εのOqo>︵冨算︒昌9巳
園︒ωΦ聞ユΦαヨpPHO︒︒蔭︶が活発に動き出すのである︒しかし︑合理的行動にもとつく︑すべての集団行動は︑基本的
には︑レソト・シーカーのそれであるとすれば︑既成の秩序維持に固執する行動と︑現行の制度︑規制を撤廃して︑
新たな秩序の導入を要求する行動とは︑まったく同一次元の︑集団間のレソト・シーキング闘争にほかならないので
ある︒このような行動は︑根底的には︑厚生分布の問題に集約されるから︑利益集団は︑経済的規制の設定を実現し︑
それを通じて︑消費者目投票者からの︑富の移転を追求するということになる︵図︒σΦ答国.ζ︒O霞ヨ一〇窪ユ菊︒び①答
U・↓o≡ω︒員お︒︒O︶︒だから︑現行の経済的規制撤廃の要求もまた︑同様に︑特定利益集団の側からの︑富の再分配
︵移転︶要求にほかならないのである︒
かくして︑レソト・シ:キングは︑基本的には︑富の移転の問題にかかわっている︒したがって︑用語法そのもの
128
財政過程におけるレソト・シーキング行動
は新規であっても︑レソト・シーキングの発展そのものは︑新しいものではけっしてない︒たとえば︑国民経済の発
展段階で︑様ざまな形態をとって現われた︑重商主義政策は︑典型的なレソト・シーキング社会のそれにほかならな
かった翁錠蔓ゆp︽臨口鈍①び国︒げΦ目一切.円円①ξ昌9冒曽づ白図︒げΦ助け∪●目︒臣ωoPμΦo︒O旧園︒びΦ同け切.国吋①ピロ阜冒.
⇔巳殉︒げΦ再U・日︒まωoPお︒︒心︶︒したがって︑本来︑個人および集団行動の︑利益追求動機に根ざす︑政府部門での
制度的調整行動を︑社会的厚生喪失の観点から︑分析を進めようとしたのが︑レソト・シーキングの理論であって︑
対象そのものは︑厳密な意味で︑現代社会の固有現象ではない︒だが︑現代の経済理論が公共セクター︑したがって
政府機構の急激な肥大化に着目し︑公共部門の諸語度︑そこで設定される︑集団行動のためのゲームのルールがもた
らす︑経済的な非効率性を強調するようになったのは︑一九七〇年代であった︒たとえば︑公共部門における生産行
動が︑コスト最小化の誘因をもたないこと︑また︑制度的構造そのものが︑効率的資源配分への誘因を組み込むこと
に失敗すること︑さらには︑現代民主主義の政治システムが︑投票者や政党に︑非効率的な配分パターンを選好させ
る傾向があることなどが︑理論的ならびに経験的に研究されてきた︒したがって︑レソト・シーキングの理論も︑こ
のような︑一連の政府の失敗に関する理論展開の一環として形成されたのである︒つまり︑この理論は︑﹁政府が︑あ
る経済活動への参入を制限することによって生み出されうる︑独占的レソトへの競争から生じる︑大きな厚生喪失﹂ ︵4︶を論証しようとするのであって︑その意味で︑現代経済社会の特徴としての︑巨大なリヴァイアサソの︑配分上の非
効率効果を主要テーマとする︑政府失敗の理論の重要な一角を構成するものといえるだろう︒
註
129
︵1︶ Ooao 虚言ざ︒貯によれば︑この用語は︑﹁レソト・シーキングの︑正規の経済学的な意味とは異なったものであるが︑新 30 しい用語を求めなければならないほど︑ラジカルに異なってはいない﹂という︒ ︵○.目巳δ︒ぎ..肉︒馨ωoo匹頃αq評三竿Q8− 一
ミ芦↓書㌧ミミ§織§ミト貸ミ§軋肉ら§oミ詩9国辱8匹び楓Oo雷冠ω冒匹PおG︒ピ℃﹂雪・︶
︵2︶ 寓一義帥9い陰Ooo寅㌦︑↓餌図尊く︒置帥琴ρ国︒ユNo三巴国ρβ一段讐⇔ロ飢↓凶×国oh自8︾刃︒℃oω巴ω団景気ω一吹.輝↓§貸ミ職
↓ミミ黛ミ導偽沁§㍗⑦ミミ蕊頓⑦o亀ミざ目OG︒9魯●禽味二娼.ω嵩.
︵3︶ たとえば︑昭和二十八年以来︑日航法という﹁規制﹂によって︑日本航空は巨大なレソトを確保し︑いまや︑国際線部門
で︑世界で第一位の運送実績をあげるに至ったという︒これは政府の規制によって︑競争的参入を禁じた日航保護政策によ
るものであり︑国際線の独占と国内線の幹線優先の路線決定は︑その収益性に大きな差別的優先を保証したものであった
が︑このケースは︑前者の一つの適例であろう︒また︑後者の例としては︑たとえぽ︑昭和三十年代の高度経済成長政策が
進行するなかで︑鉄工︑重化学工業を中心とした︑いわゆる基幹産業に対して︑税制上の﹁規制﹂︑つまり︑各種の租税特別
措置を適用し︑大幅な税負担の減免措置がとられたケースをあげることができよう︒これらは︑いずれも︑国益に関する政
策目標と結合された︑レソト・シーキングにほかならなかったのである︒
︵4︶ヒd器畠=O.国98ヨげρミミミ蕊§ミ§叙き馬ぎミ§一等§跨嫡μ㊤G︒︒︒り弓・旨b︒・
三
Ooaoロ↓巳δo吋によれば︑﹁自己の生産性を実際に改善することのない︑あるいは︑他の対象に投資するよりも生
産性の改善が小さいものに投資するが︑それによって︑ある特殊な優位または独占力が生じるために︑自分の所得を ︵1︶上昇させる個人は︑レソト・シーキングを行なっているのであり︑レソトとは︑その追求から得られる所得である﹂
という︒この定義によれば︑レソト・シーキングは︑かならずしも︑集団行動に特有のものではなく︑個人︑集団に
財政過程におけるレソト・シーキング行動
かかわりなく︑極めて広範な領域で︑また︑多様な形態で生起するものである︒だから︑現在のところ︑このような ︵2︶レソト・シーキングの範域を明確に定義することは困難な作業である︒しかし︑ここでは︑﹁市場への人工的干渉の文 ︵3︶脈で発生する﹂︑したがって︑﹁国家の保護のもとに︑富の移転を求める︑個人あるいは集団の資源浪費活動﹂として
のレソト・シーキング︑特に︑利益集団行動としてのレソト・シーキング行動を中心に考察することにする︒
このような文脈におけるレソト・シーキングは︑四種類のコストをもたらすという︵︹︸. ω一﹁一一づ︾ HりQo一︶︒第一のコ
ストは︑レソトを創出するコスト︑つまり︑﹁規制﹂を設定し︑これを管理するコストである︒第二に︑資源配分の観
点から︑社会が負担するコストがある︒レソト・シーカーの行動によって﹁規制﹂が設定されたとき︑これにより競
争市場の資源移動のマリアビリティが失なわれ︑資源配分の非効率な結果が︑社会へのコストとしてもたらされると
いうわけである︒第三は︑レソト忌避のコストである︒これは︑レソトの支払を軽減するために︑レソトペイヤーが ︵4︶投入する資源コストを意味する︒第四は︑レソト・シーキングの行動そのもののコストである︒このうち︑政府の失
敗の理論定式化を中心にして︑最もポプユラーなものは︑第二のコストに関する観点であった︒したがって︑ここで
も︑レソト・シーキング社会は︑非効率的配分に帰着する行動が︑競争的︑効率的経済行動の犠牲のうえに︑優位を
保証するシステムであるというとらえ方に︑焦点を合わせて検討しよう︒
レソト・シーキングは︑個人︑集団のプロフィット・シーキング行動が︑制度的セッティングを通じて︑社会的な
資源浪費︑したがって︑社会的厚生の損失を招くというとき︑ここでは︑言葉の厳密な意味において︑社会的には︑
ネガティヴ・サムのゲームを想定していることになる︒しかし︑このような定義からするならば︑個人あるいは集団
が︑制度的変更を通じてレソトを追求するとき︑たとえぽ︑それが︑ポジティヴ・サムのゲームであったとき︑その
131
図 (1)
F
Up Us
0
行動そのものは︑もはや︑レソト・シーキング行動ではないこ
とになる︒いま︑図1ωにおいて︑dωはレソト・シーカーの
厚生レベルを︑d﹁はレソト・ペイヤーの厚生レベルを︑それ
ぞれ表わすものとし︑閏は︑この社会の与えられた制約条件のも
とでの︑効用可能フロンティアであるとしよう︒幻はレソト・
シーキング行動前の︑パレートの意味での︑ひとつの効率的配
分状態が達せられたとぎの︑社会の厚生分布を示している︒こ
のとき︑レソト・シーカー︑ωの行動によって︑厚生分布が炉
に修正されたとすれば︑この行動は明らかに︑社会的に非効率
な結果をもたらしたことになる︒つまり︑レソト・シーカi︑ω
の利得増大は︑レソト・ペイヤー︑勺の損失の上に形成され︑
しかも︑社会的には︑より低い厚生レベルへ低落するという︑
ネガティヴ・サムのゲームが展開されていることになる︒い
ま︑肉をそれぞれの資産構成︑もを︑獲得する︵あるいは支払
う︶レソトとすれば︑ひとつの限定された状況での︑社会の厚
生関数は︑園ならびに炉について︑それぞれ︑つぎのように
示されるであろう︒
132
ミ閑uミ菊﹇qの︵映巴勤q℃︵肉℃︶﹈・・:⁝⁝⁝⁝⁝⁝・⁝⁝⁝・⁝⁝︵H︶
芝智11芝皆﹇d︒︒︵肉︒︒ミω︶⁝d勺︵肉雪も℃︶﹈⁝⁝⁝⁝⁝:・⁝⁝⁝︵卜◎︶
このとぎ︑ωによるレソト・シーキングの結果が︑ネガティヴ・サムであるかぎり︑社会の厚生レベルは︑つねに︑
芝国﹀≦き
であり︑そして︑このような社会的厚生の低落は︑
財政過程におけるレソト・シーキング行動
ξ︒︒一くξ=
という︑レソト・シーカーとレソト・ペイヤーの帰属レソトの関係によって規定されている︒
だが︑個人︑集団が︑政治過程を経由して︑特定の制度システムを獲得して︑レソトを追求しようとする行動は︑
つねに︑総体社会的なネガティヴ・サムの結果に終結するのであろうか︒たしかに︑行動の起点として想定される状
態が︑理想的な︑市場の競争メカニズムによって︑完全な効率的配分を達成しているとすれば︑このとき︑レソト.
シーキングは︑明らかに︑自由な市場競争メカニズムを歪め︑非効率的配分結果をもたらすことになる︒しかし︑経
済機構そのものに内在する要因︑あるいは︑外生的な諸力によって︑市場競争メカニズムそのものが︑大きな障害を
133
図一..(2)
G
H
拷/
卿務
R
Up F
Us
0
もち︑本来の機能を十分に果たしえないとぎ︑それは配分結果
を改善することはないのか︒経済社会の実態からは︑行動の起
点としては︑理想的競争状態ではなく︑すでに︑市場の構造的︑
制度的理由で︑大きな配分上の非効率が生み出されているとい
うところから出発する方が︑むしろ現実的であろう︒たとえば︑
図1②において︑菊はこのような非効率的配分状態にある行動
起点を示している︒いま︑特定の個人あるいは集団︑ωに対し
て︑新規の制度設定によってレソトが保証されるケースを想定
しよう︒このとき︑行動起点︑園では︑新規に開始されるレソ
ト・シーキングによる制度の側からの市場介入以前に︑市場の
配分メカニズムの欠陥︑既成の制度的要因に起因する︑大きな
非効率がすでに存在することが仮定されている︒そして︑新規
の制度的規制の構造が︑たとえば︑規制を規制したり︑また︑
それが経済活動全体に大きな刺激的インパクトを与え︑市場メ
カニズムの欠陥を補填する方向に︑有効に働いたとすれば︑配
分上の帰着経路は︑国からフロンティア上の○瞑の方向を示
すであろう︒幻を起点にしたとき︑斜線の部分︑口O=の領域
134
は︑パレート的改善可能フィールドであり︑円から︑このフィールド内のいかなる位置への転位も︑それは︑社会
的改善をもたらすから︑このケースは︑ポジティヴ・サムの結果をもたらすことになる︒たとえば︑特定産業部門に
対する特恵的な租税特別措置が︑究極的には︑経済全体の生産水準を改善するような状況である︒このとき︑厚生関
数︑貧︶︾︵悼︶の関係は︑つぎのように示される︒
白開く芝ヨ
そして︑このとき︑それぞれのレソトの合計は︑
財政過程におけるレソト・シーキγグ行動
含+学>O
でなければならない︒しかし︑刃←塑あるいは︑パレート的改善可能フィールド内部への転位は︑かならずしも直線
的な経路を保証されてはいない︒たとえば︑図1②に示されているように︑ωのレソト・シーキング行動が︑時間的
経過とともに︑屈折した経路を経て︑ポジティヴ・サムの結果に到達するかもしれない︒
レソト・シーキング行動の起点として︑最適性を想定しないかぎり︑このように︑社会の厚生レベルを改善する経
路が存在しているといえるだろう︒しかし︑このことは︑行動起点を非効率領域に立地させたとき︑つねに改善への 塒路が開かれているということを意味するのではない︒さらに︑レソト・シーキングは︑本質的に︑集団間の利害対立
図
(3)
/
H
F
R1
FIR2 ●G
R
J Up
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1
0
の視座でとらえられている概念であって︑たとえ︑社会厚生
上︑それがポジティブ・サムのゲームであっても︑レソト.シ
ーカーの︑富の再分配を通じての厚生改善が︑レソト.ペイヤ
ーの犠牲の上に実現されているのが現実であろう︒図1㈲で
は︑行動起点は非効率立地での図である︒ここでのレソト.
シーカーの行動経路は︑レソト・ペイヤーの負担によって︑い
わゆる非生産的活動への報償を得るというものである︒したが
って︑少なくとも︑一次的には斜線で示した︑口○閏の領域と︑
劣位にある︑OH菊一のフィールドに入りこむことはない︒この
とき︑レソト・シーキングの結果が︑炉あるいは園Nで示され
る富の分布状態への転位であるならば︑
ぐ唄閑くを詔く芝3
のように︑社会的な改善が可能になる︒だが︑ωの改善は︑℃
の負担の上に形成されているのであり︑ここには︑集団間の利
害対立が明示されている︒そして︑このことは︑
136
唱︒︒+宇>O二壽︑1ξ匙>O 財政過程におけるレソト・シーキング行動
のように︑レソト・ペイヤーの負担額を超過する︑いわぽ︑レソトの余剰が︑レソト・シ二黒ーに帰属するという形
態で︑ポジティヴ・サムの結果が導出されていることになる︒
しかし︑転位が︑たとえば︑図︒に帰着するとき︑このゲームは明らかにネガティヴ・サムであり︵≦渇﹀芝聞じ︑レ
ソト・ペイヤーのpスは︑レソト・シーカーの利得を超過する︵壽+嘆く〇二量⊥三くO︶であろう︒
レソト・シーキングは︑非生産活動に資源を浪費することから︑社会的に非効率的結果をもたらすという意味で︑
これは︑しばしぽ︑ゼロ・サム︑あるいは︑ネガティヴ・サムのゲームが想定されるであろう︒しかし︑行動起点の
立地によっては︑特に時間的要因を導入するとき︑ゲームは多様な経路を経て︑ポジティヴ・サムの結果に帰着する ︵5︶かもしれない︒だが︑現実に︑ある特定のレソト・シーキング行動が︑﹁公益﹂を増進させるというような形態で︑ポ
ジティヴ・サムをもたらすかどうかは︑検証はかならずしも容易でないし︑多くの議論の余地があろう︒それにもか ︵6︶かわらず︑ここで︑あえて︑ポジティヴ・サムのケースを︑レソト・シーキング行動と結合して強調したいのは︑こ
の行動の予測は︑極めて不明確な領域であり︑大ぎなイリュージョンを創出しうる環境をもっているからにほかなら
ない︒そして︑特殊権益をねらう利益集団行動が︑社会的合理性の衣を着けて︑政治的合意をとりつける﹁公益のヴ
ェール﹂を提供しているのが︑この環境なのであり︑公共経済の利益集団アプ戸ーチをとるとき︑この視座が不可欠
のプ戸セスになってくるからである︒
137
(掘
B曇目巳養蚕雫.D.①謬讐⁝登寒ぎ︑きミ§§こ⁝芸量;H①8 鵬
︵2︶ oh.↓§ミ職貸↓ミミヒミミ恥沁§肺あ禽ミ鑓⑦8ミ兄−魯・ら馬妹二零①壁8・
︵3︶ oPo一げ
︵4︶ レソト・シーキングにともなう︑これら四種類のコストのうち︑第二のコストを除いては︑それぞれ︑レソト.シ:ヵ1 およびレソト・ペイヤーの行動の決定計算の際の費用関数を構成するものである︒しかし︑第二のカテゴリーのコストは︑
少なくとも︑レソト・シーキングの当事者の︑私的費用関数に入りこまないであろう︑つまり︑レソト.シーキングにおけ
る︑私的費用︵M国な︶と総体社会的費用︵財〆㌔︶は一致しないで︑通常は︑
M囚㍉︿M国㌦
のように︑後者が超過することになるであろう︒したがって︑レソト・シーキングが︑当事者の私的費用をカヴァーしたう
えで︑第二のコストを超過する社会的余剰を創出しないかぎり︑この行動は︑社会的浪費に帰着するであろう︒
︵5︶ だが︑かりに︑パレート的改善可能フィールドの外部で︑ポジティヴ・サムの結果が達成されたとしても︑社会的改善を 完成させるためには︑再分配的手段を通じて︑レソト・ペイヤーに対する︑ロスの補填が行なわれた後︑社会的なレソトの
余剰が確保されなければならない︒
︵6︶ レソト・シーキングが︑その行動の結果として︑社会的浪費に帰着するという定義に固執するならば︑政府介入の制度シ ステムを利用した︑プロフィット・シーキング動機に基づいた同等の行動が︑もし︑ポジティヴ・サムの結果をもたらし︑ ロ コ いわゆる﹁公益﹂の増進を可能にし得たとするならば︑結果的にこの行動は︑レソト・シーキングではなかったのかという
問題が生じる︒だが︑非生産的用途に資源を投入することによって︑レソトを追求する利益集団の行動動機そのものは︑そ
の結果のいかんにかかわらず︑まったく不動であって︑問題は︑むしろ︑特殊権益としてのレソトを追求する行動に︑﹁公益
の増進﹂という名のもとに︑社会的是認あるいは公認をとりつけうる環境が︑政治過程において︑大ぎく育成されているこ
とであろう︒
四
財政過程におけるレソト・シーキング行動
ここまでのレソト・シーキングについての論議は︑集団の︑財政過程を経由する︑特殊権益を目指しての自利行動
を︑インプリシットに想定してぎた︒だが︑もともと︑﹁規制﹂は︑その多くが︑直接的あるいは間接的に︑課税と深
くかかわっており︑しばしば︑規制の経済分析は︑規制を課税の一方式とみなし︵薄切冒竃︒凶窪臥①諺住O.↓二一ざ︒〆
μ㊤刈Q︒︶︑さらに︑このような課税観に基づいて︑所得︑富の分配問題を分析している︵図・﹀.℃○ω昌ΦびHO謬︶︒つまり︑
課税が︑特定集団から所得を徴収し︑他の集団に特殊利益を供給する手段としての役割を︑その本質的な部分として
果たしているからである︒租税はもともと︑政府の活動を支えるための︑強制的に徴収される収入形態であり︑それ
は︑社会共通の便益帰属を特徴とする公共経費として︑社会的価値を極大化する用途に支出されるべきものとされて
きた︒また︑このような︑伝統的財政学における見解とは別に︑租税を公共財の価格として認識し︑投票者の選好体
系を基礎にしたセッティングで︑公共財の選択︑さらには︑その費用負担方式としての租税ルールの選択を導出して
いこうとする︑公共財理論の定式化も活発に展開されてきた︒そして︑これらに共通している租税の役割は︑市場の
価格メカニズムの適用が不可能な︑社会に均等な便益をもたらす公共財を供給するための財源として︑本来の機能を
果たすことにほかならなかった︒もちろん︑この租税の本来的機能のほかに︑歴史的には︑分配機能もまた︑重要な
機能として追加認識されてきた︒だが︑租税の所得分配機能というとき︑それは︑ある倫理規範をともなった︑公平
な分配状態を実現するための︑修正機能を意味したにすぎないのである︒
139
K
X
C 図一く4)
d F
ΣK§
G 灘嬉i一重i菱ll 1露盤濤
N
N1 BA
K
R
0
公共部門の決定領域について︑利益集団の要因を核としたア
プローチをとるとぎ︑租税のもつ再分配効果は︑かならずし
も︑=兀的な方向に固定されないことになる︒すなわち︑利益
集団は︑他の集団から自己集団への︑所得︑富の再分配を実現
するような︑制度的修正を獲得するための誘因をもっているか
ぎり︑租税ルールに期待する再分配の方向は︑公平に関する︑
ある特定の倫理規範とは無縁のものであろう︒
さらにまた︑財政過程を供給経路としている公共財もまた︑
社会のすべてのメンバーに︑均等な︑非競合的な便益をもたら
すという︑教科書的な特質は︑けっして保証されてはいない︒
むしろ︑現実の政治決定が︑財政過程を経由して供給する財︑
サービスは︑特定の個人︑集団に︑特定の︑差別的な便益を帰
属させるものが多い︒このとぎ︑自利的利益を追求する集団と
しては︑自己集団便益に連結する財政的支出構造を︑制度化し
ていくための強い誘因をもつであろう︒
このように︑財政活動を制度化する予算過程は︑租税構造と
経費構造の両側面において︑利益集団のレソト・シーキング行
140
財政過程におけるレソト・シーキング行動
動を誘発させる︑典型的な土壌をその本質的な部分としてもっているのである︒
いま︑財政過程におけるレソト・シーキング行動の効果を︑極めて単純化した構図で検討しよう︒図一ωにおいて︑
垂直軸に貨幣額で示される費用を︑水平軸に特定の公共財︑×の量をとる︒この公共財は︑利益集団︑ωにのみ特定
化される便益をもたらすものと想定しよう︒したがって︑﹀ゆ線は集団︑ωの公共財︑×に対する需要曲線である︒
国閑は︑供給費用不変を想定した︑×を供給するに要する︑社会が負担しなければならない単位当り費用を示す︒こ
のとぎ︑社会的には︑×の最適量はZで達成される︒ただし︑ここでは︑O凶国Zの供給費用は︑ωの租税で負担さ
れることが前提になる︒いま︑この︑公共財︑×が︑最適に供給される点︑Zを行動起点としよう︒
この行動起点において︑集団︑ωのレソト・シーキング行動が開始され︑制度的特恵を獲得するための︑資源の非
生産的利用が決定されたとしよう︒たとえぽ︑集団︑ωに適用されている租税ルールに︑特恵的負担免除措置が導入
されるケースを想定しよう︒ここで︑集団︑ωの負担は︑O国国Zを回避し︑新たに︑レソト・シーキングの私的費用
のみをコストとして算入することになる︒このとぎ︑このレソト・シーキングのコストは︑集団︑ωにとって︑実質
的には︑公共財の費用負担を構成することになるから︑この集団にとって︑公共財×の最適量は︑Zから更に拡大修 ︵1︶正されることになる︒つまり︑×の利益集団最適量は︑社会的最適量を超過することになる︒もし︑最終的なレソ
ト・シーキングの結果が︑M区︒︒國110園OZ のコストで︑OZドの×を獲得することに帰着したとすれぽ︑集団︑ωの
獲得した新規のレソトは︑切国国Oの部分であり︑集団余剰の総計は︑園諺○で示される︒
しかし︑この集団余剰は︑費用負担回避行動および公共財獲得行動としての︑レソト.シーキングによって創出さ
れたもので︑これらは︑レソト・ペイヤーとしての︑一般納税者の負担によって支えられているのである︒すなわち︑
141
OZ固を供給する費用︑○閤﹁Z目は︑レソト・ペイヤーの租税負担増か︑あるいは公債の発行によって賄わなければな
らない︒公債発行も︑究極的には︑時間的負担移転方式であり︑レソト・ペイヤーに負担が移転されるという︑基本
的関係は修正されないであろう︒したがって︑レソト・シーキングのコストを無視すれば︑この当事者聞のレヴェル
では︑財政過程におけるレソト・シーキングは︑ゼロ・サム・ゲームを構成することになる︒
ところで︑この集団︑ωの財政的レソト・シーキング行動は︑公共財︑×の供給量を︑社会的最適量よりも過剰な
レヴェルに拡大させた︒したがって︑この供給過剰分が︑社会的には︑国国Oだけの︑配分上の非効率を発生させたこ
とになる︒つまり︑この非効率の部分は︑公共財供給拡大のためのレソト・シーキングの結果︑生じた︑いわゆるレ
ソト・シーキングの社会的費用を構成する︒これは︑社会的浪費の部分にほかならない︒さらに︑このレソト・シー
キングの集団費用としての︑M穿沢110勾OZμ︶の部分は︑公共財の供給という︑生産的費用を構成する要素ではけっ
してない︒それらは︑あくまで︑制度あるいは規制を購入するという︑非生産的投資支出である︒しかし︑この財政
的決定結果を完成させるためには︑公共財の供給コスト︑○内両7の上に︑さらに︑○菊OZHという非生産的コスト
が︑負担されなければならないという意味で︑社会的な配分上の非効率を︑このレソト・シーキング行動は創出した
ことになる︒このように︑財政過程におけるレソト・シーキング・ゲームは︑単に︑ゼロ・サムの結果にとどまら
ず︑しぼしば︑ネガティヴ・サムに帰着することが︑十分予測されるのである︒この点に︑個別の合理性が全体の合
理性に︑かならずしも連結しない︑集合性そのものの特質を看取しうるであろう︒
レソト・シーキングを︑このように︑部分均衡的視角で分析するとき︑それは配分上の非効率を︑社会的に創出す
るという結論を導出することができるであろう︒しかし︑レソト・シーキングには︑その資源配分上の効果という︑
142
経済学的アプローチのほかに︑﹁だれのために︑だれが支払うのか﹂という︑財政学の利益集団アプローチの可能性と
必要性をも認めなければならないだろう︒このことは︑レソト・シーキングを部分均衡的観点から︑﹁般均衡的な観
点へ転換するという︑より拡大された視座と密接な関係をもっている︒すなわち︑行動起点の立地によって︑多元的
な経路を経て︑結局は︑社会的改善に帰着する可能性が論議されなければならない︒これは︑レソト・シーキングの
公益論にほかならない︒この︑いわば反社会的行動が︑果たして︑公益の拡張に連結していくのかどうか︒この検証
はかならずしも容易ではないし︑ここで︑レソト・シーキングの一般均衡分析を定式化することが︑本稿の目的でも
ない︒ただ︑ここでは︑レソト・シーキング行動が︑公益の増進をその可能性としてもっとき︑これが集団自利行動
を正当化する方向に働くという側面に︑強い関心があるからである︒
財政過程におけるレγト・シーキング行動
註︵1︶ コスト最小化に成功した集団は︑公共財の需要を︑新しい限界費用と︑公共財の限界評価が均等になる点まで拡大してい
く︒ここでのレソト・シーキングによる需要拡大から生じる配分上の非効率は︑本質的には︑口.ρ菊Φo犀︒コミ巴島の区分
した︑OI非効率と同じものである︒︵oh・=自曾Ω⇔富幻︒︒軍︒ロミ巴里︑︑℃085鉱巴ミ︒賦霞︒い︒ωωoωヨ爵︒剛鮎喰︒ω⑦90触
〜︾昌韓O巨篇O㌦駐①誤算§O願旨儀O薗萄Oψ.︑匹ミミミ気ミ偽もミミミ§︑働ミへ龍ミ母四二国臥騨O瓢け楓踏O﹁陰陰§器O財﹂器も︒り
噂O9凸らQ■︶
五
瑠社会的に是認されるような︑あるいは︑推進されるべぎ︑レソト・シ⁝キングは存在するのであろうか︒この用語
法そのものは︑資源配分上の社会的浪費に結びつけて︑経済学の分野に導入されてきた︒したがって︑最終的に︑ポ
ジティヴ・サムに帰着する︑制度購入行動がもしあるとすれぽ︑これは︑社会的に非難されるべき︑レソト・シーキ
ングとは別のものなのか︒
個人︑または集団が︑自利的な利益追求行動をとるとぎ︑その原初的動機においては︑その行動が︑社会的余剰を
もたらすのか︑あるいは︑社会的浪費に帰着するのかについては︑ほとんど︑意識の対象にはならないだろう︒つま
り︑それぞれの行動の社会的効果は︑このとき︑決定計算の重要なファクターとして入りこむことはけっしてない︒
むしろ︑現実の利益集団行動に︑しばしぽ見られるように︑ある特定の制度的改変︑ゲームのルールの修正が︑社会
的余剰︑つまり︑公益の増進に結実していくという主張は︑まさに︑特定の集団自利追求を正当化するための手段に
ほかならない︒だから︑集団をも含めた︑個別の利益追求行動がとられるとき︑これが︑全体としての社会的利益︑
すなわち公益に︑どのようにつながっていくのかは︑個別の直接的関心事ではない︒たとえ︑そこに︑社会の効率的
な資源配分を歪めるような予測があったとしても︑もともと︑資源配分の社会的効率性は︑個別の意思決定計算の圏
外にある基準標なのであり︑これが︑個別の経済行動の基本目標であったことは︑けっしてなかったはずである︒
このように︑個別集団の自利的制度購入行動が︑社会的に︑浪費的レソト・シーキングであったかどうかは︑単に︑
事後的な判定結果にすぎない︒だから︑結果のいかんにかかわらず︑この領域の行動は︑すべて︑同等の動機を有し
ているのである︒それが︑社会にとって︑善であるのか︑悪であるのかは︑すべて事後的結果の判定によるとすれば︑
すべての集団自利行動としてのレソト・シーキングは︑﹁公益﹂という虚構の衣を纏って︑パブリック・インタレスト
・シーキングとして︑強力に主張されることになるであろう︒
144
財政過程におけるレソト・シーキング行動
図一(5)
\
(B)
qs
(B)
qp
(A)
qs
5 T
2 P0
(A)
qp
10 Q
8 W
このような推論に基づくならば︑集団の個別的自利行動が︑
レソト・シーキングとして成功するためには︑ ﹁公益性のヴェ ︵1︶ール﹂を通過することが必要条件となる︒このヴェールの内部
は︑公益性のイリュージョンを創出する領域であり︑すべての
個別自利行動は︑ このヴェールを通過することで︑﹁公益追求
行動﹂に変身するわけである︒
社会を構成する個別集団が︑このようなルートで︑レソト・ ︵2︶シーキングに集中するとき︑いわゆる﹁規制のジャングル﹂の
状況が展開されるであろう︒ここでは︑各個別集団は︑自利的
制度改革としての﹁規制﹂を手に入れるために競争しなければ
ならない︒しかし︑この競争は︑図1㈲に示されるように︑ひ
とつの囚人のディレンマ・ゲームに陥ることが予想されるであ
ろう︒集団︑鋭しdにとって︑行動戦略は次の二つである︒
図ω⁝⁝て又プ・震i恭文︑伸C^θ噂皿饅書謹鴻課
﹀識轡蒔伴が︒ 45 1図づ⁝⁝て又7・実一旨一θ煎轡酵叶ぴ井ワ︒
この状況では︑レソト・シーキングのない︑︵ど㌍1㊥孕の組合わせが︑社会的には最適解であり︑一集団がレ
ソト・シーキング戦略をとるケース︑︵﹀︶切ω1︵9園℃および︵﹀︶肉℃1︵じ○︶園︒︒のみならず︑両者がレソト・シーカー
となる︒○ご菊ω1︵ゆ︶菊ωのケースも︑社会的なネガティヴ・サムに帰着することになる︒
このとき︑個別集団の側に︑社会的合理性を優先する︑協力的戦略を期待することはできないだろう︒しかし︑そ
れぞれが︑あくまで図︒・戦略への強い誘因に支配されるならば︑この社会は︑図一㈹の︑○売匂の斜線部分で説明さ
れる︑いわゆる︑デッド・エーリアの中で閉塞しなければならないことになる︒ このような︑﹁規制のジャングル﹂
から脱出するためには︑基本的には︑ここに社会︑経済的諸制度の構造全体についての︑一般的な立憲的ルールの設
定が必要になろう︒社会が﹁ホッブスのジャングル﹂から脱出するとき︑生存権や財産権に関する立憲的契約が必要
であったと同様の問題状況がここには存在しているのである︒個別の合理性を優先させて行動する︑個人︑集団行動
の特質を前提とするかぎり︑レソト・シーキング社会が直面する難問の解決策として︑理性的個人の倫理性に期待す
ることはできないであろう︒やはり︑権力的ルールとしての︑立憲的契約の設定を期待しなければならない︒
146
註︵1︶ この﹁公益性のヴェール﹂を通過しうるのは︑大きなロビー形成力︑交渉力をもった集団であり︑特殊利益のための立法
を設定するためには︑集団の組織力は重要なファクターになる︒したがって︑レソト・シーキングは︑政治過程における集
団行動を︑最も重要な側面としてもっており︑レソト・シーキングの理論定式化のためには︑市場競争に関連した効率性向
範のもとで論議をしていく方向とは別に︑個別集団問の利害対立について︑政治学的︑社会学的アプローチをとることも必
要であろう︒
︵2︶ この用語は︑図●切.寓︒閑︒昌艮︒噛O.月三60〜ミσ§§勺︒§詩ミ卑§o§3おNG︒の第十二章の標題として掲げられてい
財政過程におけるレソト・シーキング行動
るものである︒
参考文献 ω塁臨薦05切二国民︒冒巳噛即切﹂弊的二月︒一ま8即∪こ.︑竃2自蔵罠ωヨ二四菊窪→ω8匹昌σqω︒9①蔓..讐↓§ミ駄騎
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︵甲OO骨N噂 竃. ︼ピニ .﹈り㊤× 諺く〇一99口O①層 =O円一NO旨θ9一 ﹈国ρ自帥θ楓り 餌コα ﹈り9×園O晩O目ヨ ﹀ 勺HO口Oω①位 ω︽Pけ7①ω一ω魑魑噂 ⑦Oミ牒壽鴨︑嵩 鳴60嵩Oミ賦O
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147