理事長『博物館』を語る : (2)これからの関西 大学博物館
雑誌名 阡陵 : 関西大学博物館彙報
巻 46
ページ 2‑3
発行年 2003‑03‑31
URL http://hdl.handle.net/10112/00024033
理事長 『博物館』 を語る
‑(2) これからの関西大学博物館一
4. 小袖について
—関西大学博物館にご寄贈いただきました小 袖も大阪市へ寄贈されていたわけですね。
理事長:全部寄贈することになってました。そ れで大阪市の博物館の人やみんな、あの、僕の コンサルタントやね、みんなに関大の博物館を 見に来てもらったんです。「うちの博物館どう 思う?」てね。そしたら「色艶がおまへん」て。
「女の子多いのに、女性のかんざしもあらへん」
て言うんです。それでね、 「ちょっと待てよ。
えらいことした、それな、もう大阪市に寄付し てもうた。なんとか取り返す方法ないかな」て 言うてみたんです。自分が関大博物館行ってね、
かんざしも無いと言うといてね、それやのに「嫌 ゃ
J
と、「貰うたものは俺のモンや」とは言え ません。それで結局、小袖を分けてもらったん です。—おかげさまで関西大学博物館にも華やかさ が加わったわけです。
理事長:この小袖は、重富、璽新1)、重遠21の 時の最後の締めくくりの頃の小袖らしいです。
間璽富とは全然関係はないんです。ただ、その 時代の背景として、うちの父親が集めたものな んですね。
白網子地松竹梅紋様小袖(打掛)
1)重宮の長男。1786(天明6)‑1838(天保9) 2)霊新の長男。?ー1860(万延元)
5. 羽間文庫と大阪と関西大学と
ー平三郎氏は近代大阪の郷土資料も沢山集め ていらっしゃいましたね。
理事長: 4代3)の江戸時代の天文学者がね、ず うっと天文台で観測やって、それを、うちの父 親がもうひたすらに、主には重富を軸に祖先検 証をやってきた。そのうち時代背景も知りたい、
となって堂富に関わった人物や大阪の地域資料 に触手を伸ばしたんです。
、 ●
戦後、親父は市会議員やったり、都市区画整 備委員長にもなってたんですが、その時にっち の海老江のあの家とね、富田屋橋の近くの所と の換地の話が大阪市から内々であったんです。
それをうちの親が断ったんです。何で断ったか 言うたらね、「羽間文庫が海老江で定渚してし もうてるから、わしは海老江から離れん」て言 うてね。時価にしたら坪200万円の土地と、 100 万円の土地と換えたる言うてんのに 「あかん」
「いらん」言うて、頑張って断りましてん。僕 やったらすぐに換えるけど。 (笑)
まあ冗談はそれくらいにして、うちの父親は 関西復権の思想があって関西大学を選択したん です。大阪が好きやったんですね。僕が学校行 くときもね、東京の学校も合格してたんですよ、
そやけど「大阪から離れるのはあかん、関大へ 行け」言われましてね。親父は本学の大正 6年
卒なんですが、亡くなる直前までずっと同窓会に出席してました。「六念会」いうて、大正6
・
‑ 2‑
海老江八坂神社
3)璽富、 璽新、 璽遠、および重遠の子息重明 (?ー 1893(明治25))の4代。
年の卒業生が中心に、 4年5年6年の人が一緒 に集まってやってた同窓会があるんです。昭和 27年から54年まで20年以上続いた会やったんで すが、親父は亡くなる年の昭和47年まで出席し てました。
—平三郎氏は、祖先を愛し、海老江の土地を 愛し、そして関西大学を愛していらっしゃった んですね。
理事長:小袖や鎧を関大博物館へ入れたのは、
ひとつにはそんな父栽への供養に、という思い もあったんです。
6. 理事長 「関西大学博物館」を語る
—最後に、理事長先生がこれからの関西大学 博物館についてどのようにお考えか、お伺いし たいと思います。
理事長:「色艶がない」と言われた話をしまし たが、それに加えて、僕は、学生さんのための 博物館やて言うのに学生さんに対するキャンペ ーンが無い、それから、親近感が無い、と思う んですね。 3万人の学生の33%が女子学生で、
それやのに櫛・鉾、要するに、女性が興味持ち やすいものが一点でもないと。ま、今度小袖人 れたからええんですけど、末永先生の甲冑やと か何やとか言うて、考古学的にこうや言うても、
学生さんにはビンと来んのやないかと。もちろ ん、学問的に充実したものでないといかんので すが、まずは学生さんに親しめるようなものを 世かないと。難しいところに簡単なものを置く。
これがね、アイキャッチャーいうて、お客を振 り向かせる方法やね。
それともう一つはコンセプトをしっかりせな あきません。今の博物館には「博物館ここにあ り」というような、存在価値の展示が無いんで す。しかも来る人に催しの認知がちょっと少な い。学生さんの中にはね、こんな立派な博物館 が関大にあることを知らない人もいるわけで す。
それと、お土産を何か用意したいなあ。来た 人に気楽にさっと渡せられるようなもので、学 生さんの喜ぶような、あるいは博物館に来た人 の記念になるような、そんなものをお土産にで きへんかな。学生さんがね、「博物館行ったら こんなんもらえる。ほんなら別に博物館は見た ないけどもらいにだけ行ったろか」と。集客、
これが大事ですな。
‑ 3‑
羽間平安理事長(浅野忠義銘 具足を前に)
最後にもうひとつ、博物館に関西大学の歴史 がない。関大には百何十年の歴史の、脈々とし た流れがあるわけです。関西大学の博物館に関 西大学の歴史がないなんてちょっとさみしい。
やはり関西大学の歴史を語れるメモリアルゾー ンであることが必要やと思いますね。
要するに、親しまれる博物館であって欲しい なというのが僕の本音ですわ。だから、これか らの博物館のあり方と言われると困るけど、当 面は広きを目指す、ということですかな。来た 人に楽しんでもらうサービスを提供すること、
さらに、くつろげる空間であること。学生さん が身近に感じて、自然に利用できる。そして関 大の歴史も感じられる。そういう博物館を目指
していきたいと考えております。
一本日はお忙しい中、長時間にわたりお時間 を割いていただき、誠にありがとうございまし た。理事長先生のお話を参考に、より親しめる 関西大学博物館を目指して工夫していきたいと 思います。
(このインタビューは関西大学博物館長およ び博物館事務室が平成14年7月25日に行った もので、前号と今号の2回に分けて掲載させ ていただきました)
[お詫びと訂正)
前号の相蘇氏の脚注で現大阪歴史博物館館長としたの は副館長の誤りです。ここにお詫びして訂正いたしま す