1. 初の世界言語スペイン語
世界初の地球規模の帝国はスペイン帝国であった。それまでに数々の帝国が出現したものの、い ずれも地球規模にはならなかった。古代ローマ帝国(BC1-AC5 世紀)やペルシア帝国(3-7 世 紀)にしても、あるいはイスラム帝国(7-10 世紀)やモンゴル帝国(13 世紀)にしても、地球と いう広がりから見れば限定的であった。古代ローマ帝国は地中海を中心とする環地中海帝国であり、
ヨーロッパ、および北アフリカから地中海東岸地域までをその支配下に治めたに過ぎない。ペルシ ア帝国は西アジアにとどまり、イスラムは北アフリカから東のインドまでの広がりを見せながらも、
地続きで中緯度乾燥地域に収まった。モンゴル帝国もまた、ロシアとインド、および東南アジアと アラビア半島を除くアジア全域を支配するばかりか、東欧まで進出して広大な領土を得るものの、
大洋を超えて行くような規模にはならなかった。地球の約 70 %が海であることを考えると、海洋 を越えて領土が広がらない限り、地球規模の広がりとは言い難い。
古代ローマ帝国は地中海を制覇するものの、それは内海に過ぎない。外洋の制海権に着目するな らば、おそらくインド洋を制したであろうイスラムが、この意味での最初の帝国であったに違いな い。しかし、イスラムの生命線は隊商で象徴されるように陸路であり、海路ではない。同じインド 洋に 15 世紀末から東回りで進出したのがポルトガルであった。この進出は唯一海路を生命線とし た。同時期、西回りで大西洋を横断し、アメリカ大陸到着後は太平洋に出て、そこを横断してイン ド洋に達し、世界一周を果たしたのがスペインである。コロンブスの出身地をジェノヴァとする説 が有力だが、スペインの命を受け、その王国の資金を基礎とした新大陸への派遣であったし、その 随行者やそれ以降の航海者、探検家、征服者、あるいはキリスト教伝道士は殆どが一攫千金を夢見 たスペイン人たちであり、スペイン王国の旗印の下での進出であった。この結果、北米の南部地域 を含む中南米一帯のみならず、太平洋を越えたフィリピンもがスペインの植民地となり、ここにス ペイン帝国が誕生する。この帝国の生命線は海路であり、外洋の征服を基礎とする文字通りの海洋 帝国であった。
このスペインの黄金時代に王位に就いたのがカルロス 1 世(1516-56)とその嫡子フェリーペ 2
スペイン語の世界と特徴
鳥 居 徳 敏
世(1556-98)であった。前者は同時に神聖ローマ皇帝のカール 5 世(1519-56)と同一人物であ り、スペイン国王になって 3 年目に後者皇帝につく。同年は同じスペイン王の命を受け、マゼラン が世界一周に船出する年でもあった。このカルロス 1 世は神聖ローマ帝国の制度上の皇帝であるば かりか、領土的に見ても実質的な皇帝であった。すなわち、イギリスとフランスを除く殆どの西欧 が彼の領土になった。オーストリアからドイツ、フランドルからネーデルランド、南イタリアやサ
図 1 カルロス 1 世(カール 5 世)領土
図 2 フェリーペ 2 世の世界帝国領土
ルデーニャ、そしてスペイン。これに新大陸での植民地が加わる。これに対しフェリーペ 2 世は神 聖ローマ皇帝を継がず、その代りポルトガルの王位をも継承することになる。すなわちオーストリ アからドイツ地域はスペイン生まれの叔父フェルディナント 1 世が後継する一方で、ポルトガルの 植民地はスペイン王国に併合されることになった。この統合は 1581 年からポルトガル独立戦争の 勃発する 1640 年まで続く。ここに、海洋を生命線とする地球規模の植民地帝国、「太陽の沈むこと のない帝国」スペインが出現したのである。
古代ローマ帝国がラテン語、ペルシア帝国がペルシア語、イスラム帝国がアラビア語と各帝国に 公用語が存在したように、スペイン帝国の言語はスペイン語であった。すなわち、この時代の世界 言語がスペイン語になったと言っても過言ではない。この名残が中南米諸国 18 カ国とアフリカの 赤道ギニア、およびスペイン本国の計 20 カ国で話され、それらの公用語になっているスペイン語 の存在である。また、世界言語スペイン語の名残として、同言語に由来する地名がスペイン語圏以 外の地域にも見られる。フィリピンの国名はフェリーペ 2 世の名に負い、「フェリーペの島々=諸 島Islas filipinas」に由来する。同じく、世界最深のマリアナ海溝とその海域のマリアナ諸島は、
スペイン国王フェリーペ 4 世(1621-65)の王妃マリアナ(神聖ローマ皇帝フェルディナント 3 世 の娘)に由来する。さらにアメリカ合衆国の次の 5 州はスペイン語を語源とし、カリフォルニアは 16 世紀の騎士道物語で「天国に近い島」として登場する島名に由来し、コロラドはリオ・コロラ ドrio colorado(赤い川)、フロリダはパスクア・フロリダpascua florida(花の祭=復活祭)、
モンタナはモンタニャmontana(山)、ネバダはシエラ・ネバダsierra nevada(雪を頂く山脈)
から取られた。中南米諸国と同じく、スペインの植民地であったカリフォルニア州の主要都市名は 当然のことながらスペイン語である。ロサンゼルスLos Angelesは天使、サンディエゴSan Diego は聖ディエゴ、サンノゼSan Joseは聖ヨセフ、サンフランシスコSan Franciscoは聖フランシ スコであり、ネバダ州のラスベガスlas vegasは沃野を意味する。こうした諸例も世界言語であっ たスペイン語の名残であったのだ。
スペイン語を母語とする上記 20 カ国に現在アメリカ合衆国に編入されているプエルト・リコな どを含めると同言語圏はさらに広くなる。さらに、北米南部諸州が元来はスペイン語圏(1819 年 フロリダをスペインから買収、1845-46 年メキシコから独立していたテキサスとオレゴン州を併 合、1848 年メキシコとの戦争でニューメキシコとカリフォルニア州を獲得、1858 年メキシコ北部 をメキシコから買収)であったことから、現在でもこれらの州ではスペイン語を母語にしている家 庭が多く、北米の総人口約 3 億のうち、スペイン本国の人口以上の 5 千万強の人々がスペイン語を 話す。こうした人口を含めると普段スペイン語を話している人の数は 4 億を突破する。スペイン語 人口は中国語やヒンズー語に次ぎ、おそらく世界第 3 位、英語を凌いでいることであろう。全世界 のインターネットで使用されている言語の約 8 %がスペイン語であり、英語 27%、中国語 24%に 次ぎ、4 位には 5%の日本語が入る。こうした言語であるスペイン語は、当然のことながら、国際 連合の公用語 6 言語(英語、フランス語、スペイン語、中国語、アラビア語、ロシア語)に含まれ
ており、同言語の有用性が容易に理解されることであろう。
2. ラテン語としてのスペイン語
ラテン語は古代ローマ帝国の公用語であった。帝国崩壊後は、この言語の話し言葉である口語
(俗ラテン語)から多数の方言が生まれた。これらの方言が現在のイタリア語、フランス語、スペ イン語、ポルトガル語、ルーマニア語などである。その他にも、小地域に限定されるとはいえ、多 数の言語が存在する。スペインのカタルーニャやガリシア、あるいはイタリアのサルデーニャ島な どで使用されている言葉も同じ俗ラテン語に起源を持つ。これらすべてをロマンス諸語とも呼ぶ。
こうしたロマンス諸語が独立した言語である以前に、ラテン語の方言であり、政治的理由から固 有の言語とされているに過ぎない、とする見方があるように、これらの言語は文法も単語も似てい る。方言が口語でも日常会話で大きく異なるように、ロマンス諸語の大きな違いは頻繁に使用され る日常生活の言葉に見られる。逆に、難しい言葉の専門用語や学術用語は酷似しており、同じ綴り の場合も多い。もっとも後者の専門学術用語にはラテン語が使用されているから、類似せざるを得 ない。
そもそも方言は地域差による言葉の違いを基礎とするから、地域が離れれば離れるほど、違いが より一層明瞭になる一方、隣接地域では区別が難しくなる。ルーマニア語はイタリア語に近く、後 者とフランス語は方言連続体として「明確な境界線を引くことが難しい」(ソシュール)と言われ る。発音から見れば、ルーマニア語、イタリア語、スペイン語は近い。発音は異なるものの、スペ イン人ならフランス語文の意味を容易に推測できることであろう。バルセロナを主都とするカタルー ニャ地方はスペイン北東部の地中海に面し、フランスに接する地域であり、その言語は正に伊・仏・
西語の間に位置するような言葉である。ポルトガルに接したスペイン北西部のガリシア地方の言葉 はスペイン語に類似しながらも、ポルトガル語に酷似する。このことは、ロマンス諸語のひとつを 修得すれば、他のロマンス諸語の学習は容易になろうことを意味する。
メキシコ以南の中南米諸国のことを何故「ラテンアメリカ」と称し、同地域の音楽を何故「ラテ ン音楽」と呼ぶのかが、これで理解されたことと思う。元来、この「ラテンアメリカ」という用語 は、北米の総称である「アングロアメリカ」に対し生まれた。しかし、今述べたようにラテン系言 語は多数存在するから、「ラテンアメリカ」では実態に合致しない。そのため「イスパノアメリカ」
(スペイン・アメリカ)とも呼ばれる。ところが、南米最大の国ブラジルではポルトガル語が公用 語である。そこで、「イベロアメリカ」とも命名された。イベロはイベリア半島を指し、この半島 をスペインとポルトガルの 2 国が分割するからだ。
ローマ字とはローマの文字を意味する。ただし、このローマは現在のイタリアの首都ではなく、
古代ローマを指す。したがって、ローマ字はラテン文字を意味する。一般に「アルファベット」と 呼ばれているものは、実はラテン語のアルファベット、すなわち「ローマ字」を指す。ただし、日
本では日本語をローマ字であるアルファベットで表記したものも「ローマ字」と呼び、これが一般 的な意味で使用されている。
日本語の平仮名やカタカナは音節文字と言い、アルファベットは音素文字と言う。両文字の違い を理解するには日本語の「ローマ字」表記を思い出せばよい。「N(ん)」を除けば、平仮名・カ タカナの 1 文字には必ず母音が含まれ、それらは母音、もしくは子音と母音の組み合わせになって いる。これに対し、N以外の子音も 1 文字に考えるのがアルファベットである。子音にも音があ る。しかし、子音だけでは弱々しく、極めて聞き取り難い。聞き取れるしっかりした音にするため には母音を必要とし、母音との組み合わせで作られるしっかりした音の単位を音節と呼ぶ。したがっ て、音素はしっかりした音の母音のみならず、その他のすべての最小単位の音、つまり子音をも指 し、音素文字とはそれらすべてを文字化したものである。
しかし、音素文字で構成されるスペイン語も、発音となれば、音節で構成される文字と考えなけ ればならない。すなわち、必ず母音との組み合わせで音節ができていると考えるのである。スペイ ン語の母音、音の基礎は、日本語と同じ 5 母音であり、発音もほぼ一致する。この母音と子音との 組み合わせで作られる音は、日本語の「ローマ字」表記の発音に類似するのだ。これに対し、フラ ンス語やポルトガル語は 9 母音、イタリア語でも 7 母音あり、必ずしも「ローマ字」表記の発音に 対応するわけではない。しかし、スペイン語の場合、その言葉を知らなくても、「ローマ字」風に 発音すれば、80 %位は正確に発音していることになろう。それ故、日本人にとってスペイン語は 発音が易しく、スペイン語の発音の最も上手な外国人は日本人と言うことにもなる。
3. スペイン語の世界(スペイン語圏)
上記したように、世界にはスペイン語を公用語する 20 カ国が存在し、その領有面積は地球総面 積の約 9 %に達する。見方を変えれば、スペイン語 1 言語で、これほど多くの国々や広範な地域を カバーしていることになる。スペイン語だけで、それらの国々の政治や経済、あるいは文化や歴史 を学ぶことができるのみならず、国際交流も可能となり、経済活動でも無限の可能性を秘める。
スペインは他西欧諸国とは何かが違う。ヨーロッパにあって非ヨーロッパ的な特徴を持ち、フラ ンスとの国境の「ピレネー山脈を越えるとアフリカだ」とまで言われてきた。地理的にはスペイン 南部のアンダルシア地方がジブラルタル海峡を挟みアフリカと対峙する。しかし、風土的にも文化 的にもアフリカ的色彩が濃いのも事実である。イベリア半島中央に位置するマドリードが青森とほ ぼ同緯度に位置するにもかかわらず、太陽は燦然と輝き、夏は容易に 40 度に達する。これはアフ リカ大陸の熱風が北上するからであり、必然的にアフリカ的な風土が生まれる。他方、中世のイベ リア半島は北アフリカから侵入してきたイスラム勢力の支配下となり、8-15 世紀の凡そ 800 年間 キリスト教徒とイスラム教徒の、あるいは敵対し、あるいは共生する時代が続いた。これに続く時 代が、イスラム勢力を駆逐し、キリスト教統一王国を誕生させた近世スペインであり、この統一エ
ネルギーがスペイン人たちを新世界へと駆り立て、前記したスペイン帝国の出現につながる。アメ リカ大陸に進出する際のスペイン人文化の基礎は中世のイスラム世界との共生時代に育まれた文化 にあった。この混成文化の伝統とアフリカ的風土が基礎となり今日のスペインが存在する。したがっ て、他のヨーロッパ諸国と相違するのも当然と言えば当然のことであった。
元来混成文化を特徴とする近世のスペインが、スペイン語とキリスト教という統一武器を手に植 民地の経営に乗り出した。アングロサクソン系の植民地では原住民との混血が避けられたのに対し、
スペイン系では混血は稀ではなく、混血児の名称まで存在する。白人とインディオの子はメスティー ソ、白人と黒人の混血児はムラート、黒人とインディオの子供はサンボと呼ばれたのである。こう した例、および音楽や踊りの世界でも顕著に見られるように、スペインの混成文化がインディオや 黒人文化とさらに混じり合い、独特の文化を形成するに至る。このように混成・混合を特徴とする スペイン語文化圏でありながら、同一言語とキリスト教カトリックが脊髄となり、その統一感を醸 し出す。
スペインは、最近でこそ第 2 位に甘んじているものの、数年前までは国別世界遺産登録数で第 1 位にあった。この原因は混成文化によるユニークな遺産が多数存在することに由来する。2012 年 現在、イタリア(47)、スペイン(43)、中国(42)、フランス(37)、ドイツ(36)の順位にあり、
6 位に 31 個所のメキシコが続き、21 位には 11 個所のペルーが入る。両国で 42 に登り、3 位の中 国に匹敵する。これらにはマヤやインカの古代遺跡の他、植民地時代の歴史地区も含まれる。した がって、スペイン語圏で登録されている世界遺産数は同語圏の人口や面積よりもかなり高い比率に なろう。また、スペイン語文学では、聖書に次ぎ世界的に出版されている永遠のベストセラー小説
『ドン・キホーテ』(1605)を生み、ノーベル賞作家はスペインでヒメネスやセラなど 5 名、中南米 ではネルーダやパスなど 5 名を輩出している。そして 2010 年、スペイン国籍のペルー人マリオ・
バルガスが同文学賞に輝いた。絵画の世界ではマネから「画家の中の画家」と呼ばれたベラスケス、
スペイン最大の画家としてベラスケスに並び称されるゴヤ、現代ではピカソ、ミロ、ダリを生み、
建築ではガウディやカラトラーバ、音楽ではファリャ、アルベニス、グラナドス、ロドリーゴなど が輩出する。また、フラメンコやボレロはスペイン、タンゴはアルゼンチン、ルンバやマンボはキュー バ、マリアッチはメキシコと独特の音楽やダンスも生み出している。このように極めて多彩な文化 や個性的な芸術家を生み出してきた混成文化の世界がスペイン語圏の国々でもある。
4. スペインと日本
当然のことながら、日本がヨーロッパと遭遇するのはポルトガルとスペインが牽引した大航海時 代であった。ポルトガル人が種子島に鉄砲を伝来するのが 1543 年。それから 6 年後の 1549 年、ス ペイン人フランシスコ・ザビエルがキリスト教布教に鹿児島に来航する。さらに 33 年後(1582)
には、キリシタン大名の名代として天正遣欧少年使節が長崎から派遣され、ゴア(インド)やリス
ボンを経由し、1584 年マドリードでフェリーペ 2 世、翌年にはローマで教皇グレゴリウス 13 世に 謁見、2 ヶ月後には次の教皇シクトゥス 5 世の戴冠式にも列席する。キリスト教の禁止される 1613 年、伊達正宗がスペインとの通商を求め 180 人余よりなる慶長遣欧使節団を派遣する。この支倉常 長の一行はメキシコ経由、すなわち太平洋と大西洋の両大洋を横断しスペイン南部の大都市セビー リャに達し、北上して 1615 年にマドリードでフェリーペ 3 世、ローマで教皇パウルス 5 世との謁 見にかなうものの、通商条約の締結には至らなかった。現在でもセビーリャ市の古文書館には正宗 直筆の同市に宛てた書状が遺されている。また、帰路に支倉たちが 1 年ほど滞在したセビーリャ近 郊の修道院周辺部には現在 800 人近い「ハポンJapon(日本)」という名字を持つ人々が存在する。
彼らの先祖が当時の一行と関係があったかどうかは定かでない。
この当時から日本の工芸品は尊ばれ、それらはインド経由かメキシコ経由でヨーロッパに運ばれ た。現在でもスペインの教会堂や博物館には当時輸入された漆塗りの工芸品や屏風が保存・展示さ れている。屏風に関してはメキシコで模造品が作られるほど流行したようであるが、その品質は余 り褒められたものではない。スペイン語で屏風のことを「biomboビオンボ」と言い、日本語が 語源になってもいる。この逆が日本語にも見られる。パン、タバコ、カカオ、カルタ、カッパなど はそのままスペイン語であり、カステラ、カスタネット、ビロード、メリアス、おじや(雑炊)な どはその派生語と想定できる。
しかし、1624 年スペイン船の日本への来航禁止、1641 年には出島にオランダ商館が移され、鎖 国が完成すると、スペインとの関係は遠のく。だが、この当時オランダはスペイン領であり、独立 するのは 7 年後の 1648 年であった。大航海時代オランダがスペインに含まれていたこと、これは 鎖国時代になぜオランダなのかを解く一つの鍵にもなろう。これ以降、日本との関係は 19 世紀末 に始まるスペイン語圏との接触まで待たなければならない。すなわち、1893 年に始まる中南米諸 国への日本人移民であり、戦前までにグアテマラ、ブラジル、ペルー、アルゼンチン、ボリビア、
パラグアイやチリなどに行われた。戦後の経済復興してからの日本は市場として、あるいは原料の 調達地として中南米との関係は深まる。現在では、スペインがEUに加盟して以来経済成長を続 け、国内総生産の名目ランキングで世界第 9 位につけ、中南米諸国も目覚ましい経済成長が見られ る。後者の経済圏として注目されるのが 1995 年発足のメルコスール(南米南部共同市場、2007 年 現在加盟国アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ、ウルグアイ、ベネズエラの 5 ヵ国、準加盟国チ リ、ボリビア、ペルー、エクアドル、コロンビアの 5 カ国)であり、ブラジルが 8 位、メキシコが 14 位の国内総生産を誇る。このメルコスールの共通語としてのスペイン語は、ブラジルで第二外 国語として義務教育化されてもいる。こうした地域の経済成長が進めば、日本との関係はさらに緊 密にならざるを得ないであろう。
5. スペイン語の特徴と修得方法
スペイン語の特徴と言えば、先ずはその強さにある。スペイン語は機関銃のようだと言われる。
とにかく音が次から次へと発せられる。H を除き、すべての文字を発音するから、素早く発音し なければ、長くかかり過ぎてコミュニケーションが成り立たない。また、母音の音が明瞭であり、
単語の多くが強い母音の A または O で終わるため、語尾がしっかり終わり、しかも早くしゃべる 必要があるから、「ダッ、ダッ、ダッ」と機関銃ようにも聞こえるからだ。
大演説をするとき、壮大な歴史物語のナレーションをするとき、そんなときのスペイン語は荘厳 であり、重々しく響きわたり、聴く者を魅了してやまない。あるいはサッカーでゴールを決めた時 のアナウンサーの絶叫的な叫びというかコメントは、見事に響き、歌い上げるようでもある。また 喧嘩するときや女性が怒り叫ぶとき、このときのスペイン語はすさまじく、途中で耳を塞ぎたくな るほどだ。さらに、音が明快であるため、憂鬱な時よりも、嬉しく楽しい時の方がふさわしい言語、
喜怒哀楽を明確に表現する言語、それがスペイン語である。喜怒哀楽が激しいのはこの言葉による のか、それともラテン系の国民性によるのかは、卵と鶏の関係にあり、どちらが先かは決め難い。
これにスペイン語圏の明るい太陽が絡み合い、良く言えば、陽気な性格、「ケーセラーセラー(な んとかなるさ)」の楽天的な性格、悪く言えば、アスタ・マニャーナ(明日までね!)と永遠に来 ない明日の約束をして、決して約束を守らなくてもよいような性格が生まれる(?)。とにかく、
スペイン人たちは陽気でいい加減である。しかし、なかにはくそまじめで、天才的な偉人が出現す るから、舐めるわけにはいかない。
上記したように、こうしたスペイン語の発音は日本語に類似し、日本人には易しく、非常に入り 易い外国語である。しかし、ラテン系言語がそうであるように、文法がしっかりしており、英語の ような曖昧さが少ない。学ぶべき文法は英語よりも多いに違いないが、一旦それらを修得すれば、
発音にしても、アクセントの位置にしても、あるいは文章の解釈にしても、法則が明確であるだけ に容易に理解できる。いかなることにも楽あれば苦あり、苦あれば楽ありがあるように、文法で苦 労する分、文章解釈では随分と楽をすることになろう。いずれにしても、スペイン語は文法という 山さえ越えれば、後は平坦な道が続くだけと考えて差し支えない。
陽気でいい加減なラテン気質はスペイン語学習に適しているだろうし、多分、この言語に感化さ れ、スペイン語を学ぶ者の性格を明るくさせるに違いない。そうした性格でないとスペイン語圏で は生活できないのかも知れない。また、スペイン人は混成文化を基礎とする国民性から、人種的偏 見が少なく、開放的な性格で親しみやすく、外国人が一人で歩いていようものなら、話しかけなけ ればおさまらないような性格を持つ。困っている人、事故にあった人、悲しんでいる人、そんな人 を見ると、スペイン人たちはじっとしておれない。考える前に行動し、助けようとするのだ。
こうした陽気で開放的で行動的な性格だから、彼らの中で生活すること、すなわち留学すること がスペイン語修得の最善の方法になろう。1 年も生活すれば、夢がスペイン語になるはずだ。登場
人物が小学校の同級生であっても、日本語でなくスペイン語を話す。こうなればしめたものである。
しかし、留学前に文法を理解しておけば、学習スピードの点でも、理解力の点でもかなり違ったも のとなる。この留学以外に大事なことは、目的意識を持つことだ。言語それ自身は道具であり、手 段であって目的ではない。道具や手段の学習は飽きが来るし、持続しない。スペイン語を使って何 をしたいのか。スペイン・サッカーに興味がある、ラテン音楽、あるいはフラメンコ・ギターなど 何でもいいからスペイン語圏に関係する何かに興味を持ち、それを学びたいという目的意識を持つ こと、これが語学を修得する最善の方法であろうし、学習の継続性も保証される。語学は継続しな ければ意味をなさないからである。