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雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学

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奈良教育大学学術リポジトリNEAR

子どものエネルギーはどこからくるのか −オペレ ッタをケアリングから考える−

著者 北村 直也, 松川 利広

雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学

巻 62

号 1

ページ 159‑166

発行年 2013‑11‑30

その他のタイトル Where does the childish energy in operetta come from? : A caring approach for the operetta

URL http://hdl.handle.net/10105/9814

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キーワード: オペレッタ、エネルギー、ケアリング、自 己志向的、他者志向的、ケア関係

Key Words: operetta, energy, caring, self-oriented, other-oriented, caring relationships

子どものエネルギーはどこからくるのか

―オペレッタをケアリングから考える―

北 村 直 也 寝屋川市立桜小学校

松 川 利 広 奈良教育大学教職開発講座(国語科教育)

(平成25年 5 月 7 日受理)

Where does the childish energy in operetta come from? : A caring approach for the operetta

KITAMURA Naoya

(Sakura municipal primary school, Neyagawa, Osaka)

MATSUKAWA Toshihiro

(School of Professional Development in Education, Nara University of Education) (Received May 7, 2013)

Abstract

Schools have been working on operetta performances as an interdisciplinary and comprehensive educational activity to develop the general personalities of children, who take part in the activity enthusiastically to express themselves through performances. We have studied where this energy comes from, and interactions among children as well as between teachers and children from the perspective of caring, taking account of characteristics of expression in operetta performances. The study has shed light on a change in the “caring relationships” among children as well as between children and teachers built up through the expression of operetta that involved self-orientation and other-orientation in the activity, “self-expression”, and the roles and functions of these aspects.

1 .はじめに

1. 1. オペレッタについて

寝屋川市立桜小学校( 1 )(以下桜小)は、児童数520名(平 成25年 4 月)の中規模校である。表現活動を研究の柱と し、公開授業研究会を平成17年の創立以来、毎年11月末 に行ってきている。「 1・3・5 学年が合唱・合奏の発表」

「 2 ・ 4 ・ 6 学年がオペレッタ発表」を行っている。今 回研究対象としたのは、 6 学年のオペレッタである。

オペレッタは、「娯楽的要素が強く、軽快な内容の歌 劇。独唱や合唱に対話の台詞を交える。19世紀後半に成 立。後にミュージカルに発展。喜歌劇。軽歌劇。小歌劇」( 2 ) とされる。イタリア語では「小さいオペラ」を意味して いる。パリで19世紀半ばに起こったもので、その後中心

地はウィーンに移った。ドイツ語オペレッタが主流とし て定着してからはベルリンでも盛んになった。日本の多 くの学校教育でも表現活動の一つとして、オペレッタは 盛んに行われている。それらオペレッタには様々なもの があり、一般的には「歌い、踊り、語り、演じるもの」

である「ミュージカル的なもの、演劇的なもの、音楽劇 的なもの」( 3 )がオペレッタとされ、教科・領域を越え横 断・総合した取組みがなされている。斎藤喜博は教育を 芸術として捉え( 4 )、島小の野外劇指導を人間教育の視 点から重要なものとして位置付けた( 5 )。桜小の取り組 みもその系譜にある。

1. 2. オペレッタと「からだ」とエネルギー

オペレッタは子どもやその集団が、作品や技能・技術、

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北 村 直 也・松 川 利 広 160

教師等と一体となって創り出す構造体であり、台詞・音 楽・踊り等は各々パーツとしてあるのではなく、総体と して成長、表現する動的な構造をもっている。

子どもたちは、「発表という明確な目標」をもち、練 習を通じて「からだ」で演じながら少しずつ作品を自ら のものに熟成させていく。この演じることは志向的な行 為である。この「からだ」とは竹内敏晴が「私のここ ろとからだは、分けることのできぬ一つのもの」( 6 )とい うところの心身不二の身体であり、心と体を二元的に見 るのではなく、一つのものとして捉えたものである。演 じる個々の子どもたちは集団を形成し、集団としても演 じていく。子どもは家でも練習し、自分の役の質を少し でも良いものにしようと互いの練習や演技を見合いなが ら、真剣に取り組む。そこにはオペレッタならではの人 間教育があり、ダイナミズムあふれる演技がそこに生ま れて来る。

子どもたちにオペレッタを真剣に取り組ませていくエ ネルギーは何であるのか。エネルギーとは「①活動の源 として体内に保持する力。活気。精力」( 7 )であり、この 力があるからこそ、ものごとは成し遂げられていく。オ ペレッタでは、練習を積み上げるなか、そのエネルギー はどんどん大きくなっていき、公開研究会のときに最高 潮に達する。このときの子どもたちの姿を、これまでの 桜小の公開研究会のなかで 8 年間、毎年見てきた。この エネルギーを生み出すものはなんであるのかを知るため に、オペレッタ表現を構成する要素である、作品、子ど も、教師、知識・技能技術に対してケアリングの視点か ら考察していく。

2 .ケアリング

2. 1. ケアリングとは

現在、日本語として使われている「ケア」は、「①介護。

世話。②手入れ」( 8 )とされている。本来、英語のcareに その語源があり、大きく 2 つの解釈がされる。一つは

「take care of」や「take care」など、日常的な使われ方 であり、「気をつける」「気を遣う」「関心を向ける」な どの一般的な使い方である。「介護」「世話」という場合 は、「terminal care(末期医療)」や「nursing care plan

(看護ケアプラン)」などのより限定された文脈で使われ ている。看護ではケアリングはケアと同じ意味であり「① 対象者との相互的な関係性、係わり合い、②対象者の尊 厳を守り大切にしようとする看護職の理想・理念・倫理 的態度、③気づかいや配慮、が看護職の援助行動に示さ れ、対象者に伝わり、それが対象者にとって何らかの意 味(安らかさ、癒し、内省の促し、成長発達、危険の回避、

健康状態の改善等)をもつという意味合いを含む。また、

ケアされる人とケアする人の双方の人間的成長をもたら

すことが強調されている用語」( 9 )とされている。(ケア とケアリングは同じ意味として以下文脈のなかで両方を 使用)

このように「ケア」概念は多義に渡るものである。そ れは反面、それだけ人間や人間同士の関わり方は複雑で あるということであろう。安井は、この「ケア」の概念 を医療、看護、介護といった領域を超えて教育の文脈に 取り込み、重要なテーマとしたメイヤロフ、ギリガン、

ノディングスの考えを詳細に検討している。そして、そ こに共通する、「ケア」 に対しての定義や要素について 次のように述べている。「ケア」の定義については「『ケア』

とは、比較的長い過程を経て発展していく他者との関わ り方の概念であり、具体的な人間としての自他を適切に 気づかう配慮に基づき、他者の成長と自己実現を援助す る態度や行為だけでなく、自他と他者との受容的・応答 的な関係における人間の現実の在り方」としている。ま た、ケアリングの要素は「ケアするひと、ケア関係、ケ アされるひと」とする(10)

ここでの「ケア」について①「他者との関わり方の概 念」であることは確かであるが、情緒的な意味合いから の②「自他を適切に気づかう配慮」③「自他と他者との 受容的・応答的な関係」があり、そこに④「他者の成長 と自己実現を援助」することが成立していく⑤「人間の 現実の在り方」(「態度や行為」は「人間の現実の在り方」

に含める)とし構造化したほうが、適切であると考える。

それは、「自他と他者との受容的・応答的な関係」があっ てこそ「他者の成長と自己実現を援助」することが可能 であると考えるからである。ゆえに「『ケア』とは、他 者との関わり方の概念であり、具体的な人間としての自 他を適切に気づかう配慮に基づき、自他と他者との受容 的・応答的な関係のなか、他者の成長と自己実現を援助 する人間の現実の在り方」とする。

さらに、要素として「ケアするひと」と「ケアされる ひと」の間に「ケア関係」があることは、この関係のな かにあって初めて両者に学びの成立がなされることであ り、この「ケア関係」の在り方が重要な意味を持つと考 え、今回の考察の柱とする。

2. 2. 他者志向的な意識

教育現場にいる一人として、教師としてこの「関わり 方」に関して、メイヤロフのいう以下のケアリングが行 われる過程が重要であると考えている。「私は他者を自 分自身の延長と感じ考える。また、独立したものとして、

成長する欲求を持っているものとして感じ考える。さら に私は、他者の発展が自分の幸福感と結びついていると 感じつつ考える。そして、私自身が他者の成長のために 必要とされていることを感じとる。私は他者の成長が持 つ方向に導かれて、肯定的に、そして他者の必要に応じ

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て専心的に応答する」(11)

メイヤロフは、ケアリングにおいて、ケアする人は他 者を尊厳のあるかけがえのないひとりとして感じる。そ のうえで、「他者が自分を必要とし、それに応えることで、

その他者が成長すること」が、自分の喜びであるという。

この点で重要なことは、「他者の立場にたつ」ことや、

「自分が彼(他者)であったら」といった考え方ではな いという点である。メイヤロフのいうケアリングとは、

自己志向的(12)な意識ではなく、基本は他者志向的に開 始される。自己志向的な意識とは自分自身に向かう意識 であり、他者志向的な意識とは友だちなどに向かう意識 である。ケアリングにおいて、他者は自分の喜びを得る 手段ではないのである。このことについてメイヤロフは 以下のようにもいう。「私は、自分自身を実現するため に相手の成長をたすけようと試みるのではなく、相手の 成長をたすけること、そのことによってこそ私は自分自 身を実現するのである」(13)

ここでは「他者志向的」行為が結果として「自分自身 を実現」することになるという。これは教師が教育実践 で一番大切にすべきことであり、「人間の現実の在り方」

として標榜すべきものであると考える。このケアリング は子ども同士、教師と子どもとの関係に見られるもので ある。

次に桜小でのオペレッタ表現の具体的取組みから考察 していく。

3 .桜小の取り組み

3. 1. 桜小のオペレッタ

以下、取り上げているのは、平成24年11月17日(土)

におこなわれた桜小学校第 8 回公開授業研究会での 6 年 生発表のオペレッタである。

・ 6 年生 98名

・オペレッタの指導の時間数 32時間(約 1 か月かけて 練習を行う。)

 (週 8 単位時間 国語 3 ・体育 2 ・音楽 1 ・総合 2 )

・演技作品「豊ごころの国のヒメミコ 作:井原三吾」

・演技時間は50分 ・場所 体育館

・参観者300人(全国から)

・指導要素 台詞・ナレーター・踊り・歌  (合唱・グループ唱・独唱)

・指導方法 作品との出会い、役決め、個人練習、グルー プ練習、通し練習など(14)

・作品の主題:人の心のなかにある正邪の心とそれが生 み出すもの

・作品のあらすじ

この作品は邪馬台国をモデルにしたものである。古代 の日本の国々で争いが起こる。多くの民が国を追われ、

家族・友人を失う。その戦いを止めさせるべく、ある国 の長の娘であるヒミが立ちあがる。赤邪鬼・黒邪鬼の軍 隊との戦いはヒミたちが勝利を収めるかにみえたが、金 邪鬼が現れ苦戦を強いられる。そこに白銀龍が現れ自ら を犠牲にして金邪鬼を倒す。その後、金邪鬼たちが現れ、

人間たちの心が、自分たち鬼を生み出したこと、白銀龍 は自分たちの弟であること、さらには人間たちが、いか に多くの動物たちの棲みかを奪い、死に追いやったかを 語りながら、人間たちの心のなかでの眠りにつく。

3. 2. 子どもの成長と「ケア関係」

3. 2. 1. Aの成長(振り返り文から)

子どもたちには随時であるが、その日のオペレッタの 練習について振り返り文を 6 年担任が書かせている。そ のいくつかを取りあげながら考察をおこなう。初めにA を取り上げる。

Aは友だち関係で悩むことが多かった女の子である。

本来優しい子なのだが自分が思うことを押し通そうとし たり、「相手が間違っている」と思ったら自分の考えを 押し付けたりするところがあり、友だちに敬遠されるこ とがよくあった。思春期前期にある 6 年生女子の友だち 関係づくりは、自他ともに、身体的にも精神的にも不安 定なところがあり難しい面がある。本人も悩んでいたが よい方向に展開することはなかった。学力は学級で中位 の低位。以下振り返り文である。

①10月19日 オペレッタの練習の当初のもの

「今日の練習では、歌と 1 の場面をやりました。 2 つ できたことはラッキーでした。それは、男おどりに私が 入れたのでその出番がはやく来るからです。キミ(妖精)

の役も大切なので楽しく覚えて、サイコーのオペレッタ にしたいと思います。」

②11月 4 日 オペレッタ練習の中頃

「今日の練習で、BくんやCさんやDさん、Eさんの セリフの言い方が、初めよりも全然ちがって、『にくそう』

や『せいぎ』をしている人のように見えたので、すごい と思いました。… 人のセリフを聞いていて、自分ももっ と上手くしたいと思ったので、一人練習をしっかりして いきたい。歌も顔の表情をつくって歌っていきたいと思 いました」

③11月12日 研究発表会の 5 日前

「今回の練習の最後に、最初から全部最後まで通しま した。… 自分のところはきちんとがんばれました。人 のを見てても『うまい!』とか『すごい!』とか、色々 思ったけれど、みんなも練習してきてるんだなと思いま した。私のミキ(役)はFさんたち(練習グループ)は、

いいと言ってくれるけど、みんなはどう思っているのか な。発表のときはどうか地味に不安です」

④11月17日 研究発表の当日

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北 村 直 也・松 川 利 広 162

「なんか、あっという間に終わってしまいました。初 め足がふるえて、すごくきんちょうしてたけれど、少し したら全然きんちょうがなくなってがんばれました。ミ キは声がでて気持ちも考えなくても自然こめられまし た。Fさんが『今日、いっちゃんよかったよ』って言っ てくれて涙が出そうになりました。Fさんももうサイ コー!男おどりも腰をおもいっきり低くして全力ででき ました。みんなも全力をだしてがんばっていたと思いま した。遠くから来てくれている先生もおられるとG先生 から聞いていたけれど、一生けん命見てくださっている のが分かりました。なんかめちゃうれしかったです。…

もっとやりたかったな。終わってしまってなんかさみし いです。みんなもそう思ってるのとちがうかな」

Aは、このオペレッタの練習・研究発表を通じて大き く変わった。友だちとのトラブルがほとんどなくなった。

友だちの話も良く聞いている。会話のやり取りがスムー ズにできていく。これまで人の話より自分の話の方を強 く出していたのだか、コミュニケーションのコツを掴ん だようである。これは子ども同士の「ケア関係」での成 長と考えられる。

Aは①では、「男おどりに私が入れたのでその出番が 早く来るからです」など、自分自身の役からしかオペレッ タを見ていなかった。②になると、「BくんやCさん … セリフの言い方が、初めより全然ちがって… 」と、友 だちも練習していることを、演技の変化から知り、「自 分ももっと上手く … 一人練習を」と、それを自分に引 き当てながら、努力しようと思っている。実際、この後、

家でも自己練習を繰り返していったのである。そこでは、

他者(友)を適切に気づかう視線がある。それは自他を 比較し、思いを馳せながら他者の善きところを共感しな がら受け入れている。この受容は情緒的なものとともに、

友だちの人としての善き在り方をそこに見出している。

さらに、③になると、「人のを見てても『うまい!』

とか『すごい!』とか … みんなも練習してきているん だな … 」と他者の成長を、目の当たりにしながら、「み んなも」と、集団の一員として、目標に向かっている一 体感を実感している。しかし、「Fさん(練習グループ)

たちは、いいと言ってくれるけど … みんなはどう思っ て … 」と、自己の演技に不安を持っている。このとき Fとともにグループで練習を見合ってきているのだが、

自分の演技の出来が他者にとってどう映っているのか、

自分が他者にとってどのような存在になっているのか、

「発表のときはどうか地味に不安です」と他者に役立っ ているのか、自問している。この他者への情緒的な感覚 は、それを受け取る友だちにとっては、Aの温かな想い を受け取ることでもある。そのときAと友だちの間に生 まれるものは温かな心の通い合いであるとともに、認め

合いを超えた尊敬の念を含む感情であろう。

メイヤロフのいうように、ケアする人は他者を尊厳の あるかけがえのない一人として感じ、「他者が自分を必 要とし、それに応えることで、その他者が成長すること」

も言葉を越えて感じ取っていると思われる。それが自分 の喜びとなり、取り組むエネルギーとなっているのであ る。

これは自己志向的な「他者の立場にたつ」という考え 方を包含する、他者志向的な「ケア関係」が生まれてい ると考えられる。つまり、自己志向的な意識と他者志向 的な意識がないまぜになりつつ、Aは「他者の成長と自 己実現を援助」しながら、自己自身も成長(自分自身の 実現)を遂げていると考えられる。それはAの友だちを 励ます感情が、友を援助することになるからである。

さらにこれは、自己志向的な意識と他者志向的な意識 には相互補完性があるとも考えられる。Aにおいては自 己志向的な意識が最初にあり、取組みの中、他者志向的 な意識が強く出てくる。そして、それは自分の演技をど う高めるかに腐心する自己志向的な意識が、他者の努力 などを知るなかで、他者志向的な意識そのものを作り出 していく。つまり、自己志向的な意識がなければ他者志 向的な意識は生まれて来ないのであり、他者志向的な意 識が生まれたことは、また「どう演技すればいいか」の 自己志向的な意識を益々強めて、それがまた他者志向的 な意識を強めていくことになるのである。これはAのな かで自己志向的な意識と他者志向的な意識がスパイラル のように大きく育っていくことを意味する。

この育ちが大きくなるほどエネルギーが生み出されて いくと考えられる。これらの意識は演技練習の内容が高 まるにつれて、さらに強まる。演技練習の内容を高める のは自己志向的な意識であり、他者志向的な意識である。

つまり両方の意識の質の高まりが、演技練習を高め、そ れらがエネルギーを生み出すのである。そのなかで繰り 返される練習が、友だちとの「ケア関係」の質の善き変 容を進める。

さらに、このことはFなど他の子どもにもいえること である。Fは「… Aさんの声は、前よりも大きくなって、

遠くまでとどくようになったと思います。… Aさんの セリフの時、私も心の中で、言ってます。… 」(11月12 日)と振り返り文のなかでいっている。練習している様 子を見ていて、FがAのセリフを「心の中で、言ってま す。」と思ってくれていることは、Aには分かっている と思う。そのことが、Aにとってどれ程嬉しいことであ ろうか。AとFの間の関係は自己志向的な意識と他者志 向的な意識をともにもちあう関係であり、そこに子ども のエネルギーが生まれていくことがよく理解できる。

それが、B、C、D、… が互いに同様にもつことにより、

オペレッタにおける学級集団・学年集団が、集団として

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の「ケア関係」を生み出すことになってくるのであろう。

次にこの子ども同士の集団としての「ケア関係」につい て考えていく。

3. 2. 2. 子どもたち同士の「ケア関係」

3. 2. 2. 1. 高め合っていく子ども

①Gの振り返り文である。

「今日は、金邪鬼と白銀龍が戦う場面まできました。

でも『男おどり』は、まだ完成していないので、踊れま せんでした。H君は、金邪鬼が出てくる場面ですごく喜 んでいました。H君は、それだけ待ったので、とても上 手でした。オペレッタは組体(運動会の組み立てのこと)

のようにみんなでいいオペレッタにしたいです」(11月 4 日)

Gは、Hが自分の演技(金邪鬼の役)の出番を、練習 を積みながらじっと待っていたことを知っていた。Hの 心の動きをしっかり掴んでいる眼差しを感じる。Hがこ の時点まで満を持していたこと、役を精一杯演じている ことを「上手でした」のなかに込めている。GとHは普 段から親しい間柄ではない。Hは宿題を忘れては教師に 指導されることがよくある子である。しかし、Gは、H が自分の役に真剣に取り組んでいることに、人の善き在 り方を見出している。それはGだけではなく、他の子の 振り返り文を見ても同様なことがいえる。

②Iの振り返り文である。

「今日、氷剣山をつくる場面の練習をしました。手を 伸ばしたままだから、すごく痛いけど、がんばろうと思 いました。あと、H君は金邪鬼のセリフで、笑うところ で金邪鬼のセリフらしくて演技がうまくてすごいなと思 いました。あと、人々のセリフで、「よこせ」とかが、

みんな最初よりうまくなっていたから、練習の成果がで てるなと思いました」

IもHの演技をしっかり見ているのである。さらに、

Iの演技を見ているJがいる。

③Jの振り返り文である。

「今日のオペレッタ練習で、ほとんどの人が氷剣山を 作っていて、横から見ているとすごくしんどそうでした。

私は『みんな真剣やな!!』と思いました。オペレッタ の練習をやっていくにつれて、みんながだんだん変わっ てきたと思います。最初はセリフが棒読みだったり、感 情移入をしていなかったりしてたけど、だんだん感情も 入ってきて、腰を落として体全部で表現していて、とて も上手になってきているので、これから、もっとみんな で頑張っていきたいです」

氷剣山の集団表現を、Jはしっかり受け止めている。

Jはヒミ(卑弥呼)の心象表現の踊りを担当している。

勉強もよくでき、友だちの信頼も厚い子である。友だち を包むように見ている眼差しを感じる。みんなの頑張り の中の変化を喜び、努力することを徳目的な言葉ではな く「からだ」で感じ取っている。それは互いが認め合い・

高めあいながら、真面目にやり通すことを体験すること によって生まれていくものである。

GはHを見ていた。IもHを見ていた。JはIを見て いた。子どもたちは互いを見ていた。感じ取り合ってい た。これは、集団のなかの構成員同士が自己志向的・他 者志向的な意識をもつ、「ケア関係」のなかで成長して いくと考えられる。研究発表でのA、Jらの演技に、さ らには演技を終えて体育館から退出していく子どもたち の清々しい姿に、私は涙が止まらなかった。

3. 2. 2. 2. 教師の変容

指導した教師の言葉である。

(聞き取りH24.11.12、 6 年担任、 9 年目の教師)

「何が何だか分からないことばかりで、毎日夢中で指 導しています。(オペレッタの)場面転換で、悩んでし まって … 子どもはすごいです。自分たちで練っていた つもりでも動きが単調で困っていましたが、子どものア イデアの方が良くて貰ってます。子どもは毎日、考えて くれてるんです。こころのなかがオペレッタで一杯なん でしょうね。… 発表は子どもにとってもプレッシャー ですが、けっこう楽しんでいる所もあります。… 後少し、

やり切っていきます」

この教師は真摯に子どもに向き合っている。子どもと の信頼関係も厚い。子どもと一体になって、オペレッタ を創っていく姿が分かる。毎日、夜遅くまで何回も練り 直した、オペレッタの各場面や場面転換を、子どもも一 緒に考えているのである。しかし、上手くいかない。そ の教師の努力を子どもは肌で感じている。そこに人間を 信頼する基が子どもたちに生まれていくのは、当然のこ とであろう。

これは生田久美子の「当該の世界にある『教える者』

自身が独自の生活経験を背景にして、媒介物である『教 える(学ぶ)内容』と独自のケアリング関係を作り出す と同時に、「学ぶ者」もまた同様に独自のケアリング関 係を作り出すという、相互の独特な、情動的な要素を多 分に含み込む認識の変容を基盤としたケアリング関係の 構築を想定する」(15)ということと、同様なことであるよ うに思われる。しかし、このときの教師は、「教える者」

であるのか「教えられる者」であるのか。このときの「ケ ア関係」はともに創るものであり、ともに学ぶものであ る。つまり、教師は「教える者」であり、子どもから「教 えられる者」でもある。子どもも「教える者」であり、

教師から「教えられる者」である。両者が一体となった

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北 村 直 也・松 川 利 広 164

世界が生まれ、その世界は刻々と創られ続け、成長して いく世界でもある。

指導が行われる場での、子どもの真剣さは、心打たれ るものがある。オペレッタの学びの過程で、子どもたち や教師は深い情緒的な絆で結ばれていく。この絆は、練 習の過程での「ケア関係」のなか益々強くなっていく。

つまり、善き変容していくのである。これが子どもたち の「やる気」を生み出すのは自明の理である。この絆こ そが練習が苦しくとも乗り越えていくエネルギーの源と の一つと考えられるのである。座学ではない「からだ」

を通して行う学びであるからであろう。

3.2.2.3. 子どもたちの生活への広がり 

ここでの学習主体である子どもの変化は、友だちとの 絆や自己表現の向上だけではない。さらに生活に返して いこうとの、子どもの意識もある。

④Kの振り返り文である。

「氷剣山の所と男踊りのところときり(霧)の所をし ました。りゅうが出るとき、手を上にあげたり下げたり 背伸びをしたり、やわらかそうな感じを出さないといけ ないので、けっこう体力がいるから、かけ足集会とかで、

しっかり走って、体力を作るとオペレッタに集中できる ので、日頃から体力を作ろうと私は思いました」

オペレッタの練習期間中は、朝の駆け足集会を、毎年 行っている。「やわらかそうな感じ… けっこう体力が」

からも分かるようにオペレッタでの表現に必要な、体作 りを意識し、オペレッタに役立てようとしている。朝の 10分程度の駆け足も、真剣そのものである。体づくりが 表現のなかで重要なファクターであることを、子どもた ちは自覚し、それを行為として具体化していく。これは、

「ケア関係」が自分自身の学校生活での他の部分と連関 を持ち始めているといえる。

この自己の生活への見直しを、自己志向的な意識から と見ることができる。しかし、このとき、自分自身の努 力や成長が、友だちとともにつくるオペレッタに役立つ ものであることを考えているならば、他者志向的な意識 も当然のことながら包含されているであろう。それが自 己実現に繋がっていくのである。

4 .オペレッタの技能・技術の役割

これまで、子ども同士や子どもと教師の関係からのオ ペレッタにおける「ケア関係」やエネルギーを生み出す 源について考えてきた。次にオペレッタ練習や技能・技 術のうちの 1 つであるイメージ・クオリアを取り上げて オペレッタにおける「ケア関係」やエネルギーについて 考察する。

4. 1. オペレッタ練習

オペレッタはその学習環境設定から、子どもたち同士、

教師と子どもが、必然的に濃密な関係が生まれる可能性 を、その学習過程のなかに包含している。桜小では、オ ペレッタの練習の特質として、練習が始まってからの約 1 カ月はどっぷり練習に浸る。練習時間は32時間となっ ていても、子どもたちは休み時間や放課後、家庭で自主 的に練習する。それは、学校として子どもたちの先輩た ちが毎年行って来たことであり、桜小の伝統でもある。

このとき、Aのように友だちと関わることが苦手で、

普段遊ぶ相手が出来にくい子が、友だちと「演じること の練習の時空間」を共有しながら、人との距離の取り方、

会話の仕方を学ぶことが多い。友だちとの関係で悩む子 にとって貴重な体験である。オペレッタという意図的に 設定された場が、対象に対する目標共有や努力、協力が、

「ケア関係」を生み、ものの考え方(観念)を変化させ ていく。

さらに、オペレッタ表現で子どもは身体を動かしなが ら学ぶ。オペレッタが楽しく、面白いのである。身体を 自分でコントロールしながら、様々に工夫していく。自 分自身が自分自身の成長を実感している。成瀬悟策の「こ ころとからだは本来まったく同じものでありながら、か らだの面からみれば動作であり、こころの側からすれば 体験として捉えられる。しかも両者は各々独自のシステ ムを持ちながら、しかも相互に密接に関連しながら、詳 細・微妙に調整して刻々に変化する生活状況へ一体的な 存在として適応的に対応している」(16)という指摘は、オ ペレッタにも同様なことがいえる。オペレッタは知識の 授受や操作を中心とした学習ではなく、作品として言語 化されたものを身体化し、台詞を身体化した音声として 表現する。これは「からだ」は心身が不可分であると考 えるからである。このとき、表現の中心となり「ケア関 係」を作り出していく媒介となるのが、オペレッタの様々 な指導技術である(17)

その一つのイメージ・クオリアを取り上げて、その働 きについて考察する。

4. 2. イメージ・クオリア

子どもの作品との出会いは当初、「知識」との出会い である。練習の過程でイメージ・クオリアを教師が技能・

技術として子どもに指導し、それが演技を演技たらしめ ていく。

イメージは「映像」「形象」「心象」であり、「心象」は「意 識に浮かんだ姿や像。心像」である(18)。それはこれま での経験から想像するなど、創造的に人の心によみがえ るものである。イメージは自分自身の身体の外に創る、

つまり意識的に外在させ、そのイメージ空間のなかに、

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自分自身や友だちが存在すると志向的に想像する。さら に、それらに生き生きしたリアリティを持たせるクオリ ア「質感」が必要である。クオリアには感覚的クオリア と志向的クオリアがある(19)。オペレッタでは主に想起 する志向的クオリアが使われる。

イメージ・クオリアはオペレッタの命である。空間を 作品の世界にする。森、川、山、田園、花畑、海、嵐、

晴天、戦場等々その空間をイメージ・クオリアによって 創り出す。台詞も踊りもその異化された空間の中で発せ られ行われる。イメージ・クオリアにより台詞や身体、

歌の表現の中に命を吹き込み、オペレッタの世界を創り 出していく。B、C、D、Eの演技をAが見て、「『にく そう』や『せいぎ』をしている人のように見えたので、

すごいと思いました」といっているが、そのように見え たことは、「相手を憎い」と思うのはこの作品世界のな かで、どのようなものかを自分たちなりで吟味している のである。台詞をイメージ・クオリアが変容させていく。

斎藤は「子どもたちは、さまざまな考え方や、解釈を する。そのなかには、正しいものもあるし、まちがった ものもある。おもしろいものもある。… どの子どももが、

つぎつぎと自分の認識をあらため、高い次元へと何回で も再創造させていくものである」(20)と述べている。子ど もの創造性は、友だちや事物から吸収していきながら、

自分を成長させることに喜びを感じる人間になり、追求 し努力することを知った人間から生まれるのである。

イメージ・クオリアなどの技能・技術は、子どもたち のオペレッタの世界を具体的に創っていくために必要な ものである。これがなければオペレッタは出来ないし、

この技能・技術があって初めて、オペレッタを創る努力・

協力もできる。この指導技術には「対応・腰・踊り・歌・

etc.」など、オペレッタならではものがいくつもあり、

どれもが大切なものである。これらが子どもたちの頑張 りを引き出し「ケア関係」をつくる潤滑油となり、それ が、エネルギーを生み出す源となるのである。

5 .おわりに

これまで、オペレッタを子ども同士、さらには教師と 子どもの「ケア関係」から考察してきた。そこで見えて きたことは、オペレッタ表現の練習過程や研究発表の目 的性が生み出す、子どもの取組みにおける自己志向的な 意識と他者志向的な意識を包含した「ケア関係」とその 役割と働きである。「ケア関係」は融通無碍のものであ り、常に動き成長していく。オペレッタは知識の獲得を 目指した教育ではない。表現を通じた「人間教育」を学 びの中核としている教育である。それゆえに、作品、「ケ アする者」、「ケアされる者」、様々な技能・技術などの カオスのなか、それぞれが様々に動き回っているように

見える。しかし、実は、その時々に秩序だった構造があ る。その秩序は一時も止まらず、次々と変容を遂げてい く。「ケアする者」「ケアされる者」も自己志向的か他者 志向的かだけで見ることは出来ず、ときにその立場が変 わったり、同時に両方が混在していたりと、変転しなが ら一体として動き変容していく。そして、そこに変容を 起さしめる大きなエネルギーが生まれ続けている。この なかに子どもたちや教師の成長があり自己実現がある。

今回の研究を通じて、オペレッタ表現における「ケア 関係」と、その果たす役割をある程度捉えることができ、

エネルギーが生起する要素や原因、過程が少し見えてき ていると考えている。しかし、その考察が不十分である ことは、私自身が一良く分かっている。だが、そこから

「参観者と子どもの関係」「イメージ・クオリア」など技 能・技術の「ケア関係」における役割のさらなる吟味な ど、今後、考究すべき課題が見えてきたことも確かであ る。今後、このオペレッタにおける「ケア関係」につい て、研究をさらに進めていきたい。

( 1 ) 大阪府寝屋川市立桜小学校は平成17年 4 月に寝屋川市立 池の里小学校と池田第二小学校の統合により新設され た。

( 2 ) 『広辞苑 第六版』、岩波書店、2008、p.421

( 3 ) 『日本百科大事典』、小学館、1969、p.170

( 4 ) 斎藤喜博「「ゆずの花」とその背景」『斎藤喜全集 2 』、

国土社、1969、pp.245-246

( 5 ) 斎藤喜博「教育の演出」『斎藤喜博全集 5 』、国土社、

1970、pp.99-116

( 6 ) 竹内敏晴『からだが語ることば』評論社の教育選書16、

1982、p.119

( 7 ) 『広辞苑 第六版』岩波書店、2008、p.320

( 8 ) ( 7 )p.853

( 9 ) 『看護にかかわる主要な用語の解説』社団法人 日本看護 協会、2007、p.14

(10) 安井絢子「『ケア』とは何か ―メイヤロフ、ギリガン、

ノディングスにとっての『ケア』」『哲学論叢第37号別冊』

京都大学哲学論叢刊行会、2010、s.129

(11) ミルトン・メイヤロフ著『ケアの本質』ゆみる社、田村 真・向野宣之訳、1987、p.26

(12) 竹田 青嗣『現象学入門』NHKブックスpp.221-222、p.224

「志向性とは、現象学的にいえば、対象が何であるかと いう意識を持つことであり、間主観が、対象に意味を付 与する際に働いているものである。それは、つまり意識 は志向性という特質を持つことでもある。対象の認識は、

実在そのままではなく、志向性によって構成される、…

自己志向性や他者志向性という場合、間主観という意識 が自己や他者に意味を付与するために働いていることで ある。」

(13) ミルトン・メイヤロフ著『ケアの本質』ゆみる社、田村 真・向野宣之訳、1987、p.70

(14) 北村直也・松川利広「学校教育におけるオペレッタの指 導」『教育実践開発研究センター研究紀要』奈良教育大 学教育実践開発研究センター、2013、p.224、参照

(15) 生田久美子『「わざ」から知る』東京大学出版会、(初版

(9)

北 村 直 也・松 川 利 広 166

は1987であるが)2007の新装版に掲載、pp.191-192

(16) 成瀬悟策『からだとこころ 身体性の臨床心理』誠信書房、

2009、p.236

(17) (14)p.225、参照

(18) 『広辞苑 第六版』、岩波書店、2008、p.1450

(19) 茂木健一郎『脳内現象』NHKブックス2004、p.77

(20) 斎藤喜博『斎藤喜博全集 4 授業入門 未来誕生』国土社、

1996、p.282

参照

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