阪神大都市圏の郊外化にともなう中小都市の変容
―奈良県の場合―
著者 菊地 一郎
雑誌名 奈良教育大学紀要. 人文・社会科学
巻 17
号 1
ページ 115‑133
発行年 1969‑02‑28
その他のタイトル REGIONAL AND FUNCTIONAL CHANGE OF SMALL‑SIZED CITIES IN THE SUBURBS OF THE HANSHIN
METROPOLITAN AREA DERIVED FROM ITS EXPANSION
―A CASE STUDY OF NARA PREFECTURE―
URL http://hdl.handle.net/10105/3181
阪神大都市圏の郊外化にともなう中小都市の変容
‑奈良県の場合‑
菊 地 一 郎 (地理学教室)
はしがき
(1)
さきに筆者は「奈良県工業の地域構造」の研究において、相異なる地域的基盤の上に成立した 各工業地域が、好むと好まざるとにかかわらず、次第に阪神経済圏の影響下におかれてゆく過程 を明らかにした。本論文では、相異なる地域的基盤の上で歴史的に成立した、それぞれ都市機能 の異なる県下8つの中小都市が、阪神大都市圏の郊外化の作用をどの様に受けとめ、どの様な変 容をとげてゆくかを究明した。
1.大都市圏の郊外化と周辺の中小都市
従来、構造論的視点に立つ大都市圏の研究は、いろいろな指標をとって数多くなされてきた。
しかし、大都市圏内における中小都市については比較的関心の外におかれてきた。大都市圏内に おいて、中小都市はどの様に分布し、都心といかなる関係にあるのか。いまこの様な大都市圏内に ある中小都市に関する代表的な研究として次の3つをあげることができる(1)山鹿誠次「衛星都
(2)(3)
市浦和の形成とその生活圏」 、 (2)鈴木富志郎「大都市圏における小都市の機能‑千葉県茂原市
w (5)
の場合‑」 、 (3)小林博「大都市圏の周辺部分地域‑阪神問諸都市を例に‑」
(uOj鹿は、衛星都市の地理的性格を規定して、郊外住宅地のように全く大都市に付属する地域 でなく、また地方都市のような独立性を持たない両面を備えた半独立性をもつ都市であるとして いる。そして第1に市民の形成過程、第2に市民の日常生活圏、第3に都市機能の特色の3点を 衛星都市の特色を表現する指標であるとし、具体的事例として埼玉県浦和市をとりあげて研究を おこなった。 (2)鈴木は、東京から2時間の位置にある地方小都市の千葉県茂原市をとりあげ、大 都市圏内における都心と周辺部の中小都市との機能的的係を分析した。茂原市はかつてその中心 機能を商業に求めていたが、戦時中から工場が立地し、現在はむしろ工業都市としての性格を強
くもっている。茂原市は東京・千葉市などのより経済力の強い都市にひかれながら、それぞれの 都市圏に編入されていない。それは茂原市自身が相当強い独立性をもっていることと、アクセシ
ビリティ(Accessibility)の良さに支えられているからである。茂原市は小工業都市であるとと もに一種のベッドタウン的性格をもっており、工業機能をもつ衛星都市であると結論している。
(3)およそ大都市圏の形成は、中心都市‑の諸機能の集中と中心都市からのそれらの分散という、
求心的・遠心的運動の過程の中でおこなわれている。こうして中枢的機能の集中地区としての都 心の発展と都市機能の地域的分化が進行してゆくのであるが、大都市圏内の地域的分化が周辺に 拡大するとき、周辺地域は抽象的な空間ではなく、歴史的に形成された社会的空間であり、自ら 地域的秩序をもっている。すなわち大都市圏の地域的秩序が都市化現象を通じて侵入するからこ こに異なった地域秩序の混在・衝突が生じてくる。しかも部分地域が複合的性格を有するから複
雑な構造をとる。小林は、このように旧地域秩序のところえ、大都市圏の新しい地域秩序がおお いかぶさってくる問題をとらえ、これを阪神間諸都市‑具体的には大阪と神戸間に介在する尼 崎・西宮・池田・箕面・川西・宝塚・芦屋の諸都市をとりあげ、とくに消費に視点をおいて、周 辺部分地域を解析した。生産は大都市圏にあって分散的性格をもつ工場や中小企業を主体におこ なわれるが、工業生産の場は必ずしも中心に対して規則的な空間構造をとらない。これに対して 消費は商業自体が求心性をもち、それが1つの組織的な流通構造をもつから空間的にも比較的秩
序だったものとなる。消費に視点をおいた理由もこの点の配慮によるものであろう。
以上、浦和・茂原・阪神間諸都市の研究に関する3つの論文について、大約の論点を紹介した が、奈良県の中小都市の場合も、細部にわたっていろいろの違いはあるとしても、本質において は上記の諸都市の場合とそれほど異なるところはないであろう。すなわち阪神大都市圏の郊外化 作用をうける奈良県の中小都市の場合も、一方では阪神大都市圏の都心部への機能的集中を見せ ながら、他方では、まず住宅地、次いで工場が次第に遠心的・分散的に進出してきて、機能の地 域的分化がおこなわれる様になる。それぞれ地方中心都市として旧地域秩序の中に組み入れられ
ていたものが、大都圏の新地域秩序の中にどの様に位置づけられるかという問題である。
本論文では、まず市制のしかれている奈良・大和高田・大和郡山・天理・橿原・桜井・五条・
御所の8市をとりあげ、郊外化の影響を論じ、次に大和高田市の場合について、より細部にわた って実態を分析した。またここでは8中小都市の地域的・機能的変容を中心に分析を進めたので、
大都市圏内の地域的秩序についてはふれるところが少なかった。
2.奈良県8中小都市の機能
(6)
西村睦男は、 「都市と培養圏」において、明治23年の奈良県統計を分析して、町的要素をもつ 中心集落83を析出し、奈良‑C段階、大和郡山‑d段階、大和高田・今井・丹波市・田原本・桜 井・三輪・新庄・御所‑e段階、その他町とは呼ばれない程度の中心集落I f段階の4段階に分 類した。ここにC〜fの4段階は、わが国の産業革命前、明治初期の中心集落についての分類段 階である。 C〜e段階に属する都市は、すでにそれ以前に自然発生的にそれぞれの機能によって
(7)
成立した中心集落である。それらの中心集落を発生的にみれば、塊井甚一郎「奈艮県地誌」によ って、奈良‑政治都市・門前町、大和高田‑市場町・寺内町、大和郡山‑城下町、今井‑寺内町、
丹波市‑市場町、田原本一寺内町・城下町・市場町、桜井‑市場町、三輪‑市場町・宿場町・鳥 居前町、御所‑城下町、新庄‑城下町となる。その後これらの中心集落は機能的に変質したり、
あるいは新たに機能が付加されたり、さらには新興の中心集落と合して、より大きい中心集落を 形成したりしながら、現在に至り、田原本・新庄を除いて、奈良・大和高田・大和郡山・天理・
橿原・桜井・舶所の7市形成の核心となった。ただし五条市形成の核心となった五条(市場町・
宿場町)が西村の研究では析出されていない。
しかしながら、実際は上記の中心集落を核心として中・小都市が形成されたといっても、直に それを行政上の市にあてはめることには疑問がある。昭和28年(1953)の町村合併促進法の施行 以来、多数の都市が誕生し、昔の市の概念とはいちじるしく異なるものとなった。一般に市域は 著しく拡大され、都市的機能・形態をそなえた部分はその核心部のみで、周辺に農村やときには 山村を含む結果となった。たとえば昭和35年国勢調査結果から奈良市の場合をみると、人口集中 地区(ほぼ市街地)の人口は、 66,916人で全人口の49."i 、全市域面積の32.1&にすぎない。同 様に他の7市の人口集中地区の人口は、大和高田市の24,130人を最高に、最低は御所市の7,529
蓑1奈良県8市の産業構成 昭 和 35 年 第1 次l第 2 次l 第 3 次計
昭 和 40 年 ・YS 1 .'蝣こ LLも 2 ,11こ; ・、ft 3 ,㌔ (注)第1次・第2次・第3次の分類は便宜的なものである。 第1次農・林・漁,第2次鉱・工,第3次建・商・金融 ・運輸通信・サ‑ビス・公務、分類不能の産業をのぞく
〔出所〕総理府統計局昭和35年・ 40年国勢調査報告 表2 奈良県8市の工業型別粗付加価値観および比率(昭和38年)
人となっている。しかし実質的な都市を議論することは、統計数値の処理上実際的ではない。本 論文では、その点を考慮して、便宜的に行政上の市をとりあげた。また都市地理学では、一般に 巨大都市を人口100万以上、大都市を100‑10万、中都市を10‑5万、小都市を万夫溝としているC"
行政上の市の規模からいえば、昭和40年現在、奈良市は大都市、天理・槙原両市は中都市、大和 高田・大和郡山・桜井・五条・御所の5市は小都市となるが、実質的に、たとえば人口集中地区 の人口規模からみれば、奈良市を中都市、他の7市を小都市として把握するが適当であろう。
a.産業構成表1奈良県8市の産業構成をみると、昭和40年で、姦良市の第3次産業人口66.5
%、大和高田の第2次43.(、大和郡山の第2次27.1%、天理の第3次53.i、第1次30.i%;、橿 原の第3次49.0^、第2次30.(、桜井の第2次29.2%、五条の第3次51.]、第1次Ql(
ox.i、勧
所の35.1などはそれぞれ県比率を越えている。奈良市は第3次産業人口が非常に高い比率を占 めている。内容的にみると、卸売および小売業、サービス業、運輸通信およびその他公益事業、
建設業、公務、金融、保険、不動産業の順で、建設業を除き他の7市と実数で1桁の違いをもつ 卓越性を示している。県政の中心都市であるとともに全国的な観光都市としての性格を物語るも のである。なお第2次の比率が非常に低く出ているが、実数では第2位の大和高田をはるかに凌 いでいる。大和高田市では、第2次の異常な高さが、その特色を示している(ここで各市とも鉱 業人口は無視できるほどに小さいので、第2次産業入口は工業人口とみなしてよい)。第1次の 低さと表裏をなすもので、工業都市的性格がつよく表現されている。大和郡山市もどちらかとい えば、第2次に特色をもつ。天理市の場合は、第1次および第3次の両者の比率の高さが注目さ れる。これは五条市の場合と同じであってすでに述べた様に、行政上の市を議論する限り、その 市域内に広汎な農村を包含している事実を示すものであろう。橿原市は、第2次と第3次の両者 の比率が高くなっているが、工業的機能をもつ反面、商業的機能もかなりもつことがわかる。桜 井市は、大和高田市と同じく工業都市的性格によって特色づけられる0
b.工業的機能つぎに8市の工業的機能を、表2奈良県8市の工業型別粗付加価値額および 比率から分析してみよう。まず地方型工業に対して都市型工業比率の高いのは、奈良と天理両市 である。奈良市は都市型工業のうちでも雑貨型が卓越し、都市内在型工業の発達がうかがえる。
天理市はむしろ金属加工型とその他の工業の比率が高く、とくに他の7市と比べてその他(印刷
・出版)の比率が高く、特色をなしている。これらに対して、地方型工業の比率が高いのは、桜 井、五条、大和高田、大和郡山、橿原、御所の諸市である。地方型工業のうちでは、御所市の基 幹資源型(13.iを除いて、地方資源型に集中的である。粗付加価値額を業種別に比率でみる と、桜井は木材(54.0&)食料品(22.296)、五条は木材(56.i食料品(19.65・)と両市と
も木材工業を中心として食料品工業が特産品を土台に発達する。大和高田と大和郡山の両市は、
それぞれ繊維工業が全体の61.3#および51.2を占め、特化している。橿原市は繊維工業の比率 も高いが、食料品工業もかなりのウエイトを占め、桜井・五条市の木材・食料品の両工業と同じ く、繊維・食料品の両工業が中心となっているO御所市の場合は、全体的には地方型工業にウエ イトが高いが、業種別にみると、それほど特化している事実はない。繊維、その他(
U.996)、食料品(12.3&)が主要業種となっており、雑貨型のその他の工業の比率がやや高い のが注目される。
以上8市の工業機能を通観すると、次のことが明らかとなる。奈良市はその都市的性格‑県政 の中心・地方中心‑からみて、都市内在型の雑貨型工業が発達する。大和高田・大和郡山両市はー
繊維工業で特化しており、原料指向・労働力指向によるむしろ在来工業的性格のものといえよう。
棋井・五条・橿原市の場合は、単一業種による特化はみられず、地方型工業ではあるが、木材・食 料品、破綻・食料品の2業種がそれぞれ中心をなしている。御所市では、中心業種はさらに分極化 し、繊維・その他・食料品の3兼種となる。天理市は奈良県とともに、都市型工業比率が高くなっ ているが、業種別にはかなり平均化されていて、他の市の様に特化された業種が出ていない。印刷
・出版の比率が相当に高いのがやや特色となっており、宗教都市的性格からきているのであろう。
表3 奈良県8市の商店数・年間商品販売額および比率(昭和41年)
比率(%) A品宗o諜 年間販売額(万円)比率(%) 1店当り年間販売額 (万円) 奈 良 市
大和高田市 大和郡山市 大 <il Yff ド:i n;i 市 ti.隼 Tfr
!l". ft 市 御 所 市 8 市 計
3,015 31.0 1,23
8;i n
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oc
1,028
CM .‑I ‑^ t>‑ 00^‑ r‑t CM IT‑ Hi‑H O t>‑ tO l>‑
109.1 111.1 97.4 113.3 12.0 111.1
4,126,856 1,097,267 524.811 665,004 973 , 292 720,518 492.078 264,835
!,869,066
m ‑r c.
6 2 5 4 1
1;:718 929::
1.1777.2 5.5762.9 3.0:419.0
̀100.0:1,023.0
〔出所〕 (県調査課)昭和41年商業統計調査
C.商業的機能 さらに表3奈良県8市の商店数・年間商品販売額および比率から8市の商業 的機能を分析すると商店数では、奈良・大和高田・橿原・天理・桜井・大和郡山・五条・御所の 順で、やや奈良市と大和高田市以下の市との間に断層がみられる。人口1,000人当り商店数の多 いのは、天理・大和高田・橿原・奈良・桜井・五条・御所・大和郡山の順である。天理の高位と 奈良・大和郡山」の低位が注目をひくO年間販売額では、奈良・大和高田・橿原・桜井・天理・大
和郡山・五条・御所の順位で、奈良市と大和高田市以下の7市との問に大きなギャップが存在す る。最後に、 1店当り年間販売額をみると、奈艮・大和高田・橿原・桜井・五条・天理・大和郡 山・御所の順位である。五条市がかなり高位にあるのが注目される。以上8市の商業的機能を4 項目にわたって検討したが、順位でみると、大和高田・橿原の両市は、つねに第2 ・第3位を占 めて不動である。奈良市は、人口1,000人当り商店数で相対的に低位にあり、 8市平均をわずか に上廻るにすぎない。それでいて1店当り年間販売額は最上位にあり、 8市平均をはるかに凌ぐ。
このことは一面、商店の規模が大きいことにもよるが、他面では、奈良市の人口増加との相対的 関係において商業サービス機能の低下を意味するものであろう。次に天理市の場合には、商店 数、とくに人口1,000人当り商店数では最上位で、 8市平均をかなり上廻りながら、年間販売額、
とくに1店当り年間販売額が低位にあり、 8市平均をはるかに下廻っている。このことは、まず 商店規模が零細であることが考えられる。昭和39年の統計で従業員30人以上の商店数をみると、
奈良18、大和高田7、大和郡山3、橿原3、桜井・五条・天理各1である。しかしそれ以上に、
過当競争または各商店の内容によるものであろう。たとえば、各商店の販売品の単価が低く、比 較的高級品が少ないことなどがあげられよう。大和郡山市の場合は、商店数・年間販売額ともに 低位にあり、人口1,000人当り商店数では最下位、 1店当り年間販売額も第7位でともに8市平 均をかなり下廻っている。大和郡山市の商業活動は低調であり、現時点でみる限り、商業サ‑ビ スは白市およびそのごく周辺に限られていることが十分推測できる。桜井・五条・御所の3市の
場合は、桜井市の活発さがやや目立つが、それぞれ都市力に応じた商業活動がおこなわれている ことがわかる。
d.都市中心性 都市の基本的性格は、都市機能のいろいろな面において、都市周辺地域にサ ービスを供給することにある。これをサービスを受ける側の周辺地域からみれば、都市の中心性 として把挺することができる.したがって都市中心性は直接商品のサービス・エリアの広さ、あ るいは総合的に都市圏の広さから求めることができる。その他いろいろの方法が考えられるが、
ここでは県内・県外の流動人口から分析してみよう。
衰4 奈良県8市の流動人口率(通勤・通学,昭和40年)
流出・入人口率‑ 各市の流出・入人口 各市の総人口
〔出所〕昭和40年県調査課
・ 100 奈墓禁謡浩芸年)
表4奈良県8市の流動人口率から、まず県内についてみると、流入人口率の高いものは、県内 において都市中心性の高いものと認めることができよう。もっとも、工業人口と商業人口では意 味がかなり違ったものとなるOすなわち、商業を含むサービス業の場合には、周辺のサービス・
エリアと密接不可分の関係があるが、工業の場合は、周辺地域との関係は稀薄で、一般にそのマ ーケット・エリアは全国的である。しかし全体的にとらえて流入人口率の多さは都市中心性の高 さと一致するものとみてよかろう。大和高田15.2人、橿原9.2人、奈良8.7人、大和郡山8.3人、
桜井7.6人、御所7.1人の6市が県の流入人口率を上廻り、天理5.5人と五条3.3人の両市はそれ以 下である。都市中心性の低いことと、第1次産業人口率の小さいこととはかなりよく一致してい る。天理・五条両市の第1次産業人口率は、 Ql < と31.15で、 8市中第1位・第2位を占めるC, また全市域面積に対する人口集中地区(市衝地)の割合ともかなりよく符合する。すなわち大和 高田15.( 、橿原6.9^、大和郡山4.99、奈良蝣S.296、五条2.1 、天理l.< 、御所i.; 、桜井
¥.¥%と、その割合の低いほど農村部を多く包含していることであり、都市中心性は低められる。
奈良市の場合などかなり農村部を包含しており、市域内で都心部(市衝地)とその周辺部との流 動は激しいものと想像される。
次に県外の流動人口についてみると、県外からの流入人口率は、広域の都市中心性をあらわす ものといえる。奈良5.8人、天理2.1人の両市だけが、県の流入人口率を上廻る。天理市の場合、
8市の比較において、流入人口率が県内で低くて県外で高いことは、宗教都市の性格から由来す るものであろう。
一般に都市中心性が高ければ、県内流入人口率は高くなり、流出人口率は低くなる。ただし他 都市の影響をつよく受ける場合はこの限りではない。奈良・大和高田両市の県内流出人口率が小 さいことは、都市中心性の高いことを裏づけるものといえよう。五条市の場合、県内流入人口・
流出人口の両方が低いことは、都市中心性が低いだけでなく孤立的傾向をもつものといえよう。
県外への流動人口をみると、流出人口率の高いものから、奈良14.1人、大和郡山10.8人、橿原10 .7人、大和高田8.6人、桜井8.0人、天理7.8人、勧所7.1人、五条0.4人となっており、県の流出
表5 奈良県8市の地域別流動人口比率 他府県に通勤・通学するものの比率
]M. 市
県
蝣・j"^ 真 Tb'
大和高田市 大和郡山市 天 理 市 橿 原 市 te ヰ 市 五 条 市 加'rr 市
兵庫県lそ
他府県で常住する通勤・通学者の比率
大阪府桓都府巨重県[その44計
;:帯100.0 100.0
磐%.2
.0 .0 .8 .8 .6 .4 .7 68.7
6.0 22.5 59.3 0.5 2.6芸;
VA
100.0 16.357 100.0 9,307 100.0 762 100.0 788 100.0 1,121 100.0 915 100.0 408 100.0 558 100.0 195
(荏) 1)このうち和歌山県23.1% 2)和歌山県9.1% 3)兵庫 〔出所〕昭和40年県調査課
県6.3% 4)和歌山県 5.6% 5)和歌山県17.9%、 (奈良県編:昭和39年奈良県統計年鑑) 兵庫県6.2%
人口率を上廻るのは、橿原市より上位3市である。県外への流出人口の地域別内訳を、表5奈良 県8市の地域別流動人口比率からみると、大阪府の影響がいかに強いかが改めて知らされる。な お仔細に検討すると、奈良・天理・大和郡山の3市から京都府への流出人口も無視できないが、
京都府から3市への流入人口比率はかなり大きい。京都府に対する3市の地理的位置によるもの であろう。大阪府への流出人口比率の大きいものは、大和高田・御所・桜井・橿原の4市である。
五条市はさきに県内の流出・流入人口率が低く、孤立的地方都市を推測させたが、県外流出・流 入人口率の低いことが注目される。地域別流出人口をみても、 8市のうちで大阪府‑の比率が低 く、むしろ和歌山県との結びつきが強い。流入人口については、圧倒的に和歌山県との連繋が強 くなる。以上要するに、県内外の流動人口からみると、天理・五姦両市を除く6市の都市中心性 を認めることができる。天理・五条両市は、市域内に農村部を多く含むところから、孤立的であ る。 6市は地方中心的性格を有しながらも、大阪府(阪神大都市圏)の郊外化の影響下にあるも のと認められる。ただし、奈艮・大和郡山・天理の3市の場合は、京都府の影響も無視できない。
流入人口においてはとくに重要である。大和高田・桜井の両市は、圧倒的に阪神大都市圏に傾斜 しながら、奈良・大和郡山・橿原の3市、とくに奈良市と比較すると実数および流出人口率にお いて一歩遅れている感じである。
3.郊外化にともなう8市の変容
a,人口動態 図1.奈良県8市の人口動態をみると、大和郡山・天理・桜井・御所・五条の5 市は、戦前・戦後にかけて人口が急増するが、それ以後は停滞し、昭和30年から35年にかけて低
滅する御所・五条両市を除いて、 3市はやや上昇傾向をもつ。御所・五条両市は昭和30年以後ず っと下降線をたどる。また天理市の場合は、非常に変動が大きく、図上5年ごとの増減を繰返し ながら上昇してゆく。これは宗教的行事と関係するものであろう。ともかく、昭和35年以後5市 は県人口の増勢を下廻り、低調である.これに対して、奈良・大和高田・橿原の3市は、昭和30 年以後急激な伸長をとげている。なお細かく検討すると、大和高田市は、戦後30年までやや停滞 気味で、 30年以後35年、 40年と段階的に増加している。橿原市は、 30 ‑ 35年間はやや停滞するが、
25 ‑ 30年と35 ‑ 40年の両期間で急騰する。奈良市は戦後一時低減するが、 25年以後着実に増勢を 続け、 35年以後ではその増加率は大和高田・橿原の両市を完全に凌駕し、急進している。
ひるがえって、地方都市、とくに中小都市の人口増加は何によってもたらされるのであろうか。
まず考えられるのが、それら都市自体の都市化傾向である。一般に、ある規模以上の都市は、都 市化傾向をもっと考えられる。すなわち、交通機関の発達にともなって、都市圏(市場領域)を 拡大する一方、商業・ビジネスの様に都心部に集中しょうとする求心的機能と、工場・住宅・学 園・病院のように周辺に広がろうとする遠心的傾向をもっている。そして求心的機能は、広域的 な都市サ‑ビス業を集中・発展させ、都心部を高層化し、立体化させるとともに、そこに人口集 中をもたらす。こうして都市の人口増がおこる。しかしながら、ある規模以下の都市については
(8)
どうであろうか。前掲西村の論文によれば、一定地域内の小都市のすべては、歴史的に形成され た市場領域をもち、各領域問に一応の均衡関係が成立している。前述のどとく、県庁所在地のよ うな大・中都市は、次第に交通機関を発達させて、市場領域を拡大させるから、小都市はせいぜ い既存の市場領域を維持しうるにすぎない。ところが、全国的傾向として、昭和30年ごろから農 村人口が相当な速度で減少しつつある。このため、小都市の場合は、実質的に市場が減少するこ とになり、それに依存するサービス活動も減退せざるをえなくなる。これが小都市の人口減少を もたらす理由である。しかし西村も指摘するどとく、ある規模以下の都市でも Basicな工業活 戟(白市の範囲を越えて、地方的・全国的広域市場をもつ工業)を有する都市は、ほとんど例外な
く都市規模(人口)に関係なく人口を増加させているO
次に奈良県下の中・小都市の様に、阪神大都市圏の郊外化の影響を受ける様なところでは、郊
(9)
外化による人口増加を考慮しなければならない。山鹿誠次の都市化理論によれば、大都市圏の周 辺部地域では、大都市圏の拡大にともなって、農村的土地利用と都市的土地利用の競合が生まれ る。農村的土地利用の中では、普通農業から近郊農業に移り(作物の商品化) 、農家が分解して 家族員の都市的産業への転換がおこり(労働の商品化) 、ついに農地を手ばなして離農する(土 地の商品化)に至る。 ‑方、都市的土地利用では、周辺的都市施設の立地から住宅化へ進んだ後、
商業地城やビジネス地域化するようになる。たとえば新宿(東京都)を例にとれば、明治中ば以 前の新宿は甲州街道の宿場のほかは全くの農村であった。明治30年代以後になって工場や浄水場 などの周辺的都市施設が立地する。そのうち次第に周辺へ住宅地がひろがり、関東大震災後、百 貨店が続々進出し、ターミナル商店街が成立する。そして第2次世界大戦後、交通の有利性に恵 まれて、副都心へ成長、さらに近年は淀橋浄水場跡にビジネスセンターをつくって新都心に進も うとしている。首都圏の都心からみて新宿の外方に小金井があり、されにその外方に東村山市が ある。それらの都市化段階はそれぞれ1時期づつおくれている。
このような都市化発展段階理論が、奈良県下の中小都市にそのままあてはまるかどうか、疑問 のあるところであろう。この山鹿の理論とは別に、樽松静江は、その「Metropolitanizationの機
(10)
構と法則」において、奈良盆地の変容を、機能的には農業中心体制から商工業中心体制へ、構造 的には中小都市中心体制から巨大都市支配体制‑の過程の中でとらえ、 Metropolitanizationの法 則化・理論化を試みている。しかしそこで奈良盆地の変容が、時期的に必ずしも明瞭に分析され ているわけではない。すでにみた様に、きわめて人口増加率の高い奈良・大和高田・橿原の3市
の場合、何時までが各市自体の都市化による人口増加であり、何時からが阪神大都圏の郊外化に よる人口増加なのか明らかでない。とくに大和高田市の場合は、戦前から工業化が進んでおり、
すべて大阪との深い結びつきにおいて成立していた。しかし、次の産業構成の変化を検討すれば 明瞭となるが、大体において、戦前の人口増加は、各市自体の都市化ないしは工業化によるもの であり、戦後の30年頃までは、阪神大都市圏の遠心的・分離的機能としての工業化によるもの、
30年以後は同じく住宅団地の建設をともなう住宅地化による人口増加であるといえようO 低調で はあるが、御所・五条の両市を除く、大和郡山・天理・桜井の3市も昭和35年以降増勢に転じて おり、郊外化によるものであることは明らかである。なお、大和郡山・天理の両市では、昭和36 年以降工場誘致が盛になり、多くの立地をみたが、その影響はまだ人口増加にあらわれていない。
b.産業構成の変化 再び前掲の表1奈艮県8市の産業構成について、昭和35年と40年の5 年間の変化をみてみよう。 35年と40年の両年をとったのは、 35年以後8市に関する限り市町村の 合併がおこなわれなかったことと、郊外化が急速に進んだためである。県全体として、産業構成 の高度化が進み、第1次産業人口の減少、第2次・第3次産業人口の増加がみられた。なお、注
("3
記にある様に、第1次・第2次・第3次の分類は便宜的なもので、前掲西村の論文によって、都 市の広域活動(Basic Activity)を2大別して工業とサービス業にしたとき、前者に第2次産業 人口を、後者に第3次産業人口を当てる意図によるものである。さて各市とも産業構成の高度化 が進んだのは、県全体の場合と同様である。 ①第1次の減少率が最も大きかったのは、奈良・天 理両市で県全体を上廻っている。それだけ、都市化・郊外化が進んだとも、農業地区をそれだけ 多く包含していたのだともいえよう。 @第3次の増加率が高く、第2次の増加率が小さかったの は、奈良・大和郡山・天理の3市である。 ⑧第3次の増加率が第2次をやや上廻る程度のものに
は、大和高田・檀原の両市があり、 ④むしろ第2次の増加率がやや第3次を越えるものに桜井・
五条の両市がある。 ⑤第3次が減少し、第2次が非常に増加したのは、御所市である。 ①の奈良
・大和郡山・天理の3市にみる様に、第3次の増加率が高いことは、都市の広域活動(Basic Activity)のうち、サービス業的機能が増大したことを意味し、 ②.⑧の場合は、サービス業的 機能と工業的機能が同時的に増大したことを示している。 ⑤の御所の場合は、他の7市と異なる 特殊な場合で、工業的機能の飛躍的増加を物語っている。以上の結果とさきにみた8市の人口動 態とを合せて考察すると、奈良・大和郡山・天理の3市の郊外化による人口増加は、住宅地化と それにともなうサービス業的機能の増大によるものである。大和高田・橿原の両市もほぼ同じ事 例に属するが、工業的機能がこれに加味される。桜井市の場合は、工業的機能の増大による方が やや大きくなっている。勧所・五条の両市は、工業的機能を強めながらも、人口動態は停滞ない
し減少傾向をみせている。
4.地域的変容
奈良県の中小都市域内における阪神都市圏の郊外化の影響を地域的にみるために、図2奈良県 の8市内駅別乗車人員増加(昭和30年‑40年比較)を検討してみよう。まず、奈艮市西郊、近鉄 奈良線の学園前駅を中心に富雄・あやめ池駅の増加がめざましい。つぎに、近鉄大阪線に沿って、
大和高田市で築山・松塚、その中問でやや落ちるが、大和高田駅、橿原市に入って、真管・耳成、
これまたその中問でやや落ちるが、八木駅などの増加がいちじるしい。さらに、奈良・大和郡山 両市における近鉄橿原線の各駅の増加が大きく、筒井を筆頭に、尼ケ辻・西ノ京・九条・平端な
どの各駅の増加ぶりが注目される。これらに対して、近鉄天理線・南大阪線・吉野線各駅の増勢 は弱い。また細かくみると、既成の市街地にある駅の増加は低調である。たとえば、奈良市にお ける近鉄奈良駅、大和郡山市の近鉄郡山駅、橿原市の八木駅、大和高田市の大和高田駅のどとき である。そしていずれもそれら駅の両端の駅の増加がいちじるしい。郊外化の影響は、市城内で
は市街地の周辺部に強くあらわれている。
国鉄線についてみると、国鉄奈良駅を除く関西本線の各駅の増加の低調ぶりは注目に価する。
桜井線では、桜井市の纏向を最大として、天理市の棟本・長柄、桜井市の桜井の各駅の増加がい ちじるしい。しかし、橿原市に入ると、桜井線各駅の増勢は振わない。和歌山線もさほど扱わず、
大和高田市の高田駅、御所市の御所駅、五条fFの大和二見駅などの増加ぶりが注目される程度で ある。国鉄天理駅を例外として、国鉄の場合は、奈良・桜井・高田・御所・大和二見などの市街 地の駅の増加がいちじるしく、近鉄の場合と対娼的である。以上、まとめると、近鉄の奈良線・
大阪線・橿原線各駅の伸長が大きい。国鉄では、天理・桜井市域の桜井線および和歌山線の市街 地駅の増加がいちじるしい。また近鉄の場合は市街地駅の周辺部の駅が、国鉄ではむしろ市街地 駅の増勢が目立つ。
5.大和高田市の場合
これまで、茶艮県下の8市について、いろいろの角度から都市的機能および郊外化による変容 を検討してきた。ここでさらに、変容の実態を究明するために、急激な人口増加をとげ、商工業 都市として県下において特色ある性格をもつ大和高田市をとりあげ、分析を進めてみよう。
(12X13X14)
a.概況 明治21年4月、旧高田村・山内町および中井戸村の一部をもって高田町が成立し た。戦後、商工業の復興とともに町民の問に市制施行の気運が高まり、姦良市につぐ県下第2番
日の市として、大和高田市が誕生した。以後、市域を拡大させつつ、県南部における商工業都市 として発展を続けて現在に至っているO 昭和40年現在、面積16.7y人口47,371である。本市は、
二上山麓・葛城山麓に発達した扇状地が伸び、その末端面上に立地している。土地は非常な緩鉄 面で、平担な地形となっており、砂質土壌のところが多い。気候は夏雨型の表日本型であるが、
やや内陸性を帯びている。ここの農業は、 2毛作の主穀農業が中心で、近年曽大根では近郊園芸 農業が盛んであり、隣の東中では、酪農を営む農家が増えている。昭和41年の統計で、農業人口 の全人口に占める割合は、 21.0S 、県の37.9%に比べて非常に低くなっている。しかも経営規模 50a未満の農家が全体のte.296と過半数を占め、 100a未満の農家は で大部分を占めてしま う程に零細経営である.また農家総戸数1775戸のうち兼業農家は、 85.0免の1509戸で、そのうち 第2種兼業農家がIZ.2%の1104戸である。
商工業については、すでに他市との比較において、その特色を述べた。なお若干を補足しょう。、
まず工業について、昭和41年大和高田市役所調査の統計によれば、総事業所数635のうち多い順 に、繊維工業332、その他工業59、ゴム工業48などとなっている。繊維工業は大日本紡績の大工 場から、メリヤス・靴下の中小企業まであって、本市の主軸工業である。その他工業では、松家 の樹脂釦、奥田の旦釦など釦工業が中心で、農村工業から出発してそれれぞれ特色ある工業地区 を形成している。ゴム工業も中小企業でゴム底布靴がつくられ、戦時中の疎開で来た大企業経営 の浪速ゴムでは靴以外に医療ゴム製品・工業用ゴム製品・家庭用ゴム製品・塩化どこ‑ル製品な
どが生産されている。
つぎに商業について、同じく昭和41年の大和高田市役所調査統計によると、卸売業・小売業の 事業所総数のうち、中分類で卸売業および仲介業・代理業が12.(であるのに対して、小売業は 87.4 で圧倒的比率を占めている。中でも食料品小売業が小売業の37.(を占めて最も多く、こ れに次いで衣料品関係小売業が13.(となっている。規模別には、 1 ‑5人の小規模事業所が89 .0%と圧倒的に多く、零細性を物語っている。商店街と称して何らかの形で商店が団結して行動 をとっているものの数は、 12を数え、それらは北は近鉄大阪線の大和高田駅から、南は近鉄吉野 線の高田市駅の間で、国鉄和歌山線の西側の半円形をなす地域に集中して立地している。
b.中心性 本市は、奈良盆地の南西隅にあり、北東隅の奈良市と対象の位置にある。大和 高田市を中心に半径5kmの円を描くと香芝町・広陵町・新庄町・橿原市がその中に入り、これら 市・町の経済的中心をなしている.また本市から、近鉄や国鉄を利用して奈良・大阪の市内‑、
1時間で達する時間距離にある。こうして、本市は奈良市へ県政連絡に、大阪市への経済連絡に 容易な位置にある。市内を通過する主要道路は、国道に1級国道24号線、 2級国道165号線、県 道に大和高田・枚方線、大和高田・高取線、大和高田・富田林線などがある。それらに市道が連 結し、縦横に走っている。近年、自動車などの増加、大型化によって狭陰となっており、とくに 大阪への連絡は、 2級国道165号線のほとんど1本に依存しているような実情で、その逼迫は限 界にきているO拡巾かバイパスの設置が必要とされている。市内を通過する鉄道として、国鉄が 和歌山線・桜井線、近鉄が大阪線・吉野線を走らせている。後者は、それぞれ市内に2駅をもつ が、主要駅は大和高田駅と大和高田市駅である。バス路線も、本市を起点または通過して奈良交 通のバス路線網(12路線)が発達している。
都市中心性を測定する直接的指標として、やや古いが大和高田商工会議所が昭和35年に実施し た商圏調査を採用することができる。それは5市・ 10町・ 5村の学童家庭41,115位帯に対して行
なった買物調査で「どこで買物をするか」という問に答えさせたものである.調査結果を図化し たものが、図3大和高田市の商圏である。図中の比率は、各市町村の総調査世帯数に対する本市
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図3 大和高田市の商圏(昭和35年)
で買物をする世帯のパ‑セントを示すものであるO なお昭和41年7月に同じく大和高田商工会議 所は来街者調査を行なった。調査数292でやや少いが、前記の調査結果の補強に役立つ。これに よると前回と比較して、商圏に大きな変化のないことがわかるO さて図3大和高田市の商圏から みて、本市の商圏は、北西一南東方向ないし南北方向に展開している。それは地形的影響と、桜 井・橿原および御所・五条の商圏によって挟撃されているような形を示している。あるいは、加 所・五条両市の勢力が比較的弱いとするならば、遠く奈良市・大和郡山・天理・桜井および田原
本・橿原の諸市の勢力の総体的な圧力がしわ寄せされているような形状である。いずれにしてもー 本市は、かなり広範囲におよぶ商圏を確立しており、強い都市中心性をもっているといえよう。
しかし本市自体が、阪神大都市圏を指向しつつあり、すでにその都市圏内に包含されているとも いえるので、本市の培養圏である商圏がどう変化してゆくか、たとえば、本市を通過して同一次̲
元で阪神大都市圏の商圏の中に編入されてしまうことはないか、予断を許さないであろう。さら に図4大和高田市の商店数・従業員数・売上高の推移をみると、昭和33年を1つのピークとする 31‑35年の山があって、 35年以降商店数・従業員数は停滞ないし、減少傾向にあるのに、売上高
は急騰している。明らかに郊外化・住宅地化による人口増、需要増を反映するものであろう。と ころが昭和39年以後、商店数・従業員数の増加傾向にもかかわらず、売上高は低落している。そ
12′000
10,000
9′000
8′000
7′000
6′000
5′000
4′000
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31年 33年 35年 37年 39年 41年 図4大和高田市の商店数・従業者数・売上高の推移
れが、一時的な不況によるものか、あるいは前述のごとき本質的な商圏構造の変化によるものかー 今後の時間的推移のうちに明らかになるであろう。
C.地域的変容 既に述べたように、大和高田市は8市のうちでも奈良・橿原両市と並んで 人口増加がもっとも高いが、それは市域内では地域的にどのように展開されているのであろうか。
図5大和高田市の地域別人口増加によると、まず人口増加は市街地の周辺部でおこった。近鉄吉 野線に沿った磯野・三倉堂・勝目・西坊城およびその他大谷・東雲町・今里の増加がいちじるし いO市街地では、西部の減少地区と東部の増加地区が鮮かな対照をなしている。国鉄和歌山線の 西側の扇形地区は旧市街地で商業地区になっており、本市の都心部を形成する。そこでは人口減 少がみられる。和歌山線の東側は、比較的発展が遅れ、日紡高田工場を中心とする工業地区であ る。そこではゆるやかな人口増加がみられた。一応の目安として、昭和30年指定の用途地域図を
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図5 大和高田市内の地域別人口増加
参考にして、全体的に通観すると、人口増加のもっともいちじるしかったのは、住宅地区・準工 業地区であり、ついで人口増加の大きかったのは、工業地区で、商業地区では人口の減少がみら れた。さきに本市の人口増加が、人口動態・産業構成の変化からみて、第3次・第2次産業人口
の増加によることを知ったが、このことが地域的にも実証されたわけである。そして人口の増加 が、既成の工業地区よりも、新興の準工業地区でいちじるしかったことは注目に価する。
つぎに表6経営耕地の用途別転用面積と割合から、昭和41年の農地転用の実態をみると、圧倒 的に宅地転用が多く、県の28.t をはるかに上廻る54.0%の高比率を示すO郊外化がまず住宅地 化にあらわれていることは明らかである。他方、工場用地への転用は、きわめて低く、県の15.1
%をはるかに下廻る状態である。いま昭和35年と40年の工業統計から、本市の事業所数および従 衰6 経営耕地の用途別転用面積と割合(昭和41年)
(単位アール)
県
大和高田市役所調査 業者数の変化を求めてみると、 35年の事業所数568、従業者数7,859人、 40年の事業所数612、従 業者数7,436人で、事業所数では44の増加をみるが、従業者数では413人の減少である。しかるに さきに産業構成の変化(昭和30‑40年)では、実数で4,152人の増加があり、そのうち第2次2, 032人、第3次2,268人のそれぞれ増加をみた。すなわち、工業統計では従業者数で約400人の減 少、国勢調査では約2,000人の工業人口の増加がみられたわけであるO これは大和高田市外‑の 通勤工業人口の増加と工業統計調査の対象外にある零細な工業事業所の従業者数の増加によるも のと思われる。したがって工業人口の増加が農地転用や工業統計面に現われなかったのであろう。
ま と め
(1)従来大都市圏の構造論的研究は多いが、大都市圏の周辺部に立地する中小都市に関する研究 は比較的少ない。いま代表的と思われる3つの論文をとりあげ、その検討を通して、本研究の問 題点の所在を明らかにした。すなわち、大都市圏の郊外化にともなう中小都市の変容の問題は、
申小都市を中心に歴史的に形成されてきた古い地域的秩序が、大都市圏の拡大によってつくり出 されてゆく変容の過程として把起されるべきである。 (2)8市の産業構成・工業機能・商業機能・
都市中心性の分析を通して、それらの都市機能を明らかにした。都市規模において他の7市をは るかに凌ぐ奈良市は、第3次産業人口が卓越し、県政の中心、全国的な観光都市としての性格を 浮き彫りにしている。しかし工業は都市内在型の雑貨工業であり、人口数に対して商店数が少な く、商工業の広域活動(Basic Activity)の面で十分ではない。天理・五条両市の都市中心性は弱く、
大和高田・榎原・桜井・御所の5市は、商工業の広域活動によって支えられた地方中心都市であ る。御所市を除く7市は、阪神大都市圏の強い影響下におかれている。 (3)8市の変容を、人口動 態・産業構成の変化・地域的変容(8市内の鉄道駅別乗車人員動態)の面からとらえた。人口増 加のもっとも著しかったのは、奈良・大和高田・橿原の3市である。奈良市の人口増加は、住宅 地化による人口流入によるものであり、サービス機能増大と一致する。大和高田・橿原両市の場 合は、住宅地化だけではなく、工業人口の増加が付加される。奈良・大和高田・橿原の3市のみ
ならず、大和郡山・天理・桜井の3市も、昭和35年以降人口は増勢を示し、阪神大都市圏の郊外 化の影響が認められる。地域的変容では、その変化は、奈良市西郊、近鉄大阪線でもっともいち
じるしく、近鉄大阪線、橿原線の順で各市域内における変容の度合が大きかった。変容は各市域 の市街地よりその郊外で激しかった。 (4)変容の実態を具体的に把握するために、大和高田市をえ らび分析した。本市は商工業の広域活動によって発展してきた。すなわち工業は地方資源型の織 維工業で特化しており、商圏は3市6町4村にまたがり、かなり強い都市中心性を示している。
しかし最近の商工業の伸びは停滞的で構造的変化のきざしかみえる。地域的人口増加および農地 の用途別転用の分析は、最近の人口増加が宅地化による人口増加と工業人口の増加によるもので あること、また人口増加は郊外の住宅地区・準工業地区でもっとも激しく、ついで工業地区でも 増加がみられるが、旧市街地の商業地区では人口が減少していることを示す。
本研究は「阪神大都市圏の郊外化にともなう奈良県の変容」を共通の研究テ‑マとして、天理 大学惟子二郎教授の御指導のもとに、本学助教授西田和夫先生、本学教官松本義光先生の細助力 をえておこなった研究であって、共通研究テーマの一側面を分担したものであるO上記の諸先生 および貴重な資料を提供下された大和高田市役所収入役増井政治郎氏、大和高田商工会議所専務 理事永井三四郎氏に対して深甚なる謝意を表する次第である。
参考および引用文献
(1)菊地一郎1968 「奈良県工業の地域構造」奈良教育大学紀要 人文・社会科学16‑1 (2)山鹿誠次1951 「衛星都市浦和の形成とその生活圏」 地理学評論24‑2
( 3 ) 〝 〝 「衛星都市としての浦和の機能一大都市圏の拡大に伴う地方都市の変容」 地理学評論
24‑8
(4)鈴木富志郎1960 「大都市圏軒こおける小都市の機能‑千葉県茂原市の例‑」 地理学評論33‑5 (5)小林 博1961 「大都市圏の周辺部分地域‑ 阪神間諸都市を例に‑」 立命館文学6 (6)西村睦男1963 「都市と培養圏」 立命館文学9
(7)堀井甚一郎1961 「奈良県地誌」大和史蹟研究会 ( 8 )前掲(6)の37‑38頁
(9)山鹿誠次1967 「東京大都市圏の研究」大明堂50‑52頁
(10)樽桧静江1962 「metropolitanizationの機構と法則‑奈良盆地を中心に阪神巨大都市圏を展望して‑」
地理学評論35‑31 (ll)前掲(6)の32‑33頁
(12)前掲(7)
(13)千田正美1961 「大和高田市」 :奈良女子大学地理学教室編「奈良盆地」
(14)大和高田市史編纂委員会1958 「大和高田市史」
(15)高野史男1959 「都市化の類型と概念規定」地理学評論32‑12 (16)正井泰夫1967 「日本の都市化の現状と将来」地理学評論40‑6
C17)西田和夫1966 「奈良市の人ロについて」 奈良学芸大学紀要 人文科学14
(昭和43年6月29日受理)
REGIONAL AND FUNCTIONAL CHANGE OF SMALL-SIZED CITIES IN THE SUBURBS OF THE HANSHIN METROPOLITAN AREA DERIVED FROM ITS EXPANSION
--ACASE STUDY OF NARA PREFECTURE
Ichiro Kikuchi
Department of Geography, Nara University of Education, Nara, Japan
In the last bulletin, the writer explained the regional structure of industries and change in Nara Prefecture as influenced by the overflow of the Hanshin Industrial Area in "Regional Structure of Industries in Nara Prefecture". How eight small-sized cities in Nara Prefecture functionally suffered a change under the influence of the Hanshin Metropolitan Area was disclosed in this paper.
(1) So far there have been many studies on the regional structure of metropolitan areas, but researches on small-sized cities in the suburbs of a metropolitan area are rare. Taking up three papers which seem to be typical and examining them minutely, the points of the subjects have been clarified, that is, regional and functional change of the small-sized cities is a phenomenon which appears in the transforming process from the old regional system into the new one. The former has historically been formed around the small-sized cities and the latter is gradually shaped in the spread of suburbs of the Hanshin Metropolitan Area.
(2) Analysis of industrial composition, manufacturing function, commercial function and urban centrality of eight cities shows that there is a considerable difference among their urban functions. Nara City which exceeds any of the seven cities of the prefecture in point of city scale, stands high in the tertial industrial population. This is due to the character of the central city of the prefectural administration and as a nation-wide sight-seeing city; "the basic activity" of commerce and manufacturing, however, is not adequate. This means a service function for the environs of a city. The shops per population are not sufficient in number, although the sales per shop are pretty high, and the industries are micellaneous ones which are necessary in a city. Tenri and Gojo cities are weak in urban centrality as they include a large rural part. Yamatotakada, Kashiwara, Sakurai and Gose cities are local centers which depend upon "the basic activity" of commerce and manufacturing. The seven cities excluding Gose City are under the powerful influence of the Hanshin Metropolitan Area.
(3) Regional and functional cnange of the eight cities has been analyzed through daytime population movement, change of industrial composition (comparison between I960 and 1965), and regional change (change of the number of passengers by stations between 1955 and 1965). Cities which have conspicuously increased in population are Nara, Yamatotakada and Kashiwara cities. The population growth of Nara City is, for the most part, due to the