研究ノート
成長し続ける奈良女子大学附属小学校の教師達
創価大学教職大学院 若 井 幸 子
要 約
奈良女子大学付属小学校には,大正期自由教育,児童中心主義の教育が今に生き生 きと受け継がれ,「確かな学び」の道を子どもたちに示し,そして,その学びを支え ている素晴らしい「教師」の存在がある。その教師に着目した研究をすることは,最 大の教育環境としての教師自身の成長を促すことになる。今回は,奈良女子大学付属 小学校の代表的な教員2名の実践を事例研究として取り上げ,教師の成長が子どもの 成長と密接に関わっていることを考察した。
Ⅰ は じ め に
創価大学教職大学院は開講以来,優れた実践研究に学び,院生一人ひとりの学びを 深め,次の時代を創る教育界の人間主義の指導者を育成していくことを目的としてい る。創立者池田大作先生(以下池田)の構想のもと,創価学会初代会長牧口常三郎先 生(1871/6/6〜1944/11/18)(以下牧口)の創価教育学体系を淵源とする「児童の幸 福のため1」に尽くす教員を養成することにある。
池田は,「社会は人間が創り上げた有機体である。であるならば,そこに生きる若 き魂をどう育て上げていくかで,社会の明日も,世界の未来も決定づけられていく。
ゆえに教育こそ,人類にとって,最も力を注ぎ込むべき大切な事業といってよい。そ して,学校教育において,子どもたちに最も強い影響を与える,最大の教育環境こ そ,教師という人間の存在である。牧口は『教育の改造における根底は教師』と明言 している。つまり,教師が自らをいかに磨き,向上させていくかが,社会建設の最も 重要な課題となるのである2」(新・人間革命「人間教育」の章15)と教師の使命につ いて言及している。そして,今日まで「教育のための社会目指して」等,教育提言を
キーワード:教師論,児童中心主義,奈良の学習法
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行い,教師自身の成長を強く願ってきた。
世界中が「情報」で結ばれた情報化社会の中で,知識を持つことの意味が本質的に 変化した現代では,子どもたちにとって,「子供たちの幸せのため」に,「学び」とは 何か,「教える」とは何か,「授業」とは何かが,問われている時代であるとも言える。
子どもたちの「学校教育」は,どうあるべきかとの「問い」に答えうる,学び続け,
成長し続ける「教師の存在」を見つけ,その実践に学ぶことは,「教師こそ最大の教 育環境」との理念をかかげる創価大学教職大学院の実践研究の目的に合致している。
創価大学教職大学院は平成20年度開講時以来,国内・国外教育課題実地研究の一環 として,奈良女子大学附属小学校(以下奈良女附属小)を研究校として提供していた だいている。奈良女附属小の教育実践は,大正期以来,木下竹次(1872/3/25〜1946/
2/14)の「学習原論3」を源流とした児童中心主義の教育を実践している。その教育 内容は,「奈良の学習法」として,また,「独自学習・相互学習・独自学習」として広 く知られ4,全国の教員の実践研究の現場となっている。奈良女附属小で児童中心主 義の実践をしている教師を「集団」としてまた「個人」として学ぶ機会が得られたこ とは創価大学教職大学院の学びを深めることとなった。
今まで参加した院生より,「国内教育課題実地研究に奈良女附属小を選んで本当に よかった」「奈良の学習法を自身の勤務校で実験中です」「児童中心主義の教育にもう 一度目を向けています」などの感想が寄せられた。院生の学びは,紛れもなく奈良女 附属小の教師を通してであることから,実践研究に励む教師達を考察するという視点 に大いに期待が持てた。
東京大学佐藤学氏(以下佐藤)は,創価大学教職大学院の講演(2011/1/18)で,21 世紀の教師の仕事は「聴く・つなぐ・もどす」の3つである。そして,21世紀の学校 は「質」と「平等」の同時追求の場となっていかねばならないと指摘した。
奈良女附属小の教師の授業には,「聴く・つなぐ・もどす」があり,また,学校教 育における「質」そして「平等」へのこだわりをもっている。そして,思想的な背景 を見てみると,大正時代に淵源をもち,100年にわたる営々とした研究を経て,「独 自・相互・独自」という学習方法を「奈良の学習法」として世に問い続けている実践 がある。その意味で,教員として,奈良女附属小の教育課題実地研究を担当してみ て,今に生きる理念基づいての実践・研究に驚きを覚えた。教育にかける情熱,志が 同じなら行動も同じ方向に行くということであろうか。
創価教育学体系を世に問い,その実践を後世の教師に託した牧口の期待,池田の
「教師こそ最大の教育環境」との理念を奈良女附属小の教師の実践に見た3年間で あった。今回は,谷岡教諭,椙田教諭の実践の姿を通し,子どもたちの幸福のために 奈良女附属小の教師がどのように時代の要請に応え,研究し,自身が教師として成長 しているのか「教師論」として一考察を記してみたい。
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Ⅱ 教師の使命を再考する
それでは,教師は自らをいかに磨き,向上させていったらよいのか。牧口は創価教 育学体系のなかで,教師の理想としてのペスタロッチに言及し,ペスタロッチの功績 はその墓碑銘に刻まれた「己の為にせず人の為にする」との賞賛ではなく,「教育学 上の真理の発見者であるとするものである。少なくとも発見の先駆,教育の革命者,
教育の科学的建設の先覚者として教育史上に,従って文化史上に不朽の地位を占むる ものと断定するものである」と「その子弟を教育する教師に改良工夫の方法を授けた 上に,自らその熱心なる模範となったこと」「実にペスタロッチの真の価値は熱心な る経験の基礎の上に,燃ゆるが如き学究的真面目があるによるのである。この両方面 の全備具足こそペスタロッチの真価値で,その中の何れかの一面を欠くならば敢えて ペスタロッチを俟つに及ばぬのである5」と述べている。すなわち,実践のなかから 築き上げた教育科学,指導法を教師の情熱を持って創り上げることこそ教師の使命と 考えたのである。
牧口は常に,医学と教育における技術の進歩を比較し,もっと教師は教育技術を磨 かねばならない。教師の成長進歩を何よりも大切な教育の課題ととらえていた。そし て,教育学の需要は,教師が価値ある方法を得んとする所に出発すると考えていた。
教師が子供たちに日々接し,指導し,授業を展開しているなかで困難にぶつかり,教 師自身が自身の力量を高めたい,もっと授業を良くしたい等々の要求が出てきたとき に,いつでも,誰が実践しても普遍的な指導法を求めていた。すなわち,普遍的であ り,科学としても価値ある教育学を構築し,その教育学にそって授業を展開する。そ して,時代の要請に応え,研究深化していく主体としての教師,研究者,追求者とし ての教師を育成し,その教師に学びの場を提供していくという,正に,創価大学教職 大学院の使命である偉大な教師の輩出,教育学の発展・深化を願っていたと考える。
自身を磨き,向上させていく道を世の教師に提供し続ける使命を持つ学びの場とし て教育課題実地研究における奈良女附属小での研究は,「教師が自己の職業を指導す る法則が,直ちに子弟の学習指導の原則となることを思うてなすべきである6」と牧 口が望み「是等の大部分は本巻着手の際の構想に於いては意識し得なかった所,本巻 を以て創価教育学の総論を完結する予定であったが,今になって見ればなお一巻の追 加を要することになったので7…」と創価教育学体系の最後に記したように,もう一 巻を要する研究を創価大学教職大学院は提供していると自負したい。
Ⅲ 向上し続ける奈良女子大付属小の教師達
木下竹次をはじめ,大正自由教育の流れを汲む教育は新たな教育運動として,大正
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期から昭和期にかけて,全国各地の学校で実践された。奈良女付属小など,今でもそ の大正自由教育に思想的源流があり,独自の校風を持ち,幾多の有為の卒業生を世に 送り出している学校も多い。八大教育主張の展開,全人教育をめざした小原国芳の玉 川学園,ドルトンプランを実践した沢柳政太郎の成城学園,個性を持った自立的な人 間の創造をめざす成蹊小学校,個性尊重,自主自立,自由平等を掲げ出発した明星学 園などがあげられる。当時,どの学校でも意欲にみちた教師によって新教育の実践が 試みられた。
奈良女付属小は,特に,木下竹次の「学習原論」の理念を実践の中核に,今日にい たるまで以下の経過をたどり実践研究が進められてきた。(以下新訂・「奈良の学習
法」20p「奈良の学習法」の系譜参照)
・明治44年(1911年)4月1日 真田幸憲主事「分団学習」
・大正8年(1919年)3月10日
木下竹次主事「学習法」「合科学習」「学習原論」
・昭和16年(1941年)1月10日 武田一郎主事「自修創造」(新教育)
・昭和22年(1947年)12月27日
重松鷹泰「奈良プラン」(昭和23年9月12日)
・昭和27年4月1日
服部英次郎校長・今井鑑三主幹
・昭和49年「学習法の体得」により学習法への回帰が伺われる
・昭和51年「学習法指導体系(5巻)」刊行
・平成5年「子どもの自立をたすける学習法」刊行
・平成16年「各種能力の指導系統表」作成 野口哲子校長
木下竹次は研究誌「学習研究」(大正11年4月1日創刊)創刊の辞に「学習即ち生 活であり,生活直ちに学習となる。日常一切の生活,自律して学習する処,私共はこ こに立つ。他律的に没人間的に方便化せられた教師本位の教育から脱して,如何に学 習すべきか,如何にして人たり人たらしめ得るか,そのよき指導こそ教師の使命であ る。」と述べ,「児童生徒の日常学習生活の研究,学習の基礎たる科学芸術の研究,学 習の環境たる学校家庭社会の研究,すべて真の人たり人たらしむべき一切の研究,わ が学習研究はここに生まれる。」と考えていた。「奈良の学習法」はこの原点から出発 し,その時代に集った教師達の実践研究を経て,「確かな学習力を育てるすじ道」と して現在まとめられている。
勿論,各種能力指導系統表を持つことの意味,「奈良プラン」とは「教授法」なの か「学習法」なのか,「奈良プラン」における「しごと・けいこ・なかよし」の3本
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柱で構成された教育計画についての妥当性,「独自学習・相互学習・独自学習」の研 究,等,今なお議論が重ねられている。また,大正期より自由教育の潮流が起きて以 来,経験主義の限界を指摘する論や,公教育に対する範を示せるのかとの議論も種々 あろう。
然し,大正期以来,日本の教育界に範を示すべく実践研究を積み重ねている代表校 であるという事実は大変重く,現在でも日常的に全国から多くの参観者,研究者,そ して保護者が集い,日々学びを深めている生きた実地研究の場となっている。
創価大学教職大学院も教育課題実地研究でお世話になった平成20年度,21年度,22 年度,ともに11月の公開研究会の直前や直後であったのにも拘わらず,院生一人ひと りの研究課題に沿って授業参観や授業者との懇談会を組み,どのような質問にも率直 にありのままの姿で答えてくれた。参観者控え室には木下竹次の写真,そして,「学 習原論」をはじめとする大正以来百年の歴史を示す書籍類などが飾られ,「来るもの 拒まず」とする雰囲気が参観者を迎えていた。
木下竹次はじめ大正期の教師達もこのように率直に研究を積み重ねられたのだろう と感じさせてくれる校風がそこにはあった。校舎に児童一人ひとりが百周年を祝う,
世界に一つしかないポスターが掲げられてあったことも印象深い。
大正自由教育について,佐藤は,日本における「学びの共同体」の起源と評価して いる。佐藤は,21世紀の社会と教育を考える時,21世紀の社会は次の対応を教育に要 請している。①知識基盤社会への対応=産業主義社会からポスト産業主義社会へ=生 涯学習社会へ,②多文化共生社会への対応,③格差リスク社会への対応,④成熟した 市民社会の建設=「市民性」(citizenship)の教育=公共モラルの確立,とし,さら に,21世紀の学校は①「質(quality)」と「平等(equality)」の同時追求,②「プログ ラム型」(階段型=習得と定着)カリキュラム(目標・達成・評価)から「プロジェ クト型」(登山型=思考と探求)カリキュラム(主題・探求・表現)へ,③「共同的 な学び」(collaborative learning),④「学びの共同体(learning community)」としての 学校を志向すると考え,そして,教師については「教える専門家」から「学びの専門 家」へと変化せざるをえなくなるだろうと予測している。(創価大学講演 2011/2/
18)
奈良女附属小の実践を佐藤の論に当てはめてみるならば,21世紀の学校としての
「質」と「平等」の同時追求への壮大な試みを学校という単位で行い,カリキュラム 型,共同的な学びの授業時間の創出をしている。そして,日々,「教える」という発 想ではなく「自ら学ぶ」という筋道の探求をし続けている学校であり,教師であると 捉えられる。
中谷内政之は,現代の教育課題に対して真摯に向き合う「奈良の学習法」につい て,奈良女附属小がめざす教育とは①自由主義の教育「子どもの主体的な学びを保障 するものである」,②生活発展主義「学習即ち生活であり,生活即ち学習となる。」,
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③自律的学習「私達の学習法では個別的な学習スタイルの貫徹を求めているわけでは ない。独自学習とともに相互学習を大切にしている。特に『しごと』学習では『協同 して学ぶ』ことの意義を強調してきたところである。また,歴史的古さや伝統に固執 するのではなく,常に新しい時代の変化を感受し,社会的要請に対応する度量を併せ 持たねばならない8。」と述べ,今,学校の教育現場にあって,日々授業研究に力を注 ぎ,研究し,全力で指導に当っている教師が,大切にしていかねばならないことを確 認している。奈良女附属小での実践は,佐藤の指摘する「共同的な学び」を子ども達 が自律的に創出し,生活という基本に立ち,知的探求を続ける授業が行われているの である。
奈良女附属小の教師は,牧口が創価教育学体系で示しているペスタロッチの「熱心 なる経験の基礎の上に燃ゆるが如き学級的真面目」とあるごとく,「実践に基づく」,
「教育科学」を,木下竹次が「学習原論」で示した「じつに教師もひとつの重要な環 境である。教師は学習の指導者でまた共学者である。環境に順応しさらにこれを創造 することは自己の創造発展と同一事実である。学習すれば師弟ともに全自己を活動さ せてともに伸び,ともに歓ぶことができる。」との思想の体現者となっている。
先行研究として愛知教育大学蜂須賀渉は「木下竹次・重松鷹泰の流れを受け継ぐ奈 良女子大学付属小学校の『奈良の学習法』は優秀な実践者により伝統的に引き継がれ ており,子ども自身が伸びる教育が効果的に行われている。これは,学校全体の継続 的な取り組みによるところが大きい9」と教師集団のたゆまざる実践に支えられてい ることを検証している論文もある。
昭和23年9月から実施の「奈良プラン」いわゆる奈良式学習指導要領の試案であっ た各種能力指導系統表,その後29年に改訂され,さらに36年,平成6年と続く,それ は深化しつつ「確かな学習力を育てるすじ道」と改訂が進んでいくが,その原動力は やはり,現場の教師の向上心であった。特筆すべきは大正11年4月1日創刊された研 究誌「学習研究」の存在である。今日まで447巻を越える期間誌は2ヶ月おきに連綿 と研究誌として教師集団が創り上げ,深化し受け継ぎ発展させてきた「学び」の源泉 である。
そこには,主題があり実践があり,グラビア,教師の日記,実践寄稿など,A5版 72ページの機関誌である。まさしく情熱無くしては続かない業績の数々がそこにあ
る。
Ⅳ 谷岡先生と椙田先生の実践に学ぶ
そこで,谷岡先生と椙田先生が実際に行ってきた優れた実践に学んでみたい。二人 の実践をたどってみると,そこにはいくつもの「理念」と「実践」の検証が行われて いるのに気づくのである。
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先ず,児童「自ら」が学ぶことについて,教授法ではなく学習法であること。そし て明目的的(学習の目標が明らか)であること。そしてそのことは,木下竹次が「私 は教授・訓練・養護に関する事柄を一括して,これを児童生徒の側面からみて学習と 称し,研究を進めていこうと思う10。」「教師は学習の指導者でまた,共学者である11」 と述べているように,佐藤が指摘している「共同的な学び」を創出し,教師が「学び の専門家」として教壇に立っているのである。
牧口が創価教育学体系で「教育技術といい又教育法というただけでは…(中略)
「教育道」として学と術と人格との渾然一体を表するを以て適当と信ずる。いかに精 緻な名文を以て表現するとも,言語を超越した技術の妙味は之を伝えることが出来 ず,技術という名称すらも誤解の種子となる恐れがあるからである。所詮,教育道の 奥義には剣道の免許皆伝と同じく,術の熟練と之が理解解説の学とを統合渾一した人 格にあらざれば達し難きもので,従って道場という研究所に於ける幾年かの研磨,熟 練の成績によって初めてその教員の免許皆伝は与えられるべきものである12。」と述べ たように,直接児童を動かすのではなく,間接的に指導し,自ら進んで学習を遂げさ せるようにしているが,それには,人格の力・環境を重視しているということであ る。
谷岡先生,椙田先生の実践を見てみたとき,常に「学習原論」に戻り,研究誌「学 習研究」の積み重ねに基づき,いわゆる「免許皆伝」ともいうべき実践蓄積となって いるのである。個々の教師の技量を高め,原点に返りつつ,常にたゆみ無い自己向上 への努力をしている姿が見られる。それができるのは,よって立つ哲学があるからで ある。よって立つ哲学が深ければそれだけ教師も伸びていくことができる。牧口が
「術の熟練と之が理解解説の学とを統合渾一した人格にあらざれば達し難き」と述べ ているような「奈良の学習法」を今に蘇らせ,生き生きと伝え,児童中心の学舎を創 設している「教師達」が奈良女附属小にいるのである。
「本校は,大正自由教育以来,子どもの自律的,自発的な学びを中心とした教育の あり方「奈良の学習法」を継承し,歴代の教員によって,さらに実践しながら個性的 な進展を見せている現状である13。」と,再度確認もされている。
谷岡先生,椙田先生の実践を示す前に,以下にその主な理念をあげてみると
○私は教師の教育力を尊重するとともに児童生徒の学習力を尊重したい。私は人は本 能を基礎として教師指導の下に漸次自律的学習を遂げて人らしく発展することが可能 であることを子どもから教えられた。従って児童生徒の学習可能を否定するような議 論には賛成の仕様もない。「伸びていく」は私どもの信条である14。
○学者は自律的学習の原理は説くが多くは其の方法を示さない。実はこの実際が大問 題である。従来は他律的教育の不備を知っても,これを如何に革新すべきかという其 の方案はじゅうぶんに立たなかった。多くは方法と目的と調和せず,せっかく自律的 学習を課しても,先ず自ら其の方法に不満をいだく有様であった。その結果が挙がら
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ないのはむしろ当然であるといわねばならぬ15。
この「伸びていく」という信条は日頃の授業のあらゆる場面にみてとれる。そし て,「如何に革新すべきか」との自律的学習の方法論が示されている。この基本理念 があって,「独自学習」「相互学習」「独自学習」と発展している。
○私は教授・訓練・養護に関する事柄を一括して,これを児童生徒の側面からみて学 習と称し,研究を進めていこうと思う。…前述
授業の形態は教師主導の「教授主義」ではなく児童中心の「学習主義」であるとい うこと。教師の指導法に着目するのではなく,児童の学ぶ姿に注目しているのであ る。
○児童中心主義の学習法においては教師は直接に学習者を動かすことを成るべく避け て,できるならば間接に指導し児童生徒に自ら進んで学習を遂げさせるようにするこ とを重要視する。それで教師は心と心との感応作用をもって学習者に人格的感化を及 ぼし,或いは環境を利用して学習者の活動を指導する。これが間接指導である16。
また,朝の会や教科の司会進行など全てが児童の司会のもとに進められている。
「教師は最大の教育環境である」ということが一つの実践方法として提示されている と考えられる。
さらに,牧口の持論である教育は明目的的でなければならないとの主張が創価教育 学体系の中見えるが,「今の教育の能率の上がらぬのは,教師に教育方法上の知識の 欠乏と,それが実行技術の練習の不足との二点に約することが出来,而してその知識 の欠乏は結局,目的観念の不明確と之に達する方法観の貧弱とに約することができる であろう。…中略…己の仕事に明目的であり,且つそれに向かって計画的の手段を選 んで進行することが出来ねばならぬ17。」との理念を含む実践と見ることができる。
1 谷岡先生―目的と方法を明確に持った実践
谷岡先生の目的と方法を明確に持った実践の事例をみてみたい。
牧口が「被教育者即ち学習者の生活が無意識の行動から跳躍して,意識的である許 りでなく,己の仕事に明目的であり,且つそれに向かって計画的の手段を選んで進行 することが出来ねばならぬ。この域に被教育者を到達させることによって初めて能率 の最高限度に上げしめることが出来ると信ずる。合理的学習とは之をいう。」と述 べ,さらに「教師が合理的活動の上に被教育者をも有目的の活動に導く活動。被教育 者をして明目的,計画的に活動せしめる合理的活動に導く教師の合理的活動」と述べ ているが,谷岡先生は,牧口の「意識的」であり,「明目的」であり,「計画的の手段 を選んで」子どもを指導していくのである。
谷岡先生とのはじめての出会いは3年理科の授業参観の時だった。谷岡先生と3年 生の子ども達は「ゴムで動くおもちゃ」作りをしていた。十分巻いたゴムで出来るだ け遠くに動く車を作るというものである。みな一生懸命挑戦していた。ゴムをたくさ
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ん巻いた方がどの子も遠くまで動いたが,ある児童が十分巻いたのになかなか遠くま で進まなかった。T先生は「不思議だね」「どうしてだろう?」「もう一度やってみ る?」と真剣に語りかけていた。しかも,(大人の推測では作り方に問題があるので はないかと思われたが)その子の実験結果(欠陥車による欠陥のある結果ではないか と思えるような結果だったが)をきちんと板書し,その結果を子ども達全員で共有 し,その実験をそのまま事実通り,正確に実施,そして計測していた。その子の実験 を最大に尊重しその考えに沿って感動を共有していた。谷岡先生の実験に対する真摯 な態度に,そのクラスの子どもたちも彼の実験結果を自分のものとして真剣に考え,
なぜ,そのような結果になるのかを考えていた。そして,皆で,一歩一歩真実(学習 の目的)に近づいていった。目標が明確であり,その手立てが子ども達に良く理解さ れていたことが,分かる授業であった。
谷岡先生は「めあて」を持ち,話すことについて,次のように述べている。
理科学習は,それぞれが「今日の学習のめあて」を持つことから始めます。「今日 は月の勉強をするので,友達の意見を良く聞いて,しっかり考えたいと思います。」 と,最初の子どもが発表しました。新学期当初に,「このような『めあて』は,本当 の自分のめあてではありません。奈良女子大学付属小学校の良くない形の,仕方なく 言う時の,決まり文句なんですよ。」と,お話をします。このめあては,「今日はサッ カーをするので,友達の様子をよく見て,しっかり頑張りたいと思います。」「今日は 割り算をするので,先生の話を良く聞いて,しっかり考えたいと思います。」と言う ような,その場を単に乗り越えるための,頭を使わない型式の言い方なのです。」学 習に自ら関わっていこうとする意欲が感じられない,上滑りの言い方です。そこで,
「もっと具体的に,自分は月の観察をして,どんなことを思ったのか,考えたのか,
何が分かったのかを,言えばよいのですよ。」ともう一度,言い直させます。
そうすると,「私は満月の色の変化が気になっていました。東の空に出た時の色は オレンジ色で,上に動いてくるとだんだん黄色くなってきました。夕日が当っている からかなと思いました。」と,自分の気になることを発表できました。続く子ども達 も,「月には海と陸があるという話が,前回出ていて,それはクレーターの数の違い だと分かりました。子ども新聞には,月に水があると書いていて,この海のことと関 係があるのかなと思います。」また,次の子どもは,「三日月は,夕方6時頃見えて9 時頃沈んだので,3時間で沈むので,出ている時間は短いなと思いました。などと,
次々と危なさそうな意見が続きます。聞いている私はどきどきします。(こぎつね ノート 2009年8月号:No.058)
以上のように毎時間,「めあて」を数人が発表していくと,さらに付け足し意見が あったり,反対意見が出たりして,「めあての発表」の場そのものも議論の場になっ ている。そして,子ども達の疑問も理解も深まっていった。谷岡先生は,独自学習で 大切な「経験」・「観察」を「詳しく書く」というポイントを子ども達に話し,さらに
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はめあての質を高める方法を自然に子ども達に会得させているのであった。子ども達 はお互いの意見をしっかり「聞く」ことによる相互学習によってお互いに意見を交換 しながら,さらに相互学習として「つなぎ」,そして自分の学習の深まりを生み出す,
いわゆる「もどって」くる独自学習というものになっているのだ。
さらに,谷岡先生は,4年「骨と筋肉」の授業のことをつぎのようにも述べている。
子どもにとっては,どの学習も初めてですが,教師は事前に子どもが扱いやすい素 材の準備,実験器具の整備,学習環境,主な活動の選定などについて,考えておく必 要があります。今回は,骨や筋肉について,私も久しぶりの学習なので独自学習用の ノートを一冊用意して,基本的な資料調べ,用語調べをしてみました。学習の最初は 子どもの持っている素朴な疑問を明らかにすることが大切だと思いました。そこで,
最初の独自学習の「学習のめあて」をじっくり読んで,子どもの思いを整理してみる ことにしました。
このように「めあて」についての思索を深めている。教師自らの独自学習に取り組 んでもいる。理科学習でめあてを持つことがいかに子供たちの生活と密接に関係して いるか,そして質の高いめあてを持つことがいかに子ども達自身の学習の質を高めて いるのかがよく分かる授業であった。もちろん,一人ひとりの子ども達の生活,能力 の実体を掴んでいなければできない指導,助言である。谷岡先生は,毎日,子ども達 の自由研究,日記に全て目をとおしてコメントを書いておられた。
2 椙田先生―教師の学びの深さのある授業
椙田先生は,国語の先生である。国語の授業公開の時は教室に入りきれない程の全 国からの参観者が集まる。椙田先生の第一印象は優しく親切,おっとりした優しさの 中に,自身の研究授業に対して真摯に向き合う輝きがあった。その授業はさすがであ る。「聴く」「つなぐ」そして「子どもたちが見通しを持って生き生きと学習する様 子」が,その実践の至る所に輝いていた。懇談のおり,自身の壁にぶつかった体験を 院生の前で赤裸々に語ってくれたのである。どこまでも児童生徒の興味関心を大前提 にした授業の取り組みであった。その実体験は「自己満足」への挑戦とも言えるもの だった。教師の学びの深さが授業を深める共学者としての教師を見る思いがした。椙 田先生が淡々と次のように語ってくれた。
1991年11月の「ごんぎつね」の授業だった。五場面から六場面へはいるところで「お れがくりや松たけを持っていってやるのに,そのおれにはお礼を言わないで神様にお 礼をいうんじゃあ,おれは引き合わないなあ」といっているごんが「その明くる日も くりを持って,兵十のうちへ出かけたことをどう思いますか」と問いかけていた。こ の日子どもたちは,参観の先生方に囲まれ,張り切って自らの思いを表現していた。
椙田先生も落ち着いた気持ちで子どもたちの発言を聴きながら板書をしていた。しか し,途中からあることにとらわれるような聞き方になっていった。それは「どうし
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て,子どもたちは「ごんは,兵十と仲良くなりたかった」という考えを誰も言わない のであろうか。大概のクラスでは出てくる意見なのに。今日までに叙述の押さえが足 りなかったのだろう」と,頭の中は次第に「なかよし」という言葉を待つ聞き方になっ ていった。とうとうその時間には出てこなかった。集中力を欠いたまま,何とか授業 を終えた。授業後参観されていた知り合いの先生が目を細めて「いやあ,子どもって おもしろいですね。その子なりにごんと兵十の関係をいろいろに考えて表現するもの ですね。聞いていて楽しかったですよ」といわれた。
このとき,私ははっと我に返った。「何ということだろう。いちばん子どもたちの ことを知っているはずの担任が,一人ひとりの発言を楽しむどころか,ある言葉を待 ちながら子どもたちに失望しながら聞いていたのだ。」この時の後味の悪さや恥ずか しさは,いつになく自分自身を思い知るよいきっかっけとなった,という話であっ た。
そして,じっくり考えてみると,次のことに気がついたそうだ。これまで,子ども 一人ひとりを大事にしよう。そして,「子どもの思考に添っていこう,子どもの筋に のっていこう」。何度も耳にし,自らも使ってきた言葉が,体を素通りしていただけ だったのだ。授業でやってきたことは,自分が教材を解釈したとおりに,その思考過 程をたどらせていただけだったとわかったのである。結局「なあんだ。私は,自分自 身の為に授業をしていたのか。自分の都合よい授業をしていたのだ」という思いを強 くしていった,というのである。
「ある子どもの発言を聞いているのは教師の私だけではないのに,まるで,聞き手 は担任一人しかいないかのように」勘違いしていたことにも気づいた。そして,率直 に子供たちに「どこをどう直せばよいのか教えてほしい」と相談した。すると子供た ちは,先生は,次々に「…はどうですか?」「…をどう思いますか?」とみんなに問 いかけてきます。だから私は,考えが終わっていないのに,次のことを言われるので ついていけないなあと思います。もっと自由に発言できて堅苦しくない授業にしたい です。等々,子どもの身になっていない自分が次々と映し出されていった。
そして,教師の仕事は「つなぐ」ことであることにきがついたのである。もういち ど,子供たちに「もどし」自分の殻をやぶる2年間の挑戦を始めたのだった。子ども を頼りに授業の殻を破り,子どもの追求を楽しむことの不十分さに気づき。子ども観 を変えていったのだった。子ども観が変わったとき,子どもたちが「見通しをもって 学習していること」「自らの学習をつくっていること」「自らを認めることによって飛 躍する子どもたちが見えてきたそうだ。(「わたしの授業改善18」)より)
椙田先生が体験を赤裸々に語ってくださった姿に「指導者」としての教師と「共学 者」としての教師を見たのである。また,ここにこそ奈良の真骨頂があるとも感じ た。常に自身の殻を破り向上し続けていく教師に学べる子ども達は幸せだと思ったの である。教師の学びの深さが授業を深めるとの一つの実証であった。
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Ⅴ 児童中心主義に生きる教師達―まとめにかえて
「私は人は本能を基礎として教師指導の下に漸次自律的学習を遂げて人らしく発展 することが可能であることを子どもから教えられた」また,「児童中心主義の学習法 においては教師は直接に学習者を動かすことをなるべく避けて出来るならば間接に指 導し児童生徒に自ら進んで学習を遂げさせるようにすることを重要視する。」と木下 が「学習原論」で強調している学びが時代を超えて,奈良女付属小では出来ているの である。そしてその結果として,「師弟ともに全自己を活動させてともに伸び,とも に歓ぶことができる19。」を日々実践している。佐藤のいう「学びの専門家」としての 教師の姿があるといえる。成長し続けている教師であるからこそ大正期に示された
「学習原論」を今に蘇らせることができているのではないか。
「創価教育学体系」を著わした牧口も「学習原論」を著わした木下も「生活から出 発し」「経験を基礎とする」という原則を遵守している。また,向上への情熱を失わ ない教師集団による実践的研究がその中心軸にある。
奈良女附属小の子ども達は 1.自律的に学ぶ子どもである。
2.値打ちのある自らの目標と取り組んでいる。
3.施行錯誤しながら,お互いに学び合う。
4.その結果,自分流の学び方を体得していけるように進んで行く。
5.そして,子ども達が人とは違うかけがえのない自分自身を実感する。
6.独自・相互・独自学習の繰り返しで,人間的な強さを磨いていける。
教師の実践は
1.「学習法」の体得へ向けた取り組みになっている。
2.学習の仕方を教師はていねいに指導している。
3.子どもが自律的に学習するためにいくつもの総合的な学習の提案がある。
4.「学習法」の実践は,子どもとともに,教師の自己改革の道のりとも言える。
木下竹次の「教育原論」に常にもどり,また,木下竹次,重松鷹泰を乗り越え現代 に生き生きとよみがえらせている教師集団の存在が奈良女附属小にある。
まさに,牧口が,「教師とは児童の幸福のために尽くす下僕」と考え,池田が,ヤ スパースの「自ら研究する人だけが,本質的に教えることができるのです20」(「大学 の理念」新・人間革命人間教育27)との言葉を引用し,「学び,成長してづける教師 に」と期待を寄せている実践がおこなわれているのである。
今回,教師論その1として,「奈良で学ぶ意義」について教師論の視点から考えを まとめてみた。成長し続けている奈良付属小の先生方に出会えたことは,幸運であ る。範を示す先駆者がいるということの幸せである。今回の論文は,もちろん最初の
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印象をまとめたもので,これから,学んだ一つひとつについて考察を加え,まとめ上 げていく必要があると思う。例えば教師論の宝庫ともうべき研究誌「学習研究」を研 究することも興味深い研究となるのではないか。今回は,第一歩としての初発の感想 としての「教師論その1」である。
創価大学教職大学院の院生一人ひとりが大きな課題を持ち,研究の現場として学ば せていただく奈良女附属小の持つ大きな可能性について少しでも論じることができれ ば,営々として研究の歩みを運んでこられた奈良女附属小の先生方の偉大さを世にし めすことになるのではないだろうか。
参考・引用文献
1 牧口常三郎 創価教育学体系上 119p〜139p 牧口常三郎全集第1巻 東西哲学書院 1965年
2 池田大作「新・人間革命」人間教育の章15(2011/3/4付 聖教新聞)
3 木下竹次『学習原論』1923年 目黒書店刊
4 新訂・「奈良の学習法」『確かな学習力を育てるすじ道』明治図書 2008年4月 5 牧口常三郎 創価教育学体系下 82p〜83p 牧口常三郎全集第2巻 東西哲学書院
1965年 6 同上 483p 7 同上 483p
8 中谷内政之 新訂・奈良の学習法「確かな学習力を育てるすじ道」5p明治図書 2008年 9 蜂須賀 渉『奈良の学習法』を支える日常的な学習指導 愛知教育大学教育実践総合セ
ンター紀要 2010年
10 木下竹次「学習原論」18p 世界教育学選集 明治図書 1972年 11 同上 13p
12 牧口常三郎 創価教育学体系下 460p 牧口常三郎全集第2巻 東西哲学書院 1965年 13 「学習研究」446 2010年 8月号
14 木下竹次「学習原論」13p 世界教育学選集 明治図書 1972年 15 同上 16p
16 同上 19p
17 牧口常三郎 創価教育学体系下 470p 牧口常三郎全集第2巻 東西哲学書院 1965年 18 椙田萬理子「私の授業改善」2008/11/17 院生との懇談会
「学力が身に付く授業の「技」2 ぎょうせい 2006年
「学習研究」336 1992年 4月号
19 木下竹次「学習原論」13p 世界教育学選集 明治図書 1972年 20 池田大作「新・人間革命」人間教育の章27(2011/3/18付 聖教新聞)
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Teachers in the Elementary School Attached to Nara Women’s University who Continues to Grow
Sachiko WAKAI
(Visiting Lecturer Soka University Graduate School of Education)
In this elementary school, “free education” from the Taisho period and children-centered education have been inherited and kept fresh to this day. Children are cultivated a firm founda- tion of learning. In addition, there are great “teachers” who support that learning. As teachers, doing research that focus on those “teachers” would advance the growth of ourselves, who are the most important element in an educational environment. Through education and practice of two teachers, it was found that the growth of children is closely linked to the growth of teach- ers.
Keywords : Theory of teachers, Children-centered education, The learning method of Nara
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