勤 労 権 の 理 論 的 展 開
(その二・完)高橋保
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目次
緒論
第一︑勤労権の概念
O経済学的分析における勤労権
⇔市民法における勤労権
⇔アメリカにおける勤労権
第二︑憲法における勤労権とその規範的構造
O勤労権と労働管理政策
⇔勤労権の規範的構造
⇔勤労の義務の論理
第三︑憲法における勤労権の展開
O個別立法による勤労権の保護
⇔団結立法による勤労権の保護
結語
32a
緒
蓄△・
ロ冊
本稿は︑拙稿﹁勤労権の理論的展開﹂(その一)(創価大学︑開学記念論文集掲載)に続くものである︒
筆者は︑前稿において︑憲法第二十七条第一項の勤労権を︑いわゆる生存権的労働権(轟馨8冨ぴ︒葦図9窪餌亀
︾告︒賞費鼻碧冨く鉱一)として観念すべきでないことを論じた︒しかし︑それは︑生存権的労働権なるものを否定す
るものではなく︑むしろそれを肯定し︑それはわが国の場合は︑憲法第二十五条の生存権において観念せられるべき
ものとした︒
すなわち︑本来的な意味での﹁労働権﹂は︑資本に対抗しうる︑労働者のための諸権利を包含するものである︒従
って︑それはひとえに︑勤労権︑或は団結権︑団体交渉権︑争議権のみではないのである︒憲法第二十七条第一項の
勤労権のみに︑生存権的労働権を求めることは︑広義の意味での労働権としては︑妥当であるが︑同時にそれは︑労
働権のほんの一つのカテゴリーであって︑すべてを意味しない︒また︑前稿ですでに述べたように︑わが国における
勤労権の通説は︑要するに︑国家に対して︑労働の機会の提供を要求する権利︑または︑その機会の提供がないとき
は︑相当の生活費の支給を要求する権利︑とせられる︒筆者は︑まさに︑それこそが生存権の内容をなすものであ
り︑且つそのような見解をとる労働権論は︑その生存権の中でこそ論じられるべきであるとするのである︒
然るに︑憲法第二十七条第一項の勤労権は︑別な意義において観念せられるべきである︒しかし︑憲法の規定する
勤労権の内容は︑同条のみでは︑その内容を把握することは不可能である︒ましてや︑同条は︑単に抽象的な宣言の
仕方をしているのである︒それ故︑憲法の勤労権の内容を把握するには︑まずその概念の設定をしなければならな
い︒そのためには︑資本主義経済秩序において︑勤労権としての権利性を具備しているのは︑いかなる根拠に基くの
かを考究せられなければならない︒なかんずく.経済学的分析における勤労権を理解すべきである︒また︑いかなる
権利であっても︑権利として︑法的に存在しうるのは︑それなりの歴史的耐久性を有しているのである︒従って︑市
民法における勤労権の歴史的耐久性を究明すべきである︒さらにまた︑憲法制定時における連合国︑なかんずく︑ア
メリカの影響を鑑み︑勤労権は︑アメリカにおいて︑いかなる意味内容を有しているかを究明しなければならない︒
それは︑わが国の勤労権を考究する場合に重要な判断基準となる︒
本稿は︑かかる問題意識のもとに︑勤労権の概念を設定し︑それがいかに憲法の規範的構造を有し︑また展開され
ているかを論究するものである︒
勤労の権理論的展開
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第一勤労権の概念
0経済学的分析における勤労権
9資本主義経済秩序は︑商品交換行為という経済的行為を中心として営なまれる︒それによって︑勤労11労働も
労働力という商品性を有することが認められた︒しかし︑元来︑勤労ということの意味には︑二つに分けて考えられ
る︒すなわち︑われわれの日常生活の営みのために使用される労働︑これは︑自然的労働と称せられる︒また︑人間
の物質生活の営みのために使用される労働のほかに︑資本の剰余価値を生産するために使用される労働もある︒これ
を︑商品性のある労働と称することができる︒資本主義経済秩序の中で問題となる労働とは後者の商品性のある労働
であることはいうまでもない︒すなわち︑資本主義経済秩序のもとで︑動的機能を果すのは︑商品交換である︒従っ
て︑労働は︑その商品交換にたえうる財産的価値を有しなければならない︒蓋し︑資本にとって必要な労働は︑資本
の剰余価値を生産できるような経済的価値を有する労働であるからである︒かくて︑資本主義経済秩序は︑その内在
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的な命題として労働力という商品性の有する労働を︑労働者に認めることになる︒このことは︑労働力が二面的機能
を果すことを意味する︒すなわち労働力は︑一方において︑資本の剰余価値を生みだす機能を果すと同時に︑他方に
おいて労働者の生活資源のための機能を果す︒従って労働力をめぐって︑労働と資本との対抗関係を形成すること
は︑資本主義経済秩序における必然的な現象である︒
しかるに︑資本主義経済秩序において︑勤労権とはなにか︒それは︑商品性を有する労働︑すなわち︑労働力に対
する権利にほかならない︒労働力に対する権利とは︑労働力を保有する権利のみならず︑それを処分︑収益する権利
をも包含することは当然である︒従って︑勤労権をして︑労働力に対する権利︑すなわち︑労働力の処分権であると
解することは︑経済学的分析における労働の本質を考えると当然のことである︒
同資本主義経済秩序︑すなわち商品交換の内在的命題として︑労働力という商品性の有する労働が観念された︒
しかし︑労働力は︑身体と一体不可分の関係にある︑現実に労働者の身体と遊離することは不可能である︒従って︑
労働力を一個の商品として評価することは︑観念的な遊戯の世界に過ぎない︒資本主義経済秩序︑なかんずく︑市民
法の虚偽性というべきである︒
しかるに︑労働力を商品化したとしても︑その労働力自体の問題から︑いくつかの特殊性をみることができる︒例
えば︑ω︑商品化された労働力は︑労働者の唯一の生活資源である︒従って︑労働者は︑その労働力を売るか否かの
自由をもっていても︑生活︑生存のためには︑安くとも売らなければならない︒従って︑労働力そのものに︑法律の
形式をとおらない経済外的強制がある︒②︑そのことから︑労働者は︑労働力に対する権利︑すなわち勤労権を有す
るとしても︑資本に従属した︑従属労働とならざるを得ない︒㈹︑労働力は︑身体と一体不可分である︒それ故︑労
働力を資本に売り渡したとしても︑現実には身体ごと資本所有者の支配下に入らざるを得ない︒資本の支配下で︑資
本所有者と労働者は︑人格的従属関係勺①毎9包一〇冨︾びげ餌昌σq碍閃①騨を形成せざるを得ない必然性がある︒そこで
勤労権の理論的展 開
は︑労働力ではなく︑労働者自身が商品化される可能性が生ずるのである︒ことに︑わが国のように︑身分的支配傾
向の強いところでは︑その可能性は充分にある︒それを防ぐには︑労働者の組織力に期待するよりない︒四労働力
は︑本来的には︑﹁滅失的﹂bo甑ωoけ〇三〇な性質を有し︑ストックのきかない商品である︒従って︑労働市場で︑高
いときに売るというような市揚操作ができない︒㈲︑最後に資本にとって︑是が非でも必要な労働力を資本自から生
産することができない︒蓋し︑労働力は︑労働者の肉体をとおして生産されるからである︒かように労働力の特殊性
については︑多数挙げることができる︒そしてまた︑その労働力の特殊性は︑勤労権そのものの特殊性として多くの
命題をなげかけることになる︒
国資本主義経済秩序における勤労権は︑すでに述べたように︑労働力の処分権である︒しかし︑その権利は︑労
働者の固有の権利として︑当初から存在したとはいえない︒資本主義経済の発展段階の中で︑身分的封建的社会的基
盤の仕組から︑当初はむしろ︑資本の支配下の中に同化していたといえる︒やがて私有財産制度と契約の自由という
市民法体系が明確にされるに至って︑勤労権は︑労働者の自由の一部として︑観念されるに至った︒しかし︑そこに
おいても︑労働者の固有の権利としての規範的な意識が一般的になったとはいえない︒それは後の資本主義経済の発
展過程の中で︑階級意識の目覚めと共に︑勤労権としての権利性を明確にしていったのである︒従って︑そこに勤労
権の歴史的沿革を見ることができるのである︒
註一︑松岡︑﹁憲法と市民的自由と労働基本権﹂(明大法学部︑七十五周年︑記念論文集︑二七七頁)︒
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目市民法における勤労権
0資本主義経済秩序における労働力の販売と購売の商品交換関係は︑市民法においては︑市民対市民の法律関係
として投影される︒従って︑その市民法の法律関係において︑勤労権はいかなる理念的規範構造を有するか︑につい
て究明してみたい︒しかし︑市民法下の勤労権を理解するには︑市民社会の成立の背景を知り︑市民法の理念構造を
理解しなければならない︒
しかるに︑資本主義経済秩序における商品の自由交換関係は︑いうなれば商品所有者を中心とした自由市場での取
引関係である︒このような経済現象が明確になったのは︑初期の資本の原始蓄積過程から︑つぎの産業資本主義に移
行する形成過程若しくはその後であった︒すなわち︑古代︑中世における権力者を中心とした絶対的社会的支配関係
は経済関係においても反映した︒そこにおける経済関係は︑時の権力者の恣意的︑専断的経済行為を中心とした︒ま
た︑そこにおける労働者の身分は︑権力者自身の身分の延長若しくはその中に同化されていた︒労働者の労働力とい
う観念はなく︑仮りにその意識が存在したとしても︑労働者の労働力はすなわち権力者の労働力であるとされた︒こ
れを︑封建的身分的労働関係︑或は家父長的労働関係と称せられている︒従って︑そこでは︑労働者が労働力の所有
者として︑労働市揚に登場するという︑商品交換形態を一般的に形成していなかった︒その形態が一般的な経済現象
になったのは︑産業資本主義に移行してからである︒この段階になると︑労働関係において変異をみるのである︒す
なわち︑そこでは︑且つての権力者対奴隷︑また封建的土地所有者対農奴という関係がなくなった︒かわって︑自
由︑平等︑独立の商品所有者という経済主体者相互の関係になった︒かくて︑労働者は︑労働力の商品所有者とし
て︑資本主義経済組織の中に登揚することになった︒従って︑そこでは︑労働者は且つての奴隷︑農奴ではなく︑労
働力という商品所有者として︑一個独立した人間︑人格としての意識が萌芽することは必然である︒そして︑こうし
た規範的意識は︑労働者にも︑資本所有者と同じ市民権を法認することになり︑そこに始めて市民社会の形成をみる
のである︒
この歴史性から理解されるように︑市民社会の形成は︑資本主義経済の発展過程上において見られ︑資本主義経済
社会そのものである︒そしてまた︑労働力という規範的意識︑従って︑その労働力に対する権利としての勤労権意識