はじめに
本論では「沖縄」ではなく「琉球」という言葉 を使いたい。琉球は奄美諸島、沖縄諸島、宮古諸 島、八重山諸島を含んでいる。約450年間、独立 国家であったという記憶を「琉球」という言葉は 喚起する。19世紀半ば米国、仏国、オランダ等と 琉球国は修好条約を結んだ。中国だけでなく欧米 諸国も琉球国を独立国として認知していた。琉球 国が日本に併合された後や、日本「復帰」後に「沖 縄県」という名称が与えられたように、「沖縄」
は日本への帰属性を象徴する言葉でもある。本 来、琉球は日本と同等の政治的地位を有している のである。また、沖縄島という単一の島の名称を 採っていることから、沖縄島中心のモノの見方に なりかねない。現在、宮古諸島や八重山諸島の 人々は沖縄島に行くとき「沖縄に行く」と言う場 合が多い。沖縄島は琉球の中で最も面積が広く、
国の主要機関、県庁、大学等が置かれ、広大な米 軍基地もあるが、琉球の中心ではなく、島々の一 つでしかない。奄美、沖縄、宮古、八重山の島々 の言葉はそれぞれ通じないほど、島の文化は多様 である。「琉球」という言葉には、日本との関係 を問い直し、島々の平等な関係を構築したいとい う思いが込められている。
2009年は薩摩藩の琉球侵攻から400年、1879年
の「琉球処分」から130年の節目の年であった。
本論では琉球のこれまでの植民地としての歴史、
現在の政治経済的支配体制を検討したうえで、土 地の文化・歴史・自然に基盤をおく琉球の自治と 自立の可能性について論じてみたい。
1.琉球の植民地史
グスク時代、古琉球時代において琉球は、中国、
朝鮮、日本、東南アジア諸国等と交流し、交易活 動を行う島としてアジアの中で独自の存在感を示 していた。しかし1609年、薩摩藩は琉球国を武力 侵略し、幕藩体制下に琉球国はおかれるように なった。琉球国は江戸幕府への朝貢と薩摩藩への 納税が強制され、薩摩役人が首里城において王府 を監視した。奄美諸島は琉球から分断され、島津 藩の直轄領となり、サトウキビのモノカルチャー が強制され、奴隷制度が形成され、飢饉、餓死、
抵抗という歴史の道を歩んできた(1)。1609年以 降、奄美諸島と沖縄・宮古・八重山諸島とは異な る体制下におかれたため、前者を北琉球、後者を 南琉球と呼びたい。
1571年に尚元王が第3回「大島征討」を行なっ たように、宮古・八重山諸島と同じく、奄美諸島 も王府が武力を用いて制圧し、併合した島々であ る。特に奄美大島、喜界島の人々は最後まで王府 に激しく抵抗した。王国の支配を喜んで受け入れ 特集:国なき民族の現在
土地に根ざした琉球の自治と自立
─薩摩侵攻400年、「琉球処分」130年を契機として─
松 島 泰 勝
(龍谷大学教員・ゆいまーる琉球の自治代表)
たわけではない。また太平洋戦争後の米軍統治下 におかれた沖縄島で働く奄美諸島出身の住民が公 職追放され、選挙権も奪われた。「大島人」とし て差別されたこともあった。琉球内においても支 配・差別の歴史があったのである。
1879年、日本政府は軍隊を用いて強制的に琉球 国を滅亡させ、国王を東京に拉致し、琉球国を日 本国に併合した。日本政府は一連の併合過程を
「琉球処分」と名付けた。琉球側に問題があり、
日本が上から「処分」したという歴史捏造が行わ れた。琉球国は沖縄県という日本の一地方にな り、外交権、貿易権、内政自治権が奪われた。「琉 球処分」に対して日本政府は現在まで謝罪、賠償 を行っていない。近代期において琉球人は同化、
皇民化政策、差別の対象となった。日本人企業や 商人によって県経済が支配され、県知事をはじめ とする県庁幹部も日本人がほぼ独占した。1920年 代には、世界的なサトウキビ価格の下落により琉 球農村が疲弊し、毒を含むソテツまで食べざるを 得なくなるという「ソテツ地獄」に琉球人は投げ 込まれた。多くの琉球人が生き抜くための場所を 求めて国内外に移住した。
1945年、南琉球は日本本土を守るために「捨て 石」として扱われ、島々において地上戦が展開さ れた。海に囲まれた島嶼において琉球人は戦争に 巻き込まれ、逃げ場がなく、多くの生命が失われ た。琉球人は日本兵によって虐殺され、集団死が 強制された。日本政府は現在でも日本軍による集 団死の強制という事実を教科書から抹殺しようと しており、琉球人に対する「戦争」は今も続いて いる。
終戦後、1971年まで南琉球は米国の軍事植民地 となった。島々は実質的な米国領土となり、軍事 基地優先の政策の中で琉球人は土地や生命を奪わ れた。米軍人が琉球人を殺害し、レイプしても刑 に服することなく米国に逃げ帰る事例も頻発し た。
1972年の日本「復帰」以降、南琉球は日本政府 主導の開発、画一化政策の下で翻弄されるように なった。また日本の行政・政党・企業による系列 化が進み、本土と同一の法制度が無理やり適用さ れた。島々は観光植民地となり、基地や振興開発 によって琉球社会が分断化され共同体の破壊も進 んだ。日本全国土面積の0.6%の沖縄県に在日米 軍基地の74%が押し込められ、米軍人に特権を与 える、不平等条約である日米地位協定の下におい て琉球人の生命が脅かされている(2)。基地撤去、
地位協定改正を琉球人が主張しているにもかかわ らず、日本政府は日米同盟を優先し、琉球人の叫 びを無視する状態が今でも続いている。
このような琉球の植民地史を振り返って気付く ことは、1609年の薩摩侵攻、1879年の「琉球処分」
という日本による琉球に対する支配・差別・収奪 の体制は、2つの歴史的時点にとどまるのではな く長期の歴史を通じて貫通する構造的なものであ るということである。400年、130年前に発生した 問題は、現在、琉球が抱えている諸問題の本質と も深くかかわり合っている。
2.琉球支配の手段としての振興開発
1953年に北琉球、1972年に南琉球が日本「復帰」
して以来、奄美群島振興開発特別措置法、沖縄振 興開発特別措置法という琉球限定の法律によって 開発が行われてきた。南琉球の場合、東京に拠点 をおく沖縄開発庁(2001年に内閣府沖縄担当部局 に組織改編)が主導して作成し実施する振興計画 に従って、「経済自立、格差是正」を目標にした 振興開発が推進されてきた。
鹿児島本土との経済格差の是正を目指す「奄美 群島振興開発事業(奄振)」という名の開発を通 じて鹿児島による支配体制は現在も続いている。
同事業の内容や方向性は鹿児島県地域振興局が実 質的に決定している。県の出先機関である大島支
庁は、名瀬市街地を一望できる「おがみ山」の上 り口に位置している。支庁は市街地を見下ろす場 所にあり、住民の生活を左右する力をもっている として、人々から「拝まれる」地政学的な場所を 占有している。また、内閣府沖縄担当部局の現地 エージェントである沖縄総合事務局は、都市再生 機構が主導的に開発した植民地的な街である那覇 新都心「おもろまち」に建設された合同庁舎の中 にあり、出入り口には厳重に住民の出入りを監視 するガードマンが配備されている。
南琉球において開発の目標は実現したのであろ うか。2006年度における県外受取の金額と構成比 をみると、県外から財政への経常移転が約8,656 億円(38.8%)、観光収入が約4,083億円(18.3%)、
軍雇用者所得・軍用地料・米軍等への財・サービ ス提供が約2,039億円(9.1%)である(3)。2006年 度における沖縄県、県内市町村の地方税による自 主財源率はそれぞれ17.8%、20.9%であり、全国 平均37.9%、35.7%の半分程度でしかない(4)。観 光収入、基地関連収入よりも国からの補助金に大 きく依存しており、その結果、自治体の財政自立 度も低く、国への経済従属が深化している実態が みてとれる。
2006年度における県内総生産と国内総生産の構 成比を比較してみると、第一次産業が1.9%と 1.5%、第二次産業が11.8%(うち製造業が4.1%、
建設業が7.5%)と27.7%(うち製造業が21.3%、
建設業が6.3%)、第三次産業が90.3%(うちサー ビス業が33.0%、政府サービス生産者が16.8%)
と73.9%(うちサービス業が23.5%、政府サービ ス生産者が9.3%)であった(5)。島の自然に直接 関連する農林水産業、地産地消の柱となる製造業 が大きく衰退する一方で、観光業を中心とした サービス業に偏重し、振興開発により政府部門が 肥大化している。食料自給、物的生産の基盤が脆 弱であり、島外への依存度が増し、国内外の経済 変動に左右されやすい歪な経済構造となった。
1972年から2009年まで累計で約9兆6,504億円 の振興開発事業費が投じられてきたが、そのうち 公 共 事 業 関 係 費 が 約 8 兆900億 円 を 占 め て い る(6)。道路・港湾・空港・ダム等の建設、土地 改良事業等により、沖縄島周辺サンゴ礁の90%以 上が振興開発により破壊されるなど、琉球人が生 きるための土台(サブシステンス)が掘り崩され てきた。さらに振興開発による施設・インフラの 建設費は高率補助によってまかなわれるが、それ らの維持管理費は自治体の負担となり、財政赤字 が増大する要因になっている。また振興開発関連 公共事業の約半分は県外の業者が受注している。
主要産業である観光業でも本土の大企業による経 済支配が顕著である。経済活動を琉球の島々で行 いながら、利益の大半は本土に流れ、納税も本社 がある本土で行うという、植民地経済構造が形成 された。
2006年度における南琉球の一人当たり県民所得 は約209万円であり、全国平均所得292万円に比較 して、格差は71.5%である。2008年度における完 全失業率は7.4%であり、全国平均4.0%よりも大 きく上回っている。特に若年者の失業率が高く、
15 〜 19歳 が22.2 %( 全 国8.0 %)、20 〜 24歳 が 15.8%(7.1%)である(7)。南琉球では不安定な 職場で働く人も多く、2007年における全雇用者に 占める非正規雇用者の割合を見ると南琉球が 39.0%、全国が33%、同年の全雇用者に占める臨 時・日雇いの比率をみると、南琉球が19.4%、全 国が14.0%となっている(8)。2004年における南琉 球と全国平均のジニ係数を比較してみると、それ ぞれ収入では0.311、0.257、貯蓄現在高では0.642、
0.543、住宅・宅地資産額では0.642、0.555であ る(9)。「復帰」後、本格的な市場経済が導入され、
本土企業の進出、日本産商品の流入で、琉球企業 が倒産に追い込まれ、失業者が増えた。コールセ ンターや観光業等のように琉球に進出してくる企 業は、低賃金・重労働・不安定な職場を増やした
ために、南琉球内における貧富の格差が拡大する ようになった。日本本土との格差是正を目指して
「復帰」後、振興開発を実施してきたが、本土間 格差が解消しないだけでなく、琉球内格差を拡大 させたのである。
奄振は、1954年から63年までの「復興事業(約 210億円)」、64年から73年までの「振興事業(約 438億円)」、74年から83年までの「振興開発事業
(約3171億円)」、84年から93年までの「新振興開 発事業(約6030億円)」、94年から03年までの「第 3次振興開発事業(約8420億円)と実施されてき た(10)。奄振の大きな節目は「振興開発事業」か らであり、前の時期に比べ8倍近く増大し、「沖 縄振興開発事業(沖振)」のように「開発」とい う言葉が挿入された。沖振の高い補助率に合わせ るべきであるとの北琉球側の主張にそった結果で あるといわれている。南琉球によって北琉球の開 発に拍車が掛かったのであり、北琉球のサブシス テンスの破壊に南琉球が加担したともいえる。
奄美諸島が「復帰」した時の人口は約20万人で あったが、現在は約12万人に減少した。被生活保 護率や失業率も高い。限界集落も多く、奄美最大 の都市の奄美市は財政危機の状況にある。若者は 職を求めて本土の工場や南琉球のリゾート施設に 季節労働者として働きに出て行く。
南琉球では米軍基地と振興開発とのリンケージ が顕著になっている。1995年、琉球人少女が三人 の米兵にレイプされた事件を発火点にして全島的 に反基地運動が高まった。それを抑えるために、
1990年代後半以降、日本政府は基地と振興開発と を強く結びつける次のような政策を実施してき た。約1,000億円の沖縄米軍基地所在市町村活性 化特別事業、約1,000億円の北部振興事業、SACO 補助金・SACO交付金の提供、駐留米軍再編推進 法に基づく再編交付金の提供、金融特区・情報特 区の指定、高等専門学校の設置等である。しかし、
これらの資金が重点的に投下された沖縄島北部を
中心とする基地所在市町村は、人口の減少、高い 失業率、商店街の衰退、自治体の財政負担増等の 諸問題に直面している。本来、振興開発は琉球の 経済自立を目指したものであるが、実際は基地を 押し付ける手段として利用されているのである。
「復帰」後の、振興開発は本土企業を誘致する ためにインフラ整備に重点が置かれてきた。その 結果、自然や文化が破壊され、近代化が進み、先 住民族としての琉球人は生きる土台を奪われ、振 興開発を手段として米軍基地が強制され、日本企 業による経済支配が進んだのである。
3.先住民族・琉球人と日本国
琉球人である私は1996年の国連先住民作業部会 に参加したという経験をもつ。1994年に東京で開 かれた「アイヌ民族の権利回復をめざす集い」で 出会った上村英明氏と議論しながら自らの先住民 族性を考えた。アイヌ民族は1987年から国連先住 民作業部会に参加しており、その経験から多くを 学び、作業部会においても同じ日本の先住民族の 仲間として励まされた。軍事基地に反対する先住 民族の集いに参加した時、カナダのイヌー人が NATOの空軍基地撤去を求め、ハワイのカナカ・
マオリが米軍基地に強く反対しており、琉球人と 同じ立場に置かれた人々と知り合うことができ た。
先住民族とは、特定の地域に住み、独自の言 葉・社会組織・信仰・精神構造・経済様式・慣習 的法制度・土地制度など、他の地域とは異なる生 活世界の中で生き、大国やマジョリティの民族に より支配・収奪・差別されてきたという植民地の 歴史を有し、また現在もそのような状況におかれ ている人々である。他者が先住民族と認識し、定 義するのではなく、歴史・文化・自然に基づいて 自らの属性を自覚することが先住民族の規定にお いて重要になる。先に述べた琉球の植民地史から
考えても、琉球人は先住民族であるといえる(11)。 2008年10月、国連の市民的および政治的権利に 対する条約(通称B規約)人権委員会は日本政府 に対して次のような勧告を行った。「アイヌ民族 および琉球民族を国内立法下において先住民と公 的に認め、文化遺産や伝統生活様式の保護促進を 講ずること。彼らの土地の権利を認めるべきだ。
アイヌ民族・琉球民族の子どもたちが民族の言 語、文化について習得できるよう十分な機会を与 え、通常の教育課程の中にアイヌ、琉球・沖縄の 文化に関する教育も導入すべきだ」。この国連勧 告に対して、2008年12月、日本政府は次のように 反論した。「『琉球民族』の意味するところが必ず しも明らかでない。沖縄振興計画に基づき、沖縄 で伝承されてきた文化的所産の保存や活用、地域 の文化振興に取り組んでいる」(12)。
つまり国連は琉球人を先住民族として認め、そ の文化や伝統生活様式の保護、民族教育の実施を 日本政府に求めたのに対し、日本政府は、琉球人 を民族として認めず、沖縄振興開発によって琉球 の「文化振興」に取り組んでいると反論している のである。しかし、実際は、先に論じたように振 興開発により琉球人は民族としての生活や記憶が 奪われ、生存基盤が破壊され、米軍基地が押し付 けられ、日本の政府・企業・日本人による支配・
搾取体制下におかれるようになった。
2010年3月、第76会期人種差別撤廃委員会は次 のような勧告を日本政府に対して行った。「ユネ スコが数多くの琉球の言語、そして沖縄の人々の 独自の民族性、歴史、文化、伝統を認知したこと を強調しつつ、委員会は、沖縄の独自性について 当然払うべき認識に関する締約国の態度を遺憾に 思うとともに、沖縄の人々が被っている根強い差 別に懸念を表明する。委員会はさらに、沖縄への 軍事基地の不釣り合いな集中が、住民の経済的・
社会的・文化的な権利の享受に否定的な影響を与 えているという、現代的形態の人種主義に関する
特別報告者の分析をここで繰り返す。委員会は締 約国に対し、沖縄の人々の被っている差別を監視 し、彼らの権利を推進し適切な保護措置・保護政 策を確立することを目的に、沖縄の人々の代表と 幅広い協議を行うよう、奨励する。義務教育のな かで、アイヌ語・琉球語を用いた教育、そして両 言語についての教育を支援するよう、奨励す る」(13)。
つまり国連は琉球人を独自の民族として認識 し、米軍基地の押し付けを人種差別として考え、
義務教育の中で琉球語による教育を求めるととも に、差別の監視や権利保護措置に関して琉球側と 協議するよう日本政府に勧告したのである。日本 政府が琉球人を先住民族と認め、差別政策を改善 しない限り、今後も国連による各種の勧告は続 き、国際人権上、非常に立ち遅れた国として世界 から批判されるだろう。
日本政府が琉球人を先住民族として認めない背 景には、国民国家の領土保全の主張が存在すると 考えられる。先住民族の自決権は領土保全を求め る国民国家の立場と厳しく対立するとの指摘があ る。しかし、琉球の場合、日本政府は領土保全の 主張を正当化できるのであろうか。日本政府は
「復帰」前に「日本固有の領土」として琉球を位 置付け、領有化を求めた。だが実際は、琉球は日 本とは別の国家であったのであり、「固有の領土」
ではない。よって日本政府は領土保全の理由で琉 球人の自決権を否定することはできない。また、
ある国において民主主義が実現していれば領土保 全が優先され、独裁国家であれば領土保全は優先 されないという議論もある。日本と琉球の場合は どうであろうか。日本は一応、民主主義国と言わ れている。しかし琉球人の多くが基地反対を主張 しているにもかかわらず、在日米軍基地特措法を 国会で多数決によって成立させ、また振興開発資 金を利用して基地を強要し、日米地位協定の改正 要求も無視するなど、基地を拒否する琉球人の行
動を封じ込めてきた。法手続きの上では民主主義 の形式を踏まえているが、日本政府の米軍基地に 関する施策は琉球人にとって「独裁的」ともいえ るほど過酷なものである。琉球に対して形式民主 主義しか実現していない日本は、領土保全を主張 する確たる根拠をもっていないといえよう(14)。 琉球人は固有の文化、歴史、自然を踏まえ、独 自のアイデンティティを有する民族である。現 在、日本の支配下におかれているために先住民族 という属性をも持つようになった。世界の先住民 族の事例にみられるように、多くの先住民族は自 決権行使として必ずしも分離独立を目指していな い。国民国家は近代の産物であり、別の国家をつ くることで、その中で新たな支配や差別が生まれ るおそれもある。自決権の基本は、民族の一人一 人が文化、伝統を踏まえて自らの頭で考え、行動 することにあると考える。国際人権法はその自決 権を保障するものであり、国際人権法があるか ら、民族の自決権が実現するわけではない。民族 の主体性が日常生活においていかに実現されてい るかが問われるべき課題となる。次に、琉球人の 自決権行使の事例として具体的な自治と内発的発 展の実践について検討する。
4.シマ共同体の自治と内発的発展
2007年、私はNPO法人ゆいまーる琉球の自治 を設立し、年2回、琉球の島々で車座の集いを開 き、琉球を襲う開発と支配の暴力の中で、シマ
(地域共同体)の土地、文化、歴史、自然を踏ま えながら自治、内発的発展を実現してきた人々と 議論をしてきた(15)。次にこの集いで学んだ、シ マで生きる琉球人の自治と内発的発展について論 じてみたい(16)。
①奄美大島宇検村平田
村の全面積の約90%が山間部で占められる奄美
大島宇検村は、焼内湾を抱くような形をした村で ある。1973年、東亜燃料工業は焼内湾の出口に浮 かぶ枝手久島にCTS(石油備蓄基地)の建設を 計画した。その後、建設に激しく反対する「枝手 久闘争」が展開され、1984年に同計画は撤回され た。平田在住の山下春英氏もこの闘争に参加した が、2007年11月に開かれた「ゆいまーる琉球の自 治の集い」において「向こうから来たら、追いか えすまでだ」と述べた。2006年、核廃棄物処理施 設の建設計画が浮上したが、それに反対する村長 が当選した。奄美大島という「離島」のさらに「辺 境」にある宇検村は、近代化を謳歌する都市住民 の「ゴミ捨て場」として狙われてきたのである。
村民は各自の畑で野菜や果物を栽培し、海で魚 を獲っている。新元博文氏は、椎茸や果物等、山 の傾斜に応じて作物の種類を変えて栽培する、山 を活かした島おこしを行っている。平田で農業を 営む春キミエ氏は次のように語った。「月3万円 もあれば十分生活できる。金が無くても生活は豊 かである。自分の畑、隣人から借り受けた畑で野 菜や果物など様々な作物を栽培する。自家消費し て残った作物は、隣人と物々交換するほか、遠く に住む家族や親戚に送る。平田の無人販売店や名 瀬のフリーマーケットで売ることもある」(17)。家 族、近隣の住民の健康を考えて、有機農法で栽培 している。作物の大部分は貨幣化されず、市場の 消費システムにも投入されず、奄美諸島全体の所 得増加にも大きく寄与するとはいえないかもしれ ない。しかし、村の手作りの作物は人間が生きて いくために十分な糧であり、人間や自然との関係 をより強靭にしている。
琉球のシマには共同売店と呼ばれる店舗があ り、住民同士で出資し合い、運営を行なっている。
平田にも共同売店があり、1930年に「平田信用販 売利用組合」という名称で設立された。1961年に
「平田商店」に名前を変え、生活必需品販売、生 活物資加工と販売、陸上運送、精米等を事業の目
的としている。一世帯当たり一株以上の株を購入 し、960株分の出資金をもって共同売店の運営を 行なっている。平田商店は住民が憩い、生活に必 要な情報を交換する村の拠点でもある。
平田の共同売店の隣には、相撲場、アシャゲ
(奄美諸島の聖なる場所)、平田公民館、無人の販 売所があり、シマの政治経済、信仰が同一地点に おいて融合している。琉球の自治を象徴する風景 である。住民の直接参加による討議が公民館で行 われ、村の方向性が決定される。村民共同で設 立・運営している共同売店や無人販売店が島民の 生活を支えている。アシャゲにおいて儀礼や祀り を行い、土地の神に祈るという島の信仰が生きて いる。
②伊江島
島の約三分の一を基地が占める伊江島で生まれ 育った阿波根昌鴻は、生涯にわたり軍用土地契約 を拒否した反戦地主であった。阿波根は、平和と 生活とを切り離なさず、生きる基盤である島の土 地を、自らの身体の一部であるかのように愛しん できた。日本軍や米軍から土地を強奪され、人間 としての生き方を否定されても、土地に両手両足 でしがみつくようにして土地の奪回を求めてき た。土地を奪われた阿波根は、「伊江島土地を守 る会」「全沖縄土地を守る会」を組織して、自ら の生存の土台となる土地の返還を求めた。米軍基 地の目の前に「団結小屋」を建設して、近寄るこ とが許されない自らの土地を見守ってきた。土地 を奪回して農業学校を再建する希望を持ちつづけ たまま、2002年に101歳の生涯を閉じた。
阿波根が守ろうとした土地は、カネを生み出す 生産要素としての土地ではない。それは民族が生 きる精神的、身体的な基盤である。人間が互いに 協力しながら食するものを自らの手で生産すると いう、外部者に依存しない安定した生活空間を生 み出すものである。軍用地を有する地主には地代
が支払われるが、土地の用途は自由にならず、土 地の上で自らの頭や手足を使う機会も失われる。
祖先の記憶とのつながりが断ち切られ、住民は歴 史的、精神的な根っこを失った単なる「経済主体」
に堕してしまう。米軍によって伊江島、沖縄島の 土地が略奪されたが、それは琉球人を、過去、現 在そして未来を奪い、「絶対の帰無」(18)に陥れる 行為であった。
米軍が伊江島の土地を取り上げる際、琉球を
「第二のハワイ」にするとして次のように阿波根 に対して述べたという。「あなた畑すると難儀、
金たくさん取って那覇に貸家をつくる、オイシイ もの食べて、ラクして金持になる、こんな田舎ダ メ、あなたの頭イモ頭」(19)それに対して阿波根 は、「土地は万年、金は一年」と言って拒否し、
次のように語る。「欲しがっているのは土地であ る。─彼らがもっとも必要とし、かつ欲しがって いるのは沖縄の土地である。それにもましてわれ われ沖縄人や農民には土地は生命であり、もっと も大事なものである。土地にかわる宝はないから である。土地は永遠に生命を生み続ける偉大で高 貴な力をもっている」(20)。
現在、ハワイでは島外から進出した観光業者が 多くの利益を得ており、先住民族であるカナカ・
マオリは生活の拠点を奪われ、州の中で最も寿命 が短く、犯罪率や失業率が高く、所得が少なく、
ホームレスが多い最底辺の階層に落とし込まれて しまった。琉球でも観光や基地のために土地が奪 われ、男性の寿命が短くなり、社会的底辺に流れ 込む人々が増えており、琉球人もカナカ・マオリ と同様な境遇におかれつつある。他方、カナカ・
マオリの中には、民族の聖地であるカホオラベ島 における米軍の射爆訓練を中止させ、リゾート開 発に反対して土地を守り、タロイモ栽培など伝統 的な生活の中で生きている人々もいる。土地を身 体の一部と考える先住民族の生き方と阿波根のそ れとが重なり合う。
③西表島
「復帰」前後、琉球の島々では本土業者によっ て土地が買収されたが、それに抵抗する「島おこ し運動」が島出身の青年を中心に展開された。業 者から土地を買い戻して、農業等、自立自存の活 動を行なってきた。例えば、西表島の石垣金星氏 は、天然素材の染織、エコツーリズム、有機農業 等を行い、ヤマトの大規模リゾート建設に対する 反対運動の先頭に立つなど、大資本に支配されな い生活や経済の在り方を身をもって実現してき た。
石垣島は「癒しの島」「美しい島」と言われ、
近年、本土から移住者が増えている。移住者の中 には住民票を石垣市に移さず(市役所に住民税を 払わないことになる)、行政サービスを享受して いる人々がおり、彼等は「幽霊人口」と呼ばれて いる。ヤマトの資本も進出し、地元資本のホテル や商店を倒産、吸収合併、系列化に追い込んでい る。また石垣島白保にある青サンゴの群落も新空 港建設に伴う陸地からの赤土流出によって大きく 傷つけられてきた。このままでは島の自然が無残 に破壊され、島民は生活し文化を育む場所を失っ てしまうだろう。このような問題に対して、島の 人々は「島民会議」を作り、裁判闘争やシンポジ ウムを行なって資本に対抗するとともに、島民間 の団結を強化している。
西表島浦内では2004年に住民の反対を押し切っ て、東京に本社を置くユニマット社が巨大リゾー トを建設した。リゾートの汚水は地下浸透で海に 流され、世界でここにしかいないトゥドゥマリハ マグリが絶滅の危機に陥っている。このリゾート の前にある海浜は海亀が産卵のために上陸する浜 であったが、全く上陸しなくなった。琉球人の雇 用も少ない。巨大リゾートを建設しても地域の活 性化にはつながらないのだ。
それにもかかわらず、現在、ユニマット社と、
地元資本のドリーム観光社は同島船浮において、
広大な土地を買い占めて巨大リゾートを建設しよ うとしている。ドリーム観光社は船浮に自生して いた天然記念物のヤエヤマハマゴウを違法に伐採 した。両社は、琉球人の生存権、生活権、環境権 を無視して、資本の暴力を振り回している。一度 破壊された風景や自然は二度と元には戻らない。
船浮はイリオモテヤマネコが発見された場所でも ある。ユニマットのリゾートを利用するのは我々 観光客であり、「より快適で、安く、しかも美し い自然を楽しめる」リゾートを求めるのも観光客 である。観光客からの大きな需要が存在するか ら、企業はリゾート開発を実行に移すのである。
西表島開発の問題は、西表島、他の八重山諸島の みならず、琉球、日本の問題であり、私たち一人 一人の問題であるといえる(21)。
④久高島
久高島の土地は個々人の所有に帰すのではなく 島の字が有し、島民は土地を借り受けるという土 地の総有制を現在に引き継いでいる。1980年代に 島外資本が大型リゾートを島に建設しようとした が、島民は同計画を拒否し、「久高島土地憲章」
として土地の総有制を明文化した。島には多くの 御嶽があり、神行事も厳格に行なわれ、目に見え ない力を恐れ敬う生活が続いている。これまで土 地の総有制は島民の神信仰、島民同士の信頼関係 によって守られてきたが、「久高島土地憲章」と して文字化されることにより、文字となった「制 度」に人間が安住し、神信仰が希薄化することの 危機感を久高島の海人である内間豊氏は抱いてい る。これは現代の琉球人が文字化された開発法制 度に身を委ねている状況を鋭く突いている。久高 島では、言葉、魂の力で神、土地、人間が強く結 ばれてきたのであり、島の女性が神行事において 中心的役割を果たすとともに土地を守ってきた。
女性を通じて土地と精神世界は不可分のものと なった。観光開発に抵抗するために、総有地制度
が憲章としてまとめられたが、女性による日々の 神事によって憲章の内実が守られてきたといえよ う(22)。
島民が共同で土地を所有する形態は、パラオを 含む太平洋諸島でも一般的にみられる。植民地時 代、欧米諸国や日本の企業や個人が僅かな金品を 見せて言葉巧みに土地を奪い、島民が島の中で周 辺的位置に追い込まれた。狭い島嶼の中で土地を 奪われたら島民は島で住むことができない。この ような苦い経験を反省して、太平洋諸島の人々は 独立後、憲法の中で慣習法、伝統的首長制度、土 地制度が近代法と対等な法的権限を有することを 明記した。土地が生産要素でしかないというのは 近代の観念である。土地の共有によって島の伝統 文化を守り、島民の団結を促し、開発を食い止め、
外部勢力による支配を防ぐことも可能となる(23)。 5.琉球と日本との対等な関係性構築のために
本来、琉球と日本とは対等な関係にあった。し かし現在、琉球は日本の一地方という地位に落と されているという異常な状態にある。琉球と日本 とが対等な関係を築くための一歩として次の二つ の提案をしたい。第一の提案は、「琉球処分」に 対する日本政府への謝罪要求である。琉球国は米 国、仏国、オランダ等と条約を結び、清国と外交 関係を有するなど、国際的にも認知されていた。
1879年に日本政府は軍隊を導入して琉球王国を併 合し、国王を東京に拉致し、合法的な王府を消滅 させ、土地を奪い、同化を促した。日本の侵略に 対して王府や清国政府は強く反対し、日清戦争後 まで日本の植民地化に抵抗する闘争が続いた。し かし、日本政府は現在に至るまで、「琉球処分」
に対する謝罪や賠償等を何ら行っていない。
琉球王国と同じ境遇におかれたのがハワイ王国 である。ハワイ王国は1810年にカメハメハ一世に よって統一され、憲法を施行させるとともに、欧
米各国と条約を締結した独立国家であった。カナ カ・マオリの権限強化を目指した最後の国王、リ リウオカラニ女王に対して、ハワイ経済を支配す る欧米人は1893年にクーデターを起こし、米海兵 隊も王朝の倒壊に加担した。クーデターの首謀者 を中心に樹立されたハワイ共和国による支配を経 たあと、1898年に米国に併合された。
1992年からカナカ・マオリ達は同州選出の米上 下院議員に働きかけ、翌93年「米国公法103-150 号:第103回議会共同決議」が採択された。同法 は、カナカ・マオリの意思を十分確認することな く、ハワイ王国を米政府、米軍隊の介入により転 覆させたことの違法性を認め、米国議会として謝 罪するという内容である。クリントン大統領も 1993年にハワイに来て、謝罪の言葉を述べ、同決 議に署名した。
琉球と他国との条約や外交関係を無視し、数百 年にわたり運営された政府や洗練された文化を有 した国を暴力的に消滅させることの違法性を日本 政府や議会に認めさせ、謝罪を求めるべきであ る。明治政府と現在の日本政府は連続した関係に あり、責任がないとはいえない。「琉球処分」は、
現在の琉球人だけでなく、当時、琉球と関係を有 した国々にとっても未解決の問題である。日本と の関係を仕切り直し、琉球人のための琉球人によ る琉球の自治と内発的発展を進めていく。
日本との対等な関係を実現するための第二の提 案は、沖縄返還協定の廃止と、琉球の新たな政治 的地位に関する協議会を開くことである。1972年 に効力が発生した沖縄返還協定が、現在の「沖縄 県」という政治的地位を規定している。同協定の 第4条3項には、「復帰」前の土地の損害に対し 米国政府が「土地の原状回復のために自発的支払 を行う」と記載されている。しかし実際は、外交 機密文書、当時の外交官・吉野文六氏の証言等に よって明らかになったように、日米は密約を行 い、日本政府が400万ドルを支払ったのである。
つまり同協定は真実に基づいておらず、条約とし て不備であり、無効であるといえよう。また、同 協定の策定過程には琉球人の参加がなく、琉球政 府によって策定された、「米軍基地がない本土並 みの復帰」を求める「復帰措置に関する建議書」
も葬り去られた。
琉球人は国連憲章、国際人権規約等の国際法に よって保証されている自己決定権を行使して、新 たな政治的地位に関する協議会を日本政府との間 で開くべきではないか。1993年の「謝罪法」後の ハワイにおいても、独立国家、自由連合国家、国 家の中のもう一つの国家、州の中のもう一つの州 等、様々な政治的地位についての議論と実践が行 われている。
広大な米軍基地を押し付けられている琉球は、
地域全体として自治を享受しているとはいえな い。もし日本政府が対等な関係性や高度な自治権 を琉球に認めないならば、国連の「非自治地域」
リストに琉球を登録することも必要になろう。太 平洋諸島の中で同リストに記載されている島嶼に はグアム、米領サモア、ニューカレドニア等があ る。国連の非植民地化委員会は「非自治地域」の 統治国に対して同地域における自治の実現を勧告 している。
結びに代えて
1609年以降、奄美諸島から八重山諸島までの琉 球文化圏は日本によって分断されてきた。2010年 3月において鳩山政権は、普天間基地の移設先と して辺野古陸上、勝連半島沖合、徳之島の各案を 提示した。徳之島は鹿児島県であり、県外移設と なり、県民の負担軽減につながると鳩山政権は考 えた。しかし、徳之島は琉球文化圏に含まれるの であり、同じ「圏内」の島である。琉球人にとっ ては負担の軽減とはならない。様々な事件事故を 起こす米軍基地を日本の南の島に押し込めるとい
う日本の構造的差別は、政権交代後の民主党政権 下においても続いているのである。基地のたらい 回し政策に対して、琉球内の保守・革新という政 治的枠組みを越えて「県外移設」を主張し、沖縄 県、鹿児島県という琉球文化圏の行政的分断にも かかわらず、琉球人の基地反対運動が激しくなっ ている。
北琉球も南琉球も振興開発によって環境が壊さ れ、国への経済依存、従属が深まり、琉球人が生 きる基盤であるサブシステンスが大きく損なわれ てきた。奄振や沖振はともに失敗したのであり、
琉球人は開発に期待してきた自らの過ちを反省 し、「国に依存した経済自立策」という自己矛盾 した自立策を拒否して、固有の文化や自然という 地域の宝を活かしながら互いに協力していく、
「ゆいまーる」に基づく自治の道を歩む時期にき たといえる。これまでのような開発、「上からの 分権化」では島はさらに衰退するだろう。一人で も多くの琉球人が「自治的自覚」をもって地域の 難題に立ち向かうことによって、自治は磐石の根 を張り、地域は文化的、精神的、政治的、経済的 自立を実現することが可能になると考える。
先に論じたシマ共同体における日常的な自治、
内発的発展が先住民族としての琉球人による自決 権行使の歩みであるといえる。政治体制を一挙に 変革することではなく、自らの頭で考え、行動し、
未来を切り開く琉球人の日々の実践が自決権の土 台となる。琉球の島々におけるそれぞれの自決権 の行使が積み重なることで琉球全体の自治、自立 にも展望がみえてくるだろう。
琉球人にとって土地は、共同体・信仰・儀礼生 活の場所であり、生きる自信や勇気の源である。
島外から提供されるカネの誘惑に対して、決然と 拒否の意思を示す上で最後の砦となるのが島の信 仰である。島に住む琉球人にとって、土地が有す る経済的、地政学的側面は二次的意味しかもたな い。面積に限りがあるという島嶼社会の特徴か
ら、土地を部外者に占有された琉球人は、生活す る場所を失い、精神的、身体的にさまよってしま うだろう。太平洋諸島の大半では、島民が広大な 共有地を有し、外国人・企業による土地所有を禁 止している。土地から切り離された島民は、社会 経済的に生活する土台が失われるだけでなく、死 者となったとき魂として帰るべき場所をも喪失す る。
自治とは人間の本能であり、自衛でもある。国 や資本が「上からの分権」と市場メカニズムに よって地域を支配し、地域が衰亡に向かおうとす るとき、地域住民の一人一人が人間としての自衛 本能として地域の建て直しを求め、実践の方途を 探りだす日常的な歩みが自治である。琉球人の生 活や生命を無視した横暴な行為を止めさせること ができるのは、琉球人一人一人による「自治的自 覚」にかかっている。企業や基地の誘致に島の運 命をゆだねるのではなく、琉球人の自治によって 島を守り、未来を自らの手でつくっていく必要が ある。島の土地や海を自らの身体の一部として生 活し、島の過去・現在・未来に対し責任をもって 行動できるのは琉球人しかいない。
註
(1)島津藩・鹿児島県による奄美の支配と抵抗 については、原井一郎(2005)『苦い砂糖
─丸田南里と奄美自由解放運動』高城書 房、債務奴隷については名越護(2006)『奄 美の債務奴隷ヤンチュ』南方新社を参照さ れたい。
(2)琉球の経済思想、経済発展、対外関係につ いては、松島泰勝(2002)『沖縄島嶼経済 史─12世紀から現在まで』藤原書店を参照 されたい。
(3)沖縄県企画部企画調整課(2009)『経済情 勢 平成20年度版』沖縄県企画部企画調整 課、12頁。
(4)同上書、24〜25頁。
(5)同上書、9頁。
(6)同上書、26頁
(7)同上書、6頁。
(8)同上書、54頁。多くの琉球人が「季節労働 者」として東海地区や関西地区に出稼ぎに 出ていたが、2008年からの世界的な不況に よる「雇止め」で琉球に戻る人々が増加し ている。私の実家の近くにある那覇市奥武 山公園、漫湖公園には以前にはなかった青 テントが現在、目立つようになった。
(9)同上書、53頁。
(10)鹿児島県大島支庁総務課編(2006)『平成 17年度 奄美群島の概況』鹿児島県大島支 庁総務課、87頁。
(11)琉球人を先住民族として位置づけるための 歴史的、国際法的考察については、上村英 明(2001)『先住民族の「近代史」─植民 地主義を超えるために』平凡社を参照され たい。
(12)『沖縄タイムス』2008年11月1日、『琉球新 報』2008年12月14日。国連の勧告に関して、
『沖縄タイムス』2008年12月9日〜11日に おいて「国連の先住民族権利保護勧告」の テーマで、上原こずえ氏、宮里護佐丸氏、
渡名喜守太氏が論じている。
(13)「人種差別撤廃委員会第76会期2010年2月 15日─3月12日、条約9条にもとづき締約 国が提出した報告書の審査:人種差別撤廃 委員会の総括所見」の北海道アイヌ協会に よる日本語訳文。
(14)2009年12月5日、6日に開催された明治学 院大学国際平和研究所主催『自治と自立を 求めるさまざまな声─国なき民族の現在』
における議論に私は大きな触発を受けた。
本項に関しては、特に孫占坤氏の報告「国 際法から見た少数民族の自治権、自決権」
を受けた私のコメントに基づいて論じた。
(15)NPO法人ゆいまーる琉球の自治の活動に ついては、同名のブログ(http://ryukyujichi.
blog123.fc2.com/)を参照されたい。2007 年3月から2009年11月まで久高島、奄美大 島、伊江島、西表島、沖永良部島、平安座 島で集いを開いてきた。2010年5月は宮古 島で集いを行う予定である。
(16)琉球における自治、経済自立、経済学、独 立、開発、近代化、基地、観光についての 常識を、根本から問い直し、あるべき自治、
内発的発展の道を論じた文献として、松島 泰勝(2006)『沖縄の「自治」』藤原書店、
西川潤・松島泰勝・本浜秀彦編著(2010)
『島嶼沖縄の内発的発展』藤原書店を参照 されたい。
(17)2007年9月5日に実施した、奄美大島宇検 村平田在住の農家・春キミエ氏に対するイン タビュー内容に基づく。
(18)真木悠介(2003)『時間の比較社会学』岩 波書店。
(19)阿波根昌鴻(1973)『米軍と農民』岩波書店、
23頁。
(20)同上書、187頁。阿波根の思想と実践に関 しては、阿波根昌鴻『命こそ宝』岩波書店、
1992年、佐々木辰夫(2003)『阿波根昌鴻』
スペース伽那を参照されたい。
(21)2008年11月14日から16日まで西表島祖納公 民館において「ゆいまーる琉球の自治の集 い」が、石垣金星・祖納公民館長のご支援 を得て開催することができた。集いでは八 重山諸島、特に西表島が抱える開発問題に ついて考える機会をえた。集いでの議論を 踏まえて「ゆいまーる琉球の自治の集いin 西表島宣言」を関係企業、竹富町、沖縄県 に提出した。その中で「住民の意思を無視 し、自然を破壊するホテル、観光施設を
「観光客」として利用し、「日帰りツアー」
に参加することを、私たちは強く拒否す る」と述べ、島外者、観光客としての責任 の在り方を示した。
(22)久高島を中心した琉球の島々における振興 開発、自治、内発的発展については、『環:
今こそ、「琉球の自治」を─「復帰」とは 何だったのか』Vol.30、藤原書店、2007年 を参照されたい。
(23)太平洋のミクロネシアにおける共有地制、
伝統的首長制度の役割、大国の支配に対す るミクロネシア島嶼民による自治・自立の 歩みについては、松島泰勝(2007)『ミク ロネシア─小さな島々の自立への挑戦』早 稲田大学出版部を参照されたい。