U・I ターン者の語りからみる 『田舎』 と 『都会
』
著者 半澤 誠司, 原 祐二, 三瓶 由紀
雑誌名 明治学院大学社会学部付属研究所研究所年報 =
Bulletin of Institute of Sociology and Social Work, Meiji Gakuin University
巻 47
ページ 29‑73
発行年 2017‑02‑25
その他のタイトル Rural areas and urban areas on the
basis of narratives by U/I‑Turn dwellers
URL http://hdl.handle.net/10723/2988
Ⅰ はじめに
これまでの地域イノベーション研究の主流 は、「成功」に至る道筋や要素を強調するあまり、
創造的なイノベーションには 「失敗」 が不可避 であることを軽視してきた(半澤…2010)。さら に、その失敗を吸収するものとして、イノベー ションを生み出す場としての企業や地域などの 集団が有する特性とそのネットワークには着目 するが(たとえば、サクセニアン…2008・2009)、
直接的にイノベーションを創出するわけではな い地域が果たす役割を等閑視してきた。
これら2つの視点が主流となってきたがゆえ に、有力な産業を持たないことから地域社会の 維持には地域外からの多額の税金や補助金を必 要とする非効率的な 「田舎」 が淘汰されるのは やむを得ず、高い競争力を持つ産業が立地する など活発な経済活動が行われる大都市部にヒ ト・モノ・カネを集中させることを当然視する 風潮が一方ではある。また一方では、ひとびと の就業・生活基盤としての大都市部の限界も指 摘される。近年の 「地方創生」 政策も、衰退す る地方の歯止めと大都市部からの脱出に議論の 力点が置かれている。つまり、この2つの議論 は対極的な要素に焦点を合わせながらも、大 都市部と地方とのネットワークが、ある産業全 体あるいは国全体のイノベーションの活性化に とって果たしうる役割については、十分に検討 がなされていない点では共通する。
しかし、このような役割が重要である可能性 は、アニメ産業の事例から示唆される。つま り、現在も引き続き東京大都市部に基盤をおき ながらも、産業内の閉塞感を打破して新しい産 業の姿、すなわちイノベーションを模索するた めに、地方への立地が進み始めているのである
(Hanzawa…2014)。
確かに、こうした東京大都市部のように発達 した産業集積が、新しい環境変化に対応できな いがために没落してしまう状況を回避するた めに、産業集積外とのネットワークを活かし て、いわゆる地域的ロックインを回避する重要 性も指摘されている(Grabher…1993:…Bathelt…et…
al.…2004:…Storper…and…Venables…2004)。ただし それは、集積間ネットワークの役割を強調する 議論であり、集積とは呼べないような地域との ネットワークに着目した議論ではない。した がって、産業集積や産業全体のイノベーション 力にとって、地方、特に田舎と呼ばれるような 地域とのネットワークが一体どのような役割を 担っているのかは、十分に検証がなされていな い。
イノベーションを産業集積がいかにして促進 するかの議論を脇に置いて、広く田舎・農村の 価値を論ずる議論からの視点に目を転ずれば、
グリーンツーリズムなどを通じた地域再生が提 起されており、農村計画や農業経済学を中心に 事例研究もなされてきている。国策としても、
U・Iターン者の語りからみる『田舎』と『都会』
半 澤 誠 司(明治学院大学)
原 祐 二(和歌山大学) 三 瓶 由 紀(和歌山大学)
田舎に眠る自然資源を活用する形でのグリーン イノベーションの推進が掲げられ、再生エネル ギーに関する技術革新や、都市農村交流を促進 する社会制度の構築が叫ばれている。しかしな がら、こうした施策は、結局のところ、農村へ の直接支払と同様に、カネの都市農村間還元フ ローの円滑化を目指すものであり、事例研究に おいてもマクロな人口流動や観光客入込数を議 論したものが大半である。つまり、田舎の振興 の域を出ず、田舎がイノベーションに必要な知 識を生み出す源泉になるという視点はないし、
大都市部の産業集積や産業全体のイノベーショ ンにとって、田舎が果たしうる積極的な役割を 評価するものでもない。
したがって、直接的なイノベーション創出で はなく、他地域や産業全体のイノベーショを活 性化する媒介として田舎をどのように評価すべ きかという議論には、地域イノベーション研究 に新たな視点を導入するだけでなく、今後の地 方振興策やイノベーション政策にとって大きな 貢献をなしうる視点がある。言い換えれば、都 市部で生み出されるイノベーションを一層促進 するためには、産業競争力の向上にとって 「無 駄」 ともされてきた田舎がむしろ本源的な役割 を果たしうる可能性があるといえよう。
ゆえに、イノベーションの観点から田舎の価 値を再評価するためには、非効率性によって生 まれる 「無駄」 がイノベーションに貢献する仕 組みの把握から得られる示唆が多いと考えられ る。実際、創造産業のように需要の不確実性の 高い産業においては、事前に成功する商品など を予測しても限界がある一方で、失敗を恐れ、
事前にリスク回避を徹底して効率性を追求する ような企業行動が顕著になりすぎると産業の中 で創造性が失われていくため、ある程度の失敗 を許容するだけの資源を企業内に用意するこ とこそがイノベーションには本質的に重要であ
り、産業集積はそのような資源を涵養しうる(半 澤…2016)。
……イノベーションを推進する上では、事前計画 の精度を高めて不確実性を減少させても、上述 したような根本的な問題点と限界があり、むし ろ失敗はある程度織り込むべきとの理解は、生 態学や災害研究の文脈から発展してきて、地 域経済を把握するためにも用いられるように なった、”Resilience”概念にも共通する問題意 識 で あ る(Christopherson…et…al.…2010:…Pike…et…
al.…2010)。
ただしこれらの研究は、企業や地域など、い わば個人の集合体に焦点を当てたものである が、イノベーションは、あくまでも個人行動の 結果として達成されるものである。したがって、
個人が失敗を過剰に恐れるようになれば、やは りイノベーションは減少していくのではない か、と考えられる。事実、世界で最もイノベー ションが活発と考えられるシリコンバレー地域 が持つ強みの一つは、挑戦し失敗することを許 容どころか推奨する社会的風土にあるとされる
(サクセニアン2009)。
ここで留意すべきは、失敗した個人は常に同
一の地域に留まるとは限らず、他の地域に移
動して再起を図ることが珍しくない事実であ
る。あるいは再起とまではいかなくとも、個人
が大胆な行動に移る際の決心が、「失敗したら
田舎に帰って農業でもすればよい」 と考えてい
た、などと語られる事実である。これを敷衍す
ると、イノベーションの中心となる大都市では
なく、田舎といわれる地域もまた、たとえイノ
ベーションが生み出される場ではなかったとし
ても、イノベーションを推進した個人の挑戦す
る決心を支える存在といえるのではないか、と
の仮説が導出できる。したがって、このような
田舎が疲弊していけば、「逃げ場」 がなくなっ
た個人はリスク回避を優先するようになり、イ
ノベーションもまた起こりにくくなっていくの ではないだろうか。言い換えれば、田舎が再起 の場として機能しているからこそ、大都市部に おいてイノベーション活動も活発になる可能性 である。
この仮説検証を進めるための第一歩として、
本稿では、まずは主に大都市から田舎にU・I ターンをしていった個人を対象に、大都市での
「失敗」 と 「逃げ場」 としての田舎という関係 が成り立つのかという点に着目して、個人のラ イフヒストリーなどに基づきながら、その移動 理由を詳らかにする。同時に、彼らが他のU・
Iターン者や、田舎の意義をどのように見てい るのかも明らかにして、今後の調査方針の参考 とする。
なお、いわゆる地方においても都市部は存在 するため、議論の混乱を避ける目的で、ここか らは田舎と対比される地域を 「都会」 と称する。
この用語を用いる理由には、本稿の議論にとっ て、人口や行政単位の違いに基づいて定義され る都市部・非都市部の正確な区分が重要なので はなく、ひとびとが自らの生活・行動圏をどの ように認知しているのかが重要であることを強 調する意図もある。ただし、基本的に発言をそ のまま記載しているインタビュー記録内では、
必ずしもこの使い分けが踏襲されているとは限 らない。
またⅤ章においては、日本のU・Iターン者 の状況を相対化するために、外国におけるU・
Iターン的ひとびとと地域との関わり方として オランダの事例を報告する。
本調査においては、個人の事情にかなり立ち 入った情報を聞きとるために、調査対象者との 信頼関係を重視して、執筆者達の個人的人脈や 既存調査先などを活用して対象者を選定した。
結果的に、彼らの属性は多岐に渡るが、都会で の生活が 「失敗」 とはいえずとも都会と田舎で
生計を立てる手段が大きく異なっている点、田 舎において数年から20年程度の継続的な居住実 績がある点は共通する。
なお本稿は、得られた結果に対して厳密な解 釈を加えるものではなく、予備調査結果を丁寧 に提示する資料として位置づけられる。これに 基づく詳しい議論は、さらなる調査を進めた上 で稿を改めて行う。ゆえに本稿では、執筆者に よる考察や議論は付加的に記すに留める。また、
Ⅱ章とⅢ章に関しては、補遺として調査対象者 の語りを極力そのまま記載する。
Ⅱ パン作りを核とした和歌山県におけるU・
Iターン者 1 調査概要
U・Iターン者が田舎に定住するに当たって 重要な検討課題となるのが、いかにして生計を 成り立たせるのか、という点である。その手段 として最も典型的なのは帰農であるが、近年の 興味深い生業として俗に 「山のパン屋」 と呼ば れる存在がある。その特徴として、経営者にU・
Iターン者が多いこと、困難なアクセス性を逆 に活用して自然豊かな非日常性を演出している こと、地元の食材の活用や農村ランドスケープ の再活性化を企図していることなどが挙げられ る。…
たとえば、和歌山市内から車で1時間程度南 東に進むと、遠くに海も望める眺望の尾根線に、
ロッジ風デザインのパン屋 「D」 がある。店主
はもともと神戸でベーカリーをしており、その
後故郷であるこの紀美野町に帰ってパン屋を開
業した。決して交通の便が良いとはいえない
が、そのメニューとランドスケープに引き寄せ
られ、特に休日は多くの客が訪れる。店内には
Wi-Fi環境も整備され、ゆっくりくつろぎなが
ら執筆仕事をしている人もいる。紀美野町はこ
うした山のパン屋、レストランやカフェ、地元
野菜を使ったジェラート屋などが増えており、
全国区で有名になりつつある(写真1~3)
(1)。
写真1パン屋 「D」 の外観と料理
(原撮影)
写真2地元野菜を使ったジェラート屋である 「キミノーカ」 の外観と料理
(原撮影)
写真3「森のパン屋さん」 の看板
(原撮影)
図1は、「山のパン屋」の情報をウェブサイ
トで検索・収集し
(2)、可能な限り住所を判読し て立地空間を特定、Google…Mapsを用いて地図 化したものである。これによると、全国万遍な くこうした山のパン屋さんが立地していること がみてとれるが、Dも立地する近畿圏を中心に 本州中部に特に多い。そこで本稿では、こうし た「山のパン屋」が複数存在する和歌山県南部 を最初の調査対象地に定め、Iターン者が山の パン屋さんとして活動するとともに、パン作り や就農を志す都会からの移住者の受け入れを 行っているNPO法人 「共育学舎」 において責 任者のS氏に対して半日程度時間をともにす る非構造化インタビュー調査を行った。インタ ビュー実施者は、執筆者である半澤・原と、原 ゼミ関係者4名(院生2名、学部生1名、卒業 生1名)である。場所は新宮市(旧熊野川町)で あり、調査日時は2015年6月28日である。
共育学舎は「無償の連鎖」をモットーに、廃 校と周辺の耕作放棄地など、新築物でない地元
にすでにあるものを活用して、自家小麦でのパ ン製造と、進路に迷った若者の受入れを実践し ているNPOである。無理せず今を生きるとい うそのコンセプトに惹かれ、多くの若者がこの 場に逗留し、そして地域内に定着したり都会に 戻ったりしている。結果的に地域の人的ネット ワークのハブとなっている。
インタビューに際して主眼を置いた問いは、
調査対象者の都会・田舎観に加えて、なぜパン 屋を経営しているのかという点である。なぜな ら、就農を志すU・Iターン者には、稲作に基 づくおにぎり屋といった選択もありうるはずだ が、なぜ日本ではほとんど作付けされていない 小麦素材のパン屋が多いのだろうか。この問い は、彼らが田舎に求めているものを明らかにす る上でも貴重な知見をもたらすだろう。
2 調査結果
(1)調査結果概要
S氏のインタビューをまとめると、本稿の研
図1全国山のパン屋地図
(指導院生の協力を得て原作成)
究関心に関連する、S氏の考えや認識について は、大きく以下の7点にまとめられる。
第1に、山のパン屋事業と関係する小麦栽培 自体について、日本の土壌・気候条件的に問題 なく実施できるが、歴史的・社会的に栽培しづ らい状況が形成されてきた。第2に、稲作文化 によって形成されたような日本人の横並び気質 に対して疑問を抱いており、もう少し多様な生 き方が可能な社会を望ましいと考えている。第 3に、生業としての山のパン屋事業について、
山に立地するというブランド化を利用している だけであって、自家栽培の小麦や本来のパン作 りを行っているものではない。第4に、都会で 生きづらくなったひとに対して、田舎で再起を 図る場として、学校と農地を結び付けた共育学 舎を運営している。第5に、第3世代目に当た る現在のU・Iターン者達は、地域に馴染むこ とを基本的に考慮しておらず、自分達の世界を しっかり持っているが、一方で自ら多様な生業 を見付けて地域に溶け込んでもいる。第6に、
中途半端な地域おこしの政策や制度によって、
都会の論理が田舎に入り込んでしまい、田舎が これから荒れる可能性がある。第7に、田舎に だけ閉じこもっていても地域の論理に取り込ま れてしまい良い結果を生まないとして、東京や 社会全体の論理も意識できるように、定期的な 上京を行っている。
それぞれの点について、S氏が具体的にどの ように述べているか確認しよう。
(2)小麦栽培について
第1点目に関してS氏は、まず日本の気候は、
むしろ小麦栽培に向いた地域であると述べてい る(写真4)。
お米をつくって、その裏作で昔は大体小 麦を、大麦と小麦とあるんだけども、必ず
生産してたんです。だから食糧自給率はか なり高くなって、1年に2回同じ圃場でお 米と麦という主食穀物を2回採れるんです ね。
こういう自然条件があるっていうのはほ んと限られてる、緯度的に言ったら。日本 はちょうどいいところにあるんだけどもつ くらない。
さらに、土壌的にも問題がない上に、稲作に 使用する農業機械もほとんど共通のものである ため、小麦栽培には本来何の障害もないという。
ほとんど今の日本の田んぼは圃場整備さ れて平らにね、平らにして、水は上から下 に全部落ちるようにほとんど整備してある んですよ。だから排水の問題は、もともと 湿田以外だったら小麦をつくるために支障 を来たすようなことはないですよ。
和歌山県でこれだけ雨が多いでしょう、
日本で一番雨量が多いんですよね。それで もできるんですよ、田んぼで。…だからいろ んなことが、妙なことを刷り込まれている。
ただ違うのは稲作は水田だから田植えを するでしょう、だから田植え機。小麦は畑 作だから種をまくんですよね、だから種ま
写真4小麦区画写真
(原撮影)
き機。これだけは違うんだけどもあとの刈 り取り、それから脱穀、乾燥、まったく同 じ機械でできるんですよ。
だからうちなんか麦が終わったから今田 んぼやってるんだけど、機械は併用だから、
お米用、小麦用ってそろえなくていいんで すよ。
……しかし、色々妙なことが日本人に刷り込まれ ていると述べているように、第2次世界大戦後 のアメリカの占領政策の影響で、日本では小麦 がほとんど栽培されなくなったと、S氏は捉え ている。
だからアメリカの占領政策でいろんな政 策があったでしょう。例えば日本人の意識 をこういうふうにして変えよう、食生活は こういうふうに変えよう、生活のレベルは こういうふうに変えよう。それで二度と 立ち上がれないようにしようといういろん な政策があったことは皆さんも勉強したこ とあると思うんですけど、その中に食糧戦 略っていうのがあって、日本人に小麦を食 べさせると。要するにずっと売りつけると。
小麦の次には大豆、次にはオレンジ、次 には何って全部戦略があるわけです。その 第一弾として主食であるお米をやめさせて 小麦を主食にさせるということになるとア メリカから買い続けるでしょう、小麦を。
社会的に奨励されているわけでもないわざわ ざ小麦を栽培する理由は、第2点目と関係する。
まず、稲作の裏作として小麦栽培をすることで、
一定の収入が見込める。
でも、自分のところで製粉機を1つ持っ て粉にする、国産の…。 (市場に出さなくて
いいから)…そうしたらキロ500円ぐらいで 売れるんですよ、500円~800円で。さら にそれにちょっと手を加えてパンにする。
そうしたらキロ2,000円にはなるんですよ。
そうすると一反分で大体300キロは採れる んですよ、無農薬で無化学肥料で、素人が やっても大体300キロぐらいの収量はある。
そうするとキロ2,000円になるんなら60万 でしょう? ざっと。そうすると二反分や ると大体100万ぐらいになるんですよ、こ んなパン屋をやると。二反分やって100万 円になると1つの生活の1本の柱が立つん ですよ。大黒柱までいかないけど茶柱ぐら いは。
さらに、周辺の田にまで気を配らねばならな い稲作文化が日本人の横並び気質の形成に繋 がったと捉えており、田と異なり周りから独立 しているために周りと歩調を合わせる必要がな い畑で小麦も栽培することで、日本人の生き方 も変わると考えている。
畑っていうのは独立してるから、じゃあ 今日俺1列だけまいておこう。3日ばかり どっか出張行くからまた帰って来てからま こうとかそういうことができるでしょう。
田んぼはそうはできない。だから日本人は 全部周りに気を遣ってね、人よりも前に出 ちゃいけないでしょう。人より遅れちゃい けないでしょう。
(日本は)主語はみんなが主語でしょう。
なぜ大学行くの?みんな行ってるもん。な ぜ就職するの?みんな就活してるもん。み んななんですよ。っていうことが、ああ、
なるほどそういうことなのかなっていうこ
とが百姓やってみると実感的に。それは私
の考えが間違ってるかどうかわからないけ ども、そんな見当違いじゃないと。そうい うようなことも見えてくるんだね。だから 小麦やって田んぼもやって、もしできるこ とだったら田んぼと小麦と両方やってみた らその違いがわかるし、それぞれのよさも わかるし大変さもわかるし。
だからこれから日本人は小麦を主食にし たらもうちょっとのんびり生きていけます よ。
(3)山のパン屋事業について
第3点目に関してS氏は、山のパン屋が人気 になる背景には、客の側にそのようなパン屋に はこだわりがあるのだろうという刷り込みがあ るから、材料や製法は町でも売られているよう なパンと同じにもかかわらずブランド化すると 認識している。
それはそばもパンもそういうこだわりが あるんじゃないですか?妙なこだわりが何 となく刷り込まれてるでしょう。だから山 の中にあるっていうことがわざわざ何かす ごいこだわってるんだろうなっていうよう なブランドがあるんですよ。…だから売って るのは町で売ってるのと一緒ですよ、売っ てるパンは一緒ですよ、ほとんど。
したがって、本物のパンをほとんどの消費者 が理解できないため、S氏が作る本物のパンは 一部の消費者にしか受け入れられない。しかし、
自らを農家であると自認するS氏は、自分が育 てた作物に余計な添加物などを付加するのを好 まず、自給自足の延長線上のパン作りで良しと している(写真5)。
だからうちのパン屋は一番日本で売れな
いパン屋なんですよ。なぜかというと本物 だから。……売ろうと思ったら本物つくったら 売れませんよ。何でもそうだけど、もどき でいいんですよ。本物だったら売れない。
なぜかと言ったら本物食べたことないわけ だから。
消費者がまだついてきてないんですよ。
ただ、わかる人はわかるんですよ、説明し なくたって、買ってる人が。でもわかる人 が、じゃあ何人いるかっていう話ですよね。
大体ヤマザキパンとかコンビニのパンがお いしいねってみんな食べてる。
だから売れるパンをつくるのか、自分が 食べるパンをつくるのかですよね、出発点 が。だから自分は農業者だからパン屋だと
写真5パン焼き写真
(原撮影)
思ってないから、俺は農業やってるんだと 思ってるから、自分が食べるパンをつくっ てるわけですよ、売るためのパンじゃなく てね。……だから売るためのパンをつくるん だったら砂糖も使います、バターも使いま す、卵も使います。添加剤、着色料全部、
もうさじでポンポンって入れれば甘くてお いしくて香りもよくてできるんですよ。そ したらみんなこの辺のじいちゃん、ばあ ちゃんもおいしいねって食べるじゃない。
それはパン屋さんでしょう。俺はパン屋 じゃないから、自分で汗水流して小麦をつ くってるんだから。それに添加剤入れたり もったいないじゃないっていう話ですよ。
だから売れなくたっていいよ、うちは。俺 が食べるわけだから。
(4)共育学舎を始めた経緯と社会認識
第4点目に関してS氏は、人間が人間である ために必要な 「食べる」 と 「学ぶ」 を象徴する 農地と学校を結び付けて、若い人達に何か考え てもらいたいとしている。つまり、農と学を根 本軸として、社会への問題意識があることが読 み取れる。
だから私が(水害を受けるような)ここで こんなことやってるのは、1つには人間が 人間であるためには1つは食べるっていう ことでしょう。食べ物は農地からできるで しょう。…農地が放棄されてる。もう1つは 人間が考える、学ぶっていうことでしょう。
考えたり学ぶっていうことは学校がその象 徴、ここですよね。学校も放棄されてるで しょう。日本全国。ここがたまたま田んぼ が放棄されてる、学校も放棄されてる。放 棄されてる学校と農地とを結び付けてって いうか、若い人たちに何か考えてもらいた
いなと思って、それでこんなことやってる んだけどね。
……こうした社会への問題意識、さらにはそれに 対して何かをしようとする意識は、U・Iター ンの意義に対する発言の中でより一層鮮明に なっており、自らが築こうとしているものを、
命があれば生きていけるスラムを作ろうとして いると表現している。そして、そこで再起を図っ て蘇ったならば、また他の場所に行けば良いと して、地域間移動を柔軟に捉えており、必ずし も田舎への定住にこだわっていない点も特徴で ある。
質問:…現在30代の人間の親世代(団塊の世 代から少し若いぐらい)だと、就職 や進学などで地方から都会に出て いったとしても、都会で行き詰まり を覚えた時に、最後に逃げたり帰れ たりする場所として心の中では故郷 があったように思います。けれど も、個人的には、東京などの都会出 身者だと、そのように地域を移動し てIターンのように逃げるには最初 にハードルがあって、自然に帰れる 場所がない感覚があります。
それを今つくろうとしてるんですよね。
ここはそういう機能を果たしてるんですよ ね、自分の意識の中で。だからスラムをつ くろうと思ってるんですよね。…要するに命 があれば生きて行ける、仕事がなくても。
命があって食べるものがあって寝るところ があれば生きて行ける。だから死ぬことは ないよ。それでまたよみがえったらまた どっか行ったらいいわけで。
どこの国行ってもスラムって必ずあるん
ですよね。それはいろんなことはあるけど
も、そこに行けば生きて行けるっていうね、
そういう場所を今つくろうと思って。
(5)U・Iターンの意義と課題
第5点目に関してS氏は、自身らの世代を第 二世代として受け止め、それ以前の世代と、現 在のU・Iターン者との間に、世代間格差を感 じている。その特徴は、地域との交わり方の相 違に顕著に表れており、現在の第三世代は地域 にどうやって馴染むかという点に対する意識が 薄く、自分は自分と考えているようである。
だから今はそういう意味では第三世代に 入ってきてるんですね。最近入って来た人、
例えば自分は十数年前に入ってきた。今 入って来てる人たちはまた違うよね。
何が一番違うかというと、われわれは15 年前後前、一番世代は30年ぐらい前でしょ う、で、15年ぐらいして入って来て、何が 違うかっていうと、ものの考え方で言えば ほんとに自分のことだけを考えていく。わ れわれの世代はまだちょっと地域のことと か自分がここに住むわけだから周りのこと もちょっと意識の中にあったんですよ。地 域の人とどうやってなじんだらいいのかな みたいな、そういう苦労がすごくあったん でしょうね。
でも今ポッと来てる人たちは、もう俺た ちの世界っていうのを非常に強く持って る。それは悪いことじゃないと思ってるん だけどね。
したがって、地域のことがどうでもよいとい うよりは、自分を地域に合わせる感覚ではなく、
自分の考えに基づいて地域と向き合っているよ うである。その結果、共育学舎を経由して地域
に入ったA氏は、台風で痛んで取り壊されよう とした廃校舎を利用した本屋兼パン屋カフェを 運営している(写真6)。また、同じく共育学舎 に出入りしていたB氏は、新宮の市議会議員を 務めていた。つまり、自分なりの生業を地域で 見付けて溶け込んでいる。
学生時代からここに出入りしてて、それ で新卒で就職しないでここに来て。それで Bは2年ぐらいプラプラしてたかな。たま たま議員選挙があるからって出て。
Aはあそこに廃校があるからって出て。
そんな感じでね。だから彼らは雇用があっ たから来たんじゃないんですよね。
第6点目に関して、A氏やB氏はともかく、
第三世代は地域おこし協力隊など様々な行政の
写真6共育学舎を起点に地域に入ったA氏が始め た、廃校利用の本屋も兼ねたパン屋カフェ(原と半澤撮影)
制度的支援があって地域に入ってくるため、個 人同士が向き合う形にはならないとS氏は認識 している。そして、そうした制度自体は悪くな いものの、実際の運用が実態に追いつかないた めに、田舎の実態を踏まえない都会の論理が田 舎に入り込んでしまい、田舎の社会が悪くなる 可能性を危惧している。
われわれのときはまだ雇用なんてないわ けですよ。だから雇用がないことを前提と して、だから自分で何とかせなあかんとい うそういう意識があったけど、今は行政が いろんな制度が、いろんなものがあるから それを組み立ててというお金が中心とした ものになりつつあるんですよ。だから地方 が荒れるっていうのは都会の荒れ方が田舎 にただ来て場所が変わるだけで。
質問:…これまで地方を見捨てていた政府が、
今度は地方を巻き込もうとしている ものの、その巻き込みの論理が都会 のシステムに地方を組み込もうとす るやり方にみえます。
だから恐らくこれからは田舎が荒れてく るよね。…荒れ方が変わってくる。今までは 人がいないから荒れてたんだけど、でもそ れはそのもの自体が荒れてるわけじゃない よね。
質問:立ち枯れに近いですか?
うん。これからは外からの意識が、お金 というものが入って来てるから速度が違 う、荒れ方が。…よくなるのも早いだろうけ どよくなることはまずないと思うね、税金 を使ってよくなることは。今までの例から 言ってね。
それの一番いい例が地域おこし協力隊で すよね。
(こちらにも)入ったけど。だから制度自 体はいいんだけども、それをうまく…、そ れは協力隊に限らずいろんな制度自体は悪 くないと思うんですよ。
でもその制度を使う行政の人間、あるい は現場の人間がまったく今までと同じやり 方をやってるんですよね。どういうやり方 かっていうと必ず中間支援をするんです よ。行政が直接やるケースか中間支援を使 うか。そうすると行政は何をしていいかわ からないからでたらめなことをしますよ ね、現場のことがわかんないから。
中間支援は結局自分のこと、利益のため にやるんですよね。…現場のためにやりませ んよね。中間でそうやって抜いて自分たち が。だからぐじゃぐじゃになる。
第7点目に関してS氏は、上記で見たように 都会の論理が田舎を荒らす危険性を認識してい るが、といって田舎を全面肯定しているのでは なく、むしろ田舎に閉じこもって地域の論理に 取り込まれる危険性も指摘している。
(執筆者である半澤と共通の知り合いで あるC氏に対して)何年か、10年か20年たっ て子育てが終わって、またパッと開いてく れればそれはいいなと思うんだけど、それ はなかなか日ごろから鍛えていかないと育 たない能力やから。子育てが終わりました からじゃあ何かやろうかって言ったってそ こまでの準備がしてなかったら行けないで すよね。してはいるんだろうと思うけど。
だからよく言ってたの、E(地域名)に染 まったらあかんぞって。
それはAにも言えることなんですよ。B
にも言えることなんですよね。だからここ
に染まるなよって。こんなつまんないとこ
ろに染まるなよっていつも言ってるんだけ どね。
……この危険性への対応策として、東京のような 他地域に対して意識的に足を運ぶことの大切さ をS氏は指摘しており、配慮を欠いた都会の論 理が田舎を荒らすことには否定的であっても、
都会そのものに否定的なわけではない。むしろ、
社会全体を常に意識して、バランスの取れた行 動を取る必要を強調している。
ミスマッチが起きるんですよね。だから ここに根を下ろしていいけども、意識だけ はいつも外に、風通しはよくしておけよっ て言うんですよ。だから自分なんかもそう なんだけど、必ず年に何回かは東京行った り大阪行ったりして、別に用事があるわけ じゃないけどこじつけて行って、やっぱり 東京の風に当たってこないと、ここに2年、
3年いたらここの常識だけが自分を支配し ていくんですよね。
ここのことがわかった上で全体のことを 意識してバランスを取っていかないと。…た だ、俺はこう思うんや、だからいいんやっ ていう非常に狭いものに。いつの間にか隣 のことは知らんぞみたいな我田引水になっ てくるわね。で、地域のことも知らん、俺 はもうこれでやっていくんだからって。
何ができるわけじゃないけど意識だけは 持っておかないといざというときにポッと 動けない。
3 今後の調査への展望
以上の7点が一般化可能なものであるかどう かは、さらなる調査が必要である。しかし、本 稿冒頭で述べた仮説である、田舎が逃げ場とな る可能性については、まさにそれを目指した活
動を行っている人物が存在することは確認でき た。また、そのような活動の根底にある動機は、
日本人の生き方の多様化を推進したいとの考え である。イノベーションを推進する原動力の一 つは多様性であるため、多様な生き方が広まれ ば、ひとびとが様々な挑戦を行う可能性もまた 増大すると考えられる。それゆえ、本研究の仮 説検証をさらに進めるためには、共育学舎に来 たり、そこから都会に帰ったりしたひとびとが どのようなライフヒストリーを持つのかを知る 必要があるだろう。
ただし、われわれが共育学舎を訪問した時に 在籍していたひとびとからは、あまり自らにつ いて語りたがらない印象を受けた。それは、都 会で疲れ果てた結果かも知れず、彼らとの信頼 関係を築いて話をしてもらえるようになること は、今後の重要な課題である。
Ⅲ グリーンツーリズムとU・Iターン者 1 調査概要
さて、こうした田舎暮らし、地域おこしの文 脈で強調されるのが、地元では日常的すぎて気 づかれにくい地域固有の自然環境資源を活用し た、いわゆるグリーンツーリズムの意義である。
そこで、上述してきた新宮市の事例地からも南
西に程近い日本屈指の清流である古座川流域地
域で、カヌー体験を中心としたグリーンツーリ
ズムを早くから企画してきたUターン者である
U氏へのインタビューを行い、グリーンツーリ
ズムとU・Iターン者や都会との関係性を探っ
た(写真7、8)。場所は古座川町で、調査日時
は2015年2月14日である。インタビューは和歌
山大学の学部教養科目である熊野フィールド演
習の一環として、執筆者の一人である原に加え
て2名の和歌山大学教員、および当該演習受講
学部生10名程度が参加し、1時間半程度非構造
化形式にて行った。
なお、インタビュー対象者は、同行教員の長 年の知り合いで、和歌山大学が進めている地域 再生関連の演習や研究に対して理解を示して協 力してくれている方であるため、こうしたイン タビューには慣れていることを附記する。
2 調査結果
(1)調査結果概要
Ⅱ章におけるS氏の考えや認識とU氏のそれ らとの共通点と相違点を中心にU氏のインタ ビューをまとめると、以下の5点が興味深い。
第1に、U氏自身が抱えた課題が原因ではな いが、子息の病気を機に生きづらくなった都会 からの移動先として田舎を選択している。第2 に、対象者はU・Iターン者に限っていないが、
生きづらくなった人が再起を図る場としての古 座川アドベンチャークラブ、という認識を明確 に持っている。第3に、東京での仕事を通じる などして他地域の人脈を広げて、古座川とは違 う世界を見ることの重要性を認識している。第 4に、地域おこしなどに利用する助成金の獲得 には積極的である。第5に、自らの活動に対し て社会貢献であると同時に経済活動の一環とし ての意識が強い。
それぞれの点について、U氏が具体的にどの ように述べているか確認しよう。
(2)カヌー体験事業を始める経緯と初期の周 囲の態度
第1点目に関してU氏は、自身が何かの課題 を抱えたり、内発的な動機があったりする形で はなく、子息の病気をきっかけに生まれ故郷に 戻っている。しかし、戻った結果、初めて故郷 の魅力を発見している。
それで自分もやっぱり古座川を出てサラ リーマンを35歳までやってて、子どものこ とでこっちに帰って来ることになったんや けど、それは漏斗胸といってちょっと気管 が細い、生まれ持って。だから無呼吸症候 群だったりとかっていう、そういうような 危険性があるということで和歌山市内だっ たり大阪でサラリーマンの仕事をしてたん だけどこっちに帰って来ることになって、
いざ子どもを田舎で育ててっていうことに なって、やっと古座川はいいとこやなとす ごく思って。
写真8日本屈指の清流、古座川河口付近の漁村景観 注:…撮影者はここで清流を撮影中に地元の方に話し かけられ、その美しさを説明したが全く理解さ れずに怪訝な顔をされた経験がある。景観の美 しさや地元の自然資源の価値は、外部者により 初めて発見されることが往々にしてある。
(原撮影)
写真7U氏が先進的にはじめた古座川でのカヌー体験
(原撮影)
帰郷はしたものの、生計を立てるためにアル バイトなど色々な仕事を経験したが、最終的に、
子息を無事に社会人にすることが大切と考え、
仕事を横に置いてでも彼を自然の中に連れ出す 中で、自分も共に成長できる選択としてカヌー 体験事業を思いついた。
その中で子どもの成長だったり自分の成 長だったりっていうのを何かしら残せない かなっていうことで、カヌーなら人よりは ちょっぴりだけできたので、これをちょっ と商売にしてみようと。
第2点目に関してU氏は、はじめは明確な経 済活動としての観光事業とカヌー体験事業を捉 えていたが、古座川が有する地域資源の豊かさ を再認識し、それを教育や人作りの形で活かそ うと思うようになった。それゆえ、彼と関わっ た人が気力を取り戻して再挑戦するようなきっ かけになって欲しいからこそ、カヌー体験事業 の名前が古座川アドベンチャークラブなのであ る、とまで述べている。
(U氏以前にこれといった観光事業がな かったため)それで(ガイド論を)勉強して いた中で、古座川ってやっぱりすごい資源 がある。だからその資源っていうのは教育 の根っこになる、人づくりの根っこになる 観光事業だろうというふうに思って今その 形をやっています。
だからちょっとチャラついた古座川アド ベンチャークラブということなんですけ ど、要は古座川でひとりひとり僕とかか わった人がひとりひとり自分の人生なり ちょっと萎えかけた気持ちだったりってい うところに再チャレンジをしていくための 1つのワンステップをやってもらいたい、
一緒にやりたいというので古座川アドベン チャークラブっていう、だからこの事業自 身も古座川ではアドベンチャーなんです よ、チャレンジャーなんです。だから何も ないところで。だから非常に非難されまし た。で、馬鹿にもされました。
非難されたし馬鹿にもされたというカヌー体 験事業については、以下のような具体例を挙げ て、地元からの目や親との衝突について述べて いる。
(地元スーパーの)オークワで買い物をし たときに、向こうのレジで精算してる人が 大きな声で「あー、お前また遊んどんのん か、俺は仕事しとんのによー」とかね。「え えのー、川で遊んで」って。
カヌーとかいうのはここの辺の人にとっ ては遊びなんですよ、川遊び。だから仕事 としては見てくれてない。…っていうのが ちょっとやっぱりしんどかったな。
子どもは今でも言いますけど、保育園、
小学校へ行くと、最初のうちはやっぱり小 学校のうち最初のうちはお父さん仕事何 やってるの? お父さん何やってるの?…
毎日聞かれたんですね。
だから始めた当時はボロクソ言われて、
正月とかお盆に実家に帰るんですけど、こ こから父親の所にね、帰るんやけど、家の 中に入れてもらえなくて、俺。…で、嫁と子 どもは家の中で寝させてもらえるんやけ ど、俺だけテント張って。
結構広い、地主っていうか土地持ちなん
で。そこに端っこのほうにポンとテント
張って、そこでいる間生活するんですよ。
現在は地元にも親にも受け入れられているU 氏であるが、こうなった一因としてスタッフは、
カヌー体験事業を始めた約20年前では、全国的 にも先進的な試みであり、まして古座川におい ては全く理解されなかったと指摘する。
スタッフ:彼は、僕客観的に言うたら10 年、20年早いことやっとるからね。多分彼 が始めたときっていうのは全国的にははし りなんやろうけども、古座川ではまず20年 先や。だから今時代がひっついた(追いつ いた)という。
(3)他地域との繋がり
一般論としても、また第Ⅱ章でS氏が指摘し ていたように、ある地域内のしがらみなどに捕 らわれてしまうことはよくあることである。そ れゆえ、地域内で新しい試みを行う際には、地 域外部からの人材やネットワークが大切にな る。古座川アドベンチャークラブ開始当初は地 域内からの強い風当たりに直面していたU氏 も、明確に外部からの繋がりに救われたとは 言っていないが、それが自分のものの見方を広 げたとは述べている。これが、第3点目である。
ありがたいことに田舎にいてて東京で仕 事して田舎に帰って来て閑散期、するんで 結構やっぱりずるずるべったりここにいる と自分も刺激がない。行って帰って来ると 違うものが見えたり。
東京にいてて仕事をしてるとまたこっち の違う面を思い出したりとか感じたりと か。それは非常に有効でしたね。
だからいろんな世界を35を過ぎてから見 てきたんでラッキーでしたね。人の出会 いっていうのは大きいですよ。
(4)助成金への認識
第4点目に関してU氏は、S氏と明確に異な り、助成金、つまり公的補助を積極的に取ろう としている
(3)。
だからやりたいことがあったらばやっぱ りやる。やりたいことのために何をやるか。
何をやるかを項目立てて、まずはスタート はお金。そうしたら助成金を取る。…助成金 を取るにはどんなところがあるか。それを 調べてみようや。その中で助成金をもらい やすいところを整理して、そこは何を狙っ ているのか、待っているのかっていうのを またやって、そこに向けて自分たちの巨大 なテーマの1つを企画として書き込む。そ れで取っていくというふうにしてやってま す。
(5)自らの事業への認識
第5点目に関してもU氏は、S氏と異なる考 え方をしている。S氏は、利益を上げることに 対して積極的ではなく、むしろ本物のパン作り を志向するなど、自らの理想に重きを置いた行 動を取っている。U氏も、第1点目や第2点目 でみたように、自らの活動基盤であるカヌー体 験事業を、ただの経済活動と考えてはいない。
しかし、それを初めは純粋な経済活動である観 光と捉えていた上に、現在でもそのブランド構 築をよく考えて戦略的行動している。
グッチってそんな大きな工場持ってる の?っていったらそうじゃないよね?家内 事業みたいな。でも世界で、すごい離れた 日本でもグッチって、グッチ裕三(笑)。だ からそれがブランドなんやけど。
で、俺が考えたのは、コマーシャルしな
い、広告しない、宣伝をしない、なるべく
自分の地域では。
(中略)
スタッフ:宣伝しないのがブランド化の 1つね。
そうですね。
高級ブランドの戦略を参考にして、意図的に 露出を抑えることで、自らの事業の価値を高め ようとしているのである。このように経済的側 面も意識しているのは、彼が1人で行っている 事業ではない以上、スタッフの給料なども考え ると、より現実的な事業継続も意識せざるを得 ないためと考えられる。実際、それを意識して いるような発言を彼はしているが、同時にス タッフのことも考えて、露出を増やすことも検 討していると述べており、ブランドについても、
ある種の理想があるというよりは、経済面から みた事業バランスを念頭に置いていることを伺 わせる。
だから今半ばうちのスタッフがいるのに 何でもかんでも僕が背負い過ぎてるんで、
仕事を分散してせなんだらだめですって言 われるんやけど、だいぶ育ってきてくれた んで、スタッフが。だから多人数を受ける こともできるし、今度はそのスタッフを食 わしていかなあかんので、ちょっと広報も していこうかなと思いますけど、戦略とし ては今はそういうふうにしてやってます。
3 今後の調査への展望
以上の5点について、改めてU氏とS氏の認 識や考え方を比較して、今後の調査のために留 意すべき点を確認しよう。
第1から第3の点については、S氏とU氏に ほぼ共通する認識であるため、U・Iターン者 を受け入れる田舎が社会的にどのような意味を
持つのかと、そういったひとびとが田舎で活動 する際に何が必要であるかを、示唆しているよ うに思われる。ゆえに、Ⅰ章で検討した仮説に は一定の妥当性があると考えられ、この側面に ついての一層の調査が求められる。
第4と第5の点については、S氏とU氏では 大きく考えが異なる側面である。これは、S氏 の活動基盤が農業にあり、U氏のはグリーン ツーリズムにある点に起因する相違かも知れな い。今後の調査では、活動基盤の相違が、各U・
Iターン者の考え方にどのような影響を与える かも見ていく必要があるだろう。
Ⅳ 若年U・Iターン者の認識 1 調査概要
Ⅱ章とⅢ章の調査対象者は、田舎に移住して 既に十数年以上が経過し、本人達も50~60代で ある。それゆえ、様々な経験も積んでおり、考 え方や認識も年月を経て変遷した上で、現在の ようなものになっているとみなせる。彼らの目 を通した形で、若年U・Iターン者がどのよう な考えを持っているかは既に語られているが、
若年U・Iターン者自身がどのような認識や考 えを持っているかは確認できていない。そこで、
対馬に移住した人物3名へのインタビューを実 施した。インタビュー実施者は、執筆者である 半澤と原である。場所は対馬市であり、後述す る特定非営利活動(NPO)法人の事務所と、食 堂で昼食を取りながらの約2時間20分の非構造 的で断続的なインタビューとなった。調査日時 は、2015年12月5日である。なお、これまでの 章と異なり、インタビュー形式の制約から、詳 細なインタビュー記録を開示する形とはなって おらず、筆者達の問題意識に対する彼らの回答 を記述する形となる。
今回のインタビュー対象者は、地元の伝統的
な食材の掘りおこしと農家との連携・商品化に
よる地域振興を目的とするNPO法人Tの責任 者SZ氏、その職員SK氏、地元メディア企業に 勤めるH氏である。後述するように、前2者が Iターン者であり、H氏は別の地域からの赴任 である。したがって、今回の調査趣旨からする と、H氏は調査対象外であるが、結果的にSZ 氏やH氏と同時インタビューになったこと、田 舎への移住者として田舎をどう見ているかとい う点において参考になると考えられたことか ら、インタビュー記録を記載する。
2 調査結果
まず、当該NPO法人Tは、首都圏からの移 住者と地元の若者が、対馬の地域振興を目的に して2012年に結成した。この初期からの参加者 がSZ氏であり、SK氏は結成後に職員として採 用された。NPO法人TがCMを流した地元ケー ブルテレビ局でH氏は働いている。
元々SZ氏は30代で、東京の大学院で生化学 系の博士号を取得後に九州の製薬会社で働いて いた。企業での仕事も楽しかったが、インドア なサプリメント開発業務にどこか物足りなく、
自分がいるだけで助かると思ってもらえる地域 に行きたいと思っていた。さらに2011年の東日 本大震災を経て、何かしなければと思っていた ところに対馬市での地域生薬開発のための地域 おこし協力隊の案内がメーリングリストで来た ため、逡巡はあったが移住を決断した。移住先 が対馬市であった理由は、自分の専門性も活か せる可能性があるその案内が同じ九州地方に属 する対馬市のものであった以上のものはなく、
全くの偶然であった。
SK氏は30代で、東京の企業で物流の仕事を していたが、福岡市に大きな取引先が出来て転 勤してきたところ、対馬市出身の伴侶と出会っ た。対馬にはほとんど何のイメージも持ってい なかったが、定年後には田舎に住みたいという
憧れもあったため、伴侶との結婚を機に、仕事 がなくとも当たって砕けろと思って対馬に来 た。福岡に2~3年いたために、東京と比べた 場合のこちらの人の考え方に慣れて、対馬に入 りやすくなった感覚はある。実際、対馬には閉 鎖的イメージもあるが、福岡市周辺に在住する 対馬出身者の集いである 「福岡対馬会」 などの 人的ネットワークによって、対馬に入りやすい 面もあるという。
H氏は20代で、長崎市の大学出身であり、同 じく長崎市に立地するメディア企業に就職する 形で、卒業後すぐにそこが委託事業として受け ている対馬市CATVで働くために移住してき た。大学時代に漂着ゴミ回収のボランティアで 対馬に来たことはあったが、対馬に来たいとい う思いはなかったという。ただ、対馬に何かし たいという思いはある。
対馬という田舎に溶け込むことについて、
SK氏とH氏は、地元の人は島外の人間を優し く受け入れてくれるとしている。ただ、何かを きっかけに地元の人の中に入っていく必要があ るため、大胆に踏み込む必要はあり、引っ込み 思案だと、対馬の人が閉鎖的に見えるかもしれ ないと指摘していた。そういう点で、若い人 はスポーツに借り出されるため、SZ氏は弓道、
H氏は野球という趣味があるために溶け込みや すかった。逆に、そのような趣味がないと、対 馬の生活は辛いだろうという。実際、地域おこ し協力隊の参加者でも、任期途中で帰った2人 は、趣味がなく宴会も嫌いだったことが影響し たようである。
なお都会で上手くいかずに田舎に引っ込むと
いう考え方に対して、SK氏は、逆に決して経
済環境が良くはない対馬で上手くいかなかった
ときに東京に行けば何とかなると思っている面
もあると述べていた。なぜなら、元々の仕事で
あった物流業界は、現在人手不足であるため、
運転手をやれば食いっぱぐれはないとも考えて いるためである。とはいえ、若い時に都会に出 てきらびやかな世界を見ておく方が良いとも 思っているという。その方が、年を取ってから 落ち着くからである。
3 今後の調査への展望
このように彼らのU・Iターンの理由を見る と、都会での生活に切実な問題があったとはい えず、よりやりたいことが田舎にあったから移 住してきたと理解すべきであろう。また、3者 ともに地域にどのようにしたら溶け込めるかに ついては語っているが、第Ⅱ章のS氏や第Ⅲ章 のU氏と異なり、地域の論理に取り込まれ過ぎ る弊害や、それへの対応策となる地域外の人脈 については特に語っていなかった。これは、移 住後の期間の長短から生じているのかも知れな い。すなわち、S氏やU氏は地域への溶け込 みは完全に完了しているため、次の課題に直面 したり乗り越えたりした経験があり、それがよ く見えているのに対し、SZ氏、SK氏、H氏は まだ溶け込み途中であるか、それが完了して日 が浅いため、次の段階にまで目が向いていない 可能性がある。ただ、特にSZ氏は、NPO法人 Tの活動で頻繁に東京にも足を延ばしているた め、意識せずに外部との繋がりが豊富になって いるため、特別な課題と思っていないのかも 知れない。あるいは、S氏がいうような移住第 三世代とそれ以前の世代の考え方の違いかも知 れない。実際、SK氏の見解にみられるように、
田舎で生計を立てることは都会よりも困難な面 もあるため、必要があれば再び上京しても良い という考え方は、地域を中心に捉える考え方と は一線を画している。
こういった不確かな面に関しては継続調査が 必要であるし、対馬に移住してきて定住した期 間がより長い人物への調査も必要である。
Ⅴ 海外事例 1 調査概要
ここまで、和歌山県南部と、対馬を中心に、
日本国内の事例について現地調査の予備的な結 果を紹介してきた。対馬の事例では、離島にお ける若手のIターン者の地元食材を活用した地 域おこしの可能性も紹介した。
こうした若手U・Iターン者による地元農業 の活性化を通じた地域再生への取り組みは、世 界各地でみられるが、ヨーロッパの園芸蔬菜農 業大国であるオランダの国土辺境の島におい て、若手農業経営者から直接興味深い話を聞く 機会があったので、本章において日本国内の事 例との共通点や差異を考察する素材として紹介 したい。調査は、2013年11月1日に、本論執筆 者の一人である原が学術振興会特定国派遣研究 者としてオランダのデルフト工科大学に滞在し ていた際、所属研究室の定例巡検として訪問し た際に実施した。前半は研究室の研究者10名程 度でテーブルを囲みながら、後半は農園を視察 しながら、1時間程度の非構造化形式で行った ものである。
なお、調査対象者は原が所属していた研究室 の構成員からの紹介により選定されたことを附 記する。
2 調査結果
調査対象者は、オランダ北部のテッセル島 に位置するイチゴ摘み取り農園、Zelfpluktuin…
Texelの若手経営者である。
テッセル島は、オランダ最大の都市アムステ ルダムから鉄道で北上すること約1時間でたど り着くオランダ北部の街デン・ヘルダーから フェリーで20分ほど北上した北海に位置する。
東西5km、南北20km程度の大きさで、北海の 沿岸流により形成された砂質の低平な島である
(写真9)。島内は農村景観と自然景観に優れ、
干拓地の自然再生現場も存在し、バードウォッ チャーやハイカーが絶えない。島内人口は約1 万5,000人だが、夏季には4万5,000人もの観光 客が訪れる。しかし他の欧州遠隔地同様に過疎 化が進行しており、基幹産業であった農業に加 え、ゲストハウス経営などの観光産業も陰りを 見せている。そうした中、若手Uターン者によ る意欲的な農業経営も出てきている。
調査対象者の若者もそのようなUターン者の 一人である。世界的にも最高水準の研究教育体 制が整うデルフト工科大学にて工業デザインを 学んだ後、オーストラリアなどで工業デザイン 関係の仕事に勤め、プロダクトデザイナーとし てのスキルや経営能力に磨きをかけた。その後、
実家の両親が経営する農園を何とかしたいとの 思いからテクセルに帰り、都市での就学・就業 時に得た技能も活用した農園の経営を進めてい る。自然豊かなテクセルで幼少期を過ごした記 憶から、オランダ、そして世界を席巻する単一 種食料大量生産・長距離流通システムへの疑問 を抱き、島民や訪問観光客、そして極論すれ ば人類全てに新鮮な野菜・果物を提供したいと いう理念を有している。訪問前夜の嵐により農 業設備が大きな被害を受けた状況下での調査で あったが、自分達の理念を広めることに熱心で
あるため、復旧を中断してでも、自分達の取り 組みを伝えるために調査者達を快く受け入れ、
熱意を込めて理念を説明していた。
Zelfpluktuin…Texelは、約20年前に設立され た、イチゴを中心とした3haのピックアップ 農園で、加工品であるジャムなども販売してい る(写真10)。
夏季にはのべ1,000人程度訪れる人気スポッ トとなっており、類似の農園が島内で5社存 在、61のメンバーが加盟する農業組合があると いう。この組合では毎月会合を持ち、最新農法 などの発表を学会形式で行うほか、他の先進的 なグリーンインフラに関する取り組み地への視 察も企画しているという。
当農園では、都会勤務時代の技術と人脈を活 用し、2006年からオランダ国内の農業大学であ るワーハニンゲン大学と提携し、最新鋭の自律 走行型の施肥・照光機器や、効率的なチューブ 灌漑施設を発展させ、有機栽培により摘み取り 用のイチゴをハウス栽培していた(写真11)。
都会勤務時代の技術と人脈を活用し、大学と 連携して自律走行機器によるコスト削減試験を 行っているなど、最新の工業デザインの知識を 活用しつつ、自然観を維持した有機観光農園の 経営は、オランダ農業の典型的な先進事例であ
写真9 漁村と平坦な干拓農地から成るオランダ北部の北海に浮かぶテッセル島(原撮影)
る。とはいえ、やはり保守的な高年齢層の農家 も未だに多く、各種の交渉に時間がかかること もあるという。
なお、海外事例については、より調査を進め てからでないと十分な考察ができないため、基 本的にはU・Iターン者による活動の一事例の 紹介以上のものではないが、都会の経験が田舎
の地域社会に変革をもたらしている点は確認で きる。
Ⅵ おわりに
第Ⅰ章で述べたように、本稿は、予備調査結 果を提示する資料である。これに基づく詳しい 議論には、さらなる調査が求められる。その方 向性については日本に関する各章末で検討した が、改めてまとめて本稿の締めくくりとする。
第Ⅱ章では、Iターン者として地域に入り、
農業を活動基盤にしてパン屋とNPO法人を運 営しているS氏へのインタビューから、田舎が 逃げ場となる可能性を確認した。
第Ⅲ章では、Uターン者として地元に戻り、
カヌーを中核に据えたグリーンツーリズムを 活動基盤にしているU氏へのインタビューか ら、やはり田舎が逃げ場となる可能性を確認し たが、実際に田舎で活動するために必要な資源 についての考え方がS氏と異なることも判明し た。
写真10 訪問調査したイチゴ摘み取り農園と若手経営 者の様子
(原撮影)
写真11 自律走行機器
(原撮影)