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寄宿舎と

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(1)

卒露者中死亡者本核部

寄宿舎と

校風

古城時件

の自習室

と收容人

鍬噸禰瀦 と其の計 鑓察主義

の目的

五十年の歴史を有して、我が校風の維持振張に、最も與って大いなる貢献を爲したものは、寄宿舎の生活であ る。吾等の生活道場として、文に武に相勵み相戒めんとする青年の意氣と熱情とは、遂に龍南會を組織するに至 ったのであるが、總務室は勿論、各部の委員室までが、今日と異って多年寄宿舎内に在ったことから察しても、 思半に過ぐるものがあるであらう。固よりその間には、形式に内容に、幾多の愛遷があったばかりでなく、又多 少の隆替を免れなかったとは云へ、和衷協同、切瑳砥礪の効に至っては、洵に云ひ知れぬものがあったに相違な い。而してそれ等の黙に開しては、幸にして習學寮史が將に出版せられんとしてゐるので、絃には態と差控へ、 主として形式的方面に就いて述べて置くつもりである。 寄宿舎は、古城時代に於ても、自習室と孵して小規模ながら存在し、凡そ四十餘名を收容してゐたのであるが、 地を龍南に卜して新校舎が設計された頃は、五六百人の定員を目標と爲されたもので、階下を自習室に、階上を 寝室に充て、自習室の如き、十六人三十一一一室、十一一人一一室、十人六室、凡て六百十一人を全部收容し得るやうに 計聲されたが、色々の事情の爲に賞現されずに了ったのである。(圖面参照)而してその全寮方針は、既に古城

時代に於て定められてゐたことは、第五高等中學校一覧第一冊(明治廿一年l同廿二年)の第九章寄宿舎規程第

第一章寄宿舎の五十年

四○五

入學者・生徒灘・牛業者・本校部卒業者中死亡者等 附録入墨者・生徒数・卒業者・本校部卒業者中死亡者等

第三篇

第一章寄宿舎の五十年

四○四

年度 入墨薪

補充二級 補充一級 優入學 數科三級 麺科二鐘 顕科一級 本科一年 郷田鼠生

蕊藤

|生徒致本校錦 盛皐部 エ學部 合計 卒業者、

本校部 △Ox本位部中

密學科啓學部藁學科 エ畷部 敬貝愛成圃 本校郁 卒篭者中死亡者 廟位地方別名平在籍者地方名 合計

明治二O平 57 24 81 81 熊本 80783

〃二一平 78 141 27 260 359 619 顧岡 7078コ

〃二二IF 35 『q』 210 335 545 36 大分 20711

〃二三平 ,, 10 296 374 670 43 長蒔 20644

〃二四平 71 10 19 27 384 339 72J 74 ユニ 佐奨 20600

〃二五年 25 Z4 21 17 36 4コ 40【I 383 787 14 47 プビ 山口 』。357

〃二六年 71 】0 28 24 418 365 783 37 5J 19 鹿兒島 10156

〃二七年 32 いい 1 133 539 367 9,6 42 40 17 ノ、 魔媛 86§

〃二八年 10 203 578 346 924 70 71 20 ゴし 宮崎 830

〃二九平 188 634 381 10015 78 52 10 30 兵庫 771

〃三O平 199 ■■■■■ 646 466 112 144 12 52 東京 765

〃三一午 202 592 477 069 160 55 43 鹿島 638

〃三二平 178 564 499 98 1 161 135 52 18 51 鹿知 603

〃=室平 204 苑5 528 145 1 238 140 52 島根 56[

〃三四年 zZ8 518 172 770 129 42 ■色 大阪 462

〃三五年 221 655 192 847 101 19 31 うて 香川 333

"三六平 226 688 195 883 1」14 18 36 剴= 和歌山 286

〃三七平 232 681 191 872 185 1`I 37 ノ、 岡山 251

〃三八芋 226△301 688 218 ,06 181 27 40 プし 京都 244

’三九年 230 713 712 161 39 34 愛知 216

〃四○年 290 1 780 780 201 43 --- 静岡 208

〃四一竿 261 2 714 7,4 206 50

長野 18〔I

〃四二年 304 5 877 877 197△1

01 60

←▽

岐阜 174

〃四三年 286 5 868 868 247 43 -- 仲緬 153

〃四四平 2,7△6 906 906 22201 37 千葉 152

大]E元年 312

xl gZ1 921 Z44 46 --プピ 鳥取 151

〃二平 287△2 908 908 267f△ 41 -- 天城 150

〃三竿 Z88△4o2

X】 897 897 251 30 夕、 新iAJ lSC

〃四平 275△6

01 858 858 243 32 ブし 三重 136

〃五年 276 848 848 220 26 こ」 鶴島 1J』

〃六平 304 859 850 224 26 鬮井 127

,七平 ,■■■■ 287 5 903 90J 205 29 -- 滋賀 124

〃八年 290 5 913 91J 246 30  ̄。 埼玉 12斗

〃九年 299 4 939 9』19 246 32 宇甸 山形 1」1

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〃一一平

287 214

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〃一二年

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924 949 921 945 922 927

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(2)

習學寮の 名稻と全 寮制度明

一本

寄宿舎細

噺入生以 夕の醤生 徒依願許

可制

期限附全 寮制に鍵

新入生期 限附義務 制に鍵更 依頼寄宿 制に鍵更

□DDDUpDDUUDUDpUTUDD砂DDDDDDUDDDbUUDUUU

七年度になると、第一條は,「本校生徒ハ願二依り習學寮一一寄宿スルコトヲ得但馨學部生徒ハ當分第二年級以下

⑰りり、,U、DPPbTb、、bUpUUUb、、⑪U、Pbp、DppD⑪、p

都テ寄宿スベキモノトス若シ正當ノ理由アリト認ムルトキハ通學ヲ許スコトァルペシ」と改められてゐる。即ち 嘗學部第一一年級以上を除いては,願に依って寄宿することを得ることとしたのは、制度上非常なる愛化と申さな ければならぬ。而してこの頃までは未だ必ずしも年級の如何に制限はなく、且翌一一十八年度も鍵bなく、一一十九

■lNDpDPDDDDDUDDppD

年になって、第一篠に、「習學寮ハ生徒ヲ寄宿セシムル所トスし、第一一條に、「生徒ハ總一プ一定ノ期間必ズ習學寮

℃、、bD、、、、、、、、、、、、,DU、、、

一一寄宿スペキモノトス」と改められ、願に依って寄宿し得るものでなく、一定の期間は必ず寄宿すべき義務を負 ふやうになったのであるが、一定の期間が如何なる内容を有つかは明かでない。 かくてこの定めは、一一一十年度より四年間何等愛化なく、一一一十四年度になって、「本校寄宿舎ヲ習學寮ト穂ス」

万DDDDUUDUDDUDDUDp▽、、ひりひりりりDUDDDUpUUpDDDTDBDTDDDUP、

「新二入學シタル者ハ一定ノ期間ハ習學寮二寄宿スルモノトス但自宅若クハ父兄ノ宅ヨリ通學セントスルモノハ

、、、Pbp、U、DPU、DP、、DUpUpUUU

願一一依り藝之ヲ許スコトアルベシ」と明記され、新入生徒に限hv一定期間の寄宿を義務づけたのである。而してこ

り、、、

の規條は、一一一十四・五。六・七の四箇年度に愛bなく、一一一十八年度には、「新二大學豫科二入墨シ”グル者一云々し

、ノ⑯UDDDDbDDDUDD

と、大學豫科を附加しただけである。一一一十九年度は前年度に同じく、四十年度には、「新一一入學シクル者ハ特一一墨

、UUDBDBDpDBb、、、、、、、Pb▽、U、DP、、DP、、

枝ヨリ通學ヲ命ズル者ノ外ハ一定ノ期間總テ習學寮一一寄宿スヘキモノトス」とあhソ、大學豫科の文字を別hソ、特 に學校より通學を命かろ者を除外例としてはあるが、原則的には同一と見て差支はあるまい。 四十一年以降大正四年度までは、字何の修正はあっても、新入生に對して寄宿の義務を負はしたことには鑓0 なく、大正五年度も本則は同様で、細則第一|一條に、「新一一入學シタル者外ノ生徒ニシテ入寮ヲ願上出ヅルトキハ收

四○七 第一章寄宿舎の五十年 第一章寄宿舎の五十年

四○六一uDDDDDDDTDDDDDDDDDDDDUDD・DDB

一條に、「寄宿舎ハ生徒ヲ寄宿セシムル所トス但生徒ノ都〈ロニョリ通

りD、⑪、、、、,U

學ヲ許スコトァルベシ」と定められてゐる}」とでも知られる。けれ ども、同第四催の、「退舍セント欲スル者アルトキハ其事由ヲ詳記 シ正副保證人連署願出ヅベシ」や、同第六條の、「夏季冬季及春季 休業中歸郷若クハ退舍セント欲スル者ハ保證人達署其旨届出ヅ。へ 蝉シ」の如きは、自ら多少その性質を異にする關係上、願出と届出と 鵜の相違はあっても、巌重なる制限は見受けられない。

騨然るに、二十一一年四月竣功を見た新舍の繊造が、階下を自習室と 識爲し、階上を寝室と爲した關係上、一一十一一年、始て寄宿舎細則十一一一 鍬條が出来、その中には更に各項に分ちて、可なり細かな黙まで規定

宿

輔きれてゐるが、本則としての規程はそのまシになってゐる。それが 園一千四年度の一覧には、寄宿舎の文字は習學寮に改められ、その規

℃DP

⑫DnDDpppDDDUDDDDDUDUDDD

程第一條には、一‐本校生徒ハ都一プ習學寮二寄宿スベキモノトス但正

、、、、、、、、、DBpUp▽、U・PUU、,、U

富ノ理由アリト認ムルトキハ通學ヲ許スコトアルペシ」と定められ

て、明かに全寮制度を目ざしてゐることかわかるのである。而して

この第一條は、一一千五年度も一一十六年度も踏襲されてるろが、二十

(3)

一難蟻蕊譲蕊鍵

寄宿舎細

則と自習

室繧室心

寄宿舎の 改築と收 容人員の 愛遜 第一章寄宿舎の五十年9DDDDDDDDDD0DDbDDDDDDDDDDDD

四○八

・客ノ餘裕アル場〈ロー限り之ヲ許可スルコトァルベシ但シ入寮ヲ命セラレ河ノルモノハ此ノ限二在ラズ」と、多少の 現行制度制限を設けたことだけが異ってゐる。大正六・七年度に塗りなく、大正八年度になって、「習學寮ハ生徒ヲ寄宿セ

の目的と

崎鵬臓務シメ本校ノ教育ト相侯ツテ之ヲ訓練スル虚トス」「新一一入學シタル者ハ少クモ-學年間ハ総テ寄宿スベキモノト

▽U、Db、、、、、,、,9,Ub■、pUb、Pb、,U、D、DPDU、、、、b、■、、、D、、

ス但シ特別ノ事情アル者一一對シテハ詮議ノ上通學ヲ許可スルコトァルペシ」「習學寮一一寄宿スベキ者ノ數收容人

、、,、、、、、、DPD、、■UU、■U、U■U▽U、U

員数二超過スルトキハ若干名ヲ限り通學ヲ命ズルコトァルベシ」とされ、以てくう日に及んでゐる。 通じて之を言へは、仰古城時代に在りては、「寄宿舎ハ生徒ヲ寄宿セシムル所トス但生徒ノ都合ニョリ通學ヲ許 スコトァルベシ」として寄宿通學一一方針を併用し、②新校當初に在りては、「本校生徒ハ都テ替學寮一一寄宿スペキ モノトス云々」として、全寮制度を以て原則と爲し、③一一十七年になると、「本校生徒ハ願一一依り稗學寮一一寄宿ス

℃DUb、、、DP

ルコトヲ得云々」として依願寄宿制度に改められ、側一一十九年度には、「生徒ハ総テー定ノ期間必ズ習畢寮二寄宿 スベキモノトス」として、期限を附して再び義務的に反り、⑤一一一十四年になると、「新一一入墨シタル者ハー定ノ期 間ハ習學寮一一寄宿スルモノトス云々」として、仰の場合に於ける「總テ一定ノ期間必ズ」が、「新一一入學シクル者L

P、,DUDU、

に改められ、且、必ズの字句も削除せられ、通學は、{曰宅若くは父兄の毛より、願に依って許可せられた者に限 られたのであるが、新入生を本鵠とすることは、其後一貫してゐる。⑥四十年度になると.「新一一入墨シグル者ハ 特一一學校ヨリ通學ヲ命ズル者ノ外ハ一定ノ期間總テ稗學寮一一寄宿スペキモノトス」として、新入生は、特に命じ たる者の外総て寄宿すべきものと篤し、自宅若くは父兄の宅等の字句はなくなってゐる。かくて、大正八年度に

℃、、、、、、、刀、

なると,「新一一入墨シ灯ノル者ハ少クモ一墨年間ハ總テ習學寮一一寄宿スヘキモノトス但シ特別ノ事情アル者一一對シテ

、,、、、、UT、、、、

ハ詮議ノ上通學ヲ許スコトアル曇へシ」として。「一定ノ期間」を「少クモー學年間」に改め、新入者の通畢生に對 して、「特一一學校ヨリ通學ヲ命ズル者」が、「特別ノ事情アル者一一對シテハ詮議ノ上」と改められたまでである。尤 も、傳染病績出の爲、従来の寄宿舎は、大正四年以降一一一年間に亙って、食堂炊事場を除き悉く之を焼却して、現 今の如く階上階下共に自習寝臥兼用に改築せられた結果、收容人員に多少の鍵更を生じた爲か、「習學寮一一寄宿ス ベキ者ノ數收容人員数一一超過スルトキハ若干名ヲ限り通學ヲ命ズルコトァルペシ」の一條が加へられたものと恩 はれる。而して其後は食堂や洗面所の改築、仰光館や知命堂の増築はあったが、收容力に鍵化もないのに、全國 高等學校を通じて、昭和七年以降、募集人員に減少を來し、本校の如きも、文。理科を通じて、昭和七。八年は、 一組三名宛凡て一一十四學級七十一一名を減じ、昭和九年以降は、一組十名宛凡て一一百四十名の定員を減じ、従って、 新入生も従前に比して毎年八十名を減じ、寄宿すべき人員が、收容人員に超過するが如きことも少かるべく、一 學年を経たる後に於て、多数の所謂淺寮希望者があっても、それ等の希望者に制限を加へることとなってゐるの

で、一室十一一蝋にすら、三人ゐる者は殆どない有様である。 以上述べた通り、古城時代と、新築時代と、改築以後とに愛化があったばかりでなく、全寮主義より依願とな り、更に新入者主義制度と、學校の方針も蔓り、時代の推移に件ひ、取締上の細則にも幾多の愛遜を莞れなかっ たのは、當然のことと申さねばならぬ。而して絃に詳細に亙って書き記すことは、紙面が許さないので、最も特 徴のある鮎に就いて限って見れば、一一十一年度に在りては、寄宿舎規程は七箇條に過ぎなかったのが、一一十一一年 度には、その上に寄宿舎細則十一一一條が出來、自習室と寝室とに夫々制限が設けられた。而して自習室に就いて

第一章寄宿舎の五十年

四○九

(4)

自炊制度

賞施

炊事委員 長授業料 免除問題

及び

補の

、舎 監の鮎検 等 其他敷ん

の心得

外出歸舍

心得

其他を新に川へ、病氣鉄課の際は、届書に馨員の検印を請けたろ後、即日舎監に差出すべく、事故の場合は、舎 監に申出でて指揮を諸ふく含こととされたのは、前年に比して相違してゐる。又、外出中病氣叉は事故の爲、門 限に遅れた場合は、事由を詳記せる保證人連署の屈書を必要とし、午後十時以後は、如何なる事情があっても歸 舍を許さないことになった。既定の場所に在る燈火を他所に持行くこと、消燈後私に黙火すること、鑑bに各室 を往来すること、戸壁等を汚損し又は樂書すること、指定の場所外に於て喫煙し又は湯茶を飲むこと、等を禁じ てあるのは,それ等の弊害が續出した篤であらう。 その後の数年間は大差ないが、一一十九年度の規定の中に、衞生醤の診断によって、寄宿に堪へすと認められた 者の外退寮を許さないこととしたのは、前述の如く、當時の寮風を察するに足るであらう。一一一十一年一一月九日を 以て、炊事委員長授業料免除の儀が逵せらるシや、炊事委員長や寮総代より、鮮退の陳情懇願書が出で、三月十 七日、遂に取梢に決したのであるが、一一一十四年度に至りては、舎監の許可なくしては、歸郷又は外泊することを 得ないことと定められたのも、その一面ではあるまいか。而して門鑑制度は、この頃まで賞施されてゐるけれど

、DP

も、巳むを得ざる事故の爲にっ午後十時以後録寮せんと欲するものは、豫め生徒課に申出でて特別門鑑を乞ふく

P、、、、0,

く、その有効時間を當夜十一一時迄としたこと、妖課せる者は、制規に従って當日中に生徒課を経て届出づくき}」 と、其の他相鴬厳重な規定が設けられてゐるやうだ。 三十九年度の細則中に、寮生に對して寮中の規約を定め、生徒監の認可を得て實行すべきことが明記されてゐ るのは、所謂自炊制度の實施にして、生徒課主任之を監督し、同課員の一人に、食費の徴收・保管及び支出の事務

第一章寄宿舎の五十年四一一

外出に關しては、平日は午後七時、休業日の前日は十時を以て門限と定め、外出するには、必ず自ら舎監詰所 に赴き、門鑑を受取って之を門衛に渡し、歸舍の際も、必ず自ら之を舎監室に還し置くべきことや、舍内より物 品を携帯して外出せんとする時は、必ず舎監に届出でて通門證を受くべきこととなってゐるのは、今日と隔世の 感があるであらう。妖課に就いては、蕊にも一言した通り、可なり嚴重であったので、病氣の爲妖課せんとする 者は、其の旨舎監に届出づく含こととされてゐるのである。その外、小使部屋や賄所に立入ること、私に小使を 便ふこと、酒類等を舍内に貯へること、等を禁じてゐるのは今日も愛bはあるまいが、特に目立つのは、狼護に 捗る雑誌。小説稗史の類を讃み、又は之を所持する事を禁じたる一項の如きは、當然のことではあるが、今日か らすれば、寧ろ異様に感ぜられるくらゐである。 翌一一十三年度には、自習室及び寝室を共にする生徒毎に、室長及び室長補一人を置いて⑫種々の責任を負はし

りD、

めた一」と、舎監は毎朝夕の鮎桧を行ふことつ舍内に於て制服を着けざる時は、必ず袴を着くべきこと、起床・就

、U

樽o食事・黙検等の時刻は、剛叺を以て報歩ること、食物の良否等に開し、直接賄方に干渉すべからざる})と、 第一章寄宿舎の五十年

四一○

は、正科及び参考用の圖書、嶌字及び書翰用の文具だけは傭へ置くことを許され、黙燈後の晋一調は、土曜又は休 業日の前夜だけに限られ、指定の自習時間外に於て智墨するも坊なし、と記されてゐるのは面白い。寝室に就い ては、寝室の入口は、正午より一時まで臥床用意にのみ開き,その外は舎監の許可なくては入ろを許さず、臥 床時限後十分の後消燈し、火鉢及び發火の虞あるものを許さず、掃除及び衣服夜具等の整頓は,生徒自ら共責に 任することを記してある。

(5)

l「II 黒本舎監の訓戒

泰総代・

委員 自治共同

の精神弧

調

寮生誓約龍南念雑誌に現れたる察風一一一十一一一年

第一章寄宿舎の五十年

四一一一

に當らしめ、毎學期の前後凡そ一週間は、炊夫長をして請負はしめ、共外は寮生中の上級者より炊事委員長三人 を選ばしめて、物品の購入・保管。會計を分捲せしめ、挫く下に委旨員一一十四人を分属して、事務を補助せしめたも のである。而し外出時に門鑑を請ふく含ことが削除されてゐるのは、時代の然らしむる所であらうか。その後大 正元年までには大差なく、大正一一年度の細則には、第一篠「寮生ハ自治共同ノ精肺ヲ以テ寮内ノ秩序ヲ保チ風紀 ヲ維持スペシL、第一一條「寮内一切ノ整理ハ左寮生ノ連帯責任トスL、第一|一條「入退寮ハ生徒監、幹事協議ノ上之 ヲ法ス|云々」、第四催「各室人声且ノ配當ハ幹事之ヲ定ム」等の如く、著しく自治的となり、外出に對しても、各自 南寮玄關内に掲げてある自己の名札を裏返して朱書を表にし、歸寮の際に之を原状に復し置くべきごととなした るが如きもその一端である。而してこの第一催は、大正四年度になると、「寮生ハ本校教育ノ趣旨ヲ艦シ身榊ヲ錬 り知徳ヲ鰹キ特一一和衷協同ノ習慣ヲ蓑ハムコトヲ期スペシ」と改められ、外出時の名札を返して置くことも塵せ られてゐる代りに曜各室人員の配當は、再び生徒監督(後には生徒主事)によって定められることとなり、寮生 の互選に基づき、學校長の認可を得て、各寮に寮総代一名及び委員若干名を置くことが定められてゐる・大正八 年度になり、細則第一條中の「身榊ヲ錬り知徳ヲ鱗キLの代りに、「修養二勉〆Lを以てし、今日もそのまシにな ってゐる。かくの如くにして,現在の學則第八章替學寮十一條竝に細則第八章智學寮十五條となったものである。 因みに記す、’’千一年九月、雨天鵠操場に於ける入寮式の際の黒本舎監の訓戒は、左の如くであった。

L灘!蕊 一、學校風儀ノ善悪ハ學寮一一ヨリ生ジ學寮風儀ノ善悪ハ先自制法ヲ行プト行ハヌトニ由ルモノニ候自一虚二制

=出」TL

EⅡI

スレパ事トシテ辨ゼズトイフコトナシト申候能々コノ自制ノ義ヲ心得候テ各自共身ヲ検束 スベキコト學者ノ第一義一一候 一、貨色ノニヲ尤愼ムペキコトーー候人ノ溺レ易キハ貨色一一シテ貸色ノ活レハ生涯藩チ申サズ候 錬ツメテ一帳成りカンガヘッメテ智成ルト申候少壯ノ間ハ這裏ノ経験ナク候故鰯し易キニテ 候返々モ愼ミ戒ムベキハコノニッニ有之候云ん教示如件戊戊秋九月一一十日入寮式ノ日 習又、寮生に於て、寮生誓約なるものを作った。而してこの誓約は幾愛遷を経て、大正八年十月に 學至り、改めて定められたのが、則ち今玄關に掲げてあるものである。 寮夫レ我寮ハ龍南ノ●中心生命ニシテ校風ノ盛衰一ハ之一一懸しり我等錘一一左ノ’一一綱領ヲ褐ゲテ日々 食之ガ實行ヲ期シ以テ寮風ノ刷新ト校風ノ振興トー努ムルコトヲ誓う

綱 領

規一、剛毅木納ノ】県精祁ヲ發抑スルコト ニ、常一一五高生ダル自受ト耀威トヲ保ツコト

三、一致圏結以テ自治ノ賞ヲ墨グルコト 今暫く龍南會雑誌に就いて、側面観をして見たいと恩ふ。’’’十一一年五月發行の第七十一一號に、

「恐愉兒之悪戯千」と題して、 (前略)吾嘗て聞く、垣を越え傭を破れるは愉兒の行ひ也、君子の恥ろ虚と。へ1にして之を凪

四一三

旱寄宿舎の五十年 條々

Ti6IO0ⅡⅡ1.1-ICI■Ph1rI‐Ⅱ

『■ 】Ⅲ

(6)

ySY鈍冒?!P需I」qn窪労豆記ゴヰーー弓寒ラ・で庁E-E-子

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毒了い一己~百7x回戸電

t・汗・Y5.:是薄口、毎ロ

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題して、 と衷情を披瀝してゐる。又、同年十月發行の第八十一一號には、「習學寮細則の愛更」と題して、 従来特別の許可を得しものにはあらざれば、黙検時間後は歸寮し能はざりし虎、今後は鮎捻後と錐も、十一時 迄は事由を具して門番を経、宿直の許可を得ば歸寮し得ることとなれ0。恩ふに、此改正は巳を得ずして外泊 するものを、成る可く減少せしひるの方針より出でたるものにして當を得たるものと云はざる可からか。願 くは、全寮の諸足意のある虚を了して、門外漢の藷を頁ふ如きことあるなかれ。

四一五

菜一章寄宿舎の五十年 なろを慨く。今や吾人宍 きかを恐ろシものなり。 と糠慨した一文もあるの{

の如き煩もし二ご記事も見える。同年五月發行の第七十八鑑には、「自炊紀念日」と題して⑮ (前略)蘇峰嘗て巷裏の小兒女が,標遊(有の誤力)梅を唄ふて一一一絃を鼓すろを聞き、以て祗會の室氣に不健全 なろを慨く・へ7や吾人寮内諸賢の歌謡を聞くに及んで、亦等しく吾校にも不健全なる空」|調の輸入せられたる無 (前略)學寮騒動の記事が如何に舎監の鑓責となり、〔中略)學寮騒務はファクトのみ、事賞のみ。(中略)事賓は 事實として、一一一一戸はしめよ。(中略)吾人が望む所は、まづ本誌をして収々の一一一巨侃々の論を識さしむるにあり。吾 人の一一一巨論にして萬一龍南の校風に打撃を加へ、これが發達進歩を阻害するものありとせば、吾人謹みて其の罪 を謝し、諸氏の鞭燵を廿すべきのみ・吾人何ぞ切りに、誹識中傷、危一一一一戸を弄して校風を素飢せしびるを望ま

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第一章

泪伊-,■字&●尻沁U矛冴、ぱい‐叩11.f■二$□‐U■‐叱押川口でⅢ瓜尹5

文もあるのである。而してかシる記事に就いては、同年九月發行の第八十一読に河「新學年来るLと

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寄宿舎の五十年

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鞭“) 四一四

ふ、我敬愛する寮生諸兄、何ぞかシる愉兒の行を學んや。云々 とあるのは、|は以て當時の寮生希を察すると共に、|は以て愛校愛寮の精祁の發 露と見ろば僻目か。更に同年十二月發行の第七十六號には、「公共義務を奉寸ろの観 念」と題して、 (前略)若し歩を鱒じて本校為風の基礎たる習學寮に入らんか。南北雨寮の通路を 照せる洋燈は、夜間共用を爲し居るもの果して幾個か有る。是等は最も公共心に 妖乏せる一一一一一輩の行爲にして、彼等は一個人の爲仁洋燈を巍取して通路を曙黒に し、(中略)不法にも洋燈を持って寝室に入り、通夜之を黙じて他人の安眠を妨害 し、且つ危険を輿ふること少からす。或は制度に先って食堂に乱入し、他人の遅 参せるを幸として共茱を鰯食し汁をつぐに具を蒐め、飯をつぐに中を棚るか如き は,是亦公共心に妖乏せるものに非ざるか。殊に斯かる随劣見るに堪へざる行爲 を爲すもの峰寧ろ蕾生徒に多しと爲す。云々 の如きも亦、同工異曲なるべきか。けれども一面には、 (前略)今や學寮の整頓日に月に進みて、靜穰なる共同生活は、面白く行はれつシ あり。南北雨寮今や狹随を告げて、造築の工事漸く成るに近し。云為 (一一一十一一一年一一月發行第七十七鑑謹んで臭舎監を迎ふ)

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(7)

學繋倉 秋月舎監

への思慕

三十六年 三十四年

や、又、「自治」と題する 菩人は習學寮に在るの故を以て、郊外散歩の時間、及び朋辨の時間等を.午後七時二十分までと制限せらる笏 なり。何等の窮屈ぞや。云々 と不平を投書してゐるが、同年五月發行の第九十九號には、「學寮には精榊ありや」と題して、 近来龍南の學風を論かろもの多く、従ってまた寮生一般の氣風を議すろもの多し。筍くも今日の如き道義的頽 慶を看破したる憂慮の士が斯く論じ、斯く議するは、これ苔等寮生の犬に幸福とする所なり。云々 とも記してゐるが、同年六月發行の第百號には、 (前略)叫ぶものまた曰く、這般の噴々者亦我學寮にあり、寮の危機迫れりと。あシ虚に吠ゆろ犬の喧しきか な、我が榊聖なる習學寮豈に斯かる積々者あらんや、和衷が實を曇げつシある我が寮に於て、豈に斯かる専制 者を見んや、汝尚叫ばんとせば去て之を魯國の天に於てせよ、忌はし急かな。 とも辮護してゐる。然るに之と對疏的なるものは、同年十月發行の第百一號に、「寮中漫言」と題して、 校風を起さんには先づ寮風を起き浄るべからかと噂せらる。然b、學寮は學校の中堅なり。校風先づ此虚より 起らざるべからか。然らば如何にして寮風を起すべきか。形式的規約の鍵更、形式的學寮會の決議によりては、 これ途に起すべからず。唯望を囑すべきは、寮内健全なる諸君、よく一致和して自ら奮ふにあるのみ。云狩 第一章寄宿舎の五十年

四一六

と相戒めて居り、新寮の増築に件うて、閲覧室が休息室と改められたことに對しても、徒らに堰吹欠伸の川に供

すべからざることを警告してゐるものも、ゆかしいことの一つであらう。同年六月發行の第八十六號には、「寮生 の美風」と題して、才氣誇秀にして家道困難なる爲に、牛乳配達を爲して學資の自給を圖れろ濟々鶴の二生徒に 對して義損金を募り、忽ちにして金十六圓と書籍三十冊とを得、之を贈呈して其の勢を補へるが如きは、断じて 自誓自賛の縊美の言ではないのである。(氏名は態と略する)又、同號の學寮茶話會兼卒業生豫賎會なる記事には、 (前略)爾来地方的割擦や部的離隔の爲に意氣は漸々沈衰し、之を七八年前の當時に鮫ぶれば賞に顔色無しと云 ふ様で、章軒先生の肖像に對して誠に面目ない次第、是常に予等の念頭を去さないものである。云々 と、秋月章軒翁を偲びつシ、寮風の振作に努力してゐことか知られるのであるo而してこの頃に於ける禁酒問題

は、前述の通りである。一一一十四年十月發行第八十七號中の學寮見聞なる記事には、奮寮の自習室を一秘壁を以て二 等分したこと、從來、新薔各部。各縣の生徒が錯綜してゐたが、今學期よりは新奮生徒を別ち、一部は一部、一一

部は二部と別ち、各室に同じ部の上級生一名を室長に定めて取締らしめ、蕾生徒の大部分は、新寮に居らしむる

こととなったことを記してゐる。前學年末に愛更訂正せられた新寮生規約五章十八催も掲げてあるが、それに依

れば、寮生の機關として、各室長・各炊事委員長及び雑誌部委員一名より成るところの墨寮會なるものが設けら

れて居り、炊事は自炊とし、委員長一一一名、委員一一十一名を置いて居り、剣術、柔術、弓術、ラヶロース、ペース・

ポール、ブート・ポール、テニス、遠足、端艇、綱引、相撲の十一部より成る運動部なども記されてゐる。

一一一十六年一一一月發行の第九十八號には、「歸寮門限を膳すべし」と題して、

(前略)自治の精紳は克己の精榊なり、己に兎つ能はずして焉んぞ自ら治むることを得ん。願へ寮内幾人か克 己の工風を積める、。幾分惰氣と我慾に打ち克つ工風を積める。

第一章寄宿舎の五十年

四一七

(8)

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四十二年 四十一年 三十七年

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○濟為髪の鳩家を失我寮に来る自習室にてこを煮たる者は誰ぞ世は澆季窮鳥懐に入る勿れ ○浴場と新寮とに於ける草履の紅會主義賞行思ひ付中☆よけれども時為は自分の金で貢ふくし ○植物園のにほひ萱盗み去られて餘す所幾株公徳とは何ぞ教育あるものはちかったものかな ○浴場偶に糞を見るこれ犬のなす所廊下の壁時為黄色の暁ありこれ識敬愛する寮生の所爲也 ○深夜急爆直下蓋これ寝室よりの放尿鳴呼この壯學この豪鵬安ぜよ籠南の健兒尚活動す 四十一年十一月發行の第百二十七號中の「學寮管見L仁從へば、 (前略)本年の新入寮生諸君が,過去のそれと、比較して、相異なる者は、如何に説ける、遠慮なる者の少なき 黙也、遠慮少なしと穂す、敢て、ビール瓶、焼杉の下駄、百尺の飛爆云為を、直ちに、この場合に應用せんと するにあらす何となく、しかく直畳する也、吾人か諸君を迎へて愉快を叫けぶ、又此の黙に存する者ある也、 これ果して何に山りて然ろか、他無し、元氣と活氣と勇氣とに富める諸君多きがため也。云々 とあり、又曰くや げて置く。 第一章寄宿舎の五十年

四一八

などであらう。而して翌三十七年一一月發行第百四號の「籠南だよりLに依れば、學寮會に位川し得べき一一一百回餘 の金額の用途に就いて、生徒監より學寮會に諮問した結果として、従来の新聞雑誌縦覧室を擴張して、圖書室と テニス・コートとを設け、食堂に額を掲げることとなったやうである。尚、同年五月發行の第百六號仁は、「四十 字危一一一一戸」と題する奇抜な記事がある。敢て悪を好き奇を装ふわけではないが、率直なる黙を認めてその一部を褐

更らに、吾人は、當夜、咄々の怪事を見たり、濟美館裡や婦女子が出入せし事是也、(中略)若しも、絶對に女

装が禁ぜられ、由りて以て、演劇を中止するに到りし者と見成せば、濟美館、吾人の最も其の祁聖を保つに音

第一章寄宿舎の五十年 ■函已時巴F』巳041G口0.句伊甲■H・筥叫ⅡpqD-l7n〆01J》即qJA●jINLdi呵血●」0V■JPO■ipcⅢ12FⅡ0ⅡⅡ1句‐■Ⅱ■、、

祭璽慰の日九月四年二正大

し者と見成せば、濟美館へ吾人の最も其の祁聖を保つに意

を注かざるべからざる道場の樫を婦女子の(然かも其の

中には、如何しき風盤の者をも實見せり)躁蝋に委すろ

を見て、咄々怪事を叫けぶ又怪事にあらざるくし。云存

とあり、更に叉、四十二年三月發行の第百三十號仁は、「龍

,南時一一一一戸」と題して、

(前略)○寮の不振は人材の妖乏に雑因す、龍南の天地由

来人物に乏しからず、而も悉寮を去る、首陽山に蕨を

採るの類乎不知。

○人を寮を嫌忌するの理由那邊に存する、天機不可漏。

只制度を改善し室氣を唾かならしめ居心地を良からし

むるは刻下の急務と一一一一戸はん。

○就中食事問題は最も講究の憤値あり、吾人入學来日と

して自炊制度攻撃の鑿を聞かざる無、炊事委員長室は

一學寮のバルカン半島か。云々

町’0‐IⅧ呵り『DII的558咽且唖110匹邪占ワハⅢ

四一九 111

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第一・第

二校外察 大正二年 病災要録

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るろ。 然るにその後、前途の通り.寮の改築が行はれて病魔も掃蕩せられ、寮内も波潤なく今日に及んでゐるのであ るが、一面に於て、「龍南會雑二四が「龍南Lと改題された頃から、習學寮に開する記事も殆どその影を潜めて 了って、知るよすかもないのは、遺憾干萬である。

並に一一一一一戸すべきは、大正四年寄宿舎改築竣功まで⑮九月十日以降、|時、第一校外寮を市内新屋敷町傘一一一番丁

に、第二校外寮を市外大江村大字本に設け、夫々入寮を許したことである。當時の掲示には、左の通り記されて 賞に三十名の眞正チブス患者を出した當時に在りては、祗會に對しても異常の不安を與へ土爲に、學校は回よ り、縣警察方面にても、充分の警戒と防疫とに力めたので、幸にも大事に至らすして濟んだが、可惜前途有爲の 青年十除名を喪q武夫原に於て盛大なる追悼祭まで行はねばならなくなったことは、恂に氣の毒の至りであつ

一、薔寮改築工事ハ六月上句或ハ五月下旬ヨリ着手セラル、答ナルガ故第二寮全部及第一一一寮東宇部ハ自然喧騒

ノ恐レァル.ヘキーーッキ此際可成生徒ヲ收容セザルコト’一ナシタシ

|、右ニッキ約六十名一一退寮ヲ許可スルコト、ナス

|、退寮ハ豫〆全寮生中ヨリ希望ニョリテ之ヲ定ム

「退寮希望者ハ本月一一一日迄一一書面ヲ以テ生徒課二願出ヅベシ

但、特種ノ事情アルモノハ可成詳細一一附記スル方好都合ナリ

第一章寄宿舎の五十年

四二一

。」

第一章寄宿舎の五十年

HMI

館光仰寮學習念記幸行

(蹟:遥畏校塵武)

而してこれに梢類する記事は、同年十月發行第百三十二號中の「學寮生活槻」

中にもある。

(前略)學校の規則として、|學年は寮に居らねばならぬ。で毎新學年の始め に於ては各室とも充満して、|人の他を容るべき餘裕がない。然るに學年も 経bの三學期となれば⑯各室とも前の半数に過ぎない。此の面白い現象を呈 するのは抑も何故であらうか。僕は聞いて居る。彼等の多くは祁經衰弱なる

病名の下に退寮するのであると。それが果して眞の耐經衰弱であるか、又は 憶病であるかは、僕の知る範團でもなく。云冷

その後の雑誌にも所々散見するけれども、大したことでもないので省くことと

したが、降って大正二年六月發行の第百五十號には、「病災要録」として左の如

く記されてゐる。

(前略)然るに二月末に至り、中数名は突然症状危瞼なること診断せらろう や、學校にては(中略)二月二十七日より一一一月二日に亙りて四日間の臨時休業 を宣し、その間に於て、罹病者の所置と校内の消毒とを行ひ、習學寮を閉鎖

して、寮生は一々健康診断の上外泊せしめ、以て今後病菌の傳播を防塵せん

と試みたり。云々

。』■F・PTr■P刊■■IⅡPDqQb1qJ氏いLか▽r:ローI‐‐-.0■lDE」Ⅲいり■08■似い』ワロ囚汀■曰『‐や▽▲関Ⅶ小皿慌爽ぱぃp0狼Ⅱ〃て苧叱伊仰Ⅱりむ印UrDU5q》皀伊Ⅲ匹輸』而与一F&暖下价印工必可いいシ-日

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P 四二○

1▲肚昌

(10)

一一『》』》》》》一》跡癖蔭一》一》》廓》一一畷塾一一》》》》》』dl-p・囚

立育中第含學五 成魍等の校高 則魍育

會親

最近十年間の人員調

第一節龍南會創立と龍南會雑誌の創刊 明治一一十年八月に開かれた相談會の席上に於て、野村校長は、民間に於て、年齢十五乃至二十の有志者を以 て、私立鵠育會を組織したき旨を漏したが、翌二十一年には、第五高等中學校鐙育會なるものが成立した。今そ

の規則を列學すれば、次の七箇條である。 第五高等中學校髄育會規則 第一催本會ノ目的ハ快活ノ運動ヲナシ身祁ノ猩健澗溌ヲ進ムルーーァリ 第二條會員タラント欲スルモノハ其姓名科級組ヲ本會委員長二報シテ許可ヲ得.へシ 第三催木曾ノ職員ヲ定ムルコト左ノ加シ

委員長一名委員五名 但シ委員長ハ本會ノ事務ヲ綜理シ委員ハ委員長ノ指揮二從上本會ノ事務ヲ分掌擴任スルモノトス 第四篠委員長委員ハ總會員ノ投票ヲ以一プ撰學シ満|ヶ年ヲ経テ改撰スルモノトス

第五條木曾二於テ演習スル諸科目左ノ加シ

債鈍)

兎狩、生退処、競走、細引、フートポール、ベースボール、クロッヶー、投誕等。

第二章脳南含の今昔

四二一一一 Ⅶ■□h■bPBudⅡⅥ.』●旧I団40。・1841.001 第一章寄宿舎の五十年

第二章龍南會の今昔

筆 校 時

蹟 長 卜

|、退寮希望者過多ナル場合ハ特種ノ事情アル者ヲ先トシ他ハ總テ抽銭ニョ

リテ之ヲ定〆追テ掲示ス

|、退寮許可セラレクルモノハ五月下旬迄ノ間一一於テ各自適當ナル宿所ヲ求 〆許可ヲ得クル上随時引移化へシ |、萬一退寮希望者少数ナル場合ハ自然第二寮第三寮東半部一一モ收容セラル 、コトァルベキハ従前ノ通リト承知アルペシ以上

参考堆近十年間の人員調

入纂者 退寮者 學年末在寮者

昭和四年度二三四

二六(内休學二)

二○八

同五年度一一三四

一一一四(内休學三)

二○○

同六年度二二○

二九(内休學こ「’九一 二一一(内搾蘂距)

同七年度一一一一ハ一九四

一一四(内》》一)

同八年度二一四一九○

同九年度一九七

二九(内休學九)

’六八

一五(内》》一一》

同十年度一八六一七一 同十一年度一九四

一一(内休學七)

’八三

一九(内》零泗)

同十一一年度二○九一九○

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目次〔表〕匂ココノ頁〈巻末引得ノ方正シ

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一八六

二八七

四一六四一八

四二一 誤植訂正

四四五宝二s行

鑓・好・鐘・像・止、を。輿

錘。評・溢・熱。企。の。正

参照

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