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金沢城本丸跡のヒキガエル 奥 野 良 之 助*

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(1)

金沢城本丸跡のヒキガエル

奥 野 良 之 助*

Ry6nosuke OKuNo*:The Records of the Japanese Toad, B鋤      ノψo批cμsノψo痂c〃s,in Kanazawa Castle.

      は じ め に

 金沢大学は旧金沢城の中にあり,その本丸跡は理学部付属植物園として,金沢市の中 心部に位置するにもかかわらず,自然がきわめてよい状態で保たれている。ここに生息、

するニホンヒキガエルB鋤元αρo〃 %sノψoκ %sを私が調べ始めたのは,1973年夏のこ とであった。ごく軽い気持ちではじめたのであるが,次第に深入りし,1981年までの9 年間もかかってしまった。

 本丸跡のこのヒキガエル集団は,繁殖に集まる成熟個体だけでも200を越す大きなもの であったが,1976年以降ずっと繁殖に失敗しつづけ,1982年にはほとんどいなくなって しまった。その原因はよくわからないのだが,私の調査もその一因であるのかも知れな い。結果は「日本生態学会誌」に14篇の論文として発表(XIV報は投稿中)したが,絶 滅したヒキガエルの鎮魂の意味をふくめて,ここでその要旨をまとめておきたい。

 金沢大学はいま,この理想的なキャンパスを捨て,金沢市郊外の雪深い谷間へ移転し ようとしている。この本丸跡もそのうち,天守閣などが建てられ,観光用に 開発 さ れてしまう可能性が高い。自然が良く保存されていた植物園時代の1つの記録として残 れば幸いである。

 発表の機会を与えていただいた金沢大学理学部付属植物園長里見信生教授に,深くお 礼申し上げる。

      材料,調査場所,方法 材  料

 本州産のヒキガエルは,低地に分布するふつうのヒキガエルB砂6元砂o批μsと山地に 住むナガレヒキガエル且Zoγτε砿co1αの2種にわけられている(後者を前者の亜種とす

る考えもある)。前者はさらに,東北部に分布するアズマヒキガエル且ノブ0夕〃20sμsと西 南部のニホンヒキガエル丑ノカ♪o耽μsの2亜種に細分される。金沢市はアズマヒキガ エルの分布圏にあるが,金沢城内のものはニホンヒキガエルであった。理由はわからな

*金沢大学理学部生物学教室Institute of

University.

Biology, Faculty of Science, Kanazawa

(2)

い。金沢大学あるいはその前身である旧制四高で,実験用に飼われていたものが野陛化 したのかもしれない。

調査場所

 金沢城内には6つの繁殖池とそれに属する6つのヒキガエル集団がいるが,主として 調査したのは本丸跡のほぼ中心にあるH池(面積33m2,水量6.6m3)で繁殖し,本丸全域 に分布しているH池群である。本丸跡周辺にはさらに,Y池(12.5m2,4.2m3)および M池(5.6m2,1.6m3)の2つの繁殖池があり,それぞれに属する集団(Y池群とM池 群)の分布域は,H池群の分布域と一部重なっており,これらも重点的に調査した。 H 池は1960年代はじめにつくられた人工の池,Y池は1940年代につくられた円錐形の防火 用水池,M池は野外コンクリート製水槽の回りをとりまく側溝である。なお, M池群 は1975−76年の間にH池群から分離独立した集団のようである。

 この調査場所(本丸跡)の特徴は,自然の状態が比較的よく保たれているものの,回 りを市街地および大学構内にとりかこまれた小さな区域(総面積50,000m2)という点で ある。そのため,標識再捕率は高く,比較的精密な資料をとることはできたが,いくつ かの点で開放的な野性のものとは異なった結果となった部分もある。

方  法

 H・Y・M池群の分布域に定量調査コース(発見の容易な通路と裸地)を設け,日没後 にこのコースを歩いて見つけたヒキガエルのすべてに指切り法による個体識別をほどこ した。定量調査面積は,H池群2,700m2(1976年まで,分布域の5.4%),8,200m2(1976 年以降,16.4%),Y・M池群はそれぞれ約1,000m2である。必要に応じて定量コース以 外の場所も調べ,また

繁殖期(約10日間)は

できる限帷日,飾         \

池およびその周辺を調

査した。

 調査回数は,1973年 8月から1981年4月ま での間に,H池群3171可

Y池群115回,M池群

58回,計490回であった。

標識した個体は3群合

       80100m

わせて1,526個体で,こ

のうちL122個体を再捕  図li[㍊をi蕾欝纏霧妄翌警6;㌶霧も1↑8盆暮;

した(再捕率73.5%)。   △:M池群.

(3)

数年以上にわたって毎年再捕した個体も少なくなく,最も再捕回数の多かった個体は55

回であった。

 気象の記録は,本丸入口付近におかれた自記温度計・湿度計・雨量計により,瀬藤政 雄氏(植物園技官)が観測・記録された資料を使わせていただいた(瀬藤,1975,1977,

および未発表資料)。

      結果と考察 1.ヒキガエル集団の分布と独立性

 ヒキガエルは,ふだん散らばって生活しているが,毎年繁殖期にはほぼ同じ池に集ま ることによって,池を中心にそれぞれ集団をつくっている。本丸跡とその周辺では,H・

Y・M池でそれぞれ繁殖する3つの集団がある。その分布を図1に示す。H池群が最も 大きく,繁殖池に集まる成熟個体は200を越す(1979年以降減少)。Y池群は70〜80, M 池群は30〜40個体の大きさである。

 H池群の分布範囲はほぼ本丸全域50,000m2におよんでいる。Y・M池群は共におよそ 10,000m2の広さに分布しているが,いずれも未調査区域があるので,実際にはもう少し 広い。3群の分布範囲は,境界部分で少し重複している。

 各群の成熟個体は,毎年同じ池で繁殖することによって,集団の独立性を保っている が,時には繁殖池を変える個体もいる。移動はすべて,最大の集団であるH池群から,

より小さいY・M池群へ移るという形で行われた。1974−1981年の8年間に確認された 移動は,H→Y:9, H→M:14,計23個体である。これは,この間のH池における 全繁殖参加個体601の3,8%にすぎない。受入れ側のY池でも,全繁殖参加個体210の4.8%

と少なく,相互の独立制は相当高いものとおもわれる。しかし,M池では,94個体中14 個体がH池群から流入してきており,14.9%にのぼる。これは,確認はできなかったが,

1975−1976年頃に,M池群がH池群から分離独立して成立したらしいことと関係があろ

う。

 H−M池間の距離は120m,H−Y池間は150mであるが,H池から70mのところ

にもう1つ池(S池)があり,不思議なことにここで繁殖するものはいなかった。あま り近すぎる池は利用しないのかも知れない。

 これらのことは,成熟個体についてのみたしかめたことである。ヒキガエルは,生ま れた池にもどって繁殖すると言われているが,変態・上陸直後の仔ガエルの体長が7〜

8mmと小さすぎ,しかも莫大な数なので,まだだれも確かめていない。上陸時の仔ガエ ルに標識し追跡することは,今後に残された課題である。

2.ヒキガエルの活動性と気象条件

(1)降雨と活動性

 ヒキガエルはほぼ完全な夜行性動物であり, 9年間の観察中,昼間に活動していた個

(4)

体は1例もなかった。しかし,夜間でも常に活動するとは限らない。その活動1生は降雨 に最も支配される。

 1973年秋から1974年秋までの1年間に行った103回の調査(繁殖期を除く)を,雨・曇・

晴に分け,それぞれ1夜あたりの出現個体数を見ると,雨:29.2,曇:5.5,晴:5.0個 体であった。雨の夜は曇・晴の夜にくらべておよそ6倍ものヒキガエルが活動している。

また,曇と晴の夜に差がないことは,ヒキガエルの活動をうながす要因が湿度ではなく 降雨そのものであることを示している。

 ヒキガエルの活動性の終夜変化を調べるために,同じコースを前夜・真夜・後夜の3 回調査する,終夜調査を9回おこなった。1晩中天候が変わらなかった4回は,平均し て前夜28.5(52.6%),真夜19.0(35.0%),後夜6.7(12.4%)個体と,次第に活動数が 減っていった。ところが,調査途中に雨が降り出したのこり5回は,時刻にかかわらず 降雨直後に活動個体が増えるという結果になった。たとえば,1977年5月の1例は,前 夜2・真夜6(このあと降雨)・後夜50個体となっている。

 最も印象的であった経験は,木丸跡の通路を調査しながら歩いていた時,急に雨が降 りはじめ,すぐ後もどりして再調査した例である。通路70mの間に1個体しかいなかっ たのに,降雨直後まだ地面はかわいているのに,早くも6個体のヒキガエルが活動をは

じめていた。

 ヒキガエルが降雨とともに活動をはじめるのは,水分補給のためではなく,雨の日に 地表へ現われるミミズ,カタツムリ,ナメクジ,ヨコエビなどの餌を捕食するためであ るらしい。晴天が続いてほとんど活動していなかったヒキガエルは,数mmといったわず かな降雨で100個体以上も大挙して現れるし,逆に降雨が続くと雨量に関係なく出現数は 減ってくる。2日以上降り続いた8例の平均で,49.0・27.3・8.7・4.0個体と減少した。

 乾燥地に適応しているヒキガエル類は一般に,繁殖期以外は水中に入らない。しかし,

晴天があまりにも長く続くと,水を求めて池に集まることがある。1973年夏は7月3日 から晴天続きであった。私が調査をはじめた8月14日(晴天43日目)から22日まで(23

日に降雨)の間,多数の個体が池へ水浴びに来ていた。この行動は,晴天20日目くらい からおこるようである。

 (2)活動開始をうながす気象条件

 ヒキガエルは春,冬眠から目ざめ,繁殖池に集まり,もう一度ねぐらにかえって休み

(春眠),採食のための活動をはじめる。年によって異なるが,金沢では大体,春のめざ めが3月初旬,繁殖開始が3月下旬〜4月始め,採食活動開始が4月下旬である。

 例外もいくつかあるが,これらの活動を開始させる気象条件は,気温の急上昇と降雨 が重なった時であるらしい。

 1) 春の目ざめ:最低気温がマイナスからプラスへ数度上昇し,降雨があった時。

    (金沢では,積雪が消え,地面が方々で見えはじめた頃)

(5)

 2) 繁殖開始:最低気温が0℃から5℃位に急上昇し,降雨が重なった時。

 3) 採食開始:最低気温が5℃から10℃位に上昇し,降雨が重なった時。

 なお,1),2)の条件は成熟個体のみに働き,未成熟個体は3)の条件によって初め て冬眠から目ざめる。つまり,成熟個体は未成熟個体が目をさます前に,繁殖活動をす べて終えてしまうのである。これは,動くものなら何にでもとびつき,大きな成熟メス でも時にしめ殺してしまう,繁殖期のオスから,幼個体を守る意味があるのかも知れな

い。

 これらの目ざめの条件,特に繁殖開始の条件は,池により,また同じ池でも年によっ て微妙に異なっていて,すべてを気象条件に解消することはできそうにない。たとえば,

ごく近接しているH・Y・Mの3つの池でも,毎年その繁殖期は微妙にずれている。た またま池にあらわれたオスの鳴き声によって他のオスが刺激され,繁殖がはじまるといっ たこともありそうである。

 (3)活動を停止させる気象条件

 4月下旬から6月下旬までがヒキガエルの春の活動期である。7月にはいると出現数 は減少し,9月中旬までの問いわば「夏眠」期となる。もちろん冬眠とはことなり,活 動する個体もわずかはいる。1974年の例では,4−6月の一夜当り活動数25個体に対し

て,7−9月は10分の1の2−3個体に減少した。

 この夏眠は,最低気温が20℃を越えたころからはじまる。秋,最低気温が20℃以下に なるころ,秋の活動期となる。

 9月下旬から開始される秋の活動期は,春のようには多くの個体は出てこないが,大 体11月上旬まで続く。11月下旬から12月上旬にかけて,活動個体はほとんどいなくなり,

冬眠にはいる。例年,最低気温が5℃を下まわるころである。

 (4)まとめ

 ヒキガエルの活動は,気温と降雨とによって大きく支配されている。採食活動は最低 気温が5℃−20℃の間でおこなわれ,特に10℃−20℃の

間で活発である。繁殖活動はより低い気温ではじまり,

0℃以上であれば継続される。そしていずれも,活動の きっかけとなるものは降雨である。

3.繁  殖  (1)時  期

 ヒキガエルの繁殖は,気温上昇と降雨とによって支配 されているので,年によって変動する。1974−81年の8 年間のうち,6年は3月下旬一4月始めにはじまった。

図2.地上で♀を待つ

  ♂の見張り姿勢.

(6)

1976年は3月中旬にはじまり,1979年の記録的な暖冬の年は,2月23日に抱接個体が見 られている。ただしこの年は,その後の気温低下によって中断し,実際に繁殖がはじまっ たのは4月1日である。

 繁殖がはじまった後でも,最低気温が0℃以下になると,活動はほぼ停止される。こ のような場合は15日間ほど続くが,ふつうはおよそ10日間で繁殖は終了する。

 (2)オスの行動

 ヒキガエルの繁殖は,オスが繁殖池に集まってくることによってはじまる。H池では 1974−78年の間,集まってきたオスの数は150−180(最高は1978年の186)個体であった。

以後1979:88,1980:65,1981:43個体と減少した。これらのオスの大半は、池を中心 にその周囲の地上およそ50mの範囲に散らばり,前足をまっすぐ突っばって頭を高くか かげる独特の姿勢(図2)をとり,メスを待つ。その位置は個体によってほぼ決まって おり,同一繁殖期(約10日間)では平均15.1mの範囲内にいた。2期をとっても15.9m,

3期で18.1m,4期以上では24.1mである。一方,大きく位置を変える個体もいて,同 一 繁殖期の間でも,5%は30m以上移動していた。

 このオスがメスを待つ位置は,その個体の生息地と池とを結ぶ線上であることが多い。

生息地のわかった118個体のうち87(73.7%)個体がその線上にいた。

 H池(およびY池)では,集まったオスの90%は地上でメスを待ち,池の中にいたオ スは10%にすぎない。ところが,M池ではその比率が逆転し,80%のオスが池の中にい た。これは、H池群(およびY池群)とN池群の性比の差によるものらしい。オスにく らべてメスが少ない(性比3.14)H池ではすべてのメスが周辺の地上で抱接されてしま う。性比が1.24のM池では,メスが抱接されずに池まで達した例もいくつかあった。

 (3)抱接と産卵

 繁殖期間は10日前後であるが,メスが池に現れるのは,1日か連続した2日の間に集 中する。したがって,抱接と産卵が主として行われるのは,2〜3日間である。

 メスは,その生息地と池とを結ぶ直線上に現れ,H池では例外なく地上で抱接される。

オスが150個体以上集まっていた1974−1978年の間では,池から平均20mはなれた所で抱 接され,オスが40−80個体と減少した1979−1981年の間は,その距離が平均10mであっ

た。

 オスがメスを見つけると,その斜め後方から追いかけ,背中に乗り,メスの両脇をま

えあしでしっかりと抱く。たいていの場合この動きにさそわれ,近くにいたオスが集まっ

てきてつぎつぎとその上に抱きつき,ヒキガエルの大きなかたまりができる。多くはメ

ス1にオス4〜5個体であるが,最高オス8個体がひとかたまりになっていたことがあっ

た。この例はメスが含まれておらず,不用意に動いたオスに近くのオスがつぎつぎに抱

きついていったものらしい。オスーオスの抱接もよく見られ,4晩続けてちがうオスに

(7)

抱接されていたオスもいた。抱きつかれたオスはrelease callを発して放してもらうこ とになっているが,少々鳴いても放さないオスも多く,このようなかたまりができてし まうのである。しかし,いつしか余分のオスははなれ,メスは正常に抱接した1オスを 背負って池に入る。

 池に入ったメスはすぐに産卵をはじめ,その夜のうちに産み終わって生息地へもどる のがふつうであるが,時には翌日の昼間まで産卵を続けているものもいる。また,抱接 されてもすぐ池に入らず,近くの草のしげみの中などにしばらくひそんでいるものもい る。その理由の1つは気温低下であって,たとえば1980年のH池で,3月31日に抱接し た3例は,0℃以下(最低一4℃)の続いた4月6日までの7日間,抱接したままで池 にはいらなかった。抱接の長期記録は,異常暖冬の1979年2月24日に発見した抱接対で ある。実に39日後の4月2日に,まだ未産卵で再発見した。中村(1934)は,卵巣の未 成熟なメスを抱接したオスが,水槽の中で4か月間,「強いて引離すまで」「一瞬時も離 るることなく抱擁し続けた」例を報告している。ヒキガエルのオスは,メスが卵を産む までは,いつまでも抱接し続けるらしい。

 メスは産卵を終わるとすぐ生息地に帰り,再び産卵には来ない。オスは,抱接に成功 しても再びメスを待ち,機会にめぐまれれば再度抱接する。同一繁殖期に3回抱接した のが最高の例である。

 (4)滞在日数と抱接成功率

 繁殖期は10日から15日間続くが,メスの各個体は,1〜2日しか滞在しない。一方,

オスはもっと長く滞在する。ただしその滞在日数は,池に集まるオスの個体数によって 変わるらしい。オスが150個体以上集まった1974,1978年のオスの滞在日数の平均は繁殖 期間10日に換算してそれぞれ3.6,3.3日であった。ところが,オスが65個体以下であっ た1980,1981年ではそれぞれ6.3,5.3日と長くなったのである。個体別に調べてみると,

その原因が,1974・78年は1980・81年に対して,1日しか出てこなかったオスがきわめ て多かったためであることがわかった。競争相手が多いと1日で帰ってしまうオスがい るということであろうか。

 すでに述べたように,オスは同一繁殖期に少なくとも3回は抱接する能力を持ってい る。ところが,1回抱接すると繁殖池を立ち去ってしまうオスも相当いるらしい。1980 年のH池で最も抱接対が多かった日(10対)の,抱接オスと単独オスのその後の滞在日 数をくらべると,前者が3.60日であったのに後者は6.86日もあった。1974・78年の例で

もほぼ同じ結果が出ている。

 M池を除くと,H・Y池とも性比が高く,オスは常にメスと抱接できるとは限らない。

また,毎日出席しても抱接できない個体もいれば,1日出席しただけで成功するオスも

いる。1978年H池の例では,1日しか出席しなかったオス54中9(16.7%)が成功した

のに対し,6−9日出席のオス9中成功したのはわずか1個体(11.1%)であった。延

(8)

出席日数をとると,これらの長期出席者の成功率はわずか0.02%である。1980年にいたっ ては,1日出席オス9中5(55.6%)が成功したのに,2日以上出席オスの成功率は5〜

8%にすぎなかった。メスが集中して出現する1〜2日の間に出席し,抱接すればすぐ に立ち去る 要領の良い オスがいるということだろうか。

 オスは平均3才で成熟し,その後数年間(最高7年)繁殖に参加できる。1回しか参 加しなかったオスの抱接成功率は11.9%であり,2回以上参加したオスの成功率も,1 回当たりでは12−22%でそれほど差はない。しかし,個体当たりの累積成功率をとると,

4回参加したオスは48.2%,5〜7回参加すれば153.6%の成功率となる。つまり,一生 の間に5回以上繁殖に参加したオスは,少なくとも1回の抱接が期待できるわけである。

もっとも,5回も繁殖に参加するためには8才以上生存しなければならず,その数はき わめて少ない。

4.成長・生残率・寿命  (1)年令級

 ヒキガエルは,年1回の集中型繁殖を行い,オタマジャクシが変態・上陸する時期も わずか2〜3日に集中している。上陸時の体長も7〜8mmできわめて均一である。6月 に上陸したのち,秋には平均40mm,翌年春には平均60mmに成長し,同時に成長の個体差

も生じるが,最高に成長したものもまだ前年生まれの最も成長のおくれた個体に達せず,

生まれた年の推定は確実にできる。翌年秋(1.5才)になると,前年生まれのものと体長 分布が重なり,生年の推定はやや不確実となる。

 この調査では,1972年生まれ178,1973年生まれ48,1975年生まれ188個体の3つの年 令級をとり出し,追跡することができた。このうち1972年級は1.5才時に標識したもので,

1971年生まれのものを含めないように,1.5才における平均体長(約90mm)以下のものだ けに限った。したがって,この級のみは,成長が平均以下であった集団となる。

 以下の成長・成熟・生残率・寿命についての記述は,この3つの年令級の資料による。

 (2)成長と成熟

 成長と成熟とを最も確実に追跡できたのは,1975年秋および1976年春に標識した1975 年級188個体である。ただし,この級は調査終了時の1981年に未だ6才であったので,そ れ以後の資料は9才まで追跡できた1972年級でおぎなうことにする。1975年級188個体は,

再捕できたもの112(59.6%),100mm以上に成長したもの71(37.8%),繁殖に参加した もの59(31.4%),6才まで生存したもの13(6.9%)であった。

 表1にその成長の記録を示す。

 最もよく成長するのは,6月初旬に上陸してから冬眠するまでの5〜6か月の間であ

る。秋のサンプルは少なく(2個体),冬眠中は成長しないことは確かなので,翌年4月

の体長を冬眠前とほぼ同じとすれば,7〜8mmから約60mmまでおよそ50mm,7〜8倍に

(9)

表1.1975・1972年級の成長記録.(単位mm)

1975年級

年19751976

月      9   3   4 年令     0   1

5

     1977       1978

6  10   春  夏   春      2        3

1979     1980     1981

春   春   春 4    5    6 標本数    2   1  54

体長

蒜1:°竺1↑1   雪3;: C

49    121    25    35 63.0  66.0  88.6  95.2

48      48      72      77 85     83    107    111

37   35   35   33

921 27 18 13

99.4  112.0   117.4   119.4   121.6

82     106      107     111     111 117     122     129     124     133 35     16      22      13      22

1{η3年級

年     1973 1974

月8−103−56−9

年令     0   1

4

6 1

3

5 1

2

  1

  12

 1 1978   1979    1980

春  春   春

5    6    7

標本数    9  27  19 体長 平均  39.2 57・9 66・1

  最d、   25     34     49

  最大  49  79  108   差  24  45  59

…・…・:li・1(・}…・・三』

105     110    113     120     123 39      36    12     12     19

成長している。

 2年目(1才)も,60mmから95mmまで35mm成長し,3年目(2才)になっても,95mm から112mmまで17mm成長する。4年目以降(3才以上)になるとあまり成長しなくなり,

年間成長量は2〜3mmとなる。しかし,成長はわずかながらつづき,6才で120mmを越す。

この調査で記録した最大の個体はオス134,メス135mmである。

 初めて繁殖に参加した年令,つまり性成熟年令は,オスでは3〜4才,一部は2才で あるが,メスは,ごく一部に2−3才で参加するものもいるが,主力はオスより1年お

くれた4〜5才である。

 繁殖参加したオスの最小形は87mm,メスでは推定であるが95mmである。しかし,オス はふつっは100mmを越えたころに性成熟する。2才春の体長は平均95.2,最大111mmであ り,3才春になると平均112mm,最小のものでも106mmに成長しており,満3才ですべて のオスが性成熟可能になるものと思われる。

 (3)生残率と寿命

 1972・1975年級の1才以降の生残率を表2に示す。

 1975年級では,1才のうち45.7%が2才まで生き残り,2−3才で69.8%,3−4才 になると実に83.3%が生き残っている。この高率の前年比生残率は,1972年級では7−

8才(69.6%)まで続く。つまり2才を過ぎると毎年20〜30%のものしか死亡しないこ とになる。なお,1972年級の1−2才の生残率が87.1%と高い(1975年級は45.7%)の は,この級に標識をつけたのが1.5才の秋であったためである。1才春に標識した1975年 級が,春から夏にかけて減少したのに対し,1972年級はその減少したのちに標識したこ

とになる。このことから逆に,冬眠中の死亡はごく少ないことが推定される。

 卵から満1才までの生残率は調べていない。いくつかの資料から,1975年級について

推定した結果は,卵からオタマジャクシ時代におよそ90%が死亡し,上陸後満1才まで

の間に97%が死亡するということになった。両者を合わせれば,卵から満1才までに99.7%

(10)

表2.3つの年級の発見数,推定生残数生残率,および,前年比生残率.

1975年級

年  度 年  令

1976   1977    1978    1979   1980   1981

1   1   薗   W   V   VI 発見数    188  43

推定生残数     188  86 生残率(%)    100  457 前年比生残率(%)     45.7

23   34   25   16 60   50   33   16

31.9   26.6   17.6    8.5 69.8    83.3   66.0   48.5

1972年級

年  度 年  令

1973   1974    1975    1976    1977    1978    1979   1980   1981

11竃llv v yl V口遁IX

発見数  178 144 24

推定生残数     178  155  64

生残率(%)    100  8τ1 3τ6

前年比生残率(%)      8τ1 432

60     50     39     23     16      4 33.7   28.1   21.9    12・9    9.0    23 8{}6   83.3   78.0   59.0   6…λ6   25.0

発見数:その年実際に発見した数.推定生残数:その年発見しなかったが,後年に発見した数を加えた

数.

が死亡することになる。

 ヒキガエルは,したがって,1才までに大半が死亡するが,1才を過ぎるときわめて 生残率の高い動物であるということになる。

 なお,生後1.5才まで生きのびた個体のその後の平均余命はおよそ2.7年(生後約4年),

性成熟にまで達した個体では,オス5.3年(生後6−7年),メス4.2年(生後5−6年)

であった。メスは繁殖時オスにしめ殺されるものもいたりして,オスよりも寿命は短い。

 1971年生まれと推定されるオス2個体が1982年春の繁殖に参加したことを確かめた。

これらが記録された最高年令であり,11年に達する。メスの最長記録は8年であった。

 5.ヒキガエル集団の継続と減亡

 私が主として調べてきたH池で繁殖する集団,すなわちH池群は,1976年以降続けて 繁殖に失敗し,1983年現在も復活していない。ここではH池群を例にとって,1つのヒ

キガエル集団がどのように生まれ,継続し,消滅していくかについて考察してみたい。

 H池は,1960年代前半につくられた池である。したがって,おそらく当時はヒキガエ ルの繁殖池とはなっていなかったであろう。私が調査をはじめたのは1973年であるが,

1974年春の繁殖期の調査から,きわめて興味深い結果が得られている。この年,繁殖に 参加したオス143個体の体長平均は104.Omm,110mmを越す個体は6%しかおらず,最大個 体でさえ114mmである。メス11個体の平均も106.6mmにすぎなかった。成長曲線から見る

と,2才春で平均95.2mm(77〜111mm),3才春で平均112.Omm(106〜122mm)である。こ の年の繁殖参加者は,したがって,2〜3才の個体であり,4才はほとんどいなかった

と考えざるを得ない。

 1974年春の2才は1972年,3才は1971年生まれである。そこで,1970年以前数年間,

H池では繁殖に成功していなかったことになる。1974年に老成個体が全くいなかったこ

(11)

とは,生残率と寿命からみて,少なくとも1965年以後はほとんど産出されていなかった ことを示している。以後の調査記録を加えると,H池における新しい個体の産出状況は,

次の通りとなる。

1970年以前数年 1971・1972年 1973年 1974年 1975年 1976〜1981年

ほとんど産出せず 多数産出

少数産出

ほとんど産出せず 多数産出

産出せず

 ここでの大きな疑問は、1971・1972年に大量の産出をした繁殖母体は何かということ である。可能性としては,1960年代前半に生まれた個体が,1965年以降ずっと繁殖に失 敗してきたが,1971・72年に成功したというものである。たとえば,1963年級は1971年 に8才であり,繁殖はなお可能であるが,1973年には10才となってほぼ全滅したと考え ると,1974年の繁殖期に老成個体がいなかったことも一応説明できる。しかし,メスの 最高寿命は8才であり,その時に大量の卵を産むほどメスが多く生き残っていたとは考

えにくい。

 もう1つは,1971・1972年に,城内の他の池で大量の産出があり,H池に移住してき たとも考えられる。この方が可能性が高いと私は考えている。なお,大学内の施設であ るので,実験・実習用に大量の大型個体を収集された可能性もあるかも知れない。

 いずれにせよH池においては,1970年以降,集団の主力を占めているのは1971・1972 年級であった。それ以後に加わった年令級は,1973年級(少数),1975年級の2つにすぎ

ない。

 1976年以降は,毎年相当多くの成熟個体が集まり,多くの卵が産みつけられたが,卵 あるいはオタマジャクシの間に,そのすべてが失なわれてしまった。1976・77年は,3 月中に産卵が終わり,その後に寒波がきて,すべての卵が凍死した。1978年以降は,艀 化は正常に行われたが,オタマジャクシの間に次第に減っていき,ほとんど上陸しなかっ た。これは捕食によるものと思われるが,捕食者はつきとめられなかった。

      表3.H・Y・M池における繁殖参加個体数.

年度 1974 1975傘 1976 1977 1978 1979 1980 1981通算

H池 ♂

  ♀   計

Y池 ♂

  ♀   計

M池 ♂   ♀   計

150 35 185 54 12 66

Ω010〆

﹂4一Q/617

165

1;;

二 1傘

139 1莞

二 1.

186 23 209 46  4 50 24 16 40

88 36 124 67 18 85 19 15 34

65 19

646111021 4丁 

くピー 

11 

370718088

1

456 137 593 169 41 210 52 42 94 :調査せず.申:調査不十分.

(12)

 この再生産の失敗にもかかわらず,H池における繁殖参加個体は,1978年までは減少 していない(表3)。1979年にいたって,それまで180〜200個体集まっていたのが124個 体に減少した。減少は急激で,1980年84,1981年50となる。特に,産卵の主体であるメ

スは1981年にわずか7個体となり,1982年には1個体しか産卵しなかった。

 1978年は,1971・1972年級がそれぞれ7・8才となり,メスではほぼ限界であるが,

1975年級が3才となって,特にオスは繁殖に参加してくる。1979年には,1971・72年級 が大きく減少し,1975年級だけでは支え切れなくなったのであろう。ただし,1975年級 は4才となり,そのメスはほぼこの年から参加をはじめる。メスの数は,1978年の23から 1979年の36へとかえって増えているのはそのためである。

 ニホンヒキガエルは,成熟したのちオスで5〜6年(最高8年),メスで4〜5年(最 高6年)の間,繁殖することができる。また,カエルとしては1腹卵数が5,000〜20,000 ときわめて多いので,少数のメスでも,条件が良ければ,すなわちオタマジャクシと上 陸後3〜4か月の間の死亡率が低ければ,大量の子孫を補充することができる。したがっ て,4〜5年の間産出がとだえても,集団は充分維持できるわけである。たとえば,1976 年以降産出のなかったH池でも,5年後の1980年に,オス65・メス19が繁殖に参加した。

メスはいずれも5〜8才,体長120〜130mmの大型個体で,15,000卵は期待でき,全体で 30万卵ほどが産出されよう。これは,1975年級の20万卵より大きく,この年1回でも成 功すれば,あと数年は集団を維持できたはずなのである。しかし,6〜7年になると,

自力での回復は期待できなくなる。

 自然がずっとつながっている場合は,おそらく近くの繁殖池から補充されることにな るものと思われる。金沢城のように孤立した地域では,城内の他の繁殖池も工事その外 で減少しつつあり,自然の回復は望めないかも知れない。

 6.個体の生活史

 この調査で,9年間に1526個体を標識したが,7年以上生存し,10回以上再捕して,

ほぼその一生を追跡できたのは,わずかにオス16,メス3の19個体にすぎなかった。こ こでは,そのうちのオス・メス各1個体の一生を記載しておこう。

 オス(4112):1973年秋,体長109mmで初採捕。体長から推定して,1971年生まれの個 体と思われる。以後,1975年を除き毎年再捕された。1976年(5才)に繁殖に初参加し,

1982年(11才)までの7年間,連続して繁殖に現れている。ただし,メスを抱接できた のは,1979年(8才)のみである。1983年の繁殖期には見つけられなかったので,おそ

らく1982年中(11才)で死亡したのであろう。最終体長は129mmであった。

 メス(1412):1973年秋,体長103mmで初採捕。1971年生まれと推定。1975年(4才)

に繁殖に初参加し,産卵。以後,1977年(6才),1980年(9才)にも産卵した。そのの ち全く再捕していないので,1980年中に死亡したものと思われる。最終体長は119mmであっ

た。

(13)

 なお,最も再捕回数が多かったのは,13×0オスであり,55回に達した。この個体は,

1973年秋に体長86mmで初採捕した時,すでに左足が根元からない障害個体であった。再 捕回数がおおかったのは,その不利をおぎなうため,健常個体よりもひんぱんに採食に 出てきたためであろう。この大きな障害にもかかわらず,この個体は,8才まで生き,

4回繁殖に参加し,抱接にも1回成功している。ただし,8才の時の体長は114mmしかな く,8才の平均119.8mmに比べると,成長は相当劣っている。

 左足のない個体がこのように生存できるということは,ニホンヒキガエルの社会が,

あまり競争のない,おだやかな社会であることを示しているのではあるまいか。

      引 用 文 献

中村定八,1934.ニホンヒキガエルB2∠0〃刎gα万s∫ψoκioμs(ScHLEGEL)の産卵出動      及び卵巣に関する数量的研究.動雑,46:429−448.

奥野良之助,1984.ニホンヒキガエルB鋤元ψo〃励∫元αρo耽μsの自然誌的研究.1.

     生息場所集団とその交流.日生態会誌,34:113−121.

   一,1984.同上 II.活動性と気象条件の関連.同上誌,34:217−224.

   一,1984.同上 III.活動性の季節変化と終夜変化.同上誌,34:331−339.

   一,1984.同上 IV.変態後の成長と性成熟年令.同上誌,34:445−455.

   一,1985.同上 V.変態後の生残率と寿命.同上誌,35:93−101.

   一,1985.同上 VI.成長にともなう移動と定着.同上誌,35:263−271.

   一,1985.同上W.成体の行動圏と移動.同上誌,35:357−363.

   一,1985.同上V皿.繁殖活動に及ぼす気象の影響.同上誌,35:527−535.

   一,1986.同上 IX.繁殖期における♂の行動.同上誌,35:621−630.

   一,1986.同上 X.抱接と産卵.同上誌,36:11−18.

   一,1986.同上 XI.年令・大きさと♂の抱接成功率.同上誌,

     36:87−92.

   一,1986.同上 XII.生息場所集団の年令構成と個体数変動.同上誌36:153−

     161.

   一,1987.同上 XIII.種内個体間の諸関係.同上誌,37:75−79.

   一,1987.同上 XIV.個体の生活史および障害個体の生存.同上誌,(投稿中)

瀬藤政雄,1975.気象観測記録.1973・1974.金沢大学理学部付属植物園年報,7・

     8 :23−46.

   一,1977.同上1975・1976.同上誌,9・10:41−65.

      Received Sept.21,1987.

参照

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