日本人による異文化 に関連 した差別 と偏見
一学齢期 に中国か ら来た若者 たちにイ ンタビュー を して ‑ 永 井 智香子
旨
戦後50年以上たった今 も中国か ら残留邦人が肉親探 しのために来 日している。そ して、
その多 くは故国 日本へ の永住帰国を希望 している。家族 を伴 っての "帰国"とな るが 、 そ の中に自分の意思ではな く、家族 に伴 って来 日す る学齢期の子供たち もいる。 国際化 とい う言葉が市民権 を得 て久 しいが、中国か ら来た子供たちが学校 で差別 された り、偏見の 目 に晒 された りす るとい う報告が少 なか らずある。それ らの差別や偏見 は非行の引 き金 とな ることもあるとい う。 そ こで、インタビュー とい う方法 を用いて、中国か ら来た若者 たち が受 けて きた差別や偏見 とそれにともなう心の動 きや痛み を明 らかに した。
キーワー ド :異文化 差別 偏見 インタビュー
1.は じめに
筆者 は1985年 に約1年間、中国残留婦人1)(以下残留婦人 と呼 ぶ )や 中国残 留孤児 (以 下残留孤児 と呼ぶ)やその家族が数多 く住 む関西地域のある団地の中にある小学校 で "日 本語教室''の担任 として働いていたことがある。仕事 は中国か ら来た子供 たちに取 り出 し 授業 を行 うとい うものであった。来 日間 もない子 どもには 日本語 を教 え、 日本語の 日常会 話がで きるようになっている子供たちには国語や社会 な どを中心 に教科 を教 えていた。 も ちろん、教 えるだけではな く親学級の担任、あるいは家族 とのパイプ役 としての仕事 もあっ た。当時、 日本語教室 は親学級 でい じめ られた り、けんか を した りした子供 たちの "避 難 場所''で もあった。い じめ られた り、けんか をした と育 っては筆者 に訴 えに来 る子供 が多 かったのである。中には中国か ら来た とい うことでい じめ られた とい う異文化 に関す る差 別的なことを言 われた と訴 えに くる もの も少 なか らずいた。
それか ら10年たった1995年のある日、た また ま当時働 いていた小学校 の近 くを通 ること があ り、そ してふ と教 え子 を訪ねてみ ようと思いたった。 もう10年 もたっているので団地 には住 んでいないか もしれないなどと思いなが ら歩いていると突然名前 を呼 ばれた。なん と当時の教 え子の姉妹である。 もう20歳 を越 えた大人 になっていた。本人たちの10年 間の 歩み、当時、 日本語教室 にいた子供たちの消息 など話 は尽 きることはなかった。 そ して、
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話 していて気付いたことは来 日してから現在に至るまで受けてきた差別や偏見はことのほ か、彼等の心に強い影響 を及ぼしているということであった。差別や偏見の厄介な点は差 別をするもの、偏見を帯びた態度をとるものはそのことを自覚 していない場合が多いとい うことである。 そのことを自覚するためには差別や偏見を受けた者の心の痛みを知 らねば ならない。そこで、本研究では学齢期 に来 日し、現在 日本で成人 している中国か ら来た若 者 にインタビューをして、彼等が受けてきた差別や偏見について語ってもらうことによっ て差別や偏見を受けた者の心の動 きや痛みを明らかにした。
2.問題の背景
2. 1 歴史的背景 と受入れ
インタビューに応 じて くれた10名のうち9名は残留婦人の三世である。残 りの一名が残 留孤児の二世である。 まず、残留婦人三世、残留孤児二世はなぜ 日本へ来ることになった のか ということを説明するために、残留婦人、残留孤児が どういういきさつでうまれたの かを簡単に説明する必要がある2)0
残留婦人、残留孤児は 「軍国日本の一大プロジェク ト・満州国建設」が失敗 に終わった 棄民政策によって生 まれた。1931年 (昭和6年)、満鉄路線爆破事件 をきっかけに関東軍 は中国各地で軍事行動 を起 こし、1932年 (昭和7年)、薄儀 を皇帝に塊偏 国家 「満州国」
をうちたてた。この強引な建国は米、英、仏などの欧米各国を刺激 し、日本 を国際的に糾 弾するために、傍偏国家であることを示すための査察にの りだした。そこで 日本政府が打 ち出 した国策が大規模な移民政策だったのである。 つまり、残留孤児、残留婦人の悲劇は このとき始まったのである。
軍は都道府県に窓口を設け、開拓団月の募集をはじめ、それに応 じて満州にわたった人 達がいた。政府は500万人の移民を予定 していたが、終戦時には24万人が入植 していたに す ぎない。1945年 (昭和20年)8月9日、ソ連が参戦 し、それとほとんど同時にソ連軍機 甲部隊が国境 を越え、「満州国」に侵攻する。翌10日から、場所 によっては敗戦の15日ま で、満州の開拓団男子に召集が きて、どの団で も残 されたのは女 と子供 と病人 と年寄 りば か りになった。
こうして、避難生活が始まるのであるが、終戦から、翌21年の5月までの越冬の間に多 数の死者 をだ した。避難の途中た くさんの日本人の子供が中国人の養父母に託 された。肉 親などと死別又は生別 した日本人婦女子のうち自活の手段 を失い、現地住民 と国際結婚 し た もの もた くさんいた。 こうして、残留孤児、残留婦人が うまれたのである。厚生省では 敗戦時の年齢が概ね13才未満の者 を残留孤児、13才以上の者 を残留婦人 と呼んでいる。
1972年 (昭和47年)9月29日に日中国交正常化 を迎え、中国の出国許可が簡単に得 られ
るようになった。帰国援助の取扱い も厚生省で直接行 うようになった。そ して、残留婦人 や残留孤児が家族 を伴って帰国するようになったのである。こうして日本に来た残留婦人 の孫や残留孤児の子供が本研究のインフォーマン トというわけである0
1984年 (昭和59年)2月、埼玉県、所沢に 「中国帰国者定着促進センター」が開設され、
帰国直後4か月間、初歩的な日常 レベルの 日本語 と日本の生活習慣について集団研修が行 われるようになった。その後、センターの数 も増えつつある。また、国の委託をうけて都 道府県が開設する 「中国帰国者 自立研修センター」も全国にあ り、日本語研修のほかに、
生活相談や就職指導などが行われている。
ところで、国が帰国者 とその家族に対 してとる施策のひとつ として、公営住宅への優先 入居 というものがある。筆者が帰国者 とその家族が多 くすむ団地の中にある小学校で働い ていたその背景にはこの国の施策があるのである。
次 に残留婦人の三世や残留孤児二世にとって日本へ来るということはどういうことなの か ということについて少 し説明を加えたい。
2.2 残留婦人三世 と残留孤児二世にとっての来 日
残留婦人三世にとっては両親のうちのどちらかに日本人の血が半分流れている。 残留婦 人が 日本へ帰国する場合はその配偶者、そ して、子供 とその家族 を伴って帰国する場合が 多い。残留婦人の三世にとっては両親は中国生まれである。つまり、残留婦人本人を除い ては日本への "移住''であ り、"移民''なのである3).残留孤児の場合 は本人の 日本 に帰 り たいという気持ちは強いといっても、ほとんどの場合物心つかないうちに中国人の養父母 に引 き取 られて中国人の子供 として育てられた場合が多い。残留孤児 とその家族にとって はある意味では家族全点が "移民''なのである。ある残留婦人に子供が多い場合 、孫 も含 めて、多人数の "移住''となる。移 り住むのである。"移民''にとって、今 まで生 まれ育 っ た国、家族、友人 と離れ、言葉 も習慣 も違 う異文化の中で暮 らすことは並大抵のことでは ない。
個人差はいろいろとあると思 うが、生まれ育った土地を離れる辛 さというものはどの中 国人配偶者にもあると思われる。 しか し、大人の場合は故郷 を離れる辛さがあるとはいえ、
ある意味では納得 して日本に来る。学齢期の残留婦人の孫や残留孤児の子供 となると事情 は違 う。
本研究のインフォーマン トに 「初めて家族か ら日本に行 くよと言われたときどう思った か」という質問をすると 「楽 しみだなあって思ったんですけど‑ (13歳で来 日)」「・・・よく 覚えてない、たぶん急に行 くよっていわれて‑・(6歳で来 日)
」
「いいなあ、行ってみたい なあって、だってさ、日本ってどんな国やろなあ、行 く前 も夢みてた もん (14歳で来 日)」「はな行 こうかゆうかんじ‑ (13歳で来 日)」「行 きた くない と思った。僕 は成横 よかった
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んで、中国で大学入って‑ (13歳で来 日)」
行 きた くない と言った もの もいるが、まだ、子供なので言葉 も習慣 も違 う土地に行 くと いうことを重大 なこととしてとらえているという悲痛さは彼等の口調からは感 じられなかっ た。 しか し、彼等のように成長途上に文化間移動 を行 う残留婦人3世や残留孤児 2世は日 本 に来てか ら大人の場合 とは違 うさまざまな体験 をすることになる。学齢期の子供の場合、
自分の意思ではな く突然、異文化の中に放 りこまれるのである。 ある意味では "被害者"
であると言える。 そこで、次にそんな彼等が放 り込まれる日本 という社会は異文化か ら来 た ものにとってどのような社会であるのかについて述べたい。
2.3 日本 は異文化に関連 した差別や偏見が強い社会
差別や偏見のない社会 など存在 しない。そ して、 日本 も異質なものを排除する傾向があ り、同化圧力の強い社会 になっている。 日本の社会 においてどのような人たちが異文化 に 関連 した差別や偏見 を受けるのか というと、在 日外国人、在 日韓国朝鮮人、帰国子女、混 血児、在 日華僑、中国帰国者などがあげられる。 そ して、筆者 には日本は異質なものを排 除するという度合いが少 し強いのではないかと思われてならない。何故そのように思われ るのか というと筆者 はいままでにコロンビアとフィリピンと、台湾に長期 にわたって住ん だことがあるが、それらの国で、自分が外国人 ということで特 に強い差別や偏見の 日に晒 された という記憶はほとんどないか らである。 つまり、友人関係 におけるその国の閉鎖性 を感 じたこともない し、自分に向けられる不快な態度や 目付 きなどを敏感に感 じ取 ったこ ともない。ただ、コロンビアでは東洋系の顔つ きをしているので首都 ボゴタの街の中心 を 歩いている間に何度 も声 をかけられた。 日本語に訳す と 「日本人の娘 さん」などで不快感 を覚 えるようなものはほとんどなかったように思 う。江淵‑公 (1994)も帰国子女 を例 に 次のように日本は異質なものを排除する傾向が強 く、同化 を強いる社会であると述べてい る4)0「すべてを自分の既有の座標軸で とらえようとする自文化中心主義はいかなる文化 に も内在するものであ り、 日本独特の ものではないか ら、その点だけで 日本人を非難するの は当た らないが、 日本人にはその傾向がことのほか顕著であることは認めざるを得 ないよ うに思われる。 日本のユニークな点は、たぶん島国という地理的条件 と300年 に及ぶ長い 鎖国 という歴史的条件の所産か と思われるが、人種、言語、文化、民族の各範囲の完全対 応 ない し一致 を当然視するナイーブな一言論的民族概念 を発展 させてきたこと、そ してそ のことが帰国児、海外成長者 に有無 を言わさず "標準化 されだ '単一的価値 ・規範への同 調 ・同化 を強いる圧力の源泉 となっているように思われる」。
異文化 に関連 した差別や偏見 を語る上で忘れてはならないことが 日本人の差別観の背後 にある西洋指向である。明治維新以降の "脱亜入欧''の影響であろうか、 日本人の美の基 準 は西洋人にあるとしか思えない。テレビのコマーシャル、モデル、アニメのキャラクター
などに西洋人を多 く採用するということか らもよくわかる。筆者自身も我が身をふ りかえっ てみると、西洋指向の影響 を受けていることは否めない。また、これは何 も日本に限った ことではない。コロンビアにおいても、フィリピンにおいて もスペイン人の血が濃い もの が美の基準 にかなっているということを実際に見てきた。ただし、次のようなことを忘れ てはならない。日本人の西洋指向は日本人よりむ しろ外国人が敏感に感 じ取 っている。差 別 されるものか らすると、同 じ外国人なのに一方は差別 され、一方は羨望の 目で見 られる という事実に憤 りをおぼえるのである。当然、その社会の差別や偏見の度合いが強ければ 強いほど差別や偏見を受けるものはその社会の西洋志向を敏感に感 じ取るのである。
このように残留婦人三世や残留孤児二世が突然放 り込まれる日本の社会は中国文化が身 についた者の 目か ら見る限 り、異文化 に関連 した差別や偏見が強い と映るのである。
3.残留婦人の三世や残留孤児の二世が受ける
異文化に関連 した差別や偏見に関する研究や報告 学齢期 に日本に来た残留婦人三世や残留孤児二世は当然のことなが ら日本の学校 に編入 されることになる。 "日本語学級''のような中国から来た子供たちがそ こに行 くと日本語 を学ぶことができる教室を設置 した学校 もある。また、マンツーマ ンで取 り出 し授業 をお こなっている学校 もある。このように、地方 自治体によってさまざまな取組みがなされて きた。そんな中で残留婦人三世や残留孤児二世が受ける差別や偏見 についての研究や報告 がなされてきた。ここではそれらを紹介 したい。
学齢期の残留婦人三世や残留孤児二世の異文化適応 に関 して様々な角度か らの追跡研究 を行ったのは周 (1991)である。周の研究には4つの 目的があった。それは① 中国帰国生 徒が中国文化 と日本文化のはざまにおいて、どのような民族的アイデンティティを持ち、
自己を形成 してい くのかを考察する ②中国帰国生徒の置かれている家庭環境 を綿密 に把 握 し、異文化移動における家庭の変容および生徒 に対する影響 を分析する ③帰国生徒 と 日本人一般生徒 との相互理解の実態分析 と関連要因を解明する (彰帰国生徒の異文化適応 の実態 と問題 を通 して、日本社会 ・教育の課題を展望する。 この中で本研究にも関連 して いるのは③ と④である。7項 目からなる質問紙調査 を6つの高校 と2つの中学の中国帰国 生徒 に行い、中国帰国生徒 と一般の生徒の相互理解の実態 とその要因を探った.その結果、
一般生徒の異文化理解に対する無関心な態度が浮 き彫 りにされた。さらに、面接調査 を行 い、帰国生徒の民族的志向性 と、それを実現 しようとする時彼等が直面する差別、いじめ、
同化圧力の実態 をあきらかにした。そこに紹介 されている事例の中には次のようなものが ある。「‑私 とクラスメー トとの問は厚い壁で分けられてしまいました。 日本人 との距離 はますます速 くなって しまったのです。『お水頂戴』 と日本語で言 えるまでお水 を与 えて
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くれないことが何度 もあ りました。それでも私たちを馬鹿にして 『1+1はい くら?』と 聞 く人がいます。私たちだって1+1ぐらいは分か ります。どうして馬鹿にされなければ いけないので しょうか。そ して 『中国人、中国帰れ !Jというのです0・・・」そ して、この ようなことが起 こるのはいずれも社会の同質性 を重ん じて異質性 を排除 しようとする日本 社会の特質に起因することが多いとしている5)0
長年、中国か ら来た子供たちの教育を担当 してきた善元 (1983)はいままで中国で当然 のことのように思った り振る舞ってきたことが 日本では民族差別の現実があるのでそのよ うに振る舞 うことができない。そ して、それらの差別に対 してどう対処するかというと、
差別する日本の子 らに囲まれて、中国から来た子供達はまず、自分の正体を隠すことを学 ぶ。 日本語 をマスターし、日本人のように振る舞えば、苛められまいと思 うようになり、
自分が、中国人であることを隠すことを覚えるのであると説明する6)。さらに、善元 (1986) は出自を隠す ということがいかに子供達にとって苦 しいかということを次のようにのよう に述べている。「日本語学級の子供に 『あなたは中国人ですか、日本人ですか』 ときくと、
ほとんどの子僕たちは自分は中国人だといいます。 しか し、『中国人ばか』『きたない』な
どといわれ、やがて子供たちはだんだん自分のことを隠すようになってきます。子供たち は苛められることによって、なにか自分がみ じめにさえ思われてい くのです。自分のふる さとを隠 してい くこと、それは子供たちの小 さな胸 をお しつぶ して しまうほどの苦 しみと な ります。子供たちは必死でこの間題を考え、子供連なりに答えを探そうとします」7)0
差別の裏に存在する日本人の西洋崇拝を敏感に感 じ取るのは中国か ら来た子供 も例外で はないようである。あるジャーナリス トが10歳で日本に来た残留孤児二世の少女を16歳 ま で追跡 し、一冊の本にまとめたものがあるが、その中で主人公の少女が中学生のとき言っ た次のような言葉が紹介 されている8).「やっぱり中国人だということで、一番いろいろ言 われるんよ。 それとお父 さんが孤児だったということで。言われないと思っていても絶対 に何かかんか言われる。 特におんなじ東洋人なのに、中国というと一段劣っているような ことを言 う人がいるの。 アメリカとかヨーロッパの人だったらいいみたいで。それにアメ リカとかヨーロッパで生 まれたというと、へえーつて感 じなのに中国というと見下 したよ うな態度をとる、そんなことはい くらでもあったんよ」。
差別が積み重なると、残留婦人三世や残留孤児二世の中にはぐれた り、中には障害致死 という深刻な事件 を起 こす者 もいるという。長年ジャーナリス トとして活躍 し、残留婦人 に関する本 を著 した小川津根子 (1995)はその著書の中で残留婦人三世や残留孤児の二世 の事件 を担当 している弁護士の話を紹介 している。それをまとめると次の ようになる9)0 二世、三世の起 こす事件の背景をさぐってい くと、日本社会の彼等に対する態度が ̀̀公平 でない''という根 にぶつかる。子供たちの両親は日本社会で差別 され、溶け込めないため にス トレスを持つことが多 く、自然 と家庭の雰囲気は暗 くなりがちであるという。最近、
公立の小、中学校 にいる、中国語がで きる先生が配置換 えになるケースが多い。子供たち にとって、自分 を認めて くれる教師を失 うことは大きいことである。女の子は親に寄 り添っ てなんとか切 り抜けることが多い。 しか し、男の子は中国語を話す者同士で群れるように な り、 日本人の少年グループと衝突 して、追い詰め られて傷害事件 を起 こす というケース が多い。お金や者がほしくて盗みをする子 もいるという。
以上、残留婦人三世や残留孤児二世が受けてきた差別や偏見に関する先行研究や現場か らの報告 を紹介 してきた.そ して、これらの研究や報告には一つの共通見解が見 られるO それは、差別や偏見に関するさまざまな問題が起 こるその原因は日本社会が異質なものを 排除 し、同化 を強いる社会であること、つまり、日本社会は公平でないということにある とされているということである。 しか し、差別や偏見を受けた者、また非行 にはしった事 例は紹介 されていても、差別や偏見 を受けた者や非行に走った者の背後にある心の動 きや 心の痛みはあまり紹介 されていない。そこで、インタビューという方法で事例 を紹介する のみならず、それに伴 う心の動 きや痛みまで明 らかにすることにした0
4.研究の方法
4. 1 インタビューを行 うことの意義
一人一人にインタビューをおこなった。インタビューの形式は半構成的面接法であるO つまり、一応質問は準備するが、インタビューは紋切 り型ではな く、インフォーマ ン トの 発言にそうような形で臨機応変に展開 してい くというものである。
これは事例研究法である。事例研究法の対立概念 として存在するのが統計的研究法、つ まり、質問紙 を使 う方法である。自由に語る形式をもったインタビューによって得 られる 口述には自発性がある。そこにはなんらかの個人か ら発せ られる内的な自発性があるので ある。それは質問紙に次か ら次へ と答えてい くだけの ものか らは得 られない10)0
日系アメリカ人のエスニックアイデンティティを探るためにインタビューを行った竹沢
(1994)は 「通常のアンケー ト方法の調査研究に比較すると、この種 の研究 は極 めて限 ら れた数のインタビューに限られている。エスニシティ研究における統計的研究における貢 献は十分認識 されるべ きものの、質的アプローチによってのみ考察 されうる側面 も多々あ るの も事実である。(中略)エスニックアイデンティティを形づ くる心の痛み、恥 じ、誇 り、喜びなどの感情は、数字での計量は不可能であ り、エスニック ・アイデンティティは 本質的には数や量の問題ではな く質の問題である」と述べている11)。
この "心の痛み、恥、誇 り、喜び''などの感情 を被調査者か ら自然 に導 き出すため に、
竹沢が採ったインタビューという方法が、文化的背景が幾分異なった残留婦人三世や残留 孤児二世にも有効であると結論 したので、ここで用いることにした。
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4.2 インフォーマン トとデータ
インタビュー時に19才か ら24才 までの中国か ら来た若者10名で、母親が残留孤児である 一人を除 き、残留婦人三世、つま りおばあさんが 日本人 とい うことで 日本 に来ている。プ ライバ シーを守 る意味か ら女性 にはアルファベ ッ トに ̀̀子"を、男性 には ̀̀夫 "をつ けて 名前の替わ りとして使用 した。
次 にインフォーマ ン トひとりひとりについて、年齢、入国時の年齢、 日本滞在期 間、職 業、通称 (日本名)使 っているか否か、来 日時の編入学年 を表に して記す (いずれ もイン タビュー時の もの)。中国帰国者の場合、 日本語がで きない とい うこ とで実年齢 よ り落 と して編入学年が決め られる場合が多い とい うことを付け加 えてお く。
表1
年 齢 歪国時宗 品本滞冨 職 業
A子 24才2か月 14才2か月 10年 主 婦 0 小学6年生 B子 22才5か月 12才5か月 10年 会社員 0 小学5年生 C子 23才7か月 13才7か月 10年 主婦 ・パー ト 0 小学6年生 D夫 19才10か月 13才 6年10か月 専 門学校生 0 小学6年生 E子 20才5か月 13才5か月 7年 専門学校生 小学6年生 F夫 21才 14才 7年 専門学校生 小学6年生 G夫 20才 10才8か月 9年4か月 専 門学校生 0 小学5年生 H夫 21才 10才 11年 専門学校生 0 小学4年生
Ⅰ子 20才4か月 15才2か月 5年2か月 専 門学校生 0 小学3年生
J夫 19才2か月 6才 13年2か月 専 門学校生 小学1年生
*C子以外 は残留婦人三世である。
適切 な信頼で きるデータをとるにはインフォーマ ン トとの間に非常 に強いラポール (親 密 な結 び付 き、信頼関係)が確立 されていることが必要である。会 ったばか りの人に質問 されて、だれが、心の奥の考えや感情 を漏 らすであろうか。また、誰が人込みの中や立ち 聞 きされる恐れのあるところで本音 を語 るであろうか。そ ういう観点か ら考 えるとA子、
B子、C子は長い間会 っていなかった とはいえ、かつての教 え子であるのでまった く面識 がなかったわけではない。 とはいって もい きなりインタビューをするというのではいいデー タは得 られない。研究の 目的について十分納得 して もらった上でインタビューに臨んだ。
その結果、非常 に協力的に腹 をわって話 して くれた。
表か らわかるように残 りの7名は専門学校生である。 D夫、E子、F夫、G夫、J夫は 専門学校の教師をしている友人の紹介で知 り合った。最初友人の授業に参加 させてもらい、
す ぐにはインタビューの依頼に来ているということは話 さなかった。そ して、筆者が中国 か ら来た子供たちに日本語 を教えた経験があること、少 し中国語が話せることなども交え 雑談 をしたのちタイミングを見計 らってインタビューの依頼をした。すると 「何かあると 思ったんだよな」などと口々にいいなが らも、全点心 よくインタビューの依頼に応 じて く れた。H夫 と Ⅰ子は前述の5人の専門学校生の紹介で知 り合った。そ して、インタビュー が終わったあと 「ああ、すっとした。一度誰かに聞いてもらいたかった」と言ったもの も いた。話 したかったのである。
すべてのインタビューは許可をとり、テープに録音 した。そ して、全部書 き起 こし、考 察 を行 うための資料 とした。インタビューの前後には雑談の時間も持った。場所は教 え子 に関 してはそれぞれの自宅でおこなった。その他は専門学校の近 くのある会館の地下のあ まり人のいない広々としたロビーのようなところでおこなった。すべてのインタビューは リラックス した雰囲気でおこなうことをこころがけたことはいうまで もない。
4.インタビューの結果 と考察 4. 1 差別や偏見の現実
まず、編入 した学校では中国人 ということで苛められる。異質なものを排除するという 傾向のある日本の学校 において、彼等は格好の苛めの対象 となるのである。その程度に差
はあるが、ほとんどの ものが 日本の学校で異文化 に関連 した苛めを体験 している。たとえ ば、6年に編入 したD夫 とF夫、そ して、中学3年に編入 した Ⅰ子は日本の学校 に編入 し て間 もないころのことをを次のように振 り返る。
D夫 :中国人 とかすごいなんかいやな言葉言われて‑。なんつうか、名前が中国語でいう とピンなんです よ。 それを、教えて くれって頼 まれて、それでやっぱピンピンピンピン とかゆって、すごいからかって くる。 しつこいから、なんか、うるさいって感 じで‑0 あと、黒 くてちっちゃかったからい じめやすい、なんかタイプで‑0
F夫 :小学校の6年に入ったばっかのあの、文化祭でもないけど、ようするになんとか準 備するときがあったんす よ。で、何人かのグループにわかれて、その椅子 をとりにいっ たらしくて、まあ、そのへんははっきり覚えてないんだけど、で、そのときに、まあ、
あるちっちゃいやつだけど、だいたい日本語わからな くても、そいつがおれにさ、おま えら中国人みんな馬鹿だよねっていわれて、さすがに頭に来たけど、でも、情けなくて、
なんかすげえ、み じめに感 じたか ら、カアーツて。男だけど、やっぱ涙が出るの よね。
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なんでおれ ら中国人そんなふ うに言われなきゃならないんだと思ったよ。そのときは別 に最初 日本 に来た し、あの、友達 とかで きてなかった し、暴力については自分か らふる うの もなかった。
Ⅰ子 :日本語わかんなかったか ら、 しか もチビだ し‑0 Ⅰちゃんかわいいね、またなんか 言って、ヒヒヒヒと笑 ってんの‑ (中略)学校 で結構 目立 ってる男の子 にい きな り、
"おはようございます"とか言われた りとか して、で、わけわか らな くてね、"お は よう ございます"とか答えた ら、すごい 目つ きで見 られた りとか して‑ (中略)で、 トイ レ 行った ら、 Ⅰちゃん、うんこ、お しっこ、ヒヒヒって笑ってんの‑。で、(その ときは) 何言ってんのかわか らな くて、で、 きいた らそういうことなんですって。
Ⅰ子 :学校の先輩に "チャオ ニイ マア''って言われたの‑それ、中国でいちばんいけ ない言葉。中国で最悪の言葉。そうなのに、ようするに、 日本語で日本人が外国行って、
日本語で文句言われるの とまった く同 じだか ら
Ⅰ子 :‑アルバムがあるじゃないですか、皆でサインとかさ、送る言葉 とかある じゃない ですか。その男の子は中国人の男の子に書いて もらお うとしてんだ。その男の子がその アルバムを教室 においてたんです よ。いつの間にか中国帰れ、てめえ、す ごい きたない 言葉かいちゃって、私はそれを見てす ごい頭 にきたんです よ。 その とき、すごい中国帰
りたかった し‑・
6年生の2学期 に編入 したA子 とE子は小学校 はよかったが中学校へ行って急 に苛め ら れるようになったoA子はそのことが原因で一時は登校拒否 をおこしかけた という。
A子 :なんか変なことヒソヒソ言われて、何人かグループ、3、4人 ぐらい・・・。私、中学 校の とき、結構、自分の殻 に入ってたんです よ、あんまり‑。結構お となしい性格で、
それで、本 (中国か ら持ってきた中国語で書かれた小説)とかぽっか り読んでたんです よ。 それで、なんか、ちょっと変なことやってた ら、なんか ヒソヒソ‑。
E子 :なんかね、一年の ときとか、言葉 きいでわかるじゃんO言えないのよねO男の子 に 中国帰れって言われて、す ごくいやだった
高校卒業後 に受けた差別について語ったのはF夫である
F夫 :俺、今のバイ トで主任 に言われたことがあるんす よ。立ち食い屋 なんだけど、他の 中国人がいたんす よ。そいつが、なんか、閉店するとき手順間違えたんすよ。そしたら、
おまえら中国人 トロイねって言われて‑。俺が一番情けなかったのは、別 にその言われ たか ら情けねえん じゃな くて、そのとき俺が笑った顔でごまか したんす よ。それが、あ
とになってすげえくやんでて、だって、ねえ、それが一番 くやんでたよ.だか ら、本当 はそこでビシッとなに、そういう言い方はねえだろうって青いたかったけど、てめえが それで笑いでごまか したから、自分がすごい情けなかった。だから、日本社会ではみん なそ うです よ。
これらの事例は明らかに異文化が らみの差別である。日本の学校 に入ってす ぐ受けた差 別は何年たっても彼等の心にしっか りと刻み込まれているのである。特にF夫の言葉か ら 差別的な発言 を受けたときのその裏にある心の微妙な動 きが読み取れる。本論の最初の部 分で差別や偏見の厄介な点は差別する者、偏見 を帯びた態度をとるものはそのことを自覚 していない場合が多いと述べたが、ある差別的な一言が どれほど言われた者を傷付けるか ということがよくわかる。「日本社会ではみんなそうです よ」 と吐 き捨 てるように言 った F夫の言葉からは、同化志向の強い日本の社会に存在する差別や偏見は日本の社会の体質 であって、日本の社会 というのはそういうものなのだという諦めにも似た感情が読み取れ る。
直接苛めにあったわけではないが、日本に来て しばらくして、少 し落ち着 き、言葉 も多 少はで きるようになると急に周囲の偏見の 目に気付 き始めるようである。 それは次のよう な言葉か らもよくわかる。
A子 :最初はぜんぜん気 にしいひんかったけど、だんだん、 日本語 しゃべるようになって、
だか ら、まわ りの人が‑。中学校2年生か、 3年生まで、自分がしたいように、こう思っ た らこう、 したいようにしてたけど. 日本人に変に見 られても、最初はハア‑どうだっ ていいわとか、ぜんぜん気 にしいひんかったけど、だんだん気 にするようになって‑0 たぶん苛められてからそんな自分勝手なことできひんなと思って
A子 :最初、中学校のときな、お母 さんと歩 くときで も、ちょっと離れて‑ (中略)うち のお とうちゃん声でっかいねん。だか ら、恥ずか しいねん。あの人、うちのおとうちゃ ん しゃべると、みんな振 り向 くねん、中国人って結構声でかいやろ
B子 :なんていうのか、最初は日本に来てても、ほかの人が どう思っているか、わか らへ んやん。大 きな声で中国語 しゃべった りな、それが私にとっては普通やった。私は中国 人であって、ほかの人が どう思おうと、私は好 きなことしてたらいいやんって思うけど、
ある程度やっぱ り、中学校 に入ると、まわ りの 日が気 になって来たかな‑
B子 :しゃべったところで、ねえ、別に書はないか もしれへんけど、皆見るやん、違 う青 葉話す と・・・。そういうふ うにチラツと見て、こそこそ話 してんのんが一番かなわんのや、
私は。誰 も兄いひんかったら、誰 も普通にしてたらいいけど。 日本人 としては、ここに 外国人がいてんのが珍 しいみたいな感 じやん
64 日本人による異文化に関連した差別と偏見
B子 :だか ら、まわ りの目が気 になるから‑。まわ りが もっと開いていた ら、自分が中国 人やゆうことアピールしたいんやけど、 もっと・・・。顔色が変わらな くても、それか ら対 処の しかた とか接 しかたが変わってきてる人 もいるし‑
D夫 :高校のときとか、僕は通訳役 としてお父 さんと市役所にいった りなんか して、電車 に乗って中国語 しゃべるのははずか しいっていうか。あまりしゃべ らない。
F夫 :バスん中で俺 ら中国語 しゃべったら、変な顔 とか振 り向いて、いやな顔とかするし、
てめえら外人の顔みたことねえのかって言いた くなっちゃう。俺はだって、性格ス トレー トだか ら、こうされるとす ぐに、顔 とか感情に出るか ら、で、何みてんのパパアって、
俺、別に周 りの 日は気 にしないの
B子は 「まわ りの目が気 になる」という言葉をインタビューの間に何度 も繰 り返 した。
D夫はどうして中国語 を話すのを恥ずか しいと思ったのかという理由として 「外人だと思っ て、なんか、何いってんだこいつ らってイメージあった」という。 こうして彼等はだんだ んと公衆の面前では中国語を話すのを避けようとするようになる。「俺、別 に周 りの 目は 気 にしないの」 と言っていたF夫 も次のように複雑な胸の内をあかす0
F夫 :矛盾つ うか、自分の気持ちの中で自分は中国人だけど、電車に乗るときに、できる だけ日本人の前では日本語喋ろう、喋ろうっていうの思 うよな。自分って何だって・・・
B子は家の外では両親以外 とは中国語を話 さないようにしてきたが、その両親 と出掛け るときも極力 "声 を落 としで 'と頼んだという。A子はインタビュー時団地 に住 んでいた が、近所の人 と日本語を話す ときは中国か ら来たことがばれないように日本人 らしく話そ
うと努めているという。
A子 :‑だか ら、日本語へんかなあとか、外国人と思ってるかなあとか、ときたま言われ るねん。京都の人やないで しょうとかなあ、 もしか して、九州の人 とか、四国の人 とか よう言われるねん。日本語‑た くそや しなあ、ときたま言われるねん
中国語 という自分が生 まれ育ったところの言葉で日本に来るまで使って来た言葉に対す る日本人の否定的な態度に敏感に反応するようになるのである。 ここに紹介 した彼等の言 葉か ら日本人の中国語や中国人に対する偏見に満ちた態度がいかに陰湿でその結果かれら にス トレスを与えるものであるかが伝わって くる。強気の発言をしているF夫 もその裏に ある矛盾 した本音をのぞかせているのである。そして、A子は来日して10年たつインタビュー 時にもまだ差別に対 して敏感になっているのである。そのことは最後に紹介 したA子の言
葉か らよくわかる。九州の人で しょとか四国の人で しょと言われるたびに中国から来たこ とがばれないかび くび くしなければならないのである。これらのことは精神的苦痛以外の 何 もので もない。また、B子は特に苛められた記憶はないというが、外国人に対 してむけ
られる偏見の 目に苦 しんで きたのである。
ところで、彼等 も日本の学校で苛め られて、ただ苛められばなっしというわけではなかっ た。差別に対 して彼等な りに様々な対処 をしてきたのであった。次にどのような対処の し かたをしてきたのかをみなが ら、その背後にある心の動 きを追ってみたい。
4.2 苛めや偏見に対する対処の しかた 4. 2. 1 自分の出自を隠す
対処の一つ として中国帰国者の子供たちは学校で差別を回避するために自分・の出自を隠 す ようになるという報告 を既にみてきた。それによるとそのことによる精神的負担 は相当 の ものであるということであった。ここではC子 とD夫の例 を紹介 しなが ら、出自を隠す ことの精神的負担の中身に迫った。
本研究のインフォーマ ンの中で高校進学 を磯 に出自を隠す ということを実践 した ものが いた。C子 とD夫の二人である。二人 ともたまたま出身中学からその高校 に進学 したのは 一人だけで、だれ も中国か ら来たことを知っている人がいないのを機会に隠すことを決心
した。そのことについて二人はこう語る。
C子 :一人だけやったから、みんなに、なんちゅうの、ばらしたくないちゅう気持ちがあっ たんです よ。自分が中国人ちゅう (理由は)差別 されたらどうしようかなあちゅう気持 ちもあったんですけど、なんか言いた くなかったかなあ
D夫 :高校のとき、友達、僕が中国人だって知 らなかった。話 さなかった、高校 に入った 時点で‑・気付かせなかったっていうか・・・
ふた りとも淡々と語って くれたが、C子 とD夫は6年生の2学期 に日本の小学校 に編入 しているので高校進学時は日本に来て3年半、やっと授業になんとかついていけるように なったばか りである。当時の二人の日本語能力はちょっと聞 くだけならわからないが、注 意深 くきくとまだ耽 りがあることがわかる状態であったという。 そんなときに隠 し続ける のはかな りのス トレスを伴 う。 しか し、それでも実行 しようと思わせるほど日本社会の差 別や偏見は強かったのである。隠 し続けていると友達づ きあいにも影響 を及ぼす。親 しく
なればなるほど、相手に大 きい秘密 を持ち続けることに罪の意識 も感 じる。 もし、本当の ことを言った ら、離れてい くのではないかと葛藤が起 こる。そ して、C子は慎重 に相手 を 選び、打ち明ける。
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C子 :親 しい友人やったか ら、その人は知っている、仲いいか ら。 言わんといてなちゅう たか ら‑
一方、E夫はだれにも打ち明けることはなかった。 そ して、隠 し通 したかわ りに伸のい い友達を得ることはなかったことが次の言葉からわかる。
D夫 :日本人 とはもう付 き合いの友達だけで、別に心の底から信用する友達っていなかっ たんです。
D夫 :あ くまでも、遊びのお友達、一緒に遊んでいるだけの友達・・・
C子は高校時代だけではな く、卒業後勤めた大手スーパーで も、また、インタビュー時 パー トとして働いていたスーパーでも隠し続けている。そ して、高校時代 と同 じように慎 重に選んだ "伸いい人''にだけそっと言 う。淡々と話 し続けるC子の口調か らはなかな隠 し続けることの辛 さは伝わってこないが、次のC子の言葉からC子がいかに出自にこだわっ ているかが よくわかる
C子 : (出自を打ち明けたら)別にそんなん気 にせんで もいいやんゆわれたんです。すご いなんかうれ しかった。
「そんなん気 にせんで もいいやん」という言葉がすごいうれ しいのである。つまり、C 子は自分が中国人であ り、まわ りの日本人が中国人を差別 していることを日頃感 じ続けて いるので、差別に非常に敏感になっているのである。 出自を打ち明けたら相手の顔色が変 わった、態度が変わったという経験は絶対にした くないのである。恐 らくC子に打ち明け られた日本人はC子が打ち明けることにそこまで多大なエネルギーを使っていること、そ して、気 にしないという一言がC子を非常に喜ばせたことには気付いていないのではない のであろうか。
C子 とD夫の言葉か ら差別を回避するために出自を隠し続けることの背後にある心の葛 藤が明らかになった。
ここで一つ付け加えておかなければならないことがある。それは全員が全点出自を隠す ことを実践 した り、そのことに肯定的であったというわけではないということである。そ のようにしている帰国者仲間に対 して批判的なものや、そういうことには拘っていない も の もいた。それは次のようなH夫 とⅠ子の青葉からわかる。
H夫 :そんなんしても (出自を隠 しても)、ぜんぜん意味ねえ
Ⅰ子 :私、中国人っていうこと隠そうって思ってる人、むかついてるの。 絶対許せないの
その理由を聞いてみると次のような返事がかえってきた。
H夫 :僕は別にそういうことはたい したことだとは思っていませんか らね
Ⅰ子 :なんで恥 じなの、恥 じだったら、ずっと中国にいるはうがいい じゃん。そ した ら、
恥 じはないで しょ
Ⅰ子のように直接批判 したわけではないが、E子とF夫は日本名を使わずに中国名を使っ ている。つまり、出自を隠す ということには拘っていないのである。 そのことについて二 人にきいてみると次の ような答えがかえってきた。
E子 :使おうかなあ (日本名を)と思ったんですけど‑持っているんですけど、絶対言わ ないか らそれは、これは絶対言わないか ら、聞かないで・・・バイ ト先で使ってるんだけど、
ち ょっとなんかいやな名前、いやな名前bていうか・・・。高校 に上がるときは日本の名前 にしますかって先生にいわれたんですけど、いいや、と思って、自分の名前がいいかな、
って思って
F夫 :おれ、あんまし、日本の名前変える気はないんです よ (中略)俺は中国人だか ら、
べつに、わざわざ中国人だか ら、わざわざ日本人の名前名乗るっていうの も、なんかお か しいっていうの もあるし‑
出自に全 く拘っていないH夫、批判的な Ⅰ子、日本名が変だか ら使わないというE子、
中国人だか ら中国名を使 うというF夫、あらためて様々な考え方があると思 う。 さらにイ ンタビューを重ねないとわからないが、出自に関 しての考え方にはかなりばらつ きがある のではないか と考えられる。
4.2.2 暴力で苛めを回避する
出自を隠す という手段 をとるかわ りに、暴力で苛めを回避する者 もいる。それを実践 し たのがF夫である。F夫が苛め られたのは小学校 に入ったばか りの ときだけで、そのあと は苛められないようになったという。それは暴力をふるうようになったか らである。 その ことについて次のように語る
F夫 :‑小学校か らかわった、自分か ら暴力をふるうようになったっていうか、おれやだっ て、い じめられたら、い じめかえす、まがったこと嫌いだか ら、そのかわ りに、や られ
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たら、や りかえす、警戒心があるから、人間っていうのは、自分からやんないと絶対や られるか ら、もう最初か ら喧嘩でとばした
F夫 :中学校はなかったっす、さすが中学校は、おれ、い じめとか、だいたい小学校だけ だったか ら、おれがい じめられたのは、だから、中学校入ってもう、なんていうかね、
警戒心があるから、人間っていうのは自分からやんないと絶対やられるか ら、もう最初 か らとばした‑
F夫 :ぐれたっていうより、自分がや られないように、それなりのことしないと、
これらの言葉からF夫が暴力で苛めを封 じていたことがよくわかる。同 じく中国か ら来 たC子の夫 も 「みんなそうしてますよ」 と言っていたことからもよくとられる手段である ことがわかる。また、H夫のように 「中学校行 く前にうちの先輩が もう有名やったか ら」
と先輩が暴力で苛めを封 じていたので、中国人はこわいというイメージが定着 していて、
それに守 られたというケース もある.暴力で苛めを封 じるというと男子生徒に限られると も思われるがそんなことはない。 Ⅰ子は次のように語った。
Ⅰ子 :‑私たちがやられたのにどうしてあやまらなくちゃいけないのって、 じゃ、確かに 悪かったって言ったんだけど、で、土下座 しないとゆるして くれない し、で、友達のほ うが、むかつ くとか言って、ぶっとばしたいって言って、で、私は友達ぶっとばすより、
私のほうがぶっとばしたはうがいいと思って、あのとき日本来て半年 ぐらいだから、あ る程度わかって来て、で、で、あた しに青いにきたんですよ。 Ⅰちゃんがや らないなら 2対1でやるか ら、おまえ見てろって言われたの。で、私はやるって言って、そしたら、
2対 2でやって、結局、こっちが勝って、で、それから、い じめに来なかった
F夫や Ⅰ子やH夫の言葉から、暴力で苛めを封 じるというや り方は "や られたらや り返 す"と手っ取 り早 く効果的にとれる。 しか し、このや りかたは出自を隠す というや りかた 同様 に常に警戒心 をもって突っ張って構えていないといけないのでス トレス もたまるし、
まわ りの日本人 とも心 を開いてつ きあえないのである。次のF夫の言葉が、暴力によって 差別による苛めは封 じることができたが、そのために負 ったリスクの大 きさを物語ってい る。
F夫 :普通の子供だったら、中学校 とか高校 とか楽 しい友達がいっぱいいて、みんな心か ら通 じあってさ、 しゃべった り、ふざけた りするわけじゃん。 で、俺は意外 と早 く大人 になったから、そのせいで、意外 とそういう体験はなかったの、だから、犠牲 したって いうか、寂 しかったっていうか‑0