調 査
伝統的大企業がベンチャー企業を買収する際の PMI
―― 買収側に求められる多様性への許容 ――
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木 知 巳 芦 澤 美智子1 研究の背景と問題意識
1. 1 IPO 市場の低迷に伴って壊滅状態の日本 VC 業界
かつて100社以上が活躍した日本のベンチャーキャピタル(以下,
VC
)業界は,近年新規投資を組織的に継続できている
VC
が10社程度と推定されるほどに低迷し ている!。大手
VC
の多くは残っているので投資額は1/10になっているわけではないが,そ れでも,一時3,000億円に迫った年間投資額は1,000億円程度にまで減っている(図 1)。さらに,この金額は日本のVC
が海外で投資している分も含まれ,国内で投資 されている金額は600億円程度と言われている"。日本の
VC
は30年前の黎明期以来,投資資金回収を新規株式公開(以下,IPO
)に 依存してきた。かつては,業界平均として,「投資先の5社に1社が上場してファン ド全体がトントン」と言われた。ファンドの経費率を25%とすると投資可能金額が75%。これを5社に均等に投資 したとして一社当たりの投資金額はファンド全体の15%。仮に5社のうち2社は原 価で回収できたとして15%×2社=30%。残りの70%を
IPO
で回収するためには,上場する1社は5倍以上で回収できなければならない。
IPO
するケースではかつては これが可能であった。ところが近年
IPO
市場が低迷している。新規上場企業数は,活況を呈していた時 香 川 大 学 経 済 論 叢第85巻 第4号 2013年3月 377−385
0 500 1,000 1,500 2,000 2,500 3,000
2005 2006 2007 2008 2009 2010 投融資額 社数
(年)
︵億円・社︶
2005 2006 2007 2008 2009 0
200 400 600 800 1,000
︵社︶
その他 会社経営者等 による買戻し 売却 償却・清算 株式公開
(年)
には年間に200社近くであったが,2009年には19社まで落ち込んだ。これは,1983 年に店頭市場改革がおこなわれて
VC
が産業として確立して以来最低の数である。2000−2009年の平均値100社と比べても1/5の水準であり,
VC
投資先から言え ば,「5社に1社」ではなく,「25社に1社」しか上場できない状況に陥っている!。その後は,多少回復しつつあるものの,依然低迷状況から脱していない。また,株 価の低迷も著しく,公募価格が
VC
の投資簿価を下回るケースが続出している。図1 日本の VC 年間投融資推移
VEC「2011年度VC等投資動向調査」
図2 日本の VC 投資回収推移
VEC 『2010年ベンチャービジネスの回顧と展望』
−378− 香川大学経済論叢 654
0 50 100 150 200
既存市場 新興市場 VC投資先
2005 2004 2003
2002 2006 2007 2008 2009 2010 2011
︵社︶
(年)
0 20 40 60 80 100
1990 1993 1996 1999 2002 2005 2008
M & A IPO︵%︶
(年)
1. 2 米国 VC との違い−M & A による資金回収−
米
VC
も日本VC
と同様に,IPO
市場が好調で投資先の大型IPO
が実現するとファ ンドリターンが高くなる傾向がある。しかし,米国でもIPO
市場は近年低迷してい るが,そのような状況下でも有力VC
ファンドの収益は極端に悪化しない。その一因 はM & A
市場の存在にある。米
VC
ファンドの資金回収方法を見ると,実に,その8割をM & A
に依っている。IPO
が難しいマクロ環境において,M & A
によってVC
が投資先株式を売却できるか どうかは,ファンド全体のパフォーマンスに与える影響がきわめて大きい。図3 日本の IPO 推移
VEC『2010年ベンチャービジネスの回顧と展望』及び JVR『2011年IPO企業分析』
図4 米国 VC 投資先 EXIT 件数推移
NVCA, Yearbook2010をもとに作成 伝統的大企業がベンチャー企業を買収する際のPMI
655 −379−
ではなぜ日本企業は米企業のようにベンチャーを買収しないのか? それは日本に
おける
M & A
の歴史が浅く,M & Aが主要な戦略手段として用いられてこなかったからである。しかしながら,法制度の整備や長引く経済の低成長といった背景によっ て,日本企業でも
M & A
は戦略手段の一つとして定着しつつある。そして,大企業が日本のベンチャー企業を買収するといった案件も見られるように なってきた。例えば,東急電鉄は2008年に民間学童保育事業を経営するキッズベー スキャンプを,KDDIは2011年にスマートフォン・アプリ向けの広告最適化プラッ トフォームを提供するノボットを,ドコモは2012年に携帯電話を利用した販売促進 用システム・アプリケーションの開発・販売を展開するイマナラを,それぞれ買収し たといった事例が見られる。
本稿では,大企業によるベンチャー企業の買収の1事例を紐解くことによって,そ の難しさと成功への道筋を明らかにすることを目的とする。
2 先 行 研 究
買収の戦略的意図が計画通り実行され,買収企業および被買収企業双方の業績に反 映される案件は多くない。財務分野の先行研究では,買収企業の株主はほとんど利益 を得ることがないという結果となっている(Jensen and Ruback,1983; 井上と加藤,
2006)$。
その主要因として,買収プロセスが容易でないことを挙げることができる。買収プ ロセスを成功に導く能力は「買収ケイパビリティ」と呼ばれ,それは3つの要素に分 類できる(Helfat et al.,2007)。それは,
!
買収機会の選択,"
ターゲット企業の識 別と交渉,#
買収後の再配置(PMI)である。それらの中でももっとも難しいのはPMI
プロセスである。PMI
はPost-Merger Integration
の略であるが,買収後に買収企業と被買収企業との「統合(integration)」が絶対的に有効であるとは限らない。どの市場に属して企業活 動を行うかによって有効な経営管理体制は異なる。台頭したばかりの市場では一般的 に急激な市場変化に適応した迅速な意思決定と柔軟性が重要である。一方成熟市場で は,コスト,効率性,漸進的変革が重要である。買収企業と被買収企業とで置かれた
−380− 香川大学経済論叢 656
市場環境が異なる場合,被買収企業を「統合」するのはなく,被買収企業の「自治
(autonomy)」を重視した方が良い場合もある。「統合」と「自治」のバランスの問題 を取り扱った先行研究はいくつか見られるが,その多くは,「統合」は被買収企業の 知識ベースの資源を失わせしめる危険を伴うと主張する(Graebner,2004
a ; Graebner,
2004b ; Puranam and Srikanth :
2007)。しかしながら,未だ「統合」と「自治」のバランスとして合意された枠組みは提示されていない。
従って本研究では,大企業がベンチャー企業を買収する場合の,
PMI
を成功に導 くケイパビリティの内容について明らかにする。特に,PMIにおける「統合」と「自 治」のバランスがどのようにあるべきかを明らかにしていく。3 事 例 研 究
3. 1 A社の事例
伝統的大企業によって買収されたベンチャー企業の事例としてA社がある。以下 は,旧経営陣から何度かに分けてヒアリングした内容である。
A社は新興市場への上場申請にまで至ったものの,2000年代後半に創業10年目に して大企業に買収される道を選んだ。提携のきっかけは,海外同業他社の日本進出本 格化であった。その同業他社は,既に上場を果たして資金力があり,企業規模は約 10倍であった。従って,A社が競争に勝っていくためには,単独で上場を目指すよ り,シナジーが見込め,財務余力のある国内大手企業との資本提携が最適と判断した のである。折しも,新興市場は不況を呈し,IPOの目途が立ちにくいという事情も あった。
その後,資本提携ではなく完全子会社として買収されることで話がまとまり,大半 の株主の同意を得て買収は実施された。
3. 1. 1 買収後のマネジメント体制
買収後は,常勤役員は全てそのままのポストで残留し,新たに管理部門担当の常勤 取締役と複数の非常勤取締役が買収企業から派遣された。この時買収企業から派遣さ れた新任役員には,事業立ち上げの経験は皆無であった。確立された既存事業を持つ
伝統的大企業がベンチャー企業を買収する際のPMI
657 −381−
大企業であっても,新たな営業所を出したり,新サービスを立ち上げたりといった経 験者は社内にいると考えられる。しかしながら,派遣された新任役員はそういった経 験を持たない者であった。
それでは派遣された役員の選定はいかに行われていたのか? その新任役員の説明 によれば,「子会社の取締役として派遣される年次がほぼ決まっている」ということ であった。つまり,年功序列が基本となっている伝統的大企業からの被買収企業への 役員派遣は,年次による論理が主となり行われていたのである。
さらにそれらの派遣役員は,買収交渉にあたっていたスタッフではなかった。買収 の企画および交渉をした部署と,買収後,事業を担当した部署が違ったのである。
従って,買収企業から派遣された役員らは,買収交渉でベンチャー企業から提供され た情報の全てを把握してはいないようであった。また買収後には,「買収した会社と のシナジーをどうやって出すか」の
PMI
計画が存在していないか,存在していたが 実行されていないようであった。その結果,買収されたA社の新規開発投資はついに 実行されることはなかった。このような状況下で,A社は次第に市場競争において不利な状況に追い込まれて いった。
3. 1. 2 買収後の管理体制
買収企業から派遣された役員は,派遣元組織の経営管理体制をそのまま持ち込み,
管理コストを増大させた。子会社となり連結決算に組み込まれるのだから仕方ない点 はある。しかしながら,成熟市場での事業を管理する手法を,新市場で事業を行う会 社に強引に適用したため,A社は機動力を失ってしまった。
こうして,事業活動を制限される一方,管理コストだけアップしたA社は業績を悪 化させた。
買収後間もなくして,社長と副社長が辞任した。さらに,「大変だけどやりがいの あるベンチャー企業で働きたい」と思って入った社員も多数退社した。
買収前にトップシェアを誇った製品は,その座を競合他社に明け渡した。
−382− 香川大学経済論叢 658
4 まとめと今後の研究課題
事例からわかるのは,伝統的大企業がベンチャー企業を買収して活かすことの難し さである。伝統的大企業がベンチャー企業を買収するということは,全く異なる発展 段階と企業文化を持つ異質な組織を企業グループ内に取り入れることである。しかし ながら,
PMI
が伝統的大企業の従来の論理で進められると,被買収企業であるベン チャー企業において不適合が生じ,ひいては重要なリソース・ケイパビリティが損な われる危険性が高い。日本の伝統的大企業がベンチャー企業の持つイノベーション能 力を取り込み,さらなる成長を目指すのであれば,ベンチャー企業も含めて「多様性」を許容することが必要だ。そのために,被買収企業の「統合」と「自治」のバランス をいかに取っていくかが課題となろう。
そもそも伝統的大企業がベンチャー企業を買収して活かすことは困難で,「ベン チャーを買うのは(自らベンチャーであった記憶の新しい)ベンチャーだけである」
という視点もありうる。ヤフー(日本)や楽天などの第一世代ネット企業は
M & A
を加速させており,その成功確率も高いように見える。しかしながら,伝統的大企業 の持つリソース・ケイパビリティはベンチャー企業の成長に有用でありえるし,逆に ベンチャー企業の持ち込む成長性あるビジネスが伝統的大企業に新たな事業機会を提 供することもできる。そして伝統的大企業がベンチャー企業の買収を成功させる事例 が続けば,ベンチャー企業に対するリスクマネーの循環を活性化させることができ る。現時点では,伝統的大企業によるベンチャー企業のM & A
事例は緒に就いたば かりである。しかし今後,伝統的大企業において,ベンチャー企業買収のケイパビリ ティが蓄積され,成功事例が増えていくことが望まれる。今後の研究にあたっての課題は以下が挙げられる。
第一に,本稿は事例1社のみを扱い,また,被買収側の旧経営陣のみからヒアリン グした事実に基づいて構成された。事実をより客観的に評価するには,被買収側のベ ンチャー企業だけでなく,買収側の伝統的大企業からもヒアリングすることが必須と なる。また,複数の事例をあたり問題が本件特有のものではないことを示す必要があ る。
伝統的大企業がベンチャー企業を買収する際のPMI
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第二に,本稿では失敗事例を取り上げることによって,伝統的大企業がベンチャー 企業を買収する際の典型的な問題点を浮き彫りにしている。一方で,成功事例を取り 上げていないために,問題解決の視点が明確に提示できていない。今後は,成功事例 を取り上げることで,PMIでの統合と自治のバランスについて新たな枠組みを構築 する必要がある。
注
(1) 上場しているジャフコ,日本アジア投資の他,SMBCベンチャーキャピタル,大和企 業投資,アント・キャピタル・パートナーズ,三菱
UFJ
キャピタル,安田企業投資,み ずほキャピタル他に数社の独立系VC
と推定。(『JVRレポート2011』「VC投資ランキン グ」を参照)(2) 例えば,2009年度末の国内
VC
海外投融資残高は約2,000億円であり,5年間かけて の結果であると仮定すると,年間平均400億円の投融資額となる。(数字は『VEC2010 年投資動向調査』による)(3)
VC
投資先のIPO
数でみても,2002−2006年の平均値94社に対し2008−2011年平均 は19社と1/5になっている。(4) 財務分野での研究は主にイベント・スタディによって行われている。
【謝辞】
本稿においてはA社の旧経営陣の方々にインタビューのお時間をいただきました。
深く感謝を申し上げます。
主 要 参 考 文 献
Jensen, M. C. and Ruback, R. S.
(1983)The market for corporate contral : The scientific evidence,Journal of Financial Economics, Vol.1
1, Issues1−4 , pp.5−5
0Puranam, P. and Srikanth, K.
(2007)What They Know VS. What They Do : How AcquirersLeverage Technology Acquisitions, Strategic Management Journal, Vol.2
8, Issue
8, pp.8
05−825
Graebner, M. E.
(2004a)Momentum and Serendipity : How Acquired leaders Create Value in the Integration of Technology Firms, Strategic Management Journal, Vol.2
5, issue
8−9, pp.7
51−777
−384− 香川大学経済論叢 660
Graebner, M. E.
(2004b)The Seller’s Side of the Story : Acquisition as Courtship and Governance as Syndicate in Entrepreneurial Firms, Administrateive Science Quarterly, Vol.4
9, No.3 , pp.
366−403
Helfat, C. E., Finkelstein, W. M., Peteraf, M., Singh, H, Teece, D. and Winter, S. G.
(2007)Dynamic Capabilities : Understanding Strategic Change in Organizations, Blackwell
Publishers Limited
井上光太郎/加藤英明(2006)『M & Aと株価』東洋経済新報社 伝統的大企業がベンチャー企業を買収する際の
PMI
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