特集◎21世紀の中国思想文化中国文化の新しい波[ポストモダンとオリエンタリズムの間]
全面的西欧化から伝統文化の再評価まで︒改革開放以来︑中国文化をめぐる議論は激しい振幅を繰り返した︒しかし︑パンドラの箱は開かれた︒空前の文化ブーム︑宗教のリバイバル︒中国文化はどこに向かうのか︑新しい文化の仕掛け人たちにその抱負を語ってもらった︒
九〇年代の思想と二十一世紀の中国文化
雷願︿中国社会科学院近代史研究所副研究員・﹁近代史研究﹂編集長﹀×緒形康︿鱗講潔︒﹀
国学とマルクス・レーニン主義
緒形改革開放以後の中国文化の目ざま
しい発展と国際化については︑日本でも
すでに多くの指摘がなされていますが︑
特に一九八九年の事件を境にして︑欧米
文化の積極的受容という側面を越えるよ
うな新たな展開がなされています︒こう した八〇年代以来の中国文化に関わる議
論において︑常に論壇をリードしてこら
れた雷願さんに︑まず改革開放以後の文
化論争を︑それ以前の毛沢東時代との比
較も含めて整理していただきたいと思い
ます︒
雷八〇年代の文化論に対する大批判が
一九九〇年に始まって以来︑知識人には︑ そうした大批判の渦の中に自ら参加する
ことを望む者はきわめて稀でした︒かれ
らはむしろより有意義な事柄を見つけ出
して︑それを議論することによって大批
判を逃避しようと試みました︒こうした
知識人の態度を必ずしも否定的に見るこ
とはできません︒というのも︑一九四九
年から一九七八年に至るまで︑中国知識
人は全て自らが望むと望まざるとにかか
わらず︑文化と政治の論争に関与せざる
をえなかったわけで︑文化に対する政治
の側からする批判を逃避することなど到
底不可能だったからです︒九〇年代の知
雷 願[LeiYi]
識人の政治逃避は︑むしろそれらと比べ
れば自覚的なものである点︑毛沢東時代
よりは成熟したものになっています︒
そうした過程の中で知識人が見いだし
た新しい文化の課題が︑﹁国学﹂に他な
らなかった︒国学という︑学術の規範性
に富むテーマがこうして登場してきた背
景は︑八〇年代の文化状況と密接な関係
があります︒八〇年代に若い知識人が行
った文化熱はまさに眼高手低と言うしか
ないもので︑批判の舌鋒の激しさに比べ
てかれらの学術的な基盤はきわめて脆弱 であったために︑八〇年代の文化熱は浮
ついた論争に終始しました︒九〇年代に
国学熱が勃興したのは思想的な背景があ
るのです︒そのことは﹁学人﹄などの雑
誌を見れば分かります︒九〇年代には︑
政治の側よりする大批判を逃避するため
に︑文化の論争を﹁純﹂学術的な領域に
限定する動きがまずあって︑九二年から
九三年にかけての国学熱がさらにこうし
た元来の意図を乗り越えるような︑中国
文化の未来を展望し中国文化の復興や建
設を議論するといった︑より根源的な問
題提起へと発展したのです︒こうした国
学熱の内実の変化が起こった原因とし
て︑八九年の事件の中心的なテーマであ
った全面的西欧化の主張が大批判によっ
て覆され︑中国文化の見直しが強調され
る中で︑八九年に始まった主流のイデオ
ロギーの形態が大きく変化したことが挙
げられます︒それは科学的社会主義やマ
ルクス主義に一種の軌道修正を施し︑ナ
ショナリズムと愛国主義を強調するもの
で︑一般大衆の心の琴線を動かしたので
す︒そしてこの主流イデオロギーの新し い傾向は︑偶然にも国学研究とかなりの
程度その歩調を同じくするものでした︒
九二年に郡小平が行った南巡講話も国学
熱をさらに加速させることになりまし
た︒
緒形九二年の南巡講話が切り開いた市
場経済のうねりは︑出版業界にも顕著な
影響を及ぼしています︒例えば︑中国古
典の現代語訳が現在の北京の書店に溢れ
ていますが︑こうした側面にも南巡講話
と国学熱の関連を見ることができます
ね︒
雷そうです︒一九九三年のいつだった
か︑﹃人民日報﹄の第一面に﹁燕園に蔓
延する国学熱﹂という記事が出ましたが︑
こうした状況は日に日に顕著になってい
ますね︒
緒形以前に︑ポストモダンと国学熱の
関連ということを考えたことがあるので
すが︑この点に関してはいかがですか︒
雷私は学問的なレベルでは︑ポストモ
ダンとの関連はあまりないと思います︒
けれども社会思潮として︑商品化経済に
伴うポストモダンと国学との関連は重視 φ
しなければいけないでしょう︒社会科学
院の世界史研究所の沈志華は文化商人と
も言うべき人で︑この人がソ連の櫨案
資料を用いて﹃朝鮮戦争秘録﹄を編集し︑
香港で出版して大変な人気を博してい
る︒これには︑近代史研究所の楊奎松な
ども参加していますが︑沈志華のポスト
モダニズム戦略は新しい商品経済に支え
られているのです︒
国学熱と新しいネットワーク
緒形九〇年代以来の国学熱の今ひとつ
の特徴として︑中国大陸以外の華人との
広いネットワークが形成されつつあると
いうことも挙げられると思うのですが︒
雷そうですね︒例えばハーバード大学
の杜維明の新儒学の立場に対して︑大陸
の知識人は八〇年代には概ね反対の立場
を採っていたわけですが︑九〇年代には
かれと共同歩調を採る人々が増えつつあ
ります︒現在︑国学熱を担っている人々
は︑八〇年代の全面的西欧化論者とは違
って︑中国とヨーロッパの両方の学問に
ついての素養が大変深い人が多い︒学問 的にヨーロッパ学を用いると同時に中国
の伝統的な学問も用いている︒そこらあ
たりが人々を引きつける理由でしょう︒
杜維明などはその典型なわけです︒ここ
で問題を複雑にしているのは︑中国政府
当局のイデオローグで国学を支持する人
の存在ですね︒かれらはもともと国学熱
に対して非常な警戒感を抱いていた︒杜
維明の新儒学の主張などについても︑そ
れが儒学を用いてマルクス主義の正当性
を打ち破ろうとしているのではと疑って
いた︒しかし東ヨーロッパやソ連の共産 主義が次々と崩壊してゆく中で︑かれら
はナショナリズムや愛国主義を用いてマ
ルクス主義の正当性を補強せざるをえな
い立場に追い込まれてくる︒そして︑儒
学や伝統文化によってそうしたナショナ
リズムを武装し始めるのです︒ここから︑
当局と国学熱とのある種の提携が起こっ
てくる︒シンガポールのリー・クワンユ
ーなどはこうした事情についてはっきり
と語っていて︑かれの考えでは︑経済の
自由と政治の専制はワンセットでなけれ
ばならないと言う︒
緒形六四天安門事件以後︑確かにマル
クス・レーニン主義はますます人々に対
する吸引力を失いましたね︒ナショナリ
ズムや国家主義と並んで国学は︑イデオ
ロギーの正当性を維持してゆくさいの重
要な資源となっているわけですね︒しか
し︑政党を指導する思想は依然としてマ
ルクス主義でなければならない︒
雷﹃原道﹄という若手が編集する雑誌
などは︑マルクス主義の代わりに儒学の
正当性を打ち立てようとしているが︑そ
れは結局︑当局の真の目的と合致しない
4g‑一 一中 国 文 化 の 新 しい 波
こともあって︑なかなかうまく行かない
わけです︒でも︑深切大学の蒋慶などは
国学のそうした方向性の実現にたいへん
熱心で︑日本から何千万元かの資金を借
りて貴州に陽明学院を創ろうとした︒西
洋思想には徹底的に反対し︑儒学のみが
世界を救うことができるというのがかれ
の持論で︑陽明学院はこうした構想に基
づいた一種の行政学院でした︒ただ︑こ
の計画は結局実現しなかったらしい︒
緒形今までのお話から︑国学熱とは︑
儒学と伝統学術に対する再評価を機軸に
していることが分かりましたが︑しかし︑
五四運動以来の中国現代思想を見ます
と︑そうした伝統文化に対する再評価に
は常に二つの流れがあったことが分かり
ます︒一つは考証学によって新しい学問
を打ち立てること︒二つはイデオロギー
を用いつつ新しい思潮を打ち立てようと
するものです︒前者の代表は胡適で︑後
者の代表は毛沢東だと︑私は思うのです
が︑胡適に関して言えば︑かれはアメリ
カのプラグマティズムを中国の伝統的な
考証学ときわめて類似した思想だと主張 しました︒そしN'm‑‑ ッパ流に解釈
された考証学を用いて︑伝統文化の現代
化を試みてゆくのですが︑現在の国学熱
を日本という外なる場所から見ています
と︑こうした胡適の試みとの類似性とい
うことを感じないわけにはゆきません︒
運動の当事者として︑胡適の方法につい
てはどんな感想をお持ちですか︒
雷胡適が中国のものを用いながら︑実
は西洋の思想を主張していたという意味
でなら︑現在の国学熱には胡適の伝統再
評価とは違った側面があります︒なぜな
ら︑新中国におけるわれわれ知識人の西
洋理解は︑西洋に敵対的な毛沢東の文化
観のせいもあってきわめて閉鎖的で︑胡
適のヨーロッパ理解とは比べ物にならな
いくらい貧しかったわけです︒若い知識
人についても事情は同じです︒われわれ
文化大革命の世代の文化的な成長過程と
いうのは︑こうです︒つまり︑西洋につ
いてはそれが資本主義だという理由でそ
の学習を制限され︑中国の伝統について
はそれが封建主義だということでその批
判を命ぜられたのです︒これがすなわち︑ 毛沢東思想に他なりません︒というわけ
で︑現在の中堅若手の研究者の作品には
創造性のあるものがきわめて少ない︒年
配の学者にはいくつかの例外があって︑
庸模などは出色の学者と言えましょう︒
緒形陳寅恪がドイツの歴史主義の思想
を用いて晴唐の歴史に対して新しい観点
を提出したことについて︑現代の知識人
の間には大変な共感があるように見受け
られますが︒
雷われわれの陳寅恪に対する敬愛の念
には二つのものがあります︒一つは学問
上のもの︒しかし︑もう一つは政治的な
ものであり︑かれが毛沢東時代において
も一貫して学問上の自立の精神を失わな
かったことです︒五〇年代以来︑知識人
の思想改造という毛沢東の命令を受け入
れた知識人が大部分である中︑陳寅恪の
ように最後までそれを拒否した人は殆ど
稀でした︒
緒形最近読んで特に印象深い書物に二
つあり︑それは﹃陳寅恪の最後の二〇年﹄
と事鴻銘の﹃中国人の精神﹄です︒特に
後者は六万冊の大ベストセラーになった