寺山修司の演劇とロック・ミュージック
﹁日本のロック﹂研究序説
はじめに 赤塚若樹
本論ではこれから寺山修司(一九三五‑一九八三)の演劇とロック・ミュ
ージックがどのような関係にあったのかを︑あるいはさらに︑寺山の演劇音
楽が日本のロックの文脈ではどのように位置づけられるのかをみていくが︑
それが仮に素描に留まるとしてもひとまず良しとしたい︒というのも︑これ
までそのような試み自体ほとんどなされておらず︑ここではあくまでもひと
つのきっかけづくりができれぼ十分だと考えているからである︒もちろんこ
れは言い訳にすぎないが︑この種の領域の問題については(﹁日本のロック
だって91﹂)︑そういう構えで論じてみてもそれほど悪くはないように思えて
もいる︒ともかく始めることにしよう︒
﹁戦後︑日本人がどのようにして独自の音楽を模索してきたか﹂をテーマ
として︑イギリスの音楽家・著述家のジュリアン・コープ(一九五七‑)が 書いた﹃ジヤ
ップロック
サンプラi﹄
は︑いまのと
ころ日本のロ
ックの黎明期
を真正面から
扱った︑数少
ない11日本
語の文献を含
めても数少な
ジ ュリア ン コー プ
戦後、日本人がどのようにして独 自の醤楽 を横 案して轡たか
L嘲」ゆ
◎論ε
薩
図1
いll書物のひとつであり︑英語で書かれたものとしては他に類書はない
(図1)(‑)︒邦訳書の帯は以下のように謳っている︒﹁伝説のミュージシャ
ン"ジユリアン・コープによる﹁日本ロック研究序説﹂!/日本ロック創成
期の空白を埋める奇書︑遂に邦訳!﹂(2)︒この種の文句に特有の言い回しで
はあるが︑いっていることはおそらく事実といってよく︑そういう意味では
たいへんに貴重な︑意義深い文献であることはまちがいない︒
まさにその時代を生きた日本の音楽家︑近田春夫(一九五一‑)が︑本書
の﹁日本語版スペシャル企画﹂のひとつである︑アメリカのロック・ギタリ
スト︑マーティ・フリードマン(一九六二‑)との対談のなかでそのことに
ふれてこう語っている︒﹁今回︑この本で初めて知られたというか︑スポッ
(‑)∩︒℃ρ書︑籠ぎ§ミ塁冒頭の言葉は︑英語の原書の表紙に著者名のカタカ
ナ表記とともに日本語ではっきりと書かれている︒気分としては︑そこに併記
されたサブタイトルを訳したもの(﹁戦後︑日本人がどのようにしてロックンロ
ールに夢中になってきたか﹂のようにみえなくもないが︑実際は微妙に違って
いる︒とはいえ︑テーマということでいえば︑どちらもそう呼んで一向に差し 支えないだろう︒要するに︑日本のロックを﹁独自の音楽﹂ととらえて︑それ
を跡付け︑論じているということである︒(2)コープ﹃ジャップロックサンプラー﹄の帯︒以下︑本書からの引用は邦
訳書にもとづき︑該当ページを本文中に()を用いて示すこととする︒
トライトが当たった部分がかなり多いんじゃないかな︒特に︑GS(グルー
プサウンズ)末期から70年初期のニュi・ロックに移行する部分ね﹂(三六
三‑三六四)︒﹁確かに︑これは日本のロック史でも唯一空白期だった部分だ
ね﹂(三六四)︒ずっと日本で音楽に携わっていた近田のような者が読んでも︑
この時代のロックのことはたいへんわかりにくいという︒それほどメジャー
な分野のことではなく︑しかも本書で論じられているのは︑ある年代の﹁極
端に言うとマニアにしか通じないものがほとんど﹂だからだ︒﹁俺だって︑
今回︑この本を読んで︑初めて分かったことが多いもの﹂と近田は述べてい
る(三六三)︒
しかしながら︑その﹁空白﹂はたんに時期の問題だけではない︒そこにあ
った重要な潮流にかんすることでもある︒図式的にすぎるかもしれないが︑
近田にしたがって︑話を分かりやすく進めるなら︑日本のロックには﹁ふた
つの流れ﹂があった︒ひとつは﹁はっぴいえんど系﹂に代表される﹁日本語
のロック﹂という大きな流れで︑それについては何冊か本も出ている︒とこ
ろがもうひとつの流れ︑ブリティッシュ・ロック系の流れについてはそれほ
どしっかりと論じられてきたわけではない︒﹁この本は期せずして︑内田裕
也さんとフラワー・トラヴエリン・バンドに代表される︑当時のブリティッ
シュ系ロックの復権になっているとも言えるね﹂(三六五)という近田は︑
次のようにも述べている︒﹁ブリティッシュ系の流れについては︑俺は常々
評価が低かったと思っていたけど︑この本でやっとバランスが取れた感じだ
ね︒別に︑どちらが上とか下とか︑良いとか悪いとか言うことではなく︑ふ
たつの流れがあるということでね﹂(三六五)︒
確かに本書は日本のロックの黎明期にあったブリティッシュ・ロック系の 流れをひとつの柱として取り上げており︑それを特色のひとつとしている︒
そして︑そのことが直接﹁日本ロック創成期の空白を埋める﹂ことにつなが
っていることもまた疑いを容れない(3)︒帯にあるように︑この本を﹁奇書﹂
と呼べるのであれば︑当然ながらその理由もそのことと無関係ではない︒し
かしながら︑本当の意味で﹁奇書﹂としての面持ちを与えているのは︑むし
ろそこで提示されている著者の音楽観︑ロック観ともいうべきもののほうだ︒
独特な﹁日本のロック﹂観
近田も対談のなかで著者のロック観について次のように語っている︒
近田︹⁝⁝︺ただ︑これで思ったのは︑﹁ロックとは何なのか﹂って
いうことがさ︑それぞれあるっていうことが分かって面白かったね︒
例えば︑マーティにとってロックとは何かっていうのあるじゃない︒
俺にとってロックとは何かっていうのも︒この人にとってロックとは
何かっていうのは︑なんとなく俺なんかの考えるのとはまた違うもの
なので︑そこは面白かった︒(三六三)
何がどう違うのかくわしく語ってはいないが︑問題となっているロックが生
まれてきた時代︑状況︑現場をまさに当事者として生きてきた音楽家がこの
ように述べているのはじつに興味深い︒芸術にかかわるものについては何に
せよ︑そのひとの好みやこだわり︑あるいは価値観が投影されがちだが︑ロ
ックと呼ばれる音楽はどうもその傾向が強いようだ(﹁あんなのロックじや
(3)もちろんこれまでその流れがまったく扱われてこなかったわけではない︒
たとえぼ二巻本の﹃日本ロック大系﹄︑とりわけその上巻では︑近田のいう﹁ブ リティッシュ系ロック﹂の流れとそこに属するさまざまなバンドやミュージシ
ヤンが取り上げられている︒
ない!﹂)︒そういう意味では各人各様の﹁ロックとは何か﹂があるのだろう
が︑そういうのとは(無関係ではないにせよ)いささか異なる︑いわば音楽
の様式あるいはジャンルとしてのロックという観点からしても︑﹃ジヤップ
ロックサンプラi﹄で論じられている﹁ロック﹂には︑通常そう呼ばれて
いる音楽からするとかなり異質なものが含まれており︑しかも︑それが大き
な柱として登場してくる︒
この本の本編は二部構成になっており︑第一部にあたるbUOO内OZ団では
いわば﹁ロック﹂の前史(ざっと戦後から一九六八年まで)が︑第二部にあ
たるゆOO内目竃Oでは︑﹁日本が音楽的にもっとも熾烈かつ肥沃だった時期︑
すなわち1969年から1975年にかけての時期﹂(一二二)がそれぞれ
扱われている︒ロック全般に対してなのか︑﹁日本のロック﹂に限定されて
のことなのかは定かではないが︑いずれにしても︑ジュリアン・コープのロ
ックの捉え方がいささか特異なものであることは︑このような内容の本書の
目次(四‑五)をみるだけでもうかがい知ることができる(4)︒
bd O O ︼︿ ○ 話
ーマッカーサーの子供たち
2日本のエクスペリメンタリズムの音楽(這ひ一‑ひり)
3エレキブーム
4グループサウンズの時代
bdOO囚同妻O 5678
1211109
カムトゥギャザidO
フラワートラベリンバンド
裸のラリーズ
スピード︑グルー&シンキ
タージマハール旅行団[&小杉武久]
J・A・シーザi[&日本のラディカルな演劇音楽]
佐藤允彦と限りない可能性を模索した時代
ファーイーストファミリーバンド
当然ながらここに並ぶ項目を軸に本書は語られていくわけだが︑内容からし
てもっとも重要な部分といえるU﹂OO困目毛Oの項目には︑作品のなかにどれ
ほどその要素が含まれていたとしても︑ふつうロックの文脈ではほとんど語
られることのない固有名詞が登場してくる︒バンドやグループの名前のなか
にもこの種の本で章を立てられるかどうか意見が分かれるようなものもあ
るが︑著者のロック観の独特さを端的に示すのは︑それよりもむしろ︑フル
クサスにも参加した︑現代音楽・実験音楽の作曲家・演奏家の小杉武久︑寺
山修司主宰の演劇実験室﹁天井桟敷﹂で音楽・演出を担当した〜・A・シー
ザi︑そして当時は前衛ジャズを代表するピアニスト・作曲家のひとりだっ
た佐藤允彦という三人の名前だ︒ふつう﹁日本のロック﹂を語るときの軸と
はみなされないだろう︒たとえぼ︑一九五七年から一九七九年までの日本の
ロックの歴史を丹念に(網羅的に︑といってよいかもしれない)たどった二
巻本の﹃日本ロック大系﹄では︑独立した項目として出てこないのはいうに
(4)邦訳書では章のタイトルの一部に訳されていない部分がある︒原書(O︒づρ
魯ミ︒ぎ亀§馬・)を参照のうえ︑その部分を[]を使って補っている︒(このよ
うにとりあえず書いたが︑実際は︑先ほど本書のテーマとして引用した日本語
の言葉が原書の表紙に記載されているのと同じように︑原書では各章のタイト ルにも日本語の訳が添えられており︑邦訳書はそれをそのまま踏襲している︒
それゆえに︑厳密にいえば英語でしか書かれていない部分を訳出して︑添えた
というほうが正しい︒)