1 はじめに
イギリスでは、包括的なプライバシーは法的な権利として保護されては こなかった。事実、判例法上、プライバシーはそれ自体として保護される べき法益とはならず、プライバシーの侵害が不法行為上の他の責任項目に 該当する場合に、はじめて間接的に救済が与えられるに過ぎなかった1。 また、制定法上、一定の行為を犯罪とすることで、プライバシーが間接的 に保護されることはある2。しかし、これらはいずれも断片的にプライバ シーを保護するものであり、一般的にプライバシーが保護されることはな かった。判例法主義の下で、裁判所によるプライバシーの権利としての承 認は必ずしも不可能ではないが、厳格な先例拘束性の原則の存在などによ り、裁判所によるプライバシー権の承認は実現しなかった3。しかし、こ
イギリスにおけるプライバシー保護の論理
平
誠 一
1 飯塚和之=堀部政男「イギリスにおける行政とプライバシー」ジュリスト
589号(1975年)81頁、飯塚和之「イギリスのプライバシー保護立法と運用の
実態」ジュリスト745号(1981年)269頁参照。例を挙げるならば、判例法上 は、トレスパス(trespass)、信頼違反(breach of confidence)、ニューサン ス(nuisance)、名誉棄損(defamation)、契約違反(breach of contract)、 信託違反(breach of trust)などの分野において部分的に保護が与えられてい る(ジョン・ミドルトン「イギリスの1998年人権法とプライバシーの保護」一 橋法学4巻2号(2005年)376頁参照)。2 例えば、Sexual Offences Act 2003、Regulation of Investigatory Powers
Act 2000、Data Protection Act 1998、Protection from Harassment Act 1997、Interception of Communications Act 1985、Wireless Telegraphy Act 1949などにより、部分的にプライバシーの侵害が禁じられている(ミドルト
ン・前掲(1)376頁参照)。3 飯塚=堀部・前掲(1)81頁、堀部政男「イギリスの個人情報保護法―1984年 データ保護法の運用状況を中心として―」ジュリスト879号(1987年)
36頁参照。
99
のような中でも、イギリスの国内裁判所では、プライバシーに関連した裁 判において、他の事件に比べてその権利に関するコモン・ローを拡張する 傾向が目立つようになっていった4。すなわち、救済に値する原告に対し ては、従来の不法行為の範囲を拡張したりしながら、限られた「プライバ シー権」のような権利を認めていた5。
こ の よ う な 状 況 の 中 で、1998年 人 権 法(Human Rights Act 1998)
の 制 定 に よ り、 プ ラ イ バ シ ー の 保 護 に つ い て 大 き な 変 化 が も た ら さ れ た。 こ の 法 律 は、 ヨ ー ロ ッ パ 人 権 条 約(European Convention on
Human Rights
)をイギリス国内に編入するものである。同法は、1998
年11月9日に公布、2000年11月9日に施行され、ヨーロッパ人権条約第2条
から第12
条、第14
条、同条約第1議定書第1条から第3条、第6議定書第 1条および第2条を国内法化するものである。したがって、1998年人権法 の本文中には具体的な権利規定は存在しない。ヨーロッパ人権条約上の権利のうち、イギリス国内で具体的に保障され るものは、生命に対する権利(条約第2条)、拷問の禁止(同第3条)、奴 隷および強制労働の禁止(同第4条)、身体の自由および安全に対する自 由(同第5条)、公正な裁判を受ける権利(同第6条)、刑法の不遡及(同 第7条)、私生活および家族生活の尊重(同第8条)、思想・良心および宗 教の自由(同第9条)、表現の自由(同第
10
条)、集会および結社の自由(同第11条)、婚姻の権利(同第12条)、差別禁止原則(同第14条)、財産権
(ヨーロッパ人権条約第1議定書第1条)、教育に対する権利(同第2条)、 自由選挙の保障(同第3条)、死刑廃止(ヨーロッパ人権条約第6議定書 第1条)、戦時における死刑(同第2条)である。この中でも、本稿で重 要になってくるものは第8条6および第10条7である。
4 David
Feldman,
“Privacy-related Rights and their Social Value”in Peter Birks
(ed.), Privacy and Loyalty
(Oxford: Clarendon Press, 1997), p.20.
5 ジョン・ミドルトン「イギリスにおけるプライバシーの法的・倫理的保護論 の展開」一橋大学研究年報『法学研究』35号(2001年)145頁。
6 第8条は、「私生活および家族生活が尊重される権利」について、次のよう に規定している。
特に、ヨーロッパ人権条約第8条第1項は「私生活および家族生活を尊 重される権利」として、「すべての者は、その私的な家庭生活、住居および 通信を尊重してもらう権利を持つ」と定め、これは、プライバシー権を保 障したものと解釈されている8。そして、これがイギリスのプライバシー 権であり、保護対象は、私的な家庭生活、住居、および通信であるといわ れている9。これにより、イギリス法の分野においてもプライバシーの研 究については急激な関心が寄せられ、プライバシーを積極的に保護する動 きが出てきた。また、1998年人権法の制定は、ヨーロッパ人権条約第8条 の下でのプライバシーの利益を保護するため、イギリスの裁判所にコモ ン・ローを適応させるよう促した10。
イギリスは、ヨーロッパ人権条約へ
1950
年11
月4日に原署名国として「1 すべての者は、その私生活、家族生活、住居および通信の尊重を受ける 権利を有する。
2 この権利の行使に対しては、法律に基づき、かつ、国の安全、公共の安 全もしくは国の経済的福利のため、無秩序もしくは犯罪防止のため、健康も しくは道徳の保護のため、または他の者の権利および自由の保護のため民主 的社会において必要なもの以外のいかなる公の機関による干渉もあってはな らない。」(奥脇直也編『国際条約集2008年版』(有斐閣、2008年)の和訳に よる。以下、同じ。)
7 第10条は、「表現の自由」について、次のように規定している。
「1 すべての者は、表現の自由に対する権利を有する。この権利には、公の 機関による干渉を受けることなく、かつ、国境とのかかわりなく、意見を持 つ自由ならびに情報および考えを受けかつ伝える自由を含む。本条は、国が 往相、テレビまたは映画の諸企業の認可異性を要求することを妨げるもので はない。
2 1の自由の行使については、義務および責任を伴い、法律で定める手 続、条件、制限または刑罰であって、国の安全、領土保全もしくは公共の安 全のため、無秩序もしくは犯罪の防止のため、健康もしくは道徳の保護のた め、他の者の信用もしくは権利の保護のため、秘密に受けた情報の暴露を防 止するため、または司法機関の権威および公平性を維持するため民主的社会 において必要なものを課することができる。」
8 石井夏生利『個人情報保護法の理念と現代的課題-プライバシー権の歴史と 国際的視点-』(勁草書房、2008年)89頁。また、同氏はこれを「伝統的プラ イバシー権の一内容を明文化したもの」としている(265頁)。
9 石井・前掲(8)549頁。
10 Thomas D.C., Emerging privacy torts in Canada and New Zealand: an
English perspective
(2014)E.I.P.R. 298.
97
署名し、
1951
年3月8日に最初の批准国となった(条約発効は1953
年9 月23日)。これを受け、1998年人権法制定以前にも、イギリスの国内裁 判所は、ヨーロッパ人権条約を参照しながら判決を下していたのではあ るが、それは人権保護にほど遠いものであった11。実際に、イギリスの 判例法上、Kaye
対Robertson
事件12においてプライバシー侵害に関す る 不 法 行 為 は 否 定 さ れ、 そ の 後 のWainwright
対Home Office
事 件13 でも、包括的なプライバシー侵害という不法行為はイギリスに存在し ないと判示された。そして、プライバシー侵害という一般的不法行為(
general tort of invasion of privacy
)は、立法によって実現されるべき という立場を明らかにした。しかし、今日に至るまで、そのような立法は なされていない。ただ、一切のプライバシーが保護されないかというと、そうではなく、先にも述べたように、プライバシーは判例法および制定法 によって一定の範囲で保護が与えられている。
イギリスにおけるプライバシー関連の事件において、最も重要な訴訟原 因(
cause of action
)は「信頼違反」(breach of confidence
)であるが14、 長年の議論と判例の積み重ねにより、その具体的内容には変更が加えられ ている。そもそも、この「信頼違反」は、営業の秘密、すなわち商業的利 益の保護に向けられていたものである。それが、時代を経てプライバシー の保護に重要な役割を果たすこととなった。そこで、本稿では、イギリス におけるプライバシーに関する議論および判例を通して、「信頼違反」に いかなる役割が与えられ、どのように変化していったか、その変遷をたど り、いかなる論理のもとでプライバシーに保護が与えられているのかを見 ていくこととする。11
江島晶子『人権保護の新局面―ヨーロッパ人権条約とイギリス憲法の共 生―』(日本評論社、2002年)49頁。12 Kaye v. Robertson and Sports News Papers Ltd [1991] F. S. R. 62.
13 Wainwright v. Home Office [2003] UKHL 53.
14
石井・前掲(8)67頁。2 プライバシーに関する議論
① プライバシー権の保護に向けた立法提案
プライバシーの概念をどのように把握するかについては、今日までに至 る、そして今後に向けての論争問題の一つである。
1960
年代、イギリスにお いてプライバシーの一般的権利を定立する動きが生じ、種々の法案が提出 されるに至った。そこで、これら法案のプライバシー権の定義を見てみる15。1961年に貴族院に提出されたマンクロフト卿(Lord Mancroft)による
プライバシー法案は、その立法目的を、「公衆が、合理的に関心をもちう る全ての事柄について情報を与えられる権利を保障しつつ、人間の尊厳の 維持にとって望ましいと思われるプライバシーの侵害から守るために一層 の保護をあらゆる個人に与えること」とする。そして、この目的を達成す るために、本人の承諾なく、新聞、映画、テレビ、音声による放送手段に よって、彼の個人的な事柄や行為に関して公表した者に対して、このよう な行為が不快、困惑を引き起こすならば訴権を付与するとする16。1967年、アレキサンダー・ライオン議員(Mr. Alexander Lyon)は、
下院に広汎なプライバシー権法案を提出した17。同法案は、プライバシー の権利を「ある者を、その者自身、その者の家族、またはその者の財産を いかなる個人からも隔離していく権利」と定義したうえで、「不当かつ重 大な侵害を加えることから保護すること」を目的とし、権利侵害に対し て、損害賠償、差止命令による救済を認めている。
15
各 議 員 の 種 々 の 法 案 に つ い て は、Report of the Committee on Privacy(HMSO 1972)
Cmnd. 5012
(以下、ヤンガー報告書と呼ぶ。)273頁以下を参照。
16
ただし、原告への意図的でない言及、絶対的、または限定づけられた特権の 機会において公表された言葉、原告らが絡んでいる合理的な公的利益の主題に 関して公平にコメントする必要がある場合等においては免責されるとし、他の 利益との調和をはかろうとする。(ヤンガー報告書273頁参照)。17
ヤンガー報告書275頁参照。95
1969
年にブライアン・ウォールデン議員(Mr. Brian Walden
)は、包 括的なプライバシーの権利を定義したプライバシー法案を提案した18。 プライバシーの権利について、「その者自身、その者の居宅、その者の家 族、他の者とその者の関係や通信、その者の財産、そして、その者の事業 に関する事柄が、次のような侵害、すなわち、①こっそり調べること、様 子をうかがうこと、見張ること、絶えず付きまとうこと、②権限なく立ち 聞きしたり、会話を記録すること、③映像イメージを権限なく作成するこ と、④権限なく文書を読んだり、複写すること、⑤その者に不快、迷惑、困惑をもたらすこと、またはその者を誤認させることを意図して、秘密情 報または事実(名前、身元、肖像を含む)を本人の承認なく利用もしくは 開示し、⑥他の者の利益のために、ある者の名前、身元、または、肖像を 権限なく盗用すること、から保護されるあらゆる個人の権利」とした。提 案された救済は他の法案よりも広く、損害賠償、差止命令、得た利益の還 元、文書の引き渡し命令を含んでいる。
同年、国際法律家委員会(
The International Commission of Jurists
) のイギリス支部(British Section)であるジャスティス(Justice)のプ ライバシー委員会(Committee on Privacy
)は、プライバシー法案を検 討し、1970年に「プライバシーと法」(Privacy and Law)という報告書 を公表した19。同報告書は、プライバシーの概念を明らかにすることの困 難さを指摘するとともに、研究の便宜という観点から、プライバシーを、「所与の状況において、……通常人が侵害することが良くないと考えるで あろう人間の生活領域」という広い意味で用いるとする20。
1970
年に内務大臣の任命により成立したヤンガー委員会21は、私的部門18
ヤンガー報告書276頁参照。19 Justice, Privacy and Law
(1970). 20 Ibid., p.5.
21
正式な委員会名は、「プライバシーに関する委員会(Committee of Privacy)」 であり、委員長のケネス・ヤンガー(Right Honorable Kenneth Younger)の名前をとって「ヤンガー委員会」と呼ばれている。
におけるプライバシー問題の検討を諮問されていたのであるが、
1972
年7 月に「一般的なプライバシーの権利」の創設を否定する「ヤンガー報告書」を発表した22。同委員会は、「個々の市民、そして、商業上、工業上の利益 を、私人や諸組織、または、企業からのプライバシー侵害からさらに保護 するために、立法の必要があるかを考察し、勧告する」任務を与えられて いたが23、同報告書は、「プライバシーは、自由な社会および成熟し、安 定した個人の人格双方の展開と維持にとって本質的な、基本的な必要物で あるが、どれくらい、プライバシーが必要であるかを一般的に言明するの は可能ではない24。……プライバシーはどのように定義されたとしても、
自由な社会にとって本質的な諸価値を具現する。それは、社会全体の支持 を要求する。しかし、法は、民主国家の状態を決定する要素の一つに過ぎ ず、しばしば小さな要素である。教育、専門職の抱く基準、マスメディ ア、政治的民主主義の諸機関を通じての思想と議論の自由な相互作用は、
少なくとも法と同じくらいに、行動の基準を確立し、維持することができ る25。」とし、法に過度の信頼をおくことを戒め、プライバシーの法的保 護を推進する必要はないと結論を下した。そのような権利を認めれば、
「社会的、政治的な性格をもつ論争的な問題」を裁判所に課し、重い負担 となるとも述べている26。
こうして、伝統的プライバシー権の立法化、すなわち、一般的プライバ
22
同報告書は、プライバシーについての単一で、包括的な定義を試みるべきで はないという(ヤンガー報告書22頁)。また、ヤンガー委員会は、イギリスに おけるプライバシーの保護には信頼違反を理由とする救済が役立つとの結論を 下した(ヤンガー報告書57頁)。しかし、信頼違反を理由とする救済は、①情 報は秘密のものであり、②秘密の黙示的又は明示的義務が存在し、③秘密情報 を与えられた当事者が許可なく当該情報を利用することを示しうる場合に認め られるにすぎず、この救済は、不法行為が生じる前にアプリオリな秘密の関係 が存在しなければならないという点に限界があるとの批判がある(RaymondWacks, Privacy and Press Freedom
(London: Blackstone, 1995)p.50.58.)
。23
ヤンガー報告書1頁。24
ヤンガー報告書34頁。25
ヤンガー報告書206頁。26
ヤンガー報告書203頁。93
シー権を確立する試みはうまくいかなかったが、そのエネルギーは、現代 的プライバシー権(個人情報保護)確立の方向に向けられた27。1978年の
「リンドップ報告書」は、個人情報保護の観点から「プライバシーとは、
データ主体に関するいかなるデータが、いかなる人に知られるべきか、ま た、これらの人がこれらのデータを利用する条件について、データ主体が 自己のために決定する利益」と定義する28。
② 学説におけるプライバシー定義の試み
学説上もプライバシーの定義については、種々の議論がなされている。
後に裁判官になった哲学者ステファンは、「プライバシーの領域を明確に 定義することは不可能である。しかし、それは一般的な用語で記述されう る。より個人的な(
intimate
)、そして、デリケートな生活関係ほど、そ のような性質をもち、それらを情け容赦のない観察に服させたり、誤っ た方法で同情的な観察に服させることは、大きな苦痛を与え、継続的に 道徳的な侵害を与えるかもしれない……その言葉の一般的な使用法は、この主題についてほとんど完全な、実際的な基準を提供する。品が悪い
(indecent)と記述されうる行為は、常に、何らかの形で、プライバシー の侵害である」と述べている29。
パーシー・H・ウィンフィールド(Percy H. Winfield)教授は、プラ イバシー権の肯定に消極的な裁判所の態度を問題とし、「プライバシー 侵害とは、その人自身又はその人の財産を、一般から隔離することに対 する権限なき干渉」と定義する。そして、プライバシーを財産権上のプ ライバシー(privacy of property)と人格権的プライバシー(personal
27
榎原猛編『プライバシーの総合的研究』(法律文化社、1991年)29頁。28
リンドップ報告書(Report of the Committee on Data Protection (HMSO1978) Cmnd. 7341)204頁。
29 H. J. McCliskey, The Political Ideal of Privacy, 21 Phil. Q. 303, 304
(1971)による。
privacy
)とに分け、後者を独立の不法行為の類型として扱うべきだと主 張する。それは、①口頭誹毀(slander)や文書誹毀(libel)の法におい て理解されているものと異なり、個人の評判に必ずしも影響を与えないこ と、②(たとえば、私人の家の窓を眺めることのように)何らかの種類の「言明」である必要はないことの点で名誉毀損と区別されるという30。 ア メ リ カ の 不 法 行 為 法 の 権 威 で あ る ウ ィ リ ア ム・L・ プ ロ ッ サ ー
(
William L. Prosser
)教授は、プライバシー侵害に関する判例とされて い る も の を 分 析 し、 そ れ ら を、 ① 盗 用(appropriation)、 ② 私 事 の 公 開(
public disclosure of private facts
)、 ③ 公 衆 の 誤 認(false light in the public eye)
、④侵入(intrusion)のカテゴリーに分類した31。こ れに対して、イギリスのレイモンド・ワックス(Raymond Wacks
)教授 は、公衆の誤認というカテゴリーは、プライバシーというよりも名誉毀損 として扱うべきだとし、また、盗用は財産権の問題だとしてプライバシー のカテゴリーから除くべきだという32。そして、「個人情報」と信頼関係 違反('personal information' and breach of confidence
)、「個人情報」と 侵入('personal information' and intrusion)というカテゴリーをつくっ ている33。また、ワックス教授は、プライバシーという概念よりも、個人 情報という概念―これは、「個人に関係する事実、通信、または意見から なっており、個人的であったり、機微であるので、その個人が、内々にす ることを希望するか、又は少なくとも、それらの収集、使用、または、伝 達の制限を望むもの」―が妥当だとし、その概念の下に、秘匿関係、私事 の公表、特にコンピュータによる個人データの集積、単純な、もしくは電 子機器を使った調査について検討している34。30 P. H. Winfield, Privacy, 47 L. Q. Rev. 23, 24
(1931). 31 W. L. Prosser, Privacy, 48 Calif. L. Rev. 383, 389
(1960).
32 Raymond Wacks, The Protection of Privacy
(Sweet & Maxwell, London,1980) , p.21.
33 Raymond Wacks, Personal Information, Privacy and the law
(Oxford:Clarendon Press, 1989) .
34 Ibid., p.26.
91
そのほかにも多くの研究者がプライバシーの定義づけを試みているが、
その曖昧さゆえに、現段階では明確になるに至っていない35。
3 プライバシー権の法的保護の状況
このように、プライバシーの概念は非常に曖昧かつ多様性を有する も の で あ る。 そ の 中 で も、「 私 的 事 柄(
private affairs
)」、「 私 的 情 報(private information)」、「 個 人 情 報(personal information)」、「 肖 像
(
portrait
)」、「 秘 密 情 報(confidential information
)」 な ど が プ ラ イ バ シーに該当するとされている。また、①名誉毀損(defamation)、②不 法接触(trespass to the person
)、③不法侵害(trespass
)、④迷惑行為(nuisance)、⑤手記等の違法な入手などが救済すべきプライバシーの侵 害に当たるとされる36。
しかしながら、これまでの多くの判例は、このような行為がプライバ シーの侵害であると正面から認めることはなく、ただ不法行為上の責任項 目に該当するにすぎないとの立場をとっていた。裁判所は新しい権利の創 設には消極的であり、既存の法理(制定法解釈、コモン・ローの発展、行 政裁量、司法裁量)によって対処しようとしていた37。しかし、これまで 一般的なプライバシー権に関する議論がなかったわけではなく、その必要 性は古くから主張されてきており、プライバシーを権利として認めようと
35
プライバシーを情報プライバシーに限定するものや、物理的もしくは身体的侵 入、あるいは人格権に基づくものとする立場など、種々の主張がなされている。36 Les P. Carnegie, Privacy and the Press: The Impact of Incorporating the European Convention on Human Rights in the United Kingdom
(http://scholarship.law.duke.edu/djcil/vol9/iss1/19/) .
そ の 他、 コ ン ス ピ ラ シ ー(conspiracy)、著作権侵害(breach of copyright)、詐称(passing-off)、契 約違反(breach of contract)、信頼違反(breach of confidence)などがプラ イバシー侵害の責任項目に該当すると考えられている(飯塚=堀部・前掲(1)
81頁、堀部・前掲(3)36頁参照)
。37
江島・前掲(15)第3章参照。また、江島晶子「イギリスにおける人権保障 の新展開―ヨーロッパ人権条約と1998年人権法―」ジュリスト1244号(2003 年)177頁参照。する主張は、学説上、多数を占めているように思われる38。
先に述べたとおり、1960年代後半から1970年代前半にかけては、プライ バシー権の確立のためのいくつかの立法案が議員提出法案の形で提出され たが、それらはいずれも不成立に終わっている。その理由として、一般的 なプライバシーの権利を認めることは、あまりにも多くの裁量を裁判所に 与えるおそれがあり、プライバシーの保護については信頼違反に関する救 済策を用意すれば十分であることなどが挙げられる39。また、イギリス法 が判例上プライバシー権を承認していない理由としては、アメリカ法との 比較で、①厳格な先例拘束性の原則が存在すること、②基本的人権を宣明 する成文憲法が存在しないこと、③学説の裁判所への影響力が相対的に弱 いことなどが考えられるといわれている40。
ところが、1980年代に入ると、経済協力開発機構(OECD)では「プ ライバシー保護と個人データの国際流通についてのガイドラインに関す る理事会勧告(Recommendation of the Council concerning Guidelines
Governing the Protection of Privacy and Transborder Flows of Personal Data)
」 が1980年 9 月23日 に 採 択 さ れ、 ヨ ー ロ ッ パ 評 議 会(
Council of Europe
)では「個人データの自動処理に係る個人の保護に関する条約(Convention for the Protection of Individuals with regard
to Automatic Processing of Personal Data
)」が1980
年9月17
日に採択 されるにあたって、当時のイギリス政府もプライバシー保護法を制定す る方針を決めた41。その結果、成立したものが1984
年データ保護法(Data Protection Act 1984)
42 であり、個人情報の無断公開を禁じている。この データ保護法は、プライバシー保護の一翼を担うものの、これまで求め38
飯塚=堀部・前掲(1)81頁。39 Carnegie, supra note
(36). 40
堀部・前掲(3)36頁。41
同上。42
そ の 後、1984年 デ ー タ 保 護 法 は、1998年 に 全 面 改 正 さ れ て い る(DataProtection Act 1998)
。89
られてきた包括的なプライバシー権を保護するものではなかった。
1984
年データ保護法の根底にあるものは、情報プライバシー(informationprivacy
)又はデータ・プライバシー(data privacy
)、すなわち自己に関 するデータの流れ(the circulation of date about himself)をコントロー ルする権利の保護であり、自己情報の管理に主眼が置かれていた。他にも、多くの立法上の手段により、望まれない監視、聞き取り、そし て音声や映像による記録(
unwanted watching, listening and audio and visual recording)に対して、一定の保護が与えられている
43。たとえ ば、2003
年性犯罪法(Sexual Offences Act 2003
)は、ある者が性的満足(sexual gratification)を得るために、他者の私的行為(a private act)
を、その者の同意が得られないことを知りながら観察(
observation
)し たり、録画することを拘禁しうる罪(imprisonable offence)とする44。 さらに、1997
年ハラスメント保護法(Protection from Harassment Act 1997)は、嫌がらせの「一連の行為」
(a course of conduct)の一部を構 成するストーキングおよびつきまとい、ひそかに見張ること、望まれな い写真撮影やビデオ録画(stalking and shadowing, spying, unwantedphotography and video recording
)に対する民事的および刑事的責任(civil and criminal liability) を 創 設 し た45。2000年 調 査 権 限 規 制 法
(
Regulation of Investigatory Powers Act 2000
)は、ある者が通信の伝 送の過程で、故意に、かつ合法的な許可を得ないで通信を傍受すること(
a person intentionally and without lawful authority to intercept any communication in the course of its transmission)を禁止する
46。そし て、1998
年データ保護法(Data Protection Act 1998
)は、とりわけ、デ ジタル機器による観察または記録に対して保護を与える47。43 N.A. Moreham, Beyond information: physical privacy in English law
(2014)
C.L.J. 350, 365.
44 Sexual Offences Act 2003, s. 67.
45 Moreham, supra note
(43),p.365.
46 Regulation of Investigatory Powers Act 2000, ss. 1
(1)and
(2)and 2
(7).
47 Moreham, supra note
(43), p.365.
しかしながら、あらゆる状況における望まれない監視、聞き取り、ま たは記録に対して包括的に保護する立法上の手段は存在しない48。たとえ ば、
1997
年ハラスメント保護法は、少なくとも連続して2つの出来事での 嫌がらせのふるまいがなければならないという意味で「一連の行為」の 存在が必要である49。つまり、他者への嫌がらせに至る「一連の行為」を 続けることは犯罪(criminal offence)であり、法定不法行為(statutorytort
)であるとする。いわゆる「ストーカー」に関する特別な問題を取り 扱うために制定された本法は、プライバシーに関する非合法的な侵害類型 を創造する可能性を持つと言われていた50。しかし、プライバシー侵害に 対して同法を適用する際の問題点として、この「一連の行為」があげられ る。たとえば、1回のみの写真等の公表(publication
)は、「一連の行為」に至り得ないように思われる。他方で、写真の撮影・現像・プリント・配 布および販売(
the taking, developing, printing, distribution and sale of the photograph)は、
「一連の行為」に分類される可能性はある51。と ころが、裁判所は、これらの行為の一つ一つが相当の期間を空けて行われ た場合、別々の機会に行われたものとして、必ずしも「一連の行為」に はあたらないとしている52。また、2003
年性犯罪法によるのぞき行為の罪(voyeurism offence)は、性的動機(sexual motivation)の証明が必要 となり、それが可能であれば適用される53。したがって、悪意(
spite
)、 好奇心(curiosity)、芸術的関心(artistic interest)などが動機となれ ば、のぞき行為の罪を避けることができた54。そして、一見したところ1998年データ保護法の規定が広範囲に及ぶように思われるが、非デジタル
48 Ibid.
49 Protection From Harassment Act 1997, ss. 1 and 7(3) .
50 Jonathan Morgan
‟Privacy, Confidence and Horizontal Effect: ‟Hello”Trouble” ,
(2003)62 C.L.J.444, 462.
51 Ibid.,p.463.
52 Lau v. D.P.P. [2000] Crim. L.R. 580, R. v. Hills [2001] Crim. L.R. 318.
53 Moreham, supra note
(43), p.365.
54 Ibid.
87
的な記録や監視装置(
non-digital recording or surveillance devices
)の 使用にも、ジャーナリズム、芸術または文学に関する「特別な目的」のた めに資料(material
)を集めている人々55にも、また、「個人、家族、ま たは家庭の出来事(レクリエーションの目的を含む)」の目的のために処 理されているデータ56にも、同法は適用されない57。そして、ある人が遠 隔通信網(telecommunications network)の外側に、たとえば、家また は車の中に、あるいは電話機の外側に盗聴器を設置するならば、2000
年調 査権限規制法の下で適用される罪はない58。したがって、望まれない監視、聞き取り、記録などに対する現在の法 的保護は不十分であり、被害者は信頼違反の訴訟(breach of confidence
action
)の幅広い解釈に頼っているのが現状である59。これらのことから、プライバシーの権利も、ヨーロッパ人権条約第8条に対応するもの
(私生活を尊重する権利)もイギリス法で包括的に保護されていないこと は明白である60。プライバシーに関するイギリス法は、いまだ発達不十 分、複雑かつ断片的であって61、その権利の保護は不十分であるとみられ ている62。
55 Data Protection Act 1998, s. 31(1) and
(2). 56 Data Protection Act 1998, s. 36.
57 Moreham, supra note
(43), pp.365-366.
58 Ibid., p.366.
59 Ibid., pp.366-367.
60 Ibid., p.367.
61 Basil S. Markesinis and Simon F. Deakin, Tort Law
(4th ed.)(Oxford:Clarendon Press, 1999) , pp.647-648 and 650.
62 Alan Williams,
‟England and Wales”in Christian Campbell
(ed.), International Media Liability: Civil Liability in the Information Age
(Chicester and New York: John Wily & Sons, 1997)
para. 3. 44.
4 プライバシー侵害における訴訟原因
① 「プライバシー侵害」という不法行為の不存在
イギリスの裁判において、裁判官は、新たに「プライバシー侵害」(ま たはそのような類似した名前)に幅広く、一般的に適用できる不法行為を 明確に述べることをかたくなに拒否してきた63。また、プライバシーを包 括的に保護するためには立法によるほかないとの立場を維持してきた。今 日においてもよく引用される2つの事件における裁判所の立場を見てみ る。
まず、Kaye対
Robertson
事件(1991年3月16日判決)64 である。本件 において、控訴院(Court of Appeal
)はプライバシー侵害に関する不法 行為(tort of infringement of privacy)の存在を否定した。この事件を審理した3人の裁判官は、次のようなことを述べ、それぞれ 判例法上はプライバシーの権利が存在していないことを確認し、もしもそ のような権利が望ましいと考えられるのであれば、議会が制定法によって それを確立する必要があると強調した。
グライドウェル裁判官(
Lord Justice Glidwell
)は、「イギリス法には プライバシーの権利がなく、またそれゆえに個人のプライバシー侵害を理 由とした訴権がないことはよく知られている。本件の事実は、制定法上の 規定によって個人のプライバシーを保護することができるか否か、および どのような状況においてそれが可能になるかについて、議会における検討 が望ましいという明らかな例である。」と述べる65。ビンガム裁判官(
Lord Justice Bingham
)は、本件の事実が「個々の63 Thomas, supra note(10) , p.298.
64 Kaye v. Robertson and Sports News Papers Ltd [1991] F. S. R. 62.
65 Ibid., p.66.
85
市民の個人的なプライバシーを効果的に保護することについてのイギリス の判例法および制定法の失敗」を明らかにしているとし、「原告に向けた 被告の行為は、彼のプライバシーへのひどい侵害」であるとしつつも、イ ギリス法において彼に救済を与えることはできないとする66。
レガット裁判官(
Lord Justice Leggatt
)は、プライバシー権につい て、「イギリスにおいては、この権利はあまりにも長く無視されてきたの で、今となっては立法によってのみ認められることになる。」という67。 この事件は、イギリス法上、プライバシーについては裁判所がすでに確立 されている不法行為のうち、救済を与えうる他のものを探さなければなら ないことも示している68。次に、
Wainwright
対Home Office
事件(2003
年10
月16
日判決)69 であ る。本件は、貴族院(House of Lords)がプライバシー侵害という一般的 不法行為について、判例上は認めず、立法によって実現すべきという立場 を明らかにしたものである。「プライバシーの侵害に関するコモン・ロー 上の不法行為は存在しない。そのような不法行為の創造は、大まかなコモ ン・ローの原理よりもむしろ立法によってのみ成し遂げられることができ という詳細なアプローチを必要とする。基本的に、法それ自体の原則とし てプライバシーの権利の採用は、ヨーロッパ人権条約第8条に準拠する必 要はない。公的機関による同条違反に対しての現存する救済策におけるあ らゆる空白(gap)は、1998年人権法第6条70および第7条71によって埋め66 Ibid., p.70.
67 Ibid., p.71.
68 Sir Brain Neill, ‟Privacy: A Challenge for the Next Century” in Basil S.
Markesinis
(ed.), protecting Privacy
(Oxford: Clarendon Press, 1999), p.12.
69 Wainwright v. Home Office [2003] UKHL 53.
70
第6条第1項は、「公的機関が、条約上の権利と不適合である方法で行為す るのは違法である。」と規定し、これに裁判所も含まれる(同条第3項)。71
第7条第1項は、「公的機関が第6条1項によって違法とされるようなやり方で行為した(または行為しようとしている)ことを主張する者は、次の行為 が可能であるが、その者が当該違法行為の被害者である(または被害者である と思われる)場合に限られる。(a)適切な裁判所もしくは審判所において、当 該機関に対して訴訟手続を本法により開始すること。または、(b)その訴訟 手続において関連する条約上の人権規定に頼ること。」と規定している。
られている。」とした。
これらの判例は、今日におけるプライバシーに関連する訴訟において引 用されており、裁判所は、判例法上、一般的なプライバシー侵害という不 法行為は認められず、立法により解決を図るべきであるとする立場を堅持 し続けている。
② 「信頼違反」という不法行為の概念
プライバシー関連の事件における訴訟原因にはさまざまなものがある。
その中でも、「信頼違反」はイギリスにおけるプライバシー侵害訴訟にお いて、最も重要な訴訟原因であり、私的情報のみならず、営業秘密にも適 用されるものである72。そして、この信頼違反の訴訟は、イギリスにおけ るプライバシー権の発達の主な手段であった73。
以前から、裁判所によってプライバシーにおける利益が保護される際 に、信頼違反が演じた役割は非常に重要であり、また、公然と認められて いた。それにもかかわらず、プライバシー訴訟へのこの訴訟原因の適用 は、多くの学術的な批判にあっていた。最も多かったものとして、個人情 報の開示を制限するために信頼違反を利用することは、その本来の目的と は全く異なる目的のために訴訟原因を用いることが伴うというものであっ た74。この信頼違反の本来の目的は、プライバシーを保護する利益よりも むしろ商業的利益の保護に向けられていた75。つまり、伝統的に信頼違反 の訴訟は、商業的意味合いにおける情報の不法開示に対して焦点を当てて いたということである76。
72
石井・前掲(8)67頁。73 Moreham, supra note
(43), p.359.
74 Huw Beverley-Smith, The Commercial Appropriation of Personality
(Cambridge: Cambridge University Press, 2002)
, p.209.
75 Wacks, supra note
(32), p.16.
76 Moreham, supra note
(43), p.359.
83
この信頼違反が問題となる事件で、繰り返し参照されるのが
Coco
対Clark Engineers
事件(高等法院(High Court):1968年7月1日判決)77 である。本件において、メガリー裁判官(Megarry J.
)は信頼違反と いう不法行為は、①情報自体が、それについて秘密の性質を当然に有 し て い て、 ② 当 該 情 報 が 信 頼 義 務(obligation of confidence; duty of confidence)を課す状況において伝えられており、③当該情報の権限のな
い利用で、それを伝えた当事者が損害を被った場合に成立するとした78。 信頼違反の訴訟の核心部分は、情報の受領者が信頼義務の下にあるかどう かであり、一般的に、そのような義務は、契約の文言、または秘密を打 ち明ける人による言動から生じる79。伝統的な信頼義務の存在の鍵は「内 密」(confidential
)に情報を受領することであり、それは情報の伝達状況 を考慮し、通常人の判断を通して決められる80。要するに、信頼義務が生 じている状況で受領した情報をある者が利用または開示するならば、その 者は信頼違反に対して責任を負い、信頼義務の存在は伝達の状況を考慮し て決定されるということである81。しかし、情報が信頼義務を生じさせて いる状況で伝えられるという条件は、信頼違反をプライバシーの侵害に対 するより幅広い救済策へと発達させることにおける大きな障害をもたらす とされた82。実際に、多くの個人情報の開示に関する訴訟において、情報 を明らかにしている当事者は、秘密を打ち明ける人との関係を通してそれ を受け取るわけではなく、第三者として、または、不正な手段でむしろそ れを取得する83。そこにはすでに信頼関係はなく、したがって信頼義務は 存在しない。プライバシーの侵害は、当事者間に前もって信頼関係があろ77 Coco v. Clark Engineers Ltd [1969] PRC 41.
78 Ibid., at [47]-[48].
79 Amedeo F. Cappuccio, The private nature of information: a light keeping the courts from straying into the "privacy" penumbra,
(2014)I.P.Q. 159, 162.
80 Ibid.
81 Ibid., p.163.
82 Beverley-Smith, supra note
(74), p.208.
83 Cappuccio, supra note
(79), p.162.
うとなかろうと生じうるものであり、にもかかわらず、信頼違反の3要件 を厳格に守るとなれば、プライバシーの保護の範囲が非常に狭いものとな ってしまうからである。
その後の
Attorney General
対Guardian Newspapers
事件(貴族院:1988
年10
月13
日判決)84 において、ゴフ卿(Lord Goff of Chievery
)は、「信頼義務は、秘密情報をある人物(秘密を打ち明けられた人)が知るに 至った時点で、その人物が、次のことを理解し、又は同意していたと判断 できる状況において生じる。それは、当該情報が秘密であり、まさにその すべての状況において、当該情報を他人に提供することは妨げられるべき という結果をもたらすことである。」とし、Coco対
Clark Engineers
事件 における信頼違反という不法行為の成立要件の第2要件を緩和した。この 事件以降、信頼義務は情報の受領者において、当該情報を秘密とみなすべ きことを知っているか、または知るべきことが公正かつ適切である時に、課されるようになった85。すなわち、信頼義務はその義務を負っている者 が、その相手が自らのプライバシーが保護されるのを合理的に期待して いることを知っているか、または知っているべきである場合に生じる86。 したがって、当事者間の信頼関係があらかじめ存在していることを要しな い現行の信頼違反法では、「信頼違反」という表現は、すでに不適当とな っているといえる87。また、現代英語では、個人の私生活に関する情報が
「内密」というより「プライベート」と言われることから、「信頼違反」
や「信頼義務」という表現は適切ではないとの指摘がある88。そして、
この不法行為の本質は、むしろ「私的情報の濫用」(misuse of private
information
)と呼ばれるべきであるとされた89。84 Attorney General v. Guardian Newspapers Ltd
(No.2)[1990] 1 A.C. 109 HL.
85
石井・前掲(8)68頁。86 Campbell v. MGN Ltd [2004] UKHL 22, at [85].
87
ミドルトン・前掲(1)395頁。88
同上。89 Campbell v. MGN Ltd [2004] UKHL 22, at [13]-[14].
81
また、
Douglas
対Hello!
事件(控訴院:2000
年12
月21
日判決)90 におい て、セドリー裁判官(Lord Justice Sedely)は、「イギリス法は、個人の プライバシーの権利を保護し、一定の場合、信頼違反に基づいてプライバ シーの権利を保護するであろう。……法は、もはや侵害者と被害者の間の 形式的な秘密関係の契約を必要としない。法は、個人の尊厳の基本的価値 から引き出される法的原理としてプライバシーそれ自体を承認する91。」 として、プライバシーの侵害において、信頼関係の存在を前提とすること は必要ないとの立場をとっている。これらのことからわかるように、「信頼違反」という不法行為の成立要 件が緩和されるとともに、この不法行為の概念に変化が生じていることを 見て取ることができる。
③ 新たな訴訟原因「私的情報の濫用」
当初、プライバシーを保護するためには、本来の目的とは異なるもの の、信頼違反の訴訟の幅広い解釈に頼らざるを得なかった。しかし、2000 年代に入り、プライバシー保護を含むイギリスにおける人権保障につい て、ヨーロッパ人権条約を国内法に編入する1998年人権法の制定が大きく 影響している。同法制定以前であっても、イギリスは、同条約の原署名国 であって、最初の批准国であり、イギリスの国内裁判所は、ヨーロッパ人 権条約を参照もしくは意識しながら判決を下していたのではあるが、それ は人権保護にほど遠いものであったということは、すでに述べたとおりで ある。しかし、
1998
年人権法制定後の判決は、明らかにヨーロッパ人権条 約を適用したり、ヨーロッパ人権裁判所の先例を引用した内容に変化して いることが見て取れる。とくに、表現の自由とプライバシー保護が争われ た事件においては、その傾向が顕著に現れてくる。そして、このような流90 Douglas and others v. Hello! Ltd [2001] Q.B. 967.
91 Ibid., p.1001.
れを決定づけたのが、
A
対B
事件(控訴院:2002
年3月11
日判決)92 にお けるウールフ裁判官の言葉であったと考えられる。同裁判官は、「〔ヨー ロッパ人権条約の第8条および第10
条〕は、裁判所が、信頼違反の訴訟に おいて、ある者が裁判所によって自らのプライバシーを保護される権利が あるか、それともそのような保護が伴う表現の自由の制限を正当化できな いかを決定するための新しいパラメータ(parameter)を提供している。1998
年人権法第6条のもとで、裁判所は、公的機関(public authority
) として『条約上の権利と一致しないような行為』をしないように要求され ているので、そのような訴訟で提起される問題に対する裁判所のアプロー チは変更されている。裁判所は、長年確立されてきた信頼違反を理由とし た訴訟原因の中に〔同条約〕第8条および第10
条が保障している権利を併 合することにより、これを達成することができる。このことは、それらの 条項の要件に適応させるために、その訴訟に新しい力と幅を与えることを 伴う93。」とし、信頼違反の解釈の中でヨーロッパ人権条約第8条および第10
条を考慮するというアプローチを示している94。そして、Campbell
対MGN
事件(2004年5月6日判決)95 において、貴族院はこれを引用しな がら、ヨーロッパ人権条約第8条および第10
条により保障されている権利 は、今日では「信頼違反」という訴訟原因に併合され、その一部となっ ていることを明らかにした96。また、1998
年人権法は、個人間に新しい訴 訟原因を設けないものの、関連した訴訟原因が適用される場合は、裁判 所は、公的機関として両当事者の条約上の権利と一致するように行動し なければならないとしている97。この事件において、貴族院は、前述のWainwright
対Home Office
事件における判決を引用し98、イギリスの裁92 A v. B plc and another [2002] EWCA Civ 337.
93 A v. B plc and another [2002] EWCA Civ 337, at [4].
94
石井・前掲(8)92頁。95 Campbell v. MGN Ltd [2004] UKHL 22.
96 Ibid., at [17] and [85]-[86] and [132].
97 Ibid., at [132].
98 Ibid., at [11] and [43].
79
判所は、従来保護されていない行為を補うために新しい訴訟原因を作り出 すわけにはいかないとした99。そこで、信頼違反にヨーロッパ人権条約第 8条および第
10
条を併合させることにより、その解釈を通してプライバ シーと表現の自由の間の問題解決を図った。なお、この判決の中で、ニ コルズ卿(Lord Nicholls
)は、信頼違反という不法行為の本質は「私 的情報の濫用」と呼ぶべきであるとする100。さらには、ヨーロッパ人権 条約第8条で保護されている私生活の範囲について決定する際、裁判所 は、公開された事実については当該個人がプライバシーの合理的期待(areasonable expectation of privacy
)を有していたか否かを考慮すべきで あるとしている101。また、同事件において、ニコルズ卿は、「私的情報の濫用の訴訟は、ま さに『個人のプライバシーのある局面』への配慮をもたらす。つまり、個 人のプライバシーは、情報の公表を伴わない方法において侵害されうる。
裸の身体検査(strip searches)がその例であろう。」と示している102。ホ フマン卿(
Lord Hoffmann
)も、訴訟の焦点は、「秘密の個人情報およ び営業秘密(trade secret)の両方に適用しうる誠実義務(duty of goodfaith
)」から離れて、「人の自律性(autonomy
)と尊厳(dignity
)の保護」に移り変わっていったと述べた103。そして、ホフマン卿は、いま、当該訴 訟は「ある者の私生活についての情報の流出をコントロールする権利およ び他の人々の尊重(esteem)と尊敬(respect)についての権利」の両方 を包含するとした104。
このような、私的情報の濫用の訴訟の発達は、ヨーロッパ人権条約上の 権利に一致しないように行動しないよう