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2.18 世 紀 18 世 紀 には 下 駒 の 変 化 はほとんどなく 演 奏 者 たちは 接 着 された 下 駒 にリアルガットの 弦 を 取 り 付 けていた 例 外 としてほとんどイタリアにおいてのみではあるが バテンテギタ ー( 訳 注 3 参 照 )の 場 合 マンドリンのように 金 属

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Academic year: 2021

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クラシックギター下駒の変遷

“Guitar bridges evolution” by Senier de Ridder 翻訳: 渡邉 廣 板の厚み自体とその描くアーチによって、大きさ、体積を持つバイオリンの響板と比較す ると、御承知の通り、ギターは平らで、厚みの変化のほとんどない響板(表面板)を持っ ている。響棒(力木)の機能は、この平らな響板の裏側の、設計上意味のある位置に取り 付けられこの板に密度と大きさを与え、楽器の振動を最適にし、それによって音のバラン ス、音色、音量を与える。下駒は単に弦を最適な場所に留める飾りではなく、響板 + 響 棒 構造において、力木が響板を内側に引っ張るのとは反対に外側に向けて引く、美しくも 技術的に重要な部品である。それゆえに、良い音を追及する弦楽器製作者には重要な意味 を持ってくる。 1.バロックギター時代 我々の見ることの出来たオリジナルのバロックギターにおいてもほとんどの場合その特徴 は同様であった:細い駒が、リュート同様の考え方で響板に張り付けられており、それは しばしば果樹(訳注1 参照)の筋張った小さな硬木から作られ、一般的には二つの部分: 響板にしっかりと密着する基部と、はるかに狭く、弦を止めるための孔の穿たれた上部分 からなっていた。弦による摩耗に抗するために、もっと硬い材料(黒檀、象牙、貝、等) が、駒の上部を覆うように使われることもあった。16 世紀から下駒の両脇に形作られた木 片で出来た小さな唐草模様状のモチーフ(訳注2 参照)が張り付けられ、それが下駒を大きく した。 響板の下駒部分の内部には力木は無く、下駒が響板を引き締め、弾力性と質量を加えた。 初期の下駒は単に弦を受けるために各弦それぞれを通す穴があけられたものだったが、フ ランスでは、間もなく2 本の弦(コース)用に演奏者がわずかに弦高を調節できるトンネ ル状に細い孔を穿ったものに変わっていった。 写真1.バロックギターに接着された下駒

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2 2.18 世紀 18 世紀には下駒の変化はほとんどなく、演奏者たちは接着された下駒にリアルガットの弦 を取り付けていた。例外としてほとんどイタリアにおいてのみではあるが、バテンテギタ ー(訳注3 参照)の場合、マンドリンのように、金属弦を着脱可能な下駒に乗せ、弦止め に取り付けていた。(写真2) 写真 2. バテンテギターの可動式下駒 3.18 世紀後半-6 弦への移行 18 世紀の終わりにギターに大変革がおこった。1780 年前後のギターの6 弦への移行であ る。絹の芯線に金属を巻いた弦の発明によって音量が大きくなり音域も拡がった。弦楽器 製作家たちは6弦単弦のギターを作り、下駒は楽器の他の部分の製作技術とともに発展して いった。この、より強く、響きの良い弦はギターの概念を変えた。当初フレットは本物の ガットを巻いただけ(位置をずらせる)のものだったが、その新しい金属を巻いた弦との 摩擦に対しては強度が足りなかった。その為に後に固定式の骨製となり、銀、そして真鍮 へと替わり、最終的に1830 年頃白銅が使われるようになった。するとスペインの製作家や 扇形の力木配置に固執した製作家を除いて表板の下駒の裏、すぐ上に新しい力木が加えら れたが、重要な変化は下駒そのものだった。 写真 3 パリ製ギターの下駒、1765 年頃 弦楽器製作者にとっては、ギターの下駒の設計は響板の力木と非常に密接な関係にあり、 お互いを補完するものであった。6 弦になってから、下駒は作曲家の要望によっていくつ かの方向へと発展していった:フランス、イギリス、イタリア、ドイツ、ロシア、オース トリアそしてスペイン。各々、その状況によって下駒次第で力木に変更が加えられた、も しくは逆に、製作家の流派の力木形状次第で下駒に変更が加えられて行った、と言った方

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3 が良いかもしれない。 4.イタリアでの二つのスタイル イタリアでは、二つの非常に異なる状況が生じた:南部ナポリでは、大きく長い唐草装飾 が接着され、響板に重さを加えて早くも1800 年頃から響板を貫通する弦取りつけ孔を穿つ ようになった(写真4)。一方北部のミラノやトリノ(写真5)では下駒自体がより大きく、 長く、まるで響板に接着された外部力木の様に作られた。 写真 4 ナポリスタイル下駒 写真 5 トリノスタイル下駒 5.フランスの状況-ラコートの力木 フランスに於いてはポンスPons に続いてラコートLacote が小さな唐草装飾を響板に貼り、 下駒に響板貫通孔を穿ったが、彼らは響板底部と下駒との間に特徴的な形を持った力木を 取り付け、それが響板の剛性を増し、発音を良くした。社会そのものや音楽が大きく変貌 を遂げていた当時のフランスで、弦楽器製作家たちはその製作技術のみならず楽器の外見 に於いてもイタリアの同業者の影響を強く受けていたのは明らかだが、その後、ナポリギ ターの大きく装飾的な装飾模様はこの力木に置き換わって行った。 写真 6 弦受けサドル導入以前のミルクールスタイル

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4 写真 7 弦受けサドル付パリスタイル 写真 8 弦受けサドル付ミルクールスタイル 6.18 世紀 - サドル(骨棒)の採用 1815 年頃以降、究極的な変化が下駒を変えた:着脱可能な弦受け(サドル)によって弦高 の調整が出来るようになり、それゆえに、演奏家にとっては演奏がし易くかつ正確さが増 した。 オーストリア、ドイツまたロシアでは、だいたいにおいて、下駒と力木はフランスもしく はイタリアの方式にならった。しかしながら製作家たちは他の可能性も模索し、力木、響 板や裏板のふくらみや厚みに工夫を凝らした。彼らは着脱可能な弦受けサドルを使わなか った:太い力木によって補整された小さな装飾ひげの下駒の弦受けサドルでは弦高は調整 せず、ヒール部分のねじにより棹全体の取り付け角度を変えて微調整された。 写真 9 ごく小さい弦受けサドルのついたシュタウファースタイル 写真 10 弦受けサドルのないパノルモスタイル

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5 7.スペイン製作家を中心とした扇状力木 イギリスではパノルモPanormo の影響で、響棒配置はスペインギターの様に"扇形"を保っ たが、興味深いことにいまだ下駒には弦をしっかりと響板に接続させる小さなブリッジピ ン孔が開けられており、その孔は響板の裏に貼られた力木を正確に避けてその間に穿たれ ていた。 スペインでは5本もしくは7 本の扇形力木と、広幅で長い接着された下駒という、リュー トから脈々と伝えられた作り方が全ての製作家の間で行われていた。しかしながら、これ はもちろん自動的に行われたことではない。古くから言われるように"例外が法則の存在を 証明する“と言うことであり、パヘスPages は真珠母貝をはめ込んだ美しく豊かな"髭”で 楽器を飾った。ミラノのモンツィ-ノMonzino はピン孔をあけた下駒に大きな髭を、ナポ リのファブリカトーレFabricatore は髭なしで弦を結び付ける方式の下駒をつけた。その後、 時を下って、フレタFleta は広く平らなスペイン式下駒の裏に並行する力木を取り付けた。 写真 11 広く平らなスペインスタイルの下駒、弦受けサドル付 8.Torres の試み 下駒 + 響棒の組み合わせは、製作者のギター改良のための尽力を響板並びに構造上重要 な部分に集中させ、響板以外の他の部分を考慮する負担を取り除いた。トーレスTorresが側、 裏板がボール紙で出来たギターを作って(訳注4 参照)以降、ギターの音色を左右する基 本的な要素は響板とその力木、それに下駒であるということを、それ以上証明する必要は なくなった。 Senier de Ridder 2009 年 1 月 (訳注1) 楽器のパーツで硬度を必要とされる部品には梨などの果樹がよく使われる。 (訳注2) 著者はこれを"髭"と表現している。 (訳注3) いろいろな仕様の楽器が存在するが、裏板はかなり弧を描き、4 弦で単弦のものや、5 コース 10 弦のものなどが見られる。和音の掻き鳴らしが主体で、南イタリアで今でも一部演奏されて いる。

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(訳注4) Torres のギター FE-14 、Miguel Llobet の所有した物。現在はバルセロナ楽器博物館に展示 されている。ボール紙というが実際は裏板、側板部分が紙の繊維と接着剤を混ぜ合わせた紙粘 土で出来ている。 [訳者あとがき] 現代のクラシックギターの下駒も、近寄ってじっくりと観察すれば、製作家によって、そ れぞれ微妙な違いは存在する。使用木材、弦止め上の飾りモザイク、駒自体の形状、サド ル溝を微妙に傾けたもの、サドルの3 弦部分を、弦長を伸ばす方向に削ったもの、通す穴 を弦あたり二つ開けて弦の保持をより確実にしたもの、弦止め部分にチリをとって、弦と 表面板との接触を少なくしたもの等々。しかしながら、一歩離れてみるとほとんど同一と しか見えてこない。そしてその機能が、単に弦を表面板状に繋ぎとめるのみと見られてし まうのも、ある意味やむをえないのかもしれない。 この文章で著者は歴史的な下駒の形状の変化はもとより、単に弦を止めるという機能のみ ならぬ、音に大きな影響を与える下駒の機能とともに、その形状の変遷に伴いお互いに干 渉しあって変遷していった表面板内部の力木にまで言及している。 クラシックギターの演奏者の知識としてはもとより、ギター製作者にも楽器設計上のヒン トを与えるものであろう。もっともTorres の実験結果に関しては異論のある向きもあろう が。より理解を深めるためにも、是非"ギター:6 弦への道のり"と合わせてお読み頂きたい。 著者並びに訳者略歴は、" ギター:6 弦への道のり" [http://coastaltrading.biz/img/Transition%20to%206%20strings.pdf]をご参照ください。 もし翻訳の誤り等、お気づきの点のある場合には、訳者までご連絡いただければ幸いです。 ちなみに本文の日本語訳、並びにサイトへの掲載は著者からご快諾を頂きました。

英文は http://www.sinier-de-ridder.com/index.html の中のGuitar bridges evolution にあります。また、同じ 場所からオリジナルの仏語文へ入ることも可能です。

仏語並びに英語原文の著作権は著者に、また日本語翻訳は訳者にありますので、日本語翻訳の転載ご希望 のある場合には訳者までご連絡ください。

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Guitar bridges evolution クラシックギター下駒の変遷 第一版

2014 年 4 月 翻訳:渡邉 廣

参照

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