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横溝正史「蔵の中」論(その一) ―同時代の主流文学の動きと、夢野久作「ドグラ・マグラ」から―

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横溝正史﹁蔵の中﹂論(その一)

1同時代の主流文学の動きと、一夛野久作﹁ドグラ

本論考では、横溝正史の﹁蔵の中﹂一野久作 ﹁ドグラ の内{谷などに触れているところがあります。 注意 耕﹁横溝正史﹁鬼火﹂に窺われるもの1谷崎潤一郎とエラリー クィーンと1﹂(﹃日本語日本文学瓢﹄第七号、平説・ 3)の﹁お わりに﹂では、次のような文章需を結んだ0 横溝自身は﹁私の推理小説雑感﹂および小林信彦との対談﹁横 溝正史の秘密﹂の﹁第一部﹁新青年﹂編集長時代から疇血まで﹂ で、クィーン影郷を受けた作品としては﹁真珠郎﹂しか挙げて はいないか、コ具珠郎﹂に行き着く前に、エラリー・クィーンの ミステリーの方法を、部分的にでも試していると考えるのが当然 だと思う。

横溝につぃての霜な年譜(島懐・貨/(倉西注・改行、以

下同じ)浜田知明・、訂補﹁年琶小林信彦・編﹃横溝正史読本﹄ はじめに

西

公心 平幻. 9 、部角W店︹角川文庫︺改版初版、所収)に拠ると、横 残上器時代の第一作﹁鬼火﹂(璽同年﹄昭W ・ 2、 3)の次に 発表した小説は﹁蔵の中﹂(璽H年﹄昭W・ 8)、その次が﹁獣人﹂ ずΞ言美采佐i志﹂ 刀口0 9)。昭和十一年に入ると、﹁かひやぐら詔﹂ (璽月年﹂昭]ー・ 1)、同月号に﹁貝殻館嬉叶﹂(﹁改造﹄昭U 1)という順序となる。本稿では、探偵小説戸謡者である読者の多 かったと思われる﹃新青年一に掲載された﹁蔵の中﹂を対象に、黄 溝の意灣中で発酵されつっあった、エラリー・クィーンの影響を 受けたと思しき﹁本格もの﹂の痕跡を検討し、それがいかに、横溝 白身が﹁私の推理小県感﹂(一現代推理小説大系4 横溝正史一昭 7 6 . 8講談社刊、所収。引用は、横溝正史﹃探偵小説五十年﹄ 52 . 8 . 29鰈耿社︹復刻版︺刊、に拠る)などでエラリー・クィー ンの﹁エジプト十字架の秘密﹂全九三二年)から﹁ヒント﹂をえた、 と書いている﹁真珠郎﹂(﹃新青年﹄昭Ⅱ・ 10S12 ・ 2)に行き着く べき内実を持ちつっあるものであったのかということを、同時期の 堰iの捌1きも考.^しつっ1金言寸したいと思う。 マグラ﹂

マグラ﹂からー

. -47ー

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拙稿﹁横溝正史﹁鬼火﹂に窺われるもの1谷崎潤一郎とエラリー クィ︼ンと1﹂では、小説﹁鬼火﹂の語りの構造を基に、そこから 窺えるエラリー・クィ︼ンの初期作品(特に﹁国名シリーズ﹂)の 影響を指摘した。つまり、作品の物語構造に焦点を当てて論じたの である0 しかしこの作品を考{祭する際に、どうしても触れなけれぱ ならないことが一っある。それは、この作品が読み手にもたらした もの、それが最も極端な形を取った反応と言える検閲の問題であ る0 端的に言えば、二回に渡って﹃新青年﹄に掲載された﹁鬼火﹂ の第一回(前篇)が検閲の対象(風俗壊乱のため)となり、既に全 国の書店に配本済みであったこの作品の該当ページを切り取らなけ ればならなくなったことである。これは、作者の横溝にとって(お そらく、当時の薪青年﹄の編集長であった水谷準にとっても)、 晴天の解遜というべき事奨ったと思われる。謡は、後にこの件 について、﹁続・途切れ途切れの記﹂令定本人形佐七捕物帳全集﹄ 講談社刊、の﹁月報﹂昭妬・ 3 ・ 2。S1。・即。引用は、﹃探偵小説 五十年﹄に拠る)の﹁2 上諏訪時代のこと/付・乾君の世にも意 外な手紙のこと﹂と﹁淋Lさの極みに立ちて1 ﹁かいやぐら物語﹂ の思い出1﹂(﹃幻影城﹄昭弱・ 2。引用は、﹃新版横溝正史全集 探偵小説昔話﹄昭釦,フ・釦講談社刊、に拠る)で、次のよう 8 に回想している。 ところ釜の悪いときにはしかたがないもので、昭和十年二 児号の﹃新青年﹄に掲載された﹁鬼火﹂の前篇が、当時の検閲 当局の忌諒にふれ、一部削除の厄にあった。私はひじょうな 1 シヨツクをうけ、また病気がぶりかえしそうになったが、友人 たちの励ましや慰めの手紙で、やっとショックから立ち直る と、さいわい﹁鬼火﹂を書いたことにょって筆を持っ体力には だいぶ自信を恢復していた。(﹁2 上諏訪時代のこと,ノ"付.乾 君の世にも意外な手紙のこと﹂) こうして(<后西注・﹁一日に三枚か四枚しか書け﹂ず、﹁机に むかっている時間以外は、ベッドに仰臥して、ひたすら安静を 心掛け﹂ている釜)Ξ力月ほどかけて﹁鬼火﹂を完成したと き私は疲労困懲の極に達していた。なおそのうえに前篇が当局 の忌避にふれ掲載牙﹁新青年﹂が削除の危に遇うという悲運 に直面Lなければならなかった。私の怒り、痛恨もさることな がら、世話になった水谷準にたいする申し訳なさに身を焼かれ る思いであった。しかも、私はその怒りをどこにぶっつけるわ けにもいかなかった。私はまたぶり返してきそうになった病気 を抑えるために、ただただ心身の安静を保っべく努力しなけれ ぱならなかった。(﹁淋しさの極みに立ちて1﹁かいやぐら物語﹂ の思い出1﹂) ﹁淋しさの極みに立ちて1 ﹁かいやぐら物語﹂の思い出1﹂での み触れている﹁水谷準にたいする申し訳な三とは、単に水谷が﹃新 青年﹄の編集長として、﹁鬼火﹂を掲載した立場から責任を取らな ければならなくなってしまったということだけではなく、横溝が昭 和九年の七月に上諏訪ヘ転地療養する長して、その年の春、水谷 が﹁友人を代表して一年間の執筆停止と転地療養を勧め﹂(島崎博

璽/浜田知明・訂補﹁年芭たことも、彼の金にあってのこ

とと思われる。﹁途切れ途切れの記﹂(﹃横溝正史全集﹄講籍刊、

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の、﹁月報﹂昭妬・ー・ 20SW 0 2 拠る)の﹁7 吃血で狼狽のこと/付 で横溝は、次のように竺ている。 すると昭和九年の春の終わりごろ、とうとうたまりかねたの か、水谷準君が森下先生公居西注・﹁新青年﹄初代編集長であり、 その後編集局長にもなった森下雨村のこと)や大下宇陀児氏ほ か先輩友人を代表してやってきて私に宣告をくだした0 むこう一年絶対に筆をとらぬこと。女房子供をつれてどこか ヘ転地すること。以上二力条の条件をのむならぱむこう一年生 活を保証しよう。月々二百円でどうだと。 私はひとのお世話になることが、あまり苦にならない性分だ とみぇて、ありがたくこのご好意をお受けすることにして、昭 和九年七月末に信州上諏訪ヘ転地していった。上諏訪という土 地がえらばれたのは、正木不如丘先生の御本宅がそこにあった {注2︺ からである。 すなわち、転地療養にあたって、横溝の先輩や友人たちからお金 を募り、自分に話をつけに来てくれた水谷の友情に対して、因ゞτ仇 で返すようなことになってしまったことへの﹁申し訳なさ﹂を、﹁身 を焼かれる思い﹂という言葉で語っているのである。それはまた、 横溝自身が、﹁新青年、一﹃文芸倶楽部﹄﹃探偵小説﹄という博文館の 讐の編集長を経た事にょって、熊が﹁検閲当局の忌諒にふれ﹂ た場△口、どうしなければならないかということをよく知っていたか らであろ、つ。 この件につぃて横溝の夫人である孝子は、次のよう編っている0 まず横溝孝子・横溝亮一(<尼西注・横溝正史の長男)・(司合山 村正夫の﹁緩会横溝正史の思い出を語る(こ﹂(横溝正史﹃姿 なき怪人﹄昭諦・ー。・部角川轡店︹角川文庫︺刊、所収)では、﹁あ

み十たにL゛人

の時分、﹁新青年﹂の編集長は水銜準さんだった。﹂、﹁ずいぶん削ら れたんですよね。ところが、雑誌が全国に売れたあとでしょう。そ れで水谷さんに迷惑を掛けた上、﹁博文館﹂にも迷惑をかけたと言っ て、それを横残気に病んで気に病んで。二人で死のうかなんて、 本気で言ったことがあるんですよ。﹂、(山村の﹁そんなに気にされ たんですか。﹂という質問にたいして)﹁ええ、そりやあもう0 それ でこりや大変だと思って、ひも類や、張条んかを、わたしが全 部隠しました。だって夜も昼も寝ないで悩んでいるんですもの。/ ある夜なんかね、夜中に出ていってしまったんですよね。さあそれ が、線路の方ヘ行ったか、湖水の方ヘ行ったかわからない。とにか く、万一のことがあったら困るから、夜中にさんざん迷ったあげく、 取りあえず湖水の方ヘ行ってみょうと思って:・。わたしが出かけよ うとしたら、二人の子供がママーと言って泣くでしょう。そんなの 振り切っちゃつて、出ていったんですよ。湖水ヘ行くまでの半分ぐ らいのところで、枇溝は戻ってきましたけどね。たぶん思い悩んで 夜も{袋れないから、一時は死ぬ気になったんだろうと思うんです よ。﹂とある。横染﹁ひじょうなショック﹂(﹁2 上器時代の こと/付.乾君の世にも意外な手紙のこと﹂)、﹁怒り、痛恨﹂(﹁淋 しさの極みに立ちて1 ﹁かいやぐら物語﹂の思い出1﹂)という一言 葉で抽象的に説明している内容が、夫人の言葉では具体的に、より 現実味を帯びて語られている。横溝は病気のぶり返しを恐れるより 前に、本気で自死を考えていたのであり、水谷災けでなく、自ら 退職した博文館にたいしても顔向けができないと考えたらしい0 そ 引用は、﹃探偵小説五十年﹄に 先輩友人の世話になること﹂

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-49-のようなところに、編集長として、率先して﹃新青年﹄モダニズム を作り上げていった横溝の現在の目から見れば古風な倫理観をう かが、つことができると言〒えよう。 その孝子夫人は﹁﹁鬼火﹂のころ﹂(﹁日本探偵小説全集附録 8﹂﹃日本探偵小説全集9 横溝正史集﹄昭a ・ー・討東京創元社︹創 元推理文庫︺刊、所収)では、枚数のためか﹁このように(倉西注 一日に一枚二枚というふうな書き進め方で)して書かれた﹁鬼火﹂ は、新青年に掲載されたのでしたが、雑誌が全部配本されてから、 ﹁鬼火﹂の一部削除が当局から命ぜられ、たいへんこまった事態に なりました。(略)主人はその知らせをきいて気も狂わんぱかりに 歎き、悩み、夜眠れぬ日が続いたのでした。﹂と述ベてぃる。 この文章では先ほどの座談会での発言と較ベてコンパクトに語っ ているが、しかし、やはり横溝自身の百う﹁ひじょうなショック﹂ ﹁怒り、痛恨﹂の結果が、夫人の眼を通して簡潔暑かれている。 最後に、横溝孝子夫人/聞き手岡崎満義﹁横溝正史﹂(原題﹁回 想の横溝正史﹂﹃オー嘉物﹄平4 ・ー。引用は、文藝春秋編﹃想 い出の作家たち﹄平器・ 5 ・ W文藝春秋︹文春文庫︺刊、に拠る) では、﹁この﹃鬼火﹄が﹁新青年﹂に載った時、もう印刷して全国 に配本が終わった段階で、不穏当な個所があるからそこを削除する ように、という通告があったのです。今からすれぱ、なんてぃうこ ともない文章なのだと思いますけれど、当時はそんなことがありま した0 全部回収して、削除しなけれぱいけないことになって、博文 館と、編集長の水谷さんには大変な手間と損害をおかけしてしまい ました。主人は人一倍気にする方なんです。水谷さんたちに生活の ことで援助していただいている分を少しでも挽回したいと思って書 いたものが、こんなことになってしまって、もう夜も寝られないの です。﹂とある。 この﹁鬼火﹂の検閲問題と、それに対する横溝の苦悩は、上諏訪 時代における大きな事件として、夫人の記憶に刻みつけられている のであろう。 ただこのΞ種類の夫人の回想において、他にも注目しなけれぱな らない部分がある。横溝自身は、﹁鬼火﹂の前篇に対する当局の行 為のことを﹁当時の検閲当局の忌諒にふれ、一部削除の厄にあっ た0﹂(﹁2 上諏訪時代のこと/付・乾君の世にも意外な手紙のこ と﹂)、﹁前篇が当局の忌避にふれ掲載誌の﹁新青年﹂か削除の危に 遇うという釜に直面しなければならなかった。﹂(﹁淋しさの極み に立ちて1 ﹁かいやぐら物語﹂の思い出1﹂)と語っていて、その 趣旨については分かるが、その﹁一部削除﹂とは、具体的に誰がど うしなけれぱならないことかという詳細については分からない。そ れに対して夫人の発言は具休的で、﹁座談会横溝正史の思い出を 語る(Ξでは、子いぶん削られたんですよね。ところが、雑誌 が全国に売れたあとでしょう。﹂と語り、﹁﹁鬼火﹂のころ﹂では﹁こ のようにして書かれた﹁鬼火﹂は、新青年に掲載されたのでしたが、 雑誌が全部配本されてから、﹁鬼火﹂の一部削除が当局から命ぜら れ、たいへんこまった事態になりました。﹂と記し、横溝孝子夫人 /聞き手岡崎満義﹁横溝正史﹂ではマお﹃鬼火﹄が﹁新青年﹂ に載った時、もう印刷して全国に配本が終わった段階で、不穏当な 個所があるからそこを削除するように、という通告があったので す0(略)全部回収して、削除しなけれぱいけないことになって、 博文館と、編集長の水谷さんに大変な手間と損害をおかけしてしま

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いました。﹂と語り、三編の回想(記)の総てにおいて、当局から 一部削除の通告が有った時には、既に﹃新青年﹂昭和十年二月号は 全国の書店に配本された後であったということが共通している0 この一部削除の問題については、紅野謙介氏が、﹁検閲と文学1 1920年代の攻防﹄(平飢・ー。・訟河出霄房新社︹河出ブツクス︺ 刊)で、一九二0年代を中心に、検閲当局である内務喜保局と、 出版界や作家たちとのやりとりを詳細に論じている。﹁鬼火﹂は言 うまでもなく、昭和十年の発表であるが、それらを掲載する繋・ゆに 対する検閲の方法については、一九二0年代に固められたと老えて (住3︺ よさそうである。 すなわち、横溝が﹁鬼火﹂(前篇)を発表した昭和十年二月号の 時には、最早慣例としての﹁内閲﹂制度はなく、事後検閲つまり雑 牙配本されてから検閲されて、仮に発売頒布禁止とまではならな くても、その雑誌を回収して、一部削除とされたぺージを、片端か ら船て切り取らなけれぱならなくなってしまったのである0 つま リ、横溝正史が﹁一部削除の厄にあった。私はひじょうなシヨツク をうけ、﹂(﹁2 上器時代のこと/付・乾君の世にも意外な手紙 のこと﹂)と記し、また﹁そのうえに前篇が当局の忌避にふれ掲載 誌の﹁新青年﹂が削除の危に遇うという釜﹂(﹁淋しさの極みに立 ちて1 ﹁かいやぐら物語﹂の思い出1﹂)と記している{益は以上 のようなものであり、彼が水谷準だけでなく、自ら退職した博文館 にたいしても顔向けができないと考えた理由も、水谷や先輩友人た ちに対する﹁申し訳なさ﹂(﹁淋しさの極みに立ちて1 ﹁かいやぐら 物語﹂の思い出1﹂)だけではなく、一旦全国に配本した雑学回 収してそのぺージを切り取らなければならない、という現実的な負 担(労力の上でも、製品としての雑曾体を考えても)に対する懸 槐の念もあり、その両者が原因で孝子夫人の語るように﹁二人で死 のうかなんて、本気で言ったことがあるんですよ。﹂(﹁座談会横 帯史の思い出を語る(一)﹂)ということになってしまったのだと 思われる。 この件に関して一っ気になる点は、事後検閲に一本化したがゆえ に、雑誌掲載の伏字部分が(可能な限り検閲にかからないように。 (注) 4で紅野氏の著京ら引用した上林暁の﹁伏字﹂(﹃文藝﹂昭 4)で描かれていたように、一哥除処分となっても、その雑 2 誌は﹁庇物だから、商品としても滅茶々々だつた。﹂ということに ならないように)増えることになったとしても、事後検閲は事後検 閲であるがゆえに、刊行から若干の時問を置いて検閲処分が伝えら れる。そうなると編集部員か何人も集められて、回収した該当熊ル の該当部分を切取ることになるのだが、そのようになる前に(切取 られないまま)流通するものも当然出ることになるはずである。 事実、紅野氏は、﹁改造﹄昭和二年九月号(切取り削除された中 里介山﹁夢殿﹂の掲載されていた)の調査をしているのであるが、 日本近代文学館、早稲田大学中央図書館、日本大学文理学部図書館 などにおける﹃改造﹄のこの号は切取られていない。勿論切取ら れたものも存在するのであるが、横溝正史﹁鬼火﹂(前篇)を掲載 した一新青年﹄昭和十年二月号の場合は、該当ページが切取られて いないものは、中井英夫が入手して、講談社版の﹃新版横溝正史 全集2 白蝋変化﹂(昭弱・ 6 ・訟刊)に収められた一冊だけなの である。 こ倫談社版全集の中島河太郎﹁解説﹂には、﹁ただ発表当時は

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-51-その描写が当局の忌諭に触れ削除を命じられた箇所がある。著者は 単行本に収めるに際して、適宜改訂したが、四十四年に無削除版の 雑誌が見っかったので、ここでは発表当時のままに戻して収録し た。﹂と説明しており、中井英夫の名前を出してはいないか、無削 除版は昭和四十四年より前には見っかっておらず、また、四十四年 から、この講談社版全集の編集が終わるまでに新たな無削除版が見 つかったのならば、それについてもなにかしらの言及があっても良 いところである。無削除版を参照できるような本文を収録した最も 早いものは、桃源社版﹃鬼火倉尤全版)﹄(昭"・ H ・器刊。引用は、 昭驗・ー・部刊、の改装新版に拠る)で、横溝が単行本刊行時に加 筆訂正した版を掲載した後に、削除部分をその前後関係が分かるよ うにゴチツク体姦せているのだが、本文と削除部分を載せたぺー ジの問に、﹁附記﹂として次のような断りの文章を入れている。﹁本 篇は雑ミ新青年︾ヘ発表当時削除処分を受けた為、その後の通行 本は全て著者の削除加筆したもののみ溌布されて参りました。完 .カー 全なる原作の再現を期すべく、以下に原の形をそのまま雑誌より転 載して読者各位の参老に供し、併せて当時の検閲制度の一端を御推 察戴きたいと思います。(ゴチック体が削除部分)﹂、そして、この 桃源社版の中田耕治﹁解説﹂では﹁この桃源社版の﹃鬼火﹄は完全 な復原であることを附記しておく。(中井英夫氏提供)当時の急迫 して行く時代のなかで、作家はしばしば言論統制の犠牲者であった が、横溝正史もまた例外ではなかった。﹂と無削除版の提供者が中 井英夫であることが明記されている。角川文庫版﹃鬼火﹄(昭恥 8 ・ W刊)では、中島河太郎﹁解説﹂で、﹁その前篇が雑誌に発表 されると、一部の描写が当局の検閲に触れて削除を命ぜられた。そ の後の単行本では、削除箇所に著者が手入れしたものが底稿になっ ていたが、近年無削除の雑誌が見っかったので、発表当時のままに 復元された。﹂とあって、この角川文庫版も﹁発表当時のままに復 元された﹂本文のようにも読めるのだが、しかしこの木では、中島 河太郎が大幅に校訂をしており、特に最終の﹁十Ξ﹂章などは著者 が加筆訂圧した版を活かしている。創元推理文庫版の﹃日本探偵小 触刊)では、巻末に霜な﹁編 説全集9 横溝正史集﹄(昭釦 ] 集後記﹂が付されていて、そこでは、﹁改訂以前の原作は作者の手 許からも失われていたのだが、幸いにも中井英夫先生か削除を免れ た初出曹持っておられ、これを基に桃源社﹃鬼火・完全版﹄が昭 和四十四年に刊行された。﹂﹁今回、本書の編集に当たって元版と改 訂版を具に検討してみたところ、やはり削除個所に関しては元版の ほうがいいので、これを活かす方向で校訂を行なった。削除を求め られた部分はゴチック体にしたので、当時の検閲の対象となったの どうい、つ個所であったのかを知っていただけることだろう。た 、、、、 7 だし、著者は削除部分以外でも全面的に朱を入れている。殊に、前 にも記した最終章(<居西注・﹁十Ξ﹂章)は、書き直しといっても よいほどの哥正ぶりだ。そこで、この章に関しては訂正版に従った。 結果的には、角川版と似かよった構成になった訳である。﹂とあり、 やはりここでも、﹁削除を免れた初出誌﹂の所持老としては、中井 英夫一人の名が記されているだけである。﹁鬼火﹂を収録した最新 の版と思われる出版芸術社版﹃鬼火ふしぎ文学館﹄(平5 W刊)でも﹁編集部あとがき﹂で、﹁﹁鬼火﹂は、創元推理文庫﹃日 本探偵小説全集9 ・横溝正史集﹄を用いました。﹁鬼火﹂は昭和W 年の初出掲載時に検閲禍に遇い、一部が削除されたままでながらく

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流布していましたが、幸誓も作家の中井英夫氏が完本を蔵してお リ、昭和U年に﹃鬼火・完全版﹂が桃源社より刊行されました。そ のため、﹁鬼火﹂には、流布版、桃源社版、全集版、創元推理文庫 版と、複数のテキストが存在しますが、完成度の高さと、読みゃす さを考慮して、本李は創元推理文庫版を採りました。﹂とあって、 ここでも中井英夫の名前しか記されていない。また、本の友社から 発行されている﹁新青年﹂奇版(昭和十年分、第一期第四回配本、 平4 . 2 ・部)では、元本劣されたとおり、検開当局の指示にょ る削除のままで復刻されている。 つまり、小ノなくとも公には、無削除版の璽門年﹄(昭10 ・ 2) を所持していたのは、中井英夫ただ一人ということになるのである。 これはひとつには、紅野氏が調査した﹃改造﹂と挟、一新青年﹄ は娯楽誌であったために、定期的に購入していた図書館があったと しても、それを後世のために保存しておくという発想が生まれな かったことにあると思われる。それとともに、佃人が購入していた 場合でも、やはり保存せずに捨てられてしまったものが多数を占め たのだろう。江戸川乱歩も、苦心してバックナンバーを集め、﹁積 み重ねて四問の高さに及ぶこの大文献は、内外探偵小説、探偵需 の百科全書であって、インデックスを作れぱ探偵小説のプリタニカ (庄5) ともなるものである。﹂と語っており、また新保博久彬﹃世田谷 文学館収蔵資料目録]横溝正史旧蔵資料﹂(平玲・3・2世田谷 文学館刊)の﹁和鷲﹂のぺージにも﹃新青年﹄の該当号は掲載さ れているがC際﹃新青年﹄に、定期的に作品を載せた作家や塑 者の他に、この雑誌を纏めて所持していた者は小ノ数だろうし、また 戦災などで烏有に帰した物も多かったのだと思われる。 ではこの無削除版の所有者であった中井英夫は、この件につい て、どのよう倫っているのだろうか。随筆、﹁血ヘの供物/正史、 乱歩、そして英太郎﹂(﹁日本探偵小説全集附録8﹂﹃日本探偵小 説全集9 横溝正史集﹄所収)には、次のようにある。 ありようは昭和十年二月号の璽阿年﹂に﹃鬼火﹂の前編が 発表されると、たちまちそれは発禁の厄に遇った。 (略) もっとも発禁といっても、雑誌そのものが発売禁止になった わけではない。書店に積まれた雑誌から問題の箇所を破り棄て れぱそれでお目こぼしにあずかったので、昭和十三年の﹁中央 公論﹂に載った石川達三の﹃生きてゐる兵隊﹄も同じ方法で処 理された。 ﹃鬼火﹂でいぇぱ二月号の釘ページから妬ページまでを破れ という愚かな至上命令は、それでも徹底したものだったと見 え、いま残っている﹁新青年﹂はことごとくその状態の欠陥本 となっている。だが世にも幸運なことに、破る印の赤鉛筆の丸 をつけられながら、そのままに残った一冊があった。そしてそ れを私かたまたま所有していたというのが、この話の始まりで 凌)る。 (略) それはさて、日本でただ一冊残された無傷の﹁新青年﹂を、 どこでどう乎に入れたかとなると私にはさっぱり覚えがない。 何しろその当時は久生十蘭の小説が読みたいばかりに、無我夢 中で昭和十年前後の﹁新青年﹂を買い渙っていたので、おのず からその中に紛れ込んできてくれたのであろう。赤鉛筆の丸印

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-53-を見ても、これは掘出し物だぞと胸をとどろかせた、穫はさら にないのである。 露) くiう この後いろいろあって、とどその一冊を0王様の庫子なわ ち原著者の手許に納めてしまったいきさつは、七一年Ξ月に ﹁廃園にて﹂という一文に記した。 0廃園0というのは、横溝 正史が逼塞を余儀なくされていた時代を差す。 これを読む限り、先ほど指摘した新保博久監修﹃世田谷文学館収 蔵資料目録1 横溝正史旧蔵資料﹄の﹁和雜誌﹂のぺージに掲載さ れている﹃新青年﹄の該当号は、中井英夫が所持していた無削除本 なのではないかと思われるが、しかしそれについての注記は﹃世田 谷文学館収蔵資料目録1 横溝正史旧蔵資料﹄には記されていない。 しかし、ここでは、この無削除版の問題よりも、以上のような検 閲が、横溝正史個人ではなく横溝正史の作品にどのような影響を与 えたのかについて考察したい。 拙稿﹁横溝正史﹁鬼火﹂に窺えるもの1谷崎潤一郎とエラリー クィーンと1﹂で論じたように、﹁鬼火﹂では作品が入れ子構造に なっていて、入れ子内の外側部分である﹁私﹂(第一次の語り手) の世界と、入れ子内の内側部分である﹁私﹂(第二次の語り手であ る竹雨宗匠)の世界が、はっきりと分かれてぃる。つまり、そのよ うな江叩りの在り方を意識的におこなうことにょって、それは、エラ クィーンの作口耶がエラリー・クィーンという作者名を冠し ノー. て、かつJ ・ J ・マックとい、つ署名のある﹁まえがき﹂を制して刊 行されながら、その物語世界ではエラリ︼・クィーンという青年が 探偵役となることの影響を受けていると考えられるのである。しか ﹁蔵の中﹂については、今まで次のように評されてきた。 江戸川乱歩は﹁日本の探偵小説/(﹁日本探偵小説傑作集﹂序文)﹂ しそのような仕掛けのある語りの形態で圭日き進めながら、横溝自身 は、この作品が検閲の厄に遇うことを全く想定していなかったのは 間述いない。それは夫人の回想からも明らかである。つまり、自ら 創造した二重構造の作品世界に、自ら想像もしなかったもの、つま り白己の範囲を越えた存在である国家権力が、言わば第一次物語世 界外から有無を言わせない形で、第二次物語世界を侵犯した。﹁鬼 火﹂に対する検閲禍の意味を纏めるならば、以上のようになるので はないか。つまり、横溝正史は﹁怒り、痛恨﹂(﹁淋しさの極みに立 ちて1 ﹁かいやぐら物語﹂の思い出1﹂)を覚えたであろうが、そ こはプロの作{永のことである。まして、一時の怒りがおさまった時 には、﹁水谷さんたちに生活のことで援助していただいている分を 少しでも挽回したい﹂(横溝孝子夫人/聞き手岡崎満義﹁横溝正 史﹂)という気持ちが強まり、次作の構想を立てる時に、国家権力 にたいする意趣返Lの気持ちなどもある程度は音罷しながら、この ような第一次物語世界外から有無を言わせない形で、第二次物語世 界を侵犯するような作品を考え、それが﹁蔵の中﹂という形で結{夫 したのではないか。 以下、具体的に﹁蔵の中﹂の分析に入る前に、これまでこの作品 どのような作品として捉えられてきたのかについて、確認して ゛、、 力 しきナし 2

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(﹃日本探偵小説傑作集一 9 ・訟春秋社刊所収。引用は 刀口Ⅱ0 ﹃江戸川乱歩全集第器巻鬼の言葉﹄平リ・ 2 ・卯光文社︹光文 社文庫︺刊、に拠る)で、﹁彼の主要傾向は情操的というよりも、 幻想的と云うよりも、著しく怪奇的である。そして、水ハ命などの 作風が何かしら空に漂うような、メールヘン風な感じなのに比ベ て、この作者の怪奇はもつと現{夫的であり、直接人の心に喰い入る 底の迫力を持っている。/彼の怪奇小説の主要作品としては﹁鬼火、 ﹁面髪紙﹂︹蔵の中﹂﹁広告人形﹂などを挙げることが出来るであ ろう。彼は谷崎潤一郎の作品を愛することが深く、サ瓢してか佃戴 きた 識にかその着想を借り来ることが屡々であるが、例えば﹁鬼火﹂と おモ ﹁金と銀﹂と、﹁面影双紙﹂と﹁或る少年の怯れ﹂と、﹁蔵の中一と マ 一7 ママ ﹁恐ろしい戯曲﹂とには、一部ではあるがその明かな類似を見るの である。﹂と述ベており、﹁彼の主要傾向倫操的というよりも、幻 謁と云うよりも、著しく怪奇的である。﹂と説明しているのは(そ の具体例として﹁広告人形﹂を挙げることには、首をかしげざるを えないものの)戦後の大内茂男の横溝正史論と関わる点が強く、昭 0年というこの評論の書かれた時点で、その後に繋がる横溝の j于 作品傾向を捉えていることは流石と思われる。 その大内茂男は、﹁日本怪奇文学の系譜﹂(一幻想と怪奇﹄昭四 3)で、同じ枠組みながら、もっとあっさりと、﹁横溝正史は大正 年間こそユーモアとぺーソスの作家であったが、昭和八年の﹁面影 双紙﹂、さらには十年の﹁鬼火﹂を境にして、完全な意味での怪奇 と起の作風に転換した。﹁蔵の中﹂﹁かいやぐら物語﹂さらには怪 奇幻想と推理小説の結合を意図した長編﹁真珠郎﹂などは、この時 期の傑作である。この作風の名残りが、戦後になって画期的な籍 推理の長編小説を次々と生み出したさいにも、横溝調として色濃く 残っていて、それが今日の青年たちの間における横溝正史ヘの絶対 的な人気の源になっているわけである。﹂と、﹁蔵の中﹂﹁かいやぐ ら物語﹂﹁真珠郎﹂を並ベて論じ、その作風にある﹁怪奇幻想﹂が 戦後の純粋推理小説にも﹁横溝調として色濃く残ってい﹂ると述ベ ている。つまり、掲載誌名にもある﹁怪奇幻相どに重点を絞り、そ の射程の範囲を戦後の長編作品まで持ってきたのだと言える。 中田耕治﹁解説﹂(﹃鬼火(完全版)﹂諾社刊、所収)では、作 品の﹁語りくち(ナレイティヴ・スタイル)﹂編点が置かれ、﹁た だ、謡正史の語りくち(ナレイティヴ・スタイル)が、まず報告、 説明といった要素をもち、そこから、小説としてのムーヴメントが 起って事件の分析に移り、最後にそれをしめくくる枠組をもってい ることが、私の興味を慧く。具体的にいぇば、岡本綺堂の﹃半七捕 (庄6︺ 物帳﹄のナレーションに近い。と同時に、江戸川乱歩のナレーショ ンをもつよく裟させるものである。このスタイルは横溝正史が完 成したものと私は考える。論証は避けるが、このナレーションが彼 の妖美な想像をささえたところにまさしく独創性があり、たとえぱ ﹁真珠郎﹂のもつトランスヴエスティズム(女装、男装の趣味)が あれほど追真的にあらわれたことに私は横溝の特殊希神の異相を みとめる。(略)/﹃蔵の中﹄で、主人公は生前に愛していた人形や、 オルゴール、遠眼鏡、草双紙など、さまざまな過去の幻や魁魅題題 にとりかこまれ、姉の形見の友禅の振り袖を身にまとって化粧し、 自殺する。このトランスヴエスティズムの描写の妖しさは、﹃真珠 郎﹂の最後の牙性の美しさと共通しているし、この作家のエロ ティシズムへの志向の性質を物語っている。﹂と論じている。

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-55-横溝の語りくち(ナレイティヴ・スタイル)については、より具 体的な払叩栗ほしいところではあるが、丁度、この昭和十年二河号 の﹃新青年﹄に横溝が書いている随筆﹁槿槿先生夢物語﹂(引用は、 ﹃新版横溝正史全集玲探偵小説昔話﹄に拠る)に、中田耕治の 述ベる﹁トランスヴエスティズムの描写の妖しさ﹂と共通する部分 念れ詔二 き人きん が見られる。横溝は、﹁自ら槿槿先生と名乗る痴漢が、二年にわた る病床のつれづれに、手帳のはしに書きつける、まあ盲ってみれば わ 二と 一種の寝一言みたいなものである。﹂というような口上から始めて、 み 0う {" ﹁僕は自分の身の周囲に、仮面や、カラクリ人形や、屍蝋や、木乃 す:ろく 上おめがわ 1 伊や、遠眼鏡や、オルゴールのついた時計や、金蒔曾ついた双六 せがわL.うじ つくし ノ 1 盤や、長谷川修二の持っているようなフエンシング用の刀や、筑紫 ほりもの 琴や、水晶の球や、雷お新の刺青の皮や、人体模型などを集め、(略) 力めいどとよくに 上、つろうびノ くにょし 燈籠鬢の春信や、亀井戸豊国の源氏絵や、国芳の武老絵を掛連ね、 ぷ"よう うたまろ ビアズレや歌麿の春画に無恥を慰めながら、(略)ハガードの小説 の主人公のごとく、アフり力大陸の奥地に、永遠の若さと美を保つ という、不可思議な﹁彼女﹂の姿を求めて旅行しよう。﹂と書いて いるが、これらは、横溝本人の好む物であると同時に、彼の作品に 取り込まれ、あるいはそのストーリーとも関わっていく様々なオブ ジエであり、中田は、その北見仮に横溝のトランスヴエスティズムを 見ているのである。この指摘はなかなか興味深いと思われる。 中島河太郎は二威の中﹂についての評を、管見の限りでは一一祠書 いており、それは﹁解説﹂(﹃新版横溝正史全集2 白蝋変化﹄講 籍刊、所収)、﹁解説﹂(横溝正史﹃鬼火﹄角川書店︹角川文庫︺刊、 所収)、﹁第二十七章横溝正史の転身﹂(中島河太郎﹃日本推理小 即東京創元社刊、所収)であるが、一つ 2

説史第三巻﹄平8

目の﹁解説﹂とΞつ目の﹁第二十七章横溝正史の転身﹂での評は、 言昆某使いに至るまで、殆ど変わらない。それゆえ、ここでは一つ目 の﹁解説﹂と二つ目の﹁解説﹂に絞って、検討したいと思う。一つ 目の﹁解説﹂も二つ目の﹁解説﹂もそれほど大きな違いはない。し かし、作品の構造自体に具体的に言及していること、二つ目の﹁解 説﹂には、その上で、重要な指摘をしていることで、両者を取り挙 げたく思うのである。 まず、﹃新版横溝正史全集2 白蝋変化﹄の﹁解説﹂であるが、 その﹁解説﹂では、主人公と考えられる﹁馨笛二﹂(倉西注・、王 人公の名前の引用は﹃新版横溝正史全集2 白蝋変化﹄所収の﹁蔵 の中﹂に拠る)を、﹁不具の姉と一緒に育てられた﹂﹁一種の精神的 畍型児であ﹂るとし、﹁彼の持ちこんだ小説は、作品の中にまた作 品があるといった凝った構成である。谷崎の﹁呪われた戯曲﹂にそ の先例はあるが、ここでは読者をとまどわせて、見事な効果を収め ている。/著者の粘着的な文体は、主人公の性格を的確に捉えてい る﹂として、この作品全体を、﹁とかげのような、燐光のような、 無気味な作品である。﹂と説明している。横溝正史﹃鬼火﹄(角川書 店︹角川文庫︺刊)の方の﹁解説﹂では、﹁乱歩が指摘したように、 マ .7 潤一郎の﹁恐ろLき戯曲﹂に刺激されたのかもしれないが、作品と 実際との切れ目をぼかして、読名を戸惑いさせ意外な結末に導いて いる。,ノ,著者の粘りつくような文体は、主人公の性格を浮彫りにし たばかりか、病者特有の奇怪な妄想を、現実と重ね合わせた無気味 さが、そくそくとして追ってくる。﹂と説明している。

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1 森下雨村の二男である森下時男氏にょれぱ、雨村は昭和二年 末に博文館の編集局長に就任したが、昭和六年一月に編集局 長を解任され、退職したとされている(森下時男﹁探偵小説 の父森下雨村﹂.平玲 2。文源庫刊)。解任の理由とし 1 て、森下時男氏の張では、﹁表向きは﹁朝日﹂(倉西注・博 文館が、講談社の大衆娯楽誌﹃キング一に対抗するために、 巨額の宣伝費をかけて昭和四年一打号から刊行を開始した雑 誌)の売れ行き不振が理由だが、裏には社内が将を慕う編 集者で固められ、新社長の意見が社内に伝わらないことが あったと思われる。﹂とある。しかし、この森下氏の著作では、 編集局長解任後、いつ雨村が博文館を退社したのか明確な記 述がなく、解任後すぐ退社したかのようにもとれるような書 き方がなされている。それに対して、江戸川乱歩の一探偵小 説四十年﹄(昭錨・フ・ 5桃源社刊。引用は、﹃江戸川乱歩全 集第器巻探偵小説四十年(上)﹄平玲 部光文社︹光 . 1 文社文庫︺刊、に拠る)の﹁昭和六年﹂の項には、﹁森下雨 村の博文館退社﹂という小見出しの下に、﹁貼雑帳には、森 下さんがこの年十一月に博文館を退社されたと書いてあるだ けで、別段の資料はないのだが、﹂(略)﹁たしか昭和二年の 中頃だったと思う、森下さんは博文館の総編集長(倉西注 編集局長のことか)となりご(略)﹁講談社の﹁キング﹂に 対抗する大雑竺朝日L一を創刊して、森下さん自身これの編 集長を兼ね延原謙君と共に編集の任に当たった。﹂(略)﹁後 に森下さんが退社するに至った事情の大もとに遡れぱ、やは リ、この﹁朝日﹂の問題が伏在していたのではないかと、当 時私は想像していた。退社の理由にはいろいろ複雑な事情が あったと思?が、その大もとを尋ぬればという一諌である。﹂ と、書かれている。雨村の事跡についての森下時男氏の記述 の年月が、時として暖眛だったり、明らかに誤りだったりす るのにたいして、乱歩の記述は明快である。しかし、その乱 歩にしても、まず﹁森下さんがこの年十一月に博文館を退社 されたと書いてあるだけで、別段の資椴ないのだが、﹂と 断っているように、記録ではなく記憶に基づいた記述が中心 となっていて、その点からも、その記述に全面的な信頼をお くことはできないと思われる。 横謹、この上諏訪ヘの転地療養について、﹁片隅の楽園﹂ (﹃ヒッチコック・マガジン﹄ 8SU。引用は、横溝正 史﹃探偵小説五十年﹄に拠る)では、﹁昭和九年ごろわたし は大峪血をやらかしたあとの体を、吉祥寺の家で養っていた のだが、たまたまそのとき頭脳のなかで出来上ったのが﹁鬼 火﹂の構想であった。すると、むやみやたらと上諏訪ヘ行き たくなって、女房子供をひきつれて上諏訪ヘ転居﹂したかの ように書いているが、﹁続・途切れ途切れの記﹂の﹁2 上 諏訪時代のこと,,,,付・乾君の世にも意外な手紙のこと﹂では、 ﹁正木不如丘先生から上諏訪はどぅかとすすめられると、矢 も楯もたまらずそこへいきたくなったのは、そこに湖水があ るからである。﹂と述ベ、正木不如丘からの打診、諏訪湖を 舞台とした小説の腹案を立てる、﹁鬼火﹂という題名も東京 2 ーフー H刀 34

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を立つとき既にできていた、という順序で、転地療養が実現 して行った、というように語り直している。 紅野氏にょれぱ、﹁出版法﹂にょる内務省における検閲制度 もともとは、正式には事:ル^1貪閲であったのだ力ゞ、それ力 実情に合わなくなってきて、﹁内閲﹂制度が導入される。す なわち、正式な刊行の前に、その校正刷を提出し、そこで、 抜き取る部分が指摘されるという、出版社と内務省警保局と の間の慣例である。しかし、この慣例も昭和二年には、様々 な政治的な愚から廃止され、﹁出版法﹂通りの事後検閲に 戻ってしまう。そしてそれが、各出版社の自己規制の強化に 繋がっていったのである。 紅野謙介氏は前掲書で、改造社に入社して二、Ξケ月ばかり の編集部員として初めての検閲処分を体験した時のことに基 づいた上林暁の私小説﹁伏字﹂令文藝﹄昭鈴・ 4)を引用し て、事後検閲の実態を、﹁切取つた部分は、係の警官に渡した。 要所を切取られ、﹁削除済﹂の判を捺された雑誌は、急に生 気を失つて、死物に化したやうに思はれた。癌物だから、商 品としても滅茶々々だつた。﹂と、生々しく示している。 江戸川乱歩﹃幻影城﹄(昭部・ 5 ・ W岩谷書店刊。引用は、﹃江

戸川乱歩全集第紛巻幻影城﹄(平巧

即光文社︹光 ] 文社文庫︺刊)の﹁探偵小説雑臂録﹂)に拠る。 横溝正史における岡本綺堂の作品の影響については、私も論 じたことがあるが、﹃半七捕物帳﹄よりも﹃探偵夜話﹄﹃今丑日 探偵十話﹄などの言わば探偵趣味の作品の叢"が強いと考 えている。詳しくは﹁﹁神戸在住時代の横溝正史(下) 1L 3 4 5 6 J ・ビーストンと岡本綺堂の影響から1﹂(﹃武庫川国文﹄第 六十九号、平N ・ 2)を姦されたい。 (くらにしさとし・本学准教授)

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