リスボン紀行 ○ プロローグ リスボン行きの計画も、相当早く、リオデジャネイロに行った際、ブラジルは、ポルト ガル語であるが、スペイン語が通じることが分かって、それなら、リスボンにも行こうと、 2016年の秋の頃に決め、まず、飛行機を確保、12月になったらホテルと空港からの 送迎サービスを予約した。一緒に、10月のワシントンDC,ボストン行きの飛行機とホ テルも予約した。リスボン行きは、空港に、夜着くが、空港から、ホテルへの送迎サー ビスが、エックスペディアで予約できたが、確認は、自分で、送迎会社に、メールでし なければならない。早々に、メールをしたが、返事が無い。6月になって、また、エック スペディアから、サンプルメールを送ってもらってメールしたが、やはり返事が無い。 エクスペディアの担当者は、英語で、自分で電話しなさいとのことで、東京とリスボン との時差が、8時間なので夕方、電話して見た・・・・・。当初は、国番号を間違えてい て(ポルトガルは、351番であるが、スペインは、34番で、この会社は、スペインの会 社。)全然出ない。仕方がないので、再度、エックスペディアに、電話したら、メールア ドレスが、違うとのことで、新しいメールアドレスに、メールしたが、一向に確認メール の返事は来ない。再度、家から、送迎会社に、電話して、通じたが、空港に、ブルーの シャトルバスが待っていると言うような返事があり、行ったら、空港で探せば乗れるら しい。まあ、行って、シャトルバスを、探し出すまでであろうか。 (結局、シャトルカーは、分からなく、タクシーで、ホステルに行ったが、帰ってから、エ クスペディアに、電話したら、この件は、返金してもらえた。) また、フランスでは、シャルル・ドゴール空港について、リスボン行きには、エアポー トバスで、オルリー空港に、移動する必要があるが、この間、3時間近くあるので、バ スの所要時間1時間のバスは、スムーズに、乗り継ぐ必要があろう。 日程は、以下の通り。 1. 2017年7月12日(水) 昭島駅(6:56 分発の青梅通勤特快)—神田—日暮里— 成田空港第二ビル駅(9:27 分着)へ。JL415便(11:40 分発)で、シャルル・ドゴー ル空港(17:10 分着)へ。エアーポートバス(旧エールフランスバス)で、オルリー 空港へ(所要時間1時間)。TP449便(20:40 分発)で、リスボン空港(22:05 分着) へ。Viajes Alamedaのシャトルバスor車で、Lisbon Hostelへ。 2. 7月13日(木) リスボン・カード(3日間)を購入して、市電・地下鉄・バス等で市内 観光。 3. 7月14日(金) リスボン市内観光、午後から、リスボン・クルーズ観光 4. 7月15日(土) 列車でベレンへ。ベレン地区観光
5. 7月16日(日) シントラ一日観光 6. 7月17日(月) ファティマ一日観光 7. 7月18日(火) 地下鉄で、リスボン空港(10:00 頃着)へ。TP6701便(12:10 分 発)で、フランクフルト・マインツ空港へ。JL408便(19:20 分発)で、成田へ。 7月19日(水)13:40分に成田空港着。 ○ 7月12日(水) 成田空港から、パリ経由リスボンへ 朝は、計画より、早く、五時半ごろ、昭島駅から、西国分寺で乗り換えて東松戸、成 田空港第二駅ビル駅へ。(立川からの東京行きが、座れたら、神田—日暮里経由考 えたが、座れなかったので西国分寺で乗り換えて武蔵野線で座って行けた。) 空港のJALのチェックインでは、行きの成田-パリ、帰りのフランクフルト-成田の JALマイルが貰えた。一日、一万円換算で、6万円をユーロに両替した。前回モスク ワ行きのJALは、プレミアム席だったので、スリッパがあったが、エコノミークラスの 席は、スリッパが無いとのこと。パリまでの座席の隣は、フランスのお兄さんであった が、珍しいことに、囲碁を打つそうだ。当初は、チェスが強かったそうだが、囲碁も、覚 えたそうで、囲碁仲間も、パリにいるとのこと。私は、本当は、初段位だが、見え張っ て、“二段”だと言っておいたが・・・。帰り際に、機会があれば、囲碁打ちましょうと別 れた。シャルルドゴール空港とオルリー空港間は、エアポートバスが走っており、空港 のチケット売り場で、お姉ちゃんに、バスの発車場所教わって、難なく乗り込めた。バ スは、途中、夕方のラッシュか、多少渋滞があったが、リスボンまでのチェックインに は、充分間に合った。 (囲碁を打つ“ルケス・エドワード”さんと) (空港間を結ぶ“エアポートバス”) リスボン空港では、やはり心配したとおり、送迎の車は、インフォーメーションのお姉 ちゃんに教わった、ドライバーの待合場所には、おらず、外のドライバーに、大声で呼
んでもらったが、居なかった。二度目にも、背広のお兄さんに、探してもらったが、いな いようで、会社に、親切にも電話してくれたが、業務時間外なので、誰も出ないとのこ とで、結局、タクシー乗り場の長い列に並んで、タクシーで行くことにした。長い列に並 んでいたら、アジア系の娘さんが、何故か、じろじろと私を見てくるので、アジア人は、 珍しいのかと思って“ソイ、デ、ハポネス、デ、トキョー。(私は、日本人で東京から来ま した。)”とスペイン語で言ってみたら、シンガポールで働いている台湾人の奥さんと アイルランド人のお父さんとの娘さんで、三人でポルトガルの友達のところに遊びに 来たとのこと。驚いたことに、奥さんもアイルランドのお父さんも、日本で働いたことが あるらしく、多少、日本語を話す。結局、英語で話すことになり、一緒に、タクシーに、 乗ることにより、割り勘で払うことで、お互いに得しようとしたが、メーターが、10ユー ロを過ぎたところで、家族は降りていったが、運ちゃんは、しっかりして、基本料金を取 る為に、また、私一人に成ったら、メーターを、リセットし直して、合計額、27ユーロだ ったかを請求してきたので、家族に貰った10ユーロと私の20ユーロで、“ケデセ、コ ンラ、ベルデ。(御つりは要りません。)”と30ユーロ払ってあげた。運ちゃんは、私に、 “シントラ・ツアー”案内するから、呼んでくれと電話番号書いたか紙くれたが、ちょっと セコイので(私の方がセコイか?)無視することにした。しかし、リスボン・ホステルは、 大分、分かり難いところにあり、タクシーでなければ、見つけるのが、相当難しかった だろうから、タクシー乗りは、成功であったろう。ここのホステルも、ストックホルムと同 じで、男女の区別なしで、同室。フロントのかっこいい黒人のお兄ちゃんが、一台きり のエレベータに、載せてくれて、4階の部屋まで案内してくれた。私は、二段ベッドの 上段で、夜中のトイレで、何度か、そっと降りても、ギシギシ音がして、下段のアメリカ のお兄ちゃん、周りの韓国のお姉ちゃん達には、迷惑を掛けたか。部屋は、クーラー 無しでも、結構涼しく寝やすかった。 ○ 7月13日(木) リスボン市内観光(1) 朝の6時ごろには、起き出して、当然、周りは、若い人ばかりなので、よく寝ている。 トイレとシャワー室が一緒なので、着替えを持って、シャワーに。髭剃りも済ませて、7 時頃、フロントに下りていったら、朝食は、二階で、7時半からとのことで、隣の共通フ ロアーの部屋で待っていたら、フロントの黒人のお兄ちゃんが、上げって来て、早めに 食堂に入れてくれた。ここの食堂は、食事が済んだら、使った食器は、自分で洗って、 食器入れに返すシステム。朝食済ませて、部屋に戻っても、皆まだ寝ている。私だけ、 そっと出掛けのナップサックに、雨は、降りそうに無いが、折り畳み傘、旅行ガイド、水 のボトル等入れて、出掛けた。ホステルを出て、最初の十字路を右折して下ったとこ ろに、カイス・ド・ソドレの鉄道、地下鉄の駅があり、鉄道の切符売り場で、“リスボン・ カード”あるか聞いたら、大通りをずっと行ったところのインフォーメーションセンターで
局、何人かに聞いて、リスボンの海の玄関口と言われるコメルシオ広場のインフォー メーションセンターで、買うことが出来た。スペイン語で、“プエド、パガール、コン、タ ルヘタ、デ、クレジット?(クレジットカードで払えますか?)”とカードで支払ったが、英 語も通じる。72時間(三日分)のカードを買った。これが結構便利で、無料で、入れる 施設や、割引の施設もあった。当然、列車、バス、(乗らなかったが。)、地下鉄、市電 は、乗れる。 (コメルシオ広場と勝利のアーチ) (広場から、遠くクリスト・レイが、見える) (勝利のアーチ) (ドン・ジョゼ一世の騎馬像) まず、市電の25番に乗って、(道路上に線路は走っているが、乗り場が何処か分か らなくて、何度か聞いて教わった。)エストレーラ聖堂へ。多分、リスボン・カードで、聖 堂内に入って、写真を撮って、隣のエストレーラ庭園には寄らず、帰ることに。降りた 市電の乗り場から、乗ったが、何処で降りてよいやら分からず、隣に立っていた黒人
のお姉ちゃんに、地下鉄駅近くで降りたいと言って置いたら、うまい具合に、カイス・ ド・ソドレ駅近くで降りるよう教えてもらえた。いたるところに、市電は走っているが、乗 り慣れないと乗るのは、そう簡単ではなさそうである。 (エストレーラ聖堂) (聖堂内部) カイス・ド・ソドレ駅近くのレストランに、昼食に。給仕のお兄ちゃんに、スペイン語で、 “ソイ、ツゥリスタ、ケ、レコメンダ?(私は、旅行客なのですが、何をお奨めですか?)” と聞いてみたら、メニューのどれかを指差して勧めるので、”シー!“とOKした魚料理 にしたが、期待が大きすぎたか、普通の魚の衣揚げであった。 (魚のフライ料理) (入ったレストラン内) 次は、リスボン・カードを使って、地下鉄で、隣駅のハイシャ・シアード駅乗り換えて、 マルケス・デ・ボンバル駅へ。近代ポルトガルの礎を築いたといわれるボンバル公爵 像は、直ぐ分かったが、その先のなだらかな坂を登ったところが、エドワルド7世公園 のようであるが、結構日差しが暑くて途中で、戻ってきた。
(ポンバル公爵像) (この先、エドゥアルド7世公園) 二つ地下鉄駅を戻って、レスタウラドール駅で降りた。駅の通りを進み、一旦通り過 ぎてしまったが、戻って、建物の間に、停まっていたケーブルカーに乗ってみた。ケー ブルカーも、リスボン・カードで乗れた。登りきった所が、サン・ペドロ・デ・アルカンタラ 展望台であったが、工事中の為か、大きなクレーが有ったり、金網が張ってあったり、 リスボン市内を見渡せるパロラマ展望台とは、言えない。展望台の近くの、1584年、 苦難の航海の末に、リスボンにたどり着いた日本の天正遣欧少年使節が、一ヶ月近く 滞在したと言われるサン・ロケ教会に行って見た。少々、坂を下ったところに、カルモ 教会があるよだが、リスボンの街は、坂道多く、上り下りに疲れて、ケーブルカーで、 地下鉄駅まで戻ることにした。 (ケーブルカー内)
(展望台から)
(正面、サン・ジョルジェ城か)
(サン・ロケ教会内部)
天正遣欧少年使節達は、いったいどんな気持ちで、何を考えて、こんな遠くの異国 の教会で過ごしたのだろうかと考えると不思議な気にさせられる。
(帰りのケーブルカー)
地下鉄駅で、今度も、バイシャ・シアード駅乗換えで、ロシオ駅まで。
(ロシオ広場の噴水)
(初代ブラジル王になったドン・ペドロ4世の像) 朝の訪問予定リストを何件か、パスしたが、疲れて、ホステルに戻って、昼寝をする ことにした。夕方起きると下段のアメリカの学生さんのサミー・イダさんも、丁度同じよ うに起き出したので、一緒に、夕飯を食べに。駅の近くのセルフで注文料理と飲み物 をお盆に載せて、テーブルに運んで、食事するレストラン。テイク・アウトも、できるよ うである。 (アメリカの学生のサミー君と) 彼は、苦学生と見えて、帰りに、明日の夕飯の肉、野菜等を買って、自分で、ホステ ルで料理するとのこと。食後に、パーティーに行こうと誘われたが、飲んで若者と騒ぐ 元気なく、ご辞退した。帰ると部屋の入り口の二段ベッドには、カナダの女学生二人 が、来ていた。下段の眼鏡のお姉ちゃんは、若いのに太っているからか、糖尿病で、
疲れ切って、梯子段を登るのを気の毒そうに、見ている。私は、早々に、ベッドで寝た が、何時も、ベッドに寝ていて、話しかけたこともない周りの韓国のお姉ちゃん同様、 何度か、トイレに起きて、梯子を降りるギシギシの音で、迷惑を掛けたか。 サミーには、明日は、買ってきた肉や野菜いは、ランチにして、夕方、5,6時頃、私 が帰ってきたら、御馳走するから、夕飯を御一緒しようと言って置いた。 ○ 7月14日(金) リスボン市内観光(2) 朝は、私が起きる前から、韓国の学生さん達が、今日帰るらしく、パッキングや、ひ そひそ声の会話で、起こされた。しばらく、ベッドで寝ていたが、彼女らが、出た後、私 も、起き出して、周りは寝ているので、リックを背負って、シャワー室で、シャワー、髭 剃り、着替えを済ませた。戻って、ベッドの上に、着替えた下着を、乾燥させようと、広 げて置いて、朝食に。今日も、一番乗り。リンゴを洗って、オレンジと食後の果物に、 パン(何種類かあり)を半分に切って、バターを塗って、ハムとチーズを挟んで食べる。 (これが、定番の毎朝の朝食となった。)隣の共通ルーム(娯楽室?)で、今日回るとこ ろのリスティング。8時過ぎには、ナップサクを背負って、フロントのお姉ちゃん達に、 挨拶して出かける。 (朝の食堂からのクリスト・レイ) 今日のメインは、サン・ジョルジェ城であるが、地下鉄でロシオ駅まで行って、そこか ら下るか、コメルシオ広場から、サント・アントニオ教会、カテドラルを回って登って行 くか考えたが、コメルシオ広場から、行くことにした。 結局、途中のサント・アントニオ教会、カテドラルを見て、サン・ジョルジュ城まで、歩 いて坂道を登ってしまった。
(サント・アントニオ教会)
(カテドラル内部)
サン・ジョルジュ城も、リスボン・カードを見せたら、25%引きの料金で、入場できた。
(入り口の門) (入って直ぐの兵士の像)
帰りは、お城の近くに停まっていたエレクトロリコというオレンジ色のバンに乗ってロ シオ駅まで戻れた。これも、リスボン・カードで乗れた。
ロシオ駅から地下鉄を乗り継いで、サンタ・アボローニア駅へ。サンタ・エングランシ ア教会も、坂の上にあり、直分かったが、近くのはずのサン・ヴィセンテ・デ・フォーラ 教会は、中々、見つからなかった。探し回って、疲れたので、帰りは、近くを走っている 市電28番に乗ったが、・・・・・。 (軍事博物館、入れず) (サンタ・エングラシア教会) (教会内部))
(サン・ヴィセンテ・デ・フォーラ教会) (教会内部) (教会内部) 乗った市電28番は、混んで来て、お婆ちゃんの足を踏んだらしく、“ロシエント、ソー リー、”と繰り返し、スペイン語と英語で謝ったが、しばらく、ブツブツ文句言われてし まった。さて、この市電は、何処に行くのやら・・・・、乗ってきた大きな帽子被ったお姉 ちゃんに、“エクス、キューズ、ミー?”と地下鉄駅の近くで降りたい旨聞こうとしたら、 “日本語でいいですヨ!”と日本のお姉ちゃんで、一人で観光して、市電も慣れている ようである。聞くと一人旅の極意は、スマホの地図情報とのことで、現在地が、地図上 に表示されるらしい。本人は、カテドラルに行きたいらしいが、カテドラルの近くは、私 が話しかけたせいか、通り過ぎてしまって、私の見慣れた“コメルシオ広場”近くの停 車場で、一緒に降りた。私は、カテドラルは、もう行ったので、カテドラルの方向教えて、 “気をつけて!”と別れた。女性のスマホの地図情報での一人旅、中々、スマートで、
かっこ良かった。私は、数年前、北欧を旅行した際、韓国のお兄ちゃんと一緒に、ホス テル等探した際に、彼のスマホ地図情報で、探したが、結局、私の持っていたグーグ ルの地図で探し当てた経緯があるし、スマホの充電が、大変で、彼は、何しろ、何処 に行っても、電源を探して、充電していたのを見ていて、私には、向いていないと、未 だに、ガラ系の携帯(充電池一個持って行けば、一週間は、使える。)であるが、彼女 のGPSスマホでの一人旅での充電の話を聞くと、今は、何処の国でも、Wifi端末で、 何処でも、充電できるとことで、私は、ちょっと、時代に取り残されているのかと思った りした。 コメルシオ広場周辺は、よく知っているので、カイス・ド・ソドレ駅近くのレストランで、 昼飯とした。今日も、坂道を良く歩いたので、相当疲れたので、帰って、ホステルで、 昼寝と戻ったら、今日から、部屋が変わって、3階の二段ベッド3台の小部屋で、窓際 の二段ベッドの下の段で、こちらの方が、快適なので、ちょっと高くなった理由が、分 かった。(と言っても、1,998円が、2,119円に、あがっただけ。)フロントでは、ベッ ドの上に、広げておいた下着類のビニール袋詰めたものを渡された。新しい部屋のカ ードを貰って、古いカードで、リックの荷物を取りに行った。その際、サミーのベッドの 上に、私の部屋の名前を書いて、今日の夕飯を食べに行こうと言うメッセージを置い てきたが、結局、夕方まで寝ていたが、来なかったので、一人で、駅近くのレストラン へ。ビールとワインで、ほろ酔い加減で戻ったら、部屋には、アメリカの23歳と24歳の お姉ちゃん二人が来ていた。私は、早々に、寝ていたら、もう一人、私の上の段に、中 国人のお父さんとオーストラリア人の混血のお姉ちゃんが、一人来た。アメリカのお姉 ちゃん達は、今日は、金曜日で、外は相当、騒がしいく、パーティーに出かけたらしい が、このお姉ちゃんとは、少々、孫が五人いるとか、得意の“女性の幸せは、お母さん になること。”を私の娘家族を見ていて確信した等話などしながら、外の大きな音楽の 騒ぎは、気にせずに、寝ることとした。 (新しい部屋からのクリスト・レイ)
○ 10月15日(土) ベレン地区観光 朝起きて、トイレに行った際、多分、4時過ぎだったか、廊下で、男性と別れのハグ などしている二人連れのお姉ちゃん達に、“グッド・モーニング!”など挨拶したら、同 室のアメリカのお姉ちゃん二人だった。こういう金曜の夜の馬鹿騒ぎのできるのも、私 には、真似出来ない若さの特権であろうか。朝食まで、まだ、少々時間が有るので、 また、寝て、6時頃起き出して、荷物を持って、シャワー室で、シャワー、髭剃り。今日 も、朝食は、一番乗りと二階に下りて行って、ちょっと早いので、娯楽室を覗いたら、 驚いたことに、サミーが、ソファーで寝ていた。今日こそ、夕方戻ったら、夕飯御馳走 するよと言って置いたが、・・・。 (ベレンへの列車、リスボン・カードで乗れた) (車内) まず、駅から、一番遠くそうであるアジュダ宮殿に、行くことにしたが、これがまた、 坂道を登るしかない。何度か、通行人に確認をしながら緩やかな坂道を登っていった。 (この坂道を登る) (宮殿の高台からのクリスト・レイ)
(アジュタ宮殿) (宮殿中庭) 着いた時刻が、9時頃だったので、かつての王室の暮らしの華やかさがしのばれる と言われる宮殿内に、入れるのが、10時からとのことだったので、残念ながら、帰るこ とにした。宮殿の前のバス停で、“パラ、ベレン、エスタシオン?(ベレン駅に行きます か?)”と聞いたら、“No!”とのことで、宮殿の裏の通り(登ってきた通り)のバス停な ら行くらしい。帰りは、下りなので、やはり、歩いて戻ることにしたが、途中のお店で、チ ョコアイスを買ってお店のテーブルに座って食べて休んだりした。 次は、ベレン宮殿へ。こちらも、地図上は、直ぐなのであるが、分からなくて、何度も、 通行人に、確認して、探し当てた。入って、受付で、聞くと英語のガイド案内は、午後 の4時半からとのことで、ガイドの案内が無ければ、入れないとのことなので、他の観 光を済ませてから、来ることにした。
(ベレン宮殿) (ブラジル王の像だったか) 鉄道の線路を、陸橋を渡って、海側の“発見のモニュメント”と“ベレンの塔”を見に 行くこととした。 (発見のモニュメント) 先頭は、エンリケ航海王子、インド航路発見のバスコ・ダ・ガマ、世界一周のマゼラ ン、一番下側に、フランシスコ・ザビエル像も有るとのこと。 次のベレンの塔に行こうとしたら、日本語が聞こえてきて、二人連れのお姉ちゃんた ちが、居たので、一緒に、ベレンの塔へ。ベレンの塔では、入場に、長蛇だの列だった ので、彼女達と昼飯でも、御一緒したかったが、ベレンの塔内の見物は、私は、止め にして、既に、彼女達は、見てきたと言っていた“ジェロニモス修道院”に、行くことにし て、彼女達とは、“お気をつけて!”と別れた。
(長蛇の列のベレンの塔) (近くの何故か飛行機の展示) 再度、ベレンの塔の近くの陸橋で、線路を渡って、北側へ。
(右奥の塔が、ジェロニモス修道院) (西側の海洋博物館)
(ジェロニモス修道院と繋がっている西端の塔)(その内部)
ジェロニモス修道院へは、結構入るまで、列を並んだが、リスボン・カードを見せて、 割引料金で、入れたか。隣の教会へは、直ぐ入れた。
(修道院の隣の教会内部)
続いて、隣の国立公庫博物館に入った。
からなので、少し早いが、ベレン宮殿に行くことにした。ガイドの案内まで、まだ早かっ たので、待つ間に、展示物など見学。
(嘗ては、珍しい動物の檻、今は、動物はいない) 結構、案内に、時間が掛かり、ベレン駅に戻って、列車に乗って、ホテルに戻ったら、 既に、夜の8時を回っており、サミー君との約束は、実行できなかった。多分、もう、帰 国したか、リスボンを離れたかしたようだ。また、ホステルの坂を下りて、駅の近くのレ ストランで夕食とした。 ホステルに、戻って、フロントのお姉ちゃん達に、多分、ベレンで会った日本の二人 連れの娘さんとの会話で、シントラは、観光客で、一杯だった話を聞いていたので、シ ントラへは、月曜日にして、日曜日の明日は、多分空いているであろう“ファティマ・ツ アー”に行くことにして、ツアーの話を聞いたら、イエロー・バスで、明日朝、コメルシオ 広場のキオスクで、朝の9時ごろまでに行って申し込むと行けるとのことのこと。
○ 7月16日(日) ファティマ・ツアー 朝起きて、何時ものシャワー、髭剃り、朝食の一番乗り、今朝は、何故か、モロッコだ ったかの黒人の叔父さんが、私のテーブルの前に、座っていいかとか聞いてきたので、 “プリ-ズ!”と答えて、少々、英語で会話したか。何処か、健康を害しているようなの で、健康の為に、オレンジとリンゴ食べるよう勧めたが、コーヒーとバター塗ったパン に、ハムを挟んで、食べただけで、彼は、戻って行った。 8時過ぎに、コメルシオ広場まで歩いて行ったが、インフォーメーションセンターは、 9時過ぎまで開かないとのことで、広場の景色など眺めて時間を潰した。 インフォーメーションセンターが開いたので、ファティマ・ツアーの申し込みの話をした ら、丁度、もうじき出発するとのことで、昼飯付きのツアーを、カード払いで申し込んだ。 近くのキオスクでも、申し込み受付を行っていて、ファティマのワッペンを張った人達 が居り、私も、申込用紙出して、ワッペンを貰って、胸に貼り付け、近くのベンチで出 発を待った。背の高い金髪の叔母ちゃんが、今日のガイド(カトリーナさん)で、皆を、 イエローバスに連れて行くので、私も、慌てて着いて行って、広場から少し歩いた路 地に止めてあったバスに乗り込んだ。 バスに乗り込むと、一時間位走って、最初は、城壁に囲まれたオビドスへ。バスを 降りると、レモスさんの家族の娘さんは、英語を話すので、御一緒することとした。お 父さんとお母さんは、私のスペイン語は、分かるようだが、お父さんのポルトガルは、 私には、全然分からない場合が、多かった。その際は、娘さんに、通訳してもらった。 (城壁に囲まれたオビドスの街並み)
(イスラムの時代に作られたメインゲート)
(御一緒したレモスさん家族と)
(城壁の上の娘さんとお父さん) 続いて、バスは、港町“ナザレ”へ。 (ナザレの海水浴場) ここで、昼食となったが、御一緒したレモス家の三人は、自分達で、別のレストラン に、行ったようだ。港町なので、当然、(ペスカド)魚料理を注文した。 (御一緒した夫婦、赤いシャツは、カナダに移住したポルトガルの夫婦)
(ツアー御一緒した皆さんと)
(ノッサ・セニョーラ・ダ・ナザレ教会)
(レモスさん家族) (ご夫婦と)
続いて、高台をバスは、内陸部に向かいバターリャのバターリャ修道院へ。
(地元の英雄アルヴァレスの騎馬像)
(修道院内部)
続いて、ツアーの最後は、第一次大戦中の1917年に、三人の羊飼いの子供たちの 前に、聖母マリアが、現れた奇跡の地“ファティマ”へ。今では、カトリックの聖地となっ ているとのこと。 (バシリカ) (出現(聖母マリヤ)の礼拝堂) (蝋燭の火を絶やさない、レモス家族も、蝋燭に火をつけて、祈願していた) (バシリカ) (バシリカ内部)
(熱心にお祈りするお父さんと娘さん) (笑顔のご家族)
(バシリカ内部)
バシリカの反対側の聖三位一体教会にも、レモスさん家族と一緒に、行って見た。 (聖三位一体教会の内部) 帰りは、ガイドのカトリーナさんが、待っていたバシリカの広場近くのお土産屋さんの 外のベンチで、バスが来るのを一緒に待った。他のツアー客も、集まって来た。レモ スさん家族は、お土産屋さんで、何か探していたが、私は、お土産は、買えない主義。 (今、思えば、当初は、我が家の家族にも、お土産を買って帰ったが、嘗て、喜ばれた 試しがなくて、その内、買えない主義になって、既に、何年も。) 帰りのバスは、一路、リスボンに向けて走り、二時間位でリスボン市内に着いたか。 今回のツアーの解散場所は、当初のコメルシオ広場近くの路地で、レモス家の皆さん とは、“ナイス、ツー、ミーツ、ユー!グラシャス!と三人と握手をして別れた。ホステ ルに戻る前に、何度か行ったレストランで夕食を食べ帰った。フロントのお姉ちゃん達 には、明日のシントラ・ツアー申し込んだ。ホテルの地図で、待ち合わせ場所をボー ルペンで記入してもらって教わった。部屋に戻ると、私の上の段には、オーストラリア 娘さんの代わりに、アメリカのはげ頭のお兄ちゃん、隣に、その彼女のイタリアの先生
こと。“と話したら、何故か、先生の給料は安くてとか何とか言っていた。アメリカのお 兄ちゃんは、爪切り持っていて、私の爪が、割れたので、貸してもらえて助かった。レ ストランで、少々ビールとワイン飲んだので、直ぐにダウン。 ○ 7月17日(月) シントラ・ツアー 隣のアメリカのお姉ちゃん達は、今日が帰りと見えて、私の起きる前から、パッキン グなどを始めて、目が覚めたが、うとうとしているうちに、二人とも、いなくなっていた。 私も、そっと起き出して、荷物を持ってシャワー室で、シャワーと髭剃り。今日も、朝食 一番乗り。何時ものように、食事の用意する叔母ちゃんとお姉ちゃんに、“ブエノス、 ディアス!”と言って入って食事。 今日のシントラ・ツアーは、14時出発、20時戻りなので、午前中のうちに、フロント のお姉ちゃんに、昨夜教わった待ち合わせ場所を確認に、ホステルから坂道を登っ て行った。驚いたことに、待ち合わせ場所は、最初の日に、地下鉄、ケーブルカーで 登ったサン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台だった。地下鉄、ケーブルカーと乗ったり したのでホテルからは、かなり離れたところかと思っていたが、意外と近いところだっ た。展望台からの帰りは、前回見過ごしたカルモ教会に行くことに。また、来る時の途 中の広場は、カモンイス広場だったので帰りに、写真を撮ることにした。 カルモ教会は、探すのに、坂を下ったり、分からなく、通行人に聞いたりして、やっと、 探し当てたが、今では、教会ではなくて、展示物のある博物館になっていた。 (午後のシントラ・ツアーの待ち合わせ場所のサン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台)
(前回往復したケーブルカー)
(天正遣欧少年使節が、滞在した、サン・ロケ教会)
(確かに、屋根が無い!) (室内の展示物) 歩きながら、レストラン探したが、見つからず、結局、何時ものレストランまで。 途中で、カモンイス広場のポルトガルの最大の詩人としてたたえられているルイス・ デ・カモンイス(1525年~1580年)の像が、あった。(大航海時代のポルトガルの偉 業を歌い上げた詩人。ロカ岬に、彼の詩の石碑があった。)
(カモンイスの像) (カモンイスの広場) 何時ものレストランで、昼食を早めに食べて、長い食休みをしてから、午前中に、確 認しておいた展望台の待ち合わせ場所へ。展望台の木陰の椅子で待っていたら、2 時近くに、目の前の停まっていた黄色のバンに長髪で髭もじゃのお兄ちゃんが来たの で、聞くと“シントラ・ツアー”のガイド兼ドライバーとのことで、車内清掃するので、道 路の反対側のスシ(寿司)レストランの前で待っていろとのことで、寿司レストランの前 に行くと、今日のツアー客らしく人が、何人か来ていた。 丁度、ツアー客は、8人で、アメリカの学生ペアーのアダムスとその彼女、マンチェ スターからの叔母ちゃん、ブラジル、イタリア、フランス、もう一人、アメリカの(多分、 フリッピン系か?)数学の先生のお姉さま達。最初は、“カスカイスの海岸”へ。 車から降りると、中々、砂の深い靴では、歩き難い砂浜を歩いて、海岸まで。 (マンチェスターの叔母ちゃんが、撮影) 続いて、バンは、ユーラシア大陸の西の果てのロカ岬へ。
(今回のツアーのバンとガイドのアレックス)
(ユーラシア大陸の西の果て)
(アダムス、ガイドのアレックスと) (何故か、白馬のお巡りさん)
続いては、バンは、シントラ山脈の山の中へ。歩いて坂を登って、ムーアの城跡へ。 山道を登るのは、辛いのは、私だけのようで、皆は、元気に上って行く。
(途中のベーナ宮殿) (ベーナ宮殿) シントラに向かう途中でベーナ宮殿が、ここは、寄らずに、シントラへ。 レガイラ宮殿は、入場料を取られるが、“テンゴ、セセンタ、イ、ヌエベ、アニオス。(私 は、69歳です。)と言ったら、シニヤ料金では入れたが、スペイン語で言ったので、パ ンフレットは、エスパニョル?と聞かれてしまって、慌てて、No!イングリシュ!とお願 いした。ガイドのアレックスは、レガイラ宮殿の出口で待っているとのことで、皆で、私 は、アダムスペアーに着いて行ったが、結局、途中、ばらばらになるも、8人は、一緒 に歩き回った感じ。出口で、アレックスが、待っていて、皆で、近くのスイート屋に。 (皆で、レガレイラ宮殿の庭園に。)
(深い螺旋階段の洞窟が)
(庭園の池) (結局、8人で行動をともに!)
(レガレイラ宮殿)
(宮殿室内)
(宮殿外観)
出口で、アレックスが待っていたが、アレックスは、心得たもので、女性が多いので、 行きつけのスイート屋へ、皆を連れて行った。
(スイート屋で、今回の全員) (王宮) (左から、陽気で大笑いするアメリカの数学の先生、フランスのお姉ちゃん、ブラジル のお姉ちゃん、マンチェスターからの叔母さん、アダムス、見難いが、アダムスの彼 女、イタリアのお姉ちゃん、筆者、ガイド兼ドライバーのアレックス) (シントラ近くの山頂は、ムーアの城壁が) (王宮) 王宮の近くまで皆で歩いて行ったが、中には入らず、バンの停めてある所まで戻り、 皆で乗り込み、リスボンに戻ることに。
(展望台での解散) (展望台からの遠くサン・ジョルジュ城) 一時の旅の仲間でも、別れは、ちょっと寂しいものがある。 ホステルに戻る前に、何時ものレストランで、夕食。ホステルの部屋には、アメリカの お兄ちゃんも、イタリアの先生も、戻っていて、私は、明日帰る等の話しをして、早々 に、ベッドに。窓を開けても、蚊は、入ってこず、クーラーが無くても、涼しく寝られた。 ○ 7月18日(火) 帰国 何時ものように、早起きして、シャワー室で、シャワーと髭剃り、何時ものように、食 堂に、“ブエノス、ディアス!”と食堂の叔母ちゃんとお姉ちゃんに、挨拶して、何時も のように朝食。今日で、お別れかと思うとちょっと寂しい気もするが、言葉には出ない が、6日間、毎朝、お世話になったものだ。夜間のフロント対応のかっこいい黒人のお 兄ちゃんも、朝食を食べてから、帰宅するようで、食堂の叔母ちゃん、お姉ちゃんと談 笑しながら、食べていた。 リックを背負って、フロントお姉ちゃんに、“アディオス!”と別れの挨拶をしてホステ ルを後に、カイス・ド・ソドレ駅へ。地下鉄は、乗り慣れたので、アラメダ駅乗り換えて 空港へ。10時頃には着いた。明るい空港の待合室で、TP6701便を待つ。持って来 た“フンボルトの冒険”等読んで、時間を潰した。この便は、ドイツのフランクフルトの マインツ空港行きで、空港には、16時過ぎに着き、19:20分発のJL408便に、乗り 換え、成田へ。帰りの便は、偏西風に乗って早いせいもあってか(気のせい?)、また、 疲れて飛行機の中で寝たせいも有ってか、成田には、翌日の19日(水)13時半過ぎ に、早く着いた気がした。何時もの、京成線アクセク特急で、東松戸駅乗換え、武蔵 野線で、西国分寺駅乗換え、立川、昭島と無事帰国。
○ エピローグ リスボンまで持っていった“フンボルトの冒険”(アンドレア・ウルフ著)を読み終えた。 ゲーテとの交流や、ダーウインのビーグル号の冒険に、彼の書いた本の影響が有っ たことや、コロンビアの独立の革命家“シモン・ボリバル”への影響や、彼の副官との 書簡のやり取りまでした経緯は、驚きである。また、“地球は、一つの生命体であり、 人為的な、破壊行為を受けていると言うような、現在のエコロジストのような洞察には、 驚かされる。スペインによる中南米の奴隷制度には、鋭い批判をした為に、インドで の植民地制度の批判を恐れたイギリス政府(東インド会社の役員?)の為に、インド、 ヒマラヤへの冒険が、実現できなかった経緯も、中々、考えさせられてしまう。 遅くなってしまったが、フランスのパリへの隣り合わせたルケスさん、夕飯ご馳走で きなかったアメリカの学生のサミー君、ファティマ・ツアーのレモス家の娘さん、御一 緒した、カナダの叔父さん、昼食を隣り合わせた叔父さん、それに、シントラ・ツアー の何人かに、写真をメールで送った。 以前も書いたが、旅の面白さは、ツアーで御一緒した皆さん、ホステルのかっこい い黒人のフロントマン、お姉ちゃん達、食堂の叔母ちゃん等の本当に、一期一会の人 達との出会いでは、無かろうかと言う思いを更に強めた今回のリスボン旅行であった。 中年からの海外旅行 第三十四章 完