博 物
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秋
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展
熊野勧心十界図 ( 津市練戸第
二
―第二自治会蔵)
輩 寡 斧 選 でょ j 替
露 停 疫 す 。
人 董 か 森
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さだ とか_ 7 _ ‐
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… ―
遠 く
と
近 く
の熊野
中 世 熊 野 と
北 区展
なぜ北区 に王子神社 、紀州神社 、熊野神社な どの和歌山関係の神社が
あるので しょうか ? 六
阿弥陀詣で有名な西福寺、無量寺、与楽寺の阿弥
陀様が、熊野か ら漂着 した霊木 で作 られた つて本当なの ? 飛
鳥山のル
ー
ツが新目市の阿須賀神社 にある つて、 こ存 じですか ? な
ぜ石神井川を音
無川 とも呼8 ヽ
ので しょうか ? こ
れ らの謎が今 、企画展でアカサ レル ! !
●
企 画 展 付 帯 事 業
( 1) 記
念講演会 「
熊野へのまなざし
」
■ 国時 i 10月28日 ( 土) 18時30分∼20時30分 ■ 会場: 北とぴあ さくらホ
ー ル
■ 講師 i お茶の水女子大学助教授 岩壁 茂氏 ・和歌 出大学教授 海 津
一 朗氏
( 2) シ
ンポジウ
ム 「
中世の人の
一
生 熊 野勧心十界図」
E t t B寺:1 0 月2 9 国 ( 国) 1 3 時3 0 分∼1 6 時3 0 分 ■ 会場 :当館講堂
■ 講師 !明治大学教授 林 雅彦氏 三重県史編さんグループ 消ヨ1 租也氏 ・鈴鹿市盛福寺住職 村主元秀貢
( 3) コ
ンサ
ー
ト「
岡 美 保子の音楽で語る 『
熊野古道を歩し
ヽ
た しヽ
にし
え人の心』
」
■ 国時: 1 1 月1 1 国( 土) 1 3 時∼1 4 時 E 会 場t 当館 講 堂
■ 演 者:グ回―バ ル ミュ ー
ジック代 表 岡 美 保 子 氏
【
申
込】
往復は
が
き
で申込。
( 1) の
み電
子申
請可。
( 詳
細は
北区
ニュ
ー
ス10月
1日
号をこ
参照く
ださ
し
ヽ
。
)
【
締切】
( 1) ( 2) 10月
21日
・
( 3) 10月
30日
必着 応 募者多数の場合、
抽選。
熊野那智参詣量奈羅 ==荘 =莞 一 第二 自治会蔵 )
″
I Ⅲ
Ⅲ
ガ
博1物
1館
│で
1嬢
‐
蒸す
│る
という
こと ( 続)
知られてし
ヽ
まする4つの薬斉
」
それぞれに長短があり
、決定版
というような薬剤はまだ確立されていません。これらの中
で投薬墨が
一
番少なく
嬢蒸の本来の目的である殺虫
・
殺卵
のほか殺菌に対 し
ての薬効が高いものが①で した。検討 し
た結果、昨年十
よ
①で実施することにし
、結果は良好で し
たも
し
か し
、この葉斉
」
は引火性が強いことや気イ
ー
L 器などの―
設備
投
資が新たに
必要で、施正会社が少ないことが難点で し
たる
そうし
た事4青
も手伝い本年は他の薬斉
」
を試みてみまし
た。
使用 し
たのは以前異化メチルを使用 してし
`
た会社が後継に
開発 し
た③です。ただ、この薬斉
」
は他の薬斉
」
と比べて非常
に多く
の投薬量が必要で し
たので、ガス抜きに長時間費や
して しま しヽま した 。 博 物 館 で は 燻 蒸 は 大 切 な 業 務 で す が 、
保 存 科 学 の 画 か ら本 来 的 に何 の 薬 斉」を 使 用 す る こ と が 望 ま
ししヽか、今後 さ らに研 究 して い く必要 を感 じてしヽます。 ( 守)
丸
!川
L
夫
!通
の
歴
史
現 代 は 、国常 的 な 交 通 は ほとん ど鉄 道 か道 路 か とい う時代 だ が 、かつ て 水 上 交 通 が生 活 の 中 で に大 き
なウ
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イ
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を占めていた時代の記憶は
無く
なり
つっあるのでは
ないだろ
う
か。
東の武蔵野台地と
西の
東
京 “ れ との境 目に位善する│ じま域 も、そこにと1 人
│ ‐? く
らしは台地
つ亭 卓│ ‐ヤ
子して流れる
コ│ │ つ
を 接 志 菌係 を持 つていたも明治から昭和 にかけて1鉄道馬車 や鉄道が普及 じt 薩路 が感 ん になる以前 t 東
京 ―
サ│1越間の交通 │よ主 に荒川 が大動脈 となつていたのである。荒川 にまつ わる交通 の歴史 を少 し紐解
しヽてみよう。
明治年 間は 一
区間 ―
銭 のいわ ゆる 「ポンポン蒸気踏 」が登場 し、交通の主役 をになうようになつたが、
│ ひらた ― ■ ‐ ‐‐ ‐ ‐ ‐
子4平 評
│よ定員30争 1干
ギ? │「
捕船」( 通称 「) │1呼 , マ
タ」) が活躍 したる1夜船として川越 ―
東京間を, 7‐■ 離 離 ど創 ナて鷹 穣 訟 粗 胡 潮 舛 印 : 義たちたと臨 ■ ■ │ │ │ ■ │ ‐
そもそも、荒川を水の道として整備したのは江戸幕府であつた。寛永6年 ( 1629) 、もともと現在の元 荒川ル
ー
トで吉利根川に合流してしヽた流路を入闇川水系につけかえて、隅国川ル ー
トで江戸湾に注ぐと
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1継荷の揚│ザ降ろし場である 「河岸場」は物資の行き交う場所として賑わうた。明治時代には荒サ│1流域 で実に130ケ所以上もの河詳場が存在 し、現在北区となつている地域には、神谷・豊島 岩淵などに河岸 場があつた。江戸へは芋・米 昧増 醤油などが運ばれ、逆に埼玉方面に1よ溝 1塩 石灰などが送られた―本
‐‐‐ ‐ │ ‐
‐ ‐
│ ‐│ │ │ ‐ ‐
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園本や中国産の陶器わWI I を遡つた。
更に古い時代、古墳時代前期 ( 4世紀代) の河ナ│1交通も、その足跡が遺跡l t 残されている。1991年から
││ ‐ │ │ ‐ │‐ ‐‐││││││
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弔扇方面 の 内陸
へ至る、
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川 の上 の通勤幡
∼
梶原 の渡船場跡
白山堀 / AN園
の 奥 に昭和 3 6 年 ( 1 9 6 1 ) まで堀 船 と足立 区の 目
城 を結 ぶ 「梶原 の渡 し」がありました 。明治4 2 年 ( 1 9 0 9 ) 、堀船
に下 野紡 績 の工場 が建 てられ 、渡 し│ よ対 岸 の 宮城 ( 1 日江 北村 )
から通 う娘 さんたちの運動路 として利 用されていました。隅 田
サ│ │ ( 旧荒サ│ ) に沿つた北 区には、高 くから多くの渡 しがあり、梶 原
の渡 しの下 流 には足 立 区側 の工場へ向う通勤者 の ため に設 け
られた船宮の渡 しもありました。
現在 、渡 し場跡 にはいたすら書きがされた説 明板 があるだけ
う
簡麟
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ン
母
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罪
梶 原 の 渡 し場 付 近 。対 岸よマ ンシヨン や 工 場 が 林 立 して しヽます 。
船 方 神 社 の 奥 の 十 二 天 塚 ( 右) 。 碑 の 背 後 は す ぐ隅 国川 で す 。
…
Ⅲ‐ ― ― ― 一
‐
一
おす す め散 策 コ ー
ス
荒川 車 庫 前ヘ
郭上
_ 野
かな し
い伝説とともに
∼
船方神社
神 亀 2 年 ( 7 2 5 ) に創 設 さ れ た と伝 え られ て しヽます が 、火 災 で
記録 が焼 失 して いるた め定 か で │ よあ りませ ん 。明治 1 2 年 ( 1 9 3 7 )
に船 方 神 社 と改 称 され ま した が 、高 くは十 三 社 と呼 ばれ て い ま
した 。
社 殿 の 右 奥 には六 阿弥 陀 伝 説 とつ な がる 「十 三 天 塚 」とい う
碑 が あ ります 。そ の 伝 説 と│よ、この 地 を 治 め て い た 豊 島 氏 の 娘
が対 岸 の 足 立 氏 に嫁 い だ ところ心 な い仕 打 ち を受 け 、娘 │よ荒 川
に入 水 し、そ れ に殉 じて 12人 の 侍 女 も次 々 と身 を 沈 め た とい う
も の 。亡 くな った 娘 た ち を供 養 す るた め 、豊 島 氏 は熊 野 権 現 で
得 た 霊 木 で 六 体 の 阿 弥 陀 像 を 作 り祀 つた としヽうの が 六 阿 弥 陀
の 由来 とな つて い ます 。この ほか 、社 殿 左 倶」には水 神 宮 と煉 瓦
造 りの 作l 輿庫 もあ ります 。ここで ぜ ひ地 域 の 伝 承 や 歴 史 に触 れ
て み て くだ さい 。 ( Y)
※ 娘の実家を足立氏、嫁ぎ先が豊島氏とされる場合もあります。
都 電 1 0 0 年の味わ い
∼
都 電荒川線
明治44年 ( 1911) 、飛 鳥山
一
大塚 間で開通 した路画 電車 、これ
が現在残 つてしヽる都 電荒川線 の始 まりです。当 時、王子 電気軌
道株式会社 ( 通称 王 電) によつて運行 されていたこの路線 は、
約 100年が経過 した今 も早稲 田
一
三ノ輪橋 間を元気 に走つてい
ます。全 区間 ] E 寺間弱 という道 の りは、東京 の下 町観光 にもうつ
てつ けです。
堀船 の住民 にとつても貴重 な足 となつている荒川 線ですが、
この地 区の ほぼ中心 にあるの が梶 原停留 所 です。停 留所 のす
ぐ近 くにある和菓子 屋 さんで │よ、堀船 を代表 する銘 菓 「都 電も
なか」が大 人気 。都 電型 の皮 に、モチッとした食感 の求 肥 、そ し
て程 よい甘さの餡 。これのためだ│ナでも梶原停留所 に降りる価
値 は十 分 にあ ります ! ( 田)
③碍原録匹てt 7ン│マ│イ仕掛けの部電
■ の│おもちや│を見つけまし│たよ│■ ■
②今や東京名物となうた都電荒川線さ
下町の住民に愛されています。│
輩窪議 ‐
梶 原 の 商 店 街 。 夏 の 強 しヽ国差 しの 下 、 ま つた り と した 空 気 が 流 れ て い ま した 。
梶 原 停 留 所 近 くの 和 菓 子 店「明 美 」 。 暑 しヽ中 、 街 歩 き の 人 た ち が た くさ ん 訪 れ て しヽま した 。
⑥福性寺。この付近‐に梶原政景の
墓で、地名の出来│と―なる1梶原塚
がありましたさ│││■ ■ ■│■│
③梶原銀摩蔭着街の愛宕地蔵t i 梶 原銀座の守 り主 , │■ │■■
①店先で梅子を手す作業にいそ し む梶原銀座の商店古大ぶりの梅 がおい しそ う 1
ン
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耀
② 白山神社の狛犬i 現 在公 園となうて │しヽる白山堀が梶原堀之肉村と船方村 │の 境で した。 │
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川 の上 の通勤路
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梶原 の渡船場跡
白山堀公 園の 奥 に昭和 3 6 年 ( 1 9 6 1 ) まで堀 船 と足立 区の 宮
城 を結 ぶ 「梶 原 の渡 し」がありました 。明治4 2 年 ( 1 9 0 9 ) 、堀船
に下 野紡 績の 工場 が建 て られ、渡 しは対 岸 の 富城 ( 十日江 北村 )
から通 う娘さんたちの通勤路 として利用 されていました 。隅 日
川 ( 旧荒川 ) に沿つた北 区に│ よ、高くから多くの渡 しがあり、梶原
の渡 しの下 流 に│ よ足立 区側の 工場へ向う通 勤者 のた めに設 け
られた船 宮の渡 しもありました。
現在 、渡 し場跡 にはいたす ら書きがされた説 明板 があるだけ
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部
: 塙
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垂
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客
おきたいとしヽうことから清酒 「梶原の渡 し」を販売 しています。
( 未)
梶 原 の 渡 し場 付 近 。対 岸よマ ンション や 工 場 が 林 立 して しヽます 。
lB方神 社 の 奥 の 十 二 天 塚 ( 右) c 碑 の 背 後 │ よす ぐ隅 国 ) です 。
かな しい伝説とともに
∼
船方神社
神 亀 2 年 ( 725) に創 設 され た と伝 え られ て い ます が 、火 災 で
記 録 が焼 失 して いるた め定 か で はあ りませ ん 。明治 1 2 年 ( 1 9 3 7 )
に船 方 神 社 と改 称 され ま した が 、古 くは十 三 社 と呼 ばれ て しヽま
した。
社殿 の右奥 には六 阿弥 陀伝説 とつながる 「十二天塚 」という
碑 があります。そ の伝説 とは、この地 を治 めていた豊 島氏 の娘
が対岸の足 立氏 に嫁しヽだところ心 ない仕打ちを受 け、娘 は荒川
に入水 し、それ に殉 じて 12人の侍女 も次々 と身 を沈 めたという
もの 。亡 くなった娘たちを供 養 するため、豊 島氏 は熊野権現 で
得 た霊 木 で六体 の 阿弥 陀像 を作 り祀 つた というの が六 阿弥 陀
の 由来 となつています。この ほか、社殿左 側 には水 神 宮 と煉瓦
造 りの作l 輿庫 もあります。ここでぜひ地域 の伝承 や歴史 に触れ
てみてください。 ( Y)
※ 娘の実家を足立氏、嫁ざ先が豊島氏とされる場合もあります。
都 電 1 0 0 年の味わい
∼
都 電荒川緑
明治44年 ( 1911) 、飛鳥 山
一
大塚 間で開通 した路画 電車 、これ
が現 在残 つている都電荒川線の始まりです。当 時、王 子 電気 軌
道株 式会 社 ( 通称 ・
王 電) によって運行 されていた この路f 7Rは、
約 100年が経過 した今 も早稲 田 一
三ノ輪橋 間を元気 に走つてい
ます。全 区 間 1時間弱 という道の りは、東京 の下 町観光 にもうつ
てつけです。
堀船 の住民 にとつても貴重 な足 となつている荒川 線ですが、
この地 区の ほぼ中心 にあるの が梶原停留所です。停 留所 の す
ぐ近 くにある和菓子 屋 さんで は、堀船 を代表 する銘 菓 「都 電も
なか」が大人 気 。都 電型 の皮 に、モチッとした食感 の求肥 、そ し
て程 よい甘 さの餡 。これのためだけでも梶原停留所 に降りる価
値 は十 分 にあ ります ! ( 田)
梶 原 の 商 店 街 。 夏 の 強 い 日差 しの 下 、 ま つた り と した 空 気 が 流 れ て い ま した 。
梶 原 停 留 所 近 くの 和 菓 子 店 「明 美 J 。暑 しヽ中 街 歩 き の 人 た ち が た くさ ん 訪 れ て い ま した 。
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企画展 『
S k y v i ew
【
風の視線】
―
空撮でみる
郷土の景観
―
」
鳥 の ように上 空 か ら見 下 ろす とい か な る景 観 が 展 開 す るか 。以 前 赤 羽
北 に2 0 年在 住 し空 撮 を専 門 とす る写 真 家豊 高 隆三 氏 にこ協 力 を得 て 開催
した の が本 展 ( 3月15日∼5 月 フ国) で す 。ゾ ー
ニ ングとして 、ます 飛 鳥 山 ら
しさを 出 すた め ホワイエ に昨 年 春 桜 滴 開 時 に撮 影 され た東 京 北 郊 の 花 見
名 所 の 景 観 を 1 4 点配 置 しました 。展 示 室 の 中央 に│ よ昨 年 11月紅 葉 最 盛 期
前 後 に撮 影 され た 区 内各 所 の 景 観 を 19点配 置 し、そ の 外 周 には 旧作 か ら
東 京 及 び 関東 近 県 の 自然 的 文 化 的 景 観 を2 7 点 配 置 しま した 。大 全 紙 に
伸 ばした しヽす れ の 作 品 も冴 えた構 図と画 質 の 鮮 明 さが光 ります 。また 、会
期 中 に講 演 会 を 2 回 行 い ま した 。1 つ は3月 26国 ( 日) の 「記 録 として の 写
真」で地理学者 の石井貿氏 に写真がもつ記録性という観点でお願しヽしま
した 。前 半 │よ地理 写 真 や気候 景観 についてお話 ししヽただき後 半 は港 中
央・渋谷 における高度 成長期前後 の街 並変化 について 自らの 映像ライブ
ラリーから解説 いただきました。もう1つは5月3国 ( 祝) の 「地上 1′000フィ
ー
ト・空撮 の魅力 」で豊 高氏 にお願 い しました 。前半 は空撮 を生業 とする
までや実 際の撮 影現場 につ いて伺 い後 半で│よ列 島各地 の 四季折 々の作
品を撮 影当時の状況を交えて紹介 いただきました。本展 は飛鳥 出を訪れ
た大勢の方々 に観覧 いただきました ( 約17700人) 。写真展 は初 めてで し
たが、今 まで にない切 り回として新鮮 な映像景観 に魅了された 旨のアン
ケートを多 くいただきました 。作 品のクオ リティの 高さに感 謝するととも
展示 衰 前 には大 きな 空 撮 パ ネル とセスナ機 が
多 くの 人 で にざわ う特 別 展 示 室
東
京
高
等
委
系
学
校I EF印
を
て
■ │││=京
111
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● 0 ● ● ● ● ● ●
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
0こ
の夏も 「
夏休みわく
わく
ミ
ュ
ー
ジアム」
が大盛況 !
今年 も7月21国 から8月31日 まで 「夏休
みわくわくミュージアム☆2006」を開催 し
ました 。昔 の 子 どもの 生 活 がわ かる特 別
展 示 「あ そべ ! そだて ! ∼むか しの こども
の世界」をはじめ、勾玉作 りなど11種22回
の講座 をおこなった ほか、館 内に設置 した
「しらべものコーナー」や 「きつすコーナー」
も今年 は 一
層充実 させました。また 、常設
展示室 を観覧 する子 どものた めに用 意 し
た コン吉・シル エットクイズが大 人 気 ! 正
解すると特製 シール がもらえるとあつて、
展示そつちのけでクイズに熱中する姿も…。
今年 も博物館の熱い夏が終わりました。
●
実習生 を受 け入れまし
た
!
8月 1国から13国までの約2週 間、博物館
学芸員を 目指す 4人 の大学生 が当館 で実
習をお こないま した。強 い 日差 じのなか、
田ぎしヽす」の取材や講座のアシスタントなど、
毎日さまざまな業務を通 して汗を流 しても
らいました。その成果 は 「クローズアップ・
堀船」にも…。もしか した ら、将来 どこかの
博物館で会えるかも知れませんね。
打 ち合わせを
する実習生
●
ミュ
ー
ジアム
・
グッ
ズ にまた
また新作登場 !
この春 か ら、当 館 の オ リジナル・キ ャラ
クター「コン吉」のシールがミュージアム・
グッズ に加 わ りました 1かわ しヽいコン吉を
ノートや携 帯 に貼 って楽 しん で み て はい
かがですか? ] 枚 100円で発売中 !
0 人
物 往 来
本 年 3 月 3 1 日 をも ち まして 、任 期 満 了 に
より中村 洋 子 学 芸 員 が当 館 を ・
卒 業 " い
た
しま した 。5 年 の 間 、江 戸 文 化 を 切 り国 に
した 講座 や 昨秋 の企 画 展 「北 区の 板 碑 」
を担 当 し、大 しヽに活躍 して くれ ました 。本
当 にお疲 れ様 で した。また 、その後任 とし
て4月 1日より井上綾子
学芸員 が着任 しヽた しま
した 。学芸 員 の な かで
は一番 の若手 とあつて
意 欲 満 々 です の で 、今
後 とも何 卒 よろ しくお
願しヽいた します。
●
北 区 の音 を伝 えるモノや写
真を探 し
ています
!
博物館では区内で使 われてしヽた生活用
具 や北 区 に関係 する古 い文 書 、また昔 の
街 並 み や人 々 の暮 らし8わ が うかがえる
写 真 などを探 しています 。「こん なもの」
と処 分 して しまう前 に、どうか
一
言 お声 か
けくださしヽ1 こ 連絡 は033916- 1133、
担当クボノまで。
● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●
笑顔 でがん ばります !
毎年人気の地下鉄車庫見学会
森
離
一
韻
麹
≡
喜
韻
潔
一
韻
ダ
顔
ほ
こ
ろ
ぶ
か
す
か
つ
子
= │ '―│ = │ :│す
::と1 芸す技:草:どⅢI事│
●講座 「中級考古学講座」 ( 10月 18・15国) ● 秋期企画展 「遠くと近くの熊野 中世熊野と 北区展」 ( 10月 21園∼12月3国) ●講演会 「熊野へのまなざし」 ( 10月 28日) ● シンポジウム 「中世の人の一生 熊 野勧心十 界図」 ( 10月 29日) ● コンサート「岡 美 保子の音楽で語る 『熊野 古道を歩しヽた い にしえ人の心』」( 11月11国) ●講座 「歩いて知る公園史」 ( 11月5・12・19日) ● 野外講座 「幻の江戸野菜
・
練馬大根の産地を
いうも│そ
う1願
ち
( 普
塚
受
)
探る」
●講座 「遺跡探訪」
( 1 1 月2 2 国)
( 1 1 月2 5 '2 6 国)
●講座 「歩しヽて知る北区・冬ものがたり」 ( 12月17国・1月7国・2月4国) ●小学校対応事業 「来て! 見て1さわつて! むかし の道具」 ( 1月 13日∼2月28国) ●講座 「中世入門」 ( 3月 3日・10国) ●講座 「l Rをめぐる文化」 ( 3月 4国) ●講座 「中世講座
・
鎌倉探訪」 ( 3月24国・25国) ●講座 「風流大名の見た江戸時代の北区」
( 3月31日 )
●春 期 企 画 展 「東 谷 戸 遺 跡 の 仮 画 土 偶 」
( 3月 13国 ∼
5月 6日 )
*催 し物名は仮称、( ) 内の実施国十よ予定です。詳しく
は当館発行の 「催し物案内」をこ覧ください。
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①
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●
【
開館時間】
午前 10時
∼
午後5時
( 観
覧券の発行│よ
午後4時30分まで)
【
休館 国】
毎週月曜 日
( 国
民の体 日
・
振替休
日の場合 │よ
開館)
年末年始
国民の休 日および振替休 日の翌 日
( 土
曜
・
国曜 日の場合 │よ
開館)
このほかに臨時体館 日があ ります。
【
常
設展
観覧料】
圏叢
熱
国森然
300円 240円 720円
100円 80円 240円
」R京 浜 東 北 線 王子 駅 南 日 よ り徒 歩 5 分 地 下 鉄 南 北 線 西ケ原 駅 よ り徒 歩 7 分 都 電 荒 川 線 飛鳥 山 停 留 所 よ り徒 歩 4 分 都 バ ス 草6 4 、 王 勺 系 統 飛鳥 山 停 留 所 よ り徒 歩5 分
・
小学生未満 │よ無料
・
団体扱 しヽは20名以上
・
三館共通券 │よ当館の ほか、渋沢史料館 、
紙の博物館の3館 を こ覧 になれ ます。
長 引 い た梅 雨 に今 年 の夏 は盛 り上 が り不足 とい った感 じで した が 、 当館 で は例
年 通 り、連 日た くさんの子 ど もた ち を相 手 に熱 くに しい夏 を過 ご しま した。8月 に
は 4人 の博物 館実習生 も受 け入 れ、 その実習生 とと もに 「クロ
ー
ズア ップ・堀 船 」
の取材 を行 い ま した。堀船 の良 さを伝 えたい と若 い 4人 が頑張 って紹介 文 を書 き
ま した が、 い か がで しょうか ? 皆 さまの声 をぜ ひ お寄 せ くだ さい 1 ( 企 )
北区飛″
島
山博物館だより
ぼ い
す
1 7
発 行 平成 18年9月20日編 集 北 区飛鳥 山博物館
〒114- 0002東京都北区王子1- 1- 3
TEI _ 03- 3916- 1133
発 行 東京都北 区教育委員会
〒114- 0022東京都北区王子本町1- 2- 1
T E L 0 3 - 3 9 0 8 1 1 1 1 ( 代)
印 刷 文 明堂印刷株式会社