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ぼいす17 北区飛鳥山博物館だより「ぼいす」|東京都北区

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全文

(1)

博 物

!く

!区

だ よ り

2 0 0 6 日

9

1穐

7

!画

熊野勧心十界図 ( 津市練戸第

第二自治会蔵)

輩 寡 斧 選 でょ j 替

露 停 疫 す 。

人 董 か 森

'

ン プ ず

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悪 震

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がゑ 斐輩 搾氏 マ移

f 葬

声 ゴ 畜

逗 走

麓 た 擦 享

議讐 と

春 ご磨 、 竜

さだ とか_ 7 _ ‐

ギ テギ 安 蒼澤

t

か蒼輝 度 か 簿 寡 た

ゃ えθ

… ―

(2)

遠 く

近 く

の熊野

中 世 熊 野 と

北 区展

なぜ北区 に王子神社 、紀州神社 、熊野神社な どの和歌山関係の神社が

あるので しょうか ? 六

阿弥陀詣で有名な西福寺、無量寺、与楽寺の阿弥

陀様が、熊野か ら漂着 した霊木 で作 られた つて本当なの ? 飛

鳥山のル

ツが新目市の阿須賀神社 にある つて、 こ存 じですか ? な

ぜ石神井川を音

無川 とも呼8 ヽ

ので しょうか ? こ

れ らの謎が今 、企画展でアカサ レル ! !

企 画 展 付 帯 事 業

( 1) 記

念講演会 「

熊野へのまなざし

■ 国時 i 10月28日 ( 土) 18時30分∼20時30分 ■ 会場: 北とぴあ さくらホ

ー ル

■ 講師 i お茶の水女子大学助教授 岩壁 茂氏 ・和歌 出大学教授 海 津

一 朗氏

( 2) シ

ンポジウ

ム 「

中世の人の

生 熊 野勧心十界図」

E t t B寺:1 0 月2 9 国 ( 国) 1 3 時3 0 分∼1 6 時3 0 分 ■ 会場 :当館講堂

■ 講師 !明治大学教授 林 雅彦氏 三重県史編さんグループ 消ヨ1 租也氏 ・鈴鹿市盛福寺住職 村主元秀貢

( 3) コ

ンサ

ト「

岡 美 保子の音楽で語る 『

熊野古道を歩し

た しヽ

にし

え人の心』

■ 国時: 1 1 月1 1 国( 土) 1 3 時∼1 4 時 E 会 場t 当館 講 堂

■ 演 者:グ回―バ ル ミュ ー

ジック代 表 岡 美 保 子 氏

込】

往復は

で申込。

( 1) の

み電

子申

請可。

( 詳

細は

北区

ニュ

ス10月

1日

号をこ

参照く

ださ

)

締切】

( 1) ( 2) 10月

21日

( 3) 10月

30日

必着 応 募者多数の場合、

抽選。

熊野那智参詣量奈羅 ==荘 =莞 一 第二 自治会蔵 )

I Ⅲ

博1物

1館

│で

1嬢

蒸す

│る

という

こと ( 続)

知られてし

まする4つの薬斉

それぞれに長短があり

、決定版

というような薬剤はまだ確立されていません。これらの中

で投薬墨が

番少なく

嬢蒸の本来の目的である殺虫

殺卵

のほか殺菌に対 し

ての薬効が高いものが①で した。検討 し

た結果、昨年十

①で実施することにし

、結果は良好で し

たも

か し

、この葉斉

は引火性が強いことや気イ

L 器などの―

設備

資が新たに

必要で、施正会社が少ないことが難点で し

たる

そうし

た事4青

も手伝い本年は他の薬斉

を試みてみまし

た。

使用 し

たのは以前異化メチルを使用 してし

た会社が後継に

開発 し

た③です。ただ、この薬斉

は他の薬斉

と比べて非常

に多く

の投薬量が必要で し

たので、ガス抜きに長時間費や

して しま しヽま した 。 博 物 館 で は 燻 蒸 は 大 切 な 業 務 で す が 、

保 存 科 学 の 画 か ら本 来 的 に何 の 薬 斉」を 使 用 す る こ と が 望 ま

ししヽか、今後 さ らに研 究 して い く必要 を感 じてしヽます。 ( 守)

(3)

!川

!通

現 代 は 、国常 的 な 交 通 は ほとん ど鉄 道 か道 路 か とい う時代 だ が 、かつ て 水 上 交 通 が生 活 の 中 で に大 き

なウ

を占めていた時代の記憶は

無く

なり

つっあるのでは

ないだろ

か。

東の武蔵野台地と

西の

京 “ れ との境 目に位善する│ じま域 も、そこにと1 人

│ ‐? く

らしは台地

亭 卓│ ‐ヤ

子して流れる

コ│ │ つ

を 接 志 菌係 を持 つていたも明治から昭和 にかけて1鉄道馬車 や鉄道が普及 じt 薩路 が感 ん になる以前 t 東

京 ―

サ│1越間の交通 │よ主 に荒川 が大動脈 となつていたのである。荒川 にまつ わる交通 の歴史 を少 し紐解

しヽてみよう。

明治年 間は 一

区間 ―

銭 のいわ ゆる 「ポンポン蒸気踏 」が登場 し、交通の主役 をになうようになつたが、

│ ひらた ― ■ ‐ ‐‐ ‐ ‐ ‐

子4平 評

│よ定員30争 1干

ギ? │「

捕船」( 通称 「) │1呼 , マ

タ」) が活躍 したる1夜船として川越 ―

東京間を, 7‐■ 離 離 ど創 ナて鷹 穣 訟 粗 胡 潮 舛 印 : 義たちたと臨 ■ ■ │ │ │ ■ │ ‐

そもそも、荒川を水の道として整備したのは江戸幕府であつた。寛永6年 ( 1629) 、もともと現在の元 荒川ル

トで吉利根川に合流してしヽた流路を入闇川水系につけかえて、隅国川ル ー

トで江戸湾に注ぐと

在の

路の

つく

その目

的は

の水田

水か

守る

│チ

■を

1瞥

: 言

播 号

, Fl i l ' ヤ

? 半

. │

1継荷の揚│ザ降ろし場である 「河岸場」は物資の行き交う場所として賑わうた。明治時代には荒サ│1流域 で実に130ケ所以上もの河詳場が存在 し、現在北区となつている地域には、神谷・豊島 岩淵などに河岸 場があつた。江戸へは芋・米 昧増 醤油などが運ばれ、逆に埼玉方面に1よ溝 1塩 石灰などが送られた―本

‐‐‐ ‐ │ ‐

‐ ‐

│ ‐│ │ │ ‐ ‐

│ │ │ ‐ │ ‐ ‐ │ ‐‐‐│ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ │ ‐

園本や中国産の陶器わWI I を遡つた。

更に古い時代、古墳時代前期 ( 4世紀代) の河ナ│1交通も、その足跡が遺跡l t 残されている。1991年から

││ ‐ │ │ ‐ │‐ ‐‐││││││

‐ ‐ │ │ │ │ │

攣 ン

││‐ ‐│││││‐│‐‐││ │ ││

遺し

通を

壊に

用し

F 高

易│と

深く

たと

連や

華 F よおろか、乗馬 の風習 さえなわ`ったこのB寺代 、荒川 こそが海岸から北

弔扇方面 の 内陸

至る、

メイン不

1濫

社 人

│ ■

1早

8P湖

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1群

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(4)

川 の上 の通勤幡

梶原 の渡船場跡

白山堀 / AN園

の 奥 に昭和 3 6 年 ( 1 9 6 1 ) まで堀 船 と足立 区の 目

城 を結 ぶ 「梶原 の渡 し」がありました 。明治4 2 年 ( 1 9 0 9 ) 、堀船

に下 野紡 績 の工場 が建 てられ 、渡 し│ よ対 岸 の 宮城 ( 1 日江 北村 )

から通 う娘 さんたちの運動路 として利 用されていました。隅 田

サ│ │ ( 旧荒サ│ ) に沿つた北 区には、高 くから多くの渡 しがあり、梶 原

の渡 しの下 流 には足 立 区側 の工場へ向う通勤者 の ため に設 け

られた船宮の渡 しもありました。

現在 、渡 し場跡 にはいたすら書きがされた説 明板 があるだけ

簡麟

梶 原 の 渡 し場 付 近 。対 岸よマ ンシヨン や 工 場 が 林 立 して しヽます 。

船 方 神 社 の 奥 の 十 二 天 塚 ( 右) 。 碑 の 背 後 は す ぐ隅 国川 で す 。

Ⅲ‐ ― ― ― 一

おす す め散 策 コ ー

荒川 車 庫 前ヘ

郭上

_ 野

かな し

い伝説とともに

船方神社

神 亀 2 年 ( 7 2 5 ) に創 設 さ れ た と伝 え られ て しヽます が 、火 災 で

記録 が焼 失 して いるた め定 か で │ よあ りませ ん 。明治 1 2 年 ( 1 9 3 7 )

に船 方 神 社 と改 称 され ま した が 、高 くは十 三 社 と呼 ばれ て い ま

した 。

社 殿 の 右 奥 には六 阿弥 陀 伝 説 とつ な がる 「十 三 天 塚 」とい う

碑 が あ ります 。そ の 伝 説 と│よ、この 地 を 治 め て い た 豊 島 氏 の 娘

が対 岸 の 足 立 氏 に嫁 い だ ところ心 な い仕 打 ち を受 け 、娘 │よ荒 川

に入 水 し、そ れ に殉 じて 12人 の 侍 女 も次 々 と身 を 沈 め た とい う

も の 。亡 くな った 娘 た ち を供 養 す るた め 、豊 島 氏 は熊 野 権 現 で

得 た 霊 木 で 六 体 の 阿 弥 陀 像 を 作 り祀 つた としヽうの が 六 阿 弥 陀

の 由来 とな つて い ます 。この ほか 、社 殿 左 倶」には水 神 宮 と煉 瓦

造 りの 作l 輿庫 もあ ります 。ここで ぜ ひ地 域 の 伝 承 や 歴 史 に触 れ

て み て くだ さい 。 ( Y)

※ 娘の実家を足立氏、嫁ぎ先が豊島氏とされる場合もあります。

都 電 1 0 0 年の味わ い

都 電荒川線

明治44年 ( 1911) 、飛 鳥山

大塚 間で開通 した路画 電車 、これ

が現在残 つてしヽる都 電荒川線 の始 まりです。当 時、王子 電気軌

道株式会社 ( 通称 王 電) によつて運行 されていたこの路線 は、

約 100年が経過 した今 も早稲 田

三ノ輪橋 間を元気 に走つてい

ます。全 区間 ] E 寺間弱 という道 の りは、東京 の下 町観光 にもうつ

てつ けです。

堀船 の住民 にとつても貴重 な足 となつている荒川 線ですが、

この地 区の ほぼ中心 にあるの が梶 原停留 所 です。停 留所 のす

ぐ近 くにある和菓子 屋 さんで │よ、堀船 を代表 する銘 菓 「都 電も

なか」が大 人気 。都 電型 の皮 に、モチッとした食感 の求 肥 、そ し

て程 よい甘さの餡 。これのためだ│ナでも梶原停留所 に降りる価

値 は十 分 にあ ります ! ( 田)

③碍原録匹てt 7ン│マ│イ仕掛けの部電

■ の│おもちや│を見つけまし│たよ│■ ■

②今や東京名物となうた都電荒川線さ

下町の住民に愛されています。│

輩窪議 ‐

梶 原 の 商 店 街 。 夏 の 強 しヽ国差 しの 下 、 ま つた り と した 空 気 が 流 れ て い ま した 。

梶 原 停 留 所 近 くの 和 菓 子 店「明 美 」 。 暑 しヽ中 、 街 歩 き の 人 た ち が た くさ ん 訪 れ て しヽま した 。

⑥福性寺。この付近‐に梶原政景の

墓で、地名の出来│と―なる1梶原塚

がありましたさ│││■ ■ ■│■│

③梶原銀摩蔭着街の愛宕地蔵t i 梶 原銀座の守 り主 , │■ │■■

①店先で梅子を手す作業にいそ し む梶原銀座の商店古大ぶりの梅 がおい しそ う 1

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② 白山神社の狛犬i 現 在公 園となうて │しヽる白山堀が梶原堀之肉村と船方村 │の 境で した。 │

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(5)

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川 の上 の通勤路

梶原 の渡船場跡

白山堀公 園の 奥 に昭和 3 6 年 ( 1 9 6 1 ) まで堀 船 と足立 区の 宮

城 を結 ぶ 「梶 原 の渡 し」がありました 。明治4 2 年 ( 1 9 0 9 ) 、堀船

に下 野紡 績の 工場 が建 て られ、渡 しは対 岸 の 富城 ( 十日江 北村 )

から通 う娘さんたちの通勤路 として利用 されていました 。隅 日

川 ( 旧荒川 ) に沿つた北 区に│ よ、高くから多くの渡 しがあり、梶原

の渡 しの下 流 に│ よ足立 区側の 工場へ向う通 勤者 のた めに設 け

られた船 宮の渡 しもありました。

現在 、渡 し場跡 にはいたす ら書きがされた説 明板 があるだけ

: 塙

撥 暑

おきたいとしヽうことから清酒 「梶原の渡 し」を販売 しています。

( 未)

梶 原 の 渡 し場 付 近 。対 岸よマ ンション や 工 場 が 林 立 して しヽます 。

lB方神 社 の 奥 の 十 二 天 塚 ( 右) c 碑 の 背 後 │ よす ぐ隅 国 ) です 。

かな しい伝説とともに

船方神社

神 亀 2 年 ( 725) に創 設 され た と伝 え られ て い ます が 、火 災 で

記 録 が焼 失 して いるた め定 か で はあ りませ ん 。明治 1 2 年 ( 1 9 3 7 )

に船 方 神 社 と改 称 され ま した が 、古 くは十 三 社 と呼 ばれ て しヽま

した。

社殿 の右奥 には六 阿弥 陀伝説 とつながる 「十二天塚 」という

碑 があります。そ の伝説 とは、この地 を治 めていた豊 島氏 の娘

が対岸の足 立氏 に嫁しヽだところ心 ない仕打ちを受 け、娘 は荒川

に入水 し、それ に殉 じて 12人の侍女 も次々 と身 を沈 めたという

もの 。亡 くなった娘たちを供 養 するため、豊 島氏 は熊野権現 で

得 た霊 木 で六体 の 阿弥 陀像 を作 り祀 つた というの が六 阿弥 陀

の 由来 となつています。この ほか、社殿左 側 には水 神 宮 と煉瓦

造 りの作l 輿庫 もあります。ここでぜひ地域 の伝承 や歴史 に触れ

てみてください。 ( Y)

※ 娘の実家を足立氏、嫁ざ先が豊島氏とされる場合もあります。

都 電 1 0 0 年の味わい

都 電荒川緑

明治44年 ( 1911) 、飛鳥 山

大塚 間で開通 した路画 電車 、これ

が現 在残 つている都電荒川線の始まりです。当 時、王 子 電気 軌

道株 式会 社 ( 通称 ・

王 電) によって運行 されていた この路f 7Rは、

約 100年が経過 した今 も早稲 田 一

三ノ輪橋 間を元気 に走つてい

ます。全 区 間 1時間弱 という道の りは、東京 の下 町観光 にもうつ

てつけです。

堀船 の住民 にとつても貴重 な足 となつている荒川 線ですが、

この地 区の ほぼ中心 にあるの が梶原停留所です。停 留所 の す

ぐ近 くにある和菓子 屋 さんで は、堀船 を代表 する銘 菓 「都 電も

なか」が大人 気 。都 電型 の皮 に、モチッとした食感 の求肥 、そ し

て程 よい甘 さの餡 。これのためだけでも梶原停留所 に降りる価

値 は十 分 にあ ります ! ( 田)

梶 原 の 商 店 街 。 夏 の 強 い 日差 しの 下 、 ま つた り と した 空 気 が 流 れ て い ま した 。

梶 原 停 留 所 近 くの 和 菓 子 店 「明 美 J 。暑 しヽ中 街 歩 き の 人 た ち が た くさ ん 訪 れ て い ま した 。

Q揮 │1青■ ■ 9付 近! 「揮原取景の│

■ 事で■ 韓その由来│となる1提原塚│

■ がありました古││■ ■ ■ ■│││

! !!!!! !!!

0提 京銀摩お庫行の豪宕殺蔵す

■ 1梶原銀座の守0主, │■ │■ │

①店先で梅千を干す作業にいそし

む梶原銀座の高唐。大ぶりの1梅

がおいしそう 1

〇揮涼饗4でヤンマイ仕挙中すの部章 ││のお―も│ちや│を見つけま│したま│││

轟 下

FT雫

│ │

輩塞議 ・ ‐ │

!! !!

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○白山神社の狛犬古現在公園となうて しヽる白山堀が梶原堀之内村と船方村 の境でした。

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おすすめ散策 コ

荒川 車 庫 前へ

(6)

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ど き べん│すい

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人はけサイタラ

中皇

遺跡1出

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それぞ4の 上下に刻│みがあ―るよ

土器片1鍾│の1使用例

魅 力 発 見 の スカイト

ツプ

企画展 『

S k y v i ew

風の視線】

空撮でみる

郷土の景観

鳥 の ように上 空 か ら見 下 ろす とい か な る景 観 が 展 開 す るか 。以 前 赤 羽

北 に2 0 年在 住 し空 撮 を専 門 とす る写 真 家豊 高 隆三 氏 にこ協 力 を得 て 開催

した の が本 展 ( 3月15日∼5 月 フ国) で す 。ゾ ー

ニ ングとして 、ます 飛 鳥 山 ら

しさを 出 すた め ホワイエ に昨 年 春 桜 滴 開 時 に撮 影 され た東 京 北 郊 の 花 見

名 所 の 景 観 を 1 4 点配 置 しました 。展 示 室 の 中央 に│ よ昨 年 11月紅 葉 最 盛 期

前 後 に撮 影 され た 区 内各 所 の 景 観 を 19点配 置 し、そ の 外 周 には 旧作 か ら

東 京 及 び 関東 近 県 の 自然 的 文 化 的 景 観 を2 7 点 配 置 しま した 。大 全 紙 に

伸 ばした しヽす れ の 作 品 も冴 えた構 図と画 質 の 鮮 明 さが光 ります 。また 、会

期 中 に講 演 会 を 2 回 行 い ま した 。1 つ は3月 26国 ( 日) の 「記 録 として の 写

真」で地理学者 の石井貿氏 に写真がもつ記録性という観点でお願しヽしま

した 。前 半 │よ地理 写 真 や気候 景観 についてお話 ししヽただき後 半 は港 中

央・渋谷 における高度 成長期前後 の街 並変化 について 自らの 映像ライブ

ラリーから解説 いただきました。もう1つは5月3国 ( 祝) の 「地上 1′000フィ

ト・空撮 の魅力 」で豊 高氏 にお願 い しました 。前半 は空撮 を生業 とする

までや実 際の撮 影現場 につ いて伺 い後 半で│よ列 島各地 の 四季折 々の作

品を撮 影当時の状況を交えて紹介 いただきました。本展 は飛鳥 出を訪れ

た大勢の方々 に観覧 いただきました ( 約17700人) 。写真展 は初 めてで し

たが、今 まで にない切 り回として新鮮 な映像景観 に魅了された 旨のアン

ケートを多 くいただきました 。作 品のクオ リティの 高さに感 謝するととも

展示 衰 前 には大 きな 空 撮 パ ネル とセスナ機 が

多 くの 人 で にざわ う特 別 展 示 室

(7)

校I EF印

■ │││=京

111

● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● 0 ● ● ● ● ● ●

● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●

0こ

の夏も 「

夏休みわく

わく

ジアム」

が大盛況 !

今年 も7月21国 から8月31日 まで 「夏休

みわくわくミュージアム☆2006」を開催 し

ました 。昔 の 子 どもの 生 活 がわ かる特 別

展 示 「あ そべ ! そだて ! ∼むか しの こども

の世界」をはじめ、勾玉作 りなど11種22回

の講座 をおこなった ほか、館 内に設置 した

「しらべものコーナー」や 「きつすコーナー」

も今年 は 一

層充実 させました。また 、常設

展示室 を観覧 する子 どものた めに用 意 し

た コン吉・シル エットクイズが大 人 気 ! 正

解すると特製 シール がもらえるとあつて、

展示そつちのけでクイズに熱中する姿も…。

今年 も博物館の熱い夏が終わりました。

実習生 を受 け入れまし

!

8月 1国から13国までの約2週 間、博物館

学芸員を 目指す 4人 の大学生 が当館 で実

習をお こないま した。強 い 日差 じのなか、

田ぎしヽす」の取材や講座のアシスタントなど、

毎日さまざまな業務を通 して汗を流 しても

らいました。その成果 は 「クローズアップ・

堀船」にも…。もしか した ら、将来 どこかの

博物館で会えるかも知れませんね。

打 ち合わせを

する実習生

ミュ

ジアム

グッ

ズ にまた

また新作登場 !

この春 か ら、当 館 の オ リジナル・キ ャラ

クター「コン吉」のシールがミュージアム・

グッズ に加 わ りました 1かわ しヽいコン吉を

ノートや携 帯 に貼 って楽 しん で み て はい

かがですか? ] 枚 100円で発売中 !

0 人

物 往 来

本 年 3 月 3 1 日 をも ち まして 、任 期 満 了 に

より中村 洋 子 学 芸 員 が当 館 を ・

卒 業 " い

しま した 。5 年 の 間 、江 戸 文 化 を 切 り国 に

した 講座 や 昨秋 の企 画 展 「北 区の 板 碑 」

を担 当 し、大 しヽに活躍 して くれ ました 。本

当 にお疲 れ様 で した。また 、その後任 とし

て4月 1日より井上綾子

学芸員 が着任 しヽた しま

した 。学芸 員 の な かで

は一番 の若手 とあつて

意 欲 満 々 です の で 、今

後 とも何 卒 よろ しくお

願しヽいた します。

北 区 の音 を伝 えるモノや写

真を探 し

ています

!

博物館では区内で使 われてしヽた生活用

具 や北 区 に関係 する古 い文 書 、また昔 の

街 並 み や人 々 の暮 らし8わ が うかがえる

写 真 などを探 しています 。「こん なもの」

と処 分 して しまう前 に、どうか

言 お声 か

けくださしヽ1 こ 連絡 は033916- 1133、

担当クボノまで。

● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ● ●

笑顔 でがん ばります !

毎年人気の地下鉄車庫見学会

(8)

= │ '―│ = │ :│す

::と1 芸す技:草:どⅢI事│

●講座 「中級考古学講座」 ( 10月 18・15国) ● 秋期企画展 「遠くと近くの熊野 中世熊野と 北区展」 ( 10月 21園∼12月3国) ●講演会 「熊野へのまなざし」 ( 10月 28日) ● シンポジウム 「中世の人の一生 熊 野勧心十 界図」 ( 10月 29日) ● コンサート「岡 美 保子の音楽で語る 『熊野 古道を歩しヽた い にしえ人の心』」( 11月11国) ●講座 「歩いて知る公園史」 ( 11月5・12・19日) ● 野外講座 「幻の江戸野菜

練馬大根の産地を

いうも│そ

う1願

( 普

)

探る」

●講座 「遺跡探訪」

( 1 1 月2 2 国)

( 1 1 月2 5 '2 6 国)

●講座 「歩しヽて知る北区・冬ものがたり」 ( 12月17国・1月7国・2月4国) ●小学校対応事業 「来て! 見て1さわつて! むかし の道具」 ( 1月 13日∼2月28国) ●講座 「中世入門」 ( 3月 3日・10国) ●講座 「l Rをめぐる文化」 ( 3月 4国) ●講座 「中世講座

鎌倉探訪」 ( 3月24国・25国) ●講座 「風流大名の見た江戸時代の北区」

( 3月31日 )

●春 期 企 画 展 「東 谷 戸 遺 跡 の 仮 画 土 偶 」

( 3月 13国 ∼

5月 6日 )

*催 し物名は仮称、( ) 内の実施国十よ予定です。詳しく

は当館発行の 「催し物案内」をこ覧ください。

O

O

開館時間】

午前 10時

午後5時

( 観

覧券の発行│よ

午後4時30分まで)

休館 国】

毎週月曜 日

( 国

民の体 日

振替休

日の場合 │よ

開館)

年末年始

国民の休 日および振替休 日の翌 日

( 土

国曜 日の場合 │よ

開館)

このほかに臨時体館 日があ ります。

設展

観覧料】

圏叢

国森然

300円 240円 720円

100円 80円 240円

」R京 浜 東 北 線 王子 駅 南 日 よ り徒 歩 5 分 地 下 鉄 南 北 線 西ケ原 駅 よ り徒 歩 7 分 都 電 荒 川 線 飛鳥 山 停 留 所 よ り徒 歩 4 分 都 バ ス 草6 4 、 王 勺 系 統 飛鳥 山 停 留 所 よ り徒 歩5 分

小学生未満 │よ無料

団体扱 しヽは20名以上

三館共通券 │よ当館の ほか、渋沢史料館 、

紙の博物館の3館 を こ覧 になれ ます。

長 引 い た梅 雨 に今 年 の夏 は盛 り上 が り不足 とい った感 じで した が 、 当館 で は例

年 通 り、連 日た くさんの子 ど もた ち を相 手 に熱 くに しい夏 を過 ご しま した。8月 に

は 4人 の博物 館実習生 も受 け入 れ、 その実習生 とと もに 「クロ

ズア ップ・堀 船 」

の取材 を行 い ま した。堀船 の良 さを伝 えたい と若 い 4人 が頑張 って紹介 文 を書 き

ま した が、 い か がで しょうか ? 皆 さまの声 をぜ ひ お寄 せ くだ さい 1 ( 企 )

北区飛″

山博物館だより

ぼ い

1 7

発 行 平成 18年9月20日

編 集 北 区飛鳥 山博物館

〒114- 0002東京都北区王子1- 1- 3

TEI _ 03- 3916- 1133

発 行 東京都北 区教育委員会

〒114- 0022東京都北区王子本町1- 2- 1

T E L 0 3 - 3 9 0 8 1 1 1 1 ( 代)

印 刷 文 明堂印刷株式会社

参照

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【こだわり】 ある わからない ない 留意点 道順にこだわる.

「東京都北区いじめ防止基本方針」を見直すとともに、「東京都北区いじめ

22年度 23年度 24年度 25年度 配置時間数(小) 2,559 日間 2,652 日間 2,657 日間 2,648.5 日間 配置時間数(中) 3,411 時間 3,672 時間

19年度 20年度 21年度 22年度 配置時間数(小) 1,672 日間 1,672 日間 2,629 日間 2,559 日間 配置時間数(中) 3,576 時間 2,786 時間

北区では、区民の方々がよりスポーツに親しめるよう、平成

取組の方向  安全・安心な教育環境を整備する 重点施策  学校改築・リフレッシュ改修の実施 推進計画

このガイドラインは、東京都北区(以下「区」という。