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企業の資本構成と資金調達―日本企業へのサーベイ調査による分析―

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ID

JJF00302

論文名

企業の資本構成と資金調達

―日本企業へのサーベイ調査による分析―

Capital structure and financing decisions:

A survey of Japanese firms

著者名

佐々木寿記

鈴木健嗣

花枝英樹

Toshinori Sasaki

Katsushi Suzuki

Hideki Hanaeda

ページ

2-28

雑誌名

経営財務研究

Japan Journal of Finance

発行巻号

35巻第1.2合併号

Vol.35 / No. 1.2.

発行年月

2015年12月

Dec. 2015

発行者

日本経営財務研究学会

Japan Finance Association

ISSN

2186-3792

(2)

■論  文 *  名古屋大学でのセミナーに際して,岩澤誠一郎(名古屋商科大学),内田交謹(九州大学),山田和郎(長 崎大学),日本ファイナンス学会第 23 回大会(2015 年)で鈴木一功(早稲田大学)、三谷英貴(立命館大学) の各先生,及び 2 人の本誌匿名レフェリーから大変有益なコメントを頂いた。記して感謝申し上げたい。 なお,本研究に対して,日本学術振興会科学研究費補助金(基盤研究(B)研究課題番号 24330124)から の援助を得た。

企業の資本構成と資金調達

−日本企業へのサーベイ調査による分析−

佐々木寿記

(東洋大学)

鈴木 健嗣

(一橋大学)

花枝 英樹

(中央大学) 要 旨  サーベイ調査より,我が国企業では,資金調達の際に節税効果はあまり重視していないが,倒産コ ストは重視しており,伝統的なトレードオフ理論と一部で整合的な結果が得られた。しかし,ペッキ ングオーダー理論やエージェンシーコスト理論とは整合的な結果は得られなかった。また,負債調達 の際には財務柔軟性が重視され,株式調達においては株価が割高および適正水準と企業が判断するタ イミングで株式を発行することがわかった。そして,大多数の企業が目標負債比率を設定しており, 目標負債比率設定の有無に対しては倒産コスト,財務柔軟性,エージェンシーコストが影響している ことがわかった。 キーワード:資本構成,資金調達,負債調達,株式発行,サーベイ調査

1 はじめに

企業の資本構成決定を含む資金調達に関する議論は,長くコーポレートファイナンスの中核をなす テーマであり,Modigliani and Miller(1958)以降多くの理論的分析が行われてきた。理論的分析は, 税制や倒産処理コスト,企業と外部投資家の間での情報の非対称性の問題,ステークホルダー間の利益 相反から生ずるエージェンシーコストといった,さまざまな不完全性を考慮に入れた場合の企業の資金

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調達行動の解明を中心に行われてきたといってよい。その中でも,資本構成に関するトレードオフ理論 とペッキングオーダー理論が主要な理論として提唱され,それら理論の現実的妥当性を問う多数の実証 分析が行われてきた。しかし,実証結果からは一致した結論が得られているわけでなく,現在も研究が 継続中である1 そこで,われわれ研究グループでは,直接,企業の財務担当者に資本構成や資金調達に関する企業の 考え方や意識を問う形でのサーベイ調査を行った。その調査結果をもとに,財務責任者はどのような理 論と整合的な考え方を持っているのかを明らかにするのが本論文の目的である。もとよりサーベイ調査 だけで企業の資金調達行動がすべて解明できるわけではないが,通常の公表財務データを用いた多変量 解析では,なかなか知り得なかった企業の考え方,意識を知る手がかりになり,多変量解析を補完する 役割を担っていると考えられる。例えば,伝統的トレードオフ理論の妥当性を検証する際に,公表財務 データを用いた多変量解析では,法人税節税の便益や倒産費用を表すと考えられる代理変数を用いて資 本構成の説明力を実証分析している(Rajan and Zingales(1995),Graham(1996),Frank and Goyal (2009))。しかし,公表財務データを用いても,そもそも企業が負債比率に目標水準を設定している のか否か検証することはできない。サーベイ調査は直接企業へ問うことで,目標負債比率を設定してい るか確認することができ,設定の有無に影響を及ぼしている要因についても調べることができる。こう した点からも,サーベイ調査はトレードオフ理論の妥当性を確かめるうえで重要な役割を果たすことが できる。

本稿に直接関連したサーベイ調査に基づく先行研究には,Graham and Harvey(2001),Bancel and Mittoo(2004),Brounen et al.(2006)がある。Graham and Harvey(2001)は,彼らのグループによ るその後の幾多のサーベイ調査論文の先駆けとなった有名な論文で,実際の財務担当者の考え方や意識 がどれほどコーポレートファイナンスの理論を支持するか,あるいは整合的であるかを分析した点に特 色がある。同論文では,米国の上場企業・非上場企業 392 社の最高財務責任者(CFO)による回答から, 資本構成や資金調達に関してつぎのような分析結果を得た。まず負債調達に関しては財務柔軟性と格付 けを重視し,株式発行に関しては 1 株当たり利益の希薄化と最近の株価上昇を重視していた。また伝 統的トレードオフ理論と整合的な結果はある程度得られたが,情報の非対称性に基づくペッキングオー ダー理論や,フリーキャッシュフロー仮説を含むエージェンシーコスト理論と整合的な結果は得られな かった。このように,実際の企業では理論が想定するような考えが必ずしも取られていないことを明ら かにしたことが,同論文が研究者の間で関心を呼んだ理由と思われる。

一方,Bancel and Mittoo(2004),Brounen et al.(2006)は,Graham and Harvey(2001)と質問内 容がほぼ同じであるが,欧州企業を対象にしている。Bancel and Mittoo(2004)は,上場企業のみを対 象に欧州 16 カ国 87 人の CFO から,また,Brounen et al.(2006)は,英国,オランダ,フランス,ド イツの 4 カ国の上場企業と非上場企業 313 社の CFO からそれぞれ回答を得た。両調査とも,Graham and Harvey(2001)と似たような結果を得ており,負債調達では財務柔軟性が最も重要な要因であるこ とや,情報の非対称性をベースにしたペッキングオーダー理論からは説明できないことが明らかとなっ

1  資本構成の実証研究の展望に関しては,Graham and Leary(2011),Parsons and Titman(2009)を参 照せよ。

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た。また,伝統的トレードオフ理論とある程度,整合的な結果が得られた一方で,エージェンシーコス ト理論と整合的な結果は得られなかった。 本稿の分析結果は,つぎのようにまとめることができる。①資金調達の際に節税効果はあまり重視し ていないが,半数近くの企業が倒産コストを重視しており,伝統的なトレードオフ理論と一部で整合的 な結果が得られた。②負債による資金調達に際しては,財務柔軟性(いざという時に備えて負債調達余 力を残しておく)が最も重視されていた。③ペッキングオーダー理論については,外部資金より内部資 金が優先されることはわかったが,外部資金内(株式,転換証券(転換社債を含む),負債)で情報の非 対称性に応じた資金調達の優先順位を確認できないなど,ペッキングオーダー理論と整合的な結果は得 られなかった。④資金調達のタイミングに関しては,特に株式調達において,株価が割高あるいは適正 水準と企業が判断するタイミングで株式を発行することがわかった。これらの結果は,タイミング仮説 の中でも非合理的タイミング仮説や意見の一致仮説と整合的である。⑤エージェンシーコスト理論とは 整合的な結果は得られなかった他,株式発行に際して 1 株当たり利益の希薄化を懸念していることが 明らかになった。⑥ 7 割を上回る企業が目標負債比率を設定しており,節税効果の影響は確認されなかっ たものの,倒産コスト,財務柔軟性,エージェンシーコストといった要因を考慮に入れて目標負債比率 が設定されていることが示唆された。 本稿の特徴及び貢献として以下の 3 点を挙げることができる。第 1 は,わが国での資本構成,資金 調達に関する本格的なサーベイ調査という点である。特に,実際の企業の考え方や意識が,資本構成や 資金調達に関するさまざまな理論とどの程度整合的なのかを分析した点に特徴がある。第 2 は,米国, 欧州企業との比較分析を行った点である。多くの点で,米国企業,欧州企業と同じ回答結果が得られた が,欧米企業に比べ日本企業では,負債の節税効果はあまり重視していないのに対し,負債調達に際し て倒産コストをより重視している点が相違点として得られた。第 3 は,近年の実証分析結果の成果を 紹介しつつ,サーベイ調査に基づく先行研究では十分に触れられていない財務柔軟性やタイミング仮説 等に関して,より詳細な説明,分析を行った点である。 本稿の構成は以下の通りである。第 2 節でサーベイ調査の概要と実施方法,さらに回答企業の特性 について説明した後,第 3 節以降で回答結果が資本構成,資金調達に関する主要な仮説,理論とどの 程度整合的かを中心に逐次,分析する。第 3 節が伝統的トレードオフ理論,第 4 節が財務柔軟性,第 5節がペッキングオーダー理論,第 6 節がタイミング仮説,第 7 節がエージェンシーコスト理論とその 他の質問,第 8 節が目標負債比率で,第 9 節は結びである。

2 サーベイ調査の概要と実施方法

⑴ 質問票のデザイン サーベイ調査の質問は計 10 問の大問で構成されており,各大問に詳細な枝問が配置され,枝問の全 合計は 72 問である。記述式の質問が一問あるが,それ以外はすべてマルチプル・チョイス方式となっ ている。質問は前半(問 1 から問 3 まで)が負債と株式による資金調達,及び資本構成について,後半(問 4から問 8 まで)が現金保有,コミットメントライン,資金制約についてで,大きく 2 つのパートに分 かれている。そして,問 9 で自社株の株価について,問 10 で回答者の属性を尋ねる質問が続いている2 ひとつの論文ですべての質問の分析を行うのは分量的に大部になってしまうことと,前半の質問と後半

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の質問ではテーマが異なることから,本論文では前半部分の質問に関する分析を行い,後半部分の現金 保有,コミットメントラインについての詳細な分析は,佐々木他(2016)に譲ることにしたい。 問 1 から問 3 が本論文で扱う,資金調達,資本構成に関する質問である。問 1 では,負債による資 金調達に際して,18 個の要因がそれぞれどのくらい重要であるかを尋ねている。同様に問 2 では,株 式発行による資金調達に際して,15 個の要因がそれぞれどのくらい重要であるかを尋ねている。回答 は,問 1,問 2 とも各要因それぞれについて,0(全く重要でない)から 4(非常に重要)までの 5 段階 から 1 つを選択させるものである。取り上げた要因項目は外国企業との比較が可能なように,多くの ものが Graham and Harvey(2001)に基づいている。問 3 は,負債比率に目標範囲が存在するか否か を問う質問で,3 つの選択肢からひとつを選ぶものである。 問 10 の回答者の属性については,年齢,所属部署,現在の職位,資金調達の決定に関わった経験の 有無を尋ねた。また,回答内容と回答企業の属性との関係を分析するため,本サーベイ調査は,過去に われわれが行ったサーベイ調査と同様に非匿名の調査とした。回答企業名が分かるため,回答企業の属 性についての質問は特に行わなかった。 ⑵ 実施方法と回収結果 サーベイ調査の実施時期は 2013 年 8 月下旬で,質問票を一斉に郵送した。送付先企業は,東洋経済 新報社の『会社四季報』2013 年 3 集に掲載されている(2013 年 6 月 14 日時点)国内の全証券取引所上 場企業(金融・保険を除く)3,373 社である。送付先を「財務/経営企画/IR担当部門 責任者」宛 としたので,回答者のほとんどが,送付先企業の財務あるいは経営企画の責任者(あるいはその代理人) である。質問票の回収は,ごく一部の遅れた企業を除き,回答期限の 2013 年 9 月末日までに完了した。 回答企業は合計で 310 社,回答率は 9.2%である。 ⑶ 回答企業・回答者の基本特性 分析に先立ってまず,分析対象の回答企業が全上場企業(ユニバース)からの偏りのないサンプルか どうかをチェックする(表 1 参照)。まず上場区分についてユニバースと比較すると,回答企業は東証 一部の割合がやや高く,逆に,ジャスダックがやや低いようにもみえるがピアソンのカイ 2 乗検定に よる適合度の検定を行ったところ ユニバースの分布とサンプル企業の分布は同じである という帰無 仮説は棄却されず,分布がユニバースと異なることを示す証拠は得られなかった。ただ,業種(東証大 分類の 10 業種)の分布では,ユニバースに比べて回答企業で製造業の割合がやや高い一方で,運輸・ 通信業とサービス業の割合がやや低く,適合度検定でも有意水準 1%で両者の分布が異なるという結果 が出た。 2  サーベイ調査(題目『資金調達・現金保有に関する企業の意識調査』)の質問票の内容および個別質問 の単純集計結果については,以下のサイトを参照されたい。中央大学総合政策学部・花枝英樹研究室 http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~hanaeda/questionnaire.html

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次に回答企業の財務特性を見ると,規模では回答企業にユニバースよりも大きい企業が多く,逆に, 無借金企業の割合がユニバースよりも少ないなどの偏りがみられた3。適合度の検定でも規模や負債比 率,PER といった変数については,ユニバースと回答企業の分布にバイアスがあることが確認されて 3  紙幅の関係で,分布の詳細は佐々木他(2016)を参照せよ。 表1 回答企業(サンプル)とユニバースの比較 適合度検定 (2)業種(東証大分類,金融系は除く) χ²=20.276 ユニバース 0.3% 0.2% 5.1% 45.3% 0.7% 14.1% 20.6% 3.3% 10.3% p値=0.001 サンプル 1.0% 0.3% 7.4% 51.6% 1.3% 9.4% 18.7% 3.5% 6.8% 水産・農林業 鉱業 建設業 製造業 電気・ガス業 運輸・通信業 商業 不動産業 サービス業 東証1部 東証2部 マザーズ 名証 福証・札証 ジャスダック 適合度検定 (1)上場区分 49.3% 16.7% 5.0% 2.7% 1.4% 25.0% ユニバース χ²=3.989 54.5% 15.2% 5.2% 2.6% 1.0% 21.6% p値=0.551 サンプル (3)株式時価総額(億円) (4)売上高(億円) (5)実績PER (6)PBR (7)配当利回り(%) (8)有利子負債比率(%) (9)現金比率(%) 平均 メディアン 適合度検定 平均 メディアン 適合度検定 平均 メディアン 適合度検定 平均 メディアン 適合度検定 平均 メディアン 適合度検定 平均 メディアン 適合度検定 平均 メディアン 適合度検定 1,069 113 χ²=22.017 1,905 279 χ²=28.375 27.4 15.7 χ²=14.659 2.0 0.9 χ²=5.160 1.8% 1.8% χ²=5.724 19.0% 14.1% χ²=20.425 19.7% 15.6% χ²=6.462 ユニバース 1,446 166 p値=0.003 3,161 459 p値=0.000 21.7 15.7 p値=0.066 1.8 0.9 p値=0.640 1.9% 1.9% p値=0.767 19.2% 17.1% p値=0.005 18.6% 15.0% p値=0.487 サンプル (注)回答企業(サンプル)は国内に上場している一般事業会社(金融系と必要なデータ   が得られなかった企業を除く。以下,同じ)310社。ユニバースは2013年8月末時   点で国内に上場している一般事業会社(金融系を除く)3,351社。数値については⑶,   ⑸,⑹,⑺は2013年8月末の値,⑷,⑻,⑼は2013年8月末時点での直近決算期の値を   用いている。データはすべて日経NEEDS−FinancialQUESTより入手しており,有利   子負債比率は有利子負債額÷総資産,現金比率は現金・預金÷総資産で計算。適合   度検定では【帰無仮説:ユニバースの分布とサンプル企業の分布は同じである】を   検定している。

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いる。一方,それ以外の財務特性については,両者の分布が異なるという結果は得られなかった。以上 をまとめると,規模など一部の指標でアンケート回答企業の分布とユニバースの分布に違いが確認され ており,本稿の結果がサンプリングバイアスの影響を受けている可能性に注意する必要があるといえる。 つぎに,回答者の属性について検討する(図 1 参照)と,40 代と 50 代で 7 割以上を占め,所属部署 は財務部と経営企画が 9 割である。現在の職位は,部長・次長クラスを含めた中堅管理職以上の職位 が約 5 割を占めている。回答者の 8 割以上が,自社の資金調達の決定に関わった経験を持っている。 以上のことから,本サーベイ調査の回答者は,全体的に見ると所属企業の資金調達,資本構成に対する 考え方を尋ねるに当たり,所属企業を十分に代表していると考えられる。

3 伝統的トレードオフ理論

われわれのサーベイ調査では,大別して,負債調達に際して重視する要因,株式発行で重視する要因, 目標負債比率についてそれぞれ質問している。以下では,それぞれの回答結果を逐次紹介するのではな く,回答結果全体が資本構成に関する代表的な理論とどれほど整合的かを中心に分析する。まずはトレー ドオフ理論を取り上げる。トレードオフ理論は,負債の便益とコストの兼ね合いで最適な資本構成が決 まるという考え方で,伝統的なトレードオフ理論では,負債の便益として節税効果を考え,コストとし ては倒産コストを考えている4 4  負債のコストや便益にエージェンシーコストを含めた考え方もあるので,本稿では節税効果と倒産コ ストのみの場合を伝統的トレードオフ理論と呼ぶことにする。 図1 回答者の属性 20代 30代 40代 50代 60歳以上 無回答 (ア)回答者の年齢 0% 10% 20% 30% 40% 50% 0% 10% 20% 30% 40% (ウ)現在の職位 役員クラス以上 部長・次長クラス 課長クラス 係長・主任 その他 無回答 0% 20% 40% 60% 80% 100% (エ)資金調達にかかわった経験 あり なし 無回答 0% 20% 40% 60% 80% 100% (イ)所属部署 財務・経理 経営企画 IR・広報 その他 無回答

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⑴ 負債の節税効果

負債の節税効果に関する実証研究として例えば Graham(2000)は,一般的な企業では時価総額の 9.7%に相当する額の節税効果が見込めるにもかかわらず,企業がそれを積極的に利用していない可能 性を示唆している。また,MacKie-Mason(1990)や Graham(1996)は,限界法人税率が高い企業ほど 負債を増やしていることを報告している一方,Frank and Goyal(2009)は,各年の法定最高法人税率 と負債比率の関係を検証し,両者に負の関係を見出している。 われわれのサーベイ調査では,企業が負債調達の際に負債の節税効果をどれほど重視するかを,表 2の問 1 ⑿で財務担当者に直接聞いている。その結果,「ある程度重要」と「非常に重要」と答えた割 合合計は,全体の 17.2%に留まっている。また,質問の回答を 0 点(全く重要でない)∼ 4 点(非常 に重要)として計算した平均得点も 1.39 点に留まり,我が国企業は節税効果を重視する企業が少ない ことが明らかとなった5。この結果を海外の調査と比較してみると,米国を対象とした Graham and Harvey(2001)では節税効果の平均得点は 2.07 点となっており,日本よりも負債の節税効果を重視す る企業は相対的に多いようである。また,英国やドイツ,オランダ,フランスを対象とした Brounen 財務柔軟性(いざという時に備えて,負債調達余力を 残しておく) 内部留保・企業利益で必要な資金を賄えるか否か 負債調達の取引コスト,手数料 利益やキャッシュフローの変動性 負債利子率の水準 顧客や取引先が貴社の事業継続を危惧しないように 負債を抑える 格付け会社の信用格付け 倒産コストや財務危機コスト 将来の投資からの収益を既存負債権者ではなく,株主が 十分に獲得できるように負債調達を控える 銀行から要請があれば,予定より早く借入の返済を行う 株価が過小評価されているときには負債による 負債による節税効果 資金需要がなくとも,銀行から要請があれば借入を行う 乗っ取りの対象となるのを防ぐために,十分な負債を抱える 利子を受け取る債権者の税コスト 貴社が負債を発行すれば,競合他社は貴社の生産量が 減少する可能性が低いと予想する 利子負担を増やすことにより,内部留保が過剰になり, 無駄に使われるのを抑えられる 従業員との賃金交渉において,高い負債比率は従業員 から譲歩を引き出すことができる *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** *** 3.08 2.96 2.95 2.86 2.75 2.34 2.23 2.20 1.82 1.65 1.58 1.39 1.33 1.19 1.17 1.05 1.00 0.88 82.8% 77.4% 77.3% 72.8% 70.0% 54.4% 48.1% 44.6% 22.1% 17.2% 9.8% 17.2% 15.5% 4.5% 5.8% 1.3% 1.3% 2.6% 2.3% 2.3% 3.6% 1.6% 4.2% 4.5% 8.7% 9.5% 9.1% 14.6% 11.1% 20.4% 24.8% 24.6% 28.6% 31.1% 30.8% 38.8% 6.5% 7.1% 8.1% 7.4% 6.5% 20.4% 21.6% 21.6% 24.4% 24.9% 30.6% 39.5% 33.5% 36.6% 32.5% 34.3% 39.6% 37.2% 8.4% 13.2% 11.0% 18.1% 19.4% 20.7% 21.6% 24.3% 44.3% 43.4% 48.5% 23.0% 26.1% 34.3% 33.1% 33.3% 28.2% 21.4% 46.6% 47.4% 44.3% 48.9% 50.3% 45.6% 34.5% 28.5% 19.9% 14.9% 8.8% 15.5% 15.2% 4.5% 5.5% 1.3% 1.3% 2.6% 36.2% 30.0% 33.0% 23.9% 19.7% 8.7% 13.5% 16.1% 2.3% 2.3% 1.0% 1.6% 0.3% 0.0% 0.3% 0.0% 0.0% 0.0% ⑴ ⑵ ⑶ ⑷ ⑸ ⑹ ⑺ ⑻ ⑼ ⑽ ⑾ ⑿ ⒀ ⒁ ⒂ ⒃ ⒄ ⒅ (注)回答企業310社の回答をもとに,各枝問の無回答を除いた場合の平均得点と重要(=ある程度重要,非常に重要)と答えた企業の   割合を表示。平均得点は全く重要でない=0点,あまり重要でない=1点,どちらともいえない=2点,ある程度重要=3点,非常に重   要=4点として計算。「平均得点=2」を帰無仮説とした平均値の検定を行い,帰無仮説が1%,5%,10%で有意に棄却される場合   には,それぞれ***,**,*を平均得点の右肩に表示している。 全く重要 でない 0 平均得点 重要 あまり重要1 でない 2 どちらとも いえない 3 ある程度 重要 4 非常に重要 表2 負債調達の際に重視すること(問1)

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et al.(2006)もドイツを除き,米国と似たような結果であり,我が国企業と海外企業との間に意識の違 いがみられた6

次に,負債の節税効果の重視度にどのような要因が影響しているのかを調べるために,負債による節

5  平均得点の計算方法は Graham and Harvey(2001)や Brounen et al.(2006)と同じであり,まったく 重要でない= 0 点,あまり重要でない= 1 点,どちらともいえない= 2 点,ある程度重要= 3 点,非 常に重要= 4 点と置き換え,質問ごとに平均得点を計算した(無回答企業はサンプルから除外)。これ により,先行研究との平均得点同士の比較が可能となっている。また,本研究では「平均得点= 2」を 帰無仮説とした平均値の検定も行い,帰無仮説が 1%,5%,10%で有意に棄却される場合には,それ ぞれ ***,**,* を平均得点の右肩に表示している。 6  各国の 2013 年時点の法人税率は日本:38.01%(2013 年時点,国税・地方税含む。以下同様),アメリカ: 40%,イギリス:23%,ドイツ:29.55%,オランダ:25%,フランス:33.33%となっており,日本 の法人税率が低いために節税効果を重視しないという可能性は低い。(参考:https://home.kpmg.com/ xx/en/home/services/tax/tax-tools-and-resources/tax-rates-online.html) 表3 順序プロビット分析で使う変数の基本統計量 変数名 問1(1)財務柔軟性 問1(4)利益やキャッシュフローの変動性 問1(6)顧客や取引先のために負債を抑える 問1(7)格付け会社の信用格付け 問1(8)倒産コストや財務危機コスト 問1(9)負債のデットオーバーハング 問1(12)負債による節税効果 問1(17)負債の規律付け 問3 負債比率の目標範囲の有無 問4(1)予想外の投資への備え 問4(2)将来のCF不足への備え 当期赤字回数 当期赤字ダミー 平均支払法人税額 営業CFの標準偏差 ROA PBR ln(総資産) メインバンク借入比率 現預金比率 配当利回り N 309 309 309 310 305 307 309 308 299 308 310 266 266 266 272 308 310 309 225 306 310 平均値 3.08 2.86 2.34 2.23 2.20 1.82 1.39 1.00 1.78 2.88 2.99 0.95 0.52 0.02 0.04 0.05 1.53 10.77 37.21 0.18 1.87 中央値 3.00 3.00 3.00 2.00 2.00 2.00 1.00 1.00 2.00 3.00 3.00 1.00 1.00 0.01 0.03 0.04 0.88 10.64 33.33 0.15 1.85 標準偏差 0.95 0.92 1.04 1.19 1.22 0.93 1.03 0.80 0.47 0.85 0.80 1.14 0.50 0.01 0.03 0.06 2.37 1.95 20.90 0.14 1.18 最小値 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 1.00 0.00 0.00 0.00 0.00 -0.01 0.00 -0.18 0.00 0.00 0.00 0.00 0.00 最大値 4.00 4.00 4.00 4.00 4.00 4.00 4.00 3.00 3.00 4.00 4.00 5.00 1.00 0.07 0.17 0.28 19.02 16.10 99.72 0.62 5.62 (注)問3は全く存在しない=1,ある程度,状況に応じた範囲が存在する=2,厳格な範囲が存在す  る=3と置き換えて数値化。それ以外の問は全く重要でない=0,あまり重要でない=1,どちらと  もいえない=2,ある程度重要=3,非常に重要=4と置き換えて数値化。当期赤字回数,当期赤字  ダミー,平均支払法人税額はそれぞれアンケート前の直近過去5年間の当期赤字の回数,1度でも当  期赤字があれば1を取るダミー変数,支払法人税額÷総資産の平均値。営業CFの標準偏差は「営業  活動によるキャッシュフロー÷総資産」のアンケート前の直近5年間の標準偏差。その他のコント  ロール変数はROA=営業利益÷総資産,PBR=株価÷1株当たり自己資本,ln(総資産)=総資産の自然  対数値,メインバンク借入比率=メインバンクからの借入金÷借入金総額,現預金比率=現金・預金  ÷総資産,配当利回り=月末の実績ベース配当利回り。いずれもアンケート実施前の直近のデータ。  財務データは日経NEEDS-FinancialQuestから,メインバンク借入比率は日経NEEDS-Cgesから入手  (以降の表も同様)。

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表4 トレードオフ理論に関する順序プロビット分析 (注)パネルAの被説明変数は【問1⑿負債による節税効果】,パネルBの被説明変数は【問1   ⑻倒産コストや財務危機コスト】。全く重要でない=0,あまり重要でない=1,どちら   ともいえない=2,ある程度重要=3,非常に重要=4と置き換えて順序プロビット分析   を実施。問1⑷,⑹,⑺も同様に数値化。営業CFの標準偏差は「営業活動によるキャッシ   ュフロー÷総資産」のアンケート前の直近5年間の標準偏差。コントロール変数はROA=   営業利益÷総資産,PBR=株価÷1株当たり自己資本,ln(総資産)=総資産の自然対数値,   メインバンク借入比率はメインバンクからの借入金÷借入金総額。いずれもアンケー   ト実施前の直近の値。括弧内の数値はz値。***,**,*はそれぞれ有意水準1%,5%,10   %で有意であることを意味する。 パネルA:負債の節税効果 ROA 当期赤字回数 当期赤字ダミー 平均支払法人税額 PBR ln(総資産) 産業ダミー Pseudo R2 Log Pseudo-Likelihood サンプル数 ケース⑴ ケース⑵ ケース⑶ ケース⑷ -0.02 (-0.02) -0.04 (-1.52) 0.05 (1.35) Yes 0.04 -407.35 307 0.05 (0.85) -0.05 (-1.22) 0.05 (1.21) Yes 0.03 -352.28 265 0.22 (1.48) -0.05 (-1.22) 0.06 (1.26) Yes 0.04 -351.47 265 -4.33 (-0.79) -0.04 (-1.03) 0.05 (1.09) Yes 0.03 -352.28 265 パネルB:倒産コスト 問1⑷利益やキャッシュフローの変動性 問1⑹顧客や取引先のために負債を抑える 問1⑺格付け会社の信用格付け 営業CFの標準偏差 ROA PBR ln(総資産) メインバンク借入比率 産業ダミー Pseudo R2 Log Pseudo-Likelihood サンプル数 ケース⑴ 0.53 *** (5.82) -4.11 ** (-2.46) 0.09 ** (2.45) -0.04 (-0.68) -0.00 (-0.89) Yes 0.10 -297.60   220 ケース⑵ 0.36 *** (3.90) -2.98 * (-1.74) 0.09 ** (2.19) -0.02 (-0.39) -0.00 (-0.81) Yes 0.09 -304.88    221 ケース⑶ 0.42 *** (5.09) -3.35 ** (-2.04) 0.08 * (1.77) -0.11 * (-1.94) -0.00 (-0.22) Yes 0.10 -300.45    221 ケース⑷ 0.23 (0.07) -5.27 ** (-2.53) 0.08 (1.24) 0.09 (1.17) 0.00 (0.42) Yes 0.07 -285.29    201

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税効果が全く重要でない= 0,あまり重要でない= 1,どちらともいえない= 2,ある程度重要= 3, 非常に重要= 4 の序列を示す離散値を被説明変数とする順序プロビット分析を行った。説明変数とし ては,収益性指標としての ROA,過去の赤字の回数や赤字ダミー,法人税支払額と,コントロール変 数として PBR,規模を用いた。分析に使った各変数の基本統計量や詳細な定義は表 3 を参照されたい。 結果は表 4 パネル A に示されている。収益性が高いほど負債の節税効果を重視するため節税効果重 視度と ROA の間にはプラスの関係を,逆に,赤字企業ほど負債の節税効果を享受できないので,マイ ナスの関係を予想した。しかし,ROA,過去の赤字回数,赤字ダミー,法人税支払額はどれも統計的 に有意な結果は得られなかった。 まとめると,全体として負債の節税効果を重視する企業の割合は少なく,伝統的なトレードオフ理論 が想定する負債の便益として意識される程度は低いと言える。また,どのような企業が節税効果を重視 するのかに関しては,その明確な要因は特定できなかった。 ⑵ 倒産コスト トレードオフ理論では単純に負債を増やせば企業価値が増大するわけではない。それは負債額が多い ほど企業の倒産確率が高まり,倒産コストが発生するためである7。倒産コストに注目した先行研究と

して,例えば Frank and Goyal(2009)は,有形資産比率が高い企業や大企業ほど倒産コストが低くな ると予想し,実際に有形資産の割合が高い大企業では負債比率が高くなることを発見している。一方で, 高収益企業の倒産コストは低いと予想されるにもかかわらず,そういった企業は負債をあまり利用して いないという報告も多い(Rajan and Zingales(1995),Graham(2000),Frank and Goyal(2009))。

われわれのサーベイ調査でも倒産コストに関連するいくつかの質問を行っている。まず,表 2 の問 1 ⑻「倒産コストや財務危機コスト」をある程度重要,非常に重要と答えた企業が 44.6%で,半数近くの 企業が負債調達の際に倒産コストを重視していることが明らかになった。平均得点は 2.20 であるが, Graham and Harvey(2001)での倒産コストの平均得点1.24や,Brounen et al.(2006)での0.65∼1.42 と比べると相対的に高く,日本企業では負債調達の際に倒産コストを重視する企業が相対的に多く存在 することが窺える。 次に,倒産コストに関連する質問として,表 2 の問 1「⑷利益やキャッシュフローの変動性」と,問 1「⑺ 信用格付け」についても質問した。表 2 によると問 1「⑷利益やキャッシュフローの変動性」を重要と 答えた企業が 72.8%を占め,平均得点も 2.86 と高い。また,問 1「⑺信用格付け」も半数近い企業が 重要と答えている。また,表 2 の問 1「⑹顧客や取引先が貴社の事業継続を危惧しないように負債を抑 える」の平均得点が 2.34 であるのに対し,Graham and Harvey(2001),Brounen et al.(2006)では, 問 1 ⑹に相当する質問の平均得点はそれぞれ 1.24 と 0.96 ∼ 1.62 と相対的に低く,日本の興味深い特 徴となっている。

7  Graham and Harvey(2001)やわれわれのサーベイ調査では,質問票の中で「倒産コストや財務危機コ スト」という表現で,倒産コスト(bankruptcy cost)と財務危機コスト(financial distress cost)を分 けている。しかし,本稿では両者を含めたものとして倒産コストという表現を用いることにする。

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負債の節税効果の場合と同様,倒産コストの重視度にどのような要因が影響しているのかを調べるた めに,問 1「⑻倒産コストや財務危機コスト」の重視度を示す 0 から 4 までの離散値を被説明変数とす る順序プロビット分析を行った。説明変数としては,同じサーベイ調査の他の質問項目の中で倒産コス トと関連する質問項目や,財務特性を表す変数を用いた。 表 4 パネル B の最初の 4 つの説明変数は,倒産リスクに関連する変数を取り上げた。その内,利益 やキャッシュフローの変動性が高いほど倒産確率が高まると考えられ,問 1「⑷利益やキャッシュフロー の変動性」を重視すると答えた企業や,実際の営業 CF の標準偏差が大きい企業ほど倒産コストを意識 することが予想される。次に,問 1 ⑹は他者から見た自社の倒産コストを意識した質問である。また, 格付けは倒産確率をもとに設定されるため,問 1 ⑺で格付けを気にする企業ほど倒産コストを意識す ると考えられる。実際,問 1「⑷利益やキャッシュフローの変動性」,問 1「⑹顧客や取引先が貴社の 事業継続を危惧しないように負債を抑える」,問 1「⑺格付け」の係数は統計的に有意にプラスで,こ れらを重視している企業ほど倒産リスクや財務危機コストを重視している結果が得られた。特に,顧客 や取引先への配慮が倒産コストの意識に影響しているという結果は Titman(1984)の主張と整合的で あり,日本企業では倒産を回避して,顧客,取引先との長期的関係を重視していることが窺える。また, この結果は,顧客や取引先以外の重要なステークホルダーである従業員に関連して,従業員処遇を重視 する企業では,倒産リスクを回避し事業継続を図るために負債比率を抑えているという佐々木・花枝 (2014)の実証結果とも整合的である。ただ,実際の過去の営業 CF の標準偏差の変数は,想定される 符号ではあるが有意ではなかった。 コントロール変数の中では,ROA の符号が有意にマイナスである。これは,収益性が低い企業ほど 倒産コストを意識している可能性を示唆している。また,メインバンク依存度が高い企業では,メイン バンクによる救済の可能性が考慮に入れられ,倒産コストを意識しない可能性もあるがそれを確かめる ために,メインバンク借入比率を説明変数に付け加えた。結果は有意ではなく,メインバンク借入比率 の影響は確認できなかった。 本節の結果をまとめると,わが国企業は節税効果をあまり重視しない一方で,倒産コストを重視す る企業が半数近くに上ることが判明し,伝統的トレードオフ理論と完全に整合的というわけではなかっ た。また,それぞれを重視する企業の特徴について検証を行ったところ,節税効果については特に特徴 は見られなかったものの,倒産コストについては,倒産コストと関連する要因を重視している企業や収 益性が低く,倒産コストが相対的に高いと思われる企業がこれを重視していることが判明した。なお, トレードオフ理論の重要な示唆のひとつである目標負債比率に関しては,他の理論との兼ね合いも含め て第8節で述べる。

4 財務柔軟性

⑴ 財務柔軟性の先行研究

Graham and Harvey(2001),Bancel and Mittoo(2004),Brounen et al.(2006)のサーベイ調査で は,財務担当責任者が負債調達に際して最も重視する項目として,いざという時に備えて負債調達余力 を残しておくことを挙げている。彼らはこれを財務柔軟性(financial flexibility)と呼んだが8,財務柔

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究成果が現れている。 まず,DeAngelo et al.(2011)は,将来の予期せぬ事業投資等のために必要な資金需要に備えて負債 調達余力を残しておく形で,事前の負債比率を決定するのが最適な財務政策であることを,将来の投資 や資金調達を内生化した動学モデルで示した9。彼らのモデルでは,抑えめで低めの長期的な目標負債 比率が設定され,予期せぬ形での投資機会ショックに対応して,新たな負債調達が一時的に行われる。 そして,高まった負債比率を目標負債比率に調整するプロセスは,利益が上昇したような場合にはキャッ シュフローから負債の返済が行われて進むが,通常は緩やかに行われる。

Denis and McKeon(2012)は,DeAngelo et al.(2011)のモデルと整合的な行動が実際にも取られて いることを実証分析から明らかにしている。Denis and McKeon(2012)は,推定される目標負債比率 を大きく上回る形で負債比率を上昇させた企業データから,負債による資金調達の主な理由は,設備投 資や M&A 等の事業用資金のためであり,自己資本削減のための自社株買いや配当などのペイアウトの ためではないことを明らかにした。このことは,予期せぬ投資需要が生じたために負債が利用されたこ とを示唆している。Denis and McKeon(2012)は,これらの結果は通常のトレードオフ理論からは説 明がつかないとしている。なぜなら,トレードオフ理論では,負債比率の急激な上昇は新たな目標負債 比率への移行として考えられるべきであるが,実際はその後,従来の目標負債比率への回帰がみられる からである。一方で,その回帰のスピードは緩やかで,トレードオフ理論が想定するような目標負債比 率の維持が最優先されていないのも事実であった。これらのことから,Denis and McKeon(2012)は, 通常は負債調達余力を残しておくような抑えめの負債比率が選択され,いざ投資等のための資金需要が 発生したときには,負債調達余力を活用する形で負債による資金調達が行われるという財務柔軟性と整 合的な財務政策が取られていると主張している10。以上の議論を踏まえると,財務柔軟性を重視した考 え方からは,実際の資本構成は 2 つの要素から成ると考えられる。ひとつは,長期的な目標負債比率 に相当する部分である。もう一つが一時的な部分で,資金需要に応じて負債比率が上昇したり,その後 の負債の返済がキャッシュフローの状況によって影響を受ける部分である。この一時的な部分は,オプ ションとしての財務柔軟性の部分と考えることができる。 ⑵ 財務柔軟性に関するサーベイ調査結果

われわれのサーベイ調査でも,Graham and Harvey(2001)や Brounen et al.(2006)と同様,負債 による資金調達に際して,財務柔軟性が最も重視されているという結果が得られた。表 2 の問 1「⑴財 務柔軟性」を「ある程度重要」と「非常に重要」と答えた割合は全体の 82.8%に達している。平均得点

8  本稿では,財務柔軟性を Graham and Harvey(2001)にならい負債調達余力の意味で用いているが,現 在では財務柔軟性という言葉は,いざという時に備えた現金保有を含む流動性管理や,現金配当よりも 柔軟性の高い自社株買いを重視するペイアウト政策等を含む,より広い概念として捉えられることもある ことに留意する必要がある。

9 財務柔軟性を考慮に入れたモデルに関しては,久保(2009),Gamba and Triantis(2008)も参照せよ。 10  Rapp et al.(2014)は,実際に財務柔軟性の価値の計測方法を提唱し,財務柔軟性の価値が高い企業では,

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も 3.08 で 18 個の項目の中で最も高い得点である。Graham and Harvey(2001)では,「ある程度重要」 と「非常に重要」の割合が 59.4%,平均得点が 2.59 であるのと比べると,日本企業の方が財務柔軟性 をより重視していることが窺える11 財務柔軟性に関しても,問 1「⑴財務柔軟性」の重視度を示す 0 から 4 までの離散値を被説明変数と する順序プロビット分析を行った。結果は表 5 に示されている。財務柔軟性は業績悪化時への対応と いう側面もあると考えられるので,表 5 のケース 1 からケース 5 で,倒産コストの代理変数である問 1 「⑷利益やキャッシュフローの変動性」,「⑹事業継続に対する顧客や取引先の危惧」の重視度,「⑺格 付け会社の信用格付け」,「⑻倒産コストや財務危機コスト」,及び実際の営業キャッシュフローの標 11  Brounen et al.(2006)によれば,欧州企業でも財務柔軟性は重要度でトップ項目であるが,平均得点 は 2.1 から 2.3 点台で米国企業よりも若干低くなっている。 表5 財務柔軟性に関する順序プロビット分析 問1⑷利益やキャッシュフローの変動性 問1⑹顧客や取引先のために負債を抑える 問1⑺格付け会社の信用格付け 問1⑻倒産コストや財務危機コスト 営業CFの標準偏差 問4⑴予想外の投資への備え 問4⑵将来のCF不足への備え ROA PBR ln(総資産) 現預金比率 配当利回り 産業ダミー Pseudo R2 Log Pseudo-Likelihood サンプル数 0.66*** (6.53) -0.32 (-0.21) -0.03 (-1.08) 0.04 (0.80) -0.88 (-1.35) 0.09 (1.30) Yes 0.15 -311.94   304 0.32*** (4.56) 0.49 (0.34) -0.03 (-0.97) 0.06 (1.35) -0.68 (-1.05) 0.06 (0.98) Yes 0.08 -336.40   305 0.25*** (3.63) 0.39 (0.28) -0.04 (-1.13) -0.01 (-0.14) -0.89 (-1.43) 0.04 (0.62) Yes 0.07 -340.50   305 0.44*** (6.54) 0.93 (0.68) -0.05 (-1.44) 0.06 (1.33) -0.74 (-1.16) 0.05 (0.79) Yes 0.12 -316.92   301 4.13 (1.42) 0.41 (0.21) -0.10** (-2.34) 0.12** (2.40) -0.97 (-1.23) 0.03 (0.41) Yes 0.06 -294.69   269 0.21** (2.45) -0.17 (-0.11) -0.02 (-0.53) 0.06 (1.24) -1.41** (-2.13) 0.06 (1.02) Yes 0.06 -343.12   303 0.41*** (4.06) -0.33 (-0.22) -0.02 (-0.58) 0.05 (1.14) -1.31** (-2.02) 0.05 (0.87) Yes 0.08 -336.07   305 (注)被説明変数は【問1⑴財務柔軟性】。全く重要でない=0,あまり重要でない=1,どちらともいえない=2,ある程度重要=3,非   常に重要=4と置き換えて順序プロビット分析を実施。問1⑷,⑹,⑺,⑻,問4⑴,⑵も同様に数値化。営業CFの標準偏差は「営   業活動によるキャッシュフロー÷総資産」のアンケート前の直近5年間の標準偏差。問4⑴,⑵は余剰資金の保有目的に関する質   問であり,本来の質問文はそれぞれ【問4⑴将来,予想外の投資案が生じた時の備え】,【問4⑵将来のキャッシュフロー不足に対   する備え】となっている。コントロール変数はROA=営業利益÷総資産,PBR=株価÷1株当たり自己資本,ln(総資産)=総資産の   自然対数値,現預金比率=現金・預金÷総資産,配当利回り=月末の実績ベース配当利回り。いずれもアンケート実施前の直近の   値。括弧内の数値はz値。***,**,*はそれぞれ有意水準1%,5%,10%で有意であることを意味する。 ケース⑴ ケース⑵ ケース⑶ ケース⑷ ケース⑸ ケース⑹ ケース⑺

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準偏差が財務柔軟性に及ぼす影響を見た。結果は,実際の営業キャッシュフローの標準偏差以外はすべ て有意にプラスで,財務柔軟性は倒産コストとも関連していることがわかる。 ところで,Acharya et al.(2007)は,流動性管理手段としての現預金保有と負債調達余力の確保の役 割を分析し,将来のキャッシュフロー不足への備え(消極的な予備的動機)には,現預金保有が適して いるが,将来,予想外の投資機会が生じた場合の備え(積極的な予備的動機)としては,現預金保有よ りも負債調達余力の確保の方が望ましいことを主張している12。いずれにしろ,余剰資金保有と負債調 達余力との間に代替関係が想定されている。われわれのサーベイ調査でも,問 4 ⑴,⑵で余剰資金保有 の決定に際して,予備的動機を重視するか否かを聞いている。そこで,現金保有のうち,特に,余剰資 金保有と財務柔軟性の関係を調べるために,余剰資金保有の理由として問 4「⑴予想外の投資案への備 え」と,問 4「⑵将来のキャッシュフロー不足への備え」の重視度を説明変数として加えた。ケース 6 とケース 7 がその結果で,問 4「⑴予想外の投資案への備え」と問 4「⑵将来のキャッシュフロー不足 への備え」の符号はともに有意にプラスとなっている13。この結果は,Acharya et al.(2007)の主張と 異なり,将来のキャッシュフロー不足や将来の投資への備えとして余剰資金保有を重視する企業ほど, 財務柔軟性も重視していること,つまり,日本企業では予備的動機のための余剰資金保有と財務柔軟性 が代替的ではなく,むしろ補完的な関係にあることを示唆している(佐々木他(2016)の 3.5 節も参照)。 さらに,4.1 節の財務柔軟性に関する先行研究からは,成長機会が高く,予期せぬ投資資金需要が発 生しやすい不確実性が大きい企業ほど,財務柔軟性を重視すると考えられる。成長性を示す尺度として PBRを用いたが,全てのケースで有意な結果は得られなかった。これは日本企業での財務柔軟性の重 要性の認識は,成長企業に留まらず多くの企業に当てはまることがあらためて示唆される結果である。 以上のことから,わが国企業では財務柔軟性が最も重視されており,特に倒産コストや予備的動機へ の意識が高い企業ほど,その傾向が強いことが明らかになった。

5 情報の非対称性に基づいたペッキングオーダー理論

⑴ ペッキングオーダー理論に関する先行研究

Myers(1984)や Myers and Majluf(1984)のペッキングオーダー理論は,企業と資金提供者間の情 報の非対称性が資金調達コストに影響を及ぼすため,情報の非対称性の小さい順に資金調達手段を選択 するというものである。企業は情報の非対称性が最も小さい内部資金を最初に利用し,次に外部からの 資金を利用する。外部からの資金内では,負債調達が株式調達よりも優先される。また,資本構成に対 しては資金調達の結果であり,トレードオフ理論とは異なり最適な資本構成の存在を想定していない。 ペッキングオーダー理論に関する近年の実証研究からは,肯定的・否定的さまざまな結果が報告され 12  Arslan-Ayaydin et al.(2014)は,東南アジアを中心とした 5 カ国の実証分析で,負債調達余力が積極 的な予備的動機のために利用されていることを明らかにしている。 13  問4「⑴予想外の投資案への備え」と問4「⑵将来のキャッシュフロー不足への備え」の単相関が0.54と高く, 多重共線性の問題が生じる危険性が強いので,それぞれを単独に説明変数に入れた分析のみを行った。

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ている14。Shyam-Sunder and Myers(1999)は,米国の 157 企業のサンプルを用いて,トレードオフ 理論とペッキングオーダー理論から導き出された実証モデルの説明力を比較した。その結果,ペッキン グオーダー理論モデルによる説明力は,トレードオフ理論モデルより高く,トレードオフ理論モデルの 説明力はほとんどないと報告している。ペッキングオーダー理論に従えば,赤字は内部資金の枯渇を意 味し負債利用が促進されることが予想される。Bharath et al.(2009)は,企業の逆選択リスクに対する 市場の評価をもとに,赤字時の株式や負債発行の選択について検証した。彼らの結果からは,逆選択リ スクが高いと評価される企業では,赤字時に負債を利用する傾向がみられたが,逆選択リスクが低いと 評価される企業ではほとんどその傾向はみられなかった15。これらの結果は,ペッキングオーダー理論 を支持する結果といえよう。

一方で,ペッキングオーダー理論とは整合的ではない実証研究として,Frank and Goyal(2003), Fama and French(2005)などがある。Frank and Goyal(2003)は Shyam-Sunder and Myers(1999) で用いたサンプルより幅広いサンプル(115,611 サンプル)を用い,情報の問題が深刻な企業(小規模・ 高成長企業)に着目し,赤字と負債発行との関係について検証した。彼らは,ペッキングオーダー理 論の想定とは異なり,小規模・高成長企業において,赤字と負債発行の関係は非常に弱く,より株式 発行を利用していることを明らかにした。株式発行に着目しペッキングオーダー理論を検証した論文 に Fama and French(2005)がある。ペッキングオーダー理論では株式発行は最後の資金調達手段であ り,負債発行より株式発行が少なくなるはずである。しかしながら,Fama and French(2005)の結果 では,毎年非常に多くの企業が株式を発行していることが明らかになっている。この結果を受けて,彼 らは The pecking order theory is dead. とペッキングオーダー理論を評している。

⑵ ペッキングオーダー理論に関するサーベイ調査結果

ペッキングオーダー理論に関する質問として,まず表 2 問 1 ⑵,表 6 問 2 ⑴がある。もし,内部留 保,負債,株式の順番に資金調達を行っているのであれば,内部資金で賄えない場合に負債発行が多 く(問 1 ⑵の点数が高い),株式発行は多くない(問 2 ⑴の点数は低い)ことが予想される。検証結果 は,問 1 ⑵は 2.96,問 2 ⑴は 2.88 といずれの点数も高いことが確認され,両問間の点数に統計的な違 いは確認できなかった。この結果は,ペッキングオーダー理論の想定や Graham and Harvey(2001), Bancel and Mittoo(2004), Brounen et al. (2006)らの欧米企業を対象としたサーベイ結果とも異なっ ている。表 6 問 2 ⒀は,外部資金内の負債と株式の順番を問う質問である。負債や転換証券が利用で きない場合に,株式の利用が高まることが予想されるが,問 2 ⒀の結果は 1.76 と統計的に 2 よりも有

14  資金調達の順番を決定するのには必ずしも情報の非対称性が原因とは限らない。Leary and Roberts (2010)は,情報の非対称性のほか,利害対立(エージェンシーコストや取引コスト)で企業を分け,ペッ キングオーダー理論モデルの説明力を検証した。検証結果からは,情報の非対称性というよりむしろ 利害対立での分類の方が調達先の順番を決定する理由となっていることを報告している。

15  Bharath et al.(2009)は,市場からの評価の変数として,マーケットマイクロストラクチャーの議論 で利用される変数を用いた。

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意に低いことが確認できた。この結果も,ペッキングオーダー理論とは整合的ではないが,Graham and Harvey(2001)や Brounen et al. (2006)らのサーベイ研究と同様の結果であった。

もし,ペッキングオーダー理論で負債や株式発行を説明することができるのであれば,より情報の非 対称性の問題が深刻な企業(小規模・低配当企業)において,高い点数が確認できるはずである。表 7 は, 規模や配当利回りの大小ごとにサブグループに分けた結果を示している。問 1 ⑵や問 2 ⑴では,小規 模及び低配当利回りの企業と大規模・高配当利回り企業の間で点数が統計的に有意に異なっていること はなかった。問 2 ⒀は時価総額で見た規模において違いがみられたが,大小いずれの規模においても 平均得点が 2 を下回っており,その違いがペッキングオーダー理論を支持するとはいえない。これら の結果は,内部資金を利用できない場合には外部資金を利用するが,外部資金を情報の非対称性の大き 財務柔軟性 内部留保・企業利益で必要な資金を賄えるか否か 内部留保・企業利益で必要な資金を賄えるか否か 負債,転換証券など他の資金調達手段を用いることができない 3.05 2.94 2.91 1.85 * ** 3.12 2.97 2.86 1.67 2.97 2.95 2.90 1.83 3.19 2.97 2.87 1.69 3.00 2.94 2.84 1.79 3.16 2.97 2.93 1.74 問1⑴ 問1⑵ 問2⑴ 問2⒀ (注)回答企業の財務特性値がメディアン以上なら高グループ,メディアン未満なら低グループに分類。財務データは日経NEEDS-Financial   Questから入手。表の数値は各グループに含まれる企業の各問に対する回答の得点(0∼4点。数値化の方法は表2などと同様)を   平均した値(無回答企業は除く)。Mann-WhitneyのU検定により,高グループと低グループの平均得点が有意に異なるか否かを   検定し,***, **, *はそれぞれ有意水準1%,5%,10%で両グループ間に有意な差があることを意味する。 低 高 時価総額 低 高 売上高 低 高 配当利回り 表7 ペッキングオーダー仮説 内部留保・企業利益で必要な資金を賄えるか否か 自社株の直近の株価上昇 1株当たり利益の希薄化 特定株主の株式持ち分の希薄化 将来,株価の下落が予想される マクロ環境が良いときには,調達資金使途について投資家 からの理解が得られやすい 現在の自社の株価が適正と市場やアナリストが判断している 目標負債比率の維持 株式は最もリスクの低い資金調達手段である 同業他社の負債比率 株式調達は負債調達より投資家への印象が良い 株式は最もコストの低い資金調達手段である 負債,転換証券など他の資金調達手段を用いることが できない 投資家の配当課税率に比べた,キャピタルゲイン税率の高さ ストックオプション等に利用 2.88 2.85 2.83 2.48 2.36 2.34 2.31 2.10 2.02 1.89 1.85 1.80 1.76 1.75 1.71 *** *** *** *** *** *** *** * * *** *** *** *** *** 73.2% 72.6% 72.6% 52.9% 41.4% 46.3% 43.6% 38.2% 23.1% 33.8% 14.4% 16.7% 18.0% 13.4% 23.9% 2.0% 2.6% 2.6% 3.3% 3.6% 3.3% 2.3% 6.9% 5.2% 9.8% 7.2% 9.8% 13.4% 6.5% 13.7% 5.9% 4.6% 4.2% 13.1% 8.1% 10.1% 14.3% 17.8% 13.7% 26.9% 16.7% 19.6% 18.6% 25.1% 26.8% 19.0% 20.2% 20.5% 30.7% 46.9% 40.4% 39.7% 37.2% 58.0% 29.5% 61.8% 53.9% 50.0% 55.0% 35.6% 48.4% 50.2% 52.8% 38.6% 30.9% 41.7% 37.8% 35.2% 20.5% 31.8% 13.1% 14.1% 14.4% 13.4% 22.5% 24.8% 22.5% 19.9% 14.4% 10.4% 4.6% 5.9% 3.0% 2.6% 2.0% 1.3% 2.6% 3.6% 0.0% 1.3% ⑴ ⑵ ⑶ ⑷ ⑸ ⑹ ⑺ ⑻ ⑼ ⑽ ⑾ ⑿ ⒀ ⒁ ⒂ (注)回答企業310社の回答をもとに,各枝問の無回答を除いた場合の平均得点と重要(=ある程度重要,非常に重要)と答えた企業の   割合を表示。平均得点は全く重要でない=0点,あまり重要でない=1点,どちらともいえない=2点,ある程度重要=3点,非常に重   要=4点として計算。「平均得点=2」を帰無仮説とした平均値の検定を行い,帰無仮説が1%,5%,10%で有意に棄却される場合には,   それぞれ***,**,*を平均得点の右肩に表示している。 全く重要 でない 0 平均得点 重要 あまり重要1 でない 2 どちらとも いえない 3 ある程度 重要 4 非常に重要 表6 株式調達の際に重視すること(問2)

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さ順に調達するという姿勢はみられないことを意味している。

問 1「⑴財務柔軟性」を,余剰資金(financial slack)を確保して負債調達余力を残すととらえるこ とができれば,ペッキングオーダー理論に関連した質問と考えることができる(Graham and Harvey (2001),p.215)。Myers and Majluf(1984)は,調達コストの高い外部資金調達を行わないよう,財 務柔軟性を維持しようとすると想定している。ペッキングオーダー理論が支持されるのであれば,外部 資金調達を通じた高い資金調達コストを抑えるために,企業が財務柔軟性を考慮に入れるだろう。既に 第 4 節で述べたように,表 2 問 1 ⑴の点数は,3.08 と負債の発行理由としては最も高い結果が得られた。 もし,この財務柔軟性がペッキングオーダー理論から説明できるのであれば,より情報の非対称性の問 題が深刻な企業においてこの点数が高いことが予想される。規模や配当利回りの大小ごとにサブグルー プに分けた表 7 の問 1 ⑴の結果を見ると,時価総額や配当利回りでは有意な違いが見られなかった。 売上高の高低では,売上高が高いグループの方が平均得点は高く,ペッキングオーダー理論の想定とは 逆である。Graham and Harvey(2001)や Brounen et al. (2006)と同様,この結果は,財務柔軟性の 点数が高いのは情報の非対称性に依拠したペッキングオーダー理論とは異なる理由によるものであると 考えられる(第 4 節参照)。

本節では,負債や株式発行において情報の非対称性によるペッキングオーダー理論を支持しないとい う結果が得られた。この結果は,概ね Graham and Harvey (2001)や Brounen et al. (2006)のサーベイ 調査や,Frank and Goyal(2003)や Fama and French(2005)の実証結果と整合的な結果といえる16

6 タイミング仮説

完全市場のもとでは,資金調達のタイミングは企業価値に対し無差別である。しかし,多くの実証 研究において,企業は特定のタイミングで負債や株式の発行を行うことが報告されている17。Graham

and Harvey(2001)や Brounen et al. (2006)のサーベイ調査では,タイミング仮説に関して機会の窓 仮説のみを検証しており,その他のタイミング仮説について検証していない。本節は,企業が資金調達 のタイミングをはかっているか否かを 3 つのタイミング仮説(機会の窓仮説,非合理的タイミング仮説, 意見の一致仮説)をもとに検証していく。

Lucas and McDonald (1990)は,ダイナミックな逆選択モデルを用い,機会の窓仮説を提示した。 彼らは,市場の状況に応じて企業と投資家間の情報の非対称性及び逆選択コストは変化することを説明 し,株式の発行は逆選択コストの低いタイミングで行われると指摘している。実証研究においても,マ クロ指標の好況期や同業他社の株式発行規模が大きい時期には,株式の発行コストが低いことが明らか 16  高見(2015)は,2004 年から 2014 年までの日本企業のデータを用いて,資金不足が外部資金調達に 及ぼす感度を検証した。長期借入金は社債や株式発行と比べ,資金不足時の感度は高いものの,社債 と株式間では順序や規則性は確認できなかった。こうした結果からは,内部留保,借入金,社債,新 株といった純粋なペッキングオーダー理論は成り立っていないことを示唆している。 17  公募増資発表直前の株価は上昇し,発行後株価が下落していることが報告されている(Alti and Sulaeman (2013), Kato et al.(2014))。

(19)

にされている(Choe et al.(1993),Bayless and Chaplinsky(1996),加藤・鈴木(2011))。機会の窓 仮説と関連する問いは,問 2 ⑵,問 2 ⑸である。これらの問いでは,マクロ環境の改善後に株式発行を行っ ている,あるいは,マクロ環境の良さが企業と投資家間の情報格差を緩和しているという,機会の窓仮 説の予想が反映されると考えられる18。表 6 問 2 ⑵の平均得点は 2.85 点,⑸は 2.36 点と共に高いこと がわかる。ところで,機会の窓仮説の下では,情報の非対称性の問題が深刻でなければ,企業はタイミ ングにこだわる必要がない。そのため,これらの問いの点数は情報の非対称性が深刻な企業において, より高くなることが予想される。しかしながら,表 8 の結果では,企業規模や配当利回りの大小に関 わらず点数が高いことがわかった。そのため,問 2 ⑵,⑸の結果は,機会の窓仮説とは異なるタイミ ング仮説を反映した可能性が高いといえよう。

2番目のタイミング仮説として,Baker and Wurgler(2002)は,株価が非合理的な投資家たちによっ て過大評価されているタイミングで株式発行を行い,過小評価のタイミングで負債発行を行うと指摘し ている19(非合理的タイミング仮説)。非合理的タイミング仮説では,企業は市場の非合理的な過大評 18  マクロ経済が改善されるのであれば「自社株の直近の株価上昇(問 2 ⑵)」がみられると予想される。 また,「マクロ環境が良いときには,調達資金使途について投資家からの理解が得られやすい(問 2 ⑹)」 のであれば,マクロ環境が良いときには企業の将来見込みについて企業と投資家間の情報格差が小さ いことが示唆される。 19  投資家が非合理的な行動をとる理由として,楽観性バイアス,保守バイアス,自己起因バイアスなど が挙げられる。 自社株の直近の株価上昇 将来,株価の下落が予想される マクロ環境が良いときには,調達資金使途について投資家からの理解が得られやすい 現在の自社の株価が適正と市場やアナリストが判断している 2.84 2.35 2.39 2.22 * ** 2.87 2.38 2.29 2.39 2.86 2.32 2.35 2.19 2.84 2.41 2.33 2.42 2.91 2.34 2.42 2.30 2.80 2.39 2.27 2.31 問2⑵ 問2⑸ 問2⑹ 問2⑺ パネルA 低 高 時価総額 低 高 売上高 低 高 配当利回り 自社株の直近の株価上昇 将来,株価の下落が予想される マクロ環境が良いときには,調達資金使途について投資家からの理解が 得られやすい 現在の自社の株価が適正と市場やアナリストが判断している ** *** *** *** * ** *** 2.66 2.11 1.94 1.96 3.03 2.57 2.70 2.60 2.71 2.27 2.14 2.00 2.91 2.39 2.41 2.41 問2⑵ 問2⑸ 問2⑹ 問2⑺ パネルB (注)回答企業の財務特性値がメディアン以上なら高グループ,メディアン未満なら低グループに分類。問2⑻で【全く重要でない】   または【あまり重要でない】と答えた企業は 重視しない グループに,【ある程度重要】,【非常に重要】と答えた企業は 重視す   る グループに分類。【どちらともいえない】と答えた企業は除外。【問3:貴社の負債比率に目標範囲は存在しますか】で【全   く存在しない】と答えた企業は ない グループに,それ以外の企業は ある グループに分類。表の数値は各グループに含まれる企   業の各問に対する回答の得点(0∼4点。数値化の方法は表2などを参照)を平均した値(無回答企業は除く)。Mann-WhitneyのU   検定により,両グループの平均得点が有意に異なるか否かを検定し,***, **, *はそれぞれ有意水準1%,5%,10%で両グループ   間に有意な差があることを意味する。 重視しない 重視する 問2⑻目標負債比率の維持 ない ある 問3負債比率の目標範囲 表8 タイミング仮説

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価を認識することができると仮定されている。非合理的な市場では株式発行の発表時に株価の修正が十 分に行われないため,株価が過大評価されたタイミングで発行することになり,企業は少ない新規株式 数でより多くの資金を調達することができる。非合理的タイミング仮説と関連する問いは,問 1 ⑾,問 2⑵,⑸である。これらの問いでは,株価が割安時に負債を発行する,あるいは,市場が非合理的に株 価を割高に評価したタイミングで株式を発行するという非合理的タイミング仮説が反映されると考えら れる20。表 2 問 1 ⑾の点数は 1.58 と低いが,表 6 問 2 ⑵と⑸は 2.85,2.36 と高い値が得られた。また, 表 8 から,問 2 ⑵,⑸の点数は,情報の非対称性(企業の規模,配当利回り)の大小にかかわらず高い ことが確認できた。これは,情報の非対称性の問題がタイミングに影響するわけではないことを意味し ている。これらの結果は,株式発行においては非合理的タイミング仮説を支持するが,負債発行に関し ては非合理的タイミング仮説を支持しないことを示している。 3番目のタイミング仮説として,企業の投資に対する投資家からの理解度が,企業の株式発行のタイ

ミングに影響を与えていることを示したのが Dittmar and Thakor(2007)である。彼らは,資金調達 後の投資先の選択について投資家からの理解が得られなければ,投資後に株価は下落するとし,理解が

得られている状況下で株式発行を行うと指摘している(意見の一致仮説)21。意見の一致仮説と関連す

る問いは,問 2 ⑵,⑹,⑺である。これらの問では,それぞれ投資家の理解が高まったのちに株式を 発行する,あるいは,株価が適正なタイミングで株式を発行するという,意見の一致仮説の予想が反映 されると考えられる22。表 6 において,それぞれの問いの点数は,2.85,2.34,2.31 と高い値が得られた。

また,Lucas and McDonald(1990)の機会の窓仮説とは異なり,意見の一致仮説では,株式市場が好 況の時でも投資家から理解が得られていなければ株式発行を行わないことが予想される。したがって, 問 2「⑹マクロ環境が良い」が「重要でない」,「どちらともいえない」と答えた企業においても,問 2 ⑺の点数は高いことが予想される。表には示されていないが,これらの企業を用いた結果は,2.65 と 2 とは有意に異なる点数(1%水準)が確認できた。こうした結果は,意見の一致仮説を支持するものとい えよう。 最後に,タイミングをはかる株式発行行動に関連した質問と資本構成との関係を検証する。資本構成 と関連する質問には,問 2「⑻目標負債比率の維持」と,問 3 の「負債比率の目標範囲の有無」がある。 そして,問 2 ⑻や問 3 とのクロス分析を行った結果は表 8 パネル B にある。問 2 ⑵ , ⑸ , ⑹ , ⑺のいず 20  市場が非合理的に株価を過大評価していく場合,株価は上昇する傾向が高いことが考えられる(問 2 ⑵)。また,合理的に企業が株価を判断し,市場が非合理的に判断するのであれば,企業が現在の株価(市 場の判断)が割高と考えているとき,将来の株価下落(問 2 ⑸)を企業は予想すると考えられる。 21  Dittmar and Thakor(2007)は,投資家と企業は同じ情報を持っているが,投資に対する優先度が異

なる(企業への理解度が異なる)ことが前提となっている。そして,その違いは,需要曲線が右下がり の要因となっており,理解度が下がることで株価は下落するとしている。

22  Dittmar and Thakor(2007)の意見の一致モデルでは,需要曲線は右下がりになっており意見が一致 することで株価は上昇する。したがって,直近の株価の上昇(問 2 ⑵)は意見の一致の度合いの向上が 反映していると考えることができる。また,投資家やアナリストが現在の株価が適正と考えている(問 2⑺),あるいは,投資家から理解が得られやすい環境(問 2 ⑹)の場合においては,企業と投資家間 の意見が一致するタイミングと考えることができる。

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