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小学校社会科の経済教育内容を問いなおす : 経済的事実に内包する道徳性

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Academic year: 2021

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Ⅰ.はじめに

 本稿は,小学校社会科の経済教育内容に内包する道 徳性とその意義を論じるものである。  戦後日本に澎湃として創成した社会科は,発足当初 から内包する道徳性ゆえ,論争を巻き起こしてきた。 たとえば,1958 年「道徳」特設までの 1947 年版, 1951 年版小学校社会科学習指導要領には道徳的内容 が盛り込まれており,道徳内容を排除した社会科学科 であるべきとの批判が発足当初からなされてきた。内 容としての道徳のみならず,子どもの態度形成に関す る「態度主義論争」もあげられる。  それらの具体については本論で詳述するとして,そ うした発足当初の社会科では,経済カリキュラムは, どのように「価値的」「規範的」学習内容が措定され ていたのだろうか。また,経済の事実の学習内容は, 素朴な事実が記述されているだけであったのだろうか。  本稿では,この問いに対する検討を通して,小学校 社会科経済内容の規範性・道徳性の意義づけを試みる。 はじめに,初期社会科における小学校社会科学習指導 要領の経済教育内容の規範性を検討し,その語用論的 転換によって事実的単元に内包する規範性を指摘する。 さらに制度的事実の理論から小学校社会科経済内容が 構成的規則を学ばせるという規範性を持つものである ことを説明する。

Ⅱ.社会科の道徳性

1.初期社会科の経済内容の特徴  初期社会科には,どのような経済内容があり,そこ にどのような道徳記述があるというのだろうか。  一般に,発足当初の社会科は初期社会科とよばれ, 1947 年版,1951 年版の学習指導要領及びその実践が それであると認識されている。具体的道徳記述は, 1958 年道徳が特設されるまで続いた。  1947 年版小学校社会科学習指導要領の経済内容を 示したのが表 1 である。  経済内容は,おもに生産・労働・流通・消費を相互 依存の観点から捉えさせようというものであった。  1 年生では,衣食住に必要なものの生産・分配を, 米・綿布・必需品が人々の努力や協力によってなされ ていること,旅行の運賃の計算をさせることから理解 させ,2 年生では,社会生活の各成員,各機構,各施 設の相互依存を,学級用品の購入と費用調査などと, キップ購入,模擬的な生産活動,お店やさんごっこな どの体験的学習や「ごっこ学習」によって理解させる ものであった。また物の分配,値段とその消費者への 配分の仕方を生産地・生産者・値段調査によって果た そうとしていた。他学年も,表 1 を参照願うことに よって,その経済概念は,生産・分配,相互依存,費 用,値段(価格),配給,物々交換,流通,貨幣,輸 出入,市場,分業,値段の要素,価格変化の要因,大 量生産などであることが確認できる。  特徴的であるのは,低学年から高学年に至るまで, 倫理的・情意的内容項目が盛り込まれていることであ る。すなわち,努力や協力,商人の責任と意義・貢献, 生産者への感謝の念,産業労働者への感謝,産業労働 者の苦労や努力,職業への尊敬礼儀がその内容である。 これらが,「道徳」として批判の対象となる。  特に商人への偏見の除去ともいえる記述を,第二学 年「問題一 世の中になれるには私たちはどうすれば よいか。」の指導の判定から確認しよう。    わが国では概して商人をいやしめる傾向があり, その人々が社会の発展のためにになう責任とその 価値とを理解していないのであるが,教師はこの 点に留意して,これらの人々が社会にどのような 貢献をしているかを理解させるように指導するこ とが望ましい。かくすることによって,人間相互

小学校社会科の経済教育内容

を問いなおす

─経済的事実に内包する道徳性─

The Journal of Economic Education No.33, September, 2014

Reflecting upon the Economic Education Content of Elementary Social Studies : Morality in Economic Facts

Inose, Takenori

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の依存関係を早くから理解させることができると 考えられる。(1947 年版社会科学習指導要領の第 二学年,問題一 指導の判定)  そもそもこの単元では,雑貨や切手の買い物を自立 して行えること,場所においては商品・停留場・街 路・役場・警察署・学校・道路標識・方向指示板,人 に関しては,外来者・巡査・消防夫等のいわゆる公僕, いろいろな職業から理解させることがねらいである。 したがって,社会機能と人の相互依存関係を理解させ るために職業理解をさせているわけである。後述する が,こうした社会機能と相互依存関係の理解は,同時 に社会の制度を学び,その構成的規則を学ぶことを招 来することになるのである。 2.初期社会科学習指導要領の道徳性と経済内 容の規範的記述  初期社会科の作成者ともいうべき上田薫(1947)は, 社会科において,理解と態度の統一的育成による道徳 教育意図,道徳としての相互依存関係の理解,価値注 入を排した問題解決学習による方法などの学習原理を 提起していた。上田のみならず,この時代の社会科教 育論で「社会科と道徳」としてその必然性が述べられ たものは多い。1)  一方,初期社会科の道徳性への批判は,戦前の修身 教育への反省を反映した科学性教授を重要とする主張 であった。2)具体的には次の二点である。  第一に,戦前の桎梏・残滓が払拭されない中での相 互依存関係からの理解,態度形成への懸念であっ た。3)二十世紀研究所の主催する討論で,丸山真男や 宮原誠一らの批判がそれである。第二に,マルクス主 義による「社会科学教育」を是とした大槻健,矢川徳 光らの「態度主義」批判であった。論争の発端は,青 森県上北地方の社会科教師らが上梓した『考える社会 科』および初期社会科に一貫する「態度主義」であっ た。大槻の批判に対して,「社会科教育の哲学的位相」 を示した上田薫は,反駁を試み,論争が重ねられた。4) ここで注意しなくてはならないのは,批判する大槻ら 表 1 1947 年版 小学校社会科学習指導要領の経済内容(筆者構成) 項目 経済内容と方法 経済概念 倫理,情意 1年 ・衣食住に必要なものの生産・分配 ・旅行 ・米・綿布・必需品が多く の人たちの努力や協力に よって生産され,分配さ れていること ・運賃の計算,キップ購入 ・生産・分配 ・相互依存 ・努力や協力 2年 ・社会生活の各成員,各機 構,各施設の相互依存 ・物の分配,値段とその消 費者への分配の仕方 ・模擬的な生産活動 ・商店ごっこ ・学級用品の購入と費用調 査 ・生産地・生産者・値段調 査 ・生産 ・費用 ・値段(価格) ・相互依存 ・商人の責任と価値・貢献 ・生産者への感謝の念 3年 ・ものの移入・輸入 ・配給 ・物々交換 ・流通 ・配給 ・物々交換 ・流通 ・相互依存 ・産業労働者への感謝 4年 ・商業の発達 ・ 物々交換・ 貨幣や紙幣の発達 ・ 移出品と移入品調べ,製 品と原料 ・ 貨幣 ・ 輸出入 5学年 ・生活必需品の分配 ・ 野菜魚の市見学,数状況 把握 ・ 貨幣 ・ 商店 ・ 貨幣 ・ 市場 ・ 分配 ・ 産業労働者の苦労や努力 6学年 ・ 仕事の価値・ 郷土の社会変化 ・ 資源の保全 ・ 上手な消費 ・ 多様な職業の意義と調査 ・ 郷土の生産動態の変化 ・ 商業の調査 ・ こづかいの使い方 ・ 分業 ・ 値段の要素 ・ 価格変化の要因 ・ 大量生産 ・職業への尊敬礼儀

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にせよ「態度形成」は否定していないことである。態 度の先走りを「諫め」ながら,その内容が,相互依存 関係ではなく,マルクス主義的な「社会科学内容」で あるべきことを主張したのである。  時代背景を反映して,「唯一の正解」としての社会 科学(マルクス主義)から社会科を構成すべしとの主 張は,やがて 1960 年代半ば以降,新たなる「唯一の 正解」である記述科学から構成すべしとの批判に変わ る。特にこの立場からは,「価値への禁欲」が主張さ れ,そもそも社会科で価値を扱ってはならない5)とい う共通了解となった。6)  本稿は,初期社会科や道徳教育そのものの是非を論 じるものではない。むしろ,そこでの経済教育内容と しての道徳的記述を確認してみたいのである。初期社 会科の道徳記述として次のものを確認できる。すなわ ち,  「家庭や学校でよい子と思われるには私たちはどう すればよいか。」(1 年)  「自分のものや人のものを使うには私たちはどうす ればよいか。」(1 年)  「日常生活に必要な品物を有効に使うには私たちは どうすればよいか。」(2 年)  「いろいろの物を手に入れるには私たちはどうすれ ばよいか。」(3 年)  「困難な環境のもとでいろいろな物や施設を使うに は,私たちはどうすればよいか。」(4 年)  「私たちの生活を楽しくするためには私たちはどう すればよいか。」(5 年)  「世界中の人々が仲よくするには私たちはどうすれ ばよいか。」(6 年) などの記述である。7)  事例として,経済教育内容以外も含まれているもの の,おおよそ行儀,在り方,規範,理想などの具体的 内容を,「〜よいか」という規範的問いの形式で提示 している。この点が,まさに初期社会科の道徳性とし て批判された所以である。「社会科学教育」としての 社会科に,価値的・道徳的内容を盛り込んでおり,現 在の体制に適応するこどもを育成するだけだとしたの である。8)当然のことながら,時代的に「社会科学教 育」の意味は「マルクス主義」理論としての「社会科 学」である。  もちろん,経済教育内容をつぶさに検討すれば,必 ずしも上記に示した「規範的言明」のみならず,「事 実的言明」による事実的単元記述でも確認できる。た とえば,次のような記述である。  「私たちは食物や衣服住居をどんなふうにして手に 入れるか。」(1 年)  「私たちは日常生活に必要ないろいろなものをどう いうふうにして作り,どんなにして分配しているか。」 (2 年)  「土地によって交通,運輸の方法がどんなに違って いるか。」(3 年)  「現代の産業は,いかにして発達して来たか。」(5 年)  「上手な物の買い方には私たちはどんな知識を必要 とするか。」(6 年)  以上は,「どんな」「どのように」という記述的,分 析的問いの形式から経済に関する事実的言明を,社会 の機能や相互依存関係として追求させている。した がって,内容の全てが規範的言明によって構成されて いるわけではないのだ。  それにしても,初期社会科の経済教育内容が,規範 的問い(道徳的構成)によって構成されたことは,道 徳を注入するものとして批判の対象となったわけであ るが,果たしてその批判は妥当であったのだろうか。 同時に,こうした規範的構成=道徳性をもった経済教 育カリキュラムは問題ありと考えるべきだろうか。  この問いには,価値中立的な「社会科学内容」のみ から社会科カリキュラムは構成すべきであり,規範的 内容構成が価値注入にあたるという批判への検討が含 意されており,さらに,そうした批判に対して,それ は価値前提を示したうえでの経済内容構成であるとし て,その正当性を擁護する意図がある。

Ⅲ.事実的単元の語用論的転換と制度的事

実の理論

1.事実的単元の意味  前章までに,初期社会科の経済内容に規範的記述が あり,それらがおわされていた道徳教育内容と相まっ て批判の対象となっていたことを確認した。  しかしながら,社会科の規範性は,ひとえに規範的 記述のみにあるのではなく,先に述べた事実的内容に も存在することを確認したい。  すなわち語用論的に読み解けば,「事実」に含意す る規範負荷性に気付かざるを得ないのである。もとよ り,語用論では,言語表現とそれを用いる使用者や文

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脈との関係を読み解こうとするものである。たとえば, 「今何時?」と問われて,「・・時です」と返答した場 合,質問者は二つの応答が考えられる。すなわち, 「ありがとう」であり,もう一つの応答は「その通り」 である。後者は不遜に思えるが,教師が生徒に発問し たものであり,これは発話の問題のみならず,言明や 記述においても,同様の作用を及ぼす。  すなわち,先に示した「事実的言明」としての学習 指導要領記述は,「なまの事実」としての内容と,「規 範負荷的な制度的事実」としての内容があり,それを 教えているである。 2.事実的単元の転換  前項までに事実的単元として例示した単元に内在す る規範性をあぶり出せば,次のように読み取ることが できる。  はじめに,「私たちは食物や衣服住居をどんなふう にして手に入れるか。」については,より良い入手方 法が追求されるのであり,その「より良さ」は,合 理・効率である。また,「私たちは日常生活に必要な いろいろなものをどういうふうにして作り,どんなに して分配しているか。」については,よりよい生産, 分配の方法である。「土地によって交通,運輸の方法 がどんなに違っているか。」は,よりよい(合理的・ 効率的)交通運輸,さらに「現代の産業は,いかにし て発達して来たか。」では,よりよい産業発達のモデ ル,「上手な物の買い方には私たちはどんな知識を必 要とするか。」では,よりよい(賢い・合理的)消費 ということになる。  これらに通底するのは,合理性・効率性である。一 見,消費・生産・流通の「事実」を扱う事実的単元は, 実際のところ,「事実の記述」から,合理性と効率性 という「規範」を教授しているのである。  であるとすれば,後年,1950 年代以降の学習指導 要領が,「願い」「苦労」「工夫」という道徳を教えて いると批判されてきたことは,事実そのものを追求さ せればさせるほど,「規範」と関わらざるを得ない構 成となったともいえるのである。  以上,事実的言明・事実的単元においても,むしろ, 規範的内容が含まれることを考察した。次節では,制 度的事実の理論によって,さらに事実単元の規範性に ついて考察する。 3.制度的事実の理論  小学校社会科の経済内容についての事実の記述から, なんらかの規範性が含まれることを述べた。  こうした「事実の記述」による学習の規範性教授は, サールの「制度的事実の理論」から検討することに よって,いっそう規範性が明らかとなる。すなわち, 小学校社会科の経済内容は「制度的事実」に基づいた 記述がなされており,児童は,その構成的規則を学ぶ ことによって,内包する規範を学習しているというも のである。9)  サールの「制度的事実の理論」とは,「なまの事実」 (brutefacts)と「制度的事実」(institutionalfacts) を区別し,人間によって作られた「人間の制度」を前 提としたものと「なまの事実」のように物理的事実に 還元し得るものとを区分したのである。後者は,経験 的な観察を通じて捉えられ,自然科学のモデルとなる ものであり,物理的事実・心理的事実としてある。一 方,「制度的事実」は,人間の制度の内部においての み存在する。10)例えば,1 万円札を所持しているとい う事実は,「貨幣制度」があってこそ説明できるので あり,その制度なくしては,単なる紙きれ一枚をもっ ているにすぎない。  この制度的事実の成立は,制度が「構成的規則」 (constitutiverules)の体系にあるからであるとする。 すなわち,「構成的規則」は,各種のゲームの規則の ように新たな行動を創造したり,定義したりするもの である。一方,「統制的規則」(regulativerules)は, 既存の行動形態をそれから独立して統制するものであ り,この規則と独立して存在する活動を規制している。 「構成的規則」は,その成立自体がこの規則に依存す る活動に関わっている。  その形式は,「統制的規則」が,「X をせよ」とか 「Y ならば X をせよ」と命令文の形式をとるのに対し て,「構成的規則」は,「C というコンテクストのもと では X を Y とみなす」というような形式によって表 現される。したがって,「制度的事実」とはこうした 「構成的規則」,その体系に基づいて説明される。すべ ての制度の基礎には,「C というコンテクストにおい て Y を X とみなす」という「構成的規則」が存在す るのである。11) 4.小学校社会科内容の構成的規則と潜在する 規範性  前節で示した制度的事実の理論をふまえれば,貨幣 によってモノやサービスが交換可能であるという制度 における構成的規則を知ることは,小学校社会科経済 内容にとって重要である。

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 現在の経済内容の事実的単元の記述から構成的規則 を読み取る授業であるとすると,次のようになるだろ う。    お店での売買という状況のもとでは,買う時に お金を出すことが,商品購入である(1977 年版 の 2 年生)。    お店での売買という状況のもとでは,買う時に 品質や価格を考えることが,商品購入である(現 行 3 / 4 年)。    現代経済(市場)社会という状況のもとでは価 格と予算を考えて買うことを上手な買い方とみな す(現行 3 / 4 年)。  上記に示した制度的事実の基礎をふまえると,常に 消費・購入という行為は,規範負荷的な行為であると いうことがいえるのである。さらに先の構成的規則か らの規範を読み取れば,次のようになるだろう。  すなわち,「お店での売買という状況のもとでは, 買う時にお金を出すことが,商品購入である」という 言明は,低学年に貨幣と商品の交換という制度を認識 させ,払わないコト(盗み)への制裁があることの規 範を学ばせているのである。「お店での売買という状 況のもとでは,買う時に品質や価格を考えることが, 商品購入である」という言明では,合理的消費は 「善」であるという規範を教えている。さらに,「現代 経済(市場)社会という状況のもとでは価格と予算を 考えて買うことを上手な買い方とみなす」という言明 は,賢い消費という消費者主権や「善」を教えている のである。  つまり,小学校社会科の経済内容は,制度的事実を 項目とすることによって,「善」を教えていることに なるのである。

Ⅳ.結論

 以上,小学校社会科の経済教育内容に内包する道徳 性とその意義を論じた。  小学校社会科の経済内容は,道徳性を含んでおり, それは,規範的言明のみならず,事実的言明・事実的 単元でさえ規範性は含まれているのである。すなわち, 社会科経済内容を構成するということは,同時に,社 会科固有の知識の構造論とは異なる,経済内容の構成 的規則を学ばせているのである。  小学校社会科の経済学習では,制度的事実の学習が, 内在的価値を学ばせていることを明示的に意識すべき であり,それらをふまえた構成であることを認識すべ きである。 註 1) たとえば,上田(1947),長坂(1951),重松(1955)を 参照されたい。ただし,いずれも文部省で発足当初の学 習指導要領を作成し,その後,大学に転出した研究者で あったことにも留意しなくてはならない。 2) ちなみに,1951 年版社会科学習指導要領の道徳教育では, 戦前の修身批判から記述されていることをあげておく。 3) 21 世紀研究所は,1946 年に清水幾多郎,大河内一男,宮 城音弥によって設立された「現代社会」の総合的な研究 を目的としたものであった。討論には,設立 3 名の他, 勝田守一,高島善哉,丸山真男,宮原誠一,林健太郎な ど,錚々たるメンバーであった。21 世紀研究所(1948) 参照。 4) 上田薫ほか編(1976)における大槻と上田の応酬,他の 論戦「態度主義論争」を参照されたい。 5) こ れ ら の 批 判 と 価 値 教 育 の 正 当 性 に つ い て は, 中 野 (1978)を参照されたい。 6) 教育においては,ヒドゥン・カリキュラムならずも,そ の行為自体は極めて価値的営みである。洗脳は別として, 合理的であれ,現在の社会的価値に対して常に「対抗的」 に教授せよとの主張さえも,ひとつの「価値教育」であ りうる。すなわち,「批判」こそが,あるいは「合理性」 こそが,望ましき科学的「態度」や望ましき市民的「態 度」の形成を図ろうとしているともいえるからだ。 7) 記述が「問いの形式」になっているのは,初期社会科で は「問題単元」によってカリキュラムが構成されていた ためである。 8) たとえば,矢川(1950)は,その典型ともいえる議論を 展開している。 9) 社会科教育における「事実と価値の二元論」と学習者の 暗 黙 の コ ミ ッ ト メ ン ト を 理 論 化 し た 児 玉 修 の 論 考 (2011:3)で,既に,制度的事実および構成的規則による 社会科の発話行為の意味分析を試みている。 10) Searle,J.(1995)参照。 11) Searle,J.(1969)参照。 参考文献 [1] 21 世紀研究所(1948)『社会科教育』思索社 [2] 長坂端午(1951)『社会科の指導』朝倉書店 [3] 中野重人(1978)「社会科と価値」永井滋郎ほか『社会認 識の探究』日本社会科教育学会

[4] Searle, J.(1995)The Construction of Social Reality. [Kindle Edition]FreePress

[5] Searle,J.(1969)Speech Acts, [Kindle Edition2013](坂 本百大・土屋俊訳1986)『言語行為』勁草書房

[6] 重松鷹泰(1955)『社会科教育法』誠文堂新光社 [7] 上田薫(1947)『社会科とその出発』同学社 [8] 上田薫ほか編(1976)『社会科教育史資料』東京法令 [9] 矢川徳光(1950)『新教育への批判』刀江書院

参照

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