『複言語・多言語教育研究』 日本外国語教育推進機構会誌 No.6 (2018) pp.3-42 【特 別 インタビュー】
日 本 の外 国 語 教 育 の未 来
1 亀 山 郁 夫 (名 古 屋 外 国 語 大 学 学 長 ) 聞 き手 :臼 山 利 信 (筑 波 大 学 教 授 ) 1. ロシア文 学 を志 す ○ 臼 山 名 古 屋 外 国 語 大 学 学 長 の亀 山 郁 夫 先 生 をお迎 えして、インタビュー をさせていただきたいと 思 います 。本 日 は、ご多 忙 の 中 、貴 重 なお時 間 を 頂 戴 し、誠 にありがとうございます。イ ンタビューのテーマは、「日 本 の外 国 語 教 育 の 未 来 」 とい うことでお 願 い し たいと思 っております。亀 山 郁 夫 先 生 は、日 本 を代 表 する著 名 なロシア文 学 者 の一 人 ですが、ロシア文 学 を志 した経 緯 についてお話 していただけないでしょう か。 ○亀 山 ありがとうございます。まず、幼 い頃 から文 学 を学 びたいといいましょうか、文 学 を自 分 の人 生 のなりわいにしたいというところまではもろん考 えてはいなかった ものの、やはり文 学 とともに一 生 生 きていきたいという、その思 いはかなり早 い時 期 から形 成 されていました。小 学 校 の頃 から、小 説 を書 いたり、詩 を書 いたりとい うようなことをずっと続 けている中 で、文 学 から離 れて生 きることは、おそらく自 分 1 2018 年 11 月 29 日 (木 )14 時 30 分 より一 般 財 団 法 人 日 本 私 学 教 育 研 究 所 において、亀 山 郁 夫 名 古 屋 大 国 語 大 学 学 長 をお 招 き して、 日 本 の 外 国 語 教 育 につ いて イン タビ ュー を 実 施 し た。 本 稿 はその内 容 を編 集 したものである。インタビューには、山 崎 吉 朗 JACTFL 理 事 長 が同 席 した。 インタビューの聞 き手 は臼 山 利 信 筑 波 大 学 人 文 社 会 系 教 授 ・JACTFL 理 事 が担 当 した。笹 山 啓 筑 波 大 学 人 文 社 会 系 非 常 勤 研 究 員 が 写 真 撮 影 を 受 け 持 った。 全 体 の 編 集 作 業 を 臼 山 が、 注 釈 を笹 山 が担 当 した。本 インタビューのテープ起 こし作 業 では、大 学 の 世 界 展 開 力 強 化 事 業 (ロ シア)筑 波 大 学 「ロシア語 圏 諸 国 を対 象 とした産 業 界 で活 躍 できるマルチリンガル人 材 育 成 プログ ラム(Ge-NIS)」の協 力 ・支 援 を受 けた。『複言語・多言語教育研究』 日本外国語教育推進機構会誌 No.6 (2018) pp.3-42 自 身 が何 か自 分 のもっとも大 切 なものを失 うことになる、といったようなそんな漠 然 とした予 感 をいだき続 けてきたことは事 実 です。もちろん大 学 受 験 も、将 来 は 大 学 院 進 学 という思 いを抱 いて臨 みました。それから 50 年 、70 歳 を迎 えようとい う現 在 にいたっても文 学 をやり続 けているわけですが、その間 、文 学 者 としての 志 がくじけそうになったり、折 れそうになったことは一 度 もないんです。そういう意 味 では、非 常 に単 純 な、ある意 味 非 常 に分 かりやすい人 生 、分 かりやすい人 間 だなと言 えると思 います。文 学 への憧 れは、外 国 語 への憧 れにも繋 がっていまし た。私 自 身 は幼 い頃 から英 語 少 年 でした。小 学 校 4 年 の頃 から一 人 で、独 学 で ずっと英 語 を勉 強 していました。ちょうど3 つ年 上 の兄 に中 一 の英 語 の教 科 書 を 借 りて、勉 強 をはじめたのです。その当 時 、同 世 代 の人 を見 渡 してもそういう子 ど もは誰 もいなくて、英 語 のできる少 年 ということで、中 学 校 、高 校 時 代 を過 ごして きました。勉 学 の側 面 から言 うと、取 柄 はほんとうにそれだけです。 それじゃあ、なぜ、そこまで英 語 にこだわったかというと、ほとんど世 界 の状 況 が見 えないといいましょうか、自 分 が育 った家 庭 環 境 もあって、何 かこう、幼 いな がら人 生 の脱 出 口 のようなものを、つまり出 口 を求 めていました。その出 口 、少 し 言 葉 を飾 ると、世 界 を望 む窓 ですね、何 か英 語 を学 ぶことによって開 けてくる世 界 を漠 然 とながら夢 見 ていたということがあります。 それが、中 学 3 年 生 の時 に、たまたまドストエフスキーの『罪 と罰 』2に出 会 って、 初 めて文 学 とロシアという二 つの世 界 に、同 時 に目 が向 くわけです。『罪 と罰 』の 衝 撃 はものすごくて、もう二 度 と小 説 は読 まない、と決 意 したぐらいです。主 人 公 のロジオン・ラスコーリニコフによる老 女 殺 害 の場 面 などには、ほとんどセクシュア ルなといってよいほどの興 奮 を覚 えましたね。ちなみに訳 者 は、池 田 健 太 郎3で、 非 常 に読 みやすく、登 場 人 物 の名 前 もほとんど頭 に入 りました。ほんとうに不 思 議 です。その後 間 もなく、同 じ中 央 公 論 社 から出 ていた世 界 文 学 のシリーズから、 E.ブロンテの『嵐 が丘 』4を読 む機 会 があって、今 度 は主 人 公 のヒースクリフに憑 依 してしまいました。要 するに小 説 であれば何 でもよかったということかもしれませ んね。ふと思 うんですが、ほとんど童 話 という世 界 になじむことのなかった私 にと 2 ドストエフスキー1866 年 の長 編 。大 義 のために殺 人 を犯 した青 年 ラスコーリニコフと娼 婦 ソーニャ の交 流 を軸 に、信 仰 と救 済 の問 題 を描 く。 3 ロシア文 学 者 ( 1929~1979) 。ドストエフスキーの翻 訳 のほ か、『プーシキン伝 』『「かもめ」評 釈 』な ど。 4 ブロンテ 1847 年 の長 編 。ヒースクリフら「嵐 が丘 」の住 人 たちの半 生 に隠 された愛 憎 の物 語 。『リ ア王 』『白 鯨 』と並 び英 文 学 における3 大 悲 劇 の 1 つにも数 えられた。
『複言語・多言語教育研究』 日本外国語教育推進機構会誌 No.6 (2018) pp.3-42 って、『罪 と罰 』にしろ『嵐 が丘 』にしろ、一 種 の童 話 だったんですね。女 の子 が 白 雪 姫 に同 化 したいと願 うように、私 自 身 も、小 説 の主 人 公 への同 化 を願 って いたわけです。ともかく、最 初 の本 格 的 な童 話 体 験 が『罪 と罰 』であったことに対 して、今 は、中 央 公 論 社 の世 界 文 学 シリーズを子 どもたちにプレゼントしてくれた 父 に感 謝 しています。ブロンテの次 に出 会 ったのが、シェイクスピアです。それも 最 初 に読 んだのが、なんと『ジュリアス・シーザー』5です。ぼんやりとしているので すが、あの当 時 、たしかエリザベス・テイラーとリチャード・バートンの映 画 『クレオ パトラ』を観 たのが、きっかけだったように思 います。そこで、中 学 校 3 年 生 次 の 終 わりに、有 名 な三 幕 一 場 をクラスメートたちと上 演 することになり、私 はシーザ ー役 を演 じました。例 の「ブルータス、お前 もか」の有 名 なセリフのあるあの 場 面 です。シェイクスピアへの傾 倒 はその後 も深 まる一 方 で、手 を出 したのが、チャー ルス・ラム6の『シェイクスピア物 語 』ですね。高 校 一 年 のときにこれを読 んだので すが、ラムの英 語 は、結 構 、難 しかった。その後 は、岩 波 文 庫 でシェイクスピアを 立 て続 けに読 み、とくに市 河 三 喜 の訳 で読 んだ『ハムレット』7は、ほとんど諳 んじ るほどにまでなりました。その後 、悲 劇 はほとんど読 みましたが、喜 劇 は逆 にほと んど手 をつけませんでした。自 分 の生 きている惨 めで貧 しい世 界 からどこか遠 く に羽 ばたかせてくれる世 界 であれば何 でもよかったのかなということ なんでしょう ね。ともかく、小 説 や戯 曲 の舞 台 は、ロシアであろうが、イギリスであろうが、どこで もよかった。1960 年 代 のことで、「現 状 からの脱 出 」といいましょうか、6 人 兄 弟 の 末 っ子 ということもあって、ほとんどだれにも顧 みられず、童 話 ひとつ知 らずに育 った私 にとって、文 学 ががまさに夢 そのものであったということです。しかし、外 国 語 への興 味 と同 時 に、無 視 できないのが、音 楽 です。これも、現 実 逃 避 の一 形 式 です。小 学 校1 年 のときにピアノを習 いはじめました。一 年 と少 しで挫 折 はして しまいましたが、音 楽 への憧 れは消 えることがありませんでした。兄 のつよい影 響 もあって、ともかくクラシック音 楽 をよく聴 き、ベートーヴェンの「レオノーレ序 曲 」第 3 番 に魅 せられてフルートに憧 れ、お小 遣 いを貯 めて自 力 で買 おうとしたこともあ ります。簡 易 版 のベートーヴェンの伝 記 は何 度 も読 み返 しました。大 学 に入 って 5 シェークスピア 1599 年 (推 定 )の戯 曲 。古 代 の歴 史 家 の文 章 から借 用 された「ブルータス、お前 もか」のセリフは、本 作 によって広 範 な知 名 度 を獲 得 し、以 後 シーザーのイメージと切 り離 しがたく 結 びつくこととなった。 6 イギリスの作 家 ・エッセイスト(1775~1834)。代 表 作 に『エリア随 筆 』など。 7 シェークスピア 1600~1602 年 頃 の戯 曲 。『リア王 』『マクベス』『オセロー』と並 んでシェークスピア 4 大 悲 劇 の 1 つに数 えられる。
『複言語・多言語教育研究』 日本外国語教育推進機構会誌 No.6 (2018) pp.3-42 ブラスバンドクラブに入 ったのも、フルートを弾 きたい一 心 からでしたが、与 えられ た楽 器 は、クラリネットで、毎 日 恨 めしい思 いで練 習 しました。そういえば、今 も思 い出 すのですが、中 学 校 に入 ると英 語 の先 生 が、授 業 中 、ほかのことをしていて もよいと言 ってくれたので、さっそくドイツ語 の勉 強 を始 めたのを記 憶 しています。 3 か月 ぐらい公 認 の内 職 が続 きました。面 白 いもので、そのとき覚 えたドイツ語 の 単 語 は今 も記 憶 しています。なぜ、ドイツ語 か、といえば、もちろん、大 好 きなベ ートーヴェンの言 語 だったからです。 高 校 時 代 は、英 語 以 外 、成 績 がまったくふるわなかったので、とても苦 労 しま した。一 番 苦 手 だったのが、生 物 と古 典 です。ヨーロッパかぶれの私 にとって、古 臭 い日 本 の古 典 や漢 文 は、まったくの関 心 外 で、憎 悪 すらしていたほどです。 百 人 一 首 をすらすら覚 えられる友 人 がうらやましくて仕 方 ありませんでしたね。 そんなわけで大 学 入 試 も苦 労 しました。やっとのことで、東 京 外 大 に入 りました。 東 京 大 学 大 学 院 でアメリカ文 学 を研 究 していた兄 の影 響 もあって、最 初 はアメリ カ文 学 を、とも思 いましたが、徐 々に対 抗 意 識 が出 てきて、イギリス文 学 、とくに シェークスピアを、という志 望 に移 り、受 験 では、フランス語 を希 望 しましたが、当 時 の東 京 外 大 のフランス語 学 科 は、全 国 的 に見 ても人 文 系 では屈 指 の難 しさ でしたから諦 めて、最 終 的 には、安 全 を期 してロシア語 に落 ち着 いたという経 緯 があります。ただ、高 校 3 年 生 の時 に『カラマーゾフの兄 弟 』8を読 んだ経 験 はそ れなりに影 響 していたかもしれません。 高 校 時 代 のもう 1 つのエピソードがあります。シェークスピアかぶれで通 したと いう話 はさっきしましたが、どうしても『ハムレット』のお芝 居 を演 じたくて、もちろん 主 役 をということですが、一 時 期 、演 劇 部 に入 っていたことがあるのです。しかし 入 部 してすぐに気 づきました。自 分 は、とても滑 舌 が悪 い、口 が遅 いということで す。結 局 、清 水 邦 夫9という当 時 大 人 気 の若 手 劇 作 家 が書 いた『署 名 人 』という お芝 居 に出 てくる獄 吏 の役 を与 えられたにとどまりました。セリフはたったの 2 つ でした。そこで時 間 の無 駄 とわか って退 部 し、今 度 はなんと原 書 の『ハムレット』 に挑 戦 しました。三 幕 一 場 、冒 頭 の、「To be, or not to be, that’s the question」 8 ドストエフスキー1880 年 の長 編 。カラマーゾフ家 の家 長 フョードルの殺 害 を発 端 に、フョードルの 息 子 ドミートリイ、イワン、アレクセイと私 生 児 スメルジャコフらの信 仰 と欲 望 の有 り様 が描 かれる、ド ストエフスキー文 学 の集 大 成 。近 年 では亀 山 郁 夫 による新 訳 が累 計 100 万 部 の売 れ行 きを見 せ た。 9 劇 作 家 ( 1932 ~ ) 。 代 表 作 に岸 田 國 士 戯 曲 賞 『 ぼ くら が 非 情 の 大 河 を くだ る 時 』 、 読 売 文 学 賞 『エレジー』など。
『複言語・多言語教育研究』 日本外国語教育推進機構会誌 No.6 (2018) pp.3-42 で始 まるセリフですね。英 語 が、古 い英 語 で書 いてあることがわかってがっくりき ましたが、それでも 辞 書 を引 き 、なんと かこの 場 だけは読 み通 した 記 憶 がありま す。 大 学 に入 ると同 時 に、大 学 紛 争 が始 まりました。2 年 後 の、つまり 1970 年 の日 米 安 保 条 約 改 定 を控 えて学 生 運 動 が盛 り上 がりはじめたのです。当 時 、パリの 五 月 革 命 もちらほらと話 題 に上 っていましたが、私 自 身 がそれに何 の関 心 を抱 く ことはありませんでした。夏 休 みが終 わると同 時 に、大 学 はストライキが始 まり、大 学 側 のロックアウトも始 まって、大 混 乱 です。私 自 身 、ロシア語 はほとんど独 学 で した。教 室 でみっちり学 んだという記 憶 はなくて、文 法 もかなりあやふやなもので した。外 国 語 の独 学 がいかに危 険 かということを身 に染 みて感 じたのは、その後 、 実 際 にロシア語 の教 員 になってからのことです。独 学 だと、穴 がいくつもできてし まうんですね。しかし、独 学 の積 み重 ねでここまで来 ているということは、ロシアの 文 学 や文 化 に対 する思 いいれがそれだけ強 かったしるしなのだろうなと思 ってお ります。 転 機 が訪 れてきたのは、大 学 3 年 の夏 です。50 日 間 かけて、『罪 と罰 』全 巻 を 原 語 で読 み上 げました。最 初 の頁 は、100 か所 以 上 、辞 書 を引 いています。そ れが不 思 議 なことに、最 後 は、一 日 に 10~15 頁 ぐらい読 めてしまうのですね。も ちろん、理 解 のレベルは低 かったと思 いますが、プロットは一 応 たどれましたし、 語 彙 には十 分 に慣 れることができたようです。ただ、中 学 校 3 年 の夏 休 みに経 験 した興 奮 を追 体 験 することは最 後 までできませんでした。その後 、いわゆる 4 大 小 説 を、日 本 語 とロシア語 のリレー方 式 で読 み継 いでいったのですが、それだけ の時 間 と精 神 的 エネルギーを投 入 しながら、卒 業 論 文 のできは最 悪 でした。扱 ったテーマは、ドストエフスキーの小 説 における「悪 の系 譜 について」というもので す。なかでも、人 をそそのかす、つまり「使 嗾 」のモチーフに着 目 しました。自 信 作 でした。しかし、実 際 、私 は何 も見 えていなかったのです。指 導 教 官 である原 卓 也1 0先 生 からは、「文 章 が生 硬 」の烙 印 を押 され、内 容 についてもほとんど言 及 してもらえませんでした。そこで大 いに落 胆 し、自 分 はドストエフスキーにはま ったく向 いていない、と実 感 し、いわばその挫 折 感 から、ドストエフスキーとまった 1 0 ロシア文 学 者 ・元 東 京 外 国 語 大 学 学 長 ( 1930~2004)。ドストエフスキー、トルストイなど 19 世 紀 の古 典 の翻 訳 を多 く手 がけたほか、ショーロホフやソルジェニーツィンといったソ連 の作 家 も精 力 的 に紹 介 した。
『複言語・多言語教育研究』 日本外国語教育推進機構会誌 No.6 (2018) pp.3-42 く縁 遠 いロシア・アバンギャルド芸 術1 1の研 究 に向 かうわけです。こうして 20 代 の 前 半 から50 歳 ぐらいまでの約 30 年 間 、完 全 に非 ドストエフスキー圏 に身 を置 く、 というかドストエフスキーに対 する関 心 を封 印 することになります。このドストエフス キーとの決 別 はけっして悪 いことではなかったと思 っています。この時 期 、私 がと くにお世 話 になった先 生 は、水 野 忠 夫1 2先 生 と桑 野 隆1 3先 生 です。 私 のロシア・アバンギャルド研 究 は、けっして本 筋 とはいえません。なぜかとい うと、私 はたんに未 来 詩 人 の伝 記 を研 究 していたにすぎないからです。私 はどう も作 品 そのものより人 間 性 に興 味 があったようです。おそらくはそうした理 由 から、 40 代 の半 ば以 降 は、アバンギャルド研 究 を離 れて、スターリン時 代 の文 化 研 究 に向 かいました。これには、1994 年 から翌 95 年 春 にまたがる 1 年 間 の在 外 研 修 が大 きくものを言 っています。この在 外 研 修 中 にものすごいテーマを発 見 したの です。スターリンというテーマの発 見 、より具 体 的 には、芸 術 と政 治 権 力 の戦 い のテーマです。在 外 研 究 期 間 中 、私 は、レーニン図 書 館 に通 いづめ、徹 底 的 に 資 料 をコピーしました。ブルガーコフ1 4とスターリン、マンデリシターム1 5とスターリン、 ゴーリキー1 6とスターリン、エイゼンシテイン1 7とスターリン、次 から次 とというより、も うざくざくと資 料 が出 てきました。レーニン図 書 館 で、これだ!と思 ったときの興 奮 は今 でも忘 れられません。しかし、思 うに、スターリン時 代 の文 化 研 究 をやるにし ても、常 にドストエフスキーを大 学 時 代 に読 んだ経 験 が出 発 点 、原 点 にあって、 常 にそのドストエフスキーパラダイムとでも言 いべき世 界 で思 考 していたような気 がします。逆 に抜 け出 さないということが、私 自 身 のスターリン文 化 研 究 にとって 1 1 20 世 紀 初 頭 のロシア・ソ連 で興 ったモダニズム芸 術 の潮 流 。抽 象 的 で洗 練 された表 現 を特 徴 とし、文 学 ・絵 画 ・音 楽 ・建 築 など多 岐 にわたる分 野 で多 大 な成 果 を残 したが、スターリン以 後 のソ 連 共 産 主 義 体 制 の芸 術 観 と齟 齬 をきたし、1920~30 年 代 ごろには終 焉 を迎 えた。 1 2 ロ シ ア 文 学 者 ・ 早 稲 田 大 学 名 誉 教 授 ( 1937 ~ 2009 ) 。 マ ヤ コフス キ ー の 詩 作 や シ ク ロ フス キ ー の文 学 理 論 の研 究 によって、日 本 のロシア・アヴァンギャルド研 究 を牽 引 した。 1 3 ロシア文 学 者 ・早 稲 田 大 学 教 授 (1947~)。ロシア・フォルマリズムやバフチンの言 語 哲 学 など、 20 世 紀 のロシア思 想 の研 究 における第 一 人 者 。 1 4 ロシア ・ソ 連 の 作 家 ・ 劇 作 家 ( 1891~1940 )。 生 前 に刊 行 されず 、スタ ーリ ン の死 後 日 の 目 を 見 た長 編 『巨 匠 とマルガリータ』は、たびたび映 画 やテレビドラマ化 され、現 代 ロシアで最 も人 気 のあ る小 説 の 1 つとなった。 1 5 ロシア・ソ連 の詩 人 ( 1891~1938)。20 世 紀 初 頭 のいわゆるアクメイズムの代 表 的 詩 人 。スター リン期 の粛 正 により獄 死 。代 表 作 に『石 』『トリスチア』など。 1 6 ロシ ア・ソ 連 の 作 家 (1868 ~ 1936)。ソ ヴィエ ト作 家 同 盟 の 議 長 を 務 め、ソ 連 文 学 界 におけ る 重 鎮 として大 きな影 響 力 を持 った。代 表 作 に『どん底 』『母 』など。 1 7 ロ シ ア・ ソ 連 の 映 画 監 督 ( 1898~ 1948 )。 「モ ン タ ージ ュ理 論 」 と 呼 ば れ る革 新 的 な 表 現 技 法 を 確 立 。代 表 作 に『戦 艦 ポチョムキン』『イワン雷 帝 』など。
『複言語・多言語教育研究』 日本外国語教育推進機構会誌 No.6 (2018) pp.3-42 は大 きな意 味 をもっていたようにも思 えます。自 分 の口 から言 うのも変 なんですが、 ドストエフスキーへの熱 中 が功 を奏 した、ということです。そこで発 見 したテーマが、 「二 枚 舌 」でした。芸 術 家 は、独 裁 者 にたいしてどういう嘘 をつくのか、単 純 にい えば、面 従 腹 背 の詩 学 とでもいうのでしょうか。私 は、先 ほどあげた詩 人 、作 家 、 映 像 作 家 たちの作 品 のなかに、称 賛 と批 判 という二 重 底 を発 見 し、分 析 すると いう作 業 を続 けていきました。 50 代 に入 ってすぐ、その最 初 の成 果 である『磔 のロシア スターリンと芸 術 家 たち』(岩 波 書 店 )が出 たのですが、思 いもかけず大 佛 次 郎 賞 という大 変 栄 えあ る賞 が与 えられたのです。信 じられない思 いでした。わずか6 年 間 の作 業 の結 果 です。この受 賞 は、私 の人 生 にとって大 きな励 ましとなりました。これからは、この 賞 を汚 すことのない仕 事 を続 けていくという目 標 が現 れたのです。と同 時 に、スタ ーリン時 代 の文 化 研 究 をこのまま続 けていると、結 局 のところ、自 分 は、ロシア文 学 研 究 者 あるいはロシア文 学 者 と呼 ばれることが永 久 にないのではないかという 不 安 も感 じました。恩 師 である原 卓 也 先 生 、江 川 卓1 8先 生 、川 端 香 男 里1 9先 生 に与 えられているロシア文 学 者 という名 前 に自 分 なりに憧 れがあって、やっぱりこ こでロシア文 学 の本 流 に一 度 帰 るべきだという思 いが出 てきたんです。とりわ け、 恩 師 の原 卓 也 先 生 対 する恩 返 しの気 持 ちもありました。そこで、再 び、ドストエフ スキーの研 究 に向 かったのです。最 初 は、まったくの手 探 り状 態 でした。2 年 間 、 集 中 的 にドストエフスキーを再 読 しました。ものすごく幸 せな時 間 でした。何 とい いましょうか、一 種 のトランス状 態 にあって、次 から次 とアイデアが浮 かんでくるん ですね。2004 年 に NHK ブックスの一 冊 として出 た『ドストエフスキー 父 殺 しの 文 学 』上 下 2 巻 は、約 1,200 枚 ぐらいの分 量 があります。執 筆 に一 年 かからなか ったと思 います。ここで何 よりも役 立 ったのは、スターリン文 化 の研 究 です。ドスト エフスキーはかつて国 事 犯 として死 刑 判 決 を受 けたことがある。その彼 は、内 心 に凄 まじい葛 藤 を抱 えながら小 説 を書 いていた。そのストレスを想 像 しながら、大 学 時 代 に発 見 した「使 嗾 」というテーマをそこに重 ね、さらに「黙 過 」という視 点 を 加 えて、「父 殺 し」のテーマへと繋 げたのです。 ドストエフスキー研 究 に復 帰 して 6 年 目 に次 のチャンスが巡 ってきました。光 1 8 ロ シ ア 文 学 者 ・ 東 京 工 業 大 学 名 誉 教 授 ( 1927 ~ 2001 ) 。 ド ス トエ フス キ ー 、 パス テ ル ナ ー ク 、 ソ ルジェニーツィンなどの翻 訳 紹 介 に大 きな功 績 を残 した。 1 9 ロシア文 学 者 ・ 東 京 大 学 名 誉 教 授 ( 1933~)。ベール イやピリニャ ークらのモダニズム文 学 の訳 業 が有 名 。
『複言語・多言語教育研究』 日本外国語教育推進機構会誌 No.6 (2018) pp.3-42 文 社 の古 典 新 訳 文 庫 の企 画 にタッチした沼 野 充 義2 0さんから翻 訳 の誘 いを受 けたのです。何 でも好 きなものを、と言 われ、私 は、『カラマーゾフの兄 弟 』を選 び ました。どうせ上 るのであれば、一 番 高 い山 をという、冒 険 心 に近 い何 かです。ま た、『父 殺 しの文 学 』で得 た知 見 を翻 訳 で確 認 できるという予 感 もあり、大 きな喜 びにかられながら仕 事 をはじめ、一 年 半 の時 間 をかけて翻 訳 を仕 上 げることがで きました。その後 、私 の翻 訳 に対 しては厳 しい批 判 が寄 せられ、辛 い一 時 期 を 過 ごしましたが、仕 事 を続 けることこそが、その批 判 に答 える道 だと考 え、四 大 長 編 を一 山 ずつ超 えていきました。今 年 の夏 に、『白 痴 』2 1最 終 巻 が出 て、一 応 、 区 切 りとすることができましたが、今 は、5 大 長 編 の完 成 をめざして『未 成 年 』の 翻 訳 に集 中 しているところです。これを、2021 年 のドストエフスキー生 誕 200 年 ま でには終 わらせ、一 応 自 分 なりのドストエフスキー翻 訳 に一 区 切 りをつけたいと 念 じています。日 本 ドストエフスキー協 会 (DSJ)での活 動 も大 事 な仕 事 です。 2. 英 語 以 外 の外 国 語 教 育 の意 義 ほか ○臼 山 ありがとうございます。続 きまして、外 国 語 教 育 の方 に移 らせていただきます。 日 本 社 会 における英 語 以 外 の外 国 語 教 育 の意 義 や目 的 について、亀 山 先 生 のお考 えを教 えていただければと思 います。 ○亀 山 はい。非 常 に重 要 な問 題 です。英 語 帝 国 主 義 ならぬ英 語 全 体 主 義 (これは 私 の造 語 ですが)がまかり通 るなか、私 としても自 分 のアイデンティティをかけて 世 界 の多 文 化 性 、複 言 語 性 という問 題 に取 り組 んでいます。今 私 が勤 務 してい る名 古 屋 外 国 語 大 学 は、1 学 年 1100 人 の入 学 者 がおり、私 が学 長 に就 任 して から、複 言 語 教 育 に大 きな力 を入 れ始 めました。名 古 屋 外 国 語 大 学 は私 が就 任 するまで、外 国 語 学 部 と現 代 国 際 学 部 の 2 学 部 からなっていました。外 国 語 学 部 は、英 米 語 学 科 、フランス語 学 科 、中 国 語 学 科 、そして日 本 語 学 科 の 4 つ です。厳 密 に、日 本 語 学 科 を外 国 語 学 とはいえないので、実 質 的 には、3 学 科 制 といってよいと思 います。そこで、最 初 に行 ったのが、(経 営 的 な観 点 から、別 2 0 ロ シ ア 東 欧 文 学 者 ・ 東 京 大 学 教 授 ( 1954 ~ ) 。 ブ ロ ツ キ ー 、 ナ ボ コ フ、 レム や シ ン ボ ル ス カ 等 の 翻 訳 ・研 究 を幅 広 く手 掛 け、『徹 夜 の塊 亡 命 文 学 論 』でサントリー学 芸 賞 、続 く『徹 夜 の塊 ユー トピア文 学 論 』で読 売 文 学 賞 を受 賞 。 2 1 ドストエフスキー1968 年 の長 編 。 本 作 の主 人 公 ムイシ ュキン公 爵 によって作 家 は、キリスト的 な 究 極 の善 良 さを描 こうとした。
『複言語・多言語教育研究』 日本外国語教育推進機構会誌 No.6 (2018) pp.3-42 の言 語 の学 科 を作 ることが困 難 であるという事 情 に鑑 みて)、英 語 以 外 の複 言 語 をできるだけ多 く学 べる学 科 の創 設 です。そこで、まず、アラビア語 、ロシア語 、 ポルトガル語 といった、いわゆるグローバルな言 語 の専 門 家 を少 なくとも一 人 ず つ配 置 し、英 語 以 外 11 言 語 を第 二 外 国 語 として学 べる仕 組 みを作 り、必 修 単 位 も 1.5 倍 から 2 倍 に増 やしました。名 古 屋 外 大 ではこれを複 言 語 プログラム Plural Linguistic Program(通 称 PLP)と呼 んでいるんですが、おかげで、これま でほとんど添 え物 にすぎない存 在 だった複 言 語 に脚 光 が当 たりはじめ、学 生 の 関 心 もぐんと強 くなったのです。特 に愛 知 県 は、ポルトガル語 が非 常 に大 きな意 味 を持 っていて、地 下 鉄 名 古 屋 駅 のアナウンスもポルトガル語 で放 送 されている くらいですから。で、先 ほど、複 言 語 をできるだけ多 く学 べる学 科 の創 設 というこ とを言 いましたが、それが、2015 年 に創 設 された世 界 教 養 学 科 (入 学 定 員 100 名 )です。ここに、英 語 の先 生 のほかに、世 界 の地 域 文 化 と複 言 語 を教 えら れる 専 門 家 を配 置 しはじめたのですね。2019 年 には、世 界 教 養 学 部 の一 学 科 とし て再 スタートを切 るわけですが、ここには、英 語 は、むろん、アラビア語 、ロシア語 (私 です)、中 国 語 、イタリア語 (新 任 )、ドイツ語 (新 任 )、ベトナム語 、中 国 語 、 ポーランド語 などの先 生 方 が配 置 されています。他 方 、グローバル社 会 における 平 和 共 生 の実 現 に向 けた新 領 域 の研 究 をめざして、世 界 共 生 学 部 を 2 年 前 に 発 足 させました。世 界 を6 地 域 に編 成 し、ディシプリンを担 当 する先 生 と、それぞ れの 6 地 域 にふさわしい地 域 文 化 、地 域 研 究 の専 門 家 を配 置 しています。 さて、とくに私 が専 門 としているロシア語 に関 していうと、その人 気 低 落 は目 を 覆 うものがあります。1100 人 のうち、いわゆる英 語 と日 本 語 以 外 に 10 の複 言 語 の中 でほとんど最 下 位 なのです。日 本 におけるロシア語 学 、ロシア文 学 、ロシア 史 などの研 究 は、他 の地 域 言 語 がとても及 ばないくらいの高 いレベルを誇 って いると信 じていますが、この状 態 なんですね。これはひとえにロシアのイメージの 悪 さと、もう1 つは、やはりロシア語 の難 しさ、将 来 において役 立 たないという先 入 観 があるのが原 因 でしょう。ただ、ロシア語 以 外 にも、アラビア語 、インドネシ ア語 も、なかなか関 心 の領 域 に入 っていきにくい状 況 があります。反 面 、第 2 外 国 語 として中 国 語 とスペイン語 の人 気 は圧 倒 的 です。おそらくこの状 況 はどの大 学 に おいても変 わりはないかなと思 います。 それに対 して、英 語 の人 気 はやはり圧 倒 的 です。英 語 を勉 強 しておけば安 全 ということなのでしょう。しかし、現 実 の問 題 として英 語 はこれからますます重 要 性 を帯 びてくるだろうと確 信 します。じゃあ、相 対 的 に英 語 以 外 の言 語 のその影 響
『複言語・多言語教育研究』 日本外国語教育推進機構会誌 No.6 (2018) pp.3-42 力 は落 ちるかというのは、やっぱり落 ちていくことは確 実 ですね。ユネスコの予 測 だと、世 界 に約 6000 ある言 語 のおよそ半 分 が消 滅 し、残 りの、言 語 の半 数 以 上 が危 機 言 語 に陥 る可 能 性 があるとされています。今 世 紀 末 までなんとか持 ちこた えられるのは、多 くて 1 割 、日 本 語 も安 閑 とはしておれません。 しかし逆 に、英 語 の影 響 力 がそれだけ帯 びるということ、普 遍 化 してしまうとい うことは、多 くの人 たちが英 語 以 外 の関 心 を持 ち始 めるということにも通 じるはず です。ただし、これは、現 在 の 6000 種 の言 語 の数 パーセント(あるいはそれ以 下 ) を対 象 にした物 言 いです。しかも、主 たる英 語 圏 であるアメリカの経 済 的 政 治 的 影 響 力 がいくら落 ちるからといって、英 語 そのものの力 が落 ちていくとは考 えにく い。たしかに地 域 言 語 、あるいは地 域 文 化 の担 い手 としての英 語 の役 割 は減 じ るにせよ、地 球 レベルのリンガフランカとして今 以 上 に実 質 的 な意 味 を持 ち始 め るはずです。これは、グローバリズムの政 治 性 にかかわる重 大 な問 題 です。イギリ スが EU のなかでブレクジットを決 断 できるのも、母 語 が英 語 であるという強 烈 な 自 信 が背 後 にあるからでしょう。しかし、政 治 的 な対 立 が激 化 すると、やはりリン ガフランカよりも母 語 という考 え方 が台 頭 し、それぞれの状 況 のなかで、中 国 語 、 アラビア語 、スペイン語 のような大 言 語 はそれなりの存 在 感 を発 揮 していくにちが いありません。またそうあるべきだと思 います。 おそらくだれもが予 想 しているはずですが、将 来 的 には、中 国 語 と英 語 という、 2 つの大 言 語 圏 を渦 にした世 界 が形 作 られていくのではないかと思 っています。 そしてリンガフランカも英 語 と中 国 語 が、3 対 1 ぐらいの比 率 で対 抗 しあっていく と思 います。英 語 本 位 のIT の分 野 の状 況 で、中 国 語 が席 巻 することは想 像 しに くかったにもかかわらず、必 ずしもそうではないことは、最 近 のファーウェイなどの 躍 進 が物 語 っています。ともかく、ビジネスの領 域 で中 国 がこれからもますます 影 響 力 を発 揮 していくことは、まぎれもない事 実 です。世 界 第 2 位 の経 済 力 を持 つ 中 国 の人 口 は 14 億 人 、今 後 さらに増 えていきます。基 本 は中 国 語 で、英 語 話 者 であっても中 国 語 でビジネスというところへと向 かっていくでしょう。いずれは、 中 国 中 心 に世 界 が回 っていく予 感 めいたものを、だれもが感 じているのではない でしょうか。 私 事 で恐 縮 なのですが、私 の息 子 は東 京 外 大 の中 国 語 を出 て、博 報 堂 とい う広 告 代 理 店 に就 職 し、今 まで広 州 というところで 5 年 間 ホンダの営 業 をやって きました。全 部 中 国 語 です。広 州 博 報 堂 というのは、博 報 堂 全 体 の売 り上 げ の 中 でもかなり上 位 を占 めるらしく、この春 に武 漢 に移 るというので、少 し心 配 にな
『複言語・多言語教育研究』 日本外国語教育推進機構会誌 No.6 (2018) pp.3-42 って話 を聞 くと、まず、副 総 経 理 そして総 経 理 かな、とか見 通 しを語 っていました。 で、英 語 はどうなんだ、「やっぱり英 語 がやれないと将 来 的 に駄 目 なんじゃない の」と水 を向 けると、「中 国 語 だけで全 く大 丈 夫 」と自 信 ありげに答 えるんですね。 確 かにアメリカの経 済 力 が落 ちてきたら、やはり英 語 以 外 の言 語 の力 が回 復 し てくるはずです。経 済 の戦 いは、まさに言 語 の戦 いでもあるんですね。当 然 、ポ スト中 国 語 という視 点 も大 事 になってきて、再 び英 語 回 帰 といった現 象 が生 じ る かもしれません。ただし、当 面 は、猫 も杓 子 も中 国 語 、ロシア人 も中 国 語 、フラン ス人 も中 国 語 、ドイツ人 も中 国 語 という形 で回 っていくということになります。です から、改 めて本 腰 を入 れて中 国 語 を勉 強 することが大 事 になると思 います。 他 方 、こうした支 配 言 語 の問 題 がつねに抱 えなくてはならないのが、人 間 的 な 知 性 の質 的 変 化 です。議 論 においてそれぞれの言 語 に結 びついた知 性 のあり 方 というものがあります。フランス的 知 性 、ドイツ的 知 性 、そうした地 域 的 個 性 をも った知 性 のあり方 というものが、均 質 化 され、いわば、アメリカ的 知 性 といったもの の完 全 な支 配 下 に置 かれる。今 は英 語 を話 す人 間 が、一 種 のデシジョンメーカ ー、すなわち決 定 を行 っていく存 在 となりつつあります。ということは、英 語 を話 す、 いや、決 断 を下 す人 間 の知 性 が徹 底 的 に問 われなくてはならないはずです。デ シジョンメーキングに関 わっていくためには、英 語 は必 須 です。僕 も英 語 を今 、ロ シア語 の翻 訳 の傍 ら、必 死 で英 語 をやっているわけですが、管 理 者 の立 場 に立 った場 合 、かりに日 本 語 を話 せない1 人 の外 国 人 が会 議 に加 わってくると、何 人 かはその会 議 でのデシジョンに加 われなくなってくる。ですから、せめて聞 く能 力 だけは、つまり、母 語 話 者 と対 等 に英 語 で話 せなくても、聞 く能 力 だけは徹 底 し て磨 いておく必 要 があると思 います。 またしても、英 語 の重 要 性 の話 になってしまいましたね。そこで少 し問 題 点 を 挙 げると、英 語 を学 ぶということは、逆 に英 語 の価 値 観 といいましょうか、アメリカ 的 、イギリス的 な合 理 主 義 価 値 観 を知 らず知 らず身 につけていくことになるので、 その点 では少 なくとも日 本 人 にとっては有 益 なはずですが、他 方 で、多 様 性 に 対 する見 方 が失 われる危 険 性 もあるのです。その典 型 例 が、たとえば、2003 年 のアメリカによるイラク爆 撃 における報 道 の問 題 です。あの爆 撃 がいかに致 命 的 な政 治 的 誤 謬 であったか、今 となってはだれもが理 解 しているわけですが、あの 当 時 は、多 くの日 本 人 が、新 保 守 主 義 といわず、アメリカべったりの価 値 観 で状 況 を見 てしまい、完 全 にアメリカの「嘘 」に乗 せられてしまった。その当 時 、しっか りと現 実 が見 えていたのは、英 語 圏 以 外 の思 想 家 や歴 史 家 です。ところが、西
『複言語・多言語教育研究』 日本外国語教育推進機構会誌 No.6 (2018) pp.3-42 谷 修2 2さんや酒 井 啓 子2 3さんたちの正 当 な主 張 が、逆 に異 端 視 されるという状 況 も生 じました。西 谷 さんは、フランス哲 学 が専 門 ですし、酒 井 啓 子 さんは、中 東 政 治 の専 門 家 です。デシジョンメーカーとしての英 語 が 、きわめて危 険 なのはま さにこういう点 です。現 在 のアメリカも同 じです。トランプ政 権 下 で、嘘 をつくことが、 もはや政 治 倫 理 に反 するとか、悪 徳 であるとみなされなくなってしまった。政 治 の 倫 理 そのものが根 本 から崩 れ去 っているのです。それが世 界 政 治 をゆるがして いく。まさに最 悪 の事 態 です。英 語 が、かりに第 二 のグローバルスタンダードであ ったなら、けっしてこのような傲 慢 は生 まれません。傲 慢 は、実 際 、英 語 を教 えて いる先 生 方 にも伝 染 していると感 じる時 があります。英 語 を知 っているというだけ で、何 か、異 様 な自 信 をもっている人 にときたま 出 会 うのです。かりに、そうした彼 らの思 考 法 が、英 語 を学 び、英 語 圏 の文 化 を経 験 して作 られた知 性 だとしたら つくづく悲 しいと思 うのです。それにたいして私 などは、ロシア的 な価 値 観 をつね に念 頭 に置 きながら発 言 し、アメリカ的 ものの考 え方 に抵 抗 しているところがある わけです。ただしそれが異 端 視 されないために最 大 限 神 経 を使 っていることも事 実 です。 話 の流 れと若 干 ずれるかもしれませんが、複 言 語 による学 びを経 てきた研 究 者 、教 育 者 は、たとえば、大 学 のマネジメントにおいてもその個 性 が出 てきます。 まず、謙 虚 です。私 自 身 、ロシア文 学 を通 して培 った人 間 観 、世 界 観 といったも のを、マネジメントの基 本 に据 えていることを実 感 します。しかし、自 分 からは絶 対 にそのことを口 にすることはしません。ただ、個 別 に人 を説 得 するときには、ロ シア文 学 、いや文 学 そのものといってよいのですが、それによって培 った世 界 観 をしばしば口 にします。本 音 を明 かすなら、他 の先 生 方 に「亀 山 さんはドストエフ スキーをやっているから信 頼 できる」と思 われたいと願 っているんですね。これは 勝 手 な思 い込 みかもしれませんが、人 間 の精 神 世 界 を深 く追 求 する文 学 者 に 対 しては、ある一 定 程 度 信 頼 感 というものがあ ります。教 養 ある研 究 者 であれば、 わからんことをやっている連 中 だ、とは絶 対 に考 えません。実 際 に、英 語 がこれ だけ支 配 的 な言 語 になった現 在 でも、1 つの集 団 に、言 語 的 、文 学 的 、文 化 的 に背 景 の違 う人 が集 まってきますから、彼 らのメンタリティを俯 瞰 的 視 点 からしっ かり理 解 してあげる必 要 がある。グローバル共 生 という観 点 において求 められて 2 2 フ ラン ス 哲 学 者 ・ 立 教 大 学 特 任 教 授 ・ 東 京 外 国 語 大 学 名 誉 教 授 ( 1950 ~ ) 。 著 書 に 『 不 死 の ワンダーランド』『夜 の鼓 動 にふれる―戦 争 論 講 義 』など。 2 3 国 際 政 治 学 者 ・千 葉 大 学 教 授 ( 1959~)。著 書 に『イラクとアメリカ』『〈中 東 〉の考 え方 』など。
『複言語・多言語教育研究』 日本外国語教育推進機構会誌 No.6 (2018) pp.3-42 いる普 遍 的 な価 値 観 って、べつに英 語 圏 の価 値 観 ではない、むしろ複 言 語 的 な価 値 観 によって培 われるヒューマニズムの理 想 こそが大 切 なんです。 ところで、ぼくが信 念 として持 っているのは、人 間 の根 本 的 なところでのコミュ ニケーションは、やはり母 語 同 士 以 外 では不 可 能 だということです。科 学 技 術 に 関 するコミュニケーションは、情 報 の交 換 が主 ですから、母 語 かどうかは問 題 に なりません。しかし、より根 本 的 なレベルでは、母 語 でなくては困 難 です。なぜな ら母 語 を話 すことをとおして、その母 語 のもつ文 化 そのものをダイレクトに表 出 で きるし、心 情 面 での非 常 に細 かいところまで表 現 できるからです。たとえば、国 際 シンポジウムでも、結 局 のところ各 自 が母 語 で語 ることによってしか、真 の意 味 で の深 い議 論 といいましょうか、情 報 と意 思 の疎 通 はうまくいかないのではないかと 思 っています。他 方 、大 学 のグローバル化 に向 けて、英 語 での授 業 を増 やそう などという提 言 がなされますが、本 音 を言 わせてもらうと、それは違 う、本 心 で思 っています。大 学 レベルでは、徹 底 して正 確 かつ精 選 された日 本 語 での意 思 疎 通 のほうがはるかに有 効 です。逆 に外 国 人 は、正 確 かつ精 選 された外 国 語 で講 義 すべきなのです。そこで、問 題 となるのが、通 訳 、翻 訳 の存 在 です。AI 革 命 で いちばん標 的 とされるのが、通 訳 、翻 訳 者 だといわれますが、それはちがいます、 と言 いたいのです。私 は、AI についてちょっと変 わった見 方 をしています。自 分 は、果 たしてAI から何 を期 待 しているのか。私 は、運 転 免 許 を持 っていないので、 自 動 運 転 はありがたいですし、老 後 のことを考 えれば、自 動 介 護 などもたいへん 魅 力 的 です。しかし、私 の AI に寄 せる期 待 はそんなところにはありません。私 が 求 めるのは、完 全 な機 能 をそなえた自 動 翻 訳 機 械 です。異 なる言 語 間 での完 全 な意 思 疎 通 を可 能 にするマシーン。でも、30 年 ぐらいのスパンでいえば、それ が可 能 になるとはとても思 えません。いわゆるシンギュラリティの実 現 は早 くなれ ば、話 は別 ですが。しかし、完 全 な自 動 翻 訳 機 械 が可 能 になるには、まず AI は 意 識 を持 たなくてはりません。すべては、ディープラーニング技 術 の進 捗 次 第 と いうことになりますが、ディープラーニングはまだ初 期 の段 階 です。最 近 のポケト ークじゃありませんが、実 際 に肉 声 で発 する文 章 を一 定 程 度 の精 度 で自 動 翻 訳 することは可 能 でも、それこそディープな議 論 がアドホックに必 要 とされる場 面 で、 イントネーションをも含 めた翻 訳 がどこまで可 能 かというと疑 問 ですね。しかし、こ の段 階 ではもう、英 語 固 有 の問 題 とは、関 係 ありません。私 は、今 後 、中 国 が、 グーグル翻 訳 の技 術 を用 いて、すさまじく高 精 度 の中 国 語 自 動 翻 訳 機 械 を開 発 するのではないかと思 っているんです。そうなると日 本 は完 全 にお手 上 げで、
『複言語・多言語教育研究』 日本外国語教育推進機構会誌 No.6 (2018) pp.3-42 経 済 的 にも追 い込 まれることになります。 しかし、これは、きわめてスケールの大 きな話 で、現 段 階 ではいささかリアリティ を欠 いています。少 なくとも、グローバル化 の進 行 によって、母 語 に近 いかたちの 精 度 で通 訳 できる人 材 は、ますます必 要 になるでしょう。それこそグーグル自 動 翻 訳 機 能 がさらに高 性 能 なものになるためにも、より多 くの複 言 語 の理 解 者 が求 められてくるんじゃないでしょうか。 他 方 、複 言 語 の可 能 性 を増 大 させるモーメントとして注 目 したいのが、グロー バル化 時 代 の特 質 そのものです。興 味 深 いことに、グローバル化 は、いわゆる国 民 国 家 の理 念 の復 活 を促 しました。グローバル時 代 を勝 ち抜 くには、国 民 総 動 員 体 制 が求 められるということで、為 政 者 は、強 固 なナショナリズムの醸 成 を戦 略 として掲 げています。象 徴 的 なのは、英 語 圏 以 外 の国 の首 脳 は、けっして母 語 以 外 では語 らないということです。一 語 一 語 に責 任 を持 とうとすれば、誤 解 を 与 えかねない非 母 語 では発 言 に責 任 を持 てません。そこで生 まれてくるのが、と くに非 グローバル言 語 を母 語 とする国 々における二 重 構 造 です。例 えば、旧 ソ 連 圏 でいうならば15 の共 和 国 があって、それぞれの 15 の基 幹 民 族 語 が国 家 の 言 語 ということになっている。そこにかつての共 通 語 であったロシア語 に代 わって 今 度 は英 語 が配 置 される。そんなふうな構 造 ですね。 以 前 、東 京 外 大 の学 長 をしているときに、人 間 は、言 語 的 に、二 刀 流 でいか なくてはならない、ということを主 張 しました。右 手 に英 語 を、左 手 に英 語 以 外 の 外 国 語 を、という考 え方 です。そこではたと気 づいたわけですよ。母 語 である日 本 語 はどこにあるのか、と。われわれは、日 本 語 というすばらしく大 事 な武 器 を持 っていることを往 々にして忘 れがちです。しかし、これを生 かさない手 はありませ んが、それは、世 界 における日 本 語 のステータスの問 題 と関 わってきます。私 は、 時 々、英 語 の得 意 な中 国 人 、台 湾 人 を羨 ましくなるときがあります。彼 らは、ほか の国 々の人 よりも未 来 を先 取 りした人 々だからです。しかし、中 国 語 ばかりを持 ちあげても仕 方 ありません。中 国 語 ほどの需 要 はないにせよ、われわれは、人 生 の第 二 の選 択 のようにして次 の言 語 に励 むときがくるでしょうね。ただしそれもこ れも、万 国 共 通 自 動 翻 訳 機 の登 場 までです。 それはともかく、英 語 が栄 華 を極 めている現 状 で、英 語 以 外 の言 語 の重 要 性 について語 ることは困 難 です。つい先 だって、グローバル人 材 育 成 教 育 学 会 の 全 国 大 会 が名 古 屋 の名 城 大 学 で開 かれたのですが、そのトークショーで学 会 会 長 の勝 又 美 智 雄 さんと対 談 をした時 、かなり突 っ込 まれて冷 や汗 をかきました。
『複言語・多言語教育研究』 日本外国語教育推進機構会誌 No.6 (2018) pp.3-42 勝 又 さんの「第2 外 国 語 を学 ぶことの意 義 って何 ですか」っていう質 問 に、しっか りと答 えられなかったのです。たとえば、私 の場 合 は、ロシア語 ですが、レゾンデ ートルとしてのロシア文 学 という前 提 があるから、私 の場 合 、まだしも救 われてい る。ドストエフスキーの翻 訳 をやったり、ロシア語 を教 えることによって、なんとか糊 口 をしのぐことができる。つまり、きわめて特 殊 な事 例 です。逆 の例 でいうと、私 ご とになりますが、私 の娘 は上 智 大 学 でロシア語 を学 びました。大 学 時 代 、不 得 意 なロシア語 ではなく、もっと英 語 を勉 強 しておけばよかった、と時 々愚 痴 ることが あります。事 実 、いまは、細 々と外 国 人 留 学 生 相 手 に日 本 語 教 育 の仕 事 に携 わ っています。つまり、一 般 論 として英 語 以 外 の外 国 語 を学 ぶことにどんな実 際 的 な意 味 があるのか、と問 われたら、私 自 身 、やはり答 えに窮 します。つまり、英 語 以 外 の言 語 に多 大 な時 間 を割 くことにどれだけのその価 値 があるのか、そんな 疑 問 が素 直 に生 まれるくらい世 界 は英 語 化 してしまったということです。ぼくは、 ドストエフスキーをロシア語 で読 みたいと願 って東 京 外 大 のロシア学 科 を選 びま した。他 方 、友 人 たちは、当 時 共 産 圏 だったソ連 とのビジネスを念 頭 に置 きつつ、 ロシア語 を選 んでいました。ソ連 は崩 壊 しましたが、状 況 は変 わっていません。た だし、ビジネスの可 能 性 は、国 家 崩 壊 後 、恐 ろしいほど低 下 しています。また、 複 言 語 を学 ぶことは、視 野 の拡 大 に役 立 つとか、複 眼 的 思 考 を養 うとか、いろい ろと言 われますが、複 言 語 を学 ぶ意 味 についても、もっときちんとその効 用 につ いてもエヴィデンスをとる必 要 があります。現 段 階 では、グローバリズムの運 命 を 見 極 めるしかないのかもしれません。 そうはいえ、現 在 、国 連 の公 用 語 と呼 ばれている 6 つの言 語2 4、あるいは日 本 語 を含 めた、話 者 人 口 の世 界 上 位 10 位 ぐらいまでの言 語 は、当 然 21 世 紀 が 終 わり22 世 紀 に入 って残 り続 けます。アメリカの政 治 力 、経 済 力 、外 交 力 、軍 事 力 が衰 退 したその先 のステージには、大 きな世 界 言 語 ピラミッドの変 化 が来 るで しょう。政 治 経 済 のヘゲモニーが中 国 に移 った時 に、言 語 的 な状 況 も根 本 から 変 わるのじゃないでしょうか。アジアにいるわれわれ日 本 人 にとっては非 常 に有 利 な状 況 が生 まれてくる可 能 性 もあります。中 国 の隣 にいる日 本 は不 幸 だという 言 う人 がいますが、それは間 違 いで、中 国 の隣 にいて、ロシアの隣 にいる日 本 は、 むしろものすごく有 利 なポジションを持 っているというふうに 認 識 を改 めるべきで す。極 東 の人 口 が増 えることが望 ましいですが、いずれ、極 東 南 部 と中 国 の国 2 4 英 語 、フランス語 、ロシア語 、中 国 語 、スペイン語 、アラビア語 の 6 つの言 語 。
『複言語・多言語教育研究』 日本外国語教育推進機構会誌 No.6 (2018) pp.3-42 境 は同 じ経 済 圏 に飲 み込 まれるでしょうね。このように、中 国 、ロシアは、これから の時 代 においてますます存 在 感 をますます高 めていくでしょうから、両 国 とと もか く仲 良 くしていかざるをえない。外 国 語 の 学 習 を経 済 原 理 の上 でしか語 れない のは、悲 しいことですが、これは致 し方 ありません。複 言 語 をベースとする教 養 も、 人 文 学 も、ある意 味 では、すでに死 んでいるのですから。教 養 や、人 文 学 に対 する教 養 は失 われてしまったのですから。嘆 くことにも意 味 がないくらいに世 界 は 変 わったということを、これから頻 繁 に認 識 せざるをえない時 代 が来 るのでしょう ね。 3. 英 語 教 育 一 辺 倒 の風 潮 をめぐって ○臼 山 ありがとうございます。それでは、ちょっと学 校 教 育 のことに少 し話 題 を移 した いと思 うんですけれども、日 本 だけではなくて世 界 中 で、小 学 校 、中 学 校 、高 等 学 校 と、学 校 教 育 の中 で英 語 教 育 一 辺 倒 の大 きな流 れができていると感 じます。 日 本 においてもその傾 向 が強 まっているということについての是 非 について、もし 先 生 のお考 えがございましたら、教 えてください。 ○亀 山 この問 題 については、語 り尽 くされていると思 いますし、今 日 のこのインタビュ ーでもかなり多 くを語 りました。またしても私 ごとで申 しわけないのですが、ここに サンプルがあります。先 ほどお話 をした息 子 の家 族 のことなのですが、じつは、子 どもが、つまり私 からすると、孫 が3 人 いるんです。長 女 は中 国 のアメリカンスクー ル、長 男 は中 国 の中 国 人 の小 学 校 に行 っているんです。一 番 下 の男 の子 もアメ リカンスクールです。娘 の方 は英 語 、中 国 語 、日 本 語 の3 つの言 語 を勉 強 し、長 男 の中 国 語 は、母 語 の日 本 語 に近 いレベルで話 し始 めているらしい。すでに 5 年 間 中 国 に滞 在 しているわけですから、ある意 味 で当 然 です。しかし、私 はほん とうに心 配 でならないのです。日 本 語 の能 力 が。先 ほども言 いましたが、母 語 とし ての日 本 語 を語 るというのは、外 国 語 を語 るのとは、本 来 、根 本 的 な違 いがある はずなんですね。 かつてのロシアの、例 えば 19 世 紀 のロシア社 交 界 で用 いられた共 通 語 は、フ ランス語 でした。ドストエフスキーは、英 語 こそできなかったものの、フランス語 とド イツ語 はたいへん堪 能 でした。言 ってみれば、原 語 でもって、ヨーロッパとかドイ
『複言語・多言語教育研究』 日本外国語教育推進機構会誌 No.6 (2018) pp.3-42 ツの文 化 というものを吸 収 することができた わけです。バルザック2 5、ルソー2 6をフ ランス語 で読 み、シラー2 7をドイツ語 で読 む。こうして原 語 で読 むことを通 して自 分 なりの知 的 なもの、いわゆる教 養 を蓄 積 していったわけです。ちょっと信 じがた いレベルですが、どうしてそのようなことが可 能 だったのか、と今 も不 思 議 に 感 じ るほどです。20 世 紀 に入 ってからも、ロシア人 は、特 にユダヤ系 の人 は言 語 能 力 に非 常 に優 れていましたから、バイリンガルは決 して不 自 然 な状 況 ではなかっ た。 ところが、ドストエフスキーは、いわゆる幼 い頃 からフランス語 の教 育 を施 すと いうことの問 題 性 を、『悪 霊 』2 8に登 場 する悪 魔 的 人 物 ニコライ・スタヴローギンを 通 して提 示 するわけです。しっかりした母 語 をもたない人 間 の悲 惨 さというのでし ょうか。郷 を失 った人 間 の悲 惨 さみたいなものを。19 世 紀 の話 なんでが、21 世 紀 の現 代 にも通 じる問 題 性 をはらんでいますね。かりに、この主 人 公 におけるフラ ンス語 が、英 語 であった場 合 はどうなのかっていうことですね。 ドストエフスキー自 身 の場 合 、フランス語 を通 してフランスの文 化 そのものを、 その知 性 のエッセンスそのものを獲 得 できたという意 味 で、恵 まれた事 例 というこ とができそうです。40 代 半 ばまでは外 国 にも出 ていませんから、母 語 の蓄 積 は十 分 にあったほどです。しかし、ドストエフスキーの場 合 、彼 が語 学 的 にも天 才 的 で あったからこそできたことで、一 般 人 のレベルではそうはいきません。今 の日 本 に おける第 2 言 語 習 得 、つまり、英 語 の学 び方 は、あくまでもグローバリズムを国 家 として、個 人 として生 きぬくための、つまり、端 的 には、将 来 国 際 競 争 に負 けない ための言 語 教 育 なんですよね。英 語 を学 ぶことによって、英 語 を通 して、その文 化 的 なエッセンスを学 ぼうというひとは皆 無 に近 い訳 です。中 国 語 の選 択 も、動 機 という側 面 では、もうビジネス一 辺 倒 です。ところがわれわれが、ロシア語 をな ぜ学 ぶかと言 ったら、あるいは、なぜフランス語 を学 ぶかといったら、まず、ロシア 2 5 19 世 紀 フランスのリアリズム文 学 の巨 匠 ( 1799~1850)。代 表 作 に『ゴリオ爺 さん』『谷 間 の百 合 』 など。 2 6 18 世 紀 フランスの政 治 哲 学 者 (1711~1788)。彼 の提 唱 した社 会 契 約 論 や「自 然 に帰 れ」と い ったスローガンは、ロシア含 む当 時 のヨーロッパ文 化 圏 で多 大 な影 響 力 を持 った。 2 7 ドイツの 詩 人 ・作 家 ( 1759~1805)。ゲーテと並 ぶドイツ文 学 の巨 匠 。 代 表 作 に群 盗 』『 ヴィルヘ ルム・テル』など。 2 8 ドストエフスキー1873 年 の長 編 。19 世 紀 ロシアで実 際 に起 きた、革 命 組 織 内 での殺 人 事 件 を 材 に取 り、悪 魔 的 な魅 力 を 持 つ青 年 スタヴローギンと秘 密 組 織 のメンバーたちとの交 流 の顛 末 を 描 く。
『複言語・多言語教育研究』 日本外国語教育推進機構会誌 No.6 (2018) pp.3-42 語 を通 してロシア文 化 のエッセンスを学 び取 りたい、フランス語 を通 してフランス 文 化 のエッセンスを学 びたいという文 化 的 関 心 が先 に来 ます。臼 山 先 生 もそうじ ゃありませんか? ○臼 山 はい、そのとおりです。わたしの場 合 は、現 代 ソヴィエト文 学 でした。C.アイト マートフ2 9や A.プラトーノフ3 0に魅 了 されました。 ○亀 山 そういう希 求 から発 しているわけですよね。そこが同 じ外 国 語 である英 語 を学 ぶ場 合 と根 本 的 に違 うというところなんです。つまり 、英 語 以 外 の場 合 、基 本 的 には、他 者 としての文 化 を自 分 のなかに受 け入 れようとする衝 動 が基 本 にある。 グローバル時 代 にこそ、本 当 はこれが非 常 に大 切 なことなんです。ビジネスに役 立 つから、外 国 人 としゃべりたいから、という、貧 しい動 機 からは、 じつは何 もうま れない。だから、英 語 を学 ぶことによって、逆 に、自 分 自 身 が何 か大 切 な中 心 を 失 うという危 機 意 識 を持 ってほしいと思 いますね。つまり、英 語 の 次 の何 かを学 んだときに、初 めて英 語 の学 びが生 きてくる、英 語 は あくまでもベースであって、 目 標 ではない。だから、名 古 屋 外 大 の学 生 たちに私 は言 うんです。外 国 語 大 学 の学 長 として適 切 ではないかもしれないけれど、いわざるをえない。「君 たちは英 語 を学 ぶことによって、確 実 に何 かを失 っているんだよ、英 語 だけで勉 強 をすま せようとしたらかえってばかになりますからね」って。そして、「せっかく英 語 を勉 強 するんだったら、その英 語 を役 立 たせるためにも、二 倍 の時 間 をかけて他 のこと を深 く勉 強 しなさい」と。英 語 だけ勉 強 している人 より、仮 に英 語 をほとんど知 ら なくて、あるいは、英 語 を捨 てて、日 本 文 学 とか、あるいは哲 学 思 想 を純 粋 につ きつめている人 のほうが知 的 で豊 かな人 生 を生 きられる可 能 性 が高 いと思 いま す。そもそも、長 い人 生 で、いったい日 本 人 はどれくらい英 語 を話 しているでしょ うか。時 間 の無 駄 で はないでしょうか。だったら、もっとより根 本 的 問 題 を考 える 教 育 をしないとだめだと思 います。英 語 圏 の人 たちは、一 億 の日 本 人 がしゃかり きになって英 語 を勉 強 する姿 をどう見 ているか。ははーん、おれたちのためにそ こまで努 力 してくれるか、だと思 いますよ。母 語 話 者 の彼 らは、その時 間 を、まっ たく別 の、新 しい事 業 の創 出 に使 えるわけですから、勝 負 は初 めから決 まってい 2 9 キ ル ギ ス 出 身 の ロ シ ア ・ ソ 連 作 家 ( 1928 ~ 2008 ) 。 ロ シ ア 語 ・ キ ル ギ ス 語 両 方 で の 著 作 が あ る。 代 表 作 に『白 い汽 船 』『1 世 紀 より長 い1日 』『処 刑 台 』など。 3 0 ロ シア の モ ダニズム を 代 表 す る作 家 ( 1899 ~1951 ) 。 共 産 主 義 革 命 へ の 違 和 感 を 根 底 に持 つ 作 風 からとりわけ晩 年 は不 遇 であったが、死 後 再 評 価 が 進 んだ。代 表 作 に『土 台 穴 』『チェベング ール』『ジャン』など。
『複言語・多言語教育研究』 日本外国語教育推進機構会誌 No.6 (2018) pp.3-42 るようなものです。 それに、これからの日 本 人 は、100 年 の人 生 を生 きる時 代 に入 りつつあります。 これから問 題 となるのは、自 分 の責 任 において、精 神 的 にも肉 体 的 にもどこまで 健 康 に生 きられるかということで、それはもはや言 語 の問 題 とは関 わりないのかも しれない。先 ほども言 いましたが、実 際 にビジネスで英 語 を使 っている人 はほん の一 握 りで、数 パーセントもいないですよね。じゃ、これから英 語 でのビジネスが 求 められるかというと、そんなこともないんです。もちろんグローバル企 業 はべつ です。しかし、グローバル企 業 にしても、企 業 戦 士 としては中 国 語 ができたほうが はるかに稼 げる可 能 性 がある。ただし、中 国 には、日 本 語 がずばぬけてできる人 材 が無 数 にいますから、戦 いは厳 しい。そこで、グローバル企 業 と関 わりのない 企 業 人 や一 般 人 が一 体 何 のために英 語 を勉 強 するかと言 ったら、極 論 すれば、 コンプレックスを持 たずに生 きるためぐらいのことしか思 いつかないのですね。今 の経 済 至 上 主 義 にのっかった大 学 での英 語 学 習 は、本 当 に無 益 だと思 ってい ます。その程 度 の英 語 の語 学 力 であれば、オンザジョブトレーニングで十 分 でき るわけですから。 ○臼 山 そうすると、大 学 でのその英 語 教 育 の偏 重 は、国 立 も私 立 も今 皆 右 に倣 え ですけれども、第 2 外 国 語 を減 らして、その専 門 教 育 ですら英 語 でやっていくと いう状 況 があるわけですけれども、これも実 は非 常 に危 険 な流 れであると? ○亀 山 専 門 教 育 は、本 当 は英 語 なんかでできるわけありません。専 門 教 育 はもう本 当 に高 度 な日 本 語 でしかできない。母 語 でしかできない。英 語 を聞 いて得 られる 知 識 なんて、今 の大 学 生 のレベルだと日 本 語 で得 られる知 識 の 5 分 の 1 もない かもしれない。音 として頭 のなかを素 通 りしていくだけです。自 己 満 足 の可 能 性 もある。やはり日 本 語 を使 った精 緻 な言 語 によって語 り尽 くすということをしない 限 り、本 当 の学 問 のプロフェッショナリズムって生 まれないと思 うんですよね。「日 本 語 でどこまで表 現 できるか」ということをまず考 えないと。むろん、最 高 レベルの 偏 差 値 をもった大 学 生 であれば、英 語 で聴 こうが、日 本 語 で聴 こうが同 じという ことにはなるかもしれません。でも、それはごく一 部 です。 ○臼 山 なるほど。そういう意 味 で、今 の大 学 がその専 門 教 育 も英 語 でやるという、そ ういう流 れは、ある意 味 で重 大 な問 題 を抱 えている。日 本 の学 問 の……。 ○亀 山 いや、それはそれでかまわないと思 う。けれども、日 本 語 の母 語 話 者 として精 緻 な表 現 力 というものを持 つということが、英 語 による専 門 教 育 によって損 なわれ
『複言語・多言語教育研究』 日本外国語教育推進機構会誌 No.6 (2018) pp.3-42 ることが恐 いですね。英 語 で専 門 教 育 をして、どれだけのものが実 のある学 習 に なるかといえば、極 めて疑 わしく、結 局 は一 冊 の本 をしっかり読 んだ方 がはるか に得 るものが多 いということになりかねない。だから、英 語 でその講 義 をやったか らといって、それによって授 業 の質 そのものが高 まるなんてことは絶 対 にないと思 います。むしろ逆 です。じゃあ何 で、英 語 で授 業 をやるのかというと、結 局 は、日 本 人 が本 当 に問 題 の本 質 に目 覚 めていないからです。英 語 の能 力 は根 本 的 に は集 中 的 に話 していく、あるいは徹 底 して聞 く能 力 の訓 練 を行 う、むしろ大 学 外 で聞 き取 るというような訓 練 を積 まないことには高 まりません。いずれにしても、思 慮 のない英 語 による専 門 教 育 のあり方 には、懐 疑 的 です。 4. 人 文 学 の重 要 性 を訴 える ○臼 山 ありがとうございます。それから、先 生 は中 教 審 の委 員 をされ、「中 央 教 育 審 議 会 初 等 中 等 教 育 分 科 会 教 育 課 程 部 会 言 語 能 力 の向 上 に関 する特 別 チー ム」の主 査 を務 められました。外 国 語 教 育 、人 文 学 の重 要 性 に関 わ る先 生 のご 発 言 には多 くの外 国 語 教 育 関 係 者 が励 まされました。そのあたりのエピソードを 可 能 な範 囲 でお話 しいただけますか? ○亀 山 中 教 審 で外 国 語 の問 題 が論 じられるということはほとんどなかったんですよ。 ただ、学 習 指 導 要 領 を作 る中 で「言 語 能 力 の向 上 に関 する特 別 チーム」の座 長 を務 め、東 京 大 学 のロバート・キャンベル先 生 (副 座 長 )に副 座 長 をお願 いし、 委 員 には、同 じ東 京 大 学 で脳 学 者 の酒 井 邦 嘉 先 生 、上 智 大 学 の吉 田 研 作 先 生 、立 教 大 学 の松 本 茂 先 生 ら、錚 々たる 面 々で 徹 底 的 に議 論 しま した。総 勢 16 名 です。最 終 的 な答 申 案 は、素 晴 らしいものができましたが、議 事 録 をお読 みください。非 常 に面 白 い、本 音 トークが見 られます。中 教 審 は、今 回 で 4 年 務 めましたからいったん区 切 りがつくと思 いますが、大 学 分 科 会 では、私 なりに人 文 系 の重 要 性 を主 張 しました。中 教 審 には、一 応 、人 文 系 の外 国 語 教 育 の代 表 者 として入 っていると思 いますので、そこでの発 言 は当 然 自 分 の役 割 だと思 っ ていました。英 語 とか多 言 語 というよりは、やはり人 文 学 全 体 の地 位 を向 上 させ ることが、重 要 なんですね。人 文 学 の地 位 が高 まれば、当 然 、複 言 語 の必 要 性 だって明 らかになる。それが大 事 だと思 うんです。また、国 が人 文 学 の重 要 性 を しっかり認 識 して発 信 していくことが必 要 だと感 じます。