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15世紀における国人小早川氏と室町幕府権力

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Academic year: 2021

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世紀における国人小早川氏と室町幕府権力 教科・領域教育専攻 社会系コース 片 山 司 はじめに 本稿は、嘉吉の乱・応仁の乱と 2つの重大な 事変があり、幕府の支配体制に大きな影響がも たらされた15世紀において、安芸の国人であ る小早川氏が所領支配を行ううえで、どのよう に室町幕府権力と関わっていったのかを検討す るものである。そり際の観点は、「沼田小早川氏 (以下、沼田氏とする)の所領相続J、「沼田氏 と竹原小早川氏(以下、竹原氏とする)、及び沼 田氏と『一家中』との結びつきJ、そして、 f沼 田氏と竹原氏の対立jである。 第1章沼田氏の所領相続からみて 所領相続は惣領とその相続者だけで進められ る事ではなく、その家の上部権力の承認を必要 としていたが、奉公衆である沼田氏においては、 幕府権力の安堵状を得る事が必要で、あった。応 永21 (1410)年の沼田則平からその子持 平への譲状で、持平へ所領を全て譲るとしてい る事より、この時点で沼田氏は単独相続に移行 していた。またこの相続は、将軍足利義持が同 年に出した御教書により、幕府権力に承認され ている。しかし、後に則平は持平を廃嫡し、永 享3 (1431) 年の段階では持平の弟である 源平への譲意があったと推測される。持平が糠 平への譲状を強奪した事に対して、源平は幕府 へ訴え出たが、幕府は、別平の知行を持平に半 分預け置くとしづ形で決着を図り、持平を惣領 指 導 教 員 大 石 雅 章 とみなしたままであったo しかし、将軍足利義 教は、永享12 (1440)年に出した御内書 によって、沼田氏の惣領を持平から源平へ代え た。武力で抵抗した持平は、源平及び安芸守護 山名持豊、そしてその旗下の国人の討伐を受け た。これらより、小早川氏は所領安堵を直接な されることにより幕府権力とつながっていたo 相続の際は幕府権力による安堵が不可欠で、ま たその相続者の指名は、父の譲意によるものよ りも幕府によるものが優先したと考えられる。 しかし惣領とはいえ、幕府権力による承認を失 うとその惣領は没落せざるを得なかったといえ る。 第2章沼田氏と竹原氏、及び招田氏と f一家 中jとの結びつきからみて 第1項沼田氏と竹原氏の結びつき 沼田氏は小早川氏の本荘である沼田庄を相 続していたので、小早川氏の中でも惣領として の立場を持ち竹原氏の上位に立っていたと思 われる。しかし、嘉吉3 (1443)年に竹原 弘景がその子盛景に出した置文より、 15世紀 半ばでは、竹原、氏は沼田氏を惣領であると認識 はしていたものの、両家の関係は悪化していて、 竹原氏はむしろ大内氏を頼りにしていたので はないかと思われる。竹原氏も沼田氏同様、幕 府に直接所領安堵を受けていたが、その一方で、 大内氏から所領を与えられた代償に大内氏の つ ム ﹁ ﹁ u n ペ U

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役を果たす責務を負い、大内氏と竹原氏は所領 を介する上下関係を構築していったといえる。 竹原氏と沼田氏は所領を介して結ぼれた関係、 ではなく、よって沼田氏に対する上下関係の意 識は薄かった。また沼田氏との関係は悪化して おり、竹原氏は大内氏に接近して所領経営の安 定化に努めたと考えられる。 第2項惣領沼田氏と「一家中jの結びつき 沼田氏の庶子家は「一家中Jを組織していた。 連判契約状等より、嘉吉2 (1442)年から 宝徳3 (1451)年の間に、椋梨子氏を中心 に相互契約を結ぶ庶子家は「一家中Jと税でする ようになった事、一家中はその結束を重視して いた事が窺える。沼田氏家中で一家中の存在は 重要であったという事は、嘉吉元 (1441) 年に16の庶子家それぞれへ出された奉書の 内容よりいえる。また、一家中の家々は幕府か ら直接所領安堵を受けていた。そして、一家中 の上山氏から椋梨子氏への契約状より、一家中 は互いに契約を結んで惣領沼田氏に仕えてい たと確認できる。このように、沼田氏の庶子家 は、相互契約を結んで「一家中Jを組織して、 沼田氏家中で重要な存在にあったoそこに属す るそれぞれの庶子家は幕府から直接所領安堵 を受けていたが、沼田氏を連合して支えると契 約の一条に定めて惣領沼田氏に仕えていた。 第3章沼田氏と竹原氏の対立からみて 沼田氏と竹原氏は沼田庄を巡って争い、関係 を悪化させるが、竹原氏はその頃より大内氏へ の接近姿勢をみせる。応仁の乱の際には沼田氏 は東軍についたが守護山名氏の旗下で戦った わけではないので、この時点でも独立状態を保 っていた。また、乱後は庶子家との相互保障を 強める事によって、周辺諸権力に依存する事な く幕府と直接的な結びつきを保って、所領経営 を存続していったと考えられる。一方竹原氏は 西軍についたが、足利氏からだけでなく大内氏 からも所領安堵された白これは竹原氏が幕府の 度接的支配から脱して、大内氏の持つ広域的な 領域支配権に依存することによって所領経営を 存続していこうとした事を示している。 おわりに

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世紀の小早川氏には、惣領沼田氏のもと に竹原氏、沼田氏から分かれた庶子家が存在し ていた。所領相続の際は幕府権力による承認を 必要とし、相続者の指名は幕府によるものが優 先された。また、惣領は相続後も幕府の保障を 維持し続ける必要があったo 沼田氏、竹原氏、 庶子家のいずれも、幕府権力によって所領安堵 がなされていて、沼田氏と竹原氏、あるいは沼 田氏と庶子家の間に直接の支配関係、は結ぼれて いなかったo そのため、竹原氏は沼田氏を惣領 と認識はしていたが、沼田氏に対して上下関係、 の意識は薄かった。その一方、庶子家の家々は 「一家中jとして相互契約を結んで結束を強め、 沼田氏を支えた。嘉吉の乱後に、沼田氏と竹原 氏は沼田庄を巡って対立し、この頃より竹原氏 は所領経営の安定化のため大内氏に接近してい った。沼田氏は応仁の乱以降も幕府との直接的 なつながりを持ったまま所領経営を存続で、きた 一方、竹原氏は応仁の乱の際に幕府権力だけで なく大内氏からも所領安堵を受け、幕府との産 接的なつながりを持たなくなったo これは足利 氏が奉公衆竹原氏を旧来の枠組みでは支配でき なくなった事を意味し、幕府への求心的支配構 造の解体の一例といえるのである。 円 べ u ﹁ o n U

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