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カロッサの詩「到達しえぬと思われた山頂・・・」について

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(1)

カロッサの詩 「

到達 しえぬと思われた

山頂 ・

…」について

士 日 は じ め に ハ ンス ・カロ ッサ に 「到達 しえぬ と思 われた山頂」(Unzuganglich schien der Gipfel)とい う行か ら始 まる詩がある。 3連 か らなる全12行の短い詩であ る。傑作の立ち並ぶカロ ッサの全詩作品のなかにあって,従 来 この詩はほとん ど注 目を浴びることはなかった。確かに一読 しただけではなんの変哲 もない地 味 な詩である。 しか し,本 稿で検討 してい く過程で明 らかになるのだが,こ れ は実は奥の深い,な かなかに魅力的な作品であ り,ま たカロッサ にとって,彼 の生涯 におけるひとつの大 きな分岐点 を印 した作品なのである。 さらに,こ の 詩 は,第 1次 大戦時の従軍体験が基 となって生 まれた彼の小説の代表作 『ルー マニア日記』 と密接 な繋が りをもち,わ ずかな詩行のなかに 『ルーマニア日記』 の根本主題 を見事 に凝縮 して表現 している作品で もある。 本稿 では,カ ロッサが第 1次 大戦中に制作 した詩 「到達 しえぬ と思 われた山 頂 ・…」 を詳密 に解釈す ることを通 して,カ ロッサの詩的世界の本質的特徴 の い くつかを明 らかに し,そ れ と並んで,こ の詩がカロッサの人生 において占め る位置,ま たこの詩 と彼 の他の諸作品 との関係 を考察することに したい。 I 詩 とその成立経過 解釈の対象 となる詩の原文 と,そ の和訳 を次 に示す。なお,こ の詩 には題名 がつけ られていない。 孝 子 金

(2)

Unzuganglich schien der Gipfel; Nun begehn wir ihn so leicht. Fern verdarnlnern erste Wege, Neue Himmel sind erreicht.

Urgebirg und offne Lander

Schweben weit,in Eins verspielt. stadte, die wir nachts durchzogen, Sind ein einfach―lichtes Blld.

Helle Wolke streift heruber; U n s u m w e h t i h r S c h a t t e n l a u f . Grotte blaue Falter schlagen

l) Sich wle Biicher vor uns aui

到 達 しえぬ と思 わ れ た 山頂 , い ま そ こ を私 た ち は たや す く歩 む。 遠 くに 最 初 に歩 ん だ道 が 霞 ん で い る。 新 た な天 空 が 達 せ られ た の だ 。 始 原 の 出 と開 け た い くつ か の 土 地 が 彼 方 に漂 う, ひ とつ に溶 け合 い なが ら。 夜のうちに私たちが通 り抜けてきた町々は ただ一体の,輝 か しい形象 となった。

1)Hans CarOssa:Gedichte.Die Verbffentlichungen zu Lebzeiten und Gedichte aus dem Nachla鳥 . Herausgegeben und konlrllentiert von Eva Kampmann― Carossa. F r a n k f u r t a . M . u n d L e i p z i g 1 9 9 5 , S . 5 0 。本論文 にお けるカロ ッサの詩 の引用 はすべ て

(3)

カロッサの詩 「到達 しえぬと思われた山頂 ・中」について 101 明 るい雲 が 流 れ寄 って きた。 その影 は 私 た ち を風 の ように包 みつつ過 ぎてゆ く。 大 きな青 い蝶 らが 私 た ちの前 で

本のように 羽 をひろげる。

この詩が制作 され,決 定稿が公 にされるまでの経緯は,か な り複雑であると この詩が上 に引用 した形で最終的に発表 されたのは,1920年 6月 にカロッサが 〈叙情 的パ ンフレッ ト〉とい う形で出版 した連作詩集 『復活祭』Ostern(マ イアー書店,ベ ル リン=ヴ ィンマース ドルフ)に おいてだった。 しか し,こ の 詩の大部分が制作 されたのは,1916年 の晩秋の頃だ と推定 される。 第 1次 大戦 にみずか ら志願 したカロッサは,1916年 8月 末,軍 医将校 として まず西部戦線 に赴 き,そ の後10月以降,東 部戦線 に移 った。彼の所属 していた 部隊が投入 されたのは,当 時のオース トリア=ハ ンガリー帝国 とルーマエア王 国の国境付近 にあった前線である。 この戦線 は, トランシルヴァニア ・アルプ ス とも呼ばれる険 しいカルパテ ィア山脈上の高地にあ り,カ ロッサは実際この 時期,高 い山々に何度 とな く登 った り,山 頂やその付近で長期 間にわたって野 営生活 をお こなっている。だか ら,こ の詩のなかで描かれている査山情景や山 岳風景は,彼 の実際の体験 に基づいて書かれているとい うことがで きる。 この詩の大部分が成立 したのが1916年の晩秋であることをもっとも明確 に示 す証拠 は,カ ロッサが この時期 に書いた手紙のなかに見出 される。すなわち, 彼 は,当 時彼の情熱的な恋愛相手だったマ リーア ・デームハルター宛てに送 っ 3 ) た1916年12月8日 付 の手紙のなかに,上 に引用 した詩 とほぼ同内容の詩 を書 き 込 んでいるのである。 これは,「到達 しえぬ と思 われた山頂」 とい う行 か ら始 まる詩の く初稿 〉であると見 なされる。 この初稿 は,決 定稿の理解 に大いに役 立つので,以 下,原 文 とその訳 を示 してお くことにする。

2)成 立経過の説明については,CGに ある Eva Kampmann Carossa氏の注釈 に多 くを負 っ

てい る。 CG,S.231ff.を を報R。

3)Hans CarOssa:Briefe 1 1886-1918.Herausgegeben von Eva Kampmann― Carossa. F r a n k f u r t a . M . 1 9 7 8 [ 以下, B I と 略記] , S 。1 2 9 丘

(4)

Schaurig drohte dieser Felsweg, und nun gehn wir ihn so leicht. Was uns naht, verliert sein Grauen GroRer Umblick ist erreicht.

Urgebirg und ebne Lander

sehn wir sanft ins Eins verspielt. Dunkle Stadt,aus der wir kamen, wird ein einfach-lichtes Blld.

軌 er heitte Steine gleitet kuhler w01ken Schattenlauf. Blaue Schmetterlinge schlagen

4) sich wie Bucher vOr uns auf.…

この岩出の登 り道は 恐 ろ しく思われた, だがい ま そ こを私 たちはたやす く歩む。 私 たちに近づいて くる ものは そ の恐 ろ しさを失 つた。 広大 な眺望が得 られた。 始原の山 とい くつかの平地が 穏やか に ひ とつ に溶 け合 っているのが見 える。 私 たちがそ こを抜 け出て きた暗い町は ただ一体の,輝 か しい形象 となった。 あつ く熱せ られた岩石の うえを 滑 るように 4)BI,S.130.

(5)

カロッサの詩 「到達 しえぬと思われた山頂 ・…」について 涼 しげ な雲 の影 が 移 動 してゆ く。 青 い喋 らが 私 たちの前 で

本のように 羽 をひろげる。

いま引用 した初稿 と,決 定稿 とのあいだの異同については,あ とで解釈をお こなう際にも詳 しく触れるつ もりであるが,こ こでごく大まかに言及 しておけ ば,ま ず両者で大 きく違つているのは,第 1連 では 1行 日と3行 日である。 と りわけ3行 日は内容がまった く異なっている。第 2連 では,語 句の細かな相違 はあるが,そ れほど大 きな異同はない。第 3違 については,初 稿で見 られる 「あつ く熱せ られた岩石」 という表現が決定稿には見あたらないのが, もっと も目立った違いである。ちなみに,こ の1916年に書かれた初稿は,1917年に, テーオ ドール ・タッガー編集の隔月刊の雑誌 『マルジュアス』Marttas 5月号 (ハインリヒ ・ホーホシュティム書店,ベ ルリン)に 公表されている。 さて,以 上のことから,「到達 しえぬ と思われた山頂 ・…」の詩の原形が成 立 したのは1916年晩秋であるということがわかったが, しか しこのときに原形 のすべてが一度に生み出されたかというと,そ うではない。すなわち,こ の詩 の第 3違 の最後の 2行 に関 していうならば,す でに1914年4月 14日のカロッサ の日記に,以 下のような詩断片が見出されるのである。

Dunkle Schmetterlinge schlagen 5) sich wie Bucher vOr dir auf.

どの ようなコンテクス トで, 以 上の 2 行 の詩行が書かれたかを明 らかにするた めに, 当 日のカロッサの 日記の全文 を次 に引用 してお く。

1 9 1 4 年4 月 1 4 日

5 ) H a n s C a r O s s a : T a g e b u c h e r Frankfurt a.M.1986[以 下 ,

1910--1918.Herausgegeben von Eva Kampmann― Carossa. T I と 略記 ] , S . 1 7 6 .

(6)

暑い一 日だつた。午後,ラ ウフエンバハ渓谷 に行 く。山の上 に登 り,私 の 上着 を敷いて,そ の上で眠つた。その とき突然,岩 石 と大地の存在 を感 じ, 下方 にある小川が轟音 をたてて流れているのが聞こえた。私 は,羽 のある虫 や羽のない虫がた くさんこち らへ近寄 ?て くるのが見 えた。だが,眠 く 孔F まらなか つたので,手 を動か して,そ れ らを追い払お うとは しなかつた。 この文のあとに,先 ほどの 「暗い色をした喋 らが 君 の前で/本 のように 羽 をひろげる」 という2行 の詩断片が記入されているのである。この詩行で初稿 と違っているのは,「喋」の前に置かれた形容詞が 「青い」ではなく 「暗い色 をした」 となっていること,そ して 「私たちの前で」ではなく 「君の前で」 と なっていることだけである。 また,こ こで注目しておかなければならないのは,こ の 「暗い色をした喋 ら」 をうたつた2行 の詩断片が書かれたのが,1916年晩秋に初稿が成立 したときと 同じく,「山」の上においてだつたということである。(上の日記の文に出て く る 「ラウフェンバハ渓谷」は,パ ツサウ市の西に位置 し, ドナウ河に注 ぎ込む ラウフエンバハ川が作った深い峡谷である。この峡谷付近の山々はカロツサが 生涯を通 じてもっとも好んだ Wanderroute=ハイキングコースのひとつだつ た。) い まひ とつ,詩 の成立過程 につ いて言及 してお くな らば,カ ロ ッサ の詩 に詳 密 な注釈 をつ けてい るエ ヴ ア・カンプマ ン=カ ロ ッサ夫人 は,初 稿 な らびに決 定稿 の第 1 運 につ い て, そ れ と内容 的 に深 い関連 を もつ文 が , す で に1 9 1 4 年の 春 頃 一― 「喋」 についての 2 行 断片が生 まれたの とほぼ同時期一一 に書かれ た紙片のなかに見出 されると指摘 している。すなわち, 遠 くに窒 える山脈のい くつかの道 は どんなにか急で険 しく見 えることか。 登 ることな ど不可能 に思 える。だが, 実 際私たちがそれ らの道 に辿 りつ くと, 道 は少 しの苦労で登 ることがで きた。つ ま り, 私 たちは未来 を恐れることは 6 ) E b d . 7 ) C G , S . 2 3 1 f .

(7)

カロッサの詩 「到達 しえぬ と思われた山頂 , …」について 1 0 5 の な い の だ ! とい う文である。 これは,詩 の第 1連 を散文の形で敦行 したものであ り,第 1 連 の理解 を大いに助 けるといえよう。 以上,「到達 しえぬ と思われた山頂 ・…」の詩の成立の過程 を見て きたが, ここで簡単 にまとめてお くと,こ の詩は,ま ず1914年の春 に第 1連 ,そ して第 3運 の後半 2行 のそれぞれの原型が成立 し,1916年 秋,カ ロッサがルーマニァ 戦線 に投入 され,カ ルパティアの山々に何度か登 ったころに初稿が出来あがっ た (初稿 は1917年に一度雑誌 『マルジュアス』 に掲載 される)。 しか し,そ の 後 さらに何箇所か手が加 えられて,結 局1920年に決定稿が運作詩集 『復活祭』 のなかの一篇 として公表 された, というわけである。 さて,こ の くらいで準備 は十分 に整 つた と思われるので,こ れから詩の解釈 に移 ることに したい。 皿 詩 の 解 釈 第 1連 か ら見 ることに しよう。 まず,第 1連 の初稿 と決定稿 とのあいだの異 同について触れてお く。冒頭行 については,初 稿の 「この岩山の登 り道は 恐 ろ しく思われた」 に比べ て,決 定稿の 「到達 しえぬ と思われた山頂」 という表 現 のほうが,遥 かに引 き締 まってお り,詩 に冒頭か ら雄大 なスケール感 を与え ることに成功 しているといえよう。 4行 目について も,初 稿の 「広大な眺望が 得 られた」 とい う,い ささか説明的 ・具体的す ぎる表現 より,決 定稿の 「新 た な天空が達せ られたのだ」のほうが鮮烈で印象度が強 く,詩 に奥行 きの深 さを もた らしているように感 じられる。総 じて第 1連 については,初 稿の少々冗長 な言い回 しに比べ,決 定稿 は凝縮性が より高 まっているといってよい。 さて,こ の第 1連 の意味の理解 については,先 にも述べたが,詩 の成立経過 の ところで見ておいた1914年春頃に書かれた文が大いに役立つ。遠 く離れた場 所 か ら,高 く奪 える山脈 を眺めているときには,そ れはあ まりに険 しく見 え, その頂上 を極めることなど到底不可能 に思 えた (初稿の表現 を使 えば,そ れは

(8)

Schaudg「恐ろしく」 さえ思われた,と される)。だが,実 際に登山道を登 り 始め, どんどん高度をあげてい くと,そ れは,遠 くにいて想像 して (恐れて) いたよりも容易であることがわかったというのである。そ して,つ いに 「山頂」 ヤこ 「到達 し」たとき,「最初に歩んだ道」は遥か 「遠 く」の下方に 「霞んで」 みえるようになる。また,登 頂者にはそのとき 「新たな天空が達せ られ」ると もうたわれる。すなわちカロツサは,平 地にいたときとはまったく違う 「新た な」世界へ入ることができたのである。では,カ ロッサが 「山頂」で体験 した 「新たな」世界 とは,い つたいどのようなものだったのだろうか。 それを明らかにする前に指摘 しておかねばならないのは,カ ロッサの抒情詩 がつねに深い象徴性 を帯びているということである。それについては,す でに 一度別の箇所で論 じたことがあるあで,こ こでは詳述しないが,要 するにカロッ サの詩においては,た とえばいろいろな自然の形象や現象,人 間の行為のこと が うたわれている場合でも,実 は同時にその背後にさまざまな複雑な意味が重 層的に潜んでいるのである。 カロッサ文学のそうした象徴性への強い傾向は,こ の詩にも随所にうかがう ことができる。それを念頭に入れて,こ の詩をあらためて読んでいってみよう。 まず,恐 ろしいほどに高 く,登 り難 く思われた 「山頂」は,文 字通 りに読まれ るだけでなく,そ れは,カ ロッサが人生を歩んでい く上で是非 とも乗 り越えな ければならない困難なハー ドルの象徴 としても読むことができるといえる。ま た,第 1運 の原形 となった1914年春の散文的文章では,険 しい山の道は,文 脈 からして彼の 「未来」 を指 していることは明らかである。そのときの時代背景 を考えると,カ ロッサが不安に思つていたのは,彼 自身の個人的な未来である と同時に,そ れとも深 く関係する,ヨ ーロッパでまもなく起ころうとしていた 大規模な戦争 とそれが引 き起こす激 しい社会的混乱でもあるといってよいだろ う。そ して実際1914年の夏には,ヨ ーロッパ中を巻 き込んだ戦争が勃発する。 カロッサは1915年秋に入隊 し,約 1年 にわたるアウクスブルクでの軍事教練を 8 ) ハンス ・カロッサ全集第 7 巻 ( 臨川書店 1 9 9 6 年) 所 収 「ルーマニア日記」(拙訳)の 「解説」( とくに2 6 8 頁以下) を 参照。

(9)

カロッサの詩 「到達 しえぬと思われた山頂 ・…」について 107 経 て,1916年 秋 には,い よい よ危 険 な前線 に配置 され る。つ ま り,恐 ろ しいほ ど険 しい高 山 とは,ル ーマニア戦線 に投入 された彼 が実際 に登 らねばな らなかっ た急唆 なカルパ テ ィア山脈 を指す と同時 に,彼 が その ときに克服 しなければな らない前線 での さまざまな大 きな苦難 を意味 してい る と捉 えるこ とがで きる。 この詩で うたわれている 「到達 しえぬ と思われた山頂」 とは,結 局,彼 自身の 人生 において目前 に迫 って きていた乗 り越 えなければならない至難の状況 を意 味 しているのである。 さて,そ の困難は,カ ロッサが遠 くか ら予想 していたときには,と て も克服 す ることは不可能なものに思われ,彼 は恐怖や不安 にとらわれていた。 しか し, 第 2行 では,彼 が実際そのなかに飛び込 んでみると,意 外 にも克服はそれほど 難 しい ものではなかつた とうたわれる。そ うなったのは,た だ単 に く案ずるよ り産むが易い 〉とい うことではな く,彼 が困難 な状況 に勇気 をもらて飛 び込 ん だことにより,そ れまでは彼 に見えなかったものが見 ることがで きるようになっ た,つ ま り 「新 たな」世界 を見 ることが可能 となったか らだ と考 えられる。 こ こで再び,こ の 「新 たな」世界 とは何 か とい う先 ほどの問題 に戻 るのだが,そ れを解 くうえで重要なヒン トとなるカロッサの書簡の一節がある。彼が前線近 くにある町ジメシュ ・ビュックか ら1916年12月8日 にマ リーア ・デームハルター 宛 てに書 き送 つた手紙 (詩の初稿が書かれていたの と同 じ手紙)で ある。 この 頃マ リーアはある事件の ことで傷心の 日々を送 つていたが,カ ロッサは彼女 に 宛 てて次のように書 き綴 っている。 あなたは私のことを心配 して くださるには及びません。同情 もまった く必要 あ りませ ん。私がた とえ,と きに寒 さに凍 え,ま た多 くの辛い困難 に打 ち勝 ち,多 くの危険な時間を慌 ただ しく切 り抜 けなければならない として も,私 は,あ なたよりは遥 かにうま くいっているのですか ら。私 はいま,こ れ以上 ないほ どの激動 の さなか にいる と感 じてい ます。 に もかかわ らず 一一 私が 東部戦線 に移 って きてか ら,非 常 に奇妙 なことに一― 私 の心 はまった く落 ち着 きは らっているのです。 (中略)私 が この雄大 な風景のなかでの恐 ろ し

(10)

い戦 い を経験 して以来,私 は 自分 自身 を再発見 したかの ようです。私 はい ま, の 私の人生を,あ たかも山頂から見おろすように見ています。……… カロッサは苛酷な山岳戦のただなかにいるにもかかわらず,彼 の心はいままで になく 「落ち着」いていて,か えって戦場でこそ,い ままで見失っていた自分 自身を取 り戻すことができ,彼 の 「人生を,あ たかも山頂から見おろすように 見」ることができたというのである。カロッサは,至 難の状況 とみなされる危 険な戦場 においてこそ,迷 いから脱 し,こ れまで歩んで きた彼 自身の人生の 「道」 を一挙に見渡すことができるような,生 涯において一度あるかなきかの 恵まれた瞬間に達 したのである。 この時期のルーマニア戦線での体験 を基にして書かれた小説 『ルーマエア日 記』 (1924年刊)の 最後近 くに見 られる記述 も,第 1連 の理解を助けて くれる だろう。その場面で主人公の軍医は,仲 間たちとともに,敵 であるロシア軍に よる激 しい砲撃を受け, もう少 しで死ぬような危険な目に道う。そのあと彼 ら は,狭 い谷間に閉じ込められるのだが,そ こから出ようとすると,た だちに砲 弾の雨が降ってくる。そうした人生の最大の危機 ともいうべき状況のなかにあっ て,主 人公はこう記す。 ………私たちの仲間で,意 気消沈 している者はひとりもいなかった。そうな のだ,生 と死がす く`に隣 り合っている緊迫 したときには,私 たち人間の本性 を形作る元素は強固にされ,純 化 されるようなのだ。そ して,粗 悪な鉛の鐘 が,純 粋な酸素のなかに浸 されるとたちまち銀の鐘にも似た響 きを出 しはじ めるように,そ の凝縮された時間のなかでは,だ れもがその人本来の固有の 1 0 ) 響 きを もって語 りは じめ る もの なの だ。 9 ) B I , S . 1 2 9 . 1 0 ) H a n s c a r o s s a : S a m t l i c h e w e r k e . I . B d . F r a n f u r t a , M . 1 9 6 2 S . 4 9 8 . [ 邦訳 : ハ ンス ・カロ ッサ全集第 7 巻 ( 臨川書店 1 9 9 6 ) ( 拙訳 ) , 1 1 9 頁。] [以下, SWIと 略記], 所収 Fルーマニア日記』

(11)

カロッサの詩 「到達 しえぬと思われた山頂 ・…」について 109 ル ーマ エ ア戦線 で主人公 を取 り巻 いてい る死 の危 険が溢 れ る空 間 こそ 「純粋 な 酸 素」 に満 ちた空 間 なのであ り, ま た, 死 の淵 に瀕 した瞬 間 こそが 「凝 縮 され た時 間」 なのであ る。そのなかで こそ, 初 めて主人公 は 「銀 の鐘 に も似 た響 き」 あるいは 「その人本来の固有の響 き」 を発することがで きる。 これは,つ まり, 自分 自身の本来の姿 を見 きわめることによって,そ の人の存在の本質 を表現す るような真正の詩 をうた うことが可能になるとい うことだろう。 日常的な空間 ・時間のなかで長いあいだ暮 らし続 けていると,人 間にはいつ の まにか 日常の余分 な贅肉や垢がついてい き,自 分 自身の本当の姿がだんだん 見 えな くなってい く。 ところが,戦 地で,死 とす く`隣 り合 った大 きな危険のな かに入るやいなや,そ の人か ら不必要な贅肉や余分 なものがそ ぎ取 られ,人 は 自分の本当の姿 を正 しく見 ることがで きるようになる。危難のなかでこそ,そ の人は本来の 自分 自身に生 まれ変わることが可能 となるのである。一― 結局第 4行 は,カ ロッサが 日常 を遠 く離れた緊迫 した時空間において,自 己の真実の 姿 を再 び見出 したことをうたっているのであ り,彼 が 「達 した」 「新 たな天空」 とは,そ のようなことを可能にして くれる場所 を指 しているのにほかならない。 第 2連 について。 この連 はほぼ,カ ロッサが1916年10月後半以降,カ ルパティ ア山脈上にあった前線で戦 うために,そ こへ何度か登 ったときの体験が基になっ て書かれている。それは,カ ロッサが この時期 に書 き残 した 日記 を読めば明 ら かである。た とえば1916年10月23日の 日記 に次のような記述が見 られる。 ………私たちのはるか遠 くの後方に,さ きほど通 り過 ぎた,山 あいに広がる 町が,い まや太陽の光 に照 らされて明る く輝いているのが見 えた。いまなお 雨のなか をずぶぬれになって馬で進んでいる私 にとって,そ れは一瞬ではあ るが気持 ちを和 ませて くれる光景だった。 ……・・11) 11)TI,S,230.[邦 訳 :ハ ンス ・カロ ッサ全集第 9巻 F日記』 (拙訳)(臨 川書店 1998), 64頁。]

(12)

あ るい は同年 11月 1日 の 日記 には, 夜 中の 1時 ,熟 睡 してい た と きに, 4時 15分 に進発 す る との命令 。 まだ真 っ 暗 な うちに出発 。黒 々 とした連 山の上付近 の空が, しだい に帯状 に黄色 くなっ てい った。 ・ ……。私 たちはなお も 8キ ロ,馬 に乗 って進 んでい ったが,そ れか ら先 は,馬 を置 いてい くこ とになった。 い まや非常 に険 しい坂道 を登 つ てい く。息 をぜ いぜ い切 ら して, と きお り足 を止 めて休 み,紺 碧 の山並 み を 見 お ろす。私 た ちの後 ろ には,い ままで行 軍 して通 り過 ぎて きた土地 が ,青 々と,ま だ一度 も見たことのない風景のように広がっていた。ようや くバコー ・テテ望│こ到達。野営地。みんなと同じように,私 も地面の上に直接横になっ 1 3 ) て,白 い雲の浮かが, 4月 の ような青空 を眺めた……… と綴 られている。 これ らの記述か らわかるように,カ ロ ツサの部隊は前線への 移動のための行軍 をお こなうとき,ま だ夜の明けない うちに宿泊地の町を出発 し,山 に登 つていつたことがたびたびあった。ほとん どなにも見 えないほどの 深 い暗間に包 まれ, 出 発す る町 も途 中で通過す る町 も, そ れ らの様子 などまっ た く見当 もつかず,た だただ一生懸命そこを縫つて行軍する情景が想像される。 しか し,山 頂 に登 りつ くと,そ こか らは,い まや太陽の光に照 らされた町々を, その全貌 を,い とも容易 に見渡す ことがで きる。夜の暗黒のなか,ひ とつひと つの町の複雑 な通 り道 を右往左往 しなが ら苦労 して抜 け出て きたのだが,い ま 山頂 に立てば,そ れ らの町の道や建物,町 の全体の様子が,一 望の もとに眺め られる。それ らはいまや,昼 の太陽の明るい光 を浴 びて,「ただ一体の,輝 か しい形象」 として,眺 める者の前 に広がっているのである。 また,頂 上 に登 る ため にこれ まで越 えて きた低 い山々 も,そ れ らの間に広がる平野 (盆地)も , そ こを通 つて きた ときには, 関 係 のない別 々の ものに感 じられたが, い ま高い 山頂か ら見おろせば,そ れ らは,ど れ もみな遥か遠 くに離れて,も はやひとつ 1 2 ) 山の名前。ハ ンガリー語で 「テテー」 は 「頂上」 ・「ピーク」 を意味す る。標高1 2 0 5 メー トル。 13)TI,S,237丘 [邦訳 :注 11)の 訳書の72-73頁 。]

(13)

カロッサの詩 「到達しえぬと思われた山頂 ・…」について 111 にまとまったものとして眺められる。「始原の出と開けたい くつかの土地」が 「ひとつに溶け合」 うというのは,そ うした状態を指す といってよいだろう。 カロッサが実際に眺めたと思われるこのような山頂からの風景は, しかし, 先ほども説明 したとお り,同 時にカロッサ自身の個人的な内面的体験の風景 と しても読まれるべ きだった。夜のあいだに無我夢中で通 り過 ぎた町々,あ るい は,や は り暗闇のなかで辛い思いをして登 り越えてきた低い山々は,カ ロッサ のそれまでの人生におけるさまざまな困難に満ちた過去を暗示するものだろう。 これまで彼はいろいろと苦労に満ちた人生を歩み続けてきた。幾度 となく迷っ た り,日 標 を見失った り,絶 望 した り,焦 ったりしながら。そのときには,自 分が していることの意味 ・脈絡など見通すこともできず,ち ょうど夜の暗闇の ながで険 しい山道を登 らねばならぬときのように,ま さしく手探 りの状態で, 這いつ くばるようにして前進 してきたのである。だが,い ま彼は人生のひとつ のピークに達 した。そ してそこからは,彼 がそれまで辿ってきた人生の歩みの すべてを一挙 に展望することができた。またそのとき彼は,自 分の過去の人生 のひとつひとつの苦 しい体験の意味や価値 をようや く落ち着いて振 り返ること も可能となったのである。 第 3運 について。まずテキス トの異同から見ておこう。前半の 2行 に関して いえば,初 稿でうたわれている情景は,高 山の太陽の強烈な日差 しを浴びて熱 くなった岩の上を雲の影が通 り過 ぎることによって岩が冷やされるというもの で,読 む者にとっては理解 しやすいが,そ れに対 し,決 定稿は,と りわけ2行 日の表現が少々抽象的であることから,イ メージを捉えるのが難 しくなってい るといえなくもない。それはお くにしても,決 定稿の 2行 日でもっとも注目す べ きは,初 稿には見 られなかった く風が吹 く〉lumttehtと いうモティーフが 登場 したことだろう。く風が吹 く〉ことによって,高 山の頂上にいる雰囲気が さらに強調 され,ま た,後 半の 2行 における 「本」が開かれるという展開への 繋が りがより明確 になったということはできるように思われる。 さて,一 般に 「雲」は,太 陽の光を遮 り,青 空を覆い,地 上に陰を作るネガ

(14)

ティブな存在であるとみなされることが多い。たしかにカロッサの文学におい

て,「雲」は太陽と青空を1隠

すという点では,否 定的に見られる場合がある。

しかし同時にカロツサにとつて,天 高 く浮かんでいる 「

雲」は,人 間よりも大

陽の近 くにいて,よ り多 くの光を浴びているという点では,ポ ジテイヴな存在

でもあるのである。August Langenは

,カ ロツサにとつて 「

霧」は一一 「

雲」

│こ

,櫓

[、

rち

g景

その 白いほのかな輝 き, とらえがたい絶妙 な軽やか さによつて,「雲」 は 「天 空のエーテル」 に近い ものなのである。

雲が風によつて山の頂きに吹き寄せられ,峰 をかすめ,す ばやく流れ去って

いくのは,高 山ではよく見られる風景のひとつである。この詩では,「雲」に

明るい」という形容詞が被せられている。つまり,こ こに登場する 「

雲」は,

高山のひときわ激 しく照 りつける太陽の く光〉を浴びて,「明るい」色に輝い

ているのである。一一 ところで,カ ロツサ文学にとつて く光〉は,暗 闇のなか

で迷妄に陥りがちな人間がたえず目ざさずにはいられない く真実〉の象徴だっ

た。そして, しばしば指摘されるように,カ ロツサは生涯を通じてその根源的

な く光〉を讃え,追 い求めた詩人だったよ

5ン

のような く光〉を発する太陽に,

この山頂の 「

雲」は強 く照らされている。結局,こ の詩における 「

雲」は,崇

14)August Langen:Hans Carossa.Weltbild und Stil.Berlin 1955,S.41,カ

ロツサにお

け る 「雲」 ・「霧」 の象徴 的意味 につ い て は, F e F d i t t a n d v a n l n g e n i H a n s C a r o s s a s "Rurllanisches Tagebuch“. In i Hans Carossa.Dreizehn Versuche zu seineln Werk.

艶脳勝謎甘

芋iこ

麟督

ぐ魯

謎縛箕

;

「移行」地点に存在する 「中間領域」であるとされている。van lngenも,カ ロッサ文 学における 「雲」 をまった くのネガテイヴな自然表徴 としては捉えていない。

働ま程

競せ

竪鮒落L孟

毘こ

!陥

監盟鮪遣

慌焔s毬

温換

G e d i c h t e . I n : D a s i n n e r e R e i c h 3 ( 1 9 3 6 / 3 7 ) , S . 1 2 1 0 - 1 2 3 7 があ る。 その他 , 前 注 で 掲 げた A u g u s t L a n g e n : H a n s C a r o s S a . W e l t b i l d u n d S t i l . B e r l i n 1 9 5 5 や! 比 較 的新 しVヽもので は, Arthur Henkel:Beilnヽ Viederiesen von Gedichten Hans Carossas.In i Zeit der MIoderne.Zur deutschen Literatur von der」ahrhundertwende bis zur Cegenwart. Hrsg.von Hans― Henrik Krummacher, Fritz MIartini undヽ Valter MIuller seidel. Stuttgart 1984,S.119-142等 を参照b

(15)

カロッサの詩 「到達しえぬと思われた山頂 ・…」について 113 高 な光 をたっぶ りと浴 び,そ れ 自身 も 「明る く」輝いていることか ら,肯 定的 に捉 え られているといってよいのである。それに,初 稿 で明瞭にうたわれてい る通 り,そ の 「雲」が作 る 「影」 によって,疲 れた登頂者 は一瞬の爽やかな 「涼 しさ」 を味わうこともで きるのである。 詩の最後の 2行 では 「大 きな青い喋」が登場するる この詩はここまでは壮大 なスケールの 自然 をうたって きたが,こ こで一転,ミ クロな自然に眼を向ける。 山頂 には 「青い喋」力ざ何 匹か, とまって休 らっていた。苦労 して頂上 まで登 り つめた 「私たち」がそれ らを眺めたとき,喋 は 「羽」 を開いた。それは,ち ょ うど 「風」が吹いて 「本」の頁が 自然 に開かれるように,「私 たちの前で」「ひ ろげ」 られたとい うのである。 「喋」 はその美 しさと軽やかな飛 び方,ま た変身をお こなう生態 によって, 西欧では一般 に人間の 「魂」の象徴 とされる。 また,ゲ ーテの 『西東詩集』の なかの有名 な詩 「至福 の憧 れ」Selige sehnsucht6Ⅲこ典型的に見 られるように, 喋 は,た とえ死の危険 を冒 して も,燃 える蝋燭の く光 〉めがけてまっ しく`らに 飛 んでい くとい うことか ら,く真実 〉を求めてや まない存在の象徴 で もある。 カロ ッサの詩作品にも,喋 は何度 とな く登場 し,彼 の文学上の大切 なモティー フのひとつ となっている。た とえば,カ ロッサが公表 した詩のなかでは最 も早 い時期 (1898年)に 成立 した詩である 「神秘の星」Stella Mystitaでは,蝶 は次の ようにうたわれる。 ・……Ⅲ山の喋たちは震えて飛び立った, 光 に誘 われ 暗 い需がかった洞窟のなかか ら。 喋 たちは香 りの庭で ひ らひら飛 び回 り, それ らの情熱的な舞踊の青い輝 きを 濡 れて滑 らかな岩壁が 映 し出 した。 ……・!の

16)Johann wOlfgang von Goethe:Werke,Hamburger Ausgabe.Bd.2.Munchen 1981,S,18f. 1 7 ) C G ) S . 4 2 .

(16)

ここでも,ゲ ーテ的に,「喋」は暗間のなかから く光〉を目ざして 「飛び立っ」 てい く存在 とされている。

また,1911年から12年にかけて書かれた詩 「岸辺の霊と喋」Geist und Schmet― terling am Uferにも蝶が登場 している。 この詩は,「霊」である 「私」が 「美 しい蝶」に感嘆 し,そ れを憧れつつ見守っているという内容の作品である。 長めの詩なので,「山頂」の詩に関係する部分のみを引用する。 私はこれを知っている,そ れは蝶なのだ。 私に親近な生 きもので 光 の恵みを受け, 酔って生 き 他 の何 ものにも害をもたらさない。 おお 喋 はなんと天空の精気を吸つていることだろう ! さあ今 こそ 私 に気高い歓びをもっておまえの姿を見せるのだ。 羽の裏面はただ灰色かと見えながら 不 思議な金色の 文字が描かれている一一 網 目をなすさまざまな線の, たいそう繊細にして厳格な交錯は,あ たかも響 きによって いのちを与えられたグラスの上の軽やかな砂のようだ。 しかも そ れは私の前で な んという奇跡をおこなうことか ! 金色の文字が輝 きを放ち―― それが私には読めるのだ ! 空気 と火 と水 と石 と そ して私 自身の本質を 今はじめて私は知る,苦 痛に陶然 としなが ら。 私は燃える一一 留 まれ ! 逃 げるな ! 待 て 金 色の夢想家よ ! おまえの魔法の書を も う少 しだけのぞかせてほしいのだ ! 1 8 )

喋は舞いながら去る。哀願も呪いもそれを引き留めることはない。

この詩で 「

喋」は,「光の恵み」を受け,「天空の精気」を呼吸 しているとされ

1 8 ) C G , S . 1 6 f .

(17)

カロッサの詩 「到達 しえぬと思われた山頂 ・…」について 115 てい る。つ ま り蝶 は, 根 源 的 な く光 〉の世界 に属 す存在 なのであ る。 だが, さ らに重要なのは,「山頂」の詩 と同様,こ の詩においても 「喋」が文字の記 さ れた 「書物」 とされていることである。ここでは,「喋」の 「羽」の上に 「不 思議 な金色の文字」が書かれているとうたわれ,「蝶」がはっきりと 「魔法の 書」Zauberbuchと呼ばれている。そ してそれを読めば,「空気 と火 と水 と石 と そ して私 自身」,結 局世界のあらゆる存在の 「本質」力S開示 されるとされ ているのである。すなわち,「喋」の 「羽」 にある輝 くばか りに美 しく繊細な 模様は,世 界の秘密を私たちにあらわに語るものなのである。 「到達 しえぬと思われた山頂 ・…」の詩に登場する大 きな 「喋」は 「青い」 色をしているという。青 という色はさまざまな象徴的意味をもっているが,な によりもまずそれは天空の紺碧を想起 させる色であ り,な にひとつ隠されてい ないという意味で く真実〉の顕現 を表す色である。この詩の 「喋」の 「青い」 色は,高 山の頂 きの上に広がる無限に澄んだ蒼空を映 し出 しているといってよ いかもしれない。 ここまで来れば,最 終 2行 の意味はかなり明らかになる。天空に空え立つ高 山の頂 きで休 らっていた 「喋」。その閉 じられていた 「羽」が,い まや,高 山 の頂 きまで登ってきた人間の眼前で 「ひろげ」 られた。羽の色 といい模様 とい い,そ れはこの世のものとは思えぬほど美 しいものだった。それは,あ たかも 「魔法の書」の買が 「ひろげ」 られたかのようで,そ れを読むことによって人 間は世界の最奥の秘密を悟ることができるのである。一― だが,こ こでまた問 題がひとつ生 じる。すなわち,「喋」の 「羽」が私たちに伝えて くれる自然界 の奥義 とはいったい何であるのかということである。この問いに対する答えは ひとつではないだろう。けれども,カ ロッサの詩的世界の本質に照 らして推察 してみるならば,彼 の脳裏にはおそらく次のような考えがあったのではないか と思われる。 「喋 」F a l t e r , S c h m e t t e r l i n g は, そ の姿形 や飛 び方 の美 しさ, 軽 やか さに よって だけで もす で に感 嘆すべ き生 き物 であ る。 しか し, そ の最大 の不思議 さ は, 喋 が く光 〉を見 出すやい なや, そ れが た とえ燃 える火 であ って も, そ れ に

(18)

向か って, 命 の危 険 も顧 みず に飛 び込 んでい くとい うこ とだろ う ( ドイツ語 圏

では一般に,「蝶」と,夜 に光のまわりに集まる 「

蛾」を区別 しないことに注

1 9 ) 意 !)。ゲーテの詩 「至福 の憧れ」 に深い影響 を受 けていたカロッサにとって, やは り 「喋」 とはまず なによ りも,光 を発する火 を見つけると,み ずか らの死 を も恐 れることな く,そ の光 を目ざ して勇敢 に飛 び込 んでい く存在 だった。 「喋」 は 〈光 〉=く 真実 〉に到達 しようと,生 と死の危険な境界 に勇気 をもっ て飛 び込 んでい く。そ うした厳 しい覚悟がなければ,世 界 を統べ る真実 に最終 的 に到達す ることはで きない。おそ ら くその ことが,「喋」力ざ私 たちに教 えて くれる世界 についての秘め られた奥義のひとつであるといってよい ように思わ れる。 I V ま と め 「到達 しえぬ と思 われた山頂 ・…」 か ら始 まる詩 は,カ ロッサがお もにルー マニアの山岳地帯で現実 に体験 したこと,実 際に見た風景 をうたったものであ るが,そ れ と同時 に,彼 が人生のひとつの大 きな転換期 に達 したことを告 白 し た詩で もあった。 カロッサは,登 る前 には到底不可能だ と思 えた 「高山」への 登頂 に成功 し,そ こか ら,彼 自身のそれまでの人生 を一望の もとに俯限するこ とがで きた。いまや,彼 のそれまで辿 つて きた人生の道,そ のすべての体験の 連関が,彼 にはっきりと捉 えることがで きるようになった。山頂 において,遠 く離れた景色の全体 を一挙 に見渡す ことがで きるように,こ の時期 カロッサは, 彼のそれ までの過去のすべ ての体験 を遥かな高みか ら余裕 をもって眺めること がで きる,人 生 におけるひとつの頂点 に達 したのである。 実際,ル ーマニア戦線での死の危険 と隣 り合わせた経験のなかで,カ ロッサ は ようや く自分の過去 を落ち着いて振 り返 ることが可能 となった。すなわちメ カロ ッサは自身の幼年期の思い出を綴 った自伝的作品 『幼年時代』の制作 にし ば らく前か ら取 りくんでいたのだが,そ の主要部分 は,平 穏 な環境で よりも, 19)カ ロッサがゲーテの詩 「至福の憧れ」に強い関心を抱 き,高 い評価を与えていたことは, カロッサの作品 『狂 った世界』や 『現代 におけるゲーテの影響』 を参照。(Hans CarOssat samtliche werke.Bd.2.Frankttrt a.M.1962,S.705丘 ,Sわ56.)

(19)

カロッサの詩 「到達しえぬと思われた山頂 ・…」について 117 この危険 と困難 に満 ちた戦場 において,む しろ精力的に書 き進め られたのだつ た。危険な前線のただなかでこそ,カ ロッサに彼の幼年時代の記憶が次か ら次 へ と甦 って きたのであ り,そ こでこそ初めてカロッサは,彼 の幼年時の体験の さまざまな様相 をあ りの ままに見,そ れ らの意味 を正 しく捉えることがで きた のである。 また,険 しい高山を登 りきったカロッサは 「新たな天空」に達 し,そ こで休 らっていた 「喋」の 「ひろげ」 られた 「羽」を見ることによって,大 切な秘密 を開示 された。つまり,人 は,大 きな危難の状況のなかにあってこそ,か えっ て本来の自分自身に戻ることができ,真 実を見ることができること,絶 望的な 暗闇をくぐり抜ける体験 を経ず しては,光 の真の価値を知ることはできないと いうことである。だが,そ れは,カ ロッサが,た えず 「生と死がすぐに隣り合っ」 た状況にあった厳 しいルーマニア戦線においてつかんだ確信でもあった。小説 『ルーマエア日記』のテーマは,そ の扉に付 された有名なモットー 「蛇の日の 2 0 ) なかから光を奪え」のなかに瑞的に現れているということができる。すなわち, それは,人 は危険のなかに勇敢 に入 り込んでいかなければ真実を獲得すること はできないということだった。結局,カ ロッサが 『ルーマニア日記』で語ろう としたことと,こ の 「到達 しえぬと思われた山頂 …・」の詩で表現 しようとし たことは,同 じなのである。「蛇」 も急唆な 「山」 も,第 一義的には,戦 争 と そこでの恐るべ き危険や困難のことを指すのであ り,そ の克服 しがたく思える 相手,み ずからの前に立ちはだかる至難の状況に対 して勇気をもって立ち向かっ ていつたときに,人 間は初めて く光〉あるいは く真実〉の世界に近づ くことが できる,と いうのが両作品に共通する根本テーマだからである。 「到達 しえぬ と思われた山頂 …・」はわずか12行からなる短い詩であるが, それを熟読する読者の眼前にこのうえなく雄大な山岳パノラマ風景を繰 り広げ させる作品である。また,そ こには 『ルーマエア日記』の深遠なテーマが見事 に濃縮された形で表現されている。この詩は,そ の言葉が喚起する宏大なイメー ジとその言葉の奥に潜む意味内容の充溢によって,他 のカロッサの詩 と比べて 20)SWI,S.392.[邦 訳 :注 10)の 訳書の 2頁 。]

(20)

も遜色 の ない作 品 とい うこ とがで き, カ ロ ッサ の人生 にお けるひ とつの頂点 を 刻 印 した記念碑 的 な詩 と して, も っ と注 目され て しか るべ き作 品 なので あ る。

参照

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