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美と醜 : ヤクシニーの底辺

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(1)

ヤ ク シ ー

高 橋

1

ガ γ ダ l ラ彫刻に、写真 1 の如く仏母マハ l マ l ヤが木の枝をにぎって釈尊を産まれる構図が沢山ある。この枝を にぎっている姿は、恰もパ l ル フ ッ ト ・ 品 リ ン チ l ・ マ ト ウ l ラのヤクシ l 像︿写真 2 参照﹀を思わせる。それもその 筈、インド原住民からのヤクシ l 信仰・習慣の上に立って、これらの物語は作られたものと思われるからである。 ︽ 1 v 即ちヤクシヤ・ヤクシ l はインド最古の古典リグベータ以来、各書に出、特に叙事詩マハパ l ラタには非常に多く 円 2 v 叉数多き彫刻も彫られているから、 登場している。 如何に多くこの神への信仰があったかが想像されよう。 例えば ﹁釈迦族の人々は子供が産れると、 d

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にお参りに行く習慣があった。従って釈尊をつれて行く と、逆にヤクシヤは子供の前にひれ伏し、彼こそ﹃神の中の神﹄であると戸高に言った。以来彼は﹃

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︽ 3 v と呼ばれた。﹂と。 ︽ 4 V 木の下に立つマハマ l ヤが木の枝をもっ事例の外に、逆にガヤやパ l ルフットの彫刻には﹁木から手が出たり﹂叉 ﹁木から水の査をもった手﹂が出ているのがある ︵ 写 真

3

参 照 ﹀ これらは 岡 、 色 町

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(2)

奨 と 蹴 ハ 高 僑 ﹀ ﹁ 釈 尊 が 、

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三 曲 ロ 帥 川を渡った時、木から手がさしのべられて 、 釈尊 が水から上るのを 別 けた﹂という伝説の表現である。か く 古 代 よりの出樹信仰が仏教の 中 にとり入れられて行っ た こ と が わ か ろ う 。 2 1、誕生図〈筆者殺) そもそもヤクシヤ ・ ヤクシ!とは一体どんなものであ ろ う か 。 こ の 神 の 性 絡 を 示 す 、 ユニークな話がある。即 ( 36) ち ﹁ ︿ 曲 一 切 丘 町 の 川 術が死ぬ時 、 願をかけた 0 ・ 未 来 世 に は 人々を守りたいと 。 そして人々 U 0 5 0 ロ に生れ変り 、 に 言 っ た 。 ﹃私がヤクシヤになった時 、 その首に鈴をつ け よ 、 もし町を製うものがあれば 、 その鈴は彼等が逮捕 されるか 、 泊い払われる までなり止まないであろう﹄ と。そこで町はずれの護衡の家に像を配り 、 鈴を析に 舞踊や出 H 楽で こ れを供養 し たという。この話を ︿6 V

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はチベットの文献から引用している。 か け 、

(3)

カノレカッタ博 以上のことから 、 ヤクシヤ ・ ヤクシiは 古代インドの守門神 ・ 守護神であったこと がわかる。ヤタシヤ ・ ヤ ク シ l は 抽 出 文 で は 2、樹下ヤクシニーパールフット出土 夜叉である。木来は ﹁ 陥 い 、 間県の世界の 主であ り 、 又恐しい力を もったも の﹂であ った。古代人ならずとも 、 今テレビで H A る ような三原 山 の噴火の想像を絶する大地の カを感ずる。即ち全島民が脱出している如 く大地のカが人聞の運命を左右する。この ロ大な大地の底の力の一耐をヤクシ ・ ヤ ク シ ー と い っ た 。 ︵ 7 ︸ 然 し大地の力には もっとマ イルドな尚 もある。即ちカリ ーダーサ の詩にあるように 、 モンスーンが雨笠をもって来 る。動物も人間もいそいそとして雨をまっ。そして隔が降ると 、 木の芽が出、あとからあとから 、 にょきにょきと小 とりわけ大地から生れ来る樹や巨木には大地の 生命が宿ると いう考えか ら 、 動物がはい出して来る。 こ のさまをみて 、 古代の人々は大地に不可思議な力 、 活力の源があると感じたのであろ う 。 ﹁木の中から手の出る﹂といった素朴で 率直 な表現で大地の力を示したに外ならない 。 美 と 醜 ハ 高 橋 ﹀ 従って大地の生命力の表現としての木の下で釈汚が生れるのと、パールフット彫刻で次仰が樹下に立っているのと

(4)

美 と 醜 ︿ 高 橋 ﹀ は同一の考え方であると考える。即ちパlルフットのヤクシlに五つだけ銘文がついているのがある。

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ト3 ~ 命』 c.n の名前が判読出来る。共に樹との関連を示して いて面白い。即ち 1 と

3

は上方の枝をにぎり、 左手と左足を木の幹や根本にからませているポ ーズをとる。即ち 1 は ナ l ガ 樹 、 n 乗りもの H はマカラの尾をもっ馬である。 2 はマカラの上 に立つ樹ではなく後述の蓮の花の下に立ってい る。その名のスダルシャナという名は﹁ジャン プ樹﹂の名で人々に望みをかなえてくれるもの だから樹と無縁ではない。 ー と 3 とは右手で上方の枝をにぎり、左手と 左足を木の幹と根本にからませている。 ︵ 一 体 バールフット彫刻より ( 38 ) 3、被写

(5)

となっている所が注目される﹀叉 3 は花の咲くアショ l カ樹の下で象にのっている。 ︵ 写 真 4 参照﹀そして 4 は 乗 り ものはな いが校に手を か け て い る。然し 5 は梁りものにも釆っていないし木もない例外ともいえよう。然し図上に蓮 一挙の半円が彫られているから 、 後述の如く 、 樹と同 等の植物に よって 、 広義にこれと関連づけられると私は思う。 かく考えて来るとヤクシヤ ・ ヤクシ!とはそれがそこから生れ出ずる大地 、 そしてそこにひそむ侠命力と無関係で は な い こ と が 分 る 。

3

パールフットの彫刻に

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炎 と 醜 ︿ 高 価 制 ﹀ 豊満なヤタシー2体 ( 40) 5、マ ト ク ー ラ

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と多くの夜叉の名が 彫られているから、当時はいろいろの夜叉が人々に信仰されていたことが分る。従って、特に豊満な肉体をもって豊 穣 を シ γ ポライズしているハ写真

5

﹀。当時の主な生業たる農業の多収穫と家畜の多産を示しているのである。 然しこれが仏塔のまわりの柵の柱に彫られている事実は別な意味を示しているように考えられる。従って現代人は あのコケテ 4 ッシュな像を安置するなんて、特にあの姿態からは、仏塔にふさわしくないと思う人もあろうが、そこ がインドのインド的な考え。このヤクシーこそ大地の底から湧き出ずる大地の底のファ l タリティ︵豊穣性︶、或は バイタリティー︵その作用面は n 乗りもの u の所で詳述︶の表現なるが故に、すべての災いを除き去るという考え方 で 矛 盾 し て い な か っ た 。 ︿中には数は少ないが豊満な女性像ながら剣をにぎっているものもある程だから守門神とし 内 9 v このような強力な力をもっているにも拘らず、夜叉は余り高い地位を与えられなかった。即ち、インド在来の神は ての面は十分もっていた。︶ イ γ ドに侵

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してインド文化の主流となったインドア l リ ャ γ の中にとり入れられるには、必ず低位の神として抱摂 されるという例にならって、低い地位しか認められなかった。否、それが、 かえって地位の低い庶民にとって親しみ 易い存在となって信仰されて行った。 その低位を表現する H 美しいヤクシ l の足下にうずくまる怪奇な醜悪な n 乗りもの u をもってする。然しこれとて も前述の如くイ γ ド ア l リャンから二次的な神であるとされたものでもあろうが、別な面から、特に宗教心理的に考 え ら れ ね ば な ら な い 。 そもそもインドの考え方、例えばシバ神の如く破壊は破壊だけに止らず、破壊は必ず再生をともなう。これはゴ γ 美 と 醜 ︿ 高 橋 ﹀

(8)

美 と 醜 ハ 高 橋 ︶ ポハチベットの大黒天﹀にも言える。あの恐ろしい形相は悪魔を打ち払うのみでなく、悪魔退散ということは必ず幸 福を招来するというこ面性をもっている。従ってヤクシ!の H の り も の H は恐しく気持悪い生きものとして描がかれ ているが、この恐しい乗りものによって悪魔退散から幸福が招来されるというこ面性をもっているといえよう。

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然 し て バ l ルフット・サンチ l 、そしてマトク l ラから出土している豊満なヤクシ i 像はいろいろなものをふんま えている。私はこの.

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− − が ヤ ク シ l の本質を示しているものと考える。 勿も、この乗りものでも現在日本の諸寺にある四天王はどれも恐しい形相をした H 邪鬼 u をふんまえている。この 邪鬼とヤクシ!の︿側冒

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とは性格的にかなりの、 へだたりがある。これと混動すると本来のヤクシ l の 性 格 が ( 42 ) 分らなくなると私は考える。 現在の四天王の像は中央アジヤで西方の影響によって、 イランの甲胃を帯び、長い槍や万をもって、本来のヤクシ ーのもつ特徴の守門神的性格を強め、特に守護国家的な数々の経典の影響をうけて悪敵を退散せしめる像と化して行 った。これは中央アジヤの沙漠やチベット高原の気候は寒暖の差が多く、常に生死の境にさらされていたり、或は小 さなオワシス国家群が常に蒙古族等の外敵にさらされたり、 はた叉隊商の﹁蝋野剣難所﹂を行く危険から、 一 周 守 護 神的な性格が強くなったのは自然のことであろう。 然しインドの夜叉はこれよりもう一つの面が強調された。即ち大地の生命力から生れるグァイタリティ l 、これが 敵を退散せしめるとの信仰である。為に豊満な肉体を柵のまわりに彫った。これ叉大地の生命力の表現だからである。

(9)

即ち、大地の生命は木に宿る。樹が聖なるものだから、自然に仏塔とかチャイチイヤを樹で表わすような考え方に なる。仏塔自身も宇宙の底に連らなる、生命の木のシンボルとしての考え方があったから、大地の精イコール聖樹、 聖樹イコールヤクシ l そして又それがイコール仏塔という構図が出来て来る。だから仏塔を守る柵に美しい彫刻をほ るのは、この大地の生命力の表現として、当然魔除けの力をもっという考え方である。

5

然らば大地の生命力、これを一般に﹁地母神﹂という。この﹁地母神についてユニークな神話があり、 い か に 我 々 がこの大地との深いかかわりをもっているかが示されている。 即ち、インドの古典ラマヤ l ナに次のような話が書かれている。則ち太子の妃シ l ターはその名の如く﹁種まき穴 から生れた子﹂として穴から生れたといわれている。即ち古代人は種まきの時、大地に穴をあけて、ここに種をまい た。種は発芽成長して収穫をもたらす。この穴から生れた子、 シ l タ!とはまさに大地の子、大地の精といういみを なす、これは古代の生産儀礼の所産として、当時の生産形態が農耕文化であったことから推量される。この穴から生 れ た シ l タ l は 、 即ち大地の子であるシ l タ l は 、 生 長 し 、 ラ l マ 王 子 と 結 ぼ れ る が 、 セ イ ロ γ の悪玉に連れ去ら れる。これを猿の形をした神、 ハ マ ヌ l y の力をかりで奪い返す、然し長年の幽閉から、その貞操を王子に疑れた彼 女 は 、 ﹁もし貞節であれば、火の中でも焼けないであろう﹂と火中にとび込む。すると火の神アグユは彼女をだきか かえて出て来た。彼女は無傷であった為、喜んだ王子はイ γ ドに盛大な凱旋パレードをする。然し民衆の疑いは晴れ ない。遂にシ i タ!は大地の割れ目に身を投げた。穴は自然に閉じて、大地から生れたものは、叉大地に帰って行っ 美 と 醜 ハ 高 橋 ︶

(10)

美 と 蹴 ︿ 高 橋 ︶ たという長編詩である。大地から生れる聖なるものはこの大地の神、その表現の聖樹は共に﹁大地の生命力﹂の一表 現と考えられる。従って釈尊の生れられた時の木は

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、そして認可営側丘官”では﹀

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と、経典によって木の説類は違うが、大地から生ずる 聖樹の信仰に外ならない。然も釈尊も前述の誕生の時も叉悟りの時も浬繋の時も皆木と大ないなる関係をもっている といえよう。特に熱帯イ γ ドでは涼しい夜に人々は集る。従って聖なる行事、村の集会等、世俗併せてこの聖樹の下 が中心であった。以来、これらの樹を神聖なものとして、 その樹のまわりにの色々”や

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宮が建てられて来たの も、皆大地の生命力の表現として同じものとして考えられて来たからである。

6

( " ) 然して、このような聖なるものは﹁大地の生命力﹂の一表現とし、古来東西の国でn大地母神 u の信仰として歴史 上興味がもたれて来た。 然らばこの大地母神で表現されるn生産力、生命力 u というものは一体何を予想しなければならないのだろうか。 インドの大地は実に不思議な性格をもっていると思う。乾くとコチンコチ γ に困ってしまい、アスファルトのよう 乙 NEJ 、 工 え て ‘ 、 骨 盤 J

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3 ι 司 品 μ 一旦雨が降るとドロリととけて泥沼のように変ってしまう特徴がある。あの乾燥していた時には生命 のカケラも感ぜられないのに、水があれば生々として来る。これをよく目撃して来た私だけではなく、古代の人々も この大地の底に﹁水﹂があって、これが大地をして活力を発揮せしめる根本のものと考えたに違いない。 特にカラカラの大地に滞然とそ γ ス l y がやって来ると、そこからは一一勢に木や花の芽が萌え出すかと思うと、

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(11)

物 の 顔 を 見 て 来 た 私 に は 、 ピやトカゲはいざしらず、名も知れぬ気持ち悪い小さな生きものがぬるぬると顔を出す、その不思議な気味悪い小動 れ て な ら な い 。 ヤクシl遠の乗りものの、あの不格好な生きものはこんなものを象徴しているように思わ たらしめるものパアルナハ︿

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ロ 己 、 水 の 本 性 、 こう考えると大地を豊かな大地たらしめるその本源は﹁水﹂ということになる。物理的な水もさりながら、水を水 的な水の活性とも言い得ょう。 これを裏付けるものとして、パガバッタギlタlで は﹁はじめに世界は水であった。私︿神︶は水の中の 生命の本質で、あらゆる植物を育く国と。リグベ l ダーやヤジルベlダーには﹁空に先立ち、地球に先立 ち、神に先立ち、水が最初に保たれ、すべての杯芽が ︽

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その中に存在する﹂と、大地の底の﹁水﹂が根本にな って来る。これらを要約するように﹁あらゆる存在の 本質は大地であり、大地の本質は水であ討というこ と に な る 。 この水ありてこそ大地は生き生きとして稔り多きも のとなる。従ってあの豊満な肉体は水の作用の結果を 美 と 醜 ハ 高 橋 ︶ 神 蓮華の模様 S、パーJレフット

(12)

美 と 醜 ︿ 高 橋 ﹀ シンポライズしている。たしかに、 シリヤのテラコッタの如く、原始時代の人々は乳や腰、そして生殖器を強調して いる。それはそれで n 豊かさ u というものを表現しているであろう。然しヤクシ l の像では、私は別のものと考えた い。即ちヤクシ!の肉体以上に︿

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自民国乗りものが重要である。従って木と上にかかれた蓮華こそがその富穣の 作用そのものを示しているのであって、像は即ちその結果である。ここが注意されねばならぬ。あの美しい像の底に あ る H みにくい生きもの u 、これあればこそで、これなくてはあの美しい像はないのである。 このように考えてくるとヤクシヤ・ヤクシ!の﹁乗りもの﹂が最重要なもの。即ちこの大地の暗い然も力強い生命 力を表現したものとして重要な意味をもって来る。

7

( 46 ) ヤクシヤ・ヤクシ l の︿

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︵ 乗 り も の ﹀ 、 、 . , , , 1 , , E・ 、 保 儒 美しいヤクシ l にふんまえられているコピト、然も奇怪な、 一見薄気味悪い動物がうずくまっている。これは現代 の四天王像でみられるように槍で苦しみ、刃の恐怖にさいなまれるような苦しみは徴塵もない。否むしろ、 ふ ん ま え られていることを喜んでいるような姿もあり、或は喜々として神像を支えているようなものもある。然しこれら半人 聞は実にみにくい。これは一連の写真で理解されよう。前図

6

の如くパールフットの彫刻に怪奇な、実にみにくい容 貌をした保儒の口から遊撃の茎や花を出している像もあり、叉騎からもこれを出しているのがある。これはサ γ チ l やガヤからも出土している。これらはマハパ!ラタの﹁永遠な存在が宇宙の新たな創造に精神を集中すると、 ロ l タ

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美 と 醜 ︿ 高 橋 ﹀

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美 と 醜 ︵ 苅 橋 ︶

M ﹀ スが騎から現 れ る ﹂ と いうことであ る

従ってこれらの像情は大地の生命 のもと、すべての純物が 、 それから 出る活力の作用として 、 あのみにく い像の働きを示している。恰もみに くい根から美しい花をつける茎が生 ーの乗りものは大地の底の水 、 物質的な﹁水 ﹂ だけではなく 、 えているように。従ってこのヤタシ を水たらしめるエッセンス、これがプァルナである 。 これがすべ (ロ) ロ lタス ての活力の源であることを示しているといえよう。 その飲怖や後述の動物の口からするすると挫務茎がのびている 図 が あ る 。 ︵ 下 図

8

9

﹀このようのロlタスは水の生命力の作 用 面 で あ り 、 いろいろの芯味を含んでいる。いわば大地の新の表 現であるといえよう。 し 、 大地はその花である。 アグニプラ lナに ﹁ロiタスは水を表わ ロlタスの葉が水をおおうが如く 、 大 水 アマラパティ出土 8、9、マカラの口から遊撃が ( 48)

(15)

内 刊 日 ︸ 地は水の上をおおう﹂とある如く、 ロ ー タスの葉は地球のシンボルであり 、 その花びらは、これらの﹁生命の連続的 な発展創造を意味する﹂から共に生命の泉の﹁水﹂から生れ生育する。否組物だけではなく 、 万物の創造発展を意味 する。それを紫朴に表現したのが例のパ i ルフットやアラパティ﹀

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の 彫 刻 で あ る 。 ー υ て この動物は空組上の助物であって、突に不思議な形をしている 。 即ち頭部はサメ ・ クロコダイルの水生動 物だけで ・7 カ ラ 叩 、ャ タシニ| マ カ ラ の 来 り も の : : : パ ー ル フ ッ ト 尖 と 胤 ︿ 高 師 備 ﹀

(16)

美 と 醜 ハ 高 橋 ﹀ なく、陸上動物である猪や象のような姿をしているが、尾部はきまって魚の尾の形 をしている。このような乗りものの上にヤクシ l は立っているハ写真叩﹀。図上に は水から派生する蓮華の模様がある。 その外、各地の仏塔のまわりの欄楯の横木やトラlナの横木、そして入口のアl チの飾り梁等実に面白い絵がある。 マカラの口からロ l タスが出たり、叉人間や動 トラーナ……アマラパティー 物までも出ている。これも水による宇宙創造神話である。ハ上図日﹀ そ の 外 、 し、 柄 の ロ タ ザ ス γ の ド 花 ラ を グ も プ つ タ て 王 い の

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あ ン る に が 「、 マ こ カ れ ラ 叉 に 水 乗 の つ 創 た 造 女 神 神 話 が の 、 表 右 現 手 と に 言 長 え よ う 。

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有名なヒ γ ズ l教の神話をまつまでもなく、前述の猪︿勿論尾は魚﹀は︿

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− グィシュヌ神の第三の化身として宇宙の水を撹持して、 同 色 句 ” の は じ め 、 その中 、 . a q− − a E E から地球を創り出す目的で現われるものとされている。従って水との関係が理解さ れ よ う 。 約 象︵ナガ l ﹀ ヤタシl像の下に象がうずくまっている。 ハ写真ロ﹀インドでは象は雨雲を運ぶ もの、否雨雲そのものと信ぜられている。即ち仏教の有名なジャlタカで慈悲深い 王子が牟越に悩む隣国に、 ﹁雨を降らせる国宝である白象を貸し与えた為、都を追

(17)

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f!',.' : ·~ 12、乗ののりもの……パーノレフット

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刊'f"•'-' 美 と 敵 ︵ 高 級 ︶ 放されてメハサングの山中に移り住んだという布施太子 の話が店る如く 、 水と深い凶係をもっ動物として考えら れ て い た 。 又同じ﹁ナ l ガ﹂と発言されるものにコプラがある。 パールフット彫刻にあるアパララ竜王の物語の如く、 ナ ガーは池や 川 の新として考えられていた。叉ジャ l タ カ に ﹁ ナ ガ l 王は虫かな食糧と多誌の収磁を立のままに庭 ︷ げ ︾ する武置な宝石をもっている﹂とあり、又叙事詩、 マ ハ パ l ラ タ に は ﹁ ク ベ ラ は ︵ 毘沙門天﹀は愛用の宝珠を も っている。それは死すべき人には不死を 、 古者には目を 、 年よりには若さを 、 然 し て 、 その宝珠は難所にある澗 店の中にいる屯にガードされている H 斑 M の中に入れて ︿ 凶 ︾ ある﹂とある。こうしてみると屯も盛も符水と関係が深 いものばかりである。この賓の上にヤクシーが立ってい る。然もインド彫刻にえがかれた盛からは無数のロ l タ スの花や葉が出ている。︵写真 日 ﹀ ﹂れ叉﹁水﹂の生命力の表現に外ならない。然してリ

(18)

美 と 飽 ︵ 高 橋 ︶ ーグベーターに﹁ヴァルナは水を 守るもの 、 及び其理を守るもの 、

19グ 』-~ 7 Jレ と ナ あ は る 生 よ 命 う の 『こ ノレ 万 ノ レ 物 は t)lj グ 造 ア の ルナ︿水の本質﹀から現実の水← ヤクシ l の采りもの←樹木 ・ 蓮華 と 最後に完結したヤクシ l 像へと 創砧発展して行くのである。いわ ばこの世界はパルナ即ち水の本質 の一大表境であるとも言えよう。 結

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︶即ちこれまで ガンダ l ラ美術で一番美しいシクリの仏犠正耐のディ l パ ン カ l ラ︵燃灯仏﹀の物語も 、 村の娘 ∞

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写 巴 から七茎の迷の 化 を 間 以 い 、 これを 仏 に向って投げ上げると 、 の論を裏付けられ る と思われる 。 即 ち 釈 首 悼 の 前 身 玄 o m y 由 は野道で 、 その化は空中に止って落ちなかった。 叉 メ l ガは仏の通る道がぬかっていたのでゴザを敷いていたが 、 ゴザが足りなかったの で 、 自分の竪の毛を敷いて 13、ツポからl!ffl(riがー…・・ア マ ラ パ テ ィ ー ( 52 )

(19)

見 と 酬 明 ハ 高 僑 ﹀ 仏を通 し た。その功徳によって 、 次の世に釈尊として生 れ変り 、 併りに入ることが出来たという 。 この物

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で 什 は な す べ き は 、 仏 の 通 る 川 町 道 も 叉 少 女 か ら 口って仏に供えた迷惑も水と無関係ではないということ である。それに 回

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有 巴 は ﹁ 山 車 内 詰 ﹂ と 台、 ﹁ 自 然 ﹂ と い う怠味であり 、 叉 室 内 w m 川 仰 は ﹁ 営 再 ﹂ と う意味で、少女がれとか・泌で見出されたという物店等々 、 水によって人生が﹁豊富﹂になるということとの関連 を 示 し て い る 。 然も仏教で 日 以主要なテ!?ーを含む燃灯仏の物語 、 即 ち﹁仏の寿命の久遠長久﹂を示すこの物語は 、 仏教の最 九州の思想哲学を表現する。このことがこの﹁水 ﹂ と凶辿 する諸 例 で示されている所が興味をそそる 。大 地の氏に あ る H っきざる水 H の如く、仏の寿命は久遠長久である 等実にユニークな説話である。且つ又そこへ登場する人 物や人 間 ならざるものも水との関連上突に適役と思われ る。私は古 代 イソドでかくも索朴で 、 卒直な考え方が出

(20)

美 と 醜 ︵ 高 橋 ﹀ て来たことに大いなる驚きに打たれるものである。 か く て 大 地 の 生 命 力 、 ﹁ 水 ﹂ か ら 発 し た 種 々 な H 乗りもの u 、そしてそれから樹やロ l タスが出て来る。かくてそ れら働きの結合によって出て来た美しいヤクシ l は豊穣幸福の神として人々に信仰と夢を与えて来た。 ︻

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このヤクシヤ・ヤクシ!の総大将が四天主である。このうちなぜか見沙門天王のみ、長阿含世紀経四天王品で三つ の天王を統制する帝王となって行った。その王は、主たるべき九つの宝をもって人々に幸運を与えていた。その宝と 同 −

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︿ 豊 穣 ﹀ で 、 これらからも﹁水との関連によっ て豊かになること﹂を示しているようにも思えるのだがの

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宮司氏は.

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・ − で 持 ち も の は す べ て 水 と ︽ ” “ ︾ 関連があるとまでといっている。 ( 54 ) かく考えてくると、今まで大地こそ豊穣の源として考えられて来たが、この大地を大地たらしめるものが﹁水﹂に 外ならず、この水によってこそ大地は豊穣の母体となることが出来ることが分った。 これをもう少し略述すると、大地の底にはプアルナとしての水がある。 それの活力の作用面として.

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= ︿乗りもの︶が成立、その働きで豊穣な木や蓮華がするするとのびる。そしてその聞に立つ豊満な美しい女神像、こ れこそ水を中心とする大地の創造の成果である。即ち水の働きとその作用の結果に外ならない。 今までは豊満な肉感的な女神像なるが故に、その面だけが注目されすぎて来た。従ってこの女神像のかげに、この ように暗らい恐しい形相をした n 乗りもの u の存在が第二次視されて来たと私は考える。従って私はこの︿岱

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自 ロ こそこれらの文化の底辺︵基盤﹀を示す重要なものと考えているものである。

(21)

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仏塔と女神神信仰|四一九頁

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