日
蓮
聖
人
の
本
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︵ 前 品 目 刷 ﹀塩
田
さ 台 我遜
一 、
草
人
本
尊
の
意
図
聖人の本尊に就ては今や法仏の論静も漸く収り、 勧請式等に関ナる 実 際問題に突入した様である υ か L る要望に答 へ た の が 、 立大創立五 十 周年記念号 の山中 喜 八氏の ﹁ 日 蓮 聖 人 蔓茶 話解 説 ﹂ 、 並に昨年末の 望 月 、 鈴木 、 影 山 、J
ネ 諸氏の遺文中 心の研究︵崎 報 一O
二 、一
O
四 ︶ で 、 聖人本尊 K 関する研究は粗ぽ尽された憾である。 翻て古来の本尊論を見 れば観如 透師の本尊義 、 優陀那輝師の虞略弁等の本質論の外、曇に島智良師に依て編輯され 先、本尊論資料の 身 延 ︵ 三 二 一 ﹀ 諸 山︵ 七O
︶両編に百数篇の相伝があり 、 叉其の中には諸宗 、 三 秘 、 = 一七日伝、宗祖 本 仏 の 各 一 、 本絵、立像の各二の外は大半が本尊 憂茶 羅の相伝並に口伝で、 モの他に受持瀧頂に関ナる数篇を見る が、それに依れば自ら聖 人の本 尊が憂 茶 羅中心であったことに気附 く のである o 就中 憂 茶羅口偉中に胎蔵八葉九尊と 連関するこ篇は 、 往年双榎 学報所 載 の小林日 華師の﹁大憂 茶 薙私考﹂賓と共に聖人の本尊の研究に対ナる何等かの示唆 では在か らうか o 何とな れ ば 聖 人が本 尊 の 造像に就て市に﹃木絵 二 像﹄と仰せら る L と と は 、勿 論木絵の両様式を容 認 せられたものであるが、 若 し 木 像 と し て は 弘 長元年伊東感得の随 身 仏の外御在世中に於ては、 文 永 七 年 の 真 問 仏 、 建治二年の四条金吾 、弘安二 年の日限女、並 K 富 本 般の凶菩薩 造 立か見られる が、開 宗以来の忍難の御生涯に於ては、造像のととは容易の事でなかったに相違ない。何れにしても真問仏の文永七年は更に考へる余地があるようで あ る 。 若し絵像に在ては未だ御在世に於てはとれを聞かぬ故に、随って此の場合の木絵は紙木の意と解し 、 絵とは憂茶羅 を指ナものであらう心か h る聖人の憂 茶縫 は山中氏蒐集の , もの、現在百廿 三 幅中文 、 永 二 五 、建 治 二 て弘安七七で、 文、戒に於ても十年七月の佐渡始顕︵身延焼失︶以前に、文、水八年十月の立本寺の依智本尊を始めとして八幅を見るの で あ る の 随 っ て 聖 人の本 尊 はその殆んど 全 休が 憂茶羅本尊 で あ っ た の で あ る 。 されば寓代亀鏡録等忙憂 茶 羅本尊は折 伏時代在る故に、法論等の場合に取扱が簡 易 なり等の 説 は、後世に 至 っ て 造像本尊を 偏仰した結 果 で あ ら う 。 併し聖人自 ら は伊東の御難以来、常に自ら随身仏を奉持せ ら れたのにも拘はらや、経王御前等に授与せられた御守 も あ っ た が 、 常 に弟子摺那に本尊として 憂茶羅 を授 与 せられ、且つ新尼 御 前 御返 事に見る如く、 ﹃経文のごとく不信 の人にわたしまい ら せ 歩 ﹄ 等と、その 受授 が 厳格 に行はれた と と は 、 とれ憂茶羅を本尊とナることが 、 聖人の忍雌弘 通に直接に関係し も 凡 か らであらう。何となれば羅 茶憂 本尊が聖人一期弘通の綱格たる﹁立疋安国論 ﹂の 主 張に基くか ら である 0 ・勿論如何なる宗教にしても個人の安心立 命党る生命の依恰を無視したものはあり得ないが、就中聖人の宗 教は個人よりも← へ 衆 の安心立命を 主 眼 と し 、 且っその事実を立正安国の文字が 明 かに 一 不ナ処である。就中論の第七答 聞 に 夫 国は法に依て昌え、法は人に 因 っ て貴し。国亡び人減せば仏を −散 が 白 木 むべき、法を 誰が信や Jペきや。先づ国家を 祈りて須らく仏法を立つぺし。 と述べ、更に第九の主答には
汝早く信仰の寸心を改めて 、 速 かに実乗の一韮 口 に 帰 せ よ 。 然れ ば三界は皆 仏国なり。仏 国其 れ衰 ん や。乃 至 土に破 壊無 くん ば身は是れ安全にして心は是 禅 定 な ら ん 。 等主述べられし如く、 一論の主張は国土の成仏を目的とし、個 人 の 成仏は 全 く附随的に取 扱 はれた様で あ る 。 更にとれを広く五六部の中に見れば、関目紗の 大願を立てん日本国の位をゆづ ら ん ‘乃 至 我日本の柱とならむ、眼目とならむ、大船とならむ。 との叫びは 、上行の再誕 と し ての聖人の 大 闘であ っ た 。 若 し本尊紗には所期を﹃本時の浄 土 ﹄ と 述 べ 、 ﹃ 本 尊 為 休 ﹄ と憂茶 羅を示 し 、 最後に安国論の二難を挙 げ て 此時地 洞千界出現して 本門の釈尊の脇士とな っ て 一 閤 浮提芳 一 の 本 尊 此 の国に立 つ ベ し 。 と 述 べ て 居 る が 、 此の本 尊 とは在世 霊 山 八 口 問 脱益の貌を本 尊 と し て 、 之 れと同 一の浄土の末 法実現 を意 味す るもの で、且く在世の浄 土 に寄せて一閤浮提 第 一 の本尊と 述べた も の で 、 先の文に﹃ 彼脱此 棋 ﹄ の脱 の 意 で な く 、 全 く 末法 の種の脱広布を述べた文で 、今 の本尊は観心本噂末法脱益の意で 、 文は本尊 でも本 門の戒 壇 の成就を密 表 し た文 と解 ナべきである。更に撰時紗は最後に安国論に依る 三 度 の 高名 を述 べ終って 、 日蓮が法 華 経 を信じ始めしは、 日 本国に は 一 滴 一 微 麗 の ご とし。法華 経 を二人 三 人十人 百千 寓億人、唱 へ 伝うるな らば、妙覚の 須 禰 山 と も な り 、 大浬興の 大 海ともなる べ し 。 仏にな る 通 は 此よりほかに 叉 もとむ る事な か れ 。 等と個人の成仏は四海帰妙忙侠つべき 乙 と を 明 にしたのである 。若 し 最 後の報恩紗には 天 台 伝 教 の 弘 通せざる正 法 と して、初めて本 門 三大秘法を明かにし、 日本乃至漢土月氏一閤浮提に人ごとに 有智 川 県 智をきらは や 、 一 同に他 事を ナ て L 南無 妙法 蓮華経 と 唱ふ ベ し。乃 至
日蓮が惑悲膿大なら ば 、 南無妙法蓮華経は高年の外未来まで も 流るぺ し 。 等と四 、 海 帰妙に依る 、 本門戒壇成就の時を期 し 、 ﹃日本国は一同に南無妙法蓮華経なり﹄ と述べられて居 る 。 随 っ て 本尊紗の ﹃ 今 本 時 婆 婆 世 界 、 乃 至 所 ル 円 以 同 伝 ﹄ の四十五字の具体的相貌とは 、 正しく次の ﹃ 其 本 尊 為 ν休 乃 至 表 一 ︸ 逃 仏 連 土 一 也 ﹄ 等の八十九字の、 在世 霊 山脱益の相貌を 示 図 した る畏茶羅 に外ならぬのである o さればか L る在世脱益の 相貌を末法に於ける妙 法 流布に依る、四 海 帰妙即ち国 土 成併の 亀鑑 たる本門の本尊とし て 止揚したことは、乙れ全く立 正 宇 一国の主張に由来するもの で ある。きれば如説修行紗には具体的にとの意を述 ペ て 天下寓民諸乗一 仏 乗と成て、妙法独り 繁昌 せん時。寓民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば 、 吹 く 風 枝 を な ら さ 歩 、 雨壊を砕か や 、 代は義農の世となりて、 今生には不鮮の咲難を払ひ 長 生 の 術 を 得 、 人法共に不老不死の理顕は れ 時を各々御賢ぜよ。現世安穏の証文不 v可 ν有 ν疑 者 也 。 等 と 神 力 口 聞 に 減 後 の 如説修行は悶中 、 林中、樹下 、 僧切、阪野を隔て歩 、 悉く仏陀の三処道場即ち寂光土実現への懸 識なるととは 、 以上の諸文に依てとれを知るととが出来よう o 曾て綱要 導 師が安国論 、 本尊紗、修行紗は全く同致の意 な り と述べられたのも全くとれがため で あ る U 若し富士門流に戒壇本尊の義がある が 、 とれを戒壇勧 請 と解す る は訣 で 、 末法に 実 現さるべき浄土 、 即ち戒 壇 の相貌としての本 尊 の意でなく て は な ら ぬ 。
二 、
本
尊の
,惰 オー日 '"'、 を基本としたととはいふ迄もなく 、 況 や 法華経の行者を以て任じた聖人とすれば、法華経の宗教的理想の実現にあっ 上述の如く聖人本尊の本質は 、 今日人類の理想が恰かも文化国家、 世界平和を標傍ナる 如 く 、 国土成 仏 、 社会福祉も ん と と も い ふ 迄 も在 い 。 き ればか i h る 理 想 を実現ナる 目標た る 本尊は 、 果 し て 如何様の も のであったかと い ふ に む か L る 構想の最初とも考へられるが、立応元年五月の唱法華題目紗に於ける本尊並にその行 儀 で あった。同紗には法華 信者の本 尊並に 行儀として 矛?に本尊は法華経八巻一巻一品、 或は題 目を書 て本尊と 可 v 定 、 法師品並 に神 力品に見えたり。 叉たへたらん 人 は鰐迦如来多宝仏を書ても 、 造ても法華経の左右に可 ν奉 ν立 v 之 。 又 た へ たら ん は十 分 の 諸 仏 普賢菩薩等をもっ く りかきたてまつるベし。 行 儀 は本 尊 の 御前 忙 し て必坐立 行なる ぺ し 。 出 ご道場 日行住坐臥をえらぷ べ か ら 歩 。 常 の所行は題目を南無妙法蓮華 経と唱ベし。たへたらん人は一倍一伺をも可 v奉 ν 読。助縁には南無樺迦牟尼 仏 多宝 仏 、 十分諸 仏 一 切 の 諸菩薩二乗 天 人 竜 神八部等心
K
随 ベ し 。 愚者多き世 な れ ば 一 念 三 千観を先とせや J、其志あらん人は必ホ ノ習学して可 ν観 ν之 等と本尊に先 づ 法師 口 mに依て一部乃 至 一 品 、神力 品に依て題同を掲げ、次に釈迦多宝 、 又衣 に諸仏菩薩を列ね o 若し その行儀としては、先 づ 闇目、共に読 一前 、 後 に助 縁として名号 を 掲げ。天台の 一 念 三 千観は 末 法の愚者には特別の行 として 掲げられ て 居 る 口 今か t s る本尊行儀に見るに本尊は先 づ 法華経又は題目、行儀も亦題白である。さ らば先 の本尊の中能生 能詮 の法華 経と所生所詮の題目とは何れを取 るべきか と い へ ば 、 後年本尊 問 答鍛には法華経を以て 天 台の法華 三 昧 の 本尊 と し 、 未 代悪世の凡夫の本尊として﹃法華 経の題闘 を 以 て本尊とすべ し﹄と判 定せら れた のである。随って唱題紗の構想の第 一一は末法の本尊行儀は共に一往題目を取 ら れたので あ る D か︿て全 年七月立正安国論を 出 し て 、 三界仏国 実 現 の 必須 僚件としても、 ﹃ 実 乗 の 一 善 ﹄ と法華経 或 は題目を 掲 げ ら れたのである。然るに弘 長 三 年伊東御流罪 中 、 ﹃ 海 中 い ろくづ出現の 仏休﹄を以て、盛点 実成の 仏 陀 を な し 、 一 念 = 一 千 生 仏 一 体の義に寄せて﹃一念コ 一千の仏と申ナは法界の成 仏と云事にて候ぞ﹄と行儀には触れや一念三千に 依 る 法 界成仏を期したのは、 とれ自ら安国論の三界仏国の意に外在 らぬのである . 若し昭和定本は文永=一年に境紗庵目録等の如く 、 益 口 無 畏 紗 ︵ 逗 子 尼 書 J を系げて居るが、全書には大 日経義釈並に 観 智 儀軌の多宝仏 不二大 日 等 、覚禅紗︵聖人誕 生五年 、 お 一取 締 の 覚 禅 禦 ︶ の 法 華 秘 棋 ︵ 仏 全 、 四 六 ︶ 等 見ゆる如き説 を 見 る 外 、 ﹃ 此法門誘法の根本也﹄ 等 と 真 一言破を見る点 等 からは、文永九年以後に系けるべきであらう。若し女永七年 の無畏 三蔵 紗には 日本国の念仏大体留り了ぬ、乃至当世の高僧真言師等は・;・!手に印を結び口忙真言は請すれ
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も、其の心中忙は義 理を弁へる事 ・ な し 。 末代悪世の愚 人は念仏 等 の 難行易行等をば描て、 一向に法華経の題目を南無妙 法 蓮華経と唱へ 給 ふ ベ し 。 ム ﹂唱題紗と同様の行儀を述.へ:
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真 一ず 一 円 師 等 大日如来を御本尊と定め釈迦如 来 を下し、念仏者 等 が附嫡陀仏を一向に持て釈迦如来を描たるも、教 主 騨 尊の比丘比丘尼也。元組の誤を伝来るなるペし。此の釈迦如来は三の故ま しまして、他仏にかは らせ給ひて 、婆 婆 世界の一切衆生の有縁の仏と在り給ふ 大 賞世尊は我 等 が尊 主 也、先づ御本尊と定むべし。乃至必先づ釈尊を木画 の像に顕はして御本尊を定めさせ給ひて‘其後力おはしまさば禰陀 等 の位仏にも及ペし 等と先づ主師親三徳 に寄せて、唱 題紗の第二義の上 に釈尊本尊説を注し、更K
芳 三 一 義 忙も触れたのである。 かくの如く聖人は佐前に於ては、大休釈迦を本 尊 、 題目その行儀と祖ぽ定めたが、此に唱題紗の構想の最初の 法 師ロ m K 拠 る 法 華 経 本 尊 、 神力口聞に拠る題目本尊と後の釈尊本 尊説 とは自 ら 人 法 の別を生じ、随ヲて 往年 見たる 如 き聖人 の 本 尊に 人 法 論を生ナるは当然のことである。 とれは同じ 法 華 経 で は あ る が 、 既に本 尊紗に ﹃ 在世本 門末 法 之初一同 純同組彼脱此種也。彼一品二半此倒閣
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五字 也 ﹄ 等 と指摘 せ る如く 釈尊所 説 の 法 華と聖人付嘱の 法 華とは自ら別で たくしては在らね。 とれを明にしたのは佐渡還流 K 依る上行の開臥であり、 最初にとれを明示にしたのか佐渡才 一 書 党る文永八年十一月の富木入道殿 御返 事 で あ る 。 即ち同書に 仏減後二千二百余年に月氏漢 土日本一悶浮提の内 K 、天親竜樹返内鑑冷然外適時宜云々。天台伝教は組釈し給 へ ども、弘ニ残之ニ大事の秘 法 を 此 国 に 初 め 弘 レ 之 、 日蓮 宣 非 一 一 其 人 一 乎 。 経 云 有 四 導 師 一 名 上 行 云 々 と 述 べ ら れ も ん る 如 く、聖人 末法 弘通の 法 華経とは神力別付の結要因伺の一大秘 法 たる妙 法 五字であり 、 書 量 口 聞 に ﹃ 此 大良薬色香美昧皆悉具足﹄ ﹃ 日 疋 好 良 薬 今 留 在 此 ﹄ 等 と 説 けるものに外ならないのであ る。さ れば聖人はか L る神力別 付 の 要法 た る 法 華経を以て、末 法 の重病を治ナる仙薬と呼んで、専ら題目の修行を 説 かれ た所以 で あ る。きれ ば 翌 年 一 一 月 の 最 蓮 房 へ の 草 木成 仏 口 決 忙 は 、 か L A る 詩 且 互 の 良 薬 売 る 法 華経を以て 一 念三千妙 法五字 となし 当世の習ひそとないの学者ゆめにもしらざる 法門 也。天台妙導 楽伝 教内にはか Y み さ せ 給へどもひろめ給はや、 一色一香との L し り 惑 耳驚心と さ L やき給て、妙 法 蓮華と云ふべきを同頓止観とか へ さ せ 給 き . 等と述べられて、佐前忙専ら末 法 下粧の 要法 たりし 一 秘の妙 法 は、佐 後に至って色香味の 三 秘の開展を見、漸く熟 益 の色香としての本尊と行儀とを分別するに至り、 一 秘の妙 法 五字は色 香 の閣制本尊の 二法と なり 草木にも成り給へる。 需 畳 一口 聞 の 釈 尊 也 、 経 一 式 如 来 秘 密 神 通 之 力 云 々 。 法 界は釈迦如来の御身に非歩と云事なし , 乃 至一念三千 法 門をふりナ主ぎたてたる大畏茶羅なり。等と述べられたのである、 きれば同年九月四条金吾殿御返事には 日蓮が弘通する 法 門はせまきやう在れどもは友はだふかし、其故は彼の天台伝教等の所弘の 法 より一重立入先る故 也 、 本 門 書景 品 の 三 大事とは是也 。 等 と 誇 畳 一 の良薬の色香味を、恐 ら く 天 台 の 三 重七箇の中の 法 華 深 義 の 、 同 教三身 、寂光土 義 、蓮華因果の意に寄せて、 一 一 一 大 事と本門の 一 一 一 秘 を密 表 せられ、神力別付の妙 法 の上に色の 題 自の外に香の本尊たる大鐘 茶 羅の 二法 を見るに至 ったのであったが、味の戒壇は晩年を期されたのである。 かくの如く神力別付の一秘妙 法 五字の良薬が色 香 味の効能を起ナに就 て は、女 、水十年五月の義浄房御書に 蕎 景品の 法 門は日蓮が 身 に取てたのみあること ぞ かし。天台伝教 等 も組しらせ給 へ ども、言に出して宣ベ給はや J 、 竜樹天親 等 も亦如 v 日 疋 0 需 回 一吾川の自我備に云﹃一心 欲 見仏、不自惜 身 命﹄云々。日蓮が巳心の仏界を此の文に 依 て 顕ナ也。其故は 蕎 回 一 一 川の事の一念 三 千 の 三 大秘 法 を 成 就せる 事 此 経 文 な り 。 等 と 、 一 秘 の 妙 法 は不借 身 命の信の発動に 依 り即ち妙 法 を南無ナること、南無妙 法 蓮華経の七字ム﹂在ることに 依 て 要 法 の五字は 法 界を体相とする﹃草にも木にも成る 仏 ﹄た る 大 憂羅茶 と も た り 、 またこれに対ナる行儀の題目ともなり、 更に所期の仏 果 、 売 る 戒 壇 と も 在 っ たのであ る 。 か L る 不 惜 身 命 の 南 川 県 即 ち 信 こ そ 、 とれ正しく 本 門の妙戒たる本円戎 で、教行証 御 書 に は 矢 張 、 要 法 の 五 字 に寄せて本円戒が説かれて居る。されば撰時紗に大集 経 の 白 法 隠 設 の 後 に 、 法 華 経 の肝心売る南無妙 法 蓮華 経 の大白 法 の広布ナぺきととを 述 べ て 、 例 せ ば 神 力 口 聞 の 十 神 力 の 時 、 十方世界の一切衆生一人もなく、婆婆世界に向って大音声をはなちて、南無釈調牟尼 例南無釈迦牟尼悌、南無妙法蓮華経南無妙法薩華経と一向にさけびしが如し
と は 、 一秘の妙法は五字であるが、信楽に依て七字となれば題目と同時に 本尊 ともなる所以を示されたものである。
三 、
構
想
と
開
目
紗
以上忙依て唱題般の構想たる、末 法 の本尊と行儀は 一 牲共 に題目を以 て表現せら る こ とが知られる。由 来 神力別付 の 要法はと れ 法 華 経 の五玄結要の法であるが、 七字の闇目は不惜身命の南無を媒介として、 ﹃ 慧光照無 量 、 害 時 命 無 数 劫、久修業所得、乃至 毎自 作 是 念 ﹄ の本悌 と も 在 る 故 に 、 御義 口伝に題目 を 以て﹃無作 三 身 の宝号﹄と 説 け る 如 く 、 露目亙本併の称号忙外在らぬのである。 きれば妙法蔓茶羅供 養 に は 妙 法薩華 経の御本 尊 供養候。此 憂茶薙は文字 は五字七 字にて候へども 、 三 世諸仰の御師、乃至生死海の船也 、 成悌 得道の導師也 。 此大 量茶羅 は 柳誠後二千二百二十余年之内未だひろまらせ給は歩 、 重病 に は 仙薬をあ た う ぺ し とも、亦諸法実相紗には 法界のナがた妙法蓮華経五字にかはる 事な し、釈 迦多宝の二仰と云ふも 、 妙法五字より用の利益を施し給ふ時 、 事 相に二仰と顕はれて宝 塔 の 中にしてうな e つ き合ひ給ふ。乃至、 されば釈迦多宝と 一 式ふも用の例也 、 妙 法 蓮華 経 と そ 本併にては御座候 へ 。経云﹃如来秘密神通之力﹄是曲、乃至一間浮提芳 一 の御本尊を信じさせ給へ と も 説 き 。 更に新尼御前御返事には 此 の 御本尊は教主釈尊五百腫点劫より、心中忙をさめ給ぴ、 世に出現せ さ せ 給びても四 十余年 、其 後叉法華経の中 にも逃門はせナぎて、宝塔品より事を ζ りて寺 景品 に 説き顕 し 、 神 力 口 同 属累 に事極りて候しが、 J J ・ − 上 行 菩 薩等を 請出品K
召し出させ給ひて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五 字 をゆづらせ給。 て 、 あなかしとあなかしと、我減度 の 後 正 法 一 千年像法 一 千年に弘通ナ べ から十。末法の始に;::此五字の大憂茶羅を 身 に帯し、心に存せ ば 諸 王 は国を扶け寓民は難をのがれん 等と何れも 末 法付属 要法たる一秘の五字或 は 七 字 に 寄 せ て − 本門の本尊たる大憂 茶 雑と述べられたのである。 されば文永十年七月八日古来佐渡始 顕ハ身 延曾蔵、絹地長五尺八寸二分、巾二尺六寸一分、遠消日亨模写、御本尊 写真帳︶以 前 の 憂 茶 阿 維 は山中氏﹁御本尊目録 ﹂ に 依 れ ば 、 文永 八 年十月の京都立本寺の首閤二 明王を始 め 、文永九年 六月の京都妙法寺、京都本能寺、 小泉久遠寺 r崎 報 一
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二 の 一 、 一 八 、 一 九 ︶ 、 三 保本成寺、巣鴨本妙寺、京都頂妙 寺の六幅は首題二仏 二明王 の同一勧請式、次で第八の平賀本土寺︵無年令 ︶ 二例二明 王 外右に智積十羅剰、左 K 普賢 文殊、鬼子母神.更に讃文として妙楽輔行の ﹃ 当地身土の﹄の文を添 へ 給 へ る 。 通 称 一 念三千御本尊 口 崎報企上、六︶ 等は、恐らく上 述の所謂 妙法五字七 字 の大量 茶 羅に相当するものである。就中最後の憂 茶 羅はその通称より、文 、 来 九 年の草木成悌口決の﹃一念三千の法門をふりナ L ぎたてたる大憂 茶 羅 ﹄ が想見されるが、恐らく士 、 水十年の平賀の本 噂等K
相 当す るものでは在からうか 。 上述の如 く 一 一 一 秘 の二法たる本尊即ち 憂茶羅 と行儀の題目とは神力別付の一大秘法売る妙法五字を七字の固目として 表現 さ れたのであるが、若し教行証御書 K 依れば 此法華経の本門の肝心妙法蓮華経は、= 一 世の諸併の高行寓善の功徳を集めて為二五字−、此五字の内に宣不 ν 納 一 一 高 戒 功徳 一 乎 等と本門の妙戒も亦五字を以て表現するが、若し唱題紗の二法を明にしたのは開目紗であらう。関白紗は古来本尊紗 忙対して人開顕の御書と呼ばれて居るが、 乙れは正しく神力口聞に於て別付せられ売る、末法の法華経の行者の人格を明にしたからであるしかく本紗に末法の導師を明
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ナ る と 同 時 に 、 その付蝿せられたる末法所弘の二法をも、併せて 明忙せられたのである。 されば開目般には最初に先づ五重相対に約して、内外大小権実本迩に失で教観相対に就て 但此経に二箇の大事あり、倶舎宗成実宗律宗、法相宗三論宗等は名をもしらや J、華 厳宗と真言宗とのこ宗は倫に盗 で自宗の骨同とせり。 一念三千の法門は但法華経の本門寺田一吾川の女の底にしづめたり。間樹天親知てしかもいまだ ひろいいださ歩、但我が天台智者のみとれをい柁けり。 等と末 法 所弘の法体たる寺 景 品の是好良薬を以て、等量女底の一念三千の秘法となし、以で開教以来の如説の弘通を 述 べ 、 ﹃ い よ /\重科に沈む、 還 て此事を計りみれば、我 身 の 法 華経の行者にあらざるか﹄ の疑問に対し、勧持品二 十行の備に依てとれ 証 し 、 方 便 口 m の略開 三 顕 一 の文を以 て 一 念 三 千の典拠となし、 共 で ﹃ 欲 聞 百 六 足 道 ﹄ の文を出し 文の心は四昧三教四十余年の間 いま売きかざる法門をうけ給はらんと 請せ り 。 此文に ﹃ 欲 聞 具 足 道 ﹄ と 申 ナ は 、 ← 人 経 に 云 ﹃ 薩 者 名 一 一 具 足 義 一 ﹄ 等 云 々 。 相 川 ⋮ 依 無 得 四 論 玄 義 記 云 ﹃ 妙 者 訳 一式 二 ハ 、 胡 法 以 ν 六 為 一一 具 足 義 一 也 ﹄ 等 云 々 。 吉 蔵疏 一五﹃妙者翻為ニ具足一﹄等云々。天台玄義 八 云 ﹃ 薩 者党語 此翻 レ 妙 也 ﹄ 等 云 々、竜獄菩 薩大智度論千巻 の 肝 心 云 ﹃ 薩 者 六 也 ﹄ 等 一五々、妙法薩華経と申は漢語也 。月氏に は 薩達磨分陀 利伽蘇多 撹と申ナ。一番無畏三蔵の法華経の 肝 心 真 言 一 耳 切 削E
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一 決定成就︵静然竹林紗一五 H 大正七六、覚禅紗 H 悌 全四六、諸尊真吾一口伺義紗、小野仁海真言集等に見ゆ︶此真言は 南天竺の鉄塔の中の肝心の真言也︵行林の釈後に出ナ︶等と述べ。右の大経等の二経二論二釈 の六文に 寄せて 、妙法蓮華経を以て六度高行、 十 界 具 足 、 一 代 の 肝 心 一 、 一 念 = 一千の大綱骨髄・即ち南無妙 法 蓮華 経 の題目を以て、神力別付の如来秘密神通之力の法華 真言の意を釈成して行儀の 要法もんる本門の題目と在し 。 共に下巻に至 っ て 寺 u E 品の﹃然善男子我 実 成併以来﹄の文を引き、華 厳 、阿舎、浄名、大集 ・ 大 目、仁 王 、 無 量 義、方便等の女を引き、右寄量の文を以て 一 一 ず 一 口 に 大 虚妄な りとや ぶる文な り、此 過去 常顕はる時 諸 倒皆釈 尊の分身な り 。 乃至等賞品をしらざる諸去の者は畜 に同じ 不 知恩の者在り 等と説き、前 来 の諸紗 K 見へし本尊 憂茶羅 としての 五字 七 字 は 、 正しくこれ本門の本尊たる寺 量 日 間の釈尊なる意を明 か し 。 か L る 本 尊とモの行儀た る題目の 二法を以て、末法に悌国建立の行 法 たる所以の根祇を論 証 し 具 には立正安国論にかんがへたるが如し 。 証ナる所天もすで給へ 、諸 難にもあえ身命を朗とせん ︽ 乃 至 犬願を立 ん、日本国の位をゆづ ら ん 等と上行再誕として、 三 界悌国の浄土建 立 の 三大誓 願を立てられたのである 。
四、本
尊
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本
尊
の
帰 結 かくてか L る末法弘通の本門の本尊と、 八宗の 本尊 との相違を 明にしたのが 、関白砂に次 ぐ文永 九年の八宗違目紗 である。全紗には先 づ 文伺九の﹃側於 ニ 三 世 一等 有 二 三 身 一 、 於 ニ諸 教 中 一秘 v之不 v 伝﹄の女を引き 詩量 の本側は法報応三身具足ナるととを 明 か に し 、 且 っ か L る 三 身は元とれ = 一因 悌性に依 る となし、先づ 衆生 の悌性に就て 小 乗 不 レ 論 一 一 例性有無−。華厳方等般若大日経 等 、 衆生本有 一 一 正因併性 − 無 二 了 因 縁 図 、 法 華 経 自 本 有 二 三 国 側 性 二 女 等と述べ 、先 づ例陀の主師親三徳を以て法報臆の三身如来となし。八 宗 中 倶舎成実律の三 宗 は釈迦応身を 本尊 と し 、 何十 一 式 正 因 悌性 ︵法身性也︶通 二五本当二 縁了悌性種子本有非 v適 ν 今也 華 厳三 論法相の三 宗 も釈 尊 を本尊とするも常住の悌 身に 非 ら やと な し 、 真言 の六日法 身 には釈迦と同 体異体 の義あり となし、浄土 宗 は嫡 陀本尊 となす 等と八宗の本尊を掲げ 、就中華 厳 、 真言の 本尊に就て、蓮華 一 一一 味経、大日経義釈、 華厳経等を引き、二宗の本尊も或は法 身常 住は説くも 三 身 の常住は説かや、独り天台の 一 念 三 ヰ の み 衆 生 の 三 悶 桝 性、悌陀の三 身 を説く所以を明にし。女の観心本尊紗に於て 三 秘の二法に 寄 せ 、 受 持譲 与 に 依 る我等の成仰 を 明ナ棋 拠としたのである。 されば文永十年四月の観心本尊紗は、 送 状に﹃日蓮 賞 身大 事﹄とも﹃例滅後二千二百 ご 十余年未 ν有 一 一此 書之 心 − ﹄ と も 述べらる th 如く、別付の妙法の行法に就てその行儀と 本尊とを最も明にせられたのである。当紗は最 初に止観 の−念 三 千の出処に就て八問答に依てこれを 明 し、衣で九十の 二 問答に於の百県千如と一 念 コ 一千の 別 を判じ、木絵 二 像の 本 尊は全く一念 三 千に依るととを 述 べ。更に教主釈尊の 実 在を証ナ る は 、 全 く本門の 一 念 三 千にありとなし、華版、仁 王、金 剛般若の 三 経 、 起信、唯識の 二 論を掲げて、日 疋 等には未売 一 念 三 千を明さ や と説き ロ 更に華厳経の 一 一 一 無 叫 ん が − 別 、 並に大日経の審畳 一最深秘処等と説く華厳真言の二宗も、弘法の 二 教諭に指摘せる如く 、 全 く静 盗 醍醐の戯諭に外なら ホ J と な し 。 無 田 市 義 観 普 賢 の 文 忙 寄 せ て 、 一念三千本有の 三 囚忙依る有情成併、木 絵像 の開眼の根 撮を明 か に し 。 十 界 衆生の成 悌は全 く一念 ご 一 千の妙法に在りとなし、先 づ 無 回一民 義経の ﹃ 雄 ν未 ν得 v修 − 一 行 六 波 羅蜜 二 六波羅蜜自然在前 ﹄ の
女 を 引 き 、 法 華の一念信解受持の義となし。次で 既 に開制紗に 題 目を以 て 寓竹具足の真 一 言 な る 意 を釈 成 せ る、法華浬 繋 等 の二経二論二疏の六文に列ね、 闇 目 を以て六度高行 具 足の妙法とな し 私加 一 一 会通 一如 v時 間 二 本 文 六 雄 ν閥文心釈尊因行果徳 二 法、妙法蓮華経 五字具 足 。我等受 一 一 持此五字︸自然譲 一 一与 彼因果 功徳 等と 述 べ 、 園自の 行儀に依る受持譲与を明か に し 。更に法華の六文と妙楽弘決の﹃当知 身 土 ﹄ ︿ 本土寺憂 茶 雑の讃文︶ の す 人 を以て十界の 成 怖 を証 し 、 ﹃ 今 本 地 ﹄ 等の四十五 字に依 て 、 一 念 三 千十界常住の意を証したのである。 か く て 闇自の行儀に 依て 、 十界の 成 側 、 一 ニ 界 仏国将来ナ . へ き 本 尊 、 即ち 憂茶 雑を明か す に 当って 此本 門 肝心於 二南無妙法蓮華経五字二悌猶文 殊薬王等不 ν 付 二 属 之 − 。何 況 其巴下 乎 。 但 刀 n − 一地 涌千界 − 説 ニ 八 口 m − 付 ニ属 之 等 と先づ神力別付の行儀に寄せ七 字 の題同を明し、 更 に 弐 K 本門の本 尊たる憂茶羅 を明 ナ 前提となし。八 口 問 に 依る要 法付属の儀相を以て、直ちに本門の本尊たる八口 m 所 願の蔓茶羅 と 説 き 、 要法 K 寄せてその 憂茶 羅の相を述ぺて 其本尊為 ν体本向神宮婆上室塔居 ν 空 、 塔 中妙法蓮 華経左右 釈迦 牟 尼悌多 宝仰 、騨 尊 脇 士上 行 等 四菩 薩 、乃 至 如 v 是本 尊在世五十余年無 v 之 、 八年之間但限 ニ 八品 等と本 師の婆婆たる 憂 茶 羅を説かれたのである。これ 全く宝塔 品に 依る 、不 空 の観智 儀軌の 法誰 憂茶 の儀相 ︵ 崎報八 七 ﹁ 両密の法華憂 茶 雑に就て﹂参照 J に 依 っ たものである 。若 し 儀軌の芳三重の中胎 八 葉中の中胎に就ては 胎 上 置 ニ ギ 観 波 塔 一 於 一 一其 塔 中 一 回 二 釈迦牟尼如来多 宝如来 岡 山 陣 而 坐 一 ︿ 正 蔵 一 九 、 五 九 五 ︶ と述.へ、塔中の両尊を以て中胎の悌 身となナ も、更に 入道場 の下に 至 り、突如二尊の外に 決 定如来を出し
失当即諦−一無量決命決定如来真言一七週、 作 一 一 是 念 − 一 言 、 願 一 切 有 情 皆 獲 − 一 如 来 無 量 蕎 命 ・ 、 晃 一一 日 疋 願 一 巳 即 諦 ご 真 一 ず 一 口 一 日 Z 曲目印 σ ・ ω H U 釦江
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