長野大学紀要 第13巻第1号 32-36頁 1991
小説家辻邦生の原点
Le point de depart d'un ecrivain, Kunio Tsuji
は じめ に
これ までフランスの作家、アルベール ・カ ミュ
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の研究 を して きた。 そ して バ シュラールGa
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の文献な どを集 めて研究に着手 したい と思っていた。 このバ ンュ ラールは物理学者で もあれば、哲学者で もあ り、 そ して最後には シュー ル レア リズムs
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超現実主義の先駆者 とも言 うべ き詩人ロー トレア モンLa
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の研究者で もあった。 詩は詩人の想像の産物 である。別 な言葉で言 う なら、現矢の世界がその まま表現 された ものでは な く、詩人の心 の中で作 られた世界である。 この 詩人にバ シュラールは関心 を抱いて、 ロー トレア モンの研究 をした。現実 の事象 を客観的に研究す る物理学者であった人が、最後には詩人の魂の秘 密 をさ ぐろうとしたのは、なぜか ? 小説 を書 く 人が、人間の心の中 と実 際に生活 している現実、 言い換 えれば、抽象的世 界 と具象的世界は常に争 っていると考 えてい る、 として も言い過 ぎではあ るまい。 フランスの哲学者であ り、作家で もある サル トルが 日本 に来 たのは、今か ら3
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年近 く前で、 私が20才の頃だった。彼は、 日本での講演で 「私 の小説は飢えた子供 たちには役 にたたない」 と、 小説 を書かな くなった理 由を言ったが、文学 を志 さん としていた私には祷撃的であった。 その とき 思い出 したのは、余 りに有名な二葉亭四迷のこ と ば 「文学は男子一生 の仕事にあ らず」である。 そ れで も私 は、 とにか く文学 とはなにか を学び続け た。 現実社会 を忠実に描 き出す とは言え、小説 を書 くことは心の中の、つ ま り精神世界での人間の営 みである。 この行為 は抽象的世界に属す ることが佐々木涇
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らとして良いであろう。一方 「飢 えた子供 たち」 がいることは現実の社会 でのできご とその もので ある。当時、アフ リカのビアフラは飢鐘で深刻 な 事態であった。サル トルが言った理由は、現実の 現象に対応 しきれずに小説 を書かずに筆 を折 った、 つ まり負けた とい うことになる。 手元に北京の対外経済貿易大学が1987年11月に 発行 した 「日本語の学習 と研究」の数枚の写 しが ある。 これ らは 『遠い園生』 とい う小説の 日本語 原文 と中国語の対訳の形で掲載 されていいる。 こ の短い小説の作者は辻邦生で、私 の師で もあ り、 すでに作品は6
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冊の本 を出版 している。 しか し辻 邦生は一時期小説 を書 きた くて も書けなか った状 態にあった。 どのように して小説 を書け るように なったか、私 はこの恩師の歩んだ道 をた どること に した。 1 この辻邦生が小説 を本格的に書 き始め るように なったのは、1959年の秋で34才の時である。中国 語訳になっているこの 『遠い園生』は学生時代の 20才の時の作品で、現在発表 されているのでは最 も若い ときの ものである。彼は14年の問文学の研 究 をしていたが、小説 を書 くことができなかった のは先に記 した とお りである。辻邦生が生れたの は1925年 で あ るか ら、 この14年 間 は1945年 か ら 1959年 とい うこ とにな り、 日本が戦争に負けてか ら復興に至 る時期 と重なる。 日本 人が生活のため の条件 を整 えるために生 きた時代 である。 とりわけ敗戦直後においては、 それ までの天皇 制や軍国主義に もとづ く考 え方は否定 された。民 主主義的な考 え方 を取 り入れたに して も未熟で、 精神的には荒廃 した状態 として も良いはずである。 つ まり、多 くの 日本人は生 きてい くために必死で佐々木注 小 説家辻邦生の原点 あ り、文学 などは脇に置いていた。 この様 な状態 を目の前に して、若 き辻邦生は小説 を書 く意味が 見出せ なか ったのである。先のサル トル とまさし く同 じ状態である。 この状態 を、辻邦生は 『遠い園生』で描いてい る。 まず簡単 なあ らす じをここに記 してお きたい。 語 り手は
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才 くらいで、幼い頃 を思 い出 し、それ を語 る内容 となっている。雪の降 る夜、少年が父 親 と母親の 口論 を耳に し、翌 日母がいないことを 知 る。 その夜、遅 く帰 った父親 に誘われて、母の 顔 に似せ た雪だ るまをつ くった。数 日後に別れ を 告げに来た母 に会いはす るが、 それ以後、少年 は 母に会 わない。 それまで会いた くなった りもす る が、逆に憎み さえす る。語 り手で もある主人公は 次の ように告 白す る。 「恵みながら愛しつづける十年昔の母の面影は、 私の愛情の向うに、大理石の胸像の如 く立ってい る。 私は北の雪深い国の、薄暗い曇 りの日の午後、こ の天地にも似た自分の暗活きをよく思 う。ひたすら の愛に生 きられない私が、従って自分 をさえ愛し切 れないのは当然ではないだろうか。自分 自身の肯定 へ到ろうとする、今の自分の最後の努力が、何時断 たれるとも分 らない。雪の来る夜毎、遠い母の面影 に自分の運命を感 じながら、私は幼児の心の園生を 思い出そうとする。」(2) この 「園生」 とは、 自分が小 さい ときか ら大事 に していた心の中にある安住の地である。つ ま り、 両親の 口論、そ して離婚 など主人公 をとりま く厳 しくて悲 しい現実か ら逃 げ込む場所 であった。子 供 たちは、本来ならば父親 と母親がいて、その彼 らに 自分が子 として扱われて、は じめて 自分の位 置 を確かめ ることがで きる。子か らの愛情の対象 であるはずの母親、 また逆に自分 に愛情 を向ける べ きはずの母親の不在は、子供 自身の感 じ取 る存 在感 を不確実にす る。 さらに母親が、 自分 の父親 でな く、別 の男 を選んで しまうこ とは、父親 を否 定す ると同時に、子である自分 さえを共に生 きる 必要な しとしたことを意味 している。 夫 との愛情関係 を拒否 した母親は、結果的には 子 との愛情関係 を拒否 したことになる。そんな母 親 を子が憎 んで当然である。 そ して母親 を憎むだ けの存在になった自分 自身 を愛す ることはできな い し、肯定 した くない と主人公は考 えて しまう。 つ ま り彼は 自分の存在価値 を見出す ことはで きな い。 だか らといって、彼は 『園生』に逃 げ込むわ けにはいか ない。幼 い ときに雪だるまを父親 と一 緒に作 りは したが、その時点で愛情の対象 とすべ き母親は、雪だるま、あるいは主人公の言 う 「大 理石 の胸像」のように、彼の 日常生活の中で共に 生 きる存在 ではな くなって しまっている。彼は『園 生』 をその時か ら、心の中で持 ち続けるこ とはで きない状態にある。 「園生」とは、少年の安住の地である。両親が離 婚す るこ とな く、正常であれば現実の家庭 その も のが 「園生」であるはずだ。子供は、現実世界が どんなであろうと、 その 日その 日を心の思 うまま、 体 を動かす ままに生 きている。彼 らは大 人のよう に社会や他 人のことを理屈で理解 し、判断 し、発 言 した り、行動 して生 きているわけでない。む し ろ、彼 らは感覚的に生 きているとして良いだろ う。 例 えば、女の子が、人形に名前 を付けて、生 きて い る人間 を相手に しているかのように話 しかけ る。 彼女 に とっては、その人形は人間の ように生 きて い るものであ り、会話 をし、心 を許す対象 として もよい存在 である。人形は、彼女の 日常 の現実世 界に厳然 と実存 している。 このように子供 たちは 空想 と現実 を区別 してはいない。 この二つの世界 を、彼 らは容易に往来 しているのである。 2 ところで小説家たちは、現実世界で生 きている。 社会 の様々な現象、個人的な生活の面か ら始 まっ て戦争などの大事件 までをも、小説の中に彼 らは 取 り入れて書 く。 しか し、それ らは、小 説家が書 きたい とす る主題のために取捨選択 され、その う えで描かれ るのであって、 したがって、 それ らが、 小説家の思考作業 を経ていることは確実 である。 た とえ現実世界を作家が忠実に写 し取 るように描 いていて も、小説家が作 り上げた世 界に他 ならな い。 もし、普通の人は もちろん、作家が現実世界 を言葉によって忠実に描 き出そ うとして も、完全 無欠 とい うことは有 り得 ない。言葉 に よって描か れた小説の世界は、 自然に存在す るが ご とくあ り - 33-長野大学紀要 第13巻第 1号 1991 の ままの世界ではない。それはあ くまで も小説家 が描いた人工的な世界で、言い換 えれば、それは 作者である小説家の主観の世界である。 したがっ て、小説 を善 くとい うことはこの空想の世界 を作 り上げることに他 ならない。 先に も記 したが、辻邦生がこの短編 を書いたの は戦争中、あるいは敗戦後の混乱 した時期 である。 文学や小説などよ りも、人々は生活のための手段 を得 るために必死であ り、 まさしく現実世界ので きごとが、辻邦生の精神的 な世界を混乱 させてい る状態である。彼が幼い ときか ら小説家にな りた い、そうす るこ とで精神的に安定す るはずだった。 ところが、逆に空想の世界の産物である小説 を現 実世界に役立て ることは不可能だ と彼は認識 した。 この小説の少年は、両親の牡婚 とい う事実によ って、 自分の安住の場 を奪 われて しまった。 この ことは、破壊的で苛酷で現実的な事実が存在 して いるがために、 自分 を安 らかに し得 る精神的領域 が奪 われた状態 を指す。 ここに、敗戦後の混乱 し た社会状況に打 ちのめされなが らも、文学 をあ き らめずに、 しか し、呆然 とした姿の若者が重 なっ て くる。若 き辻邦生 である。「園生」を失 って しま った青年 を描いたこの小説は、作者 自身のその時 点での心の状態で もあるわけだ。 しか し、彼は小 説を書 く意味 を明確に見出 した うえで、 この短編 小説 を書いたのではない。 その後の創作活動の状 態 を見れば一 目瞭然である。つ ま り十年以上 も創 作活動 をしていないのだか ら。 それで も辻邦生は、 文学 を勉強 したい、小説 を書 きたい とす る志 を捨 てず、東京大学 でフランス文学 を学び、スタンダ ール を研究す る。 しか し、 この文学修業 も大 きな 実 を結ぶ ことにはならない。1957年渡仏 し、1961 年に帰国す るが、 この ヨー ロッパ、特にフランス 滞在 中に、小説 を書 く意味 を見出す。 フランスにおいて も文学の修業は続け られてい た。彼は様々な作家たちや作品 を研究す る。そ し て注 目しておいていいのは、彼 自身の考 えや思考 過程 を文章に して、毎 日のように ノー トに書 き続 けたことである。 この 日記は後にパ リの滞在記 と して出版 された。 ところで、辻邦生は1959年夏、 ギ リシャ旅行 をし、アテネにあるア クロポ リスの 丘の上のパルテノン神殿 を訪れ、 その 日の 日記に は次のようなこ とを書 く。 「その瞬間に、僕は自分が考え、自分によって、把 えることのできなかったある実体 を確実につかんで いたのがわかった。その窮極にあるものとはこの遠 く峻しい岩山の上に端然と立つ、アクロポリスの姿 であったのが、そしてそれが、与えられた自然の意 志に抗 し、人間の領域を切 りひらき、『人間』をして 『人間』 とせ しめた人間の意志を表 しているのが、 僕には痛いように分かったのだった
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」 (3) 私 は辻邦生に遅れて十年後に、 この地 を訪れた。 あま り大 きな木の生 えていない不毛 の地 ともいう べ き岩山に、壮麗な石造 りの神殿が建て られてい るが、すでに廃虚になっているとは言え、数千年 前に作 った人々の美に対す る考 え方が伝わって き た。彼 らの精神的な営みによって作 られた ものが 現代の私 たちの 目の前にある。 それはまた彼 らの 意志の表現で もある。時代 を越 え、国境 を越 えて、 訪れ るすべ ての人々に感銘 を与 えるのは、 まさし く古代 ギ リシア人の、優れた美意識に もとづ く意 志に他ならない。 まさに人間の精神 的な領域の部 分 にあるすぼ らしい ものが、パルテ ノン神殿によ って 「美」 として表現 されている。 ここにおいて辻邦生は精神の優位性 を、啓示 を 受けたかのように感 じとったのである。 これ以後、 彼は小説 を書け るようにな り、 フランス滞在 中に 数点の短編 を書 き、 日本 に戻 ってか らは次々 と作 品 を発表 しす る。 しか し、流行作家 とい うわけで はな く、熱心な読者が確実 にふえてい くとい う傾 向だった。 3 これ らの作品群 の中に 『小説へ の序章』 とい う 小説論の本があるが、 これは小説 を書 くための、 彼 自身の理論的 うらづ けの書であ る。その一部 を 次に紹介す る。 「私の前に真正な現実があるとしても、厳密にい って、その世界は私のヴィジョンなくして存在 しえ ない。世界はなるほどあるが、それをあらしめるの は r私Jである。私は F窓から外を眺めるようにj 眼ぎLを外界にはなっている。それゆえ私のみる世 界 (私のヴィジョン)は私な くしては存在しない。」 「客観形式-私なしで存在する世界の形式-佐々木 泣 小 説家辻邦生の原点 は、一つの非人称的な公約数的な世界を F有用』の ために案出した結果であるにすぎない。だから F私 なしで存在する世界』とは私の見ている世界ではな い
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」
もう一ヶ所、引用す る 「客観・真正な現実に対するものとして、われわれ が主観 ・迷妄の映像をもつとするかぎり、われわれ の主観性の偶然 ・限定的な性格は、われわれを苦悩 せ しめるのだが、転回が軸を移 して、主観性を原点 とすれば、主観こそがこの世界の創出者 として、独 自の世界内面を観照 しうるものとなる。」(4) 簡単に言い換えてみ よう。 普通、私 たちが生 きているこの地球上において、 いや、地球 に限 らず、全宇宙において、人間が生 きているのに関係な く、すべての物質 は変化 し、 あるいは進化 している。人間 も、 この世界の 自然 の法則に組み込 まれているとして良い。社会 も同 様に個人の意志に関係な く進んでい く。 これが辻 邦生の言 う 「客観 ・真正 な現実」世界であ り、あ るいは 「私 な しで存在す る世界」である。 それは 今私 たちが見ている世界ではない、 というよ りも 積極的に見ている世界ではない とした方が良い。 言い方 を換 えれば、ただぼんや りと眺めるのみで、 その場面になん らかの意味 を兄 い出そ うとしない でいる状態の人の 目に写 る世界である。 辻邦生は世界の中心に自分がいるとした。確か に私 たちは、現在 この世界に偶然生 きている。 し か し、通常 われわれは、家族か らは じまって使 っ ている道具 などの ものに至 るまで、周囲にあるも のの全てに 「自分に とって意味あ り」 としている。 「意味あ り」 とした時点か ら後に、 自分 の側か ら その ものに対す る関係性が生 じる。つ まり、辻邦 生の言 う 「主観性 を原点」とす ること、「世 界の創 出者」 となることである。 このことは物事 を主観的に見 ることを意味 して はいない。事件や問題 を客観的に捉えた うえで 自 分 との関係性 を考 え、 自分の世界に取 り込んでい くこ とである。他の人間 との関係に して も同様で ある。先に書 いた子供 たちは理性に もとづかずに 感覚的に直観的にこの関係 を築 き上げている。 こ うや って作 り上 げた世界 を、辻邦生は 「感覚的に 感 じられ る精神的領域」 とも言っているが、この 世界 を残 らず語 ろうとしてい くことで、辻邦生は 小説 を書いている。 辻邦生の最初 の長編小説に 『回廊 にて』 とい う のがある。 この作品は1920年代か ら1940年代の ヨ ー ロッパが舞台 となってお り、パ リで絵画 を学ぶ ロシア人女性の生涯 を追 ったもの となっている。 主人公マー シャの芸術に関す る苦悩が描かれてい るが、 その小説の一部にこんな表現があ る。 「く精神)の状況に言及せ ざるを得なかったのは、 芸術が、現代では、個々のジャンルに別れての閉鎖 的、内在的な課題をもつのではなく、共通の(苦悩〉 のさなかに引きだされていることを感 じたからで ある。
」 (5) この小説は、 日本人画家が、主人公マー シャの 死後、彼女の ことを語 る形式になっている。マー シャは絵 を描けな くなるが、その原因が どこにあ るか をその 日本人画家は探 り出す。 その後で語 ら れたのが、上 に引用 した部分 である。 この部分 は、 辻邦生 自身の小説 を書けなか ったことが、極めて 現代的な問題であ り、課題 としているこ との告 白 として良い。 冒頭 に記 したサル トルが F唱吐』で、 カ ミュは F異邦人』でその時代 の若者の不安感 を描 き出 し た。 オ ー ス ト リア の フ ラ ン ツ ・カ フ カFranz Kafkaは F変身』
『審判』など一連の作品で、現代 文明の中での人間の位置づけに とまどい を見せ て いる。 いずれ も第二次世界大戦直前の作 品である。 サル トルや カ ミュ、カフカが取 り上げた現代人の 問題は今 なお続 いていると断言できる。 それは18 世紀 イギ リスで起 きた産業革命以後の科 学技術の 進歩による物質主義が原因ではないか と考 えてい る。つ ま り、「感覚的に感 じられ る精神的領域」が 人間の生 きる支 え とならないが故に生 じる不安 で ある。物質によって精神 を説明す ることは不可能 であるがために生 じた存在感の喪失であ る。おそ らくこの点では大 きく議論が別れ るだろ う。今 こ こでは触れずにあ らためて論 じたい。 辻邦生 を研究す るにあたって知 り得 た こ と、そ れは人間が生 きるにあたって、いたず らに現実世 -35-長野大学紀要 第13巻第1号 1991 界に振 りまわ され るこ とな く、 われ われ 自身が現 実世 界 を意味づ け、 われ われの意志 をつ らぬ く中 で、生 き‥る意味 を確 か な もの として い くこ とであ る。辻邦生 は これ を原点 として小 説 を書 き続 けて い る。 (ささ き とお る 教授) (1991. 4.30受理) [旺] (1)この稿は1991年3月25日中国の保定市にあ る河 北大学外国語学部 日本語科での特別講義 として行 なった 「辻邦生の世界」に手 を加 えた ものである。 (2) F辻 邦生 作 品全 六 巻 - 1』河 出書房新 社、 1973.p.302 (3) Fパ リの手記Ⅳ 岬そ して啓示J河出書房新社、 1974.p.ll (4) F小説への序章j河出書房、1968.p.78-79 (5) T辻 邦生 作 品仝 六巻 - 1i河 出書房 新社、 19