退官記念論文
私の歩みと英語科教育実践研究 次重寛稽(言語系教育講座) 0. はじめに 私がこの世に生を受けてから、65年になるO 好余曲折を経ながら私が今日まで歩んできた足跡 を振り返り、_多少の自己分析を通して、英語科教 育実践研究の課題のいくつかに触れてみたい。 1. 創造の喜び 戦後間もない私が小学高学年生の時、友達が電 池で動く小型モーターを組み立て教室に持って来 たのを見て私の好奇心は大きく動いた。 自分も自 分の力で小型モーターを作って、動かしてみたい という押さえきれない衝動に駆られたのである。 そこで、モーターの作り方の本を入手し、それを 読んで何をどのように用いて作ればよいのか一生 懸イ釦こ情報を得て、製作に取りかかったoブリキ 板を裁縫の鉄で切り揃え、コイルを巻いて車軸を 整え電流を流した。 私の作った小型モーターが動 いたのである。 感動した。 この感動を発端に、小型変圧器の製作も行い 100Vの電圧を10Vまで下げることができた。 中 学生になって、電気に対する関心は一段と高まり、 ラジオ受信機組立を中心とした知識を通信教育で 得る一方、ラジオ屋さんに「弟子入り」して実物 に触れ扱うことができた。 自分の組み立てたラジ オから音楽放送が流れて来た時は、嬉しさのあま りそれを抱いて寝たほどである。 高校-の進学では、興味のあった鬼気の勉強を するため、親元を離れ一人での下宿生活をもいと わず、呉市の高校電気科を選んだ。 戦後間もない 当時(昭和26-29年)、軍港の街である呉市の通 りは進駐軍兵で満ち溢れていた。 ある時、進駐軍 憲兵が、私の下宿の2階の部屋に軍兵監視のため、 革靴を履いて土足のまま入り込んで来た。 これに は私も驚き憤慨した。 学校で習った英語を何とか 思い出し、一一Takeoffyourshoes,please!"とやっと の思いで訴えた。 「ごめんなさい」という意味の 英語を言って、憲兵は立ち去った。 私の英語でも、 米軍憲兵に通じたではないか。 この体験を契機に、 私の関心は電気から英語へと大きくシフトした。 中学生の時から英語が好きであったことも手伝 って、英語の授業のほか、英語日誌をつけたり、 アメリカのペンパルと文通したり、進駐軍兵に話 しかけたり、PEN放送を聞いたり、コンサイス 英和辞書を始めから終わりまで丹念に読み、知っ ている単語に朱を入れるなどしながら、英語を徐 々に自分のものにしていった。 当初は、就職するつもりであったが、もっと英 語を勉強したいという気持ちが強く、親を説得し て大学へ進学し英語の勉強をすることにした。 大 学での4年間の勉強の後、AStudyofThomas Hardy'sJudetheObscureと題する卒業論文を桝井 過失教授の指導もとで作成し、ThomasHardyの 文学作品に見られる運命論を扱った。 私の人生の大学卒業までを振り返って見ても、 人は創造の喜びを味わうと大きな変化や飛躍をす るものであるということが分かる。 小型モーター や変圧器の製作、ラジオの組立、外国人との会話、 卒業論文の作成は、いずれも、創造の喜びを実感 させてくれた。 創造の喜びは、私の人生の進路ま でも変える力を持っていたのである0 教育の場においても、教師は生徒に何とかして 創造の喜びを味わせたいものと思う。 教師は、生 徒に創造の喜びを味わう機会を与えるのであっ て、それを奪ってはならない。 反省したい点であ る。創造の喜びは、人を次の段階-持ち上げる力 を持っている。 模倣的活動に留まらせないで、そ こから創造的活動-シフトさせ、いかに創造の喜 びを生徒に与えるかが教科教育実践研究の課題の 一つである。 2. 教師の役割と課題 教師は、上述した創造の喜びを与え学習への動 機づけをすることのほかに、授業を行う上で種々 の役割とそれを果たすための課頴を持っているo 私が中学で初めて受けた英語の授業は、印象深 いものであった。 単語の意味を日本語を用いない で、英語とそれに相当する絵を組み合わせて教え る新鮮味のある授業であった。 英語の授業が楽しみであった。 段々と、英語が好きになっていった。 中学生向きの英文法の本を買い、英文法を自学自 習した。 これがまた英語の力を向上させるのに役 立ったように思う。 高校での英語リーダーの授業の先生は、何とか して生徒に英語の力をつけようとする情熱を感じ させた。 英語力のあるその先生は、額に汗しなが ら模範音読をして、教科書の丸暗記を私たち生徒 に強制したが、. 不思議に苦痛ではなかった。 それ どころか、心地よい達成感を味わうことができた。 上述した進駐軍憲兵との体験や米国のペンパルと の文通などと合わせて、更に英語が好きになった。 高校の英文法の授業は、退屈であった。 ルール や相互に意味的関係のない英文の羅列の感じが強 い授業であった。 英語の力をつける上で必須の英 文法を、正しく身につけさせ上手に教えることが 英語教師の日々直面する課題である. この自己分析を通して、_教師の役割と課題の っに、授業構成に工夫を凝らし、真如こ生徒の興 味関心を喚起できるよう努力することが挙げられ ることが分かる。 高校での「-般社会」の授業は、生徒による調 査発表型の授業であった。 私の疎題は、証券会社 では何をするのか実際に証券会社-行って会社の 人に会い聞き取り調査して、教室で発表すること であった。恥ずかしがり屋の私ではあったが、度 胸を据えて黒板を使いながらクラスに証券会社の ことを説明した。 すると、担当教師は、「とても よかった。 説明が上手にできたよ」と言ってみん なの前ではめてくれた。 私が、将来教師になろう と決めたのは、どうもこの辺にある。 羊のことから分かるように、教師の役割と課題 の一一つに、生徒の長所を見て取り、それを認めほ めてやることがあるように思う。 生徒の短所を見 つけては、けなしてばかりしていたのではいけま い。「おだてる」(ODATERU)は、「育てる」 (SODATERU)に通じるとある大先輩は言って いる。 高校3年の夏には、私の就職先はすでに内定し ていたが、大学へ進学して英語教師になりたい気 持ちが強くなり、そのことについて担任の先生に 相談に行った。 先生は、親元を離れて生活してい る私の将来を親身になって考えて下さった。 その 結果、願書締め切りの日、受付終了時間も迫って いた時間に、先生に書いていただいた出願書類を 呉から自分で広島の大学入試事務所まで持って行 き、どうにか受け取っていただいた。 このように して、先生の温かい励ましを得て、普通科でない ための勉強の不足分を独学で補いつつ、何とか大 学に入ることができた。 教師の役割の-つに、親身になって個々の生徒 の相談ごとに応じてやることがあるのではないで あろうか。 そのためには、教師はどのようにあら ねばならないのであろうか。 課題である。 大学では、学友と切瑳琢磨し、英語の勉強を深 めたJespersen,Curme,Poutsumaなどの文法書を 読んだ。 特に、JespersenとCurmeの文法には説 得力があり感銘を受けた。 また、Shakespeare, DickensやHardyの作品などを中心にSODの助け を借りて読んだSODを引く楽しさを経験した。 生徒を望ましい方-方向づけることと、生徒に 自分で進んで勉強に取り組むように仕向けること が教師の大切な役割と課題の一つである。 生徒か ら援助の手を徐々に引いて一人立ちさせること が、教師の心がけるべき仕事である。 これは、生 徒をよく見ていないと出来ない課題である。 大学の3,4年生め時、恩師飯野至誠先生に 『英語の教育』を教わった。 先生からは、英語の 授業のあり方のほかに、教育の本質「教育は人な り、人は誠なり」を学ぶことができた。 先生の学 生に対する態度には、厳しさの中にも優しさがあ った。.親の背中を見て子は育つと言うが、生徒に も教師の背中を見て育ってほしい。 真に困難なこ とではあるが、教師は生徒に見てもらう何かを持 ち合わせ模範を示すことことが必要であり、それ が教師の役割と課題の一つでもある0 3. 生徒は味方 1958(昭和33)年に、私は大学を卒業した。 大学院に進学して英語教育の勉強を積み重ねたか ったが、当時、まだ英語科教育を専攻とする大学 院は無かった。 親の説得もあって、昭和33年か ら10年間、中学・高校の英語教師を勤めた。 振 り返って見ると、この授業実践の経験が、後の大 学での教育碗究生活に大いに役立った。 授業実践 と教科教育研究は、切り離すことのできない関係 にあるからである。 この10年間で知り得たことの一つは、「生徒を 味方にせよ」ということであった。 生徒あっての 教師なのである。 中には味方にしたくない生徒も
居たが、じっと我慢していると、いつの間にか生 徒の方から味方になってくれた。 生徒に英語の力 をつけさせるために、英語授業の他にdictationや ことわざ・スピーチの暗唱など、かなりきつい作 業も要求したが、多くの生徒はそれに応えてくれ た。研究授業や参観授業などの時、生徒のお陰を いやと言うほど知らされた。 「生徒が動いてくれ なければ、授業は成立しない。 生徒が私の味方で あれば、動いてくれる筈だ。 生徒は私の味方だ」 ということを信条として持つようになった。 生徒 の応援があれば、少々の難関は突破できる。 この自己分析から言えることは、教師は生徒に 真正面から立ち向かうこと、そしてface-to-face communication,heart-to-heartcommunicationにより 生徒と心を通わせて味方同志になるよう努力する ことが教師の大切な役割と課題の一つである0 4. 英蕎教育学の樹立と発展 1968(昭和43)年、大学教官(英語科教育)と なったが、当時は、英語科教育は英米文学・英語 学の陰に隠れ肩身の狭い思いをさせられる状況に あったOそれは、「英語科教育は学問にあらず」 との考え方が支配的であったからである。 そのような折に、英語(料)教育を其の意味で 科学的かつ組織的に研究してそれを体系づけ、そ の研究を学的レベルに高めようという気運が全国 的に強くなった1970年代に入って,中国地区 英語教育学会(1970年11月14日設立総会)、日 本英語教育学会(1970年11月27日創立総会)、 中部地区英語教育学会(1971年7月4日設立総 会)、九州英語教育学会(1972年8月29日設立 総会)などの英語教育学会が次々に結成されてい った。 私は、早速、中部地区英語教育学会に所属 して活動した。 しかし、英語教育をより科学的にとらえようと する姿勢では共通していても、英語教育学とは何 かとなると、その内容や構造についても、その背 負うべき役割や課題についても、見解の異なる面 が多く、真に模索の段階にあった。 教員養成のための教科教育が、各教科の専門領 域と教育学、教育心理学等の教育諸科学と有機的 に関連した独自の学問分野として重要視され始め た状況にかんがみ、教員養成大学・学部教官研究 集会(英語科部会)が、1972(昭和47)年に宮 城教育大学で、1973(昭和48年)に岡山大学で、 1974(昭和49年)に静岡大学で、3年連続で開 催された。 その調査研究の成果がまとめられ単行 本『英語科教育の研究』(全399頁)の形で大修 館書店より1975(昭和50)年に発刊され、この 種の著作の原点となったo私もその-部分担執筆 させていただいた。 私は、静岡大学で開催された第3回研究集会全 体会の司会をつとめた0 提案者は、広島大学教授 垣田直巳先生「英語教育学の内容」と岡山大学教 授片山嘉雄先生「わが国における英語教育のあり 方」であった。 その時のことを、五島忠久(1975) は、次のように紹介している。 英語教育学の構造については、昨年(1974 年)静岡大学でおこなわれた教員養成大学・学 部教官研究集会の全体会で、司会の次重寛繕氏 が配布された「英語教育学の内容と課題」と題 する印刷物から拝借してみよう。 英語教育学の 概念についての次重氏の考え方も、一つの標準 的なものになると思うので、次にいっしょに掲 げることとする。 英語教育学の概念 英語教育学は、外国語としての英語の教授 ・学習の過程のメカニズムを明確にし、そこに 見られる法則や原理を発見記述して、これを体 系化し、独自の理論を構築する一方、その理論 や資料に基づき、またはそれを相補しながら、 歴史的・社会的な条件、教育学的・哲学的な条 件などを考慮に入れて、望ましい英語教育の具 備すべき諸原則を追求する科学である。 英語教育学の内部構造 ①英語教育の本質及び目的に関する分野 ②英語教育の内容に関する分野 ③英語教育の方法に関する分野 ⑥英語学習者に関する分野 ⑤英語学力及び評価に関する分野 ⑥英語教師に関する分野 ⑦英語教育政策に関する分野 この英語教育学の概念と内部構造は、次重 (1973)から一部抜粋し配付資料としたものであ る。 次重(1973)は、上記内部構造7つの分野の 取り組むべき課題例をいくつか挙げて説明してい る。その主要点をかいつまんで次に見る。 ①の分野について:[例]英語教育とは何なの か。英語の教育(Englishteaching)なのか、英
語による教育(Englisheducation)なのか、その 両者を含むものなのか。 また、外国語教育の一つ である英語教育は母国語教育と並んで言語教育を 構成するが、その場合、言語とは人間にとって何 なのかという本質的で根元的な問題の考察が必要 となる。 こうした英語教育の目的に関する考察は, 避けて通ることのできない重大な事柄である。 ②の分野について:[例]英語教育が人間形成 に貢献できるとすれば、その内容はどのようなも のであるべきか。 基本的で発展生成的教材は何な のか。どのような言語材料に、どのような文化的 内容を盛り込んで、どのような言語活動をさせる のか。このように、教えるべき内容の教材化,教 材構成のあり方が問題となる。 ③の分野について:[例]TheAudio-Lingual HabitTheoryに従って、文型を反復により自動 的無意識的な習慣として形成させ、音声言語を文 字言語に優先して練習させるのがよいのか0 それ とも、TheCognitiveCode-LearningTheoryに従っ て、観察・分析によって型を意識的に学習させ、 文字言語を最初から用い、文法規則をよく理解・ 認識させ、意味内容の把握に力点を置く方法を取 るのがよいのか。 両者の組み合せによるのがよい のか。また、視聴覚メディアと学習効果との関係、 学習形態の学習に及ぼす影響はどうなのであろう か。きめ細かい観察と分析が求められる。 ④の分野について:[例]英語学習における能 力差や適性の問題、動機づけの問題などをどう考 えればよいのか。 また、英語学習を開始する年令 の違いによって、その結果がどのような影響を受 けるのか、-などの問題がある。 ⑤の分野について:[例]英語学力とは何か。 そ の構造はどうなのか。 聞き、読み、話し、書くこ との4技能の相互関連はどうか。 音声、文法、語 桑、内容理解、作文、会話などの力の間に見られ る相関はどうか。 また,英語学力の測定・評価は どうあればよいか、など大きな問題がある。 ⑥の分野について:[例]英語教師の何が、学 習者の学習行為に、どのような影響を与えるのか。 望ましい英語教師の持つべき条件は何か。 英語教 師は,どの面で、どのようにして自己研修を計る べきか、など。 ⑦の分野について:[例]従来の日本の英語教 育はエリートを対象にしたものであったとする意 見がある。 英語教育の目的があいまいなままに、 能力のある生徒のみが相手にされ、比較的能力の 劣る生徒は置き去りにされる英語教育ではなかっ たか反省したい。 1クラスの生徒数が多過ぎ、個 々の生徒の成長に目をそそぐ余裕が教師にないな ど問題点が多いが、英語教育の目的が根本的に検 討され、それにみあう教育攻策がとられる必要が ないであろうか。 さらに、次重(1973)は、英語教育学とは何か については、以下のように説明している。 志向される英語教育学は、二つの大きな柱を持 っている。つまり「英語の教授・学習の過程のメ カニズムを明確にし,そこに見られる法則や原理 を発見記述して,これを体系化し,独自の理論を 構築する」教育科学的研究領域Aと、「歴史的・ 社会的な条件、教育学的・哲学的な条件などを考 慮に入れて、望ましい英語教育の具備すべき諸原 則を追求する」教育学的研究領域Bとの2領域 である。この両者は,ぞれぞれに,はっきり異っ た視点からの研究でありながら,また,両者は相 互に補い合って一つの全体を構成する関係にある と考えられる。 Aは、descriptiveな立場でSeinの追求を目指す 領域である_のに対し、Bは、prescriptiveな立場か らSollenの追求を目指す領域である。 しかし、 両者と・も、教授・学習という現実の教育現象を離 れて存在することはできない。 仮説の設定・実験 ・検証という科学的な手順を経て、ある一つの事 実が発見され、それが体系的に積み重ねられて、 英語教育学の理論が構成されるのである。 教育実験は、教育的配慮のもとで行われるので ある。ここに、AとBは相互に無関心ではおれ ない理由がある。 それどころか、両者は密接な かかわりを持っているのである。 同時に、AとB の研究領域を持つ英語教育学は、現実の英語教育 活動(教育実験,教育実践)と太いパイプで連結 されていなければならないのである。 このような 関係を、単純化し、さきに示した7つの分野のお おまかな位置づけとともに図示すると,次頁の図 のようになろうか。 Aは英語の教授・学習という現象の中で、特 に、学習の側面に焦点を合わせ、学習のされ方及 びその結果を最大の関心事とし、それを中心とし て教授内容や教授方法、学習者や教師、評価やそ の他関連する種々の問題を考察する。 従って、A は「英語の学習にかかわる研究領域」とすること
A:教育科学的研究領域
B:教育学的研究領域
図1. 英語教育学と英語教育
ができる。 それに対し、もう一つの柱であるBは英語の 教授・学習という現象のうち、特に、教授の側 面に焦点を合わせ、教授のあり方、とりわけJ 何のために教授するのかという教授目的を最大の 関心事として、その目的に応じた教授内容、教授 方法、評価、教師や学習者、教育政策などの諸問 題を考察する。 従って、Bは「英語の教授にか かわる研究領域」とすることができる。 英語教育学の研究は,実際の英語の教授・学習 という行為、それに含まれる諸現象を離れて行う ことはできない。 それには、実践を通し、英語教 育の科学的研究の組織だった積み重ねが必要であ るO同時に、英語そのものの言語学的・文化的研 究が必須であることは、どんなに強調してもし過 ぎることはない。 以上は、次重が27年も前に発表したものの要 約であるが、今日見ても、この考え方にそれほど 大きな修正を加える必要性は感じられない0 敢え て言うならば、当時、ある教師の名人芸を科学的 に分析しそれをみんなで共有することにより、一 つの成果を上げようとしたところがある。 それも 確かに大切なことではあるが、名人芸の良さを同 じようにどの教師も持つことは到底不可能なこと である。 教師一人一人には個性があり、持てる能 力も異なっている。 名人芸に近づくマニュアルの みを頼りにするのではなく、自分自身の直感を信 じ、自分の能力に適した教授方法を自分で探す努 力が必要である。 大切なことは、この枠組みの中 で英語科教育の実践と研究を積み重ね、英語教育 学の中身を更に充実させていき、そこにいくつか の(できるだけ多くの)選択肢が用意されること である。 5. これからの英語科教育 教師は、一般に、授業を行うに当たって、授業 目標・生徒・授業内容・授業方法・評価などを考 慮に入れて教材研究を行い、それに基づいて授業 実践を試み、その授業の反省_と評価を次の授業に 生かしていくのである。 教材研究は、仮説を立て ながらそれを行っているのである。 それを基にし た授業実践は、いわば、実験である。 そして、反 省と評価は、実験の検証に相当する。 検証の結果 を生かして、必要に応じて仮説の修正を行う。 こ の「仮説」-「実験」-「検証」が教科教育学実 践研究の一つの筋道である。 次重(1991)は、研究の進め方として次の10項 目を挙げている。 1)平素から英語の授業を行うに当たって、問題 意識を持って臨む。 2)問題意識を焦点化し、いくつかの主要な上位 ・下位の問題点に整理する。 3)間堰点に関する参考文献や資料を収集し、そ れらを比較検討することによって問題点につい ての知識を深める。 4)得た知識の中から、問題点を解決する方法を 見つける。 5)得た知識やこれまでの体験あるいはそこから 出てくる直感から、仮説を設定する。 6)仮説を検証するために、事前、事後の調査・ 実験を行う。 7)調査・実験の結果を分析し、それの解釈を行 う。 8)仮説が検証されたならば、可能なものはそれ を授業計画の中に取り入れる。 9)生徒の反応を見ながら、必要に応じ修正を加 えたり、新しい仮説を設定する。10)研究内容を「報告」「論文」などの形にまと め、発表する。 この10項目の中で、特に、1),3),. 5),7),8),9) の項目が大切である。 1999(平成11)年11月に兵庫教育大学で日本 教科教育学会第25回全国大会が開催された。 そ の学会で、私は「教科教育研究パラダイムの検討 (そのⅢ)」の提案者の一人として、1)教科教育 と人間形成、2)教育とコミュニケーション能力、 3)教科教育と学習-の動機づけ、の3つの観点 から提案した。 1)では、「教科教育学は人間形成 (陶冶)の科学である」(高久清吉、1968:256) の立場から、人間を人間たらしめているものの中 核は言語の教育であり、外国語教育(英語教育) に裏打ちされた国語科教育こそ真の言語教育であ ること、2)では、先ず国語によるコミュニケーシ ョン能力の一層の養成を図ること、3)では、「生 活と教科の統合」(中洌正秦、1992:ll)の観点か ら、生徒の生活と大いに関わりのあるものを教室 に持ち込み学習-の動機づけを図ること、を主張 した。 本稿では、特に、2)のコミュニケーション能力 養成の重要性を、再度、強調しておきたい0 生徒は、家庭、学校、社会で生活している。 学 校では、級友や先生と種々な意思伝達(個人間コ ミュニケーションinter-individualcommunication) をし、自問自答したり一人で考えたりする思考活 動(個人内コミュニケーションintra-individual communication)を行いながら学校生活を送ってい る。しかし、自分を取り巻く人達とのコミュニケ ーションや自分自身とのコミュニケーションがう まくできないで孤立感に襲われている生徒が今日 多いように思われる。 自分の意向を相手に伝える だけでなく、相手の意向も思いやりを持って汲み 取る情意的な交流コミュニケーションができなく てはならない0 また同時に、自分自身とのコミュ ニケーション能力、即ち、思考力・想像力・創造 力を高めることが大切である。 他人とのコミュニケーションの機能には、相手 に情報やメッセージを伝達することを主にするも の(transactionalfunction)と相手との社会的関係 を維持することを主にするもの(interactional function)があるO今日、message-orientedな前者 があまりにも強調され過ぎ、listener-orientedな後 者が軽視される傾向にある。 後者あっての前者で あることを忘れてはいけない。 相手の気持ちを考 えた情意的な面のコミュニケーション指導の必要 性が、教育の中でμ段と求められている。 国際化の進んだ今日においては、生徒のすぐそ ばに海外の世界が開けている。 国際語としての英 語の学習、英語による基礎的なコミュニケーショ ン能力の養成は、彼らにとって欠くことのできな いものとなっている。 これは、英語科教育が十分 考え取り組まなくてはならない課題である0 IT革命が叫ばれている今日こそ、eye-to-eye contactを通してのface-to-facecommunication, heart-to-heartcommunication、が一層求められるの である。 奄*J<0批 教員養成大学・学部教官研究集会(英語科部会) 編『英語科教育の研究』大修館書店、1975. 五島忠久「「英語教育学」のゆくえー理論と実践 の結晶を求めて」『現代英語教育』第12巻第3 号,研究社出版1975. pp. 7-9. 次重寛繕「英語教育の科学的研究と英語教育学」 『研究集録1号教科教育の諸問題』和歌山大 学教育学部教育研究所、1973. pp. 14-23. 次重寛繕「これからの英語教育一研究と実践」『中 部地区英語教育学会紀要21』、中部地区英軍教 育学会、1991. pp. 208-213. 次重寛繕「教科教育研究パラダイムの検討」『日 本教科教育学会全国大会論文集』日本教科教育 学会1999. pp. 30-31. 高久清吉『教授学教科教育学の構想』共同出 版、1968. 中洌正堯「教科教育学体系化-の筋道一国語「額 域論・題材論」を中心に」真野宮雄他編『教科 教育学の創造-の道標一研究方法論の検討-』、 東洋館出版社、1992.