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追悼 中川淳先生
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追悼 中川淳先生
中川淳先生との出会いと激励をいただいた思い出
加賀山 茂
私が中川淳先生に最初にお会いしたのは、1970年の安保改定を前にして、日本中の大学が
「学園紛争」の嵐に見舞われ、学生による大学封鎖とか無期限ストライキによって大学の授
業ができなくなったその後に、大学が徐々に正常化の道を歩み始めた頃のことです。
大学紛争が治まると、その反動として、ストライキ解除後の授業は、無茶な詰め込み授業
とならざるを得ず、多くの授業が非常勤講師の先生方の助けを借りなければならない事態に
陥りました。中川先生は、そのような状況の中で、私の母校である大阪大学法学部に家族法
ではなく、「英米法」という授業科目を担当するために、非常勤講師としておいで下さいま
した。
私は、法学部に入学して最初の 2 年間は、ドイツ語とその文化を中心に一般教養を学んで
いましたので、英米法の考え方も身に着けたいと、中川先生の講義を、最前列で受講いたし
ました。今となっては、先生の講義の詳しい内容を思い出すことはできないのですが、講義
の合間に語られる雑談が興味深く、なぜか、そのような雑談だけが記憶に残っております。
例えば、民法典論争に触れつつ、それ以後の大陸法系の鳩山学派と英米法系の末弘学派と
の対立に言及され、英米法における判例法の考え方の柔軟さを語られるとか、功成り名を遂
げて編集代表者になったとしても、編集ばかりしていると、論文の執筆がおろそかになって
しまう恐れがあるが、学者の本文は論文の執筆であることを忘れてはならないとか、今に
なって思うと、先生は、学生を下に見るのではなく、将来の学者の卵という、いわば対等の
立場で講義をされていたように思います。
その後、私も学者の仲間入りをし、一応、功成り名を遂げて、明治学院大学に在職しつつ、
末川民事法研究会に足を運び、若い学者に対して、報告の問題点を厳しく追及するようにな
りました。その当時、研究会に出席されていた中川先生は、私のそのような姿をご覧になっ
て、苦言を呈されるのではなく、「加賀山さんのように、若い研究者を厳しく育てる方が、
この研究会に存在することは大切なことです。」とフォローしてくださいました。
私自身は、余りに厳しいことをいうと、若い研究者がめげてしまうかもしれないと反省を
していたところだったので、中川先生のお言葉をいただいて、若い学者に対して、良いとこ
ろを褒めることを忘れてはならないけれども、おかしい点は、厳しく追及しても構わないの
だ、遠く離れた東京から末川民事法研究会に毎回足を運んで、厳しい議論を吹っかける意義
はあるのだと確信することができました。
今後とも、定年退職後の住所である大分の自宅から、資力と体力の続く限り、末川民事法
研究会に出席して、私よりも若い研究者を叱咤激励する憎まれ役を続けたいと思います。そ
れが、中川淳先生の学恩に答える唯一の方法であると思うからです。
(名古屋大学名誉教授・明治学院大学名誉教授)