<論文>価値創造の成就としての企業発展--ドイツ経営経済学における展開を軸に
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(2) 第61巻 第1号. Ⅰ.序. 現代の社会経済において,企業 が必要不可欠な存在となっていることは,ほぼ共通認 識となっているといってよい。ただ,ここでいかなる企業観に立脚するのかによって,そ の先に展開される議論は多岐に分かれる。どの企業観に立脚するのかという点は,その企 業観を選択する主体の思想や姿勢,それをとりまく諸状況によって規定される。したがっ て,どれかの企業観を唯一絶対のものとして正当化することは困難である。現実において さえ,経営者の企業観の相違によって,その実態に大きな差が生じることは直観的にも理 解されるところであろう。 これまで,山縣正幸[2007];同[2010];同[2011];同[2012];同[2013a];同[2014a] など,コジオール学派の諸学説の検討を通じて,企業を価値創造過程(Wertschpfungsproze) と価値交換関係(Austauschungsbeziehungen),そしてそれを結びつける価値動態化機能と しての企業統率 / ビジネス・リーダーシップ( Unternehmungsfhrung )の3つの側面か ら捉えることを試みてきた。 実際, 企業は他者の欲望満足 ( Bedrfnisbefriedigung )/ 欲 求充足(Bedarfentdeckung)を通じて成果獲得をめざす“価値創造”を主たる課題とする。 その際にはさまざまなステイクホルダー(Stakeholder / Anspruchsgruppen)とのあいだに “価値交換”が発生する。 そして, この2つの価値の運動を円滑に展開し,企業の存在を 維持するための機能としての“ビジネス・リーダーシップ”が必要となる。このような論 理展開は,特段に耳目を驚かすようなものではない。 この論理展開で企業について考えていく際には,単純に利潤極大化原理で説明しきるこ とは難しい。そこで,山縣正幸[2007]においては“企業発展(Unternehmungsentwicklung)” という概念を前面に押し出し,考察のための選択原理として措定した。この企業発展とい う概念は,少なくともドイツ語圏においてはしばしば用いられている。規模的な拡大を 意味することが多い“成長(Wachstum)”ではなく,質的な展開をベースとした成果の持 続的獲得を含意する“発展”が重視されている点は,注目されるべきであろう。 本稿においては, この企業発展という概念について考察する。 その際, ブライヒャー (Bleicher, K.) によって提示された概念規定に立脚し,そこからさらなる検討を加える。 より厳密には,ニックリッシュ( Nicklisch, H. )に倣って“派生的経営” ,あるいはバーナー ドのいう“協働体系”というべきかもしれない。 日本でも用いられてはいるものの,どちらかといえば経営史における時間的推移を記述するた めの概念として使われることが多い。. 124 ─ 124( ) ─ .
(3) 価値創造の成就としての企業発展(山縣). Ⅱ.企業維持・企業成長・企業発展 ―ドイツ経営経済学における展開― この世にあるすべての存在は,時間と空間に規定される。そして,つねに転変する。企 業もまた同じである。山縣正幸[2013b ]においても概観したように,企業は行為主体の 欲望満足のために生み出された人為的制度である。しかも,将来においてどのような事態 が生じるかを完全に予測するのは,主体の知識の不完全性 / 非完結性ゆえに不可能である。 ここにおいて,企業の“維持(Erhaltung)”“成長”“発展”という事象への関心が浮上す る。ことに,社会経済体制の混乱・激動を経験したドイツにおいては,この点への関心が より強い。. 1. ドイツ経営経済学におけるメイン・テーマとしての企業維持 / 経営維持 岡本人志[1985](第6章)によれば,ドイツ経営経済学の源流期たる19世紀の諸学説, たとえばリントヴルム(Lindwurm, A.)やエミングハウス(Emminghaus, K. B. A.),ハウ スホーファー(Haushofer, M.)などの学説に,物的資産のみならず人的資産としての従業 員との関係性を重視する発想がみられる。Emminghaus, K. B. A.[1868]の場合は,企 業者が労働者に接する際には,企業者自身の利害と道徳的な根拠から「誠実かつ心からの 人間的な配慮がなされる関係でなければならない」( S. 75)として,家父長的( Herr-imHause)な経営社会政策を通じて,企業ないし経営の維持を図ろうとした。これに対して,. Haushofer, M.[1 874](insbes. vgl. SS. 177180)はそのような配慮が“幻想(Illusion)” であると批判し,労働者と企業者の利害が対立することを前提としたうえで,共通の利害 を導き出す必要性を指摘する。この背景には,資本主義経済体制の進展とともに生じた企 業間の競争の激化や寡占化,労資関係の不安定性の増大などの要因をあげることができる。 そのようななかで,企業維持ないし経営維持(Unternehmungs- / Betriebserhaltung)の重 要性が意識されるにいたったのである。 19世紀後半から2 0世紀初頭にいたるドイツ企業にとって,これが喫緊の課題の一つで あったことは,たとえば野村正實[1980]によるルール炭坑における労資関係史研究や, 加来祥男[1986] (第5章)によるドイツ化学企業での労働関係の史的研究,さらに田中洋子 [2001]によるクルップ社(現在のティッセン・クルップ:Thyssen-Krupp)についての研究な か どによって明らかにされている。そこから窺い知られるのは,“家父長的な労資関係”. 家父長的な労資関係については,太田和宏[1996]参照。. 125( ) 125 ─ ─ .
(4) 第61巻 第1号. ら従業員代表としての経営協議会(Betriebsrat),労働組合,そして国家による調整的介入 などの“制度的労資関係”へと遷り変わっているという事態である。Ehrenberg, R.[1906] が企業を労働共同体と捉えたのも,かかる背景に立脚している。 さらに, 彼は労資に共 通する利害としての“事業利害(Geschftsinteresse)”から企業ないし経営それ自体の維持 や発展への欲求が生じるとする( Ehrenberg, R.[1907]S. 195; 面地 豊[1998]7374頁)。こ の考え方が,Dietrich, R.[1914]やニックリッシュ(Nicklisch, H.)の経営共同体維持論 へとつながっていくことになる。 一方,企業維持ないし経営維持論は第1次世界大戦での敗戦と, それにともなうハイ パー・インフレーションなどの経済的混乱を背景として,実体資本維持(Substanzerhaltung) 論としても展開されることになる。これはその名が示すとおり,景気や貨幣価値の変動の なかでいかにして企業の資産(実体資本)ないしその給付能力(Leistungsfhigkeit)を維 持するのかを中心的な課題に据える。ドイツにおける実体資本維持論(ならびに実践)の展 開については,森田哲彌[1979];菊谷正人[1991];中田 清[1 993]などに詳論がある。 ことに,菊谷正人[1991]はドイツにおける企業実体維持に関する諸学説を包括的に検討 している。そのなかでも採り上げられているように,企業維持といっても単なる現状維持 ではなく,社会経済状況の変動,もっと具体的にいえば技術の進歩や需要の変化に応じた 給付能力の維持が課題となる。 これは, 計算制度(会計学:Rechnungswesen )と密接なつ ながりをもつドイツ経営経済学における一つの伝統的なテーマとなっており,戦中期や第 二次世界大戦後も盛んに議論が重ねられてきた。菊谷正人[1 991]によりつつ,実体資本 維持論の代表的な研究者をあげれば,F. シュミット(Schmidt, F.),ハーゼナック(Hasenack, W.),エッカート(Eckart, H.),ハックス(Hax, K.),エントレス(Endres, W.),ラウファー (Lauffer, H.),シュナイダー(Schneider, D.)など,多くの論者を数えることができる。こ. とに,F. シュミットやハックスなどのように,物的な実体資産だけでなく人的資産の維持 にも関心を寄せる所説もある。 さらに,コジオール(Kosiol, E.)によって提示された収支にもとづく損益計算(pagatorische Erfolgsrechnung)に立脚し,名目資本維持をベースとしながら実体資本の維持を図ろうと. する Schmidt, R.-B.[1964]も見逃せない。シュミットは,収支的損益計算によって確定 された成果余剰をどのように留保・投資・分配するのか=成果使用(Erfolgsverwendung) エーレンベルクの研究は,まさにこのクルップにおける実践をベースとしている。この点につ いては,面地 豊[1998]第4章を参照されたい。 ワイマール期における労資協調運動や産業合理化運動においても,かかる共同体的な考え方に もとづく企業維持 / 経営維持論は継続的に展開された。. 126( ) 126 ─ ─ .
(5) 価値創造の成就としての企業発展(山縣). に焦点を当てている。それによって,いかにして企業の維持や発展を実現するという点が, 彼の問題意識の根底にある。 この考え方はシュミット自身の企業用具説へと展開され, コジオール学派における利害多元的な企業観の基盤となった。本稿のテーマである企業発 展論も,明示的であるかどうかは別としても,シュミットの企業用具説に負うところが大 きい。 このように,企業維持ないし経営維持の問題は,ドイツ経営経済学の生成期から今日に 至るまで継続して考察の対象となってきた。ここまでの概観からだけでもわかるように, “維持”といっても単なる現状維持を意味するものではないことは明らかである。むしろ, 景気変動や労資関係など,企業をとりまくさまざまな環境の変化に対応して,自らの存立 を確保するのかという点で,きわめて動的な性格をもっているといえる。この発想は,の ちに企業発展論へと受け継がれていくことになるのだが,その展開は直接的にではなく, 第二次世界大戦における敗戦とその後の急速な復興,そして高度経済成長とその終焉とい う事態を背景とした企業成長論をはさむことになる。. 2. ドイツにおける高度経済成長の終焉と企業成長論 第二次世界大戦での敗戦とナチス・ドイツの崩壊によって,ドイツはいわゆる西ドイツ (ドイツ連邦共和国)と東ドイツ(ドイツ民主共和国)に分断される。このうち,西ドイツは自. 由主義陣営の支援も受けて,1950年代に急速な復興と高度経済成長を実現する。この時期 における最大の課題は,生産性の向上や合理化の促進であった。これは,企業者 / 経営者 側だけでなく, 所得の増大をめざす労働者 / 労働組合側にとっても同様であった (シュト ルパー, G. ほか[1966=1969]307313頁参照)。社会的市場経済 (soziale Marktwirtschaft) と. いうドイツ特有の体制理念も,かかる多様な経済活動主体の利害の糾合に寄与した。それ ゆえにというべきか,19 50年代以降においては,Gutenberg, E.[1951]に代表される生 産性志向的経営経済学がドイツにおいて主流の地位を占めることになった。 しかし,1965~66年の不況をきっかけとして,高度経済成長から低成長へと状況が変移 した。このとき,ふたたび労働者 / 従業員の経営参加が問題として浮かび上がり,Schmidt, R.-B.[1969]の企業用具説などが注目されるようになった。その一方で,企業の成長をい かにして実現するのかという課題も浮上し,企業成長という概念が経営経済学における重 要なキーワードとなるにいたった。もちろん,Gutenberg, E.[1 942]という先駆的な考. この点については,高山清治[1986];山縣正幸[2011]を参照されたい。. 127( ) 127 ─ ─ .
(6) 第61巻 第1号. 察はあるが,グーテンベルクその人自身が言うように「企業成長の理論は,次の世代の経 営経済学者が取り上げる」(Gutenberg, E.[1957]S. 37)ことになる。本格的に取り上げら れるようになったのは,やはりドイツにおける高度経済成長の終焉と時期を同じくしてい る。ドイツにおける企業成長論の展開については,Brndle, R.[1 970];永田 誠[1973] (第7章) に詳論があるので,ここではそれらによりつつ概観したい。. 表1 成長モデルの体系化 モデルの種類 経 大量生産の法則 済 的 費用最小の経営規模 生 産 の定理. モデル. 目標関数. 組織局面の 考 慮. 能 力. 記述的・確認的 決定モデル 費用最小化. なし. 能 力. 記述的・結果的 決定モデル 費用最小化. 若干あり. 期間能力. 規範的・戦略的 説明モデル. ―. なし. 累積的な能力拡張効 果のモデル. 期間能力と 全体能力. 規範的・戦略的 説明モデル. ―. なし. 資本価値. 規範的・戦略的 決定モデル. 資本価値 極大化. 若干あり. 資本価値. 規範的・戦略的 決定モデル. 資本価値 極大化. 若干あり. マンのモデル. 能 力. 規範的・戦略的 決定モデル 利益極大化. なし. 加速度原理. 能 力. 規範的・戦略的 説明モデル. ―. なし. 売上高. 規範的・戦略的 決定モデル. 売上高 極大化. なし. 売上高. 規範的・戦略的 決定モデル. 売上高 極大化. かなりあり. 売上高. 記述的・戦略的 説明モデル. ―. 若干あり. 能 力. 記述的・結果的 決定モデル 利益極大化. アンゾフのモデル 販 売 経 済 パッカーのモデル 的 アルバッハのモデル. 全 体 モ デ ル. 実用性. 単純な能力拡張効果 のモデル. 財 務 経 ボウモルのモデル 済 的 フレーザーのモデル. 部 分 モ デ ル. 成長概念. 利益最適の企業規模 の定理. 若干あり. ペンローズの観念. 売上高と能力 記述的・結果的 決定モデル 利益極大化 かなりあり. マリスのモデル. 売上高と能力 記述的・戦略的 決定モデル. デッペのモデル. 給 付. 成長率 極大化. 記述的・結果的 決定モデル 利益極大化. 若干あり 若干あり. 【出所】Brndle, R.[1970]S. 99, 訳書92頁。. ここでは考察の対象を原則としてドイツにおける企業成長論に限定するが,Penrose, E. T. [1959]; Baumol, W. J.[1959]; Marris, R.[1964]; Williamson, O. E.[1964]; Williamson, O. E.[1970];青木昌彦[1978];同[1984=2001]など,英語圏や日本における研究蓄積を無視 しては議論できない。これらの諸学説(ただし,青木昌彦[1978]を除く)については,万中脩 一[1980]が詳細な検討を加えている。. 128 ─ 128( ) ─ .
(7) 価値創造の成就としての企業発展(山縣). Brndle, R.[1970]によれば, 企業成長論は大きくミクロ経済学的アプローチと組織 (理論)的アプローチの2つに分けられる。前者には大量生産の法則のような古典的なもの. から,Albach, H.[1965]や Penrose, E. T.[1 959],Marris, R.[1964]など1966年当 時の最新のモデルまでが検討の対象となっている。一方,組織的アプローチには“歴史 的・発生的アプローチ”“職務分析的アプローチ”“生物学・サイバネティクス的アプロー チ”がある。ミクロ経済学的アプローチがモデル分析を重視するのに対して,組織的アプ ローチは定性的な記述にもとづく分析に力点を置く。ここでブレントレのいう“ミクロ経 済学的アプローチ”はいわゆる新古典派的なそれだけをさすわけではない。むしろ,いわ ゆる“制度(institution)”に焦点を当てる諸学説が多く含まれている点に注意しておきた い。ブレントレは,企業成長論におけるモデルを表1のように分類・体系化している。 また,永田 誠[1973] (第7章)はドイツにおける企業成長論の展開を分類するにあたっ て,企業成長の捉え方,企業モデル,分析手法という3つの基準を提示する。この うち,は企業成長観ないし企業成長像であり,Mnstermann, H.[1968]によれば“偶 然的プロセス”“発展法則的プロセス”“計画的プロセス”に分類される。の企業モデル に関しては, “技術・経済変数のシステム”として捉えるのか, “適応的・合理的システム” として把握するのかという2つの区分が示される。そして,の分析手法については,限 界分析や確率論,シミュレーションなどがあげられている。経営経済学においては,適応 的・合理的システムとしての企業モデルに立脚して,シミュレーション・モデルを描き出 そうとする研究が多い(永田 誠[1973]154155頁)。 Brndle, R.[1970]以降も,企業成長に関する所説は数多く提示された。なかでも注目 されるのは,システム理論の経営経済学への導入・流行と軌を一にしたサイバネティクス 思考にもとづく企業成長論の展開である。 このうち, ツァーン( Zahn, E.[1971];ders. 971]において [1979]) は早くからサイバネティクスを導入した一人である。 Zahn, E.[1 は,情報のフィードバックという発想に立脚して,企業と環境というそれぞれの制御系の 関係性を明らかにし,それらが企業の目標体系にどのように反映されるのか,さらに意思 決定がなされるのかという観点からモデルの構築がめざされている。この構想は,サイバ ネティクスに立脚した企業成長論の出発点として,以降の研究に影響を与えている。なお, ツァーンは企業成長から企業発展へと概念を展開し,これを統御するための戦略的計画を いかにして構築するのかを明らかにしている(Vgl. Zahn, E.[1979])。 ペンローズやマリス,さらには遡ってマーシャル(Marshall, A.)以降の経済成長理論の展開 については,池田勝彦[1968]に詳しい。. 129( ) 129 ─ ─ .
(8) 第61巻 第1号. また,初期ザンクト・ガレン学派の一員であるイェーガーはサイバネティクスにもとづ く社会システム理論に立脚し,企業成長を“規模の増大”“構造の分化”“形態の変化”と いう3つの点から捉えている(Jger, H.[1974]S. 15)。そして,給付経済(製品やサービス の生産),財務経済(資金の運動),そして社会的側面(従業員)に関する目標や実態に関する. 情報をもとにしたトータルなモデルの構築を試みている。 ちなみに, この3つの側面は Ulrich, H.[1968]によって提示されたザンクト・ガレン学派の企業モデルに対応してい る。 さらに,固定費の研究で知られているキュルピック は企業成長を経営の給付創出能力 の変化(eine Vernderung des betrieblichen Leistungspotentials)と定義したうえで,その 測定基準として粗付加価値(Bruttowertschpfung)を採用する(Krpick, H.[1981]S. 28, S. 39 ff. )。その際,数量的に把捉可能なかたちで,企業における事業の多様性を踏まえた. 多期間にわたるシミュレーション・モデルを構築しようとする。その根底には,企業政策 における目標体系の形成をはじめとする意思決定への寄与をめざす姿勢がある。 これらの企業成長をめぐる諸学説は,当時の情報処理思考やサイバネティクスに立脚し て,企業成長を実現しうるような目標体系の形成や意思決定がいかなるものであるのかに 焦点を当てている。 Brndle, R.[1970]も指摘するように, 企業成長論はどちらかとい うと生産や販売, 投資などにもとづく企業計画( Unternehmungsplanung )をベースにも つ。したがって,意思決定のためのモデルを構築しようとする色彩が強い。ここには,当 然ながらトップ・マネジメントによる意思決定としての企業政策への貢献が念頭にある。 これらは,ほぼ同時に生まれてきた企業発展論においても,かなりの部分で継承・展開さ れることになった。それゆえ,これらの学説を Paul, H.[1985]のように企業発展論とし て位置づけるものもある。企業成長論それ自体は,今もなお有効な側面を数多くもつ。に もかかわらず,前段でも触れたように1970年代後半以降になって,次第に“企業発展”と いう概念に取って代わられるようになる。なぜか。項をあらためて考えてみよう。. 3. 企業成長から企業発展へ 1970年代半ば以降,企業成長という詞辞と並んで,企業発展という表現が増えてくる。 もとより, Penrose, E. T.[1 959=2009](p.1,訳書2122頁)が指摘するように,“成長” という表現には規模的拡大と同時に,“発展”とも称される質的な変化という側面が含ま. キュルピックの固定費理論については,深山 明[1987];同[2001]参照。. 130 ─ 130( ) ─ .
(9) 価値創造の成就としての企業発展(山縣). れている。それに,企業発展という表現それ自体は取り立てて目新しいものではない。前 項でも触れた Gutenberg, E.[1942]のタイトルは, 「企業の成長と発展の問題について」 である。この論文においては,それほど具体的な内容が論じられているわけではないが, 少なくとも企業発展は経営経済学における問題の一つとして意識されていた。 この“発展”とは何を意味するのか。 ドイツ語の Entwicklung という詞辞の原義は 「巻かれた糸玉をほどき広げていく」であり, 「対象(もしくは自分)が元々自身の中にもっ ているものを展開する」というニュアンスをもっている(寺門 伸[2000]105106頁)。した がって, Entwicklung とは「あるモノが繰り広げられていくその過程」という時間の動 態をあらわしている。Penrose, E. T.[1959=2009](p.1,訳書2122頁)が“発展のプロセ ス”を「相互に関連する一連の内部的変化が,成長主体の特徴の変化をともないながら規 模の増大をもたらすプロセス」と捉えているのも,この理解の延長線上にある。それゆ えに,この“発展”という詞辞は,企業史 / 経営史においてしばしば用いられている。た とえば,宇田 理[2011]は経営史の中心テーマの一つとして,「企業発展および企業の長 期的パフォーマンスを規定している要因は何か」(53頁)をあげている。 もちろん,企業成長と企業発展は対立する概念ではない。企業発展という概念には,企 業成長が含まれる。所説によっては,まったく相違がない場合もある。では,なぜ“企業 成長”に代わって,“企業発展”という詞辞が登場したのか。ことに,ドイツ経営経済学 においては,この詞辞が英語圏以上に用いられている。その手掛かりは,1970年代半ば以 降のドイツ経済ならびに企業の状況にある。 1970年代半ば以降,ドイツ経済の停滞傾向はますます色濃くなっていく。すでに,1966 ~67年の不況によって,それまでの高度経済成長は完全に終焉していた。そして2度の石 油危機などを原因とする1974~75年の不況によって, 1970年代に表面化した過剰能力の問 題が表面化した(佐々木 昇[1990]第1章;深山 明[2001]第3章;同[2010]参照)。 高度経 済成長が終焉しようとも,経済的成果を獲得できなければ,企業はその存在を維持しえな い。ここにおいて,過去に蓄積された資源や能力を活かしつつ,事業の再構築や再編成を おこなう必要も出てくる。そのようななかで,いかにして企業ないし企業グループとして 当然,Penrose, E. T.[1959=2009]は英語文献であるので,Entwicklung ではなく development である。development は包みを開くという意味合いをもっており,主体が内側にもっている何か が開かれて顕在化するというニュアンスを有している。したがって,Entwicklung とは若干の 違いはある。とはいえ,内部の質的変化とその顕在化という事態をさしている点では共通してい る。また, 日本語における「発展」は,「成長」と同様の量的拡大のニュアンスをもって捉えら れることがある。この点にも留意しなければならない。かといって,Entwicklung / development のもう一つの訳語である「開発」では,ここでの意味が通りにくくなる。「発(ひら)き」「展 (の)べる」という意味において, 「発展」を Entwicklung / development の訳語として用いる。. 131( ) 131 ─ ─ .
(10) 第61巻 第1号. のコンツェルン(Konzernunternehmung)としての“軸”を見定め,企業としての収益性 (Rentabilitt) を高めていくのか。ドイツ企業は,この問題を合理化 (Rationalisierung) や. 事業再構築(Restruktierung)によって克服しようとした。山崎敏夫[2013](第7~9章) は,1970~80年代にかけてのドイツ企業の対応策を“減量合理化”“生産システムの改革” “企業集中の展開と事業構造の再編”という3点から詳細に考察・解明している。 企業の過剰能力の克服は,当然ながら物的資産にとどまらない。人的資産としての従業 員に関しても,同様の問題が浮上する。ここで課題となったのが,経営休止(Betriebsstillegung) や事業売却( divestment )である。 これによって, 人員削減や操業短縮による労働時間縮 小がなされた。さらに,1980年代半ば以降,ドイツに限られたことではないが,企業の合 併や買収(Merger & Acquisition)がきわめてさかんにおこなわれた。ヨーロッパ統合やグ ローバル化が進展する1990年代以降は“選択と集中”をはじめとする事業再構築がなされ つづけている。今や,事業の買収や売却は珍しいことではない。そのような際には,企 業にとっての最重要ステイクホルダーの一つである従業員とのあいだにおいて利害コンフ リクトが生じる。歴史的な経緯からステイクホルダー,とりわけ労働者 / 従業員との関 係性が大きな課題としてありつづけているドイツ企業にとって,これは克服されなければ ならない点であった。同時に,ドイツ経営経済学にとってもまた,この点をどのように理 論的に説明するのか,また実践への導きをなすのかが問われたのである。かくして,規模 的拡大をイメージさせやすい“企業成長”ではなく,内部の質的変化に焦点を当て,企業 規模を縮小( Schrumpfung )させることも視野に入れた“企業発展”という概念が浮上し てきたのである(Vgl. Bleicher, K.[1979]S. 37 f.)。 いうまでもなく,企業規模の縮小や経営休止といった問題は,1970年代になって初めて 顕在化した問題ではない。 深山 明[2 010]が学史的に明らかにしているように, すでに 1930年代にはかなりの研究成果が提示されていた。ただ,1970年代におけるこれらの議論 は,企業集中をへて巨大化したコンツェルンを考察の前提としている。しかも,19 76年に は共同決定法が制定されるなど,労働者 / 従業員の経営参加がかなりの程度にまで確立さ 1974~75年の不況によって,超完全雇用状態とそれにともなう賃金上昇局面は終焉し,失業者 も1973年には約27万3,000人だったのが1974年には約5 8万7,000人,そして1 975年には約107万4,000 人と急激に増加した(古内博行[2007]第5章参照)。 この点についても,山崎敏夫[2 013](第3部)は1990年代以降のドイツ企業経営の実態につ いて詳細な考察をおこなっている。 これによって重大な影響をうけるステイクホルダーが従業員であることは,容易に想像されう るであろう。深山 明[1995]によって詳細に論じられた経営補償計画(betriebliche Sozialplne) は,まさにこの問題に対応するかたちで浮上してきた課題の一つである。最近,日本においても ドイツにおける事業再編成と労働関係をめぐる法学的考察が展開されている。たとえば,金久保 茂[2012];藤内和公[2013]をあげることができる。. 132 ─ 132( ) ─ .
(11) 価値創造の成就としての企業発展(山縣). れていた。加えて,自然環境保護の問題など,多種多様なステイクホルダーとの関係性を も考慮にいれなければならない状況に,企業は直面していた。このように,縮小や休止と いった事態をも視野に入れ,かつ多様なステイクホルダーとの関係性を考慮したうえで, 企業の持続的な成果獲得を実現するという難題をいかにして克服するのか。企業発展とい う概念が生まれてきた背景は,ここにある。. 4. 企業発展をめぐる4つの視座 では,企業発展という事態を解明するための理論構造や概念枠組は,どのようなもので あるのか。これもいくつかの考え方が提示されている。たとえば,以下において採り上げ るブライヒャーとその関連学説のほか,企業発展のライフサイクルのプロセス的記述に重 点を置く Pmpin, C. / Prange, J.[1 991]や Pmpin, C.[2005],企業成長論の蓄積に 立脚して企業発展の経済学的分析を試みる Elle, H.-D.[1 991]などがある。 これに関し て,Marek, D.[2010](S. 15 f.)は企業発展を考える際の4つの視座を提示している。 制度的視座 内容的視座 プロセスへの視座 動態への視座 このうち,制度的視座とは企業発展の対象に焦点を当てる。つまり,企業そのものの 類型や志向性枠組など,企業発展という課題のもとで企業という存在をどのように捉える かが中心的なテーマとなる。これは,議論の前提となる。の内容的視座は,企業発展の めざすところが何であるのかを問う。いうなれば,企業発展の方向性を示す目標ないし測 定基準をめぐる議論である。とは経営史と近い位置にある。は,企業発展の経過= プロセスを描き出そうとする視座である。一方,はどこまで企業発展を形成しうるのか を明らかにしようとする。つまり,企業とその環境との拮抗のなかで,意図された企業発 展と実現された企業発展とのあいだの相違や関係性を対象とする。 これらは,必ずしも企業発展論のみにみられるものではない。企業成長論において,す でに議論されてきた内容も含まれる。また,それぞれの学説がからのどれかのみに属 するというわけでもない。むしろ,これらの組み合わせによって,企業発展という事象が 描き出され,分析されるのである。それゆえ,企業発展を論じる学説においてやを欠. ただし,Marek, D.[2010]は,詳細な学説の整理や分類をおこなっているわけではない。. 133( ) 133 ─ ─ .
(12) 第61巻 第1号. くということはまずなく,そのうえでやへと議論が展開されるのが一般的である。企 業発展論において,しばしば引用・参照されるピュンピンやブライヒャーの場合はプロセ スを記述的に明らかにし,そのなかでいかなる要因が企業発展に影響をおよぼしたのかを 浮き彫りにしようとする。 それに対して, Elle, H.-D.[1991]などは同じくやに眼 を向けながら,経営経済学において承け継がれてきた原価理論の蓄積を踏まえた動学モデ ルの構築をめざしている。これは,Krpick, H.[1 981]が展開した企業成長論と軌を一 にする。 さらに近年では, Hohmann, D.[2 012]のように企業発展におけるM&A(特 に,買収)によって惹き起こされる変革プロセスと,それに対してコーポレート・ガバナ ンスがいかなる影響をおよぼすのかに焦点を当てる研究も提示されている。このように, 企業発展をめぐる研究は多様な事象をターゲットとしうるため,その内容も多岐にわたる。 ただ,企業の動的な変化のプロセスを対象とするという点では共通している。 では,このような点を踏まえて,企業発展という事象をどのように捉えることができる のか。次節では,ブライヒャーの所説( Bleicher, K.[1979]; ders.[2011])を軸としつつ, さらにそこから強く影響を受けている Paul, H.[1 985]や Marek, D.[2010]を参照し ながら考察を展開したい。 . Ⅲ.ブライヒャーによる企業発展の概念規定 ―関連諸学説を参照しつつ― 1. 議論の前提としての企業観 企業発展とは何か。この問いについて考えようとする際には,当然ながら「企業とはい かなる存在であるのか」を明確にしなければならない。よく知られているように,これは どのような観点に立脚するかによって,その答えが異なる。したがって,唯一絶対の概念 規定を追求することには,あまり意味がない。どの観点に立つのかを明確にすることが, さしあたって重要となる。. ブライヒャーやピュンピンなどは Greiner, L. E.[1972]から強い影響を受けて,企業発展プ ロセスの一般化を追求している。この点で,永田 誠[1973]のいう“発展法則的アプローチ”に 属するといえる。このような企業発展のプロセスの一般化は,たしかに一つのアプローチとして 有効であろう。にもかかわらず,企業発展プロセスの普遍モデルを描き出すのは,社会科学にお ける事象の一回性・個別性・特殊性を考えた場合,究極的には不可能であるといわざるを得ない。 しかも,グライナーも含めて,これらのプロセス記述モデルは,企業の立ち上げ・ベンチャー段 階から大企業への規模的拡大を念頭に置いている。中小企業として企業発展を実現しつづけると いう場合には,当然ながら異なったプロセス記述モデルが描き出されるであろう。それゆえ,す べてに共通するような記述モデルを構築することに重点を置くより,験証可能なモデルの描出を 重視すべきである。 Hohmann, D.[2 012]は,ドイツではなくスイスの事例が対象となっている。. 134 ─ 134( ) ─ .
(13) 価値創造の成就としての企業発展(山縣). 企業は,社会経済を構成する行為主体の一つである。そのなかで,企業は行為主体(個 人や集団) の欲望満足 / 欲求充足という役割を担っている。企業は,行為主体の欲望を満. たすことでその存続を維持しうる。このとき,企業に対して欲望の満足を期待し,自らが もつ資源や能力,条件などを提供(=広い意味での“投資”)する行為主体を“ステイクホル ダー”と呼ぶ。以上の点を踏まえて, 「価値交換を通じて他者(≒ステイクホルダー)の欲望 を満足させることで,迂回的にではあっても自らの欲望を満たそうとする一連の行為連関 ないし過程」を“価値創造”と捉えておこう(山縣正幸[2013b]536537頁)。このように考 えるならば,企業は価値創造メカニズム,あるいは価値交換と価値創造の連関的動態とし ての価値動態とみることができる。ステイクホルダーが企業に対して充足を期待する欲望 を満たすことで,企業はその存在を維持することが可能となる。 では,このような存在としての企業が“発展”するとは,どういうことであるのか。以 下においては,Bleicher, K.[1979]と Bleicher, K.[2011]をベースに考察する。前者 は,ブライヒャーが企業発展という概念を自らの理論構想の前面に押し出した最初の著書 であり,後者は彼の理論構想の集大成である「統合的マネジメント構想」の最新版(第8 991年に初版が上梓されているが,企業発 版) である。なお,統合的マネジメント構想は1 展の概念規定に関しては若干の語句の変化を除いて同一であるため,Bleicher, K.[2011] に依拠する。. 2. ポテンシャル変化としての企業発展 ―Bleicher, K.[1979]から Paul, H.[1985]へ― Bleicher, K.[1979]は, その著書のタイトルが示しているように,企業発展と組織デ ザイン(organisatorische Gestaltung)がテーマとなっている。これは,彼の教授資格論文 である Bleicher, K.[1966]のテーマである“職務構造の設計と企業の成長”を受け継ぐ ものである。そのために,企業の根幹である価値創造過程への言及や配意は,これらの研 究において濃厚ではない。Bleicher, K.[1979]は,企業発展を以下のように規定する。. 企業発展の概念は,システムとしての企業のポテンシャルと結びついている。そし て,企業発展は時間の経過におけるポテンシャルの要因変化(Grenvernderung) このように述べると,方法論的全体主義を想起する向きもあるかもしれない。しかし,ここで は社会経済を“行為主体”として捉えてはいない。いかなる社会経済体制が“望ましい”かは, ひとまず本稿での議論の範囲を超える。ただし,行為主体の“自由”を前提としていることは付 言しておきたい。 もちろん, そこで「 “自由”とは何か」という議論が浮上するわけであるが, これは別途に考察の機会を俟ちたい。. 135( ) 135 ─ ─ .
(14) 第61巻 第1号. にあらわれる(Bleicher, K.[1979]S. 37)。. に示した企業発展の概念規定が抽象的な表現にとどまっているのは,この時点での彼 の問題意識の重点が組織デザインに置かれていたためであろう。ここで注目したいのは, 企業発展の概念とポテンシャルの“要因変化”との関連を重視している点である。前節に おいても触れたが,Bleicher, K.[1979](S. 37)は企業成長と企業発展の相違について, 「企業規模(Unternehmungsgre )に重点を置くか,ポテンシャルの要因変化に焦点を当 てるか」と「縮小や休止を考慮するかどうか」という2つに分岐点をみている。後者につ いてはすでに言及したので,ここでは前者について考えよう。 企業成長を論じる際には,資源そのものや活動の帰結としてあらわれる現象態を量 / 値 の変化という観点から捉えることが多い。たとえば,前節で述べた Krpick, H.[1 981] は粗付加価値を企業成長の測定基準として設定したうえで,それを実現するための目標体 系構築としての企業政策的意思決定や,そのためのシミュレーション・モデルの構築とい う展開を打ち出している。また,永田 誠[1973]において採り上げられた Albach, H.[1965] や Brockhoff, K.[1966],Kieser, A.[1970]も,環境状況に適応しようとする合理的シ ステムとして企業を捉え,そのうえでいかなる計画モデルやシミュレーション・モデルを 構築するのかに重点を置いている。それに対して,企業発展をめぐる議論においては,そ れを具現化する資源や能力のはたらき( Leistung )とその可能性としてのポテンシャルの 変化に焦点を当てる傾向がある(Vgl. Bleicher, K.[1979]S. 36 f.)。このようなことから, Bleicher, K.[1 979]はのように企業発展を概念規定したわけである。 かかる規定にもとづいて, Paul, H.[1985]( Kap.5)は“企業発展のトータルな記述モ デル( Explikatives Totalmodell der Unternehmungsentwicklung )”を提唱している。概略 のみ簡潔に提示しておこう。まず,企業と相互依存関係にある環境が独立変数として捉え られる。その際,情報をめぐる不確実性や資源への依存性といった要因が考慮され,その なかで採りうる戦略的行為に関する可能空間が描き出される。この可能空間において,意 思的介入変数としての戦略についての意思決定がなされる。ここでは,問題の発見やその 解決,ことに発展の障害となるような要因を明確化し,それを克服することが重要となる。 その結果として,ポテンシャルの変化が生じることになる。Paul, H.[1985] (S. 166)は, この変化を従属変数としている。つまり,独立変数としての環境や,それにもとづいてな もちろん,企業成長論がポテンシャルを重視しないということではない。 実際, Krpick, H. [1981]も給付創出ポテンシャル( Leistungspotentiale )を重視している。ちなみに,ブライ ヒャーのもとで指導を受けた Paul, H.[1 985]は Krpick, H.[1981]をかなり参照している。. 136 ─ 136( ) ─ .
(15) 価値創造の成就としての企業発展(山縣). される戦略の決定の結果として,どのような企業発展の方向性や道筋が具現化されるのか が,この段階において明らかにされる。 Paul, H.[1985](S. 182 ff.)は,以上のような展開で記述された企業発展の具現的方向 性を評価する基準として“能率(Effizienz)”の概念 を導入する。そして,能率を実質的 局面と時間的局面の2つから捉えている。前者は,目標達成度合に関連しており,企業 とその環境との関係や,企業内部での転態過程,さらに企業の諸目標それ自体の形成・ 構築が考慮の対象となる。一方,後者はどのタイムスパンで評価するかが問題となる。 この2つの局面からの評価は,最終的に競合企業に対する優位性の度合によってあらわ れる。より具体的には, 財務的成果によって測定される。この財務的成果のうちの余剰 (berschu)をどのように分配・投資するのかが, さらなる企業発展への可能性を拓くこ. とになる。 ここまで概観してきた企業発展の動態は,経営者能力(Managementkapazitt) によっ て実現される(Paul, H.[1985]Kap.6)。企業者能力や経営者能力をめぐる議論は,経営学 生成以前の経済学において,すでにみられる。今ここでその学説史をたどる余裕はないが, 企業発展を阻害するような危機を克服するうえで,もっとも枢要な要因が企業者 / 経営者 能力なのは明らかであろう。Paul, H.[1 985]は,その具体的内実にまで立ち入っていな い。これを体系的に整理・解明しようとしたのが,ブライヒャーの統合的マネジメント構 想に他ならない。企業発展の概念も,この構想に応じてさらなる具体化が図られている。 次項において,Bleicher, K.[2011]をベースとしながらみていこう。. 3. 企業発展と内部 / 外部環境―Bleicher, K.[2011]と Marek, D.[2010] ― 山縣正幸[2007] 991年に (261263頁)においても明らかにしたように,ブライヒャーは1 提示した統合的マネジメント構想(Bleicher, K.[1991])において,それまでの研究成果を 体系化するための理論枠組を打ち出している。そこにおいては,企業発展という概念にも とづいてマネジメントにかかわるさまざまな活動や構造,行動が体系化されている。当然, 指導原理としての企業発展という概念が何を指し示すのかが重要となる。これについて, ここで Paul, H.[1985]( S. 182 f. )はバーナードによる有効性と能率の概念弁別を参照して いる。しかし,この弁別は特にしなくても差し支えないとして,能率という概念で包括して議論 を展開している。稿者は,この見解を採らない。 Paul, H.[1985]は,企業者能力(unternehmerische Kapazitt)と経営者能力をことさらに 区別していない。 Penrose, E. T.[1 959=2009]も“野心”の有無によって弁別しているが, 重 なり合っている部分も多く,厳密に分けることは困難である。 これについては,すでに山縣正幸[2007]において全体像を明らかにし(第2章),さらにトッ プの役割としての規範的マネジメント(Normatives Management)については詳細に論じた。. 137( ) 137 ─ ─ .
(16) 第61巻 第1号. Bleicher, K.[2 011]は以下のように規定する。. 企業発展の概念は,外部環境や内部環境からの要求や可能性の緊張領域に存在して いる, 経済志向的な社会システムの進化という時間的な現象である。この進化に とって決定的に重要なのは,比較可能な他の競争相手が提示してくる効用に対して, 戦略的成果獲得ポテンシャルを準備・活用することで,相対的により高い効用を創 出するという点にある(Bleicher, K.[2011]S. 457 f.)。. 上述のとして示した Bleicher, K.[2 011]においては,企業発展の概念が Bleicher, K.[1979]よりも具体的に規定されている。この規定は,Bleicher, K.[1 979]から根本 的に変化しているわけではない。むしろ,Paul, H.[1985]によって企業発展の中心的な 影響要因として位置づけられた経営者能力の具体的内容を「統合的マネジメント構想」と いうかたちで展開し,そこから導き出された概念規定がなのである。ただ,ブライヒャー の文章はやや難解・晦渋な傾向があり,この概念規定もわかりやすいとは言いがたい。そ こで,ブライヒャーの統合的マネジメント構想に大きく依拠し,経営実践に向けた解説を も視野に入れていると思しい Marek, D.[2010]を参照しつつ,ブライヒャーの議論を補 足・整理しながら考察したい。 まず,「経済志向的な社会システム」が企業をはじめとする“派生的経営”をさしてい るのも言うまでもないだろう。ここで注目しておきたいのが,「外部環境や内部環境から の要求や可能性」という文言である。 ブライヒャーは,「企業とはいかなる存在であるの か」といったような原理的な問いについて,それほど深く論じ詰めているわけではない。 これに関して,Marek, D.[2010]は伝統的な新古典派経済学的企業観や官僚制モデル, さらにザンクト・ガレン学派によって展開されたシステム志向的企業モデルなどを概観し たうえで,企業を内部観点と外部観点の2つから統合的に捉えようとする(S. 32 f, 123 ff.)。 ここにいう内部観点とは,企業内部における資源配置の問題である。それに対して,外部 観点とは企業と環境,より具体的にはさまざまなステイクホルダーとの価値交換関係の問 題である( Marek, D.[2010]S. 123)。この企業観はまさにブライヒャーの理論枠組から導 き出されたものである。というのも,先に掲げた「外部環境や内部環境からの要求や可能 性」を言い換えれば,Marek, D.[2010]が提示する2つの観点として具体的に述べるこ とができるからである。 外部環境や内部環境という際の境界をどのように捉えるのかについて,ブライヒャーも 138 ─ 138( ) ─ .
(17) 価値創造の成就としての企業発展(山縣). マレクも明確には論じていない。ニックリッシュ(Nicklisch, H.)に代表される経営共同体 思考であれば,労資=出資経営者+従業員が内部環境のメンバーということになる。一方, バーナード( Barnard, C. I. )の協働理論 / 組織理論に依拠するならば,すべての参加者 (貢献者) は外部環境に存在し, 内部環境は活動の連関態 ( Verflechtung ) そのものと理解. される。 Marek, D.[2010]( S. 60 ff., S. 124)などをみるかぎり, 経営共同体思考的な発 想に立脚していると推量できるが,近年のように雇用形態が多様化するなかで,派遣従業 員などをどのように位置づけるのかといった問題がある。それに,従業員といっても利害 関心が共通する部分と相違する部分がある。それに,従業員といっても,四六時中,企業 の内部を構成する存在として生きているわけではない。これらの事態を考慮するならば, バーナードに即しつつ,内部環境を活動の連関態=価値創造過程として捉え,そこに貢献 をなす(leisten)行為主体は外部環境と捉えるほうが理論的な一貫性を維持できる。そこ で,本稿ではバーナード協働理論にもとづく内外境界理解に立脚する。 そのうえで,の定義にある「要求や可能性」を捉え返すならば,企業をめぐる,より 厳密には企業との価値交換関係を通じて何らかの欲望を満たそうとする行為主体としての ステイクホルダーが抱く外部からの要求と,それに応えうる可能性” ,そして,それと もかかわってより効果的(有効的)に“外部からの要求”を充たしうる“内部での要求 や可能性”という2つが浮かび上がる。バーナードの枠組に即するならば,は協働の能 率(efficiency)にかかわり,は協働の有効性(effectivity)に関連しているといえよう。 しかも,この要求や可能性は時間の推移のなかで変化する。その変化をいかに把捉し,対 応するのか。あるいは,企業それ自身が変化を創造する場合もある。この変化への対応こ そが“進化”と称される事象なのである。 以上のの定義における第1文を踏まえれば,第2文はほとんど解説の必要はないだろ う。以上のことを可能にするような戦略的成果獲得ポテンシャルの準備・活用を通じて, 競争相手よりも相対的に高い効用をステイクホルダーに対して創出・提供することが,企 業発展にとって必須要件であることを述べている。多様なステイクホルダーへの効用創出 という点は,ことにドイツにおける企業発展論に多くみられる論調であるが,それを除け ば競争戦略論において提唱されていることと何ら隔たりはない。 もちろん,経営者や従業員といったステイクホルダーが内部環境=価値創造過程に深くかか わっている点を看過すべきではない。 この点,Dillerup, R. / Stoi, R.[2011] (S.84f.)は内部からの要求(Interne Anspruchshaltungen)と外部からの期待(Externe Erwaltungen)という2つに分けている。従業員や経営者, 株主を含むステイクホルダーの要求や期待も後者に含まれていることから,本稿における考え方 と近似する。. 139( ) 139 ─ ─ .
(18) 第61巻 第1号. ここまで, Bleicher, K.[2011]における企業発展の概念規定を確かめてきた。この定 義からもわかるように,企業発展とは何よりもまず時間的な現象(=動的事態)である。し かも,その際には競争相手よりも相対的に高い効用を創出・提供することが求められる。 企業発展の概念規定においては,しばしば時間的な現象という点に重きを置くあまり,そ れがどのように測定・評価されるのかについての配意が薄くなってしまうきらいがある。 ブライヒャーの概念規定にあっては,その点への留意はなされている。本稿において,考 察の基軸とした所以である。本節での議論を踏まえて,企業発展という概念をどのように 捉えることが適切であるのか,さらに考察してみよう。. Ⅳ.“価値創造の成就”としての企業発展. 1. ステイクホルダーの欲望 / 期待満足と企業発展 日本において,“企業発展”は日常的に耳にしそうでありながら,“企業成長”に比べて 少なくとも学術的には積極的に用いられてきたとは言いがたい。しかし,ここまで考察し てきたように,ドイツ語圏における企業発展の概念展開をみるかぎり,規模的な拡大を主 要素とする“企業成長” よりも,“企業発展”のほうが現代の社会経済状況に適合的であ るといえよう。では,本稿において“企業発展”をどのように規定するのか。まず,以下 に示そう。. 企業をめぐるステイクホルダーとの価値交換関係( Austauschungsbeziehungen ) を通じて獲得された資源・能力,それらからもたらされるポテンシャルの構築・駆 使・活用によって価値創造過程を展開し,そこから創出・提供される効用でもって ステイクホルダーの欲望・期待を充たし,その反対給付として経済的成果を持続的 に獲得しえている状態。さらに,ステイクホルダーの欲望・期待の動態性に対応し うる準備をなしえている状態。. この概念規定には,貨幣数値によって測定される企業にとっての経済的成果の獲得と 日本における企業成長論の第一人者である清水龍瑩[1984]は,企業成長を「多くの制約条件 のもとで,企業が長期にわたってその規模を拡大していく過程」 (23頁)と定義する。 ここでこ のようなかたちで引用すると,上述の定義あるいは清水龍瑩の数多くの企業成長理論に対して否 定的であると捉えられる危険性があるが,もちろんそのような意図はない。本稿では,ドイツ語 圏の学説の検討を主たる課題としているので考察対象としていないが,清水の企業成長理論は現 在も有効な概念枠組である。. 140 ─ 140( ) ─ .
(19) 価値創造の成就としての企業発展(山縣). いう側面があらわれていない。しかし,いうまでもなく,この概念規定によって提示され ている状態を可能にするのは貨幣である。また,時間的推移のなかで変化してゆく可能性 のあるステイクホルダーの欲望や期待を想定・描出(entwerfen)し,それをもとに資源や 能力などを製品やサービスといった効用給付(Nutzleistung)に転態していくためには,貨 幣による成果余剰の蓄積が不可欠である。したがって,企業発展が実現されているかどう か=経済的成果を獲得しえているかどうかの最重要な測定基準が,貨幣数値によるもので あることは疑いを容れない。この点については,後述する。 また,概念規定の第2文にあるような競争優位をめぐる文言がにおいては省略され ている。しかし,これも重要性が低いからではない。むしろ,第2文の「比較可能な他 の競争相手が提示してくる効用に対して,戦略的成果獲得ポテンシャルを準備・活用する ことで,相対的により高い効用を創出する」というのは,の「資源・能力,それらから もたらされるポテンシャルを構築・駆使・活用することで価値創造過程を展開し,そこか ら創出・提供される効用によってステイクホルダーの欲望・期待を充たし,さらにその動 態性に対応」することによって可能となる。この点,山縣正幸[2013b ]において検討し た動態的主観主義の考え方にも相応している。 加えて,概念規定は企業規模にも左右されない。もちろん,これは企業発展という状 態を測定するための基準をどこに置くかによって規定されるものであり,概念規定だけで 決まるものではない。とはいえ,企業成長論にせよ,企業発展論にせよ,何より経営学そ れ自体が主として大企業 / ビッグ・ビジネスの歴史的発展とともに展開されてきたのは事 実である。その一方で,現代の社会経済において活動しているのが大企業だけではないと いう,きわめて当然の事実も存在する。ことに近年では,Anderson, C.[2012]によって 指摘・提唱され,日本においても徐々に拡がりつつある“マイクロものづくり”のように, 製造業においても中小企業ないし個人企業(および,それらのネットワーク的協働)による価 値創造が姿をあらわしつつある。こういった点を考慮に入れるならば,中小企業から大企 業へという規模的成長を含む“企業発展”のみならず, 規模的な成長を主眼に置かない “企業発展”をも対象とする必要があろう。高橋美樹[2 012]は「企業の成長は,しばし ば企業規模の拡大と同義に捉えられてきた」が,「イノベーション創出のうえで,中小企 業がいたずらに企業規模を拡大することは逆効果であり,中小企業は量的成長よりも質的 成長をめざすべき」 (211頁)であるとし,問題解決(=イノベーション創出)能力としての質 的成長を重視する必要性を強調する(231頁)。ここにいう質的成長とは,本稿での“企業 もちろん,数値的に測定される指標の量的向上の重要性が否定されるということではない。こ. 141( ) 141 ─ ─ .
(20) 第61巻 第1号. 発展”と同義である。概念規定は,この点を念頭に置いている。競争の存在を念頭に置 きつつも,企業をとりまくステイクホルダーの欲望や期待に応えうる範囲をどのように設 定するのか。ここに,企業発展にとっての企業者的ダイナミクス(unternehmerisches Dynamik) の重要性が存在する。これについては,別に論じる必要があろう。. 2. 価値創造の“成就” ―世阿弥の言説からの援用― さて,に示した企業発展を実現しえている状態,これを価値創造という観点から捉え ると“価値創造の成就(Das Gelingen der Wertschpfung)”と言い換えることができる。 ここにいう“成就”とは,能楽の大成者と位置づけられる世阿弥 (秦 元清)が提唱した概 念である。いきなり世阿弥を持ち出してくることに違和感を覚える向きもあろう。しかし, 世阿弥の能楽論は芸術論という範疇をはるかに超えて,経営やマーケティングをめぐるき わめて実践的思考を提示している。なかでも注目すべきなのは,発する側(演者)と受け る側(見所・観客)との隔絶をつねに念頭に置きながら,その“堺(=境 / インターフェイ “おもしろい”と知覚した瞬間」,そして受ける側に満足と ス)”においてのみ生じうる「 しての“寿福増長”が生じ,その結果として発する側にも“寿福増長”がもたらされると いう好循環を構築すること,そのためには何が重要かを論理的に考察している点である。 ことに,一座の経済的繁栄としての寿福増長の重要性を強調しながらも,それを目的とし てしまうと能の衰退堕落につながってしまうという主張は,ドラッカー(Drucker, P. F.) の利潤理解を髣髴とさせる。当然ながら,世阿弥は現代企業のことなど知る由もない。世 の点,高橋美樹[2014]は高橋美樹[2012]を踏まえた議論の再整理をおこなっている。 実際,片平秀貴[2009]のようにブランド論・マーケティング論の観点から世阿弥を読み解こ うとするものや, 土屋恵一郎[2 002];同[2013]のように啓蒙書的ではあるが経営との関連性 に触れる文献がある。より以前に出された文献としては,劇団経営の実践理論として世阿弥の言 説を読み解く堂本正樹[1990]をあげることができる。世阿弥の経営・マーケティング的思考は 『風姿花伝』第六花修云にある「力なく, この道は見所を本にする態なれば,その当世当世の風 儀にて,幽玄をもてあそぶ見物衆の前にては,強き方を場,少し物まねにはづるゝとも,幽玄の 方へは遣らせ給ふべし」(世阿弥[1418?=1974]51頁)と,顧客の欲望や期待に応じて演じ方を アレンジする必要があると述べている一節からも窺い知られる。詳細は省略にしたがうが,他に も観客に応じて演じ方を変化させるべしとする言説は世阿弥の著述に数多くみられる。 厳密には“おもしろい”という概念カテゴリーによって整理されてしまう以前の状態である。 これを世阿弥[1424=1974]は「“あつ”と云(ふ)重」(95頁)と呼ぶ。 世阿弥(表 章校注) [1418?=1974](4546頁)は, これに関する言説である。 なお, 表 章 [1974](438439頁)によれば,この世阿弥の“寿福”には観客側のそれと役者側のそれが混在 している。したがって,世阿弥の言説を読み解くときには注意が必要となる。その一方で,この 混在は本稿の課題からすれば興味深い。というのも,価値の交換に際して一方だけが“寿福”を 得ることは,一度かぎりで交換が完結し,かつそれに対する評価・評判が後に続く価値交換に影 響を及ぼさないという場合(知識や情報の非対称性・不完全性による場合も含む)であれば成り 立ちうるが,そうでない場合はゲーム理論にいう“しっぺ返し”による不利益を被ることがあり うるからである。その点を世阿弥が意識していたと思しいのが,一座の寿福増長を目的と取り違 えることの危険性を指摘した後続の一段である。. 142 ─ 142( ) ─ .
(21) 価値創造の成就としての企業発展(山縣). 阿弥が生きていた当時において能楽(猿楽 / 申楽)は確立された古典芸能ではなく,他の遊 興娯楽と競争関係にあった。加えて,貨幣によって“自由”に欲望を充たしうる市民的消 費者ではなく,政治的・経済的権力をもった貴族・武士階層,あるいは寺社権力が主たる “顧客”であった。と同時に, 一般庶民の支持もまた重要であった。 そのようななかで, 一座の永続的繁栄を実現していかなければならない,それが世阿弥の直面していた状況で ある。 世阿弥が生きていた当時の状況と現代とを同一に考えるべきではないだろう。にもかか わらず,欲望の動態性がきわめて高い現代において,世阿弥の提起した“成就”という概 念は当てはまる。というのも, 企業発展はステイクホルダーの欲望や期待を充たすこと で可能となる状態だからである。 その結果としてもたらされるのが,“寿福増長”なので ある。では,いかにして“寿福増長”を実現するのか。その際,世阿弥[1428=1974]は 「序破急流連は成就也」(190頁)と指摘する。世阿弥は“序破急”という概念を盛んに用い ている。ことに,この『拾玉得花』においては一つの動作にも“序破急”があるとし,概 念の拡張を試みている。これについて,表 章[1974](192頁頭注)は「秩序ある発展・完 結」という訳をあてている。つまり,“成就”という状態が生み出されるためには,秩序 ある発展プロセスとしての“序破急流連”がなければならない。 しかも,成就し“花”があらわれるかどうかは, “因果”と“時分”によってきまる(世 。“因果”はまさに原因と結果であり,“時分”とは時の運のこと 阿弥[1 418?=1974]62頁) をさす。 実際, 後世になって「あの製品は先駆的ではあった」と評価されても, 企業に とっては成果をもたらさない“失敗”であったというケースは存在する。効用給付を提示 するタイミングを間違えれば,それがいかに“よい”効用給付であっても,それはステイ クホルダーの欲望や期待を充たしえないことも往々にしてある(時節感当)。 何より「人々心々ノ花ナリ。イヅレヲマコト〔ニ〕センヤ。タヾ時ニ用ユルヲ以テ花ト 知ルベシ」(世阿弥[1418?=1974]64頁)。つまり,人々が期待するところのものはそれぞれ に異なっているのが普通であって,どれかが真実でどれかが偽りであるなどということは ない。その時々において人々に賞賛され,効用として評価されること,それが“花”であ る。これは,まさに欲望やその充足強度としての価値の主観性に立脚した言説である。. 堂本正樹[1990]は中世日本と現代(1980年代まで,ではあるが)を見比べつつ,世阿弥を 「われらの同時代人」(1314頁)と規定する。 本稿も,この指摘に共鳴する。 むしろ,21世紀の 今日においてこそ,その同時代性を指摘しうる。 この点について,西平 直[2009](第10章)は詳細に考察を展開している。本稿においても, 西平の議論から影響をうけている。. 143( ) 143 ─ ─ .
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