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宮城県愛宕山古墳の3次元計測

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Academic year: 2021

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全文

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宮城県愛宕山古墳の3次元計測

著者

藤沢 敦, 永原 智輝, 今西 純菜

雑誌名

Bulletin of the Tohoku University Museum

18

ページ

65-87

発行年

2019-03

(2)

Bull. Tohoku Univ. Museum. No. 18, pp. 65-87, 2019 © by The Tohoku University Museum

宮城県愛宕山古墳の3次元計測

藤沢 敦

1)

・永原智輝

2)

・今西純菜

3)

1) 東北大学総合学術博物館 2) 東北大学文学部卒業生

3) 東北大学大学院文学研究科修士課程

Three-dimensional measurement of the Atagoyama

Tumulus in Miyagi prefecture

Atsushi Fujisawa

1)

, Tomoki Nagahara

2)

, Ayana Imanishi

3)

1) The Tohoku University Museum

2) Graduate, Faculty of Arts and Letters, Tohoku University

3) Graduate Student, Graduate School of Arts and Letters, Tohoku University

The Atagoyama Tumulus is a keyhole-shaped burial mound with the length of 90 meters, which is dating to the fourth century A. D. and located in Murata Town, Miyagi Prefecture, Japan. Many

haniwa cylinders were collected at the surface of the tumulus.

The Tohoku University Museum, in cooperation with the Department of Archaeology of Okayama University, scanned the Atagoyama Tumulus in December 2015, using three-dimensional scanning technology with a terrestrial laser scanner (TLS).

Based on the three-dimensional data, we generated various figures, including contour plans, sections, and projections. To examine the accuracy of our data and explore further applications, we manufactured a 1/500 scale three-dimensional printed model of the tumulus. Our attempts described detailed morphological features of the Atagoyama Tumulus.

はじめに

愛宕山古墳は、宮城県柴田郡村田町大字関場字愛宕山ほか に所在する墳長 90 mの前方後円墳で、宮城県の史跡に指定さ れている。岡山大学の新納泉教授を研究代表者とした、2015 ~ 2017 年度の科学研究費補助金基盤研究 ( B )「前方後円墳 の三次元計測とそれにもとづく設計原理の検討」( 課題番号 15H03265)の一環として、研究分担者の藤沢が担当して、愛 宕山古墳の三次元計測を実施した。科学研究費の研究成果報 告書において、愛宕山古墳の計測結果についても報告してい るが、諸般の事情から概略に留まっている ( 新納編 2018)。そ のため、ここで調査成果を詳細に報告して責を果たすととも に、調査成果から明らかとなったいくつかの課題について検 討してみたい。なお、東北地方においては、大型前方後円墳 の三次元計測は、愛宕山古墳が初めての事例となる。 愛宕山古墳の三次元計測データは、永原智輝が 2017 年度 の東北大学文学部卒業論文において使用し、検討を加えて いる。本論で報告する計測図面などの内、図5・8・10・ 11 は永原が作成したものを使用した。4.調査成果にもと づく墳丘の特徴については、永原の卒業論文の当該部分を、 一部の語句を修正して使用している。5.墳丘形態の復元 は、永原の検討結果を踏まえ、藤沢と永原が協議した内容 をもとに、藤沢が原稿を作成した。7.採集埴輪については、 今西純菜が整理・図化を担当して、当該部分の原稿と図 14 を作成した。これら以外の原稿は、藤沢が担当している。

1.愛宕山古墳の概要とこれまでの調査

愛宕山古墳は、宮城県柴田郡村田町大字関場字愛宕山ほ かに所在する墳長 90 mの前方後円墳である。東側に、墳長 28 mと小型の前方後円墳である薬師堂古墳が存在する。愛 宕山古墳は、薬師堂古墳を合わせて、宮城県の史跡に指定

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66 されている。 愛宕山古墳の所在する村田町は、福島県から南流し宮城 県南部で太平洋に注ぐ阿武隈川流域にある(図1)。阿武隈 川の支流である白石川から、さらに分かれた荒川沿いに開 けた小盆地が村田町の中心部で、この小盆地を便宜的に村 田盆地と呼んでおく。村田盆地内の丘陵には、愛宕山古墳・ 薬師堂古墳に加えて、方領権現古墳(64 m)、千塚山古墳(85 m)という前方後円墳が存在する。千塚山古墳の近くには、 柴田町域に入るが嶋館古墳が存在し、改変が大きいため確 実ではないが、墳長 35 m程度の前方後円墳になる可能性 が指摘されている。また、下ノ内囲古墳、小塚古墳も前方 後円墳の可能性が指摘されているが、大きく改変を受けて おり実態は不明である。さらに村田町の西側の蔵王町との 境の尾根上には、前方後円墳である古峰神社古墳(38 m)、 夕向原1号墳(64 m)が存在する(藤沢 2000)。これらを 合わせると、確実なものだけで6基の前方後円墳が、村田 盆地とその周辺に存在している(図2)。阿武隈川下流域全 体では、帆立貝形古墳の白石市亀田古墳を合わせると、前 方後円墳は 12 基が知られているが(藤沢 2001)、その内の 半数がこの村田盆地周辺に集中しており注目される(表1)。 愛宕山古墳は、これら阿武隈川下流域の中でも、最も規模 の大きな前方後円墳である。 愛宕山古墳は、村田盆地のほぼ中央に、西から迫り出す 丘陵の最高所に立地している。現在は山林となっているが、 盆地内の各所から望むことができる。丘陵のやや低い所に は、小規模円墳群や横穴墓群が存在している(図3)。坂下 古墳では、箱式石棺が発見されている(佐々木 1982)。横 穴墓は、終末期にくだるものと考えられる。 愛宕山古墳と薬師堂古墳は、宮城県教育委員会によって 1970 年に測量調査が実施され、宮城県文化財調査報告書第 53 集において報告されている(熊谷幹男 1978・図4)。愛 宕山古墳では、前方部の北側などで川原石が多数散布して おり、葺石が存在したものと考えられる。円筒埴輪が採集 できることが早くから知られていた。墳丘の各所に平坦面 が存在し、後世の改変を受けているが、もともとは段築が 存在したものと考えられてきた。 愛宕山古墳の後円部墳頂は、中央部が大きくくぼみ、周 囲が土手状に高くなっている。愛宕山古墳の所在する丘陵 一帯には、中世に無畏山霊感寺という寺院が存在し、各所 に堂宇が建てられていたと考えられている。愛宕山古墳後 円部墳頂のくぼみも、以前に堂宇が建てられていたものと 推測されてる。この中央部にピン・ポールを刺すと、かな りの範囲にわたって石にあたることが村田町在住の佐々木 安彦氏によって確かめられていた。そのため 1990 年に、千 塚山古墳測量調査団が、西村康氏(奈良文化財研究所・当 時以下同様)、亀井宏行氏(千葉大学工学部)、工藤博司氏 (桜小路電機)らの協力を得て、後円部墳頂において地下レー ダー探査を実施した。あわせて、ピン刺しによって石にあ たる範囲を確認している。その結果、後円部の墳頂平坦面 のほぼ中央に、主軸方向に沿って主体部が存在する可能 性が指摘されている。探査の報告では、石を使用した構造 物が存在すると推定されたことから、築造時期も踏まえ竪 穴式石槨が存在した可能性が指摘されている(藤沢・亀井 1992)。ただし、乱掘を受けていたとしても、側壁の存在を 示すようなレーダー反射像が得られておらず問題が残って おり、別な主体部構造となる可能性もある。 この主体部確認調査の報告に際して、採集された円筒埴 輪の資料化と公表が行われた(図 15)。2次タテハケ・有黒 斑で、三角形スカシ孔のものである。関東地方などでは2 次タテハケが残る事例もあることや、凸帯の形状も踏まえ、 前期末頃の埴輪と推定される(車崎 1992)。なお7.で報 告するように、今回の3次元計測の際に採集した円筒埴輪 片には、2次ヨコハケを施すものが確認できた。 愛宕山古墳では、上述のように測量調査図面が公表され てきたが、等高線の間隔は 50cm と、やや粗いものであっ た。また、宮城県教育委員会での古墳測量調査を推進した 故氏家和典氏からは、-宮城県内の測量業者に委託して測 量を実施してきたが、愛宕山古墳はその中でも最初に測量 を実施したものであるため、測量業者が慣れておらず、図 面の仕上がりに問題が残っている。-という証言を得てい る。筆者は 1980 ~ 1990 年代に、村田町で古墳の測量調査 を行ってきたが、愛宕山古墳の再測量調査は実施できない ままであった。当時は、愛宕山古墳の墳丘上に生えていた 松の大木が、松食い虫の被害を受けて多数立ち枯れていた。 それらの中には周囲の木に掛かって傾いたものも多く、作 業に危険が伴うと考えられたこともあり、再測量は行えな いままであった。 愛宕山古墳は、段築・葺石・埴輪のいわゆる「3点セット」 がそろう、東北地方の前期古墳では数少ない事例と考えら れてきた。このように近畿地方との関係が問題となる重要 な前方後円墳でありながら、測量図に課題が残っている愛 宕山古墳を、3次元計測の対象とすることとした。

2.3次元計測の実施方法と経緯

2015 年9月 27 日に、科研費の研究メンバーで現地視察 を行い、調査方法などを検討した。それを踏まえて、地上レー ザーによって3次元計測を行うこととした。 3次元計測に先立って、基準点測量をシン技術コンサル に委託した。基準点の位置関係は図5に、基準点の測量成 果は表2に示している。古墳とその周囲は樹木が繁茂して いることから、古墳の立地する丘陵下の、神社参道入口付 近に基準点を設け(K1・2)、GPS計測によって国土座 標値および標高を測量した。そこから、参道を通って古墳 まで基準点を延ばし(T1~4)、古墳全体を取り巻くよう に基準点を設置した(A1~ 14)。 藤沢 敦・永原智輝・今西純菜

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表1 阿武隈川下流域の前方後円墳一覧 図1 阿武隈川下流域の前方後円墳の分布 (藤沢 2000 より) (藤沢 2000 より) 図1 阿武隈川下流域の前方後円墳の分布

 

表1 阿武隈川下流域の前方後円墳一覧 図1 阿武隈川下流域の前方後円墳の分布 (藤沢 2000 より) (藤沢 2000 より) 表1 阿武隈川下流域の前方後円墳一覧 67 宮城県愛宕山古墳の3次元計測

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68 墳丘上の刈り払い等の作業は、村田町シルバー人材センター に委託した。あわせて、東北大学考古学研究室の大学院生・ 学生諸氏などの参加を得て、墳丘表面の落ち葉などを、熊手 を用いて清掃する作業を、11 月 20・23・24 日に行った。12 月3日にも、計測作業と併行しつつ、清掃作業を行っている。1) 3次元計測は、研究代表者の新納泉氏がこれまで計測を 委託してきた、有限会社関施工管理事務所の関賢二氏に依 頼し、2015 年 12 月3~6日に実施した。計測器は、FARO 社製の Focus3D である。 調査の際に、古墳を管理している龍泉院の佐藤住職の依頼 を受けて、地元関場地区の中学生を対象として、愛宕山古墳 についての学習会を実施した。関場地区では、愛宕山古墳へ 至る道の清掃を、中学生が中心となって毎年行ってきている。 また、測量調査の概要は 11 月 28 日、学習会の概要は 12 月 1日の『河北新報』において報道がなされている。 3次元計測後の 2016 年3月 18・23・24 日に、補足の測 量作業を行っている。古墳の周囲をめぐる道の輪郭を、トー タルステーションを用いて計測した。この作業も、東北大 学考古学研究室の大学院生・学生諸氏の参加を得て行った。 これは、計測対象として清掃を行った範囲を認識するため の目安とすることと、計測結果から傾斜変換線を認識する 際の対象資料として利用する目的で実施した。また、後に 行った3Dプリンターでの造形の際にも参考とした。図6 に見られるように、計測対象の周辺部分ではノイズが現れ る。3Dプリンターの造形の際には、これらノイズ部分を 除去し、確実に地表面データが計測できている範囲で造形 することが望ましい。その範囲を判断する材料としても利 用している。 図2 村田盆地周辺の前方後円墳の分布 (国土地理院発行2万5千分の1地形図「村田」「大河原」を使用、藤沢 2000 より) 図2 村田盆地周辺の前方後円墳の分布 藤沢 敦・永原智輝・今西純菜

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図3 愛宕山古墳の位置 (藤沢・亀井 1992 より、一部改変)

図3 愛宕山古墳の位置

69 宮城県愛宕山古墳の3次元計測

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図4 愛宕山古墳・薬師堂古墳の墳丘測量図 (宮城県報告書第 53 集掲 載の測量図に主体部の推 定位置を記入したもの、 藤沢・亀井 1992 より) 図4 愛宕山古墳・薬師堂古墳の墳丘測量図 70 藤沢 敦・永原智輝・今西純菜

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図5 愛宕山古墳測量基準点配置図 図5 愛宕山古墳測量基準点配置図 世界測地系(測地成果2011) 点 名 X 座 標(m) Y 座 標(m) 標 高(m) 備 考 【新 点】 K-1 -211,875.047 -10,078.990 37.035 GNSS測量による K-2 -211,912.174 -10,016.639 34.481 GNSS測量による T-1 -211,854.676 -10,100.895 42.548 TS測量による T-2 -211,811.724 -10,174.005 70.581 TS測量による T-3 -211,786.669 -10,238.602 78.857 TS測量による T-4 -211,785.913 -10,259.588 80.965 TS測量による A1 -211,761.249 -10,252.677 79.138 A2 -211,743.501 -10,255.578 80.390 A3 -211,731.496 -10,262.803 80.097 A4 -211,731.438 -10,287.681 81.526 A5 -211,713.830 -10,322.175 82.669 A6 -211,717.272 -10,345.372 81.312 A7 -211,737.085 -10,348.625 85.855 A8 -211,751.257 -10,349.059 85.051 A9 -211,764.107 -10,341.544 83.999 A9-1 -211,778.675 -10,326.866 81.520 A10 -211,769.658 -10,296.248 81.854 A11 -211,781.640 -10,274.598 80.769 A12 -211,757.674 -10,269.797 87.019 A13 -211,751.751 -10,292.098 87.157 A14 -211,741.365 -10,331.852 92.381  ※K-1~T-4の標高値は間接水準による値 基 準 点 成 果 一 覧 表2 愛宕山古墳測量基準点成果表 71 宮城県愛宕山古墳の3次元計測

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図6a 愛宕山古墳測量図1(西半部、縮尺 1/400) 図6a 愛宕山古墳測量図1(西半部、縮尺 1/400)

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図6b 愛宕山古墳測量図1(東半部、縮尺 1/400) 図6b 愛宕山古墳測量図1(東半部、縮尺 1/400)

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3.三次元計測データの処理方法

三次元計測で得られたデータの処理方法は、基本的に新 納泉氏が行ってきた方法によっている。これについては、 新納氏が科研費報告において解説しているので(新納泉編 2018)、詳細はそちらに譲るが、それに従い概略をここでは 述べておく。 計測で得られたデータは、関施工管理事務所によって、 基本的な処理が行われて、成果として納品されている。複 数の計測点からのデータをつないで、国土座標によるXY Zの値をもった測点とした上で、地表面を抽出し 10cm 四 方に1点を抽出したデータとして納品されている。 この納品されたデータを使用して、新納氏は等高線図の 作成と、鳥瞰図の形での3D表示を行われてきている。等 高線図作成では、アメリカのクラーク大学が作成した地理 情報システムのソフトウェアである IDRISI を使用してい る。ASCII テキストファイルのデータを読み込み、地表面を 三角形の集合で表現する TNI に変換し、TNI からラスター データを作成し、ラスターデータから等高線を生成させる 方法である。愛宕山古墳についても、新納氏によって、こ の IDRSIS を用いて等高線図が作成され、提供していただい た(図6)。鳥瞰図の形での3D表示では、フリーの GIS ソ フトである GRASS を利用されている。愛宕山古墳の分析で も、新納氏から GRASS の使用方法をご教示いただき、それ によって鳥瞰図を作成し検討素材とした(図7)。 一方、図8に示した等高線図は、フリーのオープンソー ス地理情報システムである QGIS を使用して、永原智輝が東 北大学文学部卒業論文において作成したものである。後述 する3Dプリンターでのモデリングに際して、周辺のノイ ズ部分の除去を委託したが、その除去後のデータを使用し たものである。新納氏が使用してきた IDRISI による等高線 図と比べると、QGIS による等高線図はスムージングが行わ れており、かなり滑らかな線として表現されている。この 二つの等高線図に、以前に宮城県が委託して作成した測量 図を加えて、比較したものが図9である。従来の測量図と 比べると、3次元計測データをもとに作成した等高線図で は、かなり細かな特徴まで表現されていることが判る。ま た三次元計測による同じデータを使用していても、データ の処理方法次第で、等高線の表現は大きく変化することが 判る。考古学的検討に適したデータ処理方法はいかなる方 法であるかを、遺跡の特質に応じて検討しておく必要があ る。古墳の墳丘測量においては、新納氏が「TNI を介在させ る方法が現状では最もデータに忠実である」との指摘が正 鵠を得ていると考える。ただ、永原が使用した QGIS で作成 図7 愛宕山古墳の鳥瞰図 図7 愛宕山古墳の鳥瞰図 藤沢 敦・永原智輝・今西純菜

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図8 愛宕山古墳測量図2(縮尺 1/500) 図8 愛宕山古墳測量図2(縮尺 1/500)

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図9 測量図の比較(縮尺 1/1000) 図9 測量図の比較(縮尺 1/1000)

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図 10 愛宕山古墳断面図・投影図(縮尺 1/800) 0    10m A A’ B B’ C C’ D D’ B      B’ C      C’ D               D’ A A’ A A’ A’ A 断面図・投影図 断面図・投影図 断面図・投影図 断面図・投影図 側面投影図 側面投影図 図 10 愛宕山古墳断面図・投影図(縮尺 1/800) 77 宮城県愛宕山古墳の3次元計測

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78 した等高線図でも、検討にあたっては充分な内容を備えて おり、フリーソフトという利点もある。今後も、各種処理 ソフトの特質を比較検討していくことが必要である。 図 10 に示した断面・投影図は、東北大学学際科学フロン ティア研究所の田村光平氏が導入し、総合学術博物館に備 え付けられている、CREAFORM 社(カナダ)の高精度ポー タブル3Dスキャナー HANDYSCAN 3D に附属する3Dソ フトウェアプラットフォームの VXelements 6 を使用して、 永原が作成したものである。傾斜の緩急を、陰影として表 現できる。任意の位置での断面と、その背後の部分の投影 図を合わせて表現ができる。平坦面がどのようにつながっ ていくかなどを検討する際には、有効な表現方法である。 今回の三次元計測では、従来の測量図では認識できなかっ たような詳細な特徴が把握できている。後円部北側の標高 84.2 ~ 87.2 mのところに、舌状の高まりが認識できる。現 地で確認すると、礫が集積したもので、後世の改変の際に 葺石が集められた可能性がある。今回の計測の際に、刈り 払いと地表面の清掃を行って、初めて認識できた程度の高 まりであるが、等高線図にも明確に現れている。詳細な表 面形状を把握するには、刈り払いと地表面に堆積した落ち 葉などの除去が重要であることを示すものと言えよう。 前方部の北側に、前方部北東コーナーの稜線にほぼ平行 した低い畝状の高まりが 10 条ほど並んでいる。そのくびれ 部側には、くびれ部の谷線に平行した高まりが数条確認で きる。等高線図では認識しずらいところもあるが、3Dプ リンターによる模型では、明確に認識できる(図 13)。こ の平行したわずかな高まりが、何を示しているかという問 題がある。一つの可能性は、計測時のノイズである。もう 一つの可能性は、地表面の清掃時の痕跡である。地表面の 清掃は、墳丘の高い方から低い方向へ、熊手を使用して落 ち葉や細かな枝などを掃き下ろす形で実施した。前方部の 北側は、作業の最後に近い時期に実施し、時間の余裕がな くなっていたため、比較的粗く掃き下ろした区域にあたる。 数人が並んで作業をしたため、作業した人間の歩いた部分 が、微妙なくぼみとして残った可能性が否定できない。部 位によって、掃き下ろす方向を変えたので、くびれ部に近 い部分のみ方向が異なっている可能性がある。どちらが原 因であるか、今回のデータから決することはできないが、 同様の事象が生じないか注意しておく必要がある。

4.調査成果に基づく墳丘の特徴

3次元計測データをもとに、上記した方法で処理した等 高線図、俯瞰図、断面図・投影図、3Dモデルを利用して、 調査成果にもとづく墳丘の特徴を、場所ごとに見てみたい。 図 11 に、道、急傾斜面を示すとともに、段築の認識の際に 問題となる平坦面を示しているので、参照されたい。 【後円部】 ①墳頂部 後円部墳頂には、かつて堂宇が建てられていたと考えら れ、中央部がやや窪んでおり、縁側に土が押し出されている。 したがって、およそ平坦な中央部の標高は 91 m後半程度だ が、西側の縁は 92 mを超えている。南側斜面と西側斜面に は、裾から上る道が取り付けられているが、後者は明確で はない。東側の前方部墳頂からも道が登ってくる。墳頂平 坦面と墳丘斜面の傾斜変換線は、標高 91 ~ 92 mに認められ、 最高点は、墳頂南西側の縁で、92.68 mである。 ②南側斜面 後円部南側では、先述したように、裾から幅3~5mの 道が墳頂面まで続いている。裾から後円部中央に向かって いるが、ややくびれ部よりから始まり、若干屈曲した形に なっている。 墳頂面の縁付近は、等高線が密になっている。これらは 後円部頂に堂宇を建てた際、土を外周に向けて押し出した ことによって、本来の傾斜より急になったものであると考 えられる。標高 87 m付近においては、幅1mの急傾斜面が、 中央部から後円部後端まで 1/4 周をめぐる形で続いている。 これに沿う形で、88 m付近と 86 m付近の等高線は緩やか となっており、この両者の平坦面をテラスとして、段築を 認めるかどうかが問題となる。 南側のくびれ部付近の等高線の流れを見ると、82 mあた りまでは明瞭な屈曲線が見られるが、それ以下の等高線は やや直線的になる。この屈曲を前方部と後円部の交点とす ると、82 mの等高線を目安とした墳端がひとつ考えられる。 また裾部の道に沿って傾斜変換線を確認することができ、 81.3 mの等高線を目安に墳端を考えることができる。くび れ部は、前方部と後円部の双方から崩れた土がたまる場所 であり、本来のくびれ部は、現状よりもやや内側に食い込 んだ位置にあったと考えられる。 くびれ部から後円部に入った部分の、標高 85 ~ 86 m附 近に、小規模な平坦面が認められる。これが段築の痕跡と 見なすか否かが問題となる。 ③西側斜面 後円部西側斜面にも道が取り付けられている。道は、後 円部中心に向かって、ほぼ東西方向に伸びているが、全体 的にやや不明瞭で、86 m以上は明確であるが、それ以下は はっきりしない。西斜面の裾の谷部に、道が南北に伸びて おり、標高 84 ~ 86 m付近の等高線はV字状となっている。 西側斜面の道の北側において、86 ~ 87 m付近に確認でき る急傾斜面は後世の段切りによるものと考えられる。植林 もしくは畑に利用されたものと考えられる。このように北 西部斜面は、大きく改変されている。 後円部の南側から西側にかけての墳裾には、古墳外周を めぐる道がある。道の脇は、小さな急傾斜面となっている ところが多く、道によって削られているものと考えられる。 藤沢 敦・永原智輝・今西純菜

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79 道の内側には、明確な裾のラインを見て取ることは難しい。 一方、道を挟んだ外側では、等高線は自然地形に沿っており、 墳丘の裾のラインは、外側には出ないと思われる。そのた め、後円部南側から西側にかけての墳裾は、ほぼ道に沿っ たところに本来あったと考えるべきであろう。標高を見る と、くびれ部から後円部後端に向けて標高は上がっていく。 後円部南側では 83 m前後となり、後端では 86 m近くまで 上がっていくと考えられる、なお西側斜面では、段築の可 能性がある平坦面は確認できない。 ④北側斜面 標高 88 ~ 89 mあたりに幅1mに満たない平坦面が見ら れる。この平坦面は、北側くびれ部のあたりから始まり、 後円部墳頂面を囲むようにして伸び、後円部北西側で不明 瞭となる。この平坦面に沿って、87 ~ 88 mの部分は急傾 斜面となっている。その下側の 86 ~ 87 m付近においても、 やや平坦な状態となっている。この2つの平坦面を、段築 に関わるものと判断するかが問題となる。 北側斜面には、植林や畑作の目的と思われる段切りが、 斜面を斜めに横切るように、複数認められる。北側斜面北 東部にも、81 ~ 82 mの付近に急傾斜面があり、後世の改 変によると考えられる。 等高線の密度を見てみると、北側くびれ部では 81.4 mあ たりから、北側斜面中央部では 83 mあたりから傾斜が変化 しており、墳丘裾がこの高さにあった可能性が考えられる。 くびれ部にある程度土が流れ込んでいることを考慮すると、 実際のくびれ部の墳裾の位置は、これより内側に入り込ん でくると予想される。くびれ部から後円部北側にかけて、 墳丘裾のレベルが高くなっていく可能性ある。 北側斜面中央部の標高 84.2 ~ 87.2 mのところには、前 述した高まりがあり、葺石と思われる石材が集中している。 何らかの理由で、後世に移動させられたものと考えられる。 【前方部】 ①墳頂部 墳頂部は南半の土の流れが大きく、若干レベルが低くなっ ているが、全体的にほぼ平坦である。くびれ部から前方部 前端にかけて直線的に拡がる形をとっており、両者におけ る幅の差は 10 m程度である。墳頂面は凹凸が激しく、特に 前端附近は凹地が目立つが、これは抜根の跡であると考え られる。傾斜変換線は、西側以外の三辺は 87 m附近である。 後円部との境界ははっきりしないが、後円部斜面にむけて スロープ状に若干高くなっていく可能性があり、傾斜が大 きく変わるのは 88 m附近である。 ②北側斜面 北側斜面は、後述する道以外に大きな削平もなく、等高 線の間隔を見る限り崩落も少ないと考えられる。墳端は、 等高線の間隔が狭まり始める 81 ~ 82 m附近に設定して差 し支えないだろう。ただし、前端に近い部分では、下にい くほど傾斜が強くなり、等高線の方向が墳頂付近とはこと なっていく。前端付近では、次に述べる道の関係で、裾付 近が若干削平されている可能性もある。 北東部コーナーから標高 85 m附近にかけて、道が設置さ れている。この道は等高線に沿って、後円部に向かって続 いているが、くびれ部附近で不明瞭となる。道の上側は急 傾斜面となっており、この部分に葺石石材が多数認められ る。採集された埴輪のほとんどは、この区域で発見している。 この道で造られた平坦面が、本来の段築の平坦面を利用し たかどうかが問題となる。これ以外には、等高線が緩やか になる部分は認められない。 なお前方部北側斜面では、等高線に斜めに交わる形で、 併行する複数の畝状の高まりが確認できるが、前述のよう に、墳丘清掃作業時の痕跡か、計測によるノイズの可能性 がある。 ③東側斜面 東側斜面は、両コーナーに改変を受けている。北側コー ナー付近では、等高線が密な急傾斜面が方形にめぐってお り、後世の削り込みによるものと考えられる。ただし、墳 丘を大きく削平したものではないため、墳端の設定に大き な影響はない。南側コーナーは、83 m以下から大きな改変 をうけており、大きく崩れてしまっている。中央部は、下 部の傾斜がやや急になっておりため、若干削られている可 能性も残るが、大きな改変ではないと思われる。墳端は、 81.5 m前後で傾斜の変化がはっきりと確認できるため、前 方部前端線の設定は、これを基準とすべきであろう。段築 となりうる平坦面は見出すことは難しい。 ④南側斜面 北側斜面と比べて全体的に土が流れており、本来の傾斜 よりも緩くなっていると予想される。墳裾部分に、古墳南 半を外周する道が設置されており、前端附近では墳丘裾が 削り込まれ、急傾斜面となっている。前方部北側斜面、東 側斜面との整合性も考慮すると、南側斜面においても標高 82 mをやや下回るレベルに墳端を設定することが適切と考 えられる。 南側コーナーには裾部から墳頂面まで続く、幅3m程の 道が取り付けられている。テラスと認められるような平坦 面を見出すことは難しい。 宮城県愛宕山古墳の3次元計測

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図 11 愛宕山古墳墳丘に見られる道・急傾斜面・平坦面の位置(縮尺 1/800) 道(薄い網掛け)、急傾斜面(濃い網掛け)の位置

平坦面(薄い網掛け)の位置

図 11 愛宕山古墳墳丘に見られる道・急傾斜面・平坦面の位置(縮尺 1/800)

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5.墳丘形態の復原

前項で述べた認識をもとに、愛宕山古墳の墳丘形態を考 えてみたい(図 12)。 【墳頂平坦面】 後円部、前方部ともに、墳頂平坦面は、若干の改変を受 けているが、大きな改変ではないと考えられる。そのため 現状を踏まえて、平坦面の形状を考えることができる。前 方部南側は、土が流出していると考えられるため、墳丘斜 面の等高線の方向を参考にして、平坦面の端のラインを想 定している。 前方部墳頂平坦面が後円部斜面に取り付くところには、 若干高くなっていく。そのため、小さなスロープ状の斜面 が存在したと推定して復元した。 【墳丘裾ライン】 前方部の前端は、裾付近が若干削られている可能性はあ るものの、81.5 m前後の高さの所で考えて良いであろう。 前方部からくびれ部にかけても、おおむね 81.5 m前後の高 さに墳端があったと考えられる。前方部の高さは、前端か らくびれ部まで平坦であったと考えられることから、前方 部斜面の傾斜が途中で変化しないかぎり、平坦面の端のラ インと、墳端のラインは平行していたと考えられる。前方 部北側のコーナー近くでは、裾付近の等高線の方向が変化 しているため、墳頂平坦面の端のラインと平行にならない。 前方部北側コーナーに取り付く道によって改変された可能 性を考え、墳頂平坦面のラインと平行に墳裾のラインを想 定した。なお前方部の両コーナーについては、後世の改変 を受けており、本来の細かな特徴は判らない。そのため、 前方部側辺と前端ラインを伸ばして交差させて推定した。 前方部は、主軸をはさんで対称となるように復元を試みた が、正確な対称形と見なすことは難しく、若干南側が大き くなっている。 後円部は、後端に向かって、墳丘基底面の標高が上がっ ていく。前方部前端からくびれ部までは、おおむね 81.5 m 前後と考えられるが、後円部の中心から主軸に直交するラ イン上では、おおむね 83 mのところに墳端が想定される。 後円部後端では、86 m前後が墳端と考えられる。 愛宕山古墳は、東西に延びる尾根を利用して築造されて いる。後円部後端にあたる部分では、尾根を切断して築造 されていると考えられる。この尾根を切断する深さを、他 の部分の墳端のレベルまで行わず、前方部と比べると 4.5 m 程高いところで止めていることが、このような形態となっ た理由であろう。 【段築の有無】 愛宕山古墳では、前方部北側斜面、後円部北側斜面、後 円部南側斜面、南側くびれ部斜面から後円部南側斜面にか 図 12 愛宕山古墳墳丘復原図(縮尺 1/800) 図 12 愛宕山古墳墳丘復原図(縮尺 1/800) 宮城県愛宕山古墳の3次元計測

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82 けて平坦面が確認されている。前方部北側斜面の平坦面は、 前方部北側コーナーから登ってくる道につながっているこ とから、道として利用されてたことは明らかである。しかし、 もともと存在した平坦面が、道として利用されている場合 も考慮して検討する必要がある。 この前方部北側の平坦面とほぼ同じ高さで、南側くびれ 部から後円部にかけて平坦面がある。これが本来の平坦面 を残しているという可能性もある。しかし、北側の平坦面は、 後円部に進むと2mほど標高が上がっていき、後円部の平 坦面につながっていく。ところが南側くびれ部の平坦面は、 逆に後円部側に向かって、標高が下がっていく。等高線の 流れを見ると、前方部墳頂から、くびれ部を通って、後円 部側へ降りていく道のようである。後円部に見える平坦面 も、北側と南側では標高が合わず、前方部やくびれ部の平 坦面とも高さがずれていく。また後円部の平坦面は、急傾 斜面とセットになっており、墳丘斜面を削り込んで造られ た可能性が高い。以上の点から、墳丘各所で見られる平坦 面を、一連の平坦面とみなすことは難しく、段築が存在し た可能性は低いと言わざるを得ない。比較的幅の狭い平坦 面が存在し、後世の改変によって判りづらくなっている可 能性を完全に否定することは難しいが、段築の存在を確実 に示す状況は読み取り難いと考える。 後述のように愛宕山古墳は、本来の墳丘規格としては、 100 mクラスの前方後円墳と考えて良い。これだけの大型 前方後円墳で、葺石・埴輪が伴うにもかかわらず、段築が 無いことは考え難いことから、これまでは墳丘各所に認め られる平坦面を、後世の改変を受けていても、段築による 平坦面を反映したものと考えてきた。今回の調査結果によっ て、段築が存在しない可能性を考えなければならなくなっ たと言えるであろう。 【愛宕山古墳の規模】 保存状況が良くない部分も多いため、上記のように復元 的に墳丘形態を推定した。それにもとづく規模を、ここで まとめておきたい。 墳長:90 m 後円部径:主軸に直交する部分では 59 m 後円部墳頂平坦面の直径:18 m 後円部の後端からの高さ:6m 前方部長:39 m 前方部前端幅:52 m くびれ部幅:37 m 前方部墳頂平坦面の幅は:前端側 18 m、くびれ部側6m  平坦面の長さは 32 m程度  後円部に取り付くスロープ状の斜面は長さ5m程 前方部前端からの高さ:6m 後円部と前方部墳頂の高低差:前方部が 4.5 m低い 主軸の向き:N- 100°-E なお、後円部径については、主軸に直交する部分での半 径が 29.5 mであるため、直径 59 mとしているが、くびれ 部での半径は 32 m、後端での半径は 25 mである。くびれ 部までの墳裾の標高で、後円部全体を築造していた場合に は、墳長は 97 m程度となるであろう。本来の墳丘規格とし ては、100 m近い前方後円墳と考えて良いであろう。

6.3Dプリンターでの造形

愛宕山古墳の3次元計測データをもとに、3Dプリンター での再現性と、模型での墳丘形態の検討の可能性を検討す るため、縮尺 500 分の1で、3Dプリンターでの造形を 2016 年度に行った(図 13)。合同会社アイオフィスの岩部 吉成氏に、周辺のノイズ部分の除去と、立木部分の余分な データ除去を行っていただき、そのデータをもとに3Dプ リンターでの造形を依頼した。3Dプリントにあたって使 用した機器などの情報は以下のとおりである。今回使用し た機器では、フルカラーでの3Dプリントが可能であるが、 形状の検討を行うためにグレーの単色での造形とした。  造形実施業者:ビースルー  造形使用機器:3Dシステムズ社(米国)         Projet 660 3 Dプリンター  最大造形サイズ:254mm × 380mm × 200mm  造形ピッチ:100 ミクロン  造形材料:石膏パウダー  モデル編集に使用したソフトウェア:GEOMAGIC XOS 3Dプリンターで作成した模型を観察すると、平坦面の 形状などの再現性は、検討に十分耐えうるものであると言 えるであろう。造形にあたってピッチは、最小の 100 ミク ロンとしたが、積層痕はさほど目立たないものの観察でき る。展示などでの利用の際には課題が残るが、積層痕を手 がかりに水平を認識できるので、墳丘形態の検討にあたっ ては有利な面もある。今回は単色での造形であるが、1m ごとの等高線に対応する層だけ色を変えるという方法も有 効かもしれない。また今回は1基のみの造形であるが、類 似した古墳の模型を複数並べて検討するならば、これまで 認識が難しかった立体的な類似性や違いを認識することは 可能であろう。またその作業を、複数の研究者が、共同で 行うことも可能である。今後の比較検討にあたって、新た な可能性を示すものと言えるであろう。展示公開での活用 にあたっても、様々な方法が可能である。 藤沢 敦・永原智輝・今西純菜

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7.採集埴輪

今回の調査で採集した埴輪は 40 点あるが、全て破片資料 であり特徴が良くわかるものは少ない。以下、特徴が良く 判明するもの4点を中心に述べる(第 14 図)。これらの埴 輪は、前方部北側と後円部北側で採集したものである2) 採集された資料は円筒埴輪と朝顔形埴輪と考えられるも のである。外面調整はタテハケで、1のみヨコハケが確認 される。また1はスカシ孔が残っており、直線的に穿孔さ れていることとハケメの方向から、スカシ孔の形態は三角 形になるものと考えられる。3は円筒埴輪であると考えら れ、突帯が剥離した面にタテハケが良く残っている。突帯 は断面がM字形を呈する突出度の高いものである。断面の 観察から、突帯を付ける際、粘土ひもの下側の器面との接 合部に別の粘土を充填するように付け足していることが判 る。同様の痕跡は愛宕山古墳出土の他の円筒埴輪でも見ら れることから(図 15、藤沢・亀井 1992)、本墳出土円筒埴 輪の特徴であると言える。また、突帯端面のナデには微細 な条線が見られ、布または皮革のようなものでナデたと推 測される。外面には一部朱彩が残っている。内面調整は縦 方向のナデである。 2・4は朝顔形埴輪である。2は頸部の三角突帯、4は 頸部の上側に付く凸帯の付近の破片である。4の突帯は器 面に対して比較的広範囲に貼り付けている。内面の一部で 微細な条線が入ったナデが一部確認できるが、範囲等は判 然としない。復元された直径は 31cm である。突帯の位置 が一般的な朝顔形埴輪よりも低い位置に付いている。2は 器面との上方の接合面に、4は器面が剥離した突帯の裏面 にそれぞれ器面から転写されたタテハケが認められる。 図示した4点以外の資料は円筒埴輪で、いずれも突帯は 断面がM字形を呈する突出度の高いものである。外面調整 はタテハケであり、内面調整はヨコハケ、ナナメハケが確 認された。また外面に一部朱彩が残っているものも複数存 在する。 今回採集された埴輪によって、愛宕山古墳に朝顔形埴輪 が存在することが確認できた。また円筒埴輪には、外面に 二次調整ヨコハケを有するものが含まれることが明らかと なった。ただし、これまで指摘されてきた前期末という認 識を、変更する必要はないであろう。

8.愛宕山古墳の三次元計測から提起される課題

愛宕山古墳は、後円部後端の丘陵の切断にあたって、墳裾 のレベルが他より高い位置で終わっている。その分、墳長が 短くなっているが、墳丘の規格としては、100 mクラスの前 方後円墳であると評価することができる。これは、地方の前 期古墳としては、大型の部類に入る。しかし今回の調査結果 では、段築を確認することができなかった。このことは、地 方の前期大型前方後円墳における段築の有無について、あら ためて検討する必要があることを示している。 表3に、東北地方の 80 mを超える前方後円墳の一覧を 示した。墳長 90 mの名取大塚山古墳が、埴輪の特徴から TK208 型式期に下る中期古墳であるのを除くと、全て前期 に遡る可能性の高い古墳である。これらの前期大型前方後 図 13 3D プリンター造形による愛宕山古墳の模型 図 13 3D プリンター造形による愛宕山古墳の模型 宮城県愛宕山古墳の3次元計測

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84 円墳のいくつかについては、段築の有無について問題が残っ ている。 宮城県名取市の雷神山古墳は、墳長 168 mで東北地方最 大の前方後円墳である。史跡整備による調査が行われてい るが、1977 年度に実施された調査のうち、東側くびれ部 では比較的広い面積で調査が実施されている(恵美・丹羽 1978)。この調査の際の、くびれ部前方部側斜面は、後世 の溝で一部破壊されているが、葺石が途切れずに続いてい るようにも見える3)。そのため、前方部に段築が存在した か否か、なお問題が残っている。後円部だけに段築を伴い、 前方部には段築が無い場合も想定しておく必要がある。 宮城県仙台市の遠見塚古墳も、史跡整備に伴う調査が行 われ、後円部2段、前方部は1段で整備されている。しかし、 後円部の段築をまたぐ形では、調査区は設定されていない。 前方部でも、墳端から墳頂まで通る形で調査区は設けられ ていない。比較的広い範囲を調査している、1980 年度の第 17 トレンチでは、段築は認められていない(工藤 1981)。 このように遠見塚古墳では、前方部には段築が存在しなかっ た可能性が高く、後円部の段築は未確定であると考えるべ きであろう。 これら以外にも、段築が存在するか否か、問題が残って いる大型の前方後円墳は多い。それぞれについて、段築の 有無を確認していくことが、今後の課題である。いずれに せよ、段築・葺石・円筒埴輪の、いわゆる「3点セット」 を備えた前期前方後円墳が、極めて限定されるということ は間違いない。大型前方後円墳でありながら、段築が認め られないものについて、どのような墳丘規格がモデルとさ れ、波及していったのかを、多方面から検討することが必 要となる。 0 5 10cm 0 5cm 1 1 1 2 2 2 3 3 3 4 4 4 図 15 愛宕山古墳 2015 年度調査時採集の埴輪 図 14 愛宕山古墳 2015 年度調査時採集の埴輪 藤沢 敦・永原智輝・今西純菜

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図 14 愛宕山古墳 1990 年度調査時採集の埴輪(藤沢・亀井 1992 より) 図 15 愛宕山古墳 1990 年度調査時採集の埴輪(藤沢・亀井 1992 より)

85 宮城県愛宕山古墳の3次元計測

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おわりに

愛宕山古墳は、段築・葺石・円筒埴輪が備わった前期前 方後円墳と考えられてきた。しかし今回の計測結果からは、 段築が存在した確証は得られなかった。最終的には、発掘 調査で確認することが必要となるが、100 mクラスの大型 前方後円墳で段築が認められない場合、その墳丘企画の由 来など、派生する問題は多い。今後、さらに詳細な比較検 討が必要となる。いずれにせよ、3次元計測によって、詳 細な墳丘形態を明らかにできたことが、このような検討を 可能にしたと評価できるであろう。 これまで、古墳の墳丘企画の検討は、等高線図をもとに 墳丘の輪郭などを復原し、それを比較して行われてきた。 立体的な比較も試みられてきたが、ほとんどは、立体物を 2次元の図面に転換し、輪郭など一部の情報を比較してい たに留まる。「解析の対象となる比較的少数の計測点を研究 者が選定し、他の多くの形態情報を捨ててしまっている」(田 村・松木 2017)。詳細な3次元計測は、これまでの方法的 限界を超え、立体物を立体物として比較していくことへ道 を開くものである。立体物として比較していく方法の開拓 が望まれるであろう。その中で、今回試みた3Dプリンター による造形は、巨大な立体物を、人間が視覚的に認識可能 な大きさの立体物として再現し、立体物として比較してい く可能性を示すものであろう。

謝辞

本論は、藤沢が研究分担者として交付を受けた、2015 ~ 2017 年度の科学研究費補助金基盤研究 ( B )「前方後円墳 の三次元計測とそれにもとづく設計原理の検討」( 課題番号 15H03265・研究代表者岡山大学新納泉)の成果の一部に基 づくものである。 研究代表者の新納泉氏と研究分担者の寺村裕史氏、野崎 貴博氏、光本順氏には、現地での検討をはじめ、3次元測 量の様々な面でご教示をいただいた。科研費の共同研究に 加えていただいたことで、今回の調査が実現した。東北大 学の田村光平氏にも、様々な御教示をいただいた。深く感 謝申し上げる。 本論で報告した一連の調査にあたっては、村田町教育委 員会および村田町歴史みらい館、龍泉院、関場地区の方々 の多大な御協力をいただいた。記して、心より感謝申し上 げる次第である。 註 1) 2015 年度の3次元計測、および3月の補則調査に参加 した東北大学の教職員・大学院生・学生は以下のとおり である。なお、身分は 2015 年度当時のものである。   藤沢敦(総合学術博物館教授)、有松唯(学際科学フロ ンティア研究所助教)、川口亮(大学院文学研究科助手)、 石橋宏(埋蔵文化財調査室調査員)、山口貴久・山田凜 太郎(文学研究科修士2年)、青木要祐・荒木昴大・梅 川隆寛・佐藤信輔(文学研究科修士1年)、里村静(文 学部4年)、木暮圭哉・木村恒・佐藤ちひろ・鈴木秋平・ 舘内魁生(文学部3年)、石川湧香・今西純菜(文学部 2年)。 2) 1990 年のレーダー探査の際に採集された埴輪は、村田 町歴史みらい館にて収蔵保管され、常設展示においても 展示されている。今回の調査で採集した埴輪についても、 一括して収蔵保管された方が良いとの判断から、村田町 歴史みらい館にて収蔵保管していただくこととした。 3) この点については、丹羽茂氏からご教示をいただいた。 古墳名 所在地 規模 段築 葺石 埴輪 雷神山古墳 宮城県名取市 168m ? 有 壷形埴輪 ⻲ヶ森古墳 福島県会津坂下町 127m 有 有 円筒埴輪 玉山古墳 福島県いわき市 118m 有? 有 無 会津大塚山古墳 福島県会津若松市 114m 有 無 無 遠見塚古墳 宮城県仙台市 110m ? 無 無 ⻘塚古墳 宮城県大崎市 約100m ? 無 無 稲荷森古墳 山形県南陽市 96m 有? 無 無 愛宕山古墳 宮城県村田町 90m 無 有 円筒埴輪 名取大塚山古墳 宮城県名取市 90m 有 有 円筒埴輪 一箕山古墳 福島県会津若松市 約90m? ? ? ? 千塚山古墳 宮城県村田町 85m ? ? 無 表3 東北地⽅の墳⻑80m以上の前⽅後円墳 表3 東北地方の墳長 80 m以上の前方後円墳 藤沢 敦・永原智輝・今西純菜

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87 引用文献 恵美昌之・丹羽茂 1978『史跡雷神山古墳-昭和 52 年度発 掘調査概報』名取市文化財調査報告書第5集 工藤哲司 1981『史跡遠見塚古墳昭和 55 年度環境整備予備 調査概報』仙台市文化財調査報告書第 26 集 熊谷幹男 1978「Ⅳ古墳(測量調査)」『宮城県文化財発掘調 査略報(昭和 52 年度分)』宮城県文化財調査報告書第 53 集、216 ~ 237 頁 車崎正彦 1992「埴輪からみた前期古墳から中期古墳へ」『前 期古墳から中期古墳へ』第3回東北・関東前方後円墳 研究会、45 ~ 54 頁 佐々木安彦 1982『坂下古墳』村田町文化財調査報告書第3集 田村光平・松木武彦 2017「幾何学的形態測定学による前方 後円墳の墳丘形態の定量的解析」『文化進化の考古学』 63 ~ 88 頁、勁草書房 新納泉編 2018『前方後円墳の三次元計測』科学研究費基盤 研究 ( B ) 研究成果報告書、岡山大学大学院社会文化科 学研究科 藤沢敦 2000「阿武隈川下流域の前方後円墳(その1)」『宮 城考古学』第2号、25 ~ 44 頁、宮城県考古学会 藤沢敦 2001「阿武隈川下流域の前方後円墳(その2)」『宮 城考古学』第3号、31 ~ 52 頁、宮城県考古学会 藤沢敦・亀井宏行 1992「付編2愛宕山古墳主体部確認調査 報告」『千塚山古墳測量調査報告書』宮城県村田町文化 財調査報告書第 11 集、33 ~ 52 頁 宮城県愛宕山古墳の3次元計測

図 10 愛宕山古墳断面図・投影図(縮尺 1/800) 0     10mA A’BB’CC’D D’B                                B’C                                C’D                                                                   D’A
図 11 愛宕山古墳墳丘に見られる道・急傾斜面・平坦面の位置(縮尺 1/800)
図 14 愛宕山古墳 1990 年度調査時採集の埴輪(藤沢・亀井 1992 より)

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