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中国共産党第15回党大会の分析

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中国共産 党第15回 党大 会の分析

中 共15大 之 初 歩 探 析 TentativeAnalysisofCPC15thCongress

志村規矩夫

1 1997年 に開 か れ た 中 国共 産 党第15回 全 国 代 表大 会(第15回 党 大 会)は 、 鄰 小 平 後 の時 代 を埋 え た 中 国 で初 め て 開 か れ た掌 大 会 で あ った。 した が っ て 今 回 の党 大 会 に は従 前 の党 大 会 とは次 元 の異 な る政 治 的 意 義 が 内含 され て い た 。 そ れ はつ ま り強 じん な カ リス:マ性 を 有 す る実 力 者、 指 導 者 で あ っ た郵 小 平 亡 き後 、 後 継 者 の 地 位 に い る江 沢民 が、 次 の世 紀 へ 向 けて い か な る 政 策 を打 ち 出 し、 どの よ うな 指導 力 を発 揮 し得 る のか を探 る た め に最 初 の有 力 な手 が か りを与 え て くれ る党 大 会 と い うこ とを 意 味 す る 第15回 党 大 会 は閉 幕 した ば か りで あ り、 公 表 さ れ た 諸 資 料 、 諸 文献 に も限 りが あ る。 小 論 は こ う した 限定 され た条 件 の下 で 、 主 と して 国有 企 業 改:革を 中 核 とす る経 済 体 制 改 革 ・経 済 体 制 改 革 の加 速 と深 化 に木 可 欠 の条 件 で あ る政 治 体 制 改 革 の2改 革 と人 事 を中 心 とす る江 沢 民 体 制 の安 定 性 向 に っ い て 、 初 歩 的 な 分 析 を 試 み よ うとす る もの で あ る。 2 「鄰 小 平 理 論 の旗 印 を高 く挙 げ て、 中 国 の特 色 を持 っ 社 会 主 義 の建 設 事 業 を21世 紀 に向 け て全 面 的 に推 し進 め よ う」 と題 す る江 沢 民 の 政 治 活 動 報 告 は、 全 文 約3万 華 字 で、 以 下 の10項 目 に分 か れ て い る。 ① 世 紀 の変 わ り目 の 回顧 と展 望 ② 過 去5年 間 の活 動 一166一

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「文学部紀要」文教大学文学部第11-2号 志村規矩夫 ③ 鄰 小 平 理 論 の歴 史 的 地位 と指 導 的意 義 ④ 社 会 主 義 初 級 段 階 の基 本 路 線 と綱 領 ⑤ 経 済 体 制 改 革 と経 済 発 展 戦 略 ⑥ 政 治体 制 改革 と民 主 法 制建 設 ⑦ 中国 の特 色 を持 っ社 会 主 義 の文 化 建 設 ⑧ 祖 国 平 和 統 一 の推 進 ⑨ 国 際 情 勢 と対 外 政 策 ⑩ 新 た な世 紀 に 向 か う中 国共 産 党 この うち国 有 企 業 改 革:を含 む経 済 体 制 改 革 お よ び政 治 体 制 改 革 に主 と し て 言 及 した の は、 ④ ⑤ と⑥ で あ る。 そ こで 本 節 で は この3項 目を 中心 に第 15回 党 大 会 で成 立 、 決 定 した江 沢 民 体 制 の政 策 面 で 浮 き彫 りさ れ た 課 題 と問題 点 、 矛 盾 点 を整 理 して お こ う。 政 治 活 動 報 告 の 中 で江 沢 民 は、 「社 会 主 義 初 級 段 階 」 論 を 正 式 に採 択 し た10年 前 の 中 国共 産党 第13回 全 国 代 表 大 会(第13回 党 大 会)に お け る趙 紫 陽報 告 を、 ほ とん どそ の ま まな ぞ って次 の よ うに述 べ た。 「わ れ わ れ は す べ て実 際 か ら出発 す る とい うが、 最 大 の実 際 は中 国 の現 在 しか も今後 も 長 期 にわ た り社 会 主 義 初 級 段 階 に あ る と い う こ とだ。 『何 が 社 会 主 義 で いか に社 会主 義 を 建 設 す るか』 を 明 らか に す べ きだ とい うが 、 それ に は何 が初 級 段 階 の社 会 主 義 で、 初 級 段 階 で は いか に して 社 会 主 義 を建 設 す るか を は っ き りさせ な け れ ば な らな い」、 「社 会 主 義 は共 産 主 義 の 初級 段 階 で 、 中 国 は ま た社 会 主 義 の初 級 段 階 に もあ り、 っ ま り未 発達 の段 階 に あ る」 、 「中国 で社 会 主 義 を真 に建 設 す る に は、 す べ て を 社 会 主 義 初 級 段 階 の 実 際 か ら出発 で き るだ け で、 主 観 的願 望 か らは 出発 で きず 、(後 略)」。 この よ うな現 状 の実 際状 況 重 視 の社 会 主 義 の 段 階 的 発 展 論 を基 礎 認 識 と した のが 、 「社 会主 義 初 級 段 階」 論 で あ り、 趙 紫 陽 報 告 は社 会 主 義 初 級 段 階 が 社 会 主 義 改 造 が終 わ ってか ら100年 継 続 す る と断 定 した。江沢民 報告 も この点 で も全 く同一 の 見解 を表 明 した。 中国 が社 会 主 義 初 級 段 階 に と ど ま って い る と の 現 状 認 識 は、 第13回 党

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中国共産党第15回 党大会の分析 大 会 の趙 紫 陽 報告 と同様 に、 当面 の しか もか な りの長 期 に わ た る主 要 任 務 が生 産 力 の 発展 に あ り、 そ の た あ に は 「開 放 を拡 大 し、 資 本 主 義 の先 進 国 を含 む世 界 各 国 の先 進 的技 術 や管 理 経 験 を 吸 収 、 参 考 に しな けれ ば な らな い」 との理 論 展 開 にっ なが る。 そ して 江沢 民 は結論 と して、 「(社会主 義 初 級 段 階 に お け る政 治 、 経 済 、 文 化 な どの建 設 を進 め る目標 と政 策 で構 成 さ れ る)こ の綱 領 は、 鄰 小 平 理 論 の 重 要 な 内容 で、(中 略)主 要 な 経 験 の総 括 で あ る」 と断 言 す る。 「中 国 の 特 色 を 持 っ 社 会 主 義 を 建 設 す る」 と の 表 現 は、1982年 の 中 国 共 産 党 第12回 全 国 代 表 大 会(第12回 党 大 会)の 開 幕 の あ い さ つ で 登区小 平 が初 め て 用 い た が、 これ を鄰 小 平 と直 接 結 び っ け た の は 、1992年 の 中 国 共 産 党 第14回 全 国 代 表大 会(第14回 党 大 会)の 江 沢 民 か らだ 。 しか し当 時 は ま だ 「登β小 平 理 論 」 と い う固 定 理 論 と して形 成 さ れ て い な か った。 江 沢 民 は第15回 党 大 会 の報 告 で、 「鄰 小 平 理 論 」 を 「現 代 中 国 の マ ル ク ス主義 」、 「中 国 にお け るマ ル クス主 義 発 展 の新 た な段 階 」 と定 義 した上 で、 そ の鄲 小 平 理論 の旗 印 を高 く挙 げ る重 要 性 を強 調 した。 前 述 の社 会 主 義 初 級 段 階 に関 す る江 沢民 の 理論 展 開 と、 鄰 小 平 理 論 の 旗 印 を挙 げ る こ との両 者 と は一 定 の連 関 性 が 存在 す る。 鄰 小 平 理 論 と称 され る 「中 国 の特 色 を 持 っ 社 会 主 義 を 建 設 す る理 論 」 の核 心 は、 「中 国 の 特 色 」 に あ り、 「中 国 の特 色 」 とは、 社 会 主 義 初 級 段 階 に位 置 す る と め現 実 を 意 味 す る。 した が って 江 沢民 が 強調 して い る の は、 結 論 的 に い うな らば 、 社 会 主 義 初 級 段 階 論 を 中核 とす る鄰 小 平 理 論 の 堅 持 の 必要 性 であ ろ う。事 実、 江 沢 民 も政 治 活 動 報告 の大 枠 を 明 らか に した1997年5月29日 の 中 央 党 校 に お け る講 話(5・29講 話)で 、 社 会 主 義 初 級 段 階 と見 なす 論 断 こ そ が 、 郡 小 平 の理 論 の 「重 要 な基 礎」 と強 調 して い た。 この5・29講 和 が 明示 した よ うに 、 社 会 主 義 初 級 段 階 と い う第13回 党 大 会 の 理 念 を改 めて 確認 した の は、 社 会 主 義 初 級 段 階 にお ける主要 矛盾 が、 増 大 す る物 質 文 化需 要 と立 ち遅 れ た 社 会 生 産 の間 の矛 盾 に あ り、 この主 要 矛 盾 を解 決 す るた め に、 全 力 を社 会 生 産 力 の 発展 に 向 け ね ば な らな い との 一168一

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厂文学部紀 要」文教大学文学部第11-2号 志村規矩夫 理 論 の正 当性 に再 び 肯 定 評 価 を与 え る た あ に ほか な らな い。 こ の肯 定 評 価 を前 提 に して初 あ て、 第15回 党 大 会 の最:大の 焦 点 で あ った 国 有 企 業 改 革: で の大 幅 で 柔 軟 な株 式 制 導 入 の理 論 的妥 当性 が生 まれ そ くる 1997年 の 全 国 人 民 代 表 大 会(全 人 代)に お け る李 鵬 報 告 に よ れ ば 、 国 の 財 政 収 入 の60%以 上 、 都市 部 労 働 者 ・職 員 の 含を 国 有 企 業 が 負 担 して い る。 社 会 主 義 経 済 に お いて は公 有 制 が 主 体 で あ り 、 しか も公 有 制 の 中心、 的組 織 は国 有 企 業 で あ る とす る伝 統 的 観 念 も さ る こ とな が ら、 中 国 経 済 の 実 体 にお いて も、 国 有 企 業 が主 要 な 地 位 を 占 め て い る事 実 は軽 視 で きな いo しか し同 時 に1996年 末 の 『人 民 日報 』 に よれ ば 、 、同 年1-9月 期 の 国 有 企 業 の計 上 利 益 は、 前 年 同 月 比76%弱 も減 少 、6万8000社 余 りの 国 有 工 業 企 業 中、3万1400社 が 赤孛 で 、赤字 総額 も同46%弱 増大 した。 中国 共 産 党 は1993年 の党 第14期 中 央委 員 会 第3回 全 体 会 議G4期3中 全 会) で採 択 した 「社 会 主 義 市 場 経 済 体 制 を 樹 立 す る若 干 の問 題 に関 す る決 定 」 で、 損 益 自 己責 任 制 の 近 代 企 業 に国 有 企 業 を 改 革 す る方 針 を 打 ち出 して い た。 同 決 定 で は 「国 が株 式 を支 配 す る」 大 前 提 の 下 で、軍 需産 業 な ど の特 殊 産 業 を 除 く支 柱 産 業 に、 非 国 有 資 金 の吸 収 と認 め るな ど、株式制導 入の 道 を 開 い た 。 そ れ に もか か わ らず 国 有 企 業 改 革 は遅 々 と して進 まず、 改 革 開 放 政 策 の 加 速 、 社 会 主 義 市 場 経 済 体 制 の 確立 に当 た り、 この問題が常 にネ ックとな り今 日 に至 って い る。 江 沢 民 は政 治 活 動 報 告 の⑤ 項 で この 問題 を取 り上 げ、 社 会 主 義 初級 段 階 論 の正 当性 を 確認 す る前 提 で、 公 有 制 の解 釈、 つ ま り公 有 制 の定 義 を 伝統 的教 義 の枠 組 み か ら解 放 し、 公 有 制 の形 式 に も多 様 性 を許 容 す べ き だ との 新 しい方 向 を 明示 した。 厂総 体 的 に ひ っ くる め た形 で 株 式 制 は 公 有 制 か 私 有 制 か と論 じる こ と は で きな い」、 「公 有 制 の実 現 方式 は多様 化 して よ い し 多 様 化 す べ きで あ る」、 「社 会 化 生 産 の規 律 を反 映 す る経 営 方 式 と組 織 形 式 はす べ て大 胆 に 利 用 して よ い」一 江 沢民 が 強 調 した 株 式 制導 入 の理 念 で

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中国共産党第15回党大会の分析 あ る。 国 家 体 制 改 革 委 員 会 が 国 条 院 の了 承 を 得 て 公 表 した 「都 市 の 株 式 合 作 企 業 を発 展 させ る こ と に関 す る指 導 意 見 」(199デ 年8月7日 『人 民 日報 』) は、 従業 員 持 ち株 制 とで もい うべ き株 式 合 作 制 の発 展 を促 す規 定 で あ り 、 集 団企 業 の資 産 を全 額 従 業 員 が株 と して分 割 購 入 す る この 制 度 を、 「社 会 主 義 市 場 経 済 の 中 で の集 団 経 済 の新 しい組 織 形 式 」、 「労 働 合 作 と資 本 合 作 の有 機 的 結 合」 と定 義 す る。 この株式合作制が単 に集 団企業のみな らず 中 小型 国有 企 業 に も適 用 で き る こ とに な って い る。 しか し集 団企 業 とい え ど も、 企 業 の総 資 産 を全 額 株 式 化 し、 そ の株 を従 業 員 が購 入 した ケ ー ス を 想 定 す れ ば、 これ を公 有 制 と論 じる こ と に は理 論 的 欠 陥 が あ る 。 周 知 の よ うに鮪 制 とは・生 産手段の所有制の形式 の一 っであ り註 産手段が鮪 、 っ ま り私 有 で な い こ とが大 前 提 に な らな け れ ば い け な い 。 この論 理 に よれ ば上 記 の よ うな株 式 合 作 制 は私 有 制 で あ り、 株 式 合 作 企 業 は私 有 企 業 と見 なす のが 常 識 で あ ろ う。 大 型 国有 企 業 に お け る株式 制 は、 全資 産 を株 式 化 し、 私 有 経 済 や外 資 に 売 り渡 す の で は な く、 一 部 の資 本 導 入 に な る はず で、 中小 国 有 企 業 の株 式 合 作 制 と は軸 を 異 にす る。 江 沢 民 は 「国 や 集 団 が 株 式 を 支 配 しそ いれ ば 、 それ は明 らか に公 有 制 で あ り、 公 有 資本 の支 配 範 囲 を拡 大 し 、 公 有 制 の主 体 的作 用 を強 め るの に有 利 で あ る」 と述 べ て い る が、 社 会 主 義 理 論 と しで は極 め て説 得 性 に欠 け る。 郵 小 平 の 「新 白 ネ コ黒 ネ コ論 」 で もあ る 「3っ の有 利 」(生 産 力 の発 展 に有 利 で、 総 合 国 力 を強 め る の に有 利 で 、 生 活 水 準 の向 上 に有 利 な らば 社 会蟻)を 鮪 制 の攤 、 艤 に まで琳 した の ρ§江 沢 民 報 告 で あ る。1995年 か ら1997年 にか け て内 部 文 献 あ る い は守 旧 派 系 雑 誌 の評 論 員 論 文 と して 流 布 され 登 場 した いわ ゆ る 「万 言 書 」 が 、反 社 会 主義 的思 潮 と して批 判 す る テ ー マの一 っ は、 この所 有制 にかかわ る理 念 の論 争 で あ る。 国 有 企 業 改 革 は、 改 革 開 放 路 線 の継 承 を うた い なが ら同時 に 、 社 会 主 義 の看 板 に は手 を 触 れ よ う と しな い江 沢 民 体 制 が 直 面 す る 自己 矛 盾 にな って 一170一

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「文学部紀要」文教大学文学部第11-2号 志村規矩夫 い る。 江 沢 民 報 告 が 明示 した 方 向 で の 国有 企 業 改:革が進 展 す るな らば 、国 有 企 業 の生 産 力 発 展 、 生 産 性 向上 に っ な が り、 結 果 と して 中 国 経 済 の 成 長 が 期 待 で き るか も しれ な い。 しか しそ れ は 同時 に国 有 資 産 の流 失 現 象 を も もた らす はず で 、 守 旧派 の批 判 は理 論 と して の説 得 性 を有 して お り、 江沢 民 報 告 だ けで こ う した批 判 に反 論 で き る必 要 に して 十 分 な理 論 的根 拠 が構 築 で きた と は思 え な い 。 か っ て文 化 大 革 命 期 に登区小 平 は唯 生 産 論 と して厳 しい批 判 を浴 び た こ とが あ るが 、 江 沢 民 報 告 に凝 縮 す る第15回 党 大 会 路 線 に は、 唯 経 済 体 制 改 革 論 と い う性 格 が顕 著 に読 み 取 れ る。 こ の点 に絞 っ て 論 じる な らば、 中国 は さ ら に一 歩 反社 会 主 義 経 済 の方 向 に踏 み 込 ん だ と いえ るだ ろ う。 国 有 企 業 改 革 と公 有 性 を め ぐ る解 釈 の大 胆 で 「敢 」 「翻 」 な姿 勢 と対 照 的 な 位 置 に あ る のが 、 政 治 体 制 改革 で あ っ た。 第14回 党 大 会 に お け る 江 沢 民 報 告 と比 べ るな らば、 政 治 体 制 改 革:に特 に1項 を さ い た点 は、大 きな 変 化 と して評 価 で き るが 、 第13回 党大 会 で の 趙 紫 陽 報 告 に は比 す べ く も な い。 鄰 小 平 は1980年 の か の有 名 な 「党 と国家 の指 導 制 度 の 改 革 」 と題 す る 講 話 で 、 政 治 指 導 制 度 の改 革:の重要 性 に っ い て言 及 した が 、 本 格 的 に政 治 体 制 改 革 を 経 済 体 制 改 革 の前 提 課 題 と して論 じた の は 、1986年 に 入 って か らで あ る。 そ して 当 時 の党 と研 究 機 関 を巻 き込 ん だ政 治 体 制 改革 ブー ム は、 同年 秋 の い わ ゆ る大 学 生 を 中心 とす る政 治 民 主 化 運 動 に つ な が り、 こ れ が翌 年 の胡 耀 邦 の実 質 解 任 とい う悲 劇 で 幕 を 閉 じた のが 歴 史 の流 れ だ っ た。 そ れ以 来 、 中 国 に お いて は政 治体 制改 革 はあ る種 の タ ブー視 され る テー マ に な り、 『鄰 小 平 文 選 第 三 巻 』 で も、 多 くの政 治 体 制 改 革 に つ い て 論 じ た講 話 が 収 録 さ れ な か った。 こ う した過 去 の歴 史 的事 実 を 前 提 に して注 目 を集 め て い た の が、 郵 小 平 追 悼 大 会 に お け る江 沢 民 の追 悼 文 で あ り、 さ らに5・29講 話 で あ る。 こ の 中 で 江 沢民 は、 経 済 体 制 改 革 の深 化 に対 応 して、 政 治 体 制 改革 深 化 の 必 要 性 を論 じ、 特 に5・29講 話 で は、経 済体 制 改 革 、 政 治 体 制 改 革 、 精 神

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中国共産党第15回党大会 の分析 文 明 建 設 の三 者 を同 格 で取 り上 げ、 「相 互 に呼 応 し合 い、 互 い に促 進 し合 う」 と強 調 した。 これ ら一 連 の江 沢 民 の発 言 が ど の よ うな形 で党 大 会 に お け る政 治 報 告 に結実 す る かが 、 第15回 党 大 会 の も う一 っ の焦 点 で あ っ た 。 江 沢 民 報 告 は 「民 主 が な けれ ば 社会 主 義 が な く、社会主義 の現代化 もあ り得 な い」 と指 摘 し、民 主 と法制 の建 設 を強 調 す る一 方 で、 「西 側 の 政 治 モ デ ル を そ の ま ま引 き写 して は な らな い。 これ は党 の 指 導 と社 会 主 義 の制 度 を堅 持 し、 人民 民 主 を実 現 す る上 で 決 定 的 な 意義 を 持 っ 」 と論 じた 。 江 沢 民 報 告 が 具体 的施 策 と して 掲 げ た① 民 主 制度 の健 全 化、 ② 法 制 建 設 の 強 化 、 ③ 機 構 改革 こ ④ 民 主監 督 制度 の改 善 、 ⑤ 安 定 と団 結 の擁 護 一(b5項 目 は確 か に 「制 度 の 改革 」 で は あ る。 しか し 「体 制 の 改 革 」 に は直 結 しな い・ 政 治 体 制 改 革 媚 指 す べ き 驃 の 一 う は、 「党 政 分 離 ゴ で あ る。 繍 体 制 改 革 が 「党企 分 醐 の流 れ を加 速 す 翠 とに よ って実 織 協 上 げ た と同様 に ・ 厂党 政 艦 控 欠 い た政 治 体 制 改革 はあ り得 な い は ず だ 。 鮒 、 平 は1986年9月 の会 合 で 「改 革 の内 容 は まず 党 と政 の 分 離 で あ り 、 党 が どの よ う に指導 し、 ど の よ うに う ま く指導 す るか を解 決 す る こ とだ 。 これ が カ ギ で あ る」 と断 定 的 口調 で結 論 を示 して い る しか しなが ら江 沢民 報 告 で は・ 「党 政分 醐 に は一 切 言 及 せ ず 、 「党 企 分 離」 に 触 れ た だ けで終 わ って しま た。1980年 の 鄰 小 平 講 話 で も 「党 政 不 分 、 党 で政 に代 わ る問 題 の解 決 に着 手 せ ね ば な らな い」 と論 じて お り 、 そ の意 味 で は江 沢 民 報 告 は1980年 の登区小 平 講 話 の 水 準 に も到 達 しな い 、 極 め て 形 式 的 な精 神 論 的政 治体 制 改 革 と いわ ざ る を得 な い 。 1986年 の 政 治体 制 改 革 ブ ー ムが も た ら した 傷 口 の 深 さ が 、 今 日 に お い て も党 内 に深 い後 遺 症 を 残 して い るの か も しれ な い 。 あ るい は江 沢民 の 個 人 的 資 質 と のか か わ りの部 分 もあ るだ ろ う。 この問 題 は今 後 の研 究 と分 析 を 待 た ね ば 結 論 づ け られ な い が、 少 な く と も第15回 党 大 会 路 線 の 限 界 を 示 す の は間 違 い な い。 丶 鄰 小 平 が 強 力 に推 進 した 改革 開取 政 策 の特 色 は、 経 済 で は生 産 力 の発 展 を 促 進 す るた め に多 元 的価 値 観 を許 容 しなが ら、 政 治 で は党 の権 威 を絶 対 一172一

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ピ 「文学部紀要」文教大学文学部第11-2号 志村規矩夫 に守 り抜 くた め に一 元 的価 値 観 しか認 め な い とい う、 い わ ゆ る 「二 点 論 」 に あ る。 こ こに こそ郵 小 平 の二 律 背 反 的 自 己矛 盾 が 存 在 す る。 江 沢 民 は鄰 小 平 路 線 の継 承 を 江 沢 民 体 制 の存 在 基 盤 に挙 げ、 鄰 小 平 の政 策 を 「鄰 小 平 理 論 」 に昇 華 させ た指 導 者 で あ る。 そ れ だ か ら こ そ 、 第15回 党 大 会 に お け る江 沢 民 報 告 で も、 国 有 企 業 改 革 や 公有 制 解 釈 の 経 済 体 制 改革 と政 治 体 制 改 革 の 間 にあ る矛 盾 が 解 消 の方 向 に 向 か うの で は な く、 む しろ拡 大 の 方 向 に 流 れ た の は 当然 な の か も しれ な い。 江 沢 民 は郵 小 平 の 自己矛 盾 を そ の ま ま背 負 って21世 紀 に向 か って歩 き始 め た。 3 江 沢 民 が 総 書記 に就 任 した の は、 「6・4天 安 門 事 件 」 直 後 に 開 か れ た 1989年6月 の党 第13期 中央 委 員 会 第4回 全 体 会 議(13期4中 全 会)で 同 年11月 の13期5中 全 会 で、 郵 小 平 の後 任 と して 党 中 央 軍 事 委 員 会 主 席 の ポ ス トに就 い た。 組 織 面 か らの江 沢 民 体 制 発 足 は この時 期 か らで あ る しか しな が ら当時 の江 沢 民 体 制 と江 沢 民 個 人 の指 導 力 に隈 界 が あ った事 実 は否 定 で き な い。 党 内 の権 力 確 執 と住 民 の 経 済 生 活 や 幹部 に対 す る不 満 が 都 市 学 生 を中 心 とす る知 識 人 の 政 治 へ の 自 由 化 要 求 と結 び っ い た の が 、 「6・4天 安 門事 件 」 の主 要 な背 景 だ った 。 趙 紫 陽 が こ の 中 で 権 力 を 喪 失 し、 党 中 央 の 混乱 が急 速 に 拡 大 す る 中 で、 急 き ょ上 海 か ら呼 び 出 され た の が 江沢 民 だ った。 この た φ 江沢 民 に は基 本 的 に党 指 導 の核 心 と して の権 威 や求 心 力 に欠 け て い た。 香 港 の 月刊 誌 『鏡 報 』(1989年8月 号)が 公 表 した登区小 平 の5月31日 と 6月16日 の2篇 の講 話(い ず れ も要 点)に は 、 当 時 郵 小 平 が 江 沢 民 を 総 書 記 に抜 て き し事 態 を 収 拾 させ る決 意 を固 め るに 当 た り、 党 内 の融 和 と団 結 の重 要 性 を 強 く訴 え 、 地方 出身 で 中央 に政 治 基 盤 を有 しな い江 沢民 の体 制 固 め の た あ に、 中央 指導 者 に協 力 を求 め た経 緯 が 詳 細 に語 られ て い る。 この2篇 の講 話 の要 点 はいず れ も、 『鄰 小 平 文 選 第 三 巻 』 に収 録 され て お り、 『鏡 報 』 報 道 の 有 権 性 が証 明 され た。 ま た登β小 平 が13期5中 全 会 の 直

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中国共産党第15回党大 会の分析 後 に開 か れ た 中央 軍 事 委 員 会 拡 大 会 議 で の講 話(11月12日)に よ れ ば 、 総 書 記 に就 任 した ば か りの 江沢 民 が、 な ぜ これ ほ どの短 時 間 を経 過 した だ けで 掌 中 央 軍 事 委 員 会 主 席 の資 格 を備 え る こ とが で き るの か とい う疑 問 に 対 して 、 次 の よ うに述 べ た。 「江 沢民 同 志 が 軍 事 委 主 席 の 合 格 者 で あ る の は、 彼 が 合格 した 総 書 記 だ か らで あ る」 。 この鄰 小 平 の説 明 に は道 理 も説 得 性 もな い。 江沢 民 は総 書 記就 任 後 の 半 年 足 らず の この 期 間 に、 何 も特 筆 す べ き政 治実 績 を 上 げて い な い。5月31日 、6月16日 、11月12日 の3篇 の登β小 平 講 話 が 示 唆 す る事 実 は、 権 威 と政 治基 盤 に欠 け、 最 高 指 導 者 と し て の条 件 も不 十 分 な 江沢 民 を、 何 と して も盛 り立 て、 政 局 の安 定 化 を図 り た い とす る鄰 小 平 の強 じん な意 思 と カ リス マ性 を帯 び た絶 対 的地 位 以 外 の 何 物 で もな い。 中国 が 内外 に 向 けて 江 沢民 体 制 の 確 立 を 宣 言 した の は、1994年 の党 第1 4期 中 央 委 員 会 第4回 全 体 会 議(14期4中 全 会)で あ るσ14期4中 全 会 が 採 択 した 「党 の 建 設 を強 化 す る若 干 の重 要 な問 題 に関 す る決 定⊥ で初 めて、 鄰 小 平 を 核 心 とす る第 二 世 代 か ら江 沢 民 を核 心 とす る第 三 世 代 へ の 権 力 の 「引 き継 ぎ」 の 完 了 を宣 明 した。 した が って政 治 組 織 面 か ら の真 の 意 味 で の江 沢 民 体 制 発 足 は、 この14期4中 全 会 とす る の が 妥 当 で現 実 的 見 解 で あ る。 しか しさ ら に江 沢 民 と江 沢 民 体 制 の権 威 と指 導 力 の よ り高 度 な 完 善 性 と の視 点 に立 て ば 、14期4中 全 会 説 に は 説 得 性 が 欠 け る と考 え るべ き で あ る。 そ れ は14期4中 全 会 決 議 の主 要 テ ー マ とな った 党 の 建 設 問 題 で 、 明 確 に 「中央 の権 威 」 の低 下 現 象 を認 め、 「中央 の権 威 」 め擁 護 と 強 化 を 全 党 に要 求 して い る党 内 の実 情 を正 確 に評 価 す べ きだ か らだ。14期4中 全 会 で は経 済 問 題 が 主 要 テ ー マ と して 取 り上 げ られ る ので はな い か との 観 測 す ら も流 れ て い た 状 況 に もか か わ らず 、 党 組 織 の 強 化 を 議題 と した の は、 そ れ だ け この 問題 が 党 内 の 指導 体 制 、 っ ま り中央 と地 方 との関 係 や党 内規 律 の弛 緩 現 象 が、 中央 集 権 性 向 の強 い 中 国共 産 党 に と って、 よ り深 刻 な現 実 問 題 と して早 急 な対 応 が求 め られ る課 題 とな って い た状 況 を物語 る。 こ 一174一

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「文学部紀要」文教大学文学部第11-2号 志村規矩夫 の よ うな分 析 を前 提 に す れ ば、14期4中 全 会 で 江 沢 民 体 制 が 名 実 共 に 発 足 した とす る説 に賛 同 しか ね る。 こ う した見 解 は、 そ の後 第15回 党 大 会 ま で ほ ぼ休 止 す る こ と な く継 続 した一 連 の 江 沢民 の 重 要 講 話 を学 習 す る大 キ ャ ンペ ー ン運 動 の展 開 と い う 歴 史 の 流 れ か ら も補 強 され 得 る。1995年 末 か ら翌 年 に か け て の 「12大 関 係 論 」、1996年 末 か らの 「政 治 を 語 る」、 そ して 第15回 党 大 会 前 の 「5・ 29講 話 」 はそ う した キ ャ ンペ ー ンの 典 型 的 事 例 で あ る。 これ ら の 江 沢 民 の 発 言 や 講 話 学 習 キ ャ ンペ ー ンは、 そ れ らの 理 念 や 精 神 を単 に学 習 す る こ とが主 要 な狙 い と は思 え な い 。学 習 す る教 材 は講 話 で あ って も、 中 央 が 求 め る真 の狙 い は、 これ らの講 話 が郡 小 平 路 線 を継 承 して お り、 そ れ ぞ れ の 時 点 で 中央 の権 威 の正 統 な後 継 者 が江 沢 民 で あ る点 を文 献学 習 を通 じて理 解 させ る こ と に こ そ あ る。 つ ま りキ ャ ンペ ー ンの絶 え ざ る継 続 と展 開 が、 中 央 っ ま り江 沢 民 の 権 威 強 化 の手 法 と して 使 わ れ た 。1988年 に 中 国 が 経 済 政 策 を そ れ ま で の放 漫 な高 度 成 長 追 求 か ら引 き締 め に転 換 させ た時期 に 鄰 小 平 は 「中央 に は権 威 が な け れ ば な らな い」 と語 り、 さ らに 「党 中 央 と 国 条 院 に権 威 が な けれ ば、 局 面 は コ ン トロー ル で きな い」 と強 調 した。 「中 央 の 権 威 」 と は抽 象 的 な 理 念 や 思 考 で は な く、党 と国家 を具体的 に 動 か して い く時 に指 導 者 が 具 備 す べ き政 治 統 率 力 を意 味 す る概 念 で あ る。 第15回 党 大 会 ま で の江 沢 民 に は この権 威 が確 立 して い なか つた。 した が っ て 江 沢 民 体 制 の政 治 的土 壌 が完 全 に は強 固 な安定性 を形 成す るまで には至 っ て い なか っ た と見 るべ きで あ る。 第15回 党 大 会 とそ μ に続 い て開 か れ た党 第15期 中央 委 員 会 第1回 全 体 会 議(15期1中 全 会)で 、 ヰ1央委 員 会 、 中 央 政 治 局 、 中 央 政 治 局 常 務 委 員 会 の選 出 が行 わ れ、 新 しい 中央 指 導 体 制 の 陣容 が 整 った。 この 陣容 こそ が ポ ス ト郡 小 平 時 代 に入 って の江 沢 民 体 制 だが 、 この 体制 に 「中央 の権 威 」 が 確 実 に備 わ っ たか 否 か を 検 討 した い。 '中央 政 治 局 常 務 委 員 7人(江 沢 民 、李 鵬 、朱 鎔 基 、 李 瑞 環、 胡 錦 涛 、 尉 健 行 、 李 嵐 清)を 含 む 中央 政 治局 員22人 と同 候 補 委 員2人 の 計24人 の 指

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中国共産党第15回党 大会の分析 導 者 名 簿 に表 わ れ た特 色 は以 下 の数 点 に絞 る こ とが で き る。 ① 江 沢 民 と は 政 治 理念 で歩 幅 を 異 にす る喬 石 が 引 退 した に もか か わ らず、 喬 石 系 の 立 場 「 に あ る尉 健 行 が政 治 局 常 務 委 員 に昇格 した。 ② い わ ゆ る上 海 閥 と呼 ば れ る グ ル ー プ で新 た に ト ップ入 り した の は 曽慶 紅1人 に と ど ま り、 上 海 閥色 が それ ほ ど鮮 明 に読 み取 れ る人 事 で は なか った。 ③ しか し曽慶 紅 は 中央 弁 公 庁 主 任 で あ り なが ら中央 委 候 補 委 員 で す らな く、 そ の意 味 で は ヒ ラ の党 員 の政 治局 候 補 委 員 の昇 格 は、 いわ ば 「3段 飛 び」 の異 例 の人 事 で、 江 沢 民 の 中央 に お け る地 盤 固 め が進 ん だ こ とを示 した。 ④ 経 済 建 設 で成 果 を上 げ る先 進 地 方 の党 委 責 任 者 が第14回 党 大 会 時 と 同様 に政 治 的 入 り し、 地 方 重 視 の理 念 が 継 続 さ れ た。 ⑤ 軍 代 表 が 政 治 局 常 務 委 員 か らは姿 を消 した が 政 治 局 員 で は1人 増 の2人 と な り、 江 沢 民 の 軍 へ の配 慮 に も手 抜 か り は な か った 。⑥24人 中50歳 代 の指 導 者 は9人 で、 前 回 の22人 中3人 と比 較 し 21世 紀 と次 の 第 四 世 代 へ 向 け て の後 継 者 育 成 の 姿 勢 が 明 示 され た な ど の点 が 指 摘 で き る。 これ らの 点 か ら浮 き彫 りされ る江 沢 民 の手 法 は、現実 を重視 し、バ ラ ン ス に配 慮 す る協 調 的 調 和 型 官 僚 政 治 家 で、 独 自色 や 自 己 の個 性 を 強 く打 ち 出 して主 導 的 に新 局 面 を切 り開 く策士 政 治 家 で は な い 。 した が っ て第15 回 党 大 会 で 江 沢 民 体 制 の安 定 性 は増 大 した の は間 違 いな いが 、 新 た な江 沢 民 時 代 と呼 ぶ べ き よ うな時 代 の一 大 転 換 が 到 来 した と考 え る こ と に は無 理 が あ る。 江 沢 民 が 毛 沢 東 、 鄰 小 平 に続 く第 三 世 代 の指 導 者 と して、 中国現 代 史 の 中 で 中 国 の新 時 代 を 築 く指 導 者 に な り得 るの か否 か 、 第15回 党大 会 の人 事 側 面 か ら見 る限 り、 結 論 を 出 す の は ま だ時 期 尚 早 で は な いか 。 4 江沢 民 が登区小 平 の二 律 背 反 的 自己矛 盾 に手 を つ けず 、 自 己矛 盾 を も含 め た鄰 小 平 路 線 の継 承 だ けを主 張 し、 そ こに体 制 の存 在 理 由を 求 め る の で あ れ ば、 江 沢 民 体 制 の歴 史 的意 義 は 自ず か ら限 られ て くる。 政 策 面 で の 独 自 性 の欠 如 と人 事 面 で の安 定 性 、 バ ラ ンス指 向 が 江 沢民 体 制 の本 質 で あ るな 一176一

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厂文学 部紀 要」文教大学文学部第11-2号 志村 規矩 夫 らば、 毛 沢 東 や 鄰 小 平 が もた ら した よ うな劇 的 な変 化 が 、 江 沢 民 の手 で 成 しと げ られ る こ と は期 待 で きな い。 江 沢 民 体 制 が 江 沢 民 時 代 と称 す る こ と が で き る よ う な時 代 を創 造 で き る のか 否 か 。 「経 済 で の脱 社 会 主 義 傾 向 の 加 速 、 政 治 で の社 会 主 義 ス ロ ー ガ ン堅 持 」 の 流 れ に いっ 変化 が生 じるのか。 中 国 の 政 治 動 向 を 慎 重 に注 意 深 く観 察 し分 析 す る作 業 は、 今 後 もな お欠 か せ な い 。

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