アジ研ワールド・トレンド No.240(2015. 10)
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彼女の著書が名のある文学賞を立
て続けに受賞していることに加え
て、読書好きの人たちの間でも高
い人気を誇っていることからも、
この点は明らかである。
では、これほどの神業的な芸当
が、なぜ可能だったのだろうか。
その最大の要因は、彼女がそれま
でに尋常ならざる量の読書をして
いたことにあるのではないだろう
か。実際、米原万里の書いたもの
を読むと、最も重要な「幹」の部
分は、膨大な読書から得られた確
固とした知識に裏打ちされている
ことがよくわかる。その一方で、
思わず笑ってしまうようなエピソ
ード(例えば、同時通訳の内幕や
自身の失敗談)やどぎつい下ネタ
(
例
え
ば、
参
考
文
献
②
の
二
七
二
~
五ページ)といった目が行きがち
な
部
分
と
い
う
の
は、
あ
く
ま
で
も
「枝葉」にすぎないのである。
●
華
麗
な
る
(
?
)
転
身
と
読
書
日本を代表するロシア語同時通
訳者として活躍するかたわら、作
家としても高い評価を受けていた
米原万里がこの世を去ったのは、
二〇〇六年五月のことであった。
作家デビューが四〇代半ばと比較
的遅かったうえに、二年半に及ぶ
ガンとの闘病の末に五六歳という
若さで亡くなったこともあり、米
原が本格的に著述活動に取り組ん
だ期間は、ほんの一〇年余りにす
ぎなかった。
しかし、この短い間に生み出さ
れた作品の数は驚くほど多く、軽
妙洒脱なエッセイ(例えば、参考
文献①~③)から自伝的要素を巧
みに取り入れたノンフィクション
(
参
考
文
献
④
)
や
長
編
小
説(
参
考
文献⑤)に至るまで、その内容も
実に幅広い。そしてさらに、質の
高さもしっかりとともなっている。
おそらく、作品のなかに笑いの
要素をふんだんに盛り込でいるの
は、単なるサービス精神からだけ
ではないだろう。むしろ、学術論
文を書くように生真面目に筆を進
めてしまいがちな自身の性格や読
書によって培われた溢れんばかり
の教養と知性をカモフラージュす
るためなのではないだろうか。こ
の見立てが当たっているかどうか
は定かではないが、たいしたこと
のない内容を高尚にみせようとす
る書き手がたくさんいる(研究者
にもこういう手合いが実に多い)
なかで、あえてその逆を行きなが
ら、知的刺激に満ちた作品を書き
続けることのできた米原万里とい
う作家が稀有な存在であったのは
確かである。
●
ス
タ
ー
リ
ン
も
す
な
る
…
…
幼少期から思春期にかけて、彼
女が浴びるように読書をしていた
ことを示す数々のエピソードにつ
いては、本人のエッセイに譲ると
して、読書に対する異常なまでの
情熱は、長じてからもまったく変
わることがなかったようである。
そのことを何よりもはっきりと物
語っているのが、作家としてデビ
ューした直後から亡くなる直前ま
での間に彼女が書いた全書評を収
録
し
た、
『
打
ち
の
め
さ
れ
る
よ
う
な
す
ご
い
本
』(
参
考
文
献
⑥
)
と
題
す
る書評集である。
六〇〇ページ近くあるこの分厚
い本からは、読書人としての米原
万里の「大食いぶり」と「雑食ぶ
り」を知ることができるだけでな
く(ちなみに、実際の食事につい
ても、彼女の食欲と食べるスピー
ド
は
凄
ま
じ
か
っ
た
と
か
)、
む
し
ろ
そ
れ
以
上
に、
「
労
多
く
し
て
益
少
な
し」の典型ともいえる書評の執筆
という仕事を心から楽しんでいた
様子がひしひしと伝わってくる。
彼女の手による書評を読んでいる
うちに、紹介されている本を実際
に読んでみたくなったとしても、
何の不思議でもない。
最初で最後となったこの書評集
の巻末に収められている「文庫版
のための解説」のなかで作家の丸
●
特
●
集
本の森への道案内
特
集
に
あ
た
っ
て
湊
一樹
[インド政治経済]
3
アジ研ワールド・トレンド No.240(2015. 10)
谷才一は、派手好みの彼らしい表
現で、米原万里の本好きぶりを次
のように賞賛している。
「
何
し
ろ
彼
女
は、
ス
タ
ー
リ
ン
を
き
び
し
く
弾
劾
し
た
あ
と
で、
彼
が
『
激
務
の
合
間
に
一
日
五
百
頁
を
読
破
する読書家』であつたと書きつけ、
ほんのすこし、しぶしぶ、好意を
寄せるくらゐの読書人だつた。自
分と同じやうに本好きだと知ると
黙つてはゐられないのだ。いい人
ですね。かういふ人のいい感じも
私は好きだ。
」(参考文献⑥、五七
〇ページ)
●
本
の
森
へ
の
道
案
内
丸谷は、この引用部分よりも少
し前の所で、書評家として米原が
優れている点を三つ挙げ、特に最
後の点を一段と強調している。
「
第
三
に、
一
冊
の
本
を
相
手
ど
る
のではなく、本の世界と取り組ん
でゐる。
本といふのは単独の存在ではな
い。何冊も何十冊も、いや、何万
冊も何十万冊もの本が群れをなし
て宇宙を形成してゐる。たとへば
夏目漱石の『三四郎』なら、ヨー
ロッパの教養小説の伝統(ゲーテ
の『ウィルヘルム・マイスター』
とかフローベールの『感情教育』
とか)があつて、漱石がそれに親
しんでゐるから書くことができた。
その『三四郎』を読んで森鷗外が
刺
戟
さ
れ
て『
青
年
』
を
書
い
た。
『
三
四
郎
』
や『
青
年
』
の
せ
い
で
出
来た日本人作家の作品はあまりに
も多くて、ここにあげきれない。
(
中
略
)
書
評
家
は
本
の
世
界
と
向
ひ
合ひ、この一大星雲とつきあはな
ければならぬ。
米原万里はさういふ資格をきれ
いにそして充分に持合せてゐる人
だつた。
」(参考文献⑥、五六八~
九ページ)
本の世界というものがどのよう
にして形成されているのかをとて
もわかりやすく説明した一文であ
る。この引用文のなかで、丸谷は
本の世界を「宇宙」や「星雲」に
例えているが、この特集では、あ
えて本の世界を「森」に例えてみ
ることにした。整備された遊歩道
に沿って着実に進んでいく(体系
的に読書をする)のもよいし、そ
こから少し外れて、道なき道を自
ら切り開いていく(興味の赴くま
まに濫読する)のもよいように、
森での散策(読書)には、人それ
ぞれのいろいろな楽しみ方がある
と思うからである。
「
森
」
と
い
う
表
現
に
こ
だ
わ
る
の
には、もうひとつ理由がある。薄
暗くて、静かで、ひんやりとして
いて、書架に所狭しと本が並んで
いる図書館のなかを歩いていると、
時として、鬱蒼とした森のなかに
いるかのような錯覚に陥ることが
あるからである。
*
*
*
今回の特集では、二〇名の選り
すぐりの執筆者の方々に、大きな
影響を受けた本、お気に入りの本、
お薦めの本などを自由に挙げても
らっている。実際に読んでいただ
ければおわかりのとおり、期待に
違わぬ素晴らしい内容の書評が並
んでいる。みなさんの今後の読書
の指針として、是非ともご活用い
ただきたい。
なお、専門分野、男女比(女性
八
名、
男
性
一
二
名
)、
所
属
先(
外
部
か
ら
八
名、
ア
ジ
研
内
か
ら
一
二
名)などの面で大きな偏りが出な
いよう執筆者の人選を行ったこと
も影響しているのか、結果的には、
実に多種多様な本が紹介されてい
る。また、執筆者間の調整などは
一切行っていないが、同じ本が複
数の執筆者によって取り上げられ
ることもなかったという点を一言
付け加えておきたい。
最後に、みなさんの「本の森」
での散策に今回の特集が少しでも
お役に立つことができれば、特集
の取りまとめ役として、これ以上
の喜びはない。
それでは、お気を付けて!
(
み
な
と
か
ず
き
/
ア
ジ
ア
経
済
研
究所
南アジア研究グループ)
《参考文献》
①
米原万里『不実な美女か貞淑な
醜 ブ
女 ス
か』新潮文庫、一九九七年。
②
―――『魔女の一ダース――正
義と常識に冷や水を浴びせる一
三章――』
新潮文庫、
二〇〇〇年。
③
―――
『ガセネッタ&シモネッ
タ』文春文庫、二〇〇三年。
④
―――
『嘘つきアーニャの真っ
赤な真実』角川文庫、二〇〇四
年。
⑤
―――
『オリガ・モリソヴナの
反語法』集英社文庫、二〇〇五
年。
⑥
―――
『打ちのめされるような
すごい本』文春文庫、二〇〇九
年。