24
アジ研ワールド・トレンド No.224(2014. 6) 現在のサウジアラビアの安全保 障問題は、イランの脅威にどのよ うに対応していくかという点を中 心にして動いている。これまでは アメリカとの軍事的な協力で安全 保障を確保してきた。しかし、ア ラブの春の激動を経て、サウジア ラビアとアメリカとの関係は、現 在はぎくしゃくとした関係になっ ており、安全保障の確保が危ぶま れている。本稿では、サウジアラ ビアの安全保障問題をめぐる構造 を検討し、今後の動きを見通す手 がかりとしたい。 ●脅威の存在 サウジアラビアの安全保障は対 外的な脅威に対応する形で図られ ている。その脅威は軍の配置から もみて取ることができる。サウジ アラビアが陸軍や空軍の兵力を多 く配置しているのは、ペルシャ湾 岸の東部州、北部地域、北西部地 域、そして南西部地域である。ペ ルシャ湾方面にはイランが存在 し、北部方面にはイラクが、北西 部方面にはイスラエルが、南西部 方面にはイエメンがある。 なかでも、現在のサウジアラビ アにとって最大の脅威となってい るのはイランである。二〇〇三年 のイラク戦争まではイラクが大き な脅威であった。そのイラクの軍 事的な脅威はイラク戦争を経て大 幅に弱まっている。イスラエルは 強い空軍力を持っておりサウジア ラビアは警戒を続けているが、実 際問題として、イスラエルとの間 で武力衝突が起こる可能性は極め て少ないであろう。イエメンに関 してはサウジアラビア側が軍事的 に圧倒しており、国境地域でのイ エメンの武装勢力などとの衝突が 起きているが、安全保障を大きく 脅かすまでには至っていない。現 在のサウジアラビアにとって最大 の脅威はイランなのである。 イランは二つの点でサウジアラ ビアの脅威となっている。第一は 軍事的な脅威である 。イランは 、 現在はアメリカなどの制裁を受け 最新型の兵器の調達ができず、そ の空軍力などは大幅に弱まってい る。しかし、イランは湾岸随一の 人口︵七六〇〇万人︶を持つ大国 である。ミリタリー ・ バ ランス ︵ 二 〇一三年版︶によると、陸軍が三 五万人、革命防衛隊が一二万五〇 〇〇人など、総兵力五二万三〇〇 〇人を持ち、その潜在的な軍事力 には侮れないものがある。 イランは民族的にはペルシャ人 を中心とした国で、宗教的には一 二イマーム派のシーア派が中心的 な宗派となっている。政治もシー ア派系の人たちを中心に動いてき た。一方で、サウジアラビアはア ラブ人の国で、かつワッハーブ派 を中心とした国である。ワッハー ブ派はスンナ派の厳格派で、シー ア派に対しては厳しい見方をとっ ている。民族や宗派の相違は緊張 関係につながりやすく、サウジア ラビアはイランの軍事力を警戒し てきたのである。 イランの脅威は軍事面にとどま らない。サウジアラビアの東部州 などにはシーア派住民のコミュニ ティが存在する。シーア派の人口 は百数十万人で国民人口の一割に も満たないマイノリティである が、シーア派の多くは油田や石油 産業の中心地である東部州に存在 し、無視できない存在となってい る。シーア派住民の間には、ワッ ハーブ派を中心に動いている政 治・経済のあり方に強い不満が存 在する。サウジ政府は、イランの 影響がそのシーア派住民におよ び、抗議行動などが活発化するこ とを警戒しているのである。 サウジアラビアの隣接地域にも シーア派住民が多い。国境を接す るバーレーンでは、国民の六割以 上はシーア派住民で占められてい る。クウェートなどのその他の G CC ︵湾岸協力会議︶諸国にも一 定数のシーア派住民が存在する 。 イラクではシーア派住民が国民の 多数派を占め、現在は、シーア派サウジアラビアにとっての
湾岸の安全保障
福
田
安
志
激変
する湾岸
の安全保障環境
特 集サウジアラビアにとっての湾岸の安全保障
25
アジ研ワールド・トレンド No.224(2014. 6) 住民を中心とした政治が行われて いる。イエメンもシーア派のザイ ド派が中心的な宗派となっている などシーア派の影響力が強い。さ らには、レバノンのヒズボッラー もシーア派の勢力であり、シリア のアサド大統領の支持母体となっ ているアラウィー派もシーア派に 近い宗派である。 サウジアラビアはメッカ 、メ ディナのイスラームの二聖地を抱 え、スンナ派の擁護者の立場を自 任している 。そのため 、 国内と 、 自らを取り巻く周辺地域に存在す るシーア派勢力へイランの影響や 支援が強まり、シーア派勢力の活 動が強まり、サウジアラビアとス ンナ派世界への脅威が強まること を恐れているのである。 イラクが再び軍事的な脅威とな る可能性がある。イラクはイラク 戦争で国家が解体されたが、その 後、再建を進め、現在では一九万 人の陸軍など、総兵力二〇万人を 保持するまでになっている。イラ クの政治は多数派のシーア派国民 を中心に動いている。イラクの復 興が進み、イラクとイランの協力 関係が進むようなことがあれば 、 サウジアラビアにとってイラクが 再び脅威になる可能性がある。 ●安 全 保 障 面 で の ア メ リ カ 依 存 イランやイラクなどの脅威にさ らされてきたサウジアラビアは 、 自らの安全保障を確保するため に、アメリカの軍事力に大きく依 存してきた。アメリカは一九九一 年の湾岸戦争以来、 GCC 諸国に 海 ・ 空軍などの軍事力を配置し 、 サウジアラビアをはじめとした親 米の GCC 諸国を守る役割を続け てきたのであった。 同時に、サウジアラビアは自ら の軍事力の強化にも努めてきた 。 米欧諸国から戦闘機やミサイルを はじめとした最新の兵器を購入 し、兵力の整備に努めてきたので あった。 GCC 諸国間での安全保 障面での協力も進めてきた。 米軍への依存の背景には、サウ ジアラビアが国軍︵陸軍七万五〇 〇〇人など︶の強化を避けてきた ことがある 。サウジアラビアは 、 二〇〇〇万人を超える自国民人口 を持っており、豊富な石油収入も 得ている。強大な軍事力を構築す ることは可能である。 しかし 、強力な軍隊の保有は クーデターの危険性と表裏一体で ある。エジプトでは一九五二年に 事実上の軍部のクーデターで王政 が倒れているように、中東の王政 諸国のなかにはクーデターで倒れ た国も多い。サウジ王政指導部に は強大な軍事力を持つことへの警 戒心が強く、イランの脅威に対応 できるだけの軍事力を保有しな かったのである。国軍をけん制す る目的で別系統の軍事力である国 家警備隊︵七万五〇〇〇人︶を保 有し、また、国軍の主力部隊は首 都地域からは遠いところに配置し ているほどである。 もっとも、クーデターを起こす 可能性の少ない空軍については 、 最新型の戦闘機を購入するなど戦 力の整備を進めてきた。サウジア ラビアとイランの間にはペルシャ 湾が存在し、 空軍力で圧倒すれば、 イランの攻撃には十分に対応でき ると考えたのである。 しかし、二〇〇〇年代に入りイ ランの核開発問題が明らかになる と、そうした状況が一変した。と りわけ、二〇〇五年から二〇一三 年まで続いたアフマディネジャー ド大統領の時代には、イランは核 開発の姿勢を緩めようとはせず 、 イランの核兵器保有に対する警戒 感が王政指導部の間で強まってい く。 戦闘機やミサイルなどの最新兵 器を集積することでイランの持つ 通常型兵力には対応できるが、核 兵器には、通常型の軍事力では対 応は不可能である。イランの核兵 器保有によって、湾岸地域の安全 保障は一変し、イランの脅威が格 段に増すことになる。 イランが核兵器を保有したとき には、対抗上、サウジアラビアも 核武装し、その核兵器は友好関係 にあるパキスタンから取得すると いう憶測が何回も報道されてい る。 しかし 、サウジ王政指導部は 、 当面、核兵器の取得へ動くことは ないであろう 。核兵器の取得に よって王政の安全が脅かされるか らである。パキスタンでは、核兵 器を握っている軍部はいわば聖域 となっており、軍部に対しては政 治のコントロールが効かない。サ ウジ軍部に核兵器を与えれば軍部 の発言力が増し、クーデターの危 険性が高まることになる。王政指 導部にとっては、核兵器の取得は 最後の選択肢であろう。 イランなどの軍事的脅威に、そ して核の脅威に対抗するために 、 サウジアラビアが頼ったのはアメ リカの軍事力であった。アメリカ のみが、湾岸地域に兵力を配置し 湾岸の王政産油国に強力な軍事的26
アジ研ワールド・トレンド No.224(2014. 6) な傘を提供することができたから である。米軍のプレゼンスは、イ ランに対する核抑止力としても有 効である。 サウジアラビアとアメリカとの 間には、パレスチナ問題のように 利害が異なる問題が存在し、民主 主義をめぐる問題などのように考 え方の異なる問題も存在してい る 。 特に大きいのがパレスチナ ・ イスラエルをめぐる中東和平問題 で、サウジアラビアはパレスチナ を支援し、アメリカはイスラエル への支持を続けてきた。パレスチ ナ問題はアラブとイスラームにか かわる重要な問題であったが、王 政指導部にとっては安全保障の確 保が重要で、アメリカとの協力関 係を優先してきたのであった。 ●悪化する対米関係 サウジアラビアが、アメリカと の協力関係を維持するために使っ たのが原油とマネーである。サウ ジアラビアは、世界最大の原油の 輸出国としてアメリカや国際マー ケットへの原油の安定供給に努 め、 また、 スイングプロデューサー として知られているように、その 生産・輸出量を調整することで原 油価格の適正化にも努めてきた。 さらに、サウジアラビアは二〇 〇万 b/d ︵バレル/日︶を超える 原油の増産余力を維持し、紛争や 制裁などで他の産油国の輸出が減 少したときの肩代わり役も担って きた 。一〇〇万 b/d 以上の大き な増産余力を持つ国は他にはな い 。アメリカにとっては 、例え ば、対イラン制裁を実施しイラン からの原油輸出が減少しても、サ ウジアラビアが増産すればその悪 影響を相殺できるなど、サウジア ラビアは重要な存在であったので ある。 マネーに関しては、サウジアラ ビアは七二六〇億ドルの外貨準備 ︵二〇一三年一二月末︶を持って いるが、その外貨準備の大半はア メリカの財務省証券の形で保有し ている。アメリカの財政を支える 役割も果たしてきたのである。 アメリカは、湾岸戦争からイラ ク戦争まではサウジ国内に空軍を 中心にした米軍を駐留させ防衛に あたってきた 。イラク戦争後は 、 米軍はサウジ国内からは撤兵した ものの、バーレーンなどの GCC 諸国に展開する米軍がサウジアラ ビアの安全保障を守る役割を続け てきたのである。 このように 、安全保障と原油 ・ マネーを相互に提供する形で強い 協力関係が作られた 。もっとも 、 アメリカのイスラエル支援もあり サウジ国民の間にはアメリカに対 する反感も存在する。イラク戦争 後の米軍の撤退は、国内の反米感 情の存在に配慮したものであった が、政府も明示的な形でのアメリ カとの軍事協力には慎重であっ た。サウジアラビアとアメリカと の間での安全保障協定等は、存在 するのか 、しないのか明らかに なっていないが、両国の協力関係 は信頼関係と暗黙の了解に基づく 部分も大きかったのであった。 サウジアラビアとアメリカとの 間では、実質的には、安全保障面 での協力関係が長い間続いてきた のである。サウジアラビアにとっ ては安全保障の確保のためにはア メリカとの協力関係が欠かせな かったからである。 しかし、現在、その両国関係に は軋みが生じている。軋みのはじ めは二〇一一年のエジプト革命で ある。サウジアラビアはムバーラ ク政権とは密接な協力関係を維持 してきた。サウジアラビアにとっ てムバーラク大統領は安全保障と 中東外交を進めるうえで、重要な パートナーであったのである。王 政指導部は、エジプト革命に際し オバマ政権がムバーラク大統領を あっさりと見捨てたと考え、アメ リカに対する怒りを募らせた。そ の後も、バーレーンでの抗議行動 に対する政策の相違などもあり 、 サウジアラビアとアメリカとの関 係は、さらにぎくしゃくした。 二〇一三年一〇月には、サウジ アラビアは国連安全保障理事会の 非常任理事国に選ばれたが就任拒 否を表明し、国連外交に波紋を起 こした。就任拒否に際しサウジ外 務省は声明を出し、安保理はシリ アのアサド政権が化学兵器を使っ たことに対し有効な制裁措置を取 らず、また、パレスチナ問題も解 決できず機能不全に陥っていると 非難している。就任拒否は、安保 理への批判であると同時に、有効 な対策を取れなかったアメリカに 対する不満を示すものであったと みられている。同じ頃に、政府の 要職にある複数の有力王族がアメ リカの中東政策に不満を表明して いる。 アメリカに対する不満は、二〇 一三年九月に、アメリカが、シリ ア政府軍が化学兵器を使用したこ とに対するシリア攻撃を回避した ことで強まり、そして一一月にアサウジアラビアにとっての湾岸の安全保障